2012年6月21日木曜日

いつになったら需要の不測と需要の飽和は違うものだと理解されるのか?

ようするに、以下のような言説はすべて嘘だったということになる

・ケインズが需要不足説を最初に言い出した→とっくの昔にアメリカでは云われていた
・低所得層の方が消費性向が高いのだから消費性向の低い富裕層から低所得層に所得を移転させれば需要不足は解消されると言い出したのはケインズ→それを主張していたのはアメリカ人だった

逆に、右翼や左翼が現在主張しているような政策(賃金の引き上げ、法人税の増税など)はルーズベルト政権の政策と同様に失敗に終わる可能性が高い。不思議なことに彼らは自分たちの主張している政策の正当性はケインズ経済学によって保証されていると考えているが、実際にはケインズからも否定されている。

>すでに20 年代において消費の飽和を原因とする、過少消費説が持ち出されている。
論者によれば、この過少消費は言い換えれば過剰貯蓄であり、過剰貯蓄が投資されて生
産力化すれば更に消費財生産が増加し、需給のミスマッチが一層拡大する。この論理で
大恐慌への対応策を論じようとした。

>一般的に、利潤所得のほうが賃金所得よりも貯蓄性向が高いのであるから、政策的に
は利潤所得から賃金所得への所得の再分配策が重要であり、具体的には賃金の引き上げ
を行うことによって過剰貯蓄を減少させ、不況も回復させられる、としたのである。この議論にケインズ本人は一部同意しながらも、過剰貯蓄に等しい投資が行われるのであれば一般的過剰生産は起きないはずである、問題はむしろその貯蓄に投資が伴わないところにあるのだ、と主張した。また、ケインズは、需給のバランスを図っていくためには有効需要を拡大することが必要であり、それは本来的には減税による消費の拡大でも良いはずではあるが、乗数効果の大きさの比較などによって、短期的な財政赤字による公共投資の拡大を説いた。

>しかし、過少消費説をデータで確認してみると必ずしも事実を説明したものとはなっ
ていない。国民所得に占める消費支出は20 年代後半、自動車や家庭電化製品を始めと
する新しい耐久消費財の出現、消費者信用の増加などによって、減少するどころかむし
ろ増加していた。また、賃金や俸給の分配率は29 年までの20 年代を通じて約7 割で安
定する一方(国民所得から個人業主所得を除いたものを分母として計算)、30 年ごろを
境に,その後の不況の影響を受けて急上昇した。これに反し利潤の分配率は32 年のボ
トムへ向けて急激に減少した。過少消費説は政策的には利潤所得から賃金所得への移転
ないしは賃金の引き上げを説いたが、実態は利潤が極度に落ち込む中で実質賃金はむし
ろ29 年から一貫して増加していた(29 年に対し、36 年は25.5%の増加となったーフ
ルタイム労働者賃金)。このようなときに、法人税強化を含む租税政策や賃金政策など
により、更に賃金と可処分所得の上昇を図ることは、利潤を更に圧迫し、失業率を高め、
不況を一層深刻化させるだけの結果に終わるおそれが強い。

>過少消費説は、ルーズベルト政権の、特に発足時における政策の理論的支柱をなすも
のであったが、上記の理由から、非常に問題の多いものであった。

>デフレの進行のもとでルーズベルト政権が取った政策は要すれば,次の三点、即ち、
賃金と物価の維持ないし引き上げ、金本位制からの離脱に始まる金融緩和、そして、意
図せざる財政赤字である。

>賃金と物価の維持策はニューディールの初期段階を特徴づけるものである。この理論
的背景には,既述の、過少消費説がある。消費性向は利潤所得よりも賃金所得の方が高
いから,所得の分配率を変えるべく、賃金の維持、引き上げを通じて消費を拡大し、景
気の回復に役立てようというものであった。その政策は具体的には,二つの柱、つまり、
NIRA(全国産業復興法)とAAA(農業調整法)からなる。

>前者は33 年6 月に制定された。労働者の権利保護のために、賃金の維持や引き上げ,
労働者の団結権や交渉権,労働時間の短縮などを各業界に認めさせる一方で、各業界に
は反トラスト法の適用除外として,価格維持や生産調整を行なうカルテルを認めること
を内容とした。後者は農業についての生産調整,価格維持の政策を認めたものであり,
思想的には同質である。しかし、これらの政策は、結果的には、消費を活性化するほど
の効果を生まなかった。賃金を仮に引き上げても,生産物の価格上昇によって効果はか
なり相殺されたという面もあった。

>しかし本当の問題は別のところに生じた。賃金の一律的な上昇によって、相対的に生
産性の低い企業の利潤は圧縮され、解雇か、少なくとも新規雇用の抑制に踏み切らざる
を得ない。AAA による農産物価格の維持政策も都市民の実質購買力の低下を招き、総収
入の拡大には繋がらなかった。

>NIRA やAAA の導入も効果を発揮し、一般物価は下げ止まり、33 年を底にして上昇に
転ずるが、失業問題は容易には解決されなかった。労働者の組合組織率はNIRA によっ
て急速に上昇したが、結果的には組織労働者だけを保護するようになっていく(なお、
NIRA は35 年5 月、AAA は36 年1 月、それぞれ連邦最高裁判所の違憲判決によって廃止
され,その後は、ワグナー法に代表される,労働者保護法制などに置きかえられたが、
基本思想に変化はなかった)。

>このような賃金と価格の維持政策はルーズベルト政権の政治的立場と無縁ではない。
ルーズベルトは市民や労働者のための民主党候補として選挙活動を行ない,そしてフー
バーに圧勝した。過少消費説に基づく賃金の引き上げ策は、労働者の諸権利を保護する
法制化と共に、彼の政策理念に合致した。そこでまず起案され、実施されたのがNIRA
であった。しかし、これは実質賃金を引き上げると同時に企業利潤を圧迫し、失業率の
高止まりなど雇用の低迷を招いた。そして、雇用の低迷は購買力の低迷となり,不況を
長期化させてしまった。30 年代大恐慌が長期化した真の理由は、市場メカニズムを阻
害する誤った政策をとったことにあり、また, 政治理念を経済理論に優先させてしまっ
たルーズベルト大統領の政治的立場にあったというべきであろう。

>これと対照的なのが、実は、ナチスが掌握したドイツである。ナチスは、すべての労
働組合の解散を命じると共に、労働運動そのものを禁止した。賃金は政権発足時の33
年の水準に固定された。35 年になるとナチスは強制的な労働奉仕制を導入し,この面か
らも雇用を拡大させていった。さらに、この時期以後、政府支出が激増する。ナチスが
政権を握る以前の32 年、政府支出(軍事費を含む)の対GNP 比は16.6%であったが、
33 年には18.5%、35 年25.9%、そして38 年には39.1%と、加速的に増加
していった。

>一方、実質賃金は、米国で33年から38年の間に30.1%と増加したのに比べ、
ドイツでは4.4%の微増に過ぎなかった。同時期のGNP に占める消費支出の構成割合
は、87.1%から78・8%とやや減少した米国に対し、ドイツでは79.8%から
59.0%へと急減した。しかし、この減少分を政府支出と民間投資が埋めた。この合
計値の対GNP 比(33 年から38 年の同期間)が、ドイツでは22.1%から41.0%
へとほぼ倍増したのである。一方、米国は13.1%から20.2%への増加であった。

>こうしてドイツは、32年に30%を超える高失業率にあった経済を、わずか数年後の38年に3%台に引下げるという、劇的な成功を獲得したわけである。

参考
平成デフレと1930年代米国の大恐慌との比較研究-信用経済がもたらす影響を中心に
http://www.mof.go.jp/pri/research/discussion_paper/ron028.pdf