2013年10月5日土曜日

経済学者は相関と因果を区別できない?

Overstating the Costs of Inequality

by Scott Winship

近年所得格差がアメリカの左翼の懸念の中心となった。リベラル派の主張によると所得格差の拡大は成長を阻害し低所得層や中間所得層の前途を破壊し民主主義をも危機に陥れるという。そのような主張はオバマ大統領のレトリックに顕著に見られ政策にさえ影響を及ぼしているように思われる。

所得格差の拡大により経済が損なわれているという主張は何人かの著名な経済学者の中にも見られる。Paul KrugmanとDavid Cardは所得格差が流動性を傷つけていると主張している。Alan KruegerとJoseph Stiglitzは経済成長を低めていると主張している。Raghuram RajanとStiglitzは所得格差が金融危機の背後にあると主張している。Robert FrankとRobert Reichは中間所得層の債務を増加させたという。Daron Acemogluは所得格差の拡大により経済エリートが政府の機能を奪うことが可能となり究極的には国家を没落させうるという。

彼らは他の分野では誠実な議論を行ったかもしれないがここでの議論ではそうではない。彼らのうちの幾人かは一般大衆に向けての議論には学術論文で要求される厳密さなど必要ないとさえ考えているように思われる。その他の者も所得格差と無関係の分野で業績を挙げた人物でこの分野での経験などほとんどない。幾つかのケースでは発展途上国での研究結果を元にしてアメリカの所得格差について論じている。彼らはそれらの国とアメリカとの事情がまったく異なるということを認識できていない。さらに残りのケースでもそれら経済学者は不注意に相関と因果を取り違えている。

彼らの間違いはリベラル派の信用を大きく傷つけている。注意深く調査しても所得格差が無害だと立証することは困難だ。経済データはないことを立証することは出来ない。だが(*ある主張に対して)それが存在するか立証することに失敗することは可能でありそして実際に左翼の主張を立証することに失敗している。経済データは所得格差が問題の元であるという考えをほとんど支持しておらず(*所得格差が低下すれば)成長率が高まる、世代間の流動性が増大する、金融危機が回避できる、民主主義を守れると信じることにほとんど根拠がないことを示している。

Growth and Inequality

理論上では所得格差が成長率を低下させうる幾つかの理由がある。

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だがそれは本当に成長率を低下させるのか?所得格差が成長率を低下させるというはっきりした証拠はない。Heather BousheyとAdam Hershは長編の論文の中でこの疑問について直接調べた研究を調べた。そして結論は否定的でアメリカの事情には当てはまらないと結論した。

もちろん所得格差と経済成長との関係について調べた多くの研究がありその中には幾つかの事情の下で所得格差が成長率を低下させうることを示したものもある。だがこの分野の研究はほとんどが発展途上国の経験に基づいたものでありそれを用いてよいのかはまったくはっきりとしていない。

実際、この分野で最も多く引用されたAndrew BergとJonathan Ostryの2011の研究は焦点を主に発展途上国に置いている。それを置いておいたとしてもBousheyとHershは「データと方法論的問題によりこの疑問に答えるには分析が不正確過ぎる」と結論している。

だが問題は単に所得格差が経済成長を損ねるという主張の根拠が説得力を欠くとか不正確すぎるというのに留まるのではない。その主張の逆、つまり所得格差の拡大により経済成長が高まるの方に有意な証拠があり左翼の主張に疑問を投げ掛けているのだ。HarvardのChristopher Jencks(Dan AndrewsとAndrew Leighが共著)は20世紀のアメリカと先進国のデータについて調べ所得格差と経済成長の間に特に関係がないことを示した。だが1960から2000の期間ではこれらの国で所得格差の拡大と成長率の上昇が一致している。University of Arizonaの社会学者であるLane Kenworthyは1979以降幾つかの国で所得上位1%の所得シェアと成長率の上昇が一致していることを発見した。

所得格差と成長率との間に左翼の主張するような関係が見られないとすれば所得格差と賃金との間にどのような関係があるのか?所得格差と賃金との間に関係があるという主張は結局第二次世界大戦後の好況へのノスタルジアの中にあるのだろう。New RepublicのTimothy Noahは実際そのような主旨の発言をしている。

この広く保持されている考えは水準と伸びを混同していることから生じている。事実今日の一般的な世帯の所得は1960の2倍以上だ。今日の一般的な世帯の厚生は過去を大きく上回っている。議題は高所得層の所得の伸びが高いとして今日の一般的な世帯の所得の伸びが1960のそれと比べて低いかどうかだ。左翼の考えでは前者が後者の要因だ。この見方では例え一般家庭の所得が低下していないとしても社会の富裕層から一般家庭が損失を被っていることになってしまう。

だがこの考えもまた物事を極度に単純化し過ぎているし実証的な根拠を欠く。所得格差の上昇の性質は経済学者の多くにすらほとんど理解されていない。次ページの図は1948から2007の期間を10年を基準とした6つの期間に分割している。各期間について所得分布を5分割して最下層、中間層、所得上位5%の所得の伸び率を示している。

まず最下層と中間層の所得格差の変化について見る。1980年代を除いてすべての期間でこの2つの集団の所得格差は僅かに拡大しているかまたは縮小している。実際、1990年代のこの2つの集団の所得格差の縮小が極めて大きかったのでそれ以降に部分的に拡大があったにも関わらず2007の所得格差は1989のそれよりも低い。1969から2007の期間に最下層の所得は46%増加し中間層の所得は63%増加した。別の見方をすれば仮にこの2つの集団の所得格差が問題なのだとしたらいつの時代(左翼のノスタルジアの時代であったとしても)であっても問題であったはずだ。今日に限定されることではない。

話は最下層または中間層と所得上位を比較することで変わってくる。この種類の所得格差は1979以降拡大している。1979以降所得上位5%の所得の伸びは最下層の所得の伸びの4倍で中間層の所得の伸びの3倍だった。

だがこの変化が本当にその他の層の所得の伸びを抑圧したのか?経済の効率性を高め成長を加速させることによりその他の層も部分的に利益を得る。そして最近のリセッションが示したように富裕層の所得が減少したとしてもその他の層は利益を得ることはない。2007から2009の期間に所得上位1%の課税前所得シェアは18.7%から13.4%に低下し中央所得も5%減少した。Alan Reynoldsは貧困率が所得上位1%の所得シェアが上昇した場合に低下する傾向があると示している。幾つかの先進国を調査することによりLane Kenworthyは所得格差の拡大が所得の中央値を僅かに低下させているかもしれないということを発見した。だが所得格差が成長率を高めそれにより政府による所得の移転が増加する可能性を考慮するとその効果が消滅することを示した。

一般世帯の所得が長期に渡って低迷しているという主張に対してBurkhauserは逆を示している。彼の研究は一般世帯の所得が1979と比較して2007までに33%以上上昇していることを示している。CBOも同様の結論を導いている。Bruce MeyerとJames Sullivanは上昇が50%以上であると示唆している。そのような上昇は第二次世界大戦後の例外的な好況期と比べてしか低迷しているとは言えない。第二次世界大戦後の好況以降所得の伸びが低下したのはアメリカだけではない。ヨーロッパでも様々な要因により伸び率が低下した。だがそれが所得格差の拡大により引き起こされたとのはっきりとした証拠はない。

Inequality and Opportunity

所得格差が流動性を損ねるとの主張はどうか?所得格差が機会を制限する経路は幾つかある。

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これらの主張はMiles CorakやTimothy Smeedingら幾人かの経済学者によって成された。仮説としては尤もらしく思える。だがこれらの主張が厳密にテストされたとは到底言えない。

所得格差が拡大すると機会が減少するという考えはよく梯子の段差に例えられる。だが上で記したように所得上位以外の層に大きく変化がない。仮に低所得層の子供が中間所得層の子供と機会を巡って競合しているのであれば彼らにとって梯子を登ることが困難になっていくことはないはずだ。

(省略)

幾人かの経済学者は国際的比較により所得格差と機会の関係を示そうとしている。一つの例としてAlan Kruegerによって広められたGreat Gatsby Curveがある。彼は幾つかの国を選び所得格差の水準と父親の所得とその子供の所得との関係を調べた。そして所得格差の水準と世代間の流動性が対応していることを示した。その定量的関係を示した直線がGreat Gatsby Curveだ。

国際的なデータを用いて結論を引き出そうとしたのは彼だけではない。Richard WilkinsonとKate PickettはThe Spirit Levelという本を出版した。

だがThe Spirit Levelの議論もKruegerの分析も大きな欠陥がある。(その他の所得格差についての議論でも)共通している問題は相関は因果を示すのではないということだ。所得格差の大きい国と小さい国では多くの点で異なる。Kenworthyはノルデッィク諸国の教育政策がGreat Gatsby Curveの背景にあると記している。より痛烈なことにJim Manziは各国の所得格差の水準をそれぞれの国の人口規模で置き換えても同じようにGreat Gatsby Curveが表れることを発見した。

さらに利用可能なデータによると国際間で資産格差と流動性の間に関連は見られない。所得格差と教育の流動性との間にも関連は見られない。そして所得格差と流動性の国際間の相関の強さは所得と流動性を評価するに際してどのデータ源が用いられるかで大きく変わってくる。ある散布図では2、3の国によって相関がもたらされているケースもある。

よく引用されるその他の研究の一例としてMelissa KearneyとPhillip Levineが挙げられる。彼らはアメリカの州(と先進国の)10代の妊娠率と所得格差とに関係があることを示した。彼らの研究はWilkinsonとPickettの散布図よりはましだろう。だが説得的とは到底言い難い。単純に考えても彼らの分析は10代の妊娠が所得格差に影響しているという可能性を考慮していない。所得格差が10代の妊娠を起こしているのではなく10代の妊娠が所得格差に繋がっている可能性だ。彼らが考慮しなかった文化的、歴史的背景もまた要因に挙げられるように思われる。彼らの結論は例えば所得格差の水準の高さと10代の妊娠率の高さが南部に集中しているのではなくランダムに分布しているのであったならばより説得力があったかもしれない。

所得格差と機会の関係をテストするより良い方法は(幾つかの国の)一時点での関係を見るのではなくまた一つの国での時間による変化を見るのでもなく2つの指標が地域に渡って変化した場合に所得格差と機会の関係が保持されるかどうかをテストすることだ。この方法は現在継続中のKenworthyの研究で採用されていて所得格差の拡大は恐らく大学卒業率を低下させていないし片親世帯を増加させていないし殺人率を上昇させていない(ただ平均寿命と乳幼児死亡率に僅かに影響を与えているかもしれない)と結論している。

経済的、教育的、職業的流動性に関する証拠は非常に込み入っている。所得格差が拡大中または高い状態で育った子供の世代間流動性を考慮した研究は僅かしかない。賃金と所得の世代間流動性を調べた研究の大部分はこの期間に関して僅かな変化しか示していない。私は最近この分野に関しての研究を終えたばかりでその研究は1980年代初期に生まれた男性をサンプルに含めている。1950頃に生まれた男性と比較してそれら若い男性は最大でもほんの僅かの流動性の低下を経験したに過ぎないことを発見した。所得分布の第4分位、第5分位で生まれた子供のうちで大人になって第4分位以上に抜けだした割合は63%から60%に低下しているが低下が小さすぎるので誤差と判別できない。実際、1960年代に生まれた男性は54%だったのでそれに比べて流動性が増大しているかもしれない。

言い換えると所得格差と機会の減少との関係を説明しようとする際に問題になっているのは厳密な説明を欠くということではなくてそもそも説明を必要とするような機会の減少が始めから存在していなかったということかもしれない。恐らくこれがこの分野で先端を行くBerkeleyの社会学者Michael Houtが「現在までの研究は経済的またはその他の格差と世代間の流動性との結びつきに関して驚くほど僅かの証拠しか示していない」と2004に結論した理由だろう。

Inequality, Instability, and Financial Distress

所得格差が金融危機の要因になったという主張はRaghuram RajanやJoseph Stiglitzなどがしている。低所得層が消費を維持できるように政治に圧力が掛かるため信用が緩和されるというものだ。レバレッジの拡大が金融システムを脆弱にしデフォルトを誘発するという。これまでの所この主張を検討した研究は少ないがそれらはこの主張に対して大きく疑問を投げ掛けている。

Michael BordoとChristopher Meissnerは既存の研究をまとめ所得格差の拡大と金融危機に一貫した関連性が見られないことを各国のデータを用いて示した。信用拡大は金融危機に先行する。だが信用拡大は所得格差の拡大によって引き起こされたようには見えない。

Inequality and Democracy

リベラル派の話は経済学に留まらず政治学にまで飛び火する。幾人かの経済学者と2、3の政治学者は所得格差の拡大は民主主義に何らかの脅威を与えるのではないかと懸念している。

Daron AcemogluとJames Robinsonは上記のような説明から結論を導いている。政治学者のNolan McCartyとKeith PooleとHoward Rosenthalは所得格差が政治の2極化を起こしていると論じている。彼らの持ち出す証拠は所得格差と流動性の関係でも論じたように所得格差が拡大した時期に何々が起こったと言っているのと基本的に変わらない。ここでも相関と因果が混同されている。

実の所政治学は最近これらの疑問に関して考慮し始めたばかりでまだ一致した意見は得られていない。この分野の研究者はそのことをよく知っている。2004に American Political Science Association Task Force on Inequality and American Democracyは「所得格差の変化と政治的活動、統治機関、公共政策の変化との関連についてあまりよく分かっていない」と結論した。その後の8年間でもこの結論に変更は見られない。

一方、Peter EnnsとChristopher Wlezienは選挙で選ばれた選挙人は特定の有権者の選好をより優先するのかという議題をテーマに2008に会議を開いた。2011の本Who Gets Represented?にその結果がまとめられている。

「我々は異なる集団(所得の違いも含めて)が政治に与える影響に関して何らの合意も得られていないということを発見した。集団間の違いに関する議論に関してだけではなくそもそもその違いが重要なのか?という点に関しても多くの異論が寄せられた」。

EnnsとWlezienは政策に関する選好が所得の違いによって異なるのかに関して調べた。彼らは3つの集団が政策に関して非常に似通った選好を持っていることを発見した。低所得層は他の層に比べて福祉予算の削減に対する支持が低く税の負担が重すぎると答える割合が少ない。だがこのギャップは時間を通してほぼ一定だ。3つの集団の選好が等しく扱われていないかもしれないという仮説に対して彼らは「僅かな違いしかない」と結論している。2004のRussell Sage Foundation volume Social Inequalityは所得格差と政府の寛容度との間に国際間でほとんど関係が見られないことを発見した。Kenworthyも所得格差の拡大は恐らく社会的支出を減少させていないだろうと結論している。

Larry BartelsとMartin Gilensによる最近出版された本は議員による投票や連邦政府の政策が富裕層のイデオロギー的特質や政策選好とより一致すると報告して注目を集めた。対照的にRobert EriksonとYosef Bhattiは直接彼らの研究を再検討し特定の集団の選好が優先されているという証拠を見つけることが出来なかったと報告している。これは「イデオロギー的選好は統計的に分離することがほとんど不可能」だからだと記されている。

言い換えると所得格差が政治に影響を与えるという主張は経済に影響を与えるという主張よりもより立証することが困難ということだ。

Inequality, Cause, and Effect

(省略)