最初の部分は飛ばして1章から見たほうが分かりやすい。
Classical Macroeconomics Some modern variations and distortions
by James C.W.Ahiakpor
Preface
この研究の着想はケインズが「資本」という古典派の概念を誤って解釈していることに1985の夏に私が偶然気づいた時に生まれた。それが古典派の利子理論の有効性を彼が理解出来なかった理由だということもすぐに気づくことが出来た。それ以来私は中央銀行の貨幣創造が利子率を低下させ投資と経済成長を促進するという古典派と全く異なる考えが如何にケインズの一般理論から現在の経済学にもたらされ悪影響を与え続けているかを調べてきた。この探求により1985に私の論文「On the Irrelevance of Neoclassical Economics to the LDCs,」を発表することが可能になった。その内容は新古典派経済学が開発途上国に対して有効ではないと主張する当時の開発経済学の一派の考えに反対するものだ。その一派によると新古典派の考えが成立するには(a)消費者の選択の合理性(b)完全競争(c)自由貿易の処方箋という前提条件が必要とのことだった。そして(d)投資と成長を促進するためには利子率の低下が必要だとその一派は主張していた。私は彼らの処方箋が失敗に終わったのは新古典派経済学の非重要性を示したのではなくケインズ経済学の非重要性を示したのだと説明したかった(*傑作なことに数えきれないほど失敗しているにも関わらずまるで何事もなかったかのようにその一派と似たような主張をしている集団を現在でも容易に見ることが出来る)。新古典派は利子率の決定をマーシャルや古典派と同様に貯蓄の供給と需要によって説明する。加えて私は商業の自由、自由貿易、貨幣拡大の制限、利子率への非介入の重要性を議論した。最終的にはレフェリーを説得することが出来なかった。
その一方で私は他の誰かがケインズの資本の誤った解釈に気づいているかどうか調べることにした。そしてそれを発見することが出来なかったので短い論文を書いて出版した。その論文は様々な批評を受けたが最も多かった反応はケインズがそのような単純でしかも致命的な間違いをするわけがないというものだった。そのような反応はカナダの学会での参加者やニューヨークでの経済史の学会の参加者から受けた。その後も幾人かのレフェリーから拒絶の反応を受けた。その中の何人かはケインズは自分で古典派を読んでいないので解釈が誤っているというのが事実であればその責任は彼ではなくマーシャルにあるという主張をする者もいた。
レフェリーの中にはケインズの資本の誤った解釈が現代の経済学にまで与えている影響の重要性について理解しておらず論文を経済思想史のジャーナルにのみ送るように勧める者もいた。そのようなコメントの一つは以下のようなものだ(*以下略)。
その以前に経済思想史のレフェリーは編集者に「掲載するな、再提出も勧めるな」とアドバイスしてさえいた。
レフェリーの批評に応えるためマーシャルは古典派の伝統に従っていたことを示す論文をマーシャルの「原理」から大量に引用して再提出することにした。それにより原稿の長さは2倍以上になったがとうとう1989に掲載されることが決まった。
レフェリーからの思わぬ抵抗を受けてケインズの歪曲に関してさらなる執筆の必要があると私は確信した。そして最初の論文を補足する形で「Keynes on the Classical Theory of Interest: Why Hicks’s Clarifications could not be Successful.」と題する論文を発表することにした。何度も掲載を断られた後にそれを「Keynes, Hicks, and the Inadequacies of the IS-LM Model,」というものに変更したがそれでもレフェリーからの強固な抵抗を受けた。初期の掲載拒否の理由は少ない紙片に多くの内容を詰め込み過ぎというものだった。後の理由は論文がジャーナルの記事としては長すぎるというものになった。編集者は1996にこうコメントしている(*以下略)。
その時の論文は11章にまとめている。
IS-LMに関する論文と並行してケインズの節約の誤謬が古典派の貯蓄概念に関する誤解に基いていることを説明する論文を発表した。その論文も3年ほどレフェリーから快くない扱いを受けた。あるレフェリーはそれを「1930年代の戦いをやり直そうとしている」と受け取り読者は「興味を覚えないか意味があるとは思わないだろう」とコメントしている。
他のレフェリーは私の議論がよほど重要でないと考えたのか以下のようにコメントをしている。
「ケインズが用語に不注意であると云われるが彼が必死に古典派の影響を自分から取り除こうとしていたことは覚えておかなければならない。完全競争の下で完全雇用から出発すれば誰もが古典派の経済学者だ。よって過去の議論を蘇らせ古い領域に立ち戻ることから得られることはあまりないと思う。この論文の分析は馴染みのあるテーマに知見をもたらさないばかりか何がパズルとなっているのかに関して関心を引くのにも十分でない。1930当時であれば有用だっただろう。だが1994ではそうではない。私はジャーナルへの掲載を推薦しない。そして他誌への掲載に関しても関心しない」。
他のレフェリーは「よく書かれていて丁寧に議論されている」とした後に「主張点は目新しいものではない」とコメントしている。そのレフェリーはそれにも関わらず節約の誤謬が有効となる条件に関して議論している。すなわちその議論は「金利メカニズムが完全に働かなくなった時に何が起こるかを示している」という。そのレフェリーはさらに「ケインズが古典派が貯蓄をどのように定義していたか理解していないから間違えた」ということを認めることを否定している。そのレフェリーはさらに古典派の利子理論が完全雇用を仮定していて(だが10章を見よ)そして「ケインズの問題の一つ(唯一のではない!)はその仮定抜きでの利子理論を構築することにあった」と主張している。
自然と私の次の論文は古典派の利子、価格水準、インフレ、強制貯蓄の教義、セイの法則の理論が完全雇用の仮定を必要としているというケインズの主張の誤りを示すものに決まった。
さらにベーム・バベルク、フィッシャー、ヴィクセル、ハイエクにより混乱が生まれたことも説明することにした。
1997の11月にケインズの乗数の理論がすべて間違いであるということに気づいた。これは段落のコメント(180-1)だけとして残すには不十分だと考えたので一つの記事としてまとめることとしそれが12章の元になっている。
その論文もまた幾人かのレフェリーからその重要性を理解されなかった。以下がその時のコメントだ。
「この論文は興味深くよくまとまっていてそして正しいと思う。ケインズ派の乗数の理論は貯蓄が国民所得と経済成長に対して果たす重要な貢献に対して有害な影響を与えていると思う。だがケインズは死んでおりそして研究の観点から見ても乗数の理論もまた死んでいる。初級の教科書ではまだ扱われているものの単純なケインズ派のモデルはマクロの専門家の間では使われていない。ジャーナルは経済教育の場ではないのでこの論文は掲載するには適切ではない。この論文は専門の経済学者に対して経済がどのように動き研究をどう進めマクロ経済学をどうするのかに関して何も語っていない。思想史のジャーナルの方がより適していると思う」。
私がアレン・シナイの研究を引用しそして学会や政治家の間で経済を動かすのは消費だという考えが広く浸透している状況にも関わらずだ。
私は1996に本の出版を契約した。だが原稿を仕上がるにはほぼすべての章でまず論文がジャーナルに掲載される必要があった。その努力により本のメッセージがマクロ経済学を理解していない誰かの仕事によるものとして簡単に見過ごされることがなくなると考えたのだ。同様に私は1980年代中頃から出版社からの教科書執筆の依頼を断ってきた。従来の教科書に誤りが含まれていると考えるためだ。レフェリーの批評のほとんどに対応したことまたほとんどの論文がジャーナルに掲載されたことにより本のメッセージが簡単には見過ごされないだろうと私は楽観している。
私はすべての経済学者が古典派のマクロ経済学を再調査することを希望する。さらに歴史的背景を説明するなどより有意義な仕事をしている一部の教科書の執筆者はケインズが歪曲したものではなく古典派のマクロ経済学を正しく述べる苦労を厭わないだろうと楽観している。私のクラスの生徒は教科書に例え単なる参照であったとしてもケインズ派の歪曲した古典派経済学が含まれていることに苛立ちを覚えている。彼らは君たちは他の多くの生徒よりもより優位な立場にいるのだと私が冗談交じりでほのめかしてみても納得しない。彼らは代わりとなるテキストがないことにも不満なようだ。
最後に古典派のマクロ経済学を正しく理解することはよりよいマクロ政策を形成する上で特に開発途上国において重要だと考える。これはケインズの誤りに気づかせた私の最初の目的を満たすだろう。そしてそれは古典派の経済学者たち自身の最重要目的をも満たす。すなわち人類を貧困から解放する方法を探求することだ。
1 Introduction
過去に多くの仕事があるにも関わらず古典派の経済学を再定式化する3つの理由がある。過去の仕事とはシュンペーター、ブラーグ、オブライエン、ホランダーらのことだ。3つの理由とは(1)現代の経済学者の間にある意見の不一致(2)1970年代以降の学派の分裂(3)経済思想史の教育現場からの減少が挙げられる。
シュンペーターの文献はケインズによる歪曲を理解するには大した助けとはならない。実際シュンペーターはケインズの歪曲を当時の多くの経済学者が受け入れるべきまたは知っているべきだったとしている。例えば「ターゴット、スミス、ミルの貯蓄と投資のメカニズムの理論は特に貯蓄と投資の意思決定が密接に結びついているために不十分だ」と述べている。彼は貯蓄ではなく消費が経済成長の決定要因だという誤った主張を受け入れそれをカーンの乗数理論の見事な応用だとしている。
ホランダーはバヴェルク、フィッシャー、ヴィクセルがケインズに与えた影響について述べることをしなかった。彼はケインズが「完全に歪曲された古典派観を持っていた」と述べるにとどまった。古典派の経済学を再定式化することは彼の主な関心事ではなかった。オブライエンの文献はケインズの歪曲を気にする様子もない。
ブラーグの文献も古典派の理解という点でシュンペーターのものと大して変わりがない。彼の古典派の評価はこの本の結論と相容れない。例えば彼はスミスを「固定資本」を無視していて「統一された賃金の理論、利潤、利子の理論をまったく持たない」と非難している。そして古典派が「効用と需要の間の関係をまったく理解していなかった」と糾弾している。さらに彼はケインズ側の見方を取る傾向があり例えば(a)ケインズの誤った重商主義政策(金の保蔵)の擁護を「貨幣の豊富さと低金利の間の関係を理解している」としそのような考えが有用であるまたはいつでも有効であるかのように称賛し(b)「仮にセイの法則が実世界で有用なのだとしたらそれは貨幣に対する超過需要が存在しないと述べていることになる」と判断していたり(c)ケインズが誤って主張したように「強制貯蓄の原理は完全雇用の場合に限定される」と主張していたりする。ブラーグが「ケインズの藁人形論法」と認める場合でさえもケインズは「正しかった!」と主張する。これはケインズの誤ったセイの法則の解釈を彼が正しいと誤認しているためで「資本主義は永久に供給過剰になる傾向を持っている。成熟した工業経済は総需要不足に陥る危険に常に付きまとわれている」と考えているためだ(*マルクス経済学とか資本主義は本質的に不安定であるとかいう主張はすべてこの変種であることが分かる。セイ法則を正しく理解できていないことがすべての元凶になっている)。ブラーグはこの主張を繰り返し「需要不足はケインズ的な需要管理政策によって治癒可能だ」としている。
これらの仕事が失敗したのは混乱の大元に十分にあるいはまったく注意が払われなかったことにある。すなわちケインズが一般理論で導入した経済概念の意味の変化だ。それらの中で大きなものは(a)貯蓄の意味を金融資産の購入ではなく所得の非支出部分または保蔵部分としたこと(b)「資本」の意味を貯蓄や貸出可能資金ではなく単に資本財を意味するとしたこと(c)投資の意味を家計による金融資産の購入ではなく資本財の購入を意味するとしたこと(d)貨幣を中央銀行によって供給された通貨に限定するのではなく大衆が保有する通貨+預金としたことだ。
経済学派は1970年代の後半までは2つしかなかった。それが現在では5つにまで分裂している。これはケインズの歪曲から発生している。それぞれの学派は重複する部分があるので大きく分けると(a)ケインズの考えを継承しようとしている集団と(b)ケインズの考えを否定している集団の2つに分けられる。だが両陣営ともケインズによって導入された定義を用いている。よって反ケインズ派陣営の誰も古典派の再定式化に成功したものはいない。
経済思想史の教育現場からの減少それ自体は阻害要因ではあるものの古典派を正しく理解する面においては致命的ではないかもしれない。何故かと言うと、過去にそのようなコースが存在していたにも関わらず古典派は歪曲され続けていたからだ。だが教育現場からの消滅と現在の教科書が過去の議論を調べることを時間の無駄(フランク&バーナンキ)と取り扱う傾向が高まっていることと合わさると厄介なことになるかもしれない。何故なら過去の論争の和解は既に為されていると間違って考えられているためだ。実際、フランクとバーナンキは古典派経済学または古典派経済学者に関して一切言及しておらずケインズの伝記とケインズ派のモデルを教科書で教えている。
ブラッドフォード・デロングも同様の立場を取っている(*中略)。
彼はマクロ経済分析はケインズ派のIS-LMモデルの中で統合されていると主張しケインズの古典派の歪曲を修正しようとしない。彼は古典派の経済学者を誰一人挙げることもなくただケインズ版の「古典派経済学」を提示しているに過ぎない。
古典派の経済学者は経済のメカニズムは何か経済成長の決定要因は何かを説明することに尽力していた。古典派は経済がいつも完全雇用均衡にあるとか完全雇用を達成するのに何の障害もないなどと仮定していない。古典派は現代でいうところの完全競争を仮定していたのでもない。古典派は短期において貨幣の中立性を仮定していたのでもない。そしてケインズが主張するように価格過程を2分していたのでもない。
古典派は価格を古典派の価値理論を用いて説明していた。古典派は賃金率を説明するのに用いたのと同じ価値理論を資本の価格、利子率、貨幣を説明するのに用いた。古典派は価値理論を正しく適用することにより経済成長を促進できると信じていた。よって利子率が貯蓄または資本の供給と需要で決定されると理解することは政策当局者が貯蓄を奨励するために税率を低く抑えることの重要性を理解する手助けになると考えていた。同様にそのような理解により金利を低く抑えることが長期的には無意味であることを理解する手助けになるだろうと考えていた。
古典派の経済学者は貯蓄を所得の非消費部分で金融資産または所得を生む資産に投資されたものと説明していた。古典派は貯蓄を、利子や配当を生まない貨幣の保蔵とは注意深く区別していた。貯蓄の増加は経済成長を促進させる。貨幣の保蔵は支出の循環から購買力を引き下げるが貯蓄はそうではないからだ。
そのように貯蓄の役割を理解することにより貨幣の保蔵が増加していない場合ではある市場での供給と需要のミスマッチは相対価格の変化や利子率の変化によってすぐに解消され貨幣を含めた一般的な供給過剰(すべての財の供給過剰)は起こり得ないということが理解できるだろう。財やサービスの超過供給を生み出す貨幣に対する需要が高まる局面においてさえ金融当局の対応により市場での財やサービスの供給過剰を防ぐことが出来るだろう。
古典派と現代で定義が異なるものは他に貨幣がある。貨幣は正貨または金属貨幣だ。銀行により発行される紙幣は正貨の代替物で兌換性が維持される限りまともな銀行は償還出来る以上の紙幣を発行しようとしないだろう。古典派の経済学者は銀行の金融仲介機能(預金を預かり融資する)を「マネー・サプライ」から区別して分類した。そうすることにより、さらに融資に価値理論を適用することにより利子率を説明することが可能になった。そして貨幣またはその代替物に価値理論を適用することにより価格水準を説明することが容易になった。さらに古典派は長期の経済成長を貨幣供給の増加によってではなく貯蓄または融資の増加によって説明することが出来た。貨幣供給の増加は産出と雇用を短期において増加させるかもしれない。一方で価格は完全には貨幣供給の増加に対応しない。この過程を古典派は強制貯蓄と呼ぶ。だが最終的には価格水準と名目賃金だけが貨幣供給の増加に対応して増加するだろう。
そのような貨幣の役割の理解により古典派の金融政策を理解することが可能になる。貨幣が正貨であった時代にはその量を規制する必要はなかった。正貨の生産または純輸出の支払いを通した受け取りによりその供給は制限されるからだ。だが兌換紙幣の時代では中央銀行による供給は価格水準を維持するように制御されなければならない。
古典派は消費が生産の目的であることを認識していた。だが生産が消費の手段となることも忘れていなかった。生産の増加がなければ将来に渡って消費が拡大することはないだろう。これがケインズ派と異なり古典派が消費ではなく貯蓄に注視した理由だ。
ケインズの同時代人の幾人かはケインズの古典派批判に致命的な誤りがあることを認識していてそれを指摘しようとしていた。その多くは古典派の命題の再定式化の形を取っていたがケインズが古典派の概念の意味を変えていることには触れなかった。ほんの数人しか直接古典派から引用することもしなかった。従ってケインズは古典派を読むこともなかった。古典派により馴染みのない若い世代も、例えばヒックス、カーン、ロビンソン、カルドアらもケインズの古典派の歪曲に気づくことはなかった。
古典派の経済学の中心を為すのは古典派の価値理論だ。すなわち短期においては商品の交換価値は供給と需要によって決定され長期においては商品を生産する費用が価値を決定する。よって古典派の分析を理解するためには古典派の価値理論を理解しなければならない。
古典派によると客観的な価値とはある物と交換可能な商品の量を指す。貨幣が交換の媒介として用いられている所では商品の交換に用いられた貨幣の量がその価値を示す。マクロ変数を扱う際には集計の必要があるものの貨幣、利子率、賃金率、賃料、資本財の価値は価値理論の応用により正確に説明できる。現代の経済分析が混乱をきたしているのは価値理論をきちんと文脈にそって適用できていないためだ。それは例えば貨幣の価値(利子率ではなく)が貨幣に対する供給と需要で決まり利子率の価値が資本に対する供給と需要で決まるという命題を理解できない論者がいる原因だ。ケインズはこの両方の命題を理解できていなかった。バヴェルクとフィッシャーは後者の命題を理解できていなかった。以下の引用がそれを示す例となるだろう(*以下略)。
ケインズは貨幣に対する需要とその変化を記述する方法が複数あることを自身が認識できていないことをここで示している。例えば貨幣の保蔵、流通速度の変化などだ。彼はさらに現代と異なり古典派の貨幣供給の弾力性がゼロにはならないということそして貨幣需要が1の弾力性を持つということを認識できていない。もちろん古典派の経済学者は価格を強制貯蓄、インフレ、デフレによって説明していない。
この章ではスミス、リカード、マルサス、ミルの価値理論をそれぞれ説明する。彼らの価値理論は実際現在の価格理論と極めて整合的だ。私の評価は特にスミスに関してパシネッティ、ホランダー、メイソン、ハッケルらの出した結論と整合的だ。
Adam Smith
スミスは価値理論を詳細に展開した。商品の相対的不足または供給と需要が商品の交換価値を決定する。すなわち費用または市場に商品をもたらす困難さがその供給を決定し商品の効用またはその有用さがその需要を決定する。短期では需要がより重要な交換価値の決定要因となるかもしれない。供給は需要の変化に即座には反応できないからだ。長期では生産の費用がより重要な決定要因となる。
この原則を発展するに際してスミスは客観的でないまたは観察できない価値の概念を一旦脇に置く。言うまでもなく誰かが保有している物は何らかの効用または価値を持つ。だが保有者がいなければ誰にもその有用さが分からないかもしれない。またお金と交換するまたは他の何か有用なものと交換するには自身も何か有用な物を持っていなければならない。そのような物と人間との複雑な関係により効用や有用性を知ることは困難となるだろう。そして個人の好みや選好に違いがあるので効用や有用さの集計量に関して何か言うことはほとんど絶望的となるだろう。
観察できない価値を観察可能な交換価値と区別し後者の決定要因を説明するためスミスは以下のように述べる。
「価値という単語は2つの異なる意味を持つ。ある時には効用を意味しある時にはその物が持つ購買力を意味する。これを使用価値、交換価値と呼ぶことにしよう。最大の使用価値を持つものはしばしば少しまたはまったく交換価値を持たないことがある。その逆に最大の交換価値を持つものは使用価値を持たないことが頻繁にある。水よりも有用なものは他に存在しない。にも関わらずそれで購入できるものはほとんどない。水と交換してもらえるものはほとんどないだろう。その逆にダイヤモンドは使用価値がほとんどない。だが非常に多くの物と交換可能だろう」。
(*中略)スミスの言葉の選択は適切な文脈の下で明らかになる。使用価値という時、スミスは必需品と生存に必要なものに対象を絞っている。ダイヤモンドを生存のために必要とする人はいないが水なしには生存は不可能だ。曖昧さを取り払うと、スミスの価値理論は供給と需要による市場価格の決定要因となる。よって例えばウィンフレイがスミスは使用価値を社会的有用性と結びつけたかったのだという時、すなわち「非生産的な労働ではなく生産的な労働に用いられる」社会的価値を持つ財という時、彼はスミスの分析から乖離していることになる。生産的、非生産的労働者ともに食料や水を必要とするからだ。
供給は労働と製品を市場にもたらす費用によって決定される。労働以外にも土地、機械、建物、原材料、資本のレンタル料などの費用が掛かる。ビジネス・リスクの引き受け手はそれに対して何らかの見返りを求めるだろう。費用を回収するのに失敗したり競争に生き残れなかったりすれば長期において生産は停止するだろう。スミスによると長期において生産の費用には事業家に対する利益も含まれていなければならない。
だがどれだけの商品が市場で売れるかは生産の費用よりも買い手の需要により依存している。その需要は商品が持つと思われる有用さに依存していてそれはどれだけのお金または商品と交換する気があるかに反映されている。そのような判断は消費者の需要価格を決定する。市場価格は限界需要価格と売り手の限界供給価格とが等しくなる点で均衡するだろう。商品の需要家と供給家の主観的な評価が最終的な取引の背後の決定要因となっている。
市場価格は相対的な需要の強さに応じて上下に変動する。供給が需要より大きい時、価格は低下する。需要が供給より大きい時、価格は上昇する。市場価格の変動は利潤率の変動に反映される。市場価格の変動は次期の市場供給に影響を与える。利潤が大きく減少した商品の供給は減少し利潤が大きく増加した商品の供給は増加する。
市場価格が長期において事業を継続するのに丁度必要な利潤を与える時、スミスはその価格を自然価格と呼んだ。「自然価格はすべての商品の価格が引き寄せられる中心となる価格だ」。それは自由競争の下での最低価格でもありよって独占の下で課される価格よりも低い。
価値理論を記述するに際して社会価値を考慮する時、スミスは機会費用の概念も用いている。
「すべての社会または地域で平均的な賃金率または利潤率が存在する。この率は一般的な社会の状況、豊かであったり貧しかったり、発展している、停滞している、衰退している状況であったり、雇用の性質などによって規制されている。同様にすべての社会または地域で平均的な賃料が存在する。この率は土地の場所柄であったり土地の肥沃さなどによって規制されている」。
そして「市場価格がそれぞれ自然率での賃料、賃金、利潤(利子)を払うのに丁度等しい時、商品は自然価格と呼ばれる価格で売却される」。
国富論の第7章でスミスはこのことを述べている。またスミスは貴金属、ダイヤモンド、金、銀の価格の決定要因を述べる際に同様のことを明確に指摘している。
「貴金属の最低価格の決定要因は他の財の最低価格の決定要因と変わりがない。鉱山から市場に運ばれるまでに消費される資本、食料、衣服、住居の費用がそれを決定する。利潤とともにその残高を少なくとも上回らなければならない」。
「だが貴金属の最高価格は貴金属の不足や豊富さ以外によっては決定されていないように思われる。金がある程度まで不足するようになればダイヤモンドよりも貴重になりより多くの物と交換できるようになるだろう」。
このように説明しているにも関わらず多くの経済史家がスミスを労働価値説論者だとしている。労働価値説とは労働の量だけが財の市場価格を決定し効用や需要は何の役割も持たないとする学説だ。そのような誤りは主に2つの情報源から生じている。一つはスミスが例えに出したビーバーと鹿の交換価値の説明だ。「資本の蓄積や土地の保有が生じる前の未開の社会」(この前提を多くの経済学者は不注意にも見落としている)では「それぞれの物を獲得するのに必要な労働量のその比率だけが唯一の交換法則になると思われる」。ここでスミスは仮に「ビーバーを殺すのに掛かる費用が鹿を殺すのに掛かる費用の2倍であれば一匹のビーバーは2頭の鹿と交換されるだろう。2日または2時間で生産された物が1日または1時間で生産された物の2倍の価値があるのは自然なことだ」と論理的に議論している。
(*中略)だがスミスは同じ章の中で分析を労働以外に土地と資本が生産に用いられる場合に拡大している。従って例えば「コーンの価格の中には地主への賃料、労働者への賃金、資本への利子、農家への利潤が含まれる。これらの部分が最終的にはコーンの価格を構成する」。そして漁業のように土地が生産に用いられない場合には賃料は魚の価格の中に入らないだろう。よって我々はスミスの国富論第6章を価格の決定に関する説明としてではなく生産の費用の説明と読むべきだ。
さらにビーバーと鹿の交換価値の議論に際してスミスが食料となる動物たちへの需要が存在していることを前提にしているということを記しておかなければならない。スミスは特に利己心を人間行動の中心に置いた父なので他の読み方は出来ないはずだ。ブラーグはスミスがビーバーと鹿の議論をする際に「使用価値が交換価値の前提条件だと述べていない」としているがそれをもって彼の価値理論の中に効用や有用さが何の役割も果たしていないという証拠とするべきではない(むしろそのような穿った読み方をすること自体がブラーグが如何に偏った考えの持ち主であるかを明確に示している)。よってこの例えの中に価値の理論があるとしたらそれは労働価値説ではなく相対的不足または費用説だ。
現代の混乱を生んでいる2つ目の原因はスミスが国富論第5章で商品の価値を市場価格または貨幣の量で測ることの困難さを克服しようとしたことにある。「商品の実質、名目価格またはその労働での価格そして貨幣での価格に関して」という題が明白に示すようにスミスはここで価値を測るに際して貨幣でではなく労働時間で測ることの相対的優位さを説明している。その説明はこうだ。商品を生産するに際して余暇を犠牲にすること(労働の不効用)が貨幣価格よりもその交換価値を測る上でより正確であるかもしれない。何故なら貨幣の(交換)価値自体が貨幣を製造する際の費用の変動に応じて変動するからだ。だが健康状態が同じで技術水準が同じな人間の労働や忍耐はあまり変わらないかもしれない。
「同じ量の労働はすべての時と場所で同じ価値と言うことが出来る。平均的な健康、肉体、精神状態で平均的な技術水準、器用さの人間は同量の余暇を代償に差し出すだろう。彼が差し出す代償(不効用)はいつでも同じだろう」。
ここで「労働者に対する価値」という時、ここでは報酬、産出、賃金などではなく労働の不効用を指している。同じ労力で産出が増加した時に労働との比較に対してその交換価値を減少させたのは産出の方だとスミスは述べる。一方で同じ労力で産出が減少した時に産出の価値は増加する。よって商品の価値を測るに際して労働の価値は変化していない。だが同じ労力で産出が増加した時、そして産出の価値が減少したと言う時、我々は産出の価値の低下は1単位辺りの産出を生み出すのに要した労働の量が減少したからと誤って考えてしまう(実際には産出の交換価値が低下したのは産出の量が増えたためであってそれ以外ではない)。これがスミスが労働価値説論者とされてしまった理由だ(生産物の価値の低下→それは何故かと言うと1単位辺りの産出を生み出すのに要した労働の量が減少したためだと誤解→だからスミスは労働価値説論者だとする者がいたとここでは説明している)。だがスミスの議論は労働の不効用で価値を測ることに関してだ。
スミスは「自身では用いたり消費しないが他の商品と交換するだけの商品の価値は彼が購入するに際して支払った労働の量と等しい」と述べる。何故なら労働は商品の真の費用だからだ。この前提の下でスミスはこのように結論する。「それ故労働はすべての商品の交換(可能)価値の真の尺度だ」。労働以外が生産に用いられていない状態では「労働はすべての物に支払われるオリジナルの貨幣だ」。
スミスはさらに特定の貴金属が交換の媒介と同時に価値の尺度として受け入れられると述べる。だが交換の媒介として用いられる貨幣のない状態では人々はある財の価値を他の財の価値から推測しようとするだろう。「労働以外の商品すべてが他の商品と比較される。それ故そのような状態では労働からよりも他の商品から商品の交換可能価値を推測することの方が自然だ」。抽象的な概念である労働で推測するよりも他の商品から商品の価値を推測するほうが簡単だ。そのような過程を通して価値の尺度としての貨幣の使用は一般的に受け入れられるだろう(あるいは価値の尺度という抽象的な概念は貨幣という概念に発展していく)。
(*中略)従ってスミスは結論する。「その価値を変えない労働だけが究極的な真の基準だ。労働こそが真の価格で貨幣はその名目価格に過ぎない」。
さらに労働は貨幣の製造に用いられるがその逆はそうではない。よって貨幣の製造がより容易になれば同量の労働に対して今までより多くの貨幣と交換が可能になる。同様に技術の向上により商品がより多く生産されるようになれば1単位の労働に対してより多くの商品と交換が可能になる。
(*ほとんどスミスと同じなので省略)
(*ほとんど同じなので違う所を除いて省略)
マルサスはスミスとリカードが費用を価値または価格と同一視していると明らかに誤解している。従って彼はスミスとリカードの説明が労働だけが生産に用いられそして財がすぐに市場に運ばれる稀な事例のみに当てはまると議論している。だがこれはスミスとリカードの意見ではない。リカードはマルサスに対して反論している(*中略)。
John Stuart Mill
(*以下同様)
(*中略)ミルは使用価値が「交換価値の源泉」であると説明する。何故なら誰も「物を保有すること自体には価値を見出さない」からだ。従って「交換価値は使用価値以下になる」。だが逆はそうではない。ここでもミルの主観的効用への言及は古典派経済学者はそのような概念を認識していなかったと主張されているので注目に値する。
(*中略)価値の尺度の議論を終えるに際してミルは価値の基準としての労働と価値の決定要因としての労働との違いを見事に浮かび上がらせる。スミスが労働価値説論者だったとする現代の議論とはまったく異なる(重要なのはミルを含むスミス以降の古典派経済学者はスミスを容易に正しく理解できているのに対して何故古典派以降の経済学者はそれが出来ないのかという点にある)。
「価値の基準という概念は価値の決定要因という概念と混同してはならない。リカードらが物の価値は労働の量で規制されるという時、彼らは物が交換される際の基準としての労働量という意味で言っているのではない。それを生産する際に要した労働量という意味で言っている。これがその物の交換価値を決定する。だがスミスとマルサスが労働が価値の基準という時、彼らは物を生産する際に要した労働を意味しているのではない。物が交換される際の基準としての労働量という意味で言っている。言い換えると労働で測った物の価値だ(*途中で省略したが価値の普遍的な基準は労働かに関してだけスミスとリカードで意見が異なる。そしてこの論文の筆者はリカードがスミスを誤って解釈したと説明している)。そして彼らはこれが交換価値を規制すると言っているのではない。それは何か?またそれが時から時、場所から場所へとどの程度変化するのかまたはしないのかと主張している。これら2つの概念を混同することは温度計と火の区別がつかないに等しい」。
ここで我々はミルからスミスが労働価値説論者ではないというはっきりとした確証を得られた。このことは何人かの経済史家も述べている。驚くべきことにその中にはシュンペーターも含まれる。「スミスとマルサスは労働を価値の基準と見做していた」と彼は述べている。費用が長期の価値または自然価格を決定し労働がより正確な価値の尺度なのでリカードの説明も完全にはスミスと一致しないわけではない。
(*中略)マーシャル(*ケインズの教師)が引き継ぎさらに洗練させたのはこの価値の理論だ。
Karl Marx’s problem
スミスの議論の明晰さもマルクスにはまったく理解できなかったようだ。上記の議論に替えてマルクスは以下のように議論する(*中略)。
上で述べたリカードとマルサスのスミスへの(一部分だけへの)反対を見てスミスの価値理論に矛盾があるとマルクスは固く思い込んだ。その固い思い込みからマルクスは古典派が全員矛盾していて労働の搾取を正当化しているだけだと糾弾する。マルクスによると生産に従事した労働時間以下の賃金しか支払われず残りが賃料、利子、利潤に支払われるから労働は搾取されているという。
そして国富論に剰余価値の理論があるとマルクスは思い込んだせいでスミスの商品の価値の基準としての労働という概念の妥当性を決して認識することが出来なかった。スミスが妥当なのは商品には労働の価値(賃金)よりも多くの労働時間(価値)が含まれるからだ。後のマルクス派も古典派の価値の理論に矛盾があると糾弾し続けているがそれはスミスを正しく理解できていないだけだ。
Some modern variations and distortions
マーシャルは「経済学の原理」で最も一貫して古典派を正しく記している。マーシャルはスミスが使用価値と交換価値を区別したことから始める。彼は古典派が価値を相対的なものとしていたことを強調する。すなわち「ある物の価値は他の物との比較で決まる」。そして価格を貨幣で見た商品の交換価値とする。彼はスミスらと同様に短期の価値と長期の価値を区別する。短期の価値は需要と供給によって規制され長期の価値(自然価値)は生産の費用によって規制される。古典派と同様に彼も短期の市場価格の長期の価値への収束を競争的な売り手と買い手が均衡を探索する過程として描いてみせる。
短期においても長期においても価値の決定に際して効用の役割を無視したとして古典派を批判するジェボンズらの攻撃に対して彼は古典派を擁護する。古典派、特にリカードは価値の理論を述べるに際して「不注意なまでに簡潔過ぎる」点で責任があるかもしれない。だが彼らの理論の中で効用が何の役割も果たしていなかったというのは事実とはまったく異なる。彼らが不注意だったのは生産の費用を強調するに際して効用または需要の存在が読者には自明だと仮定していたことだろう。はさみの刃の例えを用いて彼は指摘する。
「紙を切断したのは上の刃か下の刃かで論争があるとする。価値が効用で決定されたのか生産の費用で決定されたのかと同じようなものだ。一方の刃が固定されていてもう一方の刃を動かして紙を切断した時、不注意とも言える簡潔さで切断が第2の刃で行われたと言うこともあるだろう。それは厳密には正確ではないが科学的に厳密な説明を求められているのでもなければそのような説明で十分だ」。
同様に彼はリカードの価値の理論をマルクスらから擁護する。重要なのは、「リカードは労働だけが価値の源泉と考えていた」と主張する「ドイツの経済学者ら」からもだ。彼はここでドイツ語を用いていた経済学者だから彼らがドイツ人だと思っていたようだが彼らはメンガー、ヴィーザー、バヴェルクらオーストリア人だ。バヴェルクはスミスとリカードを「労働だけが唯一の価値の源泉だったと考えていた。それ故彼らにとって利子は説明の出来ない例外的な存在となった」と批判している。
そのような主張に対してマーシャルはリカードの理論が「労働の量だけでなく質にも依存している。さらには労働を支えるための資本も必要としている」と述べている(*古典派の賃金理論を賃金基金説という。例えば稲を育てる間に農家も食料を必要とするが賃金基金がなければ農家はこの期間に食料を購入することが出来ない。よって生産に先立って基金(資本)が必要になる)。よってマルクスとその同調者らが利子の存在には正当性がないと主張する際にマーシャルは彼らの主張が間違いであると宣言する。
「工場の紡績用の糸が労働者の生産物だというのは真ではない。労働と雇用主と管理者と用いられた資本によるものだ。そしてその資本自体が労働と節約の産物だ。従って紡績は多くの種類の労働と節約の産物とから構成されている」。
マーシャルの説明にも関わらずロビンソンはリカードが労働だけが価値の源泉と見做していたと主張しマルクスのリカードの解釈を正当化する。「マルクスの考えはリカードから得たものだ。それは誤読ではない。リカードの考えと極めて近い」。彼女はスミスの分析も労働価値説と見做した。実際彼女は古典派をまったく奇妙な角度から読んだようで「価格を決定するのは価値か?または価値を決定するのは価格か?」という質問をしている。だが古典派によると価値はある一単位の商品を他の商品と交換する際に交換することが出来る量で価格は商品が貨幣と交換される際のものだ。
その他の古典派の歪曲源はダグラスだ。驚くべきことに彼はリカードを労働価値説論者と考えていないにも関わらず誤読している。彼によると「スミスは労働が価値を生むと教えているがリカードは単に商品がそれに組み込まれた労働の相対量に従って交換されると主張しているだけだ。労働はリカーディアンの分析では価値の源泉ではなく価値の尺度だ」。これは(リカードとスミスの価値の測度という用語の使用方法の違いに関する)ミルのまとめのまったく真逆だ。
彼が何故このように考えたのかというとスミスが「効用を除外し労働を価値の基準と見做したから」だという。彼によるとスミスの理論は効用を前提とも必要ともしていないという。これはブラーグによっても主張されていた。スミスがダイヤモンドと金の需要を説明するに際して「効用、またはその美しさ」と述べていて「効用の大きさ、美しさ、希少性が貴金属の高価格の源泉」と述べているにもかかわらずだ。
彼はさらに古典派が「限界効用ではなく総効用を比較していた」と主張した。だが古典派は価値をある財を基準として交換できる財の量と定義していた。これは限界価値を内包している。そして彼は「スミスは価値の理論に関してイギリスの経済学者を1世紀もの間、袋小路に閉じ込め出られなくした」と結論した。
その他の歪曲源はカウダーだ。彼もスミスが効用を無視していると主張した。彼は「スミスは水は大きな効用を持つがその価値は小さいと書いている。それら少ない言葉でスミスはゴミやガラクタの存在を消し去ってしまった(*ゴミやガラクタは豊富に存在してその価値も小さいという意味だと思われる。ようするにどちらも希少性は乏しいがそれにも関わらず水は大きな効用を持ちゴミやガラクタは効用を持たないことから希少性のみを決定要因とするスミスは誤りと主張していると思われる。だがそういう主張になるのはそもそも彼がスミスが効用を無視していると考えていたからという循環論法の可能性大)」。さらに彼はスミスが労働価値説と価値の費用説の両方を唱えているがそれはスミスが講義で教えていることと矛盾しているという。「スミスが価値の逆説を唱えたことはよく知られているが彼が講義で希少性と効用が市場価格の決定要因だと教えていることはあまり知られていない!彼は生徒には正しい説明を与えているが国富論では何世代にも渡って読者を誤った方向に導いている」。
彼の考えでは「スミスは効用を価値と誤解していた」。そしてシーニアもミルも状況を改善させなかったという。オーストリア学派だけがそれを成し遂げたという。そして「マーシャルは古典派とオーストリア学派を起源に持つ限界効用分析とを融合させた」のだと主張する。
だが既に見てきたようにそれらの主張はすべて誤りだ。カウダーは頻繁に価値と効用、価値と価格を混同していた。それでも彼の主張は経済学者特に若いオーストリア学派の経済学者に大きな影響を与えている。
3 On the definition of money
古典派のいう貨幣は民間部門の信用でも債務でもない。だが現代の貨幣の定義ではそれらが含まれている。古典派では貨幣の保有者は債務の支払いの義務を負っていない。ミルが民間銀行紙幣(*現代の貨幣とはだいぶ異なるので注意)が貨幣と呼ばれるかどうかについて議論している際に述べたように「会社が債務不履行に陥った際にすべての価値が失われるようなものは如何なる意味においても貨幣となることは出来ない。貨幣は信用とは異なる」。さらに民間部門は信用の量を変化させる能力を持つが古典派の貨幣であればそのようなことはない。よってマクロ経済学分析にとって信用が貨幣の定義に含まれるかどうかは重要な問題だ。
Classical money
古典派の経済学は1776の国富論から通常始まるとされている。だがヒュームの貨幣の分析が出発点として望ましい。
(*中略)ヒュームは貨幣の機能として交換の媒介も挙げる。そしてそれは信用や資本とは区別されるものだ。「貨幣は取引の対象となるものではない。交換を促進するための道具だ。それは車輪ではなく車輪の動きを潤滑にする油だ」。彼は信用と紙幣(*貨幣とは異なるので注意)が正貨を代替する可能性に気がついていた。だが信用紙幣のインフレを起こすマイナス面がプラス面を上回るだろうと考えていた。
(*中略)スミスは一貫して貨幣(正貨)を銀行が発行する紙幣と区別していた。銀行紙幣は融資を拡大するためまたは手形を割り引くための手段として発行されていた。紙幣が発行者の手を離れ一般的に受け入れられる存在となったならば「金や銀と同じ通貨」として交換の媒介として機能するという。だがスミスは紙幣が容易に正貨に償還可能な所では紙幣は交換の媒介の総量を増加させるのではなく貨幣を代替するに過ぎないのだという。銀行家はある一定の量の貨幣(正貨)を紙幣に対する準備として保有する。その部分は貨幣としての役割を果たすが残りの部分は輸出代金を支払うため海外に送金される。紙幣は「それを発行した銀行から離れているためそして他国では共通の支払手段として受け入れられないので」海外に送金されないだろう。従って「紙幣の総量は金と銀の価値を超えることがない」。
銀行が貨幣の価値(金と銀)よりも多くの紙幣を発行すれば「銀行は直ちにその過剰な紙幣に対して取り付け騒ぎを起こし大規模な支払いの困難に見舞われる。そして必然的に取り付けを増加させるだろう」。スミスの説明はこうだ。生産物の量を一定として貨幣と紙幣をともに増加させれば貨幣の価値は低下する。だが正貨だけが海外で受け入れられるので海外での購入を安い価格で行うために紙幣の保有者は紙幣を正貨に償還しなければならない。この過程により余分な紙幣は発行した銀行に戻る。従って紙幣の正貨への償還が禁じられている所だけがまたはそれが容易でない所だけが紙幣の発行により循環する貨幣の量を増加させることが出来る。そして紙幣の価値は正貨のそれを下回る。
スミスはさらに信用を貨幣とは注意深く区別した。信用は財の獲得を促進するまたは財を購入するのに初めに所得を必要としない資産だ。従って貨幣が不足している時には信用は財の交換を促進する機能を持つため貨幣を代替することもあるかもしれない。
「貨幣が不足すれば不便ではあるが物々取引がその不足を埋めるだろう。信用で物を購入したり売却したりするのはまたはディーラーがお互いの信用を売り買いするのはその不便を軽減する。紙幣は何の不便ももたらさないばかりか何らかの利点をもたらしてその不足を埋めるだろう」。
もちろん信用は貨幣の形で債務者に与えられるかもしれない。だがその場合でも貨幣は単に貸し手から借り手に所得が移転されたという事実を示すに過ぎない。貨幣の貸し手は初めに生産から所得を稼いでそれを貸さなければならない。
「ほとんどすべての融資は貨幣(紙幣または金と銀)で行われる。だが借り手が真に欲しているものはそして貸し手が真に貸し出しているものは貨幣ではなく貨幣の価値またはそれが購入することが出来る財だ。借り手が即時の消費のために貨幣を得たならば彼が真に得たのはその財だ。借り手がそれを資本としたいのであればそれが供給されるのはその財からだ。そして貸し手は借り手から将来的に所得の譲渡を受けることが出来る」。
経済史家の幾人かはソーントンを「古典派の中で最も優れた貨幣論者」だとしている。彼が書いた本の中で彼はヒュームとスミスの考えの幾つかに反対し1797の正貨支払い停止後のインフレに対してイングランド銀行に責任があるという責めに対して同行を擁護している。ブラーグは彼の本を「古典派の時代に生み出された最高の作品」だとしハイエクも彼を褒め称える。
「彼の本が貨幣理論の新たな時代を切り開いたといっても過言ではない。彼の優位性は長きにわたってリカードの影に隠れていたが古典期の貨幣理論に主たる貢献をしたのは彼であると今では認識されている。より名前の知られた彼の後継者ですら彼の理論に修正を加えるにあたって必ずしも理論を改善できたわけではない。比較して国富論での貨幣の取り扱いはわずかしか理論的に興味深い点がない。国富論の貨幣の記述的部分でさえ世紀の終わりにはもはや十分ではなくなっていた」。
だが本の中でソーントンはヒュームとスミスが貨幣を価値の基準としたことに同意している。
彼はさらにスミス同様貨幣と紙幣の区別を行っている。準備銀行制度と紙幣の貨幣との代替を記述している部分では彼はスミスと非常に似た言葉を用いている(*以下略)。
ソーントンの貨幣とイングランド銀行券、銀行紙幣の区別は以下のコメントにも見られる。彼はさらに貨幣(正貨)の交換価値が紙幣と手形の供給の基準となると述べている。
彼とヒューム、スミスとの違いは貨幣の定義と紙券信用がもたらす恩恵に関してだ。彼は紙券信用を貨幣の中に含めるがヒュームとスミスはそうではない。彼によると「多数の為替手形が取引相手の手を行き交いそれらは明らかに交換の媒介の一部をなす」。実際ソーントンは株式も貨幣の定義の中に含めようとしていた。何故なら「それらは常時売却可能で貨幣のようなものであり手形と同様の原則によって取引され銀行紙幣を節約する役目を果たす」からだ。従ってスミスが紙幣は貨幣(金と銀)の価値を超えることがないとしたのに対して彼は「仮にすべての為替手形が銀行紙幣に加えられれば紙幣の総量は貨幣の総量以上になることが自明だ。スミスが自身の誤りに気づかなかったことに驚きを隠せない」。
これはスミスが銀行紙幣は手形の割引を主な役割としていて紙幣は手形の代替と見做すのが望ましいと説明しているにも関わらず主張されている(*以下略)。
ソーントンの銀行信用と資本の扱いを見ると彼がスミスの説明(資本は貯蓄から生じていて銀行貸出によって創造されているのではない)に反対しているという印象を受ける。銀行貸出は借り手に貯蓄家の資本を割り当てるだけだ。代わりに彼は「イングランド銀行と銀行は紙幣の発行を生産資本に加える事により大きく利益を得てきた」と議論する。さらに彼はスミスが銀行貸出を「遊休資本を活動資本と生産資本に変える」と記述していることを「銀行が国家にストックを追加している」ことと等しいと議論している。それにも関わらず「商業資本は紙幣で構成されているのではなくこれにより増殖されているのでもない」とも別の箇所で述べている。そして「イングランド銀行券の増加によってはそのような新しい資本を生み出すことは出来ない」としている。さらに「真の財産である資本は紙幣の増加によって都合よく増加させることは出来ない」と述べている。ソーントンはスミスの信用と資本の区別を受け入れることでより一貫した議論を展開することが出来ただろう。
リカードはスミスの貨幣の定義にほぼ忠実に従っていた(*繰り返しなので以下略)。
(*リカードとスミスの考えはほぼ同じという説明の後で)ソーントンと異なりリカードは為替手形を交換の媒介とは見做さなかった。スミスに従ってリカードは為替手形を以下のように説明する。
「手形の発行は紙幣発行の増加の原因と考えられるかもしれない。貨幣が銀行から借りられるのはこれらの証券に対してだからだ。それ故価格はこれら手形の増加が原因で上昇するかもしれない。何故なら紙幣は手形がなければそもそも必要とされないからだ。この2種類の紙券の影響を区別することは私には自明ではない」。
さらに彼は手形が貨幣の代替をするという点をスミスを引用して強調する。
リカードはスミスの信用と資本の区別に従い信用は「資本を創造することは出来ない。信用は誰がその資本を用いるべきなのかを決定するに過ぎない」と主張する。利子が資本を借りる際の費用だという考えはそのような確固とした理解から生じている。それ故銀行は超過紙幣を印刷することによって利子率を永久に低下させることは出来ないとリカードは力強く議論する。そのようなことをしても銀行は自身の紙幣の価値を減価させるだけだ。
「貨幣に対する利子はイングランド銀行が貸し出す際の利子率によっては規制されない。それが5%、4%、3%であろうともだ。それは資本を使用することで得られる利潤率で規制される。そしてそれは貨幣の量または価値とは無関係だ。銀行が100万、1000万、1億貸し出そうが銀行は市場の利子率を永久に変化させることは出来ない。銀行は自身が発行した貨幣の価値を変化させるだけだ。ある場合では同じ事業を続けるのに10倍から20倍の貨幣が必要とされるようになるだろう」。
(*ミルもスミスとリカードの考えにほぼ従っていたという説明の後で)従ってミルは手形に関するスミスとソーントンの立場を跨っているように見える。一方では彼は手形を信用を拡大する手段と見做している。そして手形が債権者の手にある限りはそれは貨幣の取引機能を果たすことはない。その一方でミルはソーントンを引用して手形は取引者間の手を渡るから交換の媒介の機能を果たしているという意見に賛成している。
信用と資本の区別に関してはミルはソーントンよりもスミスとリカードの立場に近い。信用は単なる移転であって資本を生み出しはしない。ミルはその反対の意見は混乱から生じていると考えている。
「(*中略)信用は素晴らしいものだが多くの人が考えている程ではない。信用は何もない所から何かを生み出したりはしていない。信用の拡大が資本の創造と同義であるかのように何度語られてきたことか。または信用が資本であるかのように語られてきたことか。信用は誰かが資本を用いることに対する許可であるということ、生産の手段は信用によっては拡大することが出来ないということ、ただ移転しているだけということを指摘しなければならないというのは奇妙なことに思われる」(*これはこのような場合を考えてみたら分かりやすい。米しか生産物が存在していなくてそして米を生産している農家がいるとする。米を生産する期間に食料が必要となるのでそれを何処かから調達しなければならない。ここで食料を調達しようにも他の農家が蓄えていなければこの農家はどうやっても食料を得ることが出来ない。必要とする食料の3分の1を他の農家が蓄えていたとしてもこれを信用によって3倍にすることは決して出来ない。これは貨幣をどれだけ保有していたとしてもまたは発行したとしても同じだ)。
だが古典派以前または古典派初期には彼はこの議論に対する例外、強制貯蓄の議論があったことを記している。新たな貨幣がまず初めに生産を拡大するための資源として生産者の手に渡りそれにより一時的に真の資本が増加するという議論だ。だが「新規の信用が停止し紙幣が回収された時にはその過程は停止しその逆の過程が開始される」としている。
The modern definition of money
新古典派時代に貨幣の定義が価値の基準から交換の媒介の強調へと大きく変更された。その変更は兌換紙幣または紙の貨幣の使用の増加を反映しているように思われる。その背景にあったのは恐らく貨幣が労働の費用を表していないのならば他の商品の価値を測ることが出来ないといったような考えだ。
ウォーカーは貨幣の主たる機能が古典派のいう価値の基準であるということを否定して交換の媒介の機能を強調する。
「悲しいことに共通の表示単位であることと共通の価値の基準であることとの機能の混同が見られる。そしてほぼすべての経済学者がこの区別をするのに失敗してきたと言える」。
彼は「価値を測るためにはその物が価値を持たなければならない」と主張する。さらに「貨幣が共通の価値の基準という考えは完全に非現実的でただ勘違いをしているに過ぎない」と述べる(*価値を測るにはその物が価値を持たなければならないというのは正しいがスミスは既に労働こそが真の価値の基準で貨幣はその名目表示にすぎないと説明している。労働は当然価値を持つのでウォーカーの批判は的外れとなっている)。
(*ウォーカーの貨幣に対する考えが古典派と異なるということを説明した後で)だがウォーカーは古典派の伝統に従い小切手や為替手形を貨幣の代替とし貨幣とは考えなかった。小切手が貨幣でないのは「小切手が信用の一種で銀行紙幣は最終支払手段だから」だ。彼は貨幣の定義から銀行預金、手形、財務省証券などを除く。これらは一般大衆の手を渡り歩いたりしないからだ。銀行預金に関して彼は以下のように述べる。
「貨幣は債務の最終支払手段または財の支払い手段として人から人の手へと渡るものだ。銀行預金は債務をお互いに打ち消しあうことが出来る。だが預金は他のすべての信用と同様に貨幣の節約の役割を果たすが貨幣の機能を果たすことは出来ない。貨幣とはまさに貨幣が出来ることを果たすものだ」(*銀行預金はやろうと思えばすべて現金の形で置き換えることは可能だしその意味で貨幣が大幅に節約されているといえるがその逆は出来ない。何故ならば銀行預金または信用は(皆が共有しているという意味での)価値の基準の機能を持っていないからだ。例えば1万円札が明日には価値がまったくわからなくなるとすれば大混乱に陥る。この時銀行口座に昨日まで10万円預金があったと主張しても現在には価値がまったくわからなくなっているのだから銀行預金または信用が貨幣の代替となることは出来ない。ウォーカーは最初は古典派が貨幣の主たる機能が価値の基準(と交換の媒介)であると主張していることに対して批判していたのにいつの間にか古典派の考えに急速に接近していっていることに対して気が付いていない)。
貨幣の交換の媒介の機能を強調しながら彼は為替手形を貨幣とすることを批判したマカロックに賛同する。何故ならそれらの手形は「請け負ったリスクを完全に理解しているそれに関わった人間の手にしか渡らない」からだ。同様に「財務省証券は利子を生むためそれが証券の循環を阻む。満期が近づくに連れて利子の重みが増してくるため普通の利子を生む投資と変わらなくなるためだ。そのような証券や手形は貨幣ではまったくない」。
さらに彼は古典派の貨幣、信用、資本の区別にも従う。(*中略)従って彼が交換の媒介の機能に重きを置いたことを例外としてウォーカーの貨幣の扱いは古典派と非常に似通ったものだ。
ジェボンズは単一の定義で貨幣を分析できるとは考えていなかった。彼の考えでは「単一の定義を設定することにより複雑な貨幣の問題を解くことは」誤りとされていた。
「人々は貨幣とは何か?現金とは何か?を知りたがるだろう。単一の定義ではかくも複雑な関係を解き明かすことは出来ない。複雑な問題をあたかも単純なもののように扱うことは間違いであると思う」。
彼の貨幣の定義に対する態度は貨幣理論の発展に関してはむしろ有益ではなかったように思われる。
マーシャルは「原理」の中で古典派の伝統に従い貨幣を正貨とそして貨幣を価値の基準と定めている。だが彼は価値の基準としての機能を交換の媒介の機能に次ぐものとしている。
「貨幣は第一に交換の媒介だ。それは通貨だ。それは財布の中から運ばれ手から手へと渡る。その価値はひと目で分かる。貨幣の第一の機能は金と銀により遂行された」。
「貨幣の第二の機能は価値の基準となることだ。または繰り延べられた支払いの基準となることだ。十分な支払いが為されたことを示すことだ」。
彼の通貨の定義は1887の金銀委員会での証言と一致する。彼は「それを扱うのに取引の知識なしに人の手から手へと渡るものすべて」を貨幣としている。よって彼は小切手を通貨の定義から除外している。「何故なら小切手は受け取り手が誰から受け取ったかを知っておく必要がある」からだ。「イギリスでは大きな買い物は通貨によって行われるのではなく小切手によって行われる」。彼は小切手が通貨の代替であることを示してみせる。「イギリスでの事業に必要とされる通貨の総価値は相対的に小さい。何故ならそこでは多くの支払いが小切手で為されるから。そして小切手が現金で支払われることは少ない。支払いの多くはある銀行の口座からある銀行の口座へと直接行われる」。
マーシャルもまたウォーカー同様に銀行紙幣を貨幣の定義に含める。だが彼が貨幣に含めるのは容易に銀行紙幣(*現在とは紙幣の意味合いが異なるので注意)が循環する商業が正常な時だけだ。
「信用の状態が良い時には人々は貨幣を慌てて回収する必要がない。そしてどのような形で支払いが為されるかをほとんど気にしないだろう。小切手も銀行紙幣も一般的に受け入れられる。だが信用が脅かされた時には通貨や法定紙幣以外の支払い手段を警戒を持って見るようになるだろう。それら支払い手段の実質の残高はそれらが最も必要とされている時に縮減の危機にあるだろう」。
彼は為替手形も通貨の定義から除外する。その理由は「支払いを受ける人が全員少なくとも一人の名前を知っているのでない限り人々の手を自由に渡らないからだ。そしてこの条件が満たされるかどうかを確かめる簡単な方法がないので為替手形といえども貨幣や通貨ではなく通貨の代替と見做されるべきだ」。
彼も貨幣を信用と資本から区別する。資本は貨幣の形態として貸し出されるに過ぎない。よって資本の利子率は短期には貨幣の量によって変動するかもしれないが長期において利子率を決定するのは資本の供給と需要だと述べる。
「一般的に言って割引率の上昇が起こるのは資本を借りたいという欲求が増加した時または資本を貸し出したいという欲求が減少した時であると言われる。前者はコンフィデンスの増大でそして恐らく繁栄の証でもあるだろう。後者はその逆だ。イギリスで通貨の上昇が割引率に影響を与える特殊な例を見るとそのサイクルは以下のようだと思われる。この新しい通貨は個人に向かうのではなく銀行部門に向かう。それ故銀行の貸出意欲を高めその結果割引率が低下する。だがその後価格が上昇する。それ故割引率を上昇させる圧力が掛かる。この後半の流れは累積的だ。それ故貨幣の購買力が低下した後は割引率と長期の投資の利子率に上昇傾向をもたらす」。
彼は貨幣ではなく貯蓄が資本の源であるということを強調する。「資本を増加させるためにはまたそれを蓄積するためには人は将来を見越して行動しなくてはならない。人は消費を控えそして貯蓄しなければならない。そして将来のために現在を犠牲にしなければならない」。
ヴィクセルは古典派の正貨に信用を加えて貨幣の定義とした。彼は正貨の定義は貨幣、信用、利子率、価格水準の振る舞いを説明するには不十分だと主張した。
「貨幣は一貫して流動性を高めており貨幣の供給は需要によって調整させられる傾向にある。銀行がどれだけの量の貨幣を需要したとしてもそれが貸出の量を決定する。(貨幣の)供給は需要それ自体によって供給される」。
この過程により彼は信用創造過程を通して「銀行は任意の水準に物価を上昇させることが出来る」可能性を示唆する。この議論は特にフィッシャーとケインズに影響を与えた。彼の議論は貯蓄の役割も最小化してしまっていることになる。彼は「我々は利子率が資本の供給と需要によってどのように決定されるのかの説明にまったく至っていない。利子率はむしろ完全に銀行の裁量化にあるように思われる」と宣言する。彼は後にこれらの主張の幾つかを修正するがそれは第7章で見る。
フィッシャーは貨幣を「一般的に他の財と交換することの出来る財」と定義した。他にも彼は貨幣を「一般的受容性を持つ任意の財産権」または「一般的に受け入れられる財」とした(*以下略)。
(*中略)ピグーは銀行が信用を拡張する能力は大衆の預金に依存しているとした。そしてその場合銀行貸出は価格を上昇させないとした。だが彼は時々銀行制度は「初めに預金通貨を預かることなく信用を創造してその意味で貨幣を創造している」と一貫していない主張もしており銀行の信用創造により価格は上昇するとしている。
(*他にも多くの新古典派経済学者の貨幣観を紹介した後で)現代では様々な種類の預金または金融資産をM2、M3とLに含める傾向にあるがこれはケインズの主張に従っていることになる。実際ケインズが貨幣に含める金融資産のリストは例えばフィッシャーのものよりも多い。
ヴィクセル、フィッシャー、ピグーと同様にケインズは貯蓄の役割を最小化する。彼は銀行が大衆から預金を預かってそれを貸し出すことは認識している。だが銀行預金は顧客ではなく銀行によって創造されるという。「銀行は預金を生み出す。銀行だけが顧客に現金を引き出す権利を与え預金の創造を承認することが出来る」という。さらに彼の生きていた時代では銀行は信用を創造するのに大衆の預金に依存するのを止めたという。むしろ銀行は新たな現金預金を銀行自身の貸出によって生み出しているという。「銀行は大衆の預金を預かり自身の裁量と自身のリスクで投資するビジネスから進化した」という(*以下略)。
ケインズが「Dr. Walter Leafのような現場の銀行家」の見方(銀行は顧客の預金に依存している)を否定するのはこのような考えに基づいてだ。彼は「経済学者はそのような見方を常識(*その銀行家が常識だと言ったと思われる)として受け入れることは出来ない」と主張する。彼は後に「投資は現金の不足によって妨げられるが貯蓄の不足によっては決して妨げられることはない」と強調した。
ロバートソンの銀行が貸し手と借り手の仲介者だという記述は一貫しているようには思われない。彼はヴィクセル、フィッシャー、ピグー、ケインズと同様に銀行を大衆の預金に依存することなく信用を拡大出来る機関かのように扱っている。よって彼は「銀行貨幣は大衆の貯蓄ではなく銀行が小切手帳の保有者と小切手を引き出す権利に関して同意した時に銀行によって生み出される」と主張しまるで小切手帳の保有者が資金を引き出す権利を得たのは銀行に預金をしたからではないかのように扱う。さらに「銀行が貸出を行う時は大衆による新たな預金を必要としているのではない」そして「銀行の準備が増加した時その準備の数倍もの貸出を行うことが出来ると確信を持って言うことが出来る」とも主張する。それ故彼は銀行家が「銀行は大衆から銀行に託されたものだけを貸し出すことが出来る」と主張するのを「真ではない」と否定する。このような主張は現代の教科書が銀行を貨幣の創造者または自身の貸出による預金の創造者と扱って給与所得者が新規の預金をしなくてもいいように記述していることを補強しているように思われる。小切手の受取人がその全額を銀行に再預金したとしてもその行動は小切手の受取人が引き出す権利を与えられた現金を銀行に再預金しているに等しい。フィッシャーの預金拡大の過程の喩え話はこの点を確認している。彼自身は異なる結論を導いたようだが。
これまで見てきたことが現代の貨幣の定義の推移だ。1940年代頃には貨幣を通貨と要求預金とするのが標準になっていた。単に通貨またはハイ・パワード・マネーHではなくM=C+D=H+BCだ。1960年代頃には他の種類の預金も貨幣の定義に加えるかの議論は終わっていた。その過程の中で古典派の貨幣、信用、資本の区別は大幅にぼかされてしまった。ケインズ、ヴィクセル、フィッシャーらが皆古典派の利子理論を正しく理解できていなかったことは注目に値するだろう。
Some problems with the modern definition of money
貨幣の定義の変更は貨幣分析、特にインフレと利子率決定の説明の質を向上させはしなかった。貨幣の定義が古典派のハイ・パワード・マネーだけであったならば価格水準の変化を説明する試みはHに注目するだけでよかっただろう。貨幣を古典派の伝統に従って定義することはフリードマンの「インフレは貨幣的現象」という命題を理解する手助けとなるだろう。金融市場の発達した先進国のインフレなきM2の増加率の上昇は理論の正当性に疑義を抱かせるに十分だろう。
第二に現代の定義は利子率を決定するのが貯蓄の供給と需要ではなく貨幣の供給と需要であるという印象を与える。現代の定義は現在貨幣と呼ばれているものは民間部門の貯蓄M=H+BCのBC(銀行信用)であるという事実をぼかしてしまう。ケインズが間違って議論しているように「貨幣の量は流動資産の供給を決定しそして利子率を決定する」。よって現代の定義は中央銀行がHを増加させることで利子率を低下させることが出来るような印象を与えてしまう。フリードマンが嘆くのはそのような間違った考えに対してだ。
「貨幣と利子率の誤解の大部分は貨幣という単語が与える3つの意味を区別できないことから生じている。特に信用を貨幣の量から区別することだ」。3つの意味とは「所得」、「信用」、「通貨」だ。フリードマン自身もそのような混同を避けた古典派の定義を用いないのであるが。
現代の定義は中央銀行がHではなくM1、M2などのマネーサプライの成長率を制御できるまたはしなければならないという印象を与えてしまう。これは例えばフリードマンなどが大衆のポートフォリオの構成の変化がM1、M2などのマネーサプライに影響を与えるとしているだけになおさらだ。債券、社債、株式などへの選好が大きくなればMは縮小する。その逆は逆だ。だが貸出可能な貯蓄または資本の総供給量は変化していない。同様の効果は銀行が準備/預金比率を高めた場合にも起こる。中央銀行がHではなくMの成長率を制御すべきという考えはM=H+BCのBCの伸びがインフレなき投資と産出の成長には好環境でHの超過供給こそがインフレ的であるという事実を無視している。
現代の定義は大恐慌期のアメリカの金融政策の解釈を誤った方向に導いている。金融政策は緩和的であったか縮小的であったかという問いに対してフリードマンは縮小的であったという立場を取り1930から1933に連邦準備が貨幣の残高の3分の1を縮小させたことを批判している。だがフリードマン自身が示すようにこの期間のHは25%増加していて一方銀行預金は銀行の倒産の結果として急激に縮小している。従ってHに関しては連邦準備の政策は緩和的であった。古典派の定義であればM2の縮小が預金引き落としの結果であると認識する手助けになっただろう。そして準備/預金比率の上昇も現代の定義M=H+BCのBCを縮小させる。すなわちHではなく貨幣供給乗数の大幅な縮小が貨幣ショックを引き起こしたことになる。
古典派の貨幣と貯蓄または資本の区別は現代の定義よりも有用だ。フリードマンは大恐慌を財政政策ではなく貨幣量の変化が所得と雇用の伸びの変化を決定する要因であることを示した事例としてケインズに対して古典派の優位性を示した証拠とした。だが多くの経済学者は説得されなかった。トービンなどは「所得と雇用の変化が貨幣量を変化させたのではないか」などと尋ねた。正しい古典派の議論は以下のようであるべきだ。貯蓄は投資のための資金を提供する。その結果所得と雇用が生まれる。大恐慌期のGDPの縮小は中央銀行による貨幣供給を貨幣需要が大幅に上回った結果であるので貯蓄または貸出可能資金の大幅な縮小と整合的だ。よって大恐慌は古典派の貯蓄理論の正しさを証明しケインズの節約の誤謬の誤りを示した事例といえる。古典派の伝統に従っていない現代の経済学はIS-LMを用いて財政政策と金融政策が所得と雇用の変化の決定に対して同等の有効性があるかのように間違って教えている。
現代の定義は貨幣需要を説明または推計するに際して混乱を抱えている。ストックの観点からは貨幣需要は資産への需要だ。一方で銀行信用の需要は資金への需要だ。そして通貨の超過需要は価格水準を低下させる一方で銀行信用の超過需要は利子率を上昇させる。その一方大衆による銀行金融資産の需要の増加は価格水準に影響することなく利子率を低下させる。それは銀行信用のフローを増加させるからだ。価格水準は通貨の需要が減少すると同時に銀行金融資産の需要が増加した時のみに影響を受けるだろう。古典派の定義はこれらの点を簡単に融和することが出来る。さらに古典派の定義では貨幣需要を推計するにはHの需要を推計するだけで十分で集計にディビジア指数(*その資産がどれ位貨幣の概念に近いのかを数量化した指数)を必要とする不完全な代替物である金融資産の類は必要としない。
貨幣と貯蓄の混同はM2の高い伸びが貯蓄の不足ではなく貯蓄の増加だという事実を理解することを妨げる。それ故に多くの分析者が1995から2000のアメリカのM2の年間成長率が7%以上であったのに1990年代に貯蓄率がマイナスになったという誤った結論に達してしまった。古典派の定義であればそのような混乱した主張を避ける事が出来ただろう。その期間は古典派が予想したようにインフレ率と失業率が低く実質産出量が4%以上の伸びを示した時期だ。以下の章では古典派の伝統に従って貨幣を定義することの優位性を示す。
4 The classical theories of interest, the price level, and inflation
古典派の利子、価格水準、インフレの理論は第2章で論じた価値理論の直接の応用だ。だが第3章で示したように現代の定義がそれらの説明に大きな混乱をもたらした。古典派の経済学者が多大の労苦を持って均衡利子率が資本または貯蓄の供給と需要によって決まると説明したのに対して現代の多くの分析者が貨幣の供給と需要が利子率を決定すると引き続き議論している。
その信念は主にケインズの一般理論から生じている。元々は重商主義者の考えだ。ケインズは「私は19世紀以前の経済学者の教義に戻ろうと思う。例えばモンテスキューはこのことを明白に理解していた」としている。「貨幣の量が流動資産の供給を決定し利子率を決定する。そして他の要因と合わさって投資を誘引する」。ケインズはさらに古典派の貨幣の供給と需要が価格水準とインフレを決定するという理論を否定して「価格水準は個別価格の決定とまったく同じように決まる。すなわち産出の供給と需要の影響の下」であって貨幣の供給と需要ではないとする。流動資産の供給を増加させることにより相対的に豊富になった貨幣が生産を促進する。それ故彼は「金融理論を過去の産出の理論に戻しているのだ」と主張する。わずかに古典派に譲歩してケインズは経済が完全雇用の状態であれば貨幣の相対的豊富さが価格水準を上昇させるだろうと認める。だがケインズの主張は彼の古典派の理論への誤解から生じている。
The classical theory of interest
古典派のいう資本とは利子または利益を稼ぐために投じられた所得の一部を意味する。よって資本は貯蓄から生じる。そして貯蓄には現金または貨幣の退蔵は含まれない。資本が直接生産に用いられたならばその生産物を売却することにより利益を生み出すことが出来る。貸し出されたならば貸し手はその代償として利子を受け取る。社会全体としては貸出に回された資本の量は個々の貯蓄の合計に等しい。スミスが説明するように「資本は倹約により増加する。所得を節約すればその人の資本は増加する。自身で用いるのであれ他人に貸し出すのであれ資本は増加している」。
資本を蓄積するには現在の消費を犠牲にしなければならない。シーニアが述べるように「資本が存在するためには賃金を稼ぐために労働しなければならないように現在の消費の犠牲を必要とする」。シーニアは「悦楽を控えることまたは現在のではなく未来の結果を追い求めることは人間にとって最も苦痛なことだ」と述べる。それ故利潤または利子の形で報酬を必要とする。丁度労働が報酬として賃金を必要とするように。ミルも同様の主旨を述べている。
「資本が追加される行為である貯蓄は人間の生活を向上させたいという欲望から生じる。その性向の強さに応じて非常に大きな物質的違いが生まれる。その性向もまた利潤率に依存しているのではあるが。そしてすべての国でそれを下回れば一般に節約のための十分な動機が生まれない利潤率の下限が存在する。それ故資本の追加にはある程度の利潤率が必要となる。平均的な人がリスクに対する十分な保険を別として消費をしないことを選ぶ利潤率だ」。
ミルもシーニアも消費をしないことを利子とではなく利潤との関係で語っている。何故なら彼らは貨幣の形態ではなく物質の形態の資本をここでは考えているからだ。ミルが述べるように「貸出可能資本はすべて貨幣の形態にある。生産に用いられる資本は様々な形態を取る。だが貸出に用いられる資本はその形態のみを取る」。借りられた資本はビル、装備、機械(固定資本)、中間投入、再売却のための最終財(循環資本)などの購入に用いられる。そしてそのような資本財へのリターンが利潤だ。貨幣形態の資本の借り手はその稼いだ利潤の中から利子を支払う。よって古典派は利子率と利潤率が同様の方向へ動く傾向があると考える。
彼らの貸出可能資本の理解から古典派は資本の供給が利子率の正の関数であると考える。その一方で資本の需要は利子率の負の関数だ。利子は借り手にとっての費用であるからだ。その需要は資本の使用から生まれる借り手の利潤期待にも依存している。資本が消費のために借りられた場合借り手は将来の所得が現在より大きいという期待を持っている。その他の表現を用いれば借り手は平均以上の時間選好率を持っている。だが借り手は出来る限り少ない利子を支払うことを好み貸し手は出来る限り多くの利子を受け取ることを好むだろう。
資本市場で利子率が決定されるのはこのように逆向きの性向からだ。ミルは以下のように述べている(*以下略)。
以下のパターンが古典派の利子理論から予想できる。(a)資本の需要を一定として、所得水準の上昇、現金需要の低下、税率の低下は資本の供給を増加させ均衡利子率を低下させるまたはその逆は逆(b)資本の供給を一定として、利潤期待の増加は資本の需要を増加させ均衡利子率を上昇させるまたはその逆は逆。これらのパターンは図4.1(a)、(b)のようになる。資本の供給と需要によって決定される利子率は名目または市場利子率であって実質利子率ではない。市場利子率が長期と整合的な時古典派はそれを自然利子率と呼んだ。「自然利子率と呼ばれるある利子率が存在する。市場利子率はその利子率の周囲を振動しそれに戻る傾向がある」。
古典派の利子理論は金融資産の供給と需要としても説明できる。貸し手は借り手から受取証書などを受け取りそれが貸し手の金融資産になる。それ故資本の供給は貸し手の金融資産への需要で構成され借り手の資本への需要は貸し手の金融資産の供給によって構成される。金融資産の供給は価格の正の関数(利子率の逆数)だ。より多くの人が金融資産を求めるようになればより多くの資産が供給される。その一方で金融資産の需要は価格の負の関数だ。資産が安くなればなるほど需要が高まる。
先程述べたパターンが金融資産の供給と需要にも当てはまる(*以下略)。
均衡利子率のこれらのパターンは何か特定の信用市場、貸出市場に当てはまるのではなく経済全体に当てはまる。例えば銀行の貸出時の利子率は銀行信用または銀行金融資産の供給と需要で決定される。準備預金比率の上昇は銀行信用の供給を減少させ銀行貸出の均衡利子率を上昇させる。銀行借入によりファイナンスされる政府債務が発生すると資本に対する需要が増加し政府債の均衡利子率を上昇させる。
古典派の利子理論の最も顕著な特徴はそれが貨幣の供給と需要に依存していないことだ。古典派は貨幣量の変化により利子率が一時的に影響を受けることは認める。だが長期的には資本の供給と需要だけが利子率に影響を与える。これは貸出が貨幣の形態で行われるとはいえ貸出の実体は生産により稼いだ所得の購買力だからだ。そしてそれが借り手に移転されたと古典派は考える。スミスは以下のように考える(*以下略)。
ミルも同様の指摘を行う。「貸し手が借り手に貸す時彼に移転されるものは単なる貨幣ではない。権利だ。貸し手は彼の資本を分け与えることで最初にこの権利をもたらした。彼が真に貸し出したものは資本であって貨幣は単なる移転の形態に過ぎない」。それ故実質の所得ではなく単なる貨幣量の増加では財とサービスの量を増加させることが出来ない。
貨幣量の変化の影響は貸出可能資本の供給または貸し手の貸し出す意欲に最初に影響を与える。貨幣の流入は銀行の口座に預金され銀行の貸出意欲を増加させるだろう。そして利子率は低下する。総購買力は資本の供給を超えるだろう。総支出が産出量を超過するので価格が上昇する。短期では所得が契約等により固定されているので(賃金、賃料、利子)労働者の実質購買力は預金生活者らに移転される。生産の費用の上昇は価格の上昇より遅れるためだ。古典派はこれを強制貯蓄と呼んだ。投資家は利子率の上昇による貯蓄の増加を必要とすることなく投資資本を獲得することが出来る。
だが遅かれ早かれ契約は更新され賃金、賃料、利子率は価格の上昇を反映して上方に改定される。貨幣供給の増加により引き起こされた利子率の低下は将来的には資本の量を減少させるだろう。これは人々が価格の高い将来ではなく現在に消費しようとするためだ。その上価格の上昇は取引動機や予備的動機のため人々により多くの貨幣を持たせることになる。これが貯蓄や金融資産の購入を減少させる。
マーシャルがこの点を確認している。「価格の上昇には人々が取引のためより多くの貨幣を使用することが求められる。そしてその他の条件を一定として貴金属貨幣の量の増加は比例的にその使用を増加させるように思われる」。大衆の現金保有の増加は銀行の現金準備の低下を引き起こす。それが貸出に対して一定のブレーキとなるかもしれない。これが図4.2(a)で利子率の低下が貨幣供給の増加によって引き起こされた信用供給の増加を完全には反映していない理由だ。
さらに原材料の需要の増加はそれらの価格を増加させる。以前と同じ実質量の原材料を購入するには企業は資本の需要を増加させなければならない。これも利子率に上昇圧力を加える。資本の名目価値の上昇が価格水準の上昇を埋め合わせる。これも古典派が貨幣供給の増加が信用供給の増加により短期的には利子率を低下させると強調した理由だ。だが長期には利子率は資本の供給と需要で決まり貨幣量と独立となる。
「高い利子率は3つの事情により発生する。借り入れに対する需要の大きさ、その供給の少なさ、商業の利益の大きさだ。そしてこれらは商業と工業の発展の証であり金や銀の不足の証ではない。逆に低い利子率はその逆の事情から発生する。借り入れに対する需要の小ささ、その供給の大きさ、商業の利益の小ささだ」。
スミスはヒュームの説明を有効とし「ロック、ロー、モンテスキューらその他数多くの論者」の利子率の決定に対する見方の明白な反論になっていると考えていた。スミスは以下のように述べる。
「我々が産業の生産量を数える時その中に入っていると見做すものは食料、原材料、最終生産物だ。貨幣は常時差し引かれなければならない。産業を動かすには3つのものが必要とされる。加工するための原材料、操作するための道具、そして仕事に与える報酬だ。貨幣はそのいずれでもない。賃金は貨幣の形態で支払われるが彼の真の所得はその貨幣の価値である。貴金属ではなくそれで何を手に入れることが出来るかだ」。
リカードはこれを引用し中央銀行が信用を人工的に拡大して利子率を低下させようとする試みの無益さを説く(*以下略)。
ミルは価格の上昇による利子率の反転についても説明する。
「貨幣が減価の過程にあると仮定せよ。これは実質で見た貸出に対する資本の需要を減少させることはない。だが実質で見た貸出可能資本を減少させる。何故ならそれは貨幣の形態のみで存在するからで貨幣の増加がそれの価値を低下させる。資本の観点で見れば提供される量は少なくなり必要とされる量は変わらない。通貨の観点で見れば提供される量だけが以前と同じで必要とされる量は価格の上昇を原因として多くなる。どちらにしても利子率は上昇する。だからこの場合通貨の増加は確かに利子率に影響を与えているのだが一般的に想定されているのとは異なり下がる方向ではなく上がる方向に働く」。
「よって減価の過程では利子率は上昇すると言うことが出来る。そして更なる減価の期待があればこの効果は更に強まる。何故なら貸し手は彼らが貸した時よりも価値の低下した通貨で利子が支払われ元本が恐らく償還されるだろうと予想するからでこの予想される損失を埋め合わせることの出来る利子率を要求するからだ」。
ミルはこの逆向きの議論も発展させる。すなわち貨幣量の縮小による利子率の一時的な上昇と価格の低下を原因とするその後の利子率の低下だ。「貨幣が増価する過程では借り手が求める実質で見た資本の増加がある一方で借り手が求める実質で見た資本の量は以前と変わらないだろう。それ故利子率は低下する傾向にある」。
これまで見てきたように古典派の利子理論は彼らが説明しているように「資本」を資本財ではなく資本金と解釈すれば極めて明確だ。マーシャルは以下のように古典派の利子理論の有効性を認める。
「スミスは暗示的にリカードは明示的に利子理論を提示した。ある者がその理論の一面を強調することをまたその他の者がその他の面を強調することを好んだとはいえスミス以来の偉大な経済学者が何かを見落としたと考える理由はほとんどない。特に天才のリカードが見落としたものはない。だがそこには進歩がある。誰かが理論のある部分を改善し鋭く分かりやすい説明を与えた。また誰かが理論の異なる部分同士の複雑な関係を説明する手助けをした。偉大な思想家によって為された仕事が取り消されることはほとんどなく何か新しいものが継続的に加えられていった」。
これまで引用してきた文章から我々は古典派の理論が間違っているという現代の主張を否定することが出来る。例えばパティンキンは「古典派の文献では貯蓄と貸出の供給または投資と貸出に対する需要を区別する試みは行われなかった」と断言する。レーヨンフッドも「ケインズ以前の新古典派の守護神である」マーシャル達は「資本と利子の問題の解決に失敗しスミス以降の経済学者が理解できずにいた価値理論(*限界革命と勘違いされているもののこと)の完成によって大きな空隙を埋められる必要があった」と主張した。Jörg Bibowも古典派の説明を理解できずに古典派の理論は欠陥だと宣言した。
利子理論と同様に古典派の価格水準の理論も彼らの価値理論の応用だ。価格水準(貨幣の価値の逆数)は貨幣の供給と需要で決定される。ミルは以下のように述べる(*以下略)。
商品の価値は他の商品がその商品と交換される際の量だ。商品の価格はそれが交換される際の貨幣の量だ。従ってすべての価格が貨幣の量で見て上昇していたり下落していたりしてもそれぞれの商品がお互いに交換される際の比率は一定でありうる(*省略した中にその説明があった)。これが貨幣の導入が価値法則を変更しない理由だ。
だが商品の個別価格、利子率と異なって価格水準はある特定の市場で決定されるものではない。すべての価格を加重平均して求めなければならない。価格水準は貨幣の価値も定める。価格水準が高いほど貨幣の価値は低いからだ。それ故古典派は価格水準の決定を貨幣の価値と絡めて議論する。
古典派の価格理論は(a)ストック(b)フローから説明できる。ストックの観点は貨幣を一時的に購買力を保存しておくための資産として人々は所得の一部から貨幣を購入するというものだ。そして残りの所得は財やサービスや金融資産の購入に充てられる。政府や企業などの金融資産の発行者も財やサービスを購入し一部を貨幣として保有する。貨幣の保有に充てられた所得の部分はそれ故財やサービスの価格すなわち価格水準に影響を与えない。ミルが述べるように「保蔵された貨幣は価格に影響を与えない。緊急のための準備として保蔵された貨幣は価格に影響を与えない。イングランド銀行または民間銀行の準備として保蔵されている貨幣は引き出されるまでは価格に影響を与えない」。
スミスは以下のように述べる。「すべての社会のすべての分別ある個人は自らが作った生産物との交換を僅かな人しか拒まないと彼が予想するある特定の財(*すなわち貨幣)のある一定の量を物々交換の不便を避けるため常時保有しようと努めるだろう」。それが貨幣で銀行家は「予想外の引き出し」に応えるためそれぞれの金庫に準備として現金を保有しておくだろう。それ故価格が上昇した時購買力を一定に保っておくためにより多くの貨幣が要求される。その逆は逆だ。マーシャルが述べるように「貨幣への需要はある一定の量の貴金属ではない。一定の量の購買力だ」。
それ故貨幣の需要曲線は直角双曲線だ。保蔵される貨幣の量は所得水準に依存する。人々が貨幣を購入するのは所得からだからだ。更に貨幣に対する需要は小切手や他の信用ではなく自らが貨幣を使用する必要に迫られるという期待に左右される。従って貨幣を節約する手段があれば貨幣に対する需要は減少する。
古典派の世界では純輸出に対する代償として金と銀が輸入されそれが貨幣の供給の元になる。古典派の世界での貨幣の供給はその価値の変化に反応する。貨幣の価値の増加により国内の生産者は正貨のために輸出をより行うようになるかもしれない。国内に金や銀の鉱床がある所では生産を拡大することによりより多くの利益を得られる。逆もまた真だ。貨幣の価値の減少によりより安くなった外国の財やサービスを正貨と引き換えに交換できるようになる。それ故古典派の貨幣供給曲線は上向きだ。その一方で現代の兌換紙幣は中央銀行のみを元としその供給は価値の変化または価格水準の変化に反応しない。ピグーが記すように「供給曲線は垂直でその位置は政府が選んだ場所で決まる」。
古典派の説明はケンブリッジ方程式として公式化される。貨幣の量を一定として人々が貨幣を保有しようとする比率が高まるほど価格水準は低下し貨幣の価値は増価する。その比率の増加は以前に比べて人々が財やサービスに所得を支出しなくなったことも意味する。その一方でその比率が減少すれば価格水準は上昇し貨幣の価値は減価するだろう。その比率の減少は以前と比べて財やサービスに対する支出の増加の形を取るからだ。
同様に需要を一定としてそれに対する貨幣残高の縮小は価格水準を低下させ貨幣の価値を高めるだろう。人々は貨幣を獲得するために財やサービスに対する支出を切り詰めるからだ。その一方で需要を一定としてそれに対する貨幣残高の拡大は価格水準を上昇させ貨幣の価値を低めるだろう。人々が保有していた貨幣を手放し財やサービスに対する支出に回すからだ。強制貯蓄のメカニズムが作用するのはこの価格水準調整過程の間だ。「金と銀の量の増加が産業にとって好ましいのはこの期間の間だけだ」とヒュームは述べている。
「社会の状態がどうであれ人々が通貨の形態で保有したいと思うある一定の量が存在する。そして他の条件が同じであれば通貨の量と価格水準には直接の関係性がある。一方が10%上昇すればもう一方も10%上昇する。人々が通貨の形態で保有したいと思う比率が低下すれば通貨の価値は減少し価格は上昇する」。
図4.3(c)、(d)の均衡点は一時的な短期の均衡を除外している。貨幣量の減少は通貨の超過需要を生み出し価格水準が低下し実質賃金が上昇するので支出、生産、実質所得を低下させる。よって貨幣に対する需要それ自体も幾らか低下する(貨幣需要曲線の左シフト)。だが貨幣需要曲線は実質賃金の水準を回復させるように名目賃金が低下するので元の位置へと戻り生産と実質所得は上昇する。同様に貨幣量の増加は通貨の超過供給を生み出し価格水準が上昇し実質賃金の水準を低下させ産出と所得を上昇させるので貨幣に対する需要を増加させる(貨幣需要曲線の右シフト)。だが貨幣需要曲線のシフトは名目賃金が上昇し実質賃金の水準が元に戻り生産と所得がインフレ以前の水準に戻った時元に戻る。
フローの観点からは貨幣の価値は市場で財やサービスの購入に充てられる貨幣の相対量で決まる。または古典派が言う所の「貨幣と財の比率」だ。この観点からは貨幣供給は財とサービスの交換のために提供された貨幣の量で貨幣需要は貨幣との交換に提供された財とサービスの量だ。従って1取引あたりの財との交換に提供される貨幣の量が多くなれば価格水準は上昇し貨幣の価値は低下する。その一方で財とサービスとの交換に提供される貨幣の量が少なくなれば価格水準は低下し貨幣の価値は上昇する。
ヒュームは以下のように古典派のフローの貨幣価値理論を述べる。
「一般物価が商品と貨幣の比率に依存しているのはほとんど自明に思われる。そして一方の変化は同じ影響を持つ。商品が増加すれば商品は安くなる。貨幣が増加すれば商品の相対的価値が増価する。前者の減少、そして後者の減少は逆の影響を持つ」。
「一般物価が商品の絶対量または貨幣の絶対量にほとんど依存していないこともまた自明だ。金貨が金庫にしまいこまれたとしよう。一般物価にとってはそれは金貨が消滅したのと同じだ。今度は商品がしまいこまれたとしよう。ここでも同様の効果が発生する。この場合では貨幣と商品は決して出会わないのでお互いに影響を与えることはない。コーンの価格に関して予測をしているとしよう。農家が種付けのために保存してあるものそして自身や家族を養うためのものはその予測の中に入ることはない。需要に対するその過剰だけがその価値を決定する」。
スミスはこのフローの貨幣理論を国富論で様々な場面に応用した。それが読者には断片的で「不十分」と映ったようだ。スミスを読んだ多くの読者が実際に彼の説明を理解するのに失敗している。例えばミンツは「スミスは貨幣の量が価格水準に対してまったく影響を与えないと仮定している」と述べている。ビッカースは「スミスの教条主義が貨幣の増加が物価に与える影響を理解することを妨げた」と断言している。
だがスミスのコメントを適切な文脈の下で読めば上で示したように彼が整合的な価格理論を展開していたことが分かる。
「国家に流入する金と銀の量が有効需要を超えた時政府にはそれの流出を妨げる術はない。ペルーやブラジルから継続して入ってくる金や銀の量が有効需要を超えると流入国でのそれら貴金属の価格は周辺国のそれを下回るようになる。逆に流入が有効需要以下であればそれらの価格は周辺国のものを上回るだろう。政府には流入を罰する手段がない」。
スミスの貨幣価値の供給と需要による説明も適切な文脈の下で明白になる。「アメリカの発見がヨーロッパを豊かにしたのは金や銀の流入によるのではない。アメリカの鉱床が豊かであったためそれら貴金属の価格が低下したためだ」。
(*ソーントン、リカード、ミルも同様の考えだったと説明した後で)古典派のフローの価格水準の理論はフィッシャーが交換方程式として定式化したものだ。フィッシャーは「恐らくリカードが価格水準を貨幣の量、循環の速度、取引の量で説明した最初の人だと思われる」と述べている。交換方程式では貨幣の量が増加すれば価格水準が上昇し貨幣の価値は低下する。だがピグーが指摘しているようにフローの観点もストックの観点も本質的には同じことを言っている。貨幣を保有しようとすることは支出を控えることでもある。更に貨幣が保蔵されると貨幣の回転率は低下する。従ってケンブリッジ方程式でもフィッシャーの交換方程式でも価格水準に同様の効果を与える。
ここでもマーシャルは2つの方法論の類似性を認識していた(*以下略)。
古典派の価格理論から我々はケンブリッジ方程式の自然対数の時間微分として容易に古典派のインフレの理論を得ることが出来る。同様に貨幣を保有する比率を貨幣乗数の増減率で実質所得の増減率を取引の増減率に置き換えるとフィッシャーの交換方程式からインフレ率を得ることが出来る。貨幣乗数が一定で貨幣供給の増加が取引の増加と一致すればインフレ率はゼロだ。ミルは以下のように説明する。
「取引の増加があったとして通貨の増加がその増加に単に比例的であれば価格が上昇する傾向はないだろう」。
古典派の時代ではインフレ率の長期的傾向はゼロだった。インフレ率が正であれば正貨が流出し国内価格が低下する。価格水準を低下させるような国内での生産の増加があれば商品の輸出は増加し正貨は流入し価格水準は上昇する。これがヒュームの正貨流出入機構だ。だが兌換紙幣の時代では貨幣供給の増加は産出や国内価格を自動的に調整することはない。そしてインフレが貨幣供給の超過から発生する。
これがリカードの銀行制限時代のインフレの説明の元になった。現代の正のインフレ率もそのような貨幣の超過供給によって説明できるだろう。産出が低下し続けるような状況では通貨供給率の低下によりゼロのインフレ率が生み出されるだろう。
Some modern variations
古典派の利子理論に近いものは現代ではロバートソンとフリードマンが挙げられる。ロバートソンはケインズの攻撃から貸出可能資本の理論を用いてマーシャルの理論を擁護した。
「利子率はマーシャルが呼ぶ所の「自由資本または流動資本」、他の人が呼ぶ所の「可処分資本」、現代の人が「貸出可能資本」または「投資可能資本」と呼ぶようになった何かを用いた際の市場価格だ。この価格は他の市場価格と同じように資本を持った人々が市場に参加したり離脱したりすることによる供給と需要の相互作用として表される」。
フリードマンは貨幣ではなく信用の供給と需要が利子率を決定するという考えを主張した。彼は「非常に高い貨幣量の増加をしている所」では利子率も高いことも指摘した。彼はそのような国の代表として1960年代、1970年代のアルゼンチン、ブラジル、チリを挙げる。
だが古典派の「資本」を貯蓄または銀行信用と解釈できなかったことにより多くの分析者が古典派の理論の優位性を認識できなかった。古典派の理論はフリードマンがケインズ派の貨幣または流動性選好理論の矛盾として正しくも記したように貨幣と信用の間の混乱を避ける事が出来る。だがロバートソンもフリードマンも貨幣の中に預金を含めてしまった。そのような定義では貨幣供給の増加特にM2の増加を利子率の決定要因と見做さないことが困難になる。M2の90%以上は大衆が銀行に預けた預金だ。
フリードマンは古典派の価格水準とインフレの理論の最も著名な提唱者だった。幾つかの国のデータとケンブリッジ方程式とフィッシャーの交換方程式を用いてフリードマンはインフレが貨幣の超過供給から生じていることを何度も説明している(*以下略)。
だがフリードマンが好んだM2のデータはいつでも説得的であった訳ではない。ほとんどの高所得国でM2の成長率の変化は特に低インフレの時にはインフレ率の変化と必ずしも整合的であった訳ではない。データは銀行部門のあまり発達していない途上国であればより説得的であった。さらに古典派の理論を試すにはフリードマンの言うように長く可変的なラグの存在が障害になる。貨幣量の変化に対する産出の反応にも古典派の強制貯蓄または現代でいう所の予期されない貨幣量の変化に対する産出の反応にもラグがある。それ故古典派の価格理論がすべての国に一貫して当てはまることを示せるかには弱冠の疑念も残る。だがコストプッシュ、デマンドプル、タイトな労働条件、為替の減価などの代替的な理論に対しては明確に優位性を持つ。
これら代替的な理論はケインズ派の枠組みと一緒に語られることが多い。まるでその枠組が正当でもあるかのように。明らかに産出、所得、貨幣供給の増加がなければすべての財とサービスに対する需要が増加するということはない。それ故総需要関数と呼ばれるものは総供給関数と独立ではない。さらに価格水準の変化が総需要関数のシフトによるということもない。だが産出を一定として価格は貨幣への超過需要の変動から上下するかもしれない。それは総需要関数がシフトしているのではなく古典派が説明しているように価格水準の変化を貨幣需要曲線のシフトとして示すことが出来るだろう。
5 Keynes’s misinterpretation of the classical theory of interest
古典派の利子理論が歪曲されるようになった最も大きな原因はケインズの古典派に対する攻撃だろう。資本または貯蓄の供給と需要の説明の代わりにケインズは彼が自身の最も大きな経済学に対する貢献と見做す流動性選好理論を提示した。彼は2つの根拠からこの結論に辿り着いた。第一に彼は古典派の「資本」が資本財を意味すると誤解した。第二に彼は貯蓄の意味を実質的に貨幣の保蔵に限定した。これはケインズが彼の批判者特にロバートソンからの流動性選好理論は単に新古典派の貸出可能資本の理論を述べ直したに過ぎないという批判を受け入れることを妨げた。貸出可能資本の理論は貯蓄を主たる資金の源としているがケインズの貯蓄が貨幣の保蔵を意味するという定義では逆に貯蓄が流動性に対する需要となってしまう。ケインズによると流動性を供給するのは貯蓄ではなく中央銀行となる。これに民間銀行が補助的な役割を果たす。ケインズは彼の同時代人を古典派の影響下にあると見做していた上にこれら2つの誤解をしていた。彼の同時代人であるホートレー、ハロッド、ピグー、オリーン、ロバートソン、ナイト、ヴィナーらもケインズのしていた誤解を直接正そうとしなかったため彼に誤りを気づかせることは出来なかった。
Keynes’s misreading of the classical theory of interest
ケインズは主にマーシャル、そしてその補助としてカッセル、ナイト、ピグーらから古典派を学習した。ケインズは古典派を以下のようにまとめている。
「古典派が利子率を投資の需要と貯蓄の意欲を均衡させる要素と考えていたことは明白だ。投資は投資可能財への需要を表し貯蓄はその供給を表わす。一方で利子率はその2つが均衡する投資可能財の「価格」だ。商品の価格が需要と供給が一致する点で固定されていなければならないようにその利子率での投資の量がその利子率での貯蓄の量と等しくなるように利子率は市場の圧力を受ける」。
投資可能財を資本に置き換えると古典派の利子理論となる。
実際ケインズが探した文献はマーシャルを含めて投資可能財ではなく資本としていたがケインズはそれを理解することが出来なかった。ケインズは自分のまとめが「マーシャルの原理(*マーシャルの書いた本のこと)の中には直接には書かれていなかった」と告白する。そして彼のまとめとマーシャルとの対比を示すためマーシャルの原理から以下の部分を引用する。「資本の利用に対して支払われる価格である利子はその利子率での資本の総需要がその利子率での資本の総額と等しくなるような均衡水準へと向かう傾向にある」。
ケインズはさらに彼の同時代人が古典派の資本の概念を用いて説明しているものをまとめている。例えばAlfred Fluxの経済学原理から「貯蓄と投資との間に自動的な調整が行われる。貯蓄は利子率がゼロ以上である限り投資を上回ることはないだろう」と引用している。またはTaussigから「貯蓄の供給曲線と需要曲線は資本の限界生産性の逓減を表し利子率は資本の限界生産性が貯蓄の限界収益率と一致する点で均衡する」とまとめている。ケインズはこの説明がナイトの1934のEconomicaの記事に似ていることを認識していた。「貯蓄が市場に流れ込んでくる速度と投資に流れこんでくる速度とが等しいような利子率が均衡では実現し同じ収益率を生み出す」。ケインズはさらにワルラスを以下のように解釈している(*以下略)。
第4章で説明したように貯蓄するためには消費を控えなければならない。それ故古典派は時々利子率の決定要因を節約から説明している。ケインズはカッセルがそのような説明をしているのを見つけ出し「投資は節約を必要とし貯蓄はその供給を可能にする。利子率はこの2つが等しくなるように働きかける価格だ」。同様にケインズはCarverが「利子率が節約の限界不効用と資本の限界生産性を等しくさせるように働きかける要素」だと明白に描いていると記している。それら2つの説明は正しく解釈されていれば古典派の「資本」の供給と需要の理論と整合的だ。
だが上記の引用からケインズは古典派の利子理論が資本財に対する供給と需要が均衡利子率を決定すると主張しているとの印象を持ってしまった。ケインズによる古典派の解釈は以下のようになる。
「誰かが貯蓄をする時には必ず利子率は自動的に低下しそしてこれが自動的に資本の量を増加させる。利子率の低下により増加する資本の量は最初の貯蓄の増加に等しい。そしてこれは金融当局の特別の介入を必要としない自律的な調整過程だ。同様に誰かが投資をする時にはこれが別の要因によって打ち消されるのでなければ自動的に利子率が上昇する」。
ケインズはそれから上記の自身が解釈した古典派の理論を「間違っている」と宣言した。これは彼の批判者特にピグー、ロバートソン、ヴィナー、ホートレー、ナイトなど古典派の資本を貸出可能な資金と理解している人間には奇妙に思われた。ケインズはハロッドに宛てた1935の9月10日の手紙の中で上記の引用を彼が誤解していることを完全に明白にしている。ケインズは「私が引用した何人もの古典派経済学者の文章の中でナンセンスでない部分が一つでもあるのであれば教えて欲しい」と書いた。ハロッドは1935の9月20日の返答でケインズに同意しなかった。「あなたがマーシャルから引用した長文の中にナンセンスなものがあるとは私には思えませんでした・・・。あなたが何を批判しているのか私には分かりません。マーシャルの説明は私にはほとんど自明な程明白であなたの批判には賛同することが出来ません」。だがハロッドを含むケインズの批判者は彼が資本の意味を誤解していることを正しく説明しなかった。
ケインズ自身も一般理論の第14章で資本の意味を誤解している明白な証拠を残している。マーシャルが「資本の利用に対して支払われる価格である利子はその利子率での資本の総需要がその利子率での資本の総額に等しくなるような均衡水準に向かう傾向がある」と説明しているのに対してケインズは以下のように書き記している。
「マーシャルは「貨幣」ではなく「資本」という用語を、「ローン」ではなく「ストック」という用語を用いていることに気付かされるだろう。だが利子は貨幣を借りることに対する支払いでこの文脈での「資本に対する需要」は「資本財の在庫を購入することを目的とした貨幣の貸出に対する需要」を意味するのでなければならない。だが供給された資本財の在庫と需要された資本財の在庫とを等しくさせるものは利子率ではなく資本財の価格でなくてはならない。利子率によって等しくなるのは貨幣の貸出に対する需要と供給だ」。
これはマーシャルが最初に利子率の関連で資本を貸出と貨幣とに関連付けているにも関わらず主張されている。
「例えば1年の借り入れに対する借り手の支払いは利子と呼ばれる。利子は資本のある割合として表現される。この時その資本は一般的な財のストックで構成されていると見做してはならない。ある特定の財すなわち貨幣のストックと見做さなければならない。よって100ポンドを4%で貸せばその利子は4ポンドになる」。
「2つのものの比率。その2つのものはどちらも貨幣だ。利子所得は資本から生じ利子率は特定の比率(4、5、10%)として表現される」。
(*中略)資本の需要側に対してマーシャルは「資本を用いることによって何らの利益も得られないのであれば資本の使用に対して支払いは行われないだろう」と説明する。そして「資本に対する需要は主にその有用性から生じる。例えば手作業でするよりも容易に羊毛を紡いで織ることを可能にしたり手おけで運ぶよりも楽に水を流すことを可能にしたりするものだ」。それらの道具は借りた資金すなわち資本によって購入されなければならない。道具それ自体は「資本財」でその費用はそれらの価格で利子率ではない。
マーシャルの説明を理解できずにケインズは批判を続ける。マーシャルは短期における需要の増加に対する資本の量の調整を以下のように説明する。
「世界全体をまたは大国全体を一つの資本の市場と考えれば資本の総供給が利子率の変化に応じて迅速に反応すると見做すことは出来ない。資本の一般的な供給源は労働の産物と節約だ。利子率の上昇はインセンティブとして働くが資本が供給されるには更なる労働と更なる節約が求められる。資本に対する需要の増加は一般的に時間が経つことによって満たされる。資本の総量が利子率の上昇によって増加するのはゆっくりで漸近的だ」。
この説明を利子率が上昇した時の資本の総供給曲線上の移動と理解するのではなくケインズは「何故資本財の供給価格の上昇によってではないのか?例えば資本に対する需要の増加は一般的に利子率の低下によると仮定せよ」と異議を唱える(*ケインズはマーシャルを馬鹿にしていたと言われている)。
ケインズはマーシャルの説明を資本の所に資本財を利子率の所に価格を挿入して言い直す。
「資本財の需要に対する外生的な需要の増加は供給の増加によってはすぐには満たすことが出来ない。資本財の供給価格の上昇が均衡での資本の限界効率を十分に押し上げるまで抑制されるだろう。一方で生産の要素は新しい条件の下で限界効率が最大の資本財を生産するのに用いられるだろう」。
「私がマーシャルの説明に困惑するのは貨幣経済に属する利子の概念が貨幣に関して論じていないはずの論説の中に侵入しているからだと思う。利子はマーシャルの原理の中にまったく登場する必要がない。それは他の所で語られるべきだ」。
他の所とはマーシャルの「貨幣の理論」だ。マーシャルの公式論文(金銀委員会での証言も含む)の編集者としてケインズはマーシャルが貨幣が利子率に与える影響を理解していたことを知っていた。
ケインズはマーシャルの「貨幣、信用、商業について」も知っていた。だがその文献の中でさえもマーシャルは資本を貯蓄または貸出可能資本の意味でそして利子率を貸し手に対する報酬として語っていた。
「厳密な意味での利子は貸出に対する報酬としての支払いだ。この世界の何処かの停滞した地域では消費のためや事業のために借り入れが行われることは滅多にない。そしてそのような地域での貸出可能資本は単に資本を喪失するリスク(*デフォルトのこと)に対する保険以上の利子を稼ぐことが出来ないだろう」。
さらに「利子は節約への商業的報酬として正当化出来る。何故なら報酬なしに貯蓄する人はほとんどいないからだ。これは報酬なしに働く人がほとんどいないのと同じだ」と議論する。実際、彼は利子が貯蓄または節約に対する報酬という議論を原理の中でも繰り返している。
ケインズはリカードを理解の拠り所としていた。それはリカードが「貨幣の利子率はイングランド銀行が貸し出す金利では決定されない。利潤率で決定される。そしてそれは貨幣の量または貨幣の価値とはまったく無関係だ」と議論しているのを見つけたからだ。リカードはここで貨幣供給と貨幣需要による利子率の決定理論を議論しているように見える。だが第4章で述べたようにリカードが議論しているのはその逆だ。イングランド銀行の貸出がその資本を超えた場合には「貸出は自身が発行した貨幣の価値のみを変えるだろう」。ケインズはこのリカードの説明を「後の経済学者によるものよりも明確でよい出発点になる」としている。ケインズの問題はリカードが「経済がいつでも完全雇用の状態にある」と仮定していたと考えたことにある。実際にはリカードはそのような仮定をしていなかった。
(*中略)ケインズは「だがこれが決定的な誤りが古典派の理論に忍び込んだ所だ」と宣言する。ケインズからすると古典派の理論は流動性選好に関して何も語っていないように見えた。だが古典派の資本の供給関数から家計の流動性選好が高まれば高まるほど貯蓄または資本の量が減少することが理解できる。その逆は逆だ。よって古典派の利子理論は貨幣に対する需要の変化の影響を組み込んでいる。
Keynes’s money (cash) theory of interest
ケインズにとって利子は「純粋に貨幣的現象」だ。それ故利子率は貨幣に対する供給と需要または彼が呼ぶ所の流動性で決定される。ケインズは様々な流動性の定義を与えたが彼の利子理論と最も整合的だったのは現金のものだ。銀行預金、CP、社債等の金融資産は車や住宅よりもより流動性が高い。だがケインズはそれらを流動性選好理論の中には含めなかった。ケインズによると流動性に対する需要は人々の保蔵性向に依存する。
ケインズはこれら2つの力すなわち流動性に対する供給と需要の相互作用が利子率の決定要因になると議論した。
「利子率は流動性(現金)を手放すことに対する報酬だ。利子率は人々が流動性を失うことを恐れるその程度を示したものだ。利子率は投資と貯蓄とが一致する価格ではない。現存する貨幣の量と現金の形態で資産を保有したいという欲望とが一致するような価格だ。利子率が低下すればすなわち現金を手放す報酬が減少すれば人々が保有したいと思う現金の量は現在の供給を超過するだろう。その逆は逆だ」。
「それ故中央銀行が大衆が現在の利子率で保有したいと思うより多くの流動性を供給すれば利子率は低下する。その逆は逆だ」。
ケインズはこの説明の有効性に自信を持っていた。利子が「借金」をした時に支払われるという社会的通念にも適合していたからだ。貨幣は単なる支払いの手段であって真に借りられているものは貸し手の所得であるという古典派の明確性はケインズの中では失われている。だから古典派の説明ではある期間の貸出の量は貨幣の量よりも多くなる。
「貨幣は持ち主が自身では用いる気のない資本を人から人へと渡すための手段だ。その資本は原理的には貨幣の量よりもはるかに多くなりうる。同じ一片の紙幣が事ある毎に貸出に繰り返して用いられるためだ」。
ケインズが自分の考えに自信を持った他の理由は資本に対する供給と需要は理論的に利子率ではなく資本財の価格を決定すべきと考えたからだ。ケインズの理解では資本に対する需要は購入した資本財が生み出すものに依存する。ケインズのいう資本の限界効率だ。そして彼にとって投資は資本財の購入だけを意味し金融資産(銀行債務、CP、債券、株式など)の購入を意味しなかった。それ故「投資需要」とは資本財の需要のみを意味した。これが「資本の増減は貯蓄の量ではなく投資の量に依存する」というケインズの主張の根底にある。
資本財がより生産に用いられるほどその利潤は少なくなる。最終財の価格が低下するのと資本財の需要が高まるためその費用(*資本財の価格)が上昇するからだ。ケインズが利子率を決定するのは貨幣に対する供給と需要で実際の投資の量または資本財の量は利子率と資本の限界効率との関数によって決まるというのはそのような考えに基づいてだ。従って資本の限界効率の変化は利子率には影響を与えずに投資率のみに影響を与える。そしてマーシャルのいう純限界効率または資本の限界効用がケインズの資本の限界効率と同じだと信じてケインズはマーシャルが混乱していたまたは循環論法に陥っていたと判断した。だが混乱していたのはケインズの方だ。
ケインズはマーシャルが「投資家は資本を報酬が最も多く得られそうだと思う所へ差し向ける」と言及しているのをマーシャルが混乱している証拠と受け取った。だがマーシャルが言及しているのは資本財や機械ではなく資金のことだ。マーシャルは以下のように話を進めている。
「利子率が4%であると仮定せよ。そして帽子の製造が100万ポンドを吸収した。これは帽子の製造が資本の使用に対して4%の利子を支払っても利益が出たことを意味する」。
資金だけが製造ラインから製造ラインへと吸収されることが出来る。だが一度資本財の購入に充てられると資金はそれら資本財の売却によってか減価償却引当によって開放されなければならない。
事実、マーシャルは原理の中で「資本の限界効率」について論じる際にvon Thünenが資本財を資本として扱っているのを十分注意せずに受け取ってしまったかもしれない。「資本の効率(*ここでは恐らく資本財のを意味する)は収益の基準となる。資本(*資本財)の使用が人間より安ければ企業家は労働者を何人か解雇するだろう。そしてその逆の場合ではその逆だろう」。だがマーシャルはすぐ隣りで資本の異なる意味について説明している。一つは労働者を雇用し資本財を購入するための資金で一つは労働者に取って代わる機械だ(*マーシャルの説明は省略)。
従ってマーシャルの資本の限界効率は投資収益率を意味している。そしてその収益率の変化が投資資金に対する需要の変化となり利子率を変化させる。
ケインズはさらに消費支出は現金を解き放ち貯蓄はその逆だと考えた。これが以下の主張の元になっている。
「利子率が貯蓄のリターンでないことは明白だ。誰かが貯蓄を現金で行えば彼は以前と同じく貯蓄をしているにも関わらず(すなわち債務を購入した時と同じく)利子を得ることが出来ない(*貨幣の利子率はゼロという意味で)。単なる利子率の定義からでも利子率がある期間流動性を手放すことへの報酬であることが分かる」(*ここでもケインズはひどい勘違いをしていることに注意)。
ケインズは後にこの議論を繰り返す。「投資は現金の不足によって妨げられるが貯蓄の不足によって妨げられることはない。これが私の考えの最も重要な根源となる部分だ」。そして投資をファイナンスするに際して「貯蓄は消費と比較して何の特別な役割も持たない」。
貯蓄が現金の保蔵と等しいと考えていたのでケインズに古典派を理解することは不可能だった。ケインズにとって貯蓄は単に「消費にまわす以上に稼いでしまった超過の所得」または「消費しないことを選ぶ負の行い」ですでに製造された財を売れずに残してしまうだけのものだと考えていた。ケインズによると貯蓄には現金の保蔵も含まれており投資家は現金によって投資財を購入するので貯蓄は投資にとっても有害だった。
「古典派の分析はシステムの独立変数を正しく分離出来なかったがために失敗した。貯蓄と投資はシステムの決定要因ではなく結果だ。それらはシステムの決定要因、すなわち消費性向、資本の限界効率、利子率(貨幣の供給と需要で決定される)の結果に過ぎない」。
Some ineffective criticisms of Keynes’s money theory
何人かのケインズの同時代人はケインズが古典派を拒絶したことを批判した。だがその批判もケインズに彼の誤解を理解させるには至らなかった。例えばヒックスは資本の意味をケインズが誤解していると認識するあと一歩まで迫った。彼は利子理論に関する論争で「資本をどのように解釈するかで大きな違いが生まれる」と記している。「資本」を「「実物資本」と解釈するか「貨幣資本」と解釈するか。この意見の分裂は深刻だ。一方が正しくもう一方が間違っている真の論争だ」。だがヒックスはその資本の意味が古典派の利子理論と関連しているのを理解することが出来ずにこの機会を逃してしまう(*ヒックスはほとんど古典派を読んだことがないと後の章で説明があるが省略している)。彼はケインズと彼の批判者との論争を「見掛けの論争」だとして簡単に片付けてしまう。彼は論争は2つのうち1つの方程式を取り除くことによって簡単に和解可能だと主張した。貨幣の供給と需要の式か貸出の供給と需要の式か。ヒックスは初めから貨幣率を扱っていることがケインズの強みだとしている。何故なら彼によると利子は「特に貨幣の問題」だからだ。
ロバートソンは資本が貯蓄または貸出可能資本を意味すると理解していてケインズが古典派の理論の「有効性を認めない」のは「些か奇妙だ」と考えていた。彼はケインズの誤解に向かい合う直前まで来ていた。(*以前のロバートソンの引用の繰り返しなので省略)だが彼が明快に説明してもケインズを説得するには至らなかった。むしろケインズはロバートソンが(その他の新古典派と一緒になって)2つの非整合的な理論の間に橋を掛けようと試みているという考えを保持するに至った。すなわち古典派の資本財の供給と需要の理論と新古典派の貸出可能資本の供給と需要の理論だ。以下のようにケインズは新古典派を古典派から遠ざける。
「もし読者に私がホートレー氏とロバートソン氏を古典派の経済学者だと見做している!と思わせたとしたら謝らなければならない。その逆に彼らは私よりも先に古典派から離れた。私はホートレー氏を私の祖父、ロバートソン氏を私の父だと思っている。そして私は彼らから多大な影響を受けた」。
ケインズが保蔵を貯蓄に含めていることに関して真剣な論争もなかった。例えばミルは以下のように説明している。
「貯蓄という用語は貯蓄されたものが消費されていないことを意味するのでもなくまた消費が先送りされていることを必ずしも意味するのでもない。そうではなく仮に今すぐ消費されるとすれば消費するのはそれを貯蓄した人ではないということを意味するに過ぎない。もし単に将来のために取っておくだけであればそれは保蔵と呼ばれる。そして保蔵されている間はまったく消費されない。だがもし資本として用いられればそれはすべて消費される」。
マーシャルは将来のために取っておかれる貨幣を投資の代替と記述したためDalzielなどの分析家はマーシャルが保蔵を貯蓄に含めているものと見做した。だが注意深く読めば彼が所得を3つの部門に分割していることが分かる。消費、投資、保蔵だ。
「分別のある人間は彼の収入を人生に渡って等分することにより人生のすべての段階で同じだけの収入から同じだけの満足を得られるだろう。そして人生のいずれかの時点で収入が途絶える危険があると彼が考えたならば彼は恐らく収入の幾らかを将来のために取っておくだろう。もし彼が投資の方法を知らなければ彼はギニーを貯め込んだ祖先の例に従うだろう」。
または「人間の本質がそうであるように我々は利子を現在を犠牲にして将来のために備えた報酬として正当化出来る。何故なら報酬なしに多額の貯蓄を行う人はほとんどいないだろうから」。現金を保蔵することでは誰も報酬を得られない。そしてマーシャルが保蔵に関して語る時は彼はその用語を用いる。所得を3つに分割して考えなければ我々は古典派が消費の限界効用、利子所得、現金の保蔵と別々に分析していることを見落とすだろう。
(*中略)だがケインズが保蔵を貯蓄に含めていたことは批判者全員が同意していた。ピグーは「貯蓄は保蔵の形態を取りうる」と記す。ピグーの唯一の批判はケインズが貯蓄がすべて保蔵だというのは言い過ぎだという点だけだ。貯蓄の大部分は「住宅や車を購入したり証券に投資されたりしている」と記す。Jacob Vinerはそれをケインズの議論の「致命的な誤り」と見做し保蔵が「異常なまでに過大評価されている」としたが保蔵を貯蓄に含めることを直接には否定しなかった。Vinerはケインズの意見を是認したように思われる。Ohlinは貯蓄または信用の利子理論とケインズの理論との対比を鮮やかに示した。だが彼もまた貯蓄と保蔵を明確には区別しなかった。
ホートレーは古典派の資本の意味を正しく理解し用いていた。だが古典派の理論をケインズの新しい定義と整合的に説明しようとしたためケインズの誤りを明確に示すことに失敗してしまう。例えば「貯蓄には遊休残高と能動的投資という2つの使用法がある」として「能動的投資から遊休残高へと貯蓄を移す行為は流動性選好の現われだ」と議論している。それでもホートレーは古典派の枠組みに残っており「遊休残高に加わった貯蓄が投資市場からの流入であった場合これは資本の支出を制約し長期の利子率を上昇させるだろう。結果として減少した活動残高に消費者の所得が調整されるまでデフレが続くだろう」と指摘する。
ホートレーはここで金融資産を代償とした貨幣残高の需要の増加は利子率を上昇させ価格水準を低下させるという第4章で説明した古典派の命題を言い直している。ホートレーは古典派の説明に沿って価格水準の効果も強調している。ケインズは貨幣数量説を拒絶していたのでこの試みも失敗に終わる。
一般理論の批評の中でナイトはケインズの投資と貯蓄の定義が役に立たずケインズの利子理論に根本的な欠陥があるのを見つけた。ナイトはケインズの不整合性を以下のように強調する。
「資本の市場で貯蓄が利子率に何の影響も与えない。人は借入から資本を手にすることが出来る。だが貸出市場で提示された資金と貯蓄の間には何らの関係もない。それはまるで貯蓄されたお金と貸し借りされたお金とはまったく異なるものであるかのようだ。そして前者は銀行に貯金されたとしてもその銀行内で未だにまったく異なる扱いをされているという。このような理論は真剣に受け取ることは出来ない」。
ナイトの発言はケインズとケインズの理論を受け入れた経済学の教授たちにはわずかな影響しか与えなかった。それは彼らがケインズの古典派の理論の歪曲に直接向き合わなかったからだ。ケインズの貯蓄が保蔵であるという定義はナイトがよく理解していたように貸出市場から貯蓄資金を隔離してしまう。だがナイト自身もケインズの定義を受け入れていたように見える所がある。ナイトは古典派の利子理論を扱っている時に貯蓄を保蔵と記述するのは誤りだと指摘することが出来たはずだ。
ロバートソンも保蔵を貯蓄に含めていたため同じく失敗に終わった。ロバートソンは「もし誰かが8ポンドを消費財に支出し2ポンドを残したとしたらそれは貯蓄であると同時に保蔵でもある」と記している。または「大衆が貨幣残高に加える形で貯蓄をすることを決断したと仮定せよ」または「貯蓄が貨幣残高ではなく証券の購入の形を取ったと仮定せよ」と述べている。
ハロッドもケインズの古典派への攻撃に対する批判を一貫して繰り広げていた。だがそれは彼がケインズの歪曲を認識していたからではない。むしろケインズが古典派の理論をより明確な用語で言い直しただけであり何一つ新しいことは言っていないということをケインズに認識させたかったからだ。「私の判断する所ではケインズ氏は経済学に革命を起こしたのではなく再調整を行い強調点を移したのだと思われる」。それ故ハロッドは事ある毎にケインズの古典派に対する批判は「混乱している、小さな小競り合い、神経質な、的外れな、疑わしい、小事にこだわる、身の毛のよだつような」ものだと書いている。ハロッドはケインズが彼のマーシャルに対する批判を立証できていないと考えていた(*以下略)。
Conclusion
ケインズはハロッドに「古典派の理論は全部捨て去られるべきだ。如何なる形においても再建することは出来ない」また「古典派の理論は如何なる仮定をおいても価値がない」と宣言している。それらはケインズの混乱と曲解から生じている。古典派の理論は正しく解釈すれば大きな価値を持つ。むしろケインズの理論の方が誤っており現代経済学から捨て去られるべきだ。
6 The Austrians, “capital,” and the classical theory of interest
Introduction
ケインズが認識を誤った原因の一部にはオーストリア学派から影響を受けたことが考えられる。オーストリア学派の古典派の利子理論への批判はバヴェルクから始まった。オーストリア学派は古典派の利子理論が利子を資本財の生産性と結びつけているために無効だと見做した。正しい理論は現在の消費財が将来の消費財と交換される時の比率すなわち時間選好度の反映だという(*以下略)。
ハイエクはオーストリア学派の資本理論に関してナイトと何度も論争した。ケインズはオーストリア学派の主張よりもナイトの反論に感銘を受けた。それ故ケインズはナイトのハイエクに対する返答に「資本の本質に関して多くの興味深く深みのある洞察が」含まれていると考えた。
ハイエクとナイトの論争はケインズに誤った印象を与えた。第一は資本が資本財を意味すると思わせたこと、第二はケインズの流動性選好理論が経済学に対する真の貢献だと思わせたこと。何故なら対立する理論が貨幣に関して何らの説明も与えていないと考えたからだ。ケインズ以外にもオーストリア学派の古典派利子理論への批判はフィッシャーにも影響を与えた。
古典派とオーストリア学派との長きに渡る論争が資本という単語の意味に起因しているということは信じられないことのように思える。さらに後の経済史家たちも定義の側面の重要性を見逃してきた。実際ヒックスは定義を混同していた。だが私がオリジナルの文書から大量に引用して示したようにそれが事実だ。
“Capital” in the classical theory of interest and production
オーストリア学派の曲解を示すためにここで再び古典派の資本の定義を確認する。古典派は資本を利子や利潤を稼ぐのに費やした所得の非消費部分と定義した。それ故資金だ。資本の源は貯蓄でその供給はSc=γ-C-ΔHh=ΔFAでγは所得、Cは消費、ΔHhは家計による貨幣残高の増分(*この部分が流動性選好にあたる)、ΔFAは購入された金融資産だ。貸出、債券の購入、金融資産の購入に用いられた部分は利子率を直接決定する。利潤または配当を稼ぐために用いられた部分は間接的に利子率に影響を与える。
(*中略)スミスと他の古典派がストックという用語を貸出可能資本すなわちフロー変数の意味で用いていることにも注意する必要がある。
(*他の古典派の経済学者もスミスと同様の定義を用いていたという説明の後で)貸出は貨幣(現金)の形態でも行われる。古典派は時々利子を貨幣を貸し出した報酬として語ることがある。だが古典派は貨幣は単なる媒体で貸出の実体と混同してはならないと何度も釘を刺している。
Some legacies of the Austrian capital controversy
オーストリア学派の曲解の影響はケインズに留まらない。現代のマクロ経済学はすべて資本財の定義を受け入れている。ヒックスも古典派経済学の妥当性を理解できなかった。彼は「利子率を決定するものは何か?」と尋ね「ほんの最近まで経済学者は満場一致で資本の需要と供給だと答えただろう。だがそれ以降経済学者は資本が何を意味するのか確信が持てなくなったため経済学者の同意は見掛けだけのものになってしまった」と記している。彼は「実物資本」をバヴェルクの意味で「貨幣資本」を貸出可能資本の意味で用いた。それにも関わらず彼はケインズの利子の貨幣理論を擁護する。彼は利子率が「生産要素の価格」であるかどうかも判断することが出来なかった。だが利子率が資本の費用であることは明白だ。
あるオーストリア学派の経済学者との最近の意見交換でもこの混同は見られた。参加者の一人はオーストリア学派の考えを最後に以下のようにまとめた。
「利子は資本の利潤ではない。資本は(不均衡では)利益を稼ぐ。利子は如何なる生産要素の利潤でもない。利子は時間選好の表れだ。利子を資本の利潤と考えることは人々を誤った方向へと導く。利子は資本が存在しなくても存在する」。
ここでの資本を資本財と解釈すればこの説明も少しは意味が分かるかもしれない。
もちろんこのような主張をしているのはオーストリア学派だけではない。Hirshleifer and Glazerも「利子は資本と呼ばれる生産要素の利潤ではない」と記している。それなのに第14章で彼らは金融資産の利回りは貯蓄の利潤または“capitals”の利潤だと記している。
その他のオーストリア学派の影響は古典派の経済学者は資本財の同一性すなわち同一な資本財の存在を信じていたと皆に思わせたことだ(*ケンブリッジ資本論争のこと。資本は同一ではないので単一の生産関数は存在しないという謎の論争)。ハイエクはこの件に関して完全に責任があるわけではないのかもしれないが彼の説明が大きな影響を与えたことは事実だ。
最後にオーストリア学派も古典派の経済学者も中央銀行の信用創造への制限を景気循環と失業への処方箋としている。例えばマーシャルは以下のように議論している。
「失業の唯一の有効な処方箋は信用が安定的な土台に基いて形成されるようにすることだ。そうすれば信用の膨張(不況の主な原因)は抑えられるかもしれない」。
7 Wicksell on the classical theories of money, credit, interest, and the price level
Introduction
多くの分析家がヴィクセルを古典派経済学を発展させ「累積過程」と呼ばれる理論を誕生させたとして称賛している。累積過程とは市場利子率と自然利子率の差が価格水準を変動させるという理論だ。この評価は部分的にヴィクセル自身が古典派の説明と現実との間に溝を発見したと主張したことからも生じている。この溝を埋めるためヴィクセルは銀行信用に基づくインフレの理論を提示した。価格水準は市場利子率が自然利子率を下回った時に上昇し市場利子率が自然利子率を上回った時に低下する。彼の貨幣論者としての評価はケインズがヴィクセルからの影響を認めたことからも生じている。
だがこの評価は彼が古典派が価値理論を価格水準と利子率へ応用していることを無視しているから生じた。実際彼のものとされている累積過程の議論は古典派の貨幣分析の中に既に含まれている。ヴィクセルの分析と古典派の分析を対比させる試みがほとんどないためにこの事実が認識されていない。パティンキンは古典派の経済学者とマーシャルが累積過程の先駆であることを確認している。そしてハンフリーはソーントン、リカード、ジョプリンの先駆性を確認している。ロビンスはヴィクセルが良くて累積過程を古典派から「再発見」したに過ぎないと記した。だがマーシャルが既にその古典派の分析を行っていたのでロビンスの評価はむしろ寛大かもしれない。
古典派を正しく理解するには信用から貨幣を、資本と資本財から信用を注意深く区別する必要がある。ヴィクセルがこの区別に失敗したのは古典派の分析とヴァベルクの理論を融合しようと無駄な努力を行ったことが原因かもしれない。そうだとしてもヴィクセル自身も古典派を誤って解釈していたことを示す証拠がある。
Wicksell’s reactions to the classical theories
(*中略)ヴィクセルはトゥックによる貨幣数量説への批判にも同情的だった。特に貨幣数量説は名目利子率が価格の上昇とともに上昇し価格の低下とともに低下するという観察事実を説明できないという部分だ。価格は貨幣量の増加とともに上昇し貨幣量の減少とともに低下すると考えられている。利子率の動きと貨幣量の動きとは本来逆向きなはずのためここで起きていることは数量説の説明とは矛盾して見える。従ってヴィクセルは貨幣数量説が間違っていると考えた。実際、トゥックの「商品の価格は銀行紙幣などによって示される貨幣の量には依存していない。その逆に貨幣の量こそが価格の結果なのだ」という宣言を受けてヴィクセルは「その中には多くの真実が含まれている」と応じている。
上記の観点からヴィクセルは貨幣数量説に欠けている要素を見つけたと信じた。彼の理論を構築するに際してバヴェルクが自然利子率の説明として資本と利子を理論化していることに辿り着いた。今やバヴェルクの理論は資本財の生産性が利子の源であることを説明している理論ということになった。第6章で説明したようにこれは誤りだ。バヴェルクに従ってヴィクセルは自然利子率は資本財の貸し借りが貨幣の仲介なしに行われる架空の想定のもとでの利子率として決定されると考えるに至った。
さらにヴィクセルにとっては資本家は資本を供給する貯蓄家ではなく消費財の売買業者だった。
「資本は貨幣の形態で貸し出されると言われる。だがこれは比喩であり容易に誤解に結びつくため不注意だ。我々が今考慮している流動資本、言い換えると財は決して貸し出されることはないし借り入れによって手にすることも出来ない。それらは単に売買される」。
「単純化のため消費財の現在の持ち主が資本家と仮定されるだろう。彼らは支払いを例えば1年先送り出来る立場にある」。
「企業家はそれら消費財を資本家から現物で借りそれらを賃金や賃料として現物で支払うことは理論上は考えられる」。
さらにヴィクセルの分析では銀行は貸出を行うために貯蓄に依存もしていなければ制限されてもいない。
それ故彼は市場利子率が資本の供給と需要によって決定されるという考えを否定した。彼は「我々は利子率が資本の供給と需要によって如何に決定されるのかを説明するにまったく至っていない。むしろ利子率の決定は完全に銀行の裁量下にあるように思われる」と述べている。
ヴィクセルの体系では銀行に単なる貸し手と借り手の仲介以上の役割が与えられていた。利子率を自然利子率以下に設定することにより銀行はほぼ無限に価格上昇の累積過程を開始することが出来る。さらに「その逆で利子率を自然利子率のほんのわずかでも上に設定すれば価格は際限なく低下していくだろう」。さらにその過程は必ずしも中央銀行による新規の貨幣投入、貨幣吸収または大衆の貨幣保蔵の増減によって開始されるのではない。ヴィクセルによると銀行は望むだけの貨幣を供給する無制限の力を持つ。
もちろんヴィクセルは銀行だけが市場利子率と自然利子率の乖離の原因だと考えていたのではない。「その他の要素が独立に自然利子率自体の変動の要因となる」。自然利子率自体は「生産の効率、利用可能な固定資本の量、流動資本の量、労働と土地の供給などに依存する」。
ヴィクセルの体系では市場利子率と自然利子率の乖離は貨幣が交換の媒介として用いられていなくても起こる。その議論は交換の媒介がなければ価格水準自体が無意味になることを無視している。相対価格は得ることが出来るが絶対価格を得ることは出来ない。銀行紙幣や小切手はある一定の量の貨幣を引き落とすことが出来る権利だ。従ってヴィクセルがいうように抽象的な計量の基準があるとしてもそれは特定の商品を基準として定義されなければならない。
その他にヴィクセルが古典派から乖離したことがある。価格水準を上昇させるのは商品の超過需要だが貨幣の価値自体を低下させるのは貨幣の超過供給ではないというのが彼の主張だ。
「貨幣の量が一般価格を決定すると仮定してはならない。商品の交換を支配する法(供給と需要)は貨幣価格の絶対水準(貨幣自体の価格)に関しては何らの意味も持たない」。
価格水準の上昇は総供給に対する総需要の増加が原因という考えを追求するため彼は総供給と総需要を2つの部門に分割することを思いついた。消費財の供給と資本財の供給、支出にまわる所得と貯蓄された所得だ。これら4つの相互作用に関する研究により古典派の数量説よりも深い洞察を得ることが出来ると彼に思わせた。
ヴィクセルは価格水準決定の過程を利子率と結びつけた。
「割引率の低下は(それが長期の利子率に影響を与えるほど長期に渡れば)取引と生産を刺激しなければならない。そしてすべての価格が上昇するような方向へ供給と需要の関係を変化させるだろう」。
「ある商品の価格の上昇と低下はその商品の供給と需要の均衡が撹乱されていることによる。その撹乱が実際に起こったものか単なる見込みなのかには関わりがない。個々の商品で真であったことはすべての商品全体に関しても言える。商品価格全般の上昇は何らかの理由により全般的に需要が供給を上回るまたはその期待がある場合に発生する」。
産出に対する供給と需要から価格水準を説明することの問題は所得が生産から得られるという事実を無視していることにある。従って支出はすべての価格を押し上げることは出来ない。消費者の選好の変化の結果としてある商品の価格が上昇したとしてもその他の商品の価格は低下しなければならない。支払いの手段(貨幣)が産出に対して増加した時または貨幣需要自体が減少した時のみすべての価格が上昇するだろう。
貨幣の超過供給または超過需要の議論はセイ法則とも整合的だ。セイ法則にヴィクセルは賛同しなかったため彼は正当化の出来ないインフレのコストプッシュ理論を論ずるようになった。
「賃金の上昇は価格の上昇に先行する。それが直接の原因であるかのように。実際時間が経ってみれば投機的な売買などによる偶然の変化ではなく賃金の上昇から価格の上昇という順序が最も起こり得る順序であると見做されるだろう」。
ヴィクセルは「価格水準の低下は過去の賃金の低下の影響」と逆向きにも論じる。だが賃金の上昇、低下は利潤に影響したり賃金以外の所得部分に影響を与える。そして貨幣供給が貨幣需要または産出に対して変化しない限り価格水準は変化しないだろう。
Summarizing the classical theories Wicksell disputes
(*中略)リカードは原理(*リカードの書いた本)で中央銀行が恒久的に市場利子率または自然利子率を低下させることが出来るということを否定している。
「商品の真の価値はそれを製造する生産者が直面する困難によって規制される。それはイングランド銀行が貸し出す金利によってではなく資本を用いることにより生じる利潤率によって規制される。そしてそれは貨幣の量または貨幣の価値とはほとんど無関係だ。銀行が100万、1000万、1億貸し出そうとも市場利子率を恒久的に変更させることは出来ない。銀行に出来るのは自身が発行した貨幣の価値を変えることぐらいだ。もし銀行が市場利子率以下の金利を課したならば皆が銀行から借りたがるだろう。もし市場利子率以上の金利を課したならばほとんど誰も銀行から借りないだろう」。
「市場率」を資本の供給と需要すなわち「自然率」と解釈すればヴィクセルの累積過程に対する明白な先駆を見ることが出来る。実際ヴィクセルはリカードの説明を認めている。だが「銀行は低い利子率を維持することが出来る」として恒久的な価格の上昇を起こすことが出来ると議論した。
同様にマーシャルも「累積的」という用語を用いて価格の反応を説明する(*以下略)。
Summary and conclusions
古典派の歴史的先駆性とヴィクセルが古典派を誤って解釈していたことを考えると彼が経済学を大きく進展させたという評価には値しない。我々は彼が「経済学者の中でも真の経済学者」と高く称賛されていることを正当化することは難しいことをここまで見てきた。ケインズや現代の経済学者がマーシャルや古典派ではなくヴィクセルの貢献を褒めちぎっているのは今もって残っているパズルだ。資本の概念の不明瞭さがそれに大きく貢献したように思われる。
8 Fisher, the classics, and modern macroeconomics
フィッシャーの経済学の幾つかの側面は古典派と似ているように見える。特に彼の交換方程式と名目利子率を物価変動で調整した実質利子率の概念などがそうだ。フィッシャーのフリードマンに与えた影響もそれに一役買っている。だが古典派の議論の幾つかが現代の経済学から失われているのは彼の議論が元になっている。それらにはオーストリア学派の影響を受けた利子の時間選好理論、バヴェルクの影響を受けた資本を資本財とする定義、古典派とは違う彼独自のストックの定義、利子を所得の一種と見做すことの否定、銀行預金を貯蓄に含める定義などがある。
Fisher’s monetary analysis
フィッシャーの古典派との主な違いは彼の貨幣の定義にある。彼は貨幣を「他の財との交換の際に受容される財」と定義した。これにより貨幣の量と銀行預金の量が価格水準に影響するとされた。
フィッシャーの説明はもちろんケンブリッジ方程式によるものとは異なる。彼はフロー版の貨幣数量説をPV=MTの形に定式化した。
だが決済性預金の使用の増加を貨幣需要の低下従って貨幣乗数の上昇から価格水準の上昇と解釈せずにフィッシャーは銀行預金自体に乗数を割り当て交換方程式をMV+M'V'=PTと拡張した。M'は銀行預金でV'はその乗数だ。彼はこの定式化を用いて銀行制度が必然的にインフレをもたらすと主張した。インフレの要因として銀行預金を扱うことにより彼は預金の正の影響を無視した。彼は銀行制度が取引を促進することを渋々認めたもののそして「その範囲で価格水準を低下させる傾向がある」ものの「価格上昇効果の方が価格低下効果よりもはるかに弊害が大きい」と主張した。
銀行が貸出を行うのに預金が必要であることを彼は認識していたが価格上昇効果が部分的にしか打ち消されないとして価格低下効果の方を低く扱った。それ故彼の信用膨張理論で彼は預金の増加は価格を上昇させ事業を拡大させるためにより信用を求める人の利益を増加させそれが価格をさらに上昇させると議論した。彼は「価格の上昇はさらなる価格の上昇を生み企業家の利益が通常より高い間はその過程が続く」と結論した。この議論で銀行は新規の貸出を行うために新たな預金を必要とすることをフィッシャーは理解していない。
フィッシャーの銀行への非難はスミスとは対照的だ。貸出の拡大は成長にとってむしろ有益でインフレ的ではない。
彼は不況と失業、そしてインフレを防ぐ手段として銀行の信用創造の制限を提唱した。
このような観点からフィッシャーはさらに悪い提言をした。大恐慌が発生した後にインフレとデフレを防ぐ手段として「決済性預金の預金準備率を10%から100%に引き上げる」ことをだ。この提言により銀行は単なる預金の保管者となり金融仲介機能を失うことになるだろう。開発経済学者は銀行による金融仲介機能が資本の形成と経済成長に重要であることを認識してきた。今ではロスバードのようなオーストリア学派の中でもごくわずかの者しかフィッシャーの提言に耳を貸しているものはいない。単に資本に対する課税でしかないという認識からカナダやイギリスなど幾つかの国では法定準備そのものを廃止している(*法定準備率が10%だとすると本来貸し出されるはずだったこの10%の資本は得られるはずの利子を得られないので資本に課税をしているのと本質的に変わりがないということだと思われる)。
Fisher and modern macroeconomics
もちろん貨幣の定義に関する論争はフィッシャーの仕事より前からある。だが彼が決済性銀行預金を貨幣に含めたことで貨幣の支払い能力としての機能が過度に強調されてしまった。彼の仕事はケインズが決済性預金以外のその他の銀行預金も貨幣の定義に含める提案の元ともなった。ケインズは決済性預金を含めたことを「フィッシャー教授の天才性」と褒めたが当座貸越を含めなかったことは非難した。
第3章で説明したように現代の定義は多くの混乱をもたらしている。現代の定義は金融政策の手段にとっても何を目標とするのか、中央銀行自身の負債か大衆の預金かの問題を提示している。
フィッシャーの貨幣の定義には不整合性がある。銀行預金は消費にまわらなかった所得または貯蓄だ。銀行の金融仲介は従って貸し手と借り手を結びつける。そのような過程はインフレ的と見做されるべきではない。むしろ銀行による金融仲介は生産と経済成長を促進させる。ハイ・パワード・マネーの増加がなければむしろ価格水準を低下させるはずだ。金融政策の適切な手段に関する議論はこの事実を明確に認識することが助けになるだろう。
9 The classical theory of growth and Keynes’s paradox of thrift
ケインズの最も大きな古典派の歪曲の一つが経済成長の理論だ。貯蓄の正の役割にかえてケインズは節約のパラドックスを説く。この部分に関しては現代の経済学はケインズから離れて古典派へと既に回帰しようとしている。だがこの回帰が起こる前は消費が成長の源として強調されていた。ハロッド・ドーマーやソローモデルはその当時では多くの生徒が習うわけではない特別な話題だった。開発経済学はケインズ経済学全盛の時でさえ貯蓄の重要性を説くという変わった立場を取っていた。マクロ経済学で貯蓄の有害さを教えられる生徒が開発途上国の発展では有益と教えられる奇妙な状況は開発経済学が主流から外れていると考えられていたからかまたは開発途上国の問題は特殊だと考えられたため続いたのだろう。貯蓄が有害だという考えがしつこく残ったのはケインズ経済学の用語がマクロ経済学者たちによって用いられたためかもしれない。フリードマンやルーカスでさえケインズ派の用語を変えようとか成長に対して貯蓄が有害などという考えを変えようとかは考えなかった。この章では古典派の成長理論を再定式化しケインズの歪曲を説明する。
Keynes’s paradox of thrift proposition
古典派の成長理論に代えてケインズは消費を強調する。彼は「産出と雇用の水準は生産能力や以前の所得水準に依存しているのではなく現在と将来の消費の見通しに依存している」と宣言する。ケインズの考えでは成長をもたらすのは利子率の水準を低下させる中央銀行の貨幣拡張だ(*流動性選好理論を信じていたため)。ケインズは貨幣論の中で「現在の最大の悪徳そして近い将来において成長の最大の障害となるのは中央銀行が利子率の低下を十分に許容しないことだ」と議論している(*奇妙な人々がこのような部分を引用して自分達の主張が正当化出来るまたはケインズは○○派だったと勘違いしていることは言うまでもない)。
ケインズによると貯蓄の増加は需要を押し下げ価格を下落させ損失と失業を生み出す。ケインズは「資本の成長は低い消費性向(高い貯蓄性向)にはまったく関係なくその逆にそれにより阻害される。そして完全雇用の状態のみにそれが助けとなる」。彼は貨幣論でも同様の指摘を繰り返している。例えば「資本の増減は投資の量に依存しているが貯蓄の量にではない」。さらに「国家の富を増加させるのはそして長期において自然の利子率を低下させることが出来るのは投資だ」。ケインズの議論は彼が投資を資本財の購入とだけ考えていることから生じている。資本財の購入は所得を生み出しそしてむしろそこから受動的に貯蓄へと流れこんでいく。
実際、ケインズは貯蓄に何らの正の役割も見出していない。例えば貯蓄を「所得の余計な部分」または「支出を控える負の行い」としている。彼は消費にまわらなかった所得(貨幣の形で保蔵)と金融資産に投資されたものとの区別を付けない。それ故彼は貯蓄を支出の循環の中から外れた所得の一部分と見做し総需要を低下させると考えていた。
さらにケインズによると現在の貯蓄は将来の消費として戻ってくることはない。そうでないと考えることは「現在節約するという判断と将来の消費のためになるという判断との間に結びつきがある」という誤った仮定をすることになる。
「例えば今日夕食を取らないという判断をしたとする。それは今日以降に夕食を取るまたは靴を購入するまたはある物がある時に消費されるということを必ずしも意味しない。それ故夕食を取らないという判断は将来の生産を刺激することなく今日の生産を抑制する。それは将来の消費と現在の消費との代替ではない。純粋な需要の低下だ」。
貯蓄は消費財に対する需要を減少させるので貯蓄の増加は生産と雇用を減少させる。貯蓄家が後に何かを買う旨を前もって生産者に知らせておくでもしない限り生産は影響を受けるだろうとケインズは議論する。彼が古典派の貯蓄の定義を理解していないのは明白だ(*古典派の定義では貯蓄とは金融資産の購入も含まれるので貯蓄をした時点で金融資産の購入としてすでに「消費」されている。ケインズの影響を受けている現在の経済学では貯蓄と投資は必ずしも一致するものではないと教えているが古典派の定義では必ずI=Sとなる。貨幣の純粋な保蔵(文字通り手元に現金の形で保蔵して本当に何にも用いないこと。そして「流動性選好」が高まると貨幣の保蔵が増加すると古典派は説明している)はこの例外と古典派では教えている)。
ケインズは投資と貯蓄が生産に占める比率は等しいと議論しているがその関係は単に恒等式によるものだとしている。例えば「集計量では貯蓄と投資は解離することが出来ない」何故なら「全体の産出は消費者か企業家のどちらかに必ず売却される」からだ。ここには家計による貯蓄が企業家の投資資金になるという関係性はない。その逆にケインズは今では有名な投資から貯蓄への関係性を説いている。
Recognizing Keynes’s confusion
ケインズが貯蓄を現金の保蔵と誤解したと考えれば彼が何故古典派を曲解したのか理解するのは簡単だ。貨幣論の中で彼はバナナ経済を例に挙げている。節約キャンペーンによりバナナの需要は減少し価格水準は低下し牧場主は損失を出し従業員は解雇される。ケインズが貯蓄を貸し手から借り手への購買力の移転と考えていれば貯蓄がバナナの総需要を減少させないことを認識することが出来ただろう。借り手のある者は借りた資金をバナナの購入に充てるだろう。残りの者はバナナクリームパイのように製品に加工するためにバナナを購入するだろう。
(*中略)古典派とマーシャルは現金の保蔵を貯蓄と考えていなかったことを思い出して欲しい。ケインズの古典派への批判はそれですべて無効化される。さらに貨幣需要の増加が貯蓄の供給を増加させ利子率を上昇させるのは短期の現象だ。貨幣需要の増加後の価格水準の低下は信用の需要を減少させ均衡利子率を低下させるだろう。ケインズが貯蓄を保蔵と曲解したと考えれば何故彼が貯蓄は単に支出の異なる形態であるというマーシャルの説明を拒絶したのかが理解できる。
また彼がリカードではなく何故マルサスに賛同したのかもこれで理解できる。ケインズは何故リカードがマルサスを説得するのに成功したのか不思議で仕方がなかった。ケインズにとっては「リカード派の完全勝利は奇妙で謎」に見えた。彼はリカードが「生産物は必ず生産物によって購入される。貨幣は単なる交換の媒体に過ぎない。従って生産の増加があればそこには必ず対応する所得の増加がある。そこには過剰生産の可能性はない」のように議論するのをまったく理解できないでいた。ケインズはリカードではなくマルサス、マルクス、ゲセル、ホブソン、A.F.Mummeryらが議論に勝利すべきだと考えていた。ケインズが考えるリカードの原則とは「供給が自身の需要を生み出す」だったからだ。
マルサスが貯蓄の過剰を心配する一方で貯蓄の必要性を認識していたのに対してケインズは所謂過小消費論者たちが古典派に譲歩しすぎていると感じていた。特に貯蓄の増加が利子率を低下させるということを認めたことに対してだ。ホブソンらが「利子が貨幣の使用に対する支払い以外の何物でもないということを認識していた」とケインズは記した。彼はホブソンらが「特に独立の利子理論を完成させるのに失敗した」と考えた。彼はホブソンらが貨幣の供給と需要の観点から利子理論を構築すべきと考えていた。それは重商主義の教義でケインズが自身のマクロ経済学への大きな貢献と見做していたものだ(*以下少し略)。
(*中略)Colander and Gamber (2002:116)も「節約の誤謬とは短期において貯蓄の増加が産出を減少させることを意味する」そして「短期では貯蓄の増加が産出を減少させるが長期では貯蓄の増加は産出を増加させる」と混乱した主張をしている。ケインズ派の考えに染まってしまっているせいで彼らは短期においても長期においても貯蓄が投資のための資金を提供していて従って両方の期間で貯蓄が経済成長を促進していることが理解できないでいる(*例え不況期であったとしてもケインズのいうことを信じて貯蓄を止めさせてしまったら(金融資産の購入を禁止したら)即座に大恐慌が起こることは言うまでもない)。
古典派の貯蓄の理論が正しいとはいえケインズの節約の誤謬の代数的、図形的表現が溢れているために特に教科書の執筆者にとってはそれらを捨て去ることを難しくしている。貯蓄は現金の保蔵ではない。それは古典派が議論したように経済成長のための投資の資金源だ。
Keynes’s mistaken attribution to the classics
ケインズが古典派経済学が現実と何の関わりももたないと経済学者や一般大衆に思わせるのに成功したのは彼が古典派はいつも完全雇用の存在を仮定していたと主張したからだ。彼はこの主張により古典派経済学を全否定した。特にセイ、リカード、マーシャル、ピグーらを名指しで批判した。批判された古典派の誰もそのような仮定をしていない。それにも関わらず未だに経済学の教科書は彼の主張を疑うこともなく繰り返している。
古典派の経済学者は(非自発的)失業の存在を認識していた。実際、特に低所得者の生活水準を上昇させる政策を考案することそして増大する人口に雇用の機会を提供することが古典派の主な関心事だった。ケインズに名指しで批判されたピグーははっきりとその仮定を否定した。実際、そのような仮定はピグーの本のタイトル「失業の理論」と一致しない。
(*中略)私は古典派の文献からケインズの主張と矛盾する文章を集中的に引用しようと思う。これは古典派があまりに長きに渡って2次文献で歪曲され続けてきたため必要だ。それに加えてケインズの同時代人らによるケインズに対する批判が古典派の文献から引用することなしに行われたため失敗に終わった轍を踏まないためだ。彼らの失敗が多くの経済学者や一般大衆にケインズの主張を受け入れさせた一因になったのだろう。
Keynes’s attributions of the full-employment assumption
(*中略)この定義によると実質賃金の下落により雇用される労働者の数が増えたとするとその者たちは非自発的失業者だったということになる。従って貨幣供給の増加により雇用者の数が増加すれば非自発的失業の存在が示唆される。
古典派が完全雇用を前提としていたという主張を示すためケインズはリカードの説明を引用する。リカードが中央銀行は利子率を恒久的に低下させることは出来ず貨幣の価値を変えるに留まると主張した部分だ。ケインズは初めは他の古典派よりもリカードに賛同していたがリカードの利子理論は完全雇用の場合のみに有効だと主張した。「古典派では普通のことだが労働供給曲線に変化がないと仮定し長期均衡において一つの雇用水準しかないとするにはここでも完全雇用の前提が必要となる」。
さらに「長期においてさえも雇用の水準は必ずしも完全であるとは限らず変動の可能性がある」と批判する。実際には古典派はそのような考えに反対していないがそれは後で説明する。さらに「貨幣の量は実際に長期では無関係だ。だが金融当局が貨幣の量を変更している期間では影響を与える」とする。リカード自身が貨幣量の変化が長期においても相対価格または産出の構成に影響を与える可能性があるとしている中でケインズの批判がどれだけ意味があるのかは疑問だ。その一方でリカードらは短期において貨幣量の変化が産出等に与える影響に関してはっきりと議論している。
価格水準の理論に関して「価格水準は個別価格が決定されるのとまったく同じように決まる。すなわち財の供給と需要によってだ」。貨幣供給は初めに「流動資産の供給を従って利子率を決定しそして他の要素と合わさって投資を誘引する」。投資が所得、産出、雇用の水準を決定した後に価格水準が決定される。そして価格水準は完全雇用になった後に初めて上昇すると説明する。
ケインズは古典派が現金の保蔵の存在またはその可能性を認識していなかったと信じていたので以下のように議論した。
「貨幣数量説が産出の変化による価格水準の変化と賃金単位の変化による価格水準の変化とを区別しなかったことは現実世界にとっては大きな痛手だ。この理由は恐らく保蔵が存在しないという認識と完全雇用の仮定に求められるのだろう」。
よってケインズは貨幣数量説は貨幣乗数が取引と流動性への需要によって定義されていれば有効だっただろうと議論している。
ケインズは古典派の強制貯蓄の原理にも完全雇用の仮定を置く。彼はこの概念が有用であるためには完全雇用の状態が存在しなければならないと主張する。それ故彼は強制貯蓄を「完全雇用の状態時の貯蓄と比較した場合の現実の貯蓄の超過」と定義する(*古典派の強制貯蓄とはまったく異なる)。彼はベンサムが「すべての労働者が雇用されさらに最も能力を発揮できる仕事に就いている」状態では貨幣供給の増加は価格水準のみを引き上げると議論しているのを引用しこれを「19世紀のすべての経済学者の考え」とした。彼は「この完全に明確な概念を完全雇用以外の状態に適用する」ことを否定した。
セイの法則に関してケインズは以下のように主張した。
「セイの法則が多くの経済学者から捨て去られているのは事実だ。だが彼らはセイの仮定からそして特に需要が供給によって生み出されるというセイの誤謬から逃れられているわけではない。セイは経済がいつでも完全稼働の状態にあると暗黙に仮定していた。以降のすべての経済理論がこの仮定に依存していた。なので失業や景気循環の問題を扱うには明白に不完全だった」。
マーシャルに対して同様の非難を行うためケインズはマーシャル夫妻の議論を引用した(*以下略)。
だがケインズの非難のどれ一つとしても有効ではない。むしろ非難はケインズの勘違いの結果だ。以下の節ではケインズの混同を説明する。
Keynes’s mistaken attributions of full employment
第一に古典派が非自発的失業の存在を認識していなかったというのは単純に間違いだ。完全雇用(または自発的失業)をある産業で実質賃金の増加だけが雇用を増加させることの出来る状態と定義する。これは古典派の価値理論の賃金と雇用への直接の応用だ。ある産業で解雇された者は他の産業に就職することによる賃金の低下を受け入れないかもしれない。あるいは(彼が就職するには)彼の限界生産物の価値は現在の貨幣賃金よりも低くなければならない。だがある労働市場で限界生産物の価値と労働の限界不効用が等しかったとしてもそれは市場全体の労働供給と労働需要が等しいことを必ずしも意味しない。
ポイントは個々の労働者にとっては現在の平均的な市場賃金率は総労働供給曲線と総労働需要曲線との交点であることを必ずしも意味しないということだ。ある地域で解雇された外科医は同じ地域でトラックの運転手の仕事を受けたがらないだろう。その外科医は家族と離れるのを嫌がって他の地域での仕事の申し出を断るかもしれない。実質賃金は同じか少し高いかもしれなくてもだ。
さらに雇用主は最初に求人の広告に応じた人を必ずしも雇用しないかもしれない。その逆に労働者の方が受けた仕事の申し出を断るかもしれない。雇用契約を結ぶ前に他の機会を探し求めるからだ。従って異なる職種では欠員がありながら同時に全体では失業も存在する状態が常態としてあり得る。これが異なる労働市場の供給関数、需要関数を集計する際の問題だ。
実際、ケインズがこれぞ古典派の典型とばかりに批判したピグーの仕事はこのことを問題にしている。「総労働需要関数は個々の地域の労働需要関数を足し合わせることによっては得ることが出来ない」とピグーは議論している。さらに賃金基金の増加は平均の賃金を上昇させることなくある地域での雇用を増加させるかもしれない。ピグーが問題と考えたのは失業と「埋まらない欠員」とが同時に存在していることだった。
さらにピグーは失業の定義を「彼らの観点から見てそしてその時の状態に照らし合わせてみて「非自発的」なもの」に制限した。またはマーシャルが呼ぶ所の「強制された仕事のない状態」だ。すなわちピグーはそれぞれの産業で既存の賃金率で働く意欲がありながら仕事の申し出を得られない者を想定していた。従ってケインズが非自発的失業を定義する前にピグーは既にそれを行っていた。従ってピグーを含む古典派はいつでも完全雇用を仮定していたというケインズの主張は間違いだ。
古典派経済学も労働需要のシフトの説明を行っていた。失業した労働者は求められるスキルの変化に合わせて再訓練する時間を必要とする。これらの処方箋を描くことが古典派の懸念だったがケインズは無視したようだ。
ピグーは労働移動の問題を詳しく述べる。その文章はケインズも引用している。
「労働の移動が完全であれば長期における賃金率と労働需要関数との関係は非常に単純だ。従って安定した状態では皆が雇用されるだろう。失業が存在するのは需要の状態が連続して変化し摩擦が必要な賃金の調整を遅らせるからだ」。
実際、ケインズが引用しなかったすぐ隣りの段落でピグーは「労働者間に完全競争の仮定が成立しなければ賃金率と労働需要との関数の関係は必ずしも単純ではない」とも議論している。
ピグー自身のケインズへの応答も重要だ。彼は「古典派の考えはいつでも完全雇用が成立していると主張するものでも暗示するものでもない」と述べている。彼はケインズが引用した部分を指して「失業者の割合が好況期と不況期で必然的に同じということを意味したものではない」と述べる。
ケインズの非自発的失業の定義は誤った結論を導いた。彼は流動性選好の高まりまたは現金の保蔵の増加が古典派の見落とした失業の決定要因だと考えた。大恐慌期の通貨/預金比率の上昇がこの要因の重要性を確認した。さらに大恐慌期の失業の期間の長さが多くの読者に古典派の失業の説明(読者には古典派の失業の理論はいつでも「摩擦的」、「自発的」と仮定していると思われていた)が不十分だと思わせた。ケインズによると古典派は彼のいう非自発的失業を認識していなかったので古典派はいつでも完全雇用が成立していると仮定しているということにされた。それ故ケインズは「古典派の理論が完全雇用の場合にしか成立しないのであればそれを非自発的失業の問題に適用するのは明白に間違っている」と断言した。
だがケインズはここでも古典派を歪曲している。古典派は「流動性選好の高まり」または現金の保蔵の増加が例えば「商品の供給過剰または貨幣の深刻な不足と区別しないで呼ばれる一般価格の極端な低下」もしくは「人夫への仕事の需要の不足または建設や機械交換の仕事の不足」から発生し産業を破壊すると説明していた。古典派とケインズの大きな違いは古典派が保蔵を貯蓄の定義に含めていなかったことだ。ケインズが認めていたマルサスでさえ保蔵を貯蓄と区別している。例えば「現在において経済学者の中で貯蓄を保蔵の意味で言う者は誰一人としていない」とマルサスは述べている。ケインズが流動性選好の高まりを貯蓄の増加と考えてしまったのに対して古典派は現金の保蔵を貯蓄の減少と捉え経済成長と雇用にマイナスと考えた。
ケインズはリカードが貨幣の量の増加が利子率を恒久的には低下させず貨幣の価値を低下させるだけだとしたので彼が完全雇用の仮定をしているに違いないと糾弾した。これはケインズが古典派の資本の意味を間違って理解していたためだ。実際、ケインズは一般理論の第14章で古典派の資本を誤って説明している。第5章で説明したようにケインズはリカードの説明の中にも受け入れる要素があることを認めている。だがリカードが利子率が恒久的に低下したままなのではなく最終的には価格水準が上昇すると指摘した理由は貨幣の量の増加は短期においては信用の供給を増加させるかもしれないが資本を増加させることはないからだ。資本は貯蓄から生じる。信用は資本を用いる権利を借り手に一時的に与えているに過ぎない。
(*貨幣の価値が財と貨幣の相対量で決まるという古典派の価格水準の理論を説明した後で)貨幣の価値を決定するその過程が見掛けの困難さを生み出しケインズにこれが供給と需要の原則の応用だということを理解できなくさせてしまった。古典派の経済学者の何人かがこの点を指摘している。
「貨幣の交換価値を決定することは一度幻想が取り除かれてしまえば何も難しいことではない。人々は貨幣を特別な物だと思っていて他の物とは異なる法則が働いていると考えている。貨幣は商品でその価値は他の商品と同じように決定される。短期的には需要と供給で(*ここが流動性選好にあたると考えてもいい)恒久的には生産の費用でだ。この原則の例示は科学的にこの分野の指導を受けていない者にとってはすべての事柄を包み込むように詳細をもって与えられなければならない。過去の誤った思い込みの残滓が中々消えないのが一因と妄想と根拠のない憶測が大量に潜り込んでいるのが一因だ」。
商品貨幣と比較して紙幣の生産の費用はほとんどないというのはこの議論に何らの変更ももたらさないということに注意が必要だ。
繰り返す必要のある基本的な点は古典派もマーシャル、ピグー、フィッシャーらの初期の新古典派も価格水準の変動を説明するのに完全雇用の仮定を必要としていないということだ。そして彼らの議論が成立するためにもその仮定は必要がない。実際、もし完全雇用の仮定がインフレが起こるのに必要なのだとすれば大量の失業が発生している中でインフレを経験した国は存在しなかっただろう。1970年代は多くの国で高いインフレと失業率の上昇が発生した期間だった。
(*強制貯蓄の原理の説明が続いた後で)ケインズは強制貯蓄の原理が完全雇用の場合にしか当てはまらないと解釈したので貨幣供給の増加を失業の処方箋とした。古典派が強制貯蓄の原理を説明する過程で完全雇用の前提をしていたとケインズが直接の証拠として挙げたのはベンサムだった。だがケインズの説明とは異なりベンサムはそこで2つの状態を挙げている。一つは完全雇用の状態でこの場合では貨幣の増加は国家の富を増やさない。もう一つは不完全雇用の場合で「国家の安定と国家の正義を犠牲に国家の富が増加する」(*古典派は強制貯蓄の原理により産出は増加するものの労働者から利子生活者へ強制的に所得の移転が起こるため必ずしも国民の効用が増大するとは限らずまた正義にも反していると考えていた)。
ハイエクが引用した文章からはベンサムが完全雇用の仮定を緩めたのかははっきりしない。Starkによるベンサムの全文の引用でも同様だ。だがベンサムの議論はそうでなければ意味が通らなくなる。そしてリカードも強制貯蓄により一時的に雇用が増えることを議論している。
「貨幣の増加は労働者の賃金を犠牲にして利子生活者を豊かにする。労働者の賃金が価格の上昇に追いつくまでは製造業者や大規模農家にさらなる収入が入る。賃金が上昇しないことにより雇用が増加する一方で利子生活者は幾分豊かになる」。
さらに他の古典派と同様にベンサムもインフレが固定所得者の購買力を低下させることにより産出が増加すると説明していた。そしてベンサム同様にリカードもその現象を不正義と考えていた。
従ってケインズの主張は古典派の主張の曲解かまたは歪曲だ。そしてケインズの「(強制貯蓄を議論している)19世紀のすべての経済学者は同じ考え(完全雇用の仮定)を心に抱いていた」という主張は単純に間違いだ。
ケインズは古典派が保蔵の存在を認識していなかったと考えていたのでセイの法則の成立には完全雇用の仮定が不可欠と思っていた。彼によると古典派が保蔵の存在を認識していれば(所得のすべてが支出される訳ではなくなるので)古典派は供給が需要を生み出すと自信を持って言うことは出来なくなるという。それ故ケインズはミルもマーシャルも「誰かが購買力を持っていたとしても彼らがそれを用いるとは限らない」と認識していながらなおもセイの法則を受け入れていたことに困惑した。
だが実際は両者とも現金の保蔵のことを認識していた。特に商業危機の時にはそうだ。商業危機の時のセイの法則を説明する際にミルは以下のように述べている。
「そのような時では貨幣需要に対してすべての商品の供給過剰が存在する。言い換えると貨幣の過小供給がある。信用の突然の大消滅から皆が現金を手放すことを拒否するようになる。そして多くが如何なる代償を払ってでも現金を獲得することにやっきになる。それ故ほぼ全員が売り手になり買い手はほとんどいなくなる。そして危機が続いている間だけではある商品の供給過剰、貨幣の欠乏と区別されずに呼ばれる一般価格の急激な低下が発生する。だがシスモンディのように商業危機が生産の全般的な過剰だと仮定するのは大きな過ちだ。その直接の原因は信用の縮小であってその処方箋は供給の削減ではなくコンフィデンスの回復だ」。
同様にマーシャルはリカードがコンフィデンスが揺らいだ時に保蔵が増加すると説明しているのを引用している。「信用が安定している状態ではそうでない状態と比べて必要とされる現金の量は少なくなる。そして彼らは保蔵により危機に備える」。そしてそのような保蔵により信用の供給は枯渇し失業が発生する。マーシャルは以下のように説明する。
「誰かが購買力を持っているからといって彼らがそれを用いるとは限らない。コンフィデンスが揺らいだ時には資本(資金)は新しい企業または既存の企業に流れなくなる。新規の鉄道計画は承認されなくなる。船の積み荷は空で新規の造船は受注されなくなる。人夫の仕事に対して需要は乏しく建設の仕事や機械交換の仕事はほとんど存在しなくなる。固定資本を生み出すことの出来る取引はほとんど存在しなくなる。技能と資本がそれらの取引に特化した者は稼ぎが少なくなりそれ故その他の取引においても少しの物しか購入できなくなる。そのその他の取引も需要が低下して生産が減少する。彼らも稼ぎが少なくなりそれ故彼らが購入する物も少なくなる。すなわち製品に対する需要の低下により彼らの取引も不活発になる。従って商業の破壊は拡散する。一つの取引の崩壊が他の取引も狂わせそして連鎖し崩壊を加速していく」。
セイとリカードも機械の導入による失業の存在を明確に認識していた。セイは以下のように説明する(*今回の主旨とは直接関係がないと思うので省略)。
11 Hicks, the IS-LM model, and the success of Keynes’s distortions of classical macroeconomics
(*丸々省略)
12 The mythology of the Keynesian multiplier
Introduction
(*何人かの経済学者が初期に乗数理論を批判したがその拡散を食い止めるには至らなかったという説明の後で)古典派が説明するように所得の源は生産だ。初めに生産から所得を稼ぐまたは誰かから借金をすることなしには誰も消費することが出来ない。さらに所得が生まれる過程は同時発生的なものだ。ケインズ派の乗数理論が想定しているような一方向なものではない。そして貯蓄は所得-支出過程からの漏出ではない。投資の主な資金源だ。従って仮に乗数が存在するとすれば限界貯蓄性向の逆数ではない。現実の世界で乗数の理論に最も近いのは投資の生産性または産出資本比率の増分だ。またWalter Bagehot,N.A.L.J.Johannsen, J.Wullf, Alfred Schwoner, A.C.Pigou (Hegeland 1954),L.F.Giblin, and Ralph G.Hawtreyらの生産の変化または経済のある一部門での需要の変化が経済全体に「乗数効果」をもたらすという議論をケインズ派の乗数と同一視するのも誤りだ。
Keynes and the multiplier
(*ケインズがカーンの乗数理論に大きく影響を受けたという説明の後で)それ故カーンと同様にケインズも2部門に分割された経済を考えた。一つは消費財を生産する部門でもう一つは投資財または非消費財を生産する部門だ。後者は前者よりも小さい。どちらの部門に対する投資も新たな資本と労働を必要とする。だが魔法のような乗数効果を生み出すとされるのは非消費財部門への投資だ。非消費財部門での新たな雇用は所得を生み出しその大部分は消費財へ支出されるという。それ故消費財部門で2次的な雇用が発生すると想定される。もちろんその発生した所得が輸入品に支出されれば2次的な効果は減衰すると彼らは議論する。
消費財部門に投資された際の最初の雇用効果を一定として非消費財部門の累積的な雇用効果を彼らは仮定する。2次的効果は初期の消費財部門での雇用よりも大きくなり従って乗数効果が生まれる。
「大衆の心理的性向が我々の仮定と異なるのでない限り投資による雇用の増加が必然的に消費財部門を刺激し元の投資による雇用の増加の何倍もの雇用の増加をもたらす法則を我々は確立した」。
(*乗数理論が主に注力しているのは消費支出だという説明の後で)この議論は消費が「経済活動の最終的な目的」という事実に従っているように見える。さらにケインズの考えでは貯蓄は単に「所得のすべてを支出することを妨げる負の行い」だ。貯蓄が負の行いなのは所得(お金)が循環するのを妨げるからだ。ケインズの考えでは貯蓄は「将来の消費を刺激することなく今日の夕食を準備している商売の需要を低下させる。現在と将来の消費需要の代替ではなく純粋な需要の低下だ」。それは部分的には貯蓄が乗数効果によって2次的な負の影響を与えるからだ。よって「消費性向が高いほど乗数は大きくなる」。
ここまでの議論から所得の受け取り手が所得をすべて消費財に支出すれば最も大きな効果が得られると思うだろう。だがケインズは所得が100%支出されることはないという。彼は100%の支出はほんのわずかな投資の増加(減少)が制御不能な所得の膨張(収縮)を生み出すと信じていた。さらにケインズもカーンも乗数効果により価格水準が上昇すると考えていた。さらに(限界利潤率の逓減により)消費財部門の総供給曲線は上向きと考えていた。よって短期では産出の増加は価格水準を上昇させる。限界消費性向が1であれば投資の増加(減少)から価格水準は無限大に上昇(低下)するだろう。よって「大衆が所得をすべて支出すればそこには安定はないし価格は無限に上昇するだろう」。それ故幾らかの貯蓄は(負の行いではあるが)経済にとって安全弁として必要だという。
こうしてケインズは驚くべき主張へと辿り着いた。貯蓄が投資の資金源ではなくむしろ投資が貯蓄を可能にするというのだ(*投資が貯蓄の資金源だという見当外れな主張)。
「大衆の消費により産出が新たな水準まで刺激されそれにより投資の増加分の貯蓄が生み出される。乗数はその貯蓄を生み出すだけの所得の増加を生み出すにはどれ位雇用が増加しなければならないのかを教えてくれる」。
カーンもケインズも税収が元の投資を埋め合わせる形で増加すると議論した。ケインズによると「ここには魔法も謎も何もない。信頼できる科学的な予測があるだけだ」。税収だけでは埋め合わせるには不十分だとしても「失業手当の縮小、外国への貸出の縮小、利潤の増加など」から流れ込んでくるとカーンはいう。(*さらにカーンが乗数による税収の増加を強く奨励した後で)ケインズは一般理論ではここまではこの議論を強く奨励しなかったもののそれでも「公共事業は例え効果が疑わしいものであっても自身でその支出を埋め合わせるだろう」としている。
The mythology of the Keynesian multiplier
乗数の間違いはその所得の生成過程の記述に誤りがある所から生じている。最初の消費者が次の消費者のための所得を生み出しそしてその過程が繰り返されるとされている。だが消費のための所得を得るには初めに生産しなければならない。さらに生産から所得を得るには他の誰かがそれを購入しなければならない。そしてその購入者も支払いをするために生産から所得を得なければならない。生産をしていない者は所得を持っているはずがないし自身の生産を縮小している者も自身の需要をそれにより低下させている。
そのように理解すればこのような動かしえない結論に辿り着く(*繰り返しなので省略)。
(*個々の生産と交換により経済が成立しているという説明の後で)上記の記述は雇用または失業に関して何も語っていないことに注意する必要がある。すべての企業家と生産者は需要の予測に基いて生産を行う。もし需要の予測が実現しなかったとすれば他の生産者が生産していなかったかまたは十分な所得を生産によって稼いでいなかったかまたは誰かが稼ぎを現金の獲得(保蔵)に用いたことが原因として考えられるだろう。予測の実現しなかった生産者は価格を引き下げるか生産を縮小させるかなどして反応しそして何人かが解雇されるかもしれない。だが一般的な傾向としては最初の記述が当てはまる。スミスは以下のように説明している。
「市場に持ち込まれる商品の量は有効需要に対応する。商品の量が有効需要を超えてはならないというのはすべての利害関係者の共通の関心事だ。そして有効需要に不足してはならないというのもすべての人の関心事でもある」。
(*貨幣は取引を容易にするが上記の本質を何も代えないという説明の後で)この過程がセイの法則の本質だ。リカードの原理の第21章のセイの法則の記述は期待の役割、実際の需要に対する生産の調整、一部の市場での供給過剰の可能性などを実に精巧に描いている。
「商品の支払い手段となるものは商品だ。各個人の支払い手段は自身が所有するものに等しい。売り手はすべて不可避的に買い手だ。国家の生産能力が2倍になったとすれば商品の供給も2倍になる。だが同様に購買力も2倍になる。皆の需要と供給が2倍になる。皆の購買力が2倍になる。何故なら皆が交換に差し出せる物を今では2倍持っているからだ」。
先程の議論で同じぐらい重要なのはミルはケインズも引用した段落を以下の文章で締めくくっていることだ。「貨幣は商品だ。すべての商品の量が2倍になったとすれば貨幣も2倍になったと仮定せねばならない。そして価格は変わらないだろう」。ケインズは引用を恐らくマーシャルから得たのだろう。そしてマーシャルは上記のミルの貨幣に関する記述などは引用していなかった。それ故ケインズはミルが同じ段落で貨幣を商品に含めているのを知らなかった。さらにケインズはミルが他のエッセイで同じ点を再確認していることを知る由もなかった。
「一般的供給過剰(*すべての商品が一度に供給過剰となること。古典派はこれを否定していたため恐慌の可能性を否定しているとか不況の可能性を否定しているとか言われていた)の不可能性を理解するためには貨幣も商品だと考える必要がある。その他すべての商品の供給超過と貨幣の供給超過は同時に起こり得ない」。
どちらにしてもケインズがセイの法則を理解していなかったのは明白だ。
(*賃金基金説に関して説明した後で)生産品は直接の消費に用いられるかさらに最終財へと加工されるかだがどちらにしても所得を生み出すのは生産の総額だ。後者は投資と呼ばれるかもしれない。農家の生産物は直接家庭で用いられるか加工食品の材料として用いられるかもしれない。林業従事者が伐採した木は居住用住居に用いられるかもしれない。同様にGMの販売した車は家計(消費)か企業(投資)に売られ利益を生む。所得を生むのは生産の総額-自家消費だ。そこには非消費財部門への投資が消費財部門へスピルオーバー効果を生み出すなどの特別なものは一切ない。
(*貯蓄は所得の漏出ではないからそもそも貯蓄性向自体に意味がないという説明の後で)ケインズとカーンは貯蓄を資金源としなくても銀行制度は投資の資金を提供することが出来るとも示唆している。
短期では中央銀行の貨幣供給による価格水準の上昇により実質の賃金は低下する。これは雇用やその他の生産要素を増加させるかもしれない。だがその効果は長期では消えてなくなり元に戻る。ロバートソンはこの事実を指摘したがケインズは理解することが出来なかった。
その一方で銀行制度というのが商業銀行を指しているのであればその貸出はインフレを生み出すことはない。銀行は預金者から預かった預金をすべて貸し出すのではない。現金準備として保有している。それ故大衆の貯蓄は銀行が貸し出す資金よりも多い。これは銀行のバランスシートから確認できる。もし銀行が預金の増加なしに貸出を増加させればその資金源は現金準備の削減からだ。大衆が新たな所得なしに貯蓄を増加させるには貨幣残高を削減する必要があるのと同じだ。
この観点から見るとクラウディング・アウトが起こらないというのは単に間違いだと理解できる(*金利の上昇のことではないので注意)。政府が新規の国債を発行した際に大衆が貯蓄を増加させるのでない限り完全なクラウディング・アウトが発生する。この点はケインズも認識していたように見える。
「我々は投資の純増加を扱ってきた。それ故その議論を制約なしに公共事業の効果に適用すれば民間の投資が減少しないと仮定しなければならなくなる」。
政府が資金を税で集め大衆がその税額分消費を減少させないとすれば貯蓄と民間部門の投資に流れる資金も減少しなければならない。さらに公共事業が所得と雇用を生む効果は政府の投資と民間部門の相対的な生産性に依存する。政府投資の生産性が民間部門よりも低ければ公共事業はかえって経済を悪化させる。
カーンとケインズは乗数により大衆は政府の借り入れから利益を得ることが出来るという。その訳は支出により所得が増加し税収が元の政府が借り入れた資金を上回るからだ。ケインズは以下のように宣言する(以下略)。
だが政府の事業が民間部門よりも高い産出を生むのでない限りその議論は無効だ。民間部門による生産は政府によるものよりも高い効果を生むだろう。税収が増加するというのはケインズ派の誤った主張だ。
最後に乗数は支出が自律的だという前提の上に成り立っている。だが支出のすべてが所得に依存しているとすれば(投資資金は貯蓄から政府の支出は税と借り入れから生じているので)ケインズ派の乗数効果は消えてなくなる。
Summary and conclusions
(*中略)ある一部門での生産の増加が他の部門の産出への需要を増加させることにより自身の部門での生産も増加させるといったような初期の経済学者が指摘した「乗数効果」のように見えるものが存在するかもしれない。だがこれはケインズ派の乗数理論とはまったく異なっている。
13 Conclusion
財、サービス、金融資産から貨幣へと需要がシフトすれば貨幣の価値は上昇し財、サービスの価格は低下する。貨幣供給が貨幣需要の増加に対応しない限り資本の供給は縮小し不況が訪れるだろう。古典派はその現象をコンフィデンスの崩壊と捉えた。
古典派は不況の原因をコンフィデンスの崩壊による貨幣への超過需要と説明していたので彼らは金融市場の信頼を回復させるように政府が行動を取ることを推奨していた。古典派はマルサスら過小消費論者たちと違って不況の原因を過剰生産とはしなかった。生産は需要の源になる。所得を稼いで他の誰かの生産物を得ることがそもそもの生産の目的だからだ(*自分で消費する場合を除く)。それ故貨幣を含めたすべての財が過剰生産となることは起こり得ない。貨幣の超過需要が存在する時だけ財、サービス、金融資産の需要不足が発生する。ミルが明確にまとめているように「生産物の市場を構成するのは生産物だということほど真理に近いものはない。そして需要の予測が正しければ生産の増加は自身の需要を生み出す」。従ってケインズ派の総需要管理政策のようなものは誤解から生じている。
(*すべての学派、特にケインズ派、ポストケインズ派、オーストリア学派に反省を促した後で)結論として以下の点が挙げられる。古典派の経済学者は全員が協調してその核となる原則を記述していた訳ではない。言葉の選びの幾つかは我々には不明瞭で非整合的に感じられてしまうかもしれない。だが注意深く読めば彼らの議論が一貫していることが分かるはずだ。そのように読むことにより生産者と消費者の思惑を反映して市場が変化すること従って政府の介入をほとんど必要としないことが理解できる。そのような理解から我々は短期、長期において経済成長を促進させるために古典派がどのような政策を推奨したのかを理解できるようになる。現代の経済学者は経済制度の変化とともに古典派の経済原則がどのように変化してきたかを明確にすることにより利益を得られるだろう。