A Bayesian VAR Analysis for the U.S. Economy
by Albrecht Ritschl Ulrich Woitek
1 Introduction
Friedman and Schwartz (1963)以降、大恐慌は金融政策の引き締めと関連付けられるようになった。1928の中頃から1929の8月まで株式市場の高騰に対して連邦準備は金利の引き上げで対応し貨幣成長率を鈍化させていった。連邦準備が一連の銀行の倒産を不健全な金融構造の是正に必要と判断したために金融政策はこの期間引き締め気味であった。ニューディール政策が発表されるまでは金融政策はその状態を維持し続けていた。
貨幣要因による説明にはいくつかの変種がある。極端なものでは初期の不況とその後の恐慌ともに金融引締めによって発生したと主張している。より穏やかなものでは初期の不況に貨幣以外のその他の要因も影響したかもしれないとして金融政策はその不況を悪化させたという。その説明は銀行危機の役割を強調するBernanke (1983, 1995)らとも整合的だ。
金融政策に関する近年の研究は家計が金融政策の潜在的な変更を認識した場合にそれが政策効果に与える影響に関して焦点を当てている。Leeper et al. (1996)はベイズ流の更新技法を用いてレジーム・チェンジの影響を調べている。Sims and Zha (1998)は2つのレジームで構成されるDGEモデルをカリブレートし政策変更と家計の信念の変化との相互作用を評価している。Sims and Zha (1998)はVARモデルのパラメータの不安定性は政策レジームの変化を反映している可能性が高いと議論している。
この方法は定常性とスモールサンプルの問題を克服するのにも役立つ。構造変化の存在の下で時系列をモデル化する適切な方法に関して計量経済学の中で懸念が広がっていた。データが利用可能な期間の短さとも合わさって大恐慌期の時系列分析を困難なものにしていた。このような事情の中ではベイズ分析は特に魅力的に思われる。特定の時系列トレンドを仮定することを避ける事が出来るのに加えて定常状態の学習を可能にし単位根過程とトレンド定常時系列との区別を可能にするからだ。
この時期のアメリカ経済が大きく揺れ動いたことを考慮してシステムの時間依存的な性質に焦点を置く。Temin (1989)が述べたように大恐慌の経験自体が期待に構造変化をもたらし金融政策レジームを変化させたかもしれない。そのようなレジーム変化の正確な理論的性質は現在でもパズルとなっている。よって我々はインパルス応答関数も含めてすべての変数の時間依存性を考慮する。アメリカ経済に関する情報を更新することは必然的に貨幣ショックに対する動学的応答についての情報を更新することを意味する。
2 The Basic Model Setup
Sims (e.g. 1980)によって確立されたVARモデルに沿って貨幣と所得の間の因果関係を変数間のリード-ラグ関係を考慮に入れつつ誘導形で推計する。
xt=c+ΣAjXt-j+ut, ut~N(0,H). (1)
xtは同じベクトルのラグに回帰されるt期の変数のベクトルでパラメータ行列Ajはj期のラグ変数に対する係数の値を含んでいる。Hは撹乱項の分散共分散行列だ。
金融政策の評価にあたって含まれるべき変数に関しては広範な合意がある。我々は様々な波及経路を考慮できる2つの定式化を採用した。貨幣の量に注目するより伝統的な経路を説明するために貨幣、産出、一般価格指数、卸売価格指数、当座預金残高を変数に加えている。金利に関係する波及経路も確認するために貨幣集計量を公定歩合と短期市場金利で置き換えたものも用いる。
π8は重み付けパラメータでa~はatの長期の値だ。撹乱項νtはオリジナルのVARの撹乱項μtと相関がないと仮定する。式(2)と式(1)の中で対応する部分とを合わせて線形の動学体系として定義する。式(1)は観測方程式、式(2)は遷移方程式、atは状態ベクトルを表わす。aの推定はat|t-1の条件付き予測の問題に変換される。撹乱項に対する正規性と独立性の仮定の下でyt|t-1とat|t-1は結合正規分布でatの計算はカルマンフィルタを用いて行われる。
体系に関する事前の情報や事前の信念は様々な段階に含まれるかもしれない。それらには各時系列はランダム・ウォークであるという研究者の事前の信念を表すLittermanのpriorがある。
注3 詳細に関してはappendixを参照すること。ここではパラメータの値としてDoan et al. (1984)によって提案されたものを採用した。Uhlig 1994が示したように事前情報の変化は結果にほとんど影響しない。
この方法は時間によって変化する予測、インパルス応答、予測誤差分解の計算を可能にする。再帰的アルゴリズムのすべての段階で観測方程式の分散共分散行列Htの更新をDoan et al. (1984)の方法に従って元に戻す。インパルス応答関数と分散分解は直交化された誤差項から得られる。このアルゴリズムによりインパルス応答関数の波及効果と予測誤差分散の要素の構造変化を追跡することが可能になる。
3 Forecasting the Depression from Monetary Shocks
仮に貨幣ショックが決定的に大恐慌の原因になったのであれば貨幣変数を加える事によりこの時期のデータをうまく再現することが出来るはずだ。VARモデルを用いた際でさえも(Dominguez et al., 1988; Klug and White, 1997)非貨幣的要因は1929の不況を予測するのに継続的に失敗している。我々は前章で議論した標準的な貨幣の波及経路の定式化に焦点を絞る。この章全体を通して議論の対象とするのはサンプル外の予測だ。次の章ではインパルス応答関数の分析に戻る。
Friedman and Schwartz (1963)以降、1927以降の金融引締めがアメリカ経済を不況に引きずり込んだと主張されてきた。連銀は株式市場の高騰に幾度にわたる金利の引き上げで対応した。我々は連銀の金利政策または貨幣供給政策が有効であったかに関しては不可知の立場を取りこれらの要素を独立に分析する。
信用危機と金融への波及経路の研究はBernanke (1983)、Bernanke/Gertler (199x)により行われてきた。金融政策は銀行部門に課せられた制約を通して経済の実物面に影響を与えたかもしれない。金融への制約を説明に加えるためにSims and Zha (1998)の方法に従いさらに倒産した銀行の預金残高を信用危機の指標として含める。
金融政策が大恐慌の重大な原因となったかを調べるため各モデルに対して2つの予測を実行する。第一に1929の9月までのすべての情報をモデルに含めこのモデルに1930の後半までの産出を予測させる。この予測はモデルの1929の9月までの内生的動学が1930のアメリカ経済にどのように影響したかの手掛かりを与えてくれる。そして1928の後半から金融引締めが発生しているのでまた実行を繰り返す。前回と違い今度は1928の8月の情報を含めずに1930の後半までの2年間に渡って予測を行う。この第二の予測は1928の後半以降にショックが発生しなかったと仮定した場合のモデルの内生的動学についての手掛かりを与えてくれる。
図1の最初の2つのグラフは2つの予測の間に差がほとんどなかったことを示している。どちらの場合も恐慌は起こらなかっただろうとモデルは予測している。1929の9月からの予測は1930の初期に小さな不況が起こるだろうと予測している。だが実際に起こった恐慌は予測できていない。1927から予測を開始した場合では不況も起こらなければ1928の中頃と1929の中頃にあった好況もなかったことになっている。
大恐慌が伝播していく時期に於いても金融政策が僅かな影響しか与えていないことを我々は発見した。上記の計算を1930の後半まで繰り返すとモデルは回復を予想しているのが見て取れる(図1の最後のグラフ)。極めて短い期間に於いてのみモデルは産出の低下を正確に予想することが出来る。図2に3ヶ月から6ヶ月先の連鎖予測の結果を描写する。このモデルは月次の間隔で情報が更新される。恐慌時の下落に対して更なる産出の低下を予想している3ヶ月先の予測はよく機能しているように見える。1931の後半からの恐慌の第二局面に対して短期の予測は初期の下落期に比べて一般的に悪い結果を示す(*わかりにくいがようするに第二の不況を予想できていなかったということ)。対照的に6ヶ月先の予測の信頼区間は下落期に於いて既に悪く回復が訪れていないと示唆している。データを直接調べる分析者であればその時期の大部分に於いて経済の転換点がやってきていると(*誤って)結論していただろう。
これは専門家、助言者、連邦準備自体が恐慌時に於いて間違い続けたというよく報告された観察結果と整合的だ。我々は彼らの仕事ぶりを非難するかもしれない。しかし金融政策だけを見るのでは彼らよりうまくやることは出来ないだろう。
4 The Quantitative Impact of Monetary Policy
ここでは大恐慌期の金融政策の効果に焦点を絞る。貨幣ショックが恐慌の転換点に於いて大して説明を果たさなかったとは言え貨幣がまったく効果を持たなかったと結論するのは間違いだろう。この疑問を調べるために係数行列Ajにより式(1)を通して伝播される金融政策のイノベーションの波及効果を調べる。
1922から1935の期間全体を1つのレジームとして扱いこの全期間からの情報を用いてインパルス応答を得ることは疑問の残る方法だろう。政策ルールか政策に対する大衆の期待のどちらかが1929以降に変化したとすれば金融政策の効果として得られた結果は信頼出来ないものになるだろう。
我々は再帰的な係数の更新アルゴリズムをレジーム・チェンジを探索する手段と見做している。インパルス応答と予測誤差に対する説明力が時間不変であれば政策ではなくより根本的なレジーム・チェンジが要因であると結論を下せるだろう。つまり大恐慌の貨幣的解釈ではきちんと捉えられていないディープパラメータの変動が要因であることを示唆している。
経済歴史家による研究は実際に期待の潜在的役割を強調している。Temin (1989)は同時代人や後の学者による大恐慌期の資料を評価し大衆の期待の大幅な変化が大恐慌期の重大な転換点で起こったと結論している。
この問題に対する答えはそれらレジーム・チェンジを非確率的なトレンド部分を通して考慮するものだろう。我々の再帰的方法はそのようなシフトを内生的に発見する。レジームに関するベイズ学習の結果として容易に解釈可能だ。時間に対するパラメータの変化はインパルス応答関数の時間依存性に変換できる。時間が進むに連れてそして新しい観測値が情報集合に加わるに連れて条件付き予測に関する情報もまた同様に変化する。これをインパルス応答関数を月次の頻度で更新することにより実装する。初期状態からの収束に時間が掛かるので1927からの結果だけを解釈することにする。
図3はM1として定義される貨幣へのショックに対するインパルス応答の展開を示している。グラフを読みやすくするために特定の期間に限ってインパルス応答を表示してある(3、3、12ヶ月)。
初めに貨幣へのショックに対する自身の反応から見る。グラフから見て取れるように1929の株式市場の暴落は構造変化を引き起こしている。貨幣は少なくともある程度内生的だ。卸売価格と消費者価格のインパルス応答を見ると恐慌が起こる前の2年間、それらの反応は予想されるものと逆の符号を示している。これはSims (1992)が述べた価格パズルと呼ばれるものの一種だ。価格は最初は貨幣ショックに対して予想されるものとは逆方向に向かう傾向がある。貨幣に対する産出の反応も正で驚くほど安定している。
恐慌の到来はパラメータの動学的構造に極めて大きな影響を与えている。2つの価格指数は今では貨幣の動きに対して強い正の反応を示している。つまり貨幣と価格は共に下落している。同じ事が産出にも当てはまる。恐慌が深まるに連れて産出は貨幣の動きに対してより敏感になっている。仮にM1の代わりにハイパワード・マネーで同様の結果が得られたならば大恐慌の拡散期に金融政策の重要性が増大したというTemin (1989)の説明への根拠になると議論したくなるだろう。だがハイパワード・マネーを用いてでは同様の結果を再現できなかったのでそのような解釈には注意を要する。大恐慌の第二局面での貨幣の重要性の増大が貨幣需要の内生的部分によって生み出された人工的なものなのかを判断するにはさらなる研究を必要とする。
Bernanke and Blinder (1992)によって提案された金融政策の需要的側面を考慮するため貨幣を公定歩合で置き換えた定式化を採用する。結果を図4に示す。ここでも例えば1926以前の結果は初期収束に影響を受けているかもしれない。その後の反応はまたも価格パズルを示す。公定歩合の引き上げに対する価格の初期反応は正だ。大恐慌期にこのパズルはより深刻になっていくように見える。価格は12ヶ月経った後でも公定歩合と同じ方向に動く。金利政策は景気反順応的ではないにしても価格の安定化に対しては明らかに有効でない。
1931の後半までは金利政策は銀行準備に対しては望まれた効果を発揮しているように思われる。株式市場の高騰時には縮小し不況期には拡大するといった具合にだ。しかし1929の株式市場の暴落以降には不規則な動きが見られる。1929の後半と1930の前半の金利の引き下げはそれまでとは違い銀行の行動に影響を与えることに失敗している。1928後半の金利の引き上げも非借入準備に対して通常よりも強い効果を与えているが総準備には効果を与えていない。さらに株式市場の高騰期に於いて産出の金利の変動に対する反応は顕著に下落している。株式市場の暴落時には金利政策は有効性を相当程度損なっていた。1930の間に於いてのみ修正が見られる。多くの伝聞と異なりその年の金利の引き下げは産出に対して正の効果を発揮した。
まとめると連邦準備の金利政策の効果は大恐慌が始まる前とその初期段階に於いて通常の範囲内にあり1929以降の産出の低下を説明するには小さすぎるように思われる。金利の変化は1930の穏やかな不況とその後の穏やかな好況を作り出す要因にはなったかもしれない。さらに価格パズルを考慮すると株式市場の暴落以前の金利の引き上げがその後の大不況の引き金になったと考えることはほとんど出来ないと思われる。データは1931後半以降に不況の第二局面があったことをはっきりと示している。この期間は安定性が著しく欠如した時期でもある。以前にあった規則性が消滅したので政策に利用可能な金利と価格と産出に関する安定的な関係は残されていなかった。
5 Credit Channels of Monetary Policy Transmission
前章で示した根拠は金融政策の波及経路に関して不完全な説明しか与えない。銀行部門の流動性への効果が部分的にしか含まれていないからだ。信用危機に関する研究は信用制約のドミノ効果を通して銀行危機が追加の効果をもたらすかもしれないと示唆している。前章で述べた総準備と非借入準備だけを加えたのでは効果を十分に捉えられていない可能性がある。
この章ではSims and Zha (1998)の方法に従い流動性危機の潜在的効果を計測する。Bernanke (1993)が述べたように信用危機が金融政策に追加の波及経路をもたらしたかを議論する。これは大恐慌の発生ではなくその深刻化を説明するのに役立つ。
図5は再帰的インパルス応答関数と上記の金融政策の金利モデルの分散分解を示したものだ。ここでは銀行部門の非借入準備を倒産した銀行の預金残高に置き換えている。コレツキー分解の変数の配置を含めてその他の仮定はすべて同一だ。
この章では投資活動の先行指数に基づくモデルを提示する。Temin (1976)は住宅建築の急減が恐慌へとつながったと示唆している。新規住宅着工件数を見ることによりこの確認を行う。このデータと設備投資の先行指数(鉄の生産、機械出荷など)と合わせて製造業の産出を予測する。従って方程式には製造業の生産、住宅着工件数、鋼板の生産、鉄塊の生産、機械出荷、金属製品の価格を含む。
実物経済がどの時点で下落の兆候を見せ始めたかを理解するためにモデルを1929の3月と1929の6月で停止させてみる。図6の下段にその結果を示す。1929の3月に既に実物データは不況の兆候を示している。これは株式市場が暴落するほぼ1年半前のことだ。
(省略)
Lucas (1976)の批判に基いて大恐慌期のパラメータの不安定性について考慮した。この関係性がアメリカ経済のディープパラメータであったのならばそれらは時間不変でレジームの変化に対して内生的であってはならない。このパラメータの不安定性と実物指数の予測精度が明らかに優れていることから我々は大恐慌の貨幣的解釈に対して極めて懐疑的だ。
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