by Aparna Mathur Sita Slavov Michael R. Strain
A. Diamond and Saez’s Arguments
2011のエッセイでDiamond and Saezは彼らの所得税の最適最高税率に関する理論を紹介した。
1.鍵となる2つの概念。彼らの議論を理解するためには2つの概念を心に留めておく必要がある。第一の概念は社会厚生関数でこれは社会の厚生水準を判断するための道具と考えられている。個人の効用関数と似たような概念だ。実際に社会厚生関数はすべての個人の効用関数の総和と考えられている。ここではこの概念が特に重要になってくる。大幅な最高税率の引き上げは個人の水準で見れば得するものと損するものを生み出すためだ。ここで議論となっているのは最高税率が引き上げられた場合に社会全体として厚生が増加しているのかどうかということだ。
第二の概念は限界効用逓減の法則で誰かが何かをより多く持てばそこから得られる効用はより少なくなっていくというものだ。
ピザを例に挙げると12切れ目のピザよりも2切れ目のピザからより多く効用が得られる。この概念は最高税率の議論に応用出来る。この概念によると貧しい場合の方が裕福な場合よりも消費からより多くの効用を得られることになる。個人間で効用が比較可能という仮定の下で裕福な個人の消費の価値は貧しい個人の消費の価値よりも少ないと言うことが出来る。
2.設定。所得水準z*以上の最高税率がtからt*に上昇したと仮定する。増税された個人は損をするがその他の人は得をする。ここで問題となるのは社会全体で見て厚生が増加しているのか否かだ。より一般的に社会の厚生が最大化される最高税率は何%かを求めようとしていると言うことが出来る。社会の厚生を最大化する税率を最適税率と呼ぶ。
3.機械的な効果と行動的なもの効果。税率の変化は2つの効果を持つ。第一は自動的な税収の増加だ。その他すべてを一定として税率の上昇により税収は増加する。第二は行動に変化を与える効果だ。その他すべてを一定として税率の上昇は幾つかの理由から課税所得を減少させる。
tを限界税率とすると(1-t)はnet of tax rateとして表せる。行動の変化はnet of tax rateに関する課税所得の弾力性としてまとめることが出来る。これはnet of tax rateの1%の上昇に対して課税所得が何%上昇するかで定義される。
これら2つの効果は互いに逆方向に作用する。その他すべてを一定として限界税率引き上げの自動的な効果は税収を増加させるが行動的な効果はそれを減少させる。
4.最適税率の決定に関して。彼らはこれら2つの効果を最適な最高税率を探すために用いている。税率の引き上げにより富裕層は不利益を被る。そして行動的な効果が機械的な効果を上回ればその他も不利益を被る。だが機械的な効果が行動的な効果を打ち消せばその他は利益を得る。その場合に富裕層の損失とその他の利益をどのように判断するのか?最適税率を求める目的は社会全体として厚生を最大化することであったことを思い出して欲しい。誰かが損失を被り誰かが利益を得る中でどのようにして最適であると判断するのか?
彼らは限界効用逓減の法則により富裕層の効用の減少はその他の層の効用の増大よりも小さいと議論する。実際に彼らは富裕層の損失はその他の層の利益に比べてあまりに小さいのでゼロと仮定しても構わないと言う。
上記の議論を踏まえた上で彼らは僅か2つのパラメータしか持たない最適最高税率を決定する式1/(1+a*e)を示した。パラメータaは単なる定数で所得分布の特徴を示す。ここでは1.5に設定されている。パラメータeは行動的な効果を示すものだ。彼らはeを0.25と設定している。彼らはこの値を「実証研究が示した中間の値」としている。この値が意味するのは税率が1%上昇した場合に課税所得は0.25%下落するということだ。これらの数字を用いれば社会的に最適な最高限界税率を求めることは簡単だ。式に数字を代入1/(1+1.5*0.25)=0.727すればいい。つまり富裕層は73%の限界税率に直面することになる。
彼らはeの値に関して論争があることを認めその他の値に関しても議論する。彼らは0.57を「保守的な上限の推定値」であるといい0.17を適切な下限の推定値であると示唆する。この2つの弾力性を用いて社会的最適最高限界税率は54%から80%の間であろうという。州税と社会保険料を差し引いた後では48%から76%になるという。
B. Our Response
(省略)
だが彼らの推定には重大な問題が扱われていないために現実世界への適用を困難なものとしている。
1.長期の行動の変化。彼らは暗黙的に行動の変化で重要なのは短期のものだけだと仮定している。つまり税率を引き上げれば課税所得に影響があるのは数年内に表れるというのだ。だがこれがすべてだろうか?彼らは次のように議論している。
なぜこれが重要なのか?限界税率が70%の仮想的な世界で高校を卒業した生徒を仮定してみる。彼は大学を卒業してエンジニアになる夢を諦めるかもしれない。政府が彼の大学教育からのリターンの大部分を持ち去ってしまうからだ。よって彼は大学に行くことは割にあわないと結論してしまうかもしれない。彼は高い税率が原因で損失を被る。エンジニアを1人失うので社会全体としても損失を被る。
またはメディカルスクールの生徒を仮定してみる。彼女は心臓外科医になる代わりに小児科医になるかもしれない。政府が外科医になった場合の収入の大半を持ち去ってしまうからだ。小児科医になることが間違いなのではない。だが問題は政府が彼女の判断を歪めていることにある。つまり彼女は自身の選好や市場価格のみに基いて選択をしているのではないことになる。仮に多くの人が同様の選択をすれば外科医の数が十分ではなくなるだろう。
または小さい企業のオーナーを仮定してみる。彼の事業は拡大していて次の10年間でさらに拡大する機会があるとする。だが事業を拡大するには多くの労働を必要とするので(さらにリスクを伴うので)彼はそうすることを選択しなかった。彼がそのように判断したのは重労働からの報酬の大部分が政府に持ち去られてしまうからだ。
これらの問題は現実世界の最高税率を考える上で決定的に重要だ。彼らの言う(*省略している)3つの条件から引用するとこれらは明らかに「問題に関して一次の重要性」を持つ。すべてのアメリカ国民はリスクを取り裕福になろうとキャリア選択をした人々から多大な利益を得ている。高い税率によりその確率を大きく引き下げることは最適最高税率の決定に際して一次の重要性を持つ。
彼らの短期の推定はこれらの長期の効果を完全に無視している。彼らは「残念なことに長期の経路に関して僅かしか説得力のある実証研究がない」と議論している。
長期の弾力性に関する有力な実証研究が不足している中で彼らは明らかに悪い推定値を選んだ。彼らは長期の弾力性を実質的にゼロと仮定した。その仮定は学問の世界でならば構わないかもしれないが現実世界での提案としては明らかに妥当ではない。長期の弾力性に関して不確実な点が大きかったためか彼らは最適最高税率を50%から70%と極めて広い範囲にしている。経済学者が税に関して考える際の参考にはなるかもしれないが現実世界での提案としては範囲が広すぎる。これが読者が専門家に限られている学術論文と現実世界での適用を目的とする政策提案との違いだ。そしてこれは彼ら自身が提示した理論の結論を政策提案として用いる際の基準を彼ら自身が満たしていないことを暗に示唆する。
2.弾力性の値に関して。課税所得の短期の弾力性はeとして記述されていた。彼らは実証研究からの中間の値であるとしてeを0.25とした。我々は0.25を中間の値とは思わない。
税率が引き上げられた場合に人々は様々な方法で行動を変化させることが出来る。第一に労働供給を減らすことが出来る。初期の研究はこれを税の主要な効果と仮定していた。税率が引き上げられた場合にある労働時間は減少し増税による歳入の増加に下押し圧力を掛ける。Arnold Harbergerの一連の研究は課税が労働供給に歪みを与える効果に注力していた。彼の分析以降、労働供給の弾力性が課税の行動に与える影響を測る指針となった。Richard Blundell and Thomas MaCurdyはこの分野の一連の研究を批評し男性の課税に対する反応は低く女性は課税に対してより反応すると報告する傾向があることを発見した。
例えば人々は所得を医療保険や非課税の付加給付へとシフトしたり過小申告したりすることが出来る。Martin Feldsteinはこれらの行動変化を無視しているため労働供給の弾力性は所得課税の死荷重を大幅に過小評価していると議論している。彼の説明によると課税は非課税の財や行為の相対価格を歪める。よってすべての所得が労働所得であったとしても個人に裁量がある限りは課税所得の弾力性は総労働所得の弾力性よりも大きいかもしれない。
Lawrence Lindseyは課税所得が税率の変化にどう反応するのかを推定した最初の1人だ。彼は1981のEconomic Recovery Tax Actからのデータを用いて弾力性を1.05から2.75の範囲そして中央値を1.6と推定した。だが横断面のデータの使用は納税者の所得分布の相対的位置が税率の変化前と変化後で同じであると仮定することになる。
水平面のデータは横断面のデータに発生する多くの問題を避けることが出来る。税率の変化前と変化後の各個人の状況を比較することが出来るからだ。Feldsteinは1986のTax Reform Actの納税申告のパネルデータを用いて弾力性を1.1から3.05の範囲そして中央値を2.16と推定した。Gerald Auten and Robert Carrollは同様の回帰分析をより多くのデータを用いて中央値0.6とかなり低い値を推定した。John Navratilは僅かに異なる手法を用いて所得上位3%に対して弾力性1をその他の下位グループに対して低い値を推定した。
Bradley Heim and Auten, Carroll, and Geoffrey Geeは2001のEconomic Growth Tax Relief Reconciliation Actと2003のJobs and Growth Tax Relief Reconciliation Actのデータを調べて弾力性を0.32と0.39と推定した。彼らの推定値は低所得層よりも高所得層ではるかに大きかった。だがEGTRRAとJGTRRAの変化率は1980年代や1990年代よりもはるかに小さかった。
所得分布のトレンドを制御するためJon Gruber and Saezは1979から1990の州政府と連邦政府の納税申告のデータを用いた。その期間に各所得階層は幾度もの税率の変化を経験した。この方法にはトレンドを制御すること以外にも各所得階層間の弾力性の変動を調べることが出来るという利点がある。彼らは所得全体の弾力性に対して0.12、課税所得の弾力性に対して0.4と大きく異なる推定値を求めた。彼らはこの違いは税率により優遇税制が大きく影響を受けるためであると分析している。Seth Giertzは同様の手法を1979から2001の期間に用いた。彼は全体の弾力性を0.3、1990年代の弾力性を0.2と推定した。彼は所得全体の弾力性を0.15と推定した。
幾つかの研究は法律の変化を伴わない税率の変化の影響を調べている。Saezはインフレによって高い課税区分に移った納税者の行動変化を調べている。彼は平均的な納税者に関して低い弾力性の値を求めた。
ここまでに紹介してきたものはすべての国民を対象したものだった。Diamond and Saezの最適税率の計算に関係するのは高所得層の弾力性だ。この層に関して実証研究は何と言っているだろうか?
高所得者に対象を限定した研究ははるかに大きい弾力性の値を示している。例えばAuten and David Joulfaianは弾力性を1.3と推定している。Goolsbeeは1991から1995の執行役員報酬のデータを用いて1993のOBRAに対する課税所得の弾力性を調べている。彼は非常に高い(短期の弾力性が1以上)値を求めている。Robert Moffitt and Mark Wilhelmは弾力性を0.35から1.99の範囲と推定している。
弾力性の値0.25は高所得者に対して「実証研究から得られた中間の値」でないことは明らかなように思われる。実証研究はまだ高所得者の弾力性の値に関してコンセンサスを生み出していない。appendixで実証研究の結果をまとめた表を作成した。それと比較して弾力性の中央値0.25は整合しないように思われる。
彼らも暗にそれを認めている。彼らは「弾力性の変化は実質的な経済活動の変化によるものだけでなく租税回避や脱税にも影響を受ける」と言い「租税回避や脱税の機会がある場合に課税ベースは税率に極めて敏感になる。弾力性eは大きくなりそれに対応して最適な最高税率も低下する。重要なことは弾力性の租税回避や脱税によるものが構成する部分は不変のパラメータではないということで課税ベースの拡大や取り締まりで低下させることが出来る」と議論している。彼らは0.57を「保守的な上限の推定値」と言い連邦所得税の最高税率の下限は48%だと言う。
3.正しい社会厚生関数?彼らが掲げる目標は富裕層から可能な限りのお金を取り上げそれをばらまくことだ。その目標は社会厚生関数から発生してくる。社会厚生関数が暗示するのは人々は個人間で所得が等しい状態を好むというものだ。彼らの主張では「社会厚生は所得分布が平等であれば大きくなる」。
だが(*繰り返しになるが)その結果を現実世界での提案として用いることは適切か?それは多くの市民がその基準を採用している場合に限られる(彼らが冒頭で掲げた3つの基準のうちの1つ社会の受容性だ)。その基準は社会の受容性という試験をパスしないだろう。結果のみに焦点を絞り過程を完全に無視しているからだ。つまりこれらのモデルでの社会厚生は富裕層がどうやって裕福になったかに依存しない。富裕者は我々がそれがなければ困るようなものを発明したか?またはロビイングによって裕福になったのか?我々はそれらの問題が多くの市民に取って重要だと考えている。だから彼らにとってBill GatesはOKでJack Abramoffはそれ程でもないのだろうと。それと整合的なことに世論調査の結果は多くの市民が所得格差を「経済システムの許容可能な部分」と答えている。
さらに我々は人々の多くはこの社会厚生基準を受け入れないのではないかと考えている。多数の人は限界効用逓減の法則を少なくともある程度は認めているだろう。生活必需品を購入する余裕のない人はそうでない人に比べて1ドルにより価値を置くだろう。そして圧倒的多数のアメリカ市民はホームレスに食料や住居を提供したり困難に直面した個人に基本的な生活水準を保証する政策を支持している。だが現実には納税したお金が低所得者を対象としたプログラムにすべて使われるのではない。納税したお金は世界的基準で見れば超富裕層である中所得者に用いられる。低所得者のためのセーフティ・ネットや富裕層から中所得層への再分配を支持することは完全平等を支持することからはかけ離れている。よって社会厚生基準を現実世界への政策提案として用いるのは疑わしいのではないかと思われる。
市民が何を持って幸せを感じるのかまたは市民が何を持って公正と見做すのかは複雑な問題だ。我々は勤労や成功への努力だけが唯一の重要な要素だと言いたいのではない。我々の言いたいのは社会厚生基準はあまりに単純すぎそこから導かれる結論は平均的な納税者の望んでいることと相容れないということだ。
社会厚生関数に対する批判は教科書にも書いてある。教科書では個人間で効用を比較することには最大限の注意を促している。最適税率を研究する経済学者はその警告を無視し社会厚生関数をお咎めなしに用いている。繰り返すがミクロ経済学の授業を受け社会厚生関数の限界を知っている経済学者に対するものとしては構わない。だが個人間での効用の比較が可能との考えに基いて政策提案をすることは好ましいのだろうか?
この議題を研究する学術論文の大多数は社会厚生関数を用いていて所得をどのように稼いだかということは無視し富裕層の限界効用をゼロとしている。我々はFeldsteinの考えに共感を覚える。
「富裕層の厚生をゼロとし彼らを単なる収入源としか見做さない国家とはどのようなものなのだろうか?経済学者でない一般の人々はその提案を気に食わない集団の厚生を無視するものだと考えるだろう」。
それで最適な所得税の最高税率は何%なのか?Diamond and Saezは長期の弾力性を無視し社会厚生基準を採用し富裕層の限界効用をゼロとし租税回避や脱税がないとの仮定の下で短期の弾力性を用いて73%だと計算した。結果として我々は答えがそれより大幅に低いとかなりの確信をもって言うことが出来る。さらに政府が市民の所得の半分以上を税として持ち去ることは受け入れられないということも示した。だがこの議題に対して我々は答えを持っているのか?代わりとして明確な数字を示せるのか?(Simsの言葉を借りさせてもらうならば)仮に我々が答えを知っているのであればそれをとっくに世界に向けて発信している。