2013年9月24日火曜日

所得税の最適最高税率は73%ではない?

Should the Top Marginal Income Tax Rate Be 73 Percent?

by Aparna Mathur Sita Slavov Michael R. Strain

A. Diamond and Saez’s Arguments

2011のエッセイでDiamond and Saezは彼らの所得税の最適最高税率に関する理論を紹介した。

1.鍵となる2つの概念。彼らの議論を理解するためには2つの概念を心に留めておく必要がある。第一の概念は社会厚生関数でこれは社会の厚生水準を判断するための道具と考えられている。個人の効用関数と似たような概念だ。実際に社会厚生関数はすべての個人の効用関数の総和と考えられている。ここではこの概念が特に重要になってくる。大幅な最高税率の引き上げは個人の水準で見れば得するものと損するものを生み出すためだ。ここで議論となっているのは最高税率が引き上げられた場合に社会全体として厚生が増加しているのかどうかということだ。

第二の概念は限界効用逓減の法則で誰かが何かをより多く持てばそこから得られる効用はより少なくなっていくというものだ。
ピザを例に挙げると12切れ目のピザよりも2切れ目のピザからより多く効用が得られる。この概念は最高税率の議論に応用出来る。この概念によると貧しい場合の方が裕福な場合よりも消費からより多くの効用を得られることになる。個人間で効用が比較可能という仮定の下で裕福な個人の消費の価値は貧しい個人の消費の価値よりも少ないと言うことが出来る。

2.設定。所得水準z*以上の最高税率がtからt*に上昇したと仮定する。増税された個人は損をするがその他の人は得をする。ここで問題となるのは社会全体で見て厚生が増加しているのか否かだ。より一般的に社会の厚生が最大化される最高税率は何%かを求めようとしていると言うことが出来る。社会の厚生を最大化する税率を最適税率と呼ぶ。

3.機械的な効果と行動的なもの効果。税率の変化は2つの効果を持つ。第一は自動的な税収の増加だ。その他すべてを一定として税率の上昇により税収は増加する。第二は行動に変化を与える効果だ。その他すべてを一定として税率の上昇は幾つかの理由から課税所得を減少させる。

行動に変化を与える効果とは税率の変化に対して対象者の行動がどのように変化するかを意味する。税率の引き上げに直面した場合にある者は労働を減らすかもしれないしある者はより税率の低い所得源からの稼ぎへと代替するかもしれないしある者は活動を海外に移すかもしれないしある者は課税逃れに精を出すかもしれない。これらすべての行動の変化が政府に申告される課税所得を減少させるので最高税率の変化に対して課税所得がどのように変化したかを見ることによってこの効果を把握することが出来る。

tを限界税率とすると(1-t)はnet of tax rateとして表せる。行動の変化はnet of tax rateに関する課税所得の弾力性としてまとめることが出来る。これはnet of tax rateの1%の上昇に対して課税所得が何%上昇するかで定義される。

税率が40%から50%へと10%上昇することはnet of tax rateが10%ポイント下落または0.1/(1-0.4)=16.7%下落することを意味する。弾力性が0.5であれば課税所得は(0.5*16.7)=8.3%下落する。弾力性がより高ければ課税所得は8.3%以上下落する。つまり弾力性の値が高ければ税率の変化に対する課税所得の反応も大きくなる。逆もまた真だ。弾力性はnet of tax rateの変化に対して課税所得がどの位反応するかを示す。

これら2つの効果は互いに逆方向に作用する。その他すべてを一定として限界税率引き上げの自動的な効果は税収を増加させるが行動的な効果はそれを減少させる。

4.最適税率の決定に関して。彼らはこれら2つの効果を最適な最高税率を探すために用いている。税率の引き上げにより富裕層は不利益を被る。そして行動的な効果が機械的な効果を上回ればその他も不利益を被る。だが機械的な効果が行動的な効果を打ち消せばその他は利益を得る。その場合に富裕層の損失とその他の利益をどのように判断するのか?最適税率を求める目的は社会全体として厚生を最大化することであったことを思い出して欲しい。誰かが損失を被り誰かが利益を得る中でどのようにして最適であると判断するのか?

彼らは限界効用逓減の法則により富裕層の効用の減少はその他の層の効用の増大よりも小さいと議論する。実際に彼らは富裕層の損失はその他の層の利益に比べてあまりに小さいのでゼロと仮定しても構わないと言う。

富裕層からお金を取り上げることによる社会的損失はゼロと仮定することその他の層にお金を与えることによる社会的利益はゼロ以上と仮定することにより社会の目標は明確となる。政府は富裕層から可能な限りのお金を巻き上げその他の層にばらまくことだ。

上記の議論を踏まえた上で彼らは僅か2つのパラメータしか持たない最適最高税率を決定する式1/(1+a*e)を示した。パラメータaは単なる定数で所得分布の特徴を示す。ここでは1.5に設定されている。パラメータeは行動的な効果を示すものだ。彼らはeを0.25と設定している。彼らはこの値を「実証研究が示した中間の値」としている。この値が意味するのは税率が1%上昇した場合に課税所得は0.25%下落するということだ。これらの数字を用いれば社会的に最適な最高限界税率を求めることは簡単だ。式に数字を代入1/(1+1.5*0.25)=0.727すればいい。つまり富裕層は73%の限界税率に直面することになる。

彼らはeの値に関して論争があることを認めその他の値に関しても議論する。彼らは0.57を「保守的な上限の推定値」であるといい0.17を適切な下限の推定値であると示唆する。この2つの弾力性を用いて社会的最適最高限界税率は54%から80%の間であろうという。州税と社会保険料を差し引いた後では48%から76%になるという。

B. Our Response

(省略)

だが彼らの推定には重大な問題が扱われていないために現実世界への適用を困難なものとしている。

1.長期の行動の変化。彼らは暗黙的に行動の変化で重要なのは短期のものだけだと仮定している。つまり税率を引き上げれば課税所得に影響があるのは数年内に表れるというのだ。だがこれがすべてだろうか?彼らは次のように議論している。

「恐らく最も重大なのは1期間モデルによる推定が人々が毎年所得を稼ぎ毎年所得税を支払うような状況に未だ適用可能なのか?ということだ。第一に教育やキャリア選択に関する若年期の判断が後の所得に影響を与える。累進的な税制がそもそもからして人的資本を構築しようとするインセンティブを奪うことが考えられる。弾力性eは短期の労働供給の反応だけでなく教育やキャリア選択を通した長期の反応も反映しなければならない。ライフサイクルモデルや世代重複モデルを用いた研究も幾つかあるものの残念なことに長期の経路に関して説得力のある実証研究は僅かしかない」。

彼らは明らかに我々の異議について考えていてその重要性を認識している。

なぜこれが重要なのか?限界税率が70%の仮想的な世界で高校を卒業した生徒を仮定してみる。彼は大学を卒業してエンジニアになる夢を諦めるかもしれない。政府が彼の大学教育からのリターンの大部分を持ち去ってしまうからだ。よって彼は大学に行くことは割にあわないと結論してしまうかもしれない。彼は高い税率が原因で損失を被る。エンジニアを1人失うので社会全体としても損失を被る。

またはメディカルスクールの生徒を仮定してみる。彼女は心臓外科医になる代わりに小児科医になるかもしれない。政府が外科医になった場合の収入の大半を持ち去ってしまうからだ。小児科医になることが間違いなのではない。だが問題は政府が彼女の判断を歪めていることにある。つまり彼女は自身の選好や市場価格のみに基いて選択をしているのではないことになる。仮に多くの人が同様の選択をすれば外科医の数が十分ではなくなるだろう。

または小さい企業のオーナーを仮定してみる。彼の事業は拡大していて次の10年間でさらに拡大する機会があるとする。だが事業を拡大するには多くの労働を必要とするので(さらにリスクを伴うので)彼はそうすることを選択しなかった。彼がそのように判断したのは重労働からの報酬の大部分が政府に持ち去られてしまうからだ。

これらの問題は現実世界の最高税率を考える上で決定的に重要だ。彼らの言う(*省略している)3つの条件から引用するとこれらは明らかに「問題に関して一次の重要性」を持つ。すべてのアメリカ国民はリスクを取り裕福になろうとキャリア選択をした人々から多大な利益を得ている。高い税率によりその確率を大きく引き下げることは最適最高税率の決定に際して一次の重要性を持つ。

彼らの短期の推定はこれらの長期の効果を完全に無視している。彼らは「残念なことに長期の経路に関して僅かしか説得力のある実証研究がない」と議論している。

我々は長期の効果に関してうまく推定した研究がまだないという点に関して同意する。だが多くの経済学者はそれらの効果が存在し重要であるかもしれないことに同意するだろう。長期の弾力性に関してよい推定値をまだ得られていないのは単に適切なデータが不足しているからだ。実際に経済学に関する最も重要な問題の多くはデータの不足により答えるのが困難なことが多い。

長期の弾力性に関する有力な実証研究が不足している中で彼らは明らかに悪い推定値を選んだ。彼らは長期の弾力性を実質的にゼロと仮定した。その仮定は学問の世界でならば構わないかもしれないが現実世界での提案としては明らかに妥当ではない。長期の弾力性に関して不確実な点が大きかったためか彼らは最適最高税率を50%から70%と極めて広い範囲にしている。経済学者が税に関して考える際の参考にはなるかもしれないが現実世界での提案としては範囲が広すぎる。これが読者が専門家に限られている学術論文と現実世界での適用を目的とする政策提案との違いだ。そしてこれは彼ら自身が提示した理論の結論を政策提案として用いる際の基準を彼ら自身が満たしていないことを暗に示唆する。

2.弾力性の値に関して。課税所得の短期の弾力性はeとして記述されていた。彼らは実証研究からの中間の値であるとしてeを0.25とした。我々は0.25を中間の値とは思わない。

税率が引き上げられた場合に人々は様々な方法で行動を変化させることが出来る。第一に労働供給を減らすことが出来る。初期の研究はこれを税の主要な効果と仮定していた。税率が引き上げられた場合にある労働時間は減少し増税による歳入の増加に下押し圧力を掛ける。Arnold Harbergerの一連の研究は課税が労働供給に歪みを与える効果に注力していた。彼の分析以降、労働供給の弾力性が課税の行動に与える影響を測る指針となった。Richard Blundell and Thomas MaCurdyはこの分野の一連の研究を批評し男性の課税に対する反応は低く女性は課税に対してより反応すると報告する傾向があることを発見した。

この結果はDiamond and Saezの低い推定値と整合的なように見える。だが人々が課税を逃れる方法は他にもたくさんある。

例えば人々は所得を医療保険や非課税の付加給付へとシフトしたり過小申告したりすることが出来る。Martin Feldsteinはこれらの行動変化を無視しているため労働供給の弾力性は所得課税の死荷重を大幅に過小評価していると議論している。彼の説明によると課税は非課税の財や行為の相対価格を歪める。よってすべての所得が労働所得であったとしても個人に裁量がある限りは課税所得の弾力性は総労働所得の弾力性よりも大きいかもしれない。

Lawrence Lindseyは課税所得が税率の変化にどう反応するのかを推定した最初の1人だ。彼は1981のEconomic Recovery Tax Actからのデータを用いて弾力性を1.05から2.75の範囲そして中央値を1.6と推定した。だが横断面のデータの使用は納税者の所得分布の相対的位置が税率の変化前と変化後で同じであると仮定することになる。

水平面のデータは横断面のデータに発生する多くの問題を避けることが出来る。税率の変化前と変化後の各個人の状況を比較することが出来るからだ。Feldsteinは1986のTax Reform Actの納税申告のパネルデータを用いて弾力性を1.1から3.05の範囲そして中央値を2.16と推定した。Gerald Auten and Robert Carrollは同様の回帰分析をより多くのデータを用いて中央値0.6とかなり低い値を推定した。John Navratilは僅かに異なる手法を用いて所得上位3%に対して弾力性1をその他の下位グループに対して低い値を推定した。

所得分布にトレンドがあれば減税に基づく弾力性の推定は特に80年代でバイアスを持つかもしれないことが指摘された。Joel Slemrod and Austan Goolsbeeは所得分布のトレンドによって弾力性の多くが説明できるかもしれないと議論した(*疑わしい議論)。従って1990と1993の増税Omnibus Budget Reconciliation actsを考慮することが自然な選択になる。Carrollは1989から1995のパネルデータを用いて弾力性を0.4と推定した。

Bradley Heim and Auten, Carroll, and Geoffrey Geeは2001のEconomic Growth Tax Relief Reconciliation Actと2003のJobs and Growth Tax Relief Reconciliation Actのデータを調べて弾力性を0.32と0.39と推定した。彼らの推定値は低所得層よりも高所得層ではるかに大きかった。だがEGTRRAとJGTRRAの変化率は1980年代や1990年代よりもはるかに小さかった。

所得分布のトレンドを制御するためJon Gruber and Saezは1979から1990の州政府と連邦政府の納税申告のデータを用いた。その期間に各所得階層は幾度もの税率の変化を経験した。この方法にはトレンドを制御すること以外にも各所得階層間の弾力性の変動を調べることが出来るという利点がある。彼らは所得全体の弾力性に対して0.12、課税所得の弾力性に対して0.4と大きく異なる推定値を求めた。彼らはこの違いは税率により優遇税制が大きく影響を受けるためであると分析している。Seth Giertzは同様の手法を1979から2001の期間に用いた。彼は全体の弾力性を0.3、1990年代の弾力性を0.2と推定した。彼は所得全体の弾力性を0.15と推定した。

幾つかの研究は法律の変化を伴わない税率の変化の影響を調べている。Saezはインフレによって高い課税区分に移った納税者の行動変化を調べている。彼は平均的な納税者に関して低い弾力性の値を求めた。

ここまでに紹介してきたものはすべての国民を対象したものだった。Diamond and Saezの最適税率の計算に関係するのは高所得層の弾力性だ。この層に関して実証研究は何と言っているだろうか?

高所得者に対象を限定した研究ははるかに大きい弾力性の値を示している。例えばAuten and David Joulfaianは弾力性を1.3と推定している。Goolsbeeは1991から1995の執行役員報酬のデータを用いて1993のOBRAに対する課税所得の弾力性を調べている。彼は非常に高い(短期の弾力性が1以上)値を求めている。Robert Moffitt and Mark Wilhelmは弾力性を0.35から1.99の範囲と推定している。

弾力性の値0.25は高所得者に対して「実証研究から得られた中間の値」でないことは明らかなように思われる。実証研究はまだ高所得者の弾力性の値に関してコンセンサスを生み出していない。appendixで実証研究の結果をまとめた表を作成した。それと比較して弾力性の中央値0.25は整合しないように思われる。

彼らも暗にそれを認めている。彼らは「弾力性の変化は実質的な経済活動の変化によるものだけでなく租税回避や脱税にも影響を受ける」と言い「租税回避や脱税の機会がある場合に課税ベースは税率に極めて敏感になる。弾力性eは大きくなりそれに対応して最適な最高税率も低下する。重要なことは弾力性の租税回避や脱税によるものが構成する部分は不変のパラメータではないということで課税ベースの拡大や取り締まりで低下させることが出来る」と議論している。彼らは0.57を「保守的な上限の推定値」と言い連邦所得税の最高税率の下限は48%だと言う。

実質的な経済活動の変化と租税回避や脱税等を区別することは重要だ。だが現実世界での最高税率を租税回避や脱税等の活動を劇的に変化させることが出来るとの仮定の下で設定すべきだとは信じない。現実世界では荷車を馬車の前に置かないことが重要だ。

3.正しい社会厚生関数?彼らが掲げる目標は富裕層から可能な限りのお金を取り上げそれをばらまくことだ。その目標は社会厚生関数から発生してくる。社会厚生関数が暗示するのは人々は個人間で所得が等しい状態を好むというものだ。彼らの主張では「社会厚生は所得分布が平等であれば大きくなる」。

最適税率理論を研究するほぼすべての経済学者は社会厚生関数を用いていて同時に「平等であれば良い」という社会厚生基準を暗黙的に採用していることになる。だから彼らのモデルの設定に何ら特異なところはなくそしてその結果は学会論文の範囲で専門の経済学者で議論するのには有用だ。人々が所得が平等であることを好むのならば最適な税率は何%かという質問に答えることが可能だ。

だが(*繰り返しになるが)その結果を現実世界での提案として用いることは適切か?それは多くの市民がその基準を採用している場合に限られる(彼らが冒頭で掲げた3つの基準のうちの1つ社会の受容性だ)。その基準は社会の受容性という試験をパスしないだろう。結果のみに焦点を絞り過程を完全に無視しているからだ。つまりこれらのモデルでの社会厚生は富裕層がどうやって裕福になったかに依存しない。富裕者は我々がそれがなければ困るようなものを発明したか?またはロビイングによって裕福になったのか?我々はそれらの問題が多くの市民に取って重要だと考えている。だから彼らにとってBill GatesはOKでJack Abramoffはそれ程でもないのだろうと。それと整合的なことに世論調査の結果は多くの市民が所得格差を「経済システムの許容可能な部分」と答えている。

さらに我々は人々の多くはこの社会厚生基準を受け入れないのではないかと考えている。多数の人は限界効用逓減の法則を少なくともある程度は認めているだろう。生活必需品を購入する余裕のない人はそうでない人に比べて1ドルにより価値を置くだろう。そして圧倒的多数のアメリカ市民はホームレスに食料や住居を提供したり困難に直面した個人に基本的な生活水準を保証する政策を支持している。だが現実には納税したお金が低所得者を対象としたプログラムにすべて使われるのではない。納税したお金は世界的基準で見れば超富裕層である中所得者に用いられる。低所得者のためのセーフティ・ネットや富裕層から中所得層への再分配を支持することは完全平等を支持することからはかけ離れている。よって社会厚生基準を現実世界への政策提案として用いるのは疑わしいのではないかと思われる。

市民が何を持って幸せを感じるのかまたは市民が何を持って公正と見做すのかは複雑な問題だ。我々は勤労や成功への努力だけが唯一の重要な要素だと言いたいのではない。我々の言いたいのは社会厚生基準はあまりに単純すぎそこから導かれる結論は平均的な納税者の望んでいることと相容れないということだ。

最後に仮に多くのアメリカ市民が公正であると見做すものを無視したとしても現実世界での政策提案として社会厚生関数を用いるべきなのかは定かではない。効用は主観的な概念だ。個人内で異なる選択肢に対して効用を比較することは出来ても個人間で効用を比較することが出来るかどうかははっきりしない。例えば我々があなたに1から10の数字を用いてアイスクリームを食べてあなたはどれぐらい幸福を感じましたか?と答えるように尋ねたとしよう。そして5と答えたとする。今度はあなたの友人に訪ねて7という答えが返ってきたとする。我々はあなたとあなたの友人のどちらがより幸福を感じたのか知る手掛かりを得られるだろうか?ここに個人間の効用を比較することの難しさがある。

社会厚生関数に対する批判は教科書にも書いてある。教科書では個人間で効用を比較することには最大限の注意を促している。最適税率を研究する経済学者はその警告を無視し社会厚生関数をお咎めなしに用いている。繰り返すがミクロ経済学の授業を受け社会厚生関数の限界を知っている経済学者に対するものとしては構わない。だが個人間での効用の比較が可能との考えに基いて政策提案をすることは好ましいのだろうか?

C. Conclusion

この議題を研究する学術論文の大多数は社会厚生関数を用いていて所得をどのように稼いだかということは無視し富裕層の限界効用をゼロとしている。我々はFeldsteinの考えに共感を覚える。

「富裕層の厚生をゼロとし彼らを単なる収入源としか見做さない国家とはどのようなものなのだろうか?経済学者でない一般の人々はその提案を気に食わない集団の厚生を無視するものだと考えるだろう」。

それで最適な所得税の最高税率は何%なのか?Diamond and Saezは長期の弾力性を無視し社会厚生基準を採用し富裕層の限界効用をゼロとし租税回避や脱税がないとの仮定の下で短期の弾力性を用いて73%だと計算した。結果として我々は答えがそれより大幅に低いとかなりの確信をもって言うことが出来る。さらに政府が市民の所得の半分以上を税として持ち去ることは受け入れられないということも示した。だがこの議題に対して我々は答えを持っているのか?代わりとして明確な数字を示せるのか?(Simsの言葉を借りさせてもらうならば)仮に我々が答えを知っているのであればそれをとっくに世界に向けて発信している。

2013年9月7日土曜日

グローバル化で労働者が貧しくなったは世界中を巻き込んだコントだったのか?

Productivity and Compensation: Growing Together

by James Sherk

ケネディ大統領は経済が良い時はなんでもうまくいくと信じていた。それは現在に於いても大まかに正しいまでも多くの疑問が寄せられた。その主張に疑問を呈するものは1970年代から生産性が急速に上昇しているにも関わらず賃金は低迷していると論じた。彼らは生産性の上昇による経済成長はアメリカの労働者のためにならないと結論した。

これらの主張は統計の間違った解釈に基いている。彼らは直接比較することの出来ない生産性と給与のデータを併置して間違った結論を導いている。給与が生産性の伸びに追い付いていないとの主張は…

・報酬全体ではなく賃金の成長率を見ている。
・給与と生産性を異なる価格指数を用いてインフレ調整している。
・減耗の効果を除外している。
・生産性の計算に於いて発生する既知の測定誤差を無視している。

より注意深く比較すると過去40年で生産性は100%増加し報酬は77%増加していることが分かる。生産性の測定に伴う誤差によって残りの23%も説明できる。正しく比較を行えば従業員報酬は生産性に連動していることが分かる。生産性が増加すれば所得も増加している。

これは政策的に大きな意義を持つ。多くの政策当局者は経済が元の状態に戻ったとしても最早労働者が労働の対価を受け取ることは出来ないと誤って信じている。その誤った考えに基いて彼らは再分配に重点を置いている。より良い政策は労働者の生産性を高め高い給与を得られるようにすることだ。

多くの評論家は労働者が生産性の上昇から恩恵を受けておらず生産性が上昇しても給与は低迷するとさえ主張している。左寄りのEconomic Policy InstituteやコラムニストのPaul Krugman、政治家のElizabeth Warrenやその他大勢*5は皆これの変種の主張をしている。リベラル派は労働者が労働や生産性から対価を得られないのなら政府による介入が魅力的な代替案になると考えていると思われる。

5. Mark Thoma, “The Wedge Between Productivity and Wages,” Economist’s View,April28,2012,http://economistsview.typepad.com/economistsview/2012/04/the-wedge-between-productivity-and-wages.html (accessed June 24, 2013).

多くの学会の研究者や政策研究者がこの結論を否定している。ハーバード大学のMartin Feldsteinは生産性と賃金との見掛けの乖離は間違ったデータを用いているからだと結論した。正しいデータを用いれば給与と生産性は一緒に上昇している。Dean Bakerも同様の結論を下した。ジョージタウン大学のStephen Roseも同様に見掛けの乖離は精査すれば消滅することを示した。彼は生産性の上昇による経済成長は労働者に恩恵をもたらしていると結論した。多くの経済学者は雇用主は給与水準を労働者の生産性に基いて決定していて現在のように失業率が高まった場合など一時的に乖離が発生するだけと考えている。

Compensation Rising with Productivity

雇用主間の競争により給与が労働者の生産性に基いて決定されると理論は主張している。この意味で労働市場はその他の競争的市場と同じように動く。労働者の生産物以下しか支払わない企業からは労働者が離れ労働者の生産物以上に支払う企業は利潤が得られずお金を失い倒産にまで追い込まれるだろう。結果として労働者の給与は生産性に連動せざるを得なくなる。

政府の統計はこの予想を確認している。従業員報酬は過去2世代に渡って労働生産性と連動している。1973から2012に生産性は100%上昇している一方で時間あたり従業員報酬は77%上昇している。以下で説明するように生産性の測定に関わる問題が残りの差の大部分を説明している。

チャート1に過去40年間の報酬総額と生産性の伸びを示す。1973を基準としてy軸に対数化した報酬総額と生産性を示した(1973は給与と生産性の乖離が始まったと多くの評論家が主張している年だ)。だがチャート2が示すように2つは連動して上昇している。


チャート2は生産性と報酬の四半期成長率(を年率化して表示)を示す。1973以降、生産性は平均で年率1.8%上昇している。報酬は年率1.5%上昇している。大抵の景気循環期に於いてでも両者の成長率は0.3%以上乖離することはなかった。正しく比較すれば生産性と報酬は連動して上昇している。


Statistical Apples and Oranges

なぜ多くの評論家は労働者の給与が生産性と連動していないと主張するのか?例えばWarren議員は1970年代以降、連邦最低賃金が生産性と連動して上昇していれば現在の7.25ドルでなく22.00ドルになっていると主張している。

多くの評論家は生産性と給与のデータを非適切に比較してこの結論を導いている。チャート3に時間あたり平均賃金と生産性の成長率を示す。


これらはWarren議員の主張を支持しているかのように見える。生産性は2倍になっているが賃金は7%下落している。これはチャート1の結果と大きく異なる。

違いは異なる機関から集められたデータを異なる方法で処理していることから発生している。チャート3のデータは賃金しか含んでおらず報酬総額ではない。そして賃金と生産性を異なる方法でインフレ調整している。さらに人工的に生産性をインフレさせる要因を考慮していない。減耗率の増加、不正確な輸入価格だ。これらの要因を調整すれば給与と生産性の間の見掛けの乖離は消滅する。

Wages vs. Compensation

現金による賃金と給与(基本給)は従業員報酬の一部を占めるに過ぎない。雇用主は医療保険や退職給付、有給休暇などの非現金給付も支払っている。これらの付加給付は大きな割合を占めるようになってきている。賃金所得は課税される一方でこれらの給付は非課税(または控除される)のためだ。1973では非賃金給付は従業員報酬の13%を占めていた。2012ではその数字は25%に上昇している。

経済学者は労働者の報酬総額は生産性と連動して上昇しその上昇は賃金か給付のいずれかの形を取ると予想している。雇用主は労働者を雇用する際に発生する費用の総額を考慮に入れる。彼らは費用をどのような割合で賃金と給付に分割するかは雇用する際には考慮しない。従業員給付は従業員が受け取っていたであろう賃金から支払われる。賃金だけを見ていては報酬の中に占める給付の割合が増加していることを見逃してしまう。

さらに賃金と報酬のデータは異なる機関から得られ調査の対象とする労働者の範囲も異なる。最も頻繁に用いられる賃金の数字はBLSが提供していてそれは「生産及び非管理職」雇用者の給与だけを含んでいて管理職や多くの給与所得者を除外している。

さらにボーナスやその他の非定期の現金支払いも除外されているので多くの業績連動型の現金給与も記載されていない。業績連動型の給与は1970年代以降より一般的になっていてBLSの調査はそれらを把握できていない。

BLSは別個に報酬総額をLabor Productivity and Costs(LPC)として推計している。これには管理職や給与所得者などすべての労働者を含む。報酬総額の中で賃金と給与のデータはQuarterly Census of Employmentから取得して給付のデータは多くの情報源から取得した。

情報源が異なれば対象とする労働者の範囲も異なり報酬の形態が異なれば結果もそれに応じて変化する。これらの各要因がどの程度影響を与えているのかははっきりしない。分析者は生産性を報酬総額に対して比較すべきだということははっきりしている。そうでなければ間違った結論を導いてしまう。

チャート4は給与調査から取得した賃金のデータとLPSから取得した報酬総額との差を示している。これにより給与と生産性の間の乖離は大幅に減少する。時間あたり賃金の現金部分は7%下落しているが報酬総額は30%上昇している。見掛けの乖離の一部は従業員のすべての所得を含めていないことと異なる情報源を用いていることから発生している。


・インフレの調整 乖離のその他の要因は分析者がどのように報酬と生産性に対してインフレ調整をするかによって発生している。インフレは貨幣の価値を下落させる。経済学者は価格上昇の影響を取り除くために物価指数を用いる。これによりインフレ調整、または実質変化を調べることが可能になる。

BLSは生産性のインフレ調整に際してImplicit Price Deflator(IPD)を用いる。(このことを知らない)分析者は賃金と報酬のインフレ調整に際してConsumer Price Index(CPI)を用いる。この2つは直接に比較することは出来ない。この2つは方法論が異なり対象とする財とサービスの範囲も異なる。CPIで調整した報酬の成長率とIPDで調整した生産性の成長率を比較すれば間違った結論を生み出してしまう。

CPIはより最近になって開発された多くの物価指数と比べて高めのインフレを示す。結果としてCPIを用いて調整した数字はIPDに比べて名目の伸びをより多くインフレに振り向けることになる。例えば1973に10,000ドル稼いでいた労働者はCPIを用いて換算すると現在のドルで52,000ドル稼いでいたことになる。IPDを用いて換算するとその労働者は現在のドルで38,000ドル稼いでいたことになる。CPIはIPDに比べて過去40年間のインフレを36%過大に評価している。

異なる物価指数を用いれば結果も変化する。先程の労働者の例だと1973に10,000ドルの給与だったのが現在52,000ドルになったとするとCPIを用いている分析者からは彼の実質賃金は上昇していないように見えるだろう。IPDを用いている分析者は彼の実質賃金が38,000ドルから52,000ドルへと14,000ドル上昇したと結論する。報酬と生産性を正しく比較するためには両者に対して同一の物価指数を用いる必要がある。

・方法論の違い CPIがIPDよりも高いインフレを示すのには主に2つの理由がある。(1)方法論の違い、(2)計測する財とサービスの違いだ。消費者は価格の変化に反応する。アイポッドが安くなれば消費者はアイポッドをより多く購入しようとするだろう。そして価格が上昇した財やサービスの購入は控えられる。だがCPIはこの代替効果をたまにしか考慮に入れない。この理由により多くの経済学者はCPIがインフレを過大評価していると考えている。

さらにCPIはより正確でないデータを用いている。CPIを計算するに際してBLSはConsumer Expenditure Survey(CEX)からのデータを用いて消費者が様々な財やサービスをどのぐらい購入したかを推計している。この調査には大きなバイアスがある。家計は金額が大きいものや繰り返し購入するものは極めてよく記憶している(ことを示した研究がある)。結果としてCEXは家賃や光熱費などに費やした額は比較的正確に計測することが出来る。だが人々は調査期間中に購入するもので金額が小さいものや非定期に購入するものをしばしば忘れることがある。この過小申告によりアメリカの消費者が実際よりもはるかに多くの金額を住宅、ガス、電力の購入に費やしているかのように見えてしまう。これらの財の費用は他の財やサービスよりも速く増加している。この追憶バイアスはCPIで測ったインフレを過大評価する。

IPDはこのような問題を抱えていない。その他の代替的な物価指数であるpersonal consumption expenditures(PCE)もそうだ。政府はこれらの指数を企業の売上データを用いて計算している。企業は非常に詳細な売上のデータを記録しているのでこれらの指数は追憶バイアスの影響をあまり受けない。IPDとPCEは価格変化に対する消費行動の変化も考慮に入れて計算している。

チャート5に方法論の違いが与える影響の大きさを示す。CPIとPCEを両方用いてインフレ調整した報酬額を示している。BEAは代替効果を考慮に入れてPCEの計算を行っている。そして追憶バイアスの影響を受けにくい調査を用いている。CPIをPCEに単に置き換えるだけで報酬額は大幅に伸びる。過去40年間でCPIで調整した報酬額は30%増加したがPCEで調整した報酬額だと56%になる。


・消費された財 vs. 生産された財 その他にも物価指数の間には違いがあるがそれは技術的な方法論に関するものではない。CPIとPCEは両者とも消費財の価格の変化を計測している。IPDは企業が生産した財やサービスの価格の変化を計測している。ここにIPDがCPIとPCEと異なる点がある。IPDは企業が自分以外の企業に売却、または外国に輸出した財やサービスを含む。CPIとPCEは含まない。これらは原油のように輸入された消費財を含む。

過去数世代に渡って消費者が購入した財やサービスの価格は企業が生産した財やサービスの価格よりも速く上昇した。結果としてCPIやPCEのように消費財を対象とする物価指数はIPDよりも高いインフレを示した。それでも労働者の給与が生産性と連動して上昇しているかどうかを判断するために必要なのはIPDの方だ。

経済理論は労働者は彼らの限界生産物の価値に基いて給与を支払われると教えている。限界生産性は企業がその財を売却する価格に依存しているのであって消費財の価格にではない。経済学者は企業の生産する財やサービスへの需要が増加しそれが価格を押し上げたならば企業は賃金を引き上げると考える。経済学者は例えば原油価格がより高くなった場合などに企業が報酬を引き上げるとは考えない。報酬が生産性と連動しているかを判断するためには経済学者は従業員が生産した財やサービスの価格を用いる。

この要素により報酬と生産性の乖離はさらに縮小する。チャート6にIPDでインフレ調整した生産性と報酬の伸びを示す。これにより報酬額は77%増加したことになり生産性は100%増加したことになる。


・減耗率 生産性と報酬の乖離の5分の4は適切でない比較をしたことにより発生している。乖離の残りの部分は生産性上昇率を過大に見積もっていることから発生している。

この過大な見積もりの一部は生産資本の減耗が増加していることから発生している。生産性はグロスの産出を測る。従業員が生産したものすべてだ。だが生産資本のストックを維持するためには劣化したり(技術的に)陳腐化した資本設備を取り替えなければならない。そのために資源を費やしても所得は増加しない。

減耗率が一定である限りは報酬額の成長率に影響を与えることはない。

だが過去数世代の間に減耗率は上昇してきた。1970年代の初期の減耗率は大体14%だった。2000年代初期の減耗率は大体17%になっている。

他に変化したこととしてコンピュータやソフトウェアの使用が増加したことが挙げられる。これらは数年で取り替える必要がある。1993に建てられた工場はまだ使うことが出来るが1993のコンピュータを使っている人はほとんどいない。よって陳腐化した設備を取り替えるための費用を捻出する必要がある。そのお金は従業員に支払うことは出来ない。

減耗率の上昇は見掛けの生産性は低下させないが所得は低下させる。BLSは減耗を考慮せずに生産性を計算している。それはグロスの生産性であってネットの生産性ではない。だが減耗の影響は国民経済計算上に見ることが出来る。

BEAはGDPだけでなくNDPも計算している。GDPはある年度に生産されたすべてのものを計測している。GDPから減耗を差し引いたものがNDPだ。NDP成長率とGDP成長率の差は減耗の影響を示す。そこから減耗を考慮しないことから発生するバイアスの大体の大きさが分かる。報酬はグロスの生産性ではなくネットの生産性と連動するのが自然だ。

減耗率の上昇により残った乖離の半分を説明することが出来る。過去40年間で単位労働時間あたり実質GDPは69%上昇した。単位労働時間あたり実質NDPは58%の上昇で11%ポイント低い。従業員も雇用主もこの分を消費することは出来ない。これにより残った乖離23%ポイントのうち半分を説明することが出来る。

投資財と消費財の相対価格の変化がこの分析をさらに複雑にする。過去数世代の間で民間投資支出が経済に占める割合はほとんど変化していない。だが投資財の価格上昇は消費財の価格上昇に比べてゆっくりだった。その結果としてインフレ調整をすると過去の投資と減耗の経済に占める割合がより最近のものと比較して小さく見えるようになる。これは減耗率の上昇とは異なる。見掛けの減耗の増加は実質GDP成長率よりも実質NDP成長率の方を相対的により大きく低下させる。

これを調整するには同一の物価指数を用いるのが良い。この調整はNDPとGDPで消費財と投資財の量が異なることを無視している。NDPとGDPの調整にIPDを用いることにより1973以降の実質GDPの増加は69%になり実質NDPの増加は64%になった。これにより残った乖離の4分1を説明できる。

Problems with Measuring Productivity

計測の問題が生産性統計をさらにインフレさせる。最近の研究は企業が生産に用いるために輸入する財の価格をBLSが系統的に過大評価していることを示した。これには2つの理由がある。第一にBLSは外国の生産者が生産ラインをより新しく安いものに置き換えた場合に発生する価格の下落を把握できない。経済学者はこれを生産置換バイアスと呼ぶ。第二にBLSは企業が生産に投入する要素を国内のものから海外のものへと置き換えた場合に発生する費用の下落を把握できない。経済学者はこれをオフショアリングバイアスと呼ぶ。結果として生産に用いられる輸入財は実際の価格よりも高く記録される。

この一見したところでは小さく見える誤差が大きな意味を持つ。価格が人工的に嵩上げされているので企業が購入した財やサービスの数量が実際よりも見掛け上少なくなる。企業は少ない投入で多く産出していると見做される。この生産性の向上は統計の錯覚だ。政府は低い国際価格から発生する費用の低下を生産性の向上として誤って報告している。

このバイアスは1997から2007の製造業の生産性成長の7%から18%を占める。小売などその他の部門にも影響を与えるが経済学者は非製造業で発生するバイアスの大きさを推計していない。だが生産性は製造業の方が経済全体よりも成長が速い。よってこのバイアスの影響は非製造業よりも製造業で大きい。

このバイアスが他の部門に影響する程度に応じて残った乖離の部分も変化する。統計の錯覚は誰の給与も引き上げない。生産性は政府の公式統計が示唆するよりも速く成長していない(かもしれない)。

・乖離の過大評価 不正確な輸入価格の要因により残った乖離の一部を説明できると思われる。チャート2に景気循環における生産性と報酬額の成長率を示した。ほとんどの場合で両者は0.3%ポイント以上離れていない。2001以降に両者は乖離し始めて生産性の成長率が報酬額の成長率を0.7%ポイント以上上回るようになる。2001から2007には生産性は年率2.6%成長し過去40年間で最も速い成長を記録した。

これは国際貿易が大幅に拡大した時期と一致する。1980年代と1990年代の初期には輸入はGDPの10%を占めていた。議会が1993にNAFTAを承認してから2001までに輸入はGDPの13.6%まで拡大した。

最近の不況で落ち込むまでは貿易は拡大を続けていた。現在では輸入はGDPの17.5%を占めるようになっている。これは国内の生産にも影響を与えている。製造業は1997に資材の17%を輸入していた。2007までにその数字は25%まで上昇している。

輸入の増加は先程のバイアスをより拡大させる。輸入財の使用による費用の下落は1990年代後半以降拡大している。BLSが輸入価格の計測方法を修正するまではこの要因を定量化することは出来ない。言えることは政府の統計が生産性成長をインフレしていてこの問題が2001以降拡大していることまでだ。

・乖離の分解 これまで述べてきた要因で乖離のほとんどを説明できる。乖離のほとんどは統計の錯覚だ。報酬は従業員が生産した価値と連動している。

チャート8に個々の要因がどれだけ影響しているのかを分解して示す。乖離の35%は報酬総額ではなくその一部を用いることにより生じる。乖離の44%は異なる物価指数を用いることにより生じる。乖離の21%はその他の要因、減耗、輸入財の価格、そして実際に2つが異なることにより生じる。正しく比較をすることにより報酬と生産性の成長率が大部分連動していることを示すことが出来る。

Conclusion

(省略)