Classical Deflation Theory
by Thomas M. Humphrey
デフレーションは一般価格が下落する現象だ。ディスインフレーションと混同してはならない。1990年代のディスインフレーションが最近のデフレーションに対する懸念を生み出した。この懸念は日本で実現した。デフレーションの最も有名な事例は1929-1933の大恐慌だろう。価格は4分の1下落し産出は5分の2下落した。
古典派の経済学者はデフレーションを恐れていた。何故なら予期されなかった場合には債務者から債権者への所得と富の移転が起こるからだ。だが古典派はこの更に先を見ていた。古典派はデフレーションの経済に対する影響として以下のものを挙げていた。価格と賃金の粘着性、実質債務や税負担の増加、名目価値の調整の遅れによる費用の増大、将来のデフレーションの予期による現金の保蔵、その他諸々。一般的に古典派はデフレーションを予期されないものと仮定していた。
古典派はこれらの現象を貨幣数量説と粘着価格の仮定のもとで整合的に分析していた。数量説はデフレーションの原因を貨幣残高の減少と見做していた。粘着価格の仮定は一時的な生産や雇用への影響を説明していた。これら2つの柱により貨幣の短期非中立性と貨幣の長期中立性とを融合させていた。デフレーションの影響とその伝播するメカニズムにおいて古典派の中では概ね合意が出来ていた。
だがそれは政策に関する具体的な合意にまでは至らなかった。古典派の数量説の枠組みによればデフレーションを避ける方法は貨幣残高の縮小を避けることだ。しかしその処方箋に対する反応はそれぞれの古典派経済学者の中で異なっていた。完全雇用を選好する者はインフレーション後の高い価格を受け入れるべきだと考えていた。処方箋が金本位制と対立するものであったとしても後者の方が問題だと見做していた。完全雇用の提唱者は金本位制を廃止して管理された兌換制と変動相場制に移行することを提案していた。戦前の金平価への復帰を望んだ者も貨幣残高の縮小に同意したもののデフレーションのコストを最小にするために穏やかなペースで移行することを提案していた。
前述の古典派の貢献は彼らのものとして認識されることは決してなかった。私の知りうる限りでは古典派のデフレーション理論について系統的に調べたものは存在しない。その代わりに、アービング・フィッシャーのデットデフレーション理論や名目利子率、実質利子率の区別、クヌート・ヴィクセルの完全に予期されたデフレーションの概念、ウィラード・ソープの実証分析などの新古典派の文献(1870-1936)への参照を目にすることがほとんどだろう。これらの新古典派の文献はよく知られているものの対照的に古典派の文献はほとんどが無視された。この研究はその欠落を埋めるものだ。6人の古典派経済学者の豊かで整合的なデフレーション理論に焦点をあて間違って新古典派の経済学者のものとして扱われているその理論の構成要素が現在でもなお生き残っていることを示す。これら6人はデフレーションについて述べた古典派経済学者のすべてでは決してない。それでも彼らは影響力という点に関して際立っている。彼らの著作は古典派のデフレーション理論を代表している。
古典派のデフレーション理論はDavid Humeから始まる。他の古典派と違い彼は当時の時事問題からではなく彼の著作の百年以上前の出来事から考えを得た(1560から1650のスペインの新大陸での植民地からの銀の流出に関連する経済の停滞)。彼の著作は古典派の理論の主要部分を確立したという点で重要だ。彼によればデフレーションは情報の不足により予期されていないか認識されておらず価格は貨幣残高の変化に遅れて反応しそれ故その貨幣残高の縮小は短期において実質変数に対して非中立の効果を与えるという。中でも彼の著作は価格が粘着的な場合でのデフレーションの影響と価格が伸縮的な場合でのデフレーションの影響を描いて見せている。
1752のエッセイ「Of Money」の中で彼はデフレーション的な貨幣残高の縮小が粘着的な価格を通して一時的に産出と雇用を減少させると主張している。粘着価格は(彼はこれを価格設定者の貨幣残高に関する不完全情報とその変化に対する対応の失敗に求めた)デフレ圧力が価格を下落させるより先に実質数量にまず影響を与えることを意味していた。貨幣数量説をMV=PQとしMを貨幣残高、Vを貨幣乗数、Pを物価水準、Qを実質数量とするとVを一定として(彼はいつものようにこう仮定していた)Pが粘着的ならばMの下落は総需要MVを減少させることにより一時的な財の供給過剰となり価格が下落するより前に生産者にQをカットさせ労働者を解雇させるように強いる結果とならなければならない。貨幣残高の縮小は彼によれば「商品価格の同時の比例的な変化を伴わない。物事が新しい状況へと適応する前には必ず期間がある。そしてこの期間は(産業にとって壊滅的なのであるが)貨幣が減少している場合に発生するだろう」。ここには単なる債権者-債務者間の分配効果以上のデフレーションの影響に対する古典派の認識の源がある。
デフレーションのコストを分析する中で彼は一度限りの貨幣残高の縮小と連続して起こる貨幣残高の縮小との効果を区別した。一度限りの縮小は短期に一時的な損失を与えるだけで長期ではそのような損失は起こらない。始めに貨幣残高の縮小は経済活動を低下させる。だがその停滞はやがては終了し物価水準の低下だけが残る。この段階では彼は後にスウェーデンの経済学者であるP. N. Christierninが詳細に描いて見せたデフレーションのミクロ的基礎のヒントを仄めかしただけだ。彼は価格(と賃金)は価格(賃金)設定者が在庫が増えたり未活用の労働が尋常でないほど増加したことに気づきこれらを価格(賃金)の下方調整へのシグナルとして解釈した場合に初めて下落を開始すると示唆した。この修正はすべての認識過誤が消滅するまで続きその後経済活動は自然水準にまで回復する。これが古典派の貨幣の短期非中立性、長期中立性の教義の源流だ。
彼は長期の中立性は一度限りの貨幣の縮小に対しては成立するが継続する貨幣の縮小に対しては成立しないと主張し後者は持続的な影響を与えると考えていた。彼の説明はシンプルだ。連続する貨幣の縮小は主体の情報の欠如により部分的にしか予期または調整することが出来ず情報の欠如は主体に静的な期待を抱かせ現在の貨幣残高と物価水準が将来に渡っても続くであろうとの期待を抱かせる。そのような貨幣の予期されない縮小は常に価格の粘着性に一歩先行し主体に持続的な調整を強いる。結果は貨幣の縮小が先導して物価の低下が漠然と続くことになる。そして持続的な経済活動の低下を生み出す。(一度限りの貨幣の縮小に対して)古典派の貨幣中立性の提唱者であった彼は継続する貨幣の縮小に対しては長期の非中立性が成立すると考えていた。
注2 前述の同一の貨幣残高から出発し一方は負の変化をもう一方は正の変化をしている2つの国について彼は言及している。ここには長期の実質変数に対して重要なのは貨幣の量ではなくその変化率だという彼の考えが示されている。
「デフレーションを発生させよう」。彼は「Of the Balance of Trade」の中でイギリスの貨幣残高の5分の4が価格の同時比例的な下落を伴って一夜にして消滅すると思考実験した。すぐにイギリスの財は世界市場に対して安くなり他国の財を圧倒するであろうと。
輸出の拡大と輸入の縮小は金の流入を伴った貿易黒字を生み出すとした。金の流入は国内の貨幣供給と総支出を拡大することにより国内の物価をデフレーション以前の水準まで引き上げるであろうと。これらのことは瞬時に起きるのでデフレーションは極めて短い期間で収束するであろうと。さらに「我々が失った貨幣を取り戻させ近隣諸国と同一の物価水準へと引き上げさせざるを得ないであろうと」彼はレトリックを込めて述べる。実際に他の文章の中で彼は商品間の裁定により自国と他国の価格差は瞬時にして消滅するであろうと仄めかしている。
彼の結論は、金の量を需要に対して可能な限り速やかに増加させよ、そうすればデフレーションは開放経済下においては最悪でも一時的な問題であるとし深刻な問題にはならないであろうというものだった。デフレーションは貿易収支を通した貨幣の拡大により自己修復的な現象となるであろうと。結果は彼の価格の慣性の重要性を強調するものとなる。価格の慣性により閉鎖経済では粘着的価格により苦痛を伴い開放経済では伸縮的な価格によりその苦痛は穏やかなものとなる。
ヒュームは恐らく金本位制と固定相場制の国に対するデフレーションの分析を行った最初の古典派の経済学者だった。Pehr Niclas Christierninはウプサラ大学で経済学の講師をしていたスウェーデン人で純粋な紙幣本位制と変動相場制に対して分析を行った最初の古典派の筆者だ。スウェーデンは1745に兌換制へと転換し7年戦争の期間中インフレーションに苦しめられていた(1755-1762)。彼はその期間の最後の年に著作を残している。インフレーションが許容できない水準にまで達したのでスウェーデンの政府はその対策を考慮し始めたところだった。政治家の中のある集団はインフレーション以前の物価水準へ復帰するためにデフレーションを提案していた。
彼はその政策に反対した。1761の講演で彼は最善の方法は既に起こったインフレーションを許容し現在の物価水準のもとで価格を安定化させることだと述べた。物価の水準はそれが大きなものであれ実質変数にとってはそれほど重要ではないと。主体はどのような物価水準にも適応し既知のもののように振る舞うであろうと。だが彼らはその水準からの変化には耐えることが出来ない。どのようなことがあっても物価を下落させてはならない。繁栄を破壊し経済を不況へと陥れるだろうと。彼の懸念は1768に政策当局者が物価水準を半分にすることを決定したことにより現実のものとなった。
ヒュームの意見は彼の「デフレーションは貿易と産業と一般の幸福を減少させる」という主張の中に反映されていた。ヒュームと同様に(ヒュームの著作を彼は知っていた)彼は価格-賃金の粘着性がデフレ圧力を産出と雇用の減少へと転換させるものと見ていた。価格と賃金の調整が遅れるために(後者は前者に対して特にそうだ)貨幣の減少は実質賃金の上昇へとつながり(実質)利潤を低下させ(実質)支出は減少し貨幣賃金と価格が完全に低下するまでの間、経済活動を停滞させるだろうと述べた。その期間では国内と海外との取引の間で停滞が起こるだろう。
国内部門ではヒュームの粘着価格以外のいくつかの要因がデフレーションの効果を増大させるだろう。彼によるとそれらの要因とは、望ましくない在庫の蓄積(ヒュームによって述べられていた)、債務の実質価値の増大、税の実質負担の増大、デフレ期待(貨幣を保有することにより得られる予想利益率)が増大させる現金の退蔵だ。これらすべてが実質で見た支出を阻害し経済を潜在水準以下へと低下させることになる。
第二にヒュームによって仄めかされただけであった価格と賃金の粘着性のミクロ基礎をはっきりと言明したことだ。「誰も」と彼は述べる。「売上の低下がそう仕向けるまでは自分の商品の価格や労賃を下げないだろう。この条件のために労働者は苦しみ賃金獲得者は現在の市場価格が低下する前に生産を停止しなければならない」。言い換えると生産者と労働者は価格と賃金を供給が余った場合にのみ引き下げるだろう。財と労働の余剰の増価は価格と賃金を引き下げる契機となるシグナルを形成するだろう。
第三に最も重要なこととしてヒュームが挙げたもの以外のデフレーションの効果がある。これらには(1)消費と投資の減少、(2)望ましくない在庫の蓄積、(3)実質で見た税負担の増大、(4)実質で見た債務負担の増大とそれに関連する倒産の連鎖、(5)デフレ期待の増大(財ではなく貨幣を保有することにより得られる利益の増大)とその結果としての貨幣の退蔵、(6)相対価格構造の変化、(7)為替レートの増価がある。印象深いリストだろう。
このリストの中で消費と投資の減少に関して彼は以下のように述べている。「銀行紙幣の減少は全員の消費を減少させすべての部門の生産を縮小させるであろう[資本財生産部門も含めて]。資本の欠如[労働者の雇用とさらに生産性を高めるのに必要な]は失業と労働者の労働意欲の減退を意味し産出の減少へとつながるだろう」。望ましくない在庫の蓄積に関しては「貨幣の不足は財の需要を減少させ生産を阻害するであろう」。実質で見た税負担の増大に関して「貨幣の形態で課せられ支払われる税は価格が下落した場合に以前と同額の税を支払うのにより多くの労働と財を必要とするのでその負担を増大させるだろう」と述べている。
更に続ける。実質で見た債務負担の増大とそれに関連する倒産の連鎖に関して「価格が下落した場合に債務者は彼の債務を返済するためにより多くの労働と商品を必要とする。債務はより返済するのが困難となるだろう。倒産が起こり一つの倒産がより多くの倒産を引き起こすであろう」。デットデフレーションの連鎖は「すべての債務者に(債務の支払いをするために)価格がさらに下落する前に彼の持つすべての財を売却したいと考えさせるだろう」。売り抜けることを望んで市場を財で溢れさせている売り手はだが消費者が「低価格でしか財を購入しないことに気付くだろう。そして例え消費者が購入したとしても(さらに債務が支払われたとしても)銀行への元本の償還は新たな貨幣の循環の減少を引き起こすだろう」。結果は「完全な信用の崩壊となり」そして「債権者は債務者の支払い能力の欠如を恐れて貸出を行わなくなり債務者は価格の下落が[債権者の貸出意欲を低下させそれにより金利が上昇するので]債務負担を増大させるので借入を行わなくなるだろう」。
これらの現象に対する詳細な説明は1933のフィッシャーの著作まで待たなければならなかっただろう。それまでは彼の説明が標準を為していた。
同様に彼のデフレ期待の説明と結果としての貨幣の退蔵に関する議論は1920年代まで標準となっていた。この期待が生み出す現金への需要に関して「デフレーションは投機と退蔵が原因となって貨幣への需要を増加させる。貨幣供給の減少の結果として銀行紙幣がより価値を増してその結果すべての価格が低下することが一旦明らかになると全員がその時の到来を待つようになりその時が訪れるまでは本当に必要なもの以外の購入は控えられるようになるだろう。その代わりに現金が退蔵されるだろう」と述べている。
Christierninの著作はThorntonの著作より先だったとは言え彼(ロンドンの銀行家で内閣の一員であり貨幣理論に関する19世紀の最も有名な2つの著作のうちの1つの筆者)がそれを知っていたと考える理由はない。Christierninはスウェーデン語で書いていたのでThorntonと彼の同時代人には読めなかった。そしてThorntonはChristierninと重要な点において意見を異にしていたからだ。両者とも価格の上昇を戻そうとする行為がもたらす結果を恐れていたことでは共通していた。しかしChristierninが価格の上昇を単に紙幣の過剰発行に求めたのに対してThorntonは実質的な要因もまた原因であると考えていた。Christierninは貨幣の過剰発行を元に戻そうとすることに反対したがThorntonは混乱を避けるために穏やかな速度で戻すことを望んだ。彼は貨幣残高の一部である紙幣の過剰発行は金が流出した後でも(彼の時代では金はまだ硬貨として流通していて輸出のために溶かすことが出来た)持続的な影響をもたらすと考えていた。つまり紙幣の過剰発行は価格を高止まりさせてその国の商品の世界市場での競争力を奪うだろうと考えていた。それは貨幣的要因というより実質的要因による価格の上昇だった。実質的要因は紙幣の過剰発行と異なり一時的で自己修復的傾向を持っていた。そのようなものを貨幣の収縮を通して修復しようとすることは意味のないことのように思われた。
彼の第二の経路は粘着的な貨幣賃金だ。価格が下落した場合に賃金が下落しなければ名目賃金の粘着性は実質賃金の上昇と利潤の減少へとつながり雇用と生産の動機を破壊するだろう。Christierninはもちろん同じ事を述べていた。
Christierninは価格下落時の粘着性の原因や源については何も述べていない。ここにThorntonの優位点がある。彼はこの源を当時の金本位制のもとでは(ナポレオン戦争期間中には一時的に停止されていたが)価格の下落は一時的で元に戻されるという労働者の信念に求めていた。下落した価格がすぐに元の水準に戻ると予想している労働者は移行期間中に賃金カットに中々応じないだろう。彼の1802のPaper Credit of Great Britainの中で彼は全容を古典派に並ぶものがないだけでなく現在においても超えられていない明晰で正確で明察な文章で表現している。
製造業者の価格の逓減はあまりに大きく下落した場合には商品を製造する労働を停止させるかもしれない。工匠は商品の売上が極端に悪い場合には手を休めるかもしれない。銀行紙幣の逓減が同様の商品価値の逓減を生み出しそれに賃金の逓減が伴うと仮定すれば在庫の損失が残るとはいえ生産の意欲はそのままとなるだろう。だが慣れ親しんだ水準からの急激で突然の銀行紙幣の減少は尋常でない苦痛を生み出しそこから価格の下落が生じてくる。だがその価格の下落は対応する賃金の下落を生み出さない。価格の下落と苦痛は一時的なものと理解され(我々もよく知っての通り)賃金は財の価格のようには変動しない。よって尋常でない価格の下落は生産の大幅な停止を招くと恐れる理由がある。
彼の第三の経路は遊休資源と資源の誤配置が引き起こす無駄と非効率性だ。これは「紙幣の逓減がそうでない場合と比べ産業を非生産的にする」ことによって起こる。彼は生産計画が中止し捨てられそれに従事していた労働が失われるような資源投入の浪費へとデフレーションが導くシナリオを描写する。設備は何も生み出さない期間には閉鎖される。売れ残った財は物理的減耗と老朽化により価値を失い在庫として積み上がる。現金を渇望する生産者は流動性を確保しようと財を投げ売るだろう。これらの理由により彼は「(生産が)消費に応じて変動しすべての商品を生産者の手から消費者のもとへと送り届けていたもの、これは産業を生産的にする手段の一つなのであるが、さらに富をもたらしていたものは停止するだろう」と述べる。
彼は実質要因に生じた国際収支の赤字であろうとデフレーションによって輸出の促進と輸入の制限を行うことは間違った方法であると結論した。デフレーションは「そのような圧力を商業の世界に加えることにより必然的に製造業者の労働の中断を引き起こす。それは輸出可能な財を増加させ輸入材に対する超過により金を国内へ流入させるのに適した方法では明らかにない」。撹乱要因が自身を修正するまで紙幣はそのままかまたは紙幣の増加によって撹乱要因を乗り越えた方が良い。
4. DAVID RICARDO (1772–1823)
古典派の中でDavid Ricardoは貨幣と物価水準の変化は短期においても長期においても実質変数に対して影響を与えないと考えていると思われてきた。しかしこの評価は妥当ではない。彼のデフレーションのコストに対する認識は金の市場価格と法定価格の等価性を回復させようとする彼の政策ルールの根底を為していた。兌換性の再開にあたって彼は金の市場価格と法定価格の価格差が小さな場合にデフレートすることを提案していた。価格差が大きな場合には金の市場価格を過去の法定価格へと引き下げるのではなく法定価格を現在流通している金の市場価格へと引き上げることにより価格差を取り除くことを提案していた。彼は更にデフレーションを慎重に推し進めることとデフレーションを悪化させる政策の誤りを取り除くことを推奨していた。
彼は銀行制限時代の第二のデフレ期(1815-1821)に著作を残している。戦争期間中に金の価格は大幅に上昇し地金は法定価格に対してプレミアムを要求するようになった。金の兌換性の再開の決定はこのプレミアムの縮小を意図していた。紙幣を法定価格で金に変換出来ればそのようなプレミアムは存在することが出来なくなるだろう。裁定取引によりプレミアムは消滅する。だが政策当局者はどちらの価格(市場価格か法定価格か)が調整するかを法定平価を通して決定することが出来る。金の市場価格を戦前の金の法定平価まで下落させるか金の法定平価を現在の金の市場価格まで上昇させるかによって2つの価格の等価性を確保することが出来る。1つ目の選択肢は貨幣残高の縮小を意味する。2つ目の選択肢は戦間期の金価格の上昇を受け入れて金の法定平価をその水準で維持し貨幣残高を変更しないことを意味する。
彼は2つの前提条件付きで1つ目の選択肢を好んだ。1つ目は金の市場価格と法定価格の差が大き過ぎないことだ。5%の差を取り除くことはよく30%の差はだめだ。30%以上の差になると彼は戦前の金の法定平価への復帰を取りやめた方がよいと考えていた。戦前の平価に復帰するのではなく価格をそのままにしておくほうがよい。1821の9月にJohn Wheatleyへ宛てた手紙に書かれてあるように「私は政府に30%以上のデフレによって通貨価値を回復させよと提案したことは一度もない。私は平価を引き上げて減価した状態で通貨価値を固定しそこからの更なる変動を起こさないことを推奨するだろう。私が推奨したのは5%以内であって30%以上のものではない」。
彼の第二の前提条件はデフレーションは、一度イングランド銀行がそれを起こすと決めたのであればゆっくりと行わなければならないというものだ。Thorntonの著作の影響からか彼は急激なデフレーションは経済を破壊すると考えていた。「貿易と商業に対して最も破壊的な結果を伴うだろう。荒廃と恐慌をもたらすので通貨価値を回復する手段としては得策ではない」。急激で突然のデフレーションは絶対に避けなければならない。漸進主義が小さな価格差を埋めるためのデフレ政策の鍵となる。「(ゆっくりと)段階的に行えば」と彼は述べる。「わずかの不利益しか感じられないだろう」。この関連で彼は一時的な減価を、つまり市場価格が適合するであろう一時的な法定平価を設定してそれから両者を以前の水準へと戻していくことを提案した。
彼の最大の懸念は兌換性の再開にあたってイングランド銀行の政策ミスがデフレーションを悪化させることにあった。特に彼はイングランド銀行が金の世界市場での需要に対して大きな影響を及ぼすことを懸念していた。この需要は金の価値を競り上げまたは言い換えれば金から見た他の財の価格を下落させるだろう。この価格の下落によるデフレーションは金の貨幣価格のデフレーションをより一層押し進めて(その他の)財の貨幣価格に2重の下押し圧力を加えるだろう。
リカードの議論は極めて独創的だ。財の貨幣価格Pは定義により金の貨幣価格Gと財の世界実質金価格Rとの積P=GRに等しい。彼は兌換性の再開に伴うデフレーションは2つの要因から発生すると考えていた。第一の要因は金プレミアムの下落、または金の貨幣価格Gの下落で平価に復帰するために必要なものだ。第二の要因は金の世界供給量を固定的として兌換性の再開の結果として生じるイギリスの追加的な金需要によって引き起こされる財の実質金価格Rの下落だ。
イングランド銀行の準備保有の必要性を解放することによりイングランド銀行は世界の金市場から切り離され結果として財の金価格Rにわずかな低下圧力しか加えないだろう。金の実質価値がほとんど変動しないので商品価格Pのデフレーションは正貨の名目価格Gの下落に限定されるだろう。
彼は彼の計画のもとではデフレーションは5%に満たない水準に抑えられるだろうと推計していた。だが議会もイングランド銀行も彼の計画を採用しなかった。議会は彼の計画が実行可能か検討しなかったしイングランド銀行は金庫を金で満たした。この金は世界市場から吸収されたものだ。デフレーションは彼が推計したものの2倍になった。この超過のデフレーションは兌換性の再開にあたって彼が政策ミスとして非難していたものだ。
5. THOMAS ATTWOOD (1783–1856)
銀行制限時代の筆者でバーミンガムの銀行家であったThomasAttwoodは最も急進的な反デフレ論者だった。彼はリカードの提案のいずれにも賛成しなかった。それらのすべて、漸進主義や切り下げを含め金の市場価格を安定させる構想が少なくとも完全雇用が達成されていた時期のピークを下回ることを意味する場合には。リカードの価格安定化の目的は戦後の恐慌に最も強く打撃を受けた地域にいた彼にとって有害なものに思われた。「第一にして最も重要な使命は」と彼は述べる。「労働に対する需要を回復させ国中にそれを行き渡らせることである」。需要を増幅させることにより「労働に対する需要は恒久的にその供給を上回る」と彼は述べる。
彼の同僚よりもよりデフレーションを恐れたのはデフレーションがゆっくりと不均一に破壊的に価格機構を通して機能すると考えていたからだ。「価格が急激に全般に均一にすべてのもので下落するならば」彼は述べる。「債務と負債の額が同時に同率で下落することがよく理解されているならば消費や生産に打撃を与えないということがありうる。その場合には損害も利益も発生しないだろう。だが下落が最初の商品から次の商品へと知られないままに発生するならばまた対応する債務と負債の減額が起こらないならば繁栄を破壊し生産を縮小させ雇用を減少させる効果を持つだろう」。
Robert Torrensの関税を理論に加える努力に対する言及なしには古典派のデフレーション理論の調査は完了しない。1812に彼は既に価格の下落を阻止する手段として国内の関税を引き上げることを推奨している。そのような制限は国際的な特化と分業の利点を犠牲にすることを認めてデフレーションの費用を避けることは自由貿易からの利益を喪失することを凌駕するとしている(*TPP参加がもう決定したので時効ということでいいでしょう)。
1844の彼のThe Budgetの中で彼は金本位制のもとで外国関税が国内にデフレーションをどのように波及させるかを示している。彼はこの結果を2国2財モデル(有名なキューバ-イングランド、砂糖-布地)を用いて示している。彼のモデルは各国が比較優位を持つ財の生産に特化した輸出部門を持つ。モデルはさらに両国の両財に対して弾力的な需要という特徴を持つ。
これらの仮定のもとで彼はキューバが布地に100%の関税を課せばイギリスが貿易赤字を被ることを示した。赤字をファイナンスするための正貨の流出は貿易収支が再び均衡するまでにイギリスの貨幣残高の3分の1をキューバへと送ることになるだろう。どの国であってもこの規模の貨幣残高の縮小と価格の下落には耐えることが出来ない。価格の下落は名目価値を粘着的として実質で見た壊滅的な債務の増大、賃金の増大、税の増大を引き起こすだろう。厄災的な「危機、国家の破産、革命が結果として起こりうるだろう」。
彼にとって政策的意義は明らかだ。関税には関税で対抗せよ。外国関税によるデフレ圧力には報復関税で効果を打ち消せ。そのような報復関税により「金を取り戻すことが出来るだろう。貨幣の循環は以前の水準に回復し国内の価格を上昇させ債務の圧力を軽減するだろう」。一言で言うと互恵関係だ。相手が関税を上げたらこちらも上げよ。相手が下げた場合のみこちらも下げよ。言うまでもなくそのような報復的考えは彼の同時代の古典派の考えとは相容れなかった(今日で言う囚人のジレンマ的状況を懸念していたからだと思われる)。だが彼は金本位制の世界での単独的な自由貿易と関税によるデフレ圧力との対立を強調していた。良いにせよ悪いにせよ彼の議論は国内のデフレ圧力を外国の商業政策が原因と非難する者によって今日でも用いられている。
7. CONCLUSION
(省略)
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