2016年9月6日火曜日

世界に格差と貧困をばらまいたスティグリッツの経済学?

スティグリッツ不況…スティグリッツの助言に従った国、スティグリッツが褒めた国などが高い確率で不況、もしくは低成長に陥る現象を指す(中国、ギリシャ、ベネズエラ、ブラジル、アルゼンチン、サブプライム問題の原因を生み出したクリントン政権のアメリカ、オバマ、安倍政権の日本など、スティグリッツの助言に従った国は高い確率で不況もしくは低成長に陥っている…)。

Joseph Stiglitz Praised Hugo Chavez’s Economic Policies

DON BOUDREAUX

2007年にエコノミストのJoseph Stiglitzがヒューゴ・チャベスの社会主義を称賛していたことを不覚にもまったく知らなかったので皆にお知らせしておきたい。

スティグリッツが(彼の考えは上記のレポートにまとめられている)、「比較的高いインフレ率も必ずしも経済に有害ではない」と発言しているだけでも問題だ。さらに悪いのは、社会主義により発生する必然的な負の影響を完全に見逃していることだ。

ハイエクやフリードマン、もしくはアーノルド・クリングやジョン・コクランであれば、チャベスの政策は大失敗に終わると2007年にためらうことなく予想していただろう。

実際、ジョージ・メイソン大学の学生も大失敗すると予想していただろう。

まともな経済学者であれば、アメリカのように豊かで市場を重視する社会であれば強制的な再分配にも政府による無駄な規制にも少しは耐えられるということを知っている。それにも関わらず、それらの政策はほとんどの人々を豊かにするのではなく貧しくするということも知っている。

まともな経済学者であれば、市場により生み出される健全なインセンティブと強制によって生み出される不健全なインセンティブとの違いを知っている。まともな経済学者であれば法の支配が重要なだけではなく、頻繁に破られた時にはそれが意味のないものになってしまうということを知っている。まともな経済学者であれば、意図の良し悪しは必ずしも結果と直接的に結びつくわけではないということを知っている。まともな経済学者であれば、持続的な経済の発展は自発的な取引によって生み出されるということを知っている。他の手段によって強制的に豊かさを生み出そうとする試みは大衆の貧困と政府による圧政しか生み出さないということを知っているだろう。Joseph Stiglitzはこれらの真実に無知であるようだ。

以下、アメリカ人のコメント

Roger Koppl

そのような誤りを指摘することは重要だ。Isreal Kirznerがかつて言っていたように、「経済学は恐ろしいまでに重要だ。愚かな経済学者が人々の生命までを左右する」。

Nathan Jewell · Troy, Missouri

そしてこれがスティグリッツが無視すべき経済学者のリストに入っている理由でもある(悲しいことに長いリストではあるのだが)。彼の記事を読むことに貴重な時間を費やすべきではない。もちろん、それが無知により生じているものであるのか、政治的に腐敗した彼の心により生じているものであるのかは関係がない。彼の記事を読むことはまったくの時間の無駄だ。

同じことは他のことにも言える(例えば、栄養学が真っ先に頭に浮かんだ)。明確な証拠を前にしても誤りを認めることができない、もしくは誤りを認めるつもりがない態度を見せたのであれば、もしくは客観性を損なうほどにバイアスが掛かっているのが明確であれば、このリストに入る。

Krishnan K Chittur · Iit bombay

私にはかなり前から、以下のようなことが不思議で仕方なかった。一見すると論理的に見える人たちがどうして圧政者を支持するという愚かなことをしてしまうのか?彼らは単に騙されているだけなのか?それとも進歩への道は中央集権的な計画によってもたらされると本気で信じているのか?どうして彼らは数百万、数千万の普通の人々を豊かにした進歩/経済成長をそれほどまでに嫌うのか?彼らの生活水準と普通の人々の生活水準の違いが縮まっていくのが我慢ならないのか?どうして彼らは普通の人々が豊かになることを可能にしたシステムをそれほどまでに憎悪するのか?一見すると論理的な人たちがどうしてそれほどまでにアメリカ(と大部分の西側と工業国)を憎悪しているのかは今もって謎に包まれている。彼らはアメリカが作ったものをすべて喜んで享受しながら、だがそれを享受している自分自身を憎悪しているようにさえ見える。それとも彼らはあまりにも錯乱しすぎているので、自分たちが現在喜んで享受しているものは中央からの計画/圧政者がもたらしてくれたものだと夢想するまでに壊れているのか?西側/工業国であまりにも多くの人が圧政者や独裁者を熱望しているように見えることに驚きを覚える。

Daniel Kuehn · Research Associate I at Urban Institute(極左のプロパガンダ・シンクタンクとして知られる)

彼のコメントを大げさに誇張している。彼は、チャベスが貧しい人々に医療と教育を与えたことを好ましいと言っている。チャベスが設立した銀行を好ましいと言っている。彼はベネズエラの成長率は素晴らしいと言っている。だが原油に大きく依存したものでその成長を持続させる必要があると言っている。

社会主義を褒め称えたところなど少しも見当たらない。彼の記事はベネズエラに非常に強気に見えるので、大げさに取り上げられただけだろうと思う。

George Selgin · Director, Center for Monetary and Financial Alternatives at The Cato Institute

「彼は、チャベスが貧しい人々に医療と教育を与えたことを好ましいと言っている」。ここでも彼は間違っているようだが?http://www.theatlantic.com/.../does-hugo-chavez.../2916/

Isaac Pigott

それらは今でも提供されているのか?

持続可能ではないシステムを褒め称えることはエコノミストにとっては犯罪ではなくなったのか?

George Selgin · Director, Center for Monetary and Financial Alternatives at The Cato Institute

彼がベネズエラの社会主義政策を一度でも非難していたことがあるのであればぜひ教えてほしい。悪意を持って無視しているのも、このように酷いケースであれば、十分に肯定にあたる。

Donald J. Boudreaux · Professor at George Mason University

私は、彼が社会主義を褒め称えたとは一度も言っていない。私が批判しているのは(セルジンやアイザックが示唆しているように)2007年の段階でベネズエラが崩壊の危機に陥ると予測しないのはエコノミストとして失格だといっているに過ぎない。彼は、医療や教育の改善が本当のことであるかのように語っていた。だが、そうではないということを知っているべきだった。それらは、ベネズエラで最も生産的な人々から盗まれたお金によって支払われた一時のパンとサーカスでしかなかった。そしてそのような政策によってベネズエラが悲惨なことになるとはっきりと警告するべきだった。

彼はそれらの一時的な「改善」と「成長」を生み出した政策は「改善」も「成長」も持続させないことを知っているべきだった。さらに、チャベスが行った政策を放置している限り経済全体が危機に陥るということを知っていなくてはならなかった。だがその代わりに、彼は当時のベネズエラの成長は本当のことでチャベスの能力や英知の結果だという印象を与えた。

George Selgin · Director, Center for Monetary and Financial Alternatives at The Cato Institute

ここに、ベネズエラの首都カラカスで公開されたパワーポイントへのリンクがある。http://www8.gsb.columbia.edu/.../Public_Policies_and...

「ネオリベラリズム(要するに、自由市場)」の提唱者は市場の失敗を無視し(馬鹿馬鹿しい批判だ)、そして政府の介入が答え(グロテクスなまでに不合理な結論だ)」といういつもの薄っぺらい内容だが。

Donald J. Boudreaux · Professor at George Mason University

Mr. Kuehnへの追伸:この2007年の2月の私の記事で明らかにしているように、スティグリッツがベネズエラの経済成長を褒め称える前から生活必需品の供給不足はすでに発生していた。

http://cafehayek.com/2007/02/like_humidity_i.html

Daniel Kuehn · Research Associate I at Urban Institute

記事のタイトルに褒め称えたと書いている。あなたの記事は、彼が社会主義は成功するだろうと断言しそしてチャベスの政策が褒め称えられていると示唆している。どちらもリンク先には示されていない。

George Selgin · Director, Center for Monetary and Financial Alternatives at The Cato Institute

君の解釈が正しいとはとても思われない。彼の懸念というのは、ベネズエラの石油収入が減少するかもしれないという誰もが当時から不安材料に挙げていたものだった。彼が発言していた2007年を振り返ってみると、石油収入の減少ではベネズエラの問題はとても説明できないものだった。

それに、君には彼のスライドショウを見ることを勧める。そこには自由市場、アダム・スミス、自由主義などへの憎悪がはっきりと表れている。彼の凝り固まった偏見では、市場はすでに裕福な人間だけを豊かにする(それは間違いだという主張には「トリクルダウン」経済学だと連呼している)。そのプレゼンテーションは失笑モノだと言う以外に他ないだろう。

そしてこれが肝心なことだが、スティグリッツのアドバイスに従った貧しい国の指導者、もしくはすでに経済に強く介入している国の指導者は自分たちの国をさらなる貧困へと引きずり落としていくだろう(もしくはすでに引きずり落とされている)ということだ。チャベスは、疑いようもなく彼からの助言を必要としていなかった(最初から社会主義を志向していたことは明らかなので)。だが言うまでもなく危険性は明らかだったというのに、彼はチャベスを諌めるようなことをまったく行っていない。

Krishnan K Chittur · Iit bombay

ここでの議論は真に「社会主義」を信じている人には響かないだろう。スティグリッツのコメントの幾つかが言及されているだけではあるが、本質的に不安定で、しかも倫理的に間違っているシステムである社会主義への称賛はどのようなものであれ理解の範疇を超えている。この問題は病理学で扱うべき対象で、どうして人は圧政者に惹かれ、貧しい人の味方ですというふりをして大金を稼いだ人をいい人と勘違いしてしまうのか?という病理として扱われるべきだと思われる。スティグリッツが「社会主義」と言ったかどうかはまったく関係がない。彼は成功する可能性がまったくないシステムを褒め称えた(2007年の時点でも)。そうではないと主張している人がいるのは問題から目をそらさせようという意図がばればれの単なる工作活動だろう。だが私たちはまたもや歴史が「修正」されるのを目撃し、これ(ベネズエラの破綻)はすべて私たちのせいなんだという超大作映画をオリヴァー・ストーン監督が制作するだろう。

Jon Murphy · Blogger/Chief Economist at Force4good.me

Daniel Kuehnへ。ベネズエラが崩壊への道をひた走っているというのは原油ブームの頃からすでに明らかだった。そのような明白な証を見逃すことは(このサイトではかなり前から繰り返し指摘されていたのを憶えている)自分が話しているはずのベネズエラの経済に関して驚くほど無知であるし簡単に予想できた価格コントロールの結末に関しても無知であるといわざるをえないだろう。どちらもエコノミスト失格という事態だ(原油価格が持続可能でなかったからという理由で彼のコメントを擁護しようというのであれば君も失格だ)。

Glenn Corey · Copy Editing at Self Employed (Business)

スティグリッツが自分が詐欺師であることを自ら明らかにしたのは喜ばしいことだ。多くの人は彼が詐欺師であることなどとっくの昔に知っていただろうが。だがもちろん、社会主義へのアピールは未だに健在なままだ。間違っていたのは計画の方ではない、といつものように社会主義者たちは言うだろう。間違っていたのは計画の実行の仕方だ。クレムリンから司令を受けた自称知識人たちは今頃は「分析」を開始しているだろう(括弧をつけたのは彼らはすでに結論を先に決めていることが分かりきっているからだ。要するに、本当の意味での分析が行われることはない)。チャベスの政策はここが駄目だったと、まったく関係のないことが指摘され、よって将来の社会主義者はこの誤りを避ければ良いだけだと教えられることになる。最終的には、どのような経路を辿って得たのかはまったくの不明だがベネズエラのような国の悲惨な状況は自由市場が悪いのだと彼らは結論するだろう(先程も述べたように最初からこの結論は決まっている)。そして人々は、自由と繁栄を約束する政治家(実際にはどちらも奪い取ってしまう気なのだが)を応援することになる。

Mark Cancellieri

「ベネズエラ廃墟に包まれる、社会主義への熱狂だけは残る」

http://humanprogress.org/.../as-venezuela-craters--appeal...

Does Hugo Chavez help the poor?

MEGAN MCARDLE

チャベスに対してよく耳にする擁護としては次のようなものが挙げられる。彼は自国の経済を破壊したかもしれない、だが少なくとも彼は貧しい人を助けている。外交雑誌フォーリン・アフェアーズは、チャベスは貧しい人を助けてなどいないという、2000年から2004年にベネズエラのNational Assemblyの主任エコノミストだったFrancisco Rodriguezの記事を掲載した。

チャベスの行った政策の結果がどうであったかに関する見方は大きく異なっている(というより、大抵の場合リベラル派だけがまともな専門家とは異なる見方をしてそれが主流であるかのように見せ掛けている)が、ベネズエラは大規模な再分配を行ったということには広くコンセンサスが形成されているように思う。チャベスはベネスエラの貧困層に大きな恩恵をもたらしたというのは、チャベスの批判者の間においてさえもよく耳にする主張だ。2006年のベネズエラの大統領選挙時にブッシュ大統領に宛てた手紙でJesse Jackson、 Cornel West、 Dolores Huerta、 and Tom Haydenらは、「1999年以降、ベネズエラの国民はこれまでの政府とは異なりベネズエラの石油資源を貧困層に分け与えた政権に繰り返し投票してきた」と書いている。スティグリッツは「ベネズエラの大統領チャベスはこれまでは石油資源の恩恵をほとんど受けることがなかったカラカスの貧困地域に教育と医療をもたらした」と書いている。雑誌エコノミストまでもが「チャベスの革命は幾らかの社会的利益をもたらした」と書いている。

「ここまで断言されているのだから、これらの主張は大量の証拠によって支えられているのだと思う人もいるかもしれない。だがチャベスの政権がそれ以前のベネズエラの政権、もしくは他のラテンアメリカの国々と少しでも異なる行動を行ったという主張を支えるデータは驚くほどわずかしかない。よく宣伝される統計はベネズエラの貧困率が2003年の54%から2007年の27.5%に低下したというものだろう。この低下は印象的に見えるかもしれないが貧困率の低下は経済成長と密接に関連していることもよく知られている。そしてこの期間にベネズエラの一人あたりGDPは、ほとんどが石油価格の急上昇のおかげで50%ほど上昇していた。よって真に問いかけるべきは貧困率が低下したかどうかではなく、チャベス政権はこの期間の経済成長を本当に他の政権よりも有効に貧困の削減に結び付けられていたかどうかだろう。これは貧困の削減を一人あたりGDP1%ポイント毎に分割することによって求めることができる。言い換えると貧困率の所得弾力性だ。この計算は、この期間のベネズエラの貧困の削減は一人あたりGDPの1%ポイントの増加に対して平均で見て同じく1%ポイントであったことを示している。これは、他の多くの途上国の同数字が2%ポイントぐらいであることを他の研究が示していることを考えると明らかに見劣りする。同様に、貧困の削減に親和的な経済成長であれば所得格差の大幅な低下が伴っているはずと思うかもしれない。だがベネズエラの中央銀行によると、所得格差はチャベス政権時にジニ係数で見て2000年の0.44から2005年の0.48へと実際には上昇している」

「貧困率や所得格差の統計からは全体像を把握することはできないかもしれない。貨幣所得には表れていない側面がありそれがチャベスの支持者が、彼が最も大きな改善を行ったと主張している側面だ(医療や教育、基本的なパブリック・サービスの提供を行うことによって)。だがここでも、政府の統計は改善を示していないばかりかむしろ多くの側面で深刻な悪化を示している。例えば、栄養不足の子供の割合は1999年から2006年の間に8.4%から9.1%へと上昇した。同じ期間に、上下水道へのアクセスがない世帯の割合は7.2%から9.4%へと上昇した。地面がむき出しの家に住んでいる世帯の割合は2.5%から6.8%へと3倍以上に上昇した。ベネズエラでは貧しい人を助けよとのミッションの掛け声がありとあらゆる場所で見られる。政府が貼ったポスターからミッション参加者に配られる赤シャツ、チャベス支持者らの集会に至るまで。ミッションの掛け声が見られない唯一の場所が貧困層の福利厚生を示した統計の中だ」。

「チャベス自身のレトリックや彼の評判から考えると驚くべきことに、彼の政権時に社会支出が優先されたという事実は存在しないことを政府の統計が示している。チャベス政権時に医療、教育、貧困層の住宅に充てられた予算の割合は平均で25.12%で彼以前の8年間の平均(25.08%)とほとんど変わらない。さらに、当時ベネズエラ軍の将軍だったチャベス自身が無視された膨大な貧困層の代理だと称してクーデターで転覆させようとした「ネオリベラル」政権、Carlos Andrés Pérez大統領の任期の最終年だった1992年の割合よりも低いという強烈な皮肉のおまけつきだ」

この話は世界のどこの政府にも当てはまる教訓を含んでいるだろう。私たちは経済成長への貢献度(その反対に、経済崩壊への責任を)をあまりにも政府に与えすぎている。(こういうことを聞くと激怒する人がいるので婉曲的に言うと)チャベスは原油価格の高騰を生み出すようなことはまったく行っていないと言っても差し支えないだろう。実際、ベネズエラの石油の生産量は彼の政権時に、(ベネズエラの石油企業)PDVSAの経営を誤らせたことが原因で急激に減少している。「この規模としてはベスト」とされていた同企業の経営がたった数年で標準以下にまで下落してしまったためだ。

告白すると、私はこのことに驚かされた。PDVSAは投資資金が貧困層に回されたために苦しんでいるというのがエネルギー関係者の間では常識となっていたからだ。今ではその資金がどこに行ったのか皆目検討がつかない。

As Venezuela Craters, Appeal of Socialism Remains

Marian Tupy

今から3年ほど前のことだ。アメリカでは左翼としてよく知られているDavid Sirotaが「ヒューゴ・チャベスの経済的奇跡」と題したエッセイを左翼誌サロンに掲載するということがあった。

「チャベスはアメリカの恐れの対象となっている。彼の全力での社会主義と再分配の推進が「ネオリベラル」経済学への根本的な批判となっているからだ。それも議論の余地のない成功をもたらしている…ある国が社会主義に走り完全に失敗すると、(社会主義の批判者に対して)少しも脅威でなく忘れ去られやすい警告めいた寓話として笑いものにされる(笑われているのは自分たちだと考えたことは一度もないらしい)。対照的に、ある国が社会主義に走りベネズエラのように成功をおさめると、笑いの対象とは見做されない-対処することも無視することも難しくなってしまう」。

丁度いいタイミングでニューヨーク・タイムズのNicholas Caseyが「Dying Infants and No Medicine: Inside Venezuela’s Failing Hospitals」と題した記事を掲載している。

「朝までに、3人の新生児がすでに息を引き取っていた。その日もいつもの問題とともに始まった。抗生物質の慢性的な欠如、輸液の慢性的な欠如、食料ですらの慢性的な欠如。それから恒例の停電が都市全体を襲い、産科病棟の人工呼吸器を停止させた。ベネズエラの医者たちは数時間も手で空気を乳児たちの肺に送り込み続け乳児たちを生かそうと懸命に努力し続けた。夜までには、さらに4人の新生児が息を引き取っていた。ベネズエラは危機的な状況に陥り、亡くなったベネズエラ人の人数は未だにほとんど分かっていない」。

むしろ私は非常に陰鬱な気持ちでこの記事の引用を行った。David Sirotaの不誠実で軽薄な主張とは反対に、私はベネズエラの「計画経済の危険性に関する警告めいた寓話」を「少しも脅威ではなく忘れ去られやすいもの」として笑うつもりなどまったくない。子どもたちが息を引き取っているのに笑う要素などまったく見当たらない。言うまでもなく、スターリンの時代に飢えたウクライナ人たちが自分たちの子供を食べていたことを知った時も少しも笑ったことはなかった。共産主義に走ったカンボジアのクメール・ルージュの兵士たちが子どもたちを大量に撃ち殺していたことを知った時も一度も笑ったことはなかった。そしてジンバブエのマルクス主義者の独裁者ロバート・ムガベによって子どもたちが飢えに苦しめられているのを自分の目で見た時にも間違いなく笑ってなどいなかった。事実、試みられた時には必ずもたらされる社会主義によるほとんど理解不可能なまでの苦しみに笑える要素など少しもない。

David Sirotaの圧倒的なまでの愚かさには笑いを抑えることができないが、ベネズエラを襲ったハイパーインフレーション、商品が空の店舗、手のつけられない暴力の蔓延、基本的なパブリックサービスの崩壊などを喜ぶことはできないし、これが社会主義の崩壊の最後ではないだろうと簡単に予想できることに非常に暗い気分にさせられる。将来には、より多くの国が歴史から学ぶことを拒否し社会主義に「go」のサインを出すと予想しても間違っていないだろう。そしてそれと同じぐらいもしくはそれ以上に確かだと思うことは、最後の光が消え主義を捨てざるを得なくなり弁明に走りだすまさにその時まで社会主義の歌を歌い続けるDavid Sirotaのような、レーニン風に言うならば「役に立つ愚か者」がこれからも存在し続けるということだ。このことは重要な問題を私たちに提起する。試みられる度に社会主義は失敗を繰り返してきたというのに、どうして未だに社会主義に心酔している人がいるのか?

進化心理学がそれに対する一つの答えを提供している。カリフォルニア大学のJohn Tooby and Leda Cosmidesによると、人間の心は160万年前から1万年前の期間の「Environment of Evolutionary Adaptedness」に沿って進化してきた。「現代人の精神がどのように機能しているのかを理解するための鍵は」と彼は語り、「脳は現代の日常の問題を解くようにはデザインされていないということを認識することにある。それは私たちの先祖である狩猟時代の日常の問題を解くようにデザインされている」と締めくくっている。言い換えると、現代人の頭蓋骨には石器時代の精神が未だに宿っている。ではそれら石器時代の精神の特徴とはどういったもので、私たちが経済学を理解する際にどのような作用をもたらすのか。

第一に、私たちは小さな集団から進化した。その時代ではお互いが顔見知りで恐らくは深い関係にあった。分業と貿易のない世界では、ある集団(ここでは「私たち」としよう)の利益は他の集団(ここでは「彼ら」とする)の犠牲によって成り立つことが多い。そのことが、グローバルな貿易などの複雑な経済活動からの利益を私たちに理解させることを難しくする。第二に、他の多くの動物と同じように、私たちは支配の階級を形成しながら進化してきた。そして他の動物と同じように、私たちは支配者を嫌いそれを打倒するための同盟を組んだ。階級に対する私たちの反感は、専制主義のように資源を支配者に献上するタイプのゼロサム支配だけではなく、企業のような人間の生活を豊かにするポジティブサム支配にも考慮されることなく向けられる。

第三に、「狩猟と採集の社会的本質、食べ物はすぐに腐るという事実、そしてプライバシーの完全な欠如は」とWill Wilkinsonは語り、それは「狩りや食料の採集の成功による利益は個人で独占することが難しく、共有されることが期待されることを意味する。豊かなものに対する嫉妬は(中略)支配階級の下層の人々にとって権力を蓄えることができる者からのさらなる略奪に対する防御壁となったかもしれない」。

言い換えると、人間は本質的に嫉妬深い上に怒りやすくそして洗練された経済システムを称賛することができないばかりか理解することもできない。

これらとその他の理由により、David Sirotaのような人間たちはベネズエラ(もしくは社会主義)に関するポエムを綴り続けるだろう。一方では、グローバル経済で成功した例を完全に無視しながら。チリがまさにその好例だ。1970年代に、チリは社会主義から自由市場へと切り替わった。そして栄えた。チリが最後の社会主義の時代だった1973年では、チリの一人あたり所得はベネズエラのわずか37%でしかなかった。逆に2015年にはベネズエラの一人あたり所得はチリの73%でしかなくなっている。チリの経済は231%拡大した。逆にベネズエラの経済は12%縮小した。運が良ければチャベスの後継者であるNicolas Maduroはもうすぐいなくなるだろう。そしてベネズエラの人々は自分たちの壊れた国家を修復する機会を得るかもしれない。彼らは従うべき事例としてチリを見るべきだ。


The Left, Greece, and The Big Lie

Scott Sumner

Scott Alexanderは左寄りのメディアの失態の歴史を記事にしている。

「ベネズエラは崩壊している。ニューヨーク・タイムズはあまりの経済危機により病院、学校、電力、基本的なサービスなどまでが閉鎖または停止に追い込まれた同国の状況を「未体験の領域」にまで突入したと報道している(数年前まではチャベスを褒め称えていたことはひた隠しにしながら)。今はメディアが何と言っていたかを振り返るには絶好のタイミングだろう。2013年に左翼誌サロンでは「Hugo Chavez' Economic Miracle」と題した記事が掲載されていて、「チャベスによる社会主義と再分配の全力での推進は「ネオリベラル」経済学への根本的な批判を生み出し、それも議論の余地のないポジティブな結果をもたらしている」と褒め称えていた。そして左翼誌ガーディアンに至っては「Sorry, Venezuela Haters: This Economy Is Not The Greece Of Latin America」と題した記事を掲載していた。予想は難しい。トランプの指名を予想できなかった批評家を責めることは酷というものだろう。だがこの愚か者たちは許してはならない。何故ならばそれらの記事がテーマにしていたのは自分たち(サロンやガーディアンなど)が正しいかどうかということだけではなく、自分たちが正しいということを誰も認めようとしない唯一の理由は「ネオリベラリズム」と呼ばれる悪しきイデオロギーが人々の心の中に蔓延しているせいだと主張しているからだ。相手と議論するのではなく他人の心理を分析するには非常に高いハードルが求められるだろう。ましてや専門家でも何でもないただのジャーナリストが軽々しく行ってよいようなことではまったくない。言うまでもなくサロンとガーディアンはその基準を満たしていない」。

この指摘は私にギリシャのことを思い出させた。私はギリシャの全体主義のアビス的な失敗を、左翼がどのように説明しているのか前々から不思議に思っていた。私が発展途上国の「ネオリベラル度」を調べていた2008年頃のことだ。ギリシャはあらゆる指標で見て先進国で最も「ネオリベラル度」の低い国だということがその当時から気になっていた。この頃はギリシャは好況に沸いていたということを記しておく必要がある。だからこれは失敗したシステムにそのタグを貼りたいがためにギリシャを全体主義と呼んでいる人による問題提起ではない。実際、驚くほど「非ネオリベラル的」であったにも関わらずギリシャが2008年までは好況だったことに私は驚いている。

言うまでもなく私たちはその後ギリシャに何が起こったかよく知っている。ギリシャの好況は持続可能ではない外国からの借り入れに頼ったものだった。そしてギリシャ政府は債務を偽っていた。債務が巨額であることが明らかになるとギリシャは債務を返済しなければならなくなった。さらに悪いことに、ユーロ圏の危機がギリシャを不況に陥れた。今ではギリシャは大きな構造的問題を抱えた先進国で最悪の経済の一つとして広く知られている。

そこでギリシャの統制主義の失敗を左翼はどのように説明しているのだろうと疑問に思い、「ギリシャ危機 ネオリベラリズム」で検索してみることにした。統制主義の悪夢から回復するためにギリシャは「ネオリベラル」の方向に向かう必要があるという記事が大量に書かれているに違いないと思いながら。ところが見たのはまったくの反対だった。

ここにその時のリンクがある(省略)。

いつもの容疑者たちで占められていることが目につくと思う。ガーディアンとサロンだ。実際、グーグルで検索した最初のページに出てくるリンクのすべてが「アンチ・ネオリベラリズム」の視点で書かれたものだった。

どの国が自由市場的でどの国が統制主義的であるかを厳密に区別することは難しい。だがどちらの特徴が最も目立つかははっきりと見分けられるはずだ。まともな論理能力があると少なくとも自分では思っているのであれば、両極端なケースに対して異を唱えるべきではない。香港の成功は統制主義の成功などでは決してなく、ギリシャの失敗は「ネオリベラリズム」とはまったく関係がない(まともな論理能力があると主張するのであれば細かい点を無視すればこのことには同意せざるを得ないはずだ)。それ以外を主張することは「The Big Lie」に従事していることを意味する。ではここから分かることは何か?

1.1990年代に保守派とリベラル派との間にあった「ネオリベラル」のコンセンサスはどこかに行った。メディアに巣食う左翼のほとんどは社会主義に帰っていった。

2.「ネオリベラリズム」という単語は今では(最初から?)経済政策の特徴を表す意味から完全に離れていった。今では、世界で起こる左翼が気に入らないものであれば何でも「ネオリベラリズム」と呼ばれるようになった。恐らく彼らは嘘をついているということにさえ気が付いていない。

3.左翼は分裂した。穏健派の幾らかは今でも社会主義を否定していてBernie Sandersの愚かな提案に批判的だ。だが勢力を伸ばしているのは極左の愚か者たちで、そこではSanders、Corbyn and Chavezらの政策が擁護されている。

4.保守派の間にも分裂があるかもしれない。極端なサプライサイド政策を掲げる人(見たことないが)や金本位制への回帰を訴える人(本気で言っているようには見えない)は保守派のメインストリームからは乖離している。だが把握している限りでは、ベネズエラで行われた程の破滅的な政策を保守派の誰一人として支持していないまたは擁護していない。保守派の側では、政策の失敗はナショナリズムや人種的偏見と主に関わっている。間違った経済の理解に端を発するものではない。

以下、アメリカ人のコメント

Richard O. Hammer writes:

それぞれの人にはそれぞれの世界観があり、同じものを見た時でも異なる「事実」を報告するのはそのせいだろう。例えば、

左翼の目は香港の成功は映らないように作られているのかもしれない。

だが香港と中国との間にある非常に大きな格差だけは左翼の目には映る。左翼はこれを資本主義の悪だと見做し格差を政府によって修正されるべき搾取の証拠だと見做すだろう。

私が読むものが偏っていたせいか、「ネオリベラル」という単語を初めて見たのは6か月前が最初だったように記憶している。この単語を初めて見た時は、いつもの左翼の冷笑のように感じられた。だが異なる世界観を持つであろう君は、明らかにこの単語をもっと前から知っていたんだろう。

「ネオリベラル」ではなく「オーバーレギュレーション」という単語で代わりに検索してみるといい。良識のある人々の言語で話そう(このような単語で人を攻撃しているのは野蛮人だけだ)。

Jose Romeu Robazzi writes:

最近では、左翼と会話/議論する時はいつもこのように切り出すことにしている。「ベネズエラはどうなった?」。それが、すべての会話/議論を終了させてしまう…

Hazel Meade writes:

「未体験の領域」とは何のことだろう?この過程は前にも幾度も幾度も繰り返されてきたようにしか思えない。それもほとんど同じ結果で。

Hazel Meade writes:

『それぞれの人にはそれぞれの世界観があり、同じものを見た時でも異なる「事実」を報告するのはそのせいだろう』

私の経験からは、左翼がそのような寛容なものの見方を返したことなど一度たりとてないことに衝撃を受けている。

私たちは、少なくとも彼らは動機は間違ってはいないのだろうといつも擁護している。ところが彼らは常に私たちに対して殺意を持っているだの悪意がむき出しだのと言って非難している…

Market Fiscalist writes:

「だが把握している限りでは、保守派の誰一人としてベネズエラで行ったほどの破滅的な政策を支持していないまたは擁護していない」。

ギリシャの統治の失敗が危機を招いたということに疑いの余地はないけれども、EUの政策の失敗がギリシャに本来必要とされていた以上の緊縮を強いたということもまた事実だろう。

従ってこれを「ネオリベラリズム」の失敗と呼ぶことはあまりにも不公平かもしれないが、だがこれを左翼の責任だと責めることはギリシャがEUの金融政策の犠牲になったことを考えればとてもできないだろう。

Alexander Hamilton writes:

ギリシャに本来必要とされていた以上の緊縮を強いた?どうしてそんな捻れた考え方をしてしまったんだ?救済されていなければギリシャは即座に債務の支払いを迫られていただけだろう。

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