Joseph Stiglitz Praised Hugo Chavez’s Economic Policies
DON BOUDREAUX
2007年にエコノミストのJoseph Stiglitzがヒューゴ・チャベスの社会主義を称賛していたことを不覚にもまったく知らなかったので皆にお知らせしておきたい。
ハイエクやフリードマン、もしくはアーノルド・クリングやジョン・コクランであれば、チャベスの政策は大失敗に終わると2007年にためらうことなく予想していただろう。
以下、アメリカ人のコメント
Roger Koppl
そのような誤りを指摘することは重要だ。Isreal Kirznerがかつて言っていたように、「経済学は恐ろしいまでに重要だ。愚かな経済学者が人々の生命までを左右する」。
Nathan Jewell · Troy, Missouri
そしてこれがスティグリッツが無視すべき経済学者のリストに入っている理由でもある(悲しいことに長いリストではあるのだが)。彼の記事を読むことに貴重な時間を費やすべきではない。もちろん、それが無知により生じているものであるのか、政治的に腐敗した彼の心により生じているものであるのかは関係がない。彼の記事を読むことはまったくの時間の無駄だ。
同じことは他のことにも言える(例えば、栄養学が真っ先に頭に浮かんだ)。明確な証拠を前にしても誤りを認めることができない、もしくは誤りを認めるつもりがない態度を見せたのであれば、もしくは客観性を損なうほどにバイアスが掛かっているのが明確であれば、このリストに入る。
Krishnan K Chittur · Iit bombay
私にはかなり前から、以下のようなことが不思議で仕方なかった。一見すると論理的に見える人たちがどうして圧政者を支持するという愚かなことをしてしまうのか?彼らは単に騙されているだけなのか?それとも進歩への道は中央集権的な計画によってもたらされると本気で信じているのか?どうして彼らは数百万、数千万の普通の人々を豊かにした進歩/経済成長をそれほどまでに嫌うのか?彼らの生活水準と普通の人々の生活水準の違いが縮まっていくのが我慢ならないのか?どうして彼らは普通の人々が豊かになることを可能にしたシステムをそれほどまでに憎悪するのか?一見すると論理的な人たちがどうしてそれほどまでにアメリカ(と大部分の西側と工業国)を憎悪しているのかは今もって謎に包まれている。彼らはアメリカが作ったものをすべて喜んで享受しながら、だがそれを享受している自分自身を憎悪しているようにさえ見える。それとも彼らはあまりにも錯乱しすぎているので、自分たちが現在喜んで享受しているものは中央からの計画/圧政者がもたらしてくれたものだと夢想するまでに壊れているのか?西側/工業国であまりにも多くの人が圧政者や独裁者を熱望しているように見えることに驚きを覚える。
Daniel Kuehn · Research Associate I at Urban Institute(極左のプロパガンダ・シンクタンクとして知られる)
彼のコメントを大げさに誇張している。彼は、チャベスが貧しい人々に医療と教育を与えたことを好ましいと言っている。チャベスが設立した銀行を好ましいと言っている。彼はベネズエラの成長率は素晴らしいと言っている。だが原油に大きく依存したものでその成長を持続させる必要があると言っている。
社会主義を褒め称えたところなど少しも見当たらない。彼の記事はベネズエラに非常に強気に見えるので、大げさに取り上げられただけだろうと思う。
George Selgin · Director, Center for Monetary and Financial Alternatives at The Cato Institute
「彼は、チャベスが貧しい人々に医療と教育を与えたことを好ましいと言っている」。ここでも彼は間違っているようだが?http://www.theatlantic.com/.../does-hugo-chavez.../2916/
Isaac Pigott
それらは今でも提供されているのか?
George Selgin · Director, Center for Monetary and Financial Alternatives at The Cato Institute
彼がベネズエラの社会主義政策を一度でも非難していたことがあるのであればぜひ教えてほしい。悪意を持って無視しているのも、このように酷いケースであれば、十分に肯定にあたる。
私は、彼が社会主義を褒め称えたとは一度も言っていない。私が批判しているのは(セルジンやアイザックが示唆しているように)2007年の段階でベネズエラが崩壊の危機に陥ると予測しないのはエコノミストとして失格だといっているに過ぎない。彼は、医療や教育の改善が本当のことであるかのように語っていた。だが、そうではないということを知っているべきだった。それらは、ベネズエラで最も生産的な人々から盗まれたお金によって支払われた一時のパンとサーカスでしかなかった。そしてそのような政策によってベネズエラが悲惨なことになるとはっきりと警告するべきだった。
彼はそれらの一時的な「改善」と「成長」を生み出した政策は「改善」も「成長」も持続させないことを知っているべきだった。さらに、チャベスが行った政策を放置している限り経済全体が危機に陥るということを知っていなくてはならなかった。だがその代わりに、彼は当時のベネズエラの成長は本当のことでチャベスの能力や英知の結果だという印象を与えた。
George Selgin · Director, Center for Monetary and Financial Alternatives at The Cato Institute
ここに、ベネズエラの首都カラカスで公開されたパワーポイントへのリンクがある。http://www8.gsb.columbia.edu/.../Public_Policies_and...
「ネオリベラリズム(要するに、自由市場)」の提唱者は市場の失敗を無視し(馬鹿馬鹿しい批判だ)、そして政府の介入が答え(グロテクスなまでに不合理な結論だ)」といういつもの薄っぺらい内容だが。
Donald J. Boudreaux · Professor at George Mason University
Mr. Kuehnへの追伸:この2007年の2月の私の記事で明らかにしているように、スティグリッツがベネズエラの経済成長を褒め称える前から生活必需品の供給不足はすでに発生していた。
Daniel Kuehn · Research Associate I at Urban Institute
記事のタイトルに褒め称えたと書いている。あなたの記事は、彼が社会主義は成功するだろうと断言しそしてチャベスの政策が褒め称えられていると示唆している。どちらもリンク先には示されていない。
George Selgin · Director, Center for Monetary and Financial Alternatives at The Cato Institute
君の解釈が正しいとはとても思われない。彼の懸念というのは、ベネズエラの石油収入が減少するかもしれないという誰もが当時から不安材料に挙げていたものだった。彼が発言していた2007年を振り返ってみると、石油収入の減少ではベネズエラの問題はとても説明できないものだった。
ここでの議論は真に「社会主義」を信じている人には響かないだろう。スティグリッツのコメントの幾つかが言及されているだけではあるが、本質的に不安定で、しかも倫理的に間違っているシステムである社会主義への称賛はどのようなものであれ理解の範疇を超えている。この問題は病理学で扱うべき対象で、どうして人は圧政者に惹かれ、貧しい人の味方ですというふりをして大金を稼いだ人をいい人と勘違いしてしまうのか?という病理として扱われるべきだと思われる。スティグリッツが「社会主義」と言ったかどうかはまったく関係がない。彼は成功する可能性がまったくないシステムを褒め称えた(2007年の時点でも)。そうではないと主張している人がいるのは問題から目をそらさせようという意図がばればれの単なる工作活動だろう。だが私たちはまたもや歴史が「修正」されるのを目撃し、これ(ベネズエラの破綻)はすべて私たちのせいなんだという超大作映画をオリヴァー・ストーン監督が制作するだろう。
Daniel Kuehnへ。ベネズエラが崩壊への道をひた走っているというのは原油ブームの頃からすでに明らかだった。そのような明白な証を見逃すことは(このサイトではかなり前から繰り返し指摘されていたのを憶えている)自分が話しているはずのベネズエラの経済に関して驚くほど無知であるし簡単に予想できた価格コントロールの結末に関しても無知であるといわざるをえないだろう。どちらもエコノミスト失格という事態だ(原油価格が持続可能でなかったからという理由で彼のコメントを擁護しようというのであれば君も失格だ)。
スティグリッツが自分が詐欺師であることを自ら明らかにしたのは喜ばしいことだ。多くの人は彼が詐欺師であることなどとっくの昔に知っていただろうが。だがもちろん、社会主義へのアピールは未だに健在なままだ。間違っていたのは計画の方ではない、といつものように社会主義者たちは言うだろう。間違っていたのは計画の実行の仕方だ。クレムリンから司令を受けた自称知識人たちは今頃は「分析」を開始しているだろう(括弧をつけたのは彼らはすでに結論を先に決めていることが分かりきっているからだ。要するに、本当の意味での分析が行われることはない)。チャベスの政策はここが駄目だったと、まったく関係のないことが指摘され、よって将来の社会主義者はこの誤りを避ければ良いだけだと教えられることになる。最終的には、どのような経路を辿って得たのかはまったくの不明だがベネズエラのような国の悲惨な状況は自由市場が悪いのだと彼らは結論するだろう(先程も述べたように最初からこの結論は決まっている)。そして人々は、自由と繁栄を約束する政治家(実際にはどちらも奪い取ってしまう気なのだが)を応援することになる。
Mark Cancellieri
「ベネズエラ廃墟に包まれる、社会主義への熱狂だけは残る」
http://humanprogress.org/.../as-venezuela-craters--appeal...
Does Hugo Chavez help the poor?
MEGAN MCARDLE
チャベスに対してよく耳にする擁護としては次のようなものが挙げられる。彼は自国の経済を破壊したかもしれない、だが少なくとも彼は貧しい人を助けている。外交雑誌フォーリン・アフェアーズは、チャベスは貧しい人を助けてなどいないという、2000年から2004年にベネズエラのNational Assemblyの主任エコノミストだったFrancisco Rodriguezの記事を掲載した。
チャベスの行った政策の結果がどうであったかに関する見方は大きく異なっている(というより、大抵の場合リベラル派だけがまともな専門家とは異なる見方をしてそれが主流であるかのように見せ掛けている)が、ベネズエラは大規模な再分配を行ったということには広くコンセンサスが形成されているように思う。チャベスはベネスエラの貧困層に大きな恩恵をもたらしたというのは、チャベスの批判者の間においてさえもよく耳にする主張だ。2006年のベネズエラの大統領選挙時にブッシュ大統領に宛てた手紙でJesse Jackson、 Cornel West、 Dolores Huerta、 and Tom Haydenらは、「1999年以降、ベネズエラの国民はこれまでの政府とは異なりベネズエラの石油資源を貧困層に分け与えた政権に繰り返し投票してきた」と書いている。スティグリッツは「ベネズエラの大統領チャベスはこれまでは石油資源の恩恵をほとんど受けることがなかったカラカスの貧困地域に教育と医療をもたらした」と書いている。雑誌エコノミストまでもが「チャベスの革命は幾らかの社会的利益をもたらした」と書いている。
「ここまで断言されているのだから、これらの主張は大量の証拠によって支えられているのだと思う人もいるかもしれない。だがチャベスの政権がそれ以前のベネズエラの政権、もしくは他のラテンアメリカの国々と少しでも異なる行動を行ったという主張を支えるデータは驚くほどわずかしかない。よく宣伝される統計はベネズエラの貧困率が2003年の54%から2007年の27.5%に低下したというものだろう。この低下は印象的に見えるかもしれないが貧困率の低下は経済成長と密接に関連していることもよく知られている。そしてこの期間にベネズエラの一人あたりGDPは、ほとんどが石油価格の急上昇のおかげで50%ほど上昇していた。よって真に問いかけるべきは貧困率が低下したかどうかではなく、チャベス政権はこの期間の経済成長を本当に他の政権よりも有効に貧困の削減に結び付けられていたかどうかだろう。これは貧困の削減を一人あたりGDP1%ポイント毎に分割することによって求めることができる。言い換えると貧困率の所得弾力性だ。この計算は、この期間のベネズエラの貧困の削減は一人あたりGDPの1%ポイントの増加に対して平均で見て同じく1%ポイントであったことを示している。これは、他の多くの途上国の同数字が2%ポイントぐらいであることを他の研究が示していることを考えると明らかに見劣りする。同様に、貧困の削減に親和的な経済成長であれば所得格差の大幅な低下が伴っているはずと思うかもしれない。だがベネズエラの中央銀行によると、所得格差はチャベス政権時にジニ係数で見て2000年の0.44から2005年の0.48へと実際には上昇している」
「チャベス自身のレトリックや彼の評判から考えると驚くべきことに、彼の政権時に社会支出が優先されたという事実は存在しないことを政府の統計が示している。チャベス政権時に医療、教育、貧困層の住宅に充てられた予算の割合は平均で25.12%で彼以前の8年間の平均(25.08%)とほとんど変わらない。さらに、当時ベネズエラ軍の将軍だったチャベス自身が無視された膨大な貧困層の代理だと称してクーデターで転覆させようとした「ネオリベラル」政権、Carlos Andrés Pérez大統領の任期の最終年だった1992年の割合よりも低いという強烈な皮肉のおまけつきだ」
告白すると、私はこのことに驚かされた。PDVSAは投資資金が貧困層に回されたために苦しんでいるというのがエネルギー関係者の間では常識となっていたからだ。今ではその資金がどこに行ったのか皆目検討がつかない。
今から3年ほど前のことだ。アメリカでは左翼としてよく知られているDavid Sirotaが「ヒューゴ・チャベスの経済的奇跡」と題したエッセイを左翼誌サロンに掲載するということがあった。
丁度いいタイミングでニューヨーク・タイムズのNicholas Caseyが「Dying Infants and No Medicine: Inside Venezuela’s Failing Hospitals」と題した記事を掲載している。
むしろ私は非常に陰鬱な気持ちでこの記事の引用を行った。David Sirotaの不誠実で軽薄な主張とは反対に、私はベネズエラの「計画経済の危険性に関する警告めいた寓話」を「少しも脅威ではなく忘れ去られやすいもの」として笑うつもりなどまったくない。子どもたちが息を引き取っているのに笑う要素などまったく見当たらない。言うまでもなく、スターリンの時代に飢えたウクライナ人たちが自分たちの子供を食べていたことを知った時も少しも笑ったことはなかった。共産主義に走ったカンボジアのクメール・ルージュの兵士たちが子どもたちを大量に撃ち殺していたことを知った時も一度も笑ったことはなかった。そしてジンバブエのマルクス主義者の独裁者ロバート・ムガベによって子どもたちが飢えに苦しめられているのを自分の目で見た時にも間違いなく笑ってなどいなかった。事実、試みられた時には必ずもたらされる社会主義によるほとんど理解不可能なまでの苦しみに笑える要素など少しもない。
David Sirotaの圧倒的なまでの愚かさには笑いを抑えることができないが、ベネズエラを襲ったハイパーインフレーション、商品が空の店舗、手のつけられない暴力の蔓延、基本的なパブリックサービスの崩壊などを喜ぶことはできないし、これが社会主義の崩壊の最後ではないだろうと簡単に予想できることに非常に暗い気分にさせられる。将来には、より多くの国が歴史から学ぶことを拒否し社会主義に「go」のサインを出すと予想しても間違っていないだろう。そしてそれと同じぐらいもしくはそれ以上に確かだと思うことは、最後の光が消え主義を捨てざるを得なくなり弁明に走りだすまさにその時まで社会主義の歌を歌い続けるDavid Sirotaのような、レーニン風に言うならば「役に立つ愚か者」がこれからも存在し続けるということだ。このことは重要な問題を私たちに提起する。試みられる度に社会主義は失敗を繰り返してきたというのに、どうして未だに社会主義に心酔している人がいるのか?
言い換えると、人間は本質的に嫉妬深い上に怒りやすくそして洗練された経済システムを称賛することができないばかりか理解することもできない。
The Left, Greece, and The Big Lie
Scott Alexanderは左寄りのメディアの失態の歴史を記事にしている。
「ベネズエラは崩壊している。ニューヨーク・タイムズはあまりの経済危機により病院、学校、電力、基本的なサービスなどまでが閉鎖または停止に追い込まれた同国の状況を「未体験の領域」にまで突入したと報道している(数年前まではチャベスを褒め称えていたことはひた隠しにしながら)。今はメディアが何と言っていたかを振り返るには絶好のタイミングだろう。2013年に左翼誌サロンでは「Hugo Chavez' Economic Miracle」と題した記事が掲載されていて、「チャベスによる社会主義と再分配の全力での推進は「ネオリベラル」経済学への根本的な批判を生み出し、それも議論の余地のないポジティブな結果をもたらしている」と褒め称えていた。そして左翼誌ガーディアンに至っては「Sorry, Venezuela Haters: This Economy Is Not The Greece Of Latin America」と題した記事を掲載していた。予想は難しい。トランプの指名を予想できなかった批評家を責めることは酷というものだろう。だがこの愚か者たちは許してはならない。何故ならばそれらの記事がテーマにしていたのは自分たち(サロンやガーディアンなど)が正しいかどうかということだけではなく、自分たちが正しいということを誰も認めようとしない唯一の理由は「ネオリベラリズム」と呼ばれる悪しきイデオロギーが人々の心の中に蔓延しているせいだと主張しているからだ。相手と議論するのではなく他人の心理を分析するには非常に高いハードルが求められるだろう。ましてや専門家でも何でもないただのジャーナリストが軽々しく行ってよいようなことではまったくない。言うまでもなくサロンとガーディアンはその基準を満たしていない」。
この指摘は私にギリシャのことを思い出させた。私はギリシャの全体主義のアビス的な失敗を、左翼がどのように説明しているのか前々から不思議に思っていた。私が発展途上国の「ネオリベラル度」を調べていた2008年頃のことだ。ギリシャはあらゆる指標で見て先進国で最も「ネオリベラル度」の低い国だということがその当時から気になっていた。この頃はギリシャは好況に沸いていたということを記しておく必要がある。だからこれは失敗したシステムにそのタグを貼りたいがためにギリシャを全体主義と呼んでいる人による問題提起ではない。実際、驚くほど「非ネオリベラル的」であったにも関わらずギリシャが2008年までは好況だったことに私は驚いている。
言うまでもなく私たちはその後ギリシャに何が起こったかよく知っている。ギリシャの好況は持続可能ではない外国からの借り入れに頼ったものだった。そしてギリシャ政府は債務を偽っていた。債務が巨額であることが明らかになるとギリシャは債務を返済しなければならなくなった。さらに悪いことに、ユーロ圏の危機がギリシャを不況に陥れた。今ではギリシャは大きな構造的問題を抱えた先進国で最悪の経済の一つとして広く知られている。
そこでギリシャの統制主義の失敗を左翼はどのように説明しているのだろうと疑問に思い、「ギリシャ危機 ネオリベラリズム」で検索してみることにした。統制主義の悪夢から回復するためにギリシャは「ネオリベラル」の方向に向かう必要があるという記事が大量に書かれているに違いないと思いながら。ところが見たのはまったくの反対だった。
ここにその時のリンクがある(省略)。
いつもの容疑者たちで占められていることが目につくと思う。ガーディアンとサロンだ。実際、グーグルで検索した最初のページに出てくるリンクのすべてが「アンチ・ネオリベラリズム」の視点で書かれたものだった。
どの国が自由市場的でどの国が統制主義的であるかを厳密に区別することは難しい。だがどちらの特徴が最も目立つかははっきりと見分けられるはずだ。まともな論理能力があると少なくとも自分では思っているのであれば、両極端なケースに対して異を唱えるべきではない。香港の成功は統制主義の成功などでは決してなく、ギリシャの失敗は「ネオリベラリズム」とはまったく関係がない(まともな論理能力があると主張するのであれば細かい点を無視すればこのことには同意せざるを得ないはずだ)。それ以外を主張することは「The Big Lie」に従事していることを意味する。ではここから分かることは何か?
1.1990年代に保守派とリベラル派との間にあった「ネオリベラル」のコンセンサスはどこかに行った。メディアに巣食う左翼のほとんどは社会主義に帰っていった。
3.左翼は分裂した。穏健派の幾らかは今でも社会主義を否定していてBernie Sandersの愚かな提案に批判的だ。だが勢力を伸ばしているのは極左の愚か者たちで、そこではSanders、Corbyn and Chavezらの政策が擁護されている。
以下、アメリカ人のコメント
Richard O. Hammer writes:
それぞれの人にはそれぞれの世界観があり、同じものを見た時でも異なる「事実」を報告するのはそのせいだろう。例えば、
左翼の目は香港の成功は映らないように作られているのかもしれない。
だが香港と中国との間にある非常に大きな格差だけは左翼の目には映る。左翼はこれを資本主義の悪だと見做し格差を政府によって修正されるべき搾取の証拠だと見做すだろう。
私が読むものが偏っていたせいか、「ネオリベラル」という単語を初めて見たのは6か月前が最初だったように記憶している。この単語を初めて見た時は、いつもの左翼の冷笑のように感じられた。だが異なる世界観を持つであろう君は、明らかにこの単語をもっと前から知っていたんだろう。
「ネオリベラル」ではなく「オーバーレギュレーション」という単語で代わりに検索してみるといい。良識のある人々の言語で話そう(このような単語で人を攻撃しているのは野蛮人だけだ)。
Jose Romeu Robazzi writes:
最近では、左翼と会話/議論する時はいつもこのように切り出すことにしている。「ベネズエラはどうなった?」。それが、すべての会話/議論を終了させてしまう…
Hazel Meade writes:
「未体験の領域」とは何のことだろう?この過程は前にも幾度も幾度も繰り返されてきたようにしか思えない。それもほとんど同じ結果で。
Hazel Meade writes:
『それぞれの人にはそれぞれの世界観があり、同じものを見た時でも異なる「事実」を報告するのはそのせいだろう』
私の経験からは、左翼がそのような寛容なものの見方を返したことなど一度たりとてないことに衝撃を受けている。
Market Fiscalist writes:
「だが把握している限りでは、保守派の誰一人としてベネズエラで行ったほどの破滅的な政策を支持していないまたは擁護していない」。
ギリシャの統治の失敗が危機を招いたということに疑いの余地はないけれども、EUの政策の失敗がギリシャに本来必要とされていた以上の緊縮を強いたということもまた事実だろう。
従ってこれを「ネオリベラリズム」の失敗と呼ぶことはあまりにも不公平かもしれないが、だがこれを左翼の責任だと責めることはギリシャがEUの金融政策の犠牲になったことを考えればとてもできないだろう。
ギリシャに本来必要とされていた以上の緊縮を強いた?どうしてそんな捻れた考え方をしてしまったんだ?救済されていなければギリシャは即座に債務の支払いを迫られていただけだろう。
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