The Big Reveal: The Story of How 470,000 Documents from Osama Bin Laden's Compound Finally Got Into the Open
By Steven Hayes
バラク・オバマがホワイトハウスを去って24時間も経たないと言うのに、国家情報長官のJames Clapperは彼の所属していた組織が以前から非難の対象に晒されていた問題に関して声明を発表した。Office of the Director of National Intelligence (ODNI)は「ビン・ラディンが残していた文書の残りすべて公開する」と堂々と宣言した。だがODNIは、「パキスタンのアボタバードに潜伏していたビン・ラディンの邸宅を占拠した時に回収した数百ページに及ぶ文書を、公開するための2年と半年に渡る努力が今日で終わりを告げた」と、とっくの昔に語っていたはずだった。その時に公開された文書は結局は49ページで、これまでに公開された文書はそれを加えても571ページだった。
アボタバード文書(資料)にまつわる論争に少しでも関心を持っていた人にとっては(不思議なことにほとんどのジャーナリストはこの対象から外れるのではあるが)、ODNIの宣言は笑いを引き起こすものでしかなかっただろう。ビン・ラディンに関する論争を終わらせる?最後のアボタバード文書?
2011年の5月2日にアボタバードのビン・ラディン邸を占拠したそのすぐ後に、国家安全保障アドバイザーのTom Donilonはパキスタンから持ち帰った文書のことを「小さな大学であれば図書館が一杯になるほど」だと形容していた。2011年の5月7日に記者に対してブリーフィングを行った国家情報局の高官は「これまでで最大規模のテロリストに関する情報を持ち帰った」と語っていた。
ODNIはどうしてそのようなあからさまな嘘が通ると思ったのか?アボタバード文書はテロリストに関するこれまでで最大規模の文書だという繰り返された発言とたった571ページしか公開されていないという矛盾を誰一人として問い詰めないと彼らは本気で考えていたのか?
答え:自称「歴史上これまでで最も透明性の高い政権」は5年以上もアメリカ国民を欺き続けその代償をほとんどと言っていい程払っていない。共和党員はオバマのより滑稽な主張の方、ベンガジでのテロ攻撃は(アメリカ人映画監督が撮影したという映画に対する)抗議活動が間違った方向に向かってしまっただけだ、アルカイダは逃走している、ISISはテロリストの2軍だというのにメディアや特にブッシュ前大統領などがその脅威を誇張している、などに怒り心頭なあまりオバマの嘘を支えていた諜報機関の方にほとんど関心を払っていなかった。
このような状況の下では、ODNIの賭けもそれほど分が悪いものではなかった。テロリズムの専門家や諜報を専門としている少数の人間を除いては誰もビン・ラディン文書の行方にほとんど関心を払っていなかった。大統領が入れ替わるというただでさえ忙しい時にODNIの発言が注目を集めるという確率は低かっただろう。ODNIは、彼らの馬鹿げた主張に寄せられた質問を興味なさそうに切って捨てた。公開されなかった文書は興味深いものでも重要なものでもなかった、誰も興味を持たないようなテロリストたちの戯言が綴られているだけだった、アルカイダや他のジハーディストたちに関する理解を深めてくれるものではなかった、などなど。
諜報活動の政治利用とはまさにこれのことだろう。
共和党の予備選挙が終わろうとしていた2012年の初め頃のことだ。オバマの国家安全保障局(NSC)はWest PointにあるCombating Terrorism Center(テロリズム対策センター)へと(分析の為に)送られる17の文書を選び出していた。NSCはそれらの文書のうち2つを手元に残しておいた。そのうちの1つ(アフガニスタンのタリバンとアルカイダとの密接な関係を暴露した)はオバマ政権が立ち上げたタリバンとの交渉開始を難しくさせただろうと、NSCのDoug LuteがWest Pointに宛てた説明には記されている。ウェスト・ポイント文書はバラク・オバマと友だち関係にあるジャーナリストたちには広く公開された。彼らの結論は最初から決められていた。ビン・ラディンは苛立ちを募らせており孤立していた、崩壊しつつある組織の無力な指導者だった、などだ。バラク・オバマは自身の再任の理由として安全保障ではこれをテーマに選挙を戦うつもりでいた。アルカイダは「逃走しつつある」、「弱体化された」、「敗走の道をひた走っている」など。
「兵士たちのおかげでイラクでの戦いは終わりました。アフガニスタンでの戦いは終わろうとしています。アルカイダは弱体化しました。オサマ・ビン・ラディンは死亡しました」とオバマは再任の5日前にウィスコンシン州のグリーンベイで語っている。
その2ヶ月前にアルカイダと密接な関係にあったジハーディストたちによってベンガジが攻撃されたにも関わらず、彼は自分の主張を考え直そうとはしなかった。その攻撃から選挙までの間に彼は12回以上アルカイダの崩壊を主張し続けた。
ビン・ラディンが死亡してから数週間の間は、アボタバード文書は貴重な情報源として必要性の高い政府機関の下へと即座に送り届けられていた。その当時の機関同士の素早い連携は、アルカイダ主要幹部たちの逮捕や殺害へとつながる貴重な情報を生み出すことになった。だというのにその文書は数ヶ月の間突然、誰の目にも触れることはなくなってしまった。オバマ政権のアボタバード文書に対する関心は自身の再選のため以外にはほとんど存在していなかったということが今であればはっきりと理解できる。ようするに、文書の完全公開はオバマ政権の主張を完全に揺るがしていただろうということだ。
結果として、アボタバード文書の多くは一度も翻訳されなかった。それぞれの情報機関は文書に対するアクセス権を巡って長い戦いを続けていた。国防情報局はその文書に対する「管轄権」を保有していたCIA、それも2012年の4月にアルカイダは10年も経たないうちに崩壊しているだろうと予想した(オバマ信者の)John Brennanによるサボタージュが行われていた、に文書に対する完全なアクセスを繰り返し拒否されていた。
情報機関は自身が保有するアルカイダに関して集めた情報を、アボタバード文書を使って検証することが一度もできなかった。「(その文書を下に)検証する機会は一度もありませんでした」とその文書に関わったことのある情報機関のある高官は語っている。その文書を目にすれば、アルカイダやその指導者に関して情報機関が知っていたと思っていたことと現実の間にずれがあったのかなどを確認することができるはずだった。誰が良い情報提供者だったのか?間違った情報を与えていた者はいたのか?私たちが考えていたよりも上層部のことをよく把握していた情報提供者はいたのか?逆に、私たちが重要だと思っていたのに実際にはそれほどでもなかった情報提供者はいたのか?ビン・ラディン文書はこれらの問いに答えを与えてくれるはずだった。
オバマ政権は、Devin Nunes議員に率いられた共和党の議員団からの情報開示要求を再選後も繰り返し拒絶し続けた。2014年に(共和党が提出した)Intelligence Authorization Actが(共和党が過半数を占める)議会を通過したためにそれらの要求は法律によって保証されることになった。わずか571の文書でさえもが公開された唯一の理由はそれだけだ。そしてその状況はトランプ政権が誕生して以降の数ヶ月間の状況でもある。
ところがこの状況は劇的に変化した。11月1日の水曜日にCIA長官のMike Pompeoはアボタバード文書から「新たに47万近い文書」を公開すると宣言した。571から470000!自称「歴史上最も透明性の高い政権」は3桁の規模で話を捏造していた。
1月の退任会見の時に、私はODNIの広報担当官だったTimothy Barrettにこのように尋ねたことがある。ほとんどの文書が公開されていないというのに、ビン・ラディンに関する情報はこれですべてとはどういうことかと。彼は、「数百よりも遥かに多くの文書」が眠っているということはメールで認めた。だがそれは重複や数え過ぎで説明できると主張した。それは1つのページを1つのファイルとして数えるようなものだと彼は説明した。
「重要と思われるファイルのほとんどは公開した」と彼は語った。571の文書はODNIによって自主的に公開されたのだと。これもまた嘘だった。
ODNIの不誠実な2枚舌はこれに留まらなかった。アボタバード文書のさらなる情報公開を求める情報機関の代表とNSCの高官との間で6月28日に会談が行われた(この会談に詳しい2つの情報筋が明かしている)。ODNIの高官は、自分たちは文書を公開することができない、なぜならばこれほど大変な仕事を行うだけのリソースを自分たちは持っていないと彼らに説明したという。
ようするにODNIは一般向けには「この仕事は終わった、前に進もう」と言っておきながら、裏では「こんな大変な仕事を終わらせるのは自分たちの手には余ります」と言っていた。
この会談のこととこの矛盾を説明するようにBarrettに求めると「この件に関してあなたと話すことはこれ以上ありません」という内容のメールが送られただけだった。
だが政権は入れ替わりこれまでの命令は一掃されることになった。CIAが隠していた文書のすべてを把握するには時間が掛かる。それらの何割かは疑いようもなく重要なものではないだろう。だが新たに閲覧できるようになった文書の中には重要なものが数千とあり、すでにこれだけのことが明らかになっている。それらは重複していたのでもなく意味が通らないものでもなければ孤立し無力だったテロリストの戯言でもなかった。Thomas Joscelynが他の場所で説明しているように、その文書の一部だけからでもアルカイダとアフガニスタンのタリバンとの関係性を示した部分を見つけることができる。現在これらのテロのネットワークと支部を率いているアルカイダ幹部の大量のビデオや写真、パキスタン内部に張り巡らされたアルカイダのネットワークに関する新たな情報が記されている大量の手紙、アルカイダの幹部を狙った攻撃に対する防御法を説明した文書、ビン・ラディン自身が手書きで記した228ページに渡るジハードの記録、などなど。
ODNIは文書の規模だけでなくその内容に関しても国民を欺き続けていたことは最早明らかだ。ODNIは当時の1月に新たに公開された49の文書は「以前に公開した内容をなぞった」だけのものだと主張していた。主なものはビン・ラディンの「イランに対する憎悪と疑い」だった。それが以前にODNIが公開したものだというのは事実だ。だが回収した文書の中に綴られていたのはイランに対する敵意だけだったというのは極めてミスリーディングだ。
ビン・ラディンは、アボタバードで回収され以前に公開されていた手紙の中でイランのことを「大動脈」だと形容していた。イランのアルカイダに対する支援の詳細は(そのうちの幾つかは今まで隠されていたのだが)財務省によるテロ国家指定や、シーア派の過激派であるイランはスンニ派のアルカイダを支援しないだろうという諜報機関の分析官の何人かが抱いていた考えを改めさせるまでに至った。財務省の高官で後にCIAの副長官を務めたDavid S. Cohenは2011年のインタビューでイランからのアルカイダに対する金融的支援のネットワークの詳細を記した情報のことをこのように語っている。「イラン政府とアルカイダとの間でこのテロ組織の活動を認めるという合意があった」と彼は語り、「このことに関して諜報コミュニティの間で論争はない」と語っている。イランはアルカイダのメンバーに対して隠れ家を提供しただけではなく移動の手伝いや金銭、武器の提供など「必要不可欠なコアとなるパイプライン」を提供していた(ちなみにイランとアルカイダが協力関係にあったことはこのブログでも何度も紹介したKyle W. Ortonがとっくの昔に遥かに詳しく説明している)。
アルカイダはこの支援を用心深く受け取った。それは事実だ。イランとの関係はイデオロギーや教義の一致によるものではなくお互いの利益に基づいてのものだった。だがこの秘密の合意を完全に無視することは(長年に渡る協力関係やビン・ラディン自身の「大動脈」という表現などを置いておいたとしても)、騙しの典型例のような手口だ。
イランとアルカイダとの関係性に関して国民を欺いたことをどう思うか尋ねると、Barrettは「ビン・ラディンはイランとは注意深い関係にあった。彼はシーア派のムスリムに対して強烈で、個人的な敵意を抱いていた。だが彼がイランを公に批判することはなかった。彼の家族がそこに匿われていたからだ」。
その後のメールで、彼の家族が匿われていたという事実はイランとアルカイダが深い敵対関係にあったというODNIの主張と矛盾するのではないかという当然とも思える疑問をぶつけてみた。その上に、ビン・ラディン自身が組織の維持と強化に果たしたイランの役割を認めているというのにどうしてODNIはその文書をビン・ラディンのイランに対する敵意の証拠として提出したのか?相互利益のために協力していたこと、むしろ友好的と言っていい関係が存在したことを示す証拠ではないのか?
Barrettは、「「匿っていた」と言ったのは間違いだった。多くのアルカイダ幹部と少なくとも1人のビン・ラディンの家族がイランで自宅軟禁されていると言うべきだった。あなたが言っているような通行路だったというのはイラン政府と共謀があったというのと同じではない。テロ組織がイランを自由に移動できたというだけの話だ。だがそれはイラン政府との如何なる協力の下に行われたものでもなかった」と回答した。
これは驚くべき主張だ。そして新たに公開された文書が明らかにしたように、イラン政府は積極的にこのテロ組織の移動の手伝いをしていた。それだけではない。実際に、ODNIが否定したような「関係性」がイランとアルカイダとの間に存在していた。その上、財務省はイランとアルカイダとの「秘密の合意」を理由にイランにテロ国家指定を行っている。
その後も幾つか非建設的なやり取りを交わした後で、我々(The Weekly Standart)は財務省がイランをテロ支援国家に指定しているその理由が書かれた箇所、国務省のテロ支援国家のイランについて言及されている箇所を彼に送った。その中でも、Ezedin Abdel Aziz Khalilについて言及されている部分には、彼は「アルカイダとイラン政府との合意の下に現在イランに住み活動を行っているアルカイダの幹部、イラン政府は彼との関係を保ち続け2005年以降イラン国内で活動を行うことを許可している」と記されている。さらに、ビン・ラディン自らが送ったイランへの使者Atyiah Abd al-Rahmanが「イラン政府から自由に移動することを許可されていた」と自らの言葉で記している。財務省のテロ支援国家指定の理由には「資金調達とイラン国内での活動を許可した秘密の合意を白日の下に晒すことにより、他に例を見ないイランのテロに対する支援のまた新たな側面に光を当てることができる」と記されている。イランのMinistry of Intelligence and Security (MOIS)には「イランに潜伏しているアルカイダ幹部に必要な文書、識別カード、パスポートを与えることにより彼らの移動の手助けを行っている」と記されている。
他の事例を幾つも挙げることができる。Barrettは、「私はイランの専門家ではない。専門家に相談して月曜日までにはあなたに回答すると約束する」と答えた。(イランに関する)彼からの回答はまだ送られていない。
Barrettと私は11月2日にもう一度だけメールのやり取りを行った。新たな文書が公開されたためだ。彼の1月の発言が完全にミスリーディングだったと認める機会を彼に与えたつもりだった。彼は、「ODNIは新しいCIA長官の決断を支持する。新たに公開された文書はこれまでに知られていなかった情報をもたらしてくれたが、諜報機関同士の文書の利用を促進するためのタスクフォースの評価を覆すものではなかった」と返答した。
オバマの一期目の外交政策のメッセージはテロとの戦いはブッシュ大統領のせいでうまくいかなかった、だが今では自分が適切に対処している、それ故成功に終わるはずだ、だった。彼の二期目の外交政策の最優先事項はイラン政府と取引をすることだった。奇妙なことに、バラク・オバマはアルカイダがすでに持っていたもの、すなわちイランとのパートナーシップを欲した。オサマ・ビン・ラディンがイラン政府と協力しあっていたと国民に事実を伝えることは、その外交政策の目標を大きく揺るがすことになっていただろう。だから彼は、諜報機関の協力者たちの助けを借りて、ビン・ラディン文書を封印し時間稼ぎを謀った(ちなみにリベラルがこのような大犯罪に手を染めたのは次の大統領がヒラリー・クリントンだとリベラルが頭から決めてかかっていたからだというのはアメリカの保守派の間では常識のように語られている)。
CIAが新たに公開した47万の文書にはアルカイダとイランとの関係を記した19ページのレポートが含まれていた。そこにはアルカイダとイランとの間に幾ばくかの軋轢があったことを記しているものの、そのわだかまりは協力を阻害するものではなかったということをはっきりと記している。そこには、イラン政府がアルカイダに「彼らが欲するものはすべて」与えていたことが記されていた。それにはイラン内部で彼らを匿うこと、移動の手伝いをすること、「武器や資金」、「サウジアラビアと湾岸諸国を攻撃することと条件にレバノンのヒズボラキャンプでのトレーニングを認める」などが含まれていた。
新しく公開された文書にはビン・ラディンの子供でアルカイダの現在の広報役でもあるHamza bin Ladenの結婚式の時のビデオが含まれていた。そのビデオには彼と複数のアルカイダの幹部が(所在不明の)モスクで結婚式を祝っている様子が映されていた。子どもたちの叫び声がモスクに反響する中で、ローブとクーフィーヤに身を包んだビン・ラディンの息子が誓いの言葉を静かに真剣な口調で述べている様子がビデオには収められていた。このビデオはイランで撮影されたものだ。
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