2015年1月6日火曜日

クルーグマンとスティグリッツの言うことは1から10まで全部嘘だった?

Executive Summary

歳出と歳入の議論が過熱する中で、増税を支持する人達は1950年代をよく黄金時代のように語る。そして富裕層はもっと多くの税金を払っていたし税制はもっと公平だったと主張する。だが、事実をよく見てみるとその主張は支持されていないことが分かる。

実際、

・1950年代には、ほんの僅かの人しか極めて高い税率を課せられていなかった(*たった3人との説)。

・富裕層が税を多く支払っていたという主張は、実際の観測事実ではなく、富裕層が法人税をほぼ完全に負担していたという仮定により成り立っている。その仮定を疑う正当な理由が幾つかある。

・それらの仮定の存在を置いておいたとしても、1950年代の経済は現在とは異なるので当時の税制を現代に再現することは出来ない。

・現在の経済で税率を引き上げたとしても、税制はより公平になるどころか不公平になる可能性のほうが高いだろう。

現在の議論の中で、よく言われるのが増税をしても経済成長を阻害することはないという主張だ。この主張の絶対的根拠として1950年代は最高税率が高かったにも関わらずアメリカの成長率が堅調だったと頻繁に持ちだされる。

1950年代を高い税率の時代と捉えているうちの1人がコラムニストのPaul Krugmanで、以下のように発言している(*以下略)。

1950年代が高い税率と堅調な経済成長の時代だったという概念を示すものとしてThomas Piketty and Emmanuel Saezが挙げられる。増税を支持する者達から頻繁に取り上げられる彼らの仕事だがその詳細を見てみると、それが増税を支持するものでないことが明確にわかる。

第一に、彼らはその時代の高いとされる税負担が限界税率の高さによるものであるということを示していない。高い税率を課せられたのはほんの僅かの人だけだった。彼らから引用した以下のグラフに各所得階層が課せられたであろう平均税率とその税の種類の内訳を示す。


(*クリックすると拡大。右側のグラフは実際の税率ではなくあくまで推計によるもの。ここで注目するポイントはグラフの緑の部分が2つのグラフで大体同じ水準にあること。この緑は所得税の税率を示す。ようするに2つの時期の税率が異なるのは富裕層に掛かる所得税の税率が変化したからではなく青の法人税の税率と灰色の相続税の税率が変化したからだということを示している。ただしそれもあくまで推計によって求められた税率なので以下でその部分が批判されている)。

これらのチャートは平均所得税率が1950年代から2004まで(ブッシュ大統領の減税の後でさえ)極めて安定していたことを明確に示している。その時期の税率は、税制が累進的であるようにと設定されていた。1964にケネディ大統領が税率の引き下げを行うまでは高額所得者の限界税率は91%だった。だが、実際にその税率を課せられていた人は既に述べたように少ない。その税率が課せられた人達でさえ、実際の平均税率は今日の税率とさほど変わらない。彼らが述べているように、

「興味深いことに、1960年代の税率の累進性は所得税によるものではない。1960の個人所得税率は最高でも31%で、2004の25%より少し高いだけだ。1960年代の所得税の特徴はキャピタル・ゲイン税率が低かったり各種の控除が豊富に用いられていたことで、これにより最高税率91%に代表されるように一見したところ極めて累進的に見えた各種税率が劇的に低下することが見て取れる」。

言い換えると、抜け穴や控除が原因で1950年代の税率は現代の税率とあまり変わらなかった。それならば、どうして彼らは当時の富裕層はもっと多く税を払っていたと主張しているのか?

その答えは、法人税と相続税にあると彼らは主張している。所得税以外の間接的な要因が富裕層の税負担が多かったという主張の根拠に挙げられている。

「1960の累進度が高かったのは法人税と相続税が原因だ。法人税が個人所得全体に占める割合は1960に6.5%だったが、現在では2.5%に過ぎない。資本所得の分布は偏っていたので、法人税は富裕層にとって大きな負担となった。相続税も0.8%から0.35%へと低下した。その結果として、相対的な相続税の負担は1960から低下した」。

「個人所得税の限界税率の低下は累進制の低下とほとんど関係がなかった。各種の所得控除や人的控除、キャピタルゲインに対する優遇措置などが要因で、限界税率の変化に比べて平均税率の変化ははるかに小さかった」。

彼らはそれら非所得税の負担が富裕層に集中していると主張しているので、1950年代の平均税率が特に富裕層で現在よりもはるかに高かったと結論してしまったようだ。

相続税の影響を計算するのは相対的に簡単だが、法人税の負担を計算するのははるかに難しい。理論上では、課税された会社は資本へのリターンを低下させるので株主は所得を失う。そして会社という人間は存在しないから支払うことが出来ないので代わりに労働者の賃金が低下する。だが実践上では、会社の税負担を誰が支払うのかを正確にモデル化すること(*株主と労働者のどちらがどれぐらいの割合で負担するのか)は現在でも困難となっている。

彼らはこれに正面から向き合うのではなく2つの方法で回避した。第一に、資本に法人税の全負担が掛かると仮定した。第二に、個人所得がキャピタル・ゲインの実現益で近似できるとも仮定した。

1950年代にも存在していたGeneral Motorsの例で考えてみよう。他の大企業同様に、GMの課税所得も1950年代と1960年代には膨大なものだった(1960年代の課税所得は平均でGDPの9%を占めていた)。それ故、政府にとって法人税は重要な歳入の源となっていた。

この経済学的帰結を説明するために、彼らは株主が法人税をすべて負担すると仮定した。この時代の実効税率を計算するために、彼らは法人税全額を計算し株主が株を売ることにより得た所得(キャピタル・ゲインの実現益)の合計で割った。彼らは富裕層が株式の大部分を保有していると仮定しているので、そこから富裕層の税負担が高いと推計した。これら彼らが70%という数字を算出した方法だ。

ここで注意しておきたいのは、1950年代と1960年代の税率が高かったという主張は実際の納税額を直接調べることによって言われているのではないということだ。そうではなく、株主が法人税を全額負担するという仮定などから計算された推計に基いている。

その仮定も完全におかしなものというわけではないにしても、彼らの仕事をより注意深く分析してみると4つの重大な問題点が出てくる。

1.法人税の影響をモデル化するに際して、彼らは法人税が実態のない法人という存在によって負担されるのではなく実在の人間が負担するという一見したところ当たり前の事を分析に組み込んでいる。この点はとても重要だ。それというのも、増税の支持者たちは投資家は低い税率でしか負担していないと頻繁に主張しているがその主張の矛盾が浮き彫りになるからだ(秘書よりも税率が低いと主張したWarren Buffettが有名)。

もちろん、そのような主張は労働に掛かる税率とキャピタル・ゲインに掛かる税率との差から生じている。投資家が負担する法人税を考慮に入れていない。だが、その影響こそがPiketty and Saezの分析において決定的に重要なものだ。彼らの主張の元になっているのは資本の保有者(Warren Buffettのような)が法人税をすべて負担するという仮定だ。

だから、この主張を増税の根拠に用いるのは整合性を欠いている。1950年代は無害な高い税率の時代だった(裕福な株主が法人税を全額負担するという仮定に依存しているのに)としながら現代は低い税率の時代(法人税の影響は無視してキャピタル・ゲイン税率だけを見ることによって)だと言っていることになる。

2.Piketty and Saezの仮定は現実からはほど遠い。

先程も述べたように、法人税は賃金の低下という形で労働者が負担するという経路がある。実際、多くの経済学者は労働者が法人税のかなりの部分を負担するということに同意している。これを簡単に言い表すと、政府が税として集めたものは労働者への賃金としては利用することが出来ないということだ。このことは労働組合の活動が活発だった1950年代には特に重要だったかもしれない。

さらに、キャピタル・ゲインの実現益だけを見るのでは法人所得の全体像を見落とすことに繋がる。一般的に、株価の上昇は資産価格全体の上昇を表している。だがその上昇のすべてを株式投資家が得るのではない。保有資産の価値が増加しても株式を売却しない投資家の例を考えてみよう。Piketty and Saezの仮定では、この個人は法人税を負担していると見做される。だが、この人物は実際には税を支払っていない。

1950年代の法人税の負担を知る完璧な方法はない。だから仮定と単純化がどのモデルにおいても必要になる。このことをもってモデルを全否定するべきではない。Piketty and Saezの分析の場合には、彼らの用いた2つの仮定を疑う余地が大きすぎたというだけの話だ。問題点は明らかだ。それらの仮定により(特に2つの仮定が組み合わさった時に)彼らは1950年代の税率が実際のものよりも高いと誤って推計してしまった。

3.彼らの用いた仮定の問題点を置いておいたとしても、さらに第三の問題点がある。彼らの結果は大部分が1950年代の特殊性がもたらした錯覚だ。

第二次世界大戦後の世界経済の崩壊と戦後の工業資本主義の特殊性がアメリカに異様に高い企業利益をもたらした。アメリカの企業は他のどの国の企業とも競う必要がなかった。当時の法律も社会の慣習も、巨大独占企業の存在を支持していた。資本の流動性は相対的に低く企業利益は高かったので労働組合の活動(賃金と給付の増加として)と法人税を通した形での再分配は活発だった。

50年以上たった現在では、世界経済の性質は劇的に変化している。アメリカの法人税率は未だ高いままのものの、その税収はGDPに占める割合としては劇的に低下している。様々な要因により資本や企業利益は現在では簡単に課税できるものではなくなった。加えて、資本の保有者も大きく様変わりしている。資本の保有者は現在では年金ファンド、普通投資家などが含まれる。それ故、資本課税は最早富裕層のみが負担するものではなくなっている。

言い換えると、増税の支持者達の主張の問題点は1950年代が彼らが主張するような超高率の税率の時代でも何でもなかったというだけでなく、その時代の経済状況に戻る簡単な方法がないということにある。

では現代において、よいと仮定されている高い税率を課す方法はあるのか?所得税の税率の引き上げが挙げられるかもしれない。だが過去のデータを遡ってみれば、限界税率の変化に対して実際に集められた所得税の額は驚くほどに安定していることが分かる(人々は税率の変化に対して自分たちの資産を守るために最大限の反応をするので)。それ故、所得税に焦点を絞った戦略がうまくいくのかどうかはまったくもって明らかでない。

4.Piketty and Saezの分析は、1950年代の超富裕層の税率が高かったと述べているだけだ。これは、その時代の税制が全体としてより累進的であったかどうかの証拠からは程遠い。

税制の累進性を測る重要な手法の一つは、所得分布全体のうちの90%(*所得上位10%までを除いた全体)の所得シェアが課税前と課税後でどのぐらい変化したかを調べることだ。彼らは1970のその集団の所得シェアが課税前と課税後で4.3%変化したと推計している。言い換えると、課税が所得分布に与えた影響は4.3%だ。

だが、2004にはこれが6.6%に上昇している。この基準によると、累進度が高いとされているフランスの税制は同年度で1.8%変化させているだけではるかに低い。もちろん、税制の累進性を判断する方法は他にもある。だがこの方法は課税が所得に与えている直接的な影響に焦点を当てているので説得力が高い。この基準によると、現在の税制がアメリカの歴史上でまたは他国との比較で例外的に累進度が低いという主張は支持されない。実際、この基準によるとアメリカの累進性はむしろ上昇している。

増税の支持者たちはヨーロッパを税制の公平性のモデルとして挙げることが多いものの、事実として多くのヨーロッパの国々の税制は特に累進的ということはない。ヨーロッパの各国はむしろ累進性を低下させる方向にシフトしている。例えば、付加価値税はヨーロッパで一般的だ。付加価値税は消費に課税するので富裕層よりもむしろ低所得層に負担が集中する。

Conclusion

以上、4つの問題点を見てきたがいずれも同様の結論を示している。1950年代の税制を2013のモデルとすることはミスリーディングということだ。所得税の実効税率は何十年間も安定している。法人税には富裕層の税率を高める効果があったかもしれない。だが、それは主張されているようには明確でもなんでもない。そして過去に法人税率が富裕層の税負担を高めていたとしても、現在においてその当時の経験を再現することは容易ではない。一方で、ヨーロッパの例は高い税率が経済成長に影響を与えないなどということを示していない。現在において税を最も集めやすい方法は累進制とは逆の方向ということだけだ。歳入の議論の答えは過去に見出すことは出来ない。

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