2015年8月12日水曜日

格差研究の専門家の集まりにリベラル派のブロガー(自称専門家)が乗り込んで討論を挑んだその結果 Part7

(理解するための事前知識、雑感、レイノルズの考えと思われるもののまとめと補足)

・ピケッティ&サエズ以外にも所得上位1%の所得シェアを推計しているものがある。
・その代表的なものがCBOのもので、OECDなどはレイノルズのピケッティ&サエズに対する批判を修正してもなお所得上位1%のシェアが上昇していることを示したものとしてCBOを挙げるほどだった。
・CBOの方は確かに政府からの移転が含まれていない、所得が40年以上増加していないことになっているなどの問題が(部分的に)修正されている。
・ピケッティ&サエズのものは信用していなくてもCBOのものは信用しているという経済学者は多い。
・だが今度は、企業の利益が何故か所得上位1%の所得に含められることになってしまった。
・その上、企業の利益のどのぐらいが所得上位1%の所得とするのかに際しても、すでにある資産上位1%の資産シェアの推計(33%)を用いるのではなく、59%という極めて高い数字を用いている。
・資産格差は長い間拡大していない(先程の例では33%ぐらいのまま)というのがコンセンサスであるにも関わらず、CBOは勝手に資産格差が39%から59%になったかのような計算を行ったに等しい。
・その59%を33%にして所得上位1%の所得シェアを計算し直すと16.3%から11.3%へと低下する。
・これは所得上位1%のシェアが約30年間の間にむしろ低下していることを示す。
・そもそも、その33%というのも年金などの社会保障費を除いた場合のシェアでそれらを含めれば33%から大きく低下する。
・ちなみに、他の国の所得上位1%の所得シェアの推計では当然のようにゼロ%として計算されている…

Errors about CBO Errors

Alan Reynolds

CBOが企業利益を(富裕層の)所得に配分していることを批判したWall Street Journalの記事には分かり難い点があったのかもしれない。何故ならThomaや恐らくBurtlessにも我々の主張が理解されていないからだ。

国民所得統計では個人の資本所得(個人所得に含まれる)と企業の留保利益(国民所得に含まれる)は区別される。この区別はCBOのものを除いてPiketty-Saezでもその他すべての所得分布の研究でも見られる。それにも関わらずThomaは法人所得と個人所得の間の区別を単なる意味論上の些細なものかのように扱う。彼は「自分は資本所得という用語が用いられるのを好まないし話題が所得上位1%のアメリカ人のことであっても代わりに「企業利益」という用語が用いられれば良いのにと思う。いいでしょう。好きなように呼べばいい。結論が変わることはない」と記している。その真逆に、下の表はCBOの誤った代理指標を連邦準備制度の資産統計に単に置き換えるだけでCBOの2004の所得上位1%の(課税前)所得シェアの推計は16.3%から11.3%へと低下し見掛け上は上昇だったものが下降へと転じることを示している。

CBOは企業利益を家計に割り当てている唯一の機関だ。彼らは法人所得税(法人税)の負担を誰がどのぐらい負担するのかを推計しようとするがためにこのようなことを行っている。だがそのためには(今度は)法人税の負担に関する理論を採用する必要に迫られる。

そこでCBOによって選ばれたのが1962の理論だ。この理論は閉鎖経済の仮定に基づいておりそして法人税が労働者や消費者にまったく転嫁されないと仮定している。法人税は(株の保有者や課税対象となる投資を行った者だけではなく)資本全般の保有者によって負担されると仮定している。この古い理論は現在では数え切れないほどの批判を浴びている。それには労働者が法人税の74%を負担すると推計したCBOのエコノミストWilliam Randolph(それにCBO自身)も含まれる。

だがReynolds-Hendersonの分析を理解するのに重要なのはCBOの法人税の負担に関する理論は法人税が資本からの所得に応じて負担されるということを示唆していないということにある。資本所得を資産分布の代理指標として用いることは単なる統計学上の短縮作業だ。Reynolds-Hendersonで説明しているように課税対象となる資本所得を所得上位1%の資産シェアの迂回的な代理指標として用いることはCBOにとって致命的な誤りだ。その上、遥かに優れた資産分布の直接的な推計が存在する。

Thomasは、「所得上位1%の資産保有は大きく増加した。それ故、誤配分は非常に大きなものにはなり得ないように思われる」と語っている。彼が引用したのとまったく同じ資産データを用いて我々は誤配分が非常に巨額であることを示した。我々は、「Kennickell(中略)は資産上位1%の資産シェアが1995の34.6%から2004の33.4%へと少し下降していると結論している。それにも関わらずCBOは同期間に資産シェアが43.2%から59.4%へと上昇したと語っている」と書いた。

Thomaは、「彼が引用した39%から59%への上昇は何も意味していない。それは単に企業利益が所得上位集団に配分された額を示すに過ぎない」と返答している。「単に」とは一体何を言っているのだろう?「単に」企業利益の59%を所得上位1%に加えることが「何も意味していない」などということを説明できる人はいるだろうか?Kennickellの推計(資産シェアの推計としては最も高い数字を示す)と比較してCBOの方法では所得上位1%の所得が2004で25%誇張されている。

Thomaは、「その数字(39%または59%)は資本所得の増加がその集団の実際の資産保有の変化を反映しているかどうかに関して何も語っていない」と続ける。それはCBOに対してすべき議論であって私に対してではない。CBOの負担理論によると資産保有はまさにそれらの数字が反映していると仮定されているものだ。39%と59%という数字は過去と現在において企業利益が所得上位1%に割り当てられた割合を反映している。Thomaは信じているようだがそれは所得上位1%の「資本所得」ではない。その真逆に、利子、配当、納税者が申告したキャピタル・ゲインの上にさらに加えられる。Reynolds and Hendersonのグラフが示すようにそれがCBOの所得上位1%の平均所得の推計がPiketty and Saez(企業利益が含まれていない)のものよりも遥かに高い理由だ。

下の表は個人所得と法人所得を合わせた所得上位1%の(課税前)所得シェアがCBOの誤った代理指標をKennickelの資産シェアの直接的な推計に置き換えた後にどのように変化するかを示している。この一つの誤りを修正するだけで所得上位1%の(課税前)所得シェアは1989の12.5%から2004の16.3%へと最早上昇するのではなく1989の11.8%から2004の11.3%へとむしろ下降する。

CBOが所得上位1%によって負担される法人税の割合を推計するには彼らはまず(企業資産や課税対象となる資産だけではなく)所得上位1%がすべての資産に占める割合を推計しなければならない。これを行うために彼らは「資本所得」(課税対象となる投資から得られる所得)の割合を(それらの資産が課税対象となるかどうかに関係なく)資産全般の分布の代理指標としている。彼ら自身の言葉で、「CBOは法人所得税は利子、配当、キャピタル・ゲイン、賃料からの(納税申告書に記載された)所得に応じて資本の保有者によって負担されると仮定している」とCBOは説明している。

CBOは所得統計上からは不可視のしかも増大している中間納税者の所得をまったく把握できていない。だが(Thomaが信じているのとは異なり)そのことは我々が最も強調したい点ではない。我々が最も強調したい点はこのことが(CBOが)所得上位1%の平均所得の水準とトレンドを大きく誇張する原因になっているということだ。それは企業利益(資本所得ではない)を所得上位集団に割り当てる方法が意味不明であることに依る。

Thomaは、「主に目に付くことと言えばReynoldsが自分の主張を支持するためにミスリーディングな統計をどのように用いているかということだ。「CBOは所得上位1%の所得に1989では企業利益の39%を2004では59%を加えている。それにより完全に人工的な所得上位1%の所得シェアの上昇を捏造している」は、まったくそうではないというのに上昇のすべては誤配分の反映だと示唆している。重要なのは集団間の資産保有の変化に対応する39%から59%への変化だ」と語っている。このコメントは(人語としては)ほとんど理解不可能だがなんとかやってみよう。CBOは所得上位1%が今では資産の59%を保有していると仮定している。定義によりこれは「対応する(中略)集団間の資産保有」を意味するのでなければならない。それが59%が意味するものだ(ここまでは理解できただろうか?)。だが現実にはその59%という数字は所得上位1%の課税対象となる資本所得の見掛け上の割合から求められている。何故ならCBOは資産保有の推計を(課税対象とならない資産の保有となるとさらに)行っていない上に、連邦準備制度の推計を用いないということを選んだからだ。Thomaとは(当然)異なりCBOは間違いなく企業利益と配当、キャピタル・ゲイン、利子、賃料から生じる個人所得とを混同していない。CBOは配当、キャピタル・ゲイン、賃料から生じる個人所得を資産全般の所有の代理指標として用いている。Reynolds-Hendersonの記事の主題はCBOの方法が完全に不適切であることを示すことそしてその理由を説明することだ。

Thomaの最後の投稿は単一の指標で完全なものはないということに言及している。だから私は可処分所得、消費、賃金、資産など数多くの種類の格差の指標を提示しさらにデータの問題(1986や1993のようなデータの構造変化)に関しても議論していた。さらに本の14~20ページで私はジニ係数の問題点に関しても(単にジニ係数を示すのではなく各所得階層毎の(統計局やCBOの)実質所得のデータを表示することにより)議論している。

Thomaは1988以降の何か(所得?)の格差の拡大は「多くの異なる方法で文書化されている」と主張している。だが私は彼が以前言及したような資料(Ben Bernankeが典型的だが)が何故誤りなのかを説明した。彼は「圧倒的な数の証拠がある」とまで主張している。だがそれがどのようなものでどこにあるのかは一度も説明したことがない。彼は政府が国民所得の利潤分配率を過小に推計していると考えているようだ。だが利潤分配率の低さは1960年代のような好況期ではなく1982のような不況期と関連している。所得上位1%のシェアも1920以降のすべての不況期に低下している。だがそれは「格差を縮小させた」ので不況が労働者にとって好ましいということを示したのでは決してない。

格差研究の専門家の集まりにリベラル派のブロガー(自称専門家)が乗り込んで討論を挑んだその結果 Part6

Additional Reflections

Richard Burkhauser

Mark Thomaの最後の投稿から1980年代以降アメリカの所得格差が拡大していることを見出すことは困難というReynolds、Burtless、Burkhauserのコンセンサスに彼は向かっているように思われる。口に出しては言わないものの以前の景気循環期(1979から1989)よりも直近の景気循環期(1989から2000)で経済成長による所得の増加がより均等であるという私の意見に彼が向かっているのも明らかなように思われる。

Thomaは、所得格差の代替的な指標を用いそして所得上位に関してデータが制約されている状況から所得分布全体の形状に関して特定の仮定を行うことにより不完全なデータから所得分布全体の情報を抽出するのに苦労している論文を引用している。彼は所得分布の上位での外れ値によりそのような影響が発生すると記している。従って彼は風がどちらの方に吹いているのかを知るには時々は気象予報士(または少なくとも彼らのうちの幾人かの言うことを注意深く聞く必要がある)を必要とするということにようやく気が付いたように思われる(歌の歌詞をもじった強烈な皮肉)。

だがこの所得分布の上位(所得上位1%または2%)をどのように把握するかの研究は未だに途上にあるということに同意するのではなく彼はそれまでの文脈から突然離れて、「研究者がこれらを注意深く行い証拠を客観的に評価した時には、幾つかの例外を除いて、所得格差が近年に拡大していると彼らは結論している」と非常に摩訶不思議で非論理的な結論に飛びついてしまう。

Thomaが引用した論文にはそのようなことは書かれていない。むしろその論文では彼がしたような解釈をすることの難しさそして格差が拡大したという主張が所得分布の上位の外れ値に対して敏感であることが警告されている。その論文ではイギリスのデータが用いられているものの同様の問題はCPSのデータを用いても見られるであろうしこの討論で我々が議論してきた他のデータにも見られるかもしれないと私は思っている。それがCPSのデータを用いた所得格差の研究の大部分が外れ値の問題を避けるために「トリミング」またはトップコーディングに変更が行われなかったと仮定した場合のデータを用いる理由だ。所得上位の1%または2%がどうなっているかを知ることは難しい作業で何か確定的なことを言う前に為されるべきことであり続けている(その後のBurkhauserの動向は以前書いた通り)。

格差研究の専門家の集まりにリベラル派のブロガー(自称専門家)が乗り込んで討論を挑んだその結果 Part5

Mean vs. Median Income

Alan Reynolds

私は1986から1988以降「アメリカ全体で」可処分所得または消費の格差にほとんど変化がないことを示す証拠を提示してこの討論を開始させた。その中でもユニークな証拠の一つ(連邦準備の非常に綿密な調査であるSurvey of Consumer Financesから各所得階層と各所得分位毎の中央所得の増加率を比較したもの)には何のコメントも寄せられなかった。その代わりにジニ係数を重視していると思われる2人のコメンテーターは所得上位と所得下位の平均所得または平均賃金を僅か2年のものだけ比較している。

Burtlessはデータの質に幾らかの問題があると指摘したが(既に私が反論した)消費格差が長期間ほとんど変化していないという私の指摘に誰も異議を唱えていない。

2005のConsumer Expenditure Survey(CES)では(所得の)第5分位は総消費の8.2%を占めていて第1分位は39%を占めている。だが第5分位には1「消費単位」あたり1.7人と0.5人の労働者しかいない。それに対して第1分位は1消費単位あたり3.2人と2.1人の労働者がいる。一人あたり消費または一労働者あたり消費は消費シェアが示唆するよりも遥かに平等で消費シェアも所得シェアよりも遥かに平等だ(特に税と移転支払いを除外した時には)。

可処分所得の格差はどうか?Burtlessの最初のエッセイでは、「包括的な所得の定義で見れば1989以降統計局のヘッドラインの数字が示唆するよりも格差の拡大は小さくいや恐らくは遥かに小さくなるだろう」と書かれている。同様にBurkhauserは、「1989以降所得格差はほんの僅かしか拡大していない」と結論している。事実1993の一度限りの急上昇を除いて1983以降所得分布の99%に関して彼は「所得格差が驚くほど僅かしか拡大していない」ことを発見している。Bernankeは可処分所得に触れているが1979から始めておりしかも間違ったデータを用いている。ThomaにいたってはBurkhauserや私が提示した所得分布統計のどれ一つとっても意味すら分かっていない。では一体何処に意見の相違があるのか?

総所得または労働所得(「賃金」)に関する論争の残りは人口全体ではなく人口の一部(1%から10%)に狭められるように思われる。だが所得上位1%から10%の所得の増加が中間層の可処分所得に大きな影響を与えるというのであればそれはジニ係数の上昇として表れるだろう。私が図で示したようにそのようなことは起こっていない。

CBOが所得上位1%の可処分所得を推計するのに(Piketty and Saezは可処分所得を推計していない)所得税のデータを間違って使用していることにHendersonと私が異議を唱えている主な理由が未だに大きく誤解されている。私は別の所でこの誤解と資産格差に関するThomaの懸念を取り扱おうと思う。

この評論ではまず90/10比(所得上位10%の平均所得または平均賃金と所得下位10%の平均所得または平均賃金との比率)を取り扱うことから始める。この種の計算では人口の80%が除外されているし大抵は移転支払いや税も除外されているので私が言及したこと(「アメリカの人口全体」の可処分所得の格差)とは関連を持たない。それにも関わらず90/10比が課税前所得または賃金の格差が拡大したことの証拠として提示された。だがデータは詳細に見る必要がある。

Krueger and Perriは90/10比が「トップコーディングの変更によって影響されないという望ましい性質を持つ」と書いている。CESを用いて彼らは「90/10比が1989の約5から2003の約6へと上昇している」と結論している。だがCurrent Population Survey(CPS)の内部データを調査した後にBurkhauser, Feng and Jenkinsは一般公開向けのCPSに基づく90/10比はトップコーディングによって深刻な影響を受けることを発見している。それはCESのデータに関しても真だろう。例えば2004の一般公開向けのCESでは(1ドル=100円として)1500万円以上の賃金所得がトップコーディングされている。そしてそれより高い賃金はその閾値以上の賃金をすべて平均してそれによって置き換えられる。

所得を推計するのに消費調査を用いることには他の問題もある。サンプルサイズが小さい(7500)ことにより回答者が所得を申告することを拒否するまたは無視するという問題がより深刻になる。回答者が例え一つでも所得源に値を記入していればデータに所得が含まれる。だが多くの人は他にも申告されることのない1つ以上の所得源を持っている(貯蓄または移転支払いなど)。

Burtlessは95/50比(フルタイム労働者、パートタイム労働者を問わず賃金上位5%と中央賃金との2年の変化)を賃金だけに用いている。彼は、「1988(Reynoldsの好む基準年)には時間あたり賃金の中央値は1320円(2005のドルで見て)だった。2005までにはそれが1429円へと8.3%増加した。同じ期間に賃金上位5%の賃金は20.3%増加している」と書いている。

私は「好みの基準年」などと言った覚えはない。それとは逆に私はそのような2年の比較に強く抗議してきた。何故ならどの年にどのような変化が起こったかがまったく分からないからだ。もう何度繰り返したかも分からないがまだ理解していないようなので敢えてもう一度言う。1993にCPSが定義に高額所得をより多く含めるようになりその結果として所得上位5%の所得シェアは急激に上昇した。同じ問題がBurtlessがEconomic Policy Institute (EPI)から引用している「時間あたり賃金の棄却値」に影響している。何故ならそれらの推計値は「CPSの賃金データを基にした筆者による分析」に基づいているからだ。これはThomaが引用したJanet Yellenが頼りにしているのと同じデータでもある。

EPIの95/50比は1985から1993まで2.6から変化していない。それが2.8へと2年間で突然に急上昇している。EPIが他の所では説明しているように、「1993の調査方法の変更により見掛けの格差が急上昇した」。95/50比はそれ以降は2.8から2.9の間を行ったり来たりしている。Burtlessのように1988と2005だけを比較するのではその比率が1994の前と1995の後で変化していないということがまったく分からない(というより故意に思えてくる)。

Krueger and Perriの所得に対する90/10比とは異なりEPIの賃金に対する90/10比は1986以降継続した上昇など見せていない。EPIの90/10比は1986以降4.3と4.4の間を狭い範囲で変動している。1992から1994のCPSの変更とそれ以降に4.5に2回タッチすることはあったが。1994以降の上昇はEPIが記しているように、「1994の調査方法の変更により低所得労働者の見掛けの所得が低下することになった」ことが原因だ。どちらにしてもこの比率は1987には4.4で2004でも4.4だ。だから私だってやろうと思えばこれを用いて2年ゲームを出来るしそして1987以降格差が拡大していないことを完全に証明したと言うことだって出来る。

BurtlessのEPIの表へのリンクをクリックして1987から2005の期間に賃金の90/10比に顕著で継続したトレンドが見られないことを自分で確認するといい。Krueger and PerriのCESのデータが所得(賃金だけでなく)の90/10比の上昇を示しているというならばそのような結果の違いは低所得層の消費は賃金というより未計上の移転支払いによって主にファイナンスされているからだと思われる。

EPIの推計には賃金上位5%から10%の平均賃金は記されていない。それを定義する「棄却値」または最小閾値が記されているだけだ。例えば2005では4170円以上が賃金上位5%となる。その数字はBurtlessが記しているように1988からは20.3%増加している。だがその棄却値または閾値は上側から引き上げられたものではない(EPIは1万円以上の賃金を除外している)。下側から押し上げられたものだ。

Third Way(リベラル派のシンクタンク)は、「1979から2005の期間に所得が1000万円以上の世帯の割合は12.7%ポイント増加し一方で所得が300万円から750万円の世帯の割合は13.3%ポイント減少した」と記している。その「豊かな」世帯の割合の大幅な上昇は所得上位5%の平均に含まれ続けるためにはかつてよりもより高い所得が必要とされるということをよく物語っている。多くの人がEPIの閾値より上に下側から雪崩れ込んできたので閾値は上昇する。閾値は高い所得を稼ぐ労働者の割合の上昇により押し上げられる。そして高くなった閾値の所得の平均にはかつては含まれていた3600円から4000円は最早含まれないので高くなった閾値以上の所得の平均は上昇せざるを得なくなる。私は本の中でこれを「閾値の錯覚」と呼び以下のように説明している。

「所得上位5%、10%または20%の平均所得の上昇は所得の増加がその所得上位集団だけに限られているのだと頻繁に勘違いされている。実際は、上昇している閾値を下回る人々の所得の増加こそが以前は所得上位集団だったはずの所得を所得上位集団の定義から外れさせている。所得上位集団の平均所得は僅かの高額所得者(外れ値)によって引き上げられることもある。だが平均所得は下側から閾値を超えてくる人の数の増加によっても押し上げられる(かつては「中間層」と見做されていた所得を離れて「富裕層の仲間入り」をすることにより)」。

我々が議論する際に用いる所得分布データのほとんどで(ジニ係数であれ所得分位または所得階層毎の所得シェアであれ)所得上位集団の所得は平均で記述される。ある特定の閾値より上の所得をすべて足し合わせてそれを世帯数、納税者数または消費単位で割る。総所得に対してもそうであるようにこの場合においても平均はミスリードをする。

New York magazineの2004のManhattanの所得の調査では102億円を稼いだ有名なヘッジファンドマネージャーが特定されている。その同じ年に統計局は世帯の所得上位5%を所得が1571万円以上の人すべてと定義している。1571万円以上の所得と102億円を混ぜ合わせてその合計を世帯数(1億1314万6000)で割ると2643万円というごちゃ混ぜの「平均」が生み出される。だがそのような「平均」からは570万の世帯の標準的な所得のことは何も分からない。

所得の天井(閾値)による制約を受ける他の所得階層の平均とは異なり所得上位1%から10%の平均所得は僅かの外れ値によって大きく歪められる。下の表は下から4つの所得分位で平均所得と中央所得がほとんど同一であることを示している。だが所得上位10%では平均所得は中央所得よりも64%から66%高い。最後の列(私が1月11日に行ったプレゼンテーションの図7の基になったもの)は1989から2004の期間に所得上位10%の実質中央所得が20.7%増加したことを示している(税引き前で)。だが現物移転を除外してあるというのに下から2つの所得分位の実質中央所得もまた20%から21%増加している。

それより下の所得分位とは異なり所得上位10%では1989から2004の期間の実質所得の増加は平均所得の方が(18.5%)中央所得の方よりも(20.7%)小さい。もし仮に所得上位1%の所得の増加がPiketty and SaezまたはCBOの言うように凄まじいまでに大きいというのであれば所得上位10%の平均所得は平均所得(*明らかに中央所得の誤植だと思われる)よりも比較にならないほど速く増加するはずだろう(その逆ではなく)。

2004の全世帯の中央所得はSCFによると432万円で平均所得は707万円だ。平均所得が「平均的な」世帯の所得を表していると私が言ったらそれは極めてミスリーディングだと皆が責め立てるだろう。私は(所得上位10%の)平均所得が所得上位10%の「平均的な世帯」を表しているというのも同様にミスリーディングだと議論している。何か変なことを言っているだろうか?

所得上位5%の所得シェアやジニ係数を平均所得を用いて推計するという経済学会の慣習に従っているだけだというのに平均所得の使用は所得上位の一般的な所得水準を誇張してしまうだろう。

だがその平均所得を用いてでさえも可処分所得の格差が顕著に一貫して拡大したという証拠が示されたことはない。1993のセンサスの改訂と1986の税制改革による急上昇の影響は現れたままだ。だがそれだけだ。単に私が正しいだけということを熟考した者はいないのだろうか?

格差研究の専門家の集まりにリベラル派のブロガー(自称専門家)が乗り込んで討論を挑んだその結果 Part4

Sometimes You Do Need to Be a Weatherman to Know Which Way the Wind Is Blowing

Richard Burkhauser

エッセイストのレトリックの巧みさ?と彼らが自分達の意見を支持するものだとして並べる科学的証拠の深さとにはよく反比例の関係が見られることに私は驚かされる。私はMark Thomaがこの討論の中でレトリックの水準だけを一人高めたことには高い点数を与えようと思う。

レトリックの水準を高めることよりも私が図6で示した新たな証拠を認めることは彼にとってはもっと有益なことかもしれないと思われる。図6は一般公開向けCPSとCPSの内部データ両方でトップコーディングの変更と内部検閲の変更が格差のトレンドを大幅に誇張していることを示している。すなわちそれらは一貫してトップコードされていたと仮定した場合のトレンドと比較して遥かに高い。

労働所得と所得格差の研究の分野で標準的なこの方法はこれまた標準的なジニ係数で見ると所得分布の99%で1989以降所得格差は少ししか拡大していないということが示されている。そしてその拡大のほとんどは1993の内部CPSデータや1996の一般公開向けのCPSデータに現れているようにセンサスのデータ収集過程における変更が原因だろう。

しかもさらに良いニュースがある。多数という訳ではないがそれでも所得分布のかなりの割合で所得が減少した1980年代の景気循環期とは異なり(図2)1990年代の景気循環期(1989から2000)では所得分布のすべての部分で所得が増加している。2000の所得分布はすべての箇所が1989の所得分布を実質で見て上回っている。

このようなことはドイツや日本では起こっていない。累進度を増加させようとする試みにも関わらず1990年代の景気循環期に於いてこれら2つの国で所得格差はアメリカよりも拡大した。この事実はThomaや他の再分配政策の支持者たちに対する警鐘として受け止められるべきだ。

ReynoldsとBurtlessに対しては所得分布の99%に関して私の意見と彼らの意見との間に基本的にはほとんど違いがないというこれまでの見解を維持し続けるだろう。そして過去25年間に格差がどれぐらい変化したのかに関する私達の意見の相違はデータに関して私達が話していることが示唆するよりも小さいとこれからも考えるだろう。だがそれを確実にはっきりさせるには細かい所まで詳細に検討する必要がある。だがそれも驚くべきことではない。この手の詳細な検討は不完全なデータを取り扱っている注意深い研究には求められるものだ。

Burtlessは彼の持論の中で1979から1994(好況期の開始時点)と1994から2004とのデータの構造変化を強く強調している。だが図6の私の解釈(特に最も考慮に値すると私が考えるトップコーディングに変更がなかったと仮定した場合の内部ジニ係数の値)は格差が1979から1983の期間に劇的に拡大しその後はほとんど変化していないことを示している。これは些細な観察事実ではない。1979から1983はアメリカにとって困難な時だった。その時期は二桁のインフレ率が何年か続くことから始まって大恐慌以来最も深刻な不況で終わった時だった。

私の意見としてはこれはケインズ政策を採用した失敗とスタグフレーションのために我々が支払う羽目になった代償だと思う。だがこのマクロ経済の暗黒期はケインズ経済学の考えに基づく連邦政府のマクロ政策に終わりをもたらしたという意味では幸いでもあった。レーガン政権はその後のすべての大統領に継承されている一連のマクロ経済政策を実行に移した。それは民主党であっても共和党であっても変わらない。彼らが指名したFRBの議長はインフレターゲットに主に注力している。そして連邦政府は徐々にではあるが自由市場にその力を発揮させることを許すようになった。

それ以降の所得格差はどうなっているのか?図6の私の解釈では1983から1992の期間に所得格差にほとんど変化は見られない。その後に1992から1993に急上昇があった。これはセンサスのデータ収集方法に変更が加えられたためだ。1993から2004の期間にトップコーディングに変更が加えられなかったと仮定した場合の内部のCPSデータには所得格差に何の変化も見られない。従って所得分布の99%ではほんの僅かの所得格差の拡大しか見られない。

所得格差の縮小もないではないかと文句をいう人もいるかもしれない。1983以降(ケインズ政策のせいで)それ以前と比べてアメリカはほとんど変化はなかったものの大幅に高くなった所得格差の水準を経験することになった。だが過去20年間に関しては(少なくとも所得分布の99%では)すべての人の所得が増加しその上で所得格差もほとんど拡大しなかった。

では一体あの人達は何を騒いでいるのか?私には良く分からない。所得上位1%に関してはどうか?ここではReynoldsとBurtlessの意見が強く別れる。Reynoldsは所得上位1%を含んでも1988以降所得格差に大きな拡大はないと考えている。Burtlessはその逆のことを主張している。私には今の所はどちらが正しいのか確信が持てない。だがThomaが間違えているということははっきりと確信している。どちらの議論にもまだ懐疑的でいるのが今の所は妥当かもしれない(*このように語っていたRichard Burkhauserだがこれ以降所得格差が拡大した派を批判する論文をトップジャーナルに載せまくるのだった…)。

格差研究の専門家の集まりにリベラル派のブロガー(自称専門家)が乗り込んで討論を挑んだその結果 Part3

Why Change the Subject?

Alan Reynolds

Gary Burtlessは「経済学者が好む格差の指標はジニ係数だ」と正しく指摘している。それなのに「統計局の標準的な所得の定義には現物給付とキャピタル・ゲインが含まれていない、そして所得税と給与税の影響を無視している」と述べている。それこそが私が統計局の「可処分所得」のジニ係数(移転支払いとキャピタル・ゲインによる課税所得を加え、所得税と給与税を差し引いたもの)を25年間分示した理由だ。

私が25年間分のデータを示すのではなくBurtless、Bernanke、Piketty and Saezやその他の人が今もやっているように2年間だけのデータを示したのだとしよう。それならば私は可処分所得のジニ係数は1986の0.41から2004の0.40へと低下し所得格差は20年間に低下したのだということさえ出来る。またはジニ係数は1985の0.39から2004の0.40へと上昇し所得格差は拡大したと言うことも出来るだろう。たった2年のデータを示すだけでは何も言うことが出来ないしその間に想像上の線を引くことも出来ない(してはならない)。

過去25年間分のジニ係数は可処分所得の格差が1988以降または1985からさえも顕著かつ継続的に上昇していないことを示している。Thomaは「ジニ係数の証拠はレイノルズが我々に信じさせようとしているのとは違って所得格差の上昇の反論にはならない」と主張する。驚くべきことに彼は資産のジニ係数のみに言及している(所得が重要ではないかのように)。すべての所得統計を無視した後で彼は私を「証拠を不完全に提示している」とか「議論を曖昧にしようと試みている」と非難している。

Thomaは「トップコーディングの話はどうなっているのか?レイノルズはそれに対して回答を持っているのか?」と尋ねている。私の回答は(彼は決して言及しようとしないが)1993の(誤った名称ではあるが)「トップコーディング」の増加により高額所得が正確に把握されるようになっただけだというのにまるで所得格差が急激に拡大したかのように人々を錯覚させただけというのは既に述べているはずだ。私はEconomic Policy Instituteが「1993の調査方法の変更により見掛け上の所得格差が急激に上昇した」ということをきちんと記述していることを好ましく思っていたし他の人達にもこの程度の誠実性ぐらいは期待できるのではとナイーブにも考えていた。Burkhauserが説明しているように、「Burtlessがしているような2つのジニ係数の値の単純な比較では1989以降所得格差の拡大を大きく過大評価してしまう」というのはこういう理由だ。Burtlessは(自分が批判しているというのに)「ヘッドライン」のジニ係数にしか言及していないしそれも1989と2005の2年間のジニ係数だけだ。

Ben Bernanke

ThomaはBen Bernankeが「所得格差の拡大は(中略)少なくとも30年間に渡って続いている」と言っているのを引用している。だがBernankeもまた1979と2004の2年間のデータしか示していない。(彼が引用した)深刻な欠陥を抱えている所得データの中でさえも(1993の調査方法の変更を除いて)所得格差の拡大はすべて1979と1985の間に起こっている。所得分布の第五分位と第一分位の世帯が受け取った所得のシェアとして彼が引用したデータは(彼が主張するような)「課税後移転後」のものではない。彼が引用した数字は(彼が信じているのとは異なり)可処分所得ではなく「post-social insurance income」(貧困対策プログラムがなく税がなかった場合に所得分布がどのようになっているかを推測したもの)だ。彼が引用している数字には課税対象となるキャピタル・ゲインは含まれているがキャピタル・ゲイン税や他の如何なる税も含まれていない。そしてEITC、TANF、WIC、メディケイド、住宅給付や食料給付などの移転支払いはすべてはっきりと除外されている。

Bernankeは所得格差を大卒と高校中退との間の賃金の差と誤って定義することから始める。それでもBurtlessは賃金格差は「(1967から1999)の所得の乖離の3分の1だけ」を説明するに過ぎないことを発見している。

有名人の発言を引用することは私のグラフを見ることさえ拒む人達にとっては不安を和らげる効果があるのだろう。だが深刻な欠陥を抱えた間違ったデータを基に形成された「専門家の意見」という居心地の良いコンセンサスとやらは良いデータの代替にはなり得ない。

Paul Krugman

Thomaは私の数字4に対するPaul Krugmanの記事に言及している。Piketty-Saezと統計局の所得上位5%の所得シェアの推計の間にある(1ドル=100円として)100兆円の乖離だ。統計局の数字は(私が以前書いたことだが)所得シェアが「1986の18%から2004の20.9%に上昇しているがこれはほとんどが1993の調査方法の変更によるものでPiketty-Saezの数字は1986の22.6%から1988の27%へと急上昇し(中略)2004に31.2%となっている」。Krugmanは2004のこの10.3%ポイントの差を統計局が高額所得を見逃しているためと思い込んでいる。統計局が5億円以上の所得をすべて見逃していたとしてさえもこの差を説明するというには程遠い。私が計算したように「Piketty-Saezの所得上位5%の所得シェアの推計から5億円以上の所得をすべて除外した」としてもそれによって埋まる乖離は1%ポイント以下でしかない。

Krugmanはこの巨大な乖離を隠し(それ自体元々レイノルズが指摘したもの)それによりこの問題を1994以降の変化率の差へと誤魔化そうとしている。彼は「統計局のデータは所得上位5%の所得シェアが1994から2005の期間に21.2%から22.2%へとわずかに上昇したにすぎないことを示している。Piketty-Saezのデータは3.7%上昇したことを示している。賃金データを見た所ではトップコーディングにより見逃された所得がこの期間に2%ポイント増加したことを示唆している」と書いている。

Piketty-Saezの所得上位5%の所得シェアの推計は1986から2004の期間に8.6%ポイント上昇している。図4はその上昇の半分が1986から1988に起こったことを示している。所得上位5%の所得の事業部分が1986の8.8%から15.5%へと上昇した期間だ。Krugmanのパレート内挿は(1)2つの系列の間にある100兆円の乖離(2)Burtlessが説明しているように、「1986の税制改革によりフォーム1040sに直接申告される所得の額が確実に増加した」という事実を議論することを避けるための苦心して作り上げた人々を騙すための痛々しい小細工のように思われる。

The CBO

Thomaが私がDavid Hendersonと一緒になって書いたWall Street Journalの記事にコメントする時は、彼は企業利益から利子所得へと話題を逸らす。彼は我々が「繰延所得は申告されないのでこれらの資産から発生する利子所得の分布は他の資産から発生し申告された利子から帰属される。これが見掛け上の所得分布を所得格差の拡大の方へと歪める」と書いたと勝手に捏造している。驚くことに、我々が書いたこともない彼の入り組んだ?分析の中には「企業利益」という単語は一度も登場しない。企業利益の59.4%が所得上位1%の所得に誤って配分されているということが我々のグラフと記事の最も重要な部分であるにも関わらずだ。CBOは1989では企業利益の39%を所得上位1%の所得に2004では59%を加えている。これにより所得上位1%の所得シェアの上昇を人為的に完全に捏造している。

「CBOは完璧な仕事をしている訳ではないかもしれない」とBurtlessは述べ、「だが少なくとも税負担と純所得を公明正大で一貫した方法で測ろうと試みている」と擁護している。何かを試みることは何かを達成することと同じではない。CBOの1987以前には申告されていなかった(税が控除された)利子を含めようとする試みと課税対象となる(IRAsの外部の)キャピタル・ゲインのみを含めようとする試み、そして企業利益を擁護不可能な技法を用いて配分しようとする試みのせいでCBOのデータは(余計なことをしない場合と比べて)遥かに悪いものとなっている。

Piketty and Saez

私は私のWall Street Journalの記事に対するPiketty and Saezの返答に何処か他の場所で詳細に反論する予定でいる。今のところは彼らの返答に関して他の人が触れた部分に答えようと思う。

Piketty and Saezは私が彼らを誤って引用したとか私の統計に一つでも誤りがあるとかいうことを示唆していない。彼らの私に対する返答が正しければ彼らが過去に書いてきたことのほとんどが間違いだったことになる。

例えば、現在の彼らは課税所得の弾力性(ETI)は一時的な現象に過ぎないという「形成されつつあるコンセンサス」があると主張している。その反対に最近(1999から2004)の恒久的なETIの推計はAuten and Carrollが0.57、Gruber and Saezが0.40、Kopczukが0.53、Saez自身が0.62だ。Piketty and Saezは経営者の給与に関するGoolsbeeの2000の論文(ストックオプションを付与された時と行使された時で2重にカウントしている)がSaezの2004の論文より優れていると主張している。だがEissa and Giertzは「経営者に関して、我々は1990年代初頭の恒久的課税所得の弾力性が(予想効果なしで)0.8であることを発見した」と報告している。

Piketty and Saezの返答が1月11日のWall Street Journalのレターセクションに届いた時には、彼らは以前にはしていた「401(k)sに関する小さな点も概念的に誤解されている」というコメントを意図的に削除している。図3はそれが小さな点ではないことを示している。Reynolds-Hendersonの記事はそれが誤解ではないことを証明した。

Piketty and Saezは「所得上位1%の世帯の所得シェアは1980の8%から2004の16%へと2倍になった」と言っている。言うまでもなく彼らのデータは課税単位に基づくもので世帯に基づくものではない。各々が500万円稼いでいる既婚の男女は1課税単位では、同じぐらいの所得の未婚のカップルの2倍の所得があるとして記録される。1980から2004の期間の所得上位の所得シェアの上昇の半分は1986から1987のわずか2年の間に起こっている。そして1986以降の見掛けの上昇のすべてはCatoの論文の中でそして図1と図2の中でさえも完全に説明されている。

彼らのデータからは税と移転が除外されているというのに彼らは、「2001以降の富裕層に対する税率の引き下げにより可処分所得の格差が必然的に拡大した」と大胆にも主張している。CBOの推計は彼らの主張とは真逆が真実であることを示している。

Brad DeLongはPiketty and Saezの返答の中で最も大事な部分を抜き出している。彼らは企業家が法人税から所得税への申告へと切り替えたならば(Saezによって示された「シナリオ」)所得上位1%の事業所得の増加と同時にキャピタル・ゲインの減少も観察されるはずだと示唆している。それがどうかしたのか?

図2はキャピタル・ゲインが富裕層の所得に占めるシェアが実際に1986から1988の期間に劇的に減少したことを示している。事業からの所得のシェアが急上昇した時にだ。だが事業所得の増加がキャピタル・ゲインの減少を遥かに上回っているので所得シェアを押し上げる結果となっている。1993に所得税の税率が引き下げられた後で事業所得のシェアが上昇するのが(一旦)止まった以降にキャピタル・ゲイン税額が増加している。だがこれは1997にキャピタル・ゲイン税率が引き下げられたのが最大の理由だ。税率が事業所得、キャピタル・ゲイン、配当に対して同時に引き下げられた時にこれらの所得源からの所得上位1%の所得は急増加し給与部分は低下している。それなのにPiketty and Saezはどんどん小さくなる給与部分に焦点を絞っている。何が起こったのかを知る唯一の方法はわずか2年のデータではなくすべてのデータを明らかにすることだ。所得上位の所得源のシェアの変遷のデータは彼らのデータが税率の変化に対する納税者の反応によって深刻に歪められていることを明らかにしている。

Gary Burtless

BurtlessとThomaは納税申告書のサンプルに基づく研究群の欠陥をConsumer Expenditures Survey (CES)や統計局のCurrent Population Surveyの欠陥と公平に公明正大に扱って欲しいと要求している。私はCBOとPiketty-Saezのデータに関する私の論文に対して同様の要求をするだろう。そして連邦準備のSurvey of Consumer Financesに基づいて中央所得の変化を示した私の図7の数字に対してもだ。

私はIncome and Wealthの出版前では公明正大なアプローチが可能だったとは思わない。それまではほとんど誰も納税申告書に基づく所得分布の推計を真剣に疑うことはしなかった。今では絶対的な所得税の税率の変化(弾力性)と相対的な税率の変化(所得シフト)に対して納税者が所得として申告するものを変化させること、彼らがそれをどのように申告するかを変化させることに関する強力な証拠が揃っている。Thomaが行っているようにそれらすべての証拠を「どうでもいい」と貶すことは論理的でもないし説得的でもない。

納税者の行動と異なり消費格差の話題は私の主要な関心事ではなかった。その話題は231ページの内の僅か3ページを占めるに過ぎない。私は所得または資産に関して1972以降数百以上の記事を書いている。だが(CESのデータを用いて消費格差に関して)書いたのは1つでしかないと思う。この話題はKrueger and Perriに任せようと思う。

Burtlessは私が不注意でした記憶違いを訂正している。私がJohnston, Torrey and SmeedingがCESに依拠していないと誤って示唆した所だ。彼は私がそのことに言及し忘れたのを偏ったバイアスの証だと受け取ったようだ。彼の言葉で言うと、「1985ではCESはU.S. National Income and Product Accountsに記録されている消費の80%をカバーしていた。2000までにはその割合は61%に低下している」。私はその数字に関して言及しなかった。その数字はミスリーディングだと思っていたからだ。

最近になって5人のBLSのエコノミストのチームが対応する項目を比較した際には、「1992のCEの総支出はPCEの総支出の86%で1997には85%に低下し2002には81%にさらに低下している」ことを発見している。Burtlessが行っているように81%を60%に低下させるには少しも比較可能でない項目を比較することが必要になる。

CESは消費者が支出したものを尋ねている。PCEには政府と非営利団体が支出した財とサービスも含まれている。PCEとCESで乖離が拡大し続けている主な理由はメディケアとメディケイド、教育、社会福祉、宗教、研究費、戦費などに対する第三者による支出のためだ。1997を例に上げると(1ドル=100円として)CESの医療支出はPCEの僅か17%でしかない(72兆4000億円の乖離)。CESの教育支出と研究費はPCEの僅か51%でしかない。法律的サービスの僅か27%、社会福祉の僅か13%でしかない。PCEと異なりCESにはイラクに駐留している兵士の衣服費や食糧費が含まれていない。研究助成費、奨学金、教会などが購入した食料や衣服は含まれていない。PCEだけがそのように急速に増加している政府や非営利団体による支出を含めているということはCESの質が低下していることの証拠ではない。

Another Red Herring

Thomaは新聞の記事を引用してR&D費を投資と見做すことが、「レイノルズが議論したような調整を飲み込んでしまうだろう」と勘違いしている。その記事は、「R&D費が利益として計上されれば国民所得に占める労働分配率は1%ポイント以上低下する」と主張している。そしてこれが1960年代の65%だった労働分配率(当時にはR&D費が存在しなかったと思っている?)を「現在の60%以下にまで」どうやってかは分からないが低下させたのだと主張している。だが投資は利益ではないし1%ポイントは5%ポイントでもない。国民所得に占める労働分配率は(自営業を除外して)1960から1960(*誤植で恐らく1965)の期間では62.5%、2001から2005の期間では65.5%だ。その上NIPAの改訂は誰かの所得に何の影響も与えない。

納税申告書に基づくものではなく1988から2000または2000から現在に至るまで格差が拡大したということを示す信頼の置ける証拠を見せて欲しいと単に言っているだけだというのにこの話題逸らしの大洪水といったら一体何なのだろう?(*確かに、何をそれ程までに恐れているのかと逆に興味が湧いてくる(笑))。

生活水準またはその変化に本当に関心があるのであれば(所得上位1%やBurtlessが引用している何人かのCEOなどではなく)全体の消費または可処分所得を見なければならない。そして1986の税制改革や1993のトップコーディングの取り扱いの変化などを挟んだ2つの年を選んでもだめだ。

1988以降可処分所得または消費の格差に顕著で継続した変化が見られないという私が提示した証拠に誰一人として反論できないでいる。もし話題逸らしに遭遇したのであればそれは恐らく真実に辿り着いたからかもしれない。

格差研究の専門家の集まりにリベラル派のブロガー(自称専門家)が乗り込んで討論を挑んだその結果 Part2

Measuring Economic Well-Being: What, How and Why

Richard Burkhauser

同じデータを見ているはずなのに奇妙な解釈をする人がいるのは珍しくない。従って事実を正しく述べるということは簡単なように見えて意外と難しい。これから1989以降所得格差が拡大したのかどうかに関する私の意見を述べる。3月のCurrent Population Survey (CPS)から分かると思われることともっと深い疑問、所得格差は本当に重要な問題なのか?に関してだ。

厚生の変化に興味がある他の経済学者と同じように私も一般公開向けのCPSを用いてアメリカの平均的な世帯の所得とその分布を普通は調べている。最近(長い交渉の果てに)私は統計局が世帯所得のジニ係数(Gary Burtlessがコメントで参照している)を推計するのに用いている内部CPSデータへのアクセスを許可された。私が見た所では彼がしているような2時点間のジニ係数の単純な比較は1989以降の所得格差のトレンドを過大評価しているし所得格差の拡大が問題だという彼の主張を私に納得させるのに失敗している。

CPSのデータを用いている図1は2005のドルを基準として1967から2005の期間にアメリカの中央所得がどのように変化したかを示している。この期間に中央所得は大幅に増加しているがその増加の幅にも変動があることが分かる。従って年度を選べば中央所得が増加したとも減少したとも同じだったと示すことも可能だ。長期のトレンドから景気循環の影響を取り除くためには例えば景気が最も良かった時と最も良かった時または景気が最も悪かった時と最も悪かった時を比較するのが最も良いと私は考えている。これにより1980年代(1979から1989)の景気循環時の所得と1990年代(1989から2000)の景気循環時の所得とを比較することが可能になる。または1983から1993、1993から2004の比較だ。どちらの方法でもアメリカの中央所得は1980年代も1990年代も大幅に増加している。これこそが真に重要なニュースだ。長期的な経済成長により平均的なアメリカ人の厚生が改善した。

所得分布がどうなったのかを解釈することはより込み入っている。Reynoldsが取り上げていたBurkhauser, Oshio, and Rovba(近日発表予定の)では単に単年度のジニ係数を用いるのではなく1979-1989-2000のアメリカの景気循環の山での所得分布の全体像を示しそれを1990年代のイギリス、ドイツ、日本の景気循環の山での所得分布の全体像と比較している。1989の所得分布を1979の所得分布と比較してみると(図2)所謂中間層と呼ばれる人達が1980年代に大幅に減少していることが分かる。これはReynoldsやBurtlessが議論していたジニ係数の上昇と整合的だ。だがここで見逃してはならないのは「消えた」中間層のほとんど全員が分布の右側(所得の多い側)に移動したということで分布の左側(所得の低い側)に移動した人はほとんどいないという事実だ。ようするにアメリカで1980年代に所得格差が拡大したといってもそれは消えた中間層が尋常でないほどに豊かになったからだ。

1990年代になるとさらに良くなる。2000の所得分布は1989の所得分布をそのまま右に移したような形だ。すなわち2000の所得分布のすべての地点が1989の所得分布よりも改善している。これは我々の社会が達成した素晴らしいことだ。だがこれをドイツや日本と比較してみるとますます素晴らしいものに見えてくる(図3と図4)。イギリスは我々の1990年代と同様の結果を示している(図5)。

これまでに示した世帯所得から所得の推計値と社会保障税を差し引いたものは税を差し引いていないものと全体像としてはそれほど異なるというわけではない。だがこれらはReynoldsとBurtlessが議論していたジニ係数の上昇の背後にあるものは何かという問題に関してより込み入った見方を示している。

我々はジニ係数も同時に推計している。そして1989から2000の期間に課税後の所得格差が縮小、同期間に課税前の所得格差には何の変化もないことを発見した。ではBurtlessが参照している(統計局が内部CPSデータを用いて発表している)ジニ係数の上昇とは一体何なのか?

統計局に頼るのではなく自分達自身でジニ係数を推計している他の多くの研究者と同様に我々も一般公開向けのCPSを用いてジニ係数を推計している。Shuaizhang Feng and Stephen Jenkinsと私の共著の新しい研究に基づく図6に見られるようにトップコーディングを調整していない一般公開向けのデータを用いれば1989から2000の期間に課税前所得に所得格差の大きな拡大が見られた。だがこれはトップコードの大幅な増加と1995以降のセル平均の使用の大幅な増加、そして1993のCPSの調査方法の変更が原因だ。我々はこの問題を1975から2004の期間を選び全期間で一貫したトップコーディングを行うことにより修正した。

Burkhauser, Butler, Feng, and Houtenville (2004)でこの方法は体系的に労働所得格差の水準を過小評価しているものの(1992から1993と1994から1995の一時的なスパイクを調整した)未調整の統計局の内部ジニ係数と外部ジニ係数のトレンドを捉えていることを示した。我々の結果は一般公開向けのデータの所得上位2%と3%を単純に「刈り込んだ」ものと同様だ。従って我々の結果は所得分布全体の97%から98%の世帯所得とその分布がどうなっているかを一貫して示している。私はBurtlessとReynoldsが適切にこれらの問題を修正した一般公開向けのCPSデータはこの集団に対しては正確にトレンドを把握しているということに少なくとも同意すると信じる。

内部CPSデータへのアクセス権を得てから我々が注意深く記してきたことはこれらのデータであっても所得分布の上位で不均一な検閲が行われているという問題があるということだ。Burtlessは内部CPSデータからの一部である統計局のジニ係数は検閲に対して修正されていないと述べている。ReynoldsがそしてBurkhauser, Feng, and Jenkins (2006)で我々が独立して議論しているように1975から2004の期間において一般公開向けのデータと同様に内部CPSデータは所得分布の上位を体系的に把握していない。一般公開向けのCPS同様に、トップコーディングを含む内部検閲は個人の所得総額ではなく個々の所得源に対して行われる。そして我々は1つ以上の所得源がトップコードされている世帯に住んでいる個人の割合は0.1%から0.8%の間で変化していることを発見した。

我々が一貫したトップコーディングの方法を用いて内部の所得データを調整した時には未修正の内部データを用いたものと比較して1989以降のジニ係数の上昇がより穏やかであることを発見した。1989から2000では6.82%ではなく4.67%だった。だがこれでさえも上昇として高すぎる。何故ならトップコーディングと検閲を調整した後でさえも内部CPSデータには1992から1993のスパイクが見られたからだ。未調整の内部データに比べればスパイクは低いもののこれはまだありえないほどに高すぎる。事実、1993から2004までのジニ係数のトレンドだけを見れば(1992から1993のスパイク以降で利用可能なすべての年度の内部データ)ジニ係数は1.45%、2.43%しか上昇していない。まとめると内部データによって捕捉されたという所得格差の拡大というのは一度検閲が調整されると所得分布全体の99%に関して調整後の一般公開向けのCPSのデータとほとんど同じことを語っている(このコラムはそもそもBurtlessが所得格差の拡大はCPSの内部データを用いて推計されたジニ係数によっても確認されていると主張していることに対する反論となっている)。1990年代に渡って全体の分布は所得格差がほんの少しまたはまったく拡大することなく右へと移動した。1989以降世帯所得格差はほんの少しまたは前の10年間と比べると遥かに少なく拡大した。これは非常に良いニュースだ。

CPSデータは所得分布の上位1%または2%を調べるのには少し向いていないということにはReynoldsやBurtlessに同意する。悲しいことに他のデータもまたこの集団を調べるのに向いているということはなく所得分布全体の99%に比べると所得上位1%の所得が1989以降どのように変化したのかに関して不確実な所がある。

だがこれは本当に重要なことなのか?経済はゼロサムではない。私の利益は他の人の損失ではないしその逆も然りだ。私は所得上位1%の所得の増加が他の人達に害を与えたという証拠を一つも見たことがない。過去の景気循環期において富裕層の所得と低所得層の所得は同じ方向に動いていた。Robert NardelliやHank McKinnellに対してそれより遥かに多くのTiger Woods、Steve Jobs、Oprah Winfrey、Bill Gatesのような人がいる。彼らが我々のために生み出した財やサービスの価値は彼らが受け取った所得を圧倒的に上回っている。それが市場経済の結果であるしそれが重要なことだ。

格差研究の専門家の集まりにリベラル派のブロガー(自称専門家)が乗り込んで討論を挑んだその結果 Part1

Income Distribution Heresies

Alan Reynolds

Cato Instituteから出版された最近の論文の中で私はアメリカの所得格差、賃金格差、消費格差、資産格差が1988年以降拡大していないという表面上は異端の(データからの観察の)結果を述べた。その時の私の論文は去年の7月にWestern Economics Association (WEA)で発表した論文を簡潔にして改定したものだ。そのWEAで発表した論文もGreenwood Pressから出版された大学の教科書の一環として去年の始めに書かれた私の本「Income and Wealth(以下、所得と資産)」の第5章の内容を簡潔にして改定したものだ。

「所得と資産」では1988年以降アメリカの格差の拡大が止まったとは書いていない。その命題はずっと後になって得られたもので試験的にCatoの論文の2ページ目に書かれてある。私の本の学習内容は平均賃金と平均所得の増加率の測定に付きまとう統計的な欠陥や労働と資本間の所得の分割、流動性と生涯所得の概念、資産の所有権の集中などに関するものだ。始めの方の章ではどうして格差が時間とともに拡大するかもしれないと予想されているのかに関して説明している。何故なら私もまた最初の頃には格差の継続的な拡大はデータによって確認されていると主張する「専門家のコンセンサス」とやらを信じていたからだ。

私は私が1988年以降「顕著で継続的な」格差の拡大を示した証拠を一つも発見することが出来なかったと述べたことに対する感情的で事実に基づかない多くのブログでの反応に困惑させられた。「顕著で」という部分にはBrookingsのGary Burtlessが述べている2001年から2005年の課税前貨幣所得のジニ係数の0.003の上昇を除外した意味で言っている。Oxford大学のAnthony Atkinsonが示唆しているように顕著に上昇したと認められるにはジニ係数が3%ポイント上昇しなければならない。「継続的な」という部分には1986年のように税率の変化で引き起こされたキャピタル・ゲインの実現の一時的な急増、1993年の統計局のデータの変更、1997年から2000年のインターネット株の一時的な急騰などを除外した意味で言っている。

Surveying the Evidence

私の表面上は異端の主張は何も私だけが行っているという訳ではない。私のCatoの論文では以下の証拠を引用している。

1. Card and DiNardoは賃金格差が1988年から2000年の期間に拡大していないことを発見した。

2. Johnson, Smeeding and TorreyはSCFのデータを用いて消費のジニ係数が1986年の0.283から2002年の0.280へと低下していることを発見した。

3. Kopczuk and Saezは資産上位の資産シェアが1990年代に安定していることを発見した。資産上位1%の資産シェアもKennickellによるより最近の推計によると1995年から2004年の期間に安定していた。

これらの論文が間違いだというのでない限り賃金、資産、消費に注意を払うべきだ。そしてGary Burtlessによると私が夢中になっているとされているConsumer Expenditure Surveyは言うまでもない。

可処分所得(課税後所得)はどうなっているのか?去年の11月にBurkhauser, Oshio and Rovbaは「アメリカに対しては(中略)世帯人数調整後の実質平均課税後所得は1980年代に10.93%上昇し1990年代に7.27%上昇した。一方で課税後の中央所得は1980年代に5.95%上昇し1990年代に7.10%上昇した。だが所得格差は90/10比で見ても(23.67%)ジニ係数で見ても(14.17%)1980年代の景気循環期で大幅に拡大した。それとは対照的に90/10比で見ても(-6.82%)ジニ係数で見ても(-2.24%)所得格差は1990年代(1989から2000)に縮小した」。1989年から2000年の期間に、「経済成長の拡大と福祉改革により片親の母親の雇用と厚生が劇的に改善された。より一般的には低所得層でもそうだった」と彼らは加えている。

前述の90/10比は、偶然にも、フルタイム労働者の最も高い所得分位と最も低い所得分位とを比較している。90/10比は1987から1990に6.9%、2003から2004に6.7%だった。これは賃金格差がこれら所得分布の対極でさえも拡大していないことを発見したCard-DiNardoを支持している。私は特に保守派の経済学者がこのメッセージに反発していることに気が付いた。その理由は所得と労働との関係に対するよくある誤解によって生じているように思われる。

CEA議長のEdward P. Lazearは、「しばしば所得格差と呼ばれる、スキルを持った労働者とスキルを持たない労働者との賃金の間にある差が25年間拡大しているということに疑念の余地がない」と述べている。

疑念の余地がないと言ったにも関わらず彼の主張は明らかにBurkhauser, Oshio and RovbaやCard and DiNardoまたその他とも完全に食い違う。だがそれよりも彼がスキルギャップと格差を同じようなものだと思っていることにより困惑させられた。彼が示したグラフは1989年から1996年または2001年から2004年の期間に大卒の時間あたり賃金の中央値が例えば高卒などと比べて速く増加したということを明らかに示していない。だが仮に彼の言うような大卒と高校中退の賃金との差が継続的に拡大し続けているというような現象があったとしても(1)全員が毎年フルタイムで働く(2)すべての所得を労働から得ている(3)大卒が労働力人口に占める割合が上昇していないそして高校中退が労働力人口に占める割合が低下しているという条件が満たされないのであれば所得格差の拡大へと変換されることはない。

2005年ですべての年度でフルタイムで働いたという人は最も所得が低い分位でわずか320万人だが最も所得が高い分位では1670万人いる。所得が低いグループには単身者が多く(学生と未亡人を含む)所得が高いグループには働き手が2人以上いる。最も所得が高い分位(課税前所得が917万円を上回るすべての既婚者)は(年度で丸めた)すべてのフルタイム労働者の29.1%を占める。それこそが2004年の彼らの可処分所得が40%を占める最大にして唯一の理由だ。最も所得が高い分位には大卒も多い。だがそれは(仮に彼らが働いたとすれば)市場所得に影響するだけだ。

世帯所得の差を時間あたり賃金で説明しようと試みている経済学者は世帯あたり労働時間に非常に大きな差があることを無視している。彼らは移転支払いも無視している。そのほとんど(EITCを除いて)がわずかな時間しか働かないまたはまったく働かない人に支払いが実質的に限定されているというのにだ。

他の経済学者はForm W2に記載されている所得のうちで所得上位1%が占めるシェアを引用してCard-DiNardoの結論を貶そうと試みている。まず初めに一般的な反対を述べさせてもらいたい。納税上位1%を見るだけでは所得分布全体に関して我々は何ら意味のあるものを得ることが出来ないだろう。所得分布の右側だけを調べるのでは低所得層または(定義なしに用いられるが)「中間所得層」の生活水準がどのように変化しているのかに関して何らの情報も得られないだろう。所得上位1%のシェアだけを見て所得分布全体に関して語ろうとすることは所得下位1%の所得だけを見て所得分布全体に関して語ろうとすることと同じぐらい意味がない。極端なゼロサムというのでない限り(スティーブ・ジョブズが利益を得れば誰かが同額の損失を被ると信じているのでない限り)所得上位1%への憎悪は本質的に無意味だ。

仮に所得上位1%に執着するのだと主張しても1986年の税制改革を挟む2つの年度(1980年と2004年)の納税申告書に記載された所得を比べること(よく引用されるPiketty and Saezが行っているような)は極めてミスリーディングだ。Piketty-SaezのForm W2の労働所得の推計では所得上位のシェアは1986年の7.3%から1988年の9.4%へと突然上昇しその後は1988年から1996年の期間に平均で9.1%で推移している。それは12月14日のウォールストリート・ジャーナルの私の記事で引用した課税所得の弾力性の推計値とまったく整合的だがPiketty and Saezが(私の記事に対する反論として)後にSaez自身の推計を否認したこととは完全に食い違う。Burtlessが言及した社会保障(年金)のデータを用いてSchwabishは2000年から2003年に、「所得上位のシェアは(中略)急激に低下している」ことを発見している。私の論文ではCEOの給与も急減していることを示した。両方とも2004年にリバウンドしている。何故ならSCFの回答者の11%以上が2001年にストック・オプションを受け取った(SCFは3年に1度の調査)と回答しているからだ(行使された時にはForm W2に記載され、最初に行使可能になったのが2004年)。それもまた税率の引き下げに対する予想通りの反応でそして経営責任者は1999年に付与されたストック・オプションの4分の1を占めるに過ぎない。

Statistical Mirages

私の論文では最も所得が高い分位の1979年から2004年の20.7%の実質給与の増加と最も所得が低い分位の21%の実質給与の増加とをSCFの中央所得を用いて比較している。興味深いだろう?批判者は統計局のデータの穴を他の人に指摘するのが快感のようだ。Burtlessが示唆する所では私はその穴に無自覚かまたはその穴を明らかにすることを拒んでいるとされている。

例えば、私の論文では統計局による所得上位5%の所得シェアの推計とPiketty and Saezのものを比べている。統計局の数字は1986年の18%から2004年の20.9%へと上昇している。これは1993年の定義の変更が原因だ。Piketty-Saezの数字は1986年の22.6%から1988年の27%へと急上昇している。私が1986年の税制改革が原因だと指摘しているものでPiketty and Saezも(私が指摘するまでは)最近まではそのように認めていたものだ。彼らの数字は2004年に31.2%になっている。Paul Krugmanやその他の人は統計局のデータのサンプルサイズとトップコーディングに問題があると性急に勘違いした。仮にPiketty-Saezの数字から5億円以上の所得をすべて取り除いたとしても統計局の数字との乖離が0.9%縮まるだけで残る9%ポイントは説明されないままだ。統計局が総所得に移転支払いを含めているということもこの乖離を埋めるにはまったく足りない。

私の論文では統計局による広義の(14番目の)可処分所得の定義によるジニ係数も引用している。これは所得税と給与税とを差し引いたもので現金給付と現物給付を加え(残念なことに)納税申告書に記載されるキャピタル・ゲインも加えたものだ。これがBurtlessが承認しながら未だにそのことを明らかにしていないものだ。

可処分所得のジニ係数は1984年から1992年の期間に1年を除いて0.38から0.39にまとめられる。ようするにほとんど変化していない。1986年の1年だけ0.41へと急激に上昇している。だがこれは明らかにキャピタル・ゲイン税率が引き上げられる前に資産を売却しようとする行動が大量に発生したためだ。ジニ係数は1985年、1988年、1992年で0.385のままで一定だった。

1993年に統計局は調査方法をコンピューター式に変えた。そして「トップコーディング」の上限値は大幅に引き上げられた。ジニ係数は1993年に突然0.40へと急上昇しキャピタル・ゲインが急増した1999年から2000年に0.41へと一時的に上昇した後2004年でも0.40の水準で留まっている。1984年から2004年まで可処分所得のジニ係数に継続的な上昇トレンドが見えるというフリをするためにはそれが1年の間(ようするに1993年に)に起こったという奇妙な議論をしなければならない。そこが統計局のデータの批判者が蹌踉めき始める場所だ。

Burtlessは以下のように書いている。

「統計局の調査は所得上位2%または所得上位2.5%の所得を正確にまたは一貫して評価することが出来ない。理由の一つは回答者の回答がトップコードされているからかまたは少なくともそう遠くない過去にはトップコードされていたからだろう。その他の理由としては正確なまたは一貫した推計をするためには高額所得者(例えば、所得7500万円以上)のサンプルが小さすぎるということが挙げられる。これはどの所得の概念が用いられたとしても統計局がすべての期間で真の所得格差を恐らく過小評価していたことを意味する」。

BurtlessはCBOが所得7500万円以上の富裕層の所得の多くを見逃していると主張している。彼はその値を所得上位2%または所得上位2.5%と同じだと思っているようだ。だが7500万円はPiketty and Saezの所得上位1%の上位10分の1(所得上位0.1%)の閾値である1億1000万円を少し下回るに過ぎない。所得7500万円は馬鹿げたことに企業利益の59.4%を加えてあるCBOの定義した所得上位1%の閾値である2668万円からはかけ離れている。

そしてサンプリングエラーはランダムだ。だから仮に1080が所得上位2%のサンプルとしては小さすぎると信じている人がいたとしてもそのことから所得が過大評価されているとか過小評価されているとか結論することは出来ない。言うまでもなく「すべての期間で真の所得格差を過小評価していた」などということは確実に意味しない。最悪でも所得上位2%の推計がある年度では高すぎるまたある年度では低すぎるということを意味するだけで恐らくそれがBurtlessが「一貫した」で言いたかったこと?なのだろう。

CBOもPiketty-SaezもIRSのStatistics of Income (SOI)部門の所得統計のサンプルに頼っている。そのサンプルはCurrent Population Survey (CPS)の54000のサンプルの2倍大きい。だが統計局の調査は全国民が対象で一方でSOIの調査は納税申告を行っている人だけが対象だ。SOIでは所得5億円以上が過重にサンプリングされる。だが主に節税(100兆円のギャップ)と課税の対象となっていない人が原因で(CPSと比べて)数百兆円所得が少なくなっている。結果としてSOIは高額所得と所得全体との比率を大幅に誇張している。

Piketty and SaezやPaul Krugmanが信じているのとは反対にトップコーディングは所得全体に対してなどされていない。トップコーディングは回答者の匿名性を守るために一般向けに公開されているデータのある特定の種類の所得のみに行われている。統計局が所得上位5%の所得シェアを計算する時などには彼らはトップコーディングとは無縁の内部データを用いている。だが統計局の幹部職員が「internal processing limits」と呼ぶ物は残っている。

統計局の所得統計部門の主任であるEdward J. Welniakが説明している。1979年には質問者は23の所得源に対してそれぞれ999万9900円まで記録することが許されていた。1985年には上限は2999万9900円まで引き上げられた。これまでで最後に引き上げられたのは1993年で主な4つの所得源に対する上限が9億9999万9900円にまで引き上げられた。1993年以降の上限は所得の合計が7500万円以上の人には何の制約でもないし所得上位1%や所得上位5%の平均所得にいたってはそれより遥かに少ない。Welniakは1999年には54000のサンプルのうちで上限に引っ掛かったのは26に満たないことを発見している。彼は、Burkhauser and othersと同じように、上限の引き上げが所得格差の拡大を過小評価させたのではなく過大評価させたということも発見している。

Welniakは一般公開向けのデータは「1967年から2001年の期間の所得格差の拡大を過大評価」させていると述べている。過去の上限に課せられていた厳しい制約のせいで所得格差が実際よりも低く見え一方で1990年代の上限の引き上げにより(高額所得のデータの可視性が上がったように見えるのではなく)所得格差が拡大したかのように見えたからだ。彼の言葉を借りれば、「一般公開向けのデータに所得格差の拡大が見られるのは1)1967年に所得がトップコードされていたからでこれが所得格差を小さく見せていた2)1996年頃からトップコードされた所得の平均値で補完するようになり高額所得が増加した結果だ」。

回答者の回答が「そう遠くない過去には」トップコードされていたというBurtlessの未熟な発言は私がどうして統計局のジニ係数または所得上位の所得シェアが1980年代の後半以降所得格差が拡大しているということを示していないのかと議論している主な理由だ。Welniakは1985年の方法の変更が実際には何も起こっていないにも関わらず計測された所得格差を「上昇」させたと計算している。1979年から1984年のジニ係数が過小評価されていたのでこれは1980年代のジニ係数の上昇が過大評価されていたことを意味する。1993年には、「CPS ASECはコンピューター式のインタビューを導入し記録水準を上昇させた」とWelniakは述べている。

Burtlessが0.469を「今まで記録された中で最も高いジニ係数」と言及している時にはそれが2001年の0.466よりも高いので彼は表面的には正しい。だが彼はそれを1993年以前のデータと比べているので正しくない。Economic Policy Instituteが説明しているように、「1993年の調査方法の変更により見掛けの所得格差が急激に上昇した」。1993年に記録される所得が劇的に増加したことそして紙をコンピューターで置き換えたことが所得格差の見掛け上の急拡大を引き起こした。

1993年以前(それほど遠くない過去)では所得の上限によりジニ係数が過小評価され実際の所得格差が過小推計されているのでそれ故1993年以前と以後を比較する時には所得格差が拡大したという錯覚が生まれる。

Paul Krugman、Piketty and Saez、Burtlessら全員がサンプルサイズと「トップコーディング」が1980年代後半以降所得格差が拡大していないという私の観察事実に対して少しでも反論になると考えたことには困惑させられる。サンプルサイズはどちらの方向にも行き得るしトップコーディングにいたっては彼らが示唆しようとしている方向とは真逆に向かっている。

Conclusion

私の本で部分的にそしてこれから発表する予定の私の論文の中でさらに説明している理由により納税申告書のサンプルから所得を推計しようと試みている4つのデータセットの一つとしても税率の変更時期を挟んだ所得シェアを比較するのには信用できるものではない。その中でもCBOのデータは4つの中で最悪でこの中ではPiketty and Saezが最もましだろう。Form W2のデータも(1)無資格ストック・オプションの行使のタイミングが株式価格に極めて敏感(2)制限株への変更(Form W2には記載されない)は配当とキャピタル・ゲインに掛かる税率に極めて敏感という理由で税制が異なる時期とでは比較することが出来ない。ビル・ゲイツまたはスティーブ・ジョブズに尋ねてみるといい。

もし仮に1988年以降で可処分所得、消費、賃金、資産に顕著で継続した格差の拡大を示したまともなデータがあるのであればこれまでに誰かが我々と共有しているだろうと疑っている。