2015年8月12日水曜日

格差研究の専門家の集まりにリベラル派のブロガー(自称専門家)が乗り込んで討論を挑んだその結果 Part7

(理解するための事前知識、雑感、レイノルズの考えと思われるもののまとめと補足)

・ピケッティ&サエズ以外にも所得上位1%の所得シェアを推計しているものがある。
・その代表的なものがCBOのもので、OECDなどはレイノルズのピケッティ&サエズに対する批判を修正してもなお所得上位1%のシェアが上昇していることを示したものとしてCBOを挙げるほどだった。
・CBOの方は確かに政府からの移転が含まれていない、所得が40年以上増加していないことになっているなどの問題が(部分的に)修正されている。
・ピケッティ&サエズのものは信用していなくてもCBOのものは信用しているという経済学者は多い。
・だが今度は、企業の利益が何故か所得上位1%の所得に含められることになってしまった。
・その上、企業の利益のどのぐらいが所得上位1%の所得とするのかに際しても、すでにある資産上位1%の資産シェアの推計(33%)を用いるのではなく、59%という極めて高い数字を用いている。
・資産格差は長い間拡大していない(先程の例では33%ぐらいのまま)というのがコンセンサスであるにも関わらず、CBOは勝手に資産格差が39%から59%になったかのような計算を行ったに等しい。
・その59%を33%にして所得上位1%の所得シェアを計算し直すと16.3%から11.3%へと低下する。
・これは所得上位1%のシェアが約30年間の間にむしろ低下していることを示す。
・そもそも、その33%というのも年金などの社会保障費を除いた場合のシェアでそれらを含めれば33%から大きく低下する。
・ちなみに、他の国の所得上位1%の所得シェアの推計では当然のようにゼロ%として計算されている…

Errors about CBO Errors

Alan Reynolds

CBOが企業利益を(富裕層の)所得に配分していることを批判したWall Street Journalの記事には分かり難い点があったのかもしれない。何故ならThomaや恐らくBurtlessにも我々の主張が理解されていないからだ。

国民所得統計では個人の資本所得(個人所得に含まれる)と企業の留保利益(国民所得に含まれる)は区別される。この区別はCBOのものを除いてPiketty-Saezでもその他すべての所得分布の研究でも見られる。それにも関わらずThomaは法人所得と個人所得の間の区別を単なる意味論上の些細なものかのように扱う。彼は「自分は資本所得という用語が用いられるのを好まないし話題が所得上位1%のアメリカ人のことであっても代わりに「企業利益」という用語が用いられれば良いのにと思う。いいでしょう。好きなように呼べばいい。結論が変わることはない」と記している。その真逆に、下の表はCBOの誤った代理指標を連邦準備制度の資産統計に単に置き換えるだけでCBOの2004の所得上位1%の(課税前)所得シェアの推計は16.3%から11.3%へと低下し見掛け上は上昇だったものが下降へと転じることを示している。

CBOは企業利益を家計に割り当てている唯一の機関だ。彼らは法人所得税(法人税)の負担を誰がどのぐらい負担するのかを推計しようとするがためにこのようなことを行っている。だがそのためには(今度は)法人税の負担に関する理論を採用する必要に迫られる。

そこでCBOによって選ばれたのが1962の理論だ。この理論は閉鎖経済の仮定に基づいておりそして法人税が労働者や消費者にまったく転嫁されないと仮定している。法人税は(株の保有者や課税対象となる投資を行った者だけではなく)資本全般の保有者によって負担されると仮定している。この古い理論は現在では数え切れないほどの批判を浴びている。それには労働者が法人税の74%を負担すると推計したCBOのエコノミストWilliam Randolph(それにCBO自身)も含まれる。

だがReynolds-Hendersonの分析を理解するのに重要なのはCBOの法人税の負担に関する理論は法人税が資本からの所得に応じて負担されるということを示唆していないということにある。資本所得を資産分布の代理指標として用いることは単なる統計学上の短縮作業だ。Reynolds-Hendersonで説明しているように課税対象となる資本所得を所得上位1%の資産シェアの迂回的な代理指標として用いることはCBOにとって致命的な誤りだ。その上、遥かに優れた資産分布の直接的な推計が存在する。

Thomasは、「所得上位1%の資産保有は大きく増加した。それ故、誤配分は非常に大きなものにはなり得ないように思われる」と語っている。彼が引用したのとまったく同じ資産データを用いて我々は誤配分が非常に巨額であることを示した。我々は、「Kennickell(中略)は資産上位1%の資産シェアが1995の34.6%から2004の33.4%へと少し下降していると結論している。それにも関わらずCBOは同期間に資産シェアが43.2%から59.4%へと上昇したと語っている」と書いた。

Thomaは、「彼が引用した39%から59%への上昇は何も意味していない。それは単に企業利益が所得上位集団に配分された額を示すに過ぎない」と返答している。「単に」とは一体何を言っているのだろう?「単に」企業利益の59%を所得上位1%に加えることが「何も意味していない」などということを説明できる人はいるだろうか?Kennickellの推計(資産シェアの推計としては最も高い数字を示す)と比較してCBOの方法では所得上位1%の所得が2004で25%誇張されている。

Thomaは、「その数字(39%または59%)は資本所得の増加がその集団の実際の資産保有の変化を反映しているかどうかに関して何も語っていない」と続ける。それはCBOに対してすべき議論であって私に対してではない。CBOの負担理論によると資産保有はまさにそれらの数字が反映していると仮定されているものだ。39%と59%という数字は過去と現在において企業利益が所得上位1%に割り当てられた割合を反映している。Thomaは信じているようだがそれは所得上位1%の「資本所得」ではない。その真逆に、利子、配当、納税者が申告したキャピタル・ゲインの上にさらに加えられる。Reynolds and Hendersonのグラフが示すようにそれがCBOの所得上位1%の平均所得の推計がPiketty and Saez(企業利益が含まれていない)のものよりも遥かに高い理由だ。

下の表は個人所得と法人所得を合わせた所得上位1%の(課税前)所得シェアがCBOの誤った代理指標をKennickelの資産シェアの直接的な推計に置き換えた後にどのように変化するかを示している。この一つの誤りを修正するだけで所得上位1%の(課税前)所得シェアは1989の12.5%から2004の16.3%へと最早上昇するのではなく1989の11.8%から2004の11.3%へとむしろ下降する。

CBOが所得上位1%によって負担される法人税の割合を推計するには彼らはまず(企業資産や課税対象となる資産だけではなく)所得上位1%がすべての資産に占める割合を推計しなければならない。これを行うために彼らは「資本所得」(課税対象となる投資から得られる所得)の割合を(それらの資産が課税対象となるかどうかに関係なく)資産全般の分布の代理指標としている。彼ら自身の言葉で、「CBOは法人所得税は利子、配当、キャピタル・ゲイン、賃料からの(納税申告書に記載された)所得に応じて資本の保有者によって負担されると仮定している」とCBOは説明している。

CBOは所得統計上からは不可視のしかも増大している中間納税者の所得をまったく把握できていない。だが(Thomaが信じているのとは異なり)そのことは我々が最も強調したい点ではない。我々が最も強調したい点はこのことが(CBOが)所得上位1%の平均所得の水準とトレンドを大きく誇張する原因になっているということだ。それは企業利益(資本所得ではない)を所得上位集団に割り当てる方法が意味不明であることに依る。

Thomaは、「主に目に付くことと言えばReynoldsが自分の主張を支持するためにミスリーディングな統計をどのように用いているかということだ。「CBOは所得上位1%の所得に1989では企業利益の39%を2004では59%を加えている。それにより完全に人工的な所得上位1%の所得シェアの上昇を捏造している」は、まったくそうではないというのに上昇のすべては誤配分の反映だと示唆している。重要なのは集団間の資産保有の変化に対応する39%から59%への変化だ」と語っている。このコメントは(人語としては)ほとんど理解不可能だがなんとかやってみよう。CBOは所得上位1%が今では資産の59%を保有していると仮定している。定義によりこれは「対応する(中略)集団間の資産保有」を意味するのでなければならない。それが59%が意味するものだ(ここまでは理解できただろうか?)。だが現実にはその59%という数字は所得上位1%の課税対象となる資本所得の見掛け上の割合から求められている。何故ならCBOは資産保有の推計を(課税対象とならない資産の保有となるとさらに)行っていない上に、連邦準備制度の推計を用いないということを選んだからだ。Thomaとは(当然)異なりCBOは間違いなく企業利益と配当、キャピタル・ゲイン、利子、賃料から生じる個人所得とを混同していない。CBOは配当、キャピタル・ゲイン、賃料から生じる個人所得を資産全般の所有の代理指標として用いている。Reynolds-Hendersonの記事の主題はCBOの方法が完全に不適切であることを示すことそしてその理由を説明することだ。

Thomaの最後の投稿は単一の指標で完全なものはないということに言及している。だから私は可処分所得、消費、賃金、資産など数多くの種類の格差の指標を提示しさらにデータの問題(1986や1993のようなデータの構造変化)に関しても議論していた。さらに本の14~20ページで私はジニ係数の問題点に関しても(単にジニ係数を示すのではなく各所得階層毎の(統計局やCBOの)実質所得のデータを表示することにより)議論している。

Thomaは1988以降の何か(所得?)の格差の拡大は「多くの異なる方法で文書化されている」と主張している。だが私は彼が以前言及したような資料(Ben Bernankeが典型的だが)が何故誤りなのかを説明した。彼は「圧倒的な数の証拠がある」とまで主張している。だがそれがどのようなものでどこにあるのかは一度も説明したことがない。彼は政府が国民所得の利潤分配率を過小に推計していると考えているようだ。だが利潤分配率の低さは1960年代のような好況期ではなく1982のような不況期と関連している。所得上位1%のシェアも1920以降のすべての不況期に低下している。だがそれは「格差を縮小させた」ので不況が労働者にとって好ましいということを示したのでは決してない。

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