2015年8月12日水曜日

格差研究の専門家の集まりにリベラル派のブロガー(自称専門家)が乗り込んで討論を挑んだその結果 Part3

Why Change the Subject?

Alan Reynolds

Gary Burtlessは「経済学者が好む格差の指標はジニ係数だ」と正しく指摘している。それなのに「統計局の標準的な所得の定義には現物給付とキャピタル・ゲインが含まれていない、そして所得税と給与税の影響を無視している」と述べている。それこそが私が統計局の「可処分所得」のジニ係数(移転支払いとキャピタル・ゲインによる課税所得を加え、所得税と給与税を差し引いたもの)を25年間分示した理由だ。

私が25年間分のデータを示すのではなくBurtless、Bernanke、Piketty and Saezやその他の人が今もやっているように2年間だけのデータを示したのだとしよう。それならば私は可処分所得のジニ係数は1986の0.41から2004の0.40へと低下し所得格差は20年間に低下したのだということさえ出来る。またはジニ係数は1985の0.39から2004の0.40へと上昇し所得格差は拡大したと言うことも出来るだろう。たった2年のデータを示すだけでは何も言うことが出来ないしその間に想像上の線を引くことも出来ない(してはならない)。

過去25年間分のジニ係数は可処分所得の格差が1988以降または1985からさえも顕著かつ継続的に上昇していないことを示している。Thomaは「ジニ係数の証拠はレイノルズが我々に信じさせようとしているのとは違って所得格差の上昇の反論にはならない」と主張する。驚くべきことに彼は資産のジニ係数のみに言及している(所得が重要ではないかのように)。すべての所得統計を無視した後で彼は私を「証拠を不完全に提示している」とか「議論を曖昧にしようと試みている」と非難している。

Thomaは「トップコーディングの話はどうなっているのか?レイノルズはそれに対して回答を持っているのか?」と尋ねている。私の回答は(彼は決して言及しようとしないが)1993の(誤った名称ではあるが)「トップコーディング」の増加により高額所得が正確に把握されるようになっただけだというのにまるで所得格差が急激に拡大したかのように人々を錯覚させただけというのは既に述べているはずだ。私はEconomic Policy Instituteが「1993の調査方法の変更により見掛け上の所得格差が急激に上昇した」ということをきちんと記述していることを好ましく思っていたし他の人達にもこの程度の誠実性ぐらいは期待できるのではとナイーブにも考えていた。Burkhauserが説明しているように、「Burtlessがしているような2つのジニ係数の値の単純な比較では1989以降所得格差の拡大を大きく過大評価してしまう」というのはこういう理由だ。Burtlessは(自分が批判しているというのに)「ヘッドライン」のジニ係数にしか言及していないしそれも1989と2005の2年間のジニ係数だけだ。

Ben Bernanke

ThomaはBen Bernankeが「所得格差の拡大は(中略)少なくとも30年間に渡って続いている」と言っているのを引用している。だがBernankeもまた1979と2004の2年間のデータしか示していない。(彼が引用した)深刻な欠陥を抱えている所得データの中でさえも(1993の調査方法の変更を除いて)所得格差の拡大はすべて1979と1985の間に起こっている。所得分布の第五分位と第一分位の世帯が受け取った所得のシェアとして彼が引用したデータは(彼が主張するような)「課税後移転後」のものではない。彼が引用した数字は(彼が信じているのとは異なり)可処分所得ではなく「post-social insurance income」(貧困対策プログラムがなく税がなかった場合に所得分布がどのようになっているかを推測したもの)だ。彼が引用している数字には課税対象となるキャピタル・ゲインは含まれているがキャピタル・ゲイン税や他の如何なる税も含まれていない。そしてEITC、TANF、WIC、メディケイド、住宅給付や食料給付などの移転支払いはすべてはっきりと除外されている。

Bernankeは所得格差を大卒と高校中退との間の賃金の差と誤って定義することから始める。それでもBurtlessは賃金格差は「(1967から1999)の所得の乖離の3分の1だけ」を説明するに過ぎないことを発見している。

有名人の発言を引用することは私のグラフを見ることさえ拒む人達にとっては不安を和らげる効果があるのだろう。だが深刻な欠陥を抱えた間違ったデータを基に形成された「専門家の意見」という居心地の良いコンセンサスとやらは良いデータの代替にはなり得ない。

Paul Krugman

Thomaは私の数字4に対するPaul Krugmanの記事に言及している。Piketty-Saezと統計局の所得上位5%の所得シェアの推計の間にある(1ドル=100円として)100兆円の乖離だ。統計局の数字は(私が以前書いたことだが)所得シェアが「1986の18%から2004の20.9%に上昇しているがこれはほとんどが1993の調査方法の変更によるものでPiketty-Saezの数字は1986の22.6%から1988の27%へと急上昇し(中略)2004に31.2%となっている」。Krugmanは2004のこの10.3%ポイントの差を統計局が高額所得を見逃しているためと思い込んでいる。統計局が5億円以上の所得をすべて見逃していたとしてさえもこの差を説明するというには程遠い。私が計算したように「Piketty-Saezの所得上位5%の所得シェアの推計から5億円以上の所得をすべて除外した」としてもそれによって埋まる乖離は1%ポイント以下でしかない。

Krugmanはこの巨大な乖離を隠し(それ自体元々レイノルズが指摘したもの)それによりこの問題を1994以降の変化率の差へと誤魔化そうとしている。彼は「統計局のデータは所得上位5%の所得シェアが1994から2005の期間に21.2%から22.2%へとわずかに上昇したにすぎないことを示している。Piketty-Saezのデータは3.7%上昇したことを示している。賃金データを見た所ではトップコーディングにより見逃された所得がこの期間に2%ポイント増加したことを示唆している」と書いている。

Piketty-Saezの所得上位5%の所得シェアの推計は1986から2004の期間に8.6%ポイント上昇している。図4はその上昇の半分が1986から1988に起こったことを示している。所得上位5%の所得の事業部分が1986の8.8%から15.5%へと上昇した期間だ。Krugmanのパレート内挿は(1)2つの系列の間にある100兆円の乖離(2)Burtlessが説明しているように、「1986の税制改革によりフォーム1040sに直接申告される所得の額が確実に増加した」という事実を議論することを避けるための苦心して作り上げた人々を騙すための痛々しい小細工のように思われる。

The CBO

Thomaが私がDavid Hendersonと一緒になって書いたWall Street Journalの記事にコメントする時は、彼は企業利益から利子所得へと話題を逸らす。彼は我々が「繰延所得は申告されないのでこれらの資産から発生する利子所得の分布は他の資産から発生し申告された利子から帰属される。これが見掛け上の所得分布を所得格差の拡大の方へと歪める」と書いたと勝手に捏造している。驚くことに、我々が書いたこともない彼の入り組んだ?分析の中には「企業利益」という単語は一度も登場しない。企業利益の59.4%が所得上位1%の所得に誤って配分されているということが我々のグラフと記事の最も重要な部分であるにも関わらずだ。CBOは1989では企業利益の39%を所得上位1%の所得に2004では59%を加えている。これにより所得上位1%の所得シェアの上昇を人為的に完全に捏造している。

「CBOは完璧な仕事をしている訳ではないかもしれない」とBurtlessは述べ、「だが少なくとも税負担と純所得を公明正大で一貫した方法で測ろうと試みている」と擁護している。何かを試みることは何かを達成することと同じではない。CBOの1987以前には申告されていなかった(税が控除された)利子を含めようとする試みと課税対象となる(IRAsの外部の)キャピタル・ゲインのみを含めようとする試み、そして企業利益を擁護不可能な技法を用いて配分しようとする試みのせいでCBOのデータは(余計なことをしない場合と比べて)遥かに悪いものとなっている。

Piketty and Saez

私は私のWall Street Journalの記事に対するPiketty and Saezの返答に何処か他の場所で詳細に反論する予定でいる。今のところは彼らの返答に関して他の人が触れた部分に答えようと思う。

Piketty and Saezは私が彼らを誤って引用したとか私の統計に一つでも誤りがあるとかいうことを示唆していない。彼らの私に対する返答が正しければ彼らが過去に書いてきたことのほとんどが間違いだったことになる。

例えば、現在の彼らは課税所得の弾力性(ETI)は一時的な現象に過ぎないという「形成されつつあるコンセンサス」があると主張している。その反対に最近(1999から2004)の恒久的なETIの推計はAuten and Carrollが0.57、Gruber and Saezが0.40、Kopczukが0.53、Saez自身が0.62だ。Piketty and Saezは経営者の給与に関するGoolsbeeの2000の論文(ストックオプションを付与された時と行使された時で2重にカウントしている)がSaezの2004の論文より優れていると主張している。だがEissa and Giertzは「経営者に関して、我々は1990年代初頭の恒久的課税所得の弾力性が(予想効果なしで)0.8であることを発見した」と報告している。

Piketty and Saezの返答が1月11日のWall Street Journalのレターセクションに届いた時には、彼らは以前にはしていた「401(k)sに関する小さな点も概念的に誤解されている」というコメントを意図的に削除している。図3はそれが小さな点ではないことを示している。Reynolds-Hendersonの記事はそれが誤解ではないことを証明した。

Piketty and Saezは「所得上位1%の世帯の所得シェアは1980の8%から2004の16%へと2倍になった」と言っている。言うまでもなく彼らのデータは課税単位に基づくもので世帯に基づくものではない。各々が500万円稼いでいる既婚の男女は1課税単位では、同じぐらいの所得の未婚のカップルの2倍の所得があるとして記録される。1980から2004の期間の所得上位の所得シェアの上昇の半分は1986から1987のわずか2年の間に起こっている。そして1986以降の見掛けの上昇のすべてはCatoの論文の中でそして図1と図2の中でさえも完全に説明されている。

彼らのデータからは税と移転が除外されているというのに彼らは、「2001以降の富裕層に対する税率の引き下げにより可処分所得の格差が必然的に拡大した」と大胆にも主張している。CBOの推計は彼らの主張とは真逆が真実であることを示している。

Brad DeLongはPiketty and Saezの返答の中で最も大事な部分を抜き出している。彼らは企業家が法人税から所得税への申告へと切り替えたならば(Saezによって示された「シナリオ」)所得上位1%の事業所得の増加と同時にキャピタル・ゲインの減少も観察されるはずだと示唆している。それがどうかしたのか?

図2はキャピタル・ゲインが富裕層の所得に占めるシェアが実際に1986から1988の期間に劇的に減少したことを示している。事業からの所得のシェアが急上昇した時にだ。だが事業所得の増加がキャピタル・ゲインの減少を遥かに上回っているので所得シェアを押し上げる結果となっている。1993に所得税の税率が引き下げられた後で事業所得のシェアが上昇するのが(一旦)止まった以降にキャピタル・ゲイン税額が増加している。だがこれは1997にキャピタル・ゲイン税率が引き下げられたのが最大の理由だ。税率が事業所得、キャピタル・ゲイン、配当に対して同時に引き下げられた時にこれらの所得源からの所得上位1%の所得は急増加し給与部分は低下している。それなのにPiketty and Saezはどんどん小さくなる給与部分に焦点を絞っている。何が起こったのかを知る唯一の方法はわずか2年のデータではなくすべてのデータを明らかにすることだ。所得上位の所得源のシェアの変遷のデータは彼らのデータが税率の変化に対する納税者の反応によって深刻に歪められていることを明らかにしている。

Gary Burtless

BurtlessとThomaは納税申告書のサンプルに基づく研究群の欠陥をConsumer Expenditures Survey (CES)や統計局のCurrent Population Surveyの欠陥と公平に公明正大に扱って欲しいと要求している。私はCBOとPiketty-Saezのデータに関する私の論文に対して同様の要求をするだろう。そして連邦準備のSurvey of Consumer Financesに基づいて中央所得の変化を示した私の図7の数字に対してもだ。

私はIncome and Wealthの出版前では公明正大なアプローチが可能だったとは思わない。それまではほとんど誰も納税申告書に基づく所得分布の推計を真剣に疑うことはしなかった。今では絶対的な所得税の税率の変化(弾力性)と相対的な税率の変化(所得シフト)に対して納税者が所得として申告するものを変化させること、彼らがそれをどのように申告するかを変化させることに関する強力な証拠が揃っている。Thomaが行っているようにそれらすべての証拠を「どうでもいい」と貶すことは論理的でもないし説得的でもない。

納税者の行動と異なり消費格差の話題は私の主要な関心事ではなかった。その話題は231ページの内の僅か3ページを占めるに過ぎない。私は所得または資産に関して1972以降数百以上の記事を書いている。だが(CESのデータを用いて消費格差に関して)書いたのは1つでしかないと思う。この話題はKrueger and Perriに任せようと思う。

Burtlessは私が不注意でした記憶違いを訂正している。私がJohnston, Torrey and SmeedingがCESに依拠していないと誤って示唆した所だ。彼は私がそのことに言及し忘れたのを偏ったバイアスの証だと受け取ったようだ。彼の言葉で言うと、「1985ではCESはU.S. National Income and Product Accountsに記録されている消費の80%をカバーしていた。2000までにはその割合は61%に低下している」。私はその数字に関して言及しなかった。その数字はミスリーディングだと思っていたからだ。

最近になって5人のBLSのエコノミストのチームが対応する項目を比較した際には、「1992のCEの総支出はPCEの総支出の86%で1997には85%に低下し2002には81%にさらに低下している」ことを発見している。Burtlessが行っているように81%を60%に低下させるには少しも比較可能でない項目を比較することが必要になる。

CESは消費者が支出したものを尋ねている。PCEには政府と非営利団体が支出した財とサービスも含まれている。PCEとCESで乖離が拡大し続けている主な理由はメディケアとメディケイド、教育、社会福祉、宗教、研究費、戦費などに対する第三者による支出のためだ。1997を例に上げると(1ドル=100円として)CESの医療支出はPCEの僅か17%でしかない(72兆4000億円の乖離)。CESの教育支出と研究費はPCEの僅か51%でしかない。法律的サービスの僅か27%、社会福祉の僅か13%でしかない。PCEと異なりCESにはイラクに駐留している兵士の衣服費や食糧費が含まれていない。研究助成費、奨学金、教会などが購入した食料や衣服は含まれていない。PCEだけがそのように急速に増加している政府や非営利団体による支出を含めているということはCESの質が低下していることの証拠ではない。

Another Red Herring

Thomaは新聞の記事を引用してR&D費を投資と見做すことが、「レイノルズが議論したような調整を飲み込んでしまうだろう」と勘違いしている。その記事は、「R&D費が利益として計上されれば国民所得に占める労働分配率は1%ポイント以上低下する」と主張している。そしてこれが1960年代の65%だった労働分配率(当時にはR&D費が存在しなかったと思っている?)を「現在の60%以下にまで」どうやってかは分からないが低下させたのだと主張している。だが投資は利益ではないし1%ポイントは5%ポイントでもない。国民所得に占める労働分配率は(自営業を除外して)1960から1960(*誤植で恐らく1965)の期間では62.5%、2001から2005の期間では65.5%だ。その上NIPAの改訂は誰かの所得に何の影響も与えない。

納税申告書に基づくものではなく1988から2000または2000から現在に至るまで格差が拡大したということを示す信頼の置ける証拠を見せて欲しいと単に言っているだけだというのにこの話題逸らしの大洪水といったら一体何なのだろう?(*確かに、何をそれ程までに恐れているのかと逆に興味が湧いてくる(笑))。

生活水準またはその変化に本当に関心があるのであれば(所得上位1%やBurtlessが引用している何人かのCEOなどではなく)全体の消費または可処分所得を見なければならない。そして1986の税制改革や1993のトップコーディングの取り扱いの変化などを挟んだ2つの年を選んでもだめだ。

1988以降可処分所得または消費の格差に顕著で継続した変化が見られないという私が提示した証拠に誰一人として反論できないでいる。もし話題逸らしに遭遇したのであればそれは恐らく真実に辿り着いたからかもしれない。

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