2015年8月12日水曜日

格差研究の専門家の集まりにリベラル派のブロガー(自称専門家)が乗り込んで討論を挑んだその結果 Part1

Income Distribution Heresies

Alan Reynolds

Cato Instituteから出版された最近の論文の中で私はアメリカの所得格差、賃金格差、消費格差、資産格差が1988年以降拡大していないという表面上は異端の(データからの観察の)結果を述べた。その時の私の論文は去年の7月にWestern Economics Association (WEA)で発表した論文を簡潔にして改定したものだ。そのWEAで発表した論文もGreenwood Pressから出版された大学の教科書の一環として去年の始めに書かれた私の本「Income and Wealth(以下、所得と資産)」の第5章の内容を簡潔にして改定したものだ。

「所得と資産」では1988年以降アメリカの格差の拡大が止まったとは書いていない。その命題はずっと後になって得られたもので試験的にCatoの論文の2ページ目に書かれてある。私の本の学習内容は平均賃金と平均所得の増加率の測定に付きまとう統計的な欠陥や労働と資本間の所得の分割、流動性と生涯所得の概念、資産の所有権の集中などに関するものだ。始めの方の章ではどうして格差が時間とともに拡大するかもしれないと予想されているのかに関して説明している。何故なら私もまた最初の頃には格差の継続的な拡大はデータによって確認されていると主張する「専門家のコンセンサス」とやらを信じていたからだ。

私は私が1988年以降「顕著で継続的な」格差の拡大を示した証拠を一つも発見することが出来なかったと述べたことに対する感情的で事実に基づかない多くのブログでの反応に困惑させられた。「顕著で」という部分にはBrookingsのGary Burtlessが述べている2001年から2005年の課税前貨幣所得のジニ係数の0.003の上昇を除外した意味で言っている。Oxford大学のAnthony Atkinsonが示唆しているように顕著に上昇したと認められるにはジニ係数が3%ポイント上昇しなければならない。「継続的な」という部分には1986年のように税率の変化で引き起こされたキャピタル・ゲインの実現の一時的な急増、1993年の統計局のデータの変更、1997年から2000年のインターネット株の一時的な急騰などを除外した意味で言っている。

Surveying the Evidence

私の表面上は異端の主張は何も私だけが行っているという訳ではない。私のCatoの論文では以下の証拠を引用している。

1. Card and DiNardoは賃金格差が1988年から2000年の期間に拡大していないことを発見した。

2. Johnson, Smeeding and TorreyはSCFのデータを用いて消費のジニ係数が1986年の0.283から2002年の0.280へと低下していることを発見した。

3. Kopczuk and Saezは資産上位の資産シェアが1990年代に安定していることを発見した。資産上位1%の資産シェアもKennickellによるより最近の推計によると1995年から2004年の期間に安定していた。

これらの論文が間違いだというのでない限り賃金、資産、消費に注意を払うべきだ。そしてGary Burtlessによると私が夢中になっているとされているConsumer Expenditure Surveyは言うまでもない。

可処分所得(課税後所得)はどうなっているのか?去年の11月にBurkhauser, Oshio and Rovbaは「アメリカに対しては(中略)世帯人数調整後の実質平均課税後所得は1980年代に10.93%上昇し1990年代に7.27%上昇した。一方で課税後の中央所得は1980年代に5.95%上昇し1990年代に7.10%上昇した。だが所得格差は90/10比で見ても(23.67%)ジニ係数で見ても(14.17%)1980年代の景気循環期で大幅に拡大した。それとは対照的に90/10比で見ても(-6.82%)ジニ係数で見ても(-2.24%)所得格差は1990年代(1989から2000)に縮小した」。1989年から2000年の期間に、「経済成長の拡大と福祉改革により片親の母親の雇用と厚生が劇的に改善された。より一般的には低所得層でもそうだった」と彼らは加えている。

前述の90/10比は、偶然にも、フルタイム労働者の最も高い所得分位と最も低い所得分位とを比較している。90/10比は1987から1990に6.9%、2003から2004に6.7%だった。これは賃金格差がこれら所得分布の対極でさえも拡大していないことを発見したCard-DiNardoを支持している。私は特に保守派の経済学者がこのメッセージに反発していることに気が付いた。その理由は所得と労働との関係に対するよくある誤解によって生じているように思われる。

CEA議長のEdward P. Lazearは、「しばしば所得格差と呼ばれる、スキルを持った労働者とスキルを持たない労働者との賃金の間にある差が25年間拡大しているということに疑念の余地がない」と述べている。

疑念の余地がないと言ったにも関わらず彼の主張は明らかにBurkhauser, Oshio and RovbaやCard and DiNardoまたその他とも完全に食い違う。だがそれよりも彼がスキルギャップと格差を同じようなものだと思っていることにより困惑させられた。彼が示したグラフは1989年から1996年または2001年から2004年の期間に大卒の時間あたり賃金の中央値が例えば高卒などと比べて速く増加したということを明らかに示していない。だが仮に彼の言うような大卒と高校中退の賃金との差が継続的に拡大し続けているというような現象があったとしても(1)全員が毎年フルタイムで働く(2)すべての所得を労働から得ている(3)大卒が労働力人口に占める割合が上昇していないそして高校中退が労働力人口に占める割合が低下しているという条件が満たされないのであれば所得格差の拡大へと変換されることはない。

2005年ですべての年度でフルタイムで働いたという人は最も所得が低い分位でわずか320万人だが最も所得が高い分位では1670万人いる。所得が低いグループには単身者が多く(学生と未亡人を含む)所得が高いグループには働き手が2人以上いる。最も所得が高い分位(課税前所得が917万円を上回るすべての既婚者)は(年度で丸めた)すべてのフルタイム労働者の29.1%を占める。それこそが2004年の彼らの可処分所得が40%を占める最大にして唯一の理由だ。最も所得が高い分位には大卒も多い。だがそれは(仮に彼らが働いたとすれば)市場所得に影響するだけだ。

世帯所得の差を時間あたり賃金で説明しようと試みている経済学者は世帯あたり労働時間に非常に大きな差があることを無視している。彼らは移転支払いも無視している。そのほとんど(EITCを除いて)がわずかな時間しか働かないまたはまったく働かない人に支払いが実質的に限定されているというのにだ。

他の経済学者はForm W2に記載されている所得のうちで所得上位1%が占めるシェアを引用してCard-DiNardoの結論を貶そうと試みている。まず初めに一般的な反対を述べさせてもらいたい。納税上位1%を見るだけでは所得分布全体に関して我々は何ら意味のあるものを得ることが出来ないだろう。所得分布の右側だけを調べるのでは低所得層または(定義なしに用いられるが)「中間所得層」の生活水準がどのように変化しているのかに関して何らの情報も得られないだろう。所得上位1%のシェアだけを見て所得分布全体に関して語ろうとすることは所得下位1%の所得だけを見て所得分布全体に関して語ろうとすることと同じぐらい意味がない。極端なゼロサムというのでない限り(スティーブ・ジョブズが利益を得れば誰かが同額の損失を被ると信じているのでない限り)所得上位1%への憎悪は本質的に無意味だ。

仮に所得上位1%に執着するのだと主張しても1986年の税制改革を挟む2つの年度(1980年と2004年)の納税申告書に記載された所得を比べること(よく引用されるPiketty and Saezが行っているような)は極めてミスリーディングだ。Piketty-SaezのForm W2の労働所得の推計では所得上位のシェアは1986年の7.3%から1988年の9.4%へと突然上昇しその後は1988年から1996年の期間に平均で9.1%で推移している。それは12月14日のウォールストリート・ジャーナルの私の記事で引用した課税所得の弾力性の推計値とまったく整合的だがPiketty and Saezが(私の記事に対する反論として)後にSaez自身の推計を否認したこととは完全に食い違う。Burtlessが言及した社会保障(年金)のデータを用いてSchwabishは2000年から2003年に、「所得上位のシェアは(中略)急激に低下している」ことを発見している。私の論文ではCEOの給与も急減していることを示した。両方とも2004年にリバウンドしている。何故ならSCFの回答者の11%以上が2001年にストック・オプションを受け取った(SCFは3年に1度の調査)と回答しているからだ(行使された時にはForm W2に記載され、最初に行使可能になったのが2004年)。それもまた税率の引き下げに対する予想通りの反応でそして経営責任者は1999年に付与されたストック・オプションの4分の1を占めるに過ぎない。

Statistical Mirages

私の論文では最も所得が高い分位の1979年から2004年の20.7%の実質給与の増加と最も所得が低い分位の21%の実質給与の増加とをSCFの中央所得を用いて比較している。興味深いだろう?批判者は統計局のデータの穴を他の人に指摘するのが快感のようだ。Burtlessが示唆する所では私はその穴に無自覚かまたはその穴を明らかにすることを拒んでいるとされている。

例えば、私の論文では統計局による所得上位5%の所得シェアの推計とPiketty and Saezのものを比べている。統計局の数字は1986年の18%から2004年の20.9%へと上昇している。これは1993年の定義の変更が原因だ。Piketty-Saezの数字は1986年の22.6%から1988年の27%へと急上昇している。私が1986年の税制改革が原因だと指摘しているものでPiketty and Saezも(私が指摘するまでは)最近まではそのように認めていたものだ。彼らの数字は2004年に31.2%になっている。Paul Krugmanやその他の人は統計局のデータのサンプルサイズとトップコーディングに問題があると性急に勘違いした。仮にPiketty-Saezの数字から5億円以上の所得をすべて取り除いたとしても統計局の数字との乖離が0.9%縮まるだけで残る9%ポイントは説明されないままだ。統計局が総所得に移転支払いを含めているということもこの乖離を埋めるにはまったく足りない。

私の論文では統計局による広義の(14番目の)可処分所得の定義によるジニ係数も引用している。これは所得税と給与税とを差し引いたもので現金給付と現物給付を加え(残念なことに)納税申告書に記載されるキャピタル・ゲインも加えたものだ。これがBurtlessが承認しながら未だにそのことを明らかにしていないものだ。

可処分所得のジニ係数は1984年から1992年の期間に1年を除いて0.38から0.39にまとめられる。ようするにほとんど変化していない。1986年の1年だけ0.41へと急激に上昇している。だがこれは明らかにキャピタル・ゲイン税率が引き上げられる前に資産を売却しようとする行動が大量に発生したためだ。ジニ係数は1985年、1988年、1992年で0.385のままで一定だった。

1993年に統計局は調査方法をコンピューター式に変えた。そして「トップコーディング」の上限値は大幅に引き上げられた。ジニ係数は1993年に突然0.40へと急上昇しキャピタル・ゲインが急増した1999年から2000年に0.41へと一時的に上昇した後2004年でも0.40の水準で留まっている。1984年から2004年まで可処分所得のジニ係数に継続的な上昇トレンドが見えるというフリをするためにはそれが1年の間(ようするに1993年に)に起こったという奇妙な議論をしなければならない。そこが統計局のデータの批判者が蹌踉めき始める場所だ。

Burtlessは以下のように書いている。

「統計局の調査は所得上位2%または所得上位2.5%の所得を正確にまたは一貫して評価することが出来ない。理由の一つは回答者の回答がトップコードされているからかまたは少なくともそう遠くない過去にはトップコードされていたからだろう。その他の理由としては正確なまたは一貫した推計をするためには高額所得者(例えば、所得7500万円以上)のサンプルが小さすぎるということが挙げられる。これはどの所得の概念が用いられたとしても統計局がすべての期間で真の所得格差を恐らく過小評価していたことを意味する」。

BurtlessはCBOが所得7500万円以上の富裕層の所得の多くを見逃していると主張している。彼はその値を所得上位2%または所得上位2.5%と同じだと思っているようだ。だが7500万円はPiketty and Saezの所得上位1%の上位10分の1(所得上位0.1%)の閾値である1億1000万円を少し下回るに過ぎない。所得7500万円は馬鹿げたことに企業利益の59.4%を加えてあるCBOの定義した所得上位1%の閾値である2668万円からはかけ離れている。

そしてサンプリングエラーはランダムだ。だから仮に1080が所得上位2%のサンプルとしては小さすぎると信じている人がいたとしてもそのことから所得が過大評価されているとか過小評価されているとか結論することは出来ない。言うまでもなく「すべての期間で真の所得格差を過小評価していた」などということは確実に意味しない。最悪でも所得上位2%の推計がある年度では高すぎるまたある年度では低すぎるということを意味するだけで恐らくそれがBurtlessが「一貫した」で言いたかったこと?なのだろう。

CBOもPiketty-SaezもIRSのStatistics of Income (SOI)部門の所得統計のサンプルに頼っている。そのサンプルはCurrent Population Survey (CPS)の54000のサンプルの2倍大きい。だが統計局の調査は全国民が対象で一方でSOIの調査は納税申告を行っている人だけが対象だ。SOIでは所得5億円以上が過重にサンプリングされる。だが主に節税(100兆円のギャップ)と課税の対象となっていない人が原因で(CPSと比べて)数百兆円所得が少なくなっている。結果としてSOIは高額所得と所得全体との比率を大幅に誇張している。

Piketty and SaezやPaul Krugmanが信じているのとは反対にトップコーディングは所得全体に対してなどされていない。トップコーディングは回答者の匿名性を守るために一般向けに公開されているデータのある特定の種類の所得のみに行われている。統計局が所得上位5%の所得シェアを計算する時などには彼らはトップコーディングとは無縁の内部データを用いている。だが統計局の幹部職員が「internal processing limits」と呼ぶ物は残っている。

統計局の所得統計部門の主任であるEdward J. Welniakが説明している。1979年には質問者は23の所得源に対してそれぞれ999万9900円まで記録することが許されていた。1985年には上限は2999万9900円まで引き上げられた。これまでで最後に引き上げられたのは1993年で主な4つの所得源に対する上限が9億9999万9900円にまで引き上げられた。1993年以降の上限は所得の合計が7500万円以上の人には何の制約でもないし所得上位1%や所得上位5%の平均所得にいたってはそれより遥かに少ない。Welniakは1999年には54000のサンプルのうちで上限に引っ掛かったのは26に満たないことを発見している。彼は、Burkhauser and othersと同じように、上限の引き上げが所得格差の拡大を過小評価させたのではなく過大評価させたということも発見している。

Welniakは一般公開向けのデータは「1967年から2001年の期間の所得格差の拡大を過大評価」させていると述べている。過去の上限に課せられていた厳しい制約のせいで所得格差が実際よりも低く見え一方で1990年代の上限の引き上げにより(高額所得のデータの可視性が上がったように見えるのではなく)所得格差が拡大したかのように見えたからだ。彼の言葉を借りれば、「一般公開向けのデータに所得格差の拡大が見られるのは1)1967年に所得がトップコードされていたからでこれが所得格差を小さく見せていた2)1996年頃からトップコードされた所得の平均値で補完するようになり高額所得が増加した結果だ」。

回答者の回答が「そう遠くない過去には」トップコードされていたというBurtlessの未熟な発言は私がどうして統計局のジニ係数または所得上位の所得シェアが1980年代の後半以降所得格差が拡大しているということを示していないのかと議論している主な理由だ。Welniakは1985年の方法の変更が実際には何も起こっていないにも関わらず計測された所得格差を「上昇」させたと計算している。1979年から1984年のジニ係数が過小評価されていたのでこれは1980年代のジニ係数の上昇が過大評価されていたことを意味する。1993年には、「CPS ASECはコンピューター式のインタビューを導入し記録水準を上昇させた」とWelniakは述べている。

Burtlessが0.469を「今まで記録された中で最も高いジニ係数」と言及している時にはそれが2001年の0.466よりも高いので彼は表面的には正しい。だが彼はそれを1993年以前のデータと比べているので正しくない。Economic Policy Instituteが説明しているように、「1993年の調査方法の変更により見掛けの所得格差が急激に上昇した」。1993年に記録される所得が劇的に増加したことそして紙をコンピューターで置き換えたことが所得格差の見掛け上の急拡大を引き起こした。

1993年以前(それほど遠くない過去)では所得の上限によりジニ係数が過小評価され実際の所得格差が過小推計されているのでそれ故1993年以前と以後を比較する時には所得格差が拡大したという錯覚が生まれる。

Paul Krugman、Piketty and Saez、Burtlessら全員がサンプルサイズと「トップコーディング」が1980年代後半以降所得格差が拡大していないという私の観察事実に対して少しでも反論になると考えたことには困惑させられる。サンプルサイズはどちらの方向にも行き得るしトップコーディングにいたっては彼らが示唆しようとしている方向とは真逆に向かっている。

Conclusion

私の本で部分的にそしてこれから発表する予定の私の論文の中でさらに説明している理由により納税申告書のサンプルから所得を推計しようと試みている4つのデータセットの一つとしても税率の変更時期を挟んだ所得シェアを比較するのには信用できるものではない。その中でもCBOのデータは4つの中で最悪でこの中ではPiketty and Saezが最もましだろう。Form W2のデータも(1)無資格ストック・オプションの行使のタイミングが株式価格に極めて敏感(2)制限株への変更(Form W2には記載されない)は配当とキャピタル・ゲインに掛かる税率に極めて敏感という理由で税制が異なる時期とでは比較することが出来ない。ビル・ゲイツまたはスティーブ・ジョブズに尋ねてみるといい。

もし仮に1988年以降で可処分所得、消費、賃金、資産に顕著で継続した格差の拡大を示したまともなデータがあるのであればこれまでに誰かが我々と共有しているだろうと疑っている。

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