2016年7月12日火曜日

黒人は賃金面で見て差別されていない?

The Journey to Becoming a School Reformer

Timothy Taylor

Roland Fryerは経済学者から学校教育者へと転身した自らの体験に関する興味深いエッセイを「21st Century Inequality: The Declining Significance of Discrimination」というタイトルで執筆している。

彼は「2003年当時40歳だった人々の記録に着目しながらNational Longitudinal Survey of Youthのデータ」を詳しく分析したと語っていた。彼は黒人と白人の間の生のデータの結果の違いを幾つかの点から調べていた。それから彼は当時40歳だった黒人が8学年生(大体、中学2年生ぐらい)だった頃に受けていたテストの点数でそのデータを調整した。これは、8学年生当時にテストの点数が同じだった黒人と白人とを比較していることを本質的に意味している。非常に驚くことに、40歳時点での黒人と白人との間の賃金格差はテストの点数を調整するときれいさっぱり消えてしまった。平均的に見ると、黒人の大学入学率は白人よりも低い。だが8学年生時でのテストの点数で調整すると黒人の大学入学率は白人よりも大幅に高いことが判明した。黒人と白人の間の大きな違いの幾つかはテストの点数を調整した後でも残る。だがその違いの大きさは大きく縮小する。

それを彼はグラフにしている。

彼はその時に考えたことを以下のように説明している。

「子供の時に存在していた学習到達度の違いは大人になってからの社会的格差の多くの点と相関していると私は報告した。当時は、これでとりあえずの疑問は解消したと思っていた。だが8学年生時の学習到達度の違いはどのように説明すれば良いのだろうという疑問が気になるようになってきた。私は、過去10年間この疑問に取り組んできた。私は、差別がアメリカから消滅したと言っているわけではない(他に超差別国家がたくさん存在する)。だがこれらのデータは、差別ではなく学習到達度の違いが黒人と白人の違いの多くを説明する決定的な要因だと考えるようになった」。

次の疑問は、黒人の生徒が学習到達度において白人に遅れを取り出すのは何時頃か?ということだった。

「黒人の生徒が学習到達度において遅れを見せ始めるのはいつごろか?発達心理学者は9ヶ月の幼児の認知能力をBayley Scale of Infant Developmentという尺度で測ることに成功している。私たちは集められた1万1000人の幼児のデータを調べ、人種間に有意なスコアの違いが存在しないということを発見した。だが幼児たちが2歳になるとギャップが開き始めることが確認でき、幼児が大きくなるとともにそのギャップも拡大する。5歳時までには、認知能力において黒人の子供は白人の子供に8ヶ月の遅れを見せ始める。そして8学年生になると、そのギャップは12ヶ月にまで拡大する」。

8学年生時に見られる認知能力のギャップがすでに5歳時において見られるということは私にとって驚きだった。以前にもコメントしているように、このことに対する考えうる一つの対策の可能性としては生まれてから数年以内のリスク児童に対する家庭訪問プログラムをもっと真剣に考えることだろう。考えうる他の対応としては3歳から5歳時までの学校前プログラムをさらに拡充することだ。だがこれらのプログラムが永続する効果を与えるのかどうかを調べた証拠はむしろ否定的だ(リスク児童に限ってみれば効果は少し強まるが)。

Fryerの方法論は学習到達度をどのように改善させるかに集中していた。そして経済学者として、彼は本を読みテストにパスした生徒に金銭を支払うという極めて単純な試みをスタートさせた。ここにその時の様子を彼がスケッチしたものがある。

「傲慢な経済学者の常として、これは簡単だろうと初めは考えていた。要するに、単にインセンティブを変えればいいだけと考えていた。良いパフォーマンスを示した学校に報酬を与えるというのが私の提案だった」。

「このような試みを始める前に誰かが私に警告していてくれたらと今では思う。このような試みが、これほどの信じられない程の不評を買うなど誰も教えてくれなかった。大勢が私の家を取り囲んで、生徒の学習意欲を壊そうとしているとか黒人にとって最悪のことをしているなど集中砲火を浴びせたのだった」。

「私たちはこの試みを実行に移すことを決断し10億円の資金を集めた。私たちはダラス、ヒューストン、ワシントンDC、ニューヨーク、シカゴでインセンティブを提供した。私たちは(単に遊び心から)教師にもインセンティブを与えてみた。これで関わった人すべてにインセンティブが与えられたことになる」。

「数多くの批判的な報道、怒れる市民たち、そして10億円の資金から学んだことは、子どもたちはインセンティブに反応するということだった。だが教師へのインセンティブは有意な影響を与えていなかった。インセンティブは期待(予想)通りの働きを見せてくれた。ところが、インセンティブはそれ以上の働きは見せてはくれなかった。私は、インセンティブは(例えそれが与えられなかった、与えられなくなったとしても)教師や子どもたちに学校は素晴らしいものだと伝え、子どもたちは課題により真剣に取り組むようになるだろうと考えていた。違っていた(要するに、一時的なインセンティブには永続的な効果はなかった)。一冊の本を読むのに2ドルのインセンティブを与える。子どもたちはもっと本を読むようになった。それは予想通りの結果だった。このことは私に、子どもたちにインセンティブが与える力、その限界を教えてくれた」。

そこでFryerとその仲間たちは、成功したチャーター・スクールとそこまでは成功していないチャーター・スクールを調べることにした。彼らは数年間に渡ってインタビューとビデオ撮影を行い5つのルールを見いだした。

More time in school.

(省略)

Human Capital Management

(省略)

Small Group Tutoring

「3番めの方法は一般的には私がチュータリングと呼んでいるものだが、関係者たちはスモール・ラーニング・コミュニティと呼んでいる。基本的に、彼らが行っていることは1つのクラスの子どもたちを6人以下にして学習させることだ」。

Data-Driven Instruction and Student Performance Management.

「成績の良くない学校もデータが重要だということを知っている。私が中等部の学校を訪れた時、彼らは喜んでデータルームを見せてくれた。私がよく見掛けたものは緑、黄色、赤のスティッカーが貼られたチャートだった。それは成績の良い生徒、普通の生徒、良くない生徒を表していた。成績の良くない生徒にどのようなことをするようになったのかと尋ねると彼らは、まだその段階にまでは行っていない、だが少なくとも成績の悪い生徒を把握していると答えた。同じ質問を成績の良い学校のデータルームで尋ねると、彼らは3つのブロックに分けて教育を行っていると答えた。彼らは成績の良くない生徒を把握しているだけではなく、生徒が学習につまる部分やパターンを識別しそれに対する処方を2日か3日で提供すると答えた。彼らは将来の授業のためにそれらをもっと改善する必要があるとも答えた」。

Culture and Expectations

(省略)

この5つのルールはあまりに普通すぎると思ったのではないか?彼らは自分たちのアプローチを実践するため20のヒューストンの公立学校でテストを行った。それには4つの高校も含まれ参加した生徒の人数は1万6000人だった。

「このテストを開始する前は、小学校での黒人と白人の学習到達度の違いは5ヶ月ほどだった。数カ月後には、学習到達度の違いは算数ではほぼ消滅し国語でもある程度の改善が見られた。中学校では、数学の点数は恐らく4年から5年でギャップが埋まるだろうというペースで上昇していた。だが読解では改善が見られなかった。他の結果としては高校の卒業生の100%が2年制から4年制の大学に進学するだけの学力があると認められていた」。

(以下、省略)
The Big Decline in Housing Segregation

Timothy Taylor

Edward Glaeser and Jacob Vigdorはマンハッタン・インスティテュートにおいて「The End of the Segregated Century: Racial Separation in America's Neighborhoods, 1890-2010」という論文を掲載した。

ここに、最も目を引くグラフがある。人種間の分離/隔絶度合いを示す際に最も頻繁に用いられる2つの指数、「dissimilarity index」と「isolation index」が用いられている。彼らはこれをアメリカで最も大きい10の都市に適用した。このグラフから読み取れることは、1910年から1950年の期間にそれぞれの人種は離れて住むようになり(隔絶)、1950年から1970年までは横這いのまま、1970年から2010年には人種間の隔絶が急減していることだろう。


Glaeser and Vigdorはこのパターンを以下のように形容している。「人種間の隔絶は1970年以降急激に下落している。2010年現在ではアフリカ系アメリカ人の他の人種からの隔絶度合いは最低の水準にまで達している。50年前には黒人人口の半数近くが黒人の割合が80%を超える所謂「ゲットー」と呼ばれるかもしれない所の近隣に暮らしていた。現在では、その割合は20%以下にまで減少している」。

How is residential segregation measured?

「人種間の隔絶は様々な方法で測ることが出来る。最も頻繁に用いられる方法は近隣のすべてが地域全体と同じぐらい多様である人口密集地帯の人種間の隔絶度合いをゼロ、異なる人種が少しも隣接していない地域を100とする指数を作成する。それぞれの指数はコーディングの仕方によりそれぞれ異なりうる。ある指数は他の指数よりもより詳細な地域のデータを必要とする。最も洗練されたものは各ブロック毎に集められた国勢調査のデータを用いる」

「このレポートでは2つの指数を特に用いる。dissimilarity indexとisolation indexだ。この2つはどちらも長く用いられてきた歴史がある。これらの指標は人種間の隔絶度合いを十分に示すことが出来る。より洗練された指標と高い相関を示しながら、計算に用いるデータが少ないので19世紀のデータを用いてでさえも指数を作成することが出来る」。

What is intuitive interpretation  of a dissimilarity index?

「dissimilarity indexは2つの集団が隣接地域のすべてで等しい確率で見つかるその度合を示す。この指数はそれぞれの集団に属する個人が完全な融和を達成する場合には住む地域を変更しなければならないその度合を示す。この指数は最も頻繁に用いられてきた指数で、初めて用いられたのは第2次世界大戦が終了したその直後だった」。

What is the intuitive interpretation of an isolation index?

「Dissimilarityは完全な指標ではない。以下の様な場合を考えてみる。都市にサイズの等しい2つの隣接する地域があったとする。一つは白人の割合が100%で、一つは白人が98%、黒人が2%だったとする。この指数によるとこの都市は大きく分断されていることになる。黒人の半数が完全な融和を達成するためには引っ越しをする必要があるためだ。だがもう一つの重要な側面から見れば、黒人居住者は少しも分断されていないことになる。彼らは白人が98%住む地域で暮らしている」。

「isolation indexはそのような欠陥を修正するために作成された。この指数は一つの集団のメンバーが自分と同じ集団の住んでいる割合がその都市の平均を上回っている近隣で暮らすその度合を測っている。先ほどの例では、黒人の割合が2%の地域で暮らしている黒人居住者は完全な融和の場合と比較して1%ポイント高いだけということになる。それ故、isolation indexはdissimilarity indexとは異なり50%ではなく1%を示すことになる」。

この論文では、その原因ではなくこのようなパターンが現れたということを示すことにより労力が割かれている。だがGlaeser and Vigdorはその原因に関しても幾らかの説明をしている。

彼らの説明では、1910年から1950年までに人種間の隔絶が大幅に上昇したのはアメリカで、田舎の地域から都市へと大規模な移住が発生した時期だったからだという。アフリカ系アメリカ人もこの移住に加わっていたが、彼らは白人からの差別と法律上の制約に直面した。過去40年間の人種間の隔絶の減少には幾つかの要因が組み合わさっているという。隔絶を助長していた差別の減少、人種間の隔絶が大きかった地域からの黒人の流出、中央アメリカ、南アメリカ、アジアからの移民の流入などを彼らは挙げている。

人種間の大きな隔絶は社会の大きな懸念事項だった。従って、人種間の隔絶の減少は特筆するべきことで歓迎される。だがGlaeser and Vigdorが指摘しているように、1960年代に居住地の融和に高い期待が掛けられていたことを覚えている人にとっては良いニュースもトーンダウンしたものになる。

「1960年代は人種間の隔絶が最も大きい時代だった。その頃には、人種間の隔絶が黒人が抱える多くの問題の原因であるかのように思われていた。人種間の隔絶は非常に大きかったので、アフリカ系アメリカ人は完全に社会から隔絶されているかのように思われていた。その当時は、居住区の隔絶を減らそうとする試みは一旦人種間に融和が生まれれば黒人の問題はすべて解決するという可能性を提示するものとして考えられていた」

「今ではこれが神話だということを私たちは知っている。50年前より住宅の制約が緩和されたことを歓迎する理由は十分にある。そしてこの変化をもたらした人を称えるべき理由も十分にある。だが人種間の隔絶を取り除くことは魔法の弾丸ではなかったことを私たちは今では知っている。ゲットーの人口が減少し人口の中心が人種間の隔絶の少なかったサン・ベルト地域に移ったことにより人種間の隔絶は大幅に減少した。その一方で、黒人と白人の間の学習到達度のギャップや雇用のギャップの縮小は限られたものだった」
Some Economics for Martin Luther King Jr. Day

Timothy Taylor

1983年の11月2日にレーガン大統領はマーティン・ルーサー・キング牧師の誕生日を祝日とすることに決定した。その法案を通過させるとき、「このような祝日は人種間の平等に思いを馳せる時となるべきだ」と議会は語っている。人種間の平等というテーマに経済学はそぐわないかもしれないが、ここにこの祝日に関連した4つの経済学の概念がある。

1)人種間と性別間の格差は社会全体に経済的なコストを生み出す。

半世紀前まで、アメリカでは白人が技能を要求される職業を支配し女性とマイノリティを見掛けることはほとんどなかった。例えば、医者や弁護士の95%は白人だった。この状況は社会のタレントの配分としては明白に偏っていた。従って、他の集団がより平等に参加してくれば経済成長が促進されるだろうことが予想される。Pete Klenowは、「The Allocation of Talent and U.S. Economic Growth」にてそれを計算している。

ここに、アメリカにおいて機会の平等が大きく促進されたことを示す表が彼によって作成されている。1960年とは異なり、白人男性はマネージャー、医者、弁護士の85%を最早占めていない。技能を必要とする職業とはこの表では「弁護士、医者、技術者、科学者、建築家、数学者、企業経営者/管理者として定義されている。これらの職業で働いている白人男性の割合は25%ほど増加した。だがこれらの職業で働いている白人女性の割合は3倍以上になった。黒人男性は4倍以上、黒人女性に至っては8倍以上に増加している。


その上に、これらの職業の賃金格差も縮小している。「同期間に、これらの職業で賃金格差は縮小した。1960年には白人男性と同一の職業で働いていた白人女性の賃金はそれより58%少なかったが、2008年には26%少ないだけになっていた。1960年のそれらの職業の黒人男性の賃金は白人男性よりも38%少なかったが、2008年にはそれが15%にまで縮小している。黒人女性は1960年には88%少なかったのが、2008年には31%にまで縮小している。

この変化の原因に関しては多くの要因が挙げられてきたが、ここでは経済成長に与える影響だけに話を限定したいと思う。簡単な計算のために、Klenowは幾つかの仮定を組み込んだモデルを構築した。「各個人は一般的な技能(すべての職業に共通)と各職業に固有の技能(そして職業間で独立)を持つ。すべての集団(男性、女性、黒人、白人)はまったく等しい技能の分布を持つ。若年世代の各個人はそれぞれの職業でどの程度の差別に直面するか、その結果として受け取る賃金を予め知っているものとする。若年世代では、人々は職業を選択しそれぞれの職業に固有の人的資本に投資することによって自分たちの技能を補強するものとする」。

このフレームワークを用いて、Klenowは過去50年間のアメリカの経済成長が機会の平等によってもたらされたものなのかを調べようとした。

「過去50年間のアメリカの経済成長が、女性とアフリカ系アメリカ人が人的資本により投資するようになったこと、技能を必要とする職業でより働くようになったことによってどの程度説明できるのか?私たちの答えは15%から20%だ…白人男性は、その結果として賃金の5%ぐらいを失った。だがその損失は女性と黒人が得た賃金の増加によって飲み込まれた」。

少なくとも私にとっては、経済成長の6分の1から5分の1が機会の平等が増加したことに起因しているかもしれないというのは驚くべきことだ(他の国でも、女性の社会進出によって経済成長が同じぐらい増加したことを示したものはあったような)。まとめると、差別を減らすことは単に正義や公平さの問題ではない。経済を成長させることにもつながる。

(以下、省略)

アメリカはほとんど奴隷貿易を行っていなかった?

The Myths of American Slavery

Michael Kimmitt

スミソニアン博物館のNational Museum of African American History and Cultureの9月での開演が迫っている頃、博物館の館長、Lonnie BunchがCBSの「60ミニッツ」に出演した。Scott Pelleyは220年前に建設され多くの奴隷を運んだ奴隷船を求めてモザンビークを訪れた。

「奴隷の物語は私たち全員の物語です」とBunchはPelleyに説明した。「これは私たち全員が共有するべき物語なのです。このことをアメリカ人に教え、この問題に立ち向かい、語り、議論して欲しいと思っています」と彼は語った。

どうして21世紀のアメリカ市民がこの問題に立ち向かわなくてはならないというのか?他のアフリカ人に奴隷とされ殺害され、モザンビーク港からブラジル行きの奴隷船に乗るためにポルトガルへと強制的に連れてこられたアフリカ人と?実際にこの出来事に関わった人たちの子孫はまったく気にもすることなく無罪放免されているというのに?

Bunchが一つ重要な部分で間違えているということに気が付かれるだろう。奴隷制は全員の物語ではない。それはアメリカとアメリカ国民だけのものでなくてはならない。私たちだけが消せない傷を抱えるように求められる。そして奴隷制が廃止されて150年が過ぎているというのにこの罪を背負うように強要される。

それは、百年前に苦しんだ人への真の同情からではなく政治的優位を得ようとする人たちによって、たえまなく利用される。私たちは、一度も奴隷の主人になったことがない人々から一度も奴隷になったことがない人々へと賠償をすることによって安心を得ようとしている。

今週、ハリウッドでAlex Haleyの「Roots」の改作が発表された。非常に大々的なもので3つのテレビネットワークで4夜に渡って放映されたほどだった。Varietyマガジンはこの新しい連続ドラマが奴隷制の「残酷なまでの持続性」を「奴隷制の真の規模を教えられていない、もしくは奴隷制の規模やその延々と続く影響を故意に無視することを好むアメリカ人にとうとう真実を伝えたと示唆した。

だが、アメリカ人は奴隷制は1619年にヴァージニア州のジェームスタウンに20人のアフリカ人奴隷が送られた時に始まったと教えられている(実際には、彼らはメキシコのベラクルズが最初の目的地だった。ポルトガルを出発した奴隷船がイギリスの私掠船に拿捕されるまでは。彼らは契約使用人で最終的に開放されたと考えられている)。

この国で奴隷制の議論を始めるのであれば、アメリカは大西洋間の奴隷貿易において驚くほど小さな役割しか果たしていないという事実を認める所からすべての議論を始めなければならない。アフリカから連れてこられた1250万人のアフリカ人のうちで、アメリカに送られたのは38万8000人だとTrans-Atlantic Slave Trade Databasesは推計している。そしてそれらはすべてヨーロッパの旗を掲げた奴隷船だった。

では、ワシントンD.C.は奴隷制を議論するための博物館の場所として本当にふさわしい場所なのか?それとも他の場所を考慮すべきなのか?ここに、そのリストがある。

イラクのバグダッド。奴隷制は文書として保存されている歴史よりも古い。だが紀元前1760年頃のハンムラビ法典に最も最初の記述が残されている。

サウジアラビアのメッカ。7世紀頃から、ムハンマドの信奉者たちは中東一帯、北アフリカ、イベリア半島をイスラムの支配下においた。ヨーロッパ人の最初の奴隷がアフリカに到着する前に、アラブ人たちは1800万人のアフリカ人を奴隷としていた。奴隷制はアラビア半島では1962年まで非合法とされていない。

ナイジェリアのラゴス。アフリカの奴隷貿易はアラブ人やヨーロッパ人が訪れる前から行われていた。そして今日でも行われている。カメルーンの一部地域や北ナイジェリアでは人口の半数が奴隷だと云われている。1900年代の初期にナイジェリアだけで200万人以上の奴隷がイギリスによって開放されたと云われている。

リビアのトリポリ。North African Barbary Coastのイスラム教徒の海賊たちはアフリカ人を奴隷にしたに留まらなかった。地中海沿岸の都市もそのターゲットにしていた。125万人のヨーロッパ人とアメリカ人がそれらの海賊によって奴隷にされたと推測されている。それらの海賊行為に対してThomas Jeffersonはアメリカ海軍を送る羽目に迫られたほどだった。その時の出来事は「トリポリの出来事」として今も海軍で語り継がれている。

ポルトガルのリスボン。ポルトガルは、スペインとともにアフリカ人を新大陸(ここでは、特に中央アメリカ、南アメリカを意味する)に送り込んだ国として他を圧倒的に引き離している。そして奴隷の扱いの酷さでも有名だった。

ローマ。ローマの人口の35%から40%は奴隷だったと云われている。奴隷たちはローマ軍に従軍していた奴隷商人によってヨーロッパ全土から集められ取引された。

ロンドン。イギリスは19世紀初頭の大西洋間の奴隷貿易を減少させるのに鍵となる役割を果たしたが、それ以前にアイルランド人とアフリカ人の奴隷貿易に関与していた。1625年には、3万人以上のアイルランド人がジェームズ二世によって西インド諸島に奴隷として送られた。100年ぐらいの間に、50万人以上のアイルランド人が殺害されそれに加えて30万人が奴隷として売られた。それによりアイルランドの人口は60%以上減少した。数十万人というアイルランドの農民がジャマイカやバルバドス、イギリスの植民地などに送られた。250年ぐらいの間に、1万回以上のイギリスの船の航海によって500万人以上のアフリカ人が奴隷として新大陸(先述したようにアメリカではなく、南アメリカと中央アメリカ)に送られている。

メキシコシティ。スペイン人が訪れる遥か前からアステカとマヤ文明の国々では奴隷が用いられていた。これらの地域では、生け贄とカニバリズムが当たり前だった。数十万人もの奴隷が毎年殺害されていた。アフリカからの奴隷がメキシコに到着したのはアメリカよりもほぼ百年前だった。残虐な扱いに対する奴隷たちの反乱が早くも1537年に起こっている。最初のアフリカ人がアメリカに到着する82年前だった。

ブラジルのリオデジャネイロ。1532年に最初のポルトガル人の移住が始まる遥か前から、現地の部族たちはお互いを奴隷にしあっていた。だがすぐに、ブラジルは新大陸で最大の奴隷輸入国となる。480万人以上のアフリカ人が奴隷としてブラジルのプランテーションや金鉱で最も劣悪な労働環境で酷使された。ブラジルは西側で奴隷制を最も遅く廃止した国でもある(1888年)。

人間が存在したところ、奴隷が存在したというのは普遍的なルールだと結論できる。奴隷は中央アメリカと南アメリカで比較にならないほど遥かに残酷に行われていた。それらの地域では死亡率があまりにも高すぎて、アフリカからの継続的な輸入がなければ奴隷人口が消滅するほどだった。アメリカでは、男性と女性のバランスは均衡していた。よって、奴隷貿易が1809年に廃止された後でも奴隷人口は増加し続けていった(38万人から4170万人へ)。

ハーバード大学のHenry Louis Gatesはアメリカに来た奴隷の人数が少なかったこと、奴隷貿易においてアフリカ人の奴隷商人の果たした役割が大きかったことを指摘して同僚たちから猛反発を買った。

「あの人たちは私を殺害したがっているようだった」と彼は語った。「黒人は私に対してとても怒っているようだった。だが白人は悪く黒人は善良だといったような世界観から抜け出す必要がある。実際の現実はそのような単純なものではない」と語った。

これは、人種間の対立を扇動することに既得権を持つ人たちにはとても響くとは思われないメッセージでもある。
Why Are Media Personalities Circling The Wagons For Brian Williams?

Sean Davis

10年以上に渡ってNBCのBrian Williamsはイラクでヘリコプターに搭乗している際に撃墜されたと繰り返し嘘をついてきた。ヘリコプターが撃墜されたというのは事実だ。だが彼はそれに乗っていなかった。彼は撃墜されたヘリとは別の30分から45分後のヘリに搭乗していただけだった。彼は少しも危ない目にあっていなかった。彼のヘリは一度も攻撃されていなかった。だというのに、12年にも渡って、彼は大胆にも嘘をつき続けていた。

先週になって、とうとう彼は事実をはっきりとさせる事態に追い込まれた。驚いたことに彼は嘘をついていたと認めるのではなく、「記憶違い」をしていたと釈明したのだった。それはまるでニール・アームストロングと一緒に月に行っていなかったということを忘れていたと言っているに等しい。彼によると、「記憶に掛かった靄」のようなものが犯人だという。彼は超人ではない。彼は車輪を発明していない。彼はオリンピックの選手ではない。彼の記憶にはほんの少し靄が掛かっている。誰でも一度や二度ぐらいはどこに車を止めたか忘れたことがあるでしょう?それとまったく同じことだ。

もしこの説明をどこかで聞いたことがあるなと思ったら、それはその通りだからだ。これはNeil deGrasse Tysonが数十年にも渡って大胆に捏造してきたことがばれた時に用いた説明とほとんど同じだ。Williamsには、Tysonは単に記憶違いをしていただけだと断言した時と同じ「記憶の専門家」まで付いている。私たちが記憶に関して一つ知っていることがあるとすれば、本当に撃墜されていないのであれば人々はそのことを忘れるだろうということだが。

(以下はツイッターのコメントなので非常に読みにくいとは思うがとりあえずそのまま掲載しておく。いずれもっと読みやすいように手を加えることもあるかもしれない)

Christopher Chabris @cfchabris

.@BWilliams You seem to have had an ordinary false memory that happens to every human being; see our @nytimes piece http://www.nytimes.com/2014/12/02/opinion/why-our-memory-fails-us.html?_r=0 …

Why Our Memory Fails Us

Just because you think you recall something doesn’t mean you do.

nytimes.com

“Ordinary false memory that happens to every human being.” Wow. Just…wow. It gets more embarrassing, though:

Christopher Chabris @cfchabris

.@ericdondero Good Q. Answer: I don't know for sure, but don't think @BWilliams is lying; he could be unknowingly "telling a false story"

ヒラリー・クリントンもテロ攻撃に関して嘘をついていたのではないのか?それももちろん嘘ではない。彼女もまた記憶違いをしていただけだ。この「日常的に起こる偽の記憶」問題は物語の話し手をいつも勇敢でかっこよく描くのに対して、話し手の政治的対立相手は愚かで臆病者のように描かれるのはとても不思議な事だ。

dblight @dblight

@seanmdav @AceofSpadesHQ @cfchabris @rcantor @BrendanNyhan @BWilliams @nytimes A lot like Hillary coming under fire at the airport?

Christopher Chabris @cfchabris

@dblight @seanmdav @AceofSpadesHQ @rcantor @BrendanNyhan @BWilliams @nytimes Just like that: Good chance Clinton had false memory (1/2)

もっと大きな疑問は、「これが単なる記憶違いだと本気で思えるにはどれほど愚かであれば可能なのか?」という疑問よりも大きな疑問は、彼に何らかの罰が下されるのかどうかということだろう。

NBCニュースの看板キャスターで世界で起こったこと起こらなかったことを毎晩伝える立場にある彼は、何か処罰を受けることになるのか?私はそれを疑っている。どうしてか?統合された政治的嘘の理論と私が呼んでいるものの存在のためだ。有名な政治家やニュースアンカー、当選した代議士などにとってスキャンダルが発覚した時に重要な事は2つしかない。どちらのチームに所属しているかということと、彼らのついた嘘がチームの役に立ったかどうかということだけだ。他のことは何一つ重要ではない。

それをグラフィカル的に示したものがここにある。

Sean Davis ✔ @seanmdav

This pretty much explains every truth-related scandal for any major figure in American politics. It's ironclad.

チーム正しいに所属していてそのチームの為に嘘をついたのであれば、何も問題は起こらない。その人は保護される。昇進すらされるかもしれない。アメリカのメディアでは、リベラルでないかぎりはチーム正しいに所属することは出来ない。保守派と共和党は?彼らはチーム間違いに所属していることにされる。

チーム間違いに所属している人がチーム正しいに有益な嘘をついた場合にはどうなるのか?その場合は簡単だ。チーム正しいから「奇妙な尊敬」を受けることになる。これはDavid Brockの扱いをよく説明している。

チーム間違いに所属していてチーム正しいに害をなす嘘をついた場合にはどうなるのか?考えるまでもない。集中砲火を浴びる。その人を守るものは何もない。

ではチーム正しいのメンバーが自分たちに有害な嘘をついた場合には?そのようなことは起こらない。チーム正しいに所属していれば、間違いは起こらない。仲間たちがその人を正当化し保護してくれる。

このようなことを言えば、正気ではないと思われるだろう。だがこれが昨夜、リアルタイムで実演されたことだ。リベラル派のメディアの仲間たちは一斉にWilliamsの擁護に回った時のことだ。

Wesley Lowery ✔ @WesleyLowery

@mikiebarb pretty big shot to credibility, no?

Michael Barbaro ✔ @mikiebarb

@WesleyLowery I just don't like people writing off big and well earned careers on Twitter without plenty of context and reflection.

(((Tea Lizard))) ✔ @NickBaumann

Memory is a funny thing, and works especially weirdly in high-stress situations. http://www.politico.com/blogs/media/2015/02/brian-williams-apologizes-for-false-iraq-story-202130.html#.VNKf0nPHDy4.twitter …

Brian Williams apologizes for false Iraq story

The NBC News anchor offers regrets for saying he was on a helicopter that was shot down.

politico.com

Ryan Lizza ✔ @RyanLizza

Read this excellent piece by @mkonnikova before you crucify @BWilliams: http://nyr.kr/1BUwJXd

Why We Remember So Many Things Wrong - The New Yorker

If we remember dramatic and emotional moments so well, why do most people forget what they were doing when the Challenger exploded?

newyorker.com

John Podhoretz ✔ @jpodhoretz

@RyanLizza oh come on man

@jpodhoretz memory is complicated. He's built a reputation as one of the most trustworthy journalists in America. Why would he make this up?

Sean Davis ✔ @seanmdav

@RyanLizza @jpodhoretz For the same reason everyone lies: to make themselves seem smarter, braver, more accomplished. Ain't rocket science.

Ryan Lizza ✔ @RyanLizza

@seanmdav @jpodhoretz the cost is so high I don't see my he would do that, especially with so many witnesses.

このようなやり取りが本当に行われた。ベテランの政治レポーターは、まるで今まで人類の歴史で一度も起こったことがないことであるかのように、政治に関わっている人間はどうしてウソを付くことがあるのかと自身に問いかけた。

これがWilliamsが彼のついた嘘に対して処罰が下されることがほとんどありそうもないと(まったくないということではないが)思う理由だ。ヒラリー・クリントンはテロ攻撃に関して嘘をついた。その結果はどうだったか?議員として当選し、国務長官に任命され、もしかすると次期大統領になるかもしれない。コネチカット州のRichard Blumenthal議員はベトナム戦争に従軍したと嘘をついた。彼はどうだったか?彼はコネチカット州の上院議員になった。

もしSarah Palinがイラクやアフガニスタンを訪問中に射撃されたと嘘を言ったらどうなるのか考えてみて欲しい。Brian Williamsは単に記憶違いをしていただけだと思っているフリをしているのとまったく同じ人たちによって、彼女が血祭りにされる時間を正確に測ることが出来る手段があるのか考えてみて欲しい。

アメリカの政治は公平ではない。正義は均等には分けられていない。間違っているか、正しいかは重要ではない。チーム正しいの役に立っているかどうかだけが重要だ。

以下、アメリカ人の怒りの声。

Cleetus • a year ago

嘘と嘘に対する正当化は左翼にとってはなくてはならない。その出来事が起こったのは15年前でもなければ現在記憶違いをしたというのでもない。彼が話を最初に捏造した時には、墜落は先週の出来事で華々しく報道された。わずか数日前の出来事だというのに、撃墜されてもいないものを撃墜されたと記憶に欺かれたというのか?起こってもいないことを繰り返し語っていた人は、その時どうやって記憶に欺かれていたというのか?

事実はとてもシンプルだ。単に嘘だった。彼は嘘だと知っていた。彼は自分をかっこ良く見せるために喜んで嘘をついた。終わり。これ以上の説明は必要ない。彼が嘘つきだという事実はどうやっても変えることは出来ない。今では、彼は記憶違いをしていたとまたもや戯言を聞かされる羽目になっている。間違いが2つ合わさると正しくなることがあるのか?それとも単に彼に真実を言う勇気がなかっただけなのか?私は後者だと思っている。オバマが証明したように、嘘つきはずっと嘘つきだからだ。

countryboy8  Cleetus • a year ago

少しでも知能のある人が、今日のうそつきメディアを信じる、もしくは僅かでも注意を払っているということが私には信じられない。

「ニュース」は彼らのような悪人たちには僅かの重要性も持たない。左翼の「お伽話」だけが彼らにとって重要だ。このような人間たちを「ジャーナリスト」と呼ぶのは悪い冗談だ。メディアの実態は左翼のための「政治的カーニバルのための客引き」といったほうが遥かに現実に近い。

「そこの人たち!たったの5ドルで今まで見たことがないような面白いものが見られるよ!」

そして原住民たちが、太陽を遮ってみせると告げた探検家たちの言うことを信じたように(日食が近いということを知っていた)、情報弱者たちはこのゴミ話を「絶望的な無知」から信じている!

コメディアンのRon Whiteが言っていたように、「馬鹿は直せない」。

そして彼は正しかった!彼らにはBrian Williamsがお似合いだ。

Acethepug • a year ago

この連中は「ブッシュ大統領は嘘をついた!」と言い続けている連中だということを思い出せ。オバマが数え切れないほど嘘を付いていることには無視を決め込んでいるというのに。

JimBob7  Self-Abusin' Pete • a year ago

これは少し記憶違いをしたとかそういう程度の話じゃないからな。RPG-7で撃墜されたヘリに搭乗していれば、忘れるなんてありえない。もっと威力の小さい武器でさえ、忘れるなんてありえない。彼は自分を良く見せる目的で嘘をついた。そして彼はマルクス主義のメディアから罰せられるどころかむしろ擁護された、それだけの話。

Zaklog the Great • a year ago

Dennis Pragerが言っていたことは正しい。真実は左翼にとって大して価値を持たない。彼らは自分たちが好む目的/政策のためだあれば喜んで嘘をつく。従って、彼らの考えではここには何も間違ったことはない。

Robert John Metty Jr. • a year ago

最も苛つくことは、実際に嘘をつかれた人たちが、「もっと嘘をついてくれ。私が聞きたいと思っていることを聞かせ続けてくれ」みたいなことを言っていることだ。実際に、昨日ワシントン・ポストにBrian WilliamsがウソをつくことはOKだ、Rubin、Krauthammer、Willがついてるからというような内容の記事に対してそのようなコメントをたくさん見た。私たちはまともな人間を相手にしているんじゃない。

Dustoff • a year ago

この連中全員があの馬鹿を守ろうとしているということになる。では、次の質問に移ろう。この連中も嘘つきなのか?

JimBob7  Dustoff • a year ago

誰一人疑問に思ってすらいない。

Fen • a year ago

Brian Williamsの言うことを少しでも疑ったらレイシストと呼ばれるぞ!

VoteOutIncumbents  videosavant • a year ago

彼が解雇されることの方が驚きだ。

Marco64 • a year ago

George Bushを攻撃するために、偽のTexas National Guard文書を偽造したDan Ratherも忘れるな。今では彼はDan Rather Reportsの主任編集者を務めている。http://en.wikipedia.org/wiki/D...

8歳のヘロイン中毒児というフィクションを作成してピューリッツァーに選ばれたワシントン・ポストのレポーター、Janet Cookeは後にその話の映画化権を1億6000万円でトライ・スター・ピクチャーズに売却した。http://en.wikipedia.org/wiki/J...

数多くの記事で嘘をついたと認めたニューヨーク・タイムズのレポーター、Jayson BlairはNYTを退職した後、大学に戻り今度は政界に進出する予定だと語っている。http://en.wikipedia.org/wiki/J...

気候学者のマイケル・マンは「気温の低下を隠すのに悪戦苦闘している」というメールをイギリスの大学に送っていた。彼の同僚によって行われた内部調査は彼を無罪とした。(長い間拒否し続けた後で、彼のノートとデータを提出するように強制された後で)マンはデータに都合よく細工をしていたことも明らかになった。気候学会は問題をすべて隠し、MSMはこのスキャンダルを完全に無視した。

嘘が左翼にとって都合が良い限り、問題はないとされる。事実、嘘は素晴らしく、勇気ある行為とされる。

Great Grandmas Cat • a year ago

左翼にとって、それが対立相手によるものでなければ嘘は間違った行いとは見做されない。自分たちを擁護するため、もしくは自分たちと対立する他のありとあらゆるグループ(ただしイスラム教は除く)を攻撃するためであれば喜んでつく超巨大な嘘に驚くことなんてとっくの昔にやめてしまった。イスラム教徒によって行われる残虐行為は、実はイスラム教徒がやっているんじゃない。分かるだろう?

Rob H. • a year ago

記憶が不確実なものだということは事実だが、それは細かい部分に限ってみればそのような傾向が強いということであってリベラルが言っているような意味ではない。それも比較的、重要ではないことに対してだ。RPGで撃墜されたことを「記憶違い」する人など誰もいない。それは記憶を補完するために脳が生み出すような類のものではありえない。RPGとはRocket Propelled Grenadeという意味で、非常に非常に騒音が大きい。これで撃墜されたかどうかを「記憶違い」することなどありえない。

Sheik Yerbouti (I) • a year ago

『この「日常的に起こる偽の記憶」問題は物語の話し手をいつも勇敢でかっこよく描くのに対して、話し手の政治的対立相手は愚かで臆病者かのように描かれるのはとても不思議な事だ』。

確かに。

mk1 • a year ago

イギリスの労働党の党首、Neil Kinnockの演説を盗用したために1988年の大統領選挙から退く羽目になった(現在の)副大統領Joe Bidenを忘れるな。その演説に合わせるために、自分が家族の中で初めて大学に行ったなど炭鉱労働者の家庭で育ったなどやりたい放題だった。

Chris • a year ago

「彼はアメリカで最も信頼されるジャーナリストの1人だと思われている。その彼がどうしてそのような嘘をつく必要があったというのか?」

「そのコストはあまりにも高すぎる。だから、彼がそのようなことをするとはとても思えない。それもたくさんの目撃者がいたというのに」。

では私たちはジャーナリストを信用して、ローマ法廷の前で真実を述べたキリストのように迫害に耐えろというわけか。

「私は弟子たちと彼らの言葉を信じる」という答えは現代のリベラルにとっては決して満足の行くものではないんだろう。Brian Williams(ここではキリストの例え)は彼ら(ここではその弟子の例え)より遥かに信用できるのでは?とどうしても考えてしまう。非常に納得させられる話だ。

LudicrousSextus • a year ago

このようなことはリベラルを長い間冷めた目で見ている人にとっては自明なことだった。リベラルは未だに、Sarah Palinが彼女の家からロシアが見えると主張していたと嘘を繰り返している(Joe Bidenは中国がアメリカにあったと主張しているぐらいだから、彼女は共産党のシンボルと勘違いしたのかもしれない)。そしてリベラルは8人以上をその手で殺害したというAl Sharptonを未だにメディアで大々的に起用している。

メディアはあまりにも長い間、あまりにも当然のように捏造し続けたせいで本当に「事実」を認識できなくなっているのではないかと疑っている。

Kim Watson • a year ago

すべてのニュースを、「これは事実なのだろうか?それともLyin Brianの記憶違いなのだろうか?」といちいち考えながら見ろとでも言いたいのだろうか?

1.空想上のRPGがヘリを撃墜した。

2.ニューオリンズの水も浸水していない通りに空想上の遺体が浮かんでいた。

3.Medical Directorが一件も報告されていないと言っているというのに空想上の赤痢に罹った。

Lyin Brianはその空想力を生かして小説家になるために解雇されたほうがいいのではないか?

OdinofAzgard • a year ago

レーガン大統領が、自分はナチスのユダヤ人強制収容所の開放作戦に参加していたとユダヤ人に語っていたことを思い出させる。彼はそれを幾度も繰り返したため、アルツハイマーに罹った老人の戯言として扱われたがWilliamsにはその言い訳は通用しない。彼は終わりだ。

Lyle Petersen  OdinofAzgard • a year ago

レーガン大統領はそのようなことは言っていないということを除けば、正しい。彼は、ヨーロッパや他の場所でナチスの暴力性の否定が巻き起こるのではという恐れから強制収容所のファイルのコピーを保存したと主張しただけだ。彼はそのような主張は一度もしていない。それは彼の伝記を書いたLouis Cannonの失敗だ。

John Smith • a year ago

すべてのことに関して、誠実な議論をほとんど不可能としその結果、超党派での合意をほとんど不可能としているのは、一方の側の政党が自分たちがすることすべてに嘘を戦術として奨励し取り入れているからだ。すべてにおいてだ。ウォール・ストリート・ジャーナルは、オバマケアに協力してそれに反対しないようにと製薬会社がオバマから特別待遇を受けていたことを昨日記事にしていた。そして今では、オバマが公開した予算案では、製薬会社に彼がしていた約束はすべて反故にされていた。笑えることだが嘘戦術はうまくいったみたいだ。

rudehost • a year ago

ニクソン大統領も当然記憶違いだったんだろう?うそつきメディア?
Friends Don’t Let Friends Read Dana Milbank

Mollie Hemingway

Dana Milbankはひどい誇張や歪曲を行うワシントン・ポストのコラムニストだ。誇張や歪曲が彼のすべてだ。このことはあまりにも多くの人によってあまりにも多くの回数指摘されている。だというのに彼が未だにコラムニストを続けていること、彼のいうことを真に受けている人が高校生以上にもいるということが残念でならない。彼の捏造行為のカタログに私からも追加したい。「Dana Milbank Is Incoherent On Marriage」という記事では、ヘリテージファウンデーションでのパネル会議に参加した女性のことを彼がどのように捏造したのか暴露している。

昨日の夜、彼はヘリテージでの他のパネル会議に関する記事を掲載した。その見出しは「Heritage’s ugly Benghazi panel」というもので、その内容はSaba Ahmedという平和的なイスラム教徒の女性が偏見に凝り固まった反テロリズムの過激派によってひどい辱めを受けたというものだった。

それを読んだ人たちは本当のことだと思い込んだ。その例として、ここにニューヨーク・タイムズの2人のレポーターのツイートがある。

RT @mattapuzzo: Muslim woman taunted, mocked at @Heritage event. Story by @Milbank http://t.co/kJeSJXA9Sd

— Steven Greenhouse (@greenhousenyt) June 17, 2014

そしてここにはMichael Calderoneが彼のいうことを真に受けての発言がある。

Video of Heritage panelists mocking Muslim student: http://t.co/pVq18Z8s6s

— Michael Calderone (@mlcalderone) June 17, 2014

私はそのパネルには出席していなかった。だが彼に問題があることは知っていたので、会議の様子のすべてを撮影したビデオテープを見るまでは判断を差し控えていた。Media Mattersという団体が問題となっている場面を撮影したビデオを公開してくれた。それにより、またしてもDana Milbankが捏造を行っていたことが明らかになった。

Unfair framing

彼の動機は非常にわかりやすいものだった。彼はアメリカ大使を含む4人が殺害されたBenghaziのテロ攻撃に関する懸念を一笑に付した。そしてその会議が「イスラムのスカーフをまとった女性を嘲る場へと堕していった」と語った。

彼はその場面を以下のように説明した。

『アメリカン大学の法学部の生徒、Saba Ahmedはその会場の後ろの方に立っていて静かな声で質問を投げ掛けた。「私たちはイスラム教とそのすべての信者を悪いものかのように非難しています。ですが世界には10億人のイスラム教の信者がいます」と彼女は彼らに語った。「アメリカにも800万人のイスラム教徒がいます。彼らがこの場に呼ばれているようには思えません」』。

ビデオでは、Benghaziのテロ事件に議論が移った時に彼女がすべてのイスラム教徒が暴力的なわけではないと答えた時に、Frank Gaffneyがその女性を「辱めた」時の様子が映されていた。

「あなたがイスラム教徒を代表してこの場にいることを嬉しく思います。この場にはすべてのイスラム教徒が問題だと考えている人はいないと思います。もちろん私もそのようには考えていません」。

それから彼はISISやタリバン、アルカイダを結びつけるものはあるのかと議論を続けた。そしてそれがアメリカ人にとっての懸念だと回答した。

レバノン人のキリスト教徒の女性、Brigitte Gabrielが発言を始めた時、彼女はこのように切り出した。

「あなたがこの場にいてくれてとてもうれしく思います。とても感謝しています」。

Milbankの記事からは想像もできない光景だろう。

捏造を行うのに白紙から行う必要はない。ここにパネリストと聴衆とのやり取りを彼が記事にしたものがある。

『「あなたはアメリカ人か?」と彼女を目立ちたがり屋だと糾弾した後で、GabrielはAhmedに無理やり答えさせた。そして彼女の「ポリティカル・コレクトネス(どれほど間違ったことでも政治的に正しければそれで良しとする狂気の思想)は「ガラクタだ」と宣言した』。

これが、私の友だちも含めて、人々がジャーナリスト(メディア)を蛇蝎のように嫌う理由だ。彼らは誇張や歪曲、捏造を平気で行う。過去に私の上司だった編集者は、(誰かの)発言を何度も分解してその間に自分の言葉を加えるレポーターたちに懐疑的だった。それは彼らが発言者に何か他のことを言わせようとしていることを意味していた。これをMilbank Ruleと呼ぶことにしよう。彼の記事で引用された発言は正確なのか?正確だ。彼の言葉や記述は事態や状況の説明としては正確なのか?間違いなく違う。

ここに実際の発言がある。

「あなたはこの場における唯一のイスラム教徒なので、どうして私たちの政府は何もしなかったのかと語らずとも注目を集めてしまった。あなたはアメリカ人ですよね?(やり取りの後)あなたはアメリカ人です。あなたはアメリカ市民としてこの部屋に入り、4人の大使館職員が殺害された事件に対して政府がどのように対応すればよいのかを尋ねるのではなく穏健派のイスラム教徒に関して話をするためにそこに立っている。私はどのようにしたらこの政権に責任感というものを持たせることが出来るのかという問題をあなたに考えて欲しいと思います。今はポリティカル・コレクトネスをゴミ箱の中に投げ捨てる時なのです」。

パネリストに尋ねたならば、この女性の訛りは非常に強いと答えただろう。彼女はレバノンの出身だ。彼女はこのセクションが始まる前に、単に「ACT! for Americaと呼ばれるグループに所属している」とだけ紹介されている。彼女は、そのイスラム教徒の女性がアメリカ人だと思っていて彼女の一人称複数形の使い方が正しいのか確認するために尋ねた人からは移民だと紹介されていない。

その上、彼女の主張はMilbankによって完全に捻じ曲げられている(彼にはリベラルではない女性を徹底的に侮辱してきた過去がある。これは本当に大変な問題で、この点だけでも彼の同僚は彼を糾弾すべきだ)。彼女の主張は、Benghaziで亡くなった4人の大使館職員は市民を甘やかして幼児のように扱うポリティカル・コレクトネスなスピーチよりも遥かに重要だという内容だった。それはごく当たり前の主張だ。彼やその仲間たちこそ傾聴すべき主張だろう。

Hackishness and Fantasy

現実世界とはまったくと言っていいほど関わりを持たないMilbankの妄想では、このようなことが起こったとされている。

「その会議のモデレーターである保守派のラジオホスト、Chris Planteはニヤリと笑ってその攻撃に加わった。「イスラムの平和運動の指導者が誰なのか教えてもらえますか?」と彼は彼女に詰め寄った。

「そうだ!」と聴衆は彼女を嘲った。「そうだ!」。

『彼女は以前と同じように静かに答えた。「今のところは、それは私だと思います」と彼女は答えた』。

彼の友だち、同僚、同胞はこの記事をツイートした。私が最初に目にしたのはこの部分だった。「“Yeah,” audience members taunted, “yeah.”」

これに騙される人が本当にいるのか?もしいるとすれば、その人の正気が本気で疑われると思う。もしあなたが高校の教師で、短い話の中にこのような文章を書いた生徒がいれば、あなたはその生徒を落第させるのではないか?違いますか?もしこのような文章が含まれる記事を読んでジャーナリスト全体の評判を地に落としたDana Milbankに軽蔑と憤りを感じないのだとすれば、そのことを深く反省する必要がある。

Planteは確かにその質問をした。その質問は、al Shabaabというイスラム過激派の団体が二日前にケニアで48人を殺害し、同じ団体がその一日後により多くの非イスラム教徒を殺害したことを考えればすべてのレポーターがするべき質問だろう。「私の夫は私たちがキリスト教徒だと彼らに告げました。すると彼らは夫の頭を撃ちました」。

だが嘲るように「そうだ!」と歓声を挙げた人など文字通り1人もいない。実際にどのようなことが起こったのかは、あの手の人たちは決して信じようとはしないだろう。彼女が自分が指導者だと語った時に、それも大きな声で言ったのだが、その場には実際には熱狂的な応援が沸き起こったのだった。

General dismissal of female panelists’ views

Gabrielの「穏健派のイスラム教徒」に関する議論を引用された部分だけでなく最後まで聞いていれば、過激派の存在に関して彼女が良い点を指摘していることがわかったと思う。彼女は数多くの暴力的で危険な体制が穏健派のグループと共存してきたことを指摘する。だが国際的にも、歴史的にも、政治的にも、それらの穏健派のグループは過激派によって引き起こされた災害には少しの影響も与えなかった。彼女はナチス、中国、、ロシア、日本などの例を挙げる。それらのすべてが億単位の人間を殺害したがそれ以外の集団はそれと比較すれば穏健派だった。

彼女は、Ahmedはイスラムという要素を議論に持ち込んだと指摘する。「世界には12億人のイスラム教徒がいる。言うまでもなく彼らのすべてが過激派なのではない。大部分は穏健派に属する。過激派はそのうちの15%から25%と世界の諜報機関の間では云われている。75%は穏健派のイスラム教徒ということになる。だが世界には12億人のイスラム教徒がいるので15%から25%が過激派だとしても1億8000万人から3億人が西側の文明を破壊しようと目論んでいることになる。その人数はアメリカの人口に匹敵する。ではどうして私たちは15%から25%の過激派を警戒すべきなのか?それは殺人を行う過激派で、首を刎ね、虐殺を行う過激派だからだ」。

これらの見方のどれ一つもMilbankのひどい記事では紹介されていない。

Incomplete description of Muslim woman

Saba Ahmedはオレゴンでは有名な活動家だ。だがMilbankは彼女をこのようにだけ紹介した。

「アメリカン大学の法学部の生徒、Saba Ahmedはその会場の後ろの方に立っていて静かな声で質問を投げ掛けた」

ここにAhmedに関する興味深い事実がある。Linked Inで飾られている写真は他で語られている特徴と確かに整合的だ。

ここに、オレゴン州の人がMohamed Osman Mohamudの事件に関して議論しているページがある。彼はポートランドのクリスマスツリーの点灯式のイベントで大量殺人を行おうとしたとして有罪判決を受けている。

彼と家族のように親しかったというLewis & Clark Law Schoolの生徒、Saba Ahmedはその事件に関して一般には公開されていない多くの事実を知っていると語っている。そして彼女はFBIと司法省を強烈に攻撃している。彼女はMohamedが通っていたとされるCorvallisにあるモスクが放火されたということ(陰謀論者であれば白人相手には自演認定が一方的に下されるところ)を指摘して政府が暴力を煽動したと非難している。

「これは非常に無責任な行動です。今ではイスラム教徒のコミュニティがテロに苦しめられているからです」と彼女は語った。「私たちは政府に対して政治的にも法律的にも非常に強力な行動を行うつもりです」とも語った。

ここには、彼女が2011年の議会選挙に出馬した時のページヘのリンクがある。彼女が所属政党を変えた時、Occupy Portlandに参加した時、複数の女性を妻に持つ男の家に監禁された時の話へのリンクもある。

これらの一般公開されている情報のすべてがMilbankの記事に書かれているべきだったと議論しているわけではない。だが有罪判決を受けているテロリストの友だちだったという情報は含まれているべきだった。

このことは9月11日のテロの直後に、ワシントン・ポストが異教徒間の対話を異様に強調していたのを思い出させる。そのためにワシントン・ポストはAnwar al-Awlakiにラマダンの記事を書かせ、彼の一日の様子をビデオで撮影していた。イスラムとイスラム教徒への受容と寛容を強調することはジャーナリストは非常に得意としているが、後にオバマがドローン攻撃で殺害したイスラムのテロリストの首謀者(要するに、Anwar al-Awlaki)を突き止めること(揶揄的に書かれているのでわかりにくいが、要するにワシントン・ポストは間抜けにもテロの首謀者にインタビューをしに行って大スターにまで祭り上げた挙句、特に国内テロにも大きな影響を与えることになった人間を有り難いことにも生み出してくれた。そしてワシントン・ポストは今ではそのテロ攻撃を銃規制のプロパガンダとして用いている)はまったく得意としていないということを思いださせるのだった。

以下、アメリカ人の怒りのコメント。

Pablo • 2 years ago

半分アジア人で半分ユダヤ人の狂人Elliot Rodgerが6人を殺害した時には、白人の優越意識と女性嫌いを生み出したと云われる家父長制への世界規模での大調査が延々と行われた。だが「特定の人たち」が間違った信念の下、幾つもの大陸に渡って数千人を殺害している時や女性がキリスト教徒の夫の子供を身籠ったことによって死刑判決を受けた時には、「黙れ!すべてのイスラム教徒が悪いわけでは」とか何とかいう狂気じみた反応が返ってくる。

リベラル派の精神構造は180度倒錯している。Orwellは私たちを見下ろしながら、「私でさえここまでひどいとは思わなかった」と嘆いている。

john  tdiinva • 2 years ago

予想通り、ここの人たちは偏見の塊だ。

MatthiasThePrompt  john • 2 years ago

傲慢なリベラルが、またも「偏見の塊だ!!!」「レイシストだ!!!」と叫んでいるぞ。

john  MatthiasThePrompt • 2 years ago

魔女狩りや十字軍やスペインの宗教裁判の当時の写真があれば、これがキリスト教によって生じたものだと言っても問題ないだろう。

MatthiasThePrompt  john • 2 years ago

それが中世であれば、正しいだろう。イスラムは宗教改革を行ったことがあり誰もそれを教えていないとでもいうのか?

彼らは宗教改革を行っていない。今でも女性に石を投げつけ殺害し無実の人間の首を刎ねている。キリスト教が「同じぐらい悪い」とプロパガンダを行いたいのであれば、キリスト教徒が人々を殺害しているという例を探してきてくれ。見つけることは出来ないと思うが。

john  MatthiasThePrompt • 2 years ago

「キリスト教徒がユダヤセンターに行き2人を殺害したという話が最近あった」。

それは単発のたった1つの事件だ。それとは対照的に、バラバラ殺人、名誉のための殺人などなどがイスラムの世界では毎日起こっている。ボコハーレムによって誘拐された300人の少女からケニアでの虐殺事件に至るまで。シリアにはかつて200万人のキリスト教徒がいた(それほど前のことではなく、つい最近まで)。今では30万人にまで減少している。

君にとっては、それらはすべて同じもののように見えるんだろう?イスラムの名の下に日常的に行われる虐殺行為がキリスト教やユダヤ教にも類似するものがあるというフリをすることによって、君は気分よくいられるんだろう。十字軍まで遡らなければ、そのようなものは見当たらないだろうが。

Zaklog the Great (Shawn Smith)  MatthiasThePrompt • 2 years ago

公平を期して云わせて欲しいが、十字軍はイスラムのヨーロッパへの軍事侵攻への対応だった。よって、ここでも抑圧者はイスラムだった(ヨーロッパではイスラム教徒による凄まじい虐殺が行われた)。

それはキリスト教徒が十字軍の際に、間違ったことを一つも行っていないと言っているのではない。だが、「よし、領土を占領しよう。それから彼らをキリスト教に改宗させよう」という類のものではなかった。そうではなく、「どうして占領された土地を取り返さないのか?」というものだった。

john  Zaklog the Great (Shawn Smith) • 2 years ago

スペインの宗教裁判やホロコーストは?これらはキリスト教徒の手によって行われた。もちろん、すべてのキリスト教徒に責任があるとは言っていない。実際、それは少数の手によって行われたのだろう。だが少数が行ったことをすべてのイスラム教徒の責任にするのはまったくもって言動が一致していない。

RedStatePatriot  john • a year ago

キリスト教徒がホロコーストを行った?ホロコーストは狂信的な異端派だったナチスが行った。ナチスがキリスト教の教会を支援したという証拠があるのであれば一つでも教えてくれ。君は左翼のブログからすべての情報を集めているみたいだ。そんなことをしていれば完全な馬鹿だと思われてしまう。

john  RedStatePatriot • a year ago

ヒトラーは演説で何回も、これは神のために行っていると口にしている。それにナチスのベルトには、神は私たちとともにあると刻まれていた。だから彼らはキリスト教徒だったに違いない。

Joseph Lammers  john • a year ago

違う。私の下のコメントを見るんだ。一般的で曖昧な「神のための行い」というセリフを口にしたからといって、その人がキリスト教徒であることを必ずしも意味するわけではないんだ。ナチスは新しいタイプの異端だった。特定の時代に関して無知なコメントや投稿をする前に君は歴史をきちんと勉強した方がいい。

RedStatePatriot  john • a year ago

妄想がひどすぎる。ナチスがキリスト教だったなどという歴史家はそれこそ1人もいない。誰かが「神は私たちとともにある」と言ったとしても、それはキリスト教の神であることを意味しない。ではイスラム教徒がベルトに「神は私たちとともにある」と刻んでいたら、彼はキリスト教徒だとでも言うのか?仏教徒が刻んでいたら?自分で自分を辱めるのはもうやめるんだ。

Joseph Lammers  RedStatePatriot • a year ago

ジョンは狭い意味では正しい。ドイツ国防軍の兵士(だがナチスのSSではない)は「神は私たちとともにある」というフレーズをベルトに刻んでいた。だがそれは伝統的なドイツでの言い回しでナチスが考えたものではない。言うまでもなく、それは何も証明していないし彼の残りの投稿もすべてナンセンスだ。あなたが正しく指摘しているように、ナチスは狂信的な異端者だった。分かりやすく言うと、ナチスは反ユダヤ主義が反キリスト主義よりも僅かに優ったというだけにすぎない。

RedStatePatriot  Joseph Lammers • a year ago

私が単に制服の上に何か書いたからといってそれによって私がキリスト教徒になるわけではない。ドイツ軍の兵士はキリスト教の教義や伝統に少しでも従っていたのだろうか?もちろん、違う。

Joseph Lammers  RedStatePatriot • a year ago

そのとおりだ。平均的なドイツ国防軍の兵士は大部分が非政治的だった。ジョンはナチスが悪いことをしたキリスト教徒だったと強引に結びつけたがっているように見える。階級やファイルの多くはキリスト教の名称を連想させるものだった。だがこの時代の歴史を勉強した者であればナチスは反キリスト主義で、戦争に勝利した後にキリスト教を根絶やしにしようと企んでいたことは知っておかなければならない。ドイツ国防軍をナチスの組織だと呼んだとしてもこのことに変わりはない。例えナチスの組織というのがSSに当てはまるということが正しいとしても。

john  Joseph Lammers • a year ago

http://en.m.wikipedia.org/wiki...

Joseph Lammers  john • a year ago

君は自分が張ったリンク先のページも見ていないのか?さっきも説明したように、階級やファイルの多くはキリスト教の名称を連想させるものだった(多くは政治上の都合から加わった名目上のナチスだった)。だが党の指導部は疑いようもなく反キリスト主義で、キリスト教の根絶を目論んでいた。ナチスのイデオロギーにはキリスト教の教義が受け入れられる余地はない。そしてナチスは多くの司祭を迫害していた。ナチスの犯罪をキリスト教に結びつけようとするのは、君がその時代の歴史に無知だと告白しているに等しい。

john  Joseph Lammers • a year ago

繰り返すが、キリスト教徒が本質的に悪だなどとは自分は考えていないとはっきり言ったはずだ。そのような主張は愚かで馬鹿げているからだ。だがイスラム教徒が本質的に悪だということもまた愚かで馬鹿げている。

Joseph Lammers  john • a year ago

確かにヒトラーはカトリック教徒として育てられた。そのこともすでに説明しているはずだ。ヒトラーは後に自分の幼少期の養育を否定している。君がいつまでたっても無視していることだ。ヒトラーの反キリスト主義は多くの文献に記されている。君が貼ったリンクの先にさえも記されている。ヒトラーは君も言ったように「神と国家」を熱烈に信望していたかもしれない。だがそれは間違いなく異端の神だ。このことを理解することが君にとってどうしてそれほど難しいのか、理解することが出来ない。

Joseph Lammers  john • a year ago

ホロコーストをキリスト教に結びつけようとするのは見当はずれだ。ナチスは新しい異端派で、ユダヤ教に対するよりキリスト教に対して僅かに敵対的ではなかったというだけだ。それも政治的な理由のためだ(戦争中のドイツ国民の支持を維持するため)。

john  Joseph Lammers • a year ago

http://en.m.wikipedia.org/wiki... 

自分はすべてのキリスト教徒が悪いとは言っていない。すべてのイスラム教徒が本質的に悪人だとは言えないと言っている。

Joseph Lammers  john • a year ago

ジョン、すべてのイスラム教徒が悪人だと私がどこで言ったというのか?

john  Joseph Lammers • a year ago

ヒトラーは演説の中で、自分は神のために行動していると幾度も語った。ナチスのベルトには神は私たちとともにあると刻まれていた。

Joseph Lammers  john • a year ago

ジョン、だからなんだ?神という単語を口にしたからといってその人がキリスト教徒だと決まるわけではない。繰り返すが、「神は私たちとともにある」という古い言い回しは数世紀も前まで遡ることが出来る。ドイツ国防軍の兵士(一般の間ではナチスと呼ばれていたが、実際には彼らはナチスの組織ではなかった。ドイツ国防軍の兵士はすでにナチスのメンバーに入っているのでなければ、ナチス党に加わることを禁じられていた)は、そのフレーズをベルトに刻んでいただろう。だが実際のナチスのSSはそのようなフレーズを用いたりはしていない。

Zaklog the Great (Shawn Smith)  john • 2 years ago

ジョン、またもだが君は「誰も」言っていないことを叩いている。私たちはすべてのイスラム教徒に問題があるなどとは言っていない。マイノリティではあるが無視することは出来ないイスラムの恥さらしがいると指摘しているだけだ。君がそれに反対するというのであれば、Lee Rigbyと議論してくれ。

Zaklog the Great (Shawn Smith)  john • 2 years ago

論争相手が言ったことを捻じ曲げれば議論に勝つことは極めて容易だ。

ここにいる人が1人でも、「すべてのイスラム教徒は過激派だ」と言っただろうか?そのようなコメントは見たことがない。誰か、すべてのイスラム教徒を国外追放する必要があると言っただろうか?そのようなコメントも見たことがない。

ここにいる人々が言ったことは「穏健派の」イスラム教徒は過激派にはほとんど影響を与えることはないだろう、穏健派のナチス以外のドイツ人がほとんど影響を与えなかったのと同じように。彼らは存在しそれも数の上ではナチスを圧倒的に上回っていたかもしれないというのに。確かにそういう人たちは存在するのだろう。だが彼らが強力に、殺人狂のジハーディストたちに立ち向かわないかぎりは、彼らが大きな影響を与えることはないだろう。

結局、君たちがやっていることは殺人狂の過激派たちを非難することは許さないと言っているに過ぎない。

ところで、君は女性器の強制的な切除を支持するのか?同性愛者が殺害されることを支持するのか?背教者が死刑になることを支持するのか?

Zaklog the Great (Shawn Smith)  john • 2 years ago

「私は女性器の強制的な切除や同性愛者が殺害されることを支持していない」。

では君は一般的なイスラムの慣行に反対していることになる。背教者が死刑になることは?君はそれを支持しているのか?これらのことがイスラム世界では相対的に一般的だということを認識しているのか?

「君のような保守派の友達にはそういうことをやっている人がいるんだろう」。

君は私を知らない。君は私の友達も知らない。君が正気だと思われたいのであれば、戯言は控えるべきだ。

「その写真を見れば他の解釈のしようがない」

君が何を言っているのかまったく分からない。テレパシーでも使えというのか?

私が言っていることは、これらのひどい行いはイスラム世界ではかなり一般的に受け入れられているということだ。君がいくら戯言を言おうとも、これに対応するようなものはキリスト教徒の間には存在していない。君がこれらの行いを憎むというのであれば、「平和の宗教」への支持を考えなおすべきだ。

Joseph Lammers  john • a year ago

Shawn Smithの「保守派の友達」が女性器の強制的な切除や同性愛者の殺害を支持、または行ったという証拠を一つでも持っているんだろうな?

john  Zaklog the Great (Shawn Smith) • 2 years ago

私はリベラルではなく中道派で、偏見の塊ではまったくない。

Kebert Xela  john • 2 years ago

生来からの偏見の塊。君の主張とは真逆だということを示す証拠と論理による実演が圧倒的。

Paul of Alexandria • 2 years ago

Chris Planteはこの話題をWMALという番組で今朝取り扱っていた。彼は実際の会議の様子を録音したものをラジオで流してDanaをこれでもかというぐらいに酷評している(番組へのURL、http://stationcaster.com/stati...)。その録音の内容からDanaが記事全体を完全に捏造していることが明確に分かる。

dagot • 2 years ago

Milbankはオバマや極左の宣伝塔で、ポリティカル・コレクトネスを(悪い意味で)極限まで体現したようなジャーナリストだった。彼は自分のことをジャーナリスト、もしくは「オピニオンリーダー」だと主張するかもしれないが、実際のところは誠実さの欠片もない人間というだけの話だ。

Paul Frantizek • 2 years ago

前までは、Dana MilbankはEzra Kleinのもう少しマシになったバージョンぐらいに思っていた。それを考えなおさなければならないかもしれない。

Yashmak • 2 years ago

彼の振る舞いは事実を単に捻じ曲げるよりも悪い。すべてが完全なる嘘じゃないか。

spk2moi • 2 years ago

ようやく!ようやく!この詐欺師たちを糾弾する記事が現れた。この人たちは本当に恥ずかしい。彼らを批判する人を見るのは新鮮な気分だ!

Dan Wafford • 2 years ago

責任の一端は、いつかはリベラルが論理的に考えるもしくは論理的に行動するようになるだろうと期待し続ける(少なくともそうなってほしいと願い続ける)私たち保守派にある。

MumuBobby  Dan Wafford • 2 years ago

リベラルは、民主党員であったらどんな嘘をついてもいいのだと今では豪語している。保守派は(嘘に対して)黙って敗れるか、もしくは(嘘で)対抗するかどちらかしか残されていないかもしれない。事実を犠牲にしてしまったら、何が残されるというのか?

Johannessen  MumuBobby • 2 years ago

もし共和党員が嘘で対抗しようとすれば、(保守派のすべてを憎悪する)メディアはすぐさま共和党を一斉に攻撃するだろう。現在の上院とReidがやっていることを見るといい。これが共和党が支配する上院であったならば、「上院で議事妨害が行われている」と毎日のようにヒステリーを聞かされているだろう。彼らにとって事実はどうでもいい。権力だけが重要だ。

Snickerz • 2 years ago

そもそもMS. Ahmedが関係のないことを言い出した張本人だというのに。彼女は筋違いなことを言い出して、存在してもいない論争に他人を巻き込んで目をそらさせようとしているのが見え見えだ。彼女がどれほど「穏やかな口調で」話していたとしても単なる妨害者でしかないというのに非常に丁寧に扱われすぎている。

Wareagle82 • 2 years ago

すべてのイスラム教徒がテロリストではないかもしれないが、ほとんどのテロリストがイスラム教徒だというのは間違いないように思える。Milbankのような左翼の過激派が、この事実から目を背けたいがためにどこまで滑稽な捏造話を作成するようになるのだろうかということには興味がある。

Milbankのような人間を20000人も抱えること、それが超大国を滅ぼす唯一の方法だ。悪意ある、裏切り者のメディアを通して。いつの日にか彼のようなリベラルがISISのようなナイスガイたちに、どうして彼らリベラルは(イスラムに対して?)それほどまでに寛容で最大の功労者として特別待遇に値するのかを説明している未来しか私には見えない。

56_Earl_Grey • 2 years ago

彼らはMollieの記事なんか読まない。君の声は彼らには届かない。

彼らはFox Newsだけが事実を歪めていると心の底から信じている。彼らはワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズやMilbankのような人たちのことを信じている。

Chris Hawes • 2 years ago

この記事が「平和的なイスラム教徒」の真の全体像を伝えてくれたことに感謝している。テロリスト、Mohamed Mohamudへの彼女の支援などは最早伝説的だ。

彼女は買い物に出掛けるのに家を離れるのが怖いと主張しているが、その理由というのも彼女がテロリストを支援する集会に出席しているためだという。

彼女の誠実さが疑われても仕方がない。

CosmotKat • 2 years ago

「15%から25%がイスラム過激派だと云われている」。興味深い情報だ。アメリカの人口は3億1000万人だと云われている。同じく15%から25%がリベラルで過激派だと考えられている。それは4600万人から7700万人がアメリカを社会民主主義という名の社会主義に変えるという破壊工作に従事していることを意味する。そこには何か共通したものを感じる。

Mark Hamilton • 2 years ago

これはヘリテージ財団が悪い。彼らはMilbankを入れてしまった。彼が悪質なのはよく知られているというのに。彼にこのイベントへの参加を許可するべきではなかった。それでも彼が現れた時は、財団の人たちはワシントン・ポストにどうしても参加したいのであれば代わりのレポーターを送るようにはっきりと宣言するべきだった。

fbowman • 2 years ago

リベラルにもまともな人は1人ぐらいいはいると思っている人はいないのか?

Pablo  fbowman • 2 years ago

私は自由を愛しているので、自分のことをリベラルだと思っている。だが自分たちのことをリベラルと呼ぶ謎の集団はリベラルとはまったくの別物だ。

Johannessen  fbowman • 2 years ago

私の母はずっとリベラルだった。彼女は素晴らしかった。彼女は健全な議論を望んでいたし、言論の自由や宗教の自由を尊重していた。現在のリベラルと自称している集団はそもそもリベラルではない。彼らは自由を尊重など少しもしていない。彼らはありとあらゆることをコントロールしたいと思っている。最も危険なのは思想まで支配したいと思っていることだ。彼らに自分たちのことをリベラルと呼ばせてはならない。それが現在彼らがついている嘘でも最も大きなものだ。この嘘を訂正させる必要がある。

Lem Renrek  fbowman • 2 years ago

これまでで唯一まともだと思ったリベラルはChristopher Hitchens(イギリス人)だ。彼の考えに賛同できるところは一つもなかったが、彼は誠実だった。
Brian Williams Is No Exception. Media Lying, Exaggeration Are The Rule

Mollie Hemingway

NBCニュースのBrian WilliamsはNightly Newsの司会を数日間休業することが決まった。「ニュース番組で最も信頼される人」は困った状況にある。彼は2003年にイラクで携行式ロケット弾によって撃墜されたチヌーク型ヘリコプターに搭乗していたと主張していたことが嘘だと認めた(コメント欄によると、嘘だと認めたのではなく記憶違いだったと発言している。どうやったらそのような記憶違いが起こるのかは分からないが)。

他にもハリケーン・カトリーナが上陸してきた時に、宿泊していたニューオリンズのホテルでギャングに襲撃されたと彼が報じていたことにも嘘の疑惑が向けられている。フレンチ・クォーターで周りに浮かぶ死体を目撃したと主張したことや、その旅行の過程で赤痢に掛かったということ、スーパードームの中で誰かが自殺したのを目撃したということ、消防士の仕事にボランティアで参加していた時に本当に子犬を助けたのかどうかということにも疑惑の目が向けられている。1970年代に「トラックの荷台から運びだしたクリスマスツリーを売ろうとしていた時に、38口径の銃を持った凶悪犯に襲われたのかどうか」ということや、2006年にイスラエルがヒズボラと戦闘を行っていた時に彼が搭乗していたヘリコプターがカチューシャロケットによって危うく撃墜されそうになったのかどうかということ、これらにも疑惑の目が向けられている。

他にもまだまだある。重要なのは、彼がJenに似てきたということだ。

明らかなことに、とんでもないほら話をしていながらメディアで最も信頼されている人間と呼称することは出来ない。むしろ私の友達がそうだったように、「Brian Williamsは嘘つきなのか、それとも馬鹿なのか?」と思う方が普通の反応だろう。

彼が酒場にいるただのおしゃべり好きの人間であれば、別に問題はなかっただろう。彼は面白おかしく話を創作することが出来る。だがニュースキャスターとしての彼は給料の高い単なる不愉快なだけの存在だ。1985年にNeil Postmanが「Amusing Ourselves To Death」という本の中で語ったように、「端的に言って、ニュースショーは教育や考察や精神の浄化の場ではなくてエンターテイメントのための場だ」。しかも、それを好んでいる人がいるようだ。ここにアンカー同士をお互いに競わせている新しいCNNのゲームショーのプロモーションがある。

A Far Worse Kind Of Exaggeration

ジャーナリストたちは彼の喜劇に対して他の人間、特に保守派に対してであれば想像することも決してしないであろうような奇妙な擁護を展開した。彼は誰にでも起こる偽の記憶症候群に罹ったのだと。他の人々は彼が追放されることを望み、また他の人たちは何事もなかったかのように彼に復帰してもらいたいと願っているようだ。

「彼は嘘をついた。彼を擁護するつもりはない。だが誇張と捏造が日常茶飯事のジャーナリズムの世界では、彼はメディアの問題の中でも最もましな方だ」。

誇張と捏造はジャーナリストにとっては必須のもののようだ。

誇張はメディアが日常的に行っていることだ。その一部は擁護できるものでもある。初めての新聞社での仕事で、私は担当だった当時の事件や状況を正確に描いた記事を書いた(当時は、今と比べてほとんどコピーは取れなかった)。編集者は赤ペンを取り出して、「何だ、これは」と言いながら記事中を赤線でいっぱいにしていった。それは大きな編集だった。私はどのようにしたら話が面白くなるか、読者が本当に関心を持っている部分をどのように抜き出すかを学ばなければならなかった。

だが擁護できない誇張というものがある。議会の後方席に座っている下級職員たちが大統領一家の振る舞いに少し批判的な発言を言い合っていたという記事を見てみよう。ワシントン・ポストはこの話題を数十以上記事にしている。そのうちの一つは「外交問題」のレポーターであるTerrence McCoyによって書かれ、その職員の高校時代のスキャンダルまで集めてきたものだった。他のメディアもその職員の家の前で貼りこみを行っていた。

エボラ、ワクチン接種の問題、気候変動の問題などありとあらゆることに対してメディアでは毎日誇張が行われている。特に保守派の政治家がほんの少しでも失政、失言を行ったと彼らが思った時には捏造の可能性や誤解の可能性は一切考慮されることなく政治生命が危機になるまで叩き続けられる。それがここ数年の女性の対等な扱いを巡ってのヒステリーや、年間30万件以上の中絶を行っていたPlanned Parenthoodへ資金を提供するのを止めようとしたKomen Foundationに対する完全に異常なまでの批判報道、Sandra Fluke関連の馬鹿馬鹿しい騒動などに表れているものだ。

誇張の反対に、メディアにとって不都合なものは報道しない、事実を歪曲して小さく見せる、その延長としてなかったことにするというものがある。それがKermit Gosnellの中絶事件(生きた新生児を中絶して問題になった)、Jonathan Gruberのオバマケアに関する発言、IRS(内国歳入庁)が保守派をターゲットにしたと認めた、認めているのに!そのようなことはなかったと報じられた事件(オバマの選挙期間中に保守派の集会などにIRSなどから色々と嫌がらせが行われた事件)、ビル・クリントンと小児性愛との非常に深い結びつきなどに表れているものだ。

誇張と矮小化が混ざり合うこともある。本当は規模も小さく暴力的だったOccupy Wall Streetの抗議者たちは静かでおとなしいデモだと報じられたが、本当は巨大で平和的だったティー・パーティー運動は手のつけようがないほど暴力に溢れていると報じられた。

Brian Williamsは嘘をついた。だがメディアの問題は彼など比較にならないほど有害だ。

Why does Dana Milbank have a job?

どうでもいいようなつまらないことにでも真実を語ろうとしている報道関係者も中にはいる。だが多くは誇張が過ぎて捏造の領域にまで突入している。例えば、スピーチの最も重要な部分に関連した話を捏造するということが考えられる。スピーチをした者の意図や文脈を意図的に歪めて論争を作り出すというのは容易い。

恐らくこの最たる例はワシントン・ポストのDana Milbankだろう。私は彼の悪意丸出しの記事を受け取って失笑を禁じ得なかった。彼が書いた記事はあまりにも誇張され歪められていたので私が参加したイベントとは似ても似つかないものとなっていた。MSNBCは少しもためらうことなく彼が誇張して歪曲したバージョンのイベントを事実であるかのように報道した。

個人的な経験から、彼が参加した他のイベントに関して異様な発言をしていた時から私は彼に対してずっと懐疑的だった。彼は平和的なイスラムの女性が偏見の塊の反テロリズムの過激派によってひどい目にあわされたと主張した。それを聞きつけた他のメディアは彼の話へのリンクを張った。唯一の問題は、搭乗していたヘリコプターがミサイル攻撃されて墜落したにも匹敵するほどの捏造を彼がしてしまったということだ。そのイベントでの実際の議論を、その日に起こったことと彼が主張しているものと混同するということはありえない。そのイベントのビデオの存在が明るみになると、嘘はすべてばれた。この一連の模様は「Friends Don’t Let Friends Read Dana Milbank」に記してある。

しかも彼が自分の嘘を擁護した時には、大勢のメディアの仲間が彼をバックアップした。

確かに、Brian Williamsは自分が英雄であるかのようにとんでもないほら話をした。それがワシントン・ポストのDana Milbankが火曜日に自分で記事に書いたことだ。そしてDana Milbankが未だに雇用されていることを問題だと語ったことのある人を1人も見たことがない。

Williamsが辞めるにせよ辞めなかったにせよ、メディアには深刻な歪曲者、捏造アーティスト、誇張者、嘘つきが大勢いるという問題が存在する。そしてWilliamsがどうしようとも、人々はこれからもジャーナリストをまったく信用しないだろう。それは問題の本質がSabrina R. ErdelyやStephen Glass、Brian Williamsという個々のジャーナリストの問題という領域を遥かに超えているからだ。

以下、恒例のアメリカ人の怒りの声。

ChuckFinley • a year ago

Iowa Hawk、Dave Burgeがかつて語ったように、「祖母がプロレスを信じているのを見て彼女のことを笑っていたものだ。今では母がニュースを信じているのを見て笑っている」。

VoteOutIncumbents  ChuckFinley • a year ago

私にはニューヨーク・タイムズをずっと購読してきた70代後半の女性の友人がいる。IRSのスキャンダルのことに関して彼女と話すと、ニューヨーク・タイムズが記事にしてないから重要であるはずがないと彼女は語った。彼女たちの思考はそのようになっているのだろう。

Larry Bird  ChuckFinley • a year ago

レスラーが椅子で殴られた時には、少なくとも椅子もレスラーも存在してはいる。

Fathom40 • a year ago

これはバラク・オバマの話でもある。

Hominid  Fathom40 • a year ago

彼もまたシリアル・ライアーだ。リベラルは全員が病的な嘘つきだ。

Bruce Boelter • a year ago

彼らがしなければならないことは「NBCニュースはこの番組で語られたことが真実であるとは一度も主張していません」との免責条項を画面の下にずっと流し続けることだ。

Matthew Mueller  Bruce Boelter • a year ago

現実の出来事、もしくは人、過去、現在との部分的、あるいは全体とのわずかの類似も純粋に偶然の一致の結果であり、このショーの製作者の意図する所ではありません。

Bruce Boelter  Matthew Mueller • a year ago

完璧だ!

Larry Bird  Matthew Mueller • a year ago

サウスパークにも似たような免責条項がある。だが不思議なことにサウスパークの方がニュースよりも遥かに現実に近い。

EWSTX • a year ago

メディアはただ与えられた役割をこなしているだけにすぎない。メディアは民主党に支配された政府、もしくは民主党全国委員会が読めと言っている内容を語っている。それらはすべて嘘だ。その情報を与えられた者はそのことをよく知っている。問題は、情報の弱者はこのことを知らないか、好んで無知のままでいるもしくは本当のことを知らさせるのを嫌う人がいることだ。政府と民主党全国委員会はこれを利用して国民を操っている。

CFD33 • a year ago

良い記事だ。特にMilbankを弾劾している所が良い。彼の名前を見るだけで吐き気がする。彼を追放できる手頃な惑星はないものだろうか?

1CatEye  CFD33 • a year ago

彼らが彼をここに追放したんだよ。

jmquillian • a year ago

「(中略)政府はメッセージをアメリカ国民に届ける必要がある。その最も良い方法はアメリカのニュースメディアを利用することだ」とShankerは語っている。「政府とメディアとの関係は結婚のようなものだ。それは間違いなくうまくいっていない結婚だ。だが子どもたちのために一緒にいる必要がある」。彼はニューヨーク・タイムズへのペンタゴン特派員としてその記事では紹介されている。

メディアの役割が、政府が私たちが知る必要があると判断したことを伝えるだけであれば、私たちは実際には何も知らないに等しい。これは問題だ。本当の情報がなければ、選挙においても日常の生活においても、選択の権利はほとんど意味を持たない。そして現在は大衆が知ることが出来る真実の情報というのは非常に限られている。Brian Williams?彼はメディアの多くの仲間たちから守られている。何故かと言うと彼はメディアの他の連中と大して変わりがないからだ。彼は他の連中よりも単に目立ってしまったというだけにすぎない。

Redbird25 • a year ago

MSMはこの国の最大の問題だ。私はジャーナリズムの学校で4年間学び「権力の監視者」というフレーズを幾度も幾度も聞かされてきた。そして実際にそれを信じていた。だが今ではMSMはオバマ政権のお仲間と同じぐらいに腐敗しているのは明白だと思われる。彼らはこれまでで最も犯罪的な政権の記者に過ぎない。

Karmi • a year ago

ほとんどのメディア関係者は良くても嘘つきだ。Stephen Glassは大量の嘘をついた。Dan Ratherの嘘は国家反逆罪の域を軽く超越している。ほとんどのメディア関係者はデモクラットによって支配されている。従って彼らの大量の嘘はデモクラットの政治的敵対者に降り注がれる。私はアメリカのメディアよりもイランの国営放送の方を信用している。

白人がインディアンを虐殺したというのは嘘だった?

Exposing Politically Correct Historical Lies

Darrin Weiner

政治的には正しい?が歴史的には間違っている2つの嘘を正す。

数年前に私はロサンゼルスの公立学校で歴史として教えられていたデタラメを肯定する記事を書いていたロサンゼルス・タイムズへ反論した。この偽歴史で最も皮肉なのは、これが教えられるようになったのはヒスパニック系の活動家が原因のようだが、それが結局は白人史観の別バージョンに過ぎないということだろう。コロンブスの時代から、技術的に優れた白人が世界の大部分を征服したと教えられている。ロサンゼルス・タイムズの記事にあるヒスパニック系の偽歴史も白人が現地人を征服したという話の別バージョンにすぎない。唯一の違いは、それが悪いことだと教えられていることだ。だが白人が現地人を征服したという単純な見方は実際とは異なる。

歴史の事実を知りたければ、イギリスの歴史家Jeremy Blackの「WAR AND THE WORLD 1450-2000」が参考になる。征服と云われていたほとんどの事例は白人とそれに協力した現地人との同盟による勝利であったことが理解できる。彼らには自分たちを征服して残忍なまでに抑圧した現地の帝国を打ち倒すという、白人に協力する理由があった。

例えば、コルテスが馬と銃で武装したほんの数人の白人とともに広大なアステカ帝国を滅ぼしたという話を歴史で習ったことだと思う。事実は、コルテスとほんの数人の白人と数十万人の現地人が恐怖の象徴であったアステカの抑圧者を打ち倒した。

事実は、白人が来る前から北アメリカのインディアンたちはお互いに対して激烈な戦争を繰り返していた。この戦争と抑圧の中でも、アステカは最も残忍で最も野蛮だと恐れられていた。アステカは白人よりも遥かに恐れられていた。

もちろん最終的にはスペインが中央アメリカと南アメリカを支配した。だがスペインの支配は、ひどい時もあったが、アステカよりも明白にましなものだった。アステカは征服した現地人に対して毎年20万人もの「奴隷」を献上するように命令していたので憎まれていた。「奴隷」と強調したのは、アステカが彼らを本来の意味での奴隷にしていたのではなくアステカの神への生け贄として恐ろしい拷問によって殺害していたからだ。

対照的に、スペインの支配の残酷さはスペイン人の修道士らの介入により頻繁に抑えられていた。

インディアンに対して天然痘を故意にばらまいて虐殺を行ったという俗説がある。多くの現地人が天然痘によって亡くなったというのは事実だ。だがそれは故意によるものではない。事実、スペイン人も天然痘によって多くの人が亡くなっている。インディアンの被害がより大きかったのはスペイン人が数世紀も天然痘の流行にさらされてきたことによって身につけた耐性を持っていなかったためだ。

スペイン人は決して故意に天然痘をばらまいたりしたことなどなかった。そもそもスペイン人も天然痘を恐れていた。スペイン人は現地人を労働力として生かしておきたいと願っていた。

さらに、白人は奴隷制をアメリカ大陸に持ち込んでいなかった。

アメリカ南西部とメキシコ北部で特に、日常的に襲撃と交戦を繰り返していた現地人はコルテスが現れる数世紀も前から奴隷制を行っていた。白人が始めたのは南米と中米での黒人の奴隷制だ。皮肉なことに、これは宣教師が現地人を心配した結果であった。現地人の奴隷を開放することによって、アフリカから黒人が奴隷として連れてこられるようになるというのは宣教師たちの予想の範囲外だった。

その結果として、本当の意図的な天然痘による虐殺の唯一の事例が300年後に起こった。18世紀のイギリスの将軍Lord Amherstは天然痘の被害者が使用していた毛布のようなものをばらまいた。これにより数万人のインディアンが亡くなった。これは黒人の奴隷がすでにいたのでイギリスの植民地者が危険な存在だったインディアンを排除しない理由が弱くなったために起こったと考えられている。

Emily Morgan, the “Yellow” Rose of Texas

今では多くの無知なメキシコの活動家にとっては英雄と見做されているようだが、Antonio Lopez de Santa Annaは完全な裏切り者だった。それも、薬に溺れて国民を繰り返し虐殺した臆病な独裁者だった。その上、エゴイストだった彼は自分のことを皮肉にも「西のナポレオン」と呼び、重要な戦いという戦いに次々と敗れていった(他にも「The Victor of Tampico」とか「The Savior of the Motherland」と自分のことを呼んでいた)。

彼はスペイン側の兵士としてメキシコの独立を阻止するための戦いに初めの10年間参戦していた。だがメキシコ独立運動の擁護者のフリをしていた方が利益が得られると気が付いた時にその立場を変えた。

最終的には、彼はメキシコの大統領に選ばれた(1833年)。彼は国家の運営になど興味を持っていなかった。だから改革派の副大統領Valentin Gomez Fariasにすべてを任せた。Gomez Farasは汚職を徹底的に排除しようとした。そのため軍部、地主、カトリック教会の多くの権力者を怒らせた。彼らが不満の声を挙げるとサンタ・アナはGomez Fariasを解任し、自由主義の憲法を無力化し、議会を解散させ、中央集権主義を強めた。メキシコ人には民主主義は「早すぎる」というのが彼の説明だった。昔から暴君がよく使うレトリックだった。

偏狭な考えに毒されていることから、南アメリカの人たちは彼のテキサスの喪失をアメリカの拡大主義のせいだと見做した。実際のところはテキサスでの軍事行動が、彼が憲法を破壊したことに反発して独立をしようとしていたメキシコの州に対する最後の軍事行動となった。他の州に対しては、反対者の組織的な抹殺と反発する国民への虐殺により彼は独立運動の鎮圧に成功した。これは、アラモ砦を制圧してゴリアドで虐殺を行ったことからも分かるように、彼がテキサスでも採っていた戦略だった(分かりやすく言うと、自由憲法を破棄したことに激怒したメキシコの州が一斉に独立運動を開始、それを虐殺によって次々に鎮圧、テキサスだけがそれにもめげずに独立に成功、マルクス主義者だらけだった南アメリカでは偽の歴史が教えられ反米プロパガンダに用いられていた)。

ゴリアドの戦いの後、彼は900人の遊撃隊に略奪や様々な破壊行為を行いながらサム・ヒューストンを追い詰めるようにと命じた。

Emily Morganは高い知性を持った魅力的なムラートで、彼女は主人に自分の土地の管理を任されていたほどだった。(メキシコ人によって誘拐されメキシコ軍に従軍しサンタ・アナと行動を共にするようになった彼女は)彼が寝込んでいる隙に、少年を送りメキシコ軍の情報をサム・ヒューストンに伝えた。彼はすぐさま兵士を集め、数は多いが戦闘の準備は出来ていなかったメキシコ軍に奇襲を仕掛けた(サンタ・アナの部下は危険な場所にキャンプを張っていると彼に警告していた。だがEmilyに夢中だった彼はそれを無視した)。

奇襲を受けた時、彼は下着姿一枚で捕らえられた。彼はEmilyのドレスの中に隠れていたがすぐに捕らえられた。自分の身を守るために、彼は虐殺の責任を他人になすりつけた。サム・ヒューストンは恐らく真実を知っていただろうが、メキシコの大統領として、テキサスの独立を宣言する条約にサインすることと引き換えに彼を保護した。彼はそれに喜んでサインした(メキシコ政府は彼を大統領とは最早認めず、条約は無効だと主張した。だがその時にはすでに遅かった)。

ここでいう「アメリカ大陸の人々」もしくはテキサス人にはメキシコ人が多く含まれていた。無数のメキシコ人がアラモとゴリアドで虐殺された。他の無数の人々はアメリカ人の捕虜のフリをすることによって生き延びることが出来た。

アメリカの銃規制が緩いというのは嘘だった?

犯罪に使われる銃の95%は非合法な手段によって入手されたもの。

Myths of European Gun Laws

Darrin Weiner

数年前にカナダの犯罪学者Gary Mauserと私は暴力犯罪と銃規制との関係を詳細に調べるという当時はほとんど存在していなかった(と思われる)論文を出版した。私たちの論文は広範囲に広まっている2つの神話を崩壊させた。第一は、ヨーロッパの銃規制はアメリカよりも厳しいというものだ。第二に、ヨーロッパの方が犯罪が少ないというものだ(「Would Banning Firearms Reduce Murder and Suicide: A Review of International Evidence,” Harvard Journal of Law & Public Policy, vol 30 (2007)」)。

EUROPEAN GUN LAWS

ヨーロッパの銃規制はアメリカのものとは異なるというのは事実だ。それはヨーロッパの銃規制が銃による犯罪ではなくて政治的暴力を対象としていることによる。だがヨーロッパの銃規制はより厳格ということはない。単なる無知だけがヨーロッパの銃規制はアメリカよりも厳しくて、その規制がヨーロッパの犯罪率を低下させていると主張させている。

そのような主張が間違っているというのはハンドガンや防衛目的での銃の所有を禁じたワシントンD.Cの決定を最高裁が無効にした時の記録に表れている(Heller)。その裁判での法律助言書において、数十人のヨーロッパの法律学の教授が自分たちの国の法律の方が遥かに制限が緩いと証言している(「Brief of Amicus Curiae International Scholars in Support of the Respondent; District of Columbia v. Heller (2008) (No. 07-290), 2008 WL 466090」)。

その上、ヨーロッパの銃に関する法律は犯罪に対してアメリカよりも遥かに積極的な使用を認めている。2つの事例からそれを説明したいと思う。

SHOOTING THIEVES

コロンビア大学の法律学の教授はドイツの例を用いてヨーロッパの法律がアメリカの法律とどれほど大きく異なるのかを説明している。1920年代に、ドイツの農民は彼の果樹園から盗みを働こうとしていた飢えた子どもたちを撃とう(射殺)とした。アメリカの法律では、その農民は明らかに有罪だ。だがドイツの裁判所は彼を無罪とした。ヨーロッパの法律はイマニュエル・カントの考えに従っているためだ。彼の考えによると、正しいことと間違っていることがあり、正しいことが間違っていることを生み出すことはありえない!その農民は正しい側にいて、飢えた子どもたちは間違った側にいる。従って盗みを止める唯一の手段が子どもたちを射殺することであれば、それは罪には問われない。

ドイツの憲法は後にこれを覆した、それを強化する方向へ…ドイツの憲法は子どもたちが撃たれた場合だけを改正した。だが農民は大人が果物を盗もうとした時には彼を射殺するだろう。

SHOOTING A RETREATING RAPIST

以下の例はアメリカの法律とより銃に親和的なヨーロッパの法律との違いを際だたせるために考えた架空の例だ。レイプ犯が女性を暴行しようとした。だが彼女が財布から銃を取り出した時に、犯人は逃げようとした。その女性は、怯え怒りにかられていたので、逃げようとしていたにも関わらず犯人を射殺した。アメリカの法律ではこれは「imperfect self-defense」と呼ばれる。もしその犯人が死亡すれば(殺人ではないが)故殺となるだろう。犯人が死亡しなかったとしても殺傷能力の高い武器による暴行罪に問われるだろう。

だがオーストリア、オランダ、フランス、ドイツ、イタリアの法律では判決は完全に異なる。彼女が「怒り」から犯人を射殺したとしても裁判所は彼女を無罪と宣言するだけだろう。

BUYING/OWNING GUNS – LAW JUST AS PERMISSIVE AS OURS

銃を購入すること所有することに関して、ヨーロッパの法律はアメリカと同程度に認めている。9ミリのハンドガンを購入するのにヨーロッパの多くの国では許可がいるというのは事実だ。無知が理解してないのは、これは「military-caliber weapons」を特別にコントロールするためのものだということだ。同様の制限によってmilitary caliber riflesの購入/所有にも特別の許可が必要となる。だが他のライフルやハンドガン、例えば.380、.38 Super、9mm Ultraライフルやもっと強力な多くのハンドガンには制限が課せられていない。例えばマグナム全種類、.40 S&W、.45 auto、.45 Long Colt、.454 Casull、.460 S&W Magnum、475 Linebaugh、.480、.500、それに他の強力なハンドガンなどを制限なく購入できる。

ITALY – GUN LAWS

ニューヨーク州やニュージャージー州、マサチューセッツ州、カリフォルニア州などの住民とは異なり、イタリア人はリボルバー全種類、もしくはセミオートを購入することが出来る。許可も必要ではないし待つ時間も必要ではない。ハンドガンには登録が必要ではあるが、ハンドガンの購入はアメリカ人がテキサスで遭遇するよりさえも面倒も規制も少ないだろう。

AUSTRIA – GUN LAWS

オーストリア人はセミオートのピストルの購入には許可が求められる。だがリボルバーには求められない。その上、犯罪歴のない人には防衛目的のためにセミオートのピストルの購入の許可に特別の権利が与えられる。

AUSTRIAN CARRY PERMITS

銃の携帯はニューヨーク、マサチューセッツ、カリフォルニアなどよりもオーストリア人の方が遥かに許されている。3700万人以上の人口に対してカリフォルニアは銃の携帯許可を40万発行している。オーストリアは人口が700万人でしかないのに20万の銃の携帯許可を発行している。

FRANCE, GERMANY – GUN LAWS

フランスとドイツでは現代的設計のハンドガンの所有には許可が求められる(犯罪歴のない家庭には簡単に与えられる)。だがカウボーイスタイルの銃が欲しいのであれば、1895年以前のデザインのリボルバーを購入するのに、例えそれが最近製造されたものであったとしても許可は求められない。

政治的犯罪を防ぐというその目的に整合的に、ヨーロッパの法律は銃が重複するのを禁じている。口径の異なる銃は複数所有できるが口径が同じ銃を10や20も所有することは出来ない。

セミオートにはマガジンのサイズに制限はない。

CRIME RATES

ヨーロッパでは、9つの国が10万人あたりの銃の保有数が5000を下回っている。7つの国は10万人あたりで見てその3倍の銃を所有している。銃を規制すると殺人が減少するという神話とは驚くほど真逆に、上記の9つの国の犯罪率はとても高い。その9つの国の犯罪率は10万人あたりでの銃の所有率が高い7つの国の3倍以上だ!

私たちは多くの例を集めた。ノルウェーは西ヨーロッパで銃を保有する家庭の割合が最も高いが(32%)、殺人率は最も低い。オランダは銃の保有率が最も低く(1.9%)、スウェーデンはその中間に位置する(15.1%)。だがオランダの殺人率はノルウェーよりも高くスウェーデンはそれよりも僅かではあるが高い。ギリシャの銃保有率はチェコの2倍以上だが、銃による殺人はギリシャで遥かに少なくギリシャの全体の殺人率もチェコより低い。スペインはポーランドの12倍銃の保有率が高いが、ポーランドは銃による殺人がスペインより33%ほど多く全体の殺人率はスペインのほぼ2倍だ。近隣のエストニアよりも14倍銃を保有しているフィンランドだが、エストニアの中による殺人率と全体の殺人率はフィンランドよりも7倍ぐらい高い。

アメリカよりも銃規制が緩い西ヨーロッパや北欧の殺人率は低い。だが銃を禁止している国は違う。例えば、

RUSSIA

ロシアは1929年にハンドガンを禁止し遠距離銃を厳しく規制した。ロシアと前ソビエト連邦、ヨーロッパでのその衛星国家の殺人率はアメリカよりも遥かに高い(例えば、ロシアの殺人率は10万人あたり20人以上だ)。

だが唯一の懸念が銃による殺人をなくすことであれば、ロシアはまさにそれをやっている。全体の殺人率ではアメリカやヨーロッパの多くを遥かに上回っているのだが。従ってロシアの経験が示しているのはハンドガンを規制することは殺人をまったく防がないということだ。

ロシアのハンドガンの禁止がうまくいったのは、そもそもロシア人が貧しすぎて銃を購入する余裕がないという所が大きい。だがロシアには他にもユニークな点がある。ロシアは軍隊も警察も銃と弾薬を独特なものを採用している(他の国ではほとんど見られない)。よってロシアの兵士が外国の銃を奪って家に持ち帰ったとしても、それに合う弾薬を見つけることが出来ないだろう。

ENGLAND

1997年に合法的なハンドガンがすべて没収された銃規制のとても厳しいイギリスはどうだったか?イギリスの殺人率は西ヨーロッパで最も高くイギリスの犯罪率全般もアメリカより遥かに高い。イギリスの暴力犯罪率は10万人あたり45000だ。イギリスの強盗件数は10万人あたり2000でアメリカでは600だ。イギリスのレイプ件数は10万人あたり6100でアメリカより3倍以上高い。

1990年代の後半に、イギリスでは数十万のハンドガンと射撃用の銃が犯罪歴のない所有者から没収された。だが今日のイギリスの暴力犯罪のニュースの見出しは芝居がかった、犯罪が今よりも数倍多かったかつてのアメリカの事件報道を髣髴とさせるものとなっている。2002年のイギリスのNational Crime Intelligence Serviceは、「イギリスは世界で最も厳しく銃を規制している。だが銃を(非合法に)手に入れたいと思う者はいとも簡単に銃を手に入れられるようだ」と嘆いている。

これまた2002年に、ハーバード大学のJoyce Lee Malcolmは「GUNS AND VIOLENCE: THE ENGLISH EXPERIENCE」を出版した。これはイギリスの銃規制の失敗をまとめたものだ。1900年には、イギリスには銃規制が存在しなかったが犯罪率は世界で最も低かった。イギリスがその後、銃規制を強めていくと「イギリスの中で規制の厳しい地域、アメリカ、スイスと銃の所有率の高い地域が最も犯罪率の低い地域となった」。

「Concomitant」は銃規制に関して利用可能なすべての情報が集められた、連邦政府がスポンサーとなった研究だ。その筆者たちは最初は銃反対派だったのが、銃に関して調べていくうちに「銃を入手しにくくさせること全般が、犯罪の意図を持った個人に銃を入手しにくくさせること、犯罪の意図を持った個人が銃規制によって武装できなくなることを少しでも示した証拠は存在しない」と結論している。

結局、アメリカが世界一安全だった?

The Principle of Infrangibility and the White-on-White Murder Rate

REIHAN SALAM

1999年頃にハーバードの社会学者Orlando Pattersonは彼が呼ぶ所の「principle of infrangibility」という概念を提唱した。

「もちろん幾つかの問題は特定のグループに見られる特徴で、彼ら特有の歴史、社会経済的環境、この国の生活への文化的適応などの結果だ。これは都市部の黒人、田舎に住む白人、アジア系アメリカ人などに共通して当てはまる。従って、大量殺人はそのほとんどが中流家庭の若い白人の犯行であるのかと尋ねられるかもしれない」

「ここで問題になってくるのはprinciple of infrangibilityだ。私たちが集団として普通と思うこと、どの集団が私たちの社会を形成していると考えているのか、私たちのアイデンティティを失うことなくしては切り離すことが出来ない集団だ」

「私たちは黒人の貧困としてではなくこの国での貧困として語らなければならない。イタリアンマフィアの犯罪としてではなくこの国での組織的犯罪として語らなければならない。恵まれた白人の10代の少年の病理としてではなく阻害された若い男性の病理として語らなければならない」

例えば、黒人の殺人率をアメリカ全体の殺人率と比較するのではなく白人の殺人率と黒人の殺人率とを比較する時には2つの異なる国民として扱っているという印象を生み出す恐れがある。

だがprinciple of infrangibilityを無視した方が有益な場合もある。特に、国民を分けて扱おうとしているのではなく特定の集団の脆弱性を示そうとしている時には。

このことは(すべての記事が間違いだらけだと批判されている)Matt Yglesiasの白人と白人の殺人率の議論を思い出させる。黒人と黒人の殺人率に関して語ることは「誤謬」だと議論したがる人の主張を裏付けようとの試みだ。彼は「アメリカで、白人の殺人率が手のつけられない状態にある」と警告する。そして彼の主張を補強するために他の国々での白人の殺人率と比較している。

「これは白人が生来的に暴力を好む傾向があると言っているのではない。ほとんどの白人は誰かを殺害することなく普通に生活している。そして人口のほとんどが白人という国が数多くある。ノルウェー、アイスランド、フランス、デンマーク、ニュージーランド、イギリスなどだ。これらの国では白人の殺人率がアメリカよりも遥かに低い。その一方で、犯罪的振る舞いを貧困のせいだと考える人が多いがアメリカでの白人による殺人の件数を考えるとその考えは怪しいように思われる。一人あたりGDPはフランスよりも遥かに高い。そしてアメリカの白人の所得は平均よりも豊かだ。だというのにアメリカの白人の殺人率の方が高い」

「人口のほとんどが白人」というのがどういう意味を指すのかは人によって異なるのかもしれないが、ニュージーランドの白人の割合(74%)はアメリカよりも低い(77.7%)ということは指摘しておく必要がある。そしてフランスとイギリスの非白人の割合はそれなりに高い。その上、それらの国の非白人の殺人率は高い。それらの国に対して彼がどのようにして白人の殺人率(ここでは、白人の白人に対する殺人率)を計算したのか皆目見当もつかないが、それらの国では白人の白人に対する殺人率はアメリカよりも低いという彼の主張を特に否定しようというつもりはない。

だがそれらの国での殺人率とアメリカの白人の殺人率とを比較してみれば、アメリカの白人の殺人率が高いわけではないということが分かる。国連のOffice on Drugs and Crimeの統計によると、彼が挙げた国々での2011年での10万人あたりの殺人件数は以下のようになる。ノルウェー(2)、アイスランド(1)、フランス(1)、デンマーク(1)、ニュージーランド(1)、イギリス(1)だ。FBIによると、2011年の白人の殺人の被害者は3172人だった(補足、黒人が白人を殺害する割合の方が白人が黒人、もしくは他の人種を殺害する割合よりも圧倒的に高いことが知られている。よってこれ以降の計算も白人の殺人率を実際よりも大幅に高く見積もっている)。白人全体の人口は、ヒスパニック系を白人に含めて、2億4550万人だ。これにより殺人率は1.29となる。これはアイスランド、フランス、デンマーク、ニュージーランド、イギリスなどとほとんど区別がつかないしノルウェー(2)、カナダ(2)、ベルギー(2)、イスラエル(2)、フィンランド(2)などよりも低い。対照的に、2011年には2695人の黒人の被害者がいた。2013年の黒人の人口は4170万人なので、殺人率は6.5となる。

彼は白人による殺人に深い懸念を示した。ここでは彼の動機を疑わないでおこう(白人の犯罪者の数は白人の殺害の被害者よりも大幅に少ないということは指摘しておく必要がある)。だが国際的に見てみれば、アメリカの白人が犯罪を好むという傾向は見られなかった。

以下、他の記事に対するものではあるがアメリカ人のコメント。

David IV • 4 hours ago

スラムを避ければいいだけ。アメリカの他の99.9999%は他のどの国よりも安全だ。

Brother Winston Smith  FeralCat • 3 hours ago

共和党は何をしてくれるんだ?

Rustynail  Brother Winston Smith • 3 hours ago

出来ることは何もない。

「犯罪の多い地域」はすべてデモクラットが支配しているから。

Brother Winston Smith  Rustynail • 3 hours ago

それは素晴らしい宣伝文句だ。

「共和党に投票しよう!出来ることは何もない!」

Funeral guy  Brother Winston Smith • 2 hours ago

君は保守派をうまく攻撃していると思っているんだろうが事実は変わらない。犯罪率の高い地域はすべてデモクラットが支配している。

Geoff  Brother Winston Smith • 3 hours ago

興味深い質問だ。犯罪率の高い都市を見てみれば、それらは例外なくデモクラットが市長でCity CouncilもしくはBoard of Supervisorsのほとんどはデモクラットだ。共和党員はどこにいるのか?

さらに興味深いデータがある。銃犯罪でアメリカは多い方から4番目に位置している。ここで最も興味深いのは、ワシントンDC(人口65万人)、シカゴ(271万人)、デトロイト(68万人)、セントルイス(31万人)、ニューオリンズ(37万人)をその統計から除いてしまうだけで(すべてデモクラットが支配している)、アメリカは世界で銃犯罪が少ない方から3番目に位置することになるということだ。なんという違いだろう。

Fantom  Brother Winston Smith • 2 hours ago

それらの地域はデモクラットの植民地だ。黒人がデモクラットの植民地にいると投票し続ける限り(90%近くがデモクラットに投票する)、それらの地域を避ける以外に私たちに出来ることはあまりない。

彼らがデモクラットの植民地から自由になりたいと言うのであれば、まずはオバマのような連中に投票することをやめるべきだ。

その時までは、私たちに出来ることはあまりない。

私とは関係のない話だ。

FeralCat • 2 hours ago

The Color of Crime 2016

By Edwin S. Rubenstein, M.A., New Century Foundation

Major Findings

この証拠は仮に警察の逮捕に人種間のバイアスがあったとしてもそれは無視できる程度のものだということを示唆している。Victim and witness surveysは警察が犯罪者をそれぞれの人種の犯罪率を正確に反映して逮捕していることを示している。

2013年では、黒人が殺人を犯す割合は黒人以外の6倍高かった。そして黒人が他の人種を殺害する割合は、他の人種が黒人を殺害する割合より12倍高かった。

2013年では、人種と人種の間で起きた66万件の犯罪のうちで加害者が黒人のケースはその85%を占めていた。これは、黒人が白人に対して犯罪を犯す割合は白人が黒人に対して犯罪を犯す割合よりも27倍高かったことを示す。同様に、ヒスパニック系はこの割合が白人よりも8倍高かった。

2014年のNew York Cityでは、殺人で逮捕される黒人の割合は白人の31倍だった。ヒスパニック系の割合は12.4倍だった。発砲で逮捕される黒人の割合は白人の98.4倍だった。ヒスパニック系の割合は23.6倍だった。

もしNew York Cityの人口がすべて白人だったとしたら、殺人率は91%、窃盗率は81%、発砲率は97%減少する。

Chicagoの人口がすべて白人だったとしたら、殺人率は90%、性暴力は81%、窃盗率は90%減少する。

黒人の殺人の被害者は白人によってではなく黒人によって殺されている(1980年から2008年では93%)。

暴力犯罪も非暴力犯罪も1993年以降、アメリカでは減少を続けている。2015年には、幾つかの都市で犯罪率の上昇があったがこれをメディアや政治家が執拗に警察を非難したためだと指摘する人もいる。

America and Crime

殺人事件は一部の地域に集中していて、アメリカのほとんどの地域ではほんのわずかしか殺人事件が発生していないということが容易に見落とされる結果となっている。アメリカの85%の郡(最小の行政単位)では20歳以下による殺人(当然20歳以上も)が平均的な年では1件も報告されていない。より広範には、殺人は重大犯罪の中では群を抜いて最も件数の少ないものでその文脈の中で理解されるべきだ。全体の犯罪率を測る指標としてはお粗末なものだ。

Guns and crime in America

BBCの北米支部の編集長Justin Webb(反米主義者として知られる)はアメリカがどれほど安全かを記している。「私は、強盗の件数がアメリカの方がイギリスよりも遥かに遥かに少ないという事実に驚いている」。さらに、「私は、アメリカの安全さに心の底からショックを受けた疑り深いイギリスのツアーリストに会った。彼はイギリスの都市、イギリスの小さな町でさえもにあまりにも頻繁に見られる暴力がアメリカには存在しないことに驚いていた。イギリス人が夢見ることしか出来ない平穏さや礼節が存在していた」。

Overall rates of crime – personal assaults and property crimes – are falling in America and bear favourable international comparison

犯罪の国際比較を行った研究が全体の犯罪率の相対的に最も適切な指標を示唆してくれている。犯罪の定義は国によって大きく異なり、警察が犯罪を記録する方法も国により大きく異なる。その上、それぞれの国の犯罪統計は質問も異なるので直接的な比較が非常に困難となっている。大体2年に一度行われるInternational Crime Victims Surveyは、それぞれの国の代表的なサンプルにおなじ質問をすることなどによりこれらの困難を克服しようと試みている。

Assault and robbery:最初に調査が行われた1989年では、アメリカが最も悪かった。だが2000年の調査ではオーストラリア、ベルギー、カナダ、デンマーク、イギリス、フランス、イタリア、オランダ、ポーランド、スコットランド、スウェーデンがすべてアメリカよりも犯罪が多かった(日本の方が犯罪率が高いというグラフがどこかにあったがどこにいったかわからなくなったので掲載は見合わせた)。イギリスとオーストラリアでは人口の6%が過去1年間にこの犯罪の被害にあったと報告している。アメリカの倍以上だった。カナダは人口の5%がこの犯罪の被害にあったと報告していた。だがこの犯罪の被害が大きいのはイギリスやオーストラリアだけではない。例えば、フランスとスウェーデンは人口の4%がこの犯罪の被害にあったと報告していてフランその強盗犯罪の発生率はオーストラリアやイギリスと同じく1%以上だった(アメリカの倍)。

Property crimes:強盗と窃盗で、イギリスとオーストラリアはポーランドと同じく最も件数が多くなっている。アメリカはフランス、ベルギー、オランダなどよりも少なく中間ぐらいに位置していた。

Conclusion

他の先進国と比べた場合、アメリカの犯罪率は驚くほど低い。アメリカ人はほとんどのヨーロッパの国々よりも犯罪の被害に遭う可能性が大幅に少ない。それは、金銭犯罪や暴力犯罪などすべてのタイプの犯罪に当てはまる。アメリカでは犯罪が蔓延しているというのは1989年では当てはまったかもしれないが今では単なる誤りだ。データは、アメリカが先進国で最も安全な場所の一つであることを示している。

ついでに、殺人率と自殺率を合わせた真の安全率


(クリックすると拡大)
Samuel H. Prestonの以前の論文の内容のまとめと補足(どこに保存したかわからなくなり、検索しても見つからなかったので訳は出来なかった)

・喫煙は平均寿命を10年縮めると云われている
・アメリカの喫煙率は他の国の喫煙率が非常に低かった時代(第二次大戦頃など)に、80%から90%を超えていた
・平均寿命統計に喫煙率が与える影響などが反映されるには非常に時間が掛かる
・アメリカの過去の喫煙率の影響は統計に完全に反映されているのに対して他の国ではほとんど反映されていない
・かといって、政府が何もしていなかったわけではない
・アメリカが世界で最もはやく禁煙運動を始めた
・現在のアメリカの喫煙率は10%台半ば

・重要な事だが、喫煙していない人の寿命は当然に長い
・現在生存している、もしくは生まれているアメリカ人は他の国よりも寿命が長い

US Mortality in an International Context: Age Variations

Jessica Y. Ho and Samuel H. Preston

アメリカの平均寿命は医療システムがよく非難される。以前の分析では、私たちはアメリカの医療システムと他の先進国との比較を行った(Preston and Ho 2009)。他のOECD加盟国の基準と比較して、高齢者の死因の大きな部分を占めるがんと心臓病の治療でアメリカの医療システムはよく機能していることを発見した。そして、行動的因子があまり大きな影響を及ぼさないと云われている前立腺がんと胸部のがんによる死亡率を調べた。これらの病気による死亡率は他の国よりアメリカで急速に低下していることを私たちは発見した。そこでの分析により、医療システムは50歳以上でのアメリカの低い平均余命とは関係がないと結論した。

ここでは50歳以上という広い年齢だけが分析の対象となっている。ここではそれに17のOECD加盟国を分析に加える。この話題に関する研究はほとんどない。例外は80歳以上のアメリカ人の生存率がスウェーデン、フランス、イギリス、日本よりも大幅に高いことを示したManton and Vaupel (1995)ぐらいだ。彼らはアメリカの80歳での平均余命がそれらの国を大幅に上回っていることを発見した。彼らはこれをより効果的な治療とアメリカの高齢者の好ましい行動が原因ではないかと推測した。彼らは若年世代に移民の影響、選択の影響、健康状態を悪化させる何らかの影響を含むコーホート効果が継続して表れている可能性を指摘した。対照的に、Nolte and McKee (2008)は75歳以下のアメリカの死亡率は他の国よりも高いことを示した。ここでは40歳以上を5歳ごとのグループに分けてこのようなパターンがどうして現れるのかに焦点を当ててみようと思う。

Age Patterns of International Rankings

2つの方法を用いて2005年の各年齢グループ毎の死亡率の違いをここでは表している。一つは18のOECD加盟国の中でのアメリカの各年齢グループ毎の死亡率の順位と、もう一つは先程の死亡率と他の17のOECD加盟国の平均との比率だ。男性と女性に分けて計算を行う。他の17の国のそれぞれの死亡率のデータはHMDから得た。アメリカの死亡率のデータはNCHSの生命表から計算した。こちらには、前回公表された生命表と比べて85歳以上での死亡率の増加が反映されている。図1は、40歳から75歳に掛けて、アメリカの死亡率が最も高いグループに位置することを示している。ところがアメリカの順位は男性は70歳から、女性は75歳から劇的に上昇する(5歳ごとのグループに分けているので、実際にはその前後から上昇している)。75歳以上で起こることは「平均寿命」のような指標にはあまり重要ではないと思われるかもしれないが、2006年に公表されている生命表では新生児の3分の2は(67.3%)75歳まで生存することは指摘しておかなければならない。

95歳から99歳までを例外としてアメリカの男性は女性よりも順位が高い。図1で現れたパターンは図2でも現れている。明確に、アメリカの順位が最も低いグループからほとんどトップへと上昇するという非常に衝撃的なパターンを見ることが出来る。アメリカの順位のこの急激な上昇は以前には一度も言及されていない。そしてアメリカの死亡率の最も劇的な特徴の一つとなっている。

高齢のアフリカ系アメリカ人のデータの質は年齢の誤った申告が存在するという証拠があるために疑問が寄せられている。それによると85歳以上のこのグループの死亡率は過少申告されている(Preston et al 2003)。そこで白人のデータだけを用いて順位の再計算を行った。図3と図4は順位と比率を示している。結果は、男性の順位の上昇が若年層にも移動したということを除いて人口全体での場合と似通っている。アメリカの順位の急激な上昇というパターンは一致している。

今度はこのパターンの原因と考えられるものを4つ考慮する。(1)国際間の喫煙率の違い(2)選択バイアス(3)医療保険(4)医療システムの年齢毎でのパフォーマンスの違いだ。

Smoking

喫煙が死亡率に与える大きな影響はよく知られている。OECD加盟国の喫煙率の推移は国や性別で大きく異なっていた。1945年から1985年の期間ではアメリカの喫煙率が他のどの国よりも大幅に高かった。それに女性の間での喫煙率の急激な上昇が加わった。喫煙率がこれらの順位に与えた影響を調べるために、私たちはPreston, Glei, and Wilmoth (2009)で発展させた手法を用いた。

その手法は1950年から2006年までの20のOECD加盟国の肺がん以外の死亡率と肺がんの死亡率との間の関係を統計的に分析したものに基づいている。喫煙をしていなかったと仮定したら、肺がんによる死亡率は大規模なAmerican Cancer Societyのコーホート研究での非喫煙者で見られた死亡率を割り当てている。それから肺がんによる死亡とそれぞれの国の各年齢毎と各性別毎の死亡をWHOのデータベースから引き出した。そしてそれぞれの国毎の全体の死亡率から喫煙の影響を測るために喫煙に関連する死亡を取り除いた。その結果は図5と図6に示されている。

調整の後では、アメリカの男性の順位は65歳から69歳までと80歳から84歳までの間の年齢で大幅に上昇する。だが若年層ではあまり変わらなかった。順位の急激な上昇というパターンは維持された。だがグラフの形状を凸型のような形から60歳から64歳あたりからの極めて直線的な上昇という形へと変えたのだった。

女性に関しては、80歳から84歳までのグループまでは順位にあまり変化はなかった。この年齢以降では、アメリカの女性の順位は劇的に上昇する。あまりに劇的な上昇なので完全には正しくないかもしれない。喫煙に関連する死亡を取り除くことは相対的に若年層で死亡率の比率に非常に大きな影響を与える。アメリカの女性の死亡率と他の17の国の死亡率の平均との比率は60歳から64歳までと65歳から69歳までのグループで0.2低下する。これらの年齢は第二次世界大戦頃に生まれた最も喫煙率が高かったコーホートに一致する。60歳から69歳までのアメリカの女性の死亡率に与える喫煙の影響は大きいにも関わらず、その順位はそれほど変化しない。この年代のアメリカの女性の死亡率が最初から高かったためだ。死亡率の比率は大きく変化したのにその順位はそれほど変化させなかったことを示している。それに比べて、男性の死亡率は女性に比べてどこの国でも似通っているのでアメリカの男性の死亡率から喫煙に関連する死亡を取り除いた効果が女性のものよりも相対的に小さかったとしてもその順位は大きく変動する。

Selection

喫煙に代わり得る説明が選択バイアスだ。アメリカで最も体が弱い人が低い年齢で死亡する可能性がある。それにより健康的な人だけが高齢まで生存するという説明だ。そのようなメカニズムが他の国よりアメリカで強ければ先程まで見てきた比率と順位の急激な改善を生み出す可能性がある。このメカニズムは全人口に対して働く可能性のあるものもあるが、すべての年齢での死亡率を上昇させたり低下させたりするような共通因子の働きに比べて強力とは思われない。異なる国々と異なる時代から生命表を集めてきて大規模なデータとしたものはどの2つの年齢の死亡率を比べてみても相関が0.8より高いことを発見している(Coale and Demeny 1983)。Janssen et al (2005)は北ヨーロッパで1895年から1910年の間に生まれたコーホートを用いて55歳から69歳までと80歳から89歳までの死亡率の相関を調べた。彼らはこれらのグループの死亡率の間に一貫して正の相関が見られることを示した。そして高齢者の死亡率のトレンドは選択バイアスに寄るものではないと結論した。

私たちは年齢の変化による順位の変動を分析することにより自分たち自身でも結果の確認を行った。特に、同じ国の中で比較的に若い年代と高齢者の死亡率の順位に相関が見られるかどうかを確認した。負の相関は選択バイアスの存在を示唆する。(中略)どの年齢グループの順位の相関も男性、女性を問わず正だった。これはアメリカをサンプルに加えても加えなくても変わらない。選択バイアスはアメリカのデータで見られた比率と順位のパターンに対する説明として妥当ではないと結論した。

Access to Health Care

2002年では、65歳以下の17.2%が保険に加入していないということにされている(Institute of Medicine 2004)。65歳でメディケアの受給資格を得るので、アメリカのパフォーマンスが良いのはメディケアに加入するようになったからだという説明も考えられる。この説明を調べるためにメディケアが実施される前の1960年の順位と比率を調べる。

図7は上昇傾向が1960年にはすでに存在していたことを示している。事実、図1と図7の比較によりアメリカの順位はメディケアの導入以降むしろ悪化していることが分かる。これは女性に特に顕著だ。従って、メディケアがアメリカの順位の急上昇の原因とは思われない。このパターンは明らかにメディケアの導入以前にすでに現れているためだ。実際、65歳から69歳までと80歳から84歳までのアメリカの順位はメディケアの導入以降むしろ悪化している。

ここからは、アメリカの順位の急上昇が医療システムのおかげなのかどうかを様々な論文をレビューすることにより調べる。

Cancer

(省略)

High Cholesterol

(省略)

Ischaemic Heart Disease (IHD) and Acute Myocardial Infarction (AMI)

(省略)

Hypertension

(省略)

Stroke

(省略)

Summary

まとめると、アメリカは他の国に対してがんのスクリーニングに関して明確に優位に立っている。その優位は年齢とともに上昇する。Gatta et al (2000)によると、アメリカの生存率での優位性も年齢とともに上昇する。だが彼らは対応するデータは提供してくれなかった。がんは高齢者の死因の大きな部分を占めるので、アメリカの医療システムの優れたパフォーマンスは上記の年齢パターンの形成に貢献している可能性がある。

Conclusion

(省略)
デンマークの獣姦はスルーし、幾つかの州で進化論と創造論を両論併記しているだけのアメリカは狂ったように批判する左翼の不思議。

Sorry, liberals, Scandinavian countries aren’t utopias

Kyle Smith

リベラル派の社会が機能するという証拠はどこにあるのか?

幸福度調査で度々首位に立つデンマークを見てみよう。デンマークは世界でも最も税率が高いことや社会保障が寛大であることが知られている。子育て費用は大部分が無料で、公立学校や私立学校でさえも無料だ。そして失業給付も長期間受けることが出来る。所得の面では誰もが対等だ。パーティーに出掛けてみよう。TVスターが屋根職人に話しかけている場面を度々目にすることだろう。

重税と給付の組み合わせは所得の高い人も低い人も存在しにくくなることを意味する。かなりの割合の人が中間層に属する。デンマーク人は他のどの国の人たちよりも市民組織や市民団体に所属する。彼らは大きな団体を運営することが好きだ。クリスマスには、彼らは手を繋いだり家の周りを一緒になって走り回り歌を歌うなどの頭のおかしなことをする。彼らはWhovilleの実在の住人だ。

アメリカのリベラルのコンパスの針はいつもデンマークのような国を指し続けている。

では、どうして誰もデンマークを訪れることに興味を持たないのか?旅行者はデンマークは退屈なところだと言う。デンマークは飲酒率の高さに苦しんでいる。抗鬱薬を世界で4番目に使用している。デンマーク人の5%は獣姦の経験がある。デンマークの生産性は低下の一途をたどっている。労働者は週に僅か28時間しか働かない。そして出会う人のほとんどは政府の仕事に従事している。

では、これらの酒飲みで、うつで、怠け者で、獣姦を好む人たちがどうして幸せだと言っているのか?

The Jante Law

詳細を見てみようと、デンマークに長年住むイギリス人で「The Almost Nearly Perfect People: Behind the Myth of the Scandinavian Utopia」という本を書いたMichael Boothは提案する。

高い幸福度を示した調査はほとんどが無意味であることが判明する。「あなたは幸福ですか?」という質問は異なる国で異なる意味を持つという。デンマークでは、「不幸せであることは恥ずかしい」ことと考えられていると、編集者のAnne Knudsenはその本の中で語っている。

さらにデンマーク人が自分たちが地球で最も幸せだと答えている時に、嘘を付いていると信じている人々が存在する。この人々は「デンマーク人」として知られている。

「数年間に渡って、私は多くのデンマーク人にこれらの幸福度調査のことに関して尋ねてみた。本当に自分たちが最も幸せな人たちであると信じているのかどうかと。だが私は誰一人として本気でそうだと信じている人に出会ったことがなかった」とBoothは書いている。「彼らはそのような回答をしたのは誰なのかとジョークにして犯人探しをしている」。

デンマーク人は自分たちが地球で最も幸福だと思われていることを熟知している。「いいえ」と答えることはコペンハーゲンの交通渋滞でクラクションを鳴らすことと同じぐらい考えられないことなのだろう。この本の筆者が一度それを試みようとしてみたところ、当惑した様子の通りすがりのデンマーク人から怒られたという。「他の人に知られたらどうする気だ?」と彼は尋ねられたという。

それは大きな手掛かりだった。この筆者は、デンマークのパーティーの場では誰かが共通の知人を探すのに8分しかかからないとジョークを言う。デンマークは人口が530万人の同質な人たちの集まりだ。全員が同じことをしゃべり、全員が同じように見え、全員が同じことを考える。

これはデンマークの目立った特徴だと広く考えられている。反逆はいかなるものでも鎮圧されなければならない。背の高い花は刈り取られるだろう。

デンマークのビジネス・リーダーたちは国家的な平均への強迫観念のために自動的に疑いの目で見られる。海運王のMaersk McKinney Moller、2012年に死去するまではデンマークで最も豊かな資産家だった彼は馬鹿馬鹿しいまでに庶民のふりをすることにより資産家であるという国民的恥辱から逃れた。彼は自分のオフィスまで毎日階段を登って通った。90歳代を大きく過ぎてもミーティングに出席し続けた。家からお弁当を持参し続けた。

アメリカ人の女性がBoothに語ったところによると、彼女の子供が学校のテストで1番をとったとディナー・パーティーで語った時、彼女は凍りつくような沈黙に遭遇したという。

デンマークの歪みとして最もよく知られているものの一つは、Jante Lawとして未だに知られている風刺家による風刺だろう。それは十戒に例えられる。

平等な社会の優位性を議論する(というより捏造している)本を出版したRichard Wilkinsonは「狩猟社会は極めて平等的だ。もし誰かが支配的立場に立とうとし始めれば、その人はからかわれ、いたぶられ、追い出されるだろう。これは反支配戦略と呼ばれるものだ。そして狩猟社会は極めて平等な社会を維持する」。

デンマーク人は狩猟時代の原則で行動してきた。獲物を見つけたら共有する、そうしなければ仲間はずれにされる。羊のデイジーとの交際が終了したら、友達に紹介してあげれば利益が得られる(禁止する動きが現在進められているがデンマークでは獣姦は昔から合法だった。最近まで、「獣姦用の売春宿」が新聞で広告に出されていた。一般に8500円から1万7000円が料金となっている)。

They need a drink

有名な「社会的連帯感」の裏側が外部の人間への冷たさだ。恐怖症的な発言は日常のように見られる。人が集まるところでは、「hygge」の精神、緩く翻訳すると従属の精神が満ち溢れている。誰かが反対するかもしれない方向へ会話を進めようとすることは見苦しい振るまいと見做される。これがデンマーク人でさえもデンマーク人を退屈だと表現する理由の一つだ。

所得の58%から72%を税として支払わなければならないことに加えて、デンマーク人は他のありとあらゆることに税を支払わなければならない。本は贅沢品だ。George Washington Bridgeにデンマークでは相当するものを渡るのに4500円掛かる。医療は無料だ、これはお金ではなく時間で支払わなければならないことを意味する。サービスは待合室で終わりなく待たされた後にいつかは支給されるかもしれない。医薬品は国家による独占で、アスピリンを入手するのがDMVへの旅行のように感じられる。

他の北欧諸国(Boothはこの用語を広く定義している。ここではアイスランドも含まれる)もその実態はどのようなものであるのかという疑問が浮かんでくる。アイルランドの有名な好況は歴史の中でも最大級の不動産バブルであったことが明らかになった。デンマークでアイルランド人に関して日常的に云われていることは、彼らは自分たちには大きすぎる靴を履いている、そして靴紐に引っかかって転び続けているというものだった。

ノルウェー人の成功は真似することが出来ない。以前は農民だった国の人々は、今では消費することが出来る以上の資産を保有している。北海油田がすべての支払を済ませてくれる同国のソブリン・ウェルス・ファンドへ資金を供給している。

様々な調査で首位に立つフィンランド(汚職度の調査、西ヨーロッパで一人あたりGDPが最も高い、ヘルシンキは最も住みやすい都市など)はアルコール、殺人(西ヨーロッパで最も高い)、自殺、抗うつ薬の使用などのカテゴリーでも首位だ。

フィンランドの映画監督Aki Kaurismakiは主演を「いつも不機嫌そうにさせるので、[Ingmar] BergmanをMr. Beanのように変えてしまう」とBoothはレポートしている。

フィンランドでは会話の邪魔をすることはそれほど重大なマナー違反とは見做されないが、アルコールの飲み方には多くの注文が入る。少しでもボトルに残っている状態でパーティーから帰宅することはマナー違反だと見做される。フィンランド人のアルコールの消費量はヨーロッパの平均と同じぐらいだが、彼らは他のどの国よりも一気飲みを好む。飲酒関連の病気がフィンランド人男性の死因の1番目で、フィンランド人女性の死因の2番目だ。

自殺率もアメリカより50%以上高い。パーティーに招かれる人たちは、もっと規模の大きな集まりであっても、深夜の11時30分あたりになると頻繁に喧嘩が起こると報告している。

それは、「戦士の遺伝子」が原因であることが判明する。衝動的振る舞い、暴力、飲酒などに関連していると云われるこの遺伝子は、フィンランドで特に見られる。「Dark」とは北欧の冬にのみ当てはまる表現ではない。それはフィンランド人の国民性をも表している。

Big bowl of oatmeal

男らしさはスウェーデンでは重視されない。人類学者Geert Hofstedeにより地球で最も男らしくない国と命名されたスウェーデンでは、男性の兵士は髪を切る代わりにヘアネットが支給される。

北欧の連帯感は大量の移民に対しては機能しないのかもしれない。現在ではスウェーデン人の3分の1は外国で生まれている。スウェーデン人は移民に対して、福祉(住宅希望者は失業給付受給者で溢れかえっている)と犯罪率が高い(ネイティブのスウェーデン人よりも4倍殺人率が高い)というイメージを持っている。イスラム教徒のギャングが地域を支配しているところも多くある。「ネイティブのスウェーデン人」と移民との対立は高まっている。

どちらにしてもスウェーデンは自由経済を重視している。福祉国家が持続不可能になった時、スウェーデンは大規模な民営化と政府支出をGDPの67%から半分以下までに削減した。世界的な金融危機の後に、スウェーデンは緊縮を選択し財政赤字を削減した。

(以下、省略)
Krugman on Reich: Then and Now

E. Harding

現在:

『1991年頃に、ロバート・ライシュは「The Work of Nations」と題した影響力のある本を出版した。彼はこの本を評価されたこともあってかクリントン政権で労働長官のポストに就任した。この本は当時としては良い本だった。だが時代は変化する。そして相対的に見れば明るい内容だったその本と彼の最新の著作「Saving Capitalism」とのギャップ自体が時代がどのように移り変わったのかを表している』

『「The Work of Nations」は素晴らしい本だった。その本は正面から所得格差の問題を取り扱っていたからだ。この話題は数人のエコノミストは取り扱っていたものの、政治的討論の中心にはなっていなかった。彼の本は所得格差を基本的に技術的な問題だと見做していた。それが当時の彼の評価だ。現在では、彼の見方はもっと暗いものに変化している。そして実質的に階級闘争を呼びかけるものとなっている』

1991年当時:

『傲慢さ、と呼ぶ人もいるだろう。多分そうなのかもしれない。だが私の傲慢さなど新しく優れた経済学を白紙から編み出したなどと信じて疑わないあの男たちと比べればかわいいものだ。あの連中は学部の教科書を1つも読んだことがないのに「The Way the World Works」とか「The Work of Nations」などといったタイトルの本を出すつもりでいるらしい(彼らは教科書の内容など熟知しすぎているから読み必要などないのだなどと言わないで欲しい。彼らが経済学を理解していないことは明らかだ。基本的な事柄に関する誤り、統計に関する無理解、誰もが知っている基本的概念や古来からある誤謬などを革命的なイノベーションであるかのように言及するなど、枚挙に暇がない』

「私が彼らに対して言っていることは正しいのかもしれないが、それを指摘することは間違いだと異を唱える人もいるだろう。そのような論争は脇においておいて力を合わせようではないかと。それに対してはこれは倫理的な問題なのだと答えるだろう。私の批判者の幾人かはリベラル派の経済学者を数年にも渡って中傷し彼らの仲間たちを優位に立たせた。彼らたちに傷が入り始めると、そのような言い争いは無意味なものだと突然宣言するのだった。だがそれとは関係なく重要なのは、ここでの反論が仮定しているのは何をするべきかに関して我々が同意しているということだろう。そのような考えは、リベラルであるとはどういうことを意味するのかという疑問を私に思い浮かばせる」

当時:

『だがコメンテーターが疑問に思うのも当たり前だ。クリントン政権の他のメンバー、特に労働省長官のロバート・ライシュは非常に異なる見方を強調してきた。彼の世界によると、給料の高い労働者であっても今では「不安な階級」の仲間入りを果たしたという。彼らは自分たちがいつの日か中間層から脱落するかもしれないと恐れているという。そして解雇されるかもしれないという恐れが生産性と利益が上昇しているにも関わらず横ばいもしくは賃金の低下を彼らに受け入れさせているという』

「彼の他の著作と同じように、このような物語は分かりやすく人の心に訴えかけるようなものがありうまく構成されてもいるのだが、ほとんどが間違っている。対照的に、Stiglitzは感情を満たすようなフィクションではなく複雑な事実を語っている(どこが?)」

当時:


『グールドが持っていてメイナード・スミスが持っていないものとはなんだろうか?グールドは大衆にも人気のあるライターだ。だが進化論は経済学よりも遥かに広大でしかもDawkins (1989)やRidley (1993)のような人気のある伝導者に恵まれている(グールドやライシュのようなライターは正しい意味で伝導者ではない。伝導者はコンセンサスとなっていることを紹介する。その一方、これらのライターは自分たち自身の、異端と見做されている考えを議論している)。グールドを知識人たちの間でこれほどまでに人気にしているものは単に彼の著作の質に依っているのではなく(ドーキンズやリドレーとは異なり)近代進化論の本質的に数学的な側面を説明しようとしていないという事実にある。彼の本には方程式やシミュレーションが存在しないばかりか、ドーキンズのようなライターの著作を紹介するのに数学モデルに基づいて考えようともしていない。それが彼の著作をそれほどまでに人気にしている理由だ。もちろん問題は、進化論、本物のものは数学モデルに基づいているというところにある。それもコンピューター・シミュレーションにどんどんと依存するようになっている。グールドを人気にしている数学への忌避は、彼の本、彼の読者には深い考えが示されているように見えるのかもしれないが、は進化論を知っている人には中身のないものを飾り付けしただけに見えるだろうしその内容のほとんどは単に間違いであるように思われるだろう。特にグールドの著作を読むことで進化論を知ったという読者は自然選択の理論の力や範囲にまったく触れることが出来ないだろう。むしろその理論は不十分だということが近代の考えでは示されていると考えるようになるだろう』

『経済学は進化論ほどライターに恵まれているわけではない。だがその貿易に関する考えが知識人の間で人気があるなどといった際立った特徴は同じだ。人気のある本は明示的に数学モデルが登場してこないものというだけではなく、暗黙的にも数学的考えに基づいていないものだということだ。ロバート・ライシュの「The Work of Nations (Reich 1991)」のような本は法的式やダイアグラムを示さないばかりか、比較優位という考えを暗黙的にも示すことすらしていない。実際、「比較優位」という単語を一度でさえ用いていない。ライシュやソローのようなライターの本は数学が分からない人を不快にさせたりはしないだろう。だがそれはまた経済モデル一般の重要性や威力を何一つ教えてくれはしないだろう。むしろそのような本から得るメッセージは、新しい経済では19世紀の経済的概念は最早適用することが出来ないというものだろう』

当時:

「他の多くのアメリカの知識人と同じように、私も初めは進化論をグールドの著作から学んだ。だが現役の進化論学者は彼を、経済学者がRobert Reichを見るような目で見ていることに次第に気が付いていった。面白いライターではあるけれど何一つ理解してはいない。ジョン・メイナード・スミスやウィリアム・ハミルトンなどのような本物の進化論学者は、本物の経済学者のように数学モデルにもとづいて考える」

当時:

『彼らのうちの数人はワシントンでも非常に有名だ。国の競争力の提唱者としてよく引用されるロバート・ライシュは「不快な人間で巧みな表現を用いるのかもしれないが、深い考えは持ちあわせてはいない』

現在:

『ロバート・ライシュはその狙いを隠そうとしたこともない。「The Work of Nations」というタイトルはアダム・スミスを意図的に連想させるようになっている。彼は読者が彼の本を単なる有用なガイドとしてだけではなく、基礎となるテキストと見做すようになることを明らかに願っている。短いページながら、Saving Capitalismはより野心的だ。彼は市場経済の根本的な見直しとして格差に関する新しい議論を提唱した。市場の機能を制限したり緩和したりする政策を提唱しているのではない、と彼は主張している。むしろ日常的に用いられている自由市場の定義は政治的な判断によるもので、市場をまったく異なる方法で機能させることも出来ると彼は言う。「政府は自由市場の邪魔をしていない。政府は市場を作っている」』

「率直に言って、私はこの売り文句を複雑な気持ちで見ている。譲歩しすぎているように思われるし、一方では政策の大きな変化を要求しながら自由市場は素晴らしいという伝統的な見方を受け入れている。そしてすべてのものを一つの大きな知的な枠組みの中で捉えようとする試みはライシュが支持する単調だが重要な政策から注意を逸らさせることになるのではないかとも懸念している」

アメリカが貿易赤字というのは嘘だった?

・アメリカの製造業が弱いというのは嘘だった
・双子の赤字も嘘だった
・アメリカは外国から膨大な借金をしているも嘘だった
・ドルは暴落するも嘘だった

金融業界とメディアの馬鹿たちが言ってきたことは嘘だらけの間違いだらけ

Lies, Damned Lies, and Statistics Revisited

Irwin M. Stelzer

December 23, 1996 | The Weekly Standard

多くの人が昔から疑い続けていたことを、今では誰もが知っている。消費者物価指数は誤っている。それも数十年も前から誤り続けている。ボスキン委員会と呼ばれる最近公表された報告書はどうしてCPIがインフレを過大に評価するのかその理由を幾つか説明している。実際、この委員会により出された理由があまりにも説得的なのでまともな経済学者の中にはそれに反論しようとする人さえ現れない。

もちろん、そのことはインフレをどのように扱ったら良いのかに関して政治的合意があることを意味するのではない。その報告書から素直に結論を導けば、アメリカの高齢者は社会保障を多く受け取りすぎということになる。例えば、高齢者が年金から受け取る所得の額は毎年CPIの上昇分、増額されることが法律によって定められている。これは年金の受取額がインフレによって(実質で見て)減額しないための措置だ。そしてCPIがインフレを過大評価しているので、高齢者は本来の額よりも多くのお金を受け取ってきたことになる。だがこの事実を指摘することは政治家には大変勇気のいることだったので、これまでのところは見逃されてきたのだった。

この場合では、勇気によって得られる報酬は膨大なものだ。ある推計によると、2005年までに発生すると云われている財政赤字の3分の1はCPIの上方バイアスを終わらせるだけで簡単に消えてなくなることが示されている。修正されたCPIはそうでないものと比べて遥かに低いインフレの上昇を示すので、社会保障の支払いの増加率も遥かに穏やかなものとなる。

もし新しいCPIが計算に用いられなければ、「上方バイアスは年金、医療、防衛費より少ないだけの4番目に大きな連邦政府の支出プログラムとなるだろう!」と委員会は語っている。

この修正の影響は初めのうちは小さい。もし委員会の推奨が今日実施されたとしたら、来年の年金の受取額の増分は現在予定されている月額にして21ドルの増分ではなく13ドルの増分となるだろう。従って、年金の受取額は月額10万4300円から月額10万3180円に減額されるだろう(この記事は少し昔のものなので当時の購買力平価で計算した)。

そして連邦政府への納税額も遥かに正確に計算されるようになるだろう。CPIは人々が支払う税の額も削減させてきたことになるからだ。「ブラケット・クリープ」を覚えているだろうか?広く定義すると、ブラケット・クリープは名目の給料がCPIで示されるインフレ率と同じペースで上昇しているだけなのに、その名目給料の上昇によって納税者が税率の高い税額区分へと強制的に移動させられてしまう不公正な現象のことだ。購買力は変化していないというのに納税者は高い税率を支払うことを余儀なくされる。この不公正な慣例を止めさせるために、議会は物価の上昇を埋め合わせただけの給料の増加はカウントに入れないことを決定した。だがその物価の上昇率というのにCPIが用いられているので、インフレが過大に評価されることによりアメリカの納税者は意図せぬ減税を受けることになった。

ボスキン委員会は不正確なCPIをこのまま使用し続ければ、今後10年間で140兆円の債務が生まれることになると語っている。合計すれば1年で1万1700円でしかない社会保障支払いの増加率を削減することは政治的に可能か?確かに、一般的に高齢者は変化を恐れる。だがもし政治家がCPIを正さなければ、本当は現在の高齢者に不正に支給されたために発生しただけの財政赤字削減のために給付の削減に直面する怒り狂う若年世代にいずれは遭遇することになるだろう。

ここで説明した財政に与える影響、それに関連する政治というのも重要ではあるが、それはボスキン委員会の報告の真の重要性のほんの一部でしかない。十数年に渡って、アメリカ経済の批判者はアメリカンドリームの将来は絶望的だと何故かとても嬉しそうに合唱し続けてきた。給料はインフレに追いついていないので、労働者は生活水準を維持することが出来ないと彼らは嘆く素振りを見せた。労働者は働く時間を増やす以外には、もしくは妻が働きに出る以外は生活水準を維持できないだろうと彼らは主張した。そして労働者がどれほど試みようとも、中間層の家庭は自分の子供たちに自分たちよりも明るい未来を提示することは出来ないだろうとメディアを通して盛んに宣伝した。

この誰もがうんざりするほどしつこく繰り返された悲壮的な主張はJames Carvilleとその著作「the economy, stupid」は言うに及ばずRobert Reichとその著作「the anxious middle class」を欲しくもない我々に与えた。それはまた労働者の賃金を移民と輸入からの競争から隔離すると宣言して大きく人気を集めたPat Buchananの国粋主義と保護主義を生み出した。それはまたアメリカの競争力の衰退と云われているものの原因に関する研究を生み出した。それはまた多極化主義者と呼ばれている人たちを大きく喜ばせた。多極化主義者とは、アメリカは単独で行動するのに十分な程には最早豊かではないので、国連の膨大な数の官僚の上に位置するフランスかぶれのエジプトの政治家たちが決めたルールの下でアメリカの兵士たちは外国の指揮官の命令に従えと主張する人たちを指す。

すべて誤りだ。ニューヨーク・タイムズのリクエストに答えて、エコノミストのLeonard Nakamuraはより正確なインフレ率の指標を経済のデータ(名目値)に適用した。そして1975年から1996年までの過去20年間に9%低下したという結果ではなく、時間あたりの実質賃金が実際には35%!増加していたという結果に様変わりした。彼はCPIが1970年代にインフレ率を毎年1.25%ポイント、そして現在では2.75%ポイント過大に評価していると語った。彼の見方では、時間あたりの実質賃金が増加していたばかりかGDPも政府の統計が示していた数字よりも2倍以上速く成長していた。

ボスキン委員会は彼よりも保守的だ。委員会はCPIが1978年以降インフレ率を1.3%ポイント過大に評価していると語った。これまでは、政策当局者は平均的な家計の実質所得が1978年から1995年の間に僅か2%しか増加していないという仮定の下に動いてきた。もしボスキン委員会が正しいのであれば、方向性としては確実に正しいのではあるが、家計の所得は実際には19%増加していたことになる。これはその夢が埋葬されたと云われていたはずの国としては悪くない。

このことは普通に考えてみれば驚くことでも何でもない。政府の数字と実際のアメリカ人の生活ぶりとの乖離は誰の目にも明らかだ。アメリカ人は記録的な数の住宅と車を購入している。統計によれば費用を支払うことが出来ないはずの大学教育を記録的な数で受けている。そしてその家は記録的な数の家具もしくは家電製品で満たされている。これは実質所得が低下し経済的不安に苛まれている人々の行動では決してない。

ボスキン委員会はアメリカの政策に長年影響を与えてきた神話を崩壊させた。アメリカ政府によって提供されている経済統計は正確だという神話だ。そしてアメリカ政府が思い描いている歪んだ経済のイメージは経済政策を誤った方向や見当違いの方向へと導いてきた。貿易赤字の例を考えてみよう。輸出よりも輸入の方が多いというだけのことが、多くの政権の頭を悩ませてきた。この問題のために、ジョージ・ブッシュ大統領(父)はアジアで自動車のセールスマンの役割を果たす羽目になった。彼の試みは日本の狭すぎる家や狭すぎる道路に合わせた車作りをしても少しも利益にならないと判断した自動車会社や日本の料理に合わせることが出来なかった(吐いた)彼のせいで頓挫した。ブッシュ大統領が選挙で敗れた後、クリントン政権で貿易交渉の強硬派で貿易赤字に取り憑かれていたMickey Kantorはウォルマートの売り場から数枚のTシャツを排除するために、中国との貿易戦争も辞さない覚悟だった。

だがその当時は、他の国に対してアメリカの貿易収支がどうなっているのかほとんど分かっていなかった。輸入はかなりの程度正確に測ることが出来る。さらに多くが関税の対象なので正確に測ろうとするインセンティブもある。アメリカが圧倒的に製造業に依存していた頃は、輸出された鉄の重さや箱の数を調べれば簡単に測ることが出来た。今では、経済産出の70%はサービスが占めている。アメリカの投資銀行家がイギリスの企業もしくは会社と合併した時には、国境を越えていく物は何もないように目には映る。だが実際には我々は価値のある物を輸出している。Customs Serviceの国際貿易マネージャーEd Groseは「我々はサービスの輸出を40%過小に評価している」と考えている。それは金額にすると11兆9000億円ぐらいになる。

それから、連邦政府は輸出された財の数量を測る能力を単純に欠いているという問題がある。国勢局の外国貿易部門の責任者であるC. Harvey Monk, JrはCustoms Service(税関)は輸出業者が記入して提出している金額の10%は見逃されていると推計している。貿易の数字から8兆4000億円が見落とされている計算になる。

去年のアメリカの貿易赤字は政府の統計によれば14兆7000億円だった。だがEd GroseとHarvey Monkが正しいのであれば、20兆3000億円がアメリカの輸出に含まれていないことになる。もしこれが含まれれば、貿易赤字は消えてなくなる。それどころか5兆6000億円の貿易黒字だったことになる。

経済政策、社会政策の下になるデータのミスリーディングな性質はこれだけに留まるのではない。貧困撲滅のためと称して我々が費やしている数十兆という金額のことを考えてみよう。私の同僚であるNicholas Eberstadt(以前にもこのブログに登場)は「The Tyranny of Numbers」という彼の素晴らしい本の中で、政府の貧困統計は人々が消費したものにではなく人々が所得として申告したものに基づいているという。従って、私たちは消費パターンが貧困からはかけ離れていることを示している多くの人を「貧困」と定義している。その結果として政府の壊れた統計によると、「貧しい」人は奇妙なことに所得のほんの一部しか食料に支出していないことになり、より摩訶不思議なことに、彼らの年間消費は年間所得を数倍も上回っているということになる。そのような話はとてもではないが納得できるものではない。だがそれが政府の統計が我々に言っていることだ。

政府の統計が間違っているのであれば、それを直す時が来たのではないのか?Pat Moynihan議員とBob Kerry議員は政府の統計をどうやって改善するかのプロジェクトに10億円を拠出したいと申し出ている。とても良さそうな話に聞こえる。だがその提案は問題の中心を解決するには至っていないように思われる。恐らく、政府は統計を正しいものにすることが出来ないという問題だ。

まず第一の問題として、正確なデータを集める技能は最早学校では教えられていないか経済学の教授からは価値あるものとしては見られていない。ボスキン委員会のメンバーだったハーバードのZvi Grilichesによると、「料理で例えると、経済学の教授たちの目を引くのは調理技術であって、食材の質であったり食材を調達してくる努力ではない」という。

それでも彼は政府の統計は改善することが出来ると楽観的なようだ。だがこの問題に関して悲観的になる理由がある。

経済はデータを集めるのが比較的簡単だった時代では最早ない。現在のように無数にある小さな企業から情報を集めるよりも、ほんの数社が経済の大部分を占めていた1950年代や1960年代の方が情報を集めるのは簡単だった。起業したばかりの小さな企業は政府機関からデータを提出するように求められている部署などを設置していない。それに大きな企業までもがそのような部署を削除している。当然の結果として、政府でデータを集めている人々は昔ほどには正確なデータを集めることが出来なくなっている。

それに製造業よりもサービスの方がデータを集めることがより難しい。私が昔に経済予測をしていた頃には、電話2回分ぐらいで必要な情報を得ることが出来た。例えばUSスチールからその月の生産量を、Atchison, Topeka & Santa Fe鉄道から車両の積載数を電話で聞き出すだけでよかった。経済が好況に向かっているか不況に向かっているかを確実に知りたければ、貿易センターにダンボールが幾ら製造されているかを尋ねるだけでよかった。現在そのような方法で経済の予測を行おうとすれば、その時点で経済の70%に何が起こっているのかを見落とすことになるだろう。だが例えば先月に製造されたソフトウェアの価値を調べようとすればもしくは法的サービスの数量を調べようとすれば、正解に少しでも近い値すら得ることは出来ないだろう。政府はデータを集める方法を変えることは出来るかもしれないが、大部分がサービスで構成される経済に特に小さな企業が段々と支配的になってきている経済に対応することは出来ないだろう。

ここからは3つの重要な結論が得られる。第一に、我々はアラン・グリーンスパンがずっと健康でいることを祈るべきだ。彼はデータが不完全であることをよく理解し、その不完全さを主要な人や企業から集めてきたデータで埋め合わせている。それにより不完全なデータに頼るよりも金融政策に大きな改善がもたらされている。

第二に、社会保障を民営化するようにもっと呼びかけるべきだ。これは政府がCPIをどのように計算するかに利益を左右される人の人数を減少させるだろう。そして将来のインフレに関する投資家の期待がすでに織り込まれた価格で彼らに証券への投資を促すだろう。

最後に、大きな政府の信奉者はその過剰なまでの思いあがりを捨てて少し謙虚にならなければならない。数百万人の「貧しい」人々が助けを必要としているとデータ上ではなっていたとしても、その75%以上が車を所有していて40%以上が家を所有していることを不思議に思わなければならない。
How Spending Sapped the Global Recovery

RUCHIR SHARMA

世界の指導者たちがダボスに集まる来週に、政府支出拡大キャンペーンに誰が加わるか予想してみるのは興味深い。オバマと財務長官のジャック・ルーはヨーロッパにもっと支出せよと命令している代表例だ。IMFと前財務長官のラリー・サマーズは道路や空港を建設するために借りたお金はそれ以上の税収を生み出すとまで主張している。彼らの主張によると、先進国の政府がもっと支出さえすれば、世界経済の将来は明るいという。

だがその忠告に駆け込む前に、中国、ロシア、ブラジルなどの所謂新興国と呼ばれた国々がどうなったのかを振り返ってみる必要がある。中国を除く新興国の成長率は支出キャンペーンが始まる前には平均で7%以上だったのが現在では2.5%まで低下している。この成長率は世界中を襲った不況以外では過去40年間で最も低い。これらの国の指導者にとっては、景気刺激というのは悪い意味となっている。

彼らの実験は2008の後半に始まった。西側の不況が深刻なことが明らかになると、これらの国々の指導者は、1930年代に消費者支出の減少を政府支出の拡大によって埋め合わせることにより不況と闘うようにアドバイスした英国人John Maynard Keynesの考えに従った。

かつて新興国と呼ばれた国々はアメリカやヨーロッパを凌ぐ支出拡大キャンペーンを行っていた。先進国が2009年と2010年の合計でGDPの4.2%を政府支出に費やしたのに対して、新興国と呼ばれた国々は6.9%を支出していた。

その数字には国家が統制する銀行に貸出を強制することによって注入され続けたお金が含まれていない。これらの統制は特に中国で景気刺激の規模を膨大なものにした。2008年以降、中国ではマネーサプライがほとんど3倍の2000兆円に膨れ上がった。今では経済の規模が遥かに大きいアメリカよりも多くの貨幣が中国では循環している(経済学では奇妙なことに銀行貸出を貨幣と呼ぶ)。

皮肉なことに、少なくとも2009年までは貧しい国の方が豊かな国よりも支出を行う余裕があった。ヨーロッパの政府とは異なり、新興国と呼ばれた国々の政府債務は相対的に少なく、外貨準備を持ち、財政は黒字であるか僅かな赤字という状態だった。彼らは浪費するお金を持っていたので、実際に浪費し、一時的には印象的な経済成長を生み出した。2009年に3%で底をつけたと思われた後、2010年には新興国と呼ばれた国々の成長率は2倍になった。

この結果に世界中のケインズ信者は勇気づけられた。2011年にはILOはヨーロッパ連合や他の組織と一緒になって、アジアが「急速に」、それよりは劣るがラテンアメリカが回復したのは景気刺激策のおかげだと宣伝する大キャンペーンを行った。リベラル派はGDPの12%を迅速に支出できた中国の統制経済をこれからの世界経済のモデルだとして絶賛した(スティグリッツを含む)。ところがその頃には、危機の火種は世界中にばら撒かれていた。

2010年以降、中国の成長率は3分の1以上低下し7%を下回るようになった。ブラジルは不況に突入し、GDPの10%も支出に費やしたロシアは、今では急激にGDPを低下させている(これは原油価格が急激に下落する前の記事)。

一体何が起こったのか?新興国と呼ばれた国々は2010年のほんの一瞬の成長を生み出すために将来から借り入れて現在ではその支払に直面している。新興国と呼ばれた国々の財政は2007年には平均でGDPの1.5%の黒字だったのが2014年にはGDPの2%の赤字へと陥った。

この赤字をファイナンスするために、政府債務は大幅に増加し財政はコントロール不能に陥った。原油が豊富なサウジアラビアとロシアを除いて、新興国と呼ばれた国々の経常収支は2007年には黒字だったのが2014年にはGDPの1.7%の赤字になった。銀行融資の10%が不良債権となったインドなどのような国では借り手はもう数ヶ月も返済を行っていない。そして不良債権は危機に陥った国有企業を救済するよう強制された国有銀行に集中している。

これらの負担はどうしてIMFや他の機関が2020年までの新興国と呼ばれた国々の成長見通しを4%(経済危機が頻発した1990年代の水準)にまで引き下げたのかを説明している(その見通しもどう見ても高すぎる)。1990年代だけが非常に異なっていた。この時にはそれらの国々には浪費するお金はなかった。頼ることが出来る貸し手もいなかった。彼らは改革を行うよう迫られていた。不良債権を整理し企業の競争力を高める必要があった。そして厳しい改革は過去10年間にそれらの経済に好況をもたらした。2008年以降、それらの国々が支出の拡大に走って改革を無視した。

フリーランチは存在しなかった。Mr. Summersは道路や他のインフラ投資のための政府借り入れが大きなリターンを生み出す可能性があるとのIMFの分析を根拠に政府支出の拡大を正当化した。だがインフラ投資に注力したはずの新興国と呼ばれた国々で起こったことはILOによれば投資リターンの激減だった。

新興国と呼ばれた国々すべてで、(工業)資本産出比率と呼ばれる生産性の重要な指標が急激に増加した。これは同じ規模の経済成長を生み出すのにより多くの資本(この場合はわかりやすく言うと債務)を必要とするようになったことを意味する。この減衰は中国全土の誰も通らない橋、入居者が誰もいないマンション、テナントがガラガラのショッピング・モールなどによってよく表されている。これらの大部分は2009年に慌てて建築が決定された無駄だらけのプロジェクトで、将来の経済成長を大きく犠牲にする。

いつものことではあるが、先進国はこれらの教訓にほとんど注意を払おうとはしない。新興国と呼ばれた国々の指導者たちが景気刺激策が逆効果だったと認めているにも関わらず、西側の指導者たちはケインズが蘇ったと未だに呆れるような主張をしている。中国の首相Li Keqiangは景気刺激策を用いて経済成長を生み出そうとすることを「持続可能ではなく」そして「新たな問題を生み出す」と警告した。中国の政治家たちは新たな支出を発表する時にもそれは景気刺激のためではないと口にせざるを得ないようになっている。

メキシコ中央銀行総裁のAgustín Carstensは、長期では「財政政策と金融政策は経済成長を生み出すことは出来ない」と最近語ってくれた。そしてインドの前財務大臣P. Chidambaramは巨額の財政赤字とインフレを生み出した支出キャンペーンのせいでインド政府は「経済のコントロールを失った」と認めたのだった。

結局アメリカの大学費用は安かった?

College Too Expensive? That’s a Myth

LAMAR ALEXANDER

大学の費用はそれほど安いものではない。だが多くの人が考えるほど高いものではない。それにも関わらず政治家や評論家は生徒が大学の費用を支払うことが出来ないと主張する。それは間違いだ。ほとんどの人は支払うことが出来る。

例えば、2年制の公立大学は所得が低い生徒にとっては無料かもしくはほとんど無料だ。College Boardによると、コミュニティ・カレッジの入学費と学費は平均で年間に30万円ほどだ。そこに入学する生徒に送られる連邦政府のペル・グラント(返す必要がない)も平均で30万円ほどだ。

4年制の大学では、入学費と授業料は平均で90万円ほどだ。テネシー大学では、入学費と授業料は120万円ほどだ。生徒の3分の1はペル・グラントを受け取っている(金銭的必要性に応じて60万円ほどまで支給される)。そして州内の生徒の98%には州からHope Scholarship(1年生と2年生には年間に35万円ほどが、3年生と4年生には45万円ほどが支給される)。州は同じようなプログラムを幾つか運営している(National Association of State Student Grant and Aid Programsによると、85%が奨学金の形で1兆1200億円が2013年には支給されている)。

ほとんどの生徒にとって、4年制の公立大学は十分に支払うことの出来る範囲にある。

民間の大学はどうか?College Boardによると、生徒の15%ほどが民間大学に通っており、入学費と授業料は平均で300万円ほどとなっている。ジョージタウン大学の費用はさらに高い(500万円ほどだ)。そこの学長であるJohn DeGioiaはジョージタウンや他の民間大学が費用を安いものにしているかを私に語ってくれた。

第一に、ジョージタウンは家計が支払うことの出来る金額を計算することから始める。それからwork-studyプログラムの下で週に10時間から15時間働く条件で4年分の費用170万円を借りるかどうかを生徒に尋ねる。ジョージタウンは残りの費用を支払う。その費用は総額で年間に100億円ほどになる。

グラント(返済なしの奨学金)、働く、貯蓄以外にも連邦政府によるローンがある。これらのローンのことに関してよく質問を受ける。納税者は十分に寛容か?大学へのローンは良い投資になるか?生徒は借りすぎていないか?(不正使用の方が問題ということはメディアの口から決して聞かれることはない)。

生徒は1年生の時に、55万円まで連邦政府からローンを借りることが出来る。生徒が3年生や4年生になると75万円まで限度額が引き上げられる。今年度の新規のローンに掛かる金利は法律によって定まっていて4.29%の固定金利となっている。最近の卒業生はこのローンを可処分所得の10%ほどで返済できる計算になる。そしてその金利で生徒が20年以内に払い終わることが出来なかったら、納税者はそのローンを免除する。

1000万円以上の債務を抱えた生徒のホラーストーリーはどうか?それらはすべてのローンのうちの4%を占めるに過ぎずその借り手の90%は医者、弁護士、ビジネススクールの生徒などで占められている。

借り手の700万人がデフォルトしていると報道されているが、ここでのデフォルトの定義は少なくとも9か月間支払いがなかった場合として定義されている。その定義ではローンの10分の1がデフォルトしていることになるが、Education Departmentはそのほとんどが最終的には返済されていると語っている。

ここに大学の費用をもっとファイナンスしやすくなるような5つの提案がある。

・学位をもっと速く取得できるように従来からの学期中だけではなく、ペル・グラントを一年中申請できるようにする。

・混乱を招きやすい連邦政府からの援助プログラムへの応募用紙の記入項目を簡素化する。9つのプログラムを2つに統合する。

・借りすぎていると思われる生徒へ大学がカウンセリングを行うことを難しくしている法律や規制を変える。

・生徒への貸出を行う際のリスクを大学にも共有させる。これは大学に計画的な借り入れ、期間通りでの卒業、きちんとした返済を生徒に奨励するようなインセンティブをもたせる。

・本来であれば生徒を助けるために支給されている州からの補助金を吸い上げている連邦政府の規制を削減する。Boston Consulting Groupは、例えばヴァンダービルト大学は連邦政府の規制を順守するためだけに1年間で150億円を支出していることを明らかにした。これによりヴァンダービルト大学の生徒の入学費が110万円上昇していることになる。

(参考:Mr. Alexanderは上院の教育委員会の議長を務めている。彼はEducation Departmentの長官とUniversity of Tennesseeの学長、Tennesseeの州知事を務めている)

2016年7月10日日曜日

経済学者はどうしてこうもレベルが低いのか?

自著の宣伝のためか、何故か所得格差が拡大したということにしたがるテイラー・コーエンによる意味不明な論文の紹介記事。そしてその論文はスコット・ウィンシップによってすでに批判されていることの紹介。

Growth of income and welfare in the U.S, 1979-2011

Tyler Cowen

John Komlosによるこの新しいNBERからのペーパーは本当に興味深く、私の自著「average is over」で題材にした中間層の消滅という現象をよく表している。

「我々はCBOの課税後、移転後のデータを用いてアメリカの各所得階層毎の実質所得の成長率を推計した。これに退職時に発生する所得の現在価値だけを含め、CBOの所得の推計には含まれている「労働者によって負担される法人税」などのように現在の購買力や効用を増加させないものは除外して改善を加えた。高いインフレ率を示すCPIと低いインフレ率を示すPCEの2つを価格指数に用いた。主な発見は中間層の「消滅」という一語で表すことが出来る。この推計によると、中間層を示す第二階層と第三階層の所得は年率0.1%から0.7%の間で増加していた。すなわち、ほとんどゼロと区別が出来ない。その弱弱しい増加でさえも大規模な所得の移転によって達成されている。対照的に、所得上位1%の所得は年率3.4%から3.9%の間と天文学的な増加だった。従って、所得上位1%の第一階層に対する所得比は1979の21から2011の51へと増加した。だが最も所得が低い層に対して他に所得比を増加させた所得階層は存在しない。奇妙なことに、所得分布の96%タイルから99%タイルを占める層であっても所得が最も低い層に対する所得比を8.1から11.3にしか増加させていない。それから限界効用が逓減するとの仮定の下で効用の増加率の計算を行った。関数を対数効用型と仮定すると中間層の効用の増加率は0.01%から0.7%の間となりほとんどゼロと区別がつかない。相互依存的効用関数の下では第五階層の効用だけが有意な増加を示す一方で第一階層から第四階層までの効用は無視できるか負でさえもあった」。

How Not To 'Improve' Income Trend Estimates

Scott Winship

John Komlosという名前のドイツの経済学者による新しいペーパーがあり、彼はCBOの所得の推計を「改善」させると「所得上位1%を除いて多くのアメリカ人の所得は1世代前の親の所得をほとんど上回ることなく、相対所得という観点から見るとほとんどすべての人が悪くなっている」と主張した。間違い、間違い、間違いだ。

彼がどのような操作をしたのかすべてがはっきりと分かっているというわけではないが、彼はCBOの最新のスプレッドシートを使用して操作をしたと示唆している。私はそのスプレッドシートを何度も何度も使用している。だから彼の主張は間違いだという警告が私の中に鳴り響いた。私は20分程で再び推計を行い、いつも通りの結果が返ってくるのを確認したのだった。要するに、ほとんどのアメリカ人の所得は大きく増加しているという結果だ。彼の「ハイ・エンド」の推計は私のものとそれほど変わるわけではない。だが彼は「ハイ・エンド」を「ロー・エンド」として用いるべきだ。彼のロー・エンドの推計は所得を非常に低く見積もってしまうとしてとっくの昔に放棄された手法に大きく依存しているためだ。そして彼がその手法を用いているという事実だけが中間層が消滅しているという黙示録的な主張を彼にさせている原因となっている。

第一に、彼が行ったという「改善」とやらを確認してみよう。CBOは法人税によって労働者と投資家から徴収される額を所得として含めている。その一部は労働者に他の一部は投資家に割り当てられている。彼はそれを差し引いている。残された所得から法人税も差し引いているのかは定かではない。家計の所得から法人所得税を差し引きながらもそれを課税によって徴収された所得として認識していないのであれば、彼はこの形態の所得を実質的に2回差し引いていることになる。一度目はそれを所得として含めないことにより、二度目はそれを税として除外してしまうことにより。

第二に、彼は雇用主の社会保障負担分(給与税)からの所得を現在価値へと変換している。この所得は労働者が退職するまで支出することは出来ないとの理由で。だが人々は自分が負担したよりも多くの給付を受け取る傾向にあるので、割り引かれるべき将来所得は現在の雇用主の社会保障負担分よりも大きい。遥かに良い方法は退職者の所得を民間の年金、公的年金、メディケアから計算して生活費の上昇を調整するためにそれをデフレートすることだろう。何故かと言うと最初に稼いだ所得は貯蓄されそれに時間価値が加わるためだ。要するに、調整するのであればバックエンドですべきであってフロントエンドですべきではない。

彼の社会保障税の取り扱いにはそれよりも大きな問題が存在する。彼が(雇用主と従業員から)所得から社会保障税を全額差し引いて、同時に税として徴収される所得を除外しているのであれば、ここでの問題は彼の法人所得税の取り扱いの問題と似たものになる。

これら最初の2つの「改善」はそれほど大きな問題では無いことが明らかになる。彼がした3番めの「改善」の方がより問題だ。彼は民間と政府の医療保険を所得から取り除いている。民間の医療保険を所得から除外することは問題ないと彼は語っている。私にはその理由はよく分からない。メディケイドとメディケアが無視できる理由として、その給付が時間によって「それほどは」増加していないからだと彼は主張している。

これは大胆な主張だ。何故生活費の調整が質の改善とは関係のない医療価格の上昇を説明することに失敗するのかという疑問に答えなければならない。価格指数が正しく機能しているのであれば保険部分の所得の増加を真の改善を反映した部分へと選り分けることが出来るだろう。さらに、何故彼はBEAやBLSのエコノミストが価格指数には強い上方バイアスがある(逆に、「所得」には強い下方バイアスがある)と結論しているのを間違いだと考えるのか説明する必要がある。

彼は4番目の「改善」として価格指数に「CPI-U」と「PCE」を用いた結果を用いている。これも改善でも何でもない。大きな誤りだ。

PCEは商務省のBEAという部署で作成されている。私の記事の読者は価格指数としてPCEを用いることの正当性が極めて強いということを知っているだろう。その理由は「消費の代替」を考慮に入れているためだ。物の値段が上昇すると消費者は他の物を購入してスイッチすることが出来る。その結果として、消費者が経験する効用の損失は他の物が購入できない場合に比べると同程度の大きさとはならないだろう。

BLSが作成しているCPI-Uは代替バイアスを1999にまでしか遡って調整していない。それ以前の推計の試みはまったく行われていない。それに1999以降の修正でさえも部分的なものでしかない。CPI-Uはガーラアップルの値段が高騰した時に消費者がレッドデリシャスアップルを選択するようになるということは考慮に入れることが出来る。だがりんごが高騰した時に消費者がオレンジを選択するようになるということは考慮することが出来ない。

Komlosは1999以降の改善はそのままに1978まで遡って改善を加えた第三の価格指数「CPI-U-RS」を用いることが出来たはずだ。これはCPI-Uよりも遥かに良い。これがこの分野を専門にしている経済学者がCPI-UではなくCPI-U-RSを用いる理由だ。主だった政府の統計機関は1980年代後半から1990年代初期にはCPI-Uからこちらに切り替えている。

要するに、KomlosはCPI-Uを用いるべきではない。彼はこの問題自体を知らなかったように思われる。彼は代替バイアスに言及していないどころか、我々はどの価格指数が優れているのかを判断することが出来ないとまで議論しているからだ。どの観点から見ても、国勢局やBLSがCPI-Uを用いているという彼の主張は間違っている。国勢局は所得の分析にCPI-U-RSを用いているしBLSはCPI-U-RSとさらに第四の価格指数である連鎖CPIを好んでいる。

この連鎖CPIの存在は重要だ。代替を完全に考慮する試みとしてBLSが作成した指数だからだ。不幸なことに、連鎖CPIは1999までしか遡ることが出来ない。だがこの指数はCPI-U-RSやCPI-UよりもPCEをより良く捉えている。PCEに対するCPI-Uの他の優位点のような議論は連鎖CPIがBLSによって作成された最も洗練された指数でPCEをよく近似していることを考えればほとんど無意味だ。実際、ここまで紹介してきた価格指数のいずれもインフレを過大に見積もっていることが知られている。これはPCEを用いても所得の増加率を保守的に評価していることを意味する。CPI-UではなくPCEを用いたものが「最も低い推計」と考えられるべきだ(CPI-Uでは「低すぎる」)。

彼は第五階層の平均的な家計の所得が1979から2011の期間に18%から39%増加したと報告している(そもそもゼロと変わらないとか言っていなかったか?)。中間層は7%から26%だとも報告していた。医療保険を除外して私が計算した時も第五階層の所得の増加は35%で中間層の増加は19%だった。

どちらも彼の推計の範囲内にあるので、法人税と社会保障税の取り扱いはその結果にそれほど影響を与えていないように思われる。CPI-Uを用いると所得の増加率は大きく低下する。だがそれは完全に捨て去られるべきだ。

彼がしているような推計は民間、公的を問わず医療保険に価値をまったく割り当てていない。それは正しいとは思われない。保険に加入していてもいなくても少しも関係ないということになる。ここで和解の提案がある。CBOが医療保険の給付に割り当てている値の半分を所得に加えることを提案する。そうすることにより第五階層の所得は42%(75万円)、中間層の所得は27%(139万円)増加することになる。これらは彼の「最も高い推計」を超えている。

これらの推計は人口の高齢化の影響を受ける。彼は使用していないが、CBOのスプレッドシートには非高齢者と高齢者とを分割することを可能にするテーブルがある。非高齢者の第五階層では所得が36%(72万円)、中間層では30%(158万円)増加している。高齢者では第五階層の所得は24%(36万円)、中間層の所得は30%(129万円)増加している。

彼は所得の変化を年率の成長率で表現している。そのために彼は年率0.7%の成長率を「苦難に喘ぐ中間層という一般的な印象を強化した」と解釈してしまった。「苦難に喘ぐ」というのは、彼自身の推計によると、97万円以上豊かになっているグループを形容するには面白い表現だ。だが私の推計が示唆するところでは、中間層の実質所得の増加は120万円を優に超えている。

最後に、現在の大人が彼らの親よりも豊かになっているかという問題設定は現在の平均的世帯が過去の平均的世帯よりも豊かかという問題設定とはまったく異なる。中央値のトレンドから所得の上方流動性を憶測するのは大失敗へのレシピだ。個人を追跡調査したデータを用いて2005に40代前半だった大人の世帯所得の中央値は彼らが子供だった頃の彼らの親の所得よりも39%高いことを私は過去に発見している。これはCBOが示した所得中央値の変化と極めて整合的だ。

それはそれらの大人が経験した所得中央値の変化が(彼らの親と比べて)39%の増加だったということを意味しない。一部の大人は所得が(親と比べて)上方に変化しただろうし他の人々は(親よりも)所得が低下しただろう。だが所得の低い層で少しでも世代間の所得が増加すれば所得の高い層で世代間の所得が大きく増加した場合よりも割合としては大きく上昇する。親の所得がわずか50万円だとしても子供の所得が100万円であれば親の所得の2倍になる。逆に親の所得が4000万円だったとすれば子供の所得が5000万円だとしても上昇はわずか25%に抑えられてしまう。現在の大人が実際に経験した親の所得に対する相対的変化の中央値は93%の増加だった。

従って、現在の大人は親と比べてほとんど所得が増加していないのではなく極めて豊かになっている。この所得の上方への流動性はオイルショック以降ほとんどの先進国の成長率が低下した環境下であったにも関わらず起こっている。だが中間層の所得を大幅に上昇させるには十分だった。これ以外の結論は証拠によってはサポートされていない。

John Komlos Responds To 'How Not to Improve Income Trend Estimates'

Scott Winship

私が先週批判したワーキングペーパーの筆者であるJohn Komlosは反論をしたいと申し出てきた。彼は私が掲載すると約束したので以下の文章をメールで送ってきた。私は彼の文章を一切編集していない。彼が私の批判に答えたことに感謝したいと思う。私の最初のコラムとそれに対する彼の反論、それに対する私の再反論をまとめている(括弧の中はWinshipが触れなかったことを補足)。

私のワーキングペーパーを注意深く読んでくれたことに感謝している。あなたのコメントによりこの論文に改良を加えることが出来るだろう。だが明らかに我々の間には対立が存在する。

4段落目:雇用主の社会保障税を割り引くこと:多くの人は支払った額よりも多くの給付が受け取れるとは思っていないことは言うまでもなく、少しでも給付を受けられるとは思っていない。そのことは、Pew Research Center, 2014. “Millenials in Adulthood. Chapter 2: Generations and Issues.” http://www.pewsocialtrends.org/2014/03/07/chapter-2-generations-and-issues/ accessed March 31, 2016.として私の論文の中で引用されている。「現在の若年世代の半分は彼らが退職する頃に少しも年金を受け取れないだろうと考えている(中略)残りの38%は給付が削減されるだろうと考えている」。これらの額はさらに割り引かれるべきだ。会計上の価値ほどには人々の現在の効用を高めていないからだ。私が述べているように、「これは雇用主の社会保障負担分は従業員の福祉(効用)を割引額によって示唆されるその僅かな額ほどにも改善させていないことを意味している」(ドイツの年金の方がアメリカよりも少ないということも知らない)。少なくともこの点には同意すべきだと思われる。将来の所得を割り引くことは経済学では標準的な手法だからだ(問題は、所得格差の話をするのだと思っていたら何故か効用ベースの話にすり替わっていること)。

退職所得をフロントエンドではなくバックエンドで調整すべきだという指摘:私は2011の所得に対して計算を行った。現在雇用主が負担している支払いに対して現在の20歳が45年後にいくら受け取るのか私には分からない。従って、それをどのように行えばよいのか分からない。いずれにせよこの割引がバックエンドでの調整をほとんど無意味なものとするだろう。適当に見積もったところによると、雇用主による1ドルの負担は所得分布の第二階層の被雇用者に対して10セントの現在価値、第三階層の被雇用者に対して14セントの現在価値に相当する。さらなる調査が必要だろう。

6段落目:「雇用主の医療保険の負担分」は(割合で見て)ほとんど変化していない。よってこれを除外しても成長率(変化率)には影響を与えない。メディケアの支払いは増加しているが、これは大部分が人口の高齢化によるものと考えている。これらの推計を年齢で調整できるようになるまでは、メディケアとメディケイドを所得から除外しておいた方が適切だと思われる。

それに加えて、メディケアやメディケイドの数字は私にとってはあまり意味を成さない。ここに2011のドルで見たCBOの推計がある。

第二分位や第三分位が所得の低い第一分位よりもメディケイドの給付を多く受け取っているということは私には理解できない。メディケイドにはミーンズテストがある。第二分位と第三分位は1979まで遡ってみても第一分位より給付を多く受け取っているということはない(受給資格を満たしていないので)。第三分位の平均所得は552万円だ。彼らは受給資格を満たしていなかっただろうと私は考える。

それに所得上位1%までがメディケイドを受給しているというのはありえるのだろうか?

それに加えて、どうして第二、第三分位の人々のメディケアの給付が最大で第一分位の人々が最小だと言うのか?年齢による影響のようなものを想定しているのか?

さらに、これらの金額の増加は信じられない程に大きなものだ。年齢が関係ないのは明白だ。第二分位の人々はX線撮影や他の治療を1979と比較して4倍受けている。メディケアの増分を以下に示す。ここではメディケアの支払いの増分を過去からの倍率で示している。

実際にどのようなことが起こっているのか私には分からない(一気にネタレベルに突入した)。だが数字の誤りが強く示唆される。

7段落目:BEAが医療価格指数を正確に推計出来ているとはあまり思われない。BEAのエコノミストはインフレ率に関する判断を誤っていると私は信じている。彼らは不透明なヘドニック法を用いている。よって、どのような意味を持つのか知ることが非常に困難だ。操作?不正?の余地が多くあるように思われる。例えば、BEAは1979年に4万8000円したテレビは現在では2600円の価値だとしている。それは私には馬鹿げているように思われる(1979年のテレビが未だに5万円で売れると考える方が遥かに非現実的では?)。現在のテレビの費用の残りは質の向上に割り当てられている。それを、2000年以降所得が低下している消費者に言ってみるといい。テレビの写りが良くなっているのだから悪く考えることはないのだと。ヘドニック法は消費者が両方のタイプの生産物を選択できる場合にのみに正確に行うことが出来る。だが古いテレビは購入することが出来ない。従って、私はヘドニック法が正確に行われているとは思わない。言い換えると、消費者は新しい商品を購入するように強制もしくは迫られている。そのような場合には、ヘドニック法の使用の根拠となっている仮定は現実には成立しておらず、ヘドニック回帰はそれらの機能に対する消費者の支払い意欲を正確には反映していないかもしれない(むしろ正確に反映していると考えている経済学者の方が少数派で、ほとんどの人はヘドニック法の後でもインフレは過大に評価されていると考えていると思う)

ここから分かることは、価格指数がどれほど完全からは程遠いかということだ(そのような理由で格差の拡大という捏造を受け入れろと言われる国民はたまったものではない)。私はそのことにエッセイの中で幾つか触れている。価格指数は田舎に住んでいる人々のことを考慮していない。そして最も重要な事に、価格指数は所得階層毎には利用することが出来ない。これは所得格差の分析を不正確なものにする。実際、所得階層毎の価格指数を用いることなしには所得分布を正確に推計することははっきり言って出来ない(所得階層毎の価格指数を用いると格差の拡大と云われていたものはきれいさっぱり消えてなくなることを示したBroda&Romalisを参照)。さらに、価格指数を計算する際の医療の重み付けが2つの指数で大きく異なる。これは問題だ。医療はCPIでは6.1%の比重を占めるに過ぎないがPCEでは20.3%を占める。この違いはPCEには家計による支払いだけではなく保険会社による支払いも含まれるためだ。そして医療価格指数にもヘドニック法が用いられていて、それがどれぐらい正確なのかは誰にも分からない(医療費の増加を100兆円ぐらい過大に評価しているという推計があったような)。

8段落目:CPIは重要だ。CPIはPCEより正確だと考える。PCEには卸売価格と(家計所得から直接支払われるのではない)家計の代理で行われる支払いが含まれているためだ。PCEで使用される重み付けは支出ベースではない。

9段落目:代替効果がそこまで重要だとは思わない。医療や大学の費用などのような出費の大きなものには代替となるものがそれほどないからだ。交通にも同じことが言える。自動車の価格が上昇した時、それを代替することは難しい。

代替効果を無視すべきだと言っているのではない。それが最も重要な問題だとは思わないだけだ。むしろPCEが支出ベースの重み付けを使用していないことの方が大きな問題であるように思われる。ヘドニック法ももう一つの大きな問題だ。よってそれを信用することは出来ない。

10段落目:私が調べた限り価格弾力性の数字は非常に低いことを示唆している。例えば、食料などは-0.05の範囲だ。りんごの代わりにオレンジを選ぶ消費者の意欲は小さいに違いないと考える。

11段落目:CPI-U-RSの存在を教えてくれて感謝している。それには気が付かなかった。サンフランシスコ連銀のFREDデータベースにはそれが含まれていなかった。だからそれを使用して成長率の再計算を行い以下のような結果が得られた。

その違いは年率で0.15%だった。前の分析に大きな変更を迫るものではない。率直に言うと、CPI-U-RSに関して説明されていたものは説得的には思われなかった。BLSが持ち家のレンタル価格指数をどうして使用しているのか理解することが出来ない。「1983に、CPI-Uの住宅を構成する部分が住宅を購入する費用からフロー・オブ・サービスのアプローチに変更された時に大きな改善が導入された。レンタル価格との等価性が1978から1982にCPI-U-RSに組み込まれた」と記されている。住宅の所有者が支払った金額の方がそのような帰属的アプローチよりも良い指標だと考える。率直に言って、それらの帰属的な方法は信用出来ない。すまないが、私はそのような方法を強く支持していない。

12段落目:国勢局は特定の目的のためにはCPI-Uを使用している。「CPI-Uはインフレに対して貧困線を調整するために使用される」と記されている。

13段落目:連鎖CPIが1999までしか遡れないのであれば、私の目的には使用することが出来ない。私は価格指数がインフレを過大評価しているとは思わない。ヘドニック法を使用していることにより、むしろ過小評価していると考えている。BLSは1979のテレビは現在では2600円の価値しかないと言っている。質の改善によってここまで価格が下がったのだそうだ。問題は、古いテレビは現在購入できないということにある。ヘドニック回帰は両方の商品が購入することが出来ると仮定している。そうしてこそ初めて価値を知ることが出来る。私は2005年頃に母のためにテレビを購入した。確か8万円ぐらいだったと思う。10年後に私が購入したテレビは同じ価格帯だった。ピクセル数も増えたしチャンネル数も増えた。だがそのテレビからは私の母が得た以上の満足感を私は得ることが出来なかった。だがそのテレビの価格は劇的に下落したとその価格指数では評価されるだろう(それは誤解とBLSはすでに回答している)。

それに、完全に新しい製品やサービスがどのように扱われているのかも私には分からない。ケーブルTV、インターネット、携帯電話などは1979年にはどのような価値があるとされていたのか?現在ではインターネットや携帯電話なしには職探しをすることは難しい。これらは低所得者や中間層より所得が少し下の層が社会の規範についていくのを難しくしている。それが人々が苦しんでいて債務に走る理由だ(実際には債務比率は減少)。そのような効果がインフレ率に反映されているというということには強い疑いを抱いている。

15段落目:上の数字によるとCPI-UはCPI-U-RSよりも0.15%低い。

16段落目:医療保険は割合としてはこの期間に増加していない。労働所得の3.1%から4.3%だ。将来には不確実性があるので割り引かれなければならないが。どれぐらい割り引けばよいのかは分からない。さらなる調査が必要だろう。

メディケアとメディケイドの数字は私には信用できるものとは思われない。これに関してもさらなる調査が必要だろう。

17段落目:これらの数字には割り引いたものではなく「雇用主の社会保障負担分」の全額が含まれている。「投資家と労働者が負担した法人税」も含まれている。被雇用者が給与明細の中でこれらを目にすることはない。問題があると私が思っているメディケアとメディケイドの数字もここには含まれている。そしてPCEを使用した。

18段落目:最も高い推計は第二分位で57.6万円、だが第一分位では54.0万円だった。

だが低い方は第二分位でゼロ、第三分位で14.4万円だった。これは年間で4500円の増加だ。このように小さな変化を感じ取れる人が多くいるとは思えない。

その上、ドルの価値はそれほど重要な問題ではない。効用の観点から見てこれらの数字がどのような意味を持つのかを把握するためには数字を効用関数に落とし込まなければならない。そして効用の増加はほとんどない。「第二、第三分位の効用の増加率は(所得で見た場合よりも)さらにゼロに近づく(0.01%から0.20%)」。

すべての推計が効用の低下を示すというより悲観的な結果を示した相対的所得効用関数の方も考慮すべきだ。CPIを使用するかPCEを使用するかはこれには関係がない。これは決定的だ。何故ならこの結果はこの国に蔓延する不満に適合するからだ(90%以上のアメリカ人が再び生まれ変わるのだったらアメリカがいいと答えている)。ここでのポイントは誰かの効用を社会的に標準と見做されるものとの関係で測ることで、そしてその標準は中間層の所得の増加率を大幅に上回る形で上昇していっている。

19段落目:中間層の所得の増加は私の推計では14.4万円から96万円の間だ。上で述べたような理由により100万円以上の増加というのは考えられない。その増加というのもほとんどすべてが政府からの移転による(この主張もとっくに否定されている)。

あなたが言うように中間層が豊かになっているのであれば、世論調査にそれほど不満が現れたりはしないだろう。これほど多くの自殺もなければ(アメリカの自殺率は先進国で低い方)、これほどの囚人(ドイツの方が犯罪者の割合が高い)も政治に不満を抱く投票者もいないだろう(不法移民やテロを起こす可能性のあるイスラム教徒に懸念を抱くと政治に不満があると見做す論理の方が意味不明。それだったらヨーロッパは不満だらけだ)。あなたの楽観的な見方はこの国で起こっていることとは整合性が取れない(頭がおかしい)。

20段落目:興味深い研究のように聞こえる。だがそのページは現在フォーブスでは見ることが出来ない。

21段落目:以下の例を考えてみよう。所得が480万円の人がいるとしてその人の親の所得は32年前には360万円だったとしよう。だが現在のメディアンは600万円だ。この人は親よりも所得が高いことに喜ぶべきなのだろうか、それともメディアンを大きく下回っていることに不安を感じるべきなのだろうか?(メディアンが増加していないのではなかったのか?)もしくは、工場が閉鎖されたのでそして金融危機の前には所得が540万円あったのでこの人はサラリーのカットを受け入れなければならないのだろうか?(最早まったく意味が分からない)この人は親よりも所得が高いことを喜ぶべきなのだろうか、それとも最近給料がカットされたことを悲しむべきなのだろうか?

それに加えて、その人の親世代は働き手が1人で家族を養っている割合が高かった。今では働き手が2人が標準的となっている(ドイツでは違うとでも言うのか?もしくは女性の社会進出は他の国では肯定的に捉えられるのにアメリカの時だけは格差拡大の揺るぎない証拠みたいな論調になるのか?)。だがその当時の家計は現在よりも2倍貯蓄することが出来たしクレジットカードの債務もなかった(貯蓄率の統計には深刻な欠陥がある)。現在では、クレジットカードの債務は家計あたり75万円ある(住宅ローンを含むローンが一般的ではなかったというだけの話)。それに加えて、働き手が2人になったことによりそれに関わる追加の費用、子育て費用であったり旅行費であったり服代であったりが余計に掛かる。

最後に:政府移転は実際には将来世代から現在世代への所得の移転にすぎないということにもっと心を配るべきだ。だがそれはこれらの計算からは除外されている。だが、債務の増大は多くの人々を不安にさせる。よって政府債務の一部は効用から差し引かれるべきだ。それにはさらなる調査が必要になるだろうが。

Final Word On How Not To Improve Income Trend Estimates

Scott Winship

彼のワーキングペーパーに対する私からの批判への彼の反論を週末にこのウェブサイト上で掲載した。私からの批判に彼が対応してくれたことには感謝している。だがこの議論から離れる前にそれに再び批判を加えたいと思う。驚くべきことではないが、私には彼からの反論は説得的なものには思われなかった。アメリカ人の所得は過去同様に大幅に増加していることは明らかだと私は考えている。

税の取り扱いを間違えているという私からの批判に対して彼は同意しなかった。だが私は彼が間違っていると確信している。この説明は細々としているのでもし興味がなければ「医療給付を所得から除外することに対する彼の正当化への批判」の段落まで飛ばしてもらっても構わない。

彼は労働者と投資家が負担した法人税は所得から差し引いたと語った。「(CBOのスプレッドシートの表6にある)列Dの市場所得にはこれら税の数字が含まれている」と記している。よって、彼は「所得から一度しか引いていない」と主張している。だが彼は課税後の所得のトレンドを見ているので、実際はこの所得を二度引いていることになる。

CBOのスプレッドシートの表6では所得階層は課税前の所得によって定義されている。それは市場所得(列D)と移転(列E)との合計で構成されている。彼が語っているように、市場所得は法人税を所得に含んでいる。その理由として法人税は(法人税がない場合と比較して)労働者と投資家を貧しくするからだということが挙げられている。これは課税前の所得を把握する方法としてはあまり良いものとは言えない。だがCBOの課税後の所得の推計がこの広い定義の所得から法人所得税を差し引くことによって求められているので彼のやり方は問題となる。

別の方法で説明してみよう。課税前所得は法人税の負担(列Mと列Q)プラス他の市場所得(列Iから列L、列P、列Rから列T)プラス移転(列W-AA)と等しい。要するに、課税前所得=C+OM+Tとなる。課税後所得はこれから法人税(列AF)と他の税(列AD、列AE、列AG)を引くことにより得られる。すなわち、税はC+OTとして考えられる。その場合では、課税後所得=C+OM+T-(C+OT)=OM+T-OTとなる。

彼がしたことはCを二度差し引くことだ。彼はCが課税前所得に含まれないようにと欲した。よって彼はナイーブにもそれを課税後所得から差し引いてしまった。そしてOM+T-OT-Cを「改善された」課税後所得として計算した。だがそれはC+OM+T-(C+OT)-C、もしくはC-C-C+OM+T-OTと等しい。彼がCを再び差し引いた時にはそれはすでに課税後所得の推計から差し引かれていたため、「C」は二度差し引かれていることが分かる。

似たような問題が彼の雇用主の社会保障負担分の取り扱いでも起こっている。給与税(社会保障負担分)として所得から徴税されていなければ本来労働者が受け取るはずだった所得をここでは彼は差し引いてしまっている。だが給与税が所得から控除されている時には彼は給与税を差し引いていない。課税前所得が雇用主の社会保障負担分プラス労働者の社会保障負担分プラス他の市場所得プラス移転(E+W+OM+T)、税が雇用主の社会保障負担分プラス労働者の社会保障負担分プラス他の税(E+W+OT)であれば、課税後所得はE+W+OM+T-(E+W+OT)=OM+T-OTとなる。このように計算するのではなく、彼は代わりにE+W(1/r)+OM+T-E-W-OT=W(1/r-1)+OM+T-OTとして計算している。これでは少なすぎる。

彼は雇用主の社会保障負担分を整合的に取り扱っていない。CBOがそれを賃金と給与所得もしくはビジネス所得から区別していないために出来なかった。だからといって雇用主の社会保障負担分を異なって取り扱って良いわけではない。雇用主であれ労働者であれ給与税は所得から徴収されるので、課税後所得のトレンドを調べるのであれば割引を行う必要はない。所得として計上されているすべての税は税として差し引かれることになるので、最終的にはOM+T-OTとなる。

今では、雇用主の社会保障負担分を課税前所得としてどのように扱うかが問題だ。割り引く必要がある理由として彼が挙げているのは、例えばこの所得を1ドルとするとその1ドルは退職まで手を付けることが出来ないので現在は1ドルの価値を持っていないからだとしている。だがこの1ドルは労働者が貯蓄するはずだった1ドルを打ち消すかもしれない。それによりその労働者は1ドル支出することが可能になる。CBOが割り引きを行っていないのはこれが理由だろう。

彼は1ドルの給与税の削減が貯蓄を生み出す可能性は民間貯蓄よりも遥かに小さいと恐らく反論するだろう。その場合には、雇用主の社会保障負担分として受け取られた1ドルを民間貯蓄の予想リターンと給与税からの貯蓄の予想リターンとの差で割り引くのが適切と思うだろう。

彼はそのようなことは行っていないし給与税からの予想リターンを推計することは困難だ。彼は現在の若年世代が年金とメディケアを受け取ることが出来ないとはまったく言っていない。現在の若年世代は年金を受け取れるか疑問に思っているという世論調査を引用しているだけだ。ミレニアム世代の考えが正しいと信じる理由はまったくないし、彼らがどのように勘違いをしていても給与税は年金だけではなくメディケアや失業保険の資金源にもなっている。

よって彼が「改善」と称しているものは単なる憶測以上のものではないし、繰り返しになるがこの所得は課税後所得には現れないのでそもそも割り引きを行う必要がまったくない。その議論全体が誤解によるものだ。

医療給付を所得から除外することを彼が正当化している部分に移ろう。メディケアの給付を除外することを、彼は「メディケアの支払いは(中略)大部分が人口の高齢化により増加している」と「信じている」からだとしている。

ここでも彼はCBOの推計を憶測によって「改善」させている。人口の高齢化によってメディケアの受給者が増えるというのは事実だろう。働き手が少なくなるのと同じように。だからといって賃金も除外するべきなのだろうか?もっと建設的な話に戻すと、彼は年齢の影響を所得から取り除くことを示唆している。もちろんそれが私が高齢者と非高齢者の推計を別々に分けて見せた理由だ。その改善には彼は興味を示さなかったようだ。

彼はCBOのメディケアとメディケイドの所得推計が、第二、第三分位が(所得の低い)第一分位よりも受給を受けていること、所得上位1%までもがメディケイドを受給していることをCBOが示しているのを見て「信用出来ない」としている。これらの推計が恐らくは問題ないのには幾つかの理由がある。

この問題の一部はCBOが所得分位をメディケイドとメディケアの給付を含む包括的な課税前所得で定義していることにある。彼は所得分位をそれらを除外したもので考えているのは明らかだ。CBOのスプレッドシートの表7は表6とよく似た方法で推計を行っている。唯一の違いは所得分位を課税前、移転前で定義してあることだ。これによると、メディケイドを第一分位は平均で55万円、第二分位は33万円、第三分位は15万円受給している。

表7と表6のこの違いは簡単に説明できる。メディケイドが所得に加えられると(課税前、移転前の所得で見て)第一分位から第二分位へと、そしてメディケイドを受給しなかった人から第二分位から第一分位へと移動する人が発生するためだ。

同じことがメディケアにも言える。課税前、移転前で所得分位を定義すると第一分位は78万円、第二分位は45万円、第三分位は34万円受給している。

他の問題はこれらの所得分位が(子供がいる、いない、世帯主が高齢者、非高齢者などを含む)すべての世帯で定義されていることだ。第一分位には高齢者が数多くいてそのため子供がいない世帯も多い。それらの世帯は子供がいる世帯とくらべてメディケイドの給付を受ける割合が遥かに小さいだろう。スプレッドシートの表16は第一分位で子供がいる世帯はどの分位かに関係なく子供のいない高齢者、非高齢者世帯よりも遥かに多くの給付を受け取っていることを示している。同様に、第一分位の高齢者世帯はどの所得分位かに関係なく非高齢者よりも多くの給付を受け取っている。

所得が多い世帯がどうしてメディケイドの給付を受け取っているのかは、これはCBOがSOIの納税申告のデータをCPSの家計とマッチさせる統計的手法に問題があることを反映している可能性もある。だがメディケイドの受給資格を満たすために資産を取り崩している世帯がいる可能性も存在する。

一つの例として、障害を抱える子供がいる所得上位1%の家計はメディケイドの受給資格を満たすところまで貯蓄を取り崩しかもしれない。その家計はその年度を裕福な状態でスタートさせたかもしれないが最後には貧しくなっている。その他のシナリオとして、メディケイドの長期療養ケアを受けるために貯蓄を取り崩している高齢者がいる家計が貯蓄を取り崩したり資産を売却したりしている間に所得上位1%になるかもしれない。

どちらにしてもこれらはすべてポイントを外している。第五分位もしくは所得上位1%からメディケイドのこの少額の給付を取り除きたいのであれば、それ以外の世帯の所得のトレンドにはほとんど影響を与えないだろうからだ。

彼はメディケイドとメディケアの拡大ぶりが信じられないとも語っている。だがその結論に至るまでの彼の論理はひどいものだ。第二分位のメディケアの給付の増加が1979から2011の期間までに340%だったことを受けて、「所得の第二分位が1979よりも治療を4倍受けているということは考えられない」と彼は記している。

もちろん、第二分位の人々が同じ治療を昔よりも4倍受けているというわけではない。まず第一に、メディケアの受給者は増えている。よって人口の高齢化はメディケアからの所得を医療の利用率に変化がなかったとしても増加させるだろう。第二に、医療保険一般の傾向を反映してメディケアは昔よりも給付の範囲を遥かに拡大させている。第三に、これらすべての要因に加えて人々は医療の利用率を増加させたのかもしれない(4倍というわけではないだろうが)。

National Health Expenditureのデータは1980から2011の期間にメディケアの支出が6.1倍増加したことを示している。CBOのデータもメディケアの給付からの所得がこの期間に6.7倍増加したことを示している。ここには少しも矛盾がない。CBOの推計はメディケアのトレンドと完全に整合的だ。

生活費の調整に話を移すと、彼はBEAのエコノミストがPCEでさえもインフレ(医療価格のインフレも含む)を過大に評価していると結論していることを拒否している。彼はPCEの消費バスケット内の数百の商品のうちのたった一つ、テレビの価格変化を引用してPCEが行っていることはすべてが「数多くの不正操作」に過ぎないと結論している。1979年では4万8000円だったテレビが現在では2600円の価値だということを受けて、「2000年以降所得が低下している消費者にそう言うといい」と語っている。

だがより包括的なCBOのデータや他のデータによると、所得は2000年以降低下などしていない。彼は自分の分析を外部からの実証的に間違っている主張によって正当化しようとしている。

彼はPCEやCPI-U-RSよりもCPI-Uを好む幾つかの理由を挙げて自分の主張を正当化しようとする。彼の挙げている理由はポイントを外している。他のところで私が説明しているように、BLSによって算出されている最も洗練された価格指数はPCEをかなり良く近似していて彼の挙げている不満とは関わりを持たない。

彼は政府のエコノミストや統計機関が数十年に渡ってCPI-Uの問題点を指摘し続けて得た結論を拒絶しているということを読者は知るべきだ。彼らの結論を信じないと彼は単に述べているに過ぎない。これは建設的な議論の仕方とはとても言えないだろう。

彼はCPI-Uが貧困線を更新するのに用いられていると言っているが、それは1969年に旧「予算局」によって決められた政治的決定で実証に基づくものではない。CBO、BLS、国勢局、Fed、これらすべてが研究目的のためにはCPI-U以外の価格指数を用いている。それも20年以上も前から。

彼はPCEでさえも所得の増加率を過小に評価しているという私の主張に答えようとしていない。私は価格指数の専門家たちと話し合ってこの結論に達している。ヘドニック法などのようなものに対する直感的な考えさえあれば、彼らの議論に向き合う必要などないと彼は考えているようだ。だから彼はとうの昔に否定されたCPI-Uに基づいて最も低い推計を引用し続けている。

彼はむしろ私に効用の変化に関する彼の議論に向き合うように要求している。だが効用のトレンド(時間変化)を推計することは所得よりも遥かに疑いの余地が大きい。効用の水準と分布を推計することはモデルの仮定に強く依存する。例えば、彼は所得の相対的分布が効用にも影響すると仮定している。彼のモデルでは所得の水準ではなく所得の集中度が効用を低下させる。

そのような仮定もある程度までは許容の範囲内にあるのかもしれない。だが相対的所得が絶対的所得と比較してどの程度影響を与えるのかは定かではない。それにこの手の議論は経済学にとっては有益でない方向へと我々を導くだろう。実証的な問題と規範的な問題とを混同させることになるだろう。

私の効用の水準は所得の集中によって影響を受けるかもしれない。だがそれは権利に関する私の意識にも影響を受けるかもしれない。もし近隣の住民が私に対して援助をするべきと私が考えていれば、それも効用の水準に考慮しなければならないのだろうか?アメリカの中間層がこれまで通り豊かで世界的に見ると所得上位1%を優に上回っているとしても、豊かなことに慣れてもっと豊かになりたいと思っているためにその不満を考慮に入れることは適切なのだろうか?

もちろん生活水準に関する不満の程度というのは実証上の問題で、不満が拡大しているという彼の主張の裏付けとなるものを何一つ提示していない。

自殺率は1999年以降僅かに上昇している。だが経済がその理由であればこれよりももっと大きな変動を目にするだろうしアフリカ系アメリカ人の自殺率は白人よりももっと高いはずだろう(実際は白人よりも低い)。

囚人の人数は犯罪のトレンドに非常に良く一致している。犯罪のトレンドは経済のトレンドとはほとんど一致を示さない。

彼はこれらの主張を補強するデータを一つも示したことがない。彼は自分の主張を思い込みによって正当化しようとしているように見える。

彼は不満が拡大しているという主張に対しても証拠を示したことがない。実際、消費者指数は過去35年間と変わらず高い水準にある(1990年代後半の好況期を除いて)。(見掛け上は高そうに見える)経済を不安に挙げる人の割合は飛行機事故や犯罪もしくはテロの被害に遭うという確率的に極めて低いイベントに対して不安を挙げる人の割合とあまり変わらないことを調査は示している。この手の反応をそのような文脈なしに解釈することは困難だ。

それに加えて、世論調査への反応は他の人々は自分自身よりも悪いと一貫して示す傾向があることが知られている。このような現象は経済に限られるのではなく、一般的に「自分は良い、他の人々は悪いと思いたがる症候群」として皮肉られている。

例えば、ある3月の世論調査は自分たちの子供は自分たちよりも豊かになると58%の人が回答して33%が貧しくなると回答していたことを示した。だがその世論調査が質問の内容を「大部分の子供たち」は「自分たちよりも豊かになると思うか貧しくなると思うか」に切り替えたところ、奇妙なことに43%が豊かになると回答した一方で48%が貧しくなると回答した。これを納得できる形で解釈しようとすれば、人々は自分自身の生活に関する情報は相対的に持っているが他人の生活を判断する際には過度に悲観的な情報源に依存している(Komlosの論文のような情報源)ということだろう。

その世論調査では、72%のアメリカ人が自分たちは親よりも豊かになったと回答していて20%が貧しくなったと回答しただけだった。私が彼への批判として最初に示した分析の中にあったように、人々は自分たちが親よりも豊かになっていると感じていることは間違っていない。現在の大人は親が同じ年齢だった頃よりも93%豊かになっている(所得がほぼ2倍になっている)。私がかつて働いていたPew Economic Mobility Projectは現在の大人の67%から84%が親よりも所得が高くなっていることを発見した。

この点に関して、彼はこの所得の増加は働き手が2人になったことが主な原因だと反論してくるかもしれない。これは生活が苦しくなったことを反映していると彼は信じているようだ。

だがかつては働き手が1人でも達成できていた生活水準を現在では「働き手が2人掛かるようになった」という議論を支持する証拠はない。男性の賃金はそれほどは増加していなくても少なくとも低下はしていない。労働時間が最も増加したのは教育水準の高い男性と結婚した女性だ。労働時間は既婚の男性では減少しているが単身の男性では減少していないことは、既婚の男性は第二の働き手から得られる所得に反応して労働時間を短縮させている可能性を示唆している(夫の賃金が低下したために働かざるを得なくなったのではなく)。

さらに、女性の労働参加率の上昇は1940年代に始まっている。女性の労働意欲は高まっていて、それが世界中で女性の教育水準が高まった一方で結婚や出産が先延ばしもしくは減少、そして出生率が低下している理由だ。

彼は共働き世帯の所得から仕事に関連する費用を差し引きたいと考えている。Elizabeth Warrenがロー・スクールの教授だった頃に経済に関するひどい議論をしていたように(この話題はまた別の場所で)。だがこの議論を真に受けるのであれば、女性が仕事から得る精神的な満足感も「所得」として加えなければならない。女性が仕事をして、ネットで見て、仕事に関連する費用のために家計にまったく所得を加えていないのであれば、その女性はお金以外の利益のために働いているに違いないからだ。

彼はクレジットカードの債務を自分の主張の正当化に用いようとしている。彼が持ち出してきた75万円という数字の根拠は示されていないが。Survey of Consumer Financesによると、クレジットカードの債務がある家計に限定するとその債務は平均で57万円だ。だがこれにはクレジットカードの債務がない家計が含まれていない。これは平均で見ると家計の債務が22万円であることを意味する。

多額の債務を抱えた少数の家計が平均を大きく引き上げる。それが中間層の所得を語る時に彼や私たちが中央値を用いる理由だ。クレジットカードの債務がある家計でも平均ではなく中央値で見ればその債務は23万円だ。38%の家計しかクレジットカードの債務を抱えていないので、すべての家計の債務の中央値は…ゼロだ。

彼の最後の誤解を正そう。彼は中間層の所得の増加はすべて政府からの移転によると主張している。それは退職者と非退職者を足し合わせたことによる完全なる錯覚だ。人口が高齢化すると、年金とメディケアが中間層の所得に占める割合が大きくなる。他の場所で私はこの問題に関して言及している。

最後に、彼や他の人が私の挙げた数字を見て100万円や150万円以上の所得の増加が「停滞」や中間層の困窮化を意味すると主張するのであれば、そうすればいい。数字の解釈は人によって異なりうる。だが彼らが出来ないことは彼らの間違った数字を正しいと主張することだ。それを行うにはCBOのように注意深く推計された統計を「改善」させるのではなく悪化させる曲解を必要とする。