2013年12月17日火曜日

所得上位とは何だったのか?

Deconstructing Income and Income Inequality Measures: A Crosswalk from Market Income to Comprehensive Income

by Philip Armour Richard V. Burkhauser Jeff Larrimore

財政の負担に関する議論はアメリカの現在の所得分布とそれがどのように変化してきたかに基いて行われる。その議論に於いて所得のデータが重要となるにも関わらず所得分布の分析に際して何を所得と見做すかに関してほとんど意見の一致が見られない。多くの経済学者は労働賃金、利子、配当のような市場所得を含めることに賛成するだろう。だが所得は課税前、課税後のどちらで見るべきか?社会保障、失業給付、障害者給付のような現金移転を含めるべきか?医療保険、メディケア、メディケイド、フードスタンプ、学校給食のような現物給付はどうか?さらにキャピタル・ゲインは含めるべきか?仮にそうだとすれば発生主義の原則に基づくべきか実現時か?

我々はこれらの質問に対する答えが「所得」の水準とトレンド、さらにその分布に多大な影響を与えることを示す。これまでは所得の定義の選択はデータの利便性から単位が課税単位で課税前移転前現金市場所得のIRSのデータか単位が世帯でキャピタル・ゲインを除いた課税前移転後現金所得のCPSのデータかに研究が集中していた。

データの利便性に関する懸念が所得の計測に於いて問題となり続けてきたものの理論上の観点からはHaig-Simonsの所得の定義がより望ましい。この定義の下では個人の年間所得は個人の消費+その年度の純資産の変化として定義される(Auerbach, 1989、Barthold, 1993)。この定義は年間の消費と所得を整合的に捉えることが出来る。

Burkhauser, Larrimore, and Simon (2012)とCongressional Budget Office (CBO) (2012)はIRSの所得税の記録に基づく所得の定義からHaig-Simonsの所得の定義への拡大を試みた。データの制限から帰属家賃なども含む完全なHaig-Simonsの所得の定義にはどちらも至らなかったが既存の研究に比べて所得の定義を大きく拡大することには成功した。Burkhauser et al. (2012)はIRSの現金市場所得からCPSの現金所得へと定義を変更することで1979以降の中央所得の成長率が大幅に増加し各所得階層の所得の成長率がほぼ等しくなることを示した。これは医療保険の価値を含めるとより顕著になる。医療保険は現物給付の大きな部分を占めるもののBurkhauser, Larrimore, and Simon (2012)はCPSのデータの制限によりその他の現物給付を含めておらずさらにキャピタル・ゲインも含めていない。それとは異なりCongressional Budget Office (2012)はIRSとCPSの両方のデータを用いて医療保険の価値だけでなくフードスタンプや学校給食を含めている。だが最も重要なのはCBOがIRSのデータに基いてキャピタル・ゲインの課税実現益も含めていることだ。それにより所得上位の所得の成長率が高くなる。

CBOのこの判断はIRSのデータを用いているその他の研究とも整合的だ。ここで我々はHaig-Simonsにより提唱された所得の定義により整合的なキャピタル・ゲインの計測方法を示す。この方法は資産がキャピタル・ゲインの課税実現益として売却されたかどうかに関わらず発生主義の原則に基いてキャピタル・ゲインを含める。キャピタル・ゲインの課税実現益は取引のタイミングを通して節税の目的でいつ売却するかを選ぶことが出来るので現在の所得の増加は数年前または数十年前に起こった資産価値の増加までをも含んでいる可能性がある。従って今年度のキャピタル・ゲインの課税実現益として記録された所得は今年度の純資産価値の増加によるものではないかもしれない。さらにキャピタル・ゲインの課税実現益は資産が売却されていない、または売却されたが税から隔離された口座に保有されている、税制から取り除かれているなどの理由により今年度の納税申告に記録されていない資産から発生した今年度のキャピタル・ゲインを除いている。

注2 Auerbach (1989)とRoine and Waldenstrom (2011)が記しているようにHaig-Simonsの所得の定義は実現益だけでなくその年度に発生したすべてのキャピタル・ゲインを含めなければならない。

我々はPiketty-Saez (2003)の市場所得の定義からBurkhauser, Larrimore, Simon (2012)のキャピタル・ゲインを除いた所得の定義さらにはCBO (2012)のキャピタル・ゲインの課税実現益を含めた所得の定義へと順番に見ていくことにする。そうすることによりキャピタル・ゲインの課税実現益がCBOの所得格差の指標の上昇にどの程度影響を与えているのかを示すことが出来る。さらにキャピタル・ゲインの課税実現益から毎年度に発生したキャピタル・ゲインへと定義を変更することによりそれまでのものとは完全に異なる所得のトレンドが生み出されることを示す。

I. Data and Methods

トップコーディングの問題を克服したLarrimore et al. (2008)の一般公開のCPSが今回用いるデータだ。質問はキャピタル・ゲインを除くすべての現金所得を直接尋ねている。さらにCPSはフードスタンプ、住宅補助、学校給食などの特定の政府の現物給付の価値の情報を提示している。

最後にキャピタル・ゲインに対して2通りの処理を行う。一つは課税実現益に対するものでもう一つは各年度に発生した利益に対するものだ。課税実現益に対してすべての課税単位を各年度のCPSの課税所得の百分位数に配列する。Joint Committee on Taxation 2007から得た非納税者の分布に基いて各課税単位に納税申告を行うと思われる確率を割り当てる。非納税者の多くは課税最低限を下回る課税所得分布の下位に属する。非納税者の分布はすべての年度に関しては利用できないので分布を時間に対して一定であると仮定する。

CPSに組み込んだ納税者に対してもう一度課税単位を百分位数に並べる。同様の処理を各年度のIRSの納税申告のデータに対して行う。それからCPSの各課税単位にIRSの課税所得分布で同じ百分位数に属する課税単位の平均課税実現益を加える。その際に非納税者は課税実現益を持たないと仮定する。

同様の処理をSCFのデータを用いて各年度に発生した利益に対して行う。SCFから各百分位数の課税/非課税口座の平均資産と資産配分に関するデータを得る。Smeeding and Thompson (2010)に従い各年度のダウ工業平均の上昇率×株式とミューチュアル・ファンドに投資されている資産を発生益とする。そして債券からの発生益を各年度の10年物国債の利子率×債券に投資されている資産とする。Smeeding and Thompson (2010)とは異なりここでの処理と不動産の発生益に対してHaig-Simonsの所得の成長率を正確に反映させるため複数年度の平均ではなく単年度の増加率を用いる。

この処理が現在最も良いものだと我々は考えているものの幾つかの問題があることを記しておかなければならない。特に資産が投資口座ではなく非公開企業に投資されている範囲ではその発生益は観察することが出来ない。だが課税実現益はそれらの事業が売却された場合にのみ観察可能で課税実現益を用いた手法も同様にそれらの利益の大部分を捉えることが出来ないだろう。加えて発生益を割り当てる際に投資がその資産クラスの平均の収益率を得ると仮定している。ある特定の個人が超過収益率を得る程度に応じてその超過収益は反映されない。これは完全に会社を買収し生産過程やビジネスモデルを再構成するプライベート・エクイティ投資家にとっては問題となるかもしれない。従ってプライベート・エクイティ投資の収益は発生益としては過小評価されるかもしれない。そしてその種類の投資の頻度と規模が時間に対して変化する程度に応じてプライベート・エクイティ投資家の所得の成長率を完全には捉えることが出来ないかもしれない。

投資からのキャピタル・ゲインに加えて居住用住宅の発生益も考慮する。住宅の持ち主だけが住宅からの発生益を得ることが出来るのでCPSの持ち家に対して用いたのと同じ処理をSCFの持ち家に対して行う。住宅のキャピタル・ゲインは住宅価格指数の成長率×住宅価値として計算する。重要なことはSCFのデータは州や地域の情報を含んでおらず住宅のキャピタル・ゲインは国レベルでの住宅価値と住宅価格の上昇の推計に基づいていて地域の住宅市場の違いを把握できていないことだ。それでもこれが利用可能なうちで最も良い住宅のキャピタル・ゲインに関する情報でありこの処理はSmeeding and Thompson (2010)の方法と非常に整合的だ。最後にSCFのデータに1989の前後で構造変化が発生したので整合性を保つため1989以降の発生益だけを比較する。

注10 投資からの収益を計算するためS&P 500指数をさらに住宅からの収益を計算するためCase-Schiller住宅価格指数を代わりとして考慮してみた。これらの指数のトレンドは元の指数のトレンドとほとんど変わらず従って結果もほとんど変わらなかった。だがCase-Shiller住宅価格指数を用いた場合には住宅の収益はより変動が大きくなり特に2007の価格下落局面においてそうだった。結果として元の指数と比べてこの年度の所得は低くなった。

II. Results

表1は各所得階級と所得上位5%の所得の成長率を異なる所得の定義の下で比較している。列1は定義の狭いPiketty and Saezの市場所得によるものでキャピタル・ゲインの課税実現益を除いている。列4はより定義の広いCongressional Budget Office (2012)の定義によるもので単位が世帯で現物給付と課税実現益を含んだ課税後移転後の所得だ。比較は1979-2007の3つの景気循環期に跨って行う。1979と2007は景気循環の山で長期のトレンドと景気循環の影響の混同を避けるために選んだ。所得上位1%のトレンドは一般公開のCPSのデータの制約のため示していない。


注11 Piketty and Saez (2003)の元の研究では焦点は課税実現益を除いた課税所得だった。Burkhauser et al. (2012)はCPSのデータからも彼らの結果を再現することが出来ることを示した。より最近の研究で彼らは課税実現益を含めた課税所得により焦点を移している。我々が以下で示すようにこれは所得上位の所得の成長率に劇的な違いをもたらす。

列1は課税単位の市場所得の平均成長率を示している。IRSのデータを単に用いる研究ではありがちなことだがこの方法を用いると富裕層は豊かになり(所得上位5%は37.9%の増加)低所得層は貧しくなり(33%の減少)中間所得層は停滞している(2.2%の増加)ことになる。だがこの所得の定義は移転、税、キャピタル・ゲインを含んでいない。

列2は所得の定義を現金移転を含めることにより拡大し単位を資源の共有を反映するために世帯に拡大している(Gottschalk and Danziger, 2005、Smeeding, Rainwater, and Burtless, 2001、Burkhauser et al., 2011)。伝統的な所得格差の指標に合わせて規模の影響を反映させるために分析の単位を個人にしている。これらの処理を行った場合にはすべての所得階級で所得の成長率が上昇する。特に所得の下位の所得の平均成長率は9.9%で所得の中位の成長率は列1の市場所得で見た場合の10倍以上の22.8%に上昇した。これは部分的には政府の移転が特に低所得層を対象としているためだ。だがこれは同棲世帯や親と同居する子供の増加を単に課税単位の市場所得を見るのでは把握できないということを反映している。

このCPSを用いた伝統的な所得の指標には移転を支払うための税を考慮していないという問題がある。加えてこの方法は移転を部分的にしか含んでおらず非現金移転や税制を通した移転などを除いている。列3は課税と現物移転と給付を反映させて所得の定義を拡大している。この定義は納税義務がある者の所得を減少させEITCのような税額控除を受け取る者の所得を増加させる。この列はさらに医療保険、フードスタンプ、住宅補助、学校給食など幾つかの現物給付と政府移転を含んでいる。重複を避けるためDB型の年金の負担は含めない。これはCPSのデータで退職後の支払い時に含まれているからだ。同様の理由により社会保険料の負担も含めない。

税と現物給付を含めると分布全体で所得の成長率が上昇する。特に下の2つの所得階級でそうだ。結果として1979から2007の4つの各所得階級の所得の成長率は驚くほど等しくなる。一番上の所得階級と所得上位5%の所得の成長率は54%、68.9%だが所得階級の下位との差は現金市場所得、課税単位を用いた場合と比較して劇的に低下する。

表1の最後の列はCBO (2012)が用いたようにキャピタル・ゲインの課税実現益を加えている。そうすることによりCBOの結果を再現することが出来た。資産と所得が多い個人の実現益が相対的に大きいので1979以降の所得の成長率のパターンは列3のものとは劇的に変化する。一番上の所得階級と所得上位5%の所得の成長率は今度は83.1%、136.7%となり下3つの所得階級の成長率は以前とほとんど同じだ。

この指標を用いた場合のCBOの所得の成長率に関する発見を我々は概ね妥当と判断しているがそれに1979以降の各景気循環期の所得の成長率を表2のパネルA、B、Cに加える。パネルDに各景気循環期の山でのジニ係数を示す。


こうすることにより課税実現益を加えた後でさえも所得格差は各景気循環期で拡大しているもののその拡大の大部分は1980年代に起こっていて1990年代にそれより小さく2000年代にほんの僅かの拡大であったことを示せる。1980年代では所得上位5%の所得の成長率は55.6%で所得中位の11.7%の4.5倍、所得下位の2.6%の20倍だった。

1990年代ではパターンはU字型になる。所得下位の成長率は所得中位の成長率よりも高い。これらの成長率は所得上位より低いもののその差は1980年代よりも小さく所得上位5%の成長率は43.4%、所得下位の成長率は21.8%、所得中位の成長率は16.4%だった。

以前の2つの期間と比較して2000年代初期では各階級の成長率は相対的に同じであったもののこれまでよりも低かった。上位2つの所得階級で成長率は4%、7%で下位3つの所得階級よりも僅かに高かった。

パネルDのジニ係数でも同じ傾向が見られる。この指標を用いた場合にジニ係数は1980年代に0.303から0.359(18%の上昇)に1990年代に0.359から0.380(6%の上昇)となる。だが2000年代では0.8%上昇し0.383だった。よって所得格差は上昇した水準であるものの課税実現益を考慮した場合であっても所得格差は劇的に上昇していない。

Including accrued capital gains

課税実現益を加えた所得の定義の結果は所得格差が1979から2007に(所得上位の所得の上昇によって)劇的に拡大したという主張を裏付けたように思われるかもしれない。この拡大は列3のキャピタル・ゲインを除いた課税後移転後の所得で見られたものをはるかに上回っている。

だが以前記しておいたようにキャピタル・ゲインの実現益はHaig-Simonの所得の定義から乖離している。特にこのような方法でキャピタル・ゲインの課税実現益を含めることは過去に起こったが今年に申告された資産価格の上昇と今年に実際に発生した利益とを混同してしまう。従ってHaig-Simonsの原則では所得と見做すべき所が課税実現益ではその受け取りに遅延が発生する可能性がある。加えて5000万円以下の居住用住宅はキャピタル・ゲインの課税が免除されていることから課税実現益は住宅のキャピタル・ゲインを完全に無視している。加えて非課税口座のキャピタル・ゲインも完全に無視している。住宅資産が所得中位の最大の資産であるためこれらの非課税の資産のキャピタル・ゲインを税に基づくデータが把握できていないことはHaig-Simonsの原則と比較してキャピタル・ゲインの影響を歪めるだろう。よってHaig-Simonsの原則をより忠実に反映するためキャピタル・ゲインの発生益を用いた場合に所得格差のトレンドがどのように変化するかを表3に示す。


この分析はSCFに依存している。だが1989以前のSCFのデータはそれ以降とは比較できないので1989から2007の2つの景気循環期のみを考慮する。加えてSCFは3年に1度の調査なので2000の景気循環の山を含んでいない。従って2つの景気循環期だけの完全な結果を示すことになる。だが以下で3年に1度の所得上位のシェアに関して我々は詳細に議論するだろう。比較のため今までの系列も一緒に表示する。

1989以降の市場所得のみを見れば所得格差は拡大していることになる。だが景気循環期の山での所得上位と所得上位5%の所得の成長率を見れば1979以降で見るのと比較して著しく低下している。繰り返しになるが所得の定義を拡大すると列2と列3にあるようにここでも結果が変化する。1989以降のすべての所得階級間の成長率とさらに所得上位5%との成長率の差までもが1979以降で見るのと比較して劇的に小さくなる。列3では所得下位の成長率が最も高く所得上位5%の成長率が最も低い。所得上位と所得上位5%の成長率がその他の階級よりも高くなるのはキャピタル・ゲインの課税実現益を加えた場合のみだ。

だが列5で住宅を除いたキャピタル・ゲインの発生益を加えた場合には分布の下2つの階級を除いてすべての所得階級の成長率が低下する。従ってHaig-Simonの所得の原則に整合的なこの方法を用いれば分布の上位の成長率が最も低く分布の下位の成長率が最も高い。結果として発生益を加えた場合には1989から2007に所得格差は縮小している。

何故キャピタル・ゲインの取り扱いの違いによってこのような劇的な変化が発生するのか?それはキャピタル・ゲインの実現の時期と各個人が課税口座に資産を保有する頻度の違いによって発生している。

表4にSCFの課税/非課税口座の各所得階級(世帯人数調整済み課税後移転後現金所得+現物給付で見た)の平均投資額を示す。この表は資産保有が所得分布全体に渡って増加していることを示している一方で所得上位と比較して所得下位で資産の成長率が高かったことを示している。例えば所得下位の平均資産保有額は1989の71万3200円から2007の426万3400円とほぼ6倍に上昇している(*1ドル=100円として計算)。これと比較して所得上位の2007の平均資産保有額は1989の3.2倍だ(6093万3000円と1886万3200円)。


さらにこの資産保有の増加は非課税口座で発生している。この期間に非課税口座の使用は各所得階級の投資の半分を占めるようになった。1989では非課税口座に投資を40%以上行っていた所得階級は存在しない。従って課税実現益はこの重要性を増した所得源を捉えることが出来ない。そして所得下位、所得中位が資産を非課税口座に保有する割合が高まるに従って課税所得のみを対象としている研究者はこれら個人が受け取る所得を捉えることが出来ないだろう。

上で記した要因も重要であるが実現益と発生益とで異なる結果をもたらすことになったその他の要因として株式と債券のキャピタル・ゲインのトレンドが挙げられる。特に1989のダウ工業平均株価指数の上昇は27%で2007は6.4%だった。従って株価の成長率が低いので2007の資産保有が1989よりも劇的に多いという個人を除いて発生益の水準も低いことが予想される。

これは1979以降のダウ工業平均株価指数の実質増加を描いた図1に見られる実現益を用いた手法に固有の変動の大きさを部分的に反映している。だが系列の変動が大きく異なる年度で比較すれば結果が変化するかもしれないが上記の結果は1980年代、1990年代と比較して2000年代のキャピタル・ゲインの成長率が低いことの反映でもある。インフレ調整後のダウ工業平均株価指数は1980年代(1980-1989)が8.2%、1990年代(1990-2000)が11.2%、だが2000年代(2001-2007)は1.1%の上昇率でしかなかった。だから2001-2007のどの年度の発生益もその他の期間と比較して低いだろう。

債券も変動はより小さいが同様の傾向を見せる。債券の実質収益率は1989に4.2%だった。2007では1.8%だ。1980年代の平均収益率は5.4%で1990年代は3.9%、2001-2007では1.8%だった。よってその他の期間と比較して2000年代の投資の収益率は低い。

株式価格の上昇と債券がキャピタル・ゲインの主な源泉なのでキャピタル・ゲインが多く発生したのは2000年代ではなく1980年代や1990年代だと言うことが出来る。これを課税実現益の観点から見ると1980年代と19990年代の投資の上昇は後の日付になるまでは納税申告に表れないかもしれない。よって多くの課税実現益が現在申告されているからといってそれが必ずしもHaig-Simonsの意味での現在所得の反映を意味するとは限らない。そうではなく過去に発生したキャピタル・ゲインが今になって実現したことの影響を反映している可能性が高い。

表3の列5はHaig-Simonsの原則により近いものの多くのアメリカ人にとって主な資産構築の源泉である住宅価格の価値の増加を除いている。表3の列6に住宅の発生益を加える。

投資の発生益と同様に2007の住宅の実質の発生益(-4.7%)は1989の発生益(0.7%)より低い。よってこの所得を含めると表3の列5よりも住宅の所有者の所得は低くなる。だが住宅価格の下落は所得下位、所得上位の両方に影響を与える。

表5はそれが実際に起こっていたことを示す。高額所得者はより住宅を保有する傾向が高くまたより高価な住宅を保有する傾向がある。よって所得の減少額の絶対値は所得下位よりも所得上位で大きくなるはずだ。だが住宅の発生益を除いた所得上位の総所得に比較して住宅価値は相対的に小さくよってその影響も所得上位で小さくなる。

表3の列6にそれが実際に起こっていたことを示す。所得の成長率は表3の列5と比較してすべての所得階級で低下している。だが所得下位で-17.6%(32.2%から14.6%)と所得上位の-11.2%(12.8%から1.6%)を上回っている。

それにもかかわらずキャピタル・ゲインをすべて除いた表3の列3と同様に1989から2007の所得上位の成長率は最も低く所得下位の成長率は最も高い。さらに所得上位5%の所得は低下した一方その他の所得階級は所得が増加している。従ってキャピタル・ゲインの増加により所得格差が急激に拡大したと主張する根拠は雲散霧消するだけでなく所得格差はむしろ縮小したことになる。

Annual Top Income Shares

所得の成長率に加えて所得のシェアを考慮する。これは絶対的な厚生の変化ではなく相対的な厚生の変化を捉える。それを現物給付を含めるがキャピタル・ゲインを含めない、現物給付を含め課税実現益を含む、現物給付を含め住宅以外の発生益を含む、現物給付を含め投資と住宅の発生益を含む4つの定義に行う。第一のものはBurkhauser, Larrimore, and Simon (2012)とよく一致し第二のものはCongressional Budget Office (2012)とよく一致する。SCFのデータは3年に1度なので発生益に関しては3年に1度のデータしかない。図3は所得上位5%のシェアを示す。図4は所得上位のシェアを示す。キャピタル・ゲインを含まない場合にシェアが低いことは驚きではない。だが1989以降シェアがほとんど変化していないことは特筆に値する。1989以降所得上位5%のシェアは15.7%から16.5%だった。所得上位のシェアは40.4%から41.3%だった。従ってキャピタル・ゲインを除くがより定義の広い所得を考慮した場合に1989から2007に所得上位のシェアが拡大したとする証拠はない。



もちろんキャピタル・ゲインは重要な所得源だ。キャピタル・ゲインの課税実現益もしくは発生益を加えた場合に結果がどのように変化するか?課税実現益を加えた場合に所得上位のトレンドはCBO (2012)と整合的になる。

だがそれは発生益を用いた場合には成立しなくなる。課税実現益を含めた場合には所得上位のシェアはSCFのデータに制約があるとしても変動が大きくなる。だがこの変動の大きさを考慮してもトレンドを見出すことは可能だ。課税実現益を用いた場合に所得上位5%と所得上位のシェアは1990年代に発生益のものよりも低い。対照的に2000年代以降は課税実現益の所得上位のシェアの方が発生益のシェアよりも高い。これは課税実現益が部分的に過去の利益の残差で現在の所得の反映ではないという考えと整合的だ。

この点を認識し課税実現益を用いた場合にはトレンドが変化する。課税実現益を含めた場合には1989以降所得上位のシェアが上昇するのを上で見た。だが発生益を用いた場合には2000以降の所得上位5%と所得上位20%のシェアは1989のシェアよりも低い。だからHaig-Simonsの原則に則って発生益として加えた場合には所得上位のシェアは変動が大きいものの過去20年で上昇しているようには思われない。

IV. Conclusion

(省略)

対照的にキャピタル・ゲインを除くが広い定義の所得を用いる場合には1989以降すべての所得階級でほぼ同率で所得が上昇しているのを観察することが出来る。他にもHaig-Simonsの原則に則ってキャピタル・ゲインの発生益を含めた場合には変動が大きくなるもののキャピタル・ゲインを除いた場合と比較して成長率が低くなる。これは過去の景気循環期と比較して直近の景気循環期でキャピタル・ゲインの発生率が低いことを反映している。だがこれは所得格差が拡大していないことの反映でもある。1989から2007の所得上位の成長率は最も低く所得下位の成長率は最も高かったからだ。

変動の大きさと3年に1度のデータは毎年の所得と所得格差のトレンドに関心をもっている研究者には制約となることは理解している。加えてキャピタル・ゲインは不安定な所得源なのでこの変動の大きさを取り除くために幾人かの研究者はキャピタル・ゲインを(統計局が伝統的にそうしているように)そもそも含めないことを好むかもしれない。キャピタル・ゲインを含めたいと思う者は課税実現益を含めるのではなく発生益で含めたほうが適切だ。発生益は非課税口座のものも含んでいるしタイミングの問題も回避することが出来る。この方法によりキャピタル・ゲインの影響で所得格差が急激に拡大したという主張と矛盾する証拠を提示することが出来る。

2013年11月27日水曜日

経済学者は馬鹿の集まりなのか?

The Misuse of Top 1 Percent Income Shares as a Measure of Inequality

by Alan Reynolds

この論文はアメリカで過去20年間所得格差が僅かまたはほとんど拡大していなかったことを発見した最近の研究を確認するものだ。

所得上位1%のシェアを所得格差の指標とすることがよく用いられるようになってきた。この論文ではその方法が適切ではない理由を示す。

・総所得から過去急速に増加してきた移転支払いと給付を除くことにより所得上位1%のシェアの上昇を23%過大評価している。所得の多くがカウントされていないからだ。

・所得上位1%のシェアの推計(Piketty and Saez 2003)を用いて所得税の最高税率の引き上げや再分配の拡大について議論するのは非論理的で矛盾している。何故なら彼らのデータからは税と所得移転のデータが最初から除かれているからだ。

・極めて景気循環的な所得上位1%のシェアを所得格差の指標とすることにより不況期を所得格差が縮小した時期として歓迎することになる。何故なら貧困率と失業率は所得上位1%のシェアが上昇した場合に低下し上昇した場合に低下するからだ。

・所得上位1%のシェアは税率の変化に極めて敏感(弾力的)だ。所得上位1%の通常所得の弾力性の推定値は0.62(Saez 2004)から1.99(Moffitt and Wilhelm)と幅があるもののそれらの推定値はキャピタル・ゲインや配当に掛かる税率の変化に対する劇的な反応の変化を捉えることに失敗している。

私は1983年-2000年のシェアの上昇の半分以上と2000年以降のシェアの上昇を税率が引き下げられたことに対する行動の変化によると推定した。その他多くのデータを検証したが所得格差が急激に一貫して拡大し続けたとする根拠を見つけることはできなかった。

以前の研究で私は「1988年以降、可処分所得、消費、賃金、資産の分布にはっきりとした拡大トレンドが見られない」と報告した(Reynolds 2006a)。

同様に最近の幾つもの研究も1988年または1993年以降格差を示す指標が水平化したと報告している。

注1 Goldin and Katz (2008: 45)は「所得、賃金、消費、資産に関する経済格差が1970年代後半から1990年代中頃まで急速に拡大した」と議論している。だがそれが指すのは明らかに1993年以前のことで私がここで議論しているのは1988年以降に起こったことだ。Consumer Expenditure Surveyの所得のデータを例外として多くの指標は1970年代後半頃に経済格差が大きく縮小し(1980年-82年の不況を含む)1983年から1988年の期間に経済が急回復したので経済格差が拡大したことを示唆している。

・Gordon (2009:1)は「アメリカの格差の拡大は規模と期間の両面で誇張されてきた。ある指標は2000年以降格差の拡大を示していないしその他の指標も1993年以降格差の拡大を示していない。この格差の拡大の停止は所得の平均値/中央値からも所得上位1%の所得シェアからも見て取れる」と報告している。

・Burkhauser, Larrimore and Simon (2010:34)は税引き後の所得に現金移転のみを加えて景気循環の山での格差を比較しジニ係数が1989年に0.394、2000年に0.390、2007年に0.396であることを見出し1989年以降の税引き後の貨幣所得にほとんど所得格差の変化が見られないと報告した。そこからさらに民間と公的な医療保険の保険価値を加えて(これにより可処分所得に近づく)ジニ係数が1989年の0.372、2000年の0.364、2007年の0.362へと低下していることを明らかにしている。

・Meyer and Sullivan (2010:15, 30)は「所得と消費の格差ともに1980年代初期に拡大し1990年代に幾らか水平化した。2000年代に消費の格差は僅かな変化しか示さなかった一方で所得の格差は幾らか拡大した。1993年頃に一時的に小さな拡大があったものの税引き後の貨幣所得の格差は1980年代初期から1990年代を通してほんの僅かな変化しかなかった」と結論している。

注3 Gordonは格差のピークが私の示唆した1988年ではなく1993年だと主張している。だがBurkhauserが指摘するように「1992年と1993年の間に所得上位1%の所得を把握する方法に変更が行われた。だから1993年の変更を知らない人はこの期間に所得格差が拡大したと誤って認識するだろう」(Pethokoukis)。

・Antonczyk, DeLeire and Fitzenberger (2010:24, 29)は「分布の上側(80パーセンタイル)と下側(20パーセンタイル)とで賃金の増加が速かった。(中略)1980年代後半頃からの賃金の2極化はAutorによっても論じられている。(中略)賃金分布の左側での賃金格差は1980年代中頃から驚くべきほどの縮小を見せた。さらに賃金分布の右側での賃金格差は1980年代から1990年代後半まで非常に安定していた(それ以降賃金分布の右側での格差は縮小した)」と報告している。

・Kaplan (2012: 6)はインフレ調整後のS&P 500のCEOの平均報酬が2000年から2010年に46%以上減少していると報告している(簡単だから嘘だと思うのであれば自分で調べてみるといい)。

・Congressional Budget Office (2012: Table 5)はインフレと世帯人数を調整した税引き後の中央所得が1983年から2000年に32.8%、2000から2009に12%増加していたと報告している。

・Kennickell (2012:16)は「資産上位1%の資産シェアは1995年以降目立った変化を示していない」と報告している(1995年に34.6%、2010年に34.5%)。

これらの結果とは対照的にメディアはPiketty and Saez (2003)を引用して近年所得格差が急激に拡大していると狂ったように伝えている。

例えばStiglitzは「富裕層はどんどん豊かになる一方(中略)低所得層はどんどん貧しくなりその数を増やし(中略)中間層の所得は停滞しているか下落している」と論じている。その反対にこの論文では(1)富裕層は2008年-2010年の間に所得を大きく減らし(2)低所得層の数は所得上位1%のシェアが増加した場合に減少し(3)中間所得世帯の税引き後の中央所得は1980年から2009年の間に48.8%増加した(CBO)ことを示す。有名な?経済学者の間にさえある認識と現実との大きなギャップを埋めるにはより注意深い調査が必要になる。

大衆の認識と最近の研究との間にズレがあるとすればそれは取り扱っている対象が様々な側面を持つことを反映しているからかもしれない。仮に「所得格差の拡大」が所得上位の景気循環的な拡大として捉えられているならば1998年-2000年の株式ブームがそれに該当するだろう。他にも2005年-2007年の住宅価格の上昇が挙げられるだろう。その一方「所得格差の拡大」がそのような周期的な変動に伴って(または引き起こされて)貧困率が上昇したり中間所得層の所得が低迷することと捉えられているならばそれは(1)所得上位のシェアだけからは推測することはできないし(2)先程紹介した研究やその他の研究が示す証拠と致命的に食い違う。

この問題の複雑性を示すため、可処分所得に対するセンサスとCBOそれぞれによるジニ係数の推計値とHasset and Mathurの消費に対するジニ係数の推計値を表1の初めの3列に示しておいた。最後の2つの列にはCBOによる所得上位1%の「可処分所得」に占めるシェアとPiketty and Saezの所得上位1%の「市場所得」に占めるシェアを示しておいた。消費に対するジニ係数を除いてこれらすべてはキャピタル・ゲインを含んでいる。これを含めることにより所得の値は極めて景気循環的であることが明らかとなり、後に論じるように1987年、1997年、2003年のキャピタル・ゲイン税率の変化に極めて敏感であることも明らかになる。


1993年にセンサスは鉛筆からコンピュータに調査方法を置き換え、それまで個々の所得源に対して設定されていた記載できる上限額を大きく増加させた。所得上位5%の貨幣所得に占めるシェアは1987年から1992年の間にほとんど変化がなかったのが1992年の18.6%から1993年の21%に突然変化している。だがそれはジニ係数のその年度の大きな変化と合わせて統計の錯覚だ。調査方法の変更によりデータに構造変化が発生したことにより1993年の前後で数字を比較することができなくなっている。

Appendix Aで「トップコーディング」に関して今でも根強く存在する誤解について議論しAtkinson, Piketty and SaezとBurkhauser, Feng, Jenkins and Larrimoreとの間でどうして意見が一致しないのかを明らかにしている。

1993年-1994年のデータの構造変化を取り除くと表1の第1列に1988年以降所得格差に上昇トレンドは見られない。可処分所得のジニ係数は1988年から1992年の間0.385で一定だった。1997年-2000年の株式市場のブームを除いてジニ係数は1993年から2009年の間0.40の近辺を変動していた。第2列に所得上位の所得とキャピタル・ゲインと定義を広く取った世帯所得(移転支払いと従業員給付を含め相続税以外のすべての税を引いた)とを融合して推計したジニ係数を示す。これによりCBOの推計値はセンサスの推計値よりも高くなるがこれはCBOのデータが一度限りのストック・オプションの行使(1999-2001にとても多かった)を含めるのに対してセンサスのデータは含めないからだ。CBOとセンサスのジニ係数の推計が2000年や2007年に何故最も高くなっているのかはキャピタル・ゲインによって大部分説明できる。だがCBOのジニ係数でさえ1999年-2000年の株式市場ブームや2005年-07年の住宅ブームを除いて1988年、1997年、2003年、2009年でほぼ一定だ。

3つのジニ係数は1994年-96年から2009年の間ほとんど変化していないが最後の列では所得上位1%の税引き前移転前所得のシェアが1994年から2000年と2002年から2007年の間に上昇し2001年-2002年と2008年-2009年に大きく低下している。所得上位1%のシェアを用いて1990年から2000年に所得格差が一貫して大きく拡大したと主張する人たちは大半が全世帯の可処分所得と消費の分布(ほとんど変化していない)を見ることはなく所得上位1%の所得を全体の所得(年々範囲が狭まっている)で割ったものを見ている。

すべての集団の可処分所得の変化を示す指標(ジニ係数)は所得格差が一貫して大きく拡大したとの主張を支持していない。1988年以降はっきりしたトレンドが見られないことは他の指標でも確認できる。

Appendix BでPiketty and Saezの結果と同様の傾向が見られたというその他のデータ源に関して批評を行っている。それらにはSocial Securityの労働賃金に関するデータ、CBOの所得上位の課税前シェア、Panel Study on Income Dynamics (PSID)がある。Appendix BでConsumer Expenditure (CE)とPSIDを所得格差の指標として用いたAttanasio, Hurst and Pistaferriの結果を批判している。さらに彼らのCEへの批判についても疑問を呈している。

それらの統計とは違って連邦準備のSurvey of Consumer Finances (SCF)は資産と課税前所得に関して広範囲で極めて詳細なデータを提供している。

表2にSCFのデータを4分割と10分割してそれぞれの集団に対する課税前実質中央所得の変化を示す。中央所得を用いる理由はCanberra Group Handbook on Household Income Statistics (2011: 74-75)が説明している。それによると「平均値と比較して中央値は安定したロバストな手法で極端な値やサンプルの変動の影響を受けにくい。所得が低いとか高いとかを区分けする閾値が求められる場合には中央値の使用が好ましい。(中略)中央値は特に分布の両端に於いての使用が好ましい」。例えば所得上位のみシーリングによる制約がないので外れ値の影響を直接受けることになる(Reynolds 2006b: 52-55)。


SCFのデータは上位10%と下位40%の所得の成長率に僅かな違いしかなかったことを示している。1989年から2007年の間に下位の所得は上位と同じく22-23%成長した。2007年から2010年の不況期では下位の集団の所得のみが増加したがその他の集団の所得は低下した。少なくとも60%以上の世帯が標準世帯の中央値よりも高い成長率を見せていることから中央値を標準的世帯の所得の代理として用いることに疑問が投げ掛けられている。

このSCFの数字は税引き前のもので問題のあるconsumer price index (CPI)を用いてインフレ調整をしておりさらに世帯人数の調整を行っていないことを記しておく必要がある。Congressional Budget Office (2012)はpersonal consumption expenditure (PCE)を用いてインフレ調整し世帯人数を調整して世帯所得の中央値が1989年から2007年の間に税引き後で34%、税引き前で28%増加していることを明らかにした。減税と税額控除がこの違いを生んでいる。SCFの同期間の推計値は僅か14.7%だったので明らかに中央所得の実際の増加を過小評価している。他の要因でもSCFの推計値は上位10%と下位40%の所得の増加を過小評価している。上位から税を引き下位に税額控除を加えることにより下位の所得がより増加するのは明白だろう。

まとめると一貫して大きく経済格差が拡大してきたという主張はほとんどすべて納税申告のデータに基づいていてそして(Appendixesでさらに議論する)その他のデータ源からは確認されていない。

Three Difficulties with Using Tax Returns to Measure Inequality

この研究で私は納税申告のデータを用いることに対する3つの反対理由を述べる。まず第一にPiketty and Saezのいうところの市場所得とは所得上位1%以外の実際の所得を大きくしかも年々拡大する形で過小評価していることを議論する。第二に所得上位1%のシェアは景気循環的な要因が大きすぎて有用な指標とはなりえないことを議論する。第三にそして最も重要なことだが所得上位1%のシェアは給与、事業所得、配当、キャピタル・ゲインに掛かる限界税率の変化に極めて敏感に反応することを議論する。結果として高い税率、低い税率に対する行動変化が実際の所得上位の所得の変化として誤って解釈されてきた。

第一の点に関して、彼らの定義するところの所得上位1%のシェアの推計はその他の層の所得から政府からの移転、従業員給付、投資所得、大学や退職などの費用に備えた貯蓄口座に生じるキャピタル・ゲインなどがすべて除外されている(Appendix Bに中間所得層の投資所得が記録から除外されている証拠を示す)。これら除外されている所得が近年急速に増加していることから彼らのデータの質は時間とともに急激に劣化している。公的、民間の医療保険の価値だけでも所得の大幅な過小評価になる。上で記したようにBurkhauser, Larrimore and Simonはこれらを加えるとジニ係数が1989年の0.372から2007年の0.362へと低下すると報告している。

(以前は私の主張を批判していた)Burtlessも指摘しているようにPiketty and Saezの所得(キャピタル・ゲインを除く)の推計からは先程示した所得源が除外されている。政府からの移転は2007年の14.4%から2011年の17.9%へと上昇している。従業員給付は(この期間大幅な雇用の減少があったにも関わらず)12.1%から12.6%へ上昇している。図1に示すように彼らの移転前所得の推計は2010年の(GDP統計の)総個人所得の62.1%に過ぎず2000年の66.7%、1990年の68.7%、1980年の70.9%、1970年の76.5%から低下している。


仮に彼らの定義する総所得が1979年の水準である個人所得の71.7%のままだったとしたら2010年の総所得は768.8兆円ではなく883.5兆円になっていただろう。そして所得上位1%のシェアは17.4%ではなく15.2%になっていたはずだ。よって所得上位1%のシェアを2.2%ポイント過大評価していることになり上昇の23%を説明できることになる。

このことは表1のCBO(移転と給付を含む)とPiketty and Saezの推計を比較することで分かる。彼らの所得上位1%のシェアの推計は1988年から2010年の間に2.6%ポイント上昇しているがCBOは低下していること、そしてそのシェアが1988年-90年、1996年-97年、2001年-03年の水準と同じ(11-12%ポイント)であることを報告している。

仮にPiketty and Saezの所得上位1%の総所得を個人所得で割ったとしたら1986年の所得上位1%のシェアは6.1%となり彼らの推計したシェアよりも(個人納税申告に記載されたグロスの所得-移転)3%ポイント低い。このギャップは1991年に4%ポイントに拡大し1997年に5%ポイント、2005年に6.2%ポイント、2010年に6.6%ポイントに拡大している。問題は所得上位1%のシェアの水準の違いだけでなくこの2つの指標の差が拡大し続けていることだ。

一つ議論しておかなければならないことは彼らが私に対して以前反論した時のように、個人所得は用いるには定義が広すぎること(実際、CBOの定義する所得も個人所得ほど広くない)、それとは異なるが個人所得の伸びが大きく過大評価されているかどうかだ。仮にそれが事実だとすればアメリカのGDPの伸びが大きく誇張されていることになる。何故なら個人所得はGDPの大きな部分を占めるからだ。

分母に計上されるはずの所得が年々過小評価されているので所得上位1%のシェアは1986年から2010年の間に3.6%ポイント(個人所得と彼らの定義する所得を用いることから発生する2010年の6.6%ポイントの差と1986年の3.0%ポイントの差との差)上昇が過大評価されていることになる。Tatomが結論しているように「Piketty and Saez (2007)はReynoldsに対して反論しているが彼の指摘する問題に誠実に答えようとせずはぐらかしてばかりいる」。

この問題を避けるためフランス、カナダ、日本など他の多くの国に関しては納税申告のデータに基づく研究は個人所得の一定割合を分母として用いている。Atkinson, Piketty and Saezとその追随者はアメリカとその他の国の所得上位のシェアの比較を行っているがそのような比較はアメリカの総所得がその他の国と同じように個人所得の一定割合として定義されているのではなく割合が低下し続けているので無効だ。1944年以前の推計は総所得を個人所得の80%と定義し政府からの移転を除いている(1928年では規模が小さかったため移転を加えても意味がないというのは確かだ。だが近年は移転が増加している)。2007年のシェアと1928年のシェアを比較するものが後を絶たないがそもそも方法が異なるので比較することはできない。

現物移転とEITCを除くだけで中間所得層の所得の成長率は大きな影響を受ける。Fitzgerald (2008: 26)はセンサスの貨幣所得の中央値が1976年から2006年の間に報告されている18%ではなく44%から62%上昇していると報告している。

私の反対に対してPiketty and Saez (2007)は「市場所得(税引き前で移転を含まない)か可処分所得(市場所得から税を引き移転を含む)のどちらか一方に焦点を絞ったほうが所得格差を計測する上でより意味がある」と主張した。その反対に税か移転のどちらかを無視することに意味がないしましてやその両方を無視することに意味があるとはまったく思われない。

所得の測定に関する国際的な専門家であるCanberra Groupの報告書によると「移転は(中略)所得を再分配する主要な方法である。従って移転の正確な分類は所得分布の研究に於いて特に重要だ」とある。アメリカで税額控除が1986年以降急速に拡大してきたので税制を通した移転は特に重要だ。

Piketty and Saez (2007)は「所得格差を議論する際に累進所得税が議論の中心になるのは明白だ。それに関してはAlan Reynoldsのような保守派の経済学者でさえも賛成するだろうしそれが彼らが所得格差の拡大という議論を避けて累進所得税の議論に向かおうとしない理由だ」と議論している。このコメントは的を外している。彼らのデータの使用に対する私の主な反対理由の一つは、彼らの推計が所得上位が支払う税を考慮していないこと低所得層の税額控除を考慮していないことにあるからだ。課税前移転前のデータを用いて税と移転に関して議論することに何の意味があるのだろう?

それに再分配の大部分はアメリカを除いては税ではなく移転を通して行われる。アメリカは未だに累進所得税を用いて可処分所得の分布に影響を与えようとするほんの僅かな国の一つだ。36ヶ国のうちでWang and Caminda (2011:14)は「平均で見て所得格差の低下のうち移転が占める割合は85%で税(累進性)が占める割合は15%だ。(中略)グアテマラを除いて税の割合が高い国はほんの僅かな国しかない。アメリカ、イスラエル、カナダだ。一般的に所得の再分配は大部分が移転を通して行われる(その財源はVATと社会保障税)」。

24ヶ国の所得税と社会保障税を比較したOECD (2008: 104-106)では「アメリカの税制が最も累進度が高い。(中略)そして最も累進度が低いのはノルディック諸国、フランス、スイスである」と報告している。OECDはアメリカが「税の多くを所得上位10%から徴収している」と報告している。OECDによると所得上位10%は現金所得の33.5%を受け取っているが所得税と社会保障税の45.1%を支払っている。この1.35という比率より高い国は他にない。Piketty and Saezは工業国で最も累進度が低い国の一つであるフランスの市民だ。

アメリカの累進度がOECDの中で最も高いという事実を抜きにしてさえ彼らの「(*税引き前移転前で見た)所得格差が拡大している」という主張は、そもそも彼らが税と移転、税額控除を無視しているという単純な理由から税の累進度とはまったく無関係だ。最高税率を2倍にしても移転額を3倍にしても彼らの定義する所得には直接的な影響を一切与えないだろう。Brewer, Saez and Shephardが指摘するようにそのような政策は課税前所得に対して巨大で間接的な負の影響を2つの理由から与えるだろう。「第一に所得税の引き上げは労働供給を弱め起業しようとするインセンティブを弱めるかもしれない。第二に所得移転プログラムは受給者の労働供給インセンティブを弱めるかもしれない」。Piketty and Saezは(Brewer, Saez and Shephardに)間違いなく同意するだろう。恐らくそれが彼らがアメリカの方がヨーロッパよりも税の累進度が高いということに目を瞑って高額所得者の労働供給や起業のインセンティブを弱めるリスクや移転による労働インセンティブを弱めるリスクについての議論に向かおうとしない理由だ。

この研究では事業、ストック・オプション、配当またはキャピタル・ゲインに掛かる税率の引き上げが所得上位1%の申告所得額を実際に減少させたことを示す。弾力性の高い所得上位の所得源に掛かる最高税率の引き上げ自体はその他の層のネットの所得に影響を与えない。さらに税収または税引き後の所得分布に与える影響も良くて不明瞭悪くするとほとんどないだろう。

連邦所得税(彼らのデータの焦点)は明白に累進度を増してきた。CBOは1979年から2007年の間に第4分位で110%、第3分位で56%、第2分位で39%、第1分位で8%所得税率が低下したことを示している(Reynolds 2011a: 12)。

Meyer and Sullivan (2010: 20)は「税を考慮すると過去45年間の所得格差の拡大が大きく縮小する」と報告している。Heathcote, Perri and Violante (2009: 25)は「移転は所得分布の下位での所得格差の縮小に大きな影響を与えている。(中略)税制も全体的に極めて累進的だ。可処分所得の所得格差は課税前所得の所得格差よりもはるかに小さい」と報告している。

Poverty Falls When the Top 1 Percent Share Rises

Piketty and Saezは2008年-09年の間に所得上位1%の所得が36.3%低下しその他の層の所得は11.6%低下したと推計している。所得上位1%のシェアが有意義な指標であると主張するものは2008年-09年に貧困率や失業率が上昇したにも関わらず所得格差が縮小したと結論しなければならなくなる。1980年-81年を例外として所得上位1%のシェアは1920年、1929年-31年、1937年-38年、1949年、1953年、1957年-58年、1960年、1970年、1976年、1991年、2001年-02年、2008年-09年と確実に低下している。

過去20年間で所得上位1%の所得の景気循環度はキャピタル・ゲインを無視してもさらに大きくなった。Guvenen, Ozkan, and Song (2012: 49-50)はパネルデータを用いて「直近2度の不況期に所得上位1%は巨額の所得の喪失を経験した。所得上位1%より僅かに所得が少ない集団の所得の喪失が僅かに思えるほどのものだ。所得上位0.1%で過去3度の不況を経験したものは5年たっても不況前より少なくとも50対数値(*何が基準かは書いていない)所得が低い」と報告している。さらに「男性失業率の1%ポイントの上昇は所得上位0.1%の6.87%の所得の低下を伴う。同様に1人あたりGDP成長率の1%の低下は4.55%の所得の低下を伴う」ことを示している。

2008年の不況期の消費支出のデータからHeathcote, J., Violante, G., and Perri (2010)は「分布の上位で大きく支出が低下した一方で分布の下位では支出が増加した」と報告している。そして「分布の上位は住宅価格と株価の下落の直撃を受けたが分布の下位は相対的に傷が小さかった」と結論している。

2008年-2010年の所得上位5%と所得下位20%を比較してPerri and Steinbergは「この時期の所得の再分配は過去の歴史の中で最も高くなった。(中略)この時期の不況期に可処分所得の所得格差は拡大していない。失業給付などが可処分所得の下支えになったからだ」と報告している。

これらの報告はStiglitz (2012: 2)のコメントと大きく食い違う。彼は「富裕層はますます豊かになる一方で他の人々は困難に直面している。これはアメリカン・ドリームと整合的ではないように思われる」と書いている。その主張は現実と整合的とは思われない。

上記の関係は逆の状況にも当てはまる。経済が成長していて失業率と貧困率が低下している場合だ。Roine, Vlachos and Waldenströmは所得上位1%のシェアは急速に経済が成長していて失業率と貧困率が低下している時期に上昇していると報告している。

1960年以降の多くの国を対象とした研究でAndrews, Jenks and Leigh (2009: 1,32)は「所得上位の1%のシェアの拡大は以降の成長率に0.12%の影響を有意に与える」と報告している。さらに「10%のシェアの拡大が10年間持続されればGDPは12.2%高い」と付け加えている。

Hines, Hoynes and Kruegerは「好況期が低所得層に対して与えた恩恵は少なくともそれ以外の層と同じ位大きい」と報告している(トリクルダウンは嘘というのは何だったのか…)。

Piketty and Saezは所得上位とその他の層の所得との疑わしい比較をした。しかも彼らのデータは明らかに下位90%の所得の水準と伸びを過小評価している(Burtless 2011, Reynolds 2006a)。Atkinson, Piketty and Saez (2011:4)は「この指標は所得上位のシェアだけを計測しているので分布の他の部分で所得格差がどうなったかについては何も語っていない」と言い訳をしている。だがこのデータを引用するものは違う。税率に敏感で景気循環的な所得上位1%の推計をその他の層の所得格差の指標の代理として誤用することが特にメディアの間では当然のようになっている。そのように指標を誤用するものは所得を天から降ってきたもののように捉えインセンティブの影響を無視している。「富裕層が豊かになればその他の層の所得が少なくなる」とKrugman (2002)は語っている。そのようなゼロサム的な考えはパレート最適を最初から排除している。アップル、グーグル、マイクロソフトの創業者が誰も貧しくすることなく豊かになった可能性をだ。

Piketty, Saez and Stantcheva (2012:4 &32)は所得上位のシェアの拡大を「所得上位、特にCEOの交渉力が増したことにより(中略)所得上位の利益がその他の層を圧迫するようになった」ことに帰している。当然これは正しくない。CEOの人数はそれほど多くない(所得上位1%の所得の僅かな部分を占めるに過ぎない)。そして労働所得は所得上位1%の所得の割合の半分以下だ。Bakija, Cole and Heimは企業経営陣の報酬の総額は所得上位0.1%(所得上位1%のシェアよりはるかに小さい)の15%を占めるに過ぎないと報告している。さらにその源泉は制限株やストック・オプションであるので、その他の従業員の費用ではなくその他の株主の費用だ。

Tax Rates Affect Reported Income: The Elasticity of Taxable Income (ETI)

第三のそして最も重要な反対は、所得上位1%のシェアの推計が限界税率の変化に極めて敏感なことにある。近年の所得上位1%のシェアの上昇は多くがまたはほとんどが1983年-84年、1988年、2003年に実行された税率の引き下げ、1983年-86年、1997年、2003年に実行されたキャピタル・ゲインに掛かる税率の引き下げに対する行動的反応の結果であることを議論する。

Feldsteinが説明するように「限界所得税率の変化は幾つもの経路から課税所得の変化を引き起こす。それには労働供給の変化、従業員報酬の形態の変化、投資ポートフォリオの変化、控除項目の変化、(課税所得を減少させる)支出の変化、納税意識の変化などが含まれる」。

Atkinson, Piketty and Saezから頻繁に引用されるグラフは1913年から2007年の間の所得上位1%の市場所得(キャピタル・ゲインを含む)のシェアを表示している。そのグラフは「所得格差」がWW1後と1920年代後半の税率の引き下げ後に上昇し1932年の税率の引き上げ、1970年代のインフレによるバスケットクリーピングの時代(ケネディ大統領による1964年と1969年の税率の引き下げを除く)に低下しそれから好況不況の波を伴った上昇トレンドを表示している。だがPiketty and Saezより前のGruber and Saezの課税所得の弾力性に関する研究は最高税率が引き下げられた場合に所得上位1%のシェアが何故上昇するのかを説明する第一歩となっている。

注12 Gruber and Saez (2002:3, 29)は高額所得者の弾力性の高さに関する彼らの発見に関して「広い課税ベースに低い税率を課すことの意義を強調している」とし「我々の推計は最適なシステムが高額所得者に対する低い限界税率との組み合わせであることを示唆している」と結論している。

Piketty, Saez and Stantcheva (2011: 26)が説明するように「所得上位1%のシェアと最高限界税率との間には明白な負の相関があり(a)所得上位1%のシェアは最高税率が低かった大恐慌以前に高かった(b)所得上位1%のシェアは最高税率が一貫して高かった1932年から1980年の間に低かった(c)所得上位1%のシェアは最高税率が大きく引き下げられた1980以降に上昇した。この視覚的にはっきりとした相関は申告所得の弾力性が高いことを示唆する。現在の議論に関係する直近の時期に所得上位1%のシェアは1970年代後半の8%ぐらいから18%となり、一方net-of-tax rateも30%(最高税率が70%だった時期)から65%(最高税率が35%だった時期)とどちらも2倍以上になっている。所得上位1%のシェアの上昇を限界税率の引き下げによるとするならばnet-of-tax rateの最高所得の弾力性は1ぐらいになる」。

最後の段落は逆にすることが可能だ。最高所得の弾力性が「1ぐらい」ならば1980年以降の最高所得のシェアの(見掛けの)上昇のほとんどが最高税率の引き下げによると言うことができる。

弾力性が高ければ高いほど納税者の限界税率に対する反応も大きくなる。弾力性が1に近い値であれば限界税率が引き下げられた時期(1983年から1989年と2003年から2007年)の最高所得のシェアの上昇は行動的反応と解釈すべきだ。キャピタル・ゲインもこの論文が示すように極めて税率に敏感であるが異なる税率が適用されていてETIの推計から除かれている。

注13 課税所得またはグロスの所得の弾力性の推計はキャピタル・ゲインや配当に掛かる税率の変化を考慮しておらずそれ故税率の変化に対する行動的効果を過小評価している。

「The Elasticity of Taxable Income with Respect to Marginal Tax Rates: A Critical Review,」という調査記事の中でSaez, Slemrod and Giertz (2012:19)は「所得上位1%のシェアが限界税率が低下を始めた1981年以降に上昇を始めたことは特筆に値する。さらに最高所得のシェアが飛び跳ねた1986年から1988年の時期は加重平均した限界税率が45%から29%に急激に低下した時期とタイミングが完全に一致する。これらのタイミングの一致は(中略)状況的ではあるものの高額所得者の申告所得が限界税率に敏感であることの極めて説得力のある証拠を提示している。1986年から1988年の所得上位1%の弾力性は1.36というとても大きなものになる」と自分でも書いている。

だがその記事の最後の方になってSaez, Slemrod and Giertz (2010:42)は、それまでの議論をすべてかなぐり捨てて突然判断評価として「現在提示されている証拠の中で最良の長期の弾力性の推計は0.12から0.40の間にある。この範囲の中間地点である0.25を機械的に当てはめると連邦所得税収1ドルあたりの限界的な超過負担は全体に一律の引き上げに対して0.195ドル、所得上位1%に限定するなら0.339ドルになる」。

弾力性0.12と0.40は2002年のGruber and Saezによる初期の研究のグロスと課税所得の弾力性に一致する。だがそれら初期の推計はすべての納税者を対象としたもので所得上位1%を対象としたものではなくそして0.12という推計値は最近の大部分の研究が示す値よりも大幅に小さい。30の研究を批評したCanadian Ministry of Finance (2010: 51)は「国際的実証研究のETIの推計の中央値は0.4ぐらいだ。ETIの0.4は10%(中略)課税所得の課税後のドル価値が低下すると4%(中略)納税者の申告する課税所得が低下することを意味する」と示している。その他すべての研究と同様に「(カナダの)ETIは高額所得者を対象とすると大幅に大きくなった」と報告している。

Giertz (2010: 410)はGruber and Saezの方法をアップデートし「(税率の変化に対して納税者の反応には時間的なズレが生じるのでそれを修正するために)観察期間を3年として彼らの方法を用いるとETIの推計値は0.54となる。(中略)リード、ラグを含めた代替的手法を用いると短期の弾力性の推計値は0.43となり長期の弾力性の推計値は0.78から1.46の範囲になる。(中略)遅延反応と予測反応を考慮に加えた場合には」と記している。彼の推計はGruber and Saezと同様にすべての納税者が対象で所得上位1%が対象ではない。

注14 Gruber and Saezは1000万円以上(1ドル=100円として計算)の所得に対して弾力性が0.57、3500万円以上の所得に対して弾力性が0.62であることを報告している。だが彼らはETIが最も高い1億円以上の所得を除外している。

推計の範囲が一つか二つの外れ値(例えばGruber and Saezの0.12のように)で構成されている場合にはその範囲の中間地点は代表的な値ではないし少なくとも30の推計は0.40からそれ以上に分布している。それだけではなく中間地点とされる0.25の値がDiamond and Saezの所得上位1%に対する限界税率73%の正当化に用いられている。彼らは0.25を「実証研究からの中間範囲だ」と主張しているがSaez, Slemrod and Giertzはその数字を所得上位1%のではなくすべての納税者を対象とした推計の「最良」の中間範囲だと主張しているだけだ。Chettyは「弾力性は所得上位に関して高い(0.5から1.5)ことが報告されている」と記している。実際、Saez, Slemrod and Giertzによる実証研究の調査では所得上位1%の弾力性が0.62(Saez 2004)から1.99(Moffitt and Wilhelm: 210)の範囲であることが報告されている。そしてそれらの推計はグロスの所得に対するものだ(彼らが用いた課税所得に対する推計はそれよりも高い傾向がある)。

Atkinson and Leigh (2010: 31)はアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの納税申告のデータを用いて長期の(1970年から2000年)推計を試みている。彼らは「所得上位のシェアは限界税率の変化に極めて敏感であるように見える。我々は税率の引き下げが所得上位のシェアの上昇の3分の1から2分の1を説明できると推計した」と記している。

彼らの結論は納税データに基づく推計の方法に確実に疑問を投げかける。さらにシェアの上昇の半分が税率の変化によるという推計もアメリカに関しては過小評価だ。アメリカをその他4つの国と一緒にまとめるのは唯一劇的に税率を引き下げた(配当に掛かる税率が1980年の70%から2003年の15%)その影響を過小評価する。1970年から2000年という期間も1983年から2003年の間のアメリカの税率の変化の影響を見えにくくする。1970年から1981年にアメリカの限界税率は低下しているのではなく上昇しているし(主にインフレが原因で)2003年の税率の引き下げが除外されているからだ。シェアの上昇の半分が税率の変化によるというのでさえアメリカの1983年-84年、1987年-88年、2003年の税率の引き下げの影響を過小評価している可能性が非常に高い。

課税所得またはグロスの所得の弾力性はこの研究の大部分を占める実証上の問題だ。簡単な方法は図3を見ることでこの図は所得上位1%の課税前の平均所得を示している。暗い棒線は所得上位1%の所得にキャピタル・ゲインが占める比率で明るい棒線は給与、事業所得、配当、利子、賃料などその他が占める比率だ。所得上位1%のシェアが一貫して上昇トレンドにあるという一般の印象とは異なり所得上位1%の労働所得は2010年の方が1998年より少ない。最高所得は最高税率が1986年の50%から1988年の28%に低下した後に急上昇しているが税率が28%のままであったキャピタル・ゲインは1987年から1996年の間あまり変化がない。最高所得は1997年-2000年の時期にキャピタル・ゲイン税率が20%に引き下げられたことそして通常所得として課税されるストック・オプションが浸透したこともあって上昇した。所得上位1%の申告所得はキャピタル・ゲイン税率と配当税率が15%に引き下げられた後の2004年-2007年に再び急増した。

図3はキャピタル・ゲインが所得上位1%の所得の周期的な山において支配的であったことを示す。この事実は一般に無視されている重要な点を映し出す。一般が関心があるのはキャピタル・ゲインを含む(例えばCBOの推計)最高所得であるのに課税所得の弾力性の推計はキャピタル・ゲインを除いてあるということだ。この研究の後半部分では一般とメディアの所得上位1%のシェアに関する印象は(ETIの推計を置いておいたとしても)資産をより頻繁に売買するインセンティブが税率の引き下げにより増加したこと(従ってよりキャピタル・ゲインが申告される)と実際の経常所得の増加との混同から生じていることを議論する。


話をETIに一旦移すが最高所得は限界税率が非常に高い時期と地域で見掛け上低く限界税率が低い時期と地域で見掛け上高いことがこの分野の研究からは予想される。この観点からはインフレが多くの納税者を上の税額区分に押し上げた1970年代に上位1%のシェアが非常に小さかったのも不思議ではなくなる。さらに最高税率を1980年代に大幅に引き下げた国(アメリカ、イギリス、カナダなど)の上位1%のシェアが上昇した一方で最高税率を50%以上に据え置いている国(日本、2006年以前のフランスなど)の上位1%のシェアがそれ程上昇していないのかも不思議ではなくなる。

限界税率が引き下げられた場合に納税者の行動に与える影響に関して多くの証拠が積み上げられていっている。この課税所得またはグロスの所得の弾力性は限界税率が変化する前と後の申告所得を調べることにより推計する。弾力性はnet-of-tax rateの1%の変化に対して申告所得が何%変化したかを計測する。net-of-tax rateが35%低下した場合(最高税率が70%から35%に低下したので)に申告所得が35%上昇したならば弾力性は1となる。

Saez (2004: 151)は所得上位1%のグロスの所得の弾力性を0.59から1.58と推計し0.62を推奨している。彼は「課税所得の弾力性はここで分析したグロスのものよりも大きいだろう」と記している。

Saez, Slemrod and Giertz (2012: 42)は0.5を基準として用いたが「高額所得者のETIは高いことを示唆する多くの研究がある」と深刻で重大な欠点を加えている。彼らは「限界税率の変化に対する反応は高額所得者で特に大きいことが実証研究によって示されている」と記している。高額所得者のETIが0.4よりはるかに大きいならば最高所得の増加の大部分は税率の変化に対する行動変化であることが示唆される。大幅に税率が引き下げられたことにより面倒な租税回避戦略は最小化されるだろうし労働意欲は最大化し課税所得として申告される所得も多くなる。

所得上位0.1%のグロスの所得を用いた他の研究ではBakija, Cole and Heim (2010: 34)は「net-of-tax shareの0.716の変化に対する長期の弾力性の推計は(中略)高額所得者のインセンティブに対する反応が大きいことと同時に累進税率により大きな死荷重が発生していることを示唆している。シミュレーションは(中略)最高限界税率(35%)から1ドルの追加の税収を得るのに発生する死荷重は2.03ドルから6.57の範囲であることを示唆している」。

Heim (2009:155)は1999年-2005年を期間とした研究で所得5000万円以上の課税所得の弾力性を1.25、グロスの所得の弾力性を0.67から0.90と推計した。だが彼はキャピタル・ゲインを除外しているのでこの推計は過小である可能性が高い。それでも彼が結論するように「この結果は最近の税率の変化が様々な行動変化を個人に引き起こさせたことを示唆する。政策当局者は税制を変更する場合にそのような反応を考慮することが重要だ」と記している。同様にAuten and Joulfaianは「所得5000万円から2億の納税者の長期の課税所得弾力性は1ぐらいだ」と記している。Atkinson and Leighは先程の研究の中でETIを1.2から1.6と推計している。

企業経営陣の勤労所得(W2)のみに焦点を絞った研究でEissa and Giertz (2006: 26, 34)は「1990年代初期の長期(永続的)の弾力性は0.8(中略)2000年から2004年の間で推計値ははるかに大きく(中略)全期間では所得6500万円以上の経営陣は1.35、所得1億以上の経営陣は1.71(すべて統計的に有意)で(中略)税率への反応は高額納税者ではるかに大きいように見える」と記している。

高い弾力性はアメリカに特有ではない。16ヶ国を20世紀全体に渡って調査した研究でRoine, Vlachos and Waldenström (2009: 974)は「最高限界税率は所得上位全体の申告所得に負の影響を与える。(中略)累進税性は所得上位の(見掛け上の)シェアを低下させそして動学的影響を考慮した場合にはその影響は長期に渡って重要になる」。

イギリスの税率の研究の中でBrewer, Saez and Shepard (2010: 107)は「所得上位1%のシェアは1978年まで低下を続けtop METR(*marginal effective tax rateの略)が引き下げられた1979年に急上昇を始める。(中略)所得上位1%のシェアは1978年の6%から2003年の12.6%に2倍になった。(中略)最高所得の上昇がすべてMETRの引き下げによるとすればこれは弾力性がほぼ1であることを意味する。(中略)さらに所得上位1%の次の4%の集団もまた税率の低下により昇進し所得上位1%になるためにより一層仕事に取り組むことは十分に考えられる。この場合では0.93という推計は過小評価となるだろう」と記している。

弾力性が0.93のように1を僅かでも下回る限り所得上位1%のシェアの上昇を限界税率の低下に100%割り当てることは厳密には正確ではないだろう。弾力性の推計が1を僅かでも下回っていればSaez, Slemrod and Giertzは「1960年代以降のアメリカの所得上位1%のシェアの上昇は恐らく完全には最高税率の変化によってもたらされているのではない」と言う。そしてSaezは「所得上位のシェアの尋常でないほどの上昇トレンドが(中略)限界税率の変化単独で説明できるということは考えにくい(*このコメントは2004年のもので先程のコメントは最近のもの)」と言う。だが所得上位1%のシェアをほとんど完全に信用できないものにするのに(*皮肉)最高所得の変化を限界税率の変化で「単独に」または「完全に」説明する必要があるのではない。

高額所得者のETIが特に高いことを報告した多くの研究は1983年、1988年、1997年、2003年の大幅な税率の引き下げ後にはPiketty and SaezやCBOの研究のように所得上位1%による課税前所得の大幅な増加が続くことを示唆している。1970年代のインフレと高い税率(1977年のキャピタル・ゲイン税率は39.9%)の組み合わせによりこの時期の所得上位1%の申告所得が通常より少ないことが予想される。

まとめると1970年代後半以降最高所得の増加として表面上見えたものはその大部分が限界税率の変化に対する(課税前所得の)高い弾力性の反映だ。1979年の最高税率70%と1987年の28%と2003年以降の35%または1977年のキャピタル・ゲイン税率ほぼ40%と2003年以降の15%を比較して最近のすべての長期のETIの推計は税率が低いままである限り所得上位1%のシェアは(好不況を除いて)高止まりすると予想している。

Creating Theories to Deny Facts

弾力性の高さで最高所得の見掛けの上昇の大部分が説明できるので、この結論を避けたいと熱望する人たちは3つの相矛盾した議論を考えだした。

1.所得上位1%のシェアは日本、スウェーデン、オランダのようにアメリカと同程度最高税率を引き下げた国ではそれほど大きく上昇していない。

2.税率の変化に対する反応は1987年のキャピタル・ゲイン税率の引き上げ前の株式の売却や1993年の所得税の税率の引き上げ前のストック・オプションの行使のように一時的なタイミングの問題だ。

3.税率の変化に対する反応はキャピタル・ゲインや事業収益に掛かる税率が低いなどアメリカで節税対策がはるかに容易で多くの抜け道があるというだけの問題だ。

「興味深いことに最高税率を大きく引き下げなかった国で最高所得のシェアが大きく上昇した国はない」とPiketty, Saez and Stantcheva (2011:13)は記している。だが彼らは「最高所得のシェアは最高税率を大きく引き下げ節税の動機がアメリカと比べてそれほど高くない日本で相対的に低いままに留まっている」とも議論している。この印象はMoriguchi and Saez (2007: 28)から生じているのだろう。彼らは「所得上位0.1%に掛かる限界税率は1980年から2005年の間に20%ポイント低下している。低下の大きさは同期間のアメリカとほぼ同じだ。だが少なくとも最近まではこの低下が日本でサプライサイドの効果を生み出すことに失敗している。この対照的な経験は賃金格差の決定要因が税のインセンティブである可能性を排除する」と記している。

だがアメリカと違って日本は急速なバスケットクリーピングの時代が続いたにも関わらずほとんど手遅れになってから嫌々に限界税率を引き下げた。さらにVATを導入しその税率を引き上げたり1989年に証券の売却に掛かる新しいキャピタル・ゲイン税を導入している。国レベルで最高限界税率が37%に引き下げられたのは1999年になってからで地方税を合わせると未だに50%近いままだ。

日本の最高所得のシェアが「最近まで」(1999年-2005年)上昇してなかったのはその分析を2005年で止めたからと最高税率が1999年まで大きく引き下げられていなかったからだ。

国レベルでアメリカの最高税率は1980年の70%から1988年-90年の28%に低下し2005年まで35%だった。1980年代の低下は42%でその後35%となった。日本は1999年まで最高税率は50%で2006年以降も40%で留まっている。明らかに10%の低下だ。彼らが日本がアメリカと同程度最高税率を引き下げたと矛盾した結論に辿り着いたのは(1)1980年から2005年の労働所得に掛かる最高税率だけを比較した(2)日本でより税率の高い地方の所得税を除外したことによる。彼らは「地方所得税を加えても(中略)ここでの分析には影響を与えないだろう」と主張している。だが地方税を加えると日本の最高限界税率は少なくとも10%ポイント高くなるがアメリカは4%ポイント以下だ(州税の控除を考慮に入れた場合)。

注17 累進的な限界税率では普通のことではあるがそこから生み出される税収は非常に少ない。2002年の個人所得税からの税収は国レベルでGDPの2.95%でしかない。このことから大規模な租税回避が示唆される。

国レベルではアメリカの最高税率は1980年に70%だったが労働所得に対しては50%に制限されていた。だから彼らは比較を「賃金労働者」に限定している。日本の法定税率から「雇用主所得控除」の5%を引くと最高限界賃金税率は1980年の50%から47.5%に1999年以降の37%から35.2%になる。これは12%の低下で20%ではないしそれでも所得上位1%の所得のシェア(賃金だけではない)は最高税率が引き下げられた場合に急激に上昇している。1998年から2005年の間に日本の所得上位1%のシェアは21.2%(7.59から9.2へ)、アメリカは15.6%(15.29から17.68)上昇している。

Piketty, Saez and Stantchevaの最高所得のシェアの水準に関するコメントは総所得がアメリカより日本でより広く定義されているので意味のない比較だ。Moriguchi and Saez (2007:8)は「所得上位の所得を総所得で割ることによりシェアを求める」としているがそれに持ち家の帰属家賃までをも含めている。アメリカの最高所得のシェアもそのように広い個人所得の定義を用いればはるかに低く平坦になるだろう。

日本の例が示すように所得上位1%のシェアの水準は総所得の定義が異なる場合に比較できない。それに%ポイントの比較も基準が低いところから開始した場合にはミスリーディングだ。例えばスウェーデンの所得上位1%のシェアは4.38から6.9へと57.5%上昇している。

弾力性の証拠を拒絶するもう一つの手口はアメリカやその他の国の行動的反応も一時的なものだと示唆することだ。Piketty and Saez (2007)は「短期には税率の引き上げに対してキャピタル・ゲインの実現のように大きな反応があるが長期の反応は小さいという合意が形成されつつある」と主張している。その反対にその「合意」はSaez (2004)、Heim、Auten and Joulfaian、Gruber and Saez、Atkinson and Leigh、Eissa and Giertz、Brewer, Saez and Shepard、その他短期の再調整の問題を考慮して長期に渡って弾力性を推計した多くの研究によって否定されている。

最高所得の1度か2度のスパイク的上昇は実際に一時的なものだっただろう。1度目は1987年のキャピタル・ゲイン税の引き上げを避けるため1986年にキャピタル・ゲインの実現益が増加した事例だ。2度めは1993年の増税の不確実性を避けるため1992年にストック・オプションの現金化が増加した事例だ。だがHall and Liebman (2000: 41-42)が記しているように受給権と満了に関するルールでは、いつ非適格ストック・オプションを行使するのかに関して大きな裁量を認めていない。そして株価は「オプションのゲインを強く予想する」一方「税のタイミングによる説明は1992年であっても失敗している」。これらの結果は「タイミングのシフトが一般的であるという結論に疑問を投げ掛け、これまで行われてきた課税所得の弾力性の推計により注意が必要になる」と記している。

その他すべての例は永続的なもので一時的なものではない。配当に掛かる税率が2003年に引き下げられたことにより企業に(可能な時は)赤字を計上するインセンティブを与え投資家には毎年より多くを配当として申告する永続的なインセンティブを与えた。1997年にキャピタル・ゲイン税率が20%に引き下げられたことによりさらに2003年に15%に引き下げられたことによりそれらの変化は資産をより頻繁に取引する永続的なインセンティブを与えた。Subchapter S corporationsの税率が法人税率と同率にまで引き下げられたことにより(1987年-1992年と2003年以降)新旧の企業に個人所得税が適用されるSubchapter S corporationsとして登録する永続的なインセンティブを与えた。そのような効果が一時的なものであるとする理論や事実はない。

この論文の最後の図でPiketty and Saezのデータを用いて限界税率の変化の影響の大部分が(その税率の変化が続いている限り)永続していることを示す。

弾力性の証拠を拒絶する第3の手口は観測された弾力性の大部分を簡単に閉じることが可能と仮定した「税の抜け道」と見做すことだ。Piketty, Saez and Stantchevaは「「税制に租税回避の機会がある場合に所得上位は税率に反応する」とほのめかし異なる税制の下ではそのような機会は提供されないだろうと示唆する。彼らはそのような機会としてキャピタル・ゲインや企業収益に掛かる低い税率を挙げる。だがアメリカの弾力性の高さを企業収益やキャピタル・ゲインに掛かる低い税率に求めるのは彼らの日本、イタリア、スウェーデン、ポルトガル、オランダが「最高税率の大きな引き下げを経験した」が「最高所得のシェアが穏やかに上昇しただけだ」という疑わしい主張と矛盾する。それらすべての国はアメリカよりも法人税率が低く(平均?25-28%)そしてオランダ、ポルトガルがゼロ、イタリアが12.5%、日本が10%とほとんどの国でキャピタル・ゲイン税率が低い(Carroll and Prante)。

注18 ポルトガルでは所得上位1%のシェアは1982年の3.97から1989年に6.84へ2005年に9.77へと上昇した。イタリアでは所得上位1%のシェアは1992年の7.81から2007年に9.86へと上昇した。オランダのWTIDのデータは2001年に最高税率が60%から52%に引き下げられる前の1999年で止まっている。フランスのデータはフランスが最高税率を引き下げた2006年で止まっている。日本とスウェーデンは既に議論した。

OECDの18ヶ国に対して彼らは所得上位1%の弾力性を「0.5ぐらい」と相対的に低く推計しさらにその40%ぐらいが現実の経済活動の変化(労働時間の変化として狭く定義されている)の反映で残りの60%(0.3)を租税回避と大まかに割り当てている。そして「政府が課税ベースを拡大し租税回避による弾力性を0.3から0.1にまで低下させることができれば」と議論し「そうなれば[弾力性は0.3に低下し]最適な最高税率は71%に上昇する」と記している。さらにPiketty, Saez and Stantchevaは租税回避は大部分が作り話だと示唆している。

この指標に対する批判に対して「左翼」と「右翼」と作為的な区別が為されるようにサプライサイドの分析に対しても「旧」とか「新」とか作為的な区別が為されている(Goolsbee 2008)。「租税回避の新しい研究」は租税回避に着目していて古いサプライサイドの理論では限界税率が労働供給に与える影響が大きいことが強調されていたというのだ。Goolsbeeは1999年に「労働経済学の研究は税率の変化が男性労働者の労働供給に与える影響は僅かであると示している。これはLaffer curveの主張が明らかに間違いであることを示しているように思われる」と議論している。

同様にSlemrod and Bakija (2000: 12)は「幾つかの例外を除いて適齢期の男性労働者の弾力性の値はゼロに近いということで意見の一致を見ている。とは言え既婚女性の労働参加率に対する反応は大きいように思われるが。全体として労働供給の弾力性は小さいように思われる。労働と余暇の選択だけのモデルでは所得課税の費用も低い値に留まることが示唆される」と書いている。12年後にSaez, Slemrod and Giertz (2012: 3)も彼らのセリフをほぼ繰り返している。

これらの主張の問題点は適齢期の男性(25歳から54歳)は2008年の労働人口の36.4%を占めるに過ぎないということだ。そして労働局はこの数字が2018年に34.3%に低下すると予想している(Tossi: 44)。女性と54歳以上の人口が労働人口の多数派を占めるようになっていてさらに彼らの労働市場に参入するか退出するかの判断は税率に大きく影響を受けることが知られている。既婚女性の弾力性は疑問の余地なく高いから「所得課税の費用も低い値に留まる」という主張は男性と女性で大きく税率が異なるというのでない限り真とはならないだろう。

Slemrod and Bakijaの適齢期の男性と女性の全体の補償弾力性は「極めて小さい」ように見えるという主張は2000年では尤もらしく思われたかもしれない。だが最近の2つの研究の結果とは一致しない。「Labor Supply and Taxes: A Survey」でKeaneは「男性に関するよく知られた22の研究のヒックス補償弾力性をシンプルに平均すると0.31という値が得られた。(中略)大きな損失を引き起こすのに十分な値だ」と記している。同様にChetty, Guren, Manoli and Weberは長期の労働弾力性を0.25から0.5と推計し0.3を優先的な値としている。

労働者への調査による過去の推計は「extensiveな」弾力性を捉えているようには思われない。潜在的な労働者は(労働時間よりも)求人市場へ参加するかまったく参加しないかの判断をより容易に行えるため幾つかの研究はextensiveな弾力性がintensiveな弾力性よりも数倍大きいことを示唆している。

多くの国を何年にも渡って調査した後でDavis and Henrekson (2005: 89)は「労働所得と消費支出に掛かる高い税率は市場部門での労働時間の減少、家庭部門での労働時間の増加、地下経済への拡大へとつながる」ことを報告している。そのようによく報告されている行動の変化は申告所得の額に明白に影響を与える。だがそのような行動は経済の表部門で既に働いている労働時間の変化を調べることではどれ一つとして把握することはできない。

Goolsbee (1999)の主張とは異なり、Lafferとサプライサイド理論家の第一世代は原始的な労働供給の指標を「中心教義」などとは一度も記述していない。税のインセンティブは生涯を通した労働強度、起業のリスクを取る意思、貯蓄と投資などに影響を与えると記述されている。さらに広い意味での租税回避(地下経済を含めた)は何故高い税率を引き下げることが税収の低下に直結しないのか(そして実際低下しなかった)サプライサイドの説明の主要な部分を常に占めていた(Kemp1978: 56-58)。

それを左翼または右翼と呼ぼうと旧または新と呼ぼうと課税所得の弾力性の高さはGordon and Slemrod (2000: 240)が指摘するように「高額所得者のその他の層に対する相対的な所得の伸びはフィクションかもしれない」ことを意味する。高額所得者の所得の伸びが広い意味での租税回避の反映である範囲でそれは主に統計の錯覚であることを意味する。高額所得者の所得の伸びが最高税率が引き下げられたことによる勤労意欲、起業、投資の増加の反映である範囲で(最近のインド、韓国、ブラジル、1920年代、1960年代、1980年代のアメリカ)それは豊かさが増加したことを意味する(サプライサイド理論の指摘する効果)。例えばPiketty, Saez and Stantchevaが彼らの推計した弾力性0.5のうち0.2を真のサプライサイドの効果に割り当てたように真のインセンティブと租税回避の両方が含まれている。

Capital Gains Realizations are not Income, and they are Voluntary

高い弾力性を軽視するまたは否定しようとする努力は最後には失敗に終わる。弾力性が継続的に高いのでなければ何故アメリカの個人所得税収のGDPに占める比率が最高税率が91%から28%に引き下げられた後でさえ低下していないのか何の説明も残されなくなってしまう。

1951年から1963年まで最高税率は91%だったが個人所得税の税収はGDPの7.7%に過ぎなかった。最高税率は1964年に70%に引き下げられ1969年に労働所得に掛かる税率は50%に制限されたが1964年から1981年の間に8%に上昇した。全体の税率は1982年-83年に再び引き下げられた最高税率は50%になったが個人所得税からの税収はさらに上昇し8.3%になった。最高税率は1988年から1990年に28%に引き下げられたが税収は8.1%のままだった。弾力性による説明を用いないのであればこの不連続性を説明するのは困難だ。

そして弾力性の研究ではキャピタル・ゲインという重要な問題が除外されている。図4にアメリカの所得税率と税収がGDPに占める比率を並べてある。不況期を除いて最高税率が91%であろうと28%であろうと所得税収はGDPの8%で安定している。これは弾力性の高さが一時的なアノマリーではないことを示す強力な証拠になる。ただし図には3つの例外的な時期が含まれているので以下で説明する。


第一の税収の例外的な上昇は1968年-70年の付加税が原因だ。これはすべての納税者に適用され経済が不況になるまではかなりの税収をもたらした。第二の上昇は1979年-81年でインフレにより多くの納税者がより高い税額区分に追い込まれたのが原因だ。この2つの事例は収縮的な「税ショック」の候補と考えられ不況(1970年-71年、1980年-82年)を深めたか引き起こした可能性が考えられる。

第三の1997年-2000年の税収の増加は技術ショック(インターネットと携帯電話の普及)とそれに関連する株式市場の上昇から発生している。この時期の政策もまた例外的で予想のされないものだった。普通所得に掛かる最高税率は1993年に31%から39.6%に上昇し社会保障給付の85%までが課税可能になった(1993年以前は50%までだった)。それでも個人所得税からの税収はGDPの8%で最高税率が28%で社会保障給付の半分が課税されていた時期よりも少ない。1993年の税制の改訂で大きな影響があったのが経営陣の給与に対する控除を1億円に制限したことで経営陣の報酬がストック・オプションのようなインセンティブ型の報酬体系へと変化する一因となった。

1970年代後半に通常所得に掛かる税率が大きく低下しキャピタル・ゲイン税率も低下した。キャピタル・ゲインの最高税率は35%(幾つかのケースでは39.9%)から1978年には28%に1982年には20%に引き下げられた。1987年に28%に一旦引き上げられたが1997年に再び20%にそして2003年に15%に引き下げられた。

キャピタル・ゲイン税率の引き下げによりより多くのキャピタル・ゲインが最高所得に加わる。キャピタル・ゲインを含むもの含まないもの両方で最高所得のシェアが上昇したことを(キャピタル・ゲインと通常所得に掛かる税率が高かった)1970年代に(Piketty, Saez and Stantchevaが示唆したように)租税回避が一般的でなかったことの証拠と考えることはできない。2つの税率を引き下げることは単に高額納税者がより多くの所得とキャピタル・ゲインを申告することを(1982年-82年、2003年がそうであったように)奨励するだけだ。

キャピタル・ゲインを除外した弾力性の推計の問題点は図3が示すようにキャピタル・ゲイン税率が引き下げられた場合にはいつでも所得上位1%の所得の大きな部分をキャピタル・ゲインが占めていることにある(2003年から2007年では28%以上)。

表3に政府と経済学会が推計した長期のキャピタル・ゲインの弾力性の代表例を示す。一般的に1.0かそれ以上だ。これは10%税率を引き下げるとキャピタル・ゲインの納税申告額が10%増加することを意味している。反対派は1980年-83年の景気循環期のBurman and Randolphの研究を引用するが説得的ではない。何故なら「長期の弾力性0.0と-1.0が両方95%信頼区間に含まれている」からだ。彼らはさらに1981年にキャピタル・ゲイン税率が引き下げられたのは70%の税額区分だけということを無視している。完全なキャピタル・ゲイン税率の引き下げは1983年まで実行されなかったのでキャピタル・ゲインの実現を遅らせるインセンティブを与えた。このことと一致してキャピタル・ゲインの実現益はU.S. Treasury Office of Tax Analysisによると1981年にGDPの2.7%から1982年に2.9%、1983年に3.6%、1984年に3.7%、1985年に4.2%に上昇した。

Auerbach and Siegelは後にBurman and Randolphのモデルをある年の実現益がその年度以降の税率の予想によって影響を受けるように修正しその結果長期の弾力性の推計値は-1.73に上昇した。

小さめの-1.0の弾力性でも10%の税率の引き下げに対して税収は変化しない。課税の対象となるキャピタル・ゲインの実現益が10%増加し税率の低下の効果を打ち消すからだ。弾力性の研究が示したことが意味するのは1983年、1997年、2003年の税率の引き下げにより(キャピタル・ゲインを含む)所得上位1%の申告所得が大きく継続的に増加すると予想されることだ(そして実際そうなった)。

表4の列3はキャピタル・ゲイン税率が28%だった1987年から1996年に所得上位1%の申告所得に占めるキャピタル・ゲインの実現益が17.7%だったことを示している。税率が20%だった1997年から2002年には実現益は26%を占める。税率が15%だった2003年から2007年には実現益が28.1%を占めている。

実現益の方が未実現益以上に価値があるということではない。誰かが家や株式を売却してもその個人が豊かになるわけではない。キャピタル・ゲイン税率が高いと人々は現在保有している資産を保持し続けることになる。だからキャピタル・ゲイン税率を引き下げることは未実現益が実現益になりそして課税される割合を高めることになる(そして未実現益と未課税の割合を低下させる)。

課税所得またはグロスの所得の弾力性の最も高い推計値でさえキャピタル・ゲインを除外しており(1)所得上位1%の申告所得がキャピタル・ゲイン税率が相対的に高かった1987年から1996年に比較的安定しているように見えたのか(2)1997年と2003年にキャピタル・ゲイン税率が引き下げられた数年後に所得上位1%の所得が上昇したのかこの2つの事例に対して与えた税率の変化の重要性を大きく過小評価している。

Switching Income from Corporate to Individual Taxes

Piketty, Saez and Stantcheva (2012:2)は「これらの反応のほとんどは実際の経済活動の変化ではなく主として租税回避の結果であることが元はSlemrod, 1996から始まりそれ以降も指摘され続けてきた。この議論は左翼側のサプライサイド理論の成功物語に対する批判として始まったが(*都合が変われば意見も変わる(笑))、今では右翼側の所得の集中を否定する議論として用いられるようになった(Reynolds, 2007)」。

その逆に左翼側の議論とされたGordon and Slemrod (2000: 240)は私と同様に「税率の引き下げ後の申告所得の急上昇が単なる報酬形態のシフトの反映だとしたら真の所得は実際にはほとんど変化していないかもしれない。1986年の個人所得税率の法人税率に対するさらなる引き下げは外部から観察することのできない報酬の形態から観察することのできる報酬の形態へとシフトするインセンティブをさらに強化した。従って高額所得者の相対的な観察上の所得の上昇は作り物かもしれない」と記している。

彼らが着目したのは相対的に小さな企業や専門の事業主は課税所得を法人として申告するかS-corporation、partnership、proprietorshipのようなパススルー事業体を用いて個人として申告するか簡単に選ぶことができることだ。limited liability companyは法人としても個人としても申告可能かもしれない。Piketty and Saezは個人として申告された所得だけを計測しているので法人としてではなく個人として所得を申告した企業の行動の変化により所得上位1%の所得がまるで以前よりも増加したかのように見えるだろう。だが本当に変化したのは所得ではなく所得の申告の形態の方だ。

Gordon and Slemrodは所得税の最高税率が法人税と同じかそれ以下に(1988年-92年、2003年から現在)引き下げられた場合にはいつでも事業所得が個人の納税申告へとシフトしていることを正しく観察している。だが「所得シフト」それ自体は「サプライサイド理論の成功物語に対する批判」とは有効にはなり得ない。何故なら1998年と2003年に所得税の最高税率が引き下げられた後に法人税収のGDPに占める割合が上昇しているからだ。最高税率の引き下げが個人所得税からの税収を減少させていないことは(図4に示してある)法人所得税からの税収の減少では説明できない。これは課税所得の弾力性が広い意味での租税回避とサプライサイドの反応との組み合わせにより実際に高いことを意味する。

Piketty and Saez (2007)とAtkinson, Piketty and Saez (2011: 29-30)は法人税から個人税への所得のシフトの後に同規模のキャピタル・ゲイン税収の減少が続かなければならないと主張する。何故ならば利益剰余金は会社や会社が保有する株式が売却されることによりすぐに払いだされるからだ。Atkinson, Piketty and Saezは「キャピタル・ゲインを含まない系列は1986年から1988年に4.0ポイントもの急上昇を見せている。よく知られているように(中略)この急上昇の半分は所得のシフトによる。だが会社の利益剰余金はキャピタル・ゲインへと変化する。よって中期では所得のシフトは同額のキャピタル・ゲインの減少と一致するだろう」。企業の経営者が繰延所得からの利益を得るために会社を清算しなければならないという主張は少しも自明ではない。だが仮に経営者たちがそうしたとしたらそこで生じるキャピタル・ゲインは「同額」ではなくその時点での市場との関係に依存するだろう。

注20 実際、多くの企業や事業主は個人所得税率が法人税率よりもはるかに高かった時期にC-corporationの形態を世代に渡って保持していて株式を公開したり会社を売却したりしていない。それは(1)税の繰延に期限がない(2)現金化しなくても生活の手段があるのが理由だろう。

利益剰余金の減少とキャピタル・ゲインの実現益の減少との空想上の等価性を確かめるためAtkinson, Piketty and Saezは所得上位1%によるキャピタル・ゲインの申告が1985年から1990年に減少したことを指摘する。だがその事例はキャピタル・ゲインの弾力性をゼロと仮定しているようなもので(キャピタル・ゲイン税率は1985年よりも1990年の方が高かったからだ)そして景気循環を無視している(1990年は不況の開始時期と記されている)。

現実には、このインセンティブは(法人税と所得税の差が狭まった場合に)通常所得の変化を過大評価するだけではなくキャピタル・ゲインからの最高所得の変化をも過大評価する。

個人所得税の場合と同様にキャピタル・ゲイン税率の引き下げにより、より多くのキャピタル・ゲインが個人の所得として申告され(15%で課税される)法人の所得として申告される額は少なくなる(35%で課税される)。

2007年の個人所得として申告されたネットのキャピタル・ゲインのうちWilson and Liddell (2010:76)は「キャピタル・ゲインのうち多くは(36兆6900億円)パススルー事業体のものでその次が企業による株式の売却(22兆7900億円)だ。ミューチュアル・ファンドは8兆6000億円でパートナーシップ事業体は4兆9100億円、居住用賃貸資産は3兆7300億円だ」と報告している。パススルー事業体の事業所得として申告される額が増えたからといってAtkinson, Piketty and Saezが憶測したのとは違い個人のキャピタル・ゲインとして申告される所得を減少させてはいない。そうではなく(はるかに低い税率と併せて)営業譲渡によるキャピタル・ゲインの大幅な増加に貢献している。

Piketty, Saez and Stantcheva (2012: 4, 27)は私が最初に図3で見たデータにも誤った解釈を加えている。彼らは「広義の所得の定義(租税回避の大きな部分を占めるキャピタル・ゲインの実現益を含む)に基づく最高所得のシェアが狭義の定義のものと同じ位上昇したのでアメリカの事例は租税回避反応によってシェアの上昇のかなりの部分を説明することができないことを示唆する」と議論する。さらに「回帰分析の結果もキャピタル・ゲインを除外したものとほぼ同じ結果を示している。これは所得シフトが最高所得の変動の多くを説明しないことを示唆する」と続ける。

この議論は2つの部分から構成されている。第一は「租税回避とは主に繰延とキャピタルゲインに対する優先的な扱いを利用している」という疑わしい主張だ。仮にそれが事実だとすれば最高所得の限界税率が50-70%だった時期に所得上位1%の所得に占めるキャピタル・ゲインの比率が高いと予想できるしよってキャピタル・ゲインを除外した系列のシェアの方が低くなるはずだ。限界税率が28-35%に引き下げられた後に例えば企業の経営陣は報酬を(通常所得の税率で課税される)現金や非適格ストック・オプションの形で受け取れるように交渉したかもしれない。

この問題で最も困難な部分は課税の対象となっている資産を売らないまたは利益を損失で穴埋めする(利益が出ている株はそのままに損失が出ている株を売却する)などしてキャピタル・ゲイン税自体を容易に回避できることだ。キャピタル・ゲインの実現は資産を保有している人による自発的な行動でそして少なくとも半分が実現しない。仮に資産を売却するまたは売却益を実現するインセンティブが実際に税率に敏感なのだとしたらキャピタル・ゲイン税率が引き下げられた少なくとも数年間は最高所得のシェアが上昇すると予想でき引き上げられた後には変化しなくなるか下落すると予想できる。だがその場合キャピタル・ゲインを含む系列含まない系列とが類似しているとの主張は(1)キャピタル・ゲイン税率が変化している期間には正しくない(2)通常所得に対する租税回避を測る手段としては無効だ。

図5は彼らの主張と対立する。棒線は長期のキャピタル・ゲインの最高税率を示している。折れ線はキャピタル・ゲインを含む場合と含まない場合との(所得上位1%のシェアの)差または乖離を示している。


この差はキャピタル・ゲイン税率が1960年代の25%から1970年代に35-39.9%に引き上げられた時期に劇的に縮小している。そして(1986年を除いて)1988年から1996年に20%から28%に引き上げられた時期に再び縮小している。折れ線はもちろん景気循環も反映しているがそれでもキャピタル・ゲインは税率が高い時期よりも低い時期において大きな比率を占めている。これはETIの推計に大きな欠点と限界があることを示す。何故ならそれらは課税対象となる口座で発生したキャピタル・ゲインの弾力性をすべて除外しているからだ。

Sources of Top 1 Percent Income Respond to Changing Tax Rates

図6に所得上位1%の所得源が経済や税率の変化に対してどのように反応したかを示す。表5に主な税制の変更と先程と同じデータを示す。黒字の数字は税制の変更に対する行動の変化を示している。


所得上位1%の4つの主な所得源を2010年のドルを基準として示してある。これは見掛けの所得の変動の大きさを強調するためだ。データは平均所得に対するそれぞれの所得源の貢献度として表示している。給与所得、事業所得、投資所得による分解はキャピタル・ゲインを除外したものにのみ利用可能だ。よってキャピタル・ゲインは別個の系列から編集してある。

1980年代を見ると1983年-84年の税率の引き下げの後に(高率の税率が課せられる閾値が大きく上昇した)給与所得の申告が大幅に増加した。さらに1988年に最高税率が28%に引き下げられた後にも給与所得の大幅な増加があった。この2回の上昇は後の課税所得の弾力性の研究に先立っていて研究の動機となっている。そしてそれらの研究の結果と完全に整合的だ。経済は1983年から1989年に4%以上の率で成長しているので景気循環も一部影響しているかもしれない。

図6の暗線は1986年の税に誘引されたキャピタル・ゲインの実現益の急上昇を示していて所得上位1%の労働所得を上回っている。より重要なことに棒線は1986年から1988年の2年間で非法人(パススルー事業体)により個人として申告された事業所得額が3倍になったことを示している。これはGordon and Slemrodが強調した「所得シフト」だが同時期の給与所得の上昇を明らかに説明できない。Atkinson, Piketty and Saezは1986年-88年の事業所得の増加はキャピタル・ゲインを含む系列には表れていないと主張しているがそれは単に1986年のキャピタル・ゲインの急増が1988年の事業所得の急増を打ち消したからだ。

Atkinson, Piketty and SaezはC-Corporationsからの変更はその後にキャピタル・ゲインの実現益の減少を伴うと仮説を立てている。何故なら1986年以前のC-corporationsはそうでなければ利益剰余金と等しい価格で売却されるだろうからだ。図6は1987年に税率が引き下げられ1997年と2003年に税率が引き上げられた時期に起こったことは彼らの仮説ではなくキャピタル・ゲインの弾力性の研究にはるかに整合的であることを示している。

1991年の税率の引き上げは項目別控除や個人控除の縮小によって主に行われた。GDPに占める所得税収と同様に最高所得は減少した。

Saez (2012)が頻繁に繰り返している議題は「1970年代以降に(中略)賃金と給与所得のシェアが急上昇した。よって1970年代以降の最高所得のシェアの上昇は賃金と給与の急上昇による」だ。図6の給与の系列は所得上位1%の労働所得が2000年まで大きく増加していることを示している。だがそれ以降は増加していない。所得上位1%の平均の実質労働所得は2000年から2007年に2.5%、2000年から2010年だと11.5%減少している。

所得上位1%の平均の給与は1993年に減少している。これは1993年の税率の引き上げを見越した1992年への所得のシフトによってある程度説明できる。だが所得上位1%の給与は1994年にも減少している。最高税率が28%だった1988年より実質で見て6.1%低い水準だ。1988年から1994年の給与の減少は1991年と1993年の税率の引き上げに対する行動の変化と整合的に見える。

所得上位1%の配当からの所得も1990年から1994年に24%低下している。利子所得も47%低下している。そして配当と利子も2003年の税率の引き下げ後までは1989年の水準で浮動している。これもETIと整合的だ。

対照的に1995年から2000年に労働所得に起こったことは表面的には国内と国際間の弾力性の証拠と整合的ではないように見える。所得上位1%の給与、ボーナス、ストック・オプションからの所得は1995年-96年に8%、1997年-1999年に10%、2000年に7%と年率で上昇している。これはNASDAQが2005年(*1995年の誤植だと思われる)の1000から2000年に5132になった時期と一致する。NASDAQと最高所得を結びつけるものはずばりストック・オプションだ。

税制は(1)1997年のキャピタル・ゲイン税率の20%への引き下げ(2)1993年の税制の改訂を除いてストック・オプションにあまり影響を与えていない。

Gordon (2009: 17-18)は「ストック・オプションは株式市場の影響を最高所得に伝えただけではなくストック・オプション自体が1990年代に経営陣の報酬源としてますます重要になっていった(1990年から2000年に40%から70%へ上昇した)。(中略)所得上位のシェアの上昇とストック・オプションの重要性が増した時期はタイミングが一致しているように思われる」と記している。Saez (2012)は「経営陣のストック・オプション」を2001年-2003年の最高所得の急減の主な理由と挙げている。だがそれらの説明が見落としているのは1990年代後半には既に非適格ストック・オプションが一般の従業員の水準にまで深く浸透していたことだ。労働局は1999年に「所得500万円から749万9900円の4.2%と所得750万円以上の12.9%がストック・オプションを保有している」と報告している(Shildkraut)。

以前記したように(Reynolds 2005: 267)、2000年には「フォード・モーターは従業員のほぼ10%にオプションを付与している。サウスウェスト航空は約3分の1、アマゾンはほぼすべての従業員に付与している。マイクロソフトもほぼすべての従業員に付与している。インテルとサン・マイクロシステムズも多数のオプションを一般の従業員に付与している。National Center for Employee Ownershipは2001年に7百万人から10百万人がストック・オプションを保有していると推計している。Execucomp databaseは上位5名の経営陣は2001年のストック・オプション全体の7.6%を占めるに過ぎないがその年に行使されたオプション全体の12.1%を占めていることを示した。

オプション全体の78%は「非適格ストック・オプション」で行使時には通常所得の税率で課税されることを意味する。非適格オプションは権利確定し行使した後になって初めて控除可能になる。その時点で売却益は従業員に対して課税可能に雇用主にとって控除可能となり個人の申告所得額を増加させ(例えばPiketty and Saezの例)法人税額を減少させる。ある意味で1997年-2000年のストック・オプションからの棚ぼたは法人申告から個人申告への別の形態の所得シフトだ。だが図6が示すように1997年-2000年に起こったことは一時のイベントで、メディアで言われているような上昇トレンドではない。NASDAQが5年以内に再び5倍以上になるといったことや多くの一般従業員までもストック・オプションから再び利益を得るといったことは考え難いだろう。

興味深い次の事例は2001年の6月から2003年の5月の減税と共に始まった。House and Shapiroと彼らを引用したMerten and Ravnは「減税の予想効果が2001年の不況からの穏やかな回復に貢献し実際の減税の実施が2002年以降の経済を刺激するのに役だった」と報告している。その分析によれば2003年の5月以降の所得上位1%の所得の変動自体が部分的に税制の変更の影響を受けていることになる。だが図6が示すように景気循環以外の要因すなわち配当とキャピタル・ゲインに掛かる新規の15%の税率がより大きな影響を与えている。

所得上位1%が申告した配当の額は(図6の点線)配当税率が31%に引き上げられた1990年から1992年に22.1%減少した。さらに配当税率が39.6%に引き上げられた1993年に9%減少した。景気循環の山であった2000年でさえも所得上位1%が申告した配当の額は1988年より少なかった。対照的に2003年に配当税率が15%に引き下げられると所得上位1%が申告した配当の実質平均額は1992年の318万円から2007年の838万円へと3倍近く増加し年率で21.6%増加した。これは明らかに税率の変化に対する行動変化だ(Chetty and Saez)。

1997年にキャピタル・ゲイン税率が8%ポイント引き下げられた後に所得上位1%の実現益は1997年だけで34.3%増加し1997年から2000年に年率23.1%増加した。2003年の5月にさらに5%ポイント引き下げられた後にも2004年だけで53.2%増加し2003年から2007年に年率で21.1%増加した。

税率が引き下げられた後の申告額の急増加は弾力性によるもので資産価格の変動によるものではない。所得上位1%のではなくキャピタル・ゲイン総額を見るとキャピタル・ゲインの実現益は1987年から1996年にGDPの2.23%だったのが(税率は28%)1998年から2000年には5.3%になり2005年から2007年には5.62%になっているとOffice of Tax Analysisは報告している。株、債券、民間企業、不動産の市場価値も1980年代後半と1990年代初期に上昇している。図6が示すように税率が28%と高かったため相対的に実現益が少なかった時期だ。

2003年の所得税の最高税率の35%への引き下げにより法人税と税率が等しくなった。それにより所得シフトが加速し事業所得(1998年から2002年まで変化がなかった)は2004年に13.2%、2005年に20.1%上昇した。

図6で以前議論したように1983年から1988年の申告所得の増加は部分的には景気循環によるものだ。ただ恐らく限界税率の引き下げがその時期の高い成長に貢献している。だが1980年代後半の急増加は税率の変化に対する行動の変化だ。税率の変化は(1)利益剰余金からパススルー事業体へと所得をシフトする(2)現金報酬を役員特典へと代替する(3)配当や課税対象となる債券からの申告を増やす(4)税率が引き上げられる前に1986年に売却益を実現するなどのインセンティブを与えた。

1997年にキャピタル・ゲイン税率が8%ポイント引き下げられた後に実現益が前例のない程の増加を見せた。これは税率の引き下げがどのように申告所得額を増加させるかを端的に示している。1993年に最高税率が引き上げられた4年後の1997年-2000年の最高所得の増加は課税所得の弾力性が低いことを示した証拠ではない。2001年までに11.4%の家計に非適格ストック・オプションが浸透していたことで十分説明可能だ。一度限りの棚ぼたではあるがこの時期の株式ブームはW2に記載される労働所得を大きくインフレさせた。

2003年-2007年の好況期の山でさえも(住宅価格の上昇とそれに関連するファイナンス)所得上位1%の労働所得は1999年-2000年の水準まで戻っていない。これは「所得格差の拡大」への説明として労働所得を強調してきた経済学会に対して疑問を投げ掛ける。2003年-2007年の時期に最も考えられることは最高所得の見掛けの増加の大半がキャピタル・ゲインと配当に掛かる税率の15%への引き下げと事業と利子に掛かる税率の(35%)への引き下げに対する納税者の反応の結果だ。キャピタル・ゲインは2002年から2007年の所得上位1%の所得の上昇の53.8%を占めていて配当と利子は15.3%を占める。だが給与、ボーナス、キャピタル・ゲイン(*キャピタルゲインと書いてあるのは誤植か書き間違いだと思う)は13.6%を占めるに過ぎない。

弾力性で完全には説明できていない部分は景気循環で説明できる。2010年の所得上位1%の給与は2001年の不況期のそれよりも少なかった。これはキャピタル・ゲインと利子も同様ではあるが配当とパススルー事業体の事業所得は2001年より明らかに多い。

所得上位1%の特定の所得源のデータを用いて図6と表5に(1)キャピタル・ゲインからの所得が税率が28%である間は低いままで税率が引き下げられた場合に上昇する(2)所得のシフトが所得税の最高税率が法人税率と同じぐらいかそれより低い間は継続している(3)配当所得と配当税率の変化が逆向きに変動していることを示す。

給与、パススルー事業体、キャピタル・ゲイン、配当に掛かる税率の引き上げは個人が申告する課税前所得を大きく減少させ課税前で見て所得上位1%が突然貧しくなったかのように見せることをはっきりと示している。だがその効果は高い税率の対象となる課税所得の申告額の減少であり所得上位1%の支払う税の額を長期で見て確実に減少させるだろう。

Conclusion

何人かの研究者がSocial Security data、CBO pretax estimates、Consumer Expenditures Survey、Panel Study on Income Dynamics、Survey of Consumer Financesから上昇トレンドを探そうとしている。

それらの研究を読んでまったく説得力を欠くという結論に到った。それをtextとappendixで説明している。

Appendix A

Comparing Census Bureau Survey Data with the Piketty and Saez Estimates

1993年-94年にCurrent Population Survey (CPS)は紙をコンピュータに置き換え(記録できる桁数を増やし)50以上の所得源の記載できる限度額を大幅に拡大させた。1993年以前のデータは高額所得のかなりの部分を除いていたため1993年前後でデータの断絶が発生した。

Polivka (2000: 4)は「1994年の1月以降質問者は額が大きくても回答者が回答した額を記載できるようになった。1994年の1月以前は質問者は週間の賃金が19万9900円を超えるものをすべて19万9900円と記載していた。さらにその賃金は一般に公表される前に19万2300円で「トップコード」されていた。1994年の1月以降には実際に稼いだ額が記載されていたが回答者の秘匿性を守るため一般に公表されるデータは「トップコード」されたままだった」と説明している。

広く見られる勘違いとは反対に「トップコーディング」は個人の所得に対していかなる最高限度額など定めていない。それを定めてあるのは特定の所得源のみに対してだ。Krugman (2006)は「センサスは(中略)回答者の賃金が9999万9900円を超えた場合には単に9999万9900円と記載している」と記している。それとは反対にWelniakは1993年以降、「4つの各所得源はそれぞれ9億9999万9900円まで記載することが許されている」と説明している。これら10億円を足し合わせればかなりの額になる。

「トップコーディング」とは一般に公開されるデータの一部が検閲されていることを指していてセンサスが作成している(表1の列1のような)所得シェアの推計とは一切関係がない。その推計は民間の研究者や米財務省(CBOのような)以外の政府機関は普段利用できない内部データに基いて行われている。トップコーディングされている一般公開のデータを日常的に取り扱っている研究者はパレート分布の変種を用いて内挿(外挿の誤植?)している。例えばHeathcote, Perri and Violante (2010:26)は「トップコードされたデータは各所得源がパレート分布しているものと仮定して取り扱う。(中略)トップコードされていない分布の右側に適合するパレート密度を外挿することによりトップコードされているデータの平均値を予測する(ようするにデータに空白が存在する部分はデータに空白が存在しない部分から適切な手法によって予想する)。これにより内部検閲の問題(トップコーディングとは異なる)が自動的に取り扱われる。内部データの閾値は一般に公開されるデータの閾値より常に大きいからだ。さらにトップコードの閾値の変化に適切に対応できるという利点がある」と説明している。

センサスの内部データにも自身が課した制約があり最高所得を少なく数える傾向がある(特に1993年以前は)。だがその程度は未調整のトップコードされた一般に公開されているデータほどではない。どちらにしても最高所得の慢性的な過小評価ではSaez, Slemrod and Giertzが記しているように「1986年から1988年の最高所得のシェアの急上昇は平均限界税率が45%から29%へと下落した時期と完全に一致する」のが何故なのかを説明できない。課税所得の弾力性のみが急変化を説明できる。

「第一にそして最も重要なことは」とPiketty and Saez (2007)は記し「Alan Reynoldsはセンサスの公式の数字は我々の結果とは対照的に所得上位5%のシェアが僅かしか上昇していないことを示していると指摘している。この乖離の理由はセンサスの推計がサンプルサイズが小さく(60000ぐらい)トップコーディングされたデータに基いていることによる」と記している。

彼らがStatistics of Income (SOI)から100000ぐらいのサンプルを用いているのは確かだがこのデータもトップコードされている。Saez, Giertz and Slemrod (2012: 47)が記すように「SOIはPublic Use File (PUF)と呼ばれる一般向けのものを毎年公表している。納税者の匿名性を守るため一般向けのものは所得上位でサンプル率が低く(1ではなく3分の1)所得源の幾つかをまとめることにより処理している。PUFには年あたり100000の申告が含まれている」。

だがセンサスの(トップコードされていない)内部データが所得上位1%の所得を測ることができないというのは誇張がすぎる。所得上位1%とは2010年では所得が3358万円以上のものを指し(キャピタル・ゲインは含まれない)そしてそのほとんどは内部データの上限の内部に収まる(各所得源の上限が9億9999万9900円だったように)。CPSが5億8400万円(所得上位0.01%)以上をすべて見落としていたとしても(途方もなく荒唐無稽な話だが)それでも所得上位5%のシェアにはほとんど影響を与えない。所得上位0.01%の2008年の課税前移転前のシェアは3.34%で所得上位5%の10分の1だからだ(33.37%)。

Reynolds (2007)の批判は最高所得の水準の比較にあるのではなく突然の変化にある。所得上位5%のシェアの上昇のタイミングはCPSのデータとPiketty and Saezのデータとで完全に異なる。そのようなタイミングのズレはCPSの過小申告では説明することが出来ない。例えばセンサスは所得上位5%のシェアが1986年に18%で1988年に18.3%だったと報告している。そしてこの数字は恐らく2-3%ポイント実際よりも低かっただろう。だがこの過小申告ではPiketty and Saezの推計した所得上位5%のシェアが1986年の22.6%から1988年に26.9%に急上昇したことを説明することができない。繰り返しになるが課税所得の弾力性のみがそのような変化を説明できる。

注23 Atkinson, Piketty and Saezは同様にCPSのデータと税のデータのタイミングを比較し「CPSの最高所得のシェアは1985年から1990年のキャピタル・ゲインを含む納税申告に基づく最高所得のシェアと同じ速度で上昇している」と記している。

センサスの推計は所得上位5%のシェアが2003年の22.2%から2007年の21.7%に低下したことを示している。一方でPiketty and Saezの推計は所得上位5%のシェアが2003年の29.9%から2007年の33.6%へと急上昇したことを示している。センサスの過小申告ではそのような短い期間でのトレンドの急変化を説明することができない。ここでも課税所得の弾力性のみがそれを説明できる。

(トップコードされていない)センサスの内部データを用いてBurkhauser, Feng, Jenkins and LarrimoreはCPSからの推計と納税申告からの推計との和解を試みた。だがそれを行うに際して彼らは移転と税をすべて除外しなければならずそして世帯ではなく「課税単位」で比較しなければならなくなった。パートの仕事をしている大学生や仕事をしている個人が2人またはそれ以上で一緒に生活している場合でも例え所得の高い世帯の一員であったとしてもPiketty and Saezのデータでは低所得の課税単位と見做される。

所得をどのように定義するかで結果が大きく変化する。だからこの論文では移転、税、給付、世帯人数の変化を考慮することの重要性を繰り返し強調している。BurkhauserはPiketty and Saezの推計では1979年から2007年に「課税単位」の実質中央所得は僅か3.2%しか上昇していないとされていたものが移転を含めると15.2%にさらに世帯人数を調整すると23.6%にそして税(と税額控除)を考慮すると29.3%になると報告している(Pethokoukis: 2)。

Piketty and Saezの欠陥のある定義を渋々採用することによりBurkhauser, Feng, Jenkins and LarrimoreはセンサスのデータでPiketty and Saezの推計を1967年から1985年の期間という限定付きで再現することに成功した。「1986年以前は所得上位1%のシェアのトレンドは驚くほど似通っている」と彼らは記している。Piketty and Saezの所得上位1%のシェアはCPSより1%ポイントから2%ポイント高いに過ぎない。例えば2つは所得上位1%のシェアが1980年から1989年に上昇していることを示している。Piketty and Saezの推計が軌道を大きく離れていくのは1986年の税制の改訂以降のことでしかない。

Piketty and Saezは1986年から1988年の間に所得上位1%の所得が22.1%という信じられない速度で増加したと説明した。対応するCPSの数字は2%だ。この期間の最高所得の急増加は明白に1986年の税制の改訂を反映している。1986年のTax Reform Actの前後の所得上位のシェアを比較するのは極めてミスリーディングだ。

Piketty and Saezはさらに1993年から2000年の間に所得上位1%の所得が4.1%で増加したと示した。Burkhauserの調整したCPSの数字では1.5%だ。

Cowen (2009)はBurkhauserたちの予備段階の原稿からの暫定的な結論部分である「仮に所得格差が1993年以降急激に拡大したのだとすればその拡大は所得上位1%に限られる」を引用している。それでもなお論文の筆者たちはPiketty and Saezのいう急激な「1993年-2000年、1986年-88年の所得の変化」を確認することができなかったと主張している。「私が読んでみたところでは」とCowenは言い「Piketty and Saezの結果は1993年-2000年に修正を加えて基本的に成り立つ」と記している。そうではなくその彼が引用した箇所は明白に「仮に」以降の内容に関して否定の意味を込めている。1993年以降の所得格差の拡大は1988年以降よりもはるかに小さく2003年の税率の引き下げ以降の「課税単位」を用いた所得上位1%のシェアが景気循環に沿って穏やかに回復しているのを確認したに過ぎないからだ。

Gordon (2009: 11)もBurkhauserたちの研究を「1993年以降の所得格差の拡大はすべて所得上位1%で起こりその他では所得格差が拡大していなかった」と解釈している。データが示したのはそういうことではない。

Piketty and Saezの推計とは異なりBurkhauser et. al. (2012: Figure 4)らの所得上位1%のシェアは1989年(13%以上)よりも2005年(12%ぐらい)の方が低い。そして最終年の14%近くへの上昇を除いて1989年から2006年の間に上方トレンドが確認できない。一年限りの上昇はトレンドではない。2006年を除いて所得上位1%のシェアは1988年以降基本的に変化していない。この結果は私が調べた他のデータ源からの証拠とも矛盾しない。だが調整後のCPSの所得上位1%のシェアの推計がPiketty and SaezやCBOの結果を確認したというCowenやGordonの解釈とは大きく異なる。

Burkhauser, Feng, Jenkins and Larrimore (2012: 378)は「2つのデータが大きく異なるトレンドを示したのは1986年-88年、1992年-93年、1993年-2000年だけで所得上位1%に関してだけだった」と記している。だが議論になっているのは所得上位1%に関してだ。そしてその13年間は税率の引き下げ(キャピタル・ゲインを除く)が行われた期間の62%に相当する。2006年で終了しているがPiketty and Saezの系列の2007の山を確認することができない。

1986年以降のトレンドの異なりは課税所得とキャピタル・ゲインの弾力性と完全に整合的に思われる。これはPiketty and Saezの推計には影響を与えるがCPSの推計には影響を与えない。論文の筆者たちが説明するように「1986年から1988年に関してPiketty-Saezの示した所得上位1%のシェアの上昇は実際の所得の変化ではなく税制の変更の反映だと考える。(中略)1993年から2000年のトレンドの乖離はどうか?(中略)考えられる可能性としてReynolds (2006b)が指摘するように非適格ストック・オプションを課税所得として申告するように義務付けたルールの変更が挙げられる。これがPiketty- Saezの系列で所得上位1%のシェアの上昇として表れた。(中略)その他の可能性として所得上位1%以外の高額所得者による税繰延貯蓄口座(401k plans、Keogh plans、IRA tax shelters)の急激な使用の増加が挙げられる。これも1990年代後半のPiketty-Saezの系列の所得上位1%のシェアの上昇を部分的に説明できる。

Burkhauser, Larrimore and Simonによるより最近の研究は世帯人数を調整し現金移転と医療保険を含めた税引き後の所得を調べている。Piketty and Saezの定義では僅か3.2%の増加だったがこの定義では中央所得の増加は36.7%だった。彼らは所得格差(ジニ係数で見た)が1979年から1989年までは拡大していたが1989年以降は拡大していないことを示した。

Burkhauser, Feng, Jenkins and Larrimoreの研究をAtkinson, Piketty and Saezは1976年から2006年に焦点を絞って議論している。Burkhauserらの調整後のCPSの数字では課税前移転前の所得上位1%のシェアは穏やかな4.1%ポイントの上昇だったがキャピタル・ゲインを含めたPiketty and Saezの数字では14%ポイントの上昇だった。Atkinson, Piketty and Saezは税率の変化に対する反応というよりも(トップコーディングをすべて解除した後であっても)CPSの問題であると主張している。「CPS版の所得上位1%のシェアは」と彼らは記し「キャピタル・ゲインの実現益を含めた所得税のデータと比べて所得上位1%のシェアの上昇を10.4%見逃している」と言う。

Piketty and Saezの推計がBurkhauserらの推計よりもはるかに大きなシェアの上昇を示したからといってCPSが何かを「見逃した」ことの証拠にはならない(キャピタル・ゲインを除いて)。この乖離はPiketty and Saezの推計が1986年から2003年の税率の大幅な引き下げに対する納税者の反応によって変動したことを同様に示唆する。

Atkinson and Leighは1970年から2000年の5つのアングロ・サクソン諸国を対象とした研究で「高額所得者の所得のシェアの3分の1から2分の1を税率の引き下げによって説明できる」と記している。その対象をアメリカの1986年から2010年に限定することにより(1)所得がAtkinson, Piketty and Saezが好むようにキャピタル・ゲインの実現益を含んでいたら(2)移転と給付を総所得の定義に含んでいたらこの研究は税率の引き下げの要因で恐らく高額所得者の所得のシェアの上昇のほぼすべてを説明できることを示した。仮に税率の引き下げの要因が所得上位1%のシェアの上昇の「3分の1から2分の1」だけを説明するのだとしても納税申告のデータから得られた推計の信頼性に重大な疑義を与えるのには充分過ぎるほどだ。

この研究では1988年以降の可処分所得の分布に何が起こったのかを再調査することを主な目的としているため1967年以降や1976年以降の推計は直接には関係がない。だがAtkinson and Leighの報告と同様にPiketty and Saezの推計とBurkhauser, Feng, Jenkins and Larrimoreの推計との違いはこの研究の主張である所得税のデータに基づく1986年から2003年の所得上位のシェアの急上昇は限界税率の変化に対する申告所得の弾力性を反映していると完全に整合的であるように思われる。

Appendix B:

Alternative Sources of Data:

Social Security, Congressional Budget Office,
And the Consumer Expenditure Survey

Piketty and Saezの推計を擁護するためOECD (2008: 32)は「これら所得税のデータは分布の右側を捉えるのに向いている。(中略)これらは税制の変更の影響を受ける(Reynolds 2007)。だがアメリカのケースでは所得上位1%のシェアの上昇はその他のデータ(例えばUS Social Security Administration of personal earnings)とCBOの個人税と法人税を考慮に入れた研究でも確認されている」と記している。

その主張は正しくなく、CBOとSSのデータはPiketty and Saezの推計から独立して確認されたものとはなっていない。何故ならこれらの数字はすべて同じIRSのStatistics of Income (SOI)から持ちだされているからだ。SSの所得上位1%のW2に記載される所得(Kopczuk, Saez and Song)はPiketty and SaezのW2に記載される所得と単位が個人か課税単位(1つの納税申告に対して2人の給与所得者が高額納税者で標準だ)かを除いてまったく同一だ。

CBOの推計もPiketty and Saezが用いたものと同じデータを持ちだしている。だが2つの点で違いがある。Piketty and Saezとは異なりCBOは従業員給付と政府の移転支払いを含めてある。この総所得の定義の違いによりCBOの推計では所得上位1%のシェアは1988年から2009年の間に変化していない。CBOの推計はPiketty and Saezの推計のシェアの上昇を確認していない。

2番めの大きな違いはCBOの推計が法人所得と給与税のシェアの上昇分を所得上位1%の所得とすることにより所得上位1%のシェアの上昇を過大評価していることにある。CBOはOECDが記したように「法人税の支払いを(中略)考慮するため」そうしているがそのために法人所得と給与税を個人所得に加えている。1982年から1986年では法人所得の39.3%だけを所得に加えているので帰属法人税は所得上位1%の課税前所得の6.8%だ。1997年から2000年では49.3%なので法人税は課税前所得の8.1%を占める。2003年から2007年では57.8%なので10.3%だ。このような操作はPiketty and Saezのデータには見られず実際彼らの推計の方が所得上位1%の所得のドル価値に関してははるかに小さい(政府の移転支払いと給付を除いているため所得上位のシェアがCBOのものよりも35%大きいとしてもだ)。

OECDの主張とは異なり事業税を個人所得に加えても法人から個人への所得シフトの影響を隔離することはできない。法人税の60%を所得上位の所得に加えて唯一達成できることといえばますます根拠のない所得上位1%のシェアの過大評価を生み出すことぐらいだ。その一方でCBOの課税前所得の推計からはEITCが除かれているためその他の層の所得は人工的に低く抑えられている。

CBOは所得上位1%の所得の内で資本(すなわち資産)から発生する所得の割合が1989の39.1%から2007の57%に上昇したと推計している。それがStiglitz (2012:8)が「資産の格差を考慮すれば資本から発生する所得の大部分が資本家の手に渡ったとしても驚きではない」と書いている理由だ。その反対に資本から発生する所得の割合が急増したことはまったくもって驚くべきことだ。何故なら資産上位1%のシェアは57%よりはるかに小さくそしてあまり変化していないからだ。Kennickellは「驚くべき発見の一つは各集団が保有する資産のシェアがあまり変化していないことだ。(中略)1989年-2007年では(中略)資産上位1%のシェアは3分の1ぐらい(*33%)だった」と記している。Kopczuk and Saezは資産上位1%のシェアは5分の1ぐらい(*20%)であると報告している。1989年から2007年に資産上位1%が資産の3分の1以上を保有していないのにどうして資本から発生する所得の割合が39%から57%に上昇するのか?それは起こりえないし起こってもいない。現実に起こったことは「その他99%」の資本所得のシェアの上昇分が税繰延または税控除貯蓄口座に退職や大学への進学のための資金として隔離されたことだ。高額所得者にはこれらの使用が制限されているため彼らの資本からの所得は納税申告のデータに未だに残っている。

注25 Kopczuk and Saezは相続税のデータを用いて資産上位1%のシェアが1989年に22%、2000年に20.8%だったと推計している。

下のデータは(Investment Company Instituteから得た)1980年代前半以降からのDCプラン(主にIRAsや401kなど)に積み立てられてきた資産がPiketty and Saez (2007)の主張とは異なり単なるDBプランの代替ではないことを示している。1980年の89%と比較して2011年では家計金融資産の73%だけしか納税申告の対象となる投資所得またはキャピタル・ゲインを生み出していない。これは1980年代以降家計金融資産の16%の投資所得が税に基づく所得の推計には表れなかったことを示している。さらに連邦、州、政府の従業員の税優遇退職プランを含めれば退職資産の総額が家計金融資産に占める割合は1980年の15%から2011年の35%にまで上昇し1980年以降家計金融資産の20%が税の網から消滅したことを意味する。これはCBOやPiketty and Saezのデータの中間所得課税単位のインカム・ゲインを人工的に低く抑えることになり所得上位のインカム・ゲインとCBOの推計した所得上位1%の投資所得のシェアを過大評価することになる。

注26 Piketty and Saez (2007)は「401(k)sに関する小さな点(Reynolds 2007)は概念的に誤解されている。年金所得は退職後の引き落とし時に納税申告されている。よって年金のリターンは暗黙的に我々の所得の推計に含まれている。さらに1980年代に401(k)sが導入される前には労働者はDB型の年金に加入していた。これも退職前には納税申告されない資本所得を生む」と記している。この議題は401(k)sだけに留まるのではなく529sやRoth IRAsにも関わってくる。これらは税の繰延ではなく控除だ。税繰延資産は70.5歳から次第に引き出される。だが多くの参加者は未だに若くそして現在と将来の高齢者の多くは退職資産の大部分を相続に回すだろう。

事業税が所得上位1%の所得に割り当てられる割合が増大するに従って所得上位1%の課税前所得の推計値は増大している。だがそれはCBOが投資所得(事業税だけでなく)の大部分をそして時間とともに増加している部分を所得上位1%に割り当て同時にその他の層に割り当てる部分を減少させていることを意味するに過ぎない。この手法はCBOの課税前、課税後所得の所得上位1%のシェアを過大評価しさらにPiketty and Saezの推計にも混入している。

2012年の前(CBOが法人税の25%を労働に割り当て始めた時期)はこのことを「法人所得税は利子、配当、賃料、キャピタル・ゲインなどの所得源泉に比例して資本の所有者が負担するとCBOは仮定している」と説明している。これはCBOは法人税を課税対象となる口座で従って税の統計に表れる配当、利子、賃料、キャピタル・ゲインだけに基いて割り当てていることを意味する。だがこの手法は中間所得貯蓄者が配当、利子所得、キャピタル・ゲインを税の掛からない口座に振り向ける割合が時間とともに増加するに従ってますます信頼できないものになる。

Krugman (2011)はCBOの推計を引用して「所得上位81-99%(多分、所得上位1%を除いた所得上位20%のことを言いたいのだと思われる)のシェアは上昇していない!所得上位1%だけだ」と記している。そして「所得上位1%の内部でさえ」と付け加え「所得上位0.1%で大きな上昇が起こっている」(CBOの推計では11000世帯)。だが所得上位0.1%のものとして引用した数字はCBOの課税前の推計値だ。これは課税前のデータに関する新たな2つの問題を浮き彫りにする。CBOの推計は(1)キャピタル・ゲイン税率の変化と(2)CBOが高額納税者に割り当てた法人税額の変化に極めて敏感なことだ。高額納税者の投資所得は税の掛からない貯蓄口座に隔離されていないからだ(例えば2007年の法人税収がGDPに占める割合は極めて大きかった)。

第一の点に関してCBO (2008)の所得上位0.1%の推計は明白にキャピタル・ゲインの実現益に影響を受けている。1979年から2005年のこの集団の所得の45.2%がキャピタル・ゲインで給与、ボーナス、ストック・オプションは14%だ。キャピタル・ゲイン税率が1987年から1996年に引き上げられた時期は所得上位0.1%の課税前所得のシェアは2.1%だった。キャピタル・ゲイン税率が1997年-2000年、2003年-2005年に引き下げられた後にはシェアは3.4%、3.5%に上昇した(課税後所得では3.0%)。

第二の点に関して課税前の系列は高額所得者の所得として割り当てられる法人税額に強く影響を受ける。この税額は1979年の所得上位0.1%の所得の21.7%を占めていたが給与は5.9%、事業所得は4.1%でしかなかった。この税額は1986年にはたったの6.7%でそれから1994年に16.5%に上昇し2000年に9.3%、2004年に14.9%だった。対照的に所得上位0.1%の課税後所得(この税額を除いている)のシェアは1979年から1985年に課税前所得のものより速く上昇したがその後は安定的だった(キャピタル・ゲイン税率が引き下げられた期間を除いて)。所得上位0.1%のシェアは1988年、1996年、2002年に2.1%で3%を超えたのはキャピタル・ゲイン税率が引き下げられた後の1999年-2000年、2003年-2005年の期間だけだった。

Hines and Summers (2009:128-129)もまた「CBOによって編集された課税前所得に(中略)所得上位1%が占めるシェア」を所得格差の拡大と結びつけている。帰属法人税額に強く依存したCBOの課税前所得のデータはこの目的に用いるには欠点が大きすぎる。例え(1)所得上位1%のみのデータを用いて全体の所得の分布の変化を推測することが可能であったとしても(2)最高税率の変化が課税前所得に与えると思われる影響を前もって知ることが可能であったとしてもだ。

OECDはさらに「所得上位1%のシェアの急上昇は(中略)SSのデータによって確認されている」と主張している。これはKopczuk, Saez and SongのForm W2からの納税申告の推計を指している。Piketty and SaezのIRSのW2の推計と同様にSSのW2の推計も1986年の9.22%から1988年の11.26%に所得上位1%のシェアは(最高税率の50%から28%への納税者の反応を反映して)急上昇している。だがOECDの主張とは反対にKopczuk, Saez and Songのデータは1988年以降は「所得上位1%のシェアの急上昇」を示していない。彼らの2007年のworking paperの表A1は所得上位1%のシェアが1988年-90年(11.12%)から2002年-2004年(12.38%)の期間に1%ポイントぐらいしか変化していないことを示している。所得上位1%の10分の1(0.10)を対象から外すと(その層の所得はストック・オプションや事業の失敗に強く影響を受ける)所得上位1%の残りの90%の1988年から2004年のシェアは平均して7.8%と驚くほど安定している。さらにその後更新されたSSのデータは所得上位1%のシェアが2007年から2010年に急低下したことを示している。Guvenen, Oskan and Song (2012: 4)の労働所得の研究によれば「所得上位1%の所得は所得上位90%の所得の減少よりも21%大きく減少した」と記している。

注27 1986年から1988年に2%ポイント上昇した後でPiketty and Saezの系列は1988年の9.39%から減税が実施された2003年に10.22%に上昇している。

さらにW2の労働所得だけで並べた場合の所得上位1%の集団は労働、事業、投資などの総所得で並べた場合の所得上位1%の集団とはまったく異なる集団である可能性が高い。ある年度に大きなキャピタル・ゲインを得た投資家、大きな利益を挙げた事業家などはボーナスやストック・オプションを計上した経営陣とは異なる。キャピタル・ゲインは1979年から2010年の所得上位1%の広義の所得の25.4%を占める。労働所得はキャピタル・ゲインを除いた狭義の所得の60.1%を占めるに過ぎない。それにも関わらず労働所得だけに注目して総所得に占める所得上位1%の所得のシェアを説明しようとするものに対してはKopczuk, Saez and Songの推計は1988年の11.26%から2003年の12.24%という穏やかな1%ポイントの上昇のすべてが所得上位1%の10分の1(140000人の納税者)で説明できることを示唆している。

所得上位1%の10分の1にあたる140000人または100分の1にあたる14000人の給与、ボーナス、ストック・オプションへの経済学会の関心が何であれ(Dew-Becker and Gordon)意味のある所得格差の指標となり得ない。例え「富裕層がますます豊かになった」というようなことが発生したとしてもそれはその他の層を犠牲にしたことを意味しない。さらに「低所得層がますます貧しくなった」かどうかに関して何ら語っていない。現実には所得上位1%のシェアが低下した場合にのみ低所得層は貧しくなっている。

The Consumer Expenditure Survey

Attanasio, Hurst and Pistaferri (2012: 2, 12)はConsumer Expenditure Survey (CE)を用いて1983年以降消費の格差がほとんど変化していなかったことを示した多くの研究を批判している。彼らはCEではなく替わりに2週間以上の個人の消費記録帳を用いて医療費、教育費、自動車を除いた非耐久消費財を除いた消費を定義としている。

議題を逸らすために彼らがした議論とは「CEは国民勘定の支出の水準を再現することができない。(中略)特に問題に思われるのがCEとPCEとに対応が見られないことだ。CEがPCEの消費の水準を大幅に下回っているCEとPCEの比率も時間とともに低下している」というものだ。現実にはPCEがCEよりも速く増加するのは心配することでも驚くことでもない。PCEはメディケア、メディケイドを政府の支出ではなく個人の支出として計上する。CEは医療費と保険料の自己負担費用だけを計上する。メディケア、メディケイドの増加によってPCEの方がCEより速く増加することになった。CEの医療費の定義の方がPCEの定義よりもこの問題に関してより関連があるように思われるし医療費を裁量で全額除くよりもよいと思われる。

さらにAttanasio, Hurst and PistaferriはCEの所得のデータをグラフに描いている。だが彼らが好む所得格差の指標はPanel Study on Income Dynamics (PSID)だ。彼らは課税前、世帯人数調整後の所得に問題のあるCPI-Uを用いて不十分なインフレ調整を行っている。彼らは所得格差を対数標準偏差として定義している。

そしてグラフは所得格差が1993年に山となり1997年-2000年の株式市場の急騰期に(驚くべきことに)急低下し2008年に上昇するものの1993年の山を大きく下回ったままであることを示している。これらの反直感的な上下変動は「よく知られるイベント」として記述されているがPSIDのデータは1993年から2007年に実際には所得格差の低下を示していてこれはGordonとは一致するが語られている通説とは大きく対立するし筆者たち自身の結果の口述とも大きく矛盾する。

筆者たちは「PSIDのトレンドとCEのトレンドには2、3の違いがある」とし「CEは1980年代初期に所得格差が急上昇したことを示唆しているがPSIDにはそれが表れていない」と記している。CEの課税前所得が所得格差の上昇を示しているのは1990年代だけで2010年に上昇するものの1999年から2007年には(*上下に変動するものの)上昇トレンドを示していない。だが最も注目に値するのはCEの所得のグラフが1984年から1989年に大幅な所得格差の下降を示していることだ。これは課税後所得のCEでさらに顕著だ。

注30 CEのグラフは所得格差は1980年代後期に大きく低下し1990年代に大きく上昇し1999年から2009年に平坦であることを示唆している。けれども筆者たちは所得格差が「80年代に上昇し1990年代に水平になった後2000年代に上昇した」と結論している。

CEによると最下層の課税後(名目)所得は1984年から1989年に73.1%増加したことを示している。最上層の34.2%の2倍以上だ。結果として80/20比率は15.9から11.8へと急低下した。これは語られている通説ともその他のデータとも矛盾する。対照的に1993年から1999年に80/20比率は12.0から14.0へと上昇した。

課税後の所得格差が1984年から1988年に急低下したとCEが示していることは興味深いことではある。だがCEの所得のデータに大きな信頼を置くことは困難だ。サンプルサイズが小さくトップコードされていて2003年以降部分的とはいえ欠損部分が補間されているからだ。CEのウェブページが説明しているように「所得の情報のみに関心がある使用者にとっては商務省のセンサスが公開しているデータの方がより有益かもしれない」からだ。さらに2004年にデータの構造変化があった。労働局が特に低所得層の所得の過小申告を考慮するため所得を補間(推計)し始めたからだ(Fisher)。2004年以降表面的には改善した推計であっても奇妙な変動を見せている。例えば最上層の(課税後)所得は2008年の不況でも変わらず2009年にまだ不況が続いていた時期に4.6%増加し経済が回復を見せた2010年に4.7%減少している。

先程も記したようにCEの所得のデータは80年代に急低下し1990年代に上昇した。さらに2004年のデータの構造変化により2000年から2008年の期間の比較を困難にしている。ここまでの結果を言い換えるとCEの所得のデータはAttanasio, Hurst and Pistaferriの「2つの指標(消費の格差と所得の格差)は80年代に上昇し1990年代に水平になった後2000年代にまた上昇した」という結論と完全に矛盾している。その結論は(1)PSIDの高額所得を除いていること(2)筆者たちが医療費、教育費、耐久消費財を消費のデータから除いていることに依存している。所得または消費をそのような選択的な方法で定義する理由はまったくない。

2013年10月5日土曜日

経済学者は相関と因果を区別できない?

Overstating the Costs of Inequality

by Scott Winship

近年所得格差がアメリカの左翼の懸念の中心となった。リベラル派の主張によると所得格差の拡大は成長を阻害し低所得層や中間所得層の前途を破壊し民主主義をも危機に陥れるという。そのような主張はオバマ大統領のレトリックに顕著に見られ政策にさえ影響を及ぼしているように思われる。

所得格差の拡大により経済が損なわれているという主張は何人かの著名な経済学者の中にも見られる。Paul KrugmanとDavid Cardは所得格差が流動性を傷つけていると主張している。Alan KruegerとJoseph Stiglitzは経済成長を低めていると主張している。Raghuram RajanとStiglitzは所得格差が金融危機の背後にあると主張している。Robert FrankとRobert Reichは中間所得層の債務を増加させたという。Daron Acemogluは所得格差の拡大により経済エリートが政府の機能を奪うことが可能となり究極的には国家を没落させうるという。

彼らは他の分野では誠実な議論を行ったかもしれないがここでの議論ではそうではない。彼らのうちの幾人かは一般大衆に向けての議論には学術論文で要求される厳密さなど必要ないとさえ考えているように思われる。その他の者も所得格差と無関係の分野で業績を挙げた人物でこの分野での経験などほとんどない。幾つかのケースでは発展途上国での研究結果を元にしてアメリカの所得格差について論じている。彼らはそれらの国とアメリカとの事情がまったく異なるということを認識できていない。さらに残りのケースでもそれら経済学者は不注意に相関と因果を取り違えている。

彼らの間違いはリベラル派の信用を大きく傷つけている。注意深く調査しても所得格差が無害だと立証することは困難だ。経済データはないことを立証することは出来ない。だが(*ある主張に対して)それが存在するか立証することに失敗することは可能でありそして実際に左翼の主張を立証することに失敗している。経済データは所得格差が問題の元であるという考えをほとんど支持しておらず(*所得格差が低下すれば)成長率が高まる、世代間の流動性が増大する、金融危機が回避できる、民主主義を守れると信じることにほとんど根拠がないことを示している。

Growth and Inequality

理論上では所得格差が成長率を低下させうる幾つかの理由がある。

(省略)

だがそれは本当に成長率を低下させるのか?所得格差が成長率を低下させるというはっきりした証拠はない。Heather BousheyとAdam Hershは長編の論文の中でこの疑問について直接調べた研究を調べた。そして結論は否定的でアメリカの事情には当てはまらないと結論した。

もちろん所得格差と経済成長との関係について調べた多くの研究がありその中には幾つかの事情の下で所得格差が成長率を低下させうることを示したものもある。だがこの分野の研究はほとんどが発展途上国の経験に基づいたものでありそれを用いてよいのかはまったくはっきりとしていない。

実際、この分野で最も多く引用されたAndrew BergとJonathan Ostryの2011の研究は焦点を主に発展途上国に置いている。それを置いておいたとしてもBousheyとHershは「データと方法論的問題によりこの疑問に答えるには分析が不正確過ぎる」と結論している。

だが問題は単に所得格差が経済成長を損ねるという主張の根拠が説得力を欠くとか不正確すぎるというのに留まるのではない。その主張の逆、つまり所得格差の拡大により経済成長が高まるの方に有意な証拠があり左翼の主張に疑問を投げ掛けているのだ。HarvardのChristopher Jencks(Dan AndrewsとAndrew Leighが共著)は20世紀のアメリカと先進国のデータについて調べ所得格差と経済成長の間に特に関係がないことを示した。だが1960から2000の期間ではこれらの国で所得格差の拡大と成長率の上昇が一致している。University of Arizonaの社会学者であるLane Kenworthyは1979以降幾つかの国で所得上位1%の所得シェアと成長率の上昇が一致していることを発見した。

所得格差と成長率との間に左翼の主張するような関係が見られないとすれば所得格差と賃金との間にどのような関係があるのか?所得格差と賃金との間に関係があるという主張は結局第二次世界大戦後の好況へのノスタルジアの中にあるのだろう。New RepublicのTimothy Noahは実際そのような主旨の発言をしている。

この広く保持されている考えは水準と伸びを混同していることから生じている。事実今日の一般的な世帯の所得は1960の2倍以上だ。今日の一般的な世帯の厚生は過去を大きく上回っている。議題は高所得層の所得の伸びが高いとして今日の一般的な世帯の所得の伸びが1960のそれと比べて低いかどうかだ。左翼の考えでは前者が後者の要因だ。この見方では例え一般家庭の所得が低下していないとしても社会の富裕層から一般家庭が損失を被っていることになってしまう。

だがこの考えもまた物事を極度に単純化し過ぎているし実証的な根拠を欠く。所得格差の上昇の性質は経済学者の多くにすらほとんど理解されていない。次ページの図は1948から2007の期間を10年を基準とした6つの期間に分割している。各期間について所得分布を5分割して最下層、中間層、所得上位5%の所得の伸び率を示している。

まず最下層と中間層の所得格差の変化について見る。1980年代を除いてすべての期間でこの2つの集団の所得格差は僅かに拡大しているかまたは縮小している。実際、1990年代のこの2つの集団の所得格差の縮小が極めて大きかったのでそれ以降に部分的に拡大があったにも関わらず2007の所得格差は1989のそれよりも低い。1969から2007の期間に最下層の所得は46%増加し中間層の所得は63%増加した。別の見方をすれば仮にこの2つの集団の所得格差が問題なのだとしたらいつの時代(左翼のノスタルジアの時代であったとしても)であっても問題であったはずだ。今日に限定されることではない。

話は最下層または中間層と所得上位を比較することで変わってくる。この種類の所得格差は1979以降拡大している。1979以降所得上位5%の所得の伸びは最下層の所得の伸びの4倍で中間層の所得の伸びの3倍だった。

だがこの変化が本当にその他の層の所得の伸びを抑圧したのか?経済の効率性を高め成長を加速させることによりその他の層も部分的に利益を得る。そして最近のリセッションが示したように富裕層の所得が減少したとしてもその他の層は利益を得ることはない。2007から2009の期間に所得上位1%の課税前所得シェアは18.7%から13.4%に低下し中央所得も5%減少した。Alan Reynoldsは貧困率が所得上位1%の所得シェアが上昇した場合に低下する傾向があると示している。幾つかの先進国を調査することによりLane Kenworthyは所得格差の拡大が所得の中央値を僅かに低下させているかもしれないということを発見した。だが所得格差が成長率を高めそれにより政府による所得の移転が増加する可能性を考慮するとその効果が消滅することを示した。

一般世帯の所得が長期に渡って低迷しているという主張に対してBurkhauserは逆を示している。彼の研究は一般世帯の所得が1979と比較して2007までに33%以上上昇していることを示している。CBOも同様の結論を導いている。Bruce MeyerとJames Sullivanは上昇が50%以上であると示唆している。そのような上昇は第二次世界大戦後の例外的な好況期と比べてしか低迷しているとは言えない。第二次世界大戦後の好況以降所得の伸びが低下したのはアメリカだけではない。ヨーロッパでも様々な要因により伸び率が低下した。だがそれが所得格差の拡大により引き起こされたとのはっきりとした証拠はない。

Inequality and Opportunity

所得格差が流動性を損ねるとの主張はどうか?所得格差が機会を制限する経路は幾つかある。

(省略)

これらの主張はMiles CorakやTimothy Smeedingら幾人かの経済学者によって成された。仮説としては尤もらしく思える。だがこれらの主張が厳密にテストされたとは到底言えない。

所得格差が拡大すると機会が減少するという考えはよく梯子の段差に例えられる。だが上で記したように所得上位以外の層に大きく変化がない。仮に低所得層の子供が中間所得層の子供と機会を巡って競合しているのであれば彼らにとって梯子を登ることが困難になっていくことはないはずだ。

(省略)

幾人かの経済学者は国際的比較により所得格差と機会の関係を示そうとしている。一つの例としてAlan Kruegerによって広められたGreat Gatsby Curveがある。彼は幾つかの国を選び所得格差の水準と父親の所得とその子供の所得との関係を調べた。そして所得格差の水準と世代間の流動性が対応していることを示した。その定量的関係を示した直線がGreat Gatsby Curveだ。

国際的なデータを用いて結論を引き出そうとしたのは彼だけではない。Richard WilkinsonとKate PickettはThe Spirit Levelという本を出版した。

だがThe Spirit Levelの議論もKruegerの分析も大きな欠陥がある。(その他の所得格差についての議論でも)共通している問題は相関は因果を示すのではないということだ。所得格差の大きい国と小さい国では多くの点で異なる。Kenworthyはノルデッィク諸国の教育政策がGreat Gatsby Curveの背景にあると記している。より痛烈なことにJim Manziは各国の所得格差の水準をそれぞれの国の人口規模で置き換えても同じようにGreat Gatsby Curveが表れることを発見した。

さらに利用可能なデータによると国際間で資産格差と流動性の間に関連は見られない。所得格差と教育の流動性との間にも関連は見られない。そして所得格差と流動性の国際間の相関の強さは所得と流動性を評価するに際してどのデータ源が用いられるかで大きく変わってくる。ある散布図では2、3の国によって相関がもたらされているケースもある。

よく引用されるその他の研究の一例としてMelissa KearneyとPhillip Levineが挙げられる。彼らはアメリカの州(と先進国の)10代の妊娠率と所得格差とに関係があることを示した。彼らの研究はWilkinsonとPickettの散布図よりはましだろう。だが説得的とは到底言い難い。単純に考えても彼らの分析は10代の妊娠が所得格差に影響しているという可能性を考慮していない。所得格差が10代の妊娠を起こしているのではなく10代の妊娠が所得格差に繋がっている可能性だ。彼らが考慮しなかった文化的、歴史的背景もまた要因に挙げられるように思われる。彼らの結論は例えば所得格差の水準の高さと10代の妊娠率の高さが南部に集中しているのではなくランダムに分布しているのであったならばより説得力があったかもしれない。

所得格差と機会の関係をテストするより良い方法は(幾つかの国の)一時点での関係を見るのではなくまた一つの国での時間による変化を見るのでもなく2つの指標が地域に渡って変化した場合に所得格差と機会の関係が保持されるかどうかをテストすることだ。この方法は現在継続中のKenworthyの研究で採用されていて所得格差の拡大は恐らく大学卒業率を低下させていないし片親世帯を増加させていないし殺人率を上昇させていない(ただ平均寿命と乳幼児死亡率に僅かに影響を与えているかもしれない)と結論している。

経済的、教育的、職業的流動性に関する証拠は非常に込み入っている。所得格差が拡大中または高い状態で育った子供の世代間流動性を考慮した研究は僅かしかない。賃金と所得の世代間流動性を調べた研究の大部分はこの期間に関して僅かな変化しか示していない。私は最近この分野に関しての研究を終えたばかりでその研究は1980年代初期に生まれた男性をサンプルに含めている。1950頃に生まれた男性と比較してそれら若い男性は最大でもほんの僅かの流動性の低下を経験したに過ぎないことを発見した。所得分布の第4分位、第5分位で生まれた子供のうちで大人になって第4分位以上に抜けだした割合は63%から60%に低下しているが低下が小さすぎるので誤差と判別できない。実際、1960年代に生まれた男性は54%だったのでそれに比べて流動性が増大しているかもしれない。

言い換えると所得格差と機会の減少との関係を説明しようとする際に問題になっているのは厳密な説明を欠くということではなくてそもそも説明を必要とするような機会の減少が始めから存在していなかったということかもしれない。恐らくこれがこの分野で先端を行くBerkeleyの社会学者Michael Houtが「現在までの研究は経済的またはその他の格差と世代間の流動性との結びつきに関して驚くほど僅かの証拠しか示していない」と2004に結論した理由だろう。

Inequality, Instability, and Financial Distress

所得格差が金融危機の要因になったという主張はRaghuram RajanやJoseph Stiglitzなどがしている。低所得層が消費を維持できるように政治に圧力が掛かるため信用が緩和されるというものだ。レバレッジの拡大が金融システムを脆弱にしデフォルトを誘発するという。これまでの所この主張を検討した研究は少ないがそれらはこの主張に対して大きく疑問を投げ掛けている。

Michael BordoとChristopher Meissnerは既存の研究をまとめ所得格差の拡大と金融危機に一貫した関連性が見られないことを各国のデータを用いて示した。信用拡大は金融危機に先行する。だが信用拡大は所得格差の拡大によって引き起こされたようには見えない。

Inequality and Democracy

リベラル派の話は経済学に留まらず政治学にまで飛び火する。幾人かの経済学者と2、3の政治学者は所得格差の拡大は民主主義に何らかの脅威を与えるのではないかと懸念している。

Daron AcemogluとJames Robinsonは上記のような説明から結論を導いている。政治学者のNolan McCartyとKeith PooleとHoward Rosenthalは所得格差が政治の2極化を起こしていると論じている。彼らの持ち出す証拠は所得格差と流動性の関係でも論じたように所得格差が拡大した時期に何々が起こったと言っているのと基本的に変わらない。ここでも相関と因果が混同されている。

実の所政治学は最近これらの疑問に関して考慮し始めたばかりでまだ一致した意見は得られていない。この分野の研究者はそのことをよく知っている。2004に American Political Science Association Task Force on Inequality and American Democracyは「所得格差の変化と政治的活動、統治機関、公共政策の変化との関連についてあまりよく分かっていない」と結論した。その後の8年間でもこの結論に変更は見られない。

一方、Peter EnnsとChristopher Wlezienは選挙で選ばれた選挙人は特定の有権者の選好をより優先するのかという議題をテーマに2008に会議を開いた。2011の本Who Gets Represented?にその結果がまとめられている。

「我々は異なる集団(所得の違いも含めて)が政治に与える影響に関して何らの合意も得られていないということを発見した。集団間の違いに関する議論に関してだけではなくそもそもその違いが重要なのか?という点に関しても多くの異論が寄せられた」。

EnnsとWlezienは政策に関する選好が所得の違いによって異なるのかに関して調べた。彼らは3つの集団が政策に関して非常に似通った選好を持っていることを発見した。低所得層は他の層に比べて福祉予算の削減に対する支持が低く税の負担が重すぎると答える割合が少ない。だがこのギャップは時間を通してほぼ一定だ。3つの集団の選好が等しく扱われていないかもしれないという仮説に対して彼らは「僅かな違いしかない」と結論している。2004のRussell Sage Foundation volume Social Inequalityは所得格差と政府の寛容度との間に国際間でほとんど関係が見られないことを発見した。Kenworthyも所得格差の拡大は恐らく社会的支出を減少させていないだろうと結論している。

Larry BartelsとMartin Gilensによる最近出版された本は議員による投票や連邦政府の政策が富裕層のイデオロギー的特質や政策選好とより一致すると報告して注目を集めた。対照的にRobert EriksonとYosef Bhattiは直接彼らの研究を再検討し特定の集団の選好が優先されているという証拠を見つけることが出来なかったと報告している。これは「イデオロギー的選好は統計的に分離することがほとんど不可能」だからだと記されている。

言い換えると所得格差が政治に影響を与えるという主張は経済に影響を与えるという主張よりもより立証することが困難ということだ。

Inequality, Cause, and Effect

(省略)

2013年9月24日火曜日

所得税の最適最高税率は73%ではない?

Should the Top Marginal Income Tax Rate Be 73 Percent?

by Aparna Mathur Sita Slavov Michael R. Strain

A. Diamond and Saez’s Arguments

2011のエッセイでDiamond and Saezは彼らの所得税の最適最高税率に関する理論を紹介した。

1.鍵となる2つの概念。彼らの議論を理解するためには2つの概念を心に留めておく必要がある。第一の概念は社会厚生関数でこれは社会の厚生水準を判断するための道具と考えられている。個人の効用関数と似たような概念だ。実際に社会厚生関数はすべての個人の効用関数の総和と考えられている。ここではこの概念が特に重要になってくる。大幅な最高税率の引き上げは個人の水準で見れば得するものと損するものを生み出すためだ。ここで議論となっているのは最高税率が引き上げられた場合に社会全体として厚生が増加しているのかどうかということだ。

第二の概念は限界効用逓減の法則で誰かが何かをより多く持てばそこから得られる効用はより少なくなっていくというものだ。
ピザを例に挙げると12切れ目のピザよりも2切れ目のピザからより多く効用が得られる。この概念は最高税率の議論に応用出来る。この概念によると貧しい場合の方が裕福な場合よりも消費からより多くの効用を得られることになる。個人間で効用が比較可能という仮定の下で裕福な個人の消費の価値は貧しい個人の消費の価値よりも少ないと言うことが出来る。

2.設定。所得水準z*以上の最高税率がtからt*に上昇したと仮定する。増税された個人は損をするがその他の人は得をする。ここで問題となるのは社会全体で見て厚生が増加しているのか否かだ。より一般的に社会の厚生が最大化される最高税率は何%かを求めようとしていると言うことが出来る。社会の厚生を最大化する税率を最適税率と呼ぶ。

3.機械的な効果と行動的なもの効果。税率の変化は2つの効果を持つ。第一は自動的な税収の増加だ。その他すべてを一定として税率の上昇により税収は増加する。第二は行動に変化を与える効果だ。その他すべてを一定として税率の上昇は幾つかの理由から課税所得を減少させる。

行動に変化を与える効果とは税率の変化に対して対象者の行動がどのように変化するかを意味する。税率の引き上げに直面した場合にある者は労働を減らすかもしれないしある者はより税率の低い所得源からの稼ぎへと代替するかもしれないしある者は活動を海外に移すかもしれないしある者は課税逃れに精を出すかもしれない。これらすべての行動の変化が政府に申告される課税所得を減少させるので最高税率の変化に対して課税所得がどのように変化したかを見ることによってこの効果を把握することが出来る。

tを限界税率とすると(1-t)はnet of tax rateとして表せる。行動の変化はnet of tax rateに関する課税所得の弾力性としてまとめることが出来る。これはnet of tax rateの1%の上昇に対して課税所得が何%上昇するかで定義される。

税率が40%から50%へと10%上昇することはnet of tax rateが10%ポイント下落または0.1/(1-0.4)=16.7%下落することを意味する。弾力性が0.5であれば課税所得は(0.5*16.7)=8.3%下落する。弾力性がより高ければ課税所得は8.3%以上下落する。つまり弾力性の値が高ければ税率の変化に対する課税所得の反応も大きくなる。逆もまた真だ。弾力性はnet of tax rateの変化に対して課税所得がどの位反応するかを示す。

これら2つの効果は互いに逆方向に作用する。その他すべてを一定として限界税率引き上げの自動的な効果は税収を増加させるが行動的な効果はそれを減少させる。

4.最適税率の決定に関して。彼らはこれら2つの効果を最適な最高税率を探すために用いている。税率の引き上げにより富裕層は不利益を被る。そして行動的な効果が機械的な効果を上回ればその他も不利益を被る。だが機械的な効果が行動的な効果を打ち消せばその他は利益を得る。その場合に富裕層の損失とその他の利益をどのように判断するのか?最適税率を求める目的は社会全体として厚生を最大化することであったことを思い出して欲しい。誰かが損失を被り誰かが利益を得る中でどのようにして最適であると判断するのか?

彼らは限界効用逓減の法則により富裕層の効用の減少はその他の層の効用の増大よりも小さいと議論する。実際に彼らは富裕層の損失はその他の層の利益に比べてあまりに小さいのでゼロと仮定しても構わないと言う。

富裕層からお金を取り上げることによる社会的損失はゼロと仮定することその他の層にお金を与えることによる社会的利益はゼロ以上と仮定することにより社会の目標は明確となる。政府は富裕層から可能な限りのお金を巻き上げその他の層にばらまくことだ。

上記の議論を踏まえた上で彼らは僅か2つのパラメータしか持たない最適最高税率を決定する式1/(1+a*e)を示した。パラメータaは単なる定数で所得分布の特徴を示す。ここでは1.5に設定されている。パラメータeは行動的な効果を示すものだ。彼らはeを0.25と設定している。彼らはこの値を「実証研究が示した中間の値」としている。この値が意味するのは税率が1%上昇した場合に課税所得は0.25%下落するということだ。これらの数字を用いれば社会的に最適な最高限界税率を求めることは簡単だ。式に数字を代入1/(1+1.5*0.25)=0.727すればいい。つまり富裕層は73%の限界税率に直面することになる。

彼らはeの値に関して論争があることを認めその他の値に関しても議論する。彼らは0.57を「保守的な上限の推定値」であるといい0.17を適切な下限の推定値であると示唆する。この2つの弾力性を用いて社会的最適最高限界税率は54%から80%の間であろうという。州税と社会保険料を差し引いた後では48%から76%になるという。

B. Our Response

(省略)

だが彼らの推定には重大な問題が扱われていないために現実世界への適用を困難なものとしている。

1.長期の行動の変化。彼らは暗黙的に行動の変化で重要なのは短期のものだけだと仮定している。つまり税率を引き上げれば課税所得に影響があるのは数年内に表れるというのだ。だがこれがすべてだろうか?彼らは次のように議論している。

「恐らく最も重大なのは1期間モデルによる推定が人々が毎年所得を稼ぎ毎年所得税を支払うような状況に未だ適用可能なのか?ということだ。第一に教育やキャリア選択に関する若年期の判断が後の所得に影響を与える。累進的な税制がそもそもからして人的資本を構築しようとするインセンティブを奪うことが考えられる。弾力性eは短期の労働供給の反応だけでなく教育やキャリア選択を通した長期の反応も反映しなければならない。ライフサイクルモデルや世代重複モデルを用いた研究も幾つかあるものの残念なことに長期の経路に関して説得力のある実証研究は僅かしかない」。

彼らは明らかに我々の異議について考えていてその重要性を認識している。

なぜこれが重要なのか?限界税率が70%の仮想的な世界で高校を卒業した生徒を仮定してみる。彼は大学を卒業してエンジニアになる夢を諦めるかもしれない。政府が彼の大学教育からのリターンの大部分を持ち去ってしまうからだ。よって彼は大学に行くことは割にあわないと結論してしまうかもしれない。彼は高い税率が原因で損失を被る。エンジニアを1人失うので社会全体としても損失を被る。

またはメディカルスクールの生徒を仮定してみる。彼女は心臓外科医になる代わりに小児科医になるかもしれない。政府が外科医になった場合の収入の大半を持ち去ってしまうからだ。小児科医になることが間違いなのではない。だが問題は政府が彼女の判断を歪めていることにある。つまり彼女は自身の選好や市場価格のみに基いて選択をしているのではないことになる。仮に多くの人が同様の選択をすれば外科医の数が十分ではなくなるだろう。

または小さい企業のオーナーを仮定してみる。彼の事業は拡大していて次の10年間でさらに拡大する機会があるとする。だが事業を拡大するには多くの労働を必要とするので(さらにリスクを伴うので)彼はそうすることを選択しなかった。彼がそのように判断したのは重労働からの報酬の大部分が政府に持ち去られてしまうからだ。

これらの問題は現実世界の最高税率を考える上で決定的に重要だ。彼らの言う(*省略している)3つの条件から引用するとこれらは明らかに「問題に関して一次の重要性」を持つ。すべてのアメリカ国民はリスクを取り裕福になろうとキャリア選択をした人々から多大な利益を得ている。高い税率によりその確率を大きく引き下げることは最適最高税率の決定に際して一次の重要性を持つ。

彼らの短期の推定はこれらの長期の効果を完全に無視している。彼らは「残念なことに長期の経路に関して僅かしか説得力のある実証研究がない」と議論している。

我々は長期の効果に関してうまく推定した研究がまだないという点に関して同意する。だが多くの経済学者はそれらの効果が存在し重要であるかもしれないことに同意するだろう。長期の弾力性に関してよい推定値をまだ得られていないのは単に適切なデータが不足しているからだ。実際に経済学に関する最も重要な問題の多くはデータの不足により答えるのが困難なことが多い。

長期の弾力性に関する有力な実証研究が不足している中で彼らは明らかに悪い推定値を選んだ。彼らは長期の弾力性を実質的にゼロと仮定した。その仮定は学問の世界でならば構わないかもしれないが現実世界での提案としては明らかに妥当ではない。長期の弾力性に関して不確実な点が大きかったためか彼らは最適最高税率を50%から70%と極めて広い範囲にしている。経済学者が税に関して考える際の参考にはなるかもしれないが現実世界での提案としては範囲が広すぎる。これが読者が専門家に限られている学術論文と現実世界での適用を目的とする政策提案との違いだ。そしてこれは彼ら自身が提示した理論の結論を政策提案として用いる際の基準を彼ら自身が満たしていないことを暗に示唆する。

2.弾力性の値に関して。課税所得の短期の弾力性はeとして記述されていた。彼らは実証研究からの中間の値であるとしてeを0.25とした。我々は0.25を中間の値とは思わない。

税率が引き上げられた場合に人々は様々な方法で行動を変化させることが出来る。第一に労働供給を減らすことが出来る。初期の研究はこれを税の主要な効果と仮定していた。税率が引き上げられた場合にある労働時間は減少し増税による歳入の増加に下押し圧力を掛ける。Arnold Harbergerの一連の研究は課税が労働供給に歪みを与える効果に注力していた。彼の分析以降、労働供給の弾力性が課税の行動に与える影響を測る指針となった。Richard Blundell and Thomas MaCurdyはこの分野の一連の研究を批評し男性の課税に対する反応は低く女性は課税に対してより反応すると報告する傾向があることを発見した。

この結果はDiamond and Saezの低い推定値と整合的なように見える。だが人々が課税を逃れる方法は他にもたくさんある。

例えば人々は所得を医療保険や非課税の付加給付へとシフトしたり過小申告したりすることが出来る。Martin Feldsteinはこれらの行動変化を無視しているため労働供給の弾力性は所得課税の死荷重を大幅に過小評価していると議論している。彼の説明によると課税は非課税の財や行為の相対価格を歪める。よってすべての所得が労働所得であったとしても個人に裁量がある限りは課税所得の弾力性は総労働所得の弾力性よりも大きいかもしれない。

Lawrence Lindseyは課税所得が税率の変化にどう反応するのかを推定した最初の1人だ。彼は1981のEconomic Recovery Tax Actからのデータを用いて弾力性を1.05から2.75の範囲そして中央値を1.6と推定した。だが横断面のデータの使用は納税者の所得分布の相対的位置が税率の変化前と変化後で同じであると仮定することになる。

水平面のデータは横断面のデータに発生する多くの問題を避けることが出来る。税率の変化前と変化後の各個人の状況を比較することが出来るからだ。Feldsteinは1986のTax Reform Actの納税申告のパネルデータを用いて弾力性を1.1から3.05の範囲そして中央値を2.16と推定した。Gerald Auten and Robert Carrollは同様の回帰分析をより多くのデータを用いて中央値0.6とかなり低い値を推定した。John Navratilは僅かに異なる手法を用いて所得上位3%に対して弾力性1をその他の下位グループに対して低い値を推定した。

所得分布にトレンドがあれば減税に基づく弾力性の推定は特に80年代でバイアスを持つかもしれないことが指摘された。Joel Slemrod and Austan Goolsbeeは所得分布のトレンドによって弾力性の多くが説明できるかもしれないと議論した(*疑わしい議論)。従って1990と1993の増税Omnibus Budget Reconciliation actsを考慮することが自然な選択になる。Carrollは1989から1995のパネルデータを用いて弾力性を0.4と推定した。

Bradley Heim and Auten, Carroll, and Geoffrey Geeは2001のEconomic Growth Tax Relief Reconciliation Actと2003のJobs and Growth Tax Relief Reconciliation Actのデータを調べて弾力性を0.32と0.39と推定した。彼らの推定値は低所得層よりも高所得層ではるかに大きかった。だがEGTRRAとJGTRRAの変化率は1980年代や1990年代よりもはるかに小さかった。

所得分布のトレンドを制御するためJon Gruber and Saezは1979から1990の州政府と連邦政府の納税申告のデータを用いた。その期間に各所得階層は幾度もの税率の変化を経験した。この方法にはトレンドを制御すること以外にも各所得階層間の弾力性の変動を調べることが出来るという利点がある。彼らは所得全体の弾力性に対して0.12、課税所得の弾力性に対して0.4と大きく異なる推定値を求めた。彼らはこの違いは税率により優遇税制が大きく影響を受けるためであると分析している。Seth Giertzは同様の手法を1979から2001の期間に用いた。彼は全体の弾力性を0.3、1990年代の弾力性を0.2と推定した。彼は所得全体の弾力性を0.15と推定した。

幾つかの研究は法律の変化を伴わない税率の変化の影響を調べている。Saezはインフレによって高い課税区分に移った納税者の行動変化を調べている。彼は平均的な納税者に関して低い弾力性の値を求めた。

ここまでに紹介してきたものはすべての国民を対象したものだった。Diamond and Saezの最適税率の計算に関係するのは高所得層の弾力性だ。この層に関して実証研究は何と言っているだろうか?

高所得者に対象を限定した研究ははるかに大きい弾力性の値を示している。例えばAuten and David Joulfaianは弾力性を1.3と推定している。Goolsbeeは1991から1995の執行役員報酬のデータを用いて1993のOBRAに対する課税所得の弾力性を調べている。彼は非常に高い(短期の弾力性が1以上)値を求めている。Robert Moffitt and Mark Wilhelmは弾力性を0.35から1.99の範囲と推定している。

弾力性の値0.25は高所得者に対して「実証研究から得られた中間の値」でないことは明らかなように思われる。実証研究はまだ高所得者の弾力性の値に関してコンセンサスを生み出していない。appendixで実証研究の結果をまとめた表を作成した。それと比較して弾力性の中央値0.25は整合しないように思われる。

彼らも暗にそれを認めている。彼らは「弾力性の変化は実質的な経済活動の変化によるものだけでなく租税回避や脱税にも影響を受ける」と言い「租税回避や脱税の機会がある場合に課税ベースは税率に極めて敏感になる。弾力性eは大きくなりそれに対応して最適な最高税率も低下する。重要なことは弾力性の租税回避や脱税によるものが構成する部分は不変のパラメータではないということで課税ベースの拡大や取り締まりで低下させることが出来る」と議論している。彼らは0.57を「保守的な上限の推定値」と言い連邦所得税の最高税率の下限は48%だと言う。

実質的な経済活動の変化と租税回避や脱税等を区別することは重要だ。だが現実世界での最高税率を租税回避や脱税等の活動を劇的に変化させることが出来るとの仮定の下で設定すべきだとは信じない。現実世界では荷車を馬車の前に置かないことが重要だ。

3.正しい社会厚生関数?彼らが掲げる目標は富裕層から可能な限りのお金を取り上げそれをばらまくことだ。その目標は社会厚生関数から発生してくる。社会厚生関数が暗示するのは人々は個人間で所得が等しい状態を好むというものだ。彼らの主張では「社会厚生は所得分布が平等であれば大きくなる」。

最適税率理論を研究するほぼすべての経済学者は社会厚生関数を用いていて同時に「平等であれば良い」という社会厚生基準を暗黙的に採用していることになる。だから彼らのモデルの設定に何ら特異なところはなくそしてその結果は学会論文の範囲で専門の経済学者で議論するのには有用だ。人々が所得が平等であることを好むのならば最適な税率は何%かという質問に答えることが可能だ。

だが(*繰り返しになるが)その結果を現実世界での提案として用いることは適切か?それは多くの市民がその基準を採用している場合に限られる(彼らが冒頭で掲げた3つの基準のうちの1つ社会の受容性だ)。その基準は社会の受容性という試験をパスしないだろう。結果のみに焦点を絞り過程を完全に無視しているからだ。つまりこれらのモデルでの社会厚生は富裕層がどうやって裕福になったかに依存しない。富裕者は我々がそれがなければ困るようなものを発明したか?またはロビイングによって裕福になったのか?我々はそれらの問題が多くの市民に取って重要だと考えている。だから彼らにとってBill GatesはOKでJack Abramoffはそれ程でもないのだろうと。それと整合的なことに世論調査の結果は多くの市民が所得格差を「経済システムの許容可能な部分」と答えている。

さらに我々は人々の多くはこの社会厚生基準を受け入れないのではないかと考えている。多数の人は限界効用逓減の法則を少なくともある程度は認めているだろう。生活必需品を購入する余裕のない人はそうでない人に比べて1ドルにより価値を置くだろう。そして圧倒的多数のアメリカ市民はホームレスに食料や住居を提供したり困難に直面した個人に基本的な生活水準を保証する政策を支持している。だが現実には納税したお金が低所得者を対象としたプログラムにすべて使われるのではない。納税したお金は世界的基準で見れば超富裕層である中所得者に用いられる。低所得者のためのセーフティ・ネットや富裕層から中所得層への再分配を支持することは完全平等を支持することからはかけ離れている。よって社会厚生基準を現実世界への政策提案として用いるのは疑わしいのではないかと思われる。

市民が何を持って幸せを感じるのかまたは市民が何を持って公正と見做すのかは複雑な問題だ。我々は勤労や成功への努力だけが唯一の重要な要素だと言いたいのではない。我々の言いたいのは社会厚生基準はあまりに単純すぎそこから導かれる結論は平均的な納税者の望んでいることと相容れないということだ。

最後に仮に多くのアメリカ市民が公正であると見做すものを無視したとしても現実世界での政策提案として社会厚生関数を用いるべきなのかは定かではない。効用は主観的な概念だ。個人内で異なる選択肢に対して効用を比較することは出来ても個人間で効用を比較することが出来るかどうかははっきりしない。例えば我々があなたに1から10の数字を用いてアイスクリームを食べてあなたはどれぐらい幸福を感じましたか?と答えるように尋ねたとしよう。そして5と答えたとする。今度はあなたの友人に訪ねて7という答えが返ってきたとする。我々はあなたとあなたの友人のどちらがより幸福を感じたのか知る手掛かりを得られるだろうか?ここに個人間の効用を比較することの難しさがある。

社会厚生関数に対する批判は教科書にも書いてある。教科書では個人間で効用を比較することには最大限の注意を促している。最適税率を研究する経済学者はその警告を無視し社会厚生関数をお咎めなしに用いている。繰り返すがミクロ経済学の授業を受け社会厚生関数の限界を知っている経済学者に対するものとしては構わない。だが個人間での効用の比較が可能との考えに基いて政策提案をすることは好ましいのだろうか?

C. Conclusion

この議題を研究する学術論文の大多数は社会厚生関数を用いていて所得をどのように稼いだかということは無視し富裕層の限界効用をゼロとしている。我々はFeldsteinの考えに共感を覚える。

「富裕層の厚生をゼロとし彼らを単なる収入源としか見做さない国家とはどのようなものなのだろうか?経済学者でない一般の人々はその提案を気に食わない集団の厚生を無視するものだと考えるだろう」。

それで最適な所得税の最高税率は何%なのか?Diamond and Saezは長期の弾力性を無視し社会厚生基準を採用し富裕層の限界効用をゼロとし租税回避や脱税がないとの仮定の下で短期の弾力性を用いて73%だと計算した。結果として我々は答えがそれより大幅に低いとかなりの確信をもって言うことが出来る。さらに政府が市民の所得の半分以上を税として持ち去ることは受け入れられないということも示した。だがこの議題に対して我々は答えを持っているのか?代わりとして明確な数字を示せるのか?(Simsの言葉を借りさせてもらうならば)仮に我々が答えを知っているのであればそれをとっくに世界に向けて発信している。

2013年9月7日土曜日

グローバル化で労働者が貧しくなったは世界中を巻き込んだコントだったのか?

Productivity and Compensation: Growing Together

by James Sherk

ケネディ大統領は経済が良い時はなんでもうまくいくと信じていた。それは現在に於いても大まかに正しいまでも多くの疑問が寄せられた。その主張に疑問を呈するものは1970年代から生産性が急速に上昇しているにも関わらず賃金は低迷していると論じた。彼らは生産性の上昇による経済成長はアメリカの労働者のためにならないと結論した。

これらの主張は統計の間違った解釈に基いている。彼らは直接比較することの出来ない生産性と給与のデータを併置して間違った結論を導いている。給与が生産性の伸びに追い付いていないとの主張は…

・報酬全体ではなく賃金の成長率を見ている。
・給与と生産性を異なる価格指数を用いてインフレ調整している。
・減耗の効果を除外している。
・生産性の計算に於いて発生する既知の測定誤差を無視している。

より注意深く比較すると過去40年で生産性は100%増加し報酬は77%増加していることが分かる。生産性の測定に伴う誤差によって残りの23%も説明できる。正しく比較を行えば従業員報酬は生産性に連動していることが分かる。生産性が増加すれば所得も増加している。

これは政策的に大きな意義を持つ。多くの政策当局者は経済が元の状態に戻ったとしても最早労働者が労働の対価を受け取ることは出来ないと誤って信じている。その誤った考えに基いて彼らは再分配に重点を置いている。より良い政策は労働者の生産性を高め高い給与を得られるようにすることだ。

多くの評論家は労働者が生産性の上昇から恩恵を受けておらず生産性が上昇しても給与は低迷するとさえ主張している。左寄りのEconomic Policy InstituteやコラムニストのPaul Krugman、政治家のElizabeth Warrenやその他大勢*5は皆これの変種の主張をしている。リベラル派は労働者が労働や生産性から対価を得られないのなら政府による介入が魅力的な代替案になると考えていると思われる。

5. Mark Thoma, “The Wedge Between Productivity and Wages,” Economist’s View,April28,2012,http://economistsview.typepad.com/economistsview/2012/04/the-wedge-between-productivity-and-wages.html (accessed June 24, 2013).

多くの学会の研究者や政策研究者がこの結論を否定している。ハーバード大学のMartin Feldsteinは生産性と賃金との見掛けの乖離は間違ったデータを用いているからだと結論した。正しいデータを用いれば給与と生産性は一緒に上昇している。Dean Bakerも同様の結論を下した。ジョージタウン大学のStephen Roseも同様に見掛けの乖離は精査すれば消滅することを示した。彼は生産性の上昇による経済成長は労働者に恩恵をもたらしていると結論した。多くの経済学者は雇用主は給与水準を労働者の生産性に基いて決定していて現在のように失業率が高まった場合など一時的に乖離が発生するだけと考えている。

Compensation Rising with Productivity

雇用主間の競争により給与が労働者の生産性に基いて決定されると理論は主張している。この意味で労働市場はその他の競争的市場と同じように動く。労働者の生産物以下しか支払わない企業からは労働者が離れ労働者の生産物以上に支払う企業は利潤が得られずお金を失い倒産にまで追い込まれるだろう。結果として労働者の給与は生産性に連動せざるを得なくなる。

政府の統計はこの予想を確認している。従業員報酬は過去2世代に渡って労働生産性と連動している。1973から2012に生産性は100%上昇している一方で時間あたり従業員報酬は77%上昇している。以下で説明するように生産性の測定に関わる問題が残りの差の大部分を説明している。

チャート1に過去40年間の報酬総額と生産性の伸びを示す。1973を基準としてy軸に対数化した報酬総額と生産性を示した(1973は給与と生産性の乖離が始まったと多くの評論家が主張している年だ)。だがチャート2が示すように2つは連動して上昇している。


チャート2は生産性と報酬の四半期成長率(を年率化して表示)を示す。1973以降、生産性は平均で年率1.8%上昇している。報酬は年率1.5%上昇している。大抵の景気循環期に於いてでも両者の成長率は0.3%以上乖離することはなかった。正しく比較すれば生産性と報酬は連動して上昇している。


Statistical Apples and Oranges

なぜ多くの評論家は労働者の給与が生産性と連動していないと主張するのか?例えばWarren議員は1970年代以降、連邦最低賃金が生産性と連動して上昇していれば現在の7.25ドルでなく22.00ドルになっていると主張している。

多くの評論家は生産性と給与のデータを非適切に比較してこの結論を導いている。チャート3に時間あたり平均賃金と生産性の成長率を示す。


これらはWarren議員の主張を支持しているかのように見える。生産性は2倍になっているが賃金は7%下落している。これはチャート1の結果と大きく異なる。

違いは異なる機関から集められたデータを異なる方法で処理していることから発生している。チャート3のデータは賃金しか含んでおらず報酬総額ではない。そして賃金と生産性を異なる方法でインフレ調整している。さらに人工的に生産性をインフレさせる要因を考慮していない。減耗率の増加、不正確な輸入価格だ。これらの要因を調整すれば給与と生産性の間の見掛けの乖離は消滅する。

Wages vs. Compensation

現金による賃金と給与(基本給)は従業員報酬の一部を占めるに過ぎない。雇用主は医療保険や退職給付、有給休暇などの非現金給付も支払っている。これらの付加給付は大きな割合を占めるようになってきている。賃金所得は課税される一方でこれらの給付は非課税(または控除される)のためだ。1973では非賃金給付は従業員報酬の13%を占めていた。2012ではその数字は25%に上昇している。

経済学者は労働者の報酬総額は生産性と連動して上昇しその上昇は賃金か給付のいずれかの形を取ると予想している。雇用主は労働者を雇用する際に発生する費用の総額を考慮に入れる。彼らは費用をどのような割合で賃金と給付に分割するかは雇用する際には考慮しない。従業員給付は従業員が受け取っていたであろう賃金から支払われる。賃金だけを見ていては報酬の中に占める給付の割合が増加していることを見逃してしまう。

さらに賃金と報酬のデータは異なる機関から得られ調査の対象とする労働者の範囲も異なる。最も頻繁に用いられる賃金の数字はBLSが提供していてそれは「生産及び非管理職」雇用者の給与だけを含んでいて管理職や多くの給与所得者を除外している。

さらにボーナスやその他の非定期の現金支払いも除外されているので多くの業績連動型の現金給与も記載されていない。業績連動型の給与は1970年代以降より一般的になっていてBLSの調査はそれらを把握できていない。

BLSは別個に報酬総額をLabor Productivity and Costs(LPC)として推計している。これには管理職や給与所得者などすべての労働者を含む。報酬総額の中で賃金と給与のデータはQuarterly Census of Employmentから取得して給付のデータは多くの情報源から取得した。

情報源が異なれば対象とする労働者の範囲も異なり報酬の形態が異なれば結果もそれに応じて変化する。これらの各要因がどの程度影響を与えているのかははっきりしない。分析者は生産性を報酬総額に対して比較すべきだということははっきりしている。そうでなければ間違った結論を導いてしまう。

チャート4は給与調査から取得した賃金のデータとLPSから取得した報酬総額との差を示している。これにより給与と生産性の間の乖離は大幅に減少する。時間あたり賃金の現金部分は7%下落しているが報酬総額は30%上昇している。見掛けの乖離の一部は従業員のすべての所得を含めていないことと異なる情報源を用いていることから発生している。


・インフレの調整 乖離のその他の要因は分析者がどのように報酬と生産性に対してインフレ調整をするかによって発生している。インフレは貨幣の価値を下落させる。経済学者は価格上昇の影響を取り除くために物価指数を用いる。これによりインフレ調整、または実質変化を調べることが可能になる。

BLSは生産性のインフレ調整に際してImplicit Price Deflator(IPD)を用いる。(このことを知らない)分析者は賃金と報酬のインフレ調整に際してConsumer Price Index(CPI)を用いる。この2つは直接に比較することは出来ない。この2つは方法論が異なり対象とする財とサービスの範囲も異なる。CPIで調整した報酬の成長率とIPDで調整した生産性の成長率を比較すれば間違った結論を生み出してしまう。

CPIはより最近になって開発された多くの物価指数と比べて高めのインフレを示す。結果としてCPIを用いて調整した数字はIPDに比べて名目の伸びをより多くインフレに振り向けることになる。例えば1973に10,000ドル稼いでいた労働者はCPIを用いて換算すると現在のドルで52,000ドル稼いでいたことになる。IPDを用いて換算するとその労働者は現在のドルで38,000ドル稼いでいたことになる。CPIはIPDに比べて過去40年間のインフレを36%過大に評価している。

異なる物価指数を用いれば結果も変化する。先程の労働者の例だと1973に10,000ドルの給与だったのが現在52,000ドルになったとするとCPIを用いている分析者からは彼の実質賃金は上昇していないように見えるだろう。IPDを用いている分析者は彼の実質賃金が38,000ドルから52,000ドルへと14,000ドル上昇したと結論する。報酬と生産性を正しく比較するためには両者に対して同一の物価指数を用いる必要がある。

・方法論の違い CPIがIPDよりも高いインフレを示すのには主に2つの理由がある。(1)方法論の違い、(2)計測する財とサービスの違いだ。消費者は価格の変化に反応する。アイポッドが安くなれば消費者はアイポッドをより多く購入しようとするだろう。そして価格が上昇した財やサービスの購入は控えられる。だがCPIはこの代替効果をたまにしか考慮に入れない。この理由により多くの経済学者はCPIがインフレを過大評価していると考えている。

さらにCPIはより正確でないデータを用いている。CPIを計算するに際してBLSはConsumer Expenditure Survey(CEX)からのデータを用いて消費者が様々な財やサービスをどのぐらい購入したかを推計している。この調査には大きなバイアスがある。家計は金額が大きいものや繰り返し購入するものは極めてよく記憶している(ことを示した研究がある)。結果としてCEXは家賃や光熱費などに費やした額は比較的正確に計測することが出来る。だが人々は調査期間中に購入するもので金額が小さいものや非定期に購入するものをしばしば忘れることがある。この過小申告によりアメリカの消費者が実際よりもはるかに多くの金額を住宅、ガス、電力の購入に費やしているかのように見えてしまう。これらの財の費用は他の財やサービスよりも速く増加している。この追憶バイアスはCPIで測ったインフレを過大評価する。

IPDはこのような問題を抱えていない。その他の代替的な物価指数であるpersonal consumption expenditures(PCE)もそうだ。政府はこれらの指数を企業の売上データを用いて計算している。企業は非常に詳細な売上のデータを記録しているのでこれらの指数は追憶バイアスの影響をあまり受けない。IPDとPCEは価格変化に対する消費行動の変化も考慮に入れて計算している。

チャート5に方法論の違いが与える影響の大きさを示す。CPIとPCEを両方用いてインフレ調整した報酬額を示している。BEAは代替効果を考慮に入れてPCEの計算を行っている。そして追憶バイアスの影響を受けにくい調査を用いている。CPIをPCEに単に置き換えるだけで報酬額は大幅に伸びる。過去40年間でCPIで調整した報酬額は30%増加したがPCEで調整した報酬額だと56%になる。


・消費された財 vs. 生産された財 その他にも物価指数の間には違いがあるがそれは技術的な方法論に関するものではない。CPIとPCEは両者とも消費財の価格の変化を計測している。IPDは企業が生産した財やサービスの価格の変化を計測している。ここにIPDがCPIとPCEと異なる点がある。IPDは企業が自分以外の企業に売却、または外国に輸出した財やサービスを含む。CPIとPCEは含まない。これらは原油のように輸入された消費財を含む。

過去数世代に渡って消費者が購入した財やサービスの価格は企業が生産した財やサービスの価格よりも速く上昇した。結果としてCPIやPCEのように消費財を対象とする物価指数はIPDよりも高いインフレを示した。それでも労働者の給与が生産性と連動して上昇しているかどうかを判断するために必要なのはIPDの方だ。

経済理論は労働者は彼らの限界生産物の価値に基いて給与を支払われると教えている。限界生産性は企業がその財を売却する価格に依存しているのであって消費財の価格にではない。経済学者は企業の生産する財やサービスへの需要が増加しそれが価格を押し上げたならば企業は賃金を引き上げると考える。経済学者は例えば原油価格がより高くなった場合などに企業が報酬を引き上げるとは考えない。報酬が生産性と連動しているかを判断するためには経済学者は従業員が生産した財やサービスの価格を用いる。

この要素により報酬と生産性の乖離はさらに縮小する。チャート6にIPDでインフレ調整した生産性と報酬の伸びを示す。これにより報酬額は77%増加したことになり生産性は100%増加したことになる。


・減耗率 生産性と報酬の乖離の5分の4は適切でない比較をしたことにより発生している。乖離の残りの部分は生産性上昇率を過大に見積もっていることから発生している。

この過大な見積もりの一部は生産資本の減耗が増加していることから発生している。生産性はグロスの産出を測る。従業員が生産したものすべてだ。だが生産資本のストックを維持するためには劣化したり(技術的に)陳腐化した資本設備を取り替えなければならない。そのために資源を費やしても所得は増加しない。

減耗率が一定である限りは報酬額の成長率に影響を与えることはない。

だが過去数世代の間に減耗率は上昇してきた。1970年代の初期の減耗率は大体14%だった。2000年代初期の減耗率は大体17%になっている。

他に変化したこととしてコンピュータやソフトウェアの使用が増加したことが挙げられる。これらは数年で取り替える必要がある。1993に建てられた工場はまだ使うことが出来るが1993のコンピュータを使っている人はほとんどいない。よって陳腐化した設備を取り替えるための費用を捻出する必要がある。そのお金は従業員に支払うことは出来ない。

減耗率の上昇は見掛けの生産性は低下させないが所得は低下させる。BLSは減耗を考慮せずに生産性を計算している。それはグロスの生産性であってネットの生産性ではない。だが減耗の影響は国民経済計算上に見ることが出来る。

BEAはGDPだけでなくNDPも計算している。GDPはある年度に生産されたすべてのものを計測している。GDPから減耗を差し引いたものがNDPだ。NDP成長率とGDP成長率の差は減耗の影響を示す。そこから減耗を考慮しないことから発生するバイアスの大体の大きさが分かる。報酬はグロスの生産性ではなくネットの生産性と連動するのが自然だ。

減耗率の上昇により残った乖離の半分を説明することが出来る。過去40年間で単位労働時間あたり実質GDPは69%上昇した。単位労働時間あたり実質NDPは58%の上昇で11%ポイント低い。従業員も雇用主もこの分を消費することは出来ない。これにより残った乖離23%ポイントのうち半分を説明することが出来る。

投資財と消費財の相対価格の変化がこの分析をさらに複雑にする。過去数世代の間で民間投資支出が経済に占める割合はほとんど変化していない。だが投資財の価格上昇は消費財の価格上昇に比べてゆっくりだった。その結果としてインフレ調整をすると過去の投資と減耗の経済に占める割合がより最近のものと比較して小さく見えるようになる。これは減耗率の上昇とは異なる。見掛けの減耗の増加は実質GDP成長率よりも実質NDP成長率の方を相対的により大きく低下させる。

これを調整するには同一の物価指数を用いるのが良い。この調整はNDPとGDPで消費財と投資財の量が異なることを無視している。NDPとGDPの調整にIPDを用いることにより1973以降の実質GDPの増加は69%になり実質NDPの増加は64%になった。これにより残った乖離の4分1を説明できる。

Problems with Measuring Productivity

計測の問題が生産性統計をさらにインフレさせる。最近の研究は企業が生産に用いるために輸入する財の価格をBLSが系統的に過大評価していることを示した。これには2つの理由がある。第一にBLSは外国の生産者が生産ラインをより新しく安いものに置き換えた場合に発生する価格の下落を把握できない。経済学者はこれを生産置換バイアスと呼ぶ。第二にBLSは企業が生産に投入する要素を国内のものから海外のものへと置き換えた場合に発生する費用の下落を把握できない。経済学者はこれをオフショアリングバイアスと呼ぶ。結果として生産に用いられる輸入財は実際の価格よりも高く記録される。

この一見したところでは小さく見える誤差が大きな意味を持つ。価格が人工的に嵩上げされているので企業が購入した財やサービスの数量が実際よりも見掛け上少なくなる。企業は少ない投入で多く産出していると見做される。この生産性の向上は統計の錯覚だ。政府は低い国際価格から発生する費用の低下を生産性の向上として誤って報告している。

このバイアスは1997から2007の製造業の生産性成長の7%から18%を占める。小売などその他の部門にも影響を与えるが経済学者は非製造業で発生するバイアスの大きさを推計していない。だが生産性は製造業の方が経済全体よりも成長が速い。よってこのバイアスの影響は非製造業よりも製造業で大きい。

このバイアスが他の部門に影響する程度に応じて残った乖離の部分も変化する。統計の錯覚は誰の給与も引き上げない。生産性は政府の公式統計が示唆するよりも速く成長していない(かもしれない)。

・乖離の過大評価 不正確な輸入価格の要因により残った乖離の一部を説明できると思われる。チャート2に景気循環における生産性と報酬額の成長率を示した。ほとんどの場合で両者は0.3%ポイント以上離れていない。2001以降に両者は乖離し始めて生産性の成長率が報酬額の成長率を0.7%ポイント以上上回るようになる。2001から2007には生産性は年率2.6%成長し過去40年間で最も速い成長を記録した。

これは国際貿易が大幅に拡大した時期と一致する。1980年代と1990年代の初期には輸入はGDPの10%を占めていた。議会が1993にNAFTAを承認してから2001までに輸入はGDPの13.6%まで拡大した。

最近の不況で落ち込むまでは貿易は拡大を続けていた。現在では輸入はGDPの17.5%を占めるようになっている。これは国内の生産にも影響を与えている。製造業は1997に資材の17%を輸入していた。2007までにその数字は25%まで上昇している。

輸入の増加は先程のバイアスをより拡大させる。輸入財の使用による費用の下落は1990年代後半以降拡大している。BLSが輸入価格の計測方法を修正するまではこの要因を定量化することは出来ない。言えることは政府の統計が生産性成長をインフレしていてこの問題が2001以降拡大していることまでだ。

・乖離の分解 これまで述べてきた要因で乖離のほとんどを説明できる。乖離のほとんどは統計の錯覚だ。報酬は従業員が生産した価値と連動している。

チャート8に個々の要因がどれだけ影響しているのかを分解して示す。乖離の35%は報酬総額ではなくその一部を用いることにより生じる。乖離の44%は異なる物価指数を用いることにより生じる。乖離の21%はその他の要因、減耗、輸入財の価格、そして実際に2つが異なることにより生じる。正しく比較をすることにより報酬と生産性の成長率が大部分連動していることを示すことが出来る。

Conclusion

(省略)