2017年12月27日水曜日

アメリカの年金は他の国より遥かに充実していた?

How the Poor May be Saving More for Retirement than the Rich

Andrew Biggs

アメリカ人の多くは老後の蓄えが十分かどうかを気に掛けている。だが政策担当者が最も気に掛けているのは低所得者に関してだろう。低所得者は401kプランに加入していないことが多い。加入を求められたとしても、多くはそれを拒否する。401kに加入したとしても、所得が高い労働者に比べて貯蓄に回す割合が低いことが多い。ようするに、低所得者は老後の蓄えが十分ではないことが多い。

このような話が通説のように語られていた。実際には、(社会保障年金のおかげで)低所得者は中間所得者や高額所得者よりも多額の年金を受け取っている可能性が高い。アメリカ人の老後の蓄えが十分かどうかを知るには、401kに加入しているかどうか、負担額がどれぐらいかを見ているのでは分からないだろう。

ほぼすべての労働者に社会保障年金への支払いが求められている(労働者の負担分が所得の6.2%、雇用主の負担分が6.2%)。ようするに401kに加入する前から、アメリカ人のほぼ全員が所得の12.4%を老後に備えて貯蓄していることになる。退職後の所得の基本部分としては悪くない数字だ。

だが低所得者にいたっては実効貯蓄率はその12.4%を上回っている。それは社会保障年金が、401kや伝統的な企業年金とは異なり(他の国とも異なり)、累進的であるためだ。保険料率は全員が同じだが、低所得者は中間所得者や高額所得者よりも負担額と比較して多くの給付を受け取っている。

それはどれぐらいか?社会保険局(SSA)のデータがその疑問に答えてくれる。この数字(「所得の対価比」と呼ばれることもある)は、個人が生涯を通して受け取る給付額と生涯を通して支払う負担額との比率を示す。これが1であれば、所得の12.4%と(SSAがそのように計算しているため)それに掛かる利子を社会保障年金を通して貯蓄したことになる。

低所得者はこの数字が1以上になる。ここではSSAが「非常に所得が低い」と呼んでいる労働者に焦点を当ててみよう。彼らの所得は平均的な所得の4分の1でしかない(1ドル=120円として150万円ほど)。平均的に見て、彼らは自分たちが支払った額の1.7倍を給付(年金)として受け取る。彼らは所得の12.4%しか負担していないかもしれないが、22%を貯蓄に回していたものとして給付を受け取る。

彼らが老後に備えてどれぐらいの額を貯蓄しておくべきなのかは定かではない。22%で十分かもしれないし、そうではないのかもしれない。だが、自分に問い掛けて見て欲しい。自分の所得が150万円ぐらいだったとしてすでに所得の22%を貯蓄に回しているのであれば、その人はもっと貯蓄に回すだろうか?現実的な回答は恐らく、そうしない、だろう。

ここまでは話の一面でしかない。低所得者が負担額よりもより多くを受け取る一方で、高額所得者の給付は負担額よりも少なくなる。下の表には所得が150万円から1344万までの労働者の社会保障年金実質貯蓄率が示されている。「非常に所得が低い」労働者の所得の対価比は1.7で実質貯蓄率は22%だったが、所得が1344万円の労働者は負担額のわずか0.5倍しか給付を受け取れない。その実質貯蓄率は12.4%の0.5倍だから6.2%ということになる。

貯蓄が十分かどうかを低所得者と高額所得者とで比較して見ると、非常に興味深いことが分かる。所得が150万円で401kや他の年金プランには加入していない労働者を仮定しよう。累進的な給付により、彼の実質貯蓄率は22%となる。次に、所得が1344万円で401kに180万円を負担している労働者を仮定しよう。社会保障年金を通した貯蓄率は6.2%で、401kの負担分は彼の所得の13%に相当する。合計した貯蓄率は19.2%で、「非常に所得が低い」労働者の22%を下回っている。


Retirees' Incomes Rising, Dependence On Social Security Benefits Lower

「退職者は社会保障年金にどんどん依存するようになっている」とU.S. News and World Reportというサイトでは語られている。「社会保障年金は1962年には65歳以上の高齢者の所得の30%ぐらいでしかなかったのが、2009年には所得の38%にまで上昇している」、「SSAが公開したデータによると、2009年には66%以上の高齢者が所得の大部分を社会保障年金から受け取っている。1984年には62%で、1967年には51%だった」など。

これらの数字はメディアによって広く喧伝されていて、アメリカ人は貯蓄を十分にしていない、401kは機能していない、退職者には社会保障年金以外に頼るものがない、などといった主張のサポートに頻繁に用いられている。そして、事態はどんどん悪くなっていっている、という台詞が必ずと言っていい程付け加えられる(#どんどん悪くなっていっているのはメディア関係者たちの頭の方だというのに)。

だが、これらの主張がすべて間違いだと言ったらどう思うだろうか?退職者の所得は増加しており、過去と比べて社会保障年金への依存度は減っており、民間の貯蓄プランの増加がその理由だと言ったとしたら?IRAと401kからの引き落としを正しく把握しているデータを見れば、退職者の所得は急激に増加していること、ほとんどの退職者の「所得代替率」は高いということが分かるだろう。

それを今から説明する。退職者の所得に関するSSAの数字(メディアの多くが根拠としている)は、Current Population Survey (CPS)を参照している。CPSは失業率や貧困率など、政府の公式統計の最大の参照先だ。理論上では、CPSは退職者が頼りにするすべての所得を示すことができるとされている。

問題は、CPSが何を「所得」としてカウントするのかにある。CPSでは、お金はそれが定期的に受け取る形態であった場合にのみ所得としてカウントされる。例えば、毎週であったり毎月であったりと。不定期でお金を受け取っていれば、それは所得としてカウントされない。

これは、定期的に給付を受け取る形態であったDBプランから退職者が必要に応じて貯蓄を引き下ろす形態のIRAや401kなどのDCプランへとシフトしたために大きな問題を生み出している。退職者がIRAや401kなどから受け取っている給付の大部分はCPSでは所得としてカウントされていない。そして、DBプランからの一括の支払いなども所得してカウントされていない。労働者が伝統的なDBプランからより魅力的なDCプランへと大脱走しているため、IRAや401kの口座残高がどれほど巨額になっていようともCPSに所得として表れることはない。

この問題はどれほど大きいのか?幸運なことに、何を「所得」としてカウントするのかに関してIRSはCPSほど正気を失ってはいない。IRSでは定期的に引き落とされるか、一括して引き落とされるかどうかを区別していない。もしDCプランからお金が引き落とされたとすれば、それはIRSにきっちりと把握されるだろう。IRSのデータを用いて、退職者貯蓄プラン総額の55%しかCPSは把握していないと私は過去に計算している。伝統的なDBプランが巨額の給付を未だに定期的に支払っていることを考えると、このことはIRAや401kからの給付をCPSがまったくと言っていいぐらいに所得としてカウントしていないことを示している。センサスのAmerican Community Surveyによる分析も(ACSはCPSと同じような調査方法を採用している)、ACSが退職者所得の55%しか把握していないことを示している。

よって、退職者の所得が過小にカウントされていて、そしてこの問題は時が経つに連れて大きくなっていくと考えられる十分な根拠があるということを私たちは今では理解しているという訳だ。だがこのことが分かったからといって、私たちはアメリカの退職者の貯蓄に関するこれまでの考えを改めるべきだろうか?

国勢局(センサス)の2人の経済学者による最近の論文が、これまで何の疑問も呈されることなくまるで真実であるかのようにメディアによって語られていた通説を覆すかもしれない。C. Adam Bee and Joshua MitchellはIRSやSSAなどの(関係者しかアクセスできない)内部データを用いてCPSなどに見られるこの問題を修正しようと試みた。彼らのターゲットは女性の退職者だった。だが男性の働き手を含む家計全体の所得を彼らが示してくれていたので、分からないのは未婚の男性の所得だけとなっている。

彼らが示した姿は、これまでメディアによって語られていた話とはまったく異なるものだった。例えば、民間の貯蓄プランから所得を受け取っている65歳以上の高齢者の割合は1984年には29%だったのが2007年には26%に低下したとCPSでは云われていた。それが、社会保障年金への依存度が高まっており退職者たちは危機を迎えているというSSAの報告書の内容に沿ったものでもあった。だがそれは、CPSの問題を知っている人にとっては容易に予想できる結果でもある。

対照的に、(この問題に関して)より正確なIRSのデータの方は民間の貯蓄プランから所得を受け取っている高齢者の割合が同期間に23%から45%へとほぼ2倍になっていることを示している。このことだけでも、人々は老後に対する備えを自らの手では行うことができないというイデオロギーへの打撃となっている。

上昇しているのは所得を受け取っている割合だけではなかった。Bee and Mitchellは社会保障年金、民間の貯蓄プラン、それらから受け取る利子や配当、それに受給者の所得なども示してくれた。CPSを情報源とするのであれば、1989年から2007年までの65歳以上から69歳までの所得の世帯中央値は(実質で見て)420万円から504万円へと21%の上昇を示したのだと結論してしまうだろう。18年間に21%だから、それも決して悪い数字ではない。

だがより正確なデータの方はというと58%の上昇を示している。ようするに、2007年には731万円に達している(一体、今はいくらになっているのか?)。言い換えると、メディアがアメリカ人や政策当局者に対して伝えている数字は普通の退職者世帯の所得を228万円少なく教えている。

社会保障年金に対する依存度が高まっているという主張の方はどうか?

1989年から2007年の間に、社会保障年金の給付の実質価値は65歳から69歳までの高齢者に対して25%上昇した。民間の貯蓄プランの方はというと141%上昇した。1989年には、民間の貯蓄プランの給付は社会保障年金の給付の32%ぐらいでしかなかった。2007年には、それが62%まで上昇している。社会保障年金に対する依存度は低下している、民間の貯蓄プランは普通のアメリカ人にとって機能するものではないというイデオロギーとは完全に矛盾する事実だ。

Bee and Mitchellは世帯の中央値しか示してくれなかった。だが彼らは低所得の世帯や高所得の世帯に関して推量を可能にするデータを提供してくれている。先程述べたように世帯中央値の上昇は58%だったが、(所得分布の)25%タイルの世帯では52%の上昇、75%タイルの世帯では50%の上昇だった。この上昇の大部分は民間の貯蓄プランの給付が増加した(先程も語ったように141%の上昇)ことによるものと考えて良さそうだ。

最後に、彼らのデータは退職者は退職前の生活水準(ここでは所得)をどれぐらい維持できているのかに関する新たな情報を提供してくれている。ファイナンシャル・アドバイザーの多くは、退職者は退職前の所得の70%を維持するべきだと推奨している。仕事上仕方なく払っていた費用や税金、退職に備えての蓄えの必要性などが軽くなることで、退職前の生活水準を維持するには70%ぐらいで十分だと彼らは説明している。

Bee and Mitchellは退職から1年後そして退職から5年後の退職者の所得を、内部データを用いて私たちに教えてくれた。それにより、所得の代替率を計算することが可能になる。退職者の退職1年前の所得の中央値は583万円だった。退職から5年後の所得の中央値もほとんど同じだった。所得の代替率はほぼ100%で、ファイナンシャル・プランナーたちのアドバイスを大きく上回っている。退職3年前の所得のデータも提供してくれているが、それも結果は同じだった。

彼らは大学卒業者、非卒業者、既婚の女性、未婚の女性の所得の代替率も計算している。そこにも大きな違いはなかった。すべての例で、退職5年後の所得は退職前の所得とほとんど同じだった。

これらのデータは、多くの人たちが「壊れている」と叫んでいたアメリカの民間の貯蓄プランに対する考えを改めさせるのでなければならない。そうだ、民間の貯蓄プランは縮小させるのではなく拡大させる必要がある。そのためにやらなければならないことはまだまだ多いだろう。だが、退職者の貯蓄は高く民間年金からの所得は過去のどの時点よりも拡大していて、他のどの国をも圧倒的に上回っていることが明らかになった。

これらのデータは有用ではあるものの、SSAやメディアなどはこれからも誤ったデータを用い続けるだろう。SSAはこの問題に気が付いていないかのようだが、それは違う。1970年時点ですでに、自分たちが使用しているデータはIRSに報告されている資産からの所得の半分ぐらいしか把握していないとする内部文書を彼らは作成している。最近でも、SSAの職員たちはIRAや401kなどからの所得をCPSはほとんど把握できていないとする内容の報告書を内部向けに幾つも作成している。だと言うのにこの組織はCPSのデータに基づく「Income of the Population Aged 55 and Over」という報告書を提出し続け、アメリカ人を欺き続けている。

暗黙のバイアスは初めから捏造の産物だった?

Are We All Unconscious Racists?

Heather Mac Donald

「インプリシット・バイアス(暗黙のバイアス)」ほど大衆に素早く受け入れられていった概念はないだろう。大統領や政府関係者たちによって持ち上げられたこともあり、暗黙のバイアスの馬鹿騒ぎはそれを人々の心から取り除くという運動とコンサルティング会社への巨額の利益を生み出した。暗黙のバイアスという主張を支えていた統計学上の根拠はとっくの昔に揺らいでいるが、その影響がすぐにでも消え去るなどとは期待しない方がいい。

暗黙のバイアスは以下の疑問に答えることを目的として生み出された(捏造された)。すべての点から見て人種差別は過去50年間の間にほとんど消滅したというのに、どうして世帯所得や雇用、犯罪率などに人種間の差異は残ったままなのか?その理由は(暗黙のバイアスを調べている人たちによると)意識の範囲外の私たちの心の奥深くに根ざしているからだという。私たちは表向きには人種間の平等を標榜しているかもしれない。だが私たちのほとんど全員が無意識のうちに黒人よりも白人を優遇している、と彼らは主張する。そしてそれらの無意識のバイアスが差別的な振る舞いを生み出し、結果として人種間の不平等が生まれるという。

暗黙のバイアスという概念が必要とされた(捏造された)理由は明らかだ。大学やメディアにとって、集団間の興味や価値観、家族構成の違いなどが社会経済的乖離を生み出すかもしれないと認めることはタブーだからだ。

暗黙のバイアスは、インプリシット・アソシエーション・テスト(IAT)と呼ばれる心理学上の手法が誕生した1998年から大学に急速に浸透していった。社会心理学者のAnthony Greenwald and Mahzarin Banajiによって開発されたこのIATは差別研究に新しい風を吹き起こしたと宣伝された。「90%から95%の人々に差別の心が見られることが、人々の無意識に根ざす偏見を浮き彫りにする新しい手法を開発した心理学者たちによって今日明らかにされた」と伝えられた。

人種に関連するIAT(人種に関連しないものもある)では、黒人の顔と白人の顔が画面上に映される。そのテストを受けた人はキーボード上の「i」と「e」のキーで示される2つのカテゴリー(現段階ではこのカテゴリー自体に意味はまったくない。例えばまったく同じ被験者が白人の顔にiをあてがうこともあれば他の白人の顔にはeをあてがうこともある)にそれらを素早く分類しなければならない。次に、被験者は「嬉しい」のような肯定的を表す単語と「殺人」のような否定的を表す単語とを良い、悪いのカテゴリーに先程のキーを使って分類することが求められる。その作業は段々と複雑になっていく。顔と単語がスクリーン上にランダムに現れ、被験者は先程のボタンを使ってそれを分類しなければならない。次に、被験者はその作業を逆にすることが求められる。もし以前に黒人の顔が否定的を表す単語を分類する際に押されたキーと同じキーで分類されていれば、今度は黒人の顔は肯定的を表す単語を分類する際に押されたキーで分類されなければならない。そして白人の顔は逆のキーで分類される。もし肯定的を表す際に用いたキーで黒人の顔を分類するのが同じキーで白人の顔を分類するのよりも遅ければ、IATはそれを暗黙のバイアスのせいだと見做す。IATでは被験者が分類に掛かったミリ秒の違いでバイアスの度合いを判断する。テストの最後に、被験者は黒人、もしくは白人に対して強い、適度な、弱い「好感度」を抱いているのかが判断される。被験者の大半(多くの黒人を含む)は白人の顔を好んでいると判断された。IATでは社会的弱者と云われている他の集団、例えば女性や老人、病人の写真などが用いられた。

応答時間で判断するというのは彼らが始めたことではない。心理学者は概念と記憶の関連の密接度などを測るのに応答時間をすでに用いていた。そして瞬間的な認知プロセスとその関連性が私たちの日常生活を助けているという考えは心理学の世界では広く受け入れられていた。だが彼らは応答時間という手法と暗黙の認知という概念を政治の領域に適用した。彼らは、応答時間にわずかでも違いがあればそれは黒人に対する無意識下の偏見によるものだと自信満々に断言するばかりか、そのような無意識下での偏見が実際に差別的行動を予想すると主張している。IATを広く知らしめることになった「Blind Spot」という本の中で「暗黙のバイアスが差別的行動を予測することがはっきりと示された」と彼らは2013年に記している。そしてこの暗黙のバイアスから差別へと至る一連の流れが人種間の差異の原因だと彼らは主張した。「暗黙のバイアスは黒人の社会的不利の原因であるばかりか、差別を説明する上で表立ったバイアスよりも大きな役割を果たしていると結論するのが妥当だ」と主張した。

暗黙のバイアス狂騒曲は森林火災のように広がっていった。バラク・オバマはマイノリティや女性に対する「無意識の」バイアスを避難し始めた。NBCのLester Holtはヒラリー・クリントンに対して「警察は黒人に対して無意識的に差別を行っていると思うか」と尋ねるに至った。尋ねられた彼女は「暗黙のバイアスは警察官だけではなく私たち皆の問題なのです」と暗黙のバイアスがまるで事実であるかのように返答している。FBIのジェームズ・コミー長官は2015年に、「多くの研究」が「無意識のバイアスが私たちの心の中に広く存在している」ことを示していると公演で語った。「白人がマジョリティを占める私たちの社会では」と彼は語り「人々は黒人の顔と白人の顔に対して異なる反応を示す」と語った。バラク・オバマの管理下にあった司法省は、すべての法執行機関職員に対して暗黙のバイアスに対処するための講習を受けさせることを強要し始めた。ヒラリー・クリントンは、その多くはとっくの昔に講習を始めていたというのに、地方の警察署に対して講習のための資金を援助すると約束した。

数え切れないほどのジャーナリストたちが、自分たちは暗黙のバイアスに無意識のうちに冒されていたと(頼まれもしてないのに)告白を始めた。会社の多様性担当課は、新しく「明らかにされたバイアス」への対処法を模索し始めた。法律の世界では、インテンショナリィの概念が時代遅れだとして攻撃に晒された。その運動を先導したのがUCLAの法律学の教授で公平性、多様性、インクルージョンを標榜して副学長に就任した高給取りのJerry Kangだ(初年度の給料は3549万円で、現在では4440万円にまで増加している)。「法律は心理学の知識の変化に対応する義務があります」と彼は2015年に語っている。「反差別法は表面的な意識の問題ばかりに囚われていました」。だがこの新しい「認知行動学的な現実主義」が示すように、私たちは「差別を意識することなくそして差別の自覚なく差別を行っているのです」。表面的な意識だけを見ているのでは、「差別がもたらす多くの実害に対して必然的に目が曇らされることになるでしょう」と結んだ。彼は認知行動学的な現実主義を弁護士事務所や判事、政府機関などに説いて回っている。

先程も触れたように、司法省は法務執行機関職員に対して暗黙のバイアスの講習を受けさせている。雇用差別訴訟の世界ではIATが法的証拠能力を持つのかを巡る戦いがすでに始まっている。原告側の代表はAnthony Greenwaldを鑑定人として幾度も法廷に立たせている。被告側は彼が適格ではないと裁判官に訴えている。彼はその中の幾つかの訴えは退けることができたものの、その他では敗れている。そのことについてJerry Kangは動じていないようだ。「トニーの証言が今は退けられたとしても問題はない」と彼は2015年に語っている。10年後には、私たちの頭脳は隠されたバイアスに目を曇らされているのだと誰もが知っていることだろう、そしてその知識が法廷の場で裁判に利用できるようになった時にはすべての個人の判断と行動が暗黙のバイアスの産物だとして疑惑の対象となるだろう、機会の平等を確保する唯一の道は結果の平等をすべてにおいて義務付ける(強制する)ことになるだろう、とペンシルバニア大学のPhilip Tetlock(IATに対する痛烈な批判者)は冷めた目でそれを眺めている。

認知行動学的な現実主義運動(ジョージ・ソロスのオープン・ソサエティ・ファウンデーションが援助している)が及びうる範囲は雇用差別に対する訴えなどよりもはるかに広い。幾人かの雇用主たちはすでにIATを使った労働者のスクリーニングを始めていると多様性コンサルタントのHoward Rossは語っている。より多くの大学が、マイノリティや女性に対する隠されたバイアスに立ち向かうためと称してIATを採用するようになっている。多くの企業では昇進の決定にIATが用いられるようになっている。UCLAのロー・スクールでは新入生たちに対して彼らの隠された偏見に立ち向かうようにとIATを受けることを強く奨励している。ヴァージニア大学はIATをカリキュラムに組み込むことを検討中だ。Kangはマイノリティの取扱いに関するメディアの姿勢に対してFCCによる規制が必要だと主張している。Kang and Banajiが主張するように(公平な取扱に対する)脅威が「皆の心の中にある」のであれば、それらの脅威を克服するために必要とされる政府の介入の範囲はほとんど際限がなくなる。

暗黙のバイアスの提唱者たちはIATを天からの啓司かのように語っているが、その社会的意義に関する彼らの主張は証明されたというにはかけ離れている。むしろIATの主張で、攻撃に晒されていないものは今現在存在していないと言ってもいいぐらいだ。

どのような社会-心理学的手法であっても、正確であると見做されるためには信頼性と妥当性という2つのテストにクリアしなければならない。心理学的手法が信頼できると見做されるには、同じテストを何回も別の時間で試してその度に似たような結果を示すのでなければならない。だがIATで示されたというバイアスは一貫しているというには程遠い。前回のテストでは高いバイアスを示した被験者が今回のテストでは低いバイアスを示すといった具合に。最近の推計では人種に関連するIATの信頼性は実社会に適用できるという水準の半分ぐらいに置かれている。言い換えると、IATの結果が安定していることを示した証拠は存在しない。

だがIATの妥当性、そちらの方がより強烈な攻撃に晒されている。心理学的手法は、それが計測していると主張しているものを正確に計測している時に「妥当」であると見做される。この場合では、暗黙のバイアスと差別的な行動だ。もしIATが妥当であるというのであれば高いスコアは差別的行動を予測しなければならない(Greenwald and Banajiが初めに主張していたように)。だがIATのスコアは、そもそもIATが馬鹿馬鹿しくも「差別的行動」と定義していたものに対してすら、ほとんど何らの予測力も示していない。例えばモック・インタビューの間の些細なボディ・ランゲージ(仕草)から南アフリカのスラムではなくコロンビアのスラムに寄付をしますかという質問など。ほとんどの論文はIATのスコアと(お金を支払って参加してもらった)学生たちの実験室的な環境に置ける「差別的行動」との間の相関の強さに関して議論が割かれている。実際の「差別的行動」が言及されていることはほとんどない。そしてそれらの「差別的行動」が私たちが懸念するべき差別と如何にかけ離れているかに言及している人は誰もいない。

インタビューの間の椅子の位置や囚人のジレンマ的な状況に置ける判断を「差別的行動」と受け入れたとしても、IATが示すスコアとそれらの行動とにはほとんど相関が見られない。IATに関する122の論文をメタ分析した結果によると、IATのスコアは「差別的行動」の5.5%しか説明していなかった(このメタ分析はGreenwald, Banajiら自身が取り仕切っていた)。IATのレビューを行っているJesse Singalによると、その結果でさえも疑わしい方法で得られたものだ。IATに批判的な心理学者のグループ、ライス大学のFred Oswald、ヴァージニア大学のGregory Mitchell、コネチカット大学のHart Blanton、ニューヨーク大学のJames Jaccard、そしてPhilip Tetlockは、Greenwald, Banajiたちは差別とは逆の行動を差別としてカウントしていると指摘している。被験者が高いバイアスを見せたのに、自分と同じグループ(例えば白人)よりも自分とは異なるグループ(例えば黒人)に対して友好的な行動を示した場合、それはIATを裏付けるものとして扱われる。被験者は暗黙のバイアスを償おうとして過剰に反応しているとIATでは見做されるためだ。だが高いバイアスを示し自分とは異なるグループに対して差別的な行動を見せた場合にもIATが裏付けられたものとして扱われる。ようするに、どのように回答しても差別をしていると見做される。

今ではGreenwald and BanajiもIATは差別的行動を予測しないと認めている。IATにまつわる心理学的計測の問題は、「この人は差別的行動をする、この人は差別的行動をしないといったように人々を分類するために用いるのには問題がある」と彼らは2015年に記している。彼らが自信満々に断言してから丁度2年目のことだ。IATは、例えばバイアスのない裁判官を選ぶため、などに用いるべきではないとGreenwaldは主張している。「私たちはIATを差別や偏見的行動につながる何かを診断するための道具だとは見做していない」と彼は1月に語っている。その代わりに、彼らは主張をこう変更した。IATは個人のレベルでは差別的行動を予測しないかもしれないが、社会全体で見れば差別や抑圧を予測すると。「統計上は小さな効果」が「社会的には大きな効果」を持ちうる、と彼らは主張している。Hart Blantonはこの主張を批判する。個人のレベルでさえ何を測っているのか(もしくは何を意味しているのか)分からないのであれば、社会全体で見ても分かるはずがないと彼は語っている。

初めのうちは、心理学者たちは(実生活における)暗黙のバイアスは写真の分類に掛かったわずかの時間の遅れによって明らかにされたという主張を受け入れていた。だがIATが云うところの「白人に友好的」を巡っての別の解釈が現れるようになった。高齢の被験者は認知的問題を抱えているのかもしれない。または自分と同じグループのことは他のグループよりもよく知っているという理由でテストに対する反応が遅れるのかもしれない。これらの可能性は、新しいテストによって社会に偏見が蔓延していることが明らかにされたと断言される前に排除されているべきだった。

最近行われたメタ分析もIATに強烈なダメージを与えている。まだ正式には公開されていないが、この分析はIATで測られているという暗黙のバイアスのその変化が「差別的行動」の変化に実際につながるかを調べたものだ。IATのスコアを変動させることは心理学の手法を用いれば可能だが、それが行動の変化を生み出すことはなかったと分析では結論している。この分析の7人の筆者たちは、暗黙のバイアスにとどめを刺しかねない過激な主張を行った。「恐らく瞬間的に読み出された関連性(想起)には人々の行動を変えさせるような力はないのだろう」と。ようするに、現実の世界の人々の行動には何の影響も与えない。人間は、「無意識下のバイアスに従って忠実に行動するような認知の怪物などではなく、瞬時的な想起には(ある特定の集団に対する)残余的な「傷跡」のようなものが反映されているだけなのかもしれない」。これが事実であれば、「暗黙のバイアスの中心を担っている幾つかの仮定に対する再考」が必要だろうと彼らは記している。それでは表現がまったく不足しているだろう。

筆者たちの中にはヴァージニア大学のBrian Nosekとワシントン大学のCalvin Laiが含まれていた。彼らはGreenwald and Banajiらと一緒にIATの普及活動を行っていた。NosekはBanajiの生徒でIATをウェブで紹介するなどの活動を行っていた。その後、彼らはGreenwald and Banajiと袂を分かった。

IATにまつわる机上の空論はその後も続いているが、彼らは現実世界での2つの特徴には無視を決め込んでいた。

政府や大企業など、可能な限り多くの黒人とヒスパニックを雇うようにと圧力を掛けられていない組織や機関を知っているという人は最早いないだろう。Fortune 500の実に90%もの企業が多様性担当課を設置しているとHoward Rossは語っている。連邦政府のEqual Employment Opportunity Commissionは従業員100人以上のすべての企業に対して職場の人種構成を報告するように求めている。黒人や他の「差別的待遇を受けているマイノリティ」が十分に雇われていなければ、連邦政府による捜査の対象となるということを雇用主は十分に知っている。Roger Cleggが2006年にU.S. Civil Rights Commissionで証言しているように、幾つかの会社では経営者の報酬が「多様性」の目標を満たしたかどうかに連結されている。その後も、多様性を求める圧力は強まるばかりだった。グーグルの経営陣の「目標と主な結果」には多様性を増加させることがターゲットに含まれている。ウォルマートや他の大企業は自分たちの弁護団にマイノリティの弁護士を含めるよう法律事務所に求めている。メディアは特定の企業や職業に対してマイノリティの雇用を増大させるよう総力を挙げて圧力を掛け続けている。シリコンバレーやハリウッド、エンターテイメント業界などが好まれるターゲットだ。企業や団体は、それこそ総力を挙げてそのような悪評が書かれることを避けようとするだろう。

大学では、ほとんどすべての学部でマイノリティを増加させることが義務付けられている。学部長は、入学を認められた生徒が十分に「多様」でなければキャンセルさせる権限を持っている。高校の上級生であれば全員が知っているように、黒人やヒスパニックは白人や中国人などの一部のアジア系より遥かに学力が劣る生徒であってもすべての大学で入学が認められている。例えばミシガン大学では、GPAやSATのスコアが黒人の中央値であるような一部のアジア系が入学を認められる可能性はゼロだ。同じスコアの白人が入学を認められる可能性は1%だ。アリゾナ州立大学では、黒人の平均スコアと同じ白人の生徒が入学を認められる可能性は2%だった。その平均的な黒人の生徒には96%で入学が認められる。このような優遇が大学院や特殊専門学校でも続けられる。UCLAやカリフォルニア大学バークレー校の法科大学院では、実際よりも400%以上の黒人の入学を認めている。カリフォルニアでは人種によって採用を決めることが法律で禁じられているというのに。2013年から2016年の間にメディカルスクールではスコアが低い黒人であっても57%が入学を認められている。だが同じぐらいスコアが低い白人が入学を認められたのは8%、中国人などの一部のアジア系は6%だった、とニューヨーク・タイムズのFrederick Lynchはレポートしている。このような優遇が存在する理由は、キャンパスを黒人やヒスパニックで埋め尽くしたいという欲望に他ならない。

同様の圧力が政府や非営利団体の中にも存在する。ニューヨーク警察では、昇進が裁量で決められるすべての役職では白人よりも黒人やヒスパニックが優先的に昇進される。例えば1990年代だと、黒人やヒスパニックは白人よりも5年早く刑事に昇進している。そして黒人やヒスパニックはチーフに昇進するのに白人の半分の時間で済んでいる。

それにも関わらず(これほどあからさまなアファーマティブ・アクションよりも、黒人とネガティブなワードとのほんのミリセカンドの遅れの方が)入学、雇用、昇進などに関してより強力で支配的な決定要因なのだと信じるようにと私たちは云われている。コンピューター・エンジニアリングのPhDを持つ黒人の女性が、例えばグーグルに面接に行ったとしよう。面接官は彼女よりも劣った白人の男性を採用するために彼女を雇わない理由を無意識のうちに探している、そのような馬鹿げた話を信じるように聞かされている。彼女のような人間は実際にはIT企業の間で奪い合いになるだろう。同じことが黒人の弁護士や会計士、ポートフォリオ・マネージャーなどにも言える。

先程も述べたように、大学ではほぼすべての学部でより多くのマイノリティを入学させることが義務付けられている。

差別がそれほど蔓延しているというのであれば、暗黙のバイアスの提唱者たちが簡単に指摘できるような被害者が大量にいるはずだ。彼らは誰一人それを指摘することができない。

肌の色が理由で入学を見送られた、もしくは断られた生徒を誰か知っているのかとAnthony Greenwaldに2度ほど尋ねたことがある。彼はその質問を無視した。Jerry Kangのアシスタントにも、同様の質問を2度投げ掛けた(もちろんKangに尋ねるようにだが)。アシスタントもその質問を無視した。Howard Rossは数百という大企業や大学で30年以上も多様性の指導を行っているスペシャリストだ。私は彼に、バイアスのせいで入学を認められなかったり昇進を認められなかった人を知っているかと電話で尋ねた。彼も1つの例も挙げることができず、「それを示す研究が山のようにある」と話をはぐらかしただけだった。

PricewaterhouseCoopersはCEO Action for Diversity & Inclusionと称するイニシアチブを先導している。これに署名した200人近いCEOが暗黙のバイアスの講習を従業員に対して受けさせると誓約している。実際にPricewaterhouseCoopersは5万人の従業員に対してこの講習を受けさせている。これほどの費用を掛けているのであればその行動は確かな根拠に則ってのものであるはずだ、そう考えた私はCEO Action for Diversity & InclusionのスポークスマンでありPricewaterhouseCoopersの人材活用課のメンバーでもあるMegan DiSciulloを尋ねていった。私は彼女に、PwCに雇われるべきであったが暗黙のバイアスのせいで雇われなかったという人を知っているかと尋ねてみた。

DiSciullo:バイアスが原因で雇われなかったという人は知りません。

Me:でもあなたの会社の人事課はバイアスが原因で誤った判断をしたのでは?

DiSciullo:私たちは、誰もが暗黙のバイアスを持っていると認識しています。私たちの会社では問題に対処するためのトレーニングを行っております。

Me:あなたの会社の人事課はバイアスのせいで正しい判断が行えなかったのでは?

DiSciullo:誰もが暗黙のバイアスを持っています。私は、雇われなかった人がいるとか昇進できなかった人がいるとは言っていません。ですが、それは職場の問題の一部でしかないのです。

Me:どういう風にですか?職場の人々は異なる扱いを受けているということですか?

DiSciullo:人々は暗黙のバイアスを持っていますが、その表れ方は人それぞれです。あなたは特定の「アジェンダ」を持っているように思われます。人々はバイアスを持っており、それを職場に持ち込む恐れがあるというのは事実として明らかです。会社はその事実を認識しよりインクルーシブな職場を形成したいと願っております。

Me:誰もがバイアスを持っているとは、一体何を根拠に言っているのですか?

DiSciullo:ハーバード・ビジネス・レビューを根拠にです。

CEO Action for Diversity & InclusionにはCisco、Qualcomm、KPMG、Accenture、HP、Procter & Gamble、New York Lifeなども賛同していた。これらの会社もインタビューの要請を断るか、(暗黙のバイアスが判断に影響を与えたか尋ねられた時には)沈黙しているかのどちらかだった。もちろん、訴訟を恐れているから沈黙している可能性はあった。だが彼らは暗黙のバイアスの被害者を誰も知らないという可能性の方がもっと高い。

暗黙のバイアスのせいで高学歴のマイノリティが採用や昇進を頻繁に断られているという非現実的な主張は、採用や昇進に関して人種を考慮に入れるようにとの凄まじいまでの圧力の存在と明らかに食い違う。暗黙のバイアスはこれらの圧力を上回って上書きするのかと、私はGreenwaldに尋ねた。彼はその質問に答えるのを避けた。「上書き」というのは間違った言葉です、と彼は返答した。「暗黙のバイアスは認識や判断の上からフィルターとして機能します。意識の外側で機能し、認識や判断を曇らせます」と回答した。さらに質問を投げ掛けると、制度や機関に対する圧力はそんなに強くない、アファーマティブ・アクションの多くは「有益な効果を生み出してはいない」と研究で示されているように、と彼は返答した。だが、職場で黒人などのマイノリティの割合が低い理由は採用条件を満たすマイノリティの割合がそもそも低いからとも考えられるだろう。

多様性の講習を行っている講師たちは、行動経済学を理由にどうしてアファーマティブ・アクションが暗黙のバイアスを上書きしないのかを説明している。人々は情報を合理的に使うことにしばしば失敗することを行動経済学が示したと云われている。「多くの判断は直感や感情に基づいてのものだということを私たちは今では知っています」というのが、優秀な黒人を大学が見逃すはずがないという質問に対するRossからの回答だった。シリコンバレーで多様性の講習を行っているNoelle Emersonは、会社は「完全には合理的に行動している訳では」ないので集団として差別を行いうると主張している。

だが、行動経済学で示されたという合理性分析の欠陥とやらはインセンティブによって十分に克服することが可能だ。マイノリティを雇い入れるようにとのあまりにも強い圧力の存在を考えると、暗黙のバイアスがそれを上書きすると主張している側に証明の義務があるように思われる。彼らの主張とは異なり、黒人は大学や企業などで巨大なアドバンテージを満喫しているというのが事実だ。

「多様性」を促進させるという試みが何十年も続けられたにも関わらず、企業などで黒人の割合は低いままだ。暗黙のバイアスの論文は数多くあるが、その理由に答えてくれるものは1つもない。その答えの1つが学力の格差だ。学力に格差がある時に採用される人種の割合を同じにするには、マイノリティを圧倒的に優遇する以外にはないだろう。

黒人の数学のSATの平均スコアと白人の平均スコアの違いは標準偏差で0.92離れていた。2015年の黒人の数学のSATの平均スコアは428で白人は534だった。

いつも決まったように繰り返される、所得の低さが原因だという主張もとっくの昔に否定されている。1997年でも、所得が100万円を下回っている世帯の白人の生徒が所得が800万円から1000万円の世帯の黒人の生徒をスコアで上回っている。

アファーマティブ・アクションの支持者たちは、SATは文化的に偏っており実際のスキルを測るものではないとずっと主張している。それが事実であれば、黒人はSATのスコアが示すよりも大学で良い成績を示すはずだ。実際には大学での成績の方が悪い。そもそも、数学のテストは批判者たちの主張とは異なり「文化的に偏って」などいない。例えば、カリフォルニアの黒人の生徒の54%は州が求める数学の基準に達していない(白人は21%で中国人などの一部のアジア系は11%だ)。カリフォルニアのコミュニティ・カレッジの代表は代数を卒業の要件から除外することを提案した。黒人とヒスパニックが授業についていけないためだ。カリフォルニアでは白人が54%、中国人などの一部のアジア系が65%卒業するのに対して、数学が原因で黒人の35%しか卒業できない。

読解力のSATのスコアでも数学と同じく黒人と白人とでは100ポイントの開きがある。批判者の主張とは異なり、これは文化的なバイアスによるものではない。平均的な黒人の12学年の生徒は平均的な白人の8学年の生徒の読解力しかない。カリフォルニアでは白人が16%、中国人などの一部のアジア系が11%なのに対して黒人の44%が州が求める基準に達していない。

SATと同様に、LSATでも読解力や論理能力が求められる。そしてLSATの方がSATよりも黒人と白人とのギャップが大きい(標準偏差で1.06)。これが文化的バイアスによるものだとすれば、LSATと黒人のロー・スクールでの成績には関係が見られないはずだろう。ところが、黒人の生徒の大半はそれぞれのクラスの下から10分の1に位置している(アファーマティ・アクションのおかげで)。黒人の生徒のGPAのスコアの中央値は白人の中央値の6%タイルに相当する。言い換えると、白人の生徒の94%は平均的な黒人よりも成績が良いことを意味する。このギャップもロー・スクールで教える教授の暗黙のバイアスのせいにすることはできない。ロー・スクールのテストのほとんどは今でも匿名で行われている。これは、テストを受けた人の属性が採点者から秘匿されていることを意味する。進級テストも同じくプライバシーが保護された上で行われている。もし黒人がロー・スクールの教授によって差別されているのであれば、彼らは進級テストではGPAが示すよりも良い成績を示すはずだ。Law School Admissions Councilが調べた結果によると白人が3%であるのに対して、黒人の22%は5回受けても進級テストをパスすることができない。それにも関わらず、法律事務所は黒人を相対的に多く雇い入れている。黒人に対する選好はあまりにも強力なので(白人の生徒よりGPAが少なくとも1標準偏差下回る生徒であっても)、企業は積極的に黒人を雇おうとしているというのが実態だ。

暗黙のバイアスの扇動者たちは、これらのことに関して沈黙を貫いている。これらの要因が社会経済的なギャップに関連していると思うかどうかを私はGreenwaldに尋ねてみた。バイアスは他にもあると、話をはぐらかされただけだった。「暗黙のバイアス以外にも、意図せざるギャップを生み出すバイアスがあります。例えば制度的な差別や自分たちの集団とは異なる人に対する疎外などです」。だがこの説明は、シカゴ連銀のエコノミストBhashkar Mazumderによってすでに疑問符が投げ掛けられている。彼はArmed Forces Qualification Testで示される認知スキルのギャップで黒人と白人の世代間流動性のギャップのほとんどが説明できることを示している。AFQTで同じぐらいのスコアであれば、黒人も白人も同じぐらいの世代間流動性を示す。黒人が差別されているのであれば、(同じぐらいのスコアの白人に対しては)より低い流動性を示すはずだ。ところがそうはなっていない。

(省略)

だが暗黙のバイアスの扇動者たちが最も迷惑を掛けているのは警察官に対してだろう。警察官は銃の使用をなるべく避けるために最初から様々な訓練を受けている。警察官は凶悪な犯罪者に対しても冷静でなければならない。犯人を落ち着かせ自首させるように訓練されている。警察官の中には自費でその訓練を受けている人もいるぐらいだ。だがこれからは暗黙のバイアス産業へと貴重なリソースを割かなければならないため、必要な訓練に割かれる時間も予算も削減されるだろう。暗黙のバイアスへの対処という無駄な訓練は、バイアスのせいで黒人の男が警官に射殺されているという存在しもしない問題に対処するためと称して行われている。

暗黙のバイアスに触発された講習などでは、人種間の犯罪率の違いなど変えることはできない。それこそが暗黙のバイアスのトレーナーたちがほとんど語らないことであると、ミズーリ州のChesterfieldで行われた3日間のトレーニング・キャンプに参加して私が感じたことだ。

36人ぐらいの警察官が、遠く離れたモンタナ州やヴァージニア州、ノースカロライナ州、ミシガン州、ケンタッキー州などからセントルイスの郊外まで講習を受けるために足を運ばなければならなかった。Lori Fridellは「暗黙のバイアスに似た」概念が現れた1990年代からバイアスの講習を行っている。暗黙のバイアスが大いに宣伝されるようになってからは、彼女のビジネスは一気に盛況になった。

3日間の講習の間に、参加者たちは18歳の巨漢の黒人少年ブラウンの射殺事件は暗黙のバイアスのせいだったと聞かされ続ける(彼は何度も警告した警察官に対して暴行を加え、銃を奪い取る寸前だった)。そして刑務所が黒人で一杯なのは、同じ犯罪であっても白人よりも黒人の方が長い刑期が言い渡されるからだと聞かされ続ける(犯罪歴を考慮すれば刑期は同じだと言うのに)。参加者たちはIATについても学ばされる。彼らはイギリスのテレビ番組に出演した歌手のスーザン・ボイルのビデオを見せられる。モーター・バイクに搭乗した若い女性の写真とスーツケースを持った女性役員の写真も見せられる。それから「アンハウスド」のステレオタイプ(直接には活動に関係しない、例えば逮捕令状に大人しく従ったなど)について書き出すように云われる。この一連の演習の狙いは誰もがステレオタイプに沿って行動するということ、人間であるということはバイアスを持っていることだということを身を持って学ばせることにある。講師たちは、これらのバイアスが彼らの命すら脅かすかもしれないと脅しを掛ける。写真の女性が暗殺者だったとすれば?

講師の1人、Sandra Brownはスタンフォード大学の心理学者、Jennifer Eberhardtの論文を彼らに教えている。内容はこうだ。スタンフォード大学の学生はパソコンに写し出された鈍器上の物体を見せられる。生徒たちは(その直前に黒人の顔を見ていれば)それを銃だと素早く正確に識別することが求められる。これを根拠に、警察官は黒人に対してバイアスを持っていると彼は説明する。警察官は武装した白人より武装した黒人の方を遥かに優遇していることがすでに明かされているというのに。どうしてそのようなバイアスが発生するのか?Eberhardtたちは、もちろん非合理的なステレオタイプのせいだと説明する。だが他の説明が頭をよぎる。客観的に言って、黒人はより犯罪を犯している。講習ではこの話が徹底的に避けられている。

それは「部分的には正しいです」とBrownは語る。「有色人種」はより犯罪に関わっていると。実際には、それが事実のすべてだ。犯罪は、ほとんどすべてが「有色人種」によるものだ。例えばNYCでは、発砲事件の98%は黒人とヒスパニックによるものだ。人口の34%を占める白人は2%以下でしかない。それらの数字は、事件の被害者や目撃者によるものだ。人口の23%を占める黒人はニューヨークの銃犯罪の71%を犯している。黒人と白人がそれぞれ人口の3分の1ずつを占めるシカゴでは、黒人が発砲事件の80%を犯しているのに対して白人は1%ぐらいでしかない。このパターンは、アメリカのすべての場所で共通している。もし発砲事件があったとしたら、その犯人は黒人もしくはヒスパニックである可能性が非常に高い。そして犯罪の被害者も黒人もしくはヒスパニックであることが多いので、その被害者も恐らくは黒人もしくはヒスパニックだろう。もし大衆が黒人から暴力犯罪を連想させているというのであれば、その連想を呼び起こさせているのはこの事実だろう。

講習の2日目に、参加者たちは質問を投げ掛けることが許可された。「黒人の警察官が黒人に対して発砲をした場合についての論文はありますか?」と黒人の警察官が尋ねた。「もし私が黒人に対して発砲したとしても誰も怒らないでしょう。でももし白人の警察官が発砲したとすれば、パンデモニウムが誕生するでしょう」。

地元から参加した警察官は、BLMが幅を利かせる現在の最大の懸念である警察の無力化という現象に言及した。発覚した窃盗犯の75%は黒人(この地域の黒人の人口は2.6%)だと彼は語る。「私たちは警察の無力化に直面しています。暗黙のバイアスを騒ぎ立てる人たちがいるのに、警察官に窃盗犯を逮捕しろとは言いにくいです」。それが現在の警察官が抱えるジレンマだ。法律を守ろうとすれば、暗黙のバイアスを騒ぎ立てる人たちの格好の餌食となる人種的に圧倒的に偏った逮捕歴がどうしても生まれてしまう。だがその偏りを生み出しているのは犯罪自体の方であって、バイアスではない。

講習では、このジレンマを解消する方法は一切提示されない。「そのような質問に回答することは難しいことです」とBrownは言う。もう一人の講師であるScott Wongは一般論に逃げ込んで回答をはぐらかした。「警察官であればこの問題に対処しなければなりません。(人種的に偏った)暗黙のバイアスがあることを認め、それが自分たちにどのような影響を及ぼしているのかを考えるべきです」。だが、ほとんどの警察官はステレオタイプに基づいて行動などしていない。Joshua Correllは、黒人の犯罪者と対峙している時に警察官の緊張度がより高まっていることを示している。それは、過去10年間の警官殺しの42%が人口の6%を占めるに過ぎない黒人男性によるものだからだろうか?それとも発砲事件のほとんどが黒人によるものだからだろうか?このような犯罪率の偏りが解消されない限り、大衆が抱いていると云われる黒人と犯罪との「ステレオタイプ的な」連想は正当化されるし心理的にも避けられないだろう。

暗黙のバイアスの扇動者たちは自分たちを十字軍と見做しているが、実際はアジェンダに突き動かされているに過ぎない。Banajiは本当に自らを正義の使徒だと考えている。Jesse Singalに宛てたメールで、彼女はIATを厳密に検証しようとした心理学者たちの信頼性と動機の両方を攻撃した。「専門家ではない人々からのコメントを読むつもりはありません」と彼女は記している(ほとんどが彼女と同じ心理学者だというのに)。「心理を学ぶことによって自分たちの行動が正しい方向へと導かれるのではないか?それを恐れる人々がいるということでしょう。幸いなことに、無視できるほどにわずかな人々ですが」。批判者たちはIATに対する攻撃を止めて、自らの内側に存在する「内なるセラピスト、もしくは内なる牧師」と向き合うべきなのですと彼女は提案した。Kangは批判者たちを「白人がすべてを支配する社会を良しとする」ビジョンの持ち主だと非難し、金銭的動機が(IATに対する批判の)背後にあると糾弾した(彼ら自身が「高給」で講師として雇われているということ、Greenwaldは裁判で専門家として給料をもらいながら証言していること、などは彼らの頭の中からは都合よく忘れ去られるのだった)。

黒人が、アメリカで暮らす中国人のように振る舞いだしたと仮定しよう。彼らが(中国人と同じ程度には)学校をサボらなかったとしたら、授業に集中したとしたら、宿題やテスト勉強をしたとしたら、犯罪に手を染めなかったとしたら、仕事をすぐに辞めなかったとしたら、結婚もせずに子供を生んだりしなかったとしたら、そしてそれでもなお社会的、経済的格差が残ったままだとしたら、その時になってようやく暗黙のバイアスに原因を求めることが正当化されるだろう。だが行動面でのギャップがこれほどまでに大きい現状では、ミリ・セカンドの反応の遅れは単なる脇役でしかない。

2017年12月8日金曜日

経済学者の質が急速に低下している?(もしくは最初から高くなかった?)Part5

以前、ブラッド・デロングは対数を習わなかったのか?という記事でも紹介したように、規制緩和をイデオロギー的に嫌う人たち(ジェフリー・サックスなど)はヘリテージ財団やフレイジャー・インスティテュートの経済的自由指数を目の敵にしている傾向にある。今度のはそれとは少し様相が異なるようだが、批判の内容に誤りが多く見られると思われたのでEd Doranという経済学者の記事を取り上げてみた。

The Trump administration is at war with the regulatory state. The fight is most intense at the Environmental Protection Agency (EPA), where Administrator Scott Pruitt is reportedly accompanied by armed guards even within the EPA building, 

イギリスの例でも分かるように、規制緩和は文字通り命掛けの作業だ(脅しや嫌がらせは当たり前、殺害予告や実際に命を狙われた人もいる)。

At a glance, the data from Heritage and Fraser do suggest that regulation has a negative effect on prosperity. Consider, for example, the following scatterplot of data from the regulation component (H-REG) of the Heritage index of economic freedom against the Social Progress Index (SPI). The SPI comprises a large number of indicators that cover nutrition, health, education, personal safety, individual freedoms and other elements of human well-being. Data from both sources are available for 131 countries.

その関係をグラフにしたのが、これだという。


That can be taken to mean that a statistically significant 46 percent of the variation in social prosperity in our sample is explained by variation in the regulation index.

説明したいことなので、念のため。

Although the chart shows how large a part of the variation in prosperity is “explained,” in a statistical sense, by variations in regulation, correlation is not the same as causation.

ほぼ定型文なので、このあたりはパス。

The first step is to control for the effect of differences in per capita GDP among countries in the sample. It turns out that all of our measures of economic freedom, regulation, and prosperity correlate positively with per capita GDP. For example, the R-squares with per capita GDP are 0.38 for the Heritage regulation index and 0.64 for the Social Progress Index, both statistically significant. How do we know, then, whether a given country’s relatively light regulatory regime is the cause of its greater prosperity, or whether that country’s scores on both variables are high simply because it is wealthy?

ここからが問題だ。経済的自由度とSPIはともに一人あたりGDPと強く相関しているので、経済的自由度とSPIに見られる関係は第三の変数(この場合は一人あたりGDP)がもたらした偽の相関だという主張(少なくともバイアスがある)だ。だから一人あたりGDPで制御しないと両者の本当の関係は分からないという。最初は冗談を言っているのかと思って最後までよく見てみたがどうやら冗談ではなかったようだ。

取り敢えず、経済的自由度(ここでは規制緩和度と解釈する)と一人あたりGDPに因果関係があると仮定しよう(ブラッド・デロングに関する以前の記事を参照)。経済的自由度が上昇するとGDPが増加すると仮定する。このGDPの増加はそもそもが規制の緩和によってもたらされたものだ。それだというのにこの批判者はこの増加したGDPを使って経済的自由度(規制緩和度)とSPIを制御するといっている(バイアスを取り除いているのではなく規制緩和度を不当に罰することによって逆にバイアスを掛けている)。ようするに経済的自由度とGDPに何らかの関係があると思われる時には、GDPを安易に制御変数として使ってはならない(経済的自由度とSPIの間に直接的な因果関係がないというのはその通りだろうと思う。紛らわしい書き方をして誤解させたヘリテージ財団も悪いかもしれない)。

As we saw earlier, simple correlation of the Heritage regulation index with the social progress index gave an R2 of 0.46. However, the partial correlation of H-REG and SPI, controlled for GDP per capita, yields an R2 of just 0.15. That is still statistically significant, but it turns out that more than two-thirds of the apparent ability of a light regulatory regime to “explain” social progress is due to the fact that both variables are highly correlated with income. 

そのような方法で分析を行えば、十分に予想される結果だ。

But, even the modest partial correlations we get when we control for income do not necessarily reflect causal relationships. We next need to account for the interactions of regulation with other components of the economic freedom before we draw any conclusions about the effects of any one component considered in isolation.

まだ話は終わっていないらしい。

For example, the Heritage Index of Economic Freedom has four major components in all, which cover rule of law, size of government, regulation, and openness of the economy to trade. A simple correlation of the full Heritage index with the Social Progress Index gives an R2 of 0.70, suggesting that variations among countries in economic freedom jointly explain 70 percent of variations in social progress. Yet, when we run simple correlations separately for each component, we find that rule of law alone explains 10 percent of the variation in SPI, size of government explains 46 percent, regulation explains 51 percent, and openness explains 72 percent. The four variables, in total, would seem to explain not 70 percent, but 180 percent of the variation in SPI. The fact is that the simple pairwise correlations exaggerate the explanatory power of each individual variable because they fail to take into account the way the variables interact in determining the relation of economic freedom as a whole to social progress.

ヘリテージの経済的自由度は4つのサブ・カテゴリーから構成(法の支配度、政府の規模、規制緩和度、貿易の自由度)されていて全体でSPIの70%を説明する。だが部分であるはずの法の支配が10%、政府の規模が46%、規制緩和度が51%、貿易の自由度が72%で合計でSPIの180%を説明してしまうから全体指数(経済的自由度)は説明能力が誇張されているという主張だが、単純に足しては駄目なような…経済的自由度は恐らくは単純に4つの指数をすべて足して4で割って作成されているだろうから(もしくは何らかの重み付けがされている)、そのような計算が許されるのであればSPIの43%程度を説明しているに過ぎず(それぞれの寄与度が4分の1にカット)誇張されているという批判は当たらない。

ヨーロッパで3万人以上の移民が殺害された?

The ever-rising deadly toll of Europe’s insane migrant policy

Nicola Gelinas

恐ろしい数字だ。地中海では2408人、アフリカ北部では365人、ヨーロッパでは35人が亡くなっている。

ヨーロッパの移民に対する政策がわずか7ヶ月でこれだけの死亡者を生み出している。ヨーロッパの入管管理システムは難民にも経済移民に対しても残酷なものだ。

2年前に、ドイツの首相アンゲラ・メルケルは辿り着いた先の港で求められていた難民申請登録に係る要件を不注意にも停止してしまった。それにより難民たちはさらに西へと移動することが可能になった。ドイツの住民権を与えると暗に約束したことがさらなる混乱を招いた。

メルケルの政策はイスラム国から逃れたシリアの難民だけに限定されるはずだった。だが彼女のメッセージは世界中に届いてしまった。その年に、100万人近くの人々が海を渡ってヨーロッパを目指した。何割かの難民は無事にドイツへと辿り着けた。35万人以上のシリア人が難民申請を行ったということになっている。だが誰が入国したかの記録がないために、それが本当にシリア人であったのかを確認することは不可能になっている。

先週、モロッコから小さなボートに乗った「大勢の」移民たちがスペインの海岸線へと辿り着き走り去っていったと目撃者たちは語っている。それと同じ日、まったく同じ海路で、ヨーロッパの政府職員は海を漂っていたアフリカからの移民25人を救助した。

それと同じ週に、パリのエッフェル塔付近に停車していたバスの下に隠れていたスーダンとエリトリアからの3人の密航者を運転手が見つけている。彼らはイギリスまで密航するつもりだった。

移民がどこから移動し、そして誰なのかがどうして重要なのか?困難な移動に肉体的に耐えることができる人だけを受け入れる政策は誰も幸せにはしない。

ヨーロッパの政策は、危険な砂漠や海を渡っている間中、人身売買業者に捕まる恐れのある旅に耐えることができる、屈強な男だけに優位に働いている。

多くの人はその旅に耐えることができない。信頼できるレポートによると、人身売買業者は人々を何ヶ月も閉じ込め、奴隷として売りさばき、もしくは彼らをお互いに殺し合わせているという。

これに耐えることができる人々だけを優遇しているヨーロッパの政策は残酷としか言いようがない。残された家族や高齢者、病人、性的暴行に晒される恐れのある女性や少女、旅費を払うことのできない貧しい人々を無視しているという点でも残酷だ。

ヨーロッパのシステムは大部分を占める経済移民と難民を区別することにも失敗している。

イタリアでは、数千という少女が旅費を支払うために売春を強要されている。奴隷として扱われている彼女たちはコンドームを着用することを拒否する男たちのせいでHIVに感染している。そして彼女たちは絶え間ない暴力に晒されている。「1994年から1998年の間に、少なくとも116人のナイジェリアの少女たちがイタリアでは殺害されている」。

難民申請者たちの多くは押し出されたのではなく、むしろ引き寄せられた。ヨーロッパが提供した非現実的な約束によって。

このまま手をこまねいていれば、貧困と難民人口の増大によってこの問題はますます大きくなるばかりだろう。

ヨーロッパの対応はほとんど改善していない。フランスの新しい大統領Emmanuel Macronは数千人の難民に62のホテルをあてがって閉じ込めた以外のことはしていない。他にしていることといえば、移民の人数が減少するのを待っているぐらいだろう。

(以下、省略)

2017年11月11日土曜日

結局イラクに大量破壊兵器はあった?

Uncomfortable Truths: Explaining Away Iraq’s Real WMD

Kim R. Holmes

イラクの大量破壊兵器が再び取り上げられるようになった。ニューヨーク・タイムズはアメリカ軍が5000の毒ガス兵器を搭載した弾頭、爆弾などをイラク攻撃が始まって以降見つけていると伝えた。先週はワシントン・ポストが、イスラム国がイラクの警察に対して毒ガス攻撃を行ったと伝えている。

一体どうなっているのか?イラクに大量破壊兵器が存在すると「ブッシュ大統領は嘘をついた」と私たちは聞かされ続けたのではなかったのか?今度はその数は数千に及び、人々を殺傷するのに十分なほど強力だと聞かされ続けている。

ニューヨーク・タイムズの記者は新たに回収された大量破壊兵器は1991年以前に製造されたもので、ブッシュ政権が「イラク攻撃の口実とした」大量破壊兵器プログラムの証拠として数えるべきではないと主張している。

その記事は言及するのを避けているが、国連の安全保障理事会はイラクに存在するすべての大量破壊兵器の在庫を、いつ製造されたかに関わらず破壊することをターゲットとしていた。それら大量破壊兵器が存在しているという事実は、幾つもの国連決議の上に課せられた武装解除の義務をサダム・フセインが破っていたということをはっきりと証明している。

そしてサダムがまさにその停戦合意に違反しているというのがブッシュ政権の国連に対する訴えだった。

サダムはイラン-イラク戦争の時に毒ガス兵器を使用した。1988年の3月に、サダムは自国民に対しても毒ガス兵器を使用し5000人のクルド人を殺害している。国連の安全保障理事会はイラクに対して幾つもの国連決議を通過させた。1991年の4月3日には、安全保障理事会はイラクに対してすべての大量破壊兵器とそれを運搬するミサイルの破壊を求める決議687を採択した。United Nations Special Commission (UNSCOM)はイラクにこの決議を遵守させるために設立された。

ブッシュ政権の交渉により採択された決議1441ではイラクが決議687の下で求められた大量破壊兵器プログラムの「正確で、一部ではなく全体像を示した、最終的、完全なる情報公開」を未だに行っていないことが問題だった。

最大の問題はイラクの大量破壊兵器プログラムがアクティブかどうかではなかった(以前の査察からサダムの大量破壊兵器製造プログラムによって大量の在庫が生まれていたことを国連は知っていた)。最大の問題はそれがどうなったかだ。アメリカの諜報機関の情報の正確性や妥当性は安全保障理事会にとってそれほど重要ではなかった。

UNSCOMの下部組織、United Nations Monitoring, Verification and Inspection Commissionの代表であるHans Blixもそれを認めている。彼は隠し持っていることが知られている大量破壊兵器の大量の在庫の行方をイラクが説明しないことに苛立ちを露わにしていた。彼は大量破壊兵器プログラムの全貌が明らかにされないことを「恐らくは、私たちが直面している最も重要な問題」と表現していた。

一旦イラク攻撃が始まると、すべては現在も稼働中のプログラムを見つけるためだったにすり替えられた。ブッシュ政権が不注意にも育つことを許したおとぎ話だ。馬鹿馬鹿しいまでにサダムが安保理決議に従っていなかったのだとしたら、今頃は一体どんな恐ろしいことが起こっていたのだろうか?

大量破壊兵器の在庫が見つかったという事実は「ブッシュ大統領が嘘をついた」というおとぎ話と明らかに食い違う。アメリカは安全保障理事会の場でサダムは査察の義務に違反しているとずっと主張し続けていた。アクティブなプログラムがあるとアメリカが提出した証拠の幾つかは誤りだった。だが国連が問題にしていたのはそれではなく、サダムが国連によって課せられた義務を遵守していないという事実の方だった。普段は国連のすべての言葉を聖歌のように受け止めている人たちだというのに不思議なことだ。

Show This Column to Anyone Who Claims Bush Lied about WMDs in Iraq

John Hawkins

リベラル派はブッシュ大統領の在任中ずっと「ブッシュは嘘をついた」とマントラのように繰り返していた。

そもそも、外国の諜報機関もサダム・フセインがアクティブな大量破壊兵器プログラムを持っていると考えていた。「ドイツ、イスラエル、ロシア、イギリス、中国、フランスの諜報機関」すべて、サダムが大量破壊兵器を保有していると考えていた。CIA長官ジョージ・テネットもイラクに大量破壊兵器が存在したことは「間違いない」と語っていた。

「アメリカの諜報機関によって傍受されたプライベートな会話の中で、イラクの高官がサダムが大量破壊兵器を保有し続けていると語っていた、イラクの将軍も彼が保有していると思っていた、イラク軍は毒ガス兵器から身を守る防御スーツを着用する軍事演習を実施した、だがそれはアメリカが率いる連合軍が毒ガス兵器を使用すると考えていたからではない」という情報を得ていたのであれば、CIAがそのように結論するのも無理はない。

ブッシュ大統領と同じ情報を送られていた多くの民主党の議員たちも同じ結論に達し、それをはっきりと語っていた。もしブッシュ大統領が嘘をついたと思うのであれば、ビル・クリントン、ヒラリー・クリントン、アル・ゴア、ジョン・ケリー、ジョン・エドワーズ、ロバート・バード、トム・ダッシェル、ナンシー・ペロシ、バーニー・サンダースも同様に嘘をついていたということになる。

バーニー・サンダースやヒラリー・クリントンだけを責めることはできない。国連の前査察官でさえもが同じことを言っていたのだから。このことはクリントン政権の国家安全保障会議で働いていたKenneth Pollackの発言によって確認できる。

『私はイラクの大量破壊兵器に関するワシントンでの会議に出席した。その会議には国連のUnited Nations Special Commission (UNSCOM)から20人近い前査察官が出席していた。その中の1人の高官が出席者に向かってある質問を投げ掛けた。「この中に現在イラクが秘密の遠心分離プラントを稼働させていないと思っている方は一人でもいらっしゃいますか?」。誰一人、疑っていなかった』

それも、ニューヨーク・タイムズが最近になって渋々認めたように、大量のWMDが実際にイラクで見つかっている。

2004年から2011年の間に、アメリカ軍と彼らによって訓練されたイラク軍はサダムによって製造された大量破壊兵器に繰り返し出くわしている。

それに加えて、「アメリカ軍は大量破壊兵器を搭載した弾頭や爆弾などを5000以上秘密裏に回収していたことが、回収の参加者やイラクとアメリカの高官に対するインタビュー、Freedom of Information Actによって公開された機密文書などによって明らかにされた」

サダム・フセインが自分のしていたことを必死で隠そうとしていた理由の1つは、彼が実際に大量のWMDの在庫を隠し持っていたからだ。だがそれだけがすべてではない。サダムはアクティブなWMD製造プログラムを持っていないというのがIraqi Survey Groupの結論だったとしても、それはまったくといっていいほど意味を持たない。

David Kayが2003年に自身のレポートの中で記しているように、

「新しい大量破壊兵器を製造するのにどれぐらいの時間が掛かるのかとサダムは軍の幹部に尋ねている。(WMDの専門家に尋ねた後で)彼はマスタード・ガスを製造するには6ヶ月もあれば十分だと答えた」

「ウダイ・フセインに尋ねられた他の専門家はマスタード・ガスを製造するのには2ヶ月、サリンを製造するには2年ぐらい掛かると返答した」

「在庫が残っていれば、製造ラインを1週間でアンスラックスの製造に切り替えることができると保証した」

「イラクの核兵器製造プログラムに関して、イラクの専門家や政府の高官から得た証言からサダムは最後まで核兵器を欲していたことが疑問の余地なく明らかにされている」

「これらの専門家や軍でプログラムを指揮していた人間は例外なく、サダムが大量破壊兵器を欲し続けていたと証言している。彼らの多くはサダムや彼の子どもたちから毒ガス兵器の製造にはどれぐらい時間が掛かるのかと繰り返し質問を受けていたことを認めている」

Duelferレポートにも、サダムがより大量のWMDを製造するつもりであったことが記されている。

「M16は数種類もの毒ガス兵器を製造する計画であったことが複数のソースによって示されている」

これらの事実と照らし合わせると、CIA長官からバーニー・サンダース、イギリスに至るまで全員がサダムが大量破壊兵器を持っていたと考えても驚きではない。それにも関わらず、ブッシュ大統領が嘘を言ったかのように糾弾されている。

Iraq's WMD: The Shameless New York Times Moves the Goalposts

Larry Elder

メディアが伝えるところによると、『ブッシュ大統領によって送られた諜報機関の予想とは異なり、大量破壊兵器の「在庫」は見つからなかった』

イラク攻撃の開始までに15ヶ月間の猶予があったことはメディアは一切考慮しない。イラク軍の前将軍Georges Sadaは2003年に攻撃が始まるまでの間に大量のWMDが陸路と空路によってシリアへと運び込まれたと、ずっと前から主張し続けている。国家安全保障局長官のJames Clapperも大量破壊兵器があると思っていたと語っている。だが大統領によって送られた「ウェポン・ハンター」は在庫を見つけられなかった。

ブッシュ大統領はまるで騙されたかのように見えた。

彼が嫌いな批評家たちは「ブッシュは嘘つきだ」とマントラのように繰り返し続けた。攻撃が始まる前の諜報活動について質問を受けたテッド・ケネディ議員は「私たちは何週間も何週間も何週間も嘘、嘘、嘘を聞かされ続けていた」と答えた。批評家たちは兵士の犠牲とお金が無駄になったと批判した。

そして現在、「イラクの毒ガス兵器による隠された負傷について」と題する10000単語、8部に渡るニューヨーク・タイムズの記事が突然に現れた。「アメリカ軍は大量破壊兵器を搭載した弾頭や爆弾などを5000以上秘密裏に回収していたことが、回収の参加者やイラクとアメリカの高官に対するインタビュー、Freedom of Information Actによって公開された機密文書などによって明らかにされた」と記事には書かれていた。

それも、兵士たちは大量破壊兵器のことを秘密にしておくように云われていた。

『兵士たちや政府関係者たちは彼らが見たものについて黙っているか、偽りを言うように云われていた。「重大なものはなかった」と言うように命令されていました、と最近退役したJarrod Lampierは語った。彼は、地中に埋められていた神経ガスを詰め込んだ2400発以上のロケットを見つけている』

『マスタード・ガスを詰め込んだ砲弾を処理した(その時に2人が負傷している)Jarrod L. Taylorは、「存在していないはずの兵器から怪我を負った」と冗談を語っている。国民は、10年以上も欺かれ続けていると彼は語った。イラクに毒ガス兵器は存在していなかったんだ、と人々が言っているのを聞くのが好きです、と彼は語った。『実際には大量にあった』と語った」

これは、ニューヨーク・タイムズ以外から情報を入手している人間にとっては驚きでも何でもない。2010年のウィキリークスのリークの後に、「ウィキリークスによって新たに公開された文書によると、アメリカ軍は何年も前から毒ガス兵器製造の実験場、毒ガス部隊、隠された大量破壊兵器に繰り返し遭遇していたという。特に毒ガス兵器は、イラクの戦場から消えてはいなかった。毒ガス兵器の在庫は存在し続けたままだった。ジハーディストたち、反乱軍、外国のエージェント(恐らくはイラン人)はこれらの在庫を必死に求めた。恐らくは悪事を企んでいるに違いない」とWiredは書いている。

それにも関わらず、ニューヨーク・タイムズは「新たに見つかった大量破壊兵器はブッシュ政権の攻撃の理由を正当化するものではない」と未だに主張している。意味が分からない?ニューヨーク・タイムズによると、見つかったWMDは「古く」、「劣化していて」、「アクティブな」兵器製造プログラムによるものではないからだという。「アクティブ?」

だがニューヨーク・タイムズの爆撃記事が現れる数日前に、MSNBCのRachel Maddowはどうして彼女はブッシュ大統領が「嘘をついた」と思うのかを再び言い直している。その中で彼女は「アクティブな兵器プログラム」は言うに及ばず、一度でも「アクティブ」という単語を発しただろうか?

「未だに…右寄りの人たちにですが…現実にサダム・フセインが本当に大量破壊兵器を保有していたと信じている一向に学習をしない変人じみた人たちがいます。彼は持っていたに違いありません。ジョージ・ブッシュが間違うはずがありません。変人だと言ったのは…なんとそのジョージ・W・ブッシュ自身が自分は間違っていたと認めているからなのです。イラクは大量破壊兵器を保有していませんでした…」

「選挙が4週間後に迫っています。今日は私たちの政府が、イラクの大量破壊兵器に関する話はすべて嘘だったと公式に認めてから丁度10年目です。嘘だったというような糾弾ではないのです。嘘なんです。私たちは嘘だったと認めたんです」

それから彼女は、すぐさま壇上に飛び乗った同僚のLawrence O'Donnellにバトンタッチした。だが彼も、彼女と同様に、「アクティブ」などという言葉を発しなかった。「レイチェル、これは本当のことだとは思いたくないんですがね…あなたのために予言をしてあげましょう。(笑いが起こり始める)イラクに大量破壊兵器があったと信じている共和党員に関してはあなたが最後に言ったことは当てはまっていませんよ」(会場が笑いに包まれる)。

イラクに大量破壊兵器があったということを私たちは今では知っている。

ニューヨーク・タイムズ、民主党員、MSNBCは、正しいことを行ったというのに批判者からは叩かれるだけだったブッシュ大統領に謝罪すべきだ。

NYT: Iraqi WMD Existed And The CIA Bought Them

By streiff

ブッシュ政権はリベラルからの言い掛かりにどうして反論しないのかというのが謎の1つだった。このことが最も深刻な影響を与えたのはイラクのWMDに関する問題だった。イラク攻撃の際に語られた理由の1つはサダムが毒ガス兵器を保有しているということだった(核兵器開発の可能性も)。

ブッシュ政権は攻撃の間、WMDを見つけることができなかった。メディアは「ブッシュは嘘をついた」と繰り返し唱え続けた。イラクに大量破壊兵器は存在しなかったというのは政治の世界では既成事実と成り、その結果共和党は議席を失った。ブッシュ政権は最後の2年間を危険なほどに愚かな民主党員が過半数を占める議会の相手をしなくてはならなかった。そして、ホワイトハウスは頭が空っぽでご都合主義の反米主義者の手に渡されることになった。

だが、そのダムが崩壊を始めている。

ワシントン・ポストは、アメリカ軍の兵士がイラクでWMDによって負傷していると伝えた。存在しないものによって怪我を負うのはとても難しいことだ。今度はニューヨーク・タイムズが、WMDが見つかっているだけではなくそれを買い取るプログラムまで存在していると伝え始めた。

「アメリカ軍と共に行動していたCIAは、イラク人から神経ガスが詰め込まれたロケットを繰り返し購入していたことを明らかにした。アメリカ政府高官の話によると、イラクに存在している毒ガス兵器がテロリストたちや軍隊の手に渡らないようにするために秘密にされていたプログラムの一環だという」

Operation Avariceと呼ばれる、この前例のないほどの兵器買い取りプログラムは2005年に始まり2006年にも続けられている。そして軍はこれにより大量破壊兵器の拡散は阻止されたと見做している。そのプログラムのお陰でサダム・フセインのバース党が1980年代に製造していたが、国連の査察の対象からは外されていた国際的に最も非難された毒ガス兵器の1つ、ボラックロケットを少なくとも400発回収し破壊することができた。

それらの兵器は錆びたスクラップなどでは決してなかった。神経ガスが詰め込まれた弾頭は壊滅的なだけでなく10年間の保管の後に予想されていたよりも高い殺傷能力を有していた。このことは予想よりもより洗練されていた兵器プログラムが存在していたか、湾岸戦争以降も兵器の製造が続けられていたことを示唆する。

ブッシュ政権で「大量破壊兵器が存在しない」というおとぎ話に反論しないことを決めたのが誰であれ、National Press Clubの前で自殺のフリでもしてみるべきだ。彼らにバラク・オバマ当選の責任があるのだから。

ビン・ラディン文書はバラク・オバマによって故意に隠された?

The Big Reveal: The Story of How 470,000 Documents from Osama Bin Laden's Compound Finally Got Into the Open

By Steven Hayes

バラク・オバマがホワイトハウスを去って24時間も経たないと言うのに、国家情報長官のJames Clapperは彼の所属していた組織が以前から非難の対象に晒されていた問題に関して声明を発表した。Office of the Director of National Intelligence (ODNI)は「ビン・ラディンが残していた文書の残りすべて公開する」と堂々と宣言した。だがODNIは、「パキスタンのアボタバードに潜伏していたビン・ラディンの邸宅を占拠した時に回収した数百ページに及ぶ文書を、公開するための2年と半年に渡る努力が今日で終わりを告げた」と、とっくの昔に語っていたはずだった。その時に公開された文書は結局は49ページで、これまでに公開された文書はそれを加えても571ページだった。

アボタバード文書(資料)にまつわる論争に少しでも関心を持っていた人にとっては(不思議なことにほとんどのジャーナリストはこの対象から外れるのではあるが)、ODNIの宣言は笑いを引き起こすものでしかなかっただろう。ビン・ラディンに関する論争を終わらせる?最後のアボタバード文書?

2011年の5月2日にアボタバードのビン・ラディン邸を占拠したそのすぐ後に、国家安全保障アドバイザーのTom Donilonはパキスタンから持ち帰った文書のことを「小さな大学であれば図書館が一杯になるほど」だと形容していた。2011年の5月7日に記者に対してブリーフィングを行った国家情報局の高官は「これまでで最大規模のテロリストに関する情報を持ち帰った」と語っていた。

ODNIはどうしてそのようなあからさまな嘘が通ると思ったのか?アボタバード文書はテロリストに関するこれまでで最大規模の文書だという繰り返された発言とたった571ページしか公開されていないという矛盾を誰一人として問い詰めないと彼らは本気で考えていたのか?

答え:自称「歴史上これまでで最も透明性の高い政権」は5年以上もアメリカ国民を欺き続けその代償をほとんどと言っていい程払っていない。共和党員はオバマのより滑稽な主張の方、ベンガジでのテロ攻撃は(アメリカ人映画監督が撮影したという映画に対する)抗議活動が間違った方向に向かってしまっただけだ、アルカイダは逃走している、ISISはテロリストの2軍だというのにメディアや特にブッシュ前大統領などがその脅威を誇張している、などに怒り心頭なあまりオバマの嘘を支えていた諜報機関の方にほとんど関心を払っていなかった。

このような状況の下では、ODNIの賭けもそれほど分が悪いものではなかった。テロリズムの専門家や諜報を専門としている少数の人間を除いては誰もビン・ラディン文書の行方にほとんど関心を払っていなかった。大統領が入れ替わるというただでさえ忙しい時にODNIの発言が注目を集めるという確率は低かっただろう。ODNIは、彼らの馬鹿げた主張に寄せられた質問を興味なさそうに切って捨てた。公開されなかった文書は興味深いものでも重要なものでもなかった、誰も興味を持たないようなテロリストたちの戯言が綴られているだけだった、アルカイダや他のジハーディストたちに関する理解を深めてくれるものではなかった、などなど。

諜報活動の政治利用とはまさにこれのことだろう。

共和党の予備選挙が終わろうとしていた2012年の初め頃のことだ。オバマの国家安全保障局(NSC)はWest PointにあるCombating Terrorism Center(テロリズム対策センター)へと(分析の為に)送られる17の文書を選び出していた。NSCはそれらの文書のうち2つを手元に残しておいた。そのうちの1つ(アフガニスタンのタリバンとアルカイダとの密接な関係を暴露した)はオバマ政権が立ち上げたタリバンとの交渉開始を難しくさせただろうと、NSCのDoug LuteがWest Pointに宛てた説明には記されている。ウェスト・ポイント文書はバラク・オバマと友だち関係にあるジャーナリストたちには広く公開された。彼らの結論は最初から決められていた。ビン・ラディンは苛立ちを募らせており孤立していた、崩壊しつつある組織の無力な指導者だった、などだ。バラク・オバマは自身の再任の理由として安全保障ではこれをテーマに選挙を戦うつもりでいた。アルカイダは「逃走しつつある」、「弱体化された」、「敗走の道をひた走っている」など。

「兵士たちのおかげでイラクでの戦いは終わりました。アフガニスタンでの戦いは終わろうとしています。アルカイダは弱体化しました。オサマ・ビン・ラディンは死亡しました」とオバマは再任の5日前にウィスコンシン州のグリーンベイで語っている。

その2ヶ月前にアルカイダと密接な関係にあったジハーディストたちによってベンガジが攻撃されたにも関わらず、彼は自分の主張を考え直そうとはしなかった。その攻撃から選挙までの間に彼は12回以上アルカイダの崩壊を主張し続けた。

ビン・ラディンが死亡してから数週間の間は、アボタバード文書は貴重な情報源として必要性の高い政府機関の下へと即座に送り届けられていた。その当時の機関同士の素早い連携は、アルカイダ主要幹部たちの逮捕や殺害へとつながる貴重な情報を生み出すことになった。だというのにその文書は数ヶ月の間突然、誰の目にも触れることはなくなってしまった。オバマ政権のアボタバード文書に対する関心は自身の再選のため以外にはほとんど存在していなかったということが今であればはっきりと理解できる。ようするに、文書の完全公開はオバマ政権の主張を完全に揺るがしていただろうということだ。

結果として、アボタバード文書の多くは一度も翻訳されなかった。それぞれの情報機関は文書に対するアクセス権を巡って長い戦いを続けていた。国防情報局はその文書に対する「管轄権」を保有していたCIA、それも2012年の4月にアルカイダは10年も経たないうちに崩壊しているだろうと予想した(オバマ信者の)John Brennanによるサボタージュが行われていた、に文書に対する完全なアクセスを繰り返し拒否されていた。

情報機関は自身が保有するアルカイダに関して集めた情報を、アボタバード文書を使って検証することが一度もできなかった。「(その文書を下に)検証する機会は一度もありませんでした」とその文書に関わったことのある情報機関のある高官は語っている。その文書を目にすれば、アルカイダやその指導者に関して情報機関が知っていたと思っていたことと現実の間にずれがあったのかなどを確認することができるはずだった。誰が良い情報提供者だったのか?間違った情報を与えていた者はいたのか?私たちが考えていたよりも上層部のことをよく把握していた情報提供者はいたのか?逆に、私たちが重要だと思っていたのに実際にはそれほどでもなかった情報提供者はいたのか?ビン・ラディン文書はこれらの問いに答えを与えてくれるはずだった。

オバマ政権は、Devin Nunes議員に率いられた共和党の議員団からの情報開示要求を再選後も繰り返し拒絶し続けた。2014年に(共和党が提出した)Intelligence Authorization Actが(共和党が過半数を占める)議会を通過したためにそれらの要求は法律によって保証されることになった。わずか571の文書でさえもが公開された唯一の理由はそれだけだ。そしてその状況はトランプ政権が誕生して以降の数ヶ月間の状況でもある。

ところがこの状況は劇的に変化した。11月1日の水曜日にCIA長官のMike Pompeoはアボタバード文書から「新たに47万近い文書」を公開すると宣言した。571から470000!自称「歴史上最も透明性の高い政権」は3桁の規模で話を捏造していた。

1月の退任会見の時に、私はODNIの広報担当官だったTimothy Barrettにこのように尋ねたことがある。ほとんどの文書が公開されていないというのに、ビン・ラディンに関する情報はこれですべてとはどういうことかと。彼は、「数百よりも遥かに多くの文書」が眠っているということはメールで認めた。だがそれは重複や数え過ぎで説明できると主張した。それは1つのページを1つのファイルとして数えるようなものだと彼は説明した。

「重要と思われるファイルのほとんどは公開した」と彼は語った。571の文書はODNIによって自主的に公開されたのだと。これもまた嘘だった。

ODNIの不誠実な2枚舌はこれに留まらなかった。アボタバード文書のさらなる情報公開を求める情報機関の代表とNSCの高官との間で6月28日に会談が行われた(この会談に詳しい2つの情報筋が明かしている)。ODNIの高官は、自分たちは文書を公開することができない、なぜならばこれほど大変な仕事を行うだけのリソースを自分たちは持っていないと彼らに説明したという。

ようするにODNIは一般向けには「この仕事は終わった、前に進もう」と言っておきながら、裏では「こんな大変な仕事を終わらせるのは自分たちの手には余ります」と言っていた。

この会談のこととこの矛盾を説明するようにBarrettに求めると「この件に関してあなたと話すことはこれ以上ありません」という内容のメールが送られただけだった。

だが政権は入れ替わりこれまでの命令は一掃されることになった。CIAが隠していた文書のすべてを把握するには時間が掛かる。それらの何割かは疑いようもなく重要なものではないだろう。だが新たに閲覧できるようになった文書の中には重要なものが数千とあり、すでにこれだけのことが明らかになっている。それらは重複していたのでもなく意味が通らないものでもなければ孤立し無力だったテロリストの戯言でもなかった。Thomas Joscelynが他の場所で説明しているように、その文書の一部だけからでもアルカイダとアフガニスタンのタリバンとの関係性を示した部分を見つけることができる。現在これらのテロのネットワークと支部を率いているアルカイダ幹部の大量のビデオや写真、パキスタン内部に張り巡らされたアルカイダのネットワークに関する新たな情報が記されている大量の手紙、アルカイダの幹部を狙った攻撃に対する防御法を説明した文書、ビン・ラディン自身が手書きで記した228ページに渡るジハードの記録、などなど。

ODNIは文書の規模だけでなくその内容に関しても国民を欺き続けていたことは最早明らかだ。ODNIは当時の1月に新たに公開された49の文書は「以前に公開した内容をなぞった」だけのものだと主張していた。主なものはビン・ラディンの「イランに対する憎悪と疑い」だった。それが以前にODNIが公開したものだというのは事実だ。だが回収した文書の中に綴られていたのはイランに対する敵意だけだったというのは極めてミスリーディングだ。

ビン・ラディンは、アボタバードで回収され以前に公開されていた手紙の中でイランのことを「大動脈」だと形容していた。イランのアルカイダに対する支援の詳細は(そのうちの幾つかは今まで隠されていたのだが)財務省によるテロ国家指定や、シーア派の過激派であるイランはスンニ派のアルカイダを支援しないだろうという諜報機関の分析官の何人かが抱いていた考えを改めさせるまでに至った。財務省の高官で後にCIAの副長官を務めたDavid S. Cohenは2011年のインタビューでイランからのアルカイダに対する金融的支援のネットワークの詳細を記した情報のことをこのように語っている。「イラン政府とアルカイダとの間でこのテロ組織の活動を認めるという合意があった」と彼は語り、「このことに関して諜報コミュニティの間で論争はない」と語っている。イランはアルカイダのメンバーに対して隠れ家を提供しただけではなく移動の手伝いや金銭、武器の提供など「必要不可欠なコアとなるパイプライン」を提供していた(ちなみにイランとアルカイダが協力関係にあったことはこのブログでも何度も紹介したKyle W. Ortonがとっくの昔に遥かに詳しく説明している)。

アルカイダはこの支援を用心深く受け取った。それは事実だ。イランとの関係はイデオロギーや教義の一致によるものではなくお互いの利益に基づいてのものだった。だがこの秘密の合意を完全に無視することは(長年に渡る協力関係やビン・ラディン自身の「大動脈」という表現などを置いておいたとしても)、騙しの典型例のような手口だ。

イランとアルカイダとの関係性に関して国民を欺いたことをどう思うか尋ねると、Barrettは「ビン・ラディンはイランとは注意深い関係にあった。彼はシーア派のムスリムに対して強烈で、個人的な敵意を抱いていた。だが彼がイランを公に批判することはなかった。彼の家族がそこに匿われていたからだ」。

その後のメールで、彼の家族が匿われていたという事実はイランとアルカイダが深い敵対関係にあったというODNIの主張と矛盾するのではないかという当然とも思える疑問をぶつけてみた。その上に、ビン・ラディン自身が組織の維持と強化に果たしたイランの役割を認めているというのにどうしてODNIはその文書をビン・ラディンのイランに対する敵意の証拠として提出したのか?相互利益のために協力していたこと、むしろ友好的と言っていい関係が存在したことを示す証拠ではないのか?

Barrettは、「「匿っていた」と言ったのは間違いだった。多くのアルカイダ幹部と少なくとも1人のビン・ラディンの家族がイランで自宅軟禁されていると言うべきだった。あなたが言っているような通行路だったというのはイラン政府と共謀があったというのと同じではない。テロ組織がイランを自由に移動できたというだけの話だ。だがそれはイラン政府との如何なる協力の下に行われたものでもなかった」と回答した。

これは驚くべき主張だ。そして新たに公開された文書が明らかにしたように、イラン政府は積極的にこのテロ組織の移動の手伝いをしていた。それだけではない。実際に、ODNIが否定したような「関係性」がイランとアルカイダとの間に存在していた。その上、財務省はイランとアルカイダとの「秘密の合意」を理由にイランにテロ国家指定を行っている。

その後も幾つか非建設的なやり取りを交わした後で、我々(The Weekly Standart)は財務省がイランをテロ支援国家に指定しているその理由が書かれた箇所、国務省のテロ支援国家のイランについて言及されている箇所を彼に送った。その中でも、Ezedin Abdel Aziz Khalilについて言及されている部分には、彼は「アルカイダとイラン政府との合意の下に現在イランに住み活動を行っているアルカイダの幹部、イラン政府は彼との関係を保ち続け2005年以降イラン国内で活動を行うことを許可している」と記されている。さらに、ビン・ラディン自らが送ったイランへの使者Atyiah Abd al-Rahmanが「イラン政府から自由に移動することを許可されていた」と自らの言葉で記している。財務省のテロ支援国家指定の理由には「資金調達とイラン国内での活動を許可した秘密の合意を白日の下に晒すことにより、他に例を見ないイランのテロに対する支援のまた新たな側面に光を当てることができる」と記されている。イランのMinistry of Intelligence and Security (MOIS)には「イランに潜伏しているアルカイダ幹部に必要な文書、識別カード、パスポートを与えることにより彼らの移動の手助けを行っている」と記されている。

他の事例を幾つも挙げることができる。Barrettは、「私はイランの専門家ではない。専門家に相談して月曜日までにはあなたに回答すると約束する」と答えた。(イランに関する)彼からの回答はまだ送られていない。

Barrettと私は11月2日にもう一度だけメールのやり取りを行った。新たな文書が公開されたためだ。彼の1月の発言が完全にミスリーディングだったと認める機会を彼に与えたつもりだった。彼は、「ODNIは新しいCIA長官の決断を支持する。新たに公開された文書はこれまでに知られていなかった情報をもたらしてくれたが、諜報機関同士の文書の利用を促進するためのタスクフォースの評価を覆すものではなかった」と返答した。

オバマの一期目の外交政策のメッセージはテロとの戦いはブッシュ大統領のせいでうまくいかなかった、だが今では自分が適切に対処している、それ故成功に終わるはずだ、だった。彼の二期目の外交政策の最優先事項はイラン政府と取引をすることだった。奇妙なことに、バラク・オバマはアルカイダがすでに持っていたもの、すなわちイランとのパートナーシップを欲した。オサマ・ビン・ラディンがイラン政府と協力しあっていたと国民に事実を伝えることは、その外交政策の目標を大きく揺るがすことになっていただろう。だから彼は、諜報機関の協力者たちの助けを借りて、ビン・ラディン文書を封印し時間稼ぎを謀った(ちなみにリベラルがこのような大犯罪に手を染めたのは次の大統領がヒラリー・クリントンだとリベラルが頭から決めてかかっていたからだというのはアメリカの保守派の間では常識のように語られている)。

CIAが新たに公開した47万の文書にはアルカイダとイランとの関係を記した19ページのレポートが含まれていた。そこにはアルカイダとイランとの間に幾ばくかの軋轢があったことを記しているものの、そのわだかまりは協力を阻害するものではなかったということをはっきりと記している。そこには、イラン政府がアルカイダに「彼らが欲するものはすべて」与えていたことが記されていた。それにはイラン内部で彼らを匿うこと、移動の手伝いをすること、「武器や資金」、「サウジアラビアと湾岸諸国を攻撃することと条件にレバノンのヒズボラキャンプでのトレーニングを認める」などが含まれていた。

新しく公開された文書にはビン・ラディンの子供でアルカイダの現在の広報役でもあるHamza bin Ladenの結婚式の時のビデオが含まれていた。そのビデオには彼と複数のアルカイダの幹部が(所在不明の)モスクで結婚式を祝っている様子が映されていた。子どもたちの叫び声がモスクに反響する中で、ローブとクーフィーヤに身を包んだビン・ラディンの息子が誓いの言葉を静かに真剣な口調で述べている様子がビデオには収められていた。このビデオはイランで撮影されたものだ。

南アフリカはリベラルの言うことを聞いたせいで崩壊したのか?

The End of South Africa

by JOSH GELERNTER

南アフリカの状況は非常に悪くなっている。国際社会からの非難を浴び続けたアパルトヘイトが1994年に終了した時には南アフリカの未来は明るいように思われていた。その8年後の2002年ではすでに、南アフリカ人の60%はアパルトヘイトの下での方が生活は良かったと答えている。とても信じられない回答だ。だがそれが2002年時点での状況が以下に悪くなっていたかを知らせるもので、現在ではさらに悪くなっている。

アパルトヘイトが終了した時の南アフリカの平均寿命はトルコやロシアと等しい64歳だった。今では56歳にまで低下している。これはソマリアと同じぐらいだ。10万人あたり132.4件の性的暴行事件が発生している。他の国を突き放して最も多い。2番目に多いボツワナは10万あたり93件で、3番目に多いスウェーデンは10万人あたり64件だ。32件を超えている国は他にない。

南アフリカの活動家Ilana Mercerはアパルトヘイトが終了する前に家族とともにイスラエルへと引っ越した。彼女の父親はアパルトヘイトを痛烈に批判していたことで当局から迫害を受けていたこともある。World Net Dailyに寄稿した記事で(アパルトヘイトに対する批判を加えながらも)その彼女が、「アパルトヘイトが敷かれた約40年の間に拘留によって亡くなった囚人の人数すべてを合わせたよりも現在の政権によって1週間のうちに殺害される人数の方が多くなっている」と語っている。南アフリカの政府は10万人あたりの殺人件数が31件だと主張している。1日あたりに換算すると50件だ。それだけでもルワンダやメキシコ、スーダンを上回り殺人事件の多さで南アフリカは世界で10番目に位置している。これは南アフリカ政府が主張している数字を用いての話だ。他の団体はその2倍以上だと主張している。南アフリカ政府の言うことを信用しないというのは分のいい賭けだ。アパルトヘイトが終了して以降南アフリカを統治しているAfrican National Congressは恐ろしいまでの腐敗で知られている。

事実上の一党独裁体制の下では民族間の融和は促進されないだろう。失業率は25%を超えている。そのような状況だというのにズマ大統領は24億円の公金を堂々と着服したばかりか自宅にプールと映画シアターを建設してさえいる。その話が発覚した直後だというのに2期目の大統領として彼が選ばれている(任期は5年間)。アパルトヘイト撤廃の柱だったLeon Louwはその事件のことを「国家の崩壊の象徴的な事例だ。政府はすべてにおいて失敗している。すべての政府の機能が麻痺している」と語っている。

彼は「多くの人はそもそも犯罪を報告しなくなっている」と付け加えている。

南アフリカは戦場以外では最も危険な場所のように思われる。もっと心配なことは実際に戦場になる恐れがあるということだ。Genocide Watchは「南アフリカは8段階あるプレ・ジェノサイド状態の6段階目に位置している」と表現している。

無政府状態へと向かっていく中で、人々は誰にこの事態の責任があるのかを知りたがっている。2010年にJulius MalemaというANCの党員が反アパルトヘイト時代に歌われていた歌を人々に思い起こさせた。その歌詞は、前述のGenocide Watchによるとジェノサイドを呼び掛けている。「Shoot the Boer, shoot, shoot.」、「Boer」とはアフリカーンス語で「農民」を指す。ようするに「南アフリカの白人」を指す。MalemaはANCから追放されヘイト・スピーチの有罪判決を受けた。それ以降彼はEconomic Freedom Fightersという対立政党を組織し、現在では内閣で3番目に大きいほど勢力を拡大している。彼が有罪判決を受けた7ヶ月後に、ズマ自身がジェノサイドの歌を公衆の面前で歌っている。彼は大衆の前でこのように歌い呼び掛けた。「(南アフリカの)白人をマシンガンで撃ち殺せ。白人はこの国から逃げていくだろう。白人を撃ち殺せ。彼らはこの国から逃げていくだろう」。YouTubeにその時のビデオが流れている。南アフリカの大統領は、巨大なスタジアムに押し寄せた数万という民衆の前で10%に相当する自国民に対して虐殺を呼び掛けた。聴衆の中には、軍服を纏った軍人までもがダンスを踊っていた。

Genocide Watchによると、(南アフリカの)白人に対する殺人率は(すでに高い)南アフリカ平均よりも4倍以上高い。さらに、その殺人率はズマがジェノサイドを呼び掛けて以降毎月上昇している。そしてその数字も今では知ることができなくなってしまった。人種毎の殺人率を発表することを止めるように警察が命令したためだ。警察は白人の自衛団から武器を奪い解体させた。相互の安全を保証していた組織を。その結果として、「彼らの家族は殺害、性的暴行、身体の切断、拷問などにさらされ続けている」と前述の団体は語っている。その一方で、『ANCの政府高官たちは白人のことを「移住者」と呼び続けている』。

南アフリカの白人はその地に350年以上も前から住み続けている。時間の長さは関係ないというのであれば、現在南アフリカに住み着いているバントゥー部族も先に住んでいたコイサン部族を追い出してそこに住んでいる。バントゥー部族が最初に南アフリカに現れたのは、考古学上の記録によると白人が南アフリカに到着する400年前のように思われる。長い時間かもしれない、だが悠久の時というわけでもない。

2017年11月7日火曜日

イスラム教によって殺害された被害者は6億7000万人を超える?

Over 670 million non-Muslims massacred since the birth of Islam

これらの数字は、歴史から忘れられた虐殺が加えられる毎に増加していく。

バルカン半島、ハンガリー、ウクライナ、ロシアでムスリムの手によって8000万人が500年間の間に殺害された。

ムスリムの手によって虐殺されたユダヤ人の人数は正確には分かっていない。

それからインドだ。ムスリムの手によって殺害されたヒンドゥーの人数は8000万人ということになっている。だがイスラムの歴史家であるフィリシュタ(b. 1570)はムスリムが4億人のヒンドゥーを殺害したと記している。

これらを加えるとイスラムが誕生して以降、ムスリムによって殺害された非イスラムの人数は6億6900万人を上回るかもしれない。

Islam: The Religion of Genocide

これを幾つかの事例と比較してみよう。

イスラムのテロリストはKKKが過去50年間に殺害したよりも多くの人を毎日殺害している。

イスラムのテロリストはタイで9.11以降、KKKが1865年から1965年の100年間に殺害したよりも多くの人を殺害している。

IRAが36年間の間に殺害したよりもより多くの市民が9.11の2時間の間にイスラムのテロリストによって殺されている。

It’s actually much worse than that: MORE PERSPECTIVE: Tears of Jihad

以下の数字はジハードによって殺害された非イスラムの大まかな人数だ。

Africa

Thomas Sowellは1100万人の奴隷が大西洋(南米や中南米)へと、1400万人がアフリカのイスラム国家や中東へと送られたと試算している。

奴隷が1人捕まえられる毎に多くの人が殺害された。

宣教師だったデビッド・リビングストンはプランテーションへと無事たどり着けた1人の奴隷に対して5人が殺害されている(捕虜にされた際の最初の攻撃の時や病気、強制的に行軍させられたことなどのせいで)と試算している。

残された人々は子供や働けない人、病人や老人たちばかりだった。働き手が殺害されたか奴隷にされたせいで彼らもすぐに亡くなった。

奴隷として送られた人が2500万人なので、1億2000万人が殺害されたということになる。イスラムはアフリカの奴隷貿易のすべてを取り仕切っていた。

Christians

改宗を拒んだことによりイスラムによって殉教させられたキリスト教徒は900万人だと云われている[David B. Barrett, Todd M. Johnson, World Christian Trends AD 30-AD 2200, William Carey Library, 2001, p. 230, table 4-10]。

アナトリアではジハードによってキリスト教徒が5000万人殺害されたとRaphael MooreのHistory of Asia Minorには記されている。

そして20世紀には100万人のアフリカのキリスト教徒が殺害された。

ようするに、アナトリア(現在のトルコ辺りの地域)では5900万人のキリスト教徒が殺害された。

バルカン半島、ハンガリー、ウクライナ、ロシアでは8000万人のキリスト教徒が殺害された。

(ここには中世にアラブがヨーロッパに持ち込んだ伝染病などは含まれていない。奴隷にされペストに大量に感染していたユダヤ人が、それまではほとんど住んでいなかったヨーロッパへと送られるようになっていた。アラブの奴隷貿易や、ジズヤを払うことにより何とか生き延びていた黒人、キリスト教徒、ユダヤ人などから病気が運ばれていった。これらの感染者たちはムスリムがイタリア半島、ギリシャ、スペインなどを征服しようとしている間にヨーロッパに広がっていった。ペストはヨーロッパの人口を半減させたと云われている)。

Hindus

Koenard Elstはジハードによって8000万人のヒンドゥーが殺害されたと試算している。

ジハードのせいで現在のインドは古代インドの半分の大きさでしかない。インド周辺の山岳地帯は「ヒンドゥーの墓場」と呼ばれていた。

8000万人+3億2000万人=4億人のヒンドゥーが殺害された。

(インドの宗教指導者、Swami Vivekanandaは歴史家のフィリシュタを参考に、800年間に4億人が殺害されたと1899年に報告している。もしムスリムがヒンドゥーを4億人殺害していれば、イスラムの被害者は8億9000万人を上回ることになる)。

Buddhists

仏教徒はイスラムの攻撃に防戦一方だった。ジハードでは、キリスト教徒とユダヤ人だけ(啓典の民だけ)がズィンミー(下僕)として生きることが許されていた。他は改宗か殺されるかを選ばなければならなかった。

ジハードによりトルコ、アフガニスタン、シルクロード沿い、インドで仏教徒が殺害された。

合計で1億人が殺害されたと云われている[David B. Barrett, Todd M. Johnson, World Christian Trends AD 30-AD 2200, William Carey Library, 2001, p. 230, table 4-1.]

Missing Data

イスラムはゾロアスター教を信仰していたペルシアを侵略して征服した。

中東のキリスト教徒も殺害した。

モンゴル帝国時代に中国人も殺害した。

それに加えてムスリムは1948年以降だけでも、1100万人のムスリムを虐殺している。それ以前にどれだけのムスリムを彼ら自身が殺害していたのかは分かっていない。

6億7000万人がイスラムによって殺害された。これはスターリン、ヒットラー、毛沢東、ポル・ポト、イディ・アミン(スンニ派のムスリム)、そして20世紀の社会主義者たちが引き起こしたジェノサイドを上回る。ムスリムによる殺害は現在も続いている。

左翼はKKKや死刑制度をこの上なく非難している。

どうして彼らはイスラムを非難しないのか?

イスラム以上に虐殺を奨励しているイデオロギーは存在しない。

これほどまでに血に飢えたイデオロギーは存在しない。

自由や民主主義、女性に対してこれほどまでに敵対的なイデオロギーは存在しない。

これはアルメニアで150万人から2000万人のキリスト教徒がムスリムによって殺害された時の様子だ(凄絶な写真なので掲載は控える)。この虐殺は大ムフティ、フセイニによってヒットラーとナチスに紹介され売り込まれた。そしてユダヤ人に対してその手法が採用され、ホロコーストが生まれた。彼に関わるまでヒットラーはユダヤ人の逮捕や抑圧にコミットしてはいなかった。ジェノサイドはヒットラーがイスラムと関わってから、そしてジハーディストたちがナチに協力しだしてから始められるようになった。

ROYE GABRIALY says:

1)ヒットラーはパレスチナの大ムフティからユダヤ人を絶滅させるという考えを聞かされた。直接的にはユダヤ人を殺害していないのかもしれない。だが彼との会話がなければホロコーストが実行されるまでにもっと長い時間が掛かったのは間違いないだろうし、殺害された人数は遥かに少なくなったはずだ。

2)イスラム世界では数千人というユダヤ人が殺害されたりコミュニティ全体が消滅させられた虐殺が数多くあった。それに加えてイスラエルはムスリムから戦争を仕掛けられたりテロ攻撃を受けている。

https://en.wikipedia.org/wiki/Category:Anti-Jewish_pogroms_by_Muslims

虐殺の期間中に多くの人が負傷し、家や農作物は破壊され女性は暴行された。そのような虐殺はほとんどの場合において記録されていない。

3)ムスリムは非イスラムの家族から女性を誘拐していた。女性たちは二度と家に帰ることはできず奴隷とされた。その女性たちのこともほとんどが記録に残されていない。それは彼女たちにとっては悲劇でしかなかった。そのせいで、少女たちは9歳までには男の子と「婚約」を済ませるようになっていた。誘拐されるのを防ぐためだ。婚約を破棄するか続けるかは後になって判断することになっていた。

イスラム教徒は4億人のインド人を殺害した?

Islamic Invasion Of India: The Greatest Genocide In History

イスラムの歴史家フィリシュタ(1560年に生まれて1620年に死亡したと見られる)はイスラムの支配下にあったインドで行われた大虐殺のことを初めて記している。彼は4億人のインド人がイスラムの支配下で殺害されたと記している。生き残った人々も奴隷にされ迫害された。イスラムに侵略される前のインドの人口は6億人ほどだったと云われている。1500年代の中頃にはインドの人口は2億人ほどにまで減少していた。

イスラムによって数百年間支配された後では、ヒンドゥー(インド人)は本来の姿を失っていた。彼らはムスリムのように振る舞っていた。(イギリス人にとっては)ショッキングなヒンドゥーの恐ろしい振る舞いがイギリスの文書には数多く記されている。それ故イギリス人たちは彼らのことをしばしば「野蛮」と呼んでいたようだ。イスラムの文化に汚染されれば彼らが野蛮になったとしても不思議はないだろう。それが、イスラムに汚染されるということが非常に破壊的であり危険な理由でもある。

イスラムに魂を破壊された他の国と同じように、インドはかつての真のヒンドゥーの国ではない。インドは以前にはそのような野蛮性とは無縁だった所にすべての人類の悪徳が文化へと組み込まれていったイスラムの影だ。そしてイスラムという病気が流入するに連れてそれらイスラムの慣習がインド文化の「普遍的な」側面として取り入れられ受け入れられていった。

ウマイヤ朝の時代(AD711年)からムガル帝国最後の皇帝バハードゥル・シャー2世の時代(1858)に至るまで都市という都市が破壊され侵略される毎に数十万という人々が虐殺されそれと同じぐらいの人々が奴隷として連れ去られていった。すべての侵略者がヒンドゥーの頭蓋骨で(文字通り)丘を築いた。イスラムによるアフガニスタンの征服によってその地で暮らしていたヒンドゥーは死に絶えることになった。この地域は今でもHindu Kush、すなわち「ヒンドゥーの墓場」と呼ばれている。

800年間に及ぶヒンドゥー教徒とシク教徒に対するアラブ人による虐殺はほとんどと言っていい程世界に認知されていない。

これに匹敵するものはナチスによるユダヤ人に対する虐殺だけだ。

ヒンドゥー教徒に対する虐殺はさらに規模が大きなもので、唯一の違いはそれが800年間続いたということだろう。

世界最大のホロコーストの証拠は当時の目撃者の説明を加えることでより精巧になる。侵略者たちそしてその後のインドの支配者たち(アラブの歴史家、書記官たち)はヒンドゥーの身に降り掛かった悲劇の記録を詳細に残している。

これらの資料には彼らがヒンドゥーに対して犯した犯罪、数千万人に及ぶヒンドゥーの虐殺、女性に対する暴行、古代ヒンドゥー教/仏教遺跡と図書館の数千という破壊などが詳細に記されている。

歴史家Koenraad Elstは「Was There an Islamic Genocide of Hindus?」という記事の中でこのように語っている。

「イスラムによって殺害されたヒンドゥーの総数ははっきりとは分かっていない。イスラムの歴史家たちによる重要な証言をざっと見たところでは、イスラムの聖戦士たちはホロコーストの被害者を優に超えるヒンドゥーを容易に殺害し得たということが分かっている」

「フェリシュタは中央インドのスルタンたち(1347-1528)が10万人のヒンドゥーを殺害した事件を表にして並べている。10万人という数字はヒンドゥーを罰する必要があると彼らが思った時に与えられる刑罰の最小限度の単位だ。しかもそれは3番目に規模の大きな地方王朝だけでの出来事というに過ぎない…」

「最大の虐殺はガズナ朝のマフムードによる侵略の期間中とデリー・スルタン朝の時代(1206-1526)に起こった」

彼は「Negation in India」という本も記している。

「イスラムによる征服はヒンドゥーにとっては苦しみでしかなかった。都市という都市が破壊され侵略される毎に数十万という人々が虐殺されそれと同じぐらいの人々が奴隷として連れ去られていった。すべての侵略者がヒンドゥーの頭蓋骨で(文字通り)丘を築いた。イスラムによるアフガニスタンの征服によってその地で暮らしていたヒンドゥーは死に絶えることになった。この地域は今でもHindu Kush、すなわち「ヒンドゥーの墓場」と呼ばれている」

Will Durantは1935年に「The Story of Civilisation: Our Oriental Heritage」という本の中でこのように主張している。

「イスラムによるインドの征服は恐らく世界の歴史で最も大量の血が流された出来事だろう。イスラムの歴史家や学者たちは虐殺を詳細に記録しそれを誇っていた。虐殺だけではなくヒンドゥーの強制的な改宗、女性への暴行、子供を奴隷として持ち帰ったこと、寺院の破壊などが誇らしく称えられていた。数百万人というヒンドゥーが剣によって強制的にイスラムへと改宗させられていた」

Francois Gautierは「Rewriting Indian History」にこのように記している(1996)。

「イスラムによるヒンドゥーに対する虐殺は他に例がなくナチスによるユダヤ人に対する虐殺やトルコによるアルメニア人に対する虐殺よりも遥かに規模が大きい。南アメリカの原住民に対するスペイン人やポルトガル人による虐殺よりも規模が大きかっただろう」

Fernand Braudelは「A History of Civilisations」の中でイスラム支配下のインドのことをこのように記している。

「この植民地支配」は「極めて暴力的だった」、そして「イスラムは制度化された暴力なくしてはインドを支配することは出来なかった。残虐行為(放火、一切の裁判なしの処刑、磔刑、串刺し刑、ありとあらゆる種類の拷問など)は日常のことだった。ヒンドゥー教の寺院はモスクを建設するために破壊された。暴力による改宗が日常的に行われた。反乱が起ころうものならば、それは即座に暴力的に鎮圧された。家は焼かれ反乱を起こした地域は跡形もなく破壊され男は虐殺され女は奴隷として連れ去られた」

Alain Danielouは「Histoire de l」にてこのように記している。

「イスラムがインドを侵略し始めた632年頃から、インドの歴史は長く苦しみに満ちたものとなった。「ジハード」という名目の下に、野蛮人たちは文明を破壊し種族全体を排除していった」

Irfan Husainは「Demons from the Past」にてこのように記している。

「歴史上の出来事はその当時の文脈に照らして判断されなければならないが、その当時の基準からしてみてもアラブ人のヒンドゥーに対する仕打ちは悲劇的なものだった。私たちの歴史書の中に描かれているイスラムの英雄たちは恐ろしい犯罪に幾つも手を染めていた。ガズナ朝のマフムード、クトゥブッディーン・アイバク、ギャースッディーン・バルバン、ムハンマド・ビン・カシム、ムハンマド・ビン・トゥグルクたちは全員が数千年経っても洗い落とされないような犯罪を犯している。ヒンドゥーにとっては彼らの故郷に対するイスラムの侵略は悲劇以外の何物でもなかった」

「彼らの寺院はモスクに改修された。偶像は破壊された。女性たちは暴行された。男たちは殺害されるか奴隷として連れ去られた。ガズナ朝のマフムードが毎年のように行っていた行軍の1つでは、彼はサムナスに住んでいた5万人の住人すべてを虐殺した。アイバクは数十万人を殺害し奴隷とした。この恐怖の歴史は長く苦しみに満ちたものだ。これらの征服は異教徒を改宗させるのは宗教的な義務であるとの主張によって正当化された。自分たちは信念のために戦っていると彼らは主張していたが、実際には彼らは虐殺や略奪を楽しんでいただけだった」

当時の目撃者たちの証言を幾つか紹介しよう。

アフガニスタンの支配者ガズナ朝のマフムードは1001年から1026年という短い期間の間に少なくとも17回以上インドを侵略している。彼の書記官が書いた「Tarikh-i-Yamini」には彼の血なまぐさい行軍の様子が記されている。

「異教徒たちの血があまりにも大量に流れ出したので(テインザーというインドの都市で)澄んでいた川の水は真っ赤に染まり人々は水を飲むことが出来なくなった。異教徒たちは砦を捨てて血で泡立った川を渡ろうとしたがその多くは斬り殺されるか捕まるか水に沈められるかのいずれかだった。5万人ほどが殺害された」

Hassn Nizam-i-Naishapuriが書いた「Taj-ul-Ma’asir」という当時の記録によると、クトゥブッディーン・アイバク(アフガニスタン出身で1194年から1210年のデリーの最初のスルタン)がメーラートを征服した時、彼はヒンドゥーの寺院をすべて破壊しその土地にモスクを建設したという。アリーガルでは、彼は住民たちを剣によってイスラムへと改宗させ従わなかった人々の首をすべて刎ねさせたという。

ペルシアの歴史家であるWassafは「Tazjiyat-ul-Amsar wa Tajriyat ul Asar」という本の中でこのように記している。アラー・ウッディーン・ハルジー(トルコ出身のアフガニスタン人でAD1295-1316頃のハルジー朝の2番目の支配者)がカンバヤットを占領した時、彼はイスラムの栄光を称えるためと称して男の住民を殺害し川を血で赤く染め、(持っていた財産をすべて奪った後で)その妻たちを自分の家に持ち帰ったという。そして2万人ほどの未婚の女は彼の奴隷とされた。

インドは深く長い文化的な歴史がある。ヒンドゥー主義は紀元前1500年頃にはすでに存在し仏教は紀元前6世紀頃には誕生していた。ヒンドゥー主義は知的、宗教的、芸術的産物を数多く生み出した。イスラムに侵略される前のインドでは、数学(ゼロの概念、代数、幾何学、10進数、所謂「アラビア」数字と呼ばれているものなど、だが実際にはヒンドゥーのものだ!)、物理学、薬学、哲学などが発展し他の国へと伝えられていった(バグダッドなどを含む)。

すでに設立されていたインドの大学に他の国から人々が訪れていた。インドの子どもたちは比較的広く行き渡っていた教育システムの中で数学、物理学、薬学、哲学など幅広い学問を学んでいた。インドの芸術と建築は素晴らしかった。そこには繁栄した人々が存在していた。それからイスラムが現れた。虐殺が始まった。人々は奴隷にされ、レイプされ、暴力を振るわれ、略奪が行われた。寺院、芸術、建築物などは破壊された。貧困、搾取、辱め、飢饉、強制的な改宗、学問の衰退、社会の崩壊と社会的病が蔓延した。イスラムにとって、イスラム的でないものはすべて無知の時代の産物であると見做され、それ故破壊されなければならなかった(もしくは強奪されイスラムのものと呼ばれた!)。この時の虐殺がきっかけでロマ族(ジプシー)が生まれ、アフガニスタンに住んでいたヒンドゥーは消滅し、パキスタンとバングラデシュが生まれることになった。

イスラムの侵略によって生じたコストは膨大なものだ。1000年から1525年の間に6000万人から8000万人が殺害されたと云われている。信じられないだろうか?1971年のバングラデシュの独立時に、パキスタン軍は9ヶ月間の間に150万人から300万人を殺害している。当時の世界はそれを逆さまにして伝えた。イスラムが暴力に走るのは私たちが彼らを虐げ続けていたせいだと!(フィリシュタ [1560-1620]によると、イスラムによって殺害されたヒンドゥーの人数は6000万人から8000万人ではなく4億人だ)。

Rizwan Salim (1997)はイスラムの侵略者が行ったことはどういうものであったのかを本に記している。

「アラビアから西アジアまでを侵略したイスラムは攻撃の矛先をインドに向け始めた。侵略者たちは数え切れないほどの寺院や彫像と仏像を破壊し、ヒンドゥーの王族の王宮や神殿から財宝を奪い取っていった。多くの男が殺害され女性は連れ去られていった。だがインド人の多くはイスラムの侵略者たちが地球上で最も進んだ文明を破壊していったのだということに気が付いていないように思われる」

もちろんインド人たちは抵抗した。だがインドには戦奴隷、戦術としての都市などの破壊もしくは虐殺、寺院の破壊、作物の破棄や農民の殺害などといった慣行は存在していなかった。戦いは軍人同士の間で通常は行われていた。敵から「戦利品」を奪うという概念は存在していなかった。インド人たちはイスラムの虐殺に対してなす術がなかった。インド人たちはジャングルや山に逃げ込むことを余儀なくされた。もしくは搾取、重税、虐殺、奴隷としての扱いに耐えるしかなかった。侵略者たちはヒンドゥーを継続的に攻撃し続け、そして将軍たち、将校たち、王族などがひっきりなしに反乱を起こしていたので自分たち同士でも戦い続けた(Khan p 205)。

かつての「インド」にはパキスタン、バングラデシュ、ベンガル地方、カシミール地方が含まれていた。アフガニスタンでは7世紀頃までヒンドゥー教と仏教が信仰されていた。16世紀には、アフガニスタンはムスリムが支配するインドのムガール帝国とペルシアのサファウィー朝とによって分割されていた。

ウマイヤ朝は初期にはヒンドゥーにズィンミーの地位を与えていた。恐らくはヒンドゥーの人数が多かったこと、イスラムへの抵抗、税収を失うことへの恐れが原因だろう。これは偶像崇拝者や多神教信仰者に対して殺害か改宗を迫るイスラムのテキストや法に違反していた。スルタンのイルトゥトゥミシュはどうしてヒンドゥーには死か(イスラムへの)改宗の選択が与えられていないのかと尋ねられた時に(1236年)、このように答えている。

「現在のインドでは、ムスリムの人数はあまりにも少ない(中略)だが我々の勢力が拡大し続ければヒンドゥーに死か改宗かの選択を与えられるようになるだろう(Lal [c] p 538)」

ズィンミーの地位が与えられていたはずにも関わらず、大量虐殺や大規模な強制的改宗、大人数が奴隷にされたことによってヒンドゥーの多くにはイスラムに改宗する以外の選択肢は残されてはいなかった。20世紀になっても偶像崇拝者/多神教信仰者の多くは改宗か死を迫られた。ヒンドゥーの戦士と男たちは殺害され女性と子どもたちは奴隷にされた。男の子たちは去勢された後に奴隷にされた。

実際の人数が記されていることはあまりない。「数え切れないほど」とか「すべての女性と子供たち」が連れ去られたというコメントが残されているだけだ。だが記されている場合にはその数は恐ろしいものだ。人を連れ去ったことに加えてムスリムは持ち去ることが出来るものであればすべてを奪っていった(コイン、宝石、布、衣服、家財道具、偶像、家畜、穀物などすべてだ。そして持ち去ることが出来なかった場合にはそれらを破壊した)。

イスラムの支配者たちは外国人だった。13世紀まで奴隷の多くはインドの国外へと連れ去られていた。デリー・スルタン朝が誕生すると(1206年)奴隷たちは労働力として用いられるようになった。他の国からも奴隷が流入するようになった。ムスリム軍は(イスラムに改宗させられた)外国人の奴隷の集団と同じく(イスラムに改宗させられた)インド人たち、そしてヒンドゥーの奴隷たちで構成されていた。

奴隷はアラーから約束されていた戦利品で、奴隷を得ることがジハードの最大の動機の1つだった。

「あまりにも大量にいたので奴隷たちの価格は非常に安くなっていった。男たちの地位はさらに下げられていった。だがこれはイスラムを称え異教を断罪したアラーの思し召しである」

(イスラムに最初に攻撃された)シンド地方のイスラムのコミュニティを形成していたのはイスラムに改宗させられた奴隷たちと少数のアラブの支配者たちだった(Khan p 299)。奴隷たちは初期にはシンド地方を征服したカシムの手によってワリード1世が支配するウマイヤ朝へと送られていた。712年から715年の3年間の間に30万人が送られていった(Khan p 299, Trifkovic p 109)。イスラムの聖戦士たちは「聖戦」に参加しようとあらゆる場所からシンド地方を目指した。カシムは唐突に解任されそして処刑された(恐らくは八つ裂きの刑によって)。カリフのハーレムに送られることになっていたシンド王国の2人のプリンセスを暴行したとの容疑が掛けられたためだ!(Lal [c] p 439)

パンジャブ王国を滅ぼしたガズナ朝のマフムードについて

17回の侵略の間に(997年から1030年)、マフムードは数十万人の奴隷をガズニー(現在のアフガニスタンにある都市)に送った。虐殺や奴隷、インド国外へと売られたことによってインドから200万人が消失した(Khan p 315)。イスラムの歴史家たちは一部ではあるが記録を残している。それによるとイスラム軍は20万人の奴隷をガズニーへと送った。1019年には5万3000人が連れ去られた。カリフは奴隷全体の5分の1を所有していてそれは15万人だと云われている。そこから75万人が奴隷にされたと推測することが出来る。マフムードの書記官によると一度のキャンペーンで50万人が連行された。

「剣が稲妻のように駆け抜け血しぶきが流星のごとく流れ出した。神の僕は異教徒を打ち倒した。聖戦士は神の敵を1万5000人殺害した。彼らは動物や鳥の餌となった。さらに神は僕に50万人の奴隷を含む数え切れないほどの戦利品をお与えになった(Khan p 191)」

マフムードの支配は1186年まで続いた。1079年の攻撃では10万人が虐殺され奴隷にされた(Tarik ?i-Alfi in Khan p 276-7,  Lal [d] p 553)

シハーブッディーン・ムハンマドの統治の後にデリー・スルタン朝が建国された。大量の首切り、奴隷、強制的な改宗、略奪や寺院の破壊が続けられた。奴隷は驚くほどの人数だった。1195年に、アイバクはラージャ・ビーマから2万人をカーリンジャル (1202)からは5万人を奴隷として連れ去った(Lal [c] p 536)。

「貧しい(ムスリムの)世帯でさえ奴隷を数多く所有するようになった(Khan 103, Lal [c] p 537)」

13世紀から14世紀に掛けてイスラムが広がっていくとともに奴隷の人数も増加していった。毎日のように数千人という奴隷が安い価格で売られていった(Khan p 280)。アラー・ウッディーン・ハルジーが所有していた奴隷の人数は膨大だった。彼は奴隷たちに足かせをはめ鎖でつなぎ辱めた(Lal [c] p 540)。

「彼は2万人以上の奴隷を所有していた。モハメドの軍はその地を完全な廃虚とし住民を殺害し都市を破壊し彼らの財宝を奪った(Bostom p 641, Lal [c] p 540)」

数千人が虐殺された。アラー・ウッディーン・ハルジー(1296-1316)は5万人の少年奴隷に身の回りの世話をさせていたが彼の住居では7万人の奴隷が働かされていたと云われている(Lal [c] p 541)。

女性は辱めを避けるため自らの手で命を絶った。

Sufi Amir Khusrauは「トルコ人はヒンドゥーを欲するままに捕まえ売り買いすることが出来た」と記している(Lal [c] p 541)。

Enslaved and Castrated

イスラム世界では被征服者は去勢された。これは支配者たちに現世での耽溺を与えるハーレムを、男たちに警備させるためだ。家族を持つ望みを奪うことにより支配者たちに忠誠を誓わせる狙いもあった。奴隷たちの人数を制限して必要な食料の量を減少させるためでもあった。去勢はイスラムに支配された地域では当たり前のように行われていたので500年間に渡るインドの人口の減少にも一役買っていただろうと思われる。

1205年にベンガル地方がBakhtiyar Khiljiによって征服されるとその地は去勢された奴隷たちの最大の供給源となった。その状態はムガール帝国の時代(1526-1857)になっても続いている。

アクバル(1556-1605)は去勢された奴隷を所有していた。チャガタイ・ハンは1200人の去勢された奴隷を所有していた!ゴールコンダ (ハイダラバード)では1659年に2万2000人の子供が去勢されイスラムの支配者に送られるか売られるかしたという(Khan 313)。

アラー・ウッディーン・ハルジー(1296-1316)は5万人の少年奴隷を所有していた。ムハンマド・ビン・トゥグルク(1325-51)は2万人をフィールーズ・シャー・トゥグルク(1351-1388)は4万人(彼は少年を集めることを趣味にしていた。そして合計で18万人の奴隷を所有していたと云われている)を所有していた。イスラムの歴史家はガズナ朝のマフムード, クトゥブッディーン・アイバク, シカンダル・ローディたちが少年に夢中になっていたと記している。ガズナ朝のマフムードはヒンドゥーの司令官ティラクに熱を上げていたと記している(Khan p 314)。

Conclusion:ムスリムの非人道的なふるまいはそのムスリムがSufis, Arabs, Afghanis, Turks, or Mogulであろうと変わらなかった。その全員がイスラムの法、テキスト、ムハンマドの例に(忠実に)従った。暴力と奴隷制は彼らがインドをほぼ完全に支配した後も続けられた。彼らの目的は単にインドを征服することではなく全員をイスラムに改宗させることだったからだ。ムスリムはインドの社会に溶け込むために現れたのではない。ヒンドゥーを排除しイスラムで塗り替えるために現れたのだ。それは彼らがすべてを所有していることの証でもある。何故ならばそれはアラーによって約束された戦利品だからだ。無神論者/偶像崇拝者そして多神教信仰者は改宗するか死ななければならない。その時になって初めてイスラムによる平和が訪れる!奴隷はアラーによって約束されたイスラムの聖戦士に与えられる戦利品の1つにすぎない。

PANKAJ says:

すべてのヒンドゥーがこれらの事実を知っている。殉死や子供との結婚、去勢などインド社会にはびこるこれらの悪習はイスラムの圧政によってもたらされたものだ。これらの醜い事実を暴くために膨大な調査が必要とされた。人々には知る権利がある。イスラムの侵略時に一体何が起こったのか?愚か者(左翼)たちに隠させてはならない。

JOE says:

馬鹿馬鹿しい記事だ。チンギス・ハーンは1200年代に数百万人のヒンドゥーを殺害しているが彼はムスリムではない。これを書いた臆病者はヘイトのプロパガンダを撒き散らしたいのだろう。

JAMES VILLA says:

君は記事を呼んだのか?どこにチンギス・ハーンのことなど書いてあった?

GINO says:

Sanjay Leela Bhansaliはイスラムの虐殺の歴史を知る歴史家を雇うべきだ。ムスリムの入国を禁止したトランプ大統領は正しい。我々インド人もそれに従うべきだ。それでも大量のムスリムが残ったままだろうが。

JOE says:

インドの歴史で最も暗い時代だって?チンギス・ハーンの時代やイギリスの植民地だった時代のようにか?

SANTOSH says:

チンギス・ハーンは中国とkhwarazemiaを攻撃した。インドじゃない。

SULTAN MAHMOOD says:

「イスラムが世界宗教に発展した唯一の理由は剣によって改宗させたからだ」という非難がイスラムに対して寄せられる。それは、イスラムが西側世界に脅威を与えていると恐怖を扇動しているイスラモフォビアたちによるお決まりの発言だ。

強制的に改宗させられたというのであればどうして中東に未だにキリスト教徒が残っているというのか?イスラムに征服された初めの頃には、この地域の大部分はキリスト教徒であり続けた。現在でもキリスト教徒がエジプト(9%)、シリア(10%)、レバノン(39%)、イラク(3%)といったように高い割合で残っている。彼らの存在がイスラムは剣で改宗させたのではないという証だ。

The Indian Subcontinent

世界最大のイスラム人口を抱える2つの国、パキスタンとインドがインド大陸を支配している。イスラムはこの地域に暮らす住民の生活すべての面において計り知れないほどの影響を与えている。だがイスラムによる支配が長く続いているにも関わらずヒンドゥー教や他の宗教はこの地域で未だに息づいている。

この地域へのイスラムの侵攻は当時の軍事的状況により正当化出来る。当時スリランカとの交易を行っていたムスリム商人の娘たちを乗せた船がシンド地方(現在のパキスタン)の海賊に攻撃された。海賊たちを討伐するためにカシムによって率いられた軍が710年に派遣された。

カシムの(この隔絶された地域への)遠征はインド社会に極めて大きな成功をもたらした。カースト制度によってインドでは身分が厳密に定められていた。それに加えて仏教徒はヒンドゥーの王族によってインドの至る所で抑圧されていた。多くの仏教徒や身分の低い人々は平等な社会を約束したムスリムの軍隊を歓迎した。

シンド地方を征服したカシムは仏教徒とヒンドゥーに宗教的自由を与えた。例えば仏教徒たちはムスリム軍が彼らにイスラムを強制するのではないかとの恐れをカシムに伝えた。カシムは彼らに宗教の自由を約束し今まで通りの生活を続けて欲しいと彼らに要請した(パキスタンの仏教徒はどこへ?)

PHI says:

嘘を言い続ける(もしくはコピペし続ける)ことは可能だろう。だがイスラム教徒が現在でも神のためと称してテロによって世界を不安定化させていることに関してヒンドゥーを糾弾することは出来ない。今現在でもそんなことをしているのはイスラムだけだ。ヒンドゥーではない。

嘘を付くこと、それもアメリカの学校で子どもたちに嘘を教えることも君たちの云うところのジハードの一環なのだろう。

SULTAN MAHMOOD says:

この地域へのイスラムの侵攻は当時の軍事的状況により正当化出来る。当時スリランカとの交易を行っていたムスリム商人の娘たちを乗せた船がシンド地方(現在のパキスタン)の海賊に攻撃された。海賊たちを討伐するためにカシムによって率いられた軍が710年に派遣された。

カシムのこの隔絶された地域への遠征はインド社会に極めて大きな成功をもたらした。カースト制度によってインドでは身分が厳密に定められていた。それに加えて仏教徒はヒンドゥーの王族によってインドの至る所で抑圧されていた。多くの仏教徒や身分の低い人々は平等な社会を約束したムスリムの軍隊を歓迎した。

シンド地方を征服したカシムは仏教徒とヒンドゥーに宗教的自由を与えた。例えば仏教徒たちはムスリム軍が彼らにイスラムを強制するのではないかとの恐れをカシムに伝えた。カシムは彼らに宗教の自由を約束し今まで通りの生活を続けて欲しいと彼らに要請した(このパターン何処かで見たような…)

YOUSEF says:

これほど愚かしい記事は見たことがない。ここに書かれていることは嘘で、そのような虐殺があったという証拠を持っていないじゃないか。殺害されたというインド人たちの墓地を見せるんだ。

PALLAV ARORA says:

Zaharnama, Baburnama, Futuh Al buldanを読むといい。すべてムスリムの手によって書かれている。ヒンドゥーの虐殺のことが詳しく書かれているのを目にすることだろう。

INFIDEL says:

アフガニスタンやバングラデシュのムスリムも最初はヒンドゥーだった。アショカ王の時代には中東でさえもがヒンドゥーの領土だった。このフォーラムで不快なコメントをしているムスリムもヒンドゥーの子孫たちだ。彼らの祖先は剣によって改宗させられた。アフガニスタン、パキスタン、インド、バングラデシュのムスリムはすべてヒンドゥーから改宗させられた人たちだ。

INDER JIT CHOPRA says:

イスラムの支配下でヒンドゥーは虐殺されていた。財産は略奪され女性は暴行され奴隷にされた。それを疑っている人は誰もいない。現在でさえも破壊された寺院の跡がそこかしこで見ることが出来る。どれだけが殺害されどれだけが暴行されたかははっきりとは分からないだろう。この悲劇はイギリスがインドに現れだした頃に初めて止まった。イギリスも1857年にインドが蜂起を起こした時に力によって抑えようとした。だが彼らはイスラムの支配者たちほど野蛮でもなければ残酷でもなかった…ヒンドゥーは歴史から何も学んでいない。ヒンドゥーは団結しなければならない。

2017年8月9日水曜日

アメリカでの凶悪犯罪の98%は黒人と外国人による犯行?

Murder Most Swedish

Randall Hoven

アメリカとスウェーデンではどこが似ているのか?殺人率の低さだ。白人のみが統計の対象であればとすれば。

FBIは2011年に最新の犯罪統計を公開した。14612件の殺人(murder)、12795件の殺人(homicide)が発生していた(ここではmurderとされているが実際にはmurder and nonnegligent manslaughterのことでこれには過失致死なども含まれる。これをhomicideと呼んでいる人が多いので注意が必要。定義上はhomicideの方が数が多くなるはずだが少ないのはFBIが殺人犯の人数と被害者の人数を紛らわしく記載しているためだと思われる。前者の数字は実際には加害者の人数で後者の数字は被害者の人数だが1人の殺害に多くの人間、例えば10人が関わっていた場合などがあれば前者の方が数字が大きくなる。逆に1人の犯人が多くの人間を殺害するケースはそれよりは少ない。それだけでは両者の乖離のすべてを説明できないのだがそれはsingle victim/unknown offender or offendersを見ることにより解決する)。これは10万人あたり4.7(4.1)に換算される。この率は世界全体としては平均だが西ヨーロッパよりは高い。例えばイギリスやフランスの殺人件数は10万人あたり1.2と1.1だ。

4.7という数字はアメリカに銃が蔓延していて銃に取り憑かれたカウボーイたちで一杯の場所だというレトリックを正当化させるのに利用されている(ちなみにベネズエラの殺人率は10万人あたり45だ。ベネズエラはさぞかしカウボーイで一杯の国なのだろう)。

FBIは誰が殺人を犯しているのかというデータも公開している。FBIのExpanded Homicide Data Table 3によると加害者の人種が特定されたケースは10471件だ。黒人がそのうちの5486件を占める。割合で言えば52%だ。

その割合が残りにも当てはまると仮定すれば黒人は7656件の殺人を犯している。

だがこれで終わりではない。不法移民も多くの殺人に関わっている。FBIの統計からは不法移民による犯罪を把握することはできないが、Government Accountability Office(GAO)は25064人の不法移民が殺人のために逮捕されたと2011年に報告している。分からないのは(1)それは何年間に渡ってのもので(2)捕まっていない不法移民が犯した殺人はどれぐらいあるのかということだろう。

World Net Dailyによると、「Steve King議員(共和党)によって公開された統計によると、不法移民によって毎日12人のアメリカ人が殺害されている」という。それは1年あたりに換算すると4380になる。その数字はGAOのものとそれほど離れていない。犯罪者の全員が捕まっているというわけではないことGAOの言う逮捕者が複数年に渡るものであることを考えればなおさらだろう。

では簡単な算数をしよう。2011年の殺人件数が14612(12795)だったとする。そのうちの7656が黒人によるもので4380が不法移民によるものだ。だとすると白人が犯した殺人は2576(759)ということになる(murderとhomicideの正確な数字が黒人と不法移民では分からないのでこの2つの値のどこか)。

数字を丸めるとアメリカには2億5000万人の白人がいる。従って白人の殺人率は10万人あたり1.0(0.3036)ということになる。スウェーデンと同じくらいだ(もしくは遥かに少ない)。

1.0という数字は私たちをカウボーイと呼ぶヨーロッパの国々と同じぐらいだ。だが殺人を犯していたのは「カウボーイ」ではなかったようだ。

UCLAで歴史を教えているPeter Baldwinという人間がいる。彼はレイシストではない。彼がレイシストだというのであれば彼の記事を掲載したHuffington Postもレイシストだということだろう。彼は「The Narcissism of Minor Differences(些細な違いに熱狂する恥ずかしいヨーロッパの人たち)という本を出版した。アメリカはヨーロッパと多くの点においてそれほど異なっていないということを示した本だ。彼の本の一節にはこのような記述が見られる。

「統計から黒人を除くと、殺人率のような数字でさえもアメリカとヨーロッパには違いがなくなってしまう」

彼は黒人に対して少し厳しすぎたかもしれない。不法移民も統計から除外するべきだった。

ところで保守派は「すべての黒人は犯罪者だ」と言っているといつもの短絡思考に走らないで頂きたい。黒人の99.98%は殺人を犯していないことを統計は示している。人種に関係なく、殺人を犯す人間というのは全体のほんの一部だ。たった0.02%の人間の犯したことに基いて全体のことを語るのは愚かというものだろう。

Illegal Aliens Murder at a Much Higher Rate Than US Citizens Do

Randall Hoven

ファクトチェッカーをファクトチェックする時のようだ。ワシントン・ポストのMichelle Yee Hee Leeはトランプ大統領が「彼らはメキシコから犯罪を持ち込んでいる」と発言したことをピノキオ4つだと評した。ワシントン・ポストは「大統領は不法移民が暴力犯罪や麻薬の密売に関与していると嘘を言っている」と付け加えた。

第一に、彼は一切の数字を口にしていない。言ったのは不法移民の一部がアメリカで犯罪を犯しているということだけでそれが事実だということは私たちの誰もが知っている。

第二に、ワシントン・ポストでさえもが認めているように大統領はメキシコ人全体を非難している訳ではない。アメリカに住んでいるヒスパニックのことに言及しているのでも特にない。不法移民のことに関して語っている。

ここで問題になっているのは不法移民が平均的なアメリカ市民よりも犯罪を犯していると大統領が示唆していることだろう。ワシントン・ポストはそれに対して嘘つきだと非難している。

ワシントン・ポストの妄想とは異なり彼らの主張は間違いだということを示すデータをGAOは持っている。以下に2011年のGAOの報告書からの一節を示す(GAO-11-187, Criminal Alien Statistics, March 2011)。

「連邦刑務所に収容されている外国人の犯罪者の人数は2010年では55000人だった。州や地方の刑務所に収容されている外国人の犯罪者の人数は2009年では296000人だった。その大半はメキシコを経由している」

(SCAAPとはState Criminal Alien Assistance Programのことで、ここでは「不法移民」のことを指す)。

連邦刑務所に収容されている犯罪者に関してGAOは「2005年には連邦刑務所に収容されている外国人の犯罪者は全囚人の27%を占めていた。2006年から2010年まで経過してもその割合は25%ぐらいでほとんど変化していない」と記している。

ワシントン・ポストはこの数字が2013年には38.6%にまで上昇していると報告書から引用している。だがそれらの連邦刑務所の数字を「不法移民の全般的な犯罪のトレンドを示すものではない」と貶している。何故ならば犯罪者の多くは州や地方の刑務所に収容されているからだそうだ。

GAOによると「アメリカで暮らしている外国人の総数は1080万人の不法移民を含めて2530万人」だと2009年では報告している。

2009年のアメリカの人口は3億680万人ぐらいなので、外国人は全人口の8.25%、不法移民は全人口の3.52%に相当する(彼らは連邦刑務所の25%を占めていたことを思い出す必要がある。そして2013年にはほぼ39%を占めていた)。

彼らはどれだけの犯罪を犯しているのか?ほぼ300万件だ。ここにその内訳がある(省略)。

ここからはデータの解釈が紛らわしくなる。それらの数字を比較しやすいように率に換算するにはどのようにしたらよいか?ここではGAOの方法を参考にしている。

「不法移民が受けた有罪判決の種類を判断するため、2003年から2009年の間に不法移民が受けた判決に関するU.S. Sentencing Commissionのデータを分析した。さらに2005年から2008年のArizona, California, Florida, New York, and Texasなど5つの州のデータも分析した」

従ってここにはアップルとオレンジを比較しているという問題がある。連邦政府のデータは7年間のものですべての市民をカバーしていない。州と地方のデータは4年間のもので不法移民だけしかカバーしていない(それもSCAAPを通して報告されたものだけだ)。

殺人事件を例として取り上げよう。GAOは25064人の「不法移民」が殺人の容疑で逮捕され有罪判決を受け刑務所に収容されていると報告している。それが7年間に渡るものだとすると、殺人率は不法移民10万人あたり14.2となるだろう。4年間に渡るものだとすると、殺人率は58.0にまで跳ね上がる。どちらにしても高い数字だ。

FBIはアメリカの殺人件数は10万人あたり4.7だと報告している。ワシントン・ポストがどうしてあのような結論に至ったのかはまったくもって謎ではあるが4.7はどう見ても14.2や58.0より低い。

事件の総数で見るとどうなるか?FBIによると2005年から2008年の4年間で67642件、2003年から2009年の7年間で115717件の殺人事件があった。GAOによると不法移民がそのうちの25064件を起こしている。それは、人口のわずか3.52%から8.25%を占めるだけだというのに関わらず、外国人の犯罪者が全殺人事件の22%から37%を起こしているということを意味する。

結論:不法移民はアメリカ人よりも遥かに高い率で殺人を犯している。少なくとも3倍から10倍は高い。

そしてそれらの数字は最も低く見積もられているものだと私は考えている。一例を挙げるが、殺人事件は連邦政府によってではなくほとんどすべてが州や地方によって扱われている。よってGAOのデータは少ない年度と不法移民しかカバーしていない州や地方のデータによって歪められている。ワシントン・ポストは「連邦刑務所に収容されている囚人は全囚人の10%を占めている」と記している。

GAOが挙げている犯罪のリストの90%が不法移民によるものだとしよう(不法に入国したこと自体は除外する)。不法移民は4年間で22558件の殺人を犯している。1年あたりだと5639件で1日あたりだと15件以上だ(Steve King共和党議員などは1日あたり12件だと報告している。保安官協会などは1日あたり25件だと推計している。それらの数字がどれぐらい確かなものなのかは分からない。だがそれらの数字はGAOのデータとそれほど離れている訳ではない)。

不法移民の1日あたりの犯罪件数のデータが一部のカテゴリーに限ってではあるがここに示されている。これらはGAOが殺人の場合と同じ方法で調べたものだ。

Kidnappings:  9
Murders:         15
Sex offenses:   43
Burglaries:       71
Assaults:         131

(これらの数字とFBIの数字を比較したいと思う人もいるかもしれない。だがmurder/homicideを覗いてはカテゴリーはマッチしない。私も不快に思っていることで、プロ移民派にデータが都合よく歪曲される原因でもある)。

さらに言えば不法移民の数字は逮捕され有罪判決を受け刑務所に収容されそしてSCAAPを通して報告されたものだけに限られている。それに対してFBIの数字は解決していようともなかろうとも、有罪判決を受けていようともなかろうともすべての犯罪が含まれている。殺人などの犯罪を犯した不法移民のうちで逮捕されていないもしくは有罪判決を未だに受けていない人々の割合はどれぐらいだろうか?

不法移民の犯罪に関するデータが利用できるのは2009年までだ。奇妙なことにバラク・オバマが政権に就任した頃と一致している。そして(自称)歴史上で最も透明性の高い政権、U.S. Statistical Abstractの発行を取り止めさせ、グローバルな気候のデータを捏造させた政権は言うまでもなく少しも透明ではない(日常に笑いを求めているのであれば連邦政府のこのサイトを見てみるといい。丁度オバマケアがスタートした頃に医療保険の加入率のデータが途切れていることに気が付くだろう)。

過去6年間で事態が良くなったのか悪くなったのかは、歴史上最も透明性の高い政権のおかげで憶測することしかできない。だがこれに関してもGAOが憶測の手掛かりを提供してくれている。

「2012年以降、アメリカとメキシコとの国境沿いで保護される(保護者のいない)子どもたちの人数が急激に増加している。Customs and Border Protection (CBP)によると保護者に置き去りにされてアメリカで保護された子どもたちの人数は2012年には24000人だったのが2013年には39000人に2014年には69000人へと増加している」

2年間で187%の増加だ。

ワシントン・ポストは以下のように記している。

「移民と犯罪に関する大統領の繰り返しの発言は犯罪が移民と、特に不法移民と結びついているという大衆の認識を強めてしまう。だがそれは間違った認識だ。その認識を支持するデータは存在しないし存在するデータに至ってはその認識を否定している」

だがGAOの数字はその認識を支持している。ようするに不法移民と外国人は人口の3%と8%に相当するに過ぎないが少なくとも殺人の22%から37%を犯している。不法移民はアメリカ人の10倍以上殺人事件を起こしている。

Kate Steinleの事件(不法移民に殺害された女性)は「例外的な出来事」として貶している人もいるだろう。だがGAOはそのようなアネクドートがわずか数年の間に25064件存在するということを明らかにしている。


(FBIが公開している殺人事件の凶器毎による分類。割合としては高いもののすべてが銃による犯罪というわけではない。ワシントンポストによると、現在では銃による殺人事件は10万人あたり2.5)


(犯罪者は白人として記録されるという有名な笑い話。ちなみにこの人たちは殺人犯というわけではないが当然ながら殺人犯も白人の犯行として記録されることがある)

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2017年7月17日月曜日

地球一の馬鹿と云われるマイケル・ムーア(とその信者)はどうして過去の人扱いされるようになったのか?

マイケル・ムーアについて書かれた記事を幾つか集めて翻訳してみた。
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400パウンドの人間が過剰消費の悪について我々に説教するべきだろうか?100万ドルのアパートメントに暮らす住人が自分は労働者の申し子だと主張するべきだろうか?エンロンは素晴らしい投資だと思っていた、ラルフ・ネーダー、ウェスリー・クラーク、ジョン・ケリーが勝つと思っていた、北朝鮮のキム・ジョンウンは国を良い方向に動かしていると考えていた人間が私たちに何か1つでもアドバイスできることはあるのだろうか?

マイケル・ムーアはパラドックスだ。自身の価値の証だとして富を誇示する億万長者だ。「私はミリオネアだ、マルチ・ミリオネアだ。まばゆいばかりの大金持ちだ。私がどうして億万長者なのかを知っているか?多くの人が私の映画を見たからだ。良いことじゃないか?そうだろう?」。

彼は超高級アパートメントに住んでいる。そしてそれを誇らしげにしている。「私はあの建物に住んでいる。私はアメリカのエリートが暮らすマンハッタン島に住んでいる。君たち庶民の生活を動かしている人々が私の隣人だ。私は毎日のように彼らと通りに出掛けている」。バケーションのためと称して彼はミシガンにもビーチに隣接する高級住宅を所有している。

彼は自分の子供を私立の学校に送っている(彼が擁護していると主張する労働者の子どもたちとは一切関わらせない)。そして問題を抱えている。ニューヨーク・ポストは彼がロンドンで起こした癇癪騒ぎについてレポートした。「彼の公演最後の2日間に、マイケル・ムーアはラウンドハウスの関係者全員を怒鳴りつけ自分は一晩の公演にたったの7万5000円しか受け取っていないと不満をぶちまけた。「彼は完全に正気を失っていた」とステージの関係者がロンドン・イブニング・スタンダードに語っている。「彼は一日中不機嫌そうで全員に怒鳴っていた。時給が5ポンドのバーのスタッフにさえも、彼らに対してお前たちは全員馬鹿で役立たずの無能だと叫び声を上げていた。それから彼はステージに上ってそのことを客の前でも語っていた」と暴露した。彼の公演最終日にはスタッフたちは仕事をすることもそれどころかシアターのドアを空けることさえも拒んだ」とニューヨーク・ポストは締めくくっている。

彼は自分の所得を公演ツアーで補っている。7万5000円という安い金額ではない。2004年の選挙前のツアーでは、彼はユタ・バレー州立大学に400万円を要求した。ザビアー大学には250万円をニュー・メキシコ大学には350万円を要求した。時給としては悪くないだろう。

彼をよく知る人間は彼のことをこのように形容している。「多くの人は彼のことをどこにでもいる普通の人のようだと思っているだろう。実際は金の亡者だ」。

彼の最大の主張は、自分が労働者の代弁者であるということ、資本主義の悪、(自分以外の)アメリカ人の身勝手さだ。

彼を偽善者と非難することは簡単すぎる。保守派の多くは彼を左翼だとして非難している。実際には、ごく一部に存在するまともな左翼や思考能力を失っていない左翼は彼のことを醜悪だと見做している。彼は現代版のリムジン左翼という形容がぴったりだろう。19世紀の悪徳資本家と価値観を共有している一方で、丁度上辺だけの髪型やガウンを選ぶのと同じようにベニアのように薄っぺらい上辺だけの左翼主義をその身に纏っている(左寄りのムーアの批判者はその様子をこのようにまとめている:ムーアが受けたのは富裕層の白人に労働者を蔑む機会を提供したからだと)。

ムーアの醜悪な人格に関してはこれぐらいで十分だろう。彼の主張の内容を調べてみよう。

彼の作品には一貫したテーマを見ることができる。そしてそれに必ずと言っていい程付随するのが騙しの手口だ。彼は結論を予め決めておりデータが存在しない場合は、単純にそれを捏造する。

Bowling for Columbine

この映画で、彼は話を捻じ曲げ視聴者を欺き意味が逆になるまでに台詞と音声を編集している。ある事例を見てみよう。彼は自分が狙いを定めた人間のスピーチを取り上げている。ところがそのスピーチは彼が期待していたような内容ではなく融和的で穏やかな内容だった。そこで彼は他のスピーチから台詞を抜き出し段落を切り取り文章を他の文章の前に挿入したりしている。他の場面で、彼は政治広告を批判しようとしていたがその内容が彼の望んでいたようなものではなかった。そこで他の異なる2つの広告を挿入しどこにも書かれていない題名をつけた。

Stupid White Men

彼の自己紹介と取れるこの映画ではショッキングな話を聞かされる。例えば20万人ものアメリカ人が誰にも知られることなく狂牛病で亡くなっているとか、ブッシュ大統領が選挙を盗んだとか、ネーダーが出馬していれば2000年の選挙で民主党に勝利をもたらしていただろうとか、エンロンは素晴らしい投資だったとかいうショッキングな話だ。12歳以上のアメリカ人が聞けば吹き出してしまうこと間違いなしだろう。

Dude, Where's My Country?

この本の中では、「テロ攻撃はなかった」とかニクソンは最後の民主党の大統領だったとか衝撃的な内容が記されている(さらに面白いことに、彼は8章では2004年の選挙は民主党が勝利する可能性が極めて高いと言っておきながら、11章では「民主党の指導者が、2004年の選挙を基本的に見限っている、ブッシュ大統領に勝てる可能性は極めて低い、オプラ・ウィンフリーでも出馬させることを考えていると彼に明かしたことから民主党は「プロの敗北者だ」と読者に対して語っているところだろう。
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ムーアの支持者の多くが私に対して、彼らの教祖に反対する人間は誰であれ若い無知な共和党員に違いないと主張するメールを送っている。

私は53歳だ。法学の博士号を取得している。4冊の本を出版し法学の査読誌に12本の論文が掲載されている(そのうちの1つは判決の根拠として最高裁に引用され11が13の控訴裁判所に引用されている)。最高裁とアリゾナ最高裁にまで持ち込まれた裁判に勝訴した(どちらの事例も困難な裁判だった--初めのは憲法第10条を巡っての訴訟で次のは死刑判決の取り消しを巡っての裁判だ)。1日だけ工場の組立ラインに並んですぐに辞めたムーアとは違って、本当に労働者階級だった。タイル張り職人の子供で工事現場で育ち夏にはPima Minesで働き父の店で働きながらロースクールに通っていた。その時のスキルは今でも役に立っている。今でもバスルームのタイルを張り直し家の改修などを自分で行っている。

私は共和党員ではない。機会があれば共和党員として登録しようかと考えてはいるが。

私はNRAとACLUの会員だ。Tucson Rod and Gun Clubの会長を努めている。

ところで、ムーアに賛成できるところが一つだけある(彼がその立場を表明しているということは助けにはならずむしろ同じ立場の人間を辱めているのではあるが)。それはテロとの戦いは政府の権限の拡大のために利用されているということだ。だがそれは特に新しい現象というわけではない。彼はブッシュ大統領を非難しているようだが、実際にはクリントン大統領の下で始まっている。
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車輪を再発見することに意味はない。David KopelはFahrenheit 9/11に強烈な打撃を与えている。それはFahrenheit 9/11の56の嘘として記されている。彼は新たに3つをそれに加えた。Moorewatchも映画で使用された嘘を見事に暴いている。ここではあの映画の主な2つの側面、すなわち捏造とそのスタイルに関して簡潔に触れたいと思う。

1.映画は「Dude, Where's My County」という彼の本の内容をなぞっている。それに対する反論として彼が情報を得たというソース、フロリダの選挙の話、アフガニスタンの架空のパイプラインの話、カーライル・グループの話などなどを指摘している。

2.彼が見出しでさえも誠実に見せるなどと期待してはならない。2000年の選挙に関して、彼はこのような新聞の見出しを視聴者に見せた(省略)。

そのような見出しは存在しなかった。彼は、再集計が行われてもブッシュ大統領が勝っていただろうという内容の記事に文句をつけていた編集欄の見出しの文字を勝手に書き換えていた(そのことについて彼はその新聞社から訴訟を起こされている)。

3.映画に対する関心を高めようと、彼はイラクの抑留者が虐待されている映像を所有していてその映像をもっと早くに公開しなかったことで良心の呵責に苦しんでいたと語っている。ニューヨーク・タイムズがこのように記事にしている。

「カンヌでの公開が終わった現在、彼は少なくともその映像の一部をメディアに渡すことを検討していると語っている。アメリカ軍の兵士が抑留者を笑いながら写真を取り、兵士の1人が布の上から囚人の性器に触れているという映像だ」

この「抑留者」のことをイギリスの新聞社に問い詰められると、その人間は抑留者でも何でもないということを彼は認めてしまった。「兵士たちは酔いつぶれたお年寄りをかつぎ、その際に布に覆われていた男性の性器に手が触れてしまった」というのが真相だった(自粛)。このことはアメリカのメディアでは当然一切報じられることはなかった。思わせぶりな記事を書いていたニューヨーク・タイムズも読者を欺いたことに関して何の訂正もしなかった。アメリカのメディアでは、ムーアが言うことは常に正しいということにされる。

4.ブッシュ一家とビン・ラディン一族とのつながりとされたものに関して:彼にとって大打撃だ。ビン・ラディン一族は大きな家族で構成されている。1988年に家父長が亡くなった時、彼は54人もの子供を残したと云われている(他の説では53人とも云われている。自分でさえも把握できていなかったのだろう)。それに孫や婚姻者、いとこなどが加わるとなると巨大な一族であるということが誰にでも分かる。一族の開祖は20世紀初頭にサウジアラビアへと移住し建設会社を立ち上げメッカの再建を任され、非常に宗教色の強いサウジアラビアという土地柄で宗教建築関連の仕事を一手に請け負った。一族のほとんどは西側寄りで子どもたちを教育のためにアメリカへ送っている。ようするに彼らがここにいるのはそういう理由だ。オサマは過激主義に走り家族から追放されサウジアラビアが彼を逮捕するように命じてからは1992年に国を飛び出している[Source: Frontline - About the Bin Laden Family]。

5.ビン・ラディンとブッシュ家をつなぐ鍵だと彼が言っているカーライル・グループについて:カーライル・グループは中東全土で3000億円にも渡る巨大なビジネスを展開している。ブッシュ親子はカーライルとよく結び付けられることがあり引退したブッシュ父はアドバイザーを務めていたりもする。ビン・ラディン一家は1兆3000億円の同社の資本のうち200億円を投資している[Source: Guardian Unlimited - The ex-president's Club]。だがそれがビン・ラディンとのつながりだというのであれば、彼は大問題に直面するだろう。カーライルを投資家の間で有名にしているのは、そして実際に100億円を投資しているのは他でもないジョージ・ソロスだ。そうだ、ブッシュ大統領を落選させるために30億円を投じたと云われるジョージ・ソロスだ。ソロスはビン・ラディンとつながっているのか?ムーアの定義によればそうなる。

6.ビン・ラディンが逃亡したという彼の主張について:彼はこの陰謀論を大きく扱っている。ビン・ラディンとサウジアラビア人がブッシュ大統領からの協力によって9.11直後は飛行が禁じられていたにも関わらず国外に脱出したという話だ。

9.11調査委員会がわざわざ彼の主張に付き合ってくれている(pp. 329-330)。

「第一に、飛行が再開される前にサウジアラビア人が飛行機に搭乗したという記録は存在しなかった。その逆に、搭乗が確認されるのは飛行が再開されてからだった」

「第二に、政治的介入が行われたという証拠は存在しなかった」(Discussion of how decision was made by Richard Clarke in coordination with the FBI)

「第三に、我々はFBIが国外に出国したサウジアラビア人を適切にスクリーニングしていたと考えている。FBIは容疑が掛けられている全員を出国前に尋問している。FBIは搭乗者の誰もテロ攻撃とは関わっておらずその結論を変更する証拠も見つかっていないと結論している」

クラーク(ムーアによって英雄であると描かれている)もこのことを確認している。彼(実際には捕まっていないのが不思議なほどの大罪人)はThe Hillにこのように語っている。「それは私の責任です。あれが間違いだったとは思っていません。もし同じような状況に置かれたとしても、その時と同じ決定をするでしょう」「私の権限だけではそのような決定はできません」「9月11日にせよ9月12日にせよ9月1日にせよ、私の権限でできたことは多くありません。その決定はFBIと協力して行いました」。

捏造のスタイルに関して:彼はこれまでで最高のプロパガンディストだ。これはこの領域で競争がほとんど行われていないことが原因かもしれない(陰謀論は政府型のものが多くを占めている。それらには巧妙さもテクニックもほとんど必要とされていない)。だが他にも彼の陰謀論にはこれまでの陰謀論とは興味深い違いがある。

ここでは「プロパガンダ」という言葉に特に軽蔑の意味を込めていない。彼のテクニックを理解するまでは、彼の陰謀論が他とどう異なるのか分からないだろうからだ。彼のプロパガンダの技法の幾つかの基本原則を見ていこう。

1.語り手にははっきりと語らせてはならない。視聴者に事実とは異なる印象を間接的に生み出させるのでなくてはならない

この手の手口をよく用いる詐欺師のうちで彼のようにプロパガンダの芸術にまで高めた語り手をあまり知らない。彼は自分がXについて語ることなく視聴者にXは真実だという印象を与える映像や台詞の使い方をよく心得ているようだ。誰かがXは嘘だと証明したとしても、自分はそのようなことは言ってないから「無関係だ」と主張するだろう。

他の人々が残されているというのにサウジ人たちだけが出国を許されていて、FBIは彼らへの尋問を妨害されたのだという印象をあの映画の視聴者は持つことだろう。だが彼はそのようなことは実際には言っていない。そしてサウジ人は制限期間中に出国を許可されておらずFBIは彼らを尋問する機会を与えられていたと結論した9.11調査委員会の報告書が提出されると、彼は姿をくらませた。『「Fahrenheit 9/11」のアシスタント・プロデューサーJoanne Doroshowは、ムーアは出国禁止期間中にビン・ラディンが逃げ延びたと示唆したことは一度もないと語った』とワシントン・ポストは記している。確かにその通りだ。

2.文脈を無視して新たな文脈をそこに挿入する:プロパガンディストの新しい道具は単に文脈を無視するに留まらない。そこに新しい文脈を散りばめる。コンドリーザ・ライスはフセインと9.11にはもちろん関係があると言った人間として登場する。視聴者には残りの文脈、そのつながりとは計画や援助のことではなくイスラム過激主義的側面を持つということであるということは知らされない。

彼はその発言を利用して、ブッシュ政権が人々を欺いていると示唆させる。ラムズフェルドがレポーターたちに対して「あなたたちは毎日のように事実ではない話を聞かされているだろう?事実であるかどうかに人々は関心を寄せていないようだ」と発言している映像を流している。その文脈では、彼や他の人々は毎日のように嘘を言っていてレポーターはそのことを誰も気に掛けていないようだと彼が発言しているように見える。実際の文脈では、彼は重大な情報を掴んだと主張するレポーターに対してその情報は誤りであり噂にすぐに飛びつくレポーターたちに警告を発し批判している。

3.時間と場所を移す:プロパガンディストはそれが語られた時には意味を持つ台詞を不適切で馬鹿馬鹿しく不誠実であるように見える時間と場所へと移し替える。ムーアは再び彼がこれを得意としていることを証明した。

ムーアはテロとの戦いの目的の1つは人々を混乱させることだと主張している。それから映像はテロは危険だと言いながら皆に旅行を勧めているブッシュ大統領が収められている場面から、テロは差し迫った脅威だと言いながら心配することはないとブッシュ大統領が呼び掛けている場面を幾度も往復する。それだと確かに混乱させているように聞こえる。だがブッシュ大統領が人々に旅行を呼び掛けている映像のすべては2001年にブッシュ大統領が航空会社の従業員に対して行っていたスピーチからのものでテロとの戦いに勝つには日常生活を再開させるにはどうすれば良いかをテーマにしたものだった。他の映像は2003年から2004年に掛けてのものでテロの警戒水準が引き上げられた時に語られた時のものだった。

ムーアは視聴者に対してブッシュ大統領が9.11調査委員会の設置に反対したとの情報を与えた。それから「我々はKean議長やHamilton議員と密接に協力を行っている」とブッシュ大統領が語っている映像を視聴者に見せる。その後には「必要とする資料(情報)を私たちはまだ手にしていない。特に必要な時に渡されていない」と語っているKean議長の姿が映される。

ブッシュ大統領が嘘を言っているかのように演出される。だが本当の話はこうだ。議長が不満を漏らしたのは委員会が仕事を始めた2003年の6月のことだ。そして実際には「ホワイトハウスは協力的だ。だがいくつかの機関、特に国防総省などが協力的ではない」と語っている。ブッシュ大統領が政権は緊密に協力していると言ったのは2004年の2月のことで7ヶ月と少し経過しておりその時には実際にそうなっていた(「最終的には私たちには必要とするすべての情報に対してアクセスが与えられた。要求したすべての書類を私たちは閲覧できるようになった」と議長は語っている)。だが時系列を入れ替えることで、ムーアは誠実な発言を嘘であるかのように演出した。

4.彼は奴らの手先だ:プロパガンディストにとって欠かせない重要なツールは標的を特定のグループと結びつけることだろう。それから彼らは我々とは違うと言い始める。彼らの見掛けは我々とは異なり奇妙な服を着ている。ようするに彼らは彼らだ。ナチスにとってはユダヤ人がそうだった。

ムーアにとってはアラブ人だ。彼はアラブ人を奇妙でいかがわしい人々であるかのように描いた。それから彼らをブッシュ大統領と結びつけた(それほど難しいことではない。石油業界に携わっていればアラブ人と関わらずにいるのは難しい)。

重要なのはムーアが大統領をタリバンやビン・ラディンと結びつけようとしていることだろう。最も極端な形での「彼ら」だ。従って彼らが同じ国内にいたと主張するのではまったくもって十分ではない。ムーアはタリバンの代表がアフガニスタンを通るパイプラインを建設するため当時テキサス州の州知事だったブッシュ大統領の下を訪れたと記している。私がその主張を以前検討した時に記していたように、彼らの訪問とブッシュ大統領は何の関係もなく、そのパイプラインはテキサス州に本拠を置き民主党の大献金先であるユノカルに便宜を図るためにクリントン政権が推進していたものだ。それからムーアはタリバンの代表がワシントンを訪問して(ブッシュ大統領が当選しテロ攻撃が起こる前)ブッシュ政権と会談したと語っている。ブッシュ政権が彼らに対してタリバンを政権とは認めないと言ったこと、ビン・ラディンに対して敵対的な活動を行っているとは信じていないと語ったことには言及しない。

5.目的を達成するためなら手段をまったく気にしない:建設的な批判とプロパガンダとの違いの1つはコアとなる倫理観だ。建設的な批判はそれに満ちている。プロパガンディストは自分の議論の性質を気にも留めない。ただ標的を攻撃することにしか関心がない。その結果としてプロパガンディストは自分で矛盾したことを言っていてもまったく気にしない。標的がどのような行動を取っていたとしても非難することが出来る。例えば、

2001年の9月にムーアが言っていたこと:タリバンを攻撃するべきではない:

「ホワイトハウスを占拠している男が嘆いた。いいぞ。嘆き続けろ、ブッシュ。お前が嘆けば嘆くほど人間性のダークサイドに陥る危険性は少なくなる」

「だが戦争を宣言し無実の人間を虐殺するな。私たちが選挙で選んだ大統領はビン・ラディンのテロ攻撃の後、彼が云うところのアフガニスタンの「ビン・ラディンのキャンプ地」を攻撃しに行った。だがその代わりに民間人だけを攻撃した」

「分かった、ブッシュは空のキャンプにミサイルを打ち込んでなどいなかった。彼はアフガニスタンに入りタリバンを転覆しその過程で最小限の被害しか出さなかった」

映画でのムーア:「ブッシュはより多くの軍隊と軍事力でアフガニスタンを攻撃しなかったことにより、ビン・ラディンの捜索をアメリカ人以外に「アウトソーシング」したこと、その結果としてビン・ラディンを逃したことにより混乱を招いた」

他の例:彼はブッシュ大統領に戦争以外の手段はすべて使用するように要請していたにも関わらず、上でも説明したように映画の中では大統領がタリバンの代表と会ったというだけの理由で彼がタリバンと親しすぎると示唆している。ようするにムーアはブッシュ大統領が外交を行っていても非難している。標的がどのような行動を取ろうともプロパガンディストの標的は攻撃され、その攻撃の矛盾性は気づかれることはない。
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ムーアは「嘘にどう対処するか」と題してこのサイトを攻撃しているがさらに墓穴を掘ってしまったようだ。彼の誠実性(そのようなものが存在すればだが)に対する批判に答えようというこのウェブページは実際には強烈な批判は認め、残りは無視しそして彼の主張にも幾らかの正当性がある部分に対するわずかの批判だけに標的を絞って回答している。面白いので少し見てみることにしよう。

ムーア:「有名になると、興味本位で自分のことについて他人が書いたユーモラスな作り話を所謂「大衆の目」が読んでいるということに慣れなくてはならなくなる。事実、極めて尊敬でき信頼もされているメディアが私は大学を卒業していて(していない)私が工場労働者だ(1日で辞めた)と書いているのを見たことがある」

メディアはどこからそのような情報を得たのか?恐らくは彼へのインタビューだろう:

『彼は自分のルーツが彼の仕事を形成したと語っている。「自分が労働者の出身であることが影響しているのだろう。あまり礼儀というものを教えられることはなかった」と彼は語っている』(彼は実際にはニューヨークに住んでいるのに、住所を「マイケル・ムーア、ミシガン州フリント」と偽っている。例えば、

「ニューズウィークは私がセントラルパーク西のペントハウスに住んでいると書いている(私はギャップの店舗の上に住んでいる。公園になど住んでいない…)」

彼は言葉遊びをしているようだ。まるで彼が商業地区のロフトみたいな場所で暮らしているように聞こえる。

彼は2億円のペントハウスに住んでいる。セントラルパークからわずか1、2ブロックしか離れていない場所だ。そこを探しに行ったことがある。これがその時の写真だ(ペントハウスを写真に収めることはできなかった。だが角のところにギャップ・ストアが映っているのが確かに見える。16階も下にだが…)。

Violence Figures.

ムーア:「私はアメリカの銃による殺人件数を偽ったとさえ糾弾されている。彼が言っている残りすべての事柄と同じように完全な嘘だ。映画の中で使用されたすべての統計は本物だ。すべて政府の統計を使用した。これらは事実だ」

まったくもって有益な回答ではない。具体的なことは何も明かされていないからだ。

「11127人が銃により亡くなっているという数字はCenter for Disease Controlのレポートに掲載されている」

ビンゴ!私のウェブページ上では、彼が数字を拾ってきたのは恐らくそこからだろうと予想していた。ようやく確認が取れた!

彼にとって悪いことに、彼は私の質問に答えていない。この数字はFBIが毎年公開している数字よりも数千人以上多い。

「私の映画の中の事実はすべて正しいとはっきりと保証する」

これを見た時、笑いを堪えなければならなかった。ジョークを言っているつもりなのか疑ってしまったほどだ(誠実性に関して彼が抱えている大きな問題のことを考えれば、彼にはユーモアのセンスがある)。言うまでもなく映画の中の「すべての事実」は「正しい」だろう。そうでなければ事実ではなくなってしまう。ゲッペルスやニクソン、聖ラルフなどの嘘つきも皆同じことを言っただろう。彼らが言ったすべての事実は正しいと。

ムーア:「私に対するNRAからの訴訟の数はゼロだ。そうだ、ゼロだ」

それは彼が名誉毀損罪に抵触するのを非常に気にしているからだろう。そのような状況では「公的な存在」が訴訟に勝つのはほとんど不可能だ。公的な存在に向けられた名誉の毀損は言論の自由によってかなりの程度まで守られている。それをまとめたものがここにある(省略)。

彼はそのことをもっと早く知っているべきだった。彼は「Roger and Me」という映画で公的な存在ではない個人を中傷してしまったため1993年に評決で有罪を宣告されている。この映画がテレビで一度も放映されたことがないのは恐らくはそれが原因だろう。私は彼のスタジオが敗れたこと、彼が控訴しなかったことをその時の弁護士に確認している。興味深い話:裁判所はとある社会活動家を中傷したとして彼を非難している。その社会活動家とはその時までは彼の友人だった、冷酷で彼が忌み嫌っているはずの大富豪だった。

彼は他でも有罪を宣告されている。「The Awful Truth」での意図的な侵害に対して7億円を賠償するように言い渡されている。だが被害者が公的な存在だったために評決は覆された(私が見るところでは、原告側は戦術面で誤りを犯したように思われる。それを当時無名でお金もあまり持っていなかった彼をではなく映画を公開したスタジオの方を訴えるべきだった。そのせいで原告側はムーアではなくスタジオ側が「悪意を持って」誤った言明をしたとの証明をしなくてはならなくなった。スタジオがそのような悪意を持っていたかどうか誰にも証明することはできない。スタジオはムーアが撮影した映画を公開しただけだ)。

さらに彼は他の映画に関しても訴えられている。James Nicholsという人が彼を訴えている。この訴訟の行方がどうなるかは分からないが、ムーアが訴えられているというのは確かだ。

最後に、私たちが彼から云われたことをそっくりそのまま送り返そうと思う。彼は嘘つきだとしてこのサイトを含めて、Moorelies.com、Moorewatch.com、Michael and Me、Fahrenhype 9/11、Michael Moore Hates America、Michael Moore Is A Big Fat Stupid White Manで酷評されている。彼は私たちに対して一度でも訴訟を起こしたことがあるだろうか?
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Fifty-nine Deceits in Fahrenheit 9/11

by David Kopel

メディアから聞かされたことがその人の知っているすべてであれば、その人は幻想の世界に住んでいる。だが1つの幻想の世界を他の幻想の世界に置き換えたのでは真実を知ることはできない。Fahrenheit 9/11は不誠実でパラノイド的で憎悪に満ちた空想の作り話だ。真実を学び、自分の目で判断する必要がある。

ブッシュ大統領に投票するにせよしないにせよ、それらの判断は真実に基いて行われる必要がある。ドキュメンタリーであれば真実と正しい論理によって人々を納得させるのでなければならない。嘘とプロパガンダで人々を操作しようとするのは民主主義に対する攻撃だ。

1.ゴアの「勝利」を祝ってのラリーはフロリダでの勝利を祝ってのことではない。そのラリーは開票が行われる前から行われていた。

2.他のテレビネットワークと同じく、FOXもフロリダでゴアが勝利したと誤って伝えた。誤報を最初に撤回したのはCBSであってFOXではない。

3.主要な新聞社が6ヶ月に渡って共同して調べた調査によると、ゴアが裁判で要求していたどの方法で再集計を行ったとしてもブッシュ大統領がフロリダで勝利していたことを示している。

4.Palm Beach Postやその他の調べによると、選挙管理人がある有権者たちを誤って投票資格なしとしたのは人種が理由ではない。

5.9.11以前にブッシュ大統領をレイム・ダックだと言っていたコメンテーターは誰もいない。議会は彼の減税法案を通過させ教育法案を通過させようしている矢先だった。映画の最後の場面で、ブッシュ大統領が富裕層の聴衆に向かって呼び掛けているシーンが映されているがそれは2000年の選挙資金集めの時の様子だ。ゴアもブッシュ大統領も選挙資金集めの時には富裕層に語りかけている。

6.「9.11以前の8ヶ月間、ワシントンポストによるとブッシュは休暇を取っていた。大統領に就任してから42%もの時間をだ」と彼は語っている。彼が参考にしたというその記事に記されているように、その数字には週末の休暇やブッシュ大統領がトニー・ブレアと話し合うなどして働いていたキャンプ・デービットのような「vacation locations」で過ごしていた時間などが含まれている。

7.ゴルフコースの場面では、ブッシュ大統領が聞いていたのはイスラエルでのテロ攻撃のことだった。彼はイスラエルに対するテロを非難するとの声明をメディアに向かって即座に出した。彼はアメリカでのテロ攻撃のことを喋っていたのではない。

8.ブッシュ大統領がアルカイダに関する2001年の報告書を読んでいなかったという証拠はない。

9.報告書の題名に「vagueness」と書かれていたから読まなかったとブッシュ大統領は一度も主張していない。

10.その報告書には「オサマ・ビン・ラディンが航空機をハイジャックしてテロ攻撃を計画している」とは書かれていなかった。FBIは「もしも、そのような攻撃があったとしたら対処できないだろう」と書かれているだけだった。

11.サウジ人たちは一般人にも航空規制が解除された後に初めて出国した。

12.Richard Clarkeと9.11調査委員会によると、(ムーアが英雄だと主張している)彼がサウジ人たちの出国を許可した。上からの圧力は掛けられていない、と(ムーアによれば真実の人であるはずの)彼自身が証言している。

13.映画ではクラークの考えが聴衆に対して正確に再現されているとムーアはTVレポーターたちに嘘をついた。クラークは映画の中のサウジ人たちの出国の様子をムーアが編集した「捏造だ」と呼んでいる。

14.映画での主張とは真逆に、9.11調査委員会は出国を許可される前にサウジ人たちは「詳細な尋問」を受けていたと報告している。

15.James Bathはブッシュ大統領が顧問を務めていたエネルギー会社Arbustoにビン・ラディン一族のお金を投資などしていない。彼は自分のお金を投資していた。

16.ホワイトハウスが公開したAlabama National Guardの記録から彼が黒塗りされていたのは、健康に関する個人情報の公開が連邦法により禁止されているからだ。

17.映画ではヴァンダル王子がブッシュ政権が率いるアメリカ政府に大きな影響を与えているかのように描かれている。だがアメリカ政府がサウジの王朝に対して媚びへつらうのは両党の長年の伝統でブッシュ大統領が初めたことではない。

18.Harken Energy:ブッシュ大統領は会社の弁護士がOKを出してから初めて株式を売却している。

19.ブッシュ大統領が「ラップを口ずさんだのは」彼がインサイダートレーディングに関わっていないことが証明されたからだ。

20.カーライル・グループはブッシュ大統領との関わりが特に強い会社というわけではない。ジョージ・ソロスを含めて彼の敵の多くが株主だ。

21.ブッシュ政権はクルセイダーの受注をキャンセルしたことによってカーライル・グループに大打撃を与えている。ブッシュ政権で武器の受注がキャンセルされた数少ない事例のうちの1つだ。

22.ビン・ラディン一族は株式を売却する前にカーライル・グループから手を引いている。ブッシュ家と関わりがあるとされる会社に彼らが投資した1400億円のうちほとんど大部分のお金はブッシュ大統領の父がカーライルに加わる前に同社に投資された。

23.Craig Ungerはサウジ人たちがアメリカに86兆円投資していると主張している。その数字は彼が書いた本「House of Bush, House of Saud」に記されているものだが、彼が参考にしたというどのソースもそのような額を支持していない。

24.サウジ人たちが「アメリカの7%」を所有しているとムーアは主張している。だが架空の86兆円という数字を真に受けたとしても、サウジ人たちは外国からのアメリカへの投資総額の7%を占めるに過ぎない。アメリカが100%外国人に所有されていた場合にのみ彼の主張は正しいといえるだろう。

25.サウジ大使は特別な待遇など受けていない。シークレットサービスによって警護されている唯一の大使でも何でもない。アメリカが批准した国際条約によって保護を求めた大使には警備を与えることが定められている。

26.ブッシュ大統領はサウジの命令によって動いているという彼の主張はアフガン攻撃(サウジが強力に支援していたタリバン政権を転覆させた)やイラク攻撃(イラクの石油が競合するようになるためサウジは反対した)と矛盾している。

27.テキサス州の州知事だった時代に、ブッシュ大統領はタリバンの代表と一度も会っていない。

28.ユノカルによるパイプライン建設はクリントン政権によって後押しされた。だがユノカル自体が1998年にその計画を破棄している。

29.アフガン新政府はパイプラインを建設する契約に署名した。だがそれはユノカルが提案していたものからは数百マイルも離れたまったく異なるものだ。

30.新しいパイプラインの建設は始まっていない。彼は「(クルーグマンがアドバイザーを務めていた)エンロンがそのパイプラインの建設から利益を得ている」と主張しているが、エンロンはどちらのパイプラインにも一度も関わっていない。

31.ブッシュ大統領はタリバンの外交団が2001年の月に訪問してきた時に「歓迎」などしていない。オサマ・ビン・ラディンを匿っているとしてむしろ非難している。

32.映画ではアフガンへの攻撃を支持しているフリをしているが、彼はアフガン攻撃に反対していた。そして2002年の12月にはオサマ・ビン・ラディンは無罪だろうと主張していた。

33.アフガン攻撃はサウジ家の利益を守るための戦いだとムーアは主張しているが、彼はアフガンがタリバンから開放されたという結果からは目を逸し続ける。アルカイダのトレーニングキャンプが破壊されたこと、自由選挙が開催されるようになったこと、女性の解放、150万人のタリバン難民たちの帰還などなど。

34.ブッシュ政権が9.11調査委員会に協力していないという誤った印象を捏造するために発言のあちこちが並べ替えられている。2003年の7月に議長は協力が不足していると不満を漏らした。2004年の2月には、ホワイトハウスは完全に協力していると発言した。議長はそれに同意し、「前例がないほどの」情報へのアクセスを提供してくれたとしてホワイトハウスを称賛した。

35.アシュクロフトは「死亡した男」にシアトルの選挙で敗れたのではない。Mel Carnahanは選挙の数週間前に飛行機事故で死亡した。ミズーリ州の州知事はもし有権者が許すのであれば未亡人となったJean Carnahanを指名することを約束していた。

36.FBIは航空機の訓練学校に通っていたアルカイダの容疑者を「知らなかった」。その情報はFBIの一地方支部にとどまり続け上層部にまで届けられることはなかった。

37.アシュクロフトがテロ対策予算を削減したことなどない。彼はすでに2年間に渡って使われていなかったあるプログラムに対する1年間の予算の削減を提案しただけだった。

38.Porter Goss議員は自分は「800番代の電話番号を取得している」と語った。映画の字幕では「彼は嘘をついている」と書かれている。Gossは実際にフリーダイヤルを取得している。市外局番は877ではあるが…

39.ムーアはサダム・フセインのイラクは「アメリカ人を1人も殺害していない」と言っていた。実際にはサダムはイスラエルでアメリカ人(以外も殺害されているが)を殺害した爆弾犯に資金を提供している。他にもサダムはアメリカ人を殺害したテロリストAbu Nidalと1993年の世界貿易センタービル爆破事件で爆弾を製造したテロリストを匿っている。

40.それに加えてサダムはブッシュ前大統領の暗殺とフィリピンのアメリカ大使殺害を命じている。

41.ムーアは「サダムはアメリカを一度も攻撃しようと企てたことがない」と主張している。実際には、1997年に「アラブ地域のアメリカとイギリスの同盟相手、大使館、軍艦などをアラブの政治勢力による攻撃の対象とせよ」と命じている。9.11の1年後に、サダムはアメリカに対する自爆攻撃を呼び掛けた。

42.ムーアはイラクとアルカイダの間には何の関係もなかったと主張している。実際には強力な結びつきがあったことが膨大な資料によって確認されている。ただ9.11調査委員会が言っているように、サダムが9.11のテロ攻撃に事前に参加していたかどうかは定かではないが。

43.ムーアの映画ではコンドリーザ・ライスが「イラクと9月11日に起こったことには何らかの関係性がある」と語っている場面が映されている。(イラクと9.11の間に関係があったとする証拠は見つかっていないとする9.11調査委員会の報告を事前に見せられていた)聴衆は彼女(アフリカ系アメリカ人)を笑い者にした。実際にライスが語ったことはこのような内容だった。

「イラクと9月11日に起こったことには何らかの関係性がある。それはサダム自身が関わったとか彼の政権が9.11に関与していたとかそういう意味ではなく、9.11を引き起こしたものが何であったかを考えると、人々をニューヨークのビルディングに突撃させたものは憎悪のイデオロギーの勃興であったように思われる。これは人々から自由を奪うことをその使命と定めている巨大なテロ組織、国際的なネットワークを持つテロ組織によって引き起こされた事件だ。憎悪のイデオロギーは暴力を駆り立てることによってイスラムを平和な宗教から遠ざけることになった。それらはすべてつながっている。そしてイラクがそのすべての中心地だ。イラクが平和的で民主的、繁栄した中東の中心に生まれ変わることができれば、中東が変わり始める兆しを目にすることができるだろう」

44.ムーアは開放される前のイラクは幸福に満ち溢れた素晴らしい国だったと主張した。実際には、人口の6分の1がサダムの圧政に耐えかねて国外に逃亡している。国連とアムネスティは「イラク政府は基本的人権と国際的に定められた人道に関する法を完全に踏みにじっており、その結果として(国中に行き渡っている差別と恐怖によって)ありとあらゆるところにまで精神的、肉体的抑圧が広がっている」と非難している。

45.ムーアが唯一見せたがるのは民間人の負傷者だけだ。軍人の負傷者の方が割合としては圧倒的なのだが。

46.破壊されたビルの映像を視聴者に見せる時、それらは軍事施設で民間人はその近くに立ち入ることが許されていないということは決して伝えない。

47.イラク解放軍に参戦したのは小国ばかりだと言ってムーアは観客の笑いを誘おうとしている。解放軍にはイギリス、オーストラリア、イタリアなども参戦していたことは決して伝えない。

ムーアの醜悪さをよく表すエピソードがある:戦死した空軍の少将だったGregory Stoneの葬式がArlington National Cemeteryで行われた葬儀の映像は親族の許可もなく家族が猛反対していたというのに撮られた。ストーン少将は強い信念を持ってイラクでの任務にあたっていたし彼の家族もそれを支えていた。Massachusetts National GuardsmanのPeter Damonの映像も彼の許可なく使用された。

48.ムーアの主張とは異なりアメリカのメディアはイラク攻撃に賛成などしていなかった。例えばPeter Jenningsは強く批判的だった。彼が攻撃の支持者だとしてムーアが出している証拠とやらは2003年の4月にサダム軍が敗北した時の様子を彼が伝えている時の一コマで、それ自体は嘘でも何でもない単なる事実だった。

49.アメリカ軍の兵士がシートにくるまっている男性をからかっているように見える映像は捕虜に対する虐待ではない。彼らはお酒を飲みすぎて通りで倒れていた男性を運ぼうとする際にちょっかいを出してしまっただけだ。

50.ムーアはブッシュ大統領が退役軍人の病院を幾つか閉鎖しようと提案していると主張した。だがブッシュ大統領は代わりに他の退役者の病院を解説することを提案している。

51.ブッシュ大統領は「危険地域」で任務にあたっている兵士たちに支給される特別手当の更新に一度だけ反対したことがある。ムーアはブッシュ大統領が兵士たちの給料を3分の1カットしようとしていると捻じ曲げて伝えた。

52.ブッシュ大統領が給料の削減を提案したと誤った主張を広める一方で、ブッシュ大統領が2003年に兵士たちの3.7%の昇給を議会に認めさせたことはムーアは一切伝えようとはしない。

53.ムーアはイラクに自分の息子を送り込んだのはたった1人の議員だけだと主張している。実際は2人だった(Democratic Senator Tim Johnson of S.D., and Republican Rep. Duncan Hunter of California)。ジョン・アシュクロフト議員の子供もペルシア湾で勤務している。

54.映画ではマーク・ケネディ議員の映像が意図的に編集されている。彼が議員の息子のリストの作成を拒んだかのように編集されている。実際にはケネディ議員はそれは良い考えだと語っており協力を申し出ている。

55.映画ではMichael Castle議員がムーアを無視して通り過ぎていく様子が映されている。だが彼にはそもそも子供がいない。

56.国勢局のデータによると、他の世帯と比べて議員の息子はイラクで従軍している割合が高い。

57.ムーアはミシガン州フリントを「自分の故郷」と呼んでいる。実際には彼はDavisonで育った。フリントよりも遥かに豊かで白人の割合も高い地域だ。

58.映画の中ではムーアはアメリカ軍を支持しているかのようなフリをしている。実際には彼は敵を支持している。サダムの親衛隊とアルカイダとの連合、イラク人を殺害しイラクの民主主義の可能性をわずかでも破壊したいと欲して力を合わせているイランやシリアが操っているテロリストたちを。ここにイラクに全体主義をもたらそうと活動している勢力に対して2004年の4月14日にムーアが語っている内容がある。「占領に対して立ち上がったイラク人はテロリストではない。彼らは革命者だ。彼らは勢力を増し勝利するだろう」。車爆弾で意図的に市民を殺害しているイスラム原理主義者もしくは圧政を敷いてきたバース党にイラクを支配させたいと欲している人間が、アメリカ軍を支持していると本気で思うだろうか?

59.Screen Dailyですでに記されているように、イランとシリアが援助しているテロリスト集団ヒズボラがムーアの映画のプロモーションを行っていた。この映画の中東での配給会社であるFront Rowはテロリストからの援助を受け取っていた。

「この映画のマーケティングを担当したFront Rowという会社はレバノンを拠点とするヒズボラと関わりのある組織から援助を受け取っていた。この会社のマネージング・ディレクターであるChacraはこの映画が反米ではなく反ブッシュだと感じたと主張しているが、彼らの協力がなければレバノンやシリアでは映画の放映ができないため拒否することはできなかったと語っている(Nancy Tartaglione, "Fahrenheit to be first doc released theatrically in Middle East," Screen Daily.com, June 9, 2004)。この話はSamantha Ellisも記事にしている(Fahrenheit 9/11 gets help offer from Hezbollah," The Guardian (London), June 17, 2004)。

Slate.com (6/24/04)はこの話の更に詳しい内容を記事にしている。「この会社のマネージング・ディレクターGianluca Chacraはヒズボラのメンバーがこの映画を支援するために私たちにできることはないかと持ち掛けられていたことを認めた。彼は(彼らを)恐れるでもなく、彼らの提案にむしろ興奮したと語っている。レバノンを実行的に支配しているそのような組織から援助を受けられることはレバノンの市場を押さえるにあたって非常に大きなことでまったく問題ではないと思う。これは極めて当たり前のことだ」と記している。

数百人のアメリカ人を殺害し、アルカイダや他のテロリストと共同して動き、現在はアメリカ人の兵士とイラクの民間人の殺害を目論んでいるテロリスト組織から援助を受け取ることが愛国的だと本当に思われるだろうか?
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9.11「陰謀論」は、共和党とブッシュ政権が真の敵でありテロによる脅威は存在せずサダム・フセインはイラクの村を毒ガスで滅ぼしてなどいない善人だったと主張する「Fahrenheit 9/11」により始まっている。

2007年にムーアに友好的な映画を撮影していたカナダ人たちは、彼がすべての映画で大嘘を言っていることに気が付いてしまい彼の嘘を暴くドキュメンタリーをその後に制作することになる。それを見た多くの人々はムーアの主張に疑問を抱き始めることになった。そのカナダ人の映画監督たちは極左でムーアのファンであることが知られていたので、彼らの映画の方はというとリベラルなメディアからは大絶賛されている一方で、そのすぐ横に置かれていたドキュメンタリーの方はというと(彼らのものだとも知らずに)右翼によって事実が捻じ曲げられた最低の駄作だとして酷評された。ムーアのような手口で中傷されるのを好み人間は誰もいないだろう。彼らがムーアと政治的には同じ立場にいたとしても。

2008年にNational Geographicsはサダム・フセイン統治下のイラク人の暮らしを彼らが調べたビデオを放映した。そのビデオには人々がビルから投げ落とされ殺害されているシーンやサダムが実行させている他の人道上の犯罪の様子が映されていた。サダムはそれらの映像を撮影させ人々を恐怖の底へと陥れるためにイラクTVで放映させていた。ムーアの主張はまたしても信頼のできるソース(これ以上のものはないだろう)によって完全に否定された!

彼が映画で嘘を言っていることはずっと前から知っていた。例えば「Bowling for Columbine」では、彼は映画の冒頭から嘘を言っている(口座を開いた人に銃を贈った銀行は存在しない)。そのシーンは完全に捏造されたものだ。「Roger and Me」という映画では、彼はミシガン州のフリント出身だと主張しているが実際には映画を撮影する前は彼はそこを訪れたことさえない。

ムーアはそもそも自分はドキュメンタリーを撮影しているとも事実を語っているとも口にしていない。冒頭のカナダ人たちが彼にインタビューを試みた際には「Roger and me」で非難されていたRoger Smithよりも会うのが困難だったという(実際には彼はロジャーから許可を得てインタビューを行っている。だがその時の映像はこの映画の大前提、すなわちGMの責任者には誰も話すことができないを根底から覆してしまうため映画では決して放映されることがなかった)。

彼は単なるピエロでしかない。残念なことは彼を真剣に受け取ってしまうアメリカ人がいるということ、そして彼の映画が政府への信頼を低下させ9.11に陰謀を抱かせその犯人はブッシュ大統領だという印象を特定の人たちに与えてしまったことだ。

アメリカ人は出場者が回答を与えられていたヤラセ番組から何も学んでいないのではないかと懸念している。そして議会の公聴会でCBS TVが「よろしい、視聴者たちは喜んだ。出場者たちはお金を得た。商品は売れた…だから誰も損していない」と言い放ったことも。CBS TVやムーアというクズに利用されたアメリカ人以外は損をしていないだろう。

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