2013年6月8日土曜日

ケインズの一般理論は間違いだらけだった?

THE GENERAL THEORY OF EMPLOYMENT, INTEREST, AND MONEY AFTER 75 YEARS:THE IMPORTANCE OF BEING IN THE RIGHT PLACE AT THE RIGHT TIME

by Matthew N. Luzzetti Lee E. Ohanian

1 Introduction

GT(GTはThe General Theory of Employment, Interest, and Moneyの略)は大恐慌の最中に出版された。大恐慌は最も壊滅的な経済危機の一つでGTは大恐慌の理解とその対策を提示する意図で書かれたものだ。GTが長期に渡る影響をもたらしたのはKeynesは適切な場所に適切な時期にいたことが要因のように思われる。さらに(重要な)2つの要因が重なっていた。少なくとも暫くの間は経済の状況はGTの予測に従っているように見えた。少なくともアメリカにおいては戦時支出は好況と重なっているように見えた。このことが政府支出の増加が雇用と生産を促進するという見方に支持を与えているように見えた。そして1950年代と1960年代の経済的安定が多くの経済学者にGTの分析が妥当であると考えさせるようになった。第2の要素はGTの出版直後に起こった計量分析の発展だ。そして計量分析の発展がGTに対する方法論的基礎を与えさらに経済的問題を分析する定量的枠組みを提示した。

だがGTに支配的地位を与えていた多くの要因(モデルの構築と定量化を可能にした方法論の発展、実証分析の発展など)がGTがその支配的地位を取って代わられる最終的な要因となった。特にMuthの合理的期待は動学的一般均衡理論と相まってはるかに深い理論的基礎を持った経済学の構築を可能にした。そしてサプライサイドの要因が景気循環に対して重要であるという認識が(フィリップスカーブの崩壊と合わさって)Keynesian Revolutionの終焉を加速した。

2 Some De ning Features of The General Theory

(*間は省略)これらには景気循環は大部分需要要因によって起こるという見方を含む。(以下、内容を列挙すると)需要の変化のある部分はファンダメンタルズの変化によるものではなくanimal spiritsの変化によるものでこれは将来の収益に対する予想に影響を与え次に投資に影響を与える。政府支出の拡大は経済の安定に有用で特に不況からの雇用喪失を防ぐ効果がある。賃金は景気反順応的である。インフレーションと失業率のような指標にはトレードオフの関係がある。生産の3分の2を占める消費は大部分が当期の所得で決定され乗数の元になる。これらの考えが他の経済学者によってKeynesian revolutionの最中に発展していった。

3 The Impact of the General Theory on Economic
Theory and Policymaking

均衡理論に基づく説明では大恐慌の大きさと長さを説明できないと当時は思われた。均衡理論では価格の調整により供給と需要の均衡が回復する。だがこの説明は1920年代または1930年代全般のイギリスの長期のに高失業率やアメリカの1930年代の失業率に一致しているようには思われなかった。

KeynesはPigouの労働市場の分析が大恐慌を説明できないとして自身の結論に飛びついた。Pigouは1933のThe Theory of Un-employmentの中で今日の基準で見て極めて標準的なモデルを展開する。モデルは労働と余暇のトレードオフという特徴を持っていた。これは家計が消費と余暇の限界代替率と労働の限界生産物とが等しくなるように労働量を決定するという条件として今では多くのモデルに組み込まれている。だが恐慌がイギリス(イギリスの恐慌は第一次世界大戦終了後に始まった)とアメリカの両方で長期に渡って続いたので長期的な高失業率と均衡理論とを和解させることは次第に困難になっていった。さらにいくつかの国では高い失業率と実質賃金の上昇(下落ではなく)が重なっており均衡理論の説明から逸脱しているように見えた。GTは恐慌と均衡理論との対立に対する反応として出版されている。Keynesは以下のように記述している。

「これ(Pigouのモデルの形式)は厳格な意味での非自発的失業が存在しないという仮定に依存している。すなわち既存の実質賃金で雇用可能なすべての労働は実際既に雇用されているということだ」

Pigouの考えはその他の商品同様に競争的市場では賃金調整により労働の供給と労働の需要が均衡するだろうというものだ。この点がKeynesが(GTで)強調する点であり(Pigouからの)返答が寄せられなかった点だ。Pigouの均衡理論は長期の恐慌を説明することが可能だっただろうか?

大恐慌を分析する枠組みを提供する他の経済理論が存在しなかったのでKeynesian economics以外に他の選択肢が残されていなかった。さらにアメリカの経済指標は暫くの間はGTの予測と整合的なように見えた。特に第二次世界大戦はGTの分析の妥当性を示しているように思われた。Keynesian modelの中心部分は需要不足が不況と恐慌の背景にあり政府による需要の増加政策は雇用と生産を増加させるというものだ。政府支出が1939にGDPの16%から1944にGDPの48%に上昇し失業率は1939の17.2%から1944の1.2%に下落した。

おそらくGTの寿命を延長させた最大の要因は1940年代に始まった計量分析の発展だろう。この方法論の発展はGTの定性的側面を定量的分析へと発展させるための鍵となった。一般的にマクロ経済学の枠組みが長期に渡って存続するためには抽象的な概念を厳密な定量的分析へと転換させる必要がある。Kydland and Prescott's (1982)のリアルビジネスサイクルモデルがこれほどまでの影響力を持ったのは、容易に利用可能な定量的枠組み、均衡を近似する手法、パラメータの選択、モデルによりシミュレートされた時系列データを実際のデータと比較できるなどの特徴を持っていたからだ。GTにとって1940年代と1950年代の計量分析の発展とはKeynesの考えを定量的枠組みへと落とし込む実験場でありKeynesianの分析用具を発展させる場であった。

GTの影響の大部分は方法論にある。GTの中には方法論的記述は一切無いにも関わらずだ。1940年代の初期に同時方程式モデルの近代的計量分析の基礎が発展をし始めた。これには確率理論を計量分析に組み込んだ1944のTrygve Haavelmoの論文を含む。その数年後にコールズ委員会は後に古典となる計量分析に関する重要な研究書を出版する。この中にはWilliam C. Hood and Tjalling Koopmans (1953)によって編集されたStudies in Econometric Methodが含まれている。この初版には現在でも多大の影響を与えているHerb SimonのCausal Ordering and Identi abilityとTjalling Koopmans and William HoodによるThe Estimation of Simultaneous Linear Economic Relationshipsが含まれていた。1950にKoopmansによって編集された第2版Statistical In-ference in Dynamic Economic ModelsにはWald, Hurwicz, and Haavelmoによる識別に関する議題、Wald, T.W. Anderson, Koopmansによる推定に関する議題、トレンドに関する議題、構造的とは何かに関しての議題が含まれていた。

これらの発展がKeynesian revolutionの継続の中心的要素だった。そしてそれらがGTの考えを定量的に分析可能なものにした。この発展は後に景気循環の分析に用いられる分析道具の元となる。FRBやMITのFranco Modigliani、ペンシルベニアが共同で開発した大規模計量モデルは技術的に非常に詳細なものだった。これらのモデルは数百に及ぶ方程式体系を持ち各々の方程式は経済の各部分の需要と供給の動きを表現していた。これらのモデルは政策当局者内で用いられ上位の経済学部の学位論文のテーマとなっていた。仮に1960年代にPh.Dを取得したマクロ経済学者に学位論文のトピックに関して尋ねる機会があれば彼らは「MPLSモデルのx方程式に関して研究した」と答えるだろう。

これらのモデルが持っていた影響は言い尽くすことが出来ないだろう。ペンシルベニア大学の准教授だったEd Prescottと彼の教え子Thomas Cooleyは慣行となっていた(いる)定数項修正の公式化を目標とした論文を執筆していた。これらのモデルではモデルの予測が疑わしい程に高いと思うか低いと思うかの主観に基づいて定数項を変化させることがしばしばある。Cooley and Prescottによるこれらの貢献はKeynesian macroeconometricsに対する両者の現在の見解からは想像することも出来ないだろう。彼らの貢献は経済学的概念とその概念の定量化との間の相互作用の重要な一例となっている。

大規模計量モデルが政策当局者に大きな影響を与えたのはそれほどの驚きではない。1960年代の時系列データはKeynesian modelの予測と整合的なように見えたしファインチューニング、またはより広範に総需要管理政策により景気循環が克服されたとの空気がありさらに計量モデルは非条件付きの予測からより困難な条件付きの予測へと進歩しつつあった。政策当局者は様々な仮定、例えば税率またはその他の政策変数が変化すればどの程度失業率が変化するかなどの予測を行うことが出来る。先進国の中央銀行で用いられる定量分析はほとんどが大規模計量モデルだった。1960年代を通じて経済が安定的に成長したことがこの流れを支えた。多くの経済学者にはこの安定的成長はかなりの部分が大規模計量モデルの成果であるように思われただろう。

4 The Decline of the Keynesian Model

1970年代の初期にはアメリカとその他の国の時系列データはKeynesian modelと和解させることが困難になり始める。Keynesが大恐慌時に現実の現象を説明できていないと均衡理論に対して行ったのと同様の批判が1970年代にKeynesian modelsに対して向けられるようになった。これらには大規模計量モデルの予測精度に関するものから、サプライサイド要因が景気循環の主要な要因であるとの認識の広まり、Keynesian modelと非整合なフィリップスカーブのシフト、Keynesian modelの理論的基礎に関する批判などが含まれていた。

最初の重大な実証分析からの批判はCharles Nelson(1972)の論文だ。彼は低次の自己回帰和分移動平均(ARIMA)モデルの方が大規模計量モデルよりも予測誤差二乗和が小さいことを示した。これは特に重要だった。何故ならARIMAモデルは過去の系列相関から予測を生み出す以外のことは何も行なっていないからだ。これは純粋に過去のパターンを抽出するだけで経済理論などを一切用いないモデルの方が非常に込み入ったKeynesian modelsよりも予測が正確であったことを意味する。Nelsonの研究とそれに続く一連の研究はKeynesian modelsの予測の信頼性に対して疑念を抱かせることになった。

Keynesian modelはさらなる実証面からの挑戦に晒され始めることになる。実証上の関係がKeynesian modelと矛盾するようになっていったからだ。恐らく最もこれが顕著に表れたのはフィリップスカーブだろう。図1と図2はAtkeson and Ohanian (2001)から引用したもので失業とインフレーションとの関係が顕著に変化したことを示している。図1は1959-1969のCPIの月毎の観測値と失業率の関係を示している。この時期は係数-0.6ぐらいのはっきりとした負の関係を示している。この関係は幾人かの経済学者からインフレにより失業率を低く抑えることが出来る証左として解釈された。だがこの関係は1960年代以降に大きく変化する。


図2は1970-1999の期間にこれらの変数間に何の関係も見られなかったことを示している。何人かの経済学者がNAIRUなどの考えに基づきフィリップスカーブの救出を行おうと試みた。この考えはインフレ率の変化率と失業率の間に何らかの関係があることを期待している。しかし図3と図4が示すようにこれらの変数の間にも何の関係も見られない。Lucas and Sargent (1979)はKeynesがPigouの労働市場の実証分析の失敗に飛びついたのと同じ事を行った。




さらに名目価格と実質産出、実質賃金と実質産出の間の関係にも疑問が提示された。Keynesian modelの(全部ではないにしても)重要な予測は価格の景気順応的な振る舞いだ。Cooley and Ohanian(1991)から一部引用した図5と図6には1930-2010の非トレンド化した実質GNPとGNPデフレータの間の関係を示している。価格は確かに1930年代には景気順応的だ。この傾向は第二次世界大戦まで続きこの期間の相関は約0.57だった。だが第二次世界大戦以降は価格は景気反順応的となり1948-1999で-0.24、1970-2010で-0.53となる。物価指数を変更しても結果は大きく変化しない。1970-2010で0.18だからだ。

図7に1948-2010の循環部分を取り除いた実質賃金と実質GNPを示す。これらのデータにははっきりとした正の関係が見られる。これは経済がトレンドの上にあれば賃金もトレンドの上にあり経済がトレンドの下にあれば賃金もトレンドの下にあることを意味する。この結果はKeynesの景気反順応的な実質賃金という考えと大きく対立する。景気反順応的な実質賃金という考えが初期にTarshis (1939)とDunlop (1938)によって提示されていたことは興味深い。イギリスとアメリカのデータを用いて彼らは名目賃金と実質賃金が順相関していることを発見した。加えてTarshisはアメリカの実質賃金と労働時間に負の関係があることを発見した。


(この図は重要だ。何故なら実質賃金増加→企業利潤減少→投資減少→不況という説明と大きく食い違うからだ)

Tarshisの発見はKeynesian modelと整合的に見えたのだが近年の研究はその期間について異なる結論を導いている。Ohanian(2009)とCole and Ohanian (2004)は政府のカルテル政策が実質賃金の上昇と恐慌の長期化の原因であるとの根拠を提示した。皮肉なことにこの見方によると大恐慌を長期化させたのは需要を回復させようとした積極的な政府の政策にあるということになる。

これは(価格が景気反順応的なことに加えて実質賃金が景気順応的なことと併せて)景気循環の大部分がサプライサイド要因から発生しているかもしれないことを示唆している。サプライサイド要因の重要性を示すため図8にトレンド成分を除去した実質GDPと全要素生産性(TFP)を示す。TFPがトレンドの上にある場合には経済がトレンドの上にあり逆は逆であることから図はTFPが景気順応的であることを示している。TFPが景気順応的でありその変動も大きいことがKydland and PrescottらをRBCモデルへと向かわせた要因の一つだ。


まとめるとこのことはサプライサイド要因が景気循環の決定要因として重要であることを示している。特に80年代、90年代に高まったサプライサイド要因への関心がKeynesian modelへの関心を低下させる要因になった。

経済学者はまたGTの中で重要な役割を果たす消費と投資の基礎について批判的に分析した。GTは消費は現在所得に強く依存するとしている。Keynesian消費関数は以下のたった一つの要素にまで単純化される。

C = C(Y ):

Friedmanの恒常所得理論は消費に関してまったく異なる見方を提示している。彼のモデルは現代的な要素である異時点間の要素、一時的変動の平滑化、消費決定に際しての資産の重要性などの特徴を持つ。彼は消費は大部分が恒常所得または資産によって決定されるという。彼の理論は大きな注目を集めた。Keynesian modelからは説明できないと思われた部分に光を当てたからだ。その部分は特に限界消費性向が横断面では1に近いのに時系列データの一時点では1を大きく下回ることだ(長期の限界消費性向はほぼ1であるのに短期の限界消費性向は1を大きく下回る)。恒常所得理論はこれらの関係と整合的だ。時系列ではフリードマンによると消費にわずかしか影響を与えない一時所得が影響力を持ち回帰係数は下向きにバイアスを持つ。横断面では一時所得は影響力を失い限界消費性向は顕著に高くなる。

投資に関してKeynesはanimal spiritsの重要性を説いていた。GTの読者の多くは投資の量に変化を与えるのは突然で大幅な期待の変化だと解釈した。Keynesはこう書いている。

(省略)

だが投資は将来に関する期待の突然で大幅な変化に本当に影響を受けるのだろうか?この疑問に答えるためにアメリカの歴史データを用いて完全予見の下でのオイラー方程式の残差項を求めた。これはanimal spiritsに対する有益なテストとなる。完全予見の下では将来の全経路を正確に見通した上で投資は行われるからだ。この期待に関する究極の仮定はKeynesianの見方とは大きく異なっている。Keynesianの見方の下では期待の大幅な変化を反映してオイラー方程式の誤差項も大幅に変化するはずだ。さらに恐慌は非常に大きな負の残差となるはずでこの場合では資本の将来収益に関する負の期待を反映することになる。

γct+1/ct=β[rt+1+1-δ]

オイラー方程式の残差は以下になる。

εt+1=γct+1/ct-β[rt+1+1-δ]

まず第二次世界大戦後のデータから調べる。Keynesの見方とは異なり誤差項は小さくそして相関していないように見える。図9に四半期毎の残差項を示す。Keynesは変化がどれぐらい大きくなければならないかの基準を何も示していないがこの図の変化からは定量的に重要な効果を持つと解釈するのは無理があるように思われる。戦後はともかく恐慌の時期はどうか?


図10に恐慌時のオイラー方程式の残差を示す。残差は大きいがしかしその符号は逆向きだ。GTでは投資家の低い収益見通しを反映して残差は負でなければならない。実際には残差は正で投資家は収益に関して楽観視していたことを示している。


5 Equilibrium Macroeconomics

(省略)

6 Conclusion

(省略)

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