2017年3月18日土曜日

ジェレミー・ハモンドは地球一の馬鹿?

地球一の馬鹿集団

マイケル・ムーア(とその信者)
町山智浩(とその信者)
堤未果(とその信者)
ネトウヨ
日本の左翼
日本のメディア

を超える(少なくとも同等の)馬鹿がこの世に存在した?

Top Ten Myths about the Israeli-Palestinian Conflict

(地球一の馬鹿?)Jeremy R. Hammond

(省略)

Myth #2 – The United Nations created Israel.

国連総会は国連決議181を採択した。この決議がパレスチナを「分割した」とよく云われる。もしくはこの決議が後のイスラエルの独立宣言に法的根拠を与えたとよく云われる。もしくはそれに類似したことが主張される。そのような主張はすべて完全に間違いだ。

決議181はUNSCOPのレポートを支持しその結論を推奨しているに過ぎない。パレスチナが公式に分割されるためには、この推奨がユダヤ人とアラブ人双方とに受け入れられる必要がある。

さらに、国連総会の勧告は法的拘束力を持つとは考えられていない(安全保障理事会の勧告だけが法的拘束力を持つ)。さらに、国連はある民族から土地を取り上げてある民族へと与えるような権限を持たない。パレスチナを分割しようとするような勧告はどちらにしてもすべてが無価値で無意味だ。

Myth #3 – The Arabs missed an opportunity to have their own state in 1947.

さらに、土地の所有状況を示した統計はパレスチナのすべての行政区画においてアラブ人がユダヤ人よりも多くの土地を所有していたことを示している。例えば、ジャファ(ジャファはパレスチナの全行政区画でユダヤ人の土地所有率が最も高い区画だった)ではアラブ人が土地の47%を、ユダヤ人が土地の39%を所有していた。アラブ人はさらに多くの土地を所有していた。最も極端な統計では、ラマラーではアラブ人が土地の99%を所有していた。パレスチナ全体では、アラブ人が土地の85%を所有している一方でユダヤ人は7%しか所有していなかった。その状況はイスラエルが独立した頃でも一緒だった。

この事実にも関わらず、国連はパレスチナの土地の半分以上をシオニストに分割することを推奨した。そのような不公平な提案はアラブ人が受け入れられるはずもなかったというのが事実だ。政治的コメンテーターたちが、アラブ人たちは「機会を逃した」と言っているのはこの対立の根本原因に対する驚くべき無知の表れであるし誠実に歴史を振り返る意思の欠如の表れでもあるだろう。

Myth #4 – Israel has a “right to exist”.

このような用語がイスラエルにだけ限定して用いられているという事実がイスラエルに正統性がないということを物語っている。

国家は権限を持たない。人々が持つ。すべての人々が自決権を持つ。この観点から見れば、ユダヤ人の権利を否定しているのはアラブ人ではなくアラブ人の権利を否定しているのがユダヤ人だということは簡単に理解できることだ。イスラエルは「存在する権利を持つ」という主張はその事実から目を背けさせるために継続して用いられている。

すでに述べたように、イスラエルは国連によって建国などされていない。シオニストが一方的に、何らの法的根拠もなく、新しい国家の国境線に関しても一切を明らかにすることなく、独立を宣言した1948年の5月14に誕生した。それと同時に、シオニストはアラブは最早この土地の所有者ではないと宣言した。その瞬間に、シオニストはパレスチナに住むアラブ人は新しい「ユダヤ人国家の」二級市民であると宣言した。

言うまでもなく、アラブ人はこれを受け入れなかった。そして周辺アラブ諸国はパレスチナに住むアラブ人に対するそのような不正義が行われるのを阻止するため戦争を宣言した。

シオニストたちにはイスラエルの地に対して何らの権利を有していない一方でアラブ人たちは権利を有しているということは強調される必要がある。それ故この戦争は、主流派のコメンテーターたちが主張していることとは異なり、イスラエルに対する周辺アラブ諸国の侵略戦争ではない。むしろアラブはシオニストが不法にそして不正義にアラブ人の土地を奪うのを阻止するためにそしてパレスチナ人の権利が奪われるのを阻止するために自衛のために戦っている。侵略行為はシオニストの一方的なイスラエルの独立宣言の方で独立後に暴力を振るったのもシオニストの方だ。

その戦争の最中に、イスラエルはアラブ人に対する民族浄化を行った。70万人のアラブ人が家を追われたり、シオニストが独立を宣言する直前に行われたデイル・ヤシーン村での虐殺のようなさらなる虐殺を恐れて国外に逃亡した。これらのパレスチナ人たちは彼らの家や土地に帰ることを決して許されなかった。そのような難民には「帰還権」が国際的にも国際法上も広く認められているというのに。

パレスチナ人はイスラエルの「存在する権利」を決して認めないだろう。それを認めることはイスラエルがアラブ人の土地を奪う「権利」を有することを実質的に認める一方でアラブは自分たち自身の土地に対する権利を有していないことを認めることになるからだ。それは実質的にイスラエルはパレスチナ人を民族的に浄化する権利を有していると主張する一方でアラブ人には生存する権利も自由も幸福の追求も認められていないと主張することになる。

「存在する権利」があるという用語が頻繁に用いられるのは特定の目的に都合が良いためだ。それは、アラブ人の自決権を否定しているのはユダヤ人だという事実を覆い隠すために用いられている。そしてそれによりイスラエルのパレスチナに対する犯罪を正当化しようとしている。

Myth #5 – The Arab nations threatened Israel with annihilation in 1967 and 1973

「6日間戦争」で最初に攻撃を仕掛けたのはイスラエルだというのが真相だ。6月5日の早朝に、イスラエルはエジプトに対して奇襲を仕掛けた。そして戦闘機の大半がまだ地面から離陸していないすきを狙ってエジプト空軍に打撃を与えた。

この攻撃は「予防的」と表現されることが今日では当たり前かのように義務であるかのように語られている。だがこの攻撃が「予防的」であると見做されるためには、イスラエルに対してエジプトからの差し迫った脅威が存在していた必要がある。だがそのようなものはなかった。

エジプトのナセル大統領の攻撃的なレトリックや海上封鎖、シナイ半島への軍隊の派遣、エジプト側の国境から国連の平和維持軍を追放したことなどがそのような差し迫った脅威の証拠だとよく主張される。

だがアメリカとイスラエルの諜報機関はナサルが攻めてくる可能性は低いと当時考えていた。CIAはイスラエルが圧倒的な軍事力を保有しており、戦争になればアラブ軍を2週間で撃破できると考えていた。もしイスラエルが先に攻撃すればの話だが。

エジプトは、エジプトがスエズ運河を国有化した後に訪れた1956年の「スエズ危機」でイギリス、フランス、イスラエルの攻撃的な姿勢によって被害を受けていたことを忘れてはならない。その戦争の時に、3つの侵略国はエジプトが攻撃を仕掛けてくるように陰謀を張り巡らせた。その結果、シナイ半島はイスラエルが占領することになった。アメリカの圧力によってイスラエルは1957年にシナイ半島から撤退した。だがエジプトはイスラエルの敵対的行為を忘れてはいなかった。

それに、エジプトとシリア、ヨルダンとの同盟は強固なものではなかった。イスラエルとの戦争になった時にはお互いを支援し合うことを約束すると言った内容のものだった。ヨルダンは、イスラエルがヨルダン川西岸を攻撃した時にエジプトがその約束を果たさなかったとしてナサルを批判した。

Myth #6 – U.N. Security Council Resolution 242 called only for a partial Israeli withdrawal.

国連決議242は1956年の戦争の時に決議された。そして「Withdrawal of Israel armed forces from territories occupied in the recent conflict(最近の衝突で占領した領土からイスラエル軍の撤退を求める)」ものとして解釈されてきた。そのような解釈は広く受け入れられているが(左翼は自分たちが常に被害者であるかのように話す)、それには正統性がない。

その議論の中心的根拠となっているのは「occupied territories」の前に「the」が抜けているのはその条項が「all of the occupied territories」を意図していないからだというものだ。この議論は、その条項から「the」が省かれているためにこれが「占領した土地の一部から」を意図していると解釈できるという馬鹿げた論理に依存している。

文法的には、「the」の不在はこの条項の意味に少しも影響を与えない。「territories」という部分に掛かっているためだ。ここで簡単な試験を出そう。それは1967年の戦いでイスラエルによって占領された領土を指すのか?その答えがイエスであれば、国際法と国連決議242により、イスラエルはその領土から撤退することが求められる。その領土にはゴラン高原、ヨルダン川西岸、ガザ地区が含まれる。

それに加えて、「戦争によって得た領土を自国のものとすることは禁ずる」という国際法の大原則とその決議を和解させることは不可能だ。この条文をそのように解釈することは国連が、戦争によって得た領土の一部をイスラエルが保有し続けることを認めたことになってしまう。それは国際法上の原則と真っ向から対立する。

この馬鹿げた議論の論理上の他の誤りを指摘することも出来る。だがこの馬鹿げた議論の見た目と同じように、そのような行為は有益とはいえないだろう。

Myth #7 – Israeli military action against its neighbors is only taken to defend itself against terrorism.

事実は逆のことを示している。例えば1982年のレバノンでの戦争を例に取り上げてみよう。政治評論家のNoam Chomskyが「The Fateful Triangle」で示したように、この軍事作戦は脅威がほとんど存在していなかったにも関わらず実行に移された。

この戦争はPLOがイスラエルに定期的に攻撃を仕掛けたことが原因で発生したという説明を目にしたことがある人もいるだろう。真実はと言うと、イスラエルが幾度も挑発したにも関わらず、PLOは幾つかの例外を除いて停戦合意の内容に従い続けたというのが正しい。停戦合意の内容に初めに従わなかったのはイスラエルの方だ。

Myth #8 – God gave the land to the Jews, so the Arabs are the occupiers.

どれだけ多くの議論を尽くしてもユダヤ人を説得することは出来ないだろう。自分たちの行動は神の手によって支えられていると彼らは信じているからだ。そしてその政策は神の意思であると信じている。彼らは神がユダヤ人にパレスチナの土地を与えたと信じている。それ故、この見方によると、イスラエルは間違った占領者であるパレスチナ人から武力でこの土地を奪い取る権利を持っていると信じている。

だがこの論理の誤りを指摘するには聖書を紐解くだけで十分だ。キリスト教徒のシオニストはシオニストをサポートするのに聖書から以下の部分を引用するのを好む。

『アブラムがロトと別れた後にヤハウェは彼に言った。「目を開けて、あなたが今いる場所から見よ。北にも南にも東にも西にも広がる土地を。あなたが見た土地のすべては私があなたとあなたの子孫に永遠に与えたものだ。私はあなたの子孫をこの大地のホコリと同じぐらいの数に増やさせるだろう。人が大地のホコリを数える時はあなたの子孫を数えているかのように。私があなたに与えた土地を歩いてみよ」(Genesis 13:14-17)』

『ヤハウェは彼の前に現れて言った。「エジプトには下って行くな。私があなたに与えた土地で生きよ。その土地で居を構えよ。そうすれば私はあなたとともにありあなたを祝福するであろう。あなたとあなたの子孫のために私はこれらの土地を与える。それから私はあなたの父アブラハムに誓った誓約を実行に移すだろう」(Genesis 26: 1-3)』

『そしてヤハウェはその土地の上に降り立ち語った。「私はヤハウェ。あなたの父アブラハムの神。そしてアイザックの神。私はあなたが立っているその土地をあなたとあなたの子孫に与えるだろう」(Genesis 28:13)』

だがキリスト教徒のシオニストは、この節を理解するのに必要な文脈を記した他の文章を都合よく無視している。例えば、以下のようなものだ。

「それ故、あなたは私の与えた戒律と立法をすべて実行に移さなければならない。さもなければ、あなたは私が与えた土地から追い出されることになるだろう(Leviticus 20:22)」

「だがあなたが私に従わなければ、これらの戒律に従わなければ、私はその土地をあなたから取り上げるだろう。そしてその土地に住むことになるあなたの敵はその土地を破壊するだろう。私はあなたとあなたの子孫を他の国々に追放するだろう。あなたたちは他の国で迫害を受けるだろう。そしてあなたたちの敵の土地があなたたちを飲み込むだろう(Leviticus 26: 14, 15, 32-33, 28)」

「それ故、ヤハウェはイスラエルに非常にお怒りになった。そして彼の視野のうちからイスラエルを取り除いた。残されたのはユダの支族だけだった。イスラエルは自らの土地からアッシリアへと運び去られた。現在でもそうであるように(2 Kings 17:18, 23)」

たしかに聖書、ヤハウェ、アブラハムの神、アイザックの神、イスラエルの神はヘブライ人が戒律に従えばその土地が彼らのものとなると語っている。だが聖書が示すように、ヘブライ人はすべての世代がヤハウェの教えに逆らい続けた。

ユダヤ人やキリスト教徒のシオニストが無視しているのは、ヤハウェはもし彼らが戒律を破ればパレスチナの土地を取り上げるとヘブライ人に語っていることだ。それが実際に聖書に描かれていることでもある。

従って、シオニズムを正当化しようとする宗教的議論はその条件が破られているだけではなく、聖書をよく読めば完全に捏造であるということが明らかとなる。

Myth #9 – Palestinians reject the two-state solution because they want to destroy Israel.

イスラエルに対する大幅な譲歩としてパレスチナ人はパレスチナ国家の建設案を受け入れてきた。PLOは70年代以降イスラエルの存在を認めてきたし対立の解決策としてのパレスチナ国家の樹立を受け入れていた。この事実にも関わらず、西側のメディアはPLOがこの解決策を拒絶し続けてきたとイスラエルを地図から消滅させたいと願っていると報道し続けた。

このパターンはハマスが2006年の選挙で勝利した時にも繰り返された。ハマスはずっと昔からイスラエルの存在を認めパレスチナ国家を受け入れる意思を示していた。ハマスがパレスチナ国家の樹立を拒絶して「イスラエルを地球上から消滅させたいと願っている」と報道することは西側のメディアにとってほとんど恒例となっている。

2004年の初め頃、イスラエルに暗殺されるその直前にハマスのハマスの設立者アフメド・ヤシンは語っている。ハマスがパレスチナ国家を受け入れる可能性があると。ハマスはそれ以降もパレスチナ国家の樹立を受け入れる意思を繰り返し示し続けていた。

2005年の初め頃に、ハマスはパレスチナ国家の樹立をゴールに定め1967年の国境線をイスラエルの国境線と認めるという声明を出している。

国外追放されているハマスの政治部門の指導者Khalid Mish’alはハマスは「和平を受け入れる用意がある」と2006年の1月にロンドンのガーディアンに寄稿している。「私たちは私たちの土地や権利を奪う行為を決して認めないだろう。だがイスラエルが過去の前例に従うのであれば、私たちにはイスラエルと和平を交渉する用意がある」と彼は語っている。

2006年の選挙のキャンペーン時には、ハマスの高官Mahmoud al-Zaharは「1967年に占領された領土にパレスチナ国家の樹立を受け入れる」用意があると語っている。

2008年の4月には、ジミー・カーターがハマスの高官と会談している。ハマスは「1967年の国境線にパレスチナ国家が樹立されることを受け入れるだろう」、そして「イスラエルが隣国として生存する権利を認める」とカーターに語っている。

以下、アメリカ人のコメント

Judea Reconquista  Haidar • 2 years ago

「イエローバッジ」は850年に当時のカリフAl-Mutawakkilによってイスラム圏の国々で初めて導入された。ナチスが採用する遥か前から、アラブ人と、ユダヤ人、コプト人、ヒンズー教徒、アッシリアの人々、ベルベル人とを区別するために。イスラエルに住むユダヤ人の60%は周辺アラブ諸国からの「難民」だ。

以下のワードをグーグルで検索せよ。

"yellow badge"
"Hitler and The Mufti Of Jerusalem"
"islamic unit of the Waffen-SS"
"Operation ATLAS Poisoning Tel-Aviv"
"Hurva Synagogue"
"Jewish exodus from Arab lands"
"Hebron pogrom 1517"
"1834 Hebron massacre"
"plunder of Safed 1834"
"Farhud"
"Dhimmi"
"tiberias massacre"
"1945 Tripolitania pogrom"
"Antisemitism in Turkey"
"granada massacre 1066"
"Damascus affair"
"1934 Thrace Pogroms"
"Fez pogrom 1912"
"1948 Anti-Jewish Riots in Oujda and Jerada"
"Shiraz blood libel 1910"
"Aleppo pogroms 1853,1875,1947"
"Jaffa riots 1921"
"Allahdad incident"
"1929 Hebron massacre"
"Conversion of non-Muslim places of worship into mosques"

ナチスドイツでユダヤ人に家を売ることが罪であったのと同じように、ユダヤ人に家を売ることはパレスチナ自治政府では死刑の可能性がある。「パレスチナの政府職員がユダヤ人に家を売った罪で死刑判決を受けた」で検索せよ。

ガザやヘブロン、ジュデア、サマリアなどではユダヤ人に対する民族浄化が行われ、多くのユダヤ人は家を追われることになった。ユダヤ人の墓石は破壊され道路の舗装などに用いられた。ムスリムたちは墓地の門にかたどられたダビデの紋章を削り取っても少しも気に留めなかった。これらの痕跡は今でもはっきりと目にすることができる。

92歳のムスリムの女性が(ユダヤ人に対する)ヘブロンでの虐殺を振り返り嘆いている
http://www.israelnationalnews.Com/News/News.aspx/144262

最終的な目的はイスラエルの終焉だ。だがそれを世界に向かって表立って言うことはできない、とパレスチナの大使Abbas Zakiが語っているhttp://www.memritv.Org/clip/en/3130.htm

パレスチナの指導者の1人Farouq Qaddoumi:「私たちは第二次世界大戦時にナチスを支援した。彼らがシオニストの敵だったからだ」http://www.memritv.Org/clip/en/4075.html

Jeremy R. Hammond Mod  Judea Reconquista • 2 years ago

イスラエルはパレスチナから75万人のアラブ人を民族浄化することにより建国された。

Chris. K Cook  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

それではどうして周辺アラブ諸国に住んでいたユダヤ人は虐殺され土地を追われた一方で、イスラエルに住むアラブ人はこれほどまでに増加しているのか?

Jeremy R. Hammond Mod  Chris. K Cook • 5 months ago

イスラエルはパレスチナから75万人のアラブ人を民族浄化することにより建国された。

tbenton62  Jeremy R. Hammond • 2 months ago

アラブ人はユダヤ人の手によってではなく、彼らに去るように伝えたアラブ人のせいで出ていった。それから戻ることが許されなかった。君はまったく事実を理解していないようだ。

「アラブ軍はシオニストの圧政からアラブ人を守るとの建前でパレスチナに侵略した。だが彼らはアラブ人を見捨て、彼らに難民となることを強制し、彼らを政治的にもイデオロギー的にも封鎖させ、ユダヤ人が東ヨーロッパでかつて閉じ込められていたゲットーにも似た牢獄へ閉じ込めた。アラブ諸国はパレスチナ人をばらばらにし彼らのアイデンティティを破壊することに成功した」abu-mazen (Falastin el-Th'ora,beirut, march 1976)

Secretary General of the Arab League、Azzam Pashaはアラブの指導者たちがパレスチナ人に家を離れるように要請したということに同意した。

「パレスチナを征服することは軍事的に見てピクニックに行くことと同じだと考えられていた。私たちはパレスチナ人に一時的に家を離れるように助言した」(Al-Huda, Lebanon June 5th, 1951)

シリアの首相Khalid Al-Azam(1973年の彼の本で)は嘆きこのように記している:「家を離れるように要請したために、私たちが彼らに災害をもたらしてしまった」。

アラブの指導者たちですら認めていることなのに、それを否定する(自称)専門家がいるのを見るのは笑えることだ。

Jeremy R. Hammond Mod  tbenton62 • 2 months ago

現在ではまともに取り扱われないシオニストの学者のプロパガンダを信じている君が私に対して「事実をまったく理解していない」と語るとは皮肉なことだ。

繰り返すがイスラエルは70万人のアラブ人を民族浄化することによって建国された。デイル・ヤシンでの虐殺のような事態がさらに起こることを恐れたにせよシオニストによって武力によって追い出されたにせよ、イスラエルは彼らが家に帰る権利を否定している。実際、彼らはすべてのアラブの村を地図上から消し去ることによってアラブ人が帰還することを不可能にさせるつもりだった。

君はよそからの引用が好きなようだが、そんな君にこの言葉を送ろう。前イスラエルの外務大臣Shlomo Ben-Amiがフォーリン・アフェアーズに寄稿した際に、第一次中東戦争時のDavid Ben-Gurionの発言を引用したものだ。「イスラエルに住むアラブ人に残された選択肢は1つしかなかった」。

「彼らはパニックに襲われて逃走した。彼らはデイル・ヤシン村での虐殺の時に逃走したようにEin ZeitunやEilabunでの虐殺の際にも逃走した。イスラエルの北部戦線の司令官Moshe Carmelからの命令、「制圧するために攻撃せよ。男たちは殺せ。村を破壊せよ」はパレスチナ人たちの記憶に深く刻まれることになった。

「ユダヤ国家に住むアラブ人の問題の解決策は彼らをアラブ人の国に送り返すことです」

「私は義務的送還者です。ここに倫理に反するものがあるとは思われません」

デビット・ベングリオン、1938年

「イスラエルは70万人のパレスチナ人を追い出すことなしには存在しなかっただろう。それ故、彼らを追い出す必要があった」---イスラエルの歴史家Benny Morris

tbenton62  Jeremy R. Hammond • 2 months ago

君は馬鹿なのか?とっくの昔に完全に否定された愚か者のベニー・モリスを引用することが君に出来る精一杯のことなのか?パレスチナに住んでいたアラブ人が周りのアラブ人たちと結託してユダヤ人をパレスチナから追い出そうとして失敗したというのが事実だ。

「ユダヤ人がこの戦争に私たちを導いてくれたことに感謝している。この戦争はユダヤ人を根絶させる戦争であり、タルタルでの事例や十字軍のように語り継がれる記念すべき大虐殺となるだろうから」--Azzam Pasha, Secretary-General of the Arab League

「もしイスラエルが建国されれば、それがアラブ人の間に広く知れ渡れば、彼らはその地に住むユダヤ人を海へと突き落とすだろう。パレスチナで現在敗北したとしても、私たちはそれを決して認めない。私たちは決してユダヤ国家の存在を容認しない。だが政治的状況を考慮すると、エジプト軍だけがもしくはムスリム同胞団だけがユダヤ人を破壊することができるだろう」--ムスリム同胞団の開祖Hassan al-Banna(New York Times, August 2, 1948)

アラブ人がイスラエルを攻撃したのはこれだけではない。1967年や1973年にも攻撃している。君はそのことも都合よく忘れてしまったのか?

「私たちはイスラエルが消滅するまで戦い続ける」

シリア政府の放送(Radio Damascus, January 16, 1967; quoted in Michael B. Oren, Six Days of War [Oxford University Press, 2002], p. 42)

「保有している武器をすべて使用しなさい。武器を試してみるのです。それらがイスラエルに死と滅亡をもたらしてくれるでしょう」-エジプトの政府放送Egyptian government broadcast(Voice of the Arabs, May 16, 1967; quoted in Walter Laqueur, The Road to War [Pelican Books, 1969], p. 82)

「これはイスラエルに死と滅亡を与える絶好の機会です。これは私たちが待ち望んだ、そして私たちが勝利することが約束されている戦争なのです」-エジプトの政府放送(Voice of the Arabs, May 19, 1967; quoted in Walter Laqueur, The Road to War [Pelican Books, 1969], p. 105).

彼らはイスラエルを消滅させるために攻め込んだ。イスラエルが戦争を始めたという歴史修正主義者のナンセンスから議論を進めるのは止めるべきだ。1967年の戦争の時でさえも、戦争になると知っていながら紅海を封鎖したのはアラブ側だ。

「私たちは紅海の封鎖はイスラエルとの戦争を意味すると知っていた。もし戦争になれば、それは全面的なものへと発展しその目的はイスラエルを破壊することになるはずだった」-Gamal Abdel Nasser(Washington Post, May 27, 1967)

「ティラン湾の封鎖によって、イスラエルは2つの可能性に直面することになる。そのどちらも血で満たされたものだ。アラブ軍と経済封鎖に直面して首を絞められるようにじわじわと殺されていくか、海以外の四方を取り囲んだアラブ陸軍からの攻撃によって殺されていくかだ」-エジプトの政府放送(Radio Cairo, May 27, 1967; quoted in Moshe Shemesh, “Did Shuqayri Call For ‘Throwing the Jews into the Sea?” Israel Studies, Summer 2003, p. 79)

ここに、事実にまったく基づかない君の説明の問題点がある。ジュネーブ会議と国際法の観点からも考えてみよう。国際法は、ある国が戦争によって領土を制圧した場合を扱っている。1967年の事例が国際法違反であるとは思われない。そうでなければ、どうしてイスラエルはエジプトにシナイ半島を返したというのか?

君の主張を反証してしまって申し訳なく思っている。だが君の語っていることは、パレスチナという民族がパレスチナという土地に魔法のように昔から住んでいたという嘘と同じぐらいに悪質だ。だって、君のこれまでの主張と同じく君も他の誰もその主張をサポートする証拠を1つも提出したことがないんだから。歴史からの説明も、きちんと文書に残された目撃者による証言も、彼らの存在を1900年以前に記録したことがある調査の存在も何一つないんだから。単純な事実として、私たちが信じ込まされているこの神話(パレスチナという民族がパレスチナという土地に昔から住んでいた)をサポートする考古学上の証拠はゼロだ。

Jeremy R. Hammond Mod  tbenton62 • 2 months ago

正気なのかだって?ベングリオンが呼ぶ所の義務的送還がシオニストの考えに深く根付いたものであるということ、アラブ人を追放することがユダヤ国家建設のための前提条件だということ、デイル・ヤシン村の虐殺を恐れたアラブ人が数十万という単位で逃げ出したこと、数百というアラブの村が文字通り地図から消されたこと、そしてイスラエルが現在でも彼らの帰還権を否定していること、これらはすべて嘘だというのか?

アラブ人を民族浄化したのはユダヤ人だ。その逆ではない。

コメント欄は真剣な議論を促す目的で設けている。君の目的がシオニストのプロパガンダを広めることなのであれば、君の発言はこのコメント欄から削除される。

Daniil Goldin  Jeremy R. Hammond • 2 months ago

驚いた。君の主張を否定する情報を提供する人がいた、そうしたら君はその人の発言権を取り上げるだって?左翼の暗黒面を見た思いで一杯だよ。この対立が教えてくれたことといえば、人間は見たいと思う以外のことには目をつぶるということだろう。

aaron1313  Jeremy R. Hammond • 4 months ago

君の馬鹿さ加減は誰の目にも明らかだ。アラブ人によって扇動された大衆が1947年に周りのユダヤ人たちを攻撃していなければ(それに1920年、1921年、1929年、1936年-39年にも)、彼らが難民となることもなかっただろう。これが自分たちから民族浄化を仕掛けて敗北した結果として起こったことだ。これ以上愚かなコメントを繰り返す必要があるのか?

Jeremy R. Hammond Mod  aaron1313 • 2 months ago

君の歴史解釈は間違っている。アラブ諸国が攻め込む用意を整え終わる頃には25万人のアラブ人がすでに民族浄化されていた。

aaron1313  Jeremy R. Hammond • 2 months ago

君のお友達であるアラブ人がユダヤ人に対して1920年、1921年、1929年、1936-39年に攻撃を仕掛けたというのは間違った歴史解釈ではない。それらは実際に起こったことだ。君のお友達のアラブ人が1947年の11月30日にバスに乗車していた7人のユダヤ人を殺害したことを手始めとして1947年の後半から1948年に掛けて攻撃したように。これを否定することは君がホロコースト否定論者と同類であることを意味する。それに、もちろんアラブ連盟は1948年5月14日の遥か前から1948年の戦争に関わっていた。Kawukjiのアラブ「解放軍」はアラブ連盟によって組織され、訓練され、資金援助されていた。この組織はイラクやレバノンからの志願兵も含まれていたが主にシリア人で構成されていた(Kawukji自身もレバノン人だった)。この組織は1948年の1月から敵対的行動を開始させた。君が何も知らないのは誰の目にも明らかだろう。これ以上君の無茶苦茶な嘘に付き合うのは時間の無駄だから失礼するよ。

Jeremy R. Hammond Mod  aaron1313 • 2 months ago

君が言っている1920年代や1930年代に行われた攻撃はユダヤ人に対するアラブ人の憎しみの結果ではない。その反対に、ユダヤ人とアラブ人はシオニストがアラブ人の農民から土地を奪い始める前までは共存していた。

君の歴史解釈が間違っているというのはそういう意味でだ。都合よく出来事を選び出して自分の主張が正しいかのように見せかけようとするのは君自身の不誠実さと偽善を示している。

aaron1313  Jeremy R. Hammond • 2 months ago

ユダヤ人が虐殺されたことは結局認めたと。では1929年にヘブロンで67人のユダヤ人が殺害されたことはどうして憎悪によるものではないのかを教えてくれ。それと、正気な人であれば全員が知っているように(実際には1947年の11月30日のバスでの虐殺から始まった。その後に1947年の12月1~3日にエルサレムのユダヤ人が営む商業地区で略奪が起こった)1948年の戦争はもちろん完全にアラブ側に責任がある。狂人でないというのであれば君もそのことを知っているはずだ。君は自分の陣営が敗北することを嫌がっているだけだ。哀れなことだ。

edwardel7asan  Chris. K Cook • 5 months ago

そのことはアラブ人を民族浄化しようとする試みがなかったということを意味しないはずだ。

今議論しているのは、どうしてユダヤ人はパレスチナ人から土地を奪い家から追い出したのかということだ。

tbenton62  edwardel7asan • 2 months ago

ユダヤ人がパレスチナ人から土地を奪おうとしたことなど一度もない。そもそもアラブ人は土地を所有していなかったが。ユダヤ人がアラブ人を土地から追い出したという証拠を1つでも見せてくれないか?もちろん、そんなことはできないだろうが。

edwardel7asan  tbenton62 • 2 months ago

証拠なら数千とだって見せてあげるよ。建設をやめさせることができない「入植地」はどう思っているんだ?

tbenton62  edwardel7asan • 2 months ago

数千?でもこの場では1つも見せることができない?「入植」は政府が保有している土地で行われている。それらの土地は今でもそして過去においても一度たりとも民間の所有となったことはない。オスロ合意において、イスラエルにはエリアCの100%の管轄権が与えられている。そしてエリアCが入植が行われている唯一の場所だ。

edwardel7asan  tbenton62 • 2 months ago

1.数千とあるので一つだけを挙げることは出来ない。ここで書くには限界がある。

2.この「政府が所有する土地」とイスラエルの正統性を認めるオスロ合意がそもそもの問題の一部だよ。このモンスターが存在することになったのは国連のような組織やバルフォア宣言のせいだ!

嘘に基づいて数千という人たちを家から追い出すことは倫理的に正当化できない。国連や他の機関が何を言おうと関係ない。

Jeremy R. Hammond Mod  tbenton62 • 2 months ago

「私たちはすでにアラブ人で一杯だったこの土地に移住した。そしてここにユダヤ人の国家を建設した。この国のかなりの部分の土地を私たちはアラブ人から買い取った。ユダヤ人の村はアラブ人の村の上に建てられた。それらのアラブの村の名前を知らなくても無理はない。それらの村の名前を記した地図はもう存在しないからだ。地図が存在しないだけではなく、アラブの村も最早存在しない。NahalalはMahalulの上に建てられた。GevatはJibtaに、SaridはHaneifsに、Kefar YehoshuaはTell Shamanに。この国で以前にアラブ人が住んでいなかった場所は1つもない」--Moshe Dayan

tbenton62  Jeremy R. Hammond • 2 months ago

恥ずかしい。彼はそんな発言は一度もしていない。その発言は後に捏造だったと発覚している。

それと、未だに質問に答えてもらっていない。パレスチナ人がパレスチナを領土にしていたのはいつのことだ?パレスチナと呼ばれる国のことを早く教えて下さい。

それはいつ建国された?誰によって?

その国境線はどこ?

その首都は?

統治していたのは誰?

統治の形態は?

主要な都市は?

主な産業は?

アラファトの前の指導者は誰?

パレスチナの存在は当時もしくは現在でも解釈の余地なく国として認められたことがあったのか?

パレスチナという国の言語は?

パレスチナという国の宗教は?

その通貨の名称は?他の通貨との当時の交換レートは?

そして現在そのような国が存在しないことから、パレスチナという国が崩壊することとなった原因は何で、それはいつ頃起こったのか?

他人が所有していないものを盗むことなんてできない。要するに、パレスチナ人というのは神話だ。彼らは1969年に魔法のようにパレスチナ人へと変化した単なるアラブ人だ。別に私が言ったことを信じなくても彼ら自身がそのように言っている。

-PLOのメンバーでダムールでの虐殺の首謀者、Zuheir Mohsen

「パレスチナという民族は存在しない。パレスチナ国家の建設はイスラエルに対する闘争を継続してアラブ人の連帯を高めるための単なる手段にすぎない。現実として、ヨルダン人、パレスチナ人、シリア人、レバノン人に違いは少しも存在しない。政治的、戦略的目的のためだけに、私たちはパレスチナ人が存在するかのように語っている。アラブ諸国がそれを望んでいるので、私たちはシオニズムに反対する「パレスチナという固有の民族」が存在するかのように振る舞っている。戦略的な理由から、(国際的に定まった国境線を持つ主権国家である)ヨルダンはハイファやジャファの領有権を主張できないが、パレスチナ人としてであれば疑問を持たれることもなくハイファ、ジャファ、べエル・シェバ、エルサレムの領有権を主張することができる。だが私たちがパレスチナ全土の領有権を取り戻した時には、パレスチナとヨルダンを併合させるのに1分たりとて待ったりはしないだろう」

この事実は、「パレスチナという民族は歴史的に見て存在したことがない。存在したという事実は一切ない」と断言したアラブ人の歴史家、Philip Hitti教授によっても認められている。この事実はさらに国連のサウジアラビア代表によっても確認されている。「パレスチナというのはシリアの南以外の何物でもないというのは常識だ」。

国際的にテロ組織として認定されているハマスの内政担当官、Fathi Hammadは「パレスチナ人の半分はエジプト人で、もう半分はサウジ人だ」ということを認めている。彼はエジプトのTVに向かってこれを発言した。そのビデオはインターネット上のあちこちで見ることができる。

シリアの独裁者、Hafez Assad(現在の独裁者の父)はPLOの指導者アラファトに向かってこのように語った。「お前たちはパレスチナの代表などではない。この一点だけは決して忘れるな。パレスチナ人などという民族は存在しない。パレスチナ人という存在は実在しない。そこにはシリアがあるだけだ」

PLOの司令官でPLO Executive Councilのメンバー、Zuhair Muhsinははっきりと語っている。「ヨルダン人、パレスチナ人、シリア人、レバノン人の間に少しも違いはない。私たちは一つの国家の一部だ。私たちがパレスチナ人というアイデンティティを注意深く強調するのは政治的な理由からに他ならない。そうだ、パレスチナ人という固有のアイデンティティの存在は単に戦略的な目的のために用いられているに過ぎない。パレスチナ国家の建設はイスラエルとの戦いを継続させるための新しい手段だ」

Jeremy R. Hammond Mod  tbenton62 • 2 months ago

「恥ずかしい。彼はそんな発言は一度もしていない。その発言は後に捏造だったと発覚している。」

嘘だ。残りの君のコメントも全部嘘だ。話をはぐらかすためのデマだ。

Romanium  Jeremy R. Hammond • 8 hours ago

だから早くその証拠を見せてくれ。時系列に沿った確かな証拠を見せてくれ。

tbenton62  edwardel7asan • 2 months ago

民族浄化など行われていない。(イスラエルの)アラブ人口が急速に増大しているという事実が君の主張の馬鹿馬鹿しさを面白いように反証している。

edwardel7asan  tbenton62 • 2 months ago

では、第二次世界大戦時にユダヤ人の人口が増加しているからホロコーストも存在しなかったと君は主張するのか?

tbenton62  edwardel7asan • 2 months ago

一体何を言っているんだ?ユダヤ人の人口はホロコーストの時期に600万人も減少している。自分がパレスチナ人であると「主張している」アラブ人の人数は彼が言う期間の間に70万人から1200万人へと増加している。君は自分で何を言っているのか分かっていないんじゃないのか?

edwardel7asan  tbenton62 • 2 months ago

このサイトによると、ユダヤ人は減少していなかったみたいだが。

http://www.thetruthseeker.co.u...

Jeremy R. Hammond Mod  tbenton62 • 2 months ago

間違っているのはお前の方だ。

tbenton62  Jeremy R. Hammond • 2 months ago

だったら早く証拠を見せてくれと言っている。君には難しすぎるのかな。

Andrew Clinton  Jeremy R. Hammond • 3 days ago

君は愚かな知識人だよ。よくやった、tbenton62。君はジェレミー・ハマスを完全に破壊した。だが妄想の世界で生きている彼は、自分が議論に勝っていると恐らく考えているんだろう。君の嘘を純粋な論理で破壊する場を与えてくれてありがとう、ジェレミー。

Romanium  Andrew Clinton • 8 hours ago

彼は高校で彼が習ったであろう論理的誤謬を自ら実践しているんだよ。ハモンドは明らかに現実に対して悪意と偏向を抱いている。

Romanium  Jeremy R. Hammond • 8 hours ago

パレスチナ人が先に住んでいたという証拠はどこにあるのか?この重要な情報の証拠を提示することはどうして君にとってそれほどまでに難しいのか?

L_King  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

君の言っていることは間違っている。6つのアラブ諸国がユダヤ人を虐殺するつもりでイスラエルを攻撃した。アッバス議長も認めている。彼の家族は、サフェドに住んでいたアラブ人が1929年にユダヤ人に対してしたこと(虐殺)と同じことを今度はアラブ人がやり返されるのではないかと恐れてサフェドを逃亡したと。

ユダヤ人が敗北していれば、そこには「滅亡戦争と記念すべき虐殺」が残されていただろう。

私にはイスラエル人を非難する気にはとてもなれない。自分たちに対して民族浄化を仕掛けた人たちを帰還させなかったからと言って。特に、アラブの土地に住んでいたユダヤ人がどうなったかを考慮すれば。

Jeremy R. Hammond Mod  L_King • 2 years ago

周辺アラブ諸国が攻撃の準備を整え終えた頃には、25万人のアラブ人がシオニストの軍隊によってすでに民族浄化されていた。

Michael Davison  Jeremy R. Hammond • a year ago

では、一体どうやってこれらの事実を説明するというのか?その当時に実際にその地にいた人たちの証言を。

「難民たちは土地を離れるのは一時的だと、一週間や二週間もすれば戻れると自信に満ちていた。指導者たちはアラブ軍が「シオニストのギャングたち」をあっという間に叩きのめしてくれると彼らに約束した。そして混乱や難民生活が長期化する心配は一切しなくていいと保証した」-Monsignor George Hakim, then the Greek Catholic Bishop of Galilee (a leading Christian personality in Palestine) to a Beirut newspaper, Sana al Janub, August 16, 1948.

「私は誰も責めるつもりはありません。ただ難民を助けたいと思っています。ですが、ここにいる難民はアラブ諸国がユダヤ国家と国連の分割提案に反対した直接の結果なのです。アラブ諸国は彼らを難民とする政策に全会一致で賛同しました。彼らはこの問題の解決へ向けた責任を負わなければなりません」-Emil Ghoury, Secretary of the Arab Higher Committee, the official leader of the Palestinian Arabs, in a Beirut newspaper, also reported in the Daily Telegraph on September 6, 1948.

「パレスチナとテルアビブの制圧はピクニックに行くように簡単だろう。ユダヤ人が土地に掛けた数百万というお金と経済発展が簡単に手に入る戦利品だ。ユダヤ人を地中海に沈めるだけで手に入るのだ。パレスチナに住むアラブ人には土地を離れ、家を離れ、財産を手放すように助言が与えられた。そして兄弟たちが住む周辺のアラブ諸国へ一時的に留まるように伝えられた。後はアラブ軍がユダヤ人を抹殺するのを安心してみていればいいと」-(General Secretary of the Arab League, Azzam Pasha as related by chief spokesman for the Arab League, Habib Issa -- (Al Hoda, June 8, 1951 - A NY Lebanese daily newspaper)

君はこれらの発言を行った人たちよりも事実をよく知っていると本気で信じているのか?

Jeremy R. Hammond Mod  Guest • a year ago

周辺アラブ諸国が、1948年のシオニストの一方的なイスラエルの独立宣言に対する報復として、攻撃の準備を整え終わる頃には、25万人のアラブ人がすでにパレスチナから民族浄化されていた。

Michael Davison  Jeremy R. Hammond • a year ago

陰謀論者が「パレスチナ人」を支持したとしても少しも驚きではないだろう?Beirut Institute for Palestinian Studiesが「難民の68%は一度も銃声を聞かずにもしくはイスラエル兵の姿を一度も見ることなしに家を去った」と調査していることを陰謀論者に伝えても効き目はないんだろう。

「アラブの政府は私たちに言いました。私たちが入れるように出て行け。だから私たちは出ていきました。ですが彼らは入ってこなかったのです」-(Jordan Daily Newspaper, Ad Dijaa, September 6, 1954.)

「軍の邪魔にならないように一時的に家を離れろとパレスチナのアラブ人たちに要請したアラブ諸国は、難民を助けるという約束を反故にした」-The Jordanian daily newspaper Falastin, February 19, 1949.

「アラブの集団逃亡は実際の戦闘によって引き起こされたのではなかった。そうではなく彼らにユダヤ人を憎むように仕向けさせるためにアラブの指導者たちが広めたデマのせいで引き起こされた。この集団逃亡と村の消滅は私たちの指導者たちに責任がある。彼らがユダヤ人の行いを誇張し、(アラブ人を激怒させるために)残虐行為が行われたかのような流言を広めたからだ。女性や子供が殺されたなどなど、ユダヤ人の残虐行為の流言を広めることにより、彼らが家と財産を残して逃亡するまで、アラブの指導者たちはパレスチナのアラブ人たちに恐れと恐怖を扇動し続けた」-The Jordanian daily newspaper Al Urdun, April 9, 1953.

「この集団逃走は、非現実的なメディアと特定のアラブの指導者の無責任な発言によって煽られた、ほんの数週間でアラブ軍はユダヤ人を壊滅させてパレスチナのアラブ人はこの土地に戻り再びこの領土を手にすることができるというアラブ人の甘い考えに原因の一端があった」-Edward Atiyah (Secretary of the Arab League, London, The Arabs, 1955, p. 183)

「1948年の5月15日が訪れた。その日に、エルサレムの大ムフティはパレスチナのアラブ人にこの地を離れるように説教した。自分たちの代わりにアラブ軍が侵入して戦ってくれるだろうから」-The Cairo daily Akhbar el Yom, October 12, 1963.

1948年にアラブが敗北したその理由を挙げている途中で、Khaled al-Azm(シリアの首相)はこのように記している。「第五の要因はパレスチナの住民にパレスチナを離れてアラブ諸国に逃げるようにとアラブの政府が呼び掛けたことだった。1948年以降、難民の帰還を求めてきたのは私たちだ。だが彼らを難民にさせたのも私たちなのだ。私たちが彼らに離れるよう圧力を掛けたせいで100万人のアラブ人たちに災害をもたらしてしまった」

「私たちが彼らに物乞いを強いた。私たちが彼らの倫理観と社会水準を低下させた。だというのに私たちは殺人、放火、女性や子供に対する投石などの犯罪を実行させるために彼らを利用している。すべては政治的目的のために」--Khaled el-Azm, Syrian prime minister after the 1948 War, in his 1972 memoirs, published in 1973

最後に(といっても文字通りの意味ではないが)、4年の任期で就任したはずが現在は9年目に突入しているパレスチナ自治政府の議長モハメド・アッバスに登場してもらおう。

「アラブ諸国はパレスチナの人々をバラバラにし彼らの団結を破壊することに成功した。彼らは、他の国が認めるまではパレスチナの人々を集団としては認めないだろう。これは忌むべきことだ」-The Current President of the Palestinian authority- Abu Mazen (Mahmoud Abbas), from the official journal of the PLO, Falastin el-Thawra (“What We Have Learned and What We Should Do”), Beirut, March 1976.

「Abu Mazenはアラブ諸国がパレスチナの難民問題の原因だとして非難した」-(Wall Street Journal; June 5, 2003)

アッバス議長は1976年の3月にベイルートのPLO支部の刊行物、Falastin al-Thawraに寄稿している:「アラブ軍はシオニストの圧政からアラブ人を守ると称してパレスチナに進軍した。だが彼らはアラブ人を見捨て、難民となることを強制し、政治的にもイデオロギー的にも封鎖し、ユダヤ人が東ヨーロッパでかつて閉じ込められていたゲットーにも似た牢獄へ閉じ込めた」

君がこれらの発言を説明できない限り、君の主張は誰にも信じてもらえない。これらの発言を無視して真実を隠そうとすることは、不誠実なジャーナリズム以外の何物でもない。

Jeremy R. Hammond Mod  Michael Davison • a year ago

「君のような陰謀論者が「パレスチナ人」を支持したとしても少しも驚きではないだろうとは思う」

パレスチナ人が民族浄化されたということを否定する人が自身の偏見をさらけ出すだけの愚かしい個人攻撃に終始したとしても驚きではない。君のためにこの引用を送ろう。

「ユダヤ国家に住むアラブ人という問題への私の解決策は彼らをアラブ諸国に送り届けることだ」--David Ben-Gurion

「私は義務的な送還者だ。私はこれが倫理に反するとは思っていない」--David Ben-Gurion

「私たちはユダヤ国家の市民となるであろうアラブ人は少ない方がよいと考えている」--Golda Myerson (later Golda Meir)

「そこには200の村があった。そしてそれらはなくなった。私たちは村を破壊しなければならなかった。そうしなければガレリアと同じくここにもアラブ人が存在していただろう。イスラエルはさらなる100万人のパレスチナ人で溢れていただろう」--Yitzhak Pundak, explaining to Haaretz how the Givati Brigade's 53rd Battalion ethnically cleansed southern Palestine

「パレスチナの民族浄化」--イスラエルの歴史家、Ilan Pappeの本のタイトル

「それを避けることは困難だった。パレスチナ人の追放なくしては、ユダヤ国家は存在することができなかっただろう。70万人のパレスチナ人を追放することなくしてはユダヤ国家は存在することができなかっただろう。それ故、彼らを追放する必要があった。彼らを追放する以外の選択肢はなかった」--イスラエルの歴史家、Benny Morris

A Zionist  Jeremy R. Hammond • 10 months ago

君が例に出したものはすべてが、文脈を無視して引用する、捏造する、もしくは発言の一部だけを引用するのが大好きな、「アンチ-シオニスト」がこれまで一生懸命宣伝してきたものばかりじゃないか。特に、ユダヤ陰謀論者が大好きなデヴィッド・ベングリオンのものはひどい。

「ディアスポラの軌跡:イングランドの反ユダヤ主義の歴史」(2010, Oxford University Press)という本で、Anthony Juliusは1章を丸ごと費やしてこれを取り上げ、汚らわしい「アンチ-シオニスト」がベングリオンを誤って解釈させたそのやり方を説明している。

実際の引用のソースや文脈を見せることなしには、君のようなようなやり方で議論することは不可能だ。

Jeremy R. Hammond Mod  A Zionist • 10 months ago

なんて必死なんだろう。私が引用したものが「捏造されたもの」だなんて言い出すなんて。

でも君の立場からしてみたら、捏造だと主張し続けないといけないんだろうけどね。

A Zionist  Jeremy R. Hammond • 10 months ago

人格攻撃をしても君の「引用」が捏造だという事実は残ったままだが。私はAnthony Juliusを挙げて証拠を提出した。その一方で、君は捏造以外の他のソースを提出することに失敗した。

ここにロンドンのKing's CollegeのEfraim Karshによるさらなる証拠がある。「イスラエルの歴史を捏造する:新しい歴史家」というタイトルの本だ。

「2011年の11月に、CAMERAはシオニストの指導者デビット・ベングリオンのものとされている引用が間違っているとJournal of Palestine Studies (JPS)の編集者に指摘を行った。この事態を調査した後でJPSは訂正の動きを見せた。だが不幸なことに、(誤りは認めたものの)その訂正は読者に深刻で間違った情報を与える、非常に不正確な間違いを新たに持ち込んだ」

「JPSによると、発言をでっち上げた記事の筆者であるイスラエルの歴史家、Ilan Pappéは彼が行った捏造に関して「コメントすることを拒否した」という。それにも関わらずJPSの編集者は、ベングリオンの他の発言(これも捏造なのだが)を持ち出して彼が大まかに見れば正しいと擁護した」

「Pappéはハイファ大学の教授で彼の生徒で1948年のTanturaでの「虐殺」を捏造したTeddy Katzを支援している。Pappéはイスラエルを去りイギリスのエセスター大学で歓迎された。彼は、自分が「真実の探求者」ではないこと、自分の仕事が「イデオロギー」によって動かされたものであることをはっきりと認めている。彼はイスラエルのマルクス主義政党、Hadashのメンバーで反イスラエルのプロパガンダを積極的に行っている」

「彼はベングリオンが、「アラブ人たちは出ていかなければならない。だが彼らを実際に出ていかせるためには例えば戦争のような機会が必要だろう」と書いたと主張した。JPSはこの引用が(間違っているとは認めたものの)ベングリオンが実際に書いたと彼ら(JPS)が主張しているもの、すなわち「私たちはアラブ人を追放して彼らの土地を奪わなければならない」と大体同じ意味だと主張している」

「編集者たちは、自分たちが引用したその新しい引用もまた最も良くて疑わしい、そしてほとんど確実に間違っているということを知っているべきだった。さらに悪いことに、JPSはPappéの記事を擁護しなければならなかったために捏造した単語を(英語の)翻訳に挿入している」

言い換えると、Pappéの誤りを擁護するために自分たちの誤りまでも持ち込んでいる。

CAMERAの記事を見てみることを君にお勧めする:http://www.camera.org/index.as...

否定しているのは私ではない。Pappéとは違って、私は歴史修正主義者ではない。

Jeremy R. Hammond Mod  A Zionist • 10 months ago

「君の「引用」が捏造だという事実は残ったままだが」

違う。荒らしや話題そらしが目的のようだからコメント欄から追放する。

Michael Davison  Jeremy R. Hammond • a year ago

文脈を無視した引用、決して実行されなかった緊急事態のために用意されていたダレット計画、詐欺師の歴史家(Ilan Pappe)と、新しい証拠を調べ古い証拠を再調査する誠実さを持っており考えを変えた1人の歴史家(Benny Morris)。

ごみのような記事だ。だが事実を知らない無知な人を騙すのには十分なのかもしれない。

このサイトの他のパレスチナ擁護記事もひどいものだが、このごみを書いた筆者はアラブの政府たちが宣言した目的を無視している。それにはアラブ最高会議のものも含まれる。ユダヤ人を殺害し彼らのものをすべて奪うこと。君はこの事実をどうしても否定できないので無視することに決めたようだ。

人格が攻撃されているのは君の記事の内容ばかりではなく君自身が非難されているからだろう。もし君が陰謀論者であるということを否定したいのであれば、君が長年に渡ってこれまで書いてきた記事のほとんど(すべて)を否定しなければならなくなるだろう。

Jeremy Tarone  Jeremy R. Hammond • 7 months ago

議論に勝てないのであれば相手を偏見の塊と呼べ。がんばってくれ。

Jeremy R. Hammond Mod  Jeremy Tarone • 7 months ago

偏見の塊ならば今ここで目にしている。私が語ったことがすべて事実だ。

Publius Scipio  Jeremy R. Hammond • a year ago

「民族浄化された」とはどういう意味で言っているのか?「追い出された」ということか?もしくは「逃亡した」ということか?言葉遊びをしているんじゃないんだ。そういう事態は植民地主義が終了し新しい国が生まれた時、民族的、言語的、宗教的境界に向かって人々が移動することは頻繁に起こっている。

君は同じぐらいの人数のアラブ人がイスラエルに残っていて完全な市民権を得ているということに言及するべきだった(ワシントンでさえもイギリス王家に忠誠を誓いカナダに逃亡したロイヤリストたちが戻ることを許していない)。そして同じぐらいの人数のユダヤ人がアラブ諸国から「民族浄化された」ということも。

Jeremy R. Hammond Mod  Publius Scipio • 9 months ago

「民族浄化された」とは恐れから逃亡した、もしくは追放されたということを意味している。家に戻ることを許されなかったも含めて。

Publius Scipio  Jeremy R. Hammond • 9 months ago

君は私のコメントの最後の部分を見落としている。「君は同じぐらいの人数のアラブ人がイスラエルに残っていて完全な市民権を得ているということに言及するべきだった(ワシントンでさえもイギリス王家に忠誠を誓いカナダに逃亡したロイヤリストたちが戻ることを許していない)。そして同じぐらいの人数のユダヤ人がアラブ諸国から「民族浄化された」ということも」。

そのような出来事は植民地主義が崩壊した後では珍しいことでも何でもない。例えばインド、パキスタン、バングラデシュがどのように生まれたのか知らないのか?

Jeremy R. Hammond Mod  Publius Scipio • 9 months ago

違う。見落としてなどいない。

Publius Scipio  Jeremy R. Hammond • 9 months ago

わかった。無視したんだな。クズ人間。

Jeremy R. Hammond Mod  Publius Scipio • 9 months ago

そうだ、70万人のアラブ人がユダヤ国家の建設のためにパレスチナから民族浄化されたということとは無関係で、事実から目を逸らさせようとする目的だからだ。

Excuse me  Publius Scipio • a year ago

逃亡--アラブ諸国からの要請を受けて。

Jeremy R. Hammond Mod  Excuse me • a year ago

このシオニストのプロパガンダは学者はまともに取り扱っていない。難民のほとんどはデイル・ヤシン村のようなさらなる虐殺を恐れて、もしくはシオニストの軍隊によって家から追い出された。戻ることを許されず、彼らの家と村は地図から削除された。停戦ラインが引かれた頃には、75万人のアラブ人がパレスチナから民族浄化されていた。

A Zionist  Jeremy R. Hammond • 10 months ago

だから証拠は?君が喋っていることは、単に歴史修正主義者によって「修正」された歴史が好きだと言っているだけじゃないか。そしてここでもまた歴史的文脈を無視された「デイル・ヤシン村の虐殺」のことを話さなければならないのか。第一に、偽物ではなくまともな学者であればこの事件は悲劇ではあるが政府の如何なる命令によるものではないということに同意している。この事件は戦争の文脈の中で理解されなければならない。そしてこの事件のすぐ前に、アラブ人たちはエルサレムへ向かう途上で虐殺を行っている。起こったと思われることは「ハガナーのメンバーは隊長を失い」、その結果はイスラエルにとって悲劇的な汚点を残したということだ。だがイスラエルは何が起こったかを認めている一方で、アラブ諸国は女性や子供の殺害を認めないばかりかその罪をイスラエルに押し付けてさえいる。そして「占領」もなく「入植」も存在せず「イスラエルというユダヤ国家」も存在していなかった1922年にはすでにユダヤ人に対する虐殺を開始していたということを認めることを否定している。

イスラエルが独立を宣言した日のすぐ後にアラブの5ヶ国が不法に攻撃し侵略したという事実を否定するには、現実を大きく大きく捻じ曲げる必要がある。

Jeremy R. Hammond Mod  A Zionist • 10 months ago

デイル・ヤシン村の虐殺が「歴史の文脈から外れている」と指摘しても無意味だ。私はそれがシオニストの命令によって行われたとは言っていない。それがアラブ人たちに恐怖を呼び起こしたと言っている。そして実際にそうだった。

イスラエルが不当な独立宣言を行った報復としてアラブ諸国が攻撃の準備を整え終わった頃には25万人のアラブ人がパレスチナからすでに民族浄化されていた。

Naftali Greenwood  Jeremy R. Hammond • 9 months ago

そりゃそうだ。抵抗運動を燃え盛らせようという意図で周辺アラブ諸国がプロパガンダに使ったんだから。ところがその思惑は外れに外れて大脱走を引き起こしてしまったが。

Jeremy R. Hammond Mod  Naftali Greenwood • 9 months ago

イスラエルはパレスチナに住むアラブ人を民族浄化して建てられた。

Naftali Greenwood  Jeremy R. Hammond • 9 months ago

ユダヤ人と呼ばれる人々は1948年の5月に建国されたその国家より前から存在している。その戦いで、イスラエルはリーダーシップを発揮し、国家として振る舞い、勝利した。もう一方の側には、そのどれ1つも見られなかった。

Naftali Greenwood  Jeremy R. Hammond • 9 months ago

ベニー・モリスはこのことを注意深く語っている。幾人かはユダヤ人の支配の下で生きるのが嫌で逃亡した。他の人たちは地域のイスラム教指導者たちの説教に従って逃亡した。アラブ人たちは「デイル・ヤシン村のような虐殺」を恐れて逃げ出したのではなく(デイル・ヤシン村の出来事は例外だったから)、アラブ諸国がデイル・ヤシン村の事件を使って爆撃のような恐怖キャンペーンを展開したために逃げ出した。国境付近にあった攻撃的な少数の村は追い出された。君は民族浄化という無茶苦茶な非難をしたいがためだけにこれらすべてのことを一緒くたにして無知な人間を混乱させようとしているに過ぎない。

Jeremy R. Hammond Mod  Naftali Greenwood • 9 months ago

ベニー・モリスを引用しても君の否定主義の助けにはならない。

「イスラエルは70万人のパレスチナ人を追い出すことなしには存在しなかっただろう。それ故、彼らを追い出す必要があった」--Benny Morris

Chief IronDome  Jeremy R. Hammond • 9 months ago

1948年に難民となったアラブ人の人数は本当はどれぐらいだったのか?恐らくは30万人を大きく下回っていた。

アラブ諸国が国連が主張しているインフレートされた第三世代の難民の人数は1948年のこれまたインフレートされた人数を根拠にしている。

http://www.israelnationalnews....

パレスチナの歴史を真剣に学んだ生徒であればアラブ諸国や国連が主張している60万人から75万人という数字が誇張されているということに同意するだろう。その数字を反証することは非常に簡単であるし、実際多くの人がすでにそれを行っている-Yehoshua Porath

1948年の戦争で65万人の難民が発生したと広く信じられている考えは誤りだ。当時の人口のデータや当時の国連自身の高官の発言を注意深く見れば、本当の人数は遥かに少なく恐らく27万人を大きく下回るだろうと考えられる。

広く信じられている65万人という数字はたった1つの理由を取り上げてみるだけでも真実とはなりえないということが理解できる。第一に、イスラエルになった当時のパレスチナにはアラブ人は66万人以上住んでいなかった。そして第二に、(不備によるにせよ故意によるにせよ)UNRWA (the United Nations Relief and Works Agency)は同じ人間に難民カードを何枚も渡していた。そのうちの何割かはそもそも難民でも何でもなくUNRWAによって配られる援助物資を目当てにした住人だった。このことはUNRWAの高官によって確認されている。

パレスチナの難民問題を創作するのに果たしたUNRWAの役割を見る前に、1948年のアラブ-イスラエル戦争前の人口データを調べてみる必要がある。

1944年~45年の人口データはパレスチナに当時住んでいたアラブ人の人口を57万800人と表記していた。1944年に行われた国勢調査に基づく他のデータによると、イスラエルが支配することになる領土に69万6000人のアラブ人が住んでいたと示唆している。イスラエルの歴史家、Tsvi Misinaiはこの数字は実際にはもっと少ないだろうと語っている。1948年以前には、後にイスラエルとなる領土には39万人のアラブ人が住んでいたと彼は考えている(これらの数字には東エルサレム、ガザ、ジュデア、サマリアに住むアラブ人は含まれない。その数字は別れているが、結局はアラブ人の人数は恐らくは60万人ぐらいだったと思われる)。(何を言っているのか分からないだろう人もいるだろうから補足すると、パレスチナ難民とは普通の難民の定義とは異なり、国外に追い出された人々のことを指すのではなくパレスチナのある地域からパレスチナの他の地域、主にヨルダンが不法に占領した地域へと最終的に移動した人々のことを指す。それって本当に難民なのか?という当然の疑問は言及してはならない暗黙の決まりになっている。それはともかく、要するに後にイスラエルとなる領土にはアラブ人が39万人しか住んでおらず、ヨルダンの支配地域を併せても60万人ぐらいしかいなかったのだから難民が65万人以上になることはありえないと指摘している)。

彼によると、アラブ-イスラエル戦争が終結した頃にはイスラエルの国境内には12万人のアラブ人が存在したという。他のコメンテーターはその数字は16万人から17万人だろうと考えているが(この乖離はヨルダンからのパレスチナ難民を考慮に入れれば小さくなる)。これは、イスラエルが支配することになった領土から離れたアラブ人の人数は27万人以上にはなりえないことを意味する。

その27万人がどうなったかというと、多くは周辺のアラブ諸国に向かい、残りはジュデア-サマリアとガザに向かった。他にも4000人ぐらいが西エルサレムから東エルサレムの廃棄された家へと自発的に向かった。アラブ-イスラエル戦争の間に、7万7000人のアラブ人(ほとんどはベドウィン部族)はイスラエルとなる領土にあった自分たちの家にひっそりと戻っていた。戦争が長引き出すと、8万1000人のアラブ人が他にも逃亡したがその多くは再び戻り、もう一度逃げたのは2万4000人だけだった。戦争の終結頃には、家を逃げ出した/領土を失ったアラブ人は27万人だった。

一瞥した所では、この数字は少なすぎるように思われるかもしれない。国連の仲裁人Folke Bernadotteが代表となってまとめたレポートによると難民の人数は33万人だと報告している。当時の他のレポートは難民を42万4000人だとしている。どちらにしても1948年の戦争が原因で43万人以上のアラブ人が難民となったということは統計的に見て起こりえない。これが1940年代中頃に行われた信頼のおける国勢調査の数字を根拠としたWalter Pinnerの見方だ。

難民たちは他の家族から子供を「雇う」ことが出来たと云われている。

従って、1948年の戦争によって27万人よりは多いかもしれないが43万人よりは少ない難民が生まれたという状況だったと判断することが出来る。27万人という数字は、イスラエルになる前の領土に住んでいたアラブ人の人数が39万人と少ないことが反映されている。アラブの移民と自国に戻った農業労働者を考慮に入れれば、27万人という数字が最も真実に近いものかもしれない。加えて、1960年代の中頃に行われた信頼のおける調査は27万人という人数が真実だったかもしれないと示唆している。

多くの本やウェブサイトは1948年の戦争で生まれた難民の人数を65万人と言い切っている。その数字は一体どこから生まれたのか?

その1つの説明としては、難民が一回以上カウントされたという立証された事実が挙げられるだろう。さらなる援助を受けるために、多くの難民は二重にカウントされた。その結果として、難民たちは一枚以上の難民カードを受け取った。レバノンの難民キャンプで働いていた1人の労働者は、「私たちは彼らを数えようとした。でも彼らは何度でも私たちの所に戻ろうとした。手を焼いた私たちは西側の服で彼らの人数を数えようとした。そしたら彼らはアラブ風の衣裳に着替えて私たちの所に戻ろうとした。だから私たちは仕方なく同じ人をもう一度数えた」と当時の状況を振り返っている。

これだけが問題だったのではない。家族が食料を受け取り続けることができるように死者の隠蔽が行われた。その一方で、子供が生まれた時には必ず報告された。1951年にUNRWAは、「難民の真の人数を把握することは現在でもできていない」と報告している。データが不正確な理由としてUNRWAが挙げた理由は難民が「出生は報告しようとするが(中略)死亡は滅多に報告しようとしない」ことだった。カイロを拠点とするMideast Mirrorの1955年の7月23日の報告によると、「500もの配給カードを(そのうちの499はとっくの昔に死亡した人のものだった)保有している難民たちが存在する。食料や衣服、配給カードを高値で売買するディーラーが存在する」と報告している。

Fraudulentがまとめた数字は扶養される人の人数に基づいて作成されている。難民は他の家族から子供を「雇う」ことができたと云われている。1950年にUNRWAの監督官、Howard Kennedyは「架空の名前が配給の予定に記されている。調査の時に他の家族から子供を雇うことが難民たちの間では当然のように行われている」と語っている。

ヨルダンでの状況が問題をさらに難しくさせた。ヨルダンはすでにアラブ人(パレスチナ人)で一杯だったからだ。難民(パレスチナ人)とヨルダン人(これまたパレスチナ人)を区別することはほとんど無理だった。UNRWAの高官は、ヨルダンの配給予定だけでも「不適格者が15万人とすでに死亡している多くの人が含まれていると考えられている」と記している。レバノンの状況も同じようなものだった。国連総会向けの1950年の報告書には、UNRWAの監督官は「パレスチナ国境付近のレバノン人の多くは慣習的にパレスチナの農場や果樹園などで1年の大部分働いていた。戦争が勃発すると、彼らは国境線を渡って難民だと主張するようになった」と記している。

実際、こちらの方が大きなトレンドへと発展した。UNRWAの難民キャンプの方が生活水準が高かったので、ジュデアやサマリア、ガザ地区などから難民ではない人たちが食料や医療、教育などを求めて難民だと主張するようになった。ジュデア-サマリアやガザ地区の永住居住者の多くは難民キャンプを住所とするUNRWAの配給カードと実際の住所がある普通のIDカードの双方を保有するようになった。

その他の問題は、記録に残されていない人々の移動、特にガザ、イスラエル、ヨルダン、レバノン間を移動するベドウィン部族の存在だ。(難民問題をでっち上げた)国連でさえもがベドウィン部族の1万5000人は実際には存在しない架空の人たち、もしくはすでに登録された人たちであると認めた。UNRWA自身の言葉によると、人々の移動によって「難民となる可能性があった人々の人数の推計すべてに二重の誤りの源が持ち込まれた」

国連は1950年に、「一般的に理解されている定義としての難民の本当の数字は現在でも分かっていない」と明らかにしている。その報告書によると、国連の数字に含まれるエラーの範囲は、「恐らくは50%にも達し、国連の活動に深刻な影響を与えている」と報告している。

それにも関わらず、国連は難民の推計を膨らませ続けている。国連はマルクス派の立場に立って誰が難民かを定義しているからだ。その定義は「家や生活手段を失った人たち」から「居住地が1946年の6月から1948年の5月にパレスチナだった人たち」と実に曖昧で多岐に渡る。土地の一部を失っただけでまだ家を持っていた人でさえも難民とされた。それに加えて、1948年以前に不法にパレスチナに住み着いていたアラブ人たちでさえも難民認定された。その数字が人工的に高いものであるのも不思議はない。

1966年にWalter Pinnerは難民認定の多くが誤りであることを示した。国連のUNRWAの報告書自体をベースにして、彼は48万4000人の難民が西ヨルダンとガザ地区から移動してきたアラブ人であること、11万7000人はすでに死亡した人であること、10万9000人は1948年に再移住した人たちですでに難民ではないこと、22万5000人はその後に他の場所に移住して自立していることを示した。間違った難民認定を差し引くと、1966年時点での正規の難民は36万7000人であることと彼は結論した。

1948年から1966年の間の自然増を差し引くと、1948年のアラブによる攻撃で生まれた難民の人数は30万人以上にはなりえないことが分かる。27万人というTsvi Misinaiの数字は真実からそれほど離れてはいなかったのかもしれない。

驚くべきことに、国連の事務総長ダグ・ハマーショルドもPinnerの主張を否定しなかったばかりか彼の出した数字に一切の修正を加えなかった。ハマーショルドはPinnerの報告を受け取ったと認めているため、国連は彼の分析を知らなかったと主張することもできない。国連は(少なくとも非公式には)Pinnerの報告に同意しているが、UNRWAが難民問題を捏造したその責任を負わされるのを嫌っているのだろう。

まとめると、現在のパレスチナの難民は戦争が勃発した時には実際にはパレスチナに住んでいなかった人たち、もしくはわずか2年だけ住んでいた人たちで大部分が構成されている。これは2016年に難民だと主張している人たちの半分以上、恐らくは3分の2以上がパレスチナからの難民でも何でもないということを意味している(リベラルを他にもイライラさせていることは、パレスチナの難民キャンプの生活水準は国際的な援助を受け取っていないその周辺のアラブ諸国の住人よりも遥かに良いということだろう。実際、パレスチナの難民キャンプの多くはキャンプでも何でもなく、むしろ基本的な機能はすべて備えた居住地と言ったほうがいいぐらいだ)。

アラブ諸国もこの詐欺で中心的な役割を果たしてきた。UNRWAの援助金は実質無償だったため、強欲もその原因の1つだっただろう。UNRWAの監督官、John H. Davidはアラブ諸国が援助をもっと受けたいがために1950年代に難民の人数をインフレートさせたと認めている。だが難民の問題は他の面から見てもアラブ諸国にとっては有益だった。難民と呼ばれている人たちの人数を誇張すれば彼らを帰還させるような圧力が国際社会からイスラエルに掛かり、民主主義的にユダヤ国家を破壊することができる。これは、1948年から1967年の間にジュデア-サマリアとガザ地区を実効支配していたのはヨルダンとエジプトであるのに、どうしてアラブはこの地域の難民に家を与えなかったのかということをよく説明している。

欺瞞だらけのパレスチナの難民問題の歴史は、難民だと主張するパレスチナ人に対してイスラエル政府は極めて慎重に補償や帰還を認める必要があることを意味する。難民のほとんどは不正を行った人間かその子孫だ。イスラエル政府が和平交渉の一環として難民に補償と帰還を認めるつもりであれば、本当の難民だけにするように大規模な調査を行う必要がある。その見返りとして、イスラエルにはナチス・ヨーロッパ(ドイツだけではない)で奪われたユダヤ人の家や貯蓄、財産が補償されなければならない他、1940年代と50年代にアラブ諸国から追い出されたユダヤ人たちに対しても土地や財産の返還が行われなければならないだろう。それに加えて、1948年の戦争で殺害され家を追われた多くのユダヤ人たちに対する賠償も必要となるだろう。

Naftali Greenwood  Jeremy R. Hammond • 9 months ago

君が引用しているモリスの発言は、彼の数百ページに渡る本の説明から都合よく抜き出されたものだ。難民問題はシオニストの民族浄化の計画などによって生まれたのではなくアラブ諸国が仕掛けた全面戦争のせいで生まれた。

Jeremy R. Hammond Mod  Naftali Greenwood • 9 months ago

モリスは君の考えに賛同していないようだよ(*今、話題に上がっているモリスは自身の本がユダヤ差別主義者に頻繁に引用されることに嫌気が差して、差別主義者の引用は誤りであり自分たちのイデオロギーの正当化に自分を利用するなと強く警告していることは以前の記事で紹介している。ようするに、モリスはハモンドの主張を完全に否定している)。

「それがシオニストが直面していた状況だった。ユダヤ国家は70万人のパレスチナ人を追放することなしには存在することができなかっただろう。それ故、アラブ人を追放する必要があった。彼らを追放する以外の選択肢は存在していなかった」--ベニー・モリス

Michael Davison  Jeremy R. Hammond • 9 months ago

(繰り返しなので省略)

君は彼らよりも自分の方が真実を知っていると本気で思っているのか?

Jeremy R. Hammond Mod  Michael Davison • 9 months ago

そうだ、私の方がよく知っている。

シオニストによる追い出しはなかった、彼らは全員アラブの指導者の要請を受けて土地を離れたという主張は学者にはまともに取り合われていない。

Michael Davison  Jeremy R. Hammond • 9 months ago

こんな傲慢な人間は見たことがない。当時その場にいてアラブの政策を指揮した人たちの方が確実に君より真実を知っている。

それ以前に私は一度も追い出しがなかったなんて言っていない。少しはあっただろう。だがBeirut Institute for Palestinian Studiesさえもが、「難民の68%は1人もイスラエル兵士を見ることなく、もしくは一度も発砲を聞くことなく家を離れた」と報告している。

デイル・ヤシン村での戦い(アラブの報道によって「虐殺」と捏造された)がパレスチナからアラブ人が大量に逃げ出した主な原因だったという事実は残ったままだ。

Bir Zeit Universityがデイル・ヤシンは虐殺ではなく長時間に及ぶ戦いだったとはっきりと記した論文を1988年に出版していることは特筆に値する。その論文はデイル・ヤシン村の生存者に長い年月に渡ってインタビューを試みたものだった。1998年にBBCが「50年の戦争」というドキュメンタリーを制作した時にもBBCの調査員たちは同じ結論に達している。当然予想されたようにその論文はウェブサイトに掲載されてすぐにBir Zeitのウェブサイトから削除された。だがBBCのドキュメンタリーは今でも見ることが出来る。

BBCもBir Zeit Universityも反ユダヤ主義として非難されている団体でイスラエルを擁護することによって得られる利益は一切ない。彼らが出した結論は考慮に入れられなければならない。

君はIlan Pappeと同類の嘘つきだ。「この闘争は事実を巡っての争いではなくイデオロギーを巡る争いだ。一体誰が事実を知っているというのか?私たちは、私たちの事実の解釈が正しいものだとできうる限り多くの人を説得させるために行動している。私たちは真実の探求者でありたいのではなく、思想を巡る戦いに勝利するためにそうしている」(Le Soir, Nov. 29, 1999)と公的に認めている彼とそっくりだ。

さらに、「私たちの間の議論は、自分たちは過去の客観的な傍観者だと考えるベニー・モリスのような歴史家と自分たちが解釈した歴史を主観的に語るべきだと考える私のような歴史家とを巡る戦いだ((“Benny Morris’s Lies About My Book,” Ilan Pappé, Response to Morris’ critique of Pappé’s book, “A History of Palestine” published in the New Republic, March 22, 2004, History News Network, April 5, 2004)」とまで彼は語っている。

自分だけの歴史を語りたいのであれば(Ilan Pappeのように)、それは君の自由だ。でも頼むから、自分だけの歴史を語っているのに真実の語り手のフリをしないでくれ。

対立が生まれた時には(離婚の場合と同じように)常に3つの説明が生まれる。お互いがそれぞれに自分たちの正統性を主張し、真実はその間に存在する。どちらかの側がより真実に近いのだろうが。イスラエル側の説明がアラブ側の説明よりも真実に近いというのは事実が証明している。

Jeremy R. Hammond Mod  Michael Davison • 8 months ago

君は自信と傲慢を混同している。繰り返すがパレスチナは民族浄化されたというのが論争の余地のない歴史の事実だ。このことを巡っては歴史家の間で論争がない。デイル・ヤシン村での虐殺が論争の余地のない歴史的事実であるのと同じように。

論争の余地のない事実を君と議論するつもりはない。そのような議論は意図的に知らないフリをしているというレベルを超えている。

Michael Davison  Jeremy R. Hammond • 8 months ago

「論争の余地のない事実」だと言っているのは君だけだよ。君は事実を無視して嘘を拡散させたいだけだ。

君のその狭量さを本当に哀れだと思うよ。

Jeremy R. Hammond Mod  Michael Davison • 8 months ago

君は私の主張に反する証拠を何一つ見せていないじゃないか。従って、これまで見た所では事実は私が言ったとおりだという結論になっているよ?

Michael Davison  Jeremy R. Hammond • 8 months ago

君は最初から誰が証拠を見せてもシオニストの陰謀だと言って言い逃れしているだけじゃないか。自分の出鱈目な説明が単なるプロパガンダだと認めるつもりがないのは明らかなのに。

Jeremy R. Hammond Mod  Michael Davison • 8 months ago

滑稽なほどに皮肉だな。アラブ人の半分が民族浄化されたという歴史的事実を否定し、学者からは最早相手にされていないシオニストのプロパガンダを拡散させようとしているのは君だと言うのに。シオニストの嘘をいくらでも拡散させるがいい。だがパレスチナでの民族浄化は論争の余地のない歴史的事実のままだ。

Michael Davison  Jeremy R. Hammond • 8 months ago

「文書に記された論争の余地のない歴史的事実」だって?

君の頭の中ではな。だがアラブの指導者たちはそう思ってはいないようだが。

アッバス議長でさえもが1929年のサフェドでのアラブ人によるユダヤ人の虐殺や1936年から39年のアラブの暴虐に対する報復を恐れてサフェドを逃げたと証言しているのに。

Jeremy R. Hammond Mod  Michael Davison • 8 months ago

パレスチナが民族浄化されたということを否定することはホロコーストやアルメニア人の虐殺を否定するようなものだ。

これは論争の余地のない歴史的事実だ。

Michael Davison  Jeremy R. Hammond • 8 months ago

だから、君の頭の中ではな。君は「ユダヤ人」だけがこの問題に責任を持つと主張している。アラブの指導者やアラブ最高会議のメンバーの責任が重大だとする証拠が山のように存在するというのに。

君は好きなだけ事実と上記の引用を否定することができる。だがパレスチナのアラブ人たちのほとんどはアラブの指導者からの要請、もしくは命令を受けて土地から去ったという事実は変わらない。土地に残った者は「裏切り者」「協力者」とみなされるという脅迫付きで。

https://www.youtube.com/watch?...

「ユダヤ問題に最終解決法を実行する時がついに訪れた。この問題は血と武力によってのみ解決することができる。ユダヤ人はこの地から永久に追放されるだろう」-Jamal Al-Husayni as vice-chairman of the Arab Higher Committee [AHC]

「ユダヤ人が何人いようとも関係ない。奴らを全員海に突き落とすからだ」「これは殲滅戦争だ。モンゴルや十字軍のように語り継がれることになる記念すべき虐殺となるだろう」-Abd Al-Rahman Azzam Pasha, Secretary-General of the Arab League

アラブ解放軍(ALA)の司令官Fawzi al-QawuqjiがALAが戦う理由を1948年3月9日にAl-Ahramという新聞社に語った:「国連の分割案の撤回とシオニストの根絶」

1948年3月10日、エルサレムの大ムフティMuhammad Amin al-Husayniが「Al Sarih」というジャッファの新聞社に語った:分割案を阻止するだけでは十分でなく、自分たちは「シオニストが殲滅されパレスチナ全土がアラブ国家の物となるまで戦い続ける」と語った。

「民族浄化」を画策していたのは、より正確には(彼らのうちの幾人かも宣言していたように)「ヒトラーが始めたことを終わらせる(すなわち、ユダヤ人のジェノサイド)」つもりでいたのはアラブの方だったように私には見えて仕方がない。これが、君が熱狂的に支持している「アラブ側の大義」だ。

これらの事実を受け入れることを拒否するのは君の問題であって他人の問題じゃない。嘘に基づいたおとぎ話は誰も幸せにはしない。君が助けたいと主張しているパレスチナのアラブ人もだ。君たちのような連中が支持するから、未だにイスラエルを破壊できるとか68年前に約束された「すべてのユダヤの金と土地」を奪うことができるとかいう馬鹿げた話を彼らに信じさせることを可能とさせている。

Jeremy R. Hammond Mod  Michael Davison • 7 months ago

アラブ諸国はパレスチナの民族浄化に責任がない。

民族浄化を実行したシオニストに民族浄化の責任がある。

Michael Davison  Jeremy R. Hammond • 7 months ago

アラブ側に間違いなく責任がある。

それに加えて、85万人から90万人のユダヤ人を土地から追放したことにも彼らに責任がある。

君が「かわいそうなパレスチナの難民」について語りたいのであれば、土地や家、ビジネス、銀行口座から財産までアラブの政府に奪われたユダヤの難民についても語らなければならない。

ユダヤ人がアラブ諸国で所有していた土地(そしてアラブの政府に奪われた)は合計で、ヨルダン川西岸やガザ地区を含めたイスラエルの5倍近くにも相当する。

君の記事にほんのわずかにでも事実が含まれているか探してみたが見つけることはできなかった。君はプロパガンダを拡散させることにしか興味が無いように思える。

せいぜいがんばってくれ。

Jeremy R. Hammond Mod  Michael Davison • 7 months ago

繰り返す。

アラブ諸国はパレスチナの民族浄化に責任がない。

民族浄化を実行したシオニストに民族浄化の責任がある。

Naftali Greenwood  Excuse me • 9 months ago

戦いの邪魔にならないようにと女性と子供に土地を離れるように奨励した地域の指導者たちの要請に従って。でも女性と子供が逃げ出したら男には戦う理由がなくなってしまった。だから男たちも一緒に逃げ出した。

Jeremy R. Hammond Mod  Naftali Greenwood • 9 months ago

ほとんどのアラブ人はさらなる虐殺を恐れて逃げ出した。もしくは追放された。

Naftali Greenwood  Jeremy R. Hammond • 9 months ago

実際にはたった一人だったとしても、君は「ほとんどは」と言い続けるつもりなんだろう?さらなる虐殺を恐れてって、実際に虐殺された側のユダヤ人は1人も逃げ出していないじゃないか。

Excuse me  Jeremy R. Hammond • a year ago

イスラエルが建国される前はパレスチナ人なんていなかった。不在地主の土地を無断占拠していたただのアラブ人でしかなかった。

Smalldeer  Excuse me • 10 months ago

嘘だ!君はハモンドの記事を見なかったのか?1945年以降の土地の所有を示した統計によると、アラブ人はすべての地区でユダヤ人よりも土地を多く所有していた。例えばジャッファではユダヤ人は土地の39%を所有している一方でアラブ人は47%を所有していた。それにジャッファはユダヤ人の土地の所有率が最も高い地区だった、他の地区では、アラブ人の土地の所有率はもっと高かった。パレスチナ全体では、アラブは全体の85%を所有していたのにユダヤ人はたったの7%以下しか所有していなかった。イスラエルが建国された時でも所有率はこのままだった。

drorharari  Guest • 9 months ago

1834年のヘブロンの虐殺や1383年のサフェドの虐殺は?ハモンドはこれも神話だ!と解説してくれるんだろう?

ユダヤ人がイスラエルを再建する前は、パレスチナにはほとんど人が住んでおらずそれも極めて貧しかった。

マーク・トウェインはパレスチナが「ロマンティック」に「思い込みだけで」語られていることを1867年に聖地を訪れた後に警鐘を鳴らしている。各地を訪れる毎に、トウェインはこのように嘆きを漏らした。

(省略)

Ashley Maguire  Smalldeer • 7 months ago

イスラエルは周辺のアラブ諸国が攻めてくる前から絶えず攻撃にさらされていた。イスラエルは自分たちを破壊したいと目論む人たちから身を守る必要があった。彼らが占領した土地というのはイスラエルが6日間戦争の間に戦略上の必要性として勝ち取ったものだ。

イスラエルはその戦争で3つの領地を得た。最もよく知られているガザはエジプトが実効支配していた領地で、エジプトがイスラエルと和平を結んだためその見返りとしてイスラエルはエジプトにガザを分割すると提案した。エジプトはいらないと言いイスラエルも欲していなかったので、パレスチナ人と呼ばれている人たちに与えられることになった。そして彼らはハマスを選んだ。次にゴラン平原だ。現在はISISが支配している地域もあるので、今のような状況では当時のような返還条約が結ばれることは難しかっただろう。この領地は戦争の前は言うまでもなくシリアのものだったので、どうしてこれがパレスチナの領地だと言っている人がいるのか私にはさっぱり意味がわからない。最後がヨルダン川西岸だ。6日間戦争の前はヨルダンがこの領地を実効支配していた。そして西側はそれを非難していた。この領地はヨルダンのものとは認められていなかった。ヨルダンとイスラエルは和平条約を結んだ。だが違法に支配していたヨルダンにはこの領地に対する領有権は初めからない。

ようするに6日間戦争の前にもパレスチナという国家は存在していなかった。それ故、パレスチナ人とはアラブの団結を高めるためのアラファトの創作物に過ぎないという主張を裏付けている。

このサイトでいくらでも嘘をつくことができるが、周りからは洗脳された愚か者としか見られていない。

Jeremy R. Hammond Mod  Ashley Maguire • 7 months ago

イスラエルが不当な独立宣言を行った報復としてアラブ諸国が攻撃の準備を整え終わった頃には30万人のアラブ人がパレスチナからすでに民族浄化されていた。

ヨルダン川西岸は係争地ではない。国際法の下ではガザ地区、東エルサレムを含むヨルダン川西岸は占領されたパレスチナの領土だ。

abuafak  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

君の言っていることは嘘だらけだ。国連決議181によって土地を追い出されたアラブ人など1人もいない。分割案では(1947年の統計によると)ユダヤ人が多数派を占める国とほぼ100%がアラブ人で占められる国とが誕生する予定だった。

難民を生み出した戦争を仕掛けたのはアラブ人の方だ。

それに、君のような素人は知らないかもしれないが、イスラエルの領土となった土地の半分以上は用途を考えることもできない、ほとんど空っぽのネゲブ砂漠だった。

ようするに、ユダヤ人の人口は3分の1で土地の55%を与えられたかもしれないが、その半分以上は人が住めない土地だった。言い換えると、人が住める土地の27%がユダヤ人に与えられるという提案だった。

さらに、イスラエルとなった土地の3分の2はオスマントルコが所有する国有地でアラブ人のものでは決してない。オスマントルコからイギリスへ、そしてユダヤ人へと受け継がれた。

左翼のアマチュアと反ユダヤ主義者はうざいだけだ。

Kenneth Dobson  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

「イスラエルが不当な独立宣言を行った報復としてアラブ諸国が攻撃の準備を整え終わった頃には25万人のアラブ人がパレスチナからすでに民族浄化されていた」

ユダヤ人はそれをたったの一日で実行したと言うのか?

1948年5月15日、イギリスの委任統治領パレスチナが終了した日、その前日に独立を宣言していた新国家イスラエルに5つのアラブ諸国が侵攻した。エジプトのテルアビブに対する空爆で幕を開けたその侵攻は、結果として猛烈な抵抗を受けた。北から東から南からレバノン、シリア、イラク、トランスヨルダン、エジプトの軍が侵攻してきた。

侵略軍はその当時の正規軍が使用していた標準的な装備で完全に武装していた(大砲、戦車、装甲車、装甲兵員輸送車、それに加えてマシンガンや迫撃砲、大量の通常武器、十分な量の弾薬、石油、ガソリンを保有していた)。さらにエジプト、イラク、シリアは空軍まで保有していた。これらの国は主権国家だったので、誕生したばかりのイスラエルとは異なりイギリスや他の友好国から必要なだけの軍備をいくらでも調達することができた。

それとは対象的に、ユダヤ人は戦いの開始時点では大砲も戦車も戦闘機も保有していなかった(ちなみにアメリカからは武器などの供給はほとんどと言っていいほど行われていない)。その日の後にそれらの武器が幾らか調達され、戦況を変えることになった。1948年5月28日時点でもハガナーはわずかの武器しか保有していなかった。ハガナーはイスラエル国防軍を組織するためイスラエルの他のグループと合流したがそれでも戦力は限られていた。ユダヤの2つの防衛軍、エツィルおよびレヒは独立して活動することを停止する(エルサレムを除いて)ことに合意し、所属員を新しく組織されたIDFへと吸収させた。

すべての方向から攻められたために、イスラエルは千にも及ぶ戦闘に限られた武力で対応しなければならなかった。ガリラヤやネゲブの辺境の数多くの入植地は孤立し、あらゆる方向からアラブ軍によって攻撃され、敗北から逃れるために不屈の闘志とわずかの武器に頼るしかなかった。拠点から敵を排除する、敵の隊列の進軍を阻止する、イスラエルの防衛の穴を埋めるのに急ごしらえの軍隊で応らなければならなかった。

Kenneth Dobson  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

「周辺アラブ諸国が新国家イスラエルを侵略したという主張はシオニストの一方的な独立宣言が正統だったと仮定していることになる。言うまでもなく、正統ではない」

一体何を根拠に…148を超える国がイスラエルの独立を承認している。

イスラエルは他の国とまったく同じく「正統」だ。

そして独立を宣言したそのすぐ後に、イスラエルはアラブの5ヶ国から攻撃された。その逆ではない。

イスラエルを地図から消滅させてすべてのユダヤ人を海に突き落とそうと計画していたのはアラブの側だ。その逆ではない。

その戦いに破れてからは…そして1967年にも再び破れてからは…パレスチナ人はイスラエルに対してテロを仕掛け続けてきた。

なんという不快な。

Jeremy R. Hammond Mod  Kenneth Dobson • 2 years ago

「148を超える国がイスラエルの独立を承認している」

とにかく、イスラエルの独立宣言は正統じゃないんだ。

Kenneth Dobson  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

他の国には一体どんな正統性があるというのか?

160の国がイスラエルを承認した。それで十分なように思われる。どうしてイスラエルの正統性だけが一部の人たちから執拗に粘着されるのか理解できない。

Kenneth Dobson  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

簡単に考えよう。

イスラエルは存在した。そして160の国がその存在を認めた。それがすべてだ。君の方が嘘をつくのをやめる時だと思うが?

Jeremy R. Hammond Mod  Kenneth Dobson • 2 years ago

そうだ、イスラエルは1948年に自分たちのものではない土地に対してシオニストが一方的に独立を宣言し、アラブ人を民族浄化したから存在した。

Maria  Jeremy R. Hammond • a year ago

ジェレミー、君の主張を否定する証拠が山のようにあるんだが?君は自分の主張をサポートする証拠を持っているのか?パレスチナはイギリスの統治下にあったと言うのにどうやって25万人のアラブ人が民族浄化されたというのか?もっと情報や文書を出してくれるか?

Jeremy R. Hammond Mod  Maria • a year ago

25万人のアラブ人が民族浄化されたというのは論争になっていない。この記事の大部分は「The Rejection of Palestinian Self-Determination」という私の本がソースになっている。

それとIlan Pappeの「The Ethnic Cleansing of Palestine」を読むことを勧める。

Maria  Jeremy R. Hammond • a year ago

もっとはっきりと語ってくれ。25万人のアラブ人が民族浄化されたというのは一体どういうことなんだ?一体何が起こったというのか?イギリス人が彼らを処刑したというのか?ユダヤ人が短期間の間にアラブ人を殺害して回ったというのか?アラブ人だけが感染するような病気を拡散させたのか?25万人のアラブ人が民族浄化されたと繰り返すばかりでは、その手段も理由もどういった事情があったのかもさっぱりわからない。重大なことなのに、その詳細を一切明らかにしようとしないとは一体どうしてなんだ?

Michael Davison  Jeremy R. Hammond • a year ago

デイル・ヤシン村の虐殺と云われていたものは存在しなかったということを生存者からのインタビューと長年の調査によって明らかにしたBir Zeit Universityの報告書のことを伝えてもやはり無駄だった。実際に起こったと主張されていた虐殺もレイプも本当は起こっていなかったと言うのに。

反ユダヤ主義のBBCでさえも「50 Years of War」というドキュメンタリーで同じ結論に達している。

どちらの団体もイスラエルに友好的とはとても言えないことだし、デイル・ヤシン村の出来事を虐殺だという君の主張には説得力がまるでない。

それに加えて、1998年の4月2日に出版されたJerusalem ReportはPalestine Broadcasting ServiceのArabic newsの1948年当時の放送責任者(編集者)Hazem Nusseibehが、彼はイスラエルへの攻撃を奨励させるためにデイル・ヤシン村で虐殺があったとでっち上げろとパレスチナの指導者Hussein Khalidiから要請を受けたと認めている。

Nusseibehはデイル・ヤシン村の生存者やHussein Khalidiと会い、彼らと口論(一方の側からは捏造を咎められて、もう一方の側からは捏造を強要されたことに対して)になったと語っている。彼はKhalidiが彼に向かって、「虐殺やレイプ、子供の殺害が起こったということにしなければならない」と語ったと回想している。

Nusseibehはデイル・ヤシン村の子供が殺害され妊婦がレイプされたという内容のプレス・リリースを書いた。そのようなことは実際には少しも起こっていなかった。デイル・ヤシン村で虐殺があったと捏造したことが、アラブ人の怒りを煽るのではなく却って彼らを怯えさせてパレスチナからアラブ人を大量に逃走させてしまう逆効果になってしまったとも彼は主張している。

これらの証拠を照らし合わせてみると、デイル・ヤシン村での虐殺と呼ばれているものは「決して死なない嘘」と呼ぶのが適切だろう。

君もこの嘘を生かし続けている人たちの一人となるのか?

君に対する信頼は永久に損なわれるだろうけどね。

Jeremy R. Hammond Mod  Michael Davison • a year ago

なんという皮肉だ。デイル・ヤシン村の虐殺を否定している人が「君に対する信頼は永久に損なわれる」と言うなんて。

Naftali Greenwood  Jeremy R. Hammond • 9 months ago

君はデイル・ヤシンでの出来事とプロパガンダとしてのデイル・ヤシンとを取り違えている。アラブ人たちを逃走させたのは後者の方だ。ユダヤ人は虐殺されたにも関わらず逃げ出してなどいない。

Michael Davison  Jeremy R. Hammond • a year ago

もちろん、君は(何の根拠もなく)Bir Zeit UniversityやBBCの調査報告書を否定することが出来る。自分の方が事実を知っていると主張してね。だが他の人は、君はなんて傲慢な人間なんだろうと君の人間性や信頼性を完全に疑うだろう。

報告書の説明を読み攻撃側の3分の1が死傷したということを知っている人であれば、デイル・ヤシン村での戦いは総力戦だったと理解しなければならない。もちろん戦闘に参加したことがなくそれを実際に書いた人、Hazem Nussbiehによってすでに否定されているプロパガンダだけを読んだ人は、デイル・ヤシン村で虐殺はなかったと結論したパレスチナ側のソースによって示された事実を、自分たちの都合に悪いからという理由で否定しなければならない。

君の評判はそれに従ってどこまでも落ちていくだろうけどね。そこには少しも皮肉なんてないよ。

Yankie  Jeremy R. Hammond • a year ago

君は間違いだらけだ。それも皆が説明してくれているというのにまったく理解できないでいる!

Jeremy R. Hammond Mod  Yankie • a year ago

事実を否定しているのは君の方だ。事実は私が言ったとおりだ。私が言ったことを否定したいのであれば、きちんと議論してくれ。

Michael Davison  Jeremy R. Hammond • a year ago

Ilan Pappeを信頼できる歴史家だと推奨している人間は誰であれ嘘つきだ。ここで彼は自分の歴史観について語っている。

(繰り返しなので省略)

彼はイデオロギーのために歴史的事実を捻じ曲げると繰り返し公言している。

こういうのが君の推奨する証拠だと言うんだったら、君の主張の信憑性は大いに疑われる。一度も行われなかった虐殺についての生徒の論文を擁護して学問的誠実性を疑われたためにハイファ大学を解雇された、それも自分で事実を捏造すると宣言している歴史家の書いたものを受け入れろだなんて、これは一体どんな罰ゲームなんだ?

Michael Davison  Jeremy R. Hammond • a year ago

(省略)

これらの事実が示唆するのは、パレスチナ人にとって「ナクバ」というのは自分たちが家を去り帰ることができなくなったを意味するのではなく、ユダヤ人が虐殺されなかったために約束されていたはずの財産を自由に奪うことができなかった苦い思い出だということを意味する。

ようするに、パレスチナの難民のかなりの部分は難民などではなく、力の均衡が崩れた時に「ユダヤ人が」自分たちアラブ人と同じように振る舞うだろうと思い込んで逃亡したか、隣人のユダヤ人たちが死亡したのを確認してから彼らの財産を奪う機会を伺っていたかのどちらかだ。

ジェレミー、君は問題の解決策ではなく問題の一部だ。

John Pallyswine  Jeremy R. Hammond • a year ago

パレスチナがパレスチナ人のものだったという証拠はない、でも君が正しいと信じろ???パレスチナはパレスチナ人のものだ、何故なら彼らはそこにいたからだ(でも証拠はない)???

Naftali Greenwood  Kenneth Dobson • 9 months ago

193の国がイスラエルの存在を認めている。ハモンドの主張は、国家が存在するための正統性のテストを、ただイスラエルだけが都合よく失格となるように定めようと言っているだけに聞こえる。

Jeremy R. Hammond Mod  Naftali Greenwood • 9 months ago

君は不誠実だからコメント欄から追放する。

L_King  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

「民族浄化」という用語はアラブの集団逃走には当てはまらない。第一に、その用語が現れるようになったユーゴスラビアでの戦争はIllan Pappeが本で語っているような生易しいものではなく遥かに過酷なものだった。特定の民族を根絶やしにすることを目的とした大量殺戮のことだ。民族を浄化しているというのはアラブ側だと言った方が適切だ。その一方でプランCの下でのイシューブというのは1936年から39年のアラブ暴動の際にイギリスが実行したことと同じだ。悪意のない村と停戦を呼びかけようとした。

イスラエルが友好的、中立的、敵対的グループを区別していたからといって、それを「民族的」と解釈はできないしするべきでもない。アッバスの証言が示しているように、「パレスチナのアラブ人」の多くは自分たち自身の意思で逃げ出した。彼らは中東一体で家族を形成していた。彼らはシリア、レバノン、エジプト、トランスヨルダンなどにも財産を持っていた。彼らはそこで紛争が終了するのを待っていることができた。この現象と同じことが1936年から39年の間にも起こっている。

Jeremy R. Hammond Mod  L_King • 2 years ago

君も知っているように、5月14日の独立宣言後の軍事的行動のことを私は言及している。君も知っているように、周辺諸国から送られたアラブの正規軍はシオニストがイスラエルの独立を一方的に宣言するまではパレスチナに侵入していなかった。その頃までには25万人のパレスチナに住むアラブ人が彼らの故郷からすでに民族浄化されていた。

L_King  Jeremy R. Hammond • a year ago

ジェレミー、わかりきったことを指摘させてもらうよ。君は自分が決定的に間違っているからといって説明の一部を変えた。さっきまで君は「muster a military response」と言っていた。なのに今では君はそれを「regular Arab armies」に変えてしまっている。でも僕たちは、アラブ人が逃げ出す前からアラブ諸国がアラブ解放軍(ALA)を支援して(ユダヤ人を)攻撃させていたということを知っているはずだ。でもALAを「正規軍」と分類しないというのであれば、君はどのように分類しているんだ?アラブ諸国によって支援された組織的テロリズム?それも当然ながら「military response」だよ。

それ以前に、ヨルダン・レギオン(当時のヨルダンの正規軍)は4月18日にネーベ・ヤコベを攻撃し、それに5月4日のグーシェ・ヨツウェンでの殺害に関わっている。地図を確認すれば、どちらの地域も委任統治領パレスチナのはっきり内側だということが分かるはずだ。「正規軍」ではないとすれば、君はレギオンをどのように分類しているんだ?

abuafak  Jeremy R. Hammond • a year ago

ジェレミー、君はどうしてゴミみたいな台詞を決定打を放ったかのように繰り返しているんだ?

Guest  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

ジェレミー、君の言うことはコメント欄ですでに否定された。君がそのことを認識していないということ自体が、君は実際には議論することに興味を持っていないということを示している。君はジョークだ。ジョークを言い続けるためのサイトを君が作らなければならなかったのも無理はない。

abuafak  Jeremy R. Hammond • a year ago

ジェレミー、君はまともに議論することもできないのか?君はアマチュアの「反ユダヤ主義者」だ。君は捏造にすぎない君の主張を事実/反証だと言い張り続けている。過去に捏造を行った歴史家の最も最近の意見を引用しよう。

Benny Morris (2008)

アラブ人たちはユダヤ国家の誕生を阻止できるとの、そして恐らくはユダヤ人のコミュニティを破壊できるとの願望を持ってユダヤ人のコミュニティに対して攻撃を仕掛けた。だが彼らは敗れた。そしてその結果の1つが70万人の難民の発生だった。難民の多くは戦争を恐れて(そして侵略したアラブ軍が勝利してすぐに戻れると思っていたので)家を離れた。だが(攻撃的な)幾つかのアラブのコミュニティがユダヤの軍によって追い出されたというのも事実だった。

「難民」となった70万人のアラブ人(ここで強調したのは、彼らの3分の2は難民の普通の定義である国を追われたのではなくパレスチナのある地域からパレスチナの他の地域へと移っただけだからだ)は「人種に対する犯罪」によって生まれたのではなく、アラブ自身が仕掛けた対立と戦争の結果だ。

アラブ人を追い出そうとするシオニストの計画も政策もなかった。「民族浄化」も存在しなかった。

Antán  Jeremy R. Hammond • a year ago

ジェレミー、非論理的な人々に論理的に語りかけても意味がないよ。ナチスの親衛隊にユダヤ人やポーランド人、ロマの人々を殺害してはならないと説得しようとするようなものだ。そのように聖書を信仰する人々は、キリスト教であれユダヤ教であれ、ユダヤの国粋主義者によって書かれた古い本をユダヤの国粋主義者が土地を収奪するための正当な言い分だと信じ込まされてしまう。イスラエルは存在する権利を持つという考え自体が恐ろしいまでに馬鹿げている(以下省略)。

Jeremy R. Hammond Mod  Antán • a year ago

非論理的な人々を論理で説得することが無意味かどうかは目的による。

私が非論理的な人々に返答しているのはこのスレッドを読んでいる論理的な人たちに向けてのものだ。

James • 7 years ago

神話1:ユダヤ人はイスラエル/パレスチナとは少しの歴史的つながりもない

アラブや反ユダヤ主義者がイスラエルに対する攻撃の鍵としているのは、イスラエルに置けるユダヤ人の存在を19世紀のヨーロッパの植民地主義と同じようなものだと人々に信じ込ませることだ。だが外部からの侵略者というイメージからはかけ離れて、考古学上の多くの証拠から確認されている聖書に記された最初期の歴史通りに、ユダヤ人はパレスチナとのつながりを4000年前から保っていた。

ローマ帝国がパレスチナからユダヤ人の多くを追い出したものの、ユダヤ人による移住は中断されることなくその後2000年間続いた。この期間の間、イスラエルの土地は思想の中でも一定の地位を保ち続け、世界中のユダヤ人の心にあり続けた。

神話2:ユダヤ人だけが聖地エルサレムに対して関わりを持つのではない

キリスト教もイスラム教もエルサレムに聖地を持つが、ユダヤ人のエルサレムとの結びつきは他のどの宗教よりも先立っている。ダビデ王がエルサレムを3000年前にイスラエルの首都とした。イスラムが生まれる1700年も前のことだ。ムスリムの占領下にあった時でさえもエルサレムが州都としてさえも用いられることはなかった。都市全体がユダヤ人にとっての聖地であるのに対して、ムスリムにとっては岩のドームだけが宗教的意義を持つ。それに加えて、1840年代以降エルサレムの人口はユダヤ人が多数派を占めていた。

さらに、イスラエルの統治下でエルサレムが統合された1967年以降が、すべての宗教がエルサレムで祈りを捧げることができる唯一の期間となっている。

神話3:シオニストは土地を分け合うつもりなど少しもなかった

19世紀後半にユダヤ人がイスラエルへの帰還を始めたそのまさに始めの時期から、アラブ人を追放することもしくはユダヤ人だけが住むことを許される国家を建設することがシオニスト運動のゴールとなったことは一度もなかった。1922年に、委任統治領パレスチナがイギリスによって分割された時に(ヨルダン川より東側の委任統治領パレスチナはこの時よりヨルダンとなった)地中海からヨルダンまでの地域がユダヤ人の家と定められた。1930年代以降、提案されたすべての和平プランにはパレスチナ西側の何らかの分割案が含まれていた。これらすべての分割案はユダヤ人にとって耐え難いほどの譲歩であるはずにも関わらず、シオニスト運動の指導者たちやユダヤ国家はイスラエルを分割するというこの原則をいつも受け入れていた。

神話4:パレスチナ人たちが独立した国家を持てないのはシオニストのせいだ

1947年に、国連はパレスチナをユダヤ人の国家とアラブ人の国家に分けるという分割案を承認した。アラブ側の反応は、他のアラブ諸国やムスリム世界と同じく、ユダヤ国家の存在は一切認めないという完全否定だった。独立したアラブ国家を建設しようという努力は一切行われなかった。イスラエルは独立戦争で勝利したものの、ヨルダン川西岸やガザ地区、エルサレムの半分は周辺アラブ諸国の手に落ちた。その後の19年間それらの地域はエジプトとヨルダンの支配下にあったというのに、アラブの国家を建設しようという考慮さえ一度も見られなかった。その一方で、アラブ世界の目標は1949年の停戦ラインによって国境線がぐちゃぐちゃにされたイスラエル国家を滅亡させることだった。

1967年の6日間戦争に勝利した後、イスラエルは「和平のために土地を差し出す」というコンセプトに基づいて和平交渉の意思を示し続けていた。2000年7月のキャンプ・デービットでも2001年1月のエジプトのタバでも、イスラエルはヨルダン川西岸、ガザ、それにエルサレムの一部をパレスチナ側に提供し続けた。パレスチナ側の指導者アラファトからの回答は常に「ノー」だった。彼はその拒絶の後に1000人のユダヤ人が死亡することになったテロ戦争を開始させた。

神話5:パレスチナの難民は国際社会の行動によって解決されなければならない特別に悲劇的な事例だ

第二次世界大戦の終了後に、インドの分割によって数百万人の難民が発生した。ヨーロッパが地図を再び書き換えた場所でも大量の難民が発生した。アラブ側が仕掛けた戦争で発生した難民と同じように。パレスチナの事例が他と異なるのは、難民が再移住に失敗したことだ。イスラエルの実際の行動ではなくアラブ側のプロパガンダのせいで発生したパレスチナの難民はアラブから受け入れを拒まれキャンプで暮らし続けている唯一の難民だ。彼らはイスラエルの誕生を取り消すことができるとの幻想を維持させる手段としてホームレスのままで留め置かれている。この時に生まれた難民のその後の世代はこのキャンプで育てられた。そしてユダヤ国家を完全に否定するというイデオロギーを刷り込まれ続けている。

その一方で、この時とまったく同じ時期に、アラブ諸国に住んでいた数十万人のユダヤ人は家を追われイスラエルか西側に亡命することを余儀なくされた。

神話6:東エルサレム、ヨルダン川西岸、ガザとゴラン高原のイスラエルによる1967年の占領はイスラエルが攻撃を仕掛けたせいだ

1967年の5月に、エジプトはイスラエルの南にあるエイラートという港を封鎖した。エジプト軍とシリア軍がイスラエルの国境に大挙して押し寄せていた。エジプトはシナイ半島に駐留していた国連の平和維持部隊に退くように要求した、というか退かせた。エジプトの独裁者アブドゥル・ナセル大統領とアラブの指導者たちはイスラエルに対する殲滅戦争をすぐに開始させると国民に語りかけた。アラブを思いとどまらせようとする(アメリカによる)外交上の試みが失敗した時、イスラエルは攻撃されるまで待てないと決断しアラブの攻撃をくじくための防衛戦争を開始させた。

イスラエルの圧勝で戦争が終了した後も、イスラエルは和平の意思を明確に語り続けた。だがその1ヶ月後に開かれたアラブのサミットでの会合の決定は、和平はしない、存在は認めない、交渉はしないだった。

神話7:ユダヤ人の入植は中東和平の最大の障害だ

ヨルダン川西岸でのユダヤ人の入植活動は違法だと多くの人が主張しているが、それらの地域に対する入植の権利は国際連盟による委任統治の原則によって保障されている。この領地はイスラエル以外の国の領土でも何でもなく、最終的にパレスチナが独立するのかどうかは当事者間での話し合いによる交渉で決定される。

イスラエルは以前にも二度、和平のためにシナイ半島とガザでユダヤ人のコミュニティを引き戻した前例がある。入植地の存在は和平協議の障害になりさえしない。

神話8:オスロ合意が失敗したのはイスラエル政府の強硬姿勢のせいだ

イスラエルは土地を提供すれば平和が訪れるとの期待を持ってオスロ合意を歓迎していた。だがイスラエルが数年に渡り交渉しても領土から撤退しても平和が訪れることはなかった。パレスチナ自治政府がヨルダン川西岸とガザ地区を統治し始めた1994年のその初めから、イスラエルでは学校で「平和教育」が施されていたというのにパレスチナの指導者たちはイスラエルに対するテロを奨励しユダヤ国家に対する憎悪を教え込んでいた。イスラエルはパレスチナ人により大きな権限を与える幾つもの合意に90年代を通してサインしていったが、腐敗したパレスチナ自治政府はテロを容認、それどころかテロを支援していた。イスラエルがヨルダン川西岸とガザ地区すべて、それにエルサレムの一部までをパレスチナ国家に提供すると提案したのにアラファトはそれを拒み、第二次インティファーダと呼ばれるテロ攻撃を実行した。

その時には、イスラエルはテロに対して軍事力で対抗せざるを余儀なくされたが、それでもイスラエルのすべての政府は和平を交渉する意思を示していた。現在、パレスチナ人はアッバスが率いるパレスチナ自治政府とガザを支配しどのような条件であろうとも和平を拒絶するハマスとに分かれている。どちらの組織もユダヤ国家の正統性を否定している。

神話9:アラブとイスラエルの対立は中東に置けるアメリカの政治的、外交的、軍事的最大の問題だ

イスラエルとパレスチナの争いは数多くの中東の問題の1つに過ぎない。シーア派とスンニ派のライバル争いの方がユダヤ人との対立よりもより多くの戦争とより多くの流血の火種となっている。同様に、ペルシア人とアラブ人たちの間の対立は新しいユダヤ国家が起こる前から続いている。

より重要なことに、自分たちの宗教的、政治的考えを中東に拡散させようとしている過激派のイスラム教徒とイラクやアフガニスタンなどでそれに反対する人々との対立はイスラエルやパレスチナ人とはほとんど関係がない。この対立こそがアルカイダやタリバンが生まれた背景となったものだ。9月11日のテロ攻撃の犯人を駆り立てたのは、イスラエルの国境もしくは存在を巡っての論争ではなくこの戦いだ。

イスラエルが嫌いな人たちはその存在が西側に対する不満を駆り立てていると嘯いているが、そのような感情はシオニズムが勃興する遥か前から存在する。ユダヤ人が関わっていないにも関わらず、ヨーロッパは数百年以上もイスラムの侵略と戦った歴史を持つ。世界の平和がパレスチナ問題の解決にかかっているという主張は対立を利用したいだけの歴史修正主義者の単なる戯言に過ぎず、真の問題から目をそらさせるための道具に過ぎない。

神話10:イスラエルに対するアメリカ人のサポートはユダヤ人がアメリカ政府を操っているからだ

シオニズムへの支持はアメリカの歴史の最初期から存在する。新しく生まれたユダヤ国家へのシンパシーは多くのアメリカ人の心に根ざしており、抑圧されてきたユダヤ人は彼らの故郷で新しい生活を始める権利があるという信念にも基いている。ホロコーストの後には、その支持は更に強くなった。

現在、圧倒的大多数のアメリカ人はイスラエルを友であると見做している。ユダヤ国家との同盟は共通の価値と民主主義に対する共有された信念とに基いているということを理解するのにユダヤ人のロビーの活動は一切必要ないだろう。ワシントンでのイスラエルの支持者たちは声は大きいものの、彼らの財政力は石油業界やアラブの独裁者と王家につながっている既得権益者らと比較すれば存在しないようなものだ。

Chris. K Cook  Liadan • 2 years ago

(現在のパレスチナ人こそがユダヤ教を創始した古代ユダヤ人の末裔で彼らはユダヤ教からイスラムへと改宗したという陰謀論を主張している人に対して)そのような出鱈目は100年以上も前に否定されたと知っているはずだろ?

Jeremy R. Hammond Mod  Chris. K Cook • 2 years ago

100年以上前にはDNAテストがなかった。事実、これは今でも論争となっている。

http://gbe.oxfordjournals.org/...

http://www.haaretz.com/weekend...

http://forward.com/news/israel...

http://blogs.timesofisrael.com...

Chris. K Cook  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

わかった、君はレイシストだと言うんだな?

カザール陰謀論はまったくの馬鹿げた出鱈目だとして100年前に否定された。

Jeremy R. Hammond Mod  Chris. K Cook • 2 years ago

君はユダヤ人の筆者やHaaretz、Jewish daily Forward、Times of Israelが反ユダヤ主義の嘘つきだと糾弾するつもりか?

Julean  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

当たり前だが?彼らはユートピアが存在すると信じている愚かな左翼のユダヤ人たちだ。彼らがどれぐらい愚かだなんて予想もつかないだろう?

abuafak  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

シオニストは分割案を受け入れた。アラブはすべてを欲したので戦争を仕掛けた。

Jeremy R. Hammond Mod  abuafak • 2 years ago

シオニストは土地を7%しか保有していなかったのに55%の領土を手に入れた。イスラエルが不当な独立宣言を行った報復としてアラブ諸国が攻撃の準備を整え終わった頃には25万人のアラブ人がパレスチナからすでに民族浄化されていた。

Kenneth Dobson  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

「シオニストは土地を7%しか保有していなかったのに55%の領土を手に入れた」

アラブ世界は99%のユダヤ人を民族浄化した。これら80万人のユダヤ人の難民に行く宛があったことは幸いなことだった。

それにバルフォア宣言の下でユダヤ人に与えられていた土地の78%はユダヤ人によってすでにヨルダンに分け与えられているということも(ジェレミーへの嫌がらせとして)忘れさせてはならない。

Kenneth Dobson  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

「パレスチナの78%がバルフォア宣言の下でユダヤ人に与えられたというのはなんというナンセンスだろう」

私はそのようなことは言っていないが?私は、バルフォア宣言の下でユダヤ人に与えられた土地の78%はユダヤ人の同意により自主的にヨルダンに与えられたと言っているだけだ。

ここに委任統治領パレスチナの地図があるだろう?

この78%がヨルダンに与えられた。

Jeremy R. Hammond Mod  Kenneth Dobson • 2 years ago

さっきも言ったように、「パレスチナの78%がバルフォア宣言の下でユダヤ人に与えられた」というのはとんでもないナンセンスだ。

Kenneth Dobson  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

君が信じたいことだけ信じているといい。委任統治領パレスチナの78%はヨルダンに与えられたというのは変わらない事実だ。

君のような人間がこのことに異議を申し立てないだなんてなんて滑稽なんだろう。(後の)ヨルダン王国の人口の3分の2は…当時…パレスチナ人だったと言うのに!

どちらにしても…委任統治領パレスチナで残りの22%がアラブ人とユダヤ人とで分けられた。従ってユダヤ人に残されたのはバルフォア宣言で最初に約束されていたはずの領土のたったの12%だけだった。

Jeremy R. Hammond Mod  Kenneth Dobson • 2 years ago

ヨルダンはヨルダン人に「与えられて」などいない。ヨルダンはすでに彼らのものだ。それはともかく、この話は論点とは関係のないことだ。シオニストは土地を7%しか保有していなかったのに55%の領土を手に入れた。イスラエルが不当な独立宣言を行った報復としてアラブ諸国が攻撃の準備を整え終わった頃には25万人のアラブ人がパレスチナからすでに民族浄化されていた。

Kenneth Dobson  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

「ヨルダンはヨルダン人に与えられてなどいない。ヨルダンはすでに彼らのものだ」

はぁーーー、なんて馬鹿なんだ…

1946年1月17日、イギリスの外相、Ernest Bevinは国連総会での演説で、イギリス政府はトランスヨルダンを完全に独立した主権国家とするための手段を近いうちに講じるつもりだと宣言した。

1946年3月22日にイギリス政府とトランスヨルダンのエミールとの間でトランスヨルダンの完全なる独立を承認するロンドン条約が交わされた。

トランスヨルダンの独立は1946年の4月18日に、国際連合によって正式に承認された。

ロンドン条約を批准したその日に、支配者である「アミール」が内閣によって「王」と改められたので、1946年の5月25日にトランスヨルダンは「ハシミテ王国トランスヨルダン」と改められた。

ヨルダンでは5月25日は独立記念日として今でも祝われている。

L_King  Kenneth Dobson • 2 years ago

より正確には、ヨルダンはサウジアラビアに滅ぼされ現在ではその一部となっているヒジャーズ王国からハシミテ家へと与えられた。アブドラ1世を権力の座から退かせないために、イギリスはJohn Glubbにヨルダン軍を指揮させた。

ヨルダンはパレスチナを「盗んだ」「正統ではない」国家ではないのかと思う。だが偽善者であるハモンドにこれを認めさせることはまた別の問題だ。

Eldarus  Jeremy R. Hammond • a year ago

トルコによるキプロス占領は正当なのか?160万人のアルメニア人を殺害することは?トルコによるアルメニアとクルドの占領は正当なのか?中国によるチベットの占領は?このような主張はいくらでも続けることができる。だがエルサレムがどの民族に属するのかは聖書が良い証拠となる。

abuafak  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

このサイトで君のような古くからある典型的な陰謀論者のプロパガンダが論破されている。http://www.camera.org/index.as...

「彼らにとって(中略)答えははっきりしている。もしユダヤ人がほんのわずかの土地しか所有していなかったのであれば、アラブ人が残りのすべてを所有していたはずだ、この場合では土地の93%以上にも及ぶだろう」

「だがこれはナンセンスだ。委任統治領パレスチナでは、アラブ人はユダヤ人と同じぐらいしか土地を所有していなかった。事実、オスマントルコの時代では、国土のほとんどは国有地で個人の所有物ではなかった。オスマントルコの土地の所有形態の下では、最大のカテゴリーの1つが「miri」だった。これは土地が政府(王族)に属することを意味する。イギリスは、委任統治の時代に大規模で詳細な土地の調査を行い、誰がどのような土地をどのような権限で所有するのかを記していた。そして「British Survey of Palestine」の数字によると(その内容は「Mattar's Institute for Palestine Studies」によって正しいことが確認されている)、パレスチナの領土の少なくとも65%、恐らくはそれ以上が国有地だった」

私はアマチュアが嫌いだ。君の言う10の神話で私が反証できないものは1つもない。

Jeremy R. Hammond Mod  abuafak • 2 years ago

せいぜいナンセンスなことを言っていろ。ここに1945年のパレスチナの土地保有を示した地図がある。

Kenneth Dobson  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

当時のパレスチナの旗は青と白だったのに君の地図ではどうしてパレスチナ人の土地は緑で塗られているんだ?

Jeremy R. Hammond Mod  Kenneth Dobson • 2 years ago

それはシオニストの旗だ。この地図はシオニストがパレスチナのすべての領土を奪うつもりだったことを表している。パレスチナは1939年にはシオニストの支配下ではなかった。パレスチナはイギリスの支配下だった。下は、委任統治領パレスチナの旗がどのようなものだったであろうかを示している。もちろん、シオニストはパレスチナの大半を支配下に入れた。それには土地の収奪やアラブ人の民族浄化が伴った。

Kenneth Dobson  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

じゃあ、結局1939年にパレスチナと呼ばれる独立国家は存在しなかったんだな?自分の考えていたとおりで良かったよ…ありがとう、それを確認させてくれて…

abuafak  Jeremy R. Hammond • a year ago

それ以前にその地図は間違っている。そのことはすでに語ったはずだ。アラブ人はネゲブ砂漠を所有などしていなかった。ネゲブ砂漠はイスラエルの領土の50%を占めるものだ。ネゲブ砂漠(それにその他の土地も)は国有地だった。

Jeremy R. Hammond Mod  abuafak • a year ago

君は間違っている。この地図がそれを示している。

Chris. K Cook  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

でも、「彼らが最初にそこにいた」的な議論だとどんな時でもユダヤ人が勝ってしまうんだが?

Julean  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

ジェレミー、君は記事を書くべきじゃない。君は議論ができないばかりか記録も事実さえも理解できていないじゃないか。

Ryan W • 5 years ago

イスラエル人が自分たちのテロのルーツをさっぱりと忘れていることにはいつも爆笑させられるよ。キング・ダビデ・ホテルの爆破事件がその最たるものだ。92人の無実の人々がこのテロ攻撃で殺害された。イスラエルが平和の「国家」となることは決してないだろう。アメリカはThe U.S.S. Libertyを決して忘れるべきではない。大量のスパイがアメリカに送られアメリカの軍事機密が中国やロシアに盗まれていった。

Y. O.  Ryan W • 5 years ago

キング・ダビデ・ホテル爆破事件のことをもっと良く理解することを勧める。爆破されたのはすべてではなく一部の客室だけだった。その客室にはパレスチナへのユダヤ人の移民を制限していた特定のイギリスの政府高官が宿泊していた。

Jeremy R. Hammond Mod  Y. O. • 5 years ago

じゃあ、君はテロを正当化しようというのか!?

Eldarus  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

まさか君のような人間の口からテロを正当化しようというのかなんて台詞が聞けるとは思ってもいなかったよ。思わず爆笑してしまった。IDFがテロリストだなんて言っている君の口からね。ハマスはこのゲームのことを非常によく知っていて君のようにナイーブな人間をジハードの道具として利用する方法を心得ている。

Jeremy R. Hammond Mod  Eldarus • 2 years ago

君は正しいよ。IDFとハマスを比べるなんてできっこない。IDFは比較にならないほどの規模でテロを行っている。

bengg  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

それはコラテラル・ダメージと呼ばれる。それこそがハマスのテロリストが民間人の影に隠れてテロを実行する時に起こることだ。

Jeremy R. Hammond Mod  bengg • 2 years ago

それは戦争犯罪と呼ばれる。イスラエルが無差別に攻撃して民間人を故意に狙うことがそれだ。

censoredbydiscuss  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

戦争犯罪とは民間人を盾にしてテロを実行することだが?ハマスは住人が逃げないように無理やり家に閉じ込めている。それが戦争犯罪だ。軍事施設が建設されている民間のエリアをそのエリアがターゲットだということを知らせて空爆することは戦争犯罪ではまったくない。

glennk  censoredbydiscuss • 2 years ago

イスラエルの友とはとても呼べないアムネスティでさえハマスを戦争犯罪だとして非難している。

Julean  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

君はこのニュースも聞いたことがないのか?-http://www.redstate.com/2015/0...

http://www.ynetnews.com/articl...

Chris. K Cook  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

イスラエルの友とはとても呼べない国連もアムネスティもIDFは戦争犯罪を犯していないと語っている。だがどちらもハマスは(戦争犯罪を犯しているとして)非難している。

Liadan  bengg • 2 years ago

占領に対して戦うことは自衛だ。

glennk  Liadan • 2 years ago

パレスチナ人以外誰もガザを占領していない。それ以前に、イスラエル人がイスラエルを統治するのは当たり前のことだ。

Mr rogers  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

ジェレミーはムスリムか左翼の馬鹿のどちらかだ。

Chris. K Cook  Mr rogers • 2 years ago

ちょっと待て、左翼が全員反ユダヤ主義でハマスの擁護者というわけじゃないぞ。私は多分、この道化師よりも左寄りだと思うが、彼は心の底から馬鹿だと思っている。

Teresa Rincon • 3 years ago

イスラエルはどうやら君がすべきだと思っていることをすべて実行していたみたいだよ、ジェレミー。それでも止まらなかったと言うのに、今やヨーロッパ、アジア、ラテンアメリカ、北アフリカなどで勢いを増している反ユダヤ主義をそんなことでどうやって止められると言うんだ?新たなヒトラーが誕生したらユダヤ人はどこに行けばいいんだ?

Jeremy R. Hammond Mod  Teresa Rincon • 3 years ago

誰に言っているんだ?どういう論理なんだ?イスラエルが国際法の違反を止めても反ユダヤ主義は存在するから、犯罪的な政策を続けさせろというのか?

Eldarus  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

アラブはほとんど毎日のように人権と国際法を踏みにじっているが?キリスト教徒やユダヤ人がヨーロッパで暴力を奮っているという話など聞いたことがない。君の意見は一方的で捻じ曲げられた情報だけを参考にしている。君たちのような人間がいることが反ユダヤ主義がはびこる理由だ。「パレスチナ人」はイスラエルで市民を殺害しているばかりではなく、イスラエルにはユダヤ人を誰一人住まわせないとはっきりと宣言している。イスラエルには160万人のアラブ人がユダヤ人と対等な権利を与えられて暮らしているというのに。

Jeremy R. Hammond Mod  Eldarus • 2 years ago

私の説明に間違いがあるというのだったら指摘してみろ。

それにもちろんイスラエルに住むアラブ人は制度的に差別されている。

bengg  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

君の主張は根拠がまったくない。イスラエルに住むアラブ人にはユダヤ人やイスラエルに住む他の宗教の人々と対等な権利が与えられている。そのことを知っているはずなのに、どうしてそのような嘘を付くのか?良心は痛まないのか?専門家としての倫理はないのか?

Israel Draiman  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

ハーグの国際司法裁判所の前判事、Stephen Schwebelが記しているように、

「民族自決権に基づくパレスチナ人による東エルサレムへの領有権の主張はエルサレムに対するユダヤ人の民族自決権を書き換えることはできない。アラブ人は「東エルサレム」においてのみ民族的多数派を形成しているが、この架空の都市はそもそもヨルダンがエルサレムを違法に分割したことにより生まれたもので、この架空の都市の境界線を形成している停戦ラインは、その都市の境界もしくは政治的領有権を決定することを意図して策定されたものでは決してない。さらに、ユダヤ人はヨルダンが侵略してくる前と1967年以降の両方で(例外はヨルダンが違法に占拠していた時だ)エルサレムで民族的多数派を形成していた」

国際法の専門家でケンブリッジ大学のLauterpacht Centre for International Lawの責任者であるElihu Lauterpachtは東エルサレムに対するイスラエルの領有権の法的正統性を詳細に説明している。彼によると、「ヨルダンのエルサレムの占領、それ以前にヨルダン川西岸全域における占領は法的正統性を完全に欠いている」、そして「停戦合意により占領が維持されていたに過ぎない」と語る。この占領はイスラエルによる自衛の「正当な手段」によって終わりを告げた。従って、1948年のイギリスの撤退により生まれていた領有権の空白が「正当な所有者」であるイスラエルにより埋められる結果となった、と語っている。

さらに、

「制圧や占領が自衛のために必要な限りは外国の領土を制圧したり占領したりすることも自衛権の正当な行使として認められる。領土の以前の占領者がその領土を不法に占領したのであれば、それ以降に自衛権の正当な行使によってその領土を占領した国家はその以前の占領者に対して優先的な権利を持つ」

Schwebelが説明しているように、「1948年のエルサレムとヨルダン川西岸のヨルダンによる占領は違法」だ。従って、ヨルダンには東エルサレムに対する領有権を主張する権利がない。ヨルダン軍が1967年にエルサレムを攻撃した時、自衛のために行動したイスラエル軍はヨルダンが違法に占拠していた領土からヨルダン軍を追い出した。Schwebelはヨルダンと比べて、「イスラエルの東エルサレムに対する権利の方が優っている」と主張している(言うまでもなく「パレスチナ人」には最初から領有権がない)。差別主義者の国連とは異なり、彼はイスラエルのエルサレムに対する権利も同様に優っていると考えているようだ。

Jeremy R. Hammond Mod  Israel Draiman • 2 years ago

そうだ、パレスチナ人の民族自決権はユダヤ人の民族自決権を書き換えることはできない。その逆も等しく同じだ。

国連を持ち出してエルサレム全体が法的にイスラエルの領土だという主張のサポートにしようとは!国連は一貫してイスラエルを違法だと非難しているというのに!これはイスラエルを除く地球上のすべての国によって合意されている完全に議論の余地のない国際的なコンセンサスだというのに!

alergy  Teresa Rincon • 2 years ago

多分、ユダヤ人がもっと人間らしく振る舞い始めたら多くの人たちは「反ユダヤ主義」であることを止めるんじゃないか?どっちにしても僕は皆が言うように反ユダヤ主義が蔓延しているとは思わないな。アメリカはシオニストに賛同しているみたいだし土地が余っているんだから領地を幾らか提供できるんじゃないかな。

Globalpuppy  alergy • 2 years ago

私はシオニストではないしイスラエルに疑問を持っている。君の反ユダヤ主義に関する無知と偏見は、皮肉にも私がこれまで聞いた中で「ユダヤ国家」が必要とされる最高の理由だろう。ありがとう、反ユダヤ主義がこれほどまでに蔓延していることを教えてくれて。

glennk  alergy • 2 years ago

「多分、ユダヤ人がもっと人間らしく振る舞い始めたら多くの人たちは反ユダヤ主義であることを止めるんじゃないかな?」

反ユダヤ主義の古典例だ。ユダヤ人は彼らのような卑劣な人たちにとっては人間ですらないらしい。

Y. O.  Jeremy R. Hammond • 5 years ago

イスラエルの政府は1967年の停戦ラインを下敷きにした和平案に合意している。彼らは入植地を解体してパレスチナ人に失った土地を埋め合わせる意思を示してきた。

私たちはパレスチナやアラブの指導者がユダヤ国家を認めて紛争を終わらせると宣言するのを待っている。

Jeremy R. Hammond Mod  Y. O. • 5 years ago

冗談だろ?イスラエルの政策は最初からパレスチナを完全に否定だっただろ。

Eldarus  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

「パレスチナ国家建設という解決案は実行されていたかもしれない」

それをずっと拒絶してきたアラファトとアッバスに言え。「占領をやめろ」だって?「ジュデアやサマリア」が占領された土地かどうかを決定するのは君じゃない。アラブ人に土地を渡せば暴力がなくなるというのであれば、ガザ地区の例はどうなる?ガザは2005年以降「占領された土地」じゃない。IFDが去った後、ガザはテロの軍事基地、テヘランの操り人形と成り果てた。

Jeremy R. Hammond Mod  Eldarus • 2 years ago

ナンセンス。パレスチナ人はずっと昔から分割案を受け入れていたのにイスラエルが分割案を否定してきた。

GymMom66  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

君の理解が狂っているか、意図的に嘘をばらまいても痛むような良心を持っていないかのどちらかなんだろう。

「ナンセンス。パレスチナ人はずっと昔から分割案を受け入れていたのにイスラエルが分割案を否定してきた」

え???第二次インティファーダがどのようにして始まったのか僕に説明してくれ。アラブ人には相応しくない寛大すぎるほどのイスラエル側からの譲歩でさえアラファトは拒絶したというのに。

「イスラエルはガザの境界線、航空、水などを今も管理している。そして市民を苦しめるために不法な包囲網を築いている」

イスラエルはガザに接する自らの境界線を管理している。エジプトはもう一方の側の境界線を管理している。アメリカがメキシコとの国境線を管理しているのと(少なくとも管理しようとしている)同じように。これは世界中のどこでも行われている当たり前のことだ。国家は入国や出国を管理する権利を持っている。

バリケードはイスラエルが撤退してすぐではなく、数年後に築かれた。それはテロリストがイスラエルを攻撃してきたためだ。バリケードはおぞましいまでに反ユダヤ主義の国連でさえも完全に合法であると認めている。バリケードによって食料や消費財の流通が止められてなどおらず、武器の流通だけが止められている。そのような手段は、ガザからイスラエルが攻撃されてきた歴史を考えれば、極めて妥当な手段だと思われる。

GymMom66  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

「イスラエルがすでにアラブ人のものであるアラブ人の土地を与えることなどできない」

それはテクニカル的には正しいが、弁護士が呼ぶところの「non-responsive」というものだ。イスラエルはヨルダン川西岸をその気になればずっと自国の領土として留めて置ける完全な法的権限を持つ。その領土はアラブの政府に法的に属したことなど一度もなかった。

ヨルダンによる実効支配がヨルダン川西岸の領有権をアラブに与えたと思っているのであれば、考え直したほうがいい。ヨルダン政府自身がそれを否定している。

「停戦ラインは、どのような意味においても政治的、領土的境界線を定めるためのものとしては策定されていない」

従って、彼らは1948年の侵攻で占領した土地に対する法的な権利を保有していない。

Jeremy R. Hammond Mod  GymMom66 • 2 years ago

違う。ヨルダン川西岸、東エルサレムを含むはすべて国際法の下、占領されたパレスチナの土地だ。

GymMom66  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

君は恐ろしいほどに無知なのか、意図的に嘘をばらまこうとしているかのどちらかだ。ユダヤ人が土地の7%しか所有していなかったというのは確かだ。でもアラブ人も土地の11%しか所有していなかった。残りは政府が所有する土地だった。

Jeremy R. Hammond Mod  GymMom66 • 2 years ago

「でもアラブ人も土地の11%しか所有していなかった。残りは政府が所有する土地だった」

間違い。事実は私が語ったとおりだ。これを見ろ。

http://www.foreignpolicyjourna...

Helter Skelter  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

君の唯一のソースが君自身のサイトだけ?なんというジョークなんだ。

Helter Skelter  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

嘘とプロパガンダをいつまで言い続けるつもりなのか?君は知識人ぶっているつもりかもしれないが、誰も騙せていない。君の言っていることは端から端まで間違いだと一貫して証明されている。テロリズムを奨励して君が得るものは一体何なんだ?

Chris. K Cook  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

ハマスとボイコット・イスラエル運動、それに君たちのような人たちはイスラエルの破壊を求めそれを正当化しようとしている。君は表向きではイスラエルの破壊を望んでいないと主張しているのかもしれないが、心の底ではそれを欲しているのは明らかだ。

Israel Draiman  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

アラブ人にはヨルダンがある。

Jeremy R. Hammond Mod  Alon • 6 years ago

ブラブラブラ。君が事実について議論をする準備ができたら教えてくれ。

Stein Johansen  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

本当に成熟した人だな…君は本当に自分をバイアスの掛かっていない専門家っぽく見せたいんだね。

Jeremy R. Hammond Mod  Stein Johansen • 2 years ago

ブラブラ。君も事実について議論をする準備ができたら教えてくれ。

Stein Johansen  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

本当に子供だな。

Sura  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

僕は君の書いたものを真剣に信じていたんだよ、君がブラブラブラとか言い出すまでは。

Schecky • 2 years ago

さらに捻じ曲げられた10個の嘘。

Publius Scipio  DrBen Kirat • a year ago

「パレスチナ」とは造語だ。その地域をローマ人が(ユダヤ人へのいじめとして)勝手にそう呼んだ。奇妙なことに、エジプトやヨルダンが支配していた20年間には「パレスチナ」も「パレスチナ人」も存在していなかった。

Kenneth Dobson • 2 years ago

「パレスチナのアラブ人は代表的な政府を持つ権利を要求して一致団結している。だがその権利はかつてシオニストや彼らのイギリスの支援者たちから拒絶された」

イギリスがシオニストの支援者だって???

もしこれがイギリスがアラブ人よりもユダヤ人を優先させたと言っているのであれば、これは私がこれまで見た中で最も馬鹿げたものの1つだ。

イギリスが1940年から44年までの間にユダヤ人の移民をたったの7万5000人に制限したせいで、ヨーロッパのユダヤ人は最も必要だった時に逃げる場所を失ってしまった。

数百万人を救うことができた。イギリスにはその責任がある。

Kenneth Dobson  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

パレスチナはその住人に属してなどいない。それは反ユダヤ主義者のばらまいた嘘だ。

パレスチナは国として存在したことはない。単なる地域としてだ。そしてその地域の大部分は誰も住んでいない空っぽの荒れ果てた土地だった。

パレスチナはイギリスの支配下だった。それ故、イギリスはヨーロッパのユダヤ人を根絶から救うためにもっと多くのことができた(君がまったく気に掛けてもいないことだが…別に驚くことではないが)。

イギリスのユダヤ人に対する移民制限がヨーロッパの数百万のユダヤ人の殺害に直接結びついている。

Angelis Dania • 2 years ago

ジェレミー、とにかくありがとうと言いたい。君の記事は素晴らしい。

Jeremy R. Hammond Mod  Angelis Dania • 2 years ago

ありがとう、どうか拡散してくれ!

TecumsehUnfaced  Jeremy R. Hammond • a year ago

心配いらない、僕たちが拡散させておくから。荒らしは君に対して卑劣な攻撃を仕掛けているみたいだね。君には心強い仲間が付いている。

mattmainen • 2 years ago

この記事の筆者は、悲しいことに、間違っている。

「神話1-ユダヤ人とアラブ人はこの地域でずっと争ってきた」

西暦600年から現在に至るまで、ユダヤ人とアラブ人は対立状態にあった。西暦600年から数十年間の間にユダヤ人が急速に征服されていったからといって、それは対立が存在しなかったことを意味しない。

それは奴隷と支配者との間に対立が存在しないと言っているようなものだ。戦争などが勃発しなかったとしても(一方の側が勝ち目がないと考えたから)、服従は対立の一形態だ。対立はユダヤ教とイスラム教を巡ってのものだけではなかった。ユダヤ人とドゥルーズ派のような他のアラブ人との間にも対立が見られる(下を見よ)。

彼は、『1929年に大きな暴動が再び発生した後で、イギリスの調査委員会は「10年未満の間にアラブ人がユダヤ人に対して大規模な攻撃を3回行った。その攻撃が起こる前の80年間はそのような大規模な事件が発生したという記録は残されていない」と報告書に記している。そして「パレスチナの非シオニスト居住区のユダヤ人はアラブ人と良好な関係を保っていた』と記している。

期間に関しては特定することができないが、だが歴史を遡ってみればユダヤ人とアラブ人との間に似たような暴力が発生している。サフェドだけを取り上げてみても1660年、1834年、そして恐らく1838年にもアラブ人の手によるユダヤ人の虐殺があった。すべてのアラブ人とすべてのユダヤ人がその地域で戦争状態にあったのか?もちろん違う。それらのユダヤ人虐殺の時にユダヤ人を助けたアラブ人もいた。だがそれは、アラブ人による全面的な暴力へと幾度も発展した対立関係を消し去りはしなかった。

理不尽な暴力を奨励していると勘違いされてもらっては困る。ユダヤ人であってもアラブ人であってもそれはあってはならない。だが上記の説明は正確で事実に基づく歴史の説明だと見られるべきだ。この筆者が完全に無視していることだが。

Jeremy R. Hammond Mod  mattmainen • 2 years ago

違う、シオニスト運動が始まる前にはユダヤ人とパレスチナのアラブ人には対立などなかった。

mattmainen  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

君は「ユダヤ人とアラブ人はこの地域でずっと対立していた」というのは神話だと主張している。

「この地域」というのをイスラエル、ヨルダン川西岸、ガザに限定したがっているのだと取り敢えずは解釈しよう。

だがこの地域は他のもっと大きな地域から隔離されているわけではない。他の地域(ようするにイスラエル以外の中東)でのユダヤ人たちが遭遇したのは、無慈悲な服従だった。私が対立の一形態だと主張しているものだ。そして終わりのない服従は終わりのない対立とほぼ同義だ。

イスラエルでユダヤ人が遭遇した苦難が、大量の証拠によって裏付けられている他の地域でのユダヤ人の苦難と大きく異なるというのであれば、ぜひその証拠を見せて欲しい。

エルサレムが征服されるに際して、ウマル(第二代カリフ)はユダヤ人に服従を強いた。従ってユダヤ人とアラブ人との関係は被征服民と征服民との対立関係にあったと言うことができる。

だからといってユダヤ人とアラブ人が(この地域、すなわちパレスチナで)良好な関係を保っていたかもしれないという可能性を否定している訳ではない。このような状況であったにも関わらずユダヤ人とアラブ人の関係はもしかしたら「良好」だったのかもしれない。だがそのような関係は征服民と被征服民という文脈の下で理解されるべきだ。トーマス・ジェファーソンと奴隷との関係は良好だったと私は確信している。

もちろんこれらのことは私が君に示したサフェドでの虐殺に関して何も語っていない。

君は、ユダヤ人とアラブ人がこの地域でずっと争ってきたというのは神話だと主張した。君の議論には、1)この地域というのはパレスチナのことを指す、2)この領域内ではユダヤ人とアラブ人との関係はその外側の地域とは異なるものだった、ということの裏付けが求められる。だからこの後者を裏付ける証拠を示して欲しい。

mattmainen  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

「ユダヤ人とアラブ人との対立の種はシオニズム運動の勃興によって蒔かれた。

歴史を一度でも調べたのであれば、対立の火種はイスラムの勃興時代に蒔かれたということに気が付くだろう。ムハンマドとユダヤ人は絶え間なく争っていて制圧された後は、ユダヤ国家が誕生するまでユダヤ人は中東でずっと抑圧下に置かれていた。

シオニズム運動の始まりが対立の火種を蒔いたと言うのは、奴隷の解放が黒人と白人との対立の火種を蒔いたと言うのと同じだ。馬鹿げている。

mattmainen  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

1)服従は対立の一形態か?
2)パレスチナのユダヤ人はシオニズム運動の前は抑圧されていたか?

Jeremy R. Hammond Mod  mattmainen • 2 years ago

違う。シオニズム運動の前はパレスチナのユダヤ人はパレスチナのアラブ人に抑圧されていなかった。

mattmainen  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

君はユダヤ人(それにキリスト教徒も)がズンミィーではなかったと言うのか?ユダヤ人がズンミィーではないというのはオスマントルコの3つの行政区すべてに当てはまるのかそれともその一部を指して言っているのか?いつ、そしてどのようにしてユダヤ人に対等の権利が与えられたのか(例えばジズヤを支払わなくてもよくなったのか)、ウマルによって定められたズンミィーに関する制度がいつ、どのようにして廃止されたのか詳細を教えて欲しい。

Israel Draiman • 2 years ago

イスラエルは自分たちの権利と人々を守らなければならない。

多くの国々、そして人たちがイスラエルの領有権に難癖を付けている。

だが周辺アラブ諸国が100万人ものユダヤ人とその子供を追い出したこと、資産や仕事、家や土地を強奪したことは誰一人として言及しない。アラブ諸国から追い出されたユダヤ人の多くは環境の厳しさや飢饉、飢えのためにその逃亡の途中で死亡した。追放された100万人のうち6万5000人だけが大イスラエルにたどり着けた。アラブ諸国がユダヤ人から奪った土地は12万440平方キロメートルもしくは7万5000平方マイルに相当する。これはイスラエルの国土面積の5倍から6倍で、現在の価値に換算すると数百兆円に相当すると見られている。

アラブ諸国に(ズンミィーとして)2000年以上住み続けてきたユダヤ人とその子供は民族大虐殺、中傷、首切り、鞭打ち、無実の罪による投獄、二級市民として極限までの迫害などに苦しめられてきた。商売や家は略奪され、妻や娘はレイプされ、奴隷として売られ、礼拝所は略奪され焼かれ、イスラムへの改宗を迫られ、多くは首を刎ねられた(現在でもキリスト教徒や異教徒に対してまったく同じことが日常的に大規模に行われていることは周知の通り)。

それでもアラブ諸国はもっと多くの土地とさらに多くの賠償を求めている。

アラブ諸国は100万人のユダヤ人とその子供を追いかけ回し、今では彼らの歴史的な土地からも追い出そうとしている。

この問題の唯一の解決策はアラブ諸国がユダヤ人から奪った土地へのパレスチナに住むアラブ人の人口移転だ。そしてこの論争を永久に終わらせることだ。アラブ人のうちでも良識ある人はこの解決策をずっと前から提案していた。

YJ Draiman

数千発ものロケットを無差別に中心街に打ち込むこと、自爆テロ犯を送り込むためにイスラエルへのトンネルを掘ることが和平の障害ではなく家を建てることがだって?アメリカとEUはお笑いコンビでも組んでツアーにでも出掛けるつもりなのか?

SonofZion • 2 years ago

すべての言葉、それも一語一句残らずすべての言葉が嘘。ジェレミー、君は大プロパガンディストだ。疑いようもなく病的な嘘つきだ。きっとアラブのご主人様から大金を受け取っているんだろう。地獄に落ち給え。

S_O_T_A • 2 years ago

君の挙げている神話8もご都合主義の嘘だらけだ。

創世記からの君の引用はアブラハム、アイザック、ヤコブ以降の全体を無視している。飢饉を逃れるためイスラエルが生き残るための道をヨセフがエジプトに切り開いたと続く部分だ。君の最後の引用は創世記の28章で終わっているが、創世記は全体で50章の長さだ。イスラエルの存在を説明すると大見得を切った割には、文脈のほとんどを無視している。

イスラエルの反逆についての君の引用部分は正しい。だがそれもやはり選択的なものだ。君の主張はイスラエルが罪を後悔しイスラエルに帰還した時、神によって祝福されたという事実を無視している。事実、それらすべての出来事は神によって予見されていた。イスラエルの反逆、そしてその嘆き、その帰還、すべては前もって予見されていた。このことはイザヤ書とエレミア書にはっきりと書かれているし、反逆のすべては申命記の終わりにて神によって予見されている。エズラ記とネヘミヤ記は君が都合よく無視している2つの書だが、それも不思議はない。この2つの書は彼の地におけるイスラエルの存在が誤っているという主張を完全に否定しているのだから。

第二神殿が建てられたことぐらいは知っているはずだろう?

最後に、このような議論を用いてイスラエルの正統性を貶めようとしていること自体が馬鹿げている。何故ならばそのような議論はユダヤ人がその地に何百年以上と住み続けていたという歴史的事実を君が認めない限りは有効とならないからだ。従って、彼らはどのような意味においても「占領者」とは考えることができない。そのような主張を押し通そうとすれば、君がこれまで書いてきたことのほぼすべてを自らの手で破壊することになってしまう。さらに言えば、君は神ではなく神とイスラエルとの間で交わされた契約を判断する立場にはない。

自分の議論を自ら否定している人は明らかに深く考えていないのだろう。そしてハマスがイスラエルの破壊を模索していないという神話9はこれまた完全な嘘だ。ハマスはすべてのユダヤ人を殺害すると公言しているし、援助金を使ってガザからイスラエルへのテロトンネルを30以上も建設したことはそのことを証明している。このエッセイ全体が君のバイアスを明らかにしたものに過ぎない。

Jeremy R. Hammond Mod  S_O_T_A • 2 years ago

旧約聖書を無視しているのはパレスチナはユダヤ人に属するという神学的議論を展開している人々だ。ヘブライ人がヤハウェとの契約を繰り返し破ったという話は無視するのは困難だ。それに気が付かないというのは大きな努力を必要とさせられるだろう。君が一度でも聖書を読んだことがあるのであればの話だが。

君は新約のこともトーラーのことも無視している、汝殺すなかれ、汝隣人を妬むなかれ、汝奪うなかれもね。

S_O_T_A  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

君は僕が言ったことを少しも理解していない。そして君の答えは墓穴をさらに深くしただけだ。君が自分で説明したようにユダヤ人とパレスチナの土地との関わりは非常に深い。君がどのような滑稽な議論でもってそれを否定しようとしても無駄なことだ。イスラエルがその土地に対してどれだけの権利を持っているにせよ(私のように大きいと考えるか、君のように小さいと考えるかにせよ)、私が言っていることはパレスチナ人の方が常にその権利が遥かに小さいということだ。君が(勝手に)イスラエルに当てはめようとしている基準は当然パレスチナ人側にも求められなければならない。そして君はそれを一貫して拒み続けている。

チェックメイトだ。

Mark • 2 years ago

取り敢えずは誠実に議論をするつもりが君にあると仮定して、君が見落としたと思われる事実や議論を指摘させてもらう。

神話1:シオニズムの前には大きな対立がなかったというのは事実かもしれないが、オスマントルコでユダヤ人は二級市民として扱われていた。対立が存在しなかったように見えた唯一の理由は、ユダヤ人がオスマントルコに反旗を翻さなかったためだ。ジャファでの暴動と呼ばれているものは実際にはアラブ人によるユダヤ人の虐殺で、その時に死亡したアラブ人というのはほとんどがユダヤ人への虐殺を止めに入ったイギリス軍と衝突した結果だ。暴動がユダヤ国家誕生への恐れから発生したというのが百歩譲って正しいとしても、君は虐殺を正当化しているのではないのだろうと解釈しておくことにするよ。君が言及している1929年の大規模な暴力というのは、これまた実際にはアラブ人によるユダヤ人の男性、女性、子供に対する虐殺だった。加えて、サフェド、ヘブロンでは1834年、1838年にユダヤ人のコミュニティに対する虐殺があったことが記されている。

神話2:イスラエルの正統性が国連の決議によるものと考えている人は少ない。だが第一次世界大戦の前にパレスチナ国家、もしくはパレスチナ民族と考えられるものが一度も存在していなかったことは否定できない。従って、パレスチナ国家もまた同じ決議、もしくは勧告案によって作られたと言うこともできる。

神話3:アラブが国連の勧告を受け入れてイスラエルを攻撃していなかったら、とっくの昔にパレスチナ国家は誕生していただろう。君はそれも否定するのか?君がどこから1945年の土地所有のデータを手に入れてきたのか興味がある(捏造?)。私の理解では、委任統治領パレスチナの大部分は無人の荒野だった。君は事実を勘違いしているんだろう。まともなデータを調べ給え。

神話4:イスラエルの首相は。パレスチナ側がテロを止めればパレスチナ国家を承認すると約束してきた。彼らはパレスチナ国家の存在を承認していたが、言うまでもなくそれはイスラエルを犠牲にしてのものではない。ルールはシンプルだ。テロをやめろ。疑うというのであればイスラエルの首相の発言をいくらでも君に見せることができるし、実際に相手側がまったく義務を果たしていないというのに彼らはそのゴールに向けてアクションを起こしたこともある。イスラエルに侵攻したアラブ諸国はすべて独裁国家だった。自分たちの国民ですら持っていないのにパレスチナ人には基本的人権を与えるだなんて奇妙だとは思わないのか?恐らく彼らの攻撃の動機は反ユダヤ主義だったんだろう。彼らは1000年以上に渡って二級市民と見做してきたユダヤ人が自分たちに向かって反旗を翻すなど我慢ならなかったんだろう。デイル・ヤシン村での出来事はイスラエルの歴史にとって汚点だ。だがそれを実行したのはイスラエル軍の中心ではない急進派の軍事グループだということを知っておく必要がある。それは例外的な出来事で、イスラエルが本気でパレスチナ人を殺害するつもりであれば彼らは大量に殺害されていたはずだ。イスラエルには100万人のアラブ人が暮らしており、中東の他のどの地域のアラブ人よりも自由を与えられている。

神話6:国連にはユダヤ国家は1つしかなく47のムスリム国家が加盟しているということを忘れてはならない。そのうちの27ヶ国がアラブ国家だ。君は国連が信用できる組織だと本気で考えているのか?

神話7:レバノン戦争はイスラエルに対するPLOのテロ行為の直接の結果だ。1968年から、パレスチナ人が数千人のレバノン人を殺害した1975年まで、レバノンの国境はイスラエルに対する攻撃の拠点であり続けた。サブーラとシャティーラでの虐殺はイスラエルが実行したものではない。実行したのはファランヘ党(レバノンの社会主義政党)だ。きちんと理解してくれ。ガザでの紛争に関してだが、イスラエルがガザから撤退した2005年から2008年の間に、ハマスはイスラエルに向かって数千発のミサイルと爆発物で攻撃した。その間、イスラエルが報復することはあまりなかった。

神話8:神がユダヤ人にイスラエルの土地を与えたと信じている人は多いが、イスラエルの指導者は宗教的ではなく独立宣言にもイスラエルの正統性を聖書に求める部分は存在しない。聖書は、イスラエルがユダヤ人が追放された歴史的な場所だということの証明として参照されているに過ぎない。

神話9:ハマスの文書を読め。君の主張とはすべてが食い違っている。

神話10:判事が訴えを法廷に持ち込む時、それはその判事がその時に無謬であることを意味するのではない。アメリカはイスラエルをサポートしているが、それはそのサポートが初期から無謬であったことを意味しない。だがイスラエルが中東で唯一の民主主義国家であったため、そして皮肉なことに、普通のアラブ人の生活水準が最も高く中東の他のどの国よりも多くの権利が与えられているのがイスラエルであったためにアメリカは継続してサポートしているに過ぎない。

Mark  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

神話3:君が示した地図にはイスラエルの領土の50%以下しか描かれていない(ようするに人が住める地域しか描かれていない)。イスラエルの国土の大半は人が住める場所ではなく、この地図にすら南側の85%は公有地であったことが記されている。分割案はアラブ人が所有していた土地はアラブ人に、ユダヤ人が所有していた土地はユダヤ人にと提案されていた。イスラエルの管轄下にあった土地でさえもアラブ人が所有していたのであればアラブ人のものとされた。イスラエルの管轄のままではあっただろうが。ユダヤ人と対等な権利を与えられているアラブ人が150万人もイスラエルに住んでいるという事実がこのことを証明している。君は分割案が公平ではなかったと考えているのかもしれないが、それはアラブ側がパレスチナ国家建設の機会を逃さなかったということを意味しない。

神話5:当時の新聞を読めば、第二のホロコーストを決行すると脅していたのはエジプトの大統領だと分かるだろう。ユダヤ人は最悪の事態に備えて行動していたに過ぎない。イスラエル行きの貨物を封鎖して、シナイ半島から国連の安全保障部隊を追い出したのはエジプトの大統領だということを忘れてはならない。そして5月26日に、「この軍事作戦の基本目標はイスラエルを破壊すること」と言ったのもエジプトの大統領だ。CIAが戯言を言ったがためにイスラエルは攻撃されるのを待つべきだったと本気で思っているのか?君が見たというイスラエル側の発言のソースを示してくれないか?

神話7:記録のために云わせてもらうが、シャロンとタイムズ紙との訴訟(1984年)で、ニューヨークの裁判所はイスラエル(当時の軍の責任者だったシャロン)がアラブ人を虐殺したと報道したのは「でっちあげであり(シャロンに対する)中傷である」との判決を下している。最近のガザ紛争のことだが、イスラエルが停戦協定に違反したという君の主張のソースを見せてくれるか?

神話8:ユダヤ人は後にイスラエルに戻るだろうと聖書が予言している多くの部分を君は無視している(例えばイザヤ書11章、エレミヤ書30章、エゼキエル書38章、ゼカリヤ書14章などなどその他数多くの部分を)。だがこのことはそもそも関係がないと考える。何故ならばイスラエルの指導者はこれを信じていないためだ。だというのに君はこれが「10の神話のうちの1つ」だと言う。イスラエルの支持者の多くが信じてもいないというのに、これがどうしてそんなに大事だと思い込んだんだ?

神話9:ハマスは今でもイスラエルの破壊を宣言しているが?君が言っていることが正しいというのであれば、どうして彼らはそれを訂正しないんだ?それに、ハマスの指導者がイスラエルを承認すると言ったというソースを見せて欲しい。そうだ、ハマスはイスラエルと共存できると言ったことがある。だがそれはハマスがイスラエルと実際に共存することになるというのとは大きく異なる。ハマスはイスラエルがシャリア法の下で二級市民として暮らすことに同意するならば、自分たちはイスラエルと共存するだろうと言っただけだ。だがそれは言うまでもなくイスラエルを認めたことにはならない。

Bernie • 2 years ago

ジャーナリストとはどこまで自分の身を嘘で塗り固めることができる職業なんだろう。バランスが取れた情報を探している人には、他の場所を勧める。

(イスラエルが1967年に脅かされていなかった?冗談だろう?)

Jeremy R. Hammond Mod  Bernie • 2 years ago

私の主張に誤りが1つでもあるというのであれば指摘してみろ。

Stein Johansen  Jeremy R. Hammond • 2 years ago

君を「論破する」なんて不可能だよ。だって君の言う論理は他の人のものとは完全に異なっているんだから。そんなことも分かってないから君は子供っぽいとかアマチュアだとか云われているんじゃないか。事実に関しても、君は自分の主張をサポートする引用もソースも1つも提示していないじゃないか…

YJ Draiman • 6 years ago

他の国からアメリカに移民してきた人々が自分たちだけの独立国家を作るのでそれを認めろと言い出したら、その答えははっきりとノーだろう。

現在のイスラエルの状況はそれと変わらない。そこにいるアラブ人はパレスチナ人などという民族ではない。パレスチナという国家もパレスチナ人という民族も存在したことがなかった。

ヨーロッパも現在では多くの人種で構成されている。ヨーロッパ人は彼らが独立したいと言ったらそれを喜んで受け入れるだろうか?その答えもはっきりとノーだろう。

イスラエルがユダヤに属し他の民族のものではないということは考古学上の証拠や歴史上のデータがはっきりと示している。

イスラエルに住み着いているアラブ人たちはすべてヨルダンやシリア、エジプト、レバノン、そして他のアラブ諸国から流れ着いた移民だ。

イスラエルに住むアラブ人をアラブ諸国がユダヤ人から奪った土地に送り返せ。

YJ Draiman.

(IsraelNN.com)エルサレムの法律上の扱いを20年に渡って調べ続けた非ユダヤ系のカナダ人弁護士、Jacques Gauthierは「エルサレムは国際法によりユダヤ人に属する」と結論した。

彼は過去90年間の国際条約と国際決議に基いてエルサレムとその法律上の歴史に関する論文を書いた。その論文はページ数で1300ページ、脚注は3000にも及ぶ。彼はその論文を世界的に有名なユダヤ人の歴史家と2人の主要な国際的弁護士に提出しなければならなかった。ユダヤ人であるそのうちの1人は、パレスチナ自治政府に幾度も招かれている。

彼の主な論旨は(Ted Belmanがまとめているように)、一度も無効となっていない一連の国際条約と決議により、ユダヤ人にエルサレムを領土とする資格が与えられているというものだ。このプロセスは、第一次世界大戦時の4つの同盟国(イギリス、フランス、イタリア、日本)がユダヤ人の国家的故郷を建設することに同意した、イタリアのサンレモで始まった。

Kelly Robinson  Jeremy R. Hammond • 6 years ago

INTERNATIONAL LAW AND JERUSALEM

by Thomas Ice

聖書では、神がユダヤ人にイスラエルの地を与えたと教えている。このことは聖書では幾度も繰り返し語られている。神の考えが最終的には重要なものだ。神の意思は未来のいずれかの時点において実行に移されるからだ。神の言葉がすべてを決定する。それはさておき、国際法はイスラエルの建国を最初から支持し続けているということを指摘しておくことは意味があるだろう。さらに、国際法はエルサレムはイスラエルに帰属し、アラブにはユダヤ教の聖地に対する正当な法的領有権など存在しないという主張を支持している。

JACQUES PAUL GAUTHIER

カナダの弁護士、Jacques Paul Gauthierはイスラエルとエルサレムの帰属問題に関する20年の調査をジュネーブ大学の政治経済学科と法科大学院で完了させた。彼は1200以上のページに渡って論旨を詳細に調べ上げ、以下のように結論した。

交戦中の国が占領した領土に関する国際法の原則を調べた彼は、1967年以降に占領した領土の領有権はイスラエルが持つと結論した。

GREAT BRITAIN’S ROLE

1917年11月2日のバルフォア宣言は少なくともそれが発行されたその時には、国際法としての力を持っていなかったと彼は言う。イスラエル国家建国の支援をして彼らに民族自決権を与えることがイギリス政府の公式の外交政策となった。イギリスはアレンビー将軍が1917年12月11日にエルサレムをそれからパレスチナ全土を掌握した時に、ユダヤ国家の建設に向けて次の手を打ち始めた。

1919年1月3日、シオニズム組織の代表で指導者でもあったChaim Weizmannはユダヤ人の代理として、ヒジャーズ王国の代表Emir Feisalと会談した。その会談で合意されたこととは、ユダヤ人がヨルダン川より西の土地を領土とするということでエルサレムもユダヤ人の管理下に置かれるということだった。1919年の1月18日にパリ講和会議が開かれ6ヶ月議論し、ヨーロッパ側と中東側との話し合いにより新しい国境線が決定されそれに国際法としての力が与えられた。会議は第一次世界大戦で勝利した同盟国側で構成されていた。アメリカ、イギリス、フランス、イタリアで「ビッグ・フォー」が構成されていた。イギリス側の代表はバルフォアだった。ファイサル-ワイスマン合意に対するアラブ側の反対の声が上げられ始めたのは1919年の夏のことだった。その結果として話し合いは難航し合意には至らなかった。それでもバルフォアは1919年8月11日に以下の声明を発表した。

「我々はシオニズムを支持する。シオニズムが正しいにせよ間違っているにせよ、それははるか昔からの伝統に根ざしたものであり、古の地に今住み着いているアラブ人の願望よりも優先される」。パリ講和会議はパレスチナの扱いに関する最終的な合意に至ることなく、それに関して多くの議論が行われたにも関わらず終了した。

THE SAN REMO CONFERENCE

パリ講和会議の延長と見做されていた、未解決のパレスチナ問題を話し合うための会合がイタリアのサンレモで1920年の4月19日に行われた。その会合には第一次世界大戦時の同盟国であった4ヶ国が参加しイギリスからは首相(David Lloyd George)、フランス(Alexandre Millerand)、イタリア(Francesco Nitti)、日本(K. Matsui)が参加した。1920年4月25日に採択されたサンレモ決議はイギリス政府が発行した1917年のバルフォア宣言を組み込んだ。サンレモ決議と1919年4月28日にパリ講和会議で採択された国際連盟規約第22条がイギリスがパレスチナを委任統治領とする法的根拠となっている。単なるイギリスの外交方針でしかなかったバルフォア宣言を国際法としたのはサンレモ決議だった。

パレスチナをイギリスの委任統治領とすることは1922年の9月22日に国際連盟の委員会によって定められた。1919年の4月にサンレモでの会議が終了した時には、将来のイスラエル国家にはヨルダン川西岸以降の土地すべてだけではなく現在のヨルダン王国も含まれることになっていた。1922年9月22日以降に、現在のヨルダン王国はパレスチナ(イスラエル)から分離させられ新たなアラブ国家となった。現在でもイスラエルは和平のためと称して土地を分け与えるように国際社会から迫られているが、この時にイスラエルが譲歩したことがこの流れを生み出すことになってしまった。現実はと言うと領土を譲歩する度に、イスラエルは諸外国からの猛烈な反発を招くことになっている。

THE MANDATE

1917年12月以降パレスチナを管理してきたイギリスの軍部から構成される行政組織はエルサレムを本拠としてヨルダン川両岸を管理する民間の行政組織へと置き換えられることになった。国連の委任統治の原則により、ユダヤ人の民族的故郷とするゴールに向けてパレスチナを監督する義務がイギリスには課せられていた。委任統治の原則が定められた時には、国家を建設するにはユダヤ人の人数が少なすぎると考えられていた。よってイギリスにはパレスチナへのユダヤ人の移民を監督する(増やす)義務が与えられていた。そしてユダヤ人の人数が十分に増えた時には、パレスチナがユダヤ人の民族的故郷となるはずだった。ところがイギリスはパレスチナにユダヤ人の民族的故郷を建設するという目標を妨害していた(具体的には、ユダヤ人のパレスチナへの移民を大幅に制限するなどした)。

1946年に国際連盟が解体したために、1945年に組織された国際連合がパレスチナの問題を引き継ぐことになった。当時の国連総長は11月29日に分割案(国連総会決議181)を採択した。この国連決議は1948年5月14日のイスラエルの独立を宣言するのに必要とされる法律上の権限を国際連盟から引き継いでいる。決議181の下、パレスチナはアラブ側とイスラエル側に分割された。エルサレムは国際都市として管理されることになった。Gauthierは『1948年以前に確立されていた、エルサレムを分離体として特別に扱う国際的な取り決めはそれから10年間継続することが定められた。その期間が過ぎれば、「エルサレムの住人は都市の扱いを投票により自分たちで決定することができる」と定められた。アラブ側は決議181を拒絶しイスラエルを攻撃した。アラブ側の攻撃によりエルサレムを国際的な管理都市とする案も中断された。エルサレムをどこの領土とするかを決定する1959年に約束されていた投票も実施されなかった。投票が行われればエルサレムの住人がイスラエルに投票したことは疑いがないと考えられている。従って、エルサレムの法的権利はイスラエルとユダヤ人に属する。

CONCLUSION

ここではほんの僅かしか紹介できなかったが、彼の論文はパレスチナの土地もエルサレムもともに国際法の原則に基づきイスラエルとユダヤ人に属することを示した。コメンテーターがメディアに登場してイスラエルの占領は国際法に違反していると言い出したら、その人たちは国際法のことなど何一つ知らないのだと判断して間違いない。だがそもそも彼らは無法者であり多くはジハードによってイスラエルを占領したいとしか(心の底では)思っていないので、そのことが彼らを思いとどまらせるなどということはありえない。メディアやインターネットに登場する彼らのような人たちは国内法であれ国際法であれ法律など少しも気にはしていない。

mikey248 • 4 months ago

ジェレミーがあまりに大量の嘘をついたので、その嘘を暴くだけで一冊の本ができあがってしまうだろう。

エジプトの大統領が1967年にユダヤ人を全員海に突き落とすと宣言したこと、国連の平和維持部隊を追い出したこと、イスラエルの国境線を書き換えようとしたことなどを指摘するだけでここでは十分だろう。

この時には200万人のエジプト人が、ユダヤ人の殲滅が始まったと叫びながら歓喜してカイロの通りを埋め尽くした。

1948年と1967年にアラブがユダヤ人を民族浄化しようとしていたことは秘密でも何でもない。

ジェレミーは歴史家ではない。彼はホロコースト否定論者と同じだ。歴史を書き換えてユダヤ人が加害者であったかのように宣伝し新たなホロコーストへの道を開こうとしている。その時には彼は歓喜して涙を流すのだろうが。

Isaac Der3i • 4 months ago

「神話」と呼ばれる何かと、アラファトやPLO、ハマスによって宣伝された本物の神話を正当化することによって戦おうとする不毛な戦い。

この記事は昔からのナンセンスに過ぎない。PLOとアラファトはヨルダン政府を転覆させようとしてヨルダン(すなわちトランスヨルダン、すなわち東パレスチナ)から追放された。数千人、数万人という「パレスチナ」のアラブ人がヨルダンから追放された。これは民族浄化ではないのか?君にとっては多分違うんだろう。

YJ Draiman • 5 months ago

これらすべてのソースには、「委任統治者」とはその領土の所有者ではなく、「ある目的のための行為に報酬なく従事する者」そして「それを行う時には見返りを求めず、その者は託されたことを他人のために実行しなければならない」とはっきりと書かれている。

パレスチナ全土そして委任統治領パレスチナの法律上の所有者はユダヤ人だ(委任統治領パレスチナ自体がユダヤ国家建設のためのものであるため)。パレスチナをユダヤ人が領土としているのは過去のある大国の帝国主義的決定に基づくのではなく、ユダヤ人の民族的故郷建設に関するアラブ-ユダヤ条約に基づくものだ。

パレスチナを委任統治領とすることは多くの国が批准したこの条約によって定められている。この条約にはアラブの使節団や(この土地を以前に占領していた)トルコを含めて世界中の国が批准している。アラブの使節団はパリ講和会議が開催されている時にこの条約を批准した。トルコもローザンヌ条約を通してパレスチナを(ユダヤ人のための)委任統治領とすることと含めてこの条約に批准した。