2016年5月23日月曜日

クルーグマンはグラフの読み方が分からないのか?

How Margaret Thatcher turned around Great Britain, in one chart

James Pethokoukis

「私の仕事はイギリスの社会主義化を止めることだ」- マーガレット・サッチャー

先日死去したイギリスの元首相はそれ以上の仕事をしたようだ。鉄の女と呼ばれた彼女は数十年にも渡って実施されイギリスをヨーロッパの病人へと変えた社会主義政策を転換させた。そしてその過程で、彼女はアメリカの自由主義革命にも影響を与えることになった。彼女は民営化、税率の引き下げ、労組の解体を行った。スコット・サムナーが記しているように、「イギリスの経済は他のヨーロッパの国々に対して数十年間も後れを取っていた。成長率はヨーロッパの大抵の国よりも低かった。サッチャーの改革は世界の中でも最も包括的なもののうちの一つだった」。

イギリスとフランスの一人あたりGDPの推移の比較をしてみよう。1979年にイギリスは市場を重視するようになったが、フランスはそうでもなかった。イギリスはフランスよりも10%貧しかったのが最終的には10%豊かになっている。


以下、寄せられたコメント。

Dolph Santorine April 8th, 2013

機能する経済政策を実行に移すには強力なリーダーシップが必要とされる。20%の相対的なGDPの改善というのはケインズ派も社会主義者も(恥を知っていれば)一度でも達成したことがあるとは言えないものだ。彼女の成功によりアメリカにおいてケインズ派を含む社会主義者たちの主張を論破することがより容易になった。欲を言えば、彼女への追悼が社会主義的政策は機能しないということを現政権に分からせてくれればいいのだが。

FactsB4Fiction April 8th, 2013

そのチャートは逆のことを示している。サッチャーが1990年に退位した時、そのギャップは少し拡大している。イギリスとフランスとの差は間違いなく埋まっていない。イギリスはブレア首相の最初の任期後と債務による公的支出の拡大だったため保守派から現在では「持続不可能だった」と凄まじい嘲笑を浴びているブラウン首相の時になって初めてフランスを上回った。現在の差は再び縮小しようとしており、そして為替レートの変動の範囲内に十分にある。

Is Paul Krugman seriously not going to give Thatcherism credit for the UK turnaround?

James Pethokoukis

Paul Krugmanによる何と奇妙なサッチャー評だろうか。

1)彼は1970年代のイギリスは「大きな経済的問題」を抱えていた国だったと認めている。

2)彼は「大転換」があったことも認めている。

3)だが彼は「イギリス経済の大きな改善は1990年代の中頃まではデータに表れていない。これほどまで実現が遅れた改善に対して彼女のおかげだと言えるのだろうか?」とサッチャーの経済政策によるものだということは一向に認めようとはしない。

イギリスの経済とフランスの経済を再び比べてみよう。1961年にはイギリスの一人あたり実質GDPはフランスの104%だった。1978年までにはこれがフランスの81%にまで低下してしまう。


(*このグラフを見てクルーグマンに賛同する自称経済学者中村亮)

何という衰退だろう。

そしてイギリスが自由市場経済を重視しようと決断した1979年の5月にサッチャーが登場した。フランスはそのままだった。

上のチャートが示すように、イギリスはほとんどその直後にフランスに対する失地を回復していった。1990年までにはイギリスの経済はフランスの87%だった。それから(サッチャー首相の政策をほとんど受け継いだ)保守派の政権による7年間が続き、イギリスの経済はフランスの94%にまで迫ることになった。だがここにKrugmanの結論がある。

「サッチャーによる政策(税率の引き下げ、労働規制などなど)が経済をよりフレキシブルにしそれによりブレア首相の下での好況が可能になったという可能性も考えられはするのだろう。だがそこには恐ろしいまでの長いラグがある」。

トニー・ブレアは1997年の5月までは首相になっていない!その頃までにはすでにイギリスはフランスに対する衰退分のほとんどを取り返していた。

最後の段落が示しているように、Krugmanは1970年代のイギリスは重税と過剰な規制と労組によって苦しめられていたということを本当は知っているのではないかと思う。サッチャー主義が完全な対策というわけではないにしても必要だったということもだ。だが現在の極めて党派主義的な世界では、そのようなことを認めてしまえば彼のリベラル派としてのブランドが地に落ちてしまうのだろう(しかもレーガノミクスが成功だったと暗に認めてしまうことになる)。彼とニューヨークタイムズのリベラル派の読者にとっては不幸なことだった。

以下、寄せられたコメント。

FactsB4Fiction April 9th, 2013

あなたが示したチャート自体がブレア/ブラウン政権時代に巨額の財政支出を行った後になって初めてイギリスがフランスを上回ったということを示している。

C H Ingoldby April 9th, 2013

そのグラフは保守派の自由主義政策の下でイギリスとフランスの間にあった大きな差がフランスが相対的に衰退しイギリスが相対的に繁栄したために縮小し始めたことを示している。

それ以前に、君は20年以上に及ぶ優れた経済的パフォーマンスはすべて無視して2つのラインが交差したただ一点のみで評価しろというのか?そのような主張は馬鹿げているように思われる。

SeattleSam April 9th, 2013

Krugmanは結論した。もしサッチャーがイギリス経済を救ったと主張する人が現れたら、何故その救済は実現するのにそれ程時間が掛かったのかとその人に尋ねるべきだと。

彼は同じ問い掛けをフランクリン・ルーズベルトに行ったことが一度でもあるのだろうか?

Ron April 9th, 2013

1)何かこのグラフには私の目には映らないように出来ているものでもあるというのか?Krugmanには1981年直後から始まり1988年まで継続した上昇が見えていないのか?

2)この比率の上昇のどれぐらいがイギリスの改善によるものでどれぐらいがフランスの衰退によるものなのか?イギリスが実際には改善しておらずフランスが衰退したことによってこの比率が上昇したという可能性もあると思う。

Shawn April 9th, 2013

Krugmanはとっくの昔にまともに取り合ってもらえる地点を通り過ぎた。彼はケインズ経済学に疑問を呈する経済学者たちには少しの敬意も示さなかった。彼の言うところでは、それらの経済学者たちは無能で、腐敗しており、精神病であるとまで云われていた。

それがまったくの逆だということは(これを見れば)どんな愚か者にでももう理解できるようになったのではないか?

Counterfactual: What would have happened to the UK economy without Thatcher?

James Pethokoukis

サッチャリズムを好もうともそうでなかろうとも、誠実さを欠片でも持っていると主張するのであれば、イギリスが1960年代や1970年代のひどい衰退から立ち直ったということを認めなければならないだろう。このチャートは無視することが出来ない。


だが左翼はこれがサッチャリズムのおかげだと認めることをひどく嫌っている。以前の記事に記したように、Paul Krugmanは「サッチャーがイギリスの経済をよりフレキシブルにし、それによりブレア政権の下での好況が可能になったという可能性もあるかもしれない」とだけしか認めていない。単に「可能性があるかもしれない」と認めただけだ。

サッチャー首相は自由市場の代わりとなるものは存在しないとよく言っていた。確かに、まともなものはないだろう。だが1979年頃には政治的に代替となるものは存在した。労働党だ(現在では旧労働党と呼ばれる)。

ではサッチャーと保守派政党が1979年の選挙で敗れていればどうなっていたか?労働党の1979年のマニフェストを見てみよう。そこにはこう記されている。「我らの道がより良き道」と。(イギリスが衰退していることは誰の目にも明らかであったにも関わらず)左翼はこれまで通りの政策しか提案していなかったことがよく示されている(というより、むしろそれが目的だから)。強力な労組、政府による産業の国有化、懲罰的な課税。北海油田から少しばかりの支援を受けた社会民主主義によって扇動されるケインズ主義。マニフェストの内容を見てみよう。

「産業に対する我々の戦略は労働組合や企業の経営部門との国家的なパートナーシップを通じて富と雇用を生み出すことにある。保守党は雇用を生み出すために、上昇し続ける価格を抑えるために、産業を近代化するためには政府が主導しなければならないということを認めないだろう。彼らは19世紀の自由市場の時代に戻るためにイギリス国民の未来を喜んで賭けに差し出すだろう。彼らは自動車時代におけるファーシング通貨のように危険なほど時代遅れだ」。

そもそもとしてイギリスを衰退させてきた労働党の取るような政策が市場重視の保守派政権の下で起こった悲劇の転換と同種のものを起こすことが出来ただろうか?あり得ない。

悲劇がさらに数年間続いた後で旧労働党からより市場重視の新労働党への転換が恐らくは発生したかもしれない。だがブレアの労働党の方針転換を可能にしたのはサッチャーの成功だった。レーガン大統領の成功がビル・クリントンと新しい民主党を生み出したのと同じように。

もしくはアメリカの1980年代の成功がイギリスを刺激し1990年頃には自由市場による改革を結局は促したかもしれない。だがその頃にはイギリスの衰退は今よりも遥かにひどいものになっただろう。1979年のイギリスの一人あたり実質GDPはアメリカの64%だった。イギリスの成長率が上昇していなければ1990年までに限定してさえもこの比率が実際の数字である68%ではなく50%になっていただろう(現在は73%)。もしそうなっていればイギリスは最早先進国ではなく(現在でもとても先進国とは呼べないというのに)第三世界に遥かに近くなっていただろう。

その意味では、他に選択肢は存在していなかった。

FactsB4Fiction April 9th, 2013

自身のグラフがイギリスとフランスがGDPで見て大体同じぐらいの水準になっているということを未だに無視している。イギリスにはサッチャーがいてフランスにはいなかったというのに。そしてイギリスは新しい労働党の下でのみ初めてフランスに追いついている。それにここでは為替変動が無視されている。

Greg April 9th, 2013

例えば、一人が1億円を持っていたとする。もう一人は1万円からスタートしたとしよう。億万長者の方は1億円をすべて貯得していた。もう一人は働いて1万円を1億円にまで増やした。だが両者は同じ水準なので、もう一人の労働の方は全く評価に値しないとでも言うのだろうか?

FactsB4Fiction April 9th, 2013

ヒトラーによって占領されたフランスが、1945年から1960年までの開放による15年間でかなりの部分回復を見せたとしてもイギリスに対して「億万長者」になったと言うのか?

Greg April 9th, 2013

私が言ったことを正しく言い直さなければならないとすれば、君が言っていることは単なる藁人形に過ぎないということが理解できるだろう。

私が言っていることは、君が展開している主張の前提(同じ水準に達したこと以外は重要ではない)の愚かしさに関してだ。私のコメントはイギリス/フランスと直接的に関わっているのではない。君のコメントは君が思っているのとは異なり核心を突いたものでも何でもないと単に述べているだけに過ぎない。

FactsB4Fiction April 9th, 2013

私の主張はそのグラフが記事の反対のことを示しているということだと言っている。フランスはサッチャーに代表されるような自由主義政策を取ってこなかった。だがイギリスとは同程度のGDPを達成している。ブレア/ブラウンが初めてイギリスをフランスよりも上位にしている。フィクションの前の事実だ。これはイギリスとフランスの話でそれがこの記事のすべてだ。フィクションの億万長者の話ではない。だというのに君は「イギリス/フランスと直接的に関わっているのではない」とコメントしている。どうして理解できないのか?

Greg April 9th, 2013

「どうして理解できないのか」だって?

それは君の論理があまりにも愚かすぎるからだ。間違った前提からは正しい結論に辿り着くことは出来ないだろう。

それに君が思っている「事実」というものは甚だしい単純化によって構成されているに過ぎない。ここに実際の事実がある。

・1960年にはフランスとイギリスのGDPは大体同じだった
・1960年から1980年の期間にイギリスのGDPはフランスに対して大きな落ち込みを見せた
・1980年から2005年の期間にイギリスの改善率はフランスを大きく上回った
・それによって2000年にフランスとイギリスのGDPは再び同じぐらいの水準になった

比較すると君が事実と認識していることは、
・1960年には両国のGDPはほとんど同じ
・2000年にも両国のGDPはほとんど同じ
これだけ

「サッチャーがいなかったフランスがどうしてイギリスと同じGDPの水準なのか?この筆者の中心的な主張に対する補強とは到底言えない」

君が無視している事実を無視しなければいいだけの話だ。

FactsB4Fiction April 9th, 2013

私の主張はこのグラフが甚だしく単純化されていて筆者の意図とは反対のことを示していると言っている。

・開始時点でフランスとイギリスは同地点にいた
・最終地点でもフランスとイギリスは同地点にいた

フランスは国家による統制が続けられたままだった。イギリスはサッチャーの下で国家による統制が廃棄された。それにも関わらずフランスの方が上位にいた。イギリスは国家による統制に回帰したブラウンの労働党の下で初めてフランスに追いついた。社会主義のフランスがイギリスの上を行っていた。サッチャーのイギリスはフランスに一度も追いつかなかった。労働党のイギリスがそれを行った。だがそれを維持することは出来ない。

イギリスもフランスもどちらも同じぐらい酷いことになると言うことは出来るだろう。だがそのチャートは将来のことは何も示してはいない。少なくともそのグラフ上では、フランスはサッチャーと逆の政策を取りながらもイギリスと同程度のGDPであり続けた。

どうしてイギリスを(自身のデータによると)自由市場を拒絶しながらも遥かに上回ったフランスと比較するのか?

どうしてポール・クルーグマンの言うことは面白いように外れるのか?

How many more populist “victories” can we survive?

Scot Sumner

Salonは2月のギリシャ政府との合意をギリシャの勝利だと報じている。

「ギリシャの左翼政権が債権者との新たな合意に達した1週間後、Paul Krugmanはこの合意に対する左翼側の批判は誤りに基づいたものだと主張している。実はギリシャ側が勝利した内容だと議論している」。

そしてそのPaul Krugmanがアルゼンチンの「特筆すべき成功」と議論していたものに関する2012年のコラムがある(今回も爆笑もののコントが展開される)。

「アルゼンチンに滞在していたMatt Yglesiasは1ペソを1ドルと等価に保つ政策からの離脱以降の同国の回復から得られる教訓と題した記事を書いた」

「ここでは他のものを付け加えたいと思う。アルゼンチンに関する報道は基本的な事実を正しく理解するのに、通説と呼ばれているものがどれ程有害な効果を与えているのかを示す好例となっている。我々は頻繁にアイルランドが不況から回復したという話を聞かされる。実際には回復など存在しないというのに。彼らの論理はこうだ。アイルランドは回復しているはずだ。何故ならばアイルランドは正しいことを行っている。よってそれを報道するだけでよい」

「その逆に、アルゼンチンに関する記事はほとんど悲観一色だ。彼らの論理はこうだ。アルゼンチンは無責任だ。アルゼンチンは幾つかの産業を再び国有化している。ポピュリズムを極端なまでに扇動している。よってアルゼンチンの経済は非常に悪いに違いない」。

公平を期すと、アルゼンチンは金融緩和の後にその経済は急激な回復を見せていた(その点では彼に同意している)。対立があるのは彼が長期の問題であるサプライサイドの問題を極端なまでに軽視していることだ。すでに長期が到来しているみたいで、アルゼンチンの経済は彼が3年前にコラムを書いて以降不況(デマンドサイドとは関係がない)に陥っている。そして2015年は悲惨なことになるだろう。

同じコラムの中で、彼はアルゼンチンよりはましなもののそれでも絶望的なほどに国家統制主義的なブラジルの経済のことを褒め称えている。

「明らかなことに、ブラジル経済は非常に好調だと私は考える。そして経済政策に関するリーダーシップも適切だ。だがどうしてブラジルは印象的な「BRIC」だと評価されてアルゼンチンはいつも軽んじられるのか?実際には我々はその理由を知っている。だがそのようなことは経済のレポートの中には記述されないだろう」。

どうしてアルゼンチンが軽んじられているかだって?それは恐らく我々の中にはケインズ派のようには需要に取りつかれていない人間がいるからだろう。我々はアルゼンチンに大きな問題が迫っているのを知っている。ところで、この惨状を生み出した(頭の弱い人間だけがヘッジファンドに債務の返還を求められたせいだと思っている)アルゼンチンの大統領は2010年に死去して、彼の妻にこの惨状が引き継がれた。ブラジルも彼が褒め称えて以降、非常に危険な状態に陥っている。そして以下のリンク先の経済予測は2015年のブラジル経済の見通しを「恐怖だ」と呼んでいる。需要を刺激することによってこの状況が改善されるわけでもない。ブラジルとアルゼンチンはすでに高率のインフレに襲われている。

ここに来年度のラテンアメリカ経済の見通しがまとめられている。

「多くのラテンアメリカ諸国は今年も成長率の二分化に直面するだろう。端的に表現すると、2つの海洋で区分できるということが出来る。大西洋側でありラテンアメリカで最大の大きさを誇るアルゼンチン、ブラジル、ベネズエラは0.2%、0.9%、5.5%経済が縮小するだろう。それがLatinFocus Consensus Forecastsのパネリストたちの予想だ(アルゼンチンはインフレ率を大きくごまかしているので実際のアルゼンチンの不況はもっと凄まじい可能性がある)。その一方でチリ、コロンビア、メキシコ、ペルーは2.9%、3.4%、2.9%、3.5%経済が拡大するだろうと予想されている」。

ちょっと待ってほしい。どちらの側がより国家統制主義的な経済だったかを今思い出そうとしているところだ。ラテンアメリカの大西洋側だったか太平洋側だったか?この次の段落にはその答えが書かれている。

「この分割はこれらの国々がまだ不況ではないアジアの方を向いているか未だに不況のヨーロッパの方を向いているかということにはほとんど関係がない。この違いは資源価格の高騰と外国からの直接投資の流入によって生み出された好況だった頃に取っていた各国の政策に大きな違いがあったことが最大の理由だ(よくやり玉に挙げられるしばき上げと呼ばれるものが勝利するという当然ながらも皮肉な結果に)。この好況期に、大西洋側の国々は支出を増やす一方で貯蓄をせず逆にラテンアメリカの太平洋側の国々は投資を増やした。さらにラテンアメリカの大西洋側の国々は政府が積極的に経済に介入を行った結果企業の利益は減少し投資が妨げられることになった。これとは対照的にラテンアメリカの太平洋側の国々は投資家が歓迎するような構造改革を行っていた」。

だがイデオロギーにとらわれていない人には強力に見える上記のような証拠も何の意味も持たない。共和党のサプライサイド側のアプローチを採用したラテンアメリカの太平洋側の国々の方が良い結果を残すことなど天地がひっくり返ってもあり得ないと散々非難されてきたのではなかったのか?もちろんKrugmanはチリの自由経済の成功と云われているものは単に「シカゴボーイズによるファンタジー」だと主張した。

「実は彼らにとって都合の悪いことがある。ピノチェトの経済政策は伝えられているよりも遥かに曖昧だ。だが現在ではシカゴボーイズが登場して、自由化を行い、チリに好況がもたらされたと語られるようになっている」

「だが、上のチャートから分かるように、実際に起こったこととはこのようなことだ。チリは1970年代に大規模な経済危機に襲われた。それは部分的にはアレンデ政権が原因だった。それから巨額の資本が流入しチリの経済は不況によって失われたGDPを大部分回復させた。1980年代にチリは再び大規模な経済危機を迎えることになった。今回はチリだけではなくラテン諸国全体が危機に襲われたのだが、チリのダメージは他の国よりも遥かに大きかった。チリが1970年代初めのGDPをはっきりと上回ったのはその頃までには自由主義政策が大きく緩和された1980年代の後半になってようやくだった」。

ミルトン・フリードマンの変動相場制に移行せよとの助言を無視したことにより、シカゴボーイズが1980年代初期にチリを混乱させたのは事実だ。だが自由主義政策の緩和と云われているものとは一体何のことだろうか?ここには1975年にシカゴ流の改革が始まって以降のFraser Instituteが作成しているチリの経済自由度のランキングがある(指数は最大で10までで括弧の中身はランキングだ)。

1975:    3.60  (71)

1980:   5.38  (48)

1990:    6.78  (27)

2000:   7.41  (33)

2010:   7.94   (7)

「ファンタジー」があるとすれば、チリが1970年代の後半以降自由主義政策から転向したという考えだろう。

恐らくブラジルは貧困が著しい北東部の沿岸地域にPaul Romerが提案しているようなチャーターシティを建設してみても良かっただろう。フリードマンが軍事独裁的なピノチェト体制にアドバイスしていたのと同じ頃にフリードマンからアドバイスを受けた他の国がフリー・トレード・ゾーンを採用したことを知っているだろう。この体制はピノチェトよりも遥かに暴力的であったにも関わらず、このアドバイスに対して奇妙なことにフリードマンは左翼からまったく批判を受けなかった。恐らくこの体制が数千万人を虐殺している時に、あまりにも多くの左翼の著名な知識人がこの体制を何十年にも渡って称賛し続けていたという事実を隠しておきたいからだろう。どこの国か分かるだろうか?ヒント、アルファベット順でチリのすぐ後にある(中国の改革開放政策はフリードマンのアドバイスに影響を受けたことが知られている)。その国の最大のフリー・トレード・ゾーンの大通りは1981年ではこのような状態だったのが現在ではこのようになっている。



以下、寄せられたコメント。

Patrick R. Sullivan

「実は彼らにとって都合の悪いことがある。ピノチェトの経済政策は伝えられているよりも遥かに曖昧だ。だが現在ではシカゴボーイズが登場して、自由化を行い、チリに好況がもたらされたと語られるようになっている」。

このような馬鹿げた主張はとっくに反証されている。James Rolph Edwardsの「Painful Birth: How Chile Became a Free and Prosperous Society」という本にはチリの内情が事細かに記されている。

これは私のレビューだが、

『チリの小説家Alberto Fuguetがインタビューで答えているように、チリの「隠しておきたい秘密」とは、ピノチェトがチリを「カストロ流のマルキスト国家に変えようと試みていた以前の統治者たちからの贈り物のようなものだったということだ。違いは、以前の統治者たちがチリを変えたというのではなく、彼が変えたというところだ」。Fuguetによると、彼はチリを「近代的で、開放的で、自由な社会に変えた」。それが彼の意図であろうとなかろうと、彼が制度化した経済政策(見えざる手)によってそうするように導かれたのだろう。

『「James Rolph Edwards」のこの短い本はそれらの経済政策が実際にはどのようなものであったかを説明している。モンタナ州立大学の経済学者である彼は非常に簡潔に、だが専門用語はほとんど用いることなくこの本を書き終えている。読者は、アレンデが敷いた価格コントロールの廃止がチリの店頭に再び物を並ばせるようになったことを知るだろう。国有化された産業の民営化が経済に正しいインセンティブ構造を回復させたことを知るだろう。政府支出の削減が中央銀行からマネタイゼーションの必要性を奪ったことを知るだろう。他にも政府による様々な経済の阻害要因があったことが記されている。これはとても誠実さに溢れた本だ」。

Patrick R. Sullivan

Paul Krugmanにはこのまま間違った主張をさせ続けておいた方がよいと思う。

「チリは1970年代に大規模な経済危機に襲われた。それは部分的にはアレンデ政権が原因だった」。

部分的に?恐らく彼は残りの部分はミルトン・フリードマンがピノチェトに対してたった一度のしかも45分の会談で与えたよりも遥かに遥かにアレンデ政権にアドバイスを与えていたフィデル・カストロのせいだと言いたいのだろう。そして彼らはどうすればチリのハイパーインフレを終わらせることが出来るのかを話し合った。

1971年に、カストロは多くのチリ人の反感を買いながらもチリで1か月を過ごした(彼に対して空っぽの入れ物を見せつけるデモが行われた)。後に彼はフランスの大使に対してこのように語っていたという(Pablo Nerudaの政治的庇護者でチリの大使Jorge Edwardsによる言葉)。「アレンデはブルジョア階級による強固な政治支配を打破することなくしては彼の政策を実行することは出来ないだろう」。

Patrick R. Sullivan

ヒラリー・クリントンが選挙戦を戦っている現在、一時的にホンジュラスの指導者となったRoberto Michelettiが振り返った2009年の危機の回顧録が思い起こされる。ヒラリーは彼に特使を送っていた(Dan Restrepo)。

http://panampost.com/elena-toledo/2015/05/04/ex-president-micheletti-honduras-hellbent-on-repeating-2009-crisis/

———-quote——–

ヒラリーはZelayaに権力を渡すように私に言ってきた。だが幸運なことにAlejandro Peña Esclusaと呼ばれるベネズエラ人が私にこのように語ってきた。「大統領、あなたはZelayaに権力を渡してはなりません。何故ならばそのアメリカ人は以前にも我々を欺いたことがあるのです。彼女は我々にチャベスに権力を再び戻すべきだと言いました。そしてどのようになるのかを見ようではないかと」。そのアメリカ人が私にそのように言ってくる時にはいつでもこのことが思い出される。

彼女のアドバイスを聞き入れれば数百万人のホンジュラス人が苦境に立たされることになるだろうと私は信じている。そのアメリカ人は(国内の)左翼にこびへつらうためにチャベスのご機嫌伺いをしている。だが我々は、この21世紀の社会主義の茶番劇を主導したベネズエラが現在どれ程悲惨なことになってしまっているのかをとっくの昔に見てしまっている。本来であればアメリカ大陸で最も豊かになっていてもおかしくない程の石油埋蔵量を誇る(サウジの埋蔵量を上回ると云われている)ベネズエラの国民が貧困層、富裕層共に食べる物にも苦慮しているのだから。

メキシコとホンジュラスを除いて、ベネズエラ、エクアドル、ボリビア、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ニカラグア、エルサルバドル、これらはすべて左翼政権であることを覚えておく必要がある(左翼がこれらの国々を称賛して皆がこれに倣うべきだと扇動していたがこれらの国々が悲惨なことになるとさっさと逃げ出して知らない振りを始めたのは言うまでもない)。チャベスの計画は50万人の中央アメリカ票を用いてメキシコの左翼指導者Manuel López Obradorを当選させることにあった。だが彼の計画がホンジュラスで失敗した今ではそれを実行することは出来ないだろう。

———endquote——-

Patrick R. Sullivan

「不人気な改革が危機の時に実行されれば改革の印象が悪くなるだろう。ピノチェトのチリはその好例だ」。

間違いだ。ピノチェトはアレンデに対する軍事クーデター時には大変に人気だった。チリの最高裁はアレンデの行動は憲法違反だという判決を下した。チリの国民投票では81対47でアレンデの退陣が支持されていた。

ピノチェトがクーデターを起こしてから5年後に彼の統治に対する投票が行われた。彼は4分の3の投票を得て勝利した。敵意をむき出しにした反ピノチェトのニューヨークタイムズのレポーターでさえも、その投票がその時のチリ人の心境を正確に反映したものだと認めざるを得なかった。

ピノチェトが彼の政策を「軍による独裁」なしで実行に移せたかどうかは議論が分かれるところだろう。だが彼は非常によく訓練され(カストロの腹心の部下Manuel Pineroによって)組織された敵と戦わなければならなかった。その敵は1986年までにはロケット攻撃でピノチェトをほぼ暗殺しかけるというところまで迫っていたのだった。

実はアメリカでは20年以上格差が拡大していなかった?

Bipartisan Baloney About Top 1 Percent Income Gains

ALAN REYNOLDS

1月20日の議会教書演説でオバマ大統領は「所得上位の所得が低下したことはこれまで一度もない(中略)所得格差が今までよりもさらに拡大している」と語った。その翌日にFox NewsのアンカーBrett Baierは「Emmanuel Saezによると、景気回復期の2009年から2012年の間で、所得上位は2002年から2007年の好況期よりもシェアを拡大させた。言い換えると、所得格差はブッシュ政権の時代よりも拡大している」と語った。

Bernie Sanders議員も「最近では、経済に新たに生まれた所得の99%が所得上位1%に集中している」と語った。同様に、Ted Cruz議員は「オバマ大統領の下で、彼が常日頃から非難している所得上位1%はそのシェアを拡大させた」と語っている。

左寄りの民主党と右寄りの共和党の両者の間で政治的に都合がよく非常にもてはやされる統計があればそれがどのようなものであろうとも馬鹿げたものだと決めてかかっていい。両党派によるたわごとだ。

2013年の11月に、「申告されたキャピタルゲイン(株などの資産の値上がり益)とボーナスは(税率の引き上げを避けるために)2013年から2012年にシフトされたので、2013年の所得シェアが発表される時には所得上位1%の所得がある程度大きく低下することが予想される。恐ろしいまでに愚かなメディアは間違いなく減少を増加として報道するだろう」と私は書いた。予想通りに、ニューヨークタイムズは所得上位1%の所得が14.9%減少したことを増加したと報道して「景気回復からの所得の増加は未だに所得上位1%だけに集中している」と結論した。そこには恐ろしいまでの無知が表れている。

それから3週間後の2月17日に、ニューヨークタイムズは事実を報道しようとする姿勢を僅かだけ見せた。「所得格差は金融危機以降実際には拡大していない」という記事を書いたDavid Leonhardtは自分が付けた記事のタイトルに驚きを見せた。「このようなことが起こり得るのか?」。この驚愕の真実とされているものはイデオロギーに惑わされずにきちんとデータを確認することが出来る数少ないリベラル派の経済学者の一人Stephen Roseより伝えられた。

「驚愕すべきことに」とLeonhardtは語り「Mr. Roseの主張は新しく発見されたデータや以前には見つかっていなかったデータに基づくものではなかった。多くの記者やコメンテーターたちが所得格差が拡大したことの証拠として頻繁に用いていたのとまったく同じデータだった」と語った。冗談も休み休みに言え。1月6日にブルッキングスのGary Burtlessは「2000年以降、ほとんどのアメリカ人の所得が上昇している一方で、所得上位1%の実質所得は減少している」と書いている。かなり前から私もPiketty and Saezのデータを用いて以下のようなグラフを作成し同様の指摘をしている。


(馬鹿な人たちがデータを一切見ることなくアメリカでは格差が拡大し続けている!と言っているそのまさにすぐ横で、その主張の唯一の根拠でさえもが20年近くアメリカでは格差が拡大していないことを示している!)

メディアの人間がすべきことは、Piketty and Saezの表4-6にある所得上位1%の実質所得の数字から作成したこのグラフを見ることだけだ。私が予想したように、所得上位の所得は増税を避けるために2012年に増加し2013年に14.9%減少した。そしてSaezからの要請通りに2012年と2013年の所得を平均した。それにも関わらず2012年から2013年の所得上位1%の所得は明らかに2005年から2007年を大きく下回っていて1999年から2000年の水準にも達していない。

Leonhardtは所得上位の所得が「増加していない」どころか減少しているということまでは認めることが出来なかったようだ。2012年から2013年の所得上位1%の所得は2007年から20.6%減少している。2000年以降からも11.2%減少している。所得格差が拡大し続けていると主張している人間はまともにデータも確認出来ないのだろう。
Minnesota Mythbusting

Matt Palumbo

反米団体US Uncutの設立者Carl Gibsonは経済に関する誤情報を発信することで知られている。

このリベラル派の団体のフェイスブックのページ上で、スイスの最低賃金は年に500万円でCEOの給与に制限を加えているのでとても平等な国だと嘘をついた(実際のところはスイスには最低賃金も給与に対する制限も存在しないというのに)。さらに経済危機後のアイスランドの回復は政府が銀行の救済を拒絶したおかげだとも主張した(IMFから受け取った4600億円の救済金をカウントしないのであれば)。アメリカの政府債務を減少させるにはノルウェーの例に従うこと(石油からの利益に78%も課税しており政府債務を負ったことがない)だとも主張した(彼は一度も「ノルウェーの政府債務」とグーグルで検索したことがないのではないかと疑っている)。

彼のドンキホーテ的な事実との戦いは同類のHuffington Postでも続けられた。今回は彼は「トリクルダウン経済学」という現実には存在しない経済学を反証したと高らかに宣言した。彼の言葉によると、「トリクルダウン経済学が公式に反証された。ミネソタ州がそれを決定的に証明した」。

ミネソタ州が行ったこととはどういうことだろうか?最高所得税率を90%にまで引き上げたのだろうか?法人税を増税したのだろうか?最低賃金を時給1800円までに引き上げたのだろうか?違う。だが2011年に就任したMark Daytonの指揮の下で、ミネソタは所得1500万円以上の個人に対して州の所得税の税率を途方もなく大きい2%ポイントも引き上げた。

Gibsonの語るところでは、以前の保守派の州知事の下ではすべてが間違った方向に進んでいたのだそうだ。「Tim Pawlentyが知事だった2003年から2010年の間には、雇用は僅か6200人しか増えなかった。2011年から2015年の間には17万2000人の雇用が新たに生まれた。Pawlentyの2期分よりもDaytonの1期分の方が多い」。

世界的な不況がPawlentyの任期の最後を襲ったということに言及していないことには目を瞑るとしても、雇用の増加が彼の後継者の下での方が大きいというのは事実だ。Pawlentyの任期の最初の4年間でミネソタの雇用は9万9100人増加した。18万2000人よりは少ないだろう。だがこれは本当に進歩主義的な政策のおかげなのか?それとも単に経済の自然回復の結果なのか?

Gibsonはこれを現州知事の3つの政策のおかげだとしている。すなわち最低賃金の引き上げ、富裕層への増税、女性に対する(男性と比較しての)対等な賃金の保障だ。だがこれらの変更はいずれも極めて小さなものでどれ一つとってもミネソタの雇用の増加し始めた時期とは対応していない。これらが原因ではなかったことを示唆している。

現州知事の2018年までに最低賃金を950円までに引き上げるという計画を見てみよう。彼のプランの下では最低賃金は徐々に引き上げられる。

2014年の8月以前にはミネソタは利益が6250万円までの企業には525円にそれ以上の企業には615円に最低賃金を設定していた。新しい法律の下ではこの基準は5000万円に変更される。この基準を上回った企業に対しては最低賃金は615円から800円にまで引き上げられる予定になっている。これを下回る企業は525円から650円に引き上げられる予定だ。

連邦政府の最低賃金(ほぼすべての時間給労働者に適用される)がすでに時給725円なので、利益が5000万円を超えている企業で時給が800円を下回っている労働者(いるのかは知らないが)に対してのみミネソタの75円の最低賃金の引き上げは適用される予定だ。ラディカルな変更ではないしその影響も生の雇用データを見ていたのでは気が付きにくいだろう。さらに最低賃金の引き上げは2014年の夏に初めて実施されたもので、ミネソタの雇用の回復はそのほぼ4年前からすでに始まっていた。

同様に、州と契約を交わしている事業を行う企業の女性従業員に対してすでに存在している反差別法に従っていることを認証することによって対等な給与を保証する法律(すべての企業ではない)は2014年の5月までは実効力を持っていない。

最高税率を2%引き上げた増税の方はどうだっただろうか?これも2013年までは実行に移されておらず、州の税収を1100億円増加させたに過ぎない(もしくはミネソタ州のGDPの0.35%)。

ようするにGibsonが称賛した政策はすべてミネソタが印象的な雇用の回復を見せた遥か後に実行に移されている。そしてそもそもが少しも大規模なものではなかった。

増税の恩恵として、「ミネソタの最高所得税率は4番目の高さであるにも関わらず、その失業率は3.6%と5番目に低いものとなっている」と彼は語った。だがこれは典型的な統計による嘘だ。本当にこの変数の間に相関があると主張したいのであれば、もっと多くのデータを必要とするし第三の変数の存在も考慮しなければならない(統計による嘘と言えば、とはいってもこれは嘘ではないが、中西部の州を2013年から2014年までの雇用の増加率で並べてみるとミネソタは圧倒的最下位だ)。

それに加えて、国際的な研究は、(工業国では)最高税率の高さと失業率の高さとが関連していることを発見している(リンクは省略)。これはこの税率の高さが雇用の増加を減少させていることを示唆している。

最低賃金の引き上げと増税が良い経済的結果を生み出すという考えは実証的証拠によっては支持されていない。州の最高税率の引き下げがすべての所得階層の所得の増加率の上昇と関連していた(さらに、その逆に最高税率の引き上げはすべての所得階層の所得の増加率の低下と関連していた)ことを発見した研究のことを考えてみよう(リンクは省略)。この結果はGibsonの現実の描き方に対してほとんど正反対を突き付けている。

最低賃金に関しては、実証結果は分かれている。だがカリフォルニア大学のJeffrey Clemensによる最近の研究は深刻な悪影響を示している。彼は全米で何千人の実際の人間を追跡した。そして最低賃金を引き上げた州の低技能労働者の経過と引き上げなかった州の低技能労働者の経過とを比較した。Clemensは彼らの発見が見せ掛けの相関ではなく因果関係であることを立証するために幾つかの変数で調整を行った。結果はどうだったか?最低賃金の引き上げは「低技能労働者の雇用と所得の増加に対して有意に負の影響を与えていた」だった。

同様に、経済的自由と所得格差との関係を調べた研究は「州の最低賃金の引き下げと税負担の引き下げが所得が最も低い人々の所得の水準、増加率、所得シェアを上昇させるのに最も効果的だった」ことを発見している(リンクは省略)。

このようによく制御された研究の方が彼が挙げたような狭い範囲の彼自身の見解の反映よりも有益なのは自明だ。この期間にDaytonがマイナーな進歩主義的政策を通過させたのは事実だが、それは因果関係を立証したことをまったく意味しない。

Gibsonとその同類たちは政府による介入が経済成長には不可欠だと人々に信じさせたがっているが、セントルイス連銀の論文は(経済成長と相関していることが知られている他の変数を調整した後では)あまり介入しない州の方がそうでない州よりも雇用の増加率が高かったことを発見している(リンクは省略)。他の論文もあまり介入をしない州の方が失業率が低く労働参加率も高いことを示している(リンクは省略)。

Gibsonとは異なり、我々はこの証拠が進歩主義者のイデオロギーをすべて決定的に反証したなどと大胆に主張するつもりはない。だが自由市場が機能するという説得力のある証拠があり、それは一つの州から都合よく抜き取った少しばかりのデータによって反証することは出来ないと主張するだろう。
The Myth of Corporate Profits

MATT PALUMBO

企業利益の増加はアメリカの労働者の賃金を犠牲にしているのか?ベンチャー・キャピタリストで資産家のNick Hanauerはそのように考えているようだ。彼は「企業利益はここ50年で過去最高を記録し失業率も過去最高を記録している。富裕層が雇用を作っているというのが真実であれば、失業率はもっと低いはずだろう」と語っている。ThinkProgressというウェブサイトの記事の見出しも「Corporate Profits Hit Record High While Worker Wages Hit Record Low」というものだった。

まず始めに彼らの主張が本当かどうかを見てみよう。そもそも最近の不況が住宅バブルの破裂ではなく企業利益の増加の結果だという彼らの主張は奇妙だ。恐らくはHanauerは企業利益の多さを総需要の低下の原因と非難したいのだろう。富裕層が十分に所得を消費しないために経済が均衡から乖離しているといつも彼が主張しているように。一人あたり消費者支出が所得上位1%の所得シェアと比例的に増加していることは彼は無視する。

上の図はGDP比で見た課税後の企業利益(配当前)と失業率との関係を示している。逆の関係があるようには思われない。むしろほとんどの期間において、企業利益が減少すると失業率が上昇しているように思われる。


法人税の減税が雇用を増加させるという確かな証拠もある(リンクは省略)。アメリカの法人税率は他のどの国よりも高い(これは実効税率で見ても同じだ)。これによりアメリカの企業には事業を海外で行い利益も海外に保持しておく強いインセンティブが生まれる。アメリカのすべての企業が国内だけで事業を行うように強制されたとしても、法人税率の高さは(税がない場合と比較して)投資の量を減少させるだろう。

最近の数年を例外として、企業利益と失業率はほとんど相関を示さない。

ThinkProgressというウェブサイトの記事は以下のような図を作成して企業利益と賃金に負の関係があると主張した。上の線は企業利益(課税前なのか課税後なのかさえも説明していない)で、下の線は賃金を示していると説明されている(どちらもGDP比)。


ここで比較されているものは企業利益と企業従業員ではなくすべての労働者の賃金だということに気が付いただろうか?企業利益が超過しているというのであればそれはすべての労働者ではなく企業に勤める労働者の賃金を犠牲にしているのでなければならない(魔法でも想定しているのでない限りは)。同様に、平均的な労働者の所得の19%を占める付加給付もこのグラフには表れていない。企業利益と労働者の報酬は経済全体ではなく企業所得の割合で見なければならない。

最も重要なことに、右側のy軸と左側のy軸とでは縮尺が異なる。自分たちが欲した結果を得るために彼らが捏造を加えたことは明らかだ(尺度を色々と変えているうちに分かったことだ)。企業従業員の報酬と課税前の企業利益とを比較してy軸に操作を加えなかった時には、以下のようなグラフが得られる。


過去を見れば、企業利益は企業所得の12%、従業員報酬は63%で推移してきた。これは課税前利益なので実際にはもっと少ない。法人税の税率を引き下げると雇用が増加するのと同じように、最近のコラムで紹介した一連の研究は法人所得税が引き下げられればどれぐらい労働者の賃金が増加するのかを詳細に説明している。

所得格差を縮小させたいのであれば規制を緩和するべき?

Less Economic Freedom Equals More Income Inequality

Ronald Bailey

所得格差は政治家や評論家、メディアの注目を集めてきた。2013年にオバマ大統領は「危険で拡大している格差が我々の時代の重大な問題だ」と宣言した。先月の60ミニッツでは、上院院内総務のJohn Boehner議長が「オバマ大統領の政策は所得格差を拡大させている」として非難した。ユタ州のMike Lee上院議員は「アメリカは所得格差の危機に直面している」と語り「大きな政府はその問題への解決策ではなくむしろ原因だ」と主張した。

2013年の演説でオバマ大統領は「所得格差を低下させるのに政府が出来ることは何もないという考えを破棄するべきだ」と語った。彼は正しい、だが彼が考えているのとはまったく異なる意味においてだ。最近の幾つかの論文は所得格差を低下させるのに政府が出来る最良のことは経済への干渉を止めることだということを示している。

例えば、アメリカのすべての州を比較したイリノイ州立大学の経済学者Oguzhan Dincerとその同僚らによる2014年の論文によると、経済的自由を低下させることが実際に所得格差を拡大させていることが示されている。「平均でみて、政府の規模と介入の範囲が拡大すると、所得格差も拡大する」とDincerは語った。

彼らはグレンジャーの意味で因果性があるかどうかも調べた。簡単に言うと、これは経済への介入が経済格差を生みそして今度はそれがさらなる経済への介入を招くという因果性のフィードバック・ループがあることを彼らが示したことを意味する。政策当局者は所得格差の拡大に対して格差を拡大させる政策で対応することが頻繁にある。最低賃金の引き上げなどがそのよい例だ。

もう少し大きな全体像を見てみよう。リベラル派はアメリカの所得格差が1950年代と1960年代に低下したことを示すデータを好んで引用したがる。そのトレンドはサイモン・クズネッツが提唱した仮説に従っているように見える。経済成長が開始されると、初期には所得格差は拡大すると彼は議論した。労働者が生産性の低い部門から生産性の高い部門へと移動するためだ。生産性の高い部門の労働者の人数がある程度大きくなると、所得格差は低下し始める。それにより所得格差と経済成長との間には逆U字型の関係が生まれることになると彼は説いた。

過去にアメリカで最も所得格差が大きかった時期は大恐慌の直前の1929年だと云われている。世帯所得のジニ係数は0.450だった。所得格差は大恐慌の時期に低下し、クズネッツの説明の通りにアメリカ経済が第二次世界大戦後拡大していくにつれてさらに低下していった。そして1968年に0.386と最も低くなった。セントルイス連銀のデータによると、ジニ係数はその後上昇していった。1980年のジニ係数は0.408で、1990年は0.428、2000年は0.462、2010年は0.470、2013年は0.476とされている(ただし、このデータには大きな欠陥があることが知られている)。

カナダのシンクタンクFraser Instituteは北米の経済的自由に関するレポートを毎年発行している。税や政府の支出、労働市場の自由度などで見てアメリカとカナダの州の自由度がどれぐらいのものか分析している。Dincerの論文は1981年から2004年の期間の経済的自由度と所得格差のトレンドを州の間で比較している。そして「経済的自由は所得格差を短期においても長期においても低下させている」ことを発見した。

これを分かりやすくするために、経済的自由度が最も高い8つの州と最も低い8つの州とを比較してみよう。経済的自由度が最も高かったのは(スコアは7.8から7.1の間に分布している)テキサス、サウスダコタ、ノースダコタ、バージニア、ニューハンプシャー、ルイジアナ、ネブラスカ、デラウェアだった。最も低かったのは(5.2から5.8の間に分布している)メイン、バーモント、ミシシッピ、ニューヨーク、ロードアイスランド、ウェストバージニア、ニュージャージー、カリフォルニアだった。経済的に自由度が高かった州のジニ係数の平均は0.452だった一方で自由度が低かった州の平均は0.469だった。所得格差は経済的自由の低い州で高くなっている。

オハイオ州立大学とフロリダ州立大学の経済学者らによるJournal of Regional Analysis and Policyに掲載された2013年の研究はDincerの発見を支持している。Fraser state economic freedom index dataを用いたこの研究は経済的自由と所得格差のトレンドにクズネッツ曲線が見られることを発見した。彼らは「経済的自由の低い状態からスタートすると、自由度の高まりとともに初めには所得格差が拡大する。これは比較的所得の高い層の方が低い層よりもより恩恵を受けるためだ。だが経済的自由度が上昇し続けるとこのトレンドは反転し所得の低い層の方がより恩恵を受けるようになる」と分析している。


(*これまた見事な相関…)

Dincerと彼の同僚はその結果を彼ら自身の研究の中で「経済的自由と一人あたり所得との間に正の関係があることを発見した以前の研究を支持している」と報告している。去年の11月に、ミシシッピ州立大学の経済学者Travis WisemanはFraser Economic Freedom of North America indexの1ポイントの増加が97万円の実質市場所得の増加と関連していることを発見した(他の条件が同じとして)。

Dincerの研究で最も警鐘的なのは「高い所得格差が経済的自由度を低下させる再分配政策を州に実施させるかもしれないことを示唆している。経済的自由度が低下すると所得格差はさらに拡大する。言い換えると、再分配と所得格差の拡大という悪循環に州が入り込むことは極めて起こりうるということだ」。悲しいことにFraserの経済的自由度は2000年以降多くの州で低下している。
What about Asia?

Scott Sumner

Thomas Pikettyの本は資産格差を主題としているが彼は他の色々な話題に関しても自身の持論を展開している。その持論のほとんどは左翼的なもので、私の見たところではほとんどが間違っている。ここにその一例がある。

「現代の再分配政策は、20世紀の豊かな国々が確立した社会的地位によって例証されるように、幾つかの基本的な社会的権利に基づいている。その例は教育、健康、老後の生活の保障などだ。(税と政府によって賄われる)統治の機能が国民所得の僅か10%から20%にまで削減されるような時代への回帰を真剣に模索するような大きな動きもなければ重要な政治的動きも存在しない」。

ここで言及されている豊かな国々というのが「ヨーロッパ」のことを意味しているのか単に文字通りの意味なのかははっきりとしない。もしヨーロッパのことを指しているのであれば、彼の言うことはその意味では正しいだろう。だがここでは彼はすべての豊かな国々を指しているのは明らかだ。彼の持論に一貫して顕著に見られる特徴として、彼は所謂「4つの虎」と呼ばれる国々のことを完全に無視しているということが挙げられる。この4か国は近年で最も成功した経済の一つだ。ここにその4か国の税と政府支出のGDP比を示したデータがある。

フランス 44.2% 56.1%

香港 14.2% 18.5%

シンガポール 13.8% 17.1%

台湾 8.8% 22.6%

韓国 25.9% 30.2%

*左の数字が税収がGDPに占める割合で右の数字が政府支出がGDPに占める割合

これら4か国のうち3か国は統治の機能を「君主制」の水準にまで削減しているように思われる(4か国とも皆保険を持っているのではあるが)。そしてこの3か国はフランスよりも顕著に豊かだ(不思議なことにこの3か国だけという点でも一致している)。

4か国のうち2か国はフランスよりも平均寿命が長い。他の2か国も僅かに下回っているだけだ。これら4か国すべてが国際的なテストでフランスよりも得点が高い(これはミスリーディングだと私は考えているが)。

これら4か国の生活の質がフランスよりも高いと主張しようとしているのではない。実際、私はその逆だと思っている。これらの国々は大きな不利を抱えている。これらは最近豊かになったばかりで人口密度が高い。これらの要素は住宅の質を低め渋滞を発生させる。これらの国々は本質的にフランスと同じ問題に苦しめられている。

そしてフランスの一人当たりGDPはもう数十年間もアメリカから急速に引き離されていっているということも指摘する必要がある。2013年ではアメリカの一人当たりGDPの67.4%の水準に過ぎない。さらに重要なことに、今後もさらに引き離されていくだろうということがほぼ確定している。Pikettyは一人あたりGDPはすべての先進国でほぼ等しいと(ほとんどすべての経済学者が否定するようなことを)繰り返し主張している。それはアフリカ系アメリカ人の所得が平均で見てすべてのアメリカ人と等しいと考える人がいるのであればその人の中では正しいのだろうと考える。

フランスがアメリカから遅れを取っていっている一方で、この4か国はアメリカよりも高い成長率を見せてもいる。これはサプライサイドの要因ではありえないのだろう。何故ならば彼はサプライサイドの政策は機能しないと(証拠もないのに)断言しているからだ。我々はサッチャー首相の改革はイギリスの成長率を高めてはいないと(洗脳かのように)何度も繰り返し聞かされてきた。1980年以前のイギリスはフランスやドイツよりも成長率が低くその後の25年間ではそれらの国々よりも成長率が高かったというのにだ。

もちろんGDPよりも大事なものはある。フランスがそれなりに豊かな暮らしをしているというのも事実だろう。この記事は実際にはフランスに関するものではない。むしろPikettyの無知を糾弾するためのものだ。彼の本を読んだ人が得る感想とは、彼が台湾、韓国、シンガポールの経済のことを考慮してそれを論理でもって否定したというものではなく、そもそも彼はそれらの国の経済のことをまったく考慮したことがなかったというものだろう。その本はリベラルが好むようにいつもの大きな政府(フランス、スウェーデン)=良い、小さな政府(アメリカ)=悪いという単純な二元論を展開しているに過ぎない。

以下、寄せられたコメント

mbka writes:

この記事を読んでフランスの政治家Raymond Barreの発言が思い出された。「フランスの社会モデルは社会的なものではない。高い失業率を生み出し社会から隔離しているからだ。そしてモデルではない。誰も真似したいと思わないからだ」。

Roger McKinney writes:

Pikettyは経済学のほとんどの分野において、特に彼が専攻したはずの経済史において無知であるように見える。彼のトリックは単純で彼の本に書かれていること以外には事実は何一つ存在しないと人々に思わせるところにある(そういうところは馬鹿を騙すことにしか興味がないかのようなスティグリッツの卑劣なやり方とよく似ている)。