2015年8月12日水曜日

格差研究の専門家の集まりにリベラル派のブロガー(自称専門家)が乗り込んで討論を挑んだその結果 Part7

(理解するための事前知識、雑感、レイノルズの考えと思われるもののまとめと補足)

・ピケッティ&サエズ以外にも所得上位1%の所得シェアを推計しているものがある。
・その代表的なものがCBOのもので、OECDなどはレイノルズのピケッティ&サエズに対する批判を修正してもなお所得上位1%のシェアが上昇していることを示したものとしてCBOを挙げるほどだった。
・CBOの方は確かに政府からの移転が含まれていない、所得が40年以上増加していないことになっているなどの問題が(部分的に)修正されている。
・ピケッティ&サエズのものは信用していなくてもCBOのものは信用しているという経済学者は多い。
・だが今度は、企業の利益が何故か所得上位1%の所得に含められることになってしまった。
・その上、企業の利益のどのぐらいが所得上位1%の所得とするのかに際しても、すでにある資産上位1%の資産シェアの推計(33%)を用いるのではなく、59%という極めて高い数字を用いている。
・資産格差は長い間拡大していない(先程の例では33%ぐらいのまま)というのがコンセンサスであるにも関わらず、CBOは勝手に資産格差が39%から59%になったかのような計算を行ったに等しい。
・その59%を33%にして所得上位1%の所得シェアを計算し直すと16.3%から11.3%へと低下する。
・これは所得上位1%のシェアが約30年間の間にむしろ低下していることを示す。
・そもそも、その33%というのも年金などの社会保障費を除いた場合のシェアでそれらを含めれば33%から大きく低下する。
・ちなみに、他の国の所得上位1%の所得シェアの推計では当然のようにゼロ%として計算されている…

Errors about CBO Errors

Alan Reynolds

CBOが企業利益を(富裕層の)所得に配分していることを批判したWall Street Journalの記事には分かり難い点があったのかもしれない。何故ならThomaや恐らくBurtlessにも我々の主張が理解されていないからだ。

国民所得統計では個人の資本所得(個人所得に含まれる)と企業の留保利益(国民所得に含まれる)は区別される。この区別はCBOのものを除いてPiketty-Saezでもその他すべての所得分布の研究でも見られる。それにも関わらずThomaは法人所得と個人所得の間の区別を単なる意味論上の些細なものかのように扱う。彼は「自分は資本所得という用語が用いられるのを好まないし話題が所得上位1%のアメリカ人のことであっても代わりに「企業利益」という用語が用いられれば良いのにと思う。いいでしょう。好きなように呼べばいい。結論が変わることはない」と記している。その真逆に、下の表はCBOの誤った代理指標を連邦準備制度の資産統計に単に置き換えるだけでCBOの2004の所得上位1%の(課税前)所得シェアの推計は16.3%から11.3%へと低下し見掛け上は上昇だったものが下降へと転じることを示している。

CBOは企業利益を家計に割り当てている唯一の機関だ。彼らは法人所得税(法人税)の負担を誰がどのぐらい負担するのかを推計しようとするがためにこのようなことを行っている。だがそのためには(今度は)法人税の負担に関する理論を採用する必要に迫られる。

そこでCBOによって選ばれたのが1962の理論だ。この理論は閉鎖経済の仮定に基づいておりそして法人税が労働者や消費者にまったく転嫁されないと仮定している。法人税は(株の保有者や課税対象となる投資を行った者だけではなく)資本全般の保有者によって負担されると仮定している。この古い理論は現在では数え切れないほどの批判を浴びている。それには労働者が法人税の74%を負担すると推計したCBOのエコノミストWilliam Randolph(それにCBO自身)も含まれる。

だがReynolds-Hendersonの分析を理解するのに重要なのはCBOの法人税の負担に関する理論は法人税が資本からの所得に応じて負担されるということを示唆していないということにある。資本所得を資産分布の代理指標として用いることは単なる統計学上の短縮作業だ。Reynolds-Hendersonで説明しているように課税対象となる資本所得を所得上位1%の資産シェアの迂回的な代理指標として用いることはCBOにとって致命的な誤りだ。その上、遥かに優れた資産分布の直接的な推計が存在する。

Thomasは、「所得上位1%の資産保有は大きく増加した。それ故、誤配分は非常に大きなものにはなり得ないように思われる」と語っている。彼が引用したのとまったく同じ資産データを用いて我々は誤配分が非常に巨額であることを示した。我々は、「Kennickell(中略)は資産上位1%の資産シェアが1995の34.6%から2004の33.4%へと少し下降していると結論している。それにも関わらずCBOは同期間に資産シェアが43.2%から59.4%へと上昇したと語っている」と書いた。

Thomaは、「彼が引用した39%から59%への上昇は何も意味していない。それは単に企業利益が所得上位集団に配分された額を示すに過ぎない」と返答している。「単に」とは一体何を言っているのだろう?「単に」企業利益の59%を所得上位1%に加えることが「何も意味していない」などということを説明できる人はいるだろうか?Kennickellの推計(資産シェアの推計としては最も高い数字を示す)と比較してCBOの方法では所得上位1%の所得が2004で25%誇張されている。

Thomaは、「その数字(39%または59%)は資本所得の増加がその集団の実際の資産保有の変化を反映しているかどうかに関して何も語っていない」と続ける。それはCBOに対してすべき議論であって私に対してではない。CBOの負担理論によると資産保有はまさにそれらの数字が反映していると仮定されているものだ。39%と59%という数字は過去と現在において企業利益が所得上位1%に割り当てられた割合を反映している。Thomaは信じているようだがそれは所得上位1%の「資本所得」ではない。その真逆に、利子、配当、納税者が申告したキャピタル・ゲインの上にさらに加えられる。Reynolds and Hendersonのグラフが示すようにそれがCBOの所得上位1%の平均所得の推計がPiketty and Saez(企業利益が含まれていない)のものよりも遥かに高い理由だ。

下の表は個人所得と法人所得を合わせた所得上位1%の(課税前)所得シェアがCBOの誤った代理指標をKennickelの資産シェアの直接的な推計に置き換えた後にどのように変化するかを示している。この一つの誤りを修正するだけで所得上位1%の(課税前)所得シェアは1989の12.5%から2004の16.3%へと最早上昇するのではなく1989の11.8%から2004の11.3%へとむしろ下降する。

CBOが所得上位1%によって負担される法人税の割合を推計するには彼らはまず(企業資産や課税対象となる資産だけではなく)所得上位1%がすべての資産に占める割合を推計しなければならない。これを行うために彼らは「資本所得」(課税対象となる投資から得られる所得)の割合を(それらの資産が課税対象となるかどうかに関係なく)資産全般の分布の代理指標としている。彼ら自身の言葉で、「CBOは法人所得税は利子、配当、キャピタル・ゲイン、賃料からの(納税申告書に記載された)所得に応じて資本の保有者によって負担されると仮定している」とCBOは説明している。

CBOは所得統計上からは不可視のしかも増大している中間納税者の所得をまったく把握できていない。だが(Thomaが信じているのとは異なり)そのことは我々が最も強調したい点ではない。我々が最も強調したい点はこのことが(CBOが)所得上位1%の平均所得の水準とトレンドを大きく誇張する原因になっているということだ。それは企業利益(資本所得ではない)を所得上位集団に割り当てる方法が意味不明であることに依る。

Thomaは、「主に目に付くことと言えばReynoldsが自分の主張を支持するためにミスリーディングな統計をどのように用いているかということだ。「CBOは所得上位1%の所得に1989では企業利益の39%を2004では59%を加えている。それにより完全に人工的な所得上位1%の所得シェアの上昇を捏造している」は、まったくそうではないというのに上昇のすべては誤配分の反映だと示唆している。重要なのは集団間の資産保有の変化に対応する39%から59%への変化だ」と語っている。このコメントは(人語としては)ほとんど理解不可能だがなんとかやってみよう。CBOは所得上位1%が今では資産の59%を保有していると仮定している。定義によりこれは「対応する(中略)集団間の資産保有」を意味するのでなければならない。それが59%が意味するものだ(ここまでは理解できただろうか?)。だが現実にはその59%という数字は所得上位1%の課税対象となる資本所得の見掛け上の割合から求められている。何故ならCBOは資産保有の推計を(課税対象とならない資産の保有となるとさらに)行っていない上に、連邦準備制度の推計を用いないということを選んだからだ。Thomaとは(当然)異なりCBOは間違いなく企業利益と配当、キャピタル・ゲイン、利子、賃料から生じる個人所得とを混同していない。CBOは配当、キャピタル・ゲイン、賃料から生じる個人所得を資産全般の所有の代理指標として用いている。Reynolds-Hendersonの記事の主題はCBOの方法が完全に不適切であることを示すことそしてその理由を説明することだ。

Thomaの最後の投稿は単一の指標で完全なものはないということに言及している。だから私は可処分所得、消費、賃金、資産など数多くの種類の格差の指標を提示しさらにデータの問題(1986や1993のようなデータの構造変化)に関しても議論していた。さらに本の14~20ページで私はジニ係数の問題点に関しても(単にジニ係数を示すのではなく各所得階層毎の(統計局やCBOの)実質所得のデータを表示することにより)議論している。

Thomaは1988以降の何か(所得?)の格差の拡大は「多くの異なる方法で文書化されている」と主張している。だが私は彼が以前言及したような資料(Ben Bernankeが典型的だが)が何故誤りなのかを説明した。彼は「圧倒的な数の証拠がある」とまで主張している。だがそれがどのようなものでどこにあるのかは一度も説明したことがない。彼は政府が国民所得の利潤分配率を過小に推計していると考えているようだ。だが利潤分配率の低さは1960年代のような好況期ではなく1982のような不況期と関連している。所得上位1%のシェアも1920以降のすべての不況期に低下している。だがそれは「格差を縮小させた」ので不況が労働者にとって好ましいということを示したのでは決してない。

格差研究の専門家の集まりにリベラル派のブロガー(自称専門家)が乗り込んで討論を挑んだその結果 Part6

Additional Reflections

Richard Burkhauser

Mark Thomaの最後の投稿から1980年代以降アメリカの所得格差が拡大していることを見出すことは困難というReynolds、Burtless、Burkhauserのコンセンサスに彼は向かっているように思われる。口に出しては言わないものの以前の景気循環期(1979から1989)よりも直近の景気循環期(1989から2000)で経済成長による所得の増加がより均等であるという私の意見に彼が向かっているのも明らかなように思われる。

Thomaは、所得格差の代替的な指標を用いそして所得上位に関してデータが制約されている状況から所得分布全体の形状に関して特定の仮定を行うことにより不完全なデータから所得分布全体の情報を抽出するのに苦労している論文を引用している。彼は所得分布の上位での外れ値によりそのような影響が発生すると記している。従って彼は風がどちらの方に吹いているのかを知るには時々は気象予報士(または少なくとも彼らのうちの幾人かの言うことを注意深く聞く必要がある)を必要とするということにようやく気が付いたように思われる(歌の歌詞をもじった強烈な皮肉)。

だがこの所得分布の上位(所得上位1%または2%)をどのように把握するかの研究は未だに途上にあるということに同意するのではなく彼はそれまでの文脈から突然離れて、「研究者がこれらを注意深く行い証拠を客観的に評価した時には、幾つかの例外を除いて、所得格差が近年に拡大していると彼らは結論している」と非常に摩訶不思議で非論理的な結論に飛びついてしまう。

Thomaが引用した論文にはそのようなことは書かれていない。むしろその論文では彼がしたような解釈をすることの難しさそして格差が拡大したという主張が所得分布の上位の外れ値に対して敏感であることが警告されている。その論文ではイギリスのデータが用いられているものの同様の問題はCPSのデータを用いても見られるであろうしこの討論で我々が議論してきた他のデータにも見られるかもしれないと私は思っている。それがCPSのデータを用いた所得格差の研究の大部分が外れ値の問題を避けるために「トリミング」またはトップコーディングに変更が行われなかったと仮定した場合のデータを用いる理由だ。所得上位の1%または2%がどうなっているかを知ることは難しい作業で何か確定的なことを言う前に為されるべきことであり続けている(その後のBurkhauserの動向は以前書いた通り)。

格差研究の専門家の集まりにリベラル派のブロガー(自称専門家)が乗り込んで討論を挑んだその結果 Part5

Mean vs. Median Income

Alan Reynolds

私は1986から1988以降「アメリカ全体で」可処分所得または消費の格差にほとんど変化がないことを示す証拠を提示してこの討論を開始させた。その中でもユニークな証拠の一つ(連邦準備の非常に綿密な調査であるSurvey of Consumer Financesから各所得階層と各所得分位毎の中央所得の増加率を比較したもの)には何のコメントも寄せられなかった。その代わりにジニ係数を重視していると思われる2人のコメンテーターは所得上位と所得下位の平均所得または平均賃金を僅か2年のものだけ比較している。

Burtlessはデータの質に幾らかの問題があると指摘したが(既に私が反論した)消費格差が長期間ほとんど変化していないという私の指摘に誰も異議を唱えていない。

2005のConsumer Expenditure Survey(CES)では(所得の)第5分位は総消費の8.2%を占めていて第1分位は39%を占めている。だが第5分位には1「消費単位」あたり1.7人と0.5人の労働者しかいない。それに対して第1分位は1消費単位あたり3.2人と2.1人の労働者がいる。一人あたり消費または一労働者あたり消費は消費シェアが示唆するよりも遥かに平等で消費シェアも所得シェアよりも遥かに平等だ(特に税と移転支払いを除外した時には)。

可処分所得の格差はどうか?Burtlessの最初のエッセイでは、「包括的な所得の定義で見れば1989以降統計局のヘッドラインの数字が示唆するよりも格差の拡大は小さくいや恐らくは遥かに小さくなるだろう」と書かれている。同様にBurkhauserは、「1989以降所得格差はほんの僅かしか拡大していない」と結論している。事実1993の一度限りの急上昇を除いて1983以降所得分布の99%に関して彼は「所得格差が驚くほど僅かしか拡大していない」ことを発見している。Bernankeは可処分所得に触れているが1979から始めておりしかも間違ったデータを用いている。ThomaにいたってはBurkhauserや私が提示した所得分布統計のどれ一つとっても意味すら分かっていない。では一体何処に意見の相違があるのか?

総所得または労働所得(「賃金」)に関する論争の残りは人口全体ではなく人口の一部(1%から10%)に狭められるように思われる。だが所得上位1%から10%の所得の増加が中間層の可処分所得に大きな影響を与えるというのであればそれはジニ係数の上昇として表れるだろう。私が図で示したようにそのようなことは起こっていない。

CBOが所得上位1%の可処分所得を推計するのに(Piketty and Saezは可処分所得を推計していない)所得税のデータを間違って使用していることにHendersonと私が異議を唱えている主な理由が未だに大きく誤解されている。私は別の所でこの誤解と資産格差に関するThomaの懸念を取り扱おうと思う。

この評論ではまず90/10比(所得上位10%の平均所得または平均賃金と所得下位10%の平均所得または平均賃金との比率)を取り扱うことから始める。この種の計算では人口の80%が除外されているし大抵は移転支払いや税も除外されているので私が言及したこと(「アメリカの人口全体」の可処分所得の格差)とは関連を持たない。それにも関わらず90/10比が課税前所得または賃金の格差が拡大したことの証拠として提示された。だがデータは詳細に見る必要がある。

Krueger and Perriは90/10比が「トップコーディングの変更によって影響されないという望ましい性質を持つ」と書いている。CESを用いて彼らは「90/10比が1989の約5から2003の約6へと上昇している」と結論している。だがCurrent Population Survey(CPS)の内部データを調査した後にBurkhauser, Feng and Jenkinsは一般公開向けのCPSに基づく90/10比はトップコーディングによって深刻な影響を受けることを発見している。それはCESのデータに関しても真だろう。例えば2004の一般公開向けのCESでは(1ドル=100円として)1500万円以上の賃金所得がトップコーディングされている。そしてそれより高い賃金はその閾値以上の賃金をすべて平均してそれによって置き換えられる。

所得を推計するのに消費調査を用いることには他の問題もある。サンプルサイズが小さい(7500)ことにより回答者が所得を申告することを拒否するまたは無視するという問題がより深刻になる。回答者が例え一つでも所得源に値を記入していればデータに所得が含まれる。だが多くの人は他にも申告されることのない1つ以上の所得源を持っている(貯蓄または移転支払いなど)。

Burtlessは95/50比(フルタイム労働者、パートタイム労働者を問わず賃金上位5%と中央賃金との2年の変化)を賃金だけに用いている。彼は、「1988(Reynoldsの好む基準年)には時間あたり賃金の中央値は1320円(2005のドルで見て)だった。2005までにはそれが1429円へと8.3%増加した。同じ期間に賃金上位5%の賃金は20.3%増加している」と書いている。

私は「好みの基準年」などと言った覚えはない。それとは逆に私はそのような2年の比較に強く抗議してきた。何故ならどの年にどのような変化が起こったかがまったく分からないからだ。もう何度繰り返したかも分からないがまだ理解していないようなので敢えてもう一度言う。1993にCPSが定義に高額所得をより多く含めるようになりその結果として所得上位5%の所得シェアは急激に上昇した。同じ問題がBurtlessがEconomic Policy Institute (EPI)から引用している「時間あたり賃金の棄却値」に影響している。何故ならそれらの推計値は「CPSの賃金データを基にした筆者による分析」に基づいているからだ。これはThomaが引用したJanet Yellenが頼りにしているのと同じデータでもある。

EPIの95/50比は1985から1993まで2.6から変化していない。それが2.8へと2年間で突然に急上昇している。EPIが他の所では説明しているように、「1993の調査方法の変更により見掛けの格差が急上昇した」。95/50比はそれ以降は2.8から2.9の間を行ったり来たりしている。Burtlessのように1988と2005だけを比較するのではその比率が1994の前と1995の後で変化していないということがまったく分からない(というより故意に思えてくる)。

Krueger and Perriの所得に対する90/10比とは異なりEPIの賃金に対する90/10比は1986以降継続した上昇など見せていない。EPIの90/10比は1986以降4.3と4.4の間を狭い範囲で変動している。1992から1994のCPSの変更とそれ以降に4.5に2回タッチすることはあったが。1994以降の上昇はEPIが記しているように、「1994の調査方法の変更により低所得労働者の見掛けの所得が低下することになった」ことが原因だ。どちらにしてもこの比率は1987には4.4で2004でも4.4だ。だから私だってやろうと思えばこれを用いて2年ゲームを出来るしそして1987以降格差が拡大していないことを完全に証明したと言うことだって出来る。

BurtlessのEPIの表へのリンクをクリックして1987から2005の期間に賃金の90/10比に顕著で継続したトレンドが見られないことを自分で確認するといい。Krueger and PerriのCESのデータが所得(賃金だけでなく)の90/10比の上昇を示しているというならばそのような結果の違いは低所得層の消費は賃金というより未計上の移転支払いによって主にファイナンスされているからだと思われる。

EPIの推計には賃金上位5%から10%の平均賃金は記されていない。それを定義する「棄却値」または最小閾値が記されているだけだ。例えば2005では4170円以上が賃金上位5%となる。その数字はBurtlessが記しているように1988からは20.3%増加している。だがその棄却値または閾値は上側から引き上げられたものではない(EPIは1万円以上の賃金を除外している)。下側から押し上げられたものだ。

Third Way(リベラル派のシンクタンク)は、「1979から2005の期間に所得が1000万円以上の世帯の割合は12.7%ポイント増加し一方で所得が300万円から750万円の世帯の割合は13.3%ポイント減少した」と記している。その「豊かな」世帯の割合の大幅な上昇は所得上位5%の平均に含まれ続けるためにはかつてよりもより高い所得が必要とされるということをよく物語っている。多くの人がEPIの閾値より上に下側から雪崩れ込んできたので閾値は上昇する。閾値は高い所得を稼ぐ労働者の割合の上昇により押し上げられる。そして高くなった閾値の所得の平均にはかつては含まれていた3600円から4000円は最早含まれないので高くなった閾値以上の所得の平均は上昇せざるを得なくなる。私は本の中でこれを「閾値の錯覚」と呼び以下のように説明している。

「所得上位5%、10%または20%の平均所得の上昇は所得の増加がその所得上位集団だけに限られているのだと頻繁に勘違いされている。実際は、上昇している閾値を下回る人々の所得の増加こそが以前は所得上位集団だったはずの所得を所得上位集団の定義から外れさせている。所得上位集団の平均所得は僅かの高額所得者(外れ値)によって引き上げられることもある。だが平均所得は下側から閾値を超えてくる人の数の増加によっても押し上げられる(かつては「中間層」と見做されていた所得を離れて「富裕層の仲間入り」をすることにより)」。

我々が議論する際に用いる所得分布データのほとんどで(ジニ係数であれ所得分位または所得階層毎の所得シェアであれ)所得上位集団の所得は平均で記述される。ある特定の閾値より上の所得をすべて足し合わせてそれを世帯数、納税者数または消費単位で割る。総所得に対してもそうであるようにこの場合においても平均はミスリードをする。

New York magazineの2004のManhattanの所得の調査では102億円を稼いだ有名なヘッジファンドマネージャーが特定されている。その同じ年に統計局は世帯の所得上位5%を所得が1571万円以上の人すべてと定義している。1571万円以上の所得と102億円を混ぜ合わせてその合計を世帯数(1億1314万6000)で割ると2643万円というごちゃ混ぜの「平均」が生み出される。だがそのような「平均」からは570万の世帯の標準的な所得のことは何も分からない。

所得の天井(閾値)による制約を受ける他の所得階層の平均とは異なり所得上位1%から10%の平均所得は僅かの外れ値によって大きく歪められる。下の表は下から4つの所得分位で平均所得と中央所得がほとんど同一であることを示している。だが所得上位10%では平均所得は中央所得よりも64%から66%高い。最後の列(私が1月11日に行ったプレゼンテーションの図7の基になったもの)は1989から2004の期間に所得上位10%の実質中央所得が20.7%増加したことを示している(税引き前で)。だが現物移転を除外してあるというのに下から2つの所得分位の実質中央所得もまた20%から21%増加している。

それより下の所得分位とは異なり所得上位10%では1989から2004の期間の実質所得の増加は平均所得の方が(18.5%)中央所得の方よりも(20.7%)小さい。もし仮に所得上位1%の所得の増加がPiketty and SaezまたはCBOの言うように凄まじいまでに大きいというのであれば所得上位10%の平均所得は平均所得(*明らかに中央所得の誤植だと思われる)よりも比較にならないほど速く増加するはずだろう(その逆ではなく)。

2004の全世帯の中央所得はSCFによると432万円で平均所得は707万円だ。平均所得が「平均的な」世帯の所得を表していると私が言ったらそれは極めてミスリーディングだと皆が責め立てるだろう。私は(所得上位10%の)平均所得が所得上位10%の「平均的な世帯」を表しているというのも同様にミスリーディングだと議論している。何か変なことを言っているだろうか?

所得上位5%の所得シェアやジニ係数を平均所得を用いて推計するという経済学会の慣習に従っているだけだというのに平均所得の使用は所得上位の一般的な所得水準を誇張してしまうだろう。

だがその平均所得を用いてでさえも可処分所得の格差が顕著に一貫して拡大したという証拠が示されたことはない。1993のセンサスの改訂と1986の税制改革による急上昇の影響は現れたままだ。だがそれだけだ。単に私が正しいだけということを熟考した者はいないのだろうか?

格差研究の専門家の集まりにリベラル派のブロガー(自称専門家)が乗り込んで討論を挑んだその結果 Part4

Sometimes You Do Need to Be a Weatherman to Know Which Way the Wind Is Blowing

Richard Burkhauser

エッセイストのレトリックの巧みさ?と彼らが自分達の意見を支持するものだとして並べる科学的証拠の深さとにはよく反比例の関係が見られることに私は驚かされる。私はMark Thomaがこの討論の中でレトリックの水準だけを一人高めたことには高い点数を与えようと思う。

レトリックの水準を高めることよりも私が図6で示した新たな証拠を認めることは彼にとってはもっと有益なことかもしれないと思われる。図6は一般公開向けCPSとCPSの内部データ両方でトップコーディングの変更と内部検閲の変更が格差のトレンドを大幅に誇張していることを示している。すなわちそれらは一貫してトップコードされていたと仮定した場合のトレンドと比較して遥かに高い。

労働所得と所得格差の研究の分野で標準的なこの方法はこれまた標準的なジニ係数で見ると所得分布の99%で1989以降所得格差は少ししか拡大していないということが示されている。そしてその拡大のほとんどは1993の内部CPSデータや1996の一般公開向けのCPSデータに現れているようにセンサスのデータ収集過程における変更が原因だろう。

しかもさらに良いニュースがある。多数という訳ではないがそれでも所得分布のかなりの割合で所得が減少した1980年代の景気循環期とは異なり(図2)1990年代の景気循環期(1989から2000)では所得分布のすべての部分で所得が増加している。2000の所得分布はすべての箇所が1989の所得分布を実質で見て上回っている。

このようなことはドイツや日本では起こっていない。累進度を増加させようとする試みにも関わらず1990年代の景気循環期に於いてこれら2つの国で所得格差はアメリカよりも拡大した。この事実はThomaや他の再分配政策の支持者たちに対する警鐘として受け止められるべきだ。

ReynoldsとBurtlessに対しては所得分布の99%に関して私の意見と彼らの意見との間に基本的にはほとんど違いがないというこれまでの見解を維持し続けるだろう。そして過去25年間に格差がどれぐらい変化したのかに関する私達の意見の相違はデータに関して私達が話していることが示唆するよりも小さいとこれからも考えるだろう。だがそれを確実にはっきりさせるには細かい所まで詳細に検討する必要がある。だがそれも驚くべきことではない。この手の詳細な検討は不完全なデータを取り扱っている注意深い研究には求められるものだ。

Burtlessは彼の持論の中で1979から1994(好況期の開始時点)と1994から2004とのデータの構造変化を強く強調している。だが図6の私の解釈(特に最も考慮に値すると私が考えるトップコーディングに変更がなかったと仮定した場合の内部ジニ係数の値)は格差が1979から1983の期間に劇的に拡大しその後はほとんど変化していないことを示している。これは些細な観察事実ではない。1979から1983はアメリカにとって困難な時だった。その時期は二桁のインフレ率が何年か続くことから始まって大恐慌以来最も深刻な不況で終わった時だった。

私の意見としてはこれはケインズ政策を採用した失敗とスタグフレーションのために我々が支払う羽目になった代償だと思う。だがこのマクロ経済の暗黒期はケインズ経済学の考えに基づく連邦政府のマクロ政策に終わりをもたらしたという意味では幸いでもあった。レーガン政権はその後のすべての大統領に継承されている一連のマクロ経済政策を実行に移した。それは民主党であっても共和党であっても変わらない。彼らが指名したFRBの議長はインフレターゲットに主に注力している。そして連邦政府は徐々にではあるが自由市場にその力を発揮させることを許すようになった。

それ以降の所得格差はどうなっているのか?図6の私の解釈では1983から1992の期間に所得格差にほとんど変化は見られない。その後に1992から1993に急上昇があった。これはセンサスのデータ収集方法に変更が加えられたためだ。1993から2004の期間にトップコーディングに変更が加えられなかったと仮定した場合の内部のCPSデータには所得格差に何の変化も見られない。従って所得分布の99%ではほんの僅かの所得格差の拡大しか見られない。

所得格差の縮小もないではないかと文句をいう人もいるかもしれない。1983以降(ケインズ政策のせいで)それ以前と比べてアメリカはほとんど変化はなかったものの大幅に高くなった所得格差の水準を経験することになった。だが過去20年間に関しては(少なくとも所得分布の99%では)すべての人の所得が増加しその上で所得格差もほとんど拡大しなかった。

では一体あの人達は何を騒いでいるのか?私には良く分からない。所得上位1%に関してはどうか?ここではReynoldsとBurtlessの意見が強く別れる。Reynoldsは所得上位1%を含んでも1988以降所得格差に大きな拡大はないと考えている。Burtlessはその逆のことを主張している。私には今の所はどちらが正しいのか確信が持てない。だがThomaが間違えているということははっきりと確信している。どちらの議論にもまだ懐疑的でいるのが今の所は妥当かもしれない(*このように語っていたRichard Burkhauserだがこれ以降所得格差が拡大した派を批判する論文をトップジャーナルに載せまくるのだった…)。

格差研究の専門家の集まりにリベラル派のブロガー(自称専門家)が乗り込んで討論を挑んだその結果 Part3

Why Change the Subject?

Alan Reynolds

Gary Burtlessは「経済学者が好む格差の指標はジニ係数だ」と正しく指摘している。それなのに「統計局の標準的な所得の定義には現物給付とキャピタル・ゲインが含まれていない、そして所得税と給与税の影響を無視している」と述べている。それこそが私が統計局の「可処分所得」のジニ係数(移転支払いとキャピタル・ゲインによる課税所得を加え、所得税と給与税を差し引いたもの)を25年間分示した理由だ。

私が25年間分のデータを示すのではなくBurtless、Bernanke、Piketty and Saezやその他の人が今もやっているように2年間だけのデータを示したのだとしよう。それならば私は可処分所得のジニ係数は1986の0.41から2004の0.40へと低下し所得格差は20年間に低下したのだということさえ出来る。またはジニ係数は1985の0.39から2004の0.40へと上昇し所得格差は拡大したと言うことも出来るだろう。たった2年のデータを示すだけでは何も言うことが出来ないしその間に想像上の線を引くことも出来ない(してはならない)。

過去25年間分のジニ係数は可処分所得の格差が1988以降または1985からさえも顕著かつ継続的に上昇していないことを示している。Thomaは「ジニ係数の証拠はレイノルズが我々に信じさせようとしているのとは違って所得格差の上昇の反論にはならない」と主張する。驚くべきことに彼は資産のジニ係数のみに言及している(所得が重要ではないかのように)。すべての所得統計を無視した後で彼は私を「証拠を不完全に提示している」とか「議論を曖昧にしようと試みている」と非難している。

Thomaは「トップコーディングの話はどうなっているのか?レイノルズはそれに対して回答を持っているのか?」と尋ねている。私の回答は(彼は決して言及しようとしないが)1993の(誤った名称ではあるが)「トップコーディング」の増加により高額所得が正確に把握されるようになっただけだというのにまるで所得格差が急激に拡大したかのように人々を錯覚させただけというのは既に述べているはずだ。私はEconomic Policy Instituteが「1993の調査方法の変更により見掛け上の所得格差が急激に上昇した」ということをきちんと記述していることを好ましく思っていたし他の人達にもこの程度の誠実性ぐらいは期待できるのではとナイーブにも考えていた。Burkhauserが説明しているように、「Burtlessがしているような2つのジニ係数の値の単純な比較では1989以降所得格差の拡大を大きく過大評価してしまう」というのはこういう理由だ。Burtlessは(自分が批判しているというのに)「ヘッドライン」のジニ係数にしか言及していないしそれも1989と2005の2年間のジニ係数だけだ。

Ben Bernanke

ThomaはBen Bernankeが「所得格差の拡大は(中略)少なくとも30年間に渡って続いている」と言っているのを引用している。だがBernankeもまた1979と2004の2年間のデータしか示していない。(彼が引用した)深刻な欠陥を抱えている所得データの中でさえも(1993の調査方法の変更を除いて)所得格差の拡大はすべて1979と1985の間に起こっている。所得分布の第五分位と第一分位の世帯が受け取った所得のシェアとして彼が引用したデータは(彼が主張するような)「課税後移転後」のものではない。彼が引用した数字は(彼が信じているのとは異なり)可処分所得ではなく「post-social insurance income」(貧困対策プログラムがなく税がなかった場合に所得分布がどのようになっているかを推測したもの)だ。彼が引用している数字には課税対象となるキャピタル・ゲインは含まれているがキャピタル・ゲイン税や他の如何なる税も含まれていない。そしてEITC、TANF、WIC、メディケイド、住宅給付や食料給付などの移転支払いはすべてはっきりと除外されている。

Bernankeは所得格差を大卒と高校中退との間の賃金の差と誤って定義することから始める。それでもBurtlessは賃金格差は「(1967から1999)の所得の乖離の3分の1だけ」を説明するに過ぎないことを発見している。

有名人の発言を引用することは私のグラフを見ることさえ拒む人達にとっては不安を和らげる効果があるのだろう。だが深刻な欠陥を抱えた間違ったデータを基に形成された「専門家の意見」という居心地の良いコンセンサスとやらは良いデータの代替にはなり得ない。

Paul Krugman

Thomaは私の数字4に対するPaul Krugmanの記事に言及している。Piketty-Saezと統計局の所得上位5%の所得シェアの推計の間にある(1ドル=100円として)100兆円の乖離だ。統計局の数字は(私が以前書いたことだが)所得シェアが「1986の18%から2004の20.9%に上昇しているがこれはほとんどが1993の調査方法の変更によるものでPiketty-Saezの数字は1986の22.6%から1988の27%へと急上昇し(中略)2004に31.2%となっている」。Krugmanは2004のこの10.3%ポイントの差を統計局が高額所得を見逃しているためと思い込んでいる。統計局が5億円以上の所得をすべて見逃していたとしてさえもこの差を説明するというには程遠い。私が計算したように「Piketty-Saezの所得上位5%の所得シェアの推計から5億円以上の所得をすべて除外した」としてもそれによって埋まる乖離は1%ポイント以下でしかない。

Krugmanはこの巨大な乖離を隠し(それ自体元々レイノルズが指摘したもの)それによりこの問題を1994以降の変化率の差へと誤魔化そうとしている。彼は「統計局のデータは所得上位5%の所得シェアが1994から2005の期間に21.2%から22.2%へとわずかに上昇したにすぎないことを示している。Piketty-Saezのデータは3.7%上昇したことを示している。賃金データを見た所ではトップコーディングにより見逃された所得がこの期間に2%ポイント増加したことを示唆している」と書いている。

Piketty-Saezの所得上位5%の所得シェアの推計は1986から2004の期間に8.6%ポイント上昇している。図4はその上昇の半分が1986から1988に起こったことを示している。所得上位5%の所得の事業部分が1986の8.8%から15.5%へと上昇した期間だ。Krugmanのパレート内挿は(1)2つの系列の間にある100兆円の乖離(2)Burtlessが説明しているように、「1986の税制改革によりフォーム1040sに直接申告される所得の額が確実に増加した」という事実を議論することを避けるための苦心して作り上げた人々を騙すための痛々しい小細工のように思われる。

The CBO

Thomaが私がDavid Hendersonと一緒になって書いたWall Street Journalの記事にコメントする時は、彼は企業利益から利子所得へと話題を逸らす。彼は我々が「繰延所得は申告されないのでこれらの資産から発生する利子所得の分布は他の資産から発生し申告された利子から帰属される。これが見掛け上の所得分布を所得格差の拡大の方へと歪める」と書いたと勝手に捏造している。驚くことに、我々が書いたこともない彼の入り組んだ?分析の中には「企業利益」という単語は一度も登場しない。企業利益の59.4%が所得上位1%の所得に誤って配分されているということが我々のグラフと記事の最も重要な部分であるにも関わらずだ。CBOは1989では企業利益の39%を所得上位1%の所得に2004では59%を加えている。これにより所得上位1%の所得シェアの上昇を人為的に完全に捏造している。

「CBOは完璧な仕事をしている訳ではないかもしれない」とBurtlessは述べ、「だが少なくとも税負担と純所得を公明正大で一貫した方法で測ろうと試みている」と擁護している。何かを試みることは何かを達成することと同じではない。CBOの1987以前には申告されていなかった(税が控除された)利子を含めようとする試みと課税対象となる(IRAsの外部の)キャピタル・ゲインのみを含めようとする試み、そして企業利益を擁護不可能な技法を用いて配分しようとする試みのせいでCBOのデータは(余計なことをしない場合と比べて)遥かに悪いものとなっている。

Piketty and Saez

私は私のWall Street Journalの記事に対するPiketty and Saezの返答に何処か他の場所で詳細に反論する予定でいる。今のところは彼らの返答に関して他の人が触れた部分に答えようと思う。

Piketty and Saezは私が彼らを誤って引用したとか私の統計に一つでも誤りがあるとかいうことを示唆していない。彼らの私に対する返答が正しければ彼らが過去に書いてきたことのほとんどが間違いだったことになる。

例えば、現在の彼らは課税所得の弾力性(ETI)は一時的な現象に過ぎないという「形成されつつあるコンセンサス」があると主張している。その反対に最近(1999から2004)の恒久的なETIの推計はAuten and Carrollが0.57、Gruber and Saezが0.40、Kopczukが0.53、Saez自身が0.62だ。Piketty and Saezは経営者の給与に関するGoolsbeeの2000の論文(ストックオプションを付与された時と行使された時で2重にカウントしている)がSaezの2004の論文より優れていると主張している。だがEissa and Giertzは「経営者に関して、我々は1990年代初頭の恒久的課税所得の弾力性が(予想効果なしで)0.8であることを発見した」と報告している。

Piketty and Saezの返答が1月11日のWall Street Journalのレターセクションに届いた時には、彼らは以前にはしていた「401(k)sに関する小さな点も概念的に誤解されている」というコメントを意図的に削除している。図3はそれが小さな点ではないことを示している。Reynolds-Hendersonの記事はそれが誤解ではないことを証明した。

Piketty and Saezは「所得上位1%の世帯の所得シェアは1980の8%から2004の16%へと2倍になった」と言っている。言うまでもなく彼らのデータは課税単位に基づくもので世帯に基づくものではない。各々が500万円稼いでいる既婚の男女は1課税単位では、同じぐらいの所得の未婚のカップルの2倍の所得があるとして記録される。1980から2004の期間の所得上位の所得シェアの上昇の半分は1986から1987のわずか2年の間に起こっている。そして1986以降の見掛けの上昇のすべてはCatoの論文の中でそして図1と図2の中でさえも完全に説明されている。

彼らのデータからは税と移転が除外されているというのに彼らは、「2001以降の富裕層に対する税率の引き下げにより可処分所得の格差が必然的に拡大した」と大胆にも主張している。CBOの推計は彼らの主張とは真逆が真実であることを示している。

Brad DeLongはPiketty and Saezの返答の中で最も大事な部分を抜き出している。彼らは企業家が法人税から所得税への申告へと切り替えたならば(Saezによって示された「シナリオ」)所得上位1%の事業所得の増加と同時にキャピタル・ゲインの減少も観察されるはずだと示唆している。それがどうかしたのか?

図2はキャピタル・ゲインが富裕層の所得に占めるシェアが実際に1986から1988の期間に劇的に減少したことを示している。事業からの所得のシェアが急上昇した時にだ。だが事業所得の増加がキャピタル・ゲインの減少を遥かに上回っているので所得シェアを押し上げる結果となっている。1993に所得税の税率が引き下げられた後で事業所得のシェアが上昇するのが(一旦)止まった以降にキャピタル・ゲイン税額が増加している。だがこれは1997にキャピタル・ゲイン税率が引き下げられたのが最大の理由だ。税率が事業所得、キャピタル・ゲイン、配当に対して同時に引き下げられた時にこれらの所得源からの所得上位1%の所得は急増加し給与部分は低下している。それなのにPiketty and Saezはどんどん小さくなる給与部分に焦点を絞っている。何が起こったのかを知る唯一の方法はわずか2年のデータではなくすべてのデータを明らかにすることだ。所得上位の所得源のシェアの変遷のデータは彼らのデータが税率の変化に対する納税者の反応によって深刻に歪められていることを明らかにしている。

Gary Burtless

BurtlessとThomaは納税申告書のサンプルに基づく研究群の欠陥をConsumer Expenditures Survey (CES)や統計局のCurrent Population Surveyの欠陥と公平に公明正大に扱って欲しいと要求している。私はCBOとPiketty-Saezのデータに関する私の論文に対して同様の要求をするだろう。そして連邦準備のSurvey of Consumer Financesに基づいて中央所得の変化を示した私の図7の数字に対してもだ。

私はIncome and Wealthの出版前では公明正大なアプローチが可能だったとは思わない。それまではほとんど誰も納税申告書に基づく所得分布の推計を真剣に疑うことはしなかった。今では絶対的な所得税の税率の変化(弾力性)と相対的な税率の変化(所得シフト)に対して納税者が所得として申告するものを変化させること、彼らがそれをどのように申告するかを変化させることに関する強力な証拠が揃っている。Thomaが行っているようにそれらすべての証拠を「どうでもいい」と貶すことは論理的でもないし説得的でもない。

納税者の行動と異なり消費格差の話題は私の主要な関心事ではなかった。その話題は231ページの内の僅か3ページを占めるに過ぎない。私は所得または資産に関して1972以降数百以上の記事を書いている。だが(CESのデータを用いて消費格差に関して)書いたのは1つでしかないと思う。この話題はKrueger and Perriに任せようと思う。

Burtlessは私が不注意でした記憶違いを訂正している。私がJohnston, Torrey and SmeedingがCESに依拠していないと誤って示唆した所だ。彼は私がそのことに言及し忘れたのを偏ったバイアスの証だと受け取ったようだ。彼の言葉で言うと、「1985ではCESはU.S. National Income and Product Accountsに記録されている消費の80%をカバーしていた。2000までにはその割合は61%に低下している」。私はその数字に関して言及しなかった。その数字はミスリーディングだと思っていたからだ。

最近になって5人のBLSのエコノミストのチームが対応する項目を比較した際には、「1992のCEの総支出はPCEの総支出の86%で1997には85%に低下し2002には81%にさらに低下している」ことを発見している。Burtlessが行っているように81%を60%に低下させるには少しも比較可能でない項目を比較することが必要になる。

CESは消費者が支出したものを尋ねている。PCEには政府と非営利団体が支出した財とサービスも含まれている。PCEとCESで乖離が拡大し続けている主な理由はメディケアとメディケイド、教育、社会福祉、宗教、研究費、戦費などに対する第三者による支出のためだ。1997を例に上げると(1ドル=100円として)CESの医療支出はPCEの僅か17%でしかない(72兆4000億円の乖離)。CESの教育支出と研究費はPCEの僅か51%でしかない。法律的サービスの僅か27%、社会福祉の僅か13%でしかない。PCEと異なりCESにはイラクに駐留している兵士の衣服費や食糧費が含まれていない。研究助成費、奨学金、教会などが購入した食料や衣服は含まれていない。PCEだけがそのように急速に増加している政府や非営利団体による支出を含めているということはCESの質が低下していることの証拠ではない。

Another Red Herring

Thomaは新聞の記事を引用してR&D費を投資と見做すことが、「レイノルズが議論したような調整を飲み込んでしまうだろう」と勘違いしている。その記事は、「R&D費が利益として計上されれば国民所得に占める労働分配率は1%ポイント以上低下する」と主張している。そしてこれが1960年代の65%だった労働分配率(当時にはR&D費が存在しなかったと思っている?)を「現在の60%以下にまで」どうやってかは分からないが低下させたのだと主張している。だが投資は利益ではないし1%ポイントは5%ポイントでもない。国民所得に占める労働分配率は(自営業を除外して)1960から1960(*誤植で恐らく1965)の期間では62.5%、2001から2005の期間では65.5%だ。その上NIPAの改訂は誰かの所得に何の影響も与えない。

納税申告書に基づくものではなく1988から2000または2000から現在に至るまで格差が拡大したということを示す信頼の置ける証拠を見せて欲しいと単に言っているだけだというのにこの話題逸らしの大洪水といったら一体何なのだろう?(*確かに、何をそれ程までに恐れているのかと逆に興味が湧いてくる(笑))。

生活水準またはその変化に本当に関心があるのであれば(所得上位1%やBurtlessが引用している何人かのCEOなどではなく)全体の消費または可処分所得を見なければならない。そして1986の税制改革や1993のトップコーディングの取り扱いの変化などを挟んだ2つの年を選んでもだめだ。

1988以降可処分所得または消費の格差に顕著で継続した変化が見られないという私が提示した証拠に誰一人として反論できないでいる。もし話題逸らしに遭遇したのであればそれは恐らく真実に辿り着いたからかもしれない。

格差研究の専門家の集まりにリベラル派のブロガー(自称専門家)が乗り込んで討論を挑んだその結果 Part2

Measuring Economic Well-Being: What, How and Why

Richard Burkhauser

同じデータを見ているはずなのに奇妙な解釈をする人がいるのは珍しくない。従って事実を正しく述べるということは簡単なように見えて意外と難しい。これから1989以降所得格差が拡大したのかどうかに関する私の意見を述べる。3月のCurrent Population Survey (CPS)から分かると思われることともっと深い疑問、所得格差は本当に重要な問題なのか?に関してだ。

厚生の変化に興味がある他の経済学者と同じように私も一般公開向けのCPSを用いてアメリカの平均的な世帯の所得とその分布を普通は調べている。最近(長い交渉の果てに)私は統計局が世帯所得のジニ係数(Gary Burtlessがコメントで参照している)を推計するのに用いている内部CPSデータへのアクセスを許可された。私が見た所では彼がしているような2時点間のジニ係数の単純な比較は1989以降の所得格差のトレンドを過大評価しているし所得格差の拡大が問題だという彼の主張を私に納得させるのに失敗している。

CPSのデータを用いている図1は2005のドルを基準として1967から2005の期間にアメリカの中央所得がどのように変化したかを示している。この期間に中央所得は大幅に増加しているがその増加の幅にも変動があることが分かる。従って年度を選べば中央所得が増加したとも減少したとも同じだったと示すことも可能だ。長期のトレンドから景気循環の影響を取り除くためには例えば景気が最も良かった時と最も良かった時または景気が最も悪かった時と最も悪かった時を比較するのが最も良いと私は考えている。これにより1980年代(1979から1989)の景気循環時の所得と1990年代(1989から2000)の景気循環時の所得とを比較することが可能になる。または1983から1993、1993から2004の比較だ。どちらの方法でもアメリカの中央所得は1980年代も1990年代も大幅に増加している。これこそが真に重要なニュースだ。長期的な経済成長により平均的なアメリカ人の厚生が改善した。

所得分布がどうなったのかを解釈することはより込み入っている。Reynoldsが取り上げていたBurkhauser, Oshio, and Rovba(近日発表予定の)では単に単年度のジニ係数を用いるのではなく1979-1989-2000のアメリカの景気循環の山での所得分布の全体像を示しそれを1990年代のイギリス、ドイツ、日本の景気循環の山での所得分布の全体像と比較している。1989の所得分布を1979の所得分布と比較してみると(図2)所謂中間層と呼ばれる人達が1980年代に大幅に減少していることが分かる。これはReynoldsやBurtlessが議論していたジニ係数の上昇と整合的だ。だがここで見逃してはならないのは「消えた」中間層のほとんど全員が分布の右側(所得の多い側)に移動したということで分布の左側(所得の低い側)に移動した人はほとんどいないという事実だ。ようするにアメリカで1980年代に所得格差が拡大したといってもそれは消えた中間層が尋常でないほどに豊かになったからだ。

1990年代になるとさらに良くなる。2000の所得分布は1989の所得分布をそのまま右に移したような形だ。すなわち2000の所得分布のすべての地点が1989の所得分布よりも改善している。これは我々の社会が達成した素晴らしいことだ。だがこれをドイツや日本と比較してみるとますます素晴らしいものに見えてくる(図3と図4)。イギリスは我々の1990年代と同様の結果を示している(図5)。

これまでに示した世帯所得から所得の推計値と社会保障税を差し引いたものは税を差し引いていないものと全体像としてはそれほど異なるというわけではない。だがこれらはReynoldsとBurtlessが議論していたジニ係数の上昇の背後にあるものは何かという問題に関してより込み入った見方を示している。

我々はジニ係数も同時に推計している。そして1989から2000の期間に課税後の所得格差が縮小、同期間に課税前の所得格差には何の変化もないことを発見した。ではBurtlessが参照している(統計局が内部CPSデータを用いて発表している)ジニ係数の上昇とは一体何なのか?

統計局に頼るのではなく自分達自身でジニ係数を推計している他の多くの研究者と同様に我々も一般公開向けのCPSを用いてジニ係数を推計している。Shuaizhang Feng and Stephen Jenkinsと私の共著の新しい研究に基づく図6に見られるようにトップコーディングを調整していない一般公開向けのデータを用いれば1989から2000の期間に課税前所得に所得格差の大きな拡大が見られた。だがこれはトップコードの大幅な増加と1995以降のセル平均の使用の大幅な増加、そして1993のCPSの調査方法の変更が原因だ。我々はこの問題を1975から2004の期間を選び全期間で一貫したトップコーディングを行うことにより修正した。

Burkhauser, Butler, Feng, and Houtenville (2004)でこの方法は体系的に労働所得格差の水準を過小評価しているものの(1992から1993と1994から1995の一時的なスパイクを調整した)未調整の統計局の内部ジニ係数と外部ジニ係数のトレンドを捉えていることを示した。我々の結果は一般公開向けのデータの所得上位2%と3%を単純に「刈り込んだ」ものと同様だ。従って我々の結果は所得分布全体の97%から98%の世帯所得とその分布がどうなっているかを一貫して示している。私はBurtlessとReynoldsが適切にこれらの問題を修正した一般公開向けのCPSデータはこの集団に対しては正確にトレンドを把握しているということに少なくとも同意すると信じる。

内部CPSデータへのアクセス権を得てから我々が注意深く記してきたことはこれらのデータであっても所得分布の上位で不均一な検閲が行われているという問題があるということだ。Burtlessは内部CPSデータからの一部である統計局のジニ係数は検閲に対して修正されていないと述べている。ReynoldsがそしてBurkhauser, Feng, and Jenkins (2006)で我々が独立して議論しているように1975から2004の期間において一般公開向けのデータと同様に内部CPSデータは所得分布の上位を体系的に把握していない。一般公開向けのCPS同様に、トップコーディングを含む内部検閲は個人の所得総額ではなく個々の所得源に対して行われる。そして我々は1つ以上の所得源がトップコードされている世帯に住んでいる個人の割合は0.1%から0.8%の間で変化していることを発見した。

我々が一貫したトップコーディングの方法を用いて内部の所得データを調整した時には未修正の内部データを用いたものと比較して1989以降のジニ係数の上昇がより穏やかであることを発見した。1989から2000では6.82%ではなく4.67%だった。だがこれでさえも上昇として高すぎる。何故ならトップコーディングと検閲を調整した後でさえも内部CPSデータには1992から1993のスパイクが見られたからだ。未調整の内部データに比べればスパイクは低いもののこれはまだありえないほどに高すぎる。事実、1993から2004までのジニ係数のトレンドだけを見れば(1992から1993のスパイク以降で利用可能なすべての年度の内部データ)ジニ係数は1.45%、2.43%しか上昇していない。まとめると内部データによって捕捉されたという所得格差の拡大というのは一度検閲が調整されると所得分布全体の99%に関して調整後の一般公開向けのCPSのデータとほとんど同じことを語っている(このコラムはそもそもBurtlessが所得格差の拡大はCPSの内部データを用いて推計されたジニ係数によっても確認されていると主張していることに対する反論となっている)。1990年代に渡って全体の分布は所得格差がほんの少しまたはまったく拡大することなく右へと移動した。1989以降世帯所得格差はほんの少しまたは前の10年間と比べると遥かに少なく拡大した。これは非常に良いニュースだ。

CPSデータは所得分布の上位1%または2%を調べるのには少し向いていないということにはReynoldsやBurtlessに同意する。悲しいことに他のデータもまたこの集団を調べるのに向いているということはなく所得分布全体の99%に比べると所得上位1%の所得が1989以降どのように変化したのかに関して不確実な所がある。

だがこれは本当に重要なことなのか?経済はゼロサムではない。私の利益は他の人の損失ではないしその逆も然りだ。私は所得上位1%の所得の増加が他の人達に害を与えたという証拠を一つも見たことがない。過去の景気循環期において富裕層の所得と低所得層の所得は同じ方向に動いていた。Robert NardelliやHank McKinnellに対してそれより遥かに多くのTiger Woods、Steve Jobs、Oprah Winfrey、Bill Gatesのような人がいる。彼らが我々のために生み出した財やサービスの価値は彼らが受け取った所得を圧倒的に上回っている。それが市場経済の結果であるしそれが重要なことだ。

格差研究の専門家の集まりにリベラル派のブロガー(自称専門家)が乗り込んで討論を挑んだその結果 Part1

Income Distribution Heresies

Alan Reynolds

Cato Instituteから出版された最近の論文の中で私はアメリカの所得格差、賃金格差、消費格差、資産格差が1988年以降拡大していないという表面上は異端の(データからの観察の)結果を述べた。その時の私の論文は去年の7月にWestern Economics Association (WEA)で発表した論文を簡潔にして改定したものだ。そのWEAで発表した論文もGreenwood Pressから出版された大学の教科書の一環として去年の始めに書かれた私の本「Income and Wealth(以下、所得と資産)」の第5章の内容を簡潔にして改定したものだ。

「所得と資産」では1988年以降アメリカの格差の拡大が止まったとは書いていない。その命題はずっと後になって得られたもので試験的にCatoの論文の2ページ目に書かれてある。私の本の学習内容は平均賃金と平均所得の増加率の測定に付きまとう統計的な欠陥や労働と資本間の所得の分割、流動性と生涯所得の概念、資産の所有権の集中などに関するものだ。始めの方の章ではどうして格差が時間とともに拡大するかもしれないと予想されているのかに関して説明している。何故なら私もまた最初の頃には格差の継続的な拡大はデータによって確認されていると主張する「専門家のコンセンサス」とやらを信じていたからだ。

私は私が1988年以降「顕著で継続的な」格差の拡大を示した証拠を一つも発見することが出来なかったと述べたことに対する感情的で事実に基づかない多くのブログでの反応に困惑させられた。「顕著で」という部分にはBrookingsのGary Burtlessが述べている2001年から2005年の課税前貨幣所得のジニ係数の0.003の上昇を除外した意味で言っている。Oxford大学のAnthony Atkinsonが示唆しているように顕著に上昇したと認められるにはジニ係数が3%ポイント上昇しなければならない。「継続的な」という部分には1986年のように税率の変化で引き起こされたキャピタル・ゲインの実現の一時的な急増、1993年の統計局のデータの変更、1997年から2000年のインターネット株の一時的な急騰などを除外した意味で言っている。

Surveying the Evidence

私の表面上は異端の主張は何も私だけが行っているという訳ではない。私のCatoの論文では以下の証拠を引用している。

1. Card and DiNardoは賃金格差が1988年から2000年の期間に拡大していないことを発見した。

2. Johnson, Smeeding and TorreyはSCFのデータを用いて消費のジニ係数が1986年の0.283から2002年の0.280へと低下していることを発見した。

3. Kopczuk and Saezは資産上位の資産シェアが1990年代に安定していることを発見した。資産上位1%の資産シェアもKennickellによるより最近の推計によると1995年から2004年の期間に安定していた。

これらの論文が間違いだというのでない限り賃金、資産、消費に注意を払うべきだ。そしてGary Burtlessによると私が夢中になっているとされているConsumer Expenditure Surveyは言うまでもない。

可処分所得(課税後所得)はどうなっているのか?去年の11月にBurkhauser, Oshio and Rovbaは「アメリカに対しては(中略)世帯人数調整後の実質平均課税後所得は1980年代に10.93%上昇し1990年代に7.27%上昇した。一方で課税後の中央所得は1980年代に5.95%上昇し1990年代に7.10%上昇した。だが所得格差は90/10比で見ても(23.67%)ジニ係数で見ても(14.17%)1980年代の景気循環期で大幅に拡大した。それとは対照的に90/10比で見ても(-6.82%)ジニ係数で見ても(-2.24%)所得格差は1990年代(1989から2000)に縮小した」。1989年から2000年の期間に、「経済成長の拡大と福祉改革により片親の母親の雇用と厚生が劇的に改善された。より一般的には低所得層でもそうだった」と彼らは加えている。

前述の90/10比は、偶然にも、フルタイム労働者の最も高い所得分位と最も低い所得分位とを比較している。90/10比は1987から1990に6.9%、2003から2004に6.7%だった。これは賃金格差がこれら所得分布の対極でさえも拡大していないことを発見したCard-DiNardoを支持している。私は特に保守派の経済学者がこのメッセージに反発していることに気が付いた。その理由は所得と労働との関係に対するよくある誤解によって生じているように思われる。

CEA議長のEdward P. Lazearは、「しばしば所得格差と呼ばれる、スキルを持った労働者とスキルを持たない労働者との賃金の間にある差が25年間拡大しているということに疑念の余地がない」と述べている。

疑念の余地がないと言ったにも関わらず彼の主張は明らかにBurkhauser, Oshio and RovbaやCard and DiNardoまたその他とも完全に食い違う。だがそれよりも彼がスキルギャップと格差を同じようなものだと思っていることにより困惑させられた。彼が示したグラフは1989年から1996年または2001年から2004年の期間に大卒の時間あたり賃金の中央値が例えば高卒などと比べて速く増加したということを明らかに示していない。だが仮に彼の言うような大卒と高校中退の賃金との差が継続的に拡大し続けているというような現象があったとしても(1)全員が毎年フルタイムで働く(2)すべての所得を労働から得ている(3)大卒が労働力人口に占める割合が上昇していないそして高校中退が労働力人口に占める割合が低下しているという条件が満たされないのであれば所得格差の拡大へと変換されることはない。

2005年ですべての年度でフルタイムで働いたという人は最も所得が低い分位でわずか320万人だが最も所得が高い分位では1670万人いる。所得が低いグループには単身者が多く(学生と未亡人を含む)所得が高いグループには働き手が2人以上いる。最も所得が高い分位(課税前所得が917万円を上回るすべての既婚者)は(年度で丸めた)すべてのフルタイム労働者の29.1%を占める。それこそが2004年の彼らの可処分所得が40%を占める最大にして唯一の理由だ。最も所得が高い分位には大卒も多い。だがそれは(仮に彼らが働いたとすれば)市場所得に影響するだけだ。

世帯所得の差を時間あたり賃金で説明しようと試みている経済学者は世帯あたり労働時間に非常に大きな差があることを無視している。彼らは移転支払いも無視している。そのほとんど(EITCを除いて)がわずかな時間しか働かないまたはまったく働かない人に支払いが実質的に限定されているというのにだ。

他の経済学者はForm W2に記載されている所得のうちで所得上位1%が占めるシェアを引用してCard-DiNardoの結論を貶そうと試みている。まず初めに一般的な反対を述べさせてもらいたい。納税上位1%を見るだけでは所得分布全体に関して我々は何ら意味のあるものを得ることが出来ないだろう。所得分布の右側だけを調べるのでは低所得層または(定義なしに用いられるが)「中間所得層」の生活水準がどのように変化しているのかに関して何らの情報も得られないだろう。所得上位1%のシェアだけを見て所得分布全体に関して語ろうとすることは所得下位1%の所得だけを見て所得分布全体に関して語ろうとすることと同じぐらい意味がない。極端なゼロサムというのでない限り(スティーブ・ジョブズが利益を得れば誰かが同額の損失を被ると信じているのでない限り)所得上位1%への憎悪は本質的に無意味だ。

仮に所得上位1%に執着するのだと主張しても1986年の税制改革を挟む2つの年度(1980年と2004年)の納税申告書に記載された所得を比べること(よく引用されるPiketty and Saezが行っているような)は極めてミスリーディングだ。Piketty-SaezのForm W2の労働所得の推計では所得上位のシェアは1986年の7.3%から1988年の9.4%へと突然上昇しその後は1988年から1996年の期間に平均で9.1%で推移している。それは12月14日のウォールストリート・ジャーナルの私の記事で引用した課税所得の弾力性の推計値とまったく整合的だがPiketty and Saezが(私の記事に対する反論として)後にSaez自身の推計を否認したこととは完全に食い違う。Burtlessが言及した社会保障(年金)のデータを用いてSchwabishは2000年から2003年に、「所得上位のシェアは(中略)急激に低下している」ことを発見している。私の論文ではCEOの給与も急減していることを示した。両方とも2004年にリバウンドしている。何故ならSCFの回答者の11%以上が2001年にストック・オプションを受け取った(SCFは3年に1度の調査)と回答しているからだ(行使された時にはForm W2に記載され、最初に行使可能になったのが2004年)。それもまた税率の引き下げに対する予想通りの反応でそして経営責任者は1999年に付与されたストック・オプションの4分の1を占めるに過ぎない。

Statistical Mirages

私の論文では最も所得が高い分位の1979年から2004年の20.7%の実質給与の増加と最も所得が低い分位の21%の実質給与の増加とをSCFの中央所得を用いて比較している。興味深いだろう?批判者は統計局のデータの穴を他の人に指摘するのが快感のようだ。Burtlessが示唆する所では私はその穴に無自覚かまたはその穴を明らかにすることを拒んでいるとされている。

例えば、私の論文では統計局による所得上位5%の所得シェアの推計とPiketty and Saezのものを比べている。統計局の数字は1986年の18%から2004年の20.9%へと上昇している。これは1993年の定義の変更が原因だ。Piketty-Saezの数字は1986年の22.6%から1988年の27%へと急上昇している。私が1986年の税制改革が原因だと指摘しているものでPiketty and Saezも(私が指摘するまでは)最近まではそのように認めていたものだ。彼らの数字は2004年に31.2%になっている。Paul Krugmanやその他の人は統計局のデータのサンプルサイズとトップコーディングに問題があると性急に勘違いした。仮にPiketty-Saezの数字から5億円以上の所得をすべて取り除いたとしても統計局の数字との乖離が0.9%縮まるだけで残る9%ポイントは説明されないままだ。統計局が総所得に移転支払いを含めているということもこの乖離を埋めるにはまったく足りない。

私の論文では統計局による広義の(14番目の)可処分所得の定義によるジニ係数も引用している。これは所得税と給与税とを差し引いたもので現金給付と現物給付を加え(残念なことに)納税申告書に記載されるキャピタル・ゲインも加えたものだ。これがBurtlessが承認しながら未だにそのことを明らかにしていないものだ。

可処分所得のジニ係数は1984年から1992年の期間に1年を除いて0.38から0.39にまとめられる。ようするにほとんど変化していない。1986年の1年だけ0.41へと急激に上昇している。だがこれは明らかにキャピタル・ゲイン税率が引き上げられる前に資産を売却しようとする行動が大量に発生したためだ。ジニ係数は1985年、1988年、1992年で0.385のままで一定だった。

1993年に統計局は調査方法をコンピューター式に変えた。そして「トップコーディング」の上限値は大幅に引き上げられた。ジニ係数は1993年に突然0.40へと急上昇しキャピタル・ゲインが急増した1999年から2000年に0.41へと一時的に上昇した後2004年でも0.40の水準で留まっている。1984年から2004年まで可処分所得のジニ係数に継続的な上昇トレンドが見えるというフリをするためにはそれが1年の間(ようするに1993年に)に起こったという奇妙な議論をしなければならない。そこが統計局のデータの批判者が蹌踉めき始める場所だ。

Burtlessは以下のように書いている。

「統計局の調査は所得上位2%または所得上位2.5%の所得を正確にまたは一貫して評価することが出来ない。理由の一つは回答者の回答がトップコードされているからかまたは少なくともそう遠くない過去にはトップコードされていたからだろう。その他の理由としては正確なまたは一貫した推計をするためには高額所得者(例えば、所得7500万円以上)のサンプルが小さすぎるということが挙げられる。これはどの所得の概念が用いられたとしても統計局がすべての期間で真の所得格差を恐らく過小評価していたことを意味する」。

BurtlessはCBOが所得7500万円以上の富裕層の所得の多くを見逃していると主張している。彼はその値を所得上位2%または所得上位2.5%と同じだと思っているようだ。だが7500万円はPiketty and Saezの所得上位1%の上位10分の1(所得上位0.1%)の閾値である1億1000万円を少し下回るに過ぎない。所得7500万円は馬鹿げたことに企業利益の59.4%を加えてあるCBOの定義した所得上位1%の閾値である2668万円からはかけ離れている。

そしてサンプリングエラーはランダムだ。だから仮に1080が所得上位2%のサンプルとしては小さすぎると信じている人がいたとしてもそのことから所得が過大評価されているとか過小評価されているとか結論することは出来ない。言うまでもなく「すべての期間で真の所得格差を過小評価していた」などということは確実に意味しない。最悪でも所得上位2%の推計がある年度では高すぎるまたある年度では低すぎるということを意味するだけで恐らくそれがBurtlessが「一貫した」で言いたかったこと?なのだろう。

CBOもPiketty-SaezもIRSのStatistics of Income (SOI)部門の所得統計のサンプルに頼っている。そのサンプルはCurrent Population Survey (CPS)の54000のサンプルの2倍大きい。だが統計局の調査は全国民が対象で一方でSOIの調査は納税申告を行っている人だけが対象だ。SOIでは所得5億円以上が過重にサンプリングされる。だが主に節税(100兆円のギャップ)と課税の対象となっていない人が原因で(CPSと比べて)数百兆円所得が少なくなっている。結果としてSOIは高額所得と所得全体との比率を大幅に誇張している。

Piketty and SaezやPaul Krugmanが信じているのとは反対にトップコーディングは所得全体に対してなどされていない。トップコーディングは回答者の匿名性を守るために一般向けに公開されているデータのある特定の種類の所得のみに行われている。統計局が所得上位5%の所得シェアを計算する時などには彼らはトップコーディングとは無縁の内部データを用いている。だが統計局の幹部職員が「internal processing limits」と呼ぶ物は残っている。

統計局の所得統計部門の主任であるEdward J. Welniakが説明している。1979年には質問者は23の所得源に対してそれぞれ999万9900円まで記録することが許されていた。1985年には上限は2999万9900円まで引き上げられた。これまでで最後に引き上げられたのは1993年で主な4つの所得源に対する上限が9億9999万9900円にまで引き上げられた。1993年以降の上限は所得の合計が7500万円以上の人には何の制約でもないし所得上位1%や所得上位5%の平均所得にいたってはそれより遥かに少ない。Welniakは1999年には54000のサンプルのうちで上限に引っ掛かったのは26に満たないことを発見している。彼は、Burkhauser and othersと同じように、上限の引き上げが所得格差の拡大を過小評価させたのではなく過大評価させたということも発見している。

Welniakは一般公開向けのデータは「1967年から2001年の期間の所得格差の拡大を過大評価」させていると述べている。過去の上限に課せられていた厳しい制約のせいで所得格差が実際よりも低く見え一方で1990年代の上限の引き上げにより(高額所得のデータの可視性が上がったように見えるのではなく)所得格差が拡大したかのように見えたからだ。彼の言葉を借りれば、「一般公開向けのデータに所得格差の拡大が見られるのは1)1967年に所得がトップコードされていたからでこれが所得格差を小さく見せていた2)1996年頃からトップコードされた所得の平均値で補完するようになり高額所得が増加した結果だ」。

回答者の回答が「そう遠くない過去には」トップコードされていたというBurtlessの未熟な発言は私がどうして統計局のジニ係数または所得上位の所得シェアが1980年代の後半以降所得格差が拡大しているということを示していないのかと議論している主な理由だ。Welniakは1985年の方法の変更が実際には何も起こっていないにも関わらず計測された所得格差を「上昇」させたと計算している。1979年から1984年のジニ係数が過小評価されていたのでこれは1980年代のジニ係数の上昇が過大評価されていたことを意味する。1993年には、「CPS ASECはコンピューター式のインタビューを導入し記録水準を上昇させた」とWelniakは述べている。

Burtlessが0.469を「今まで記録された中で最も高いジニ係数」と言及している時にはそれが2001年の0.466よりも高いので彼は表面的には正しい。だが彼はそれを1993年以前のデータと比べているので正しくない。Economic Policy Instituteが説明しているように、「1993年の調査方法の変更により見掛けの所得格差が急激に上昇した」。1993年に記録される所得が劇的に増加したことそして紙をコンピューターで置き換えたことが所得格差の見掛け上の急拡大を引き起こした。

1993年以前(それほど遠くない過去)では所得の上限によりジニ係数が過小評価され実際の所得格差が過小推計されているのでそれ故1993年以前と以後を比較する時には所得格差が拡大したという錯覚が生まれる。

Paul Krugman、Piketty and Saez、Burtlessら全員がサンプルサイズと「トップコーディング」が1980年代後半以降所得格差が拡大していないという私の観察事実に対して少しでも反論になると考えたことには困惑させられる。サンプルサイズはどちらの方向にも行き得るしトップコーディングにいたっては彼らが示唆しようとしている方向とは真逆に向かっている。

Conclusion

私の本で部分的にそしてこれから発表する予定の私の論文の中でさらに説明している理由により納税申告書のサンプルから所得を推計しようと試みている4つのデータセットの一つとしても税率の変更時期を挟んだ所得シェアを比較するのには信用できるものではない。その中でもCBOのデータは4つの中で最悪でこの中ではPiketty and Saezが最もましだろう。Form W2のデータも(1)無資格ストック・オプションの行使のタイミングが株式価格に極めて敏感(2)制限株への変更(Form W2には記載されない)は配当とキャピタル・ゲインに掛かる税率に極めて敏感という理由で税制が異なる時期とでは比較することが出来ない。ビル・ゲイツまたはスティーブ・ジョブズに尋ねてみるといい。

もし仮に1988年以降で可処分所得、消費、賃金、資産に顕著で継続した格差の拡大を示したまともなデータがあるのであればこれまでに誰かが我々と共有しているだろうと疑っている。

バートルズ「格差が拡大したとずっと言っていたが間違いだった」

Income Growth and Income Inequality: The Facts May Surprise You

Gary Burtless

新しい研究による幾つかの極めて重大な発見は低所得層と中間所得層の所得が長期間に渡って停滞していて一方で所得上位の所得は急増していると思い込んでいる人には特に驚きかもしれない。CBOの数字はその反対が事実であることを示しているからだ。2000以降、所得下位90%の税引き前と税引き後の所得は増加している。所得上位1%では実質の所得は大きく減少している(図1)。

所得上位1%の税引き前と税引き後の所得は2009と比べて2010で増加している。一方で所得下位90%の所得はほぼ横這いのままだ。よって、2010の所得の増加は所得上位が得たことになる。2010は現在の景気の回復が始まった最初の年だった。そして回復の初期時の所得の増加は所得上位に集まっている(だからそれ間違っていると言ってるのに)。IRSが公開している所得の報告書によるとこのトレンドは2011と2012にも続くことが示唆される。見逃されていることはアメリカの所得上位は(2008の)不況の時に極めて大きな所得の損失を経験したことだ。CBOの新しい数字は所得上位の税引き前と税引き後の所得が2007から2009の期間に33%以上減少したことを示している。中間層の所得の損失は税引き前では4.5%、税引き後ではわずか1.4%だった。低所得層では不況の時に税引き後の所得がむしろ増加している。

アメリカの所得上位の所得は単に上に行ったり下に行ったりを繰り返している。多くの家計は不況の時に経験した市場所得の損失から回復しようとしている最中にある。所得上位の家計もこの状況にあるが他の家計とは異なり以前の水準からは程遠い。2010から2012の期間の所得の増加を考慮に入れたとしてさえもIRSのデータは所得上位1%の税引き前の所得が2012では2007…どころか2000をも下回っていることを示している。

もっと長い期間で見るとCBOは所得上位1%の所得が中間所得層の所得の増加よりも速かったということを確認している(それは間違いだと何度指摘されればこの人は理解できるんだろうか…)。例えば、CBOによると1979から2010に所得上位1%の税引き後の所得は3倍になったとされている。中間所得層の税引き後の所得は40%増えただけということにされている(図2)。だがCBOの統計が示唆していることは中間所得層と低所得層が国家の繁栄から取り残されたということではない。過去10年、20年、30年の間に中間所得層と低所得層の生活水準は非常に大きな改善を示した。所得の増加率は第二次世界大戦終結直後に比べれば低かった。だが所得の増加率はゼロを遥かに上回っている。

あまりに多くの人がこれらの所得の増加を理解できないでいるのはアメリカで最もよく引用される所得統計にそれらが反映されていないからだ。中間所得層の所得としてよく用いられる指標が統計局の世帯中央貨幣所得の推計だ。インフレ調整したドルに換算すると世帯中央所得は1999に最も高くなりその後9%減少したということにされている。この指標の抱える問題点はこれには家計の税引き前の現金所得だけしか反映されないということだ。税負担の変化や現金の形態を取らない所得はこの統計には反映されない。このことは例えば2001から2003と2008から2012の減税は統計局の統計には反映されないことを意味する。さらに悪いことに統計局の統計は現物給付の形で受け取られた所得と民間と政府の医療保険などを無視している。現物給付と不況時に行われた減税を無視してしまったことにより統計局の貨幣所得は中間所得層の不況時の所得の損失を深刻なまでに過大評価してしまった。CBOのより包括的な所得の定義では世帯中央所得は2007から2010の期間に1%以下低下しただけだった。これが統計局の定義だと世帯中央所得は7%以上低下したことになる(図3)。

CBOの最新の統計はこれらの要素の重要性が増していることを示している。1980には現物給付と医療保険は中間所得層の税引き後の所得の6%を占めるだけだった。2010には現物所得が17%を占めるまでになっている(図4)。統計局が把握できていない所得要素の増加速度はますます加速しているほどだ。

より包括的でより正確な所得の統計はCBOから公開されている。CBOの推計は長期的な所得格差の拡大傾向を確認している(だから間違いだと)。だが所得上位1%の市場所得は極めてシクリカルだ。好況期には上昇し不況期には下落している。2007以降の変化はこのパターンをなぞっている。だが多くの人が見逃しているのは低所得層と中間所得層の所得が不況時にそれ程減少していないということだ。その結果として低所得層と中間所得層の可処分所得は所得上位1%と比較してほとんど損失を受けることはなかった。CBOの統計が示しているように中間所得層と低所得層の所得は2000以降所得上位を上回っている。
The Mumbo-Jumbo of ‘Middle-Class Economics’

Alan Reynolds

2月19日に提出された「Economic Report of the President(大統領経済報告、以下ERP)」の中でホワイトハウスのCouncil of Economic Advisers(以下、CEA)は所得下位90%の平均所得を「中間層経済学」として定義している。「所得下位90%の平均所得」は、ERPによると、「世帯所得中央値の成長率の正確な代理指標として機能する」という。

これは馬鹿げている。所得下位90%の平均所得は世帯中央値の正確な代理指標ではないし世帯所得を正確に反映してさえいない。それは所得上位10%(1ドル=100円として2013で1142万円)の閾値以下で納税申告書に記載される課税前「市場所得」の荒っぽく人工的に偽造された推計でしかない。だがこの偽造数字が後日Vox blogに寄稿されたCEA議長Jason Furmanのアメリカが「中間層と低所得層が40年間の所得の停滞」に苦しんでいるという主張の基となっている。

この指標は左翼の間で人気だ。Elizabeth Warren (D., Mass.)議員はAFL-CIOの会合で以下のように呼び掛けた。「1980以降、所得下位90%はどれだけ所得が増えたと思いますか?まったくです。少しもです。ゼロです」。NPRは同じ所得下位90%のデータを表示してそれをさらに拡張し「1980以降、所得上位1%の所得だけが増えた」と主張した。

ERPの中で平均所得が停滞しているという主張の根拠として引用された情報源がWorld Top Incomes Databaseだ。アメリカのデータはThomas Piketty and Emmanuel Saezが根拠となっている。ウォーレン議長やNPRによって引用されたものと同じ情報源だ。

驚くべきことに、これらの同じデータは所得下位90%の所得が1968以降増加していないことをも示している(*リベラル派が1980以降と強調するのはレーガン大統領以降所得格差が拡大したまたは中間層の所得が増加しなかったと関連付けたいため)。2013のドルに換算すると所得下位90%の平均所得は1968で327万円、1980で328万円、2007で353万円、2013で323万円だ。

これはBureau of Economic Analysis(以下、BEA)がGDPを計算する際に用いるデータと完全に食い違う。例えばBEAによると一人あたり実質個人消費は1968以降で3倍、1980以降で2倍になっている。これらすべてのショッピング・モール、大規模ディスカウント店、自動車販売店、レストランが所得上位10%だけによって利用されている?質問が自らに答えるだろう。

ホワイトハウスによるでっち上げではなくCBOによる実際の世帯所得中央値を見てみよう。2013のドルに換算して税引き後の中央所得は1983の469万円から2008の703万円へと勢い良く増加した。だが2011は2008の水準を下回っている。2008以前の増加は部分的には中間層によって支払われる連邦税の平均税率がほぼ半分に引き下げられた(1981に19.2%、1989に17.7%、2000に16.5%、2003に13.6%、2011に11.2%)ことにも関係しているだろう。

一方で統計局が推計している「貨幣所得」の中央値は税を考慮していない。それ故それらは生活水準の改善の主たる要因の一つを把握していない。ここでは(実現した)キャピタル・ゲイン、公的または民間の医療保険、食料補助金、そして現物給付なども除外されている。その統計局の欠陥のある中央所得の推計でさえ2007から2013の期間に8%低下する前に1984から2007の期間に13.7%上昇している。

CBOの推計も統計局の推計も(オバマ時代の)6年間だけの停滞を示しているだけであって40年間ではない。

Piketty and Saezのデータは致命的なまでに欠陥がある。所得税の納税申告書に記載されている総所得(彼らの推計の根幹となっている)は他のどの政府統計よりも大幅に少ない。そしてその差は大きくなる一方となっている。2003の彼らの最初の研究でPiketty and Saezは納税データから急速に消滅している一つの所得源に触れている。それらは「年金プランと退職貯蓄口座の急増が原因でそれらを通して人々は所得税の納税申告書には配当として一度も記載されることのない配当を受け取っている」。

同じことが非課税の貯蓄口座に蓄積されている利子とキャピタル・ゲインにも当てはまる。Tax Foundationの経済学者Alan Coleによる2014の報告書によるとそれら非課税の貯蓄口座はほぼ2000兆円増加している。

Piketty and Saezはさらに社会保障、失業給付などのようなすべての移転所得を差し引くことによりそして雇用主や政府によって提供される医療給付、退職給付などをすべて除外することにより総所得の数字をさらに押し下げている。その結果は、Brookings InstitutionのGary Burtlessが述べているように、「彼らの総所得の定義は1970のNIPA(National Income and Product Accounts)の「個人所得」の24%を、2008の「個人所得」の37%を除外している」。2011には40%が除外されるまでになっている。

総所得が時間とともに過小評価されていっているので彼らは2013の「その他の90%(1142万円以下の所得)」の平均所得をわずか323万円と推計している。その数字はまったく信じることが出来ない。

CBOによるとその323万円は2011の2人世帯の中で最も貧しい第五分位を決定する閾値340万円を下回っている。課税前で全世帯の半分が最低でも752万円以上を稼いでいるのにだ。統計局の貨幣所得の狭い定義を用いてでさえも2013の中間所得層の平均所得は726万円で全体の半分は519万円以上を稼いでいる。

ようするに彼らの定義する所得上位10%以下のすべての所得の平均はどの政府統計による中間所得層の所得の推計であってもそれを遥かに下回っている。これは景気循環期を含む所得上位10%と所得下位90%との所得増加のシェアの比較が無意味であることを意味する。そして彼らの推計した所得上位1%から10%のシェアもまた無意味であることを意味する。

人々は誤った統計から誤った意見を形成する。だがこの「所得下位90%」はその中でも最悪のものかもしれない。ERPの「中間層経済学」の記述は中間層の所得が(オバマ大統領の任期がほとんどの)2008から2013ではなく過去40年間停滞したという非常に滑稽な主張に基いている。

以下、記事を読んだ人のコメント

John Crockett

「Piketty Corrects the Inequality Crowd」という記事で彼は格差拡大を叫ぶ人達は彼の本のデータを間違って解釈していると語っている。彼は正直になるべきだしそうなったのはすべて(自身の)誤ったデータのせいだというべきだ。所得税のデータを用いることは明らかに誤魔化しだ。過去に税制が大幅に変わったからだ。この本は如何なる種類の「smell test」も通ることはないだろう。アメリカで1973から2010の間に建てられた中位の大きさの新規の住宅の平均サイズを見てみよう。1525平方フィートから2169平方フィートへと42%増加している。何十年も所得が増加していないというのであればどうして大きくなった家やたくさんの家具を買うことが出来るのか教えてほしい。車の販売台数も同様の証拠を示すと確信している。リベラル派のお気に入りの広報役Paul KrugmanはPikettyが「19世紀の所得格差の水準に戻ってきた」ことを証明したと書いた。彼らに反省を期待するな。彼が語っているのは彼の頭の中だけでの物語で彼はそうやって妄想し続けると確信している。

Martin Gorski

よく「1%」の集団に関して聞かされるが彼らが実際にはどのような人達なのかは我々に明かされることはない。経済学者Thomas Sowellが「Economic Facts and Fallacies」の中で指摘しているように人々は一つの階層から他の階層へと移動する。例えば、1996に所得上位1%だった人は2005では所得を減らしている。そして1996に所得下位20%だった人は2005までに平均で91%所得を増加させている。

William Cnossen

中間層が消滅していっているのならどうして政府の支払いが増えていっているのか不思議だ。

Greg Balaze

>EPRの「中間層経済学」の記述は中間層の所得が(オバマ大統領の任期がほとんどの)2008から2013ではなく過去40年間停滞したという非常に滑稽な主張に基いている。

もちろんその通りだ。その期間に生きている人であれば誰でもこれが問題だったのは過去6年間だけだと教えてくれるだろう。もしこれが過去「40年間」の問題だというのであれば今までに誰かが気が付くだろう。このお伽話はそれを必要とした左翼によってでっち上げられたものだ。

Christopher Myers

真剣に議論しようと思うのであれば一人あたり所得を用いるべきだ。世帯人数と人口構造は時間とともに変化する。

Henry McDonald

Christopher Myersへ。

君はポイントを外している。所得統計はIRSからのものだ。IRSの所得統計は中間層に大きな恩恵を与えてきた経済的環境の改善を考慮に入れていない。レイノルズ氏は税の繰延措置がある投資手段(401Ksなど)や税率の低下に言及している。彼が言及していない他の大きな改善は消費者の利子率の非常に大きな低下だ。これもIRSの所得統計には現れない好ましい金銭的条件の改善だ。

Anthony Alfero

もし嘘のためでなくアメリカ人を意図的に欺くためだとすれば今日の浅ましい左翼からはこの記事に対して沈黙しか返ってこないはずだ。

James Savage

平均的な世帯をちょっと見て回るだけでいい。住宅、車、テレビ、その他のパーソナルガジェットなどなど。1968より豊かになっていることが誰にでも理解できるはずだ。

Anthony Alfero

本当に中間層に危害を加えているものはビジネス部門が中間層を雇用しているという事実に対する左翼の認識の欠如だ。だからビジネス部門に対する税や規制や訴訟(訴訟を乱発するのはリベラル派)による継続的な攻撃は従業員の給料へ明らかに悪影響を与えるだろう。

Zlatko Milanovic

ただ一つの寓話はレイノルズ、あなたがここでしようとしているものだけだ。嘘と間違った情報の為のプロパガンダだ。

Jerome Barry

Zlatko Milanovicへ。

君はレイノルズの数字の何処がでっち上げなのかを指摘できないじゃないか。レイノルズはPiketty and Saezの数字がどうしてでっち上げなのかを指摘することに成功している。「でっち上げ」とは望みの結果を得るために数字を操作することだろう?

BARRON GREEN

Zlatko Milanovicへ。

レイノルズ氏へ何一つ具体的な反論もすることなく君は君自身が単なる操り人形であることを証明している。

ROBERT HILL

Zlatko Milanovicへ。

周りを見回してみるんだ。トラックの運転手は(1ドル=100円として)600万円貰っている。溶接工は600万円から1000万円貰っている。教師は年齢によるから一概には言えない。世帯の平均所得が320万円などということは現実には考えられない。ウォルマートで働けば180万円しか貰えないかもしれない。考えられる限り最も少ない賃金だ。それでも働き手が1人に対してだ。世帯の所得ではない。フランス人の平均賃金が320万円だというのなら正しいかもね。彼らは社会主義と貧困を受け入れているから。我々を従わせようとする前に君の目と心を開け。または計画経済に苦しんでいると思われる君の本国へ帰るんだ。

Tom Mackinnon

嘘、ひどい嘘、そして統計。数字を操作すれば統計を望むように操作できる。君がThomas Pickettyでない限りはそして経済に関する下らない本を出版しない限りは数字を操作するのに誰かの助けを必要とするだろう。

Chris Campbell

1994から2007の期間にGOPは上院で3期のうち2期多数派を獲得した。インフレ調整後の中央所得は12.5%増加した。従って低所得層はこの期間に豊かになった。

2007から2014の期間に民主党は上院で3期のうち2期多数派を獲得した。インフレ調整後の中央所得は8.3%減少した。従って低所得層は貧しくなった。

従って経済に対するダメージを癒やす方法は何か?共和党の議員を当選させること。

Chris Campbell

私は捏造していない。単に事実を報告しただけだ。どの政党が上院の多数派だったかをね。民主党は2007に上院と下院で多数派を獲得した。それは単に事実だ。そして明らかに危機の前のことだ。

私は上院が経済を支配したとは言っていない。この相関は面白いなと思っただけのことだ。

Justin Murray

何が嫌いかといえば彼ら階級闘争の闘士たちが個人の所得を一定と仮定していることだ。10年前は私は所得下位20%にいた。私は今では所得最上位から50万円離れただけの所にいる。

10年前の所得下位20%は現在の所得下位20%と同じ人間で構成されている訳ではない。仮に問題が存在すると仮定してより良い分析は各所得階層の平均年齢と各所得階層に属する期間を調べることだろう。

David Rowan

我々は政府の中で所得のデータを集めて公開している数多くの人達に給料を支払っている(IRS、CBO、FRBなど)。オバマ大統領が外部のデータを用いることは奇妙ではないのか?

理由は一つしかない。「政府の」数字は彼が創作したい物語に適合しないからだろう。だがそこから人々を欺こうという意図を読み取れる。彼は集団として富裕層は15%よりも遥かに高い税率を支払っている(IRSのデータ)ということを完全に知っていながらバフェットの税率が15%よりも低いと何度も何度も言及していた時に同じことを行っている。

Richard Tauchar

この記事の書き手は良い議論を行っている。だがそれは重要ではない。重要なのはこのようなことだ。昔は中間層の生活を維持するのには働き手は1人でよかった。今は働き手を2人必要とする。それが現在の中間層の状態だ。

Christopher Haynes

Richard Taucharへ。

君の言うことこそ重要ではない。もし60年代の中間層のライフスタイルをしようと思ったら働き手は1人で十分事足りる。問題は生計を立てるのが難しくなっているのではなくて我々が中間層のライフスタイルと考えるものが劇的に変化したことだ。

Christopher Haynes

まとめよう。

君の主張。1965の住宅保有率(63%)は現在(64.5%)とほとんど変わらない。昔は働き手が1人で現在は2人なのに。よって中間層のライフスタイルは達成するのが「困難に」なっている。

私の反論。君はその他すべてのカテゴリー(医療、個人消費、家電、旅行などなど)の消費パターンに起こった顕著な変化を無視している。所得が510万円あれば1750万円の住宅(Zillowによるとベッドルームは2つ)を余裕で購入できる。彼らの望んでいる「ライフスタイル」をする程の余裕はない人のことを私は数多く見てきた。だが彼らが中間層としては余裕があることも私は知っている。

Christopher Haynes

面白いね。僕たちは個別の事例に基いて議論しているから今度はこっちの話をさせてくれ。

僕と双子の兄弟は給料が600万円を一度も超えたことがないという片親の父の下で育てられた(平均でだから僕が育てられていた頃には300万円ぐらいだった)。家にはベッドルームが3つ(話は変わるけど、支払いは完了している)、車が4台(これも、支払いが完了している)、弟と僕は高校の頃には携帯電話を持っていた。僕は大学の費用を自分で支払い(僕はフロリダ大学を22ヶ月で卒業した)、20歳以降経済的に独立している(今は投資銀行家をやっている)。僕は1991に生まれた。

Christopher Haynes

君が言いたいことは理解は出来るよ。でも多くの人は生活の改善に気が付いていないと思う。格差の議論をしている時には特に。

過去300年を遡ってみれば重要な指標はすべて改善している。所得格差によって発生すると妄想されている問題を補って余りあるほどにね。

世界の人達に50年代に帰りたいかと尋ねれば多くの人がNoと答えると思うよ。

Richard Tauchar

反論の余地がないよ。

John Pound

私は1960年代に4人兄弟の末っ子として専業主婦の母と外に働きに出掛ける父の下で育った。

我々の家には1台の車があり3つのベッドルームがある近所では平均的な家だった。

上の兄が職を得て自分で生計を立てるまでは「2台目の」車を持ったことはなかった。1970年代の中頃まではカラーテレビはなかった。電話も1台以上なかった。姉が自分で購入するまではテレビも1台しかなかった。

でも何かが「欠けている」と思ったことは一度もない。

現代の4人家族が家の広さ、テレビ、電話、乗用車などに期待することとは対照的だ。

Richard Tauchar

君と似たような環境だったかもしれない。私は北カリフォルニアの郊外で1960年代に育った。車が1台、ベッドルームが3部屋、白黒のテレビ。そして生活は良かった。

Chaz Palm

左翼の愚か者はいつものように所得上位10%/所得下位90%が5年前も10年前も15年前も20年前も同じ人物だと思っている。

同じ人物ではない!アメリカの経済には非常に大きな移動/流動性がある。

PikketysもWarrensもNPRsもいつも(故意に?)その事実を無視している。

John Pound

Pickettyは笑えることに「資本」を同質な塊の集合体で毎年定期的に4%の利益を稼いでくるかのようにも仮定している。言い換えるとリスクがない(資本を持っていれば確実に4%稼ぐことが出来ると仮定している)。

Jef Kurfess

この記事で触れられていない幾つかの変数がある。

(1)不法な移民により教育水準が低く所得の低い人達が何百万人も入ってきた。それにより低所得層の所得に圧力が掛かった。

(2)1968と比較して帳簿外の所得(地下経済)はどれだけ拡大したのか?このお金はショッピング・モールなどでは支出される。だが政府の所得統計には現れない。

John Pound

1)事実でない。第二世代以降の移民は第一世代と比較して平均で見て遥かに良くなる。それがアメリカの歴史を通して真実だった。

Jef Kurfess

歴史的にはYes。移民全体ではYes。ヒスパニックの移民と不法移民の大多数ではNo。それがヒスパニック人口の多い州では低所得者が多い理由だ。カリフォルニアの非高齢者でメディケイド受給者は今では59%がヒスパニックだ。テキサスの数字は63%だ。

Jesse Cox

所得統計を政府の「間違い」リストに加えてもよいみたいだな。失業率5.6%(実際は12%なのに、職を探すのを止めた人は失業者には含まれない)みたいに。「公式の」政府の貧困率も(80以上の福祉プログラムによって支払われる給付の「現金価値」が含まれていない。例えば福祉給付の現金価値は毎年1世帯あたり350万円に達している。それに加えて52週間の休暇と無料の医療、無料の食料、無料の住宅、光熱費支援、現金による給付などが含まれていない)。

David Bryan

これは基本的な算数だ。片一方がゼロでもう一方に上限がないのならば数字が歪められる。豊かになっているのは所得上位だけかのように見える。

悲しいことに情報に乏しい投票者やリベラルの評論家は統計を単純に信じてしまう。どちらも確証バイアスに陥っているからだ。

意味のある統計は1968以降人々がどれだけ多くの物(車、テレビ、コンピューター、携帯電話など)を獲得してきたかを調べることだろう。こちらのほうが良いのは、仮に所得が停滞していると仮定しても物の真の費用が低下していることを示すことが出来るからだ。

この例外はもちろん教育だ。補助金のお陰で増加した需要により価格が400%上昇した。

Michael Wood

その通りだ…所得ではなく消費を比較せよ。

James DiLorenzo

何も創造することなく富と権力を得て資産上位1%に入ったのはウォーレン議員(純資産7~9億円)のような輩だけじゃないか。君たちも公的部門内部の政治ゲームによって生み出される下らない雇用や産物、会社のことを知っているだろう?彼らのような不正な輩は権力と富を維持し続けるために嘘を流し続けるだろう。ウォーレン議員のような不正な輩が民間部門で富を稼げると思っている人はいるのか?クリントン夫人は?シャープトンは?ゴアは?ケリーは?オバマは?彼らがこの国の経済のために貢献したものがあるのならば一つでも挙げてくれ。全員が自分の利益のために話を捏造しているだけじゃないか。

Michael McWilliams

私が証言できる唯一の「実証的」証拠は私の成人した子供とその家族の生活水準が私が同じ年齢だった時よりも遥かに高いということかな。

Thomas Yasin

数字は嘘をつかない。だが嘘つきは数字で嘘をつく。Pikettyが言うことは何一つ信用に値しない。

MICHAEL PETRINO

Thomas Yasinへ。

公平を期して言うならば彼の元の論文では彼はデータに欠陥があることを認めている。でもリベラル派が彼の論文を引用しだしてからは彼は欠陥を無視することを選んだ。

Brad Beago

オバマ大統領が一般教書演説でこれを何度も取り上げたので主要メディアが毎日のように繰り返すようになった。統計を利用したでっち上げだった。それでもメディアでは聖歌のように流され利用されている。

Michael Wood

私は1968に19歳だった。その頃のことをよく覚えている。現在の19歳はその当時の私よりも遥かに高い生活水準をしている。党派的な経済学者が示そうと意図していることとは無関係に。

ROBERT EVANS

欠陥データが聖歌として流されメディアによって利用されていることに驚く人がいることの方が不思議だ。悲しいことにこれら「与えられたもの」に疑問が挟まれることはなくそれらが「真実として」受け入れられるまでは嫌になるほど繰り返し流される。これらの統計がどれほど欠陥を抱えているかを分かりやすい言葉で大衆に説明するにはどのような能力が必要となるのか分からない。これらの嘘に反論しなければ(そして彼らは嘘だと分かっている!)民主党に大衆を煽動させ続けるフリーパスを与えることになる。

JASON A YUNKER

Pickettyの本を批判する目的でReynoldsは気の利いた戦略を採用した。私達が気に入らない意見に「ヴードゥーエコノミクス」とレッテル貼りする時のように「mumbo-jumbo(意味不明の意味)の経済学」と呼んだ。それはまるでお金持ちが「階級闘争」という言葉を用いる時に彼らが労働者と何か共通点でも持っているかのような物の言い方だ。

統計の誤りが結論を導くのに用いられている。でもReynoldsはそれ(統計の誤りを指摘すること)をこの本がまだ新しかった6月に行っている。彼が上記の結論に達するのにそれだけ時間が掛かったと本気で考えるべきか?それともこれを彼の所属する研究機関の立場を強化するための党派的な行いと考えるべきか?

Robert Batelli

君は意味不明のと呼ばれたのが気に入らなかったんだね?ではがらくた経済学ではどうだ?君が何と呼びたいと思っているかに関係なく筆者はPickettyとオバマ政権の用いている数字が如何に欠陥だらけかを正しく指摘している。どうして君は記事の中で指摘されている問題に言及するのではなく代わりにレイノルズの記事を書いたタイミングと記述の仕方の方を気にするんだ?

Robert Girard

君は誰かが捏造したら他の人は限られた時間内にコメントしなければいけないとでも言うのか。そしてその時間を過ぎたら皆は他の話題に「移動」して出鱈目を受け入れろと??

Michael Wood

記事のタイトルへの抗議は編集者に向けて行うべきだ。彼はタイトルに関わっていないと思うよ。

Robert Batelli

君は動機を話題にしたいみたいだけどオバマ政権の動機にまったく触れないのは何故なんだ?

Gerald Ference

経済学が「意味不明」なのは至る所で用語が一貫して用いられていないことも原因だろう。例えば平均所得、中央所得、粗所得、純所得、税引き後所得、個人所得、家族所得などが頻繁に使用され一つのレポートと他のレポートとを正確に比較するのが困難になっている。時間の経過に対しては特にそうだ。経済学が「意味不明」なのは意図的なものでだから騙しのゲームは納税者からの強い抗議を受けることもなく継続されると思うかもしれない。

JASON A YUNKER

分かった…ここに選択がある。君たちは以下のように明白なことを指摘する人を選ぶことが出来る。American Dreamは最早平均的なアメリカ人には手の届かないものだと。もしくはお金持ちをお金持ちで居させ続けるという隠された動機をあからさまに持って君の財布が感じている苦しみは全部幻なんだよと教えてくれる人を選ぶことが出来る。実際君たちは苦しみを感じていないのかもしれない。所得格差も何の問題もないしすべては順調だ。

George Condit

American Dreamは最早手が届かないというのは事実でない。自分が生きた証拠だ。秘訣は必要のないものにお金を使わないこと、中古車を購入すること、外食を控えること(4ドルのコーヒーも含む)、必要のなくなったものを売ること、お金を借りないこと。たったこれだけのことをするだけでほんの数年で家も買えるし退職後に大金が残る。それに考えられる限りのものが手に入る。これは完全に実行可能だ。財布が苦しいと不満を言ったり他の人にお金を支払わせたりしても皆が悪くなるだけだ。

Michael Wood

経済学なんかを持ち出すまでもなく身の回りにある車、電化製品、娯楽、余暇、料理、衣服、旅行、医療などようするに「平均的なアメリカ人」の消費を見てみればいい。そしたら彼らが感じていると君が勝手に思い込んだ「苦しみ」は単なる笑い話でしかないと分かるはずだ。

CHRIS HART-ZAFRA

でも本当に酷い欺きはリベラル派の誰も中間層の生涯所得に関して何も語っていないということだよ。彼らは1975に20歳だった人が2015に60歳になっても所得が同じだと思っている。これほど真実からかけ離れていることはない。アメリカに対する社会的経済的中傷だよ。

平均で見て中間層の所得は2階層上昇する。40年後では大金を手にしている。

だからウォーレン議員の言うこととは真逆で中間層は個人としても集団としてもアメリカで現在も繁栄しているよ。

PATRICK HUTZEL

「中間層経済学」というのはリベラル派の政策の失敗から目を逸らさせるための詭弁だろう。

このような用語を用いるのはリベラル派を利するだけなので止めた方がいい。

Stanley Klunder

私が仕事で国中を旅行していた頃、各地に変化があった。かつては砂漠、郊外、田舎であった所にショッピング・モール、住宅、コミュニティが次々と広がっていった。

都市の中で捨てられていた地域にはレストラン、店、アパートメント、コンドミニアムなどが建てられ再生そして再建されていった。

退職者が集まっている地域では人々が寒い地域から離れ老後に適した場所を探し求めてくるので拡大は非常に大きなものだった。

40年間も所得が増加していないというのならばこのような活動が起こり得るのだろうか?

魔法のようだとしか言い様がない。

GEORGE CERNIGLIARO

アメリカで貧しい人が増加しているのならば通りには暴徒がいると思うだろう。あー、(極左として知られる)Sharpton/MSNBCに煽動される人達はいたな。

Paul Cooper

>CBOの推計も統計局の推計も6年間だけの停滞を示しているだけであって40年間ではない。

この6年間に政治を動かしていたのは誰だ?リズ・ウォーレンとそのお友達バラク・オバマじゃなかったか?

民主党が政権を取った時に経済が不況になる傾向があるのは偶然じゃない。それは因果関係でそして故意だ。オバマとウォーレンとそしてヒラリーにとって最も優先順位が低いものは繁栄した中間層だ。選挙で勝つには単純に票が足りないのだろう。

Robert Lynch

所得税の納税申告書と比較してみれば歪曲はさらにひどい。世帯人数は減少し単身世帯が増加している。働き手が1人であればもちろん働き手が2人よりも申告額が少ないだろう。これは人口構造のシフト(これはこれ自体として分析する必要がある)で所得の低下を意味するのではない。

David Eyke

アメリカの中間層の所得にリベラル派が超ヒステリーを起こすのは彼らが単純なある一つのことを理解してないからだ。

GDPデフレータは非常に粗末な指標で1950年代からまるっきり改善されていないということを。極めて短い時間を除いて大まかな推計を生み出す能力でさえ失っている。

それはGDPデフレータが選択を無視していることにある。選択は資本主義の特筆すべき能力だ。消費者は価格だけでなく質や商品やサービスへのアクセスのし易さなど様々なことから選択することが出来る。

今日の車/テレビ/コンピューター/電話は1970年代の物とは比べ物にならない。

住宅-現代の住宅(その質、デザイン、広さ、断熱水準さえもが)は1970年代に人々が住んでいた物とはほとんど比較することが不可能だ。もし1970年代に政府の公営住宅に住んでいる貧しい人がいたとすれば現在では貧しい人でも住んでいる今日の都市と郊外にあるような大きなガレージ付きのレンガ造りの家と比べればその人の住宅環境はほとんどスラムに住んでいるようなものと言っていいだろう。

ケアサービス-ケアサービス(医療、歯科治療、緊急医療、その他諸々の物は1970年代には想像することさえ出来なかった)はすべてのサービスがすべての街角で受けることが出来る。時間が大幅に節約できる。手術は極めて短い時間の間に行うことが出来て1970年代と比べて遥かに多くの治療を行えるようになった。理学療養所は通りに沿って軒を連ね角を曲がっても続いている。近代の価格破壊的な食料雑貨店には1970年代には存在しなかった様々な珍しいフルーツや野菜の棚で溢れかえっている。

GDPデフレータにはこれらのものが何も反映されない。それはGDPデフレータが経済の道具というより非常に原始的な会計の道具だからだ。会計士は質や選択肢などを測ろうとしない。

現在の中間層は1970年代の中間層と比べて圧倒的な購買力を持っている。

でもそれを理解するには質や選択や利便性の価値を割り当てる必要がある。現代の中間層のライフスタイルに大きな影響を与えているものだ。

階級闘争を煽る経済学者たちがやりたがらないことだ。

Michael Lail

じゃあ、オバマ政権と民主党は所得下位90%の所得が長期間に渡って停滞したと主張するために政府の移転支払いと政府給付を除外した出鱈目な統計を用いているということなのか?彼らの解決策は?彼らが移転を正当化するために使用したはずの統計を「まったく」改善させない政府による移転支払いの増額。狂気としか思えないよ!

Octavio Lima

どれだけの人がこの記事を読むだろうか気になる。たったこれだけの長さの記事で階級闘争を煽る2つの主張を粉砕してしまった。1つ目は所得が停滞したというものでこの記事が主に標的にしているものだ。2つ目は「中間層」の税率は「富裕層のためだけのブッシュ減税」によって引き下げられていないというものだ。このことは実際のデータと政府自身の報告書を見ている人には明白なことだった。

JAIRO PUENTES

リベラル派がすることはすべて嘘か作り話だ。

Stephen Craffen

私達の生活を支配する政策を実行するために彼らは嘘と作り話を必要とする。私達に許されている判断は彼らの幼稚な世界観に適したものだけだ。

Steven Price

港湾労働者の賃金1420万円に関して尋ねられた時、Ortega広報官はそれが中間層の生活に掛かるお金だと言った。わあ!

彼らは他の人達よりも裕福なようだ。

ミス・ウォーレンにその驚くような、間違い、停滞した所得に関してどう思うか聞いてみたいものだ(staggeringとstagnatingを掛けてる)。

ALAN SEWELL

中間層は繁栄しているのか?または日々の生活を何とかやり繰りしているのか?

事例証拠は圧倒的に繁栄しているを支持している。私は先日ジャクソンビルの郊外にある大き目のショッピング・モールに行ってきた。ショッピング・モールはほぼ1平方マイル(1マイル=約1.64キロメートル)が高価なブランド品の店で埋め尽くされていた。駐車場はBMWでいっぱいだった。3台連続でBMWに出くわした。それからフォルクスワーゲン・キャディ、その後はレクサス、そこからもBMWで溢れていた。

あれは進歩だった。ジャクソンビルの「大き目のショッピング・モール」がKマートで駐車場が錆びたピックアップ・トラックで埋め尽くされていたのはそれほど前のことではない。

私は昨年の9月に同じようなものをシカゴの郊外でも見た。私は10年前に退職した友人と食事に出掛けた。彼はシカゴの郊外に住んでいる人達が(金融危機の影響から?)如何に回復するのに苦労しているかを語った。だが駐車場の車はすべてBMWかフォルクスワーゲン・キャディだった…
筆者の主張に全面的に賛同する訳ではないが、興味深い部分とグラフがあったので取り上げた。

Guess Who Really Pays the Taxes

Stephen Moore

1. Are income taxes fair?

その質問の答えは誰に聞くかによる。民主党の大統領候補であれば確実にNoと言うだろう。John Edwardsは「税制に公平さを取り戻す時が来た」と述べている。Hillary Clintonは「中間層と労働者達は税の負担が増える一方だった」と嘆く。だがアメリカ人は過去7年間税制がより公平になってきたと考えているようだ。ギャロップの4月の調査によると回答者の60%は税制が公平だと思うと回答している。税制が公平でないと思うとした回答者は37%だった。1997にはこの数字は公平だと思うが51%で公平でないと思うが43%だった。

(以下大幅に省略)

12. Do tax cuts on investment income, such as George W. Bush’s reductions in tax rates on capital gains and dividends, pri­marily benefit wealthy stockowners?

New York Timesは2003の投資減税の43%を富裕層がかき集めたと報じている。投資減税は株の持ち主に大きな恩恵を与えるというのは確かだ。だが彼らの大部分は富裕層ではない。最新の調査によるとアメリカ人の52%は株式を保有していてキャピタル・ゲイン減税と配当減税から直接に利益を得ていることが明らかになっている。配当減税により配当を支払う企業の数も激増した。National Bureau of Economic Researchは「2003の税制改革後の配当支払いの急増は近年では前例のないものだった」と指摘している。配当所得は2003の減税後に50%以上増加した。

同様の現象はキャピタル・ゲイン税でも起こっている。キャピタル・ゲイン税は資産の持ち主が株式、持ち家、事業を単に保持したままにすることにより避けることが出来るので自発的な税という側面がある。この「ロック・イン」効果は現金を引き出しより生産性の高い資産に投資をさせるのではなく資産の持ち主に質の低い投資をし続ける税のインセンティブを与えるので経済的に非効率だ。キャピタル・ゲイン税率が引き下げられる時には人々は資産を質の低い投資から解放し他の生産性の高い資産へ再投資する。

クリントン大統領の下で成立した1997の税制改革によりキャピタル・ゲイン税率は28%から20%へと引き下げられた。そしてキャピタル・ゲインからの税収は3年でほぼ2倍になった。2003の税制改革によりキャピタル・ゲイン税率は今度は15%へと引き下げられた。そして2002から2005の間に所得として申告されたキャピタル・ゲインは154%(2.5倍以上)激増した。


このキャピタル・ゲインの実現益の爆発的な増加は株式市場の上昇によっては説明することが出来ない。株式市場は2003から2005の間に平均で年率13%上昇した。キャピタル・ゲインからの税収は政府の予測モデルが予測したものをも遥かに上回っている。2003から2007の期間で実際のキャピタル・ゲインの税収は予測を(1ドル=100円として)20兆円以上上回り続けた。

経済学者は所得上位1%のシェアが上昇することと格差が拡大することとは同じことだと勘違いをしていた?Part7

Yes, r > g. So what?

N. Gregory Mankiw

彼の本では資本の利潤率rは経済の成長率gを上回りそれがこれからも将来にわたって続いていくと記されている。彼はこのことを大胆に「資本主義の本質的な矛盾」と呼ぶ。仮にr>gであれば資本家の富は労働者の所得よりも速く増加し「終わりのない格差拡大のスパイラル」になるだろうと彼は主張する。(私のように)自由な資本主義を人類の最も偉大な達成物の一つで社会を組織する最高の方法だと考える者にとってその結論は重大な挑戦を提示している。

新古典派の成長理論を学んだ経済学者にとって彼の主張は奇妙に思われる。条件r>gはよく知られたものだ。教科書のソローモデルでは資本を黄金律以上に押し上げる程経済が貯蓄をしない限りは定常状態の条件として自然に得られる(Phelps 1961)。このモデルではr>gは問題ではなくr<gの方が問題だ。仮に利潤率が成長率よりも低いのであれば資本は(最適な水準を超えて)超過に蓄積されるだろう。この動学的非効率の状況ではすべての世代の厚生が経済の貯蓄率を引き下げることにより改善するだろう。この観点からは我々がr>gの世界に生きていることをむしろ喜ぶべきだ。動学的パレート改善の余地が残されていないことを意味するからだ。

その上、r>gにより「終わりのない格差拡大のスパイラル」に向かっていくという主張を疑う良い根拠がある。r>gの経済に住んでいて子々孫々まで富裕層であることを確保したいと願っている裕福な人を想像してみよう。彼は自分の資産を子供に相続させることが出来る。だが彼の子孫が富裕層のままでいることを確保するためには彼は3つの障害に直面する。

第一に、彼の遺産の相続人は彼らが相続した遺産の何割かを消費するだろう。ここでの目的に関連する消費には食料、住居、浪費だけではなく(アメリカの)富裕層に顕著な寄付も含まれる。理論と実証研究に基づく妥当な資産の限界消費性向は3%だ。従って仮に資産の利潤率をrとするならば資産はr-3の率で変化する。

第二に、資産は子から子へと受け継がれ増える一方の子孫たちの間で分割される。(これは相続人が完全に選択的に結婚すれば問題ではないかもしれない。すなわち彼ら全員が同額の資産を持つ誰かと結婚するような場合だ。だが感情の問題がそれほどきれいに割り切れるとは到底思えない)。この効果を簡単に試算してみよう。すべての人が子供を2人持つと仮定する。従って相続人の数は世代毎に2倍になる。各世代が35年離れていると仮定すると相続人の数は年率2%で増加する。従って家族の資産はr-3の率で変化し相続人一人あたりの資産はr-5の率で変化する。

第三に、多くの国の政府は遺産と資本所得に税を課している。アメリカでは相続税の税率は40%だ。私が住んでいるマサチューセッツ州ではそれに加えて16%の相続税を課している。その結果として家族の資産の半分以上が各世代毎に政府によって持ち去られる。再び各世代が35年離れていると仮定すると相続税により資産は年率2%で減少する。加えて富裕層が生きている間に課せられる資本所得税により資本の蓄積はさらに減少させられる。この効果を大まかに年率1%とする。先程の効果と合わせると年率3%の減少だ。だがここでの富裕層が課税対策に特に長けていると仮定しよう。そして税の影響をわずか2%と敢えて仮定する。従って課税の影響を考慮に入れると相続人一人あたりの資産はr-7の率で変化する。

我々は今ではこれら3つの効果を考慮に入れて彼のロジックを検証することが出来る。彼はr>gであれば富裕層の資産は労働所得よりも速く増加すると考えた。だがこの条件は消費、生殖、課税を考慮に入れれば十分ではないことを今では我々は理解している。その代わりに「終わりのない格差拡大のスパイラル」が到来するためには利潤率rが経済の成長率gを少なくとも年率で7%ポイント上回る必要がある。

このシナリオは我々が経験しているものとは程遠い。彼は実質の利潤率を4%または5%と推計している。標準的なファイナンスの理論からは妥当な値に思われる。一方でアメリカの成長率は3%ぐらいだった。よってrがgを上回っているという点では彼は正しいがわずか2%ポイント上回っているに過ぎない(rが4%であれば1%ポイント)。彼が想像したディストピアの創生のために必要な7%ポイント以上にはまったく及ばない。

さらに、(経済学者は将来を予想することが不得意ということで悪名高いとはいえ)これから先rがgを7%ポイント以上上回るようになるとは考え難い。利潤率が5%ポイントのままで一定とするならば条件が満たされるためには経済の成長率は-2%にならなければならない。慢性的な停滞では十分ではない。慢性的な衰退を必要とする。逆に将来の成長率が2%だとすれば利潤率は5%から9%以上へ上昇しなければならない。そのような数字は年金や基金の管理人が想定している利潤率からはかけ離れている。

従って消費、生殖、課税がこれまでもそして恐らくこれからも富裕層の資産を希釈するのに十分な力を持ち続けるだろう。その結果として少数の富裕層によって支配される将来が訪れるとは私には到底思えない。

だが私が間違っていると敢えて仮定しよう。資本がスパイラル的に蓄積していくと仮定する。それにも関わらず私は彼の提案に懐疑的であり続けるだろう。簡単な新古典派成長モデルが彼の提案の問題点を教えてくれる。

労働者と資本家という2種類の人で経済が成り立っていると仮定する。労働者は非弾力的に労働を提供し所得をすぐに消費すると仮定する。数の少ない資本家が資本を所有し彼らが永続的に続く王朝を表すと仮定すると彼らは標準的なモデルに従って消費を最適化すると仮定できる(ラムゼイモデルのように)。労働者と資本家は労働節約的な技術進歩を仮定した生産関数の下で協同して生産する。そしてそれぞれの限界生産物の価値を所得として受け取る。加えて彼の助言に従って政府は資本に毎年τの税を課すと仮定する。

単純化するために経済の定常状態に焦点を絞ろう。よく用いられる表記法を用いて経済を以下の式で記述するとする。

(1) cw = w + τk

(2) ck = (r − τ – g)nk

(3) r = f ’(k)

(4) w = f(k) – rk

(5) g = σ(r – τ – ρ)

cwは労働者の消費、ckは資本家の消費、wは賃金、rは(税引前の)利潤率、kは労働者一人あたりの資本ストック、nは資本家一人あたりの労働者の数(だからnkは資本家一人あたりの資本ストックだ)、f(k)は(減耗を考慮した)生産関数、gは労働節約的な技術進歩率よって定常状態の成長率、σは資本家の通時的代替の弾力性、ρは資本家の時間選好率だ。式(1)は労働者が自身の賃金に加えて政府からの移転を消費することを示している。式(2)は資本家が資本に対する税引き後のリターンを消費し定常状態の資本/(実効)労働者比率を維持するのに必要な量を貯蓄することを示している。式(3)は利潤率が限界生産物と等しいことを等しいことを示している。式(4)は労働者は産出から資本の取り分が差し引かれた残りを受け取ることを示している。式(5)は資本家のオイラー方程式から得られる。これは資本家の消費の成長率(定常状態ではg)を税引き後の利潤率と関連付ける。

この経済での定常状態での利潤率はr=g/σ+τ+ρなので条件r>gは自然に発生してくる。カリブレーションによってg=2、τ=2、ρ=1、σ=1と置くとr=5となる。この経済ではr>gであるにも関わらず「終わりのない格差拡大のスパイラル」は存在していない。代わりに定常状態の格差の水準がある。(消費を最適化している資本家は自分達の資産が労働所得よりも速く増加するのを妨げるのに十分な量を消費する)。仮に資本家一人あたり労働者の数nが大きいと仮定すれば資本家は高い生活水準を享受することが出来るだろう。この場合では労働者の消費と資本家の消費の比率cw/ckは格差の代理指標となり得る。より平等であればcw/ckが高くなる。

今度は政策的な問題を考えてみよう。政府は資本課税τをどの水準に置くべきか?驚くべきではないが答えは目的関数の形状による。

政策当局者が式(1)から式(5)までを制約条件として労働者の消費cwを最大化したいのであればτ=0を選ぶだろう。この結果は最適課税理論の分野ではよく知られたものだ(Chamley 1985, Judd 1985, and Atkeson, Chari, and Kehoe 1999, recently reconsidered by Straub and Werning 2014)。この経済では資本課税が資本の蓄積、労働生産性、賃金を減少させるので資本を持たずさらに資本課税によってファイナンスされる補助金を受け取る側であるはずの労働者の立場から見ても望ましくない。

対照的にこの経済の政府が金権主義だと仮定しよう。資本家の厚生だけを考えているとする。この場合では5つの制約条件の下でckが最大化されるようにτを選ぶだろう。最高の政策は労働者からの税によってファイナンスされる資本への補助金だろう。すなわちτを可能な限りマイナスにすることだ。仮に労働者にある最低生存水準があるとすれば労働税と資本への補助金により労働者の消費は最低生存水準以下に押し下げられるだろう。

今度は政府が労働者と資本家の間の格差を気に掛けていると仮定しよう。特に政策当局者がcw/ckの比率を上昇させたいと考えていると仮定する。この場合ではτが正の値であることが最適になる。仮にcw/ckを最大化することだけが唯一の目標であれば資本課税は可能な限り大きくなるはずだ。資本に課税すること労働者に移転を行うことは労働者と資本家両方の定常状態の消費を減少させる。だが資本家の方をより高い率で速く貧しくさせる。標準的な生産関数の下では資本課税の増加はcw/ckを上昇させる。

従ってこの簡単な新古典派成長モデルでは消費の水準を気に掛けるのであれば資本への正の課税は推奨されない。だが格差のみを気に掛けるのであれば魅力的かもしれない。ウィンストン・チャーチルの言葉を不正確に借りれば、自由市場の本来的な悪徳は幸福の不平等な配分にあり資本課税の本来的な悪徳は悲劇の平等な配分だ、と言えるだろう。

これまでは彼が推奨している唯一つの政策に関して議論してきた。だが他の政策を考えることも出来る。この経済で平等を追求するより良い政策は(そして私は現実世界でも同様だと信じているが)累進的な消費税だ。そのような課税により利潤を歪めることなく従って資本の蓄積を阻害することなく労働者と資本家の消費を平等化することが可能になる。累進的な消費税の下では資本家はこの税制でない場合の時と同じぐらい豊かだが資産からの果実を完全に享受することはないだろう。

このモデルを背景に置いてより大きな問題を考えよう。どうして我々は資産の格差を懸念しなければならないのか?どうして他の誰かが資産を持っていて利子収入を得ていることを気にしなければならないのか?彼はまるで我々全員が彼の好みを共有しているかのように資産の格差に関して書いている。だが政策を議論する前に本当に格差がそれ程大した問題か?ということを考えるのが賢明だ。

答えを探す一つの場所としてはオキュパイウォールストリート運動がある(省略)。

他の理由としては資産格差が不公平だと見做しているから反対するという可能性が挙げられるだろう(この話題も繰り返しなので省略)。

最後の理由としては資産格差が民主主義への脅威となるという可能性が挙げられるだろう。彼はこの懸念に関して本全体を通して触れている。私はそれほど懸念していない。資産家の中には両方の政党への支持者がいる。ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、ジョン・アダムス、ジェームズ・マディソンなどのアメリカの建国の父たちは非常に裕福な人達だった。(今日のドルで見た)純資産の推計によると(1ドル=100円として)20億円から500億円の資産があったと云われている。彼らは全員恐らく資産上位0.1%に属していただろう。これは資産の蓄積と民主主義的な価値が完全に両立することを如実に物語っている。それでもなお資産格差が政治的理想の基盤を損ねるというのであれば選挙システムの改革の方が成長を阻害する資本への課税よりも好ましいだろう。

経済学者は所得上位1%のシェアが上昇することと格差が拡大することとは同じことだと勘違いをしていた?Part6

内容を理解するのに必要と思われる事前知識や注意点を幾つか挙げる

・「所得」格差と「資産」格差を(意識的にしても無意識にしても)同じものまたは似たようなものと思っている人が多いと思われるが両者は異なり、ここでの話題は「資産」格差。

・ここも重要だが、資産格差の研究は(まともなもので自分の知っている限り)すべてがアメリカの資産格差はほとんど拡大していないということを示している(細かく見ると、資産上位1%の資産シェアはほとんど変化しておらず資産上位10%の資産シェアは少し上昇している)。

・その中にはピケッティの元共同研究者でIRSのデータを用いてアメリカの所得格差が拡大したと主張したサエズも含まれる。

・そのサエズが、フランスの経済学者ザックマン(何年か前に、富裕層がタックスヘイブンに保管している資産の推計を行った。興味深い点が幾つかあったので実は訳そうと思っていたけど面倒になったので止めた)と一緒になって、昔は使用されていたが今では誰も使用することがなくなった方法で、今度はアメリカの資産格差が拡大(しかも大きく)していると主張しだした。

・ピケッティは本の中で、自分の本のデータはサエズ・ザックマンのもので置き換えられるべきだと主張している。

・これに対して、これまたサエズの元共同研究者でサエズと一緒に所得格差(こっちは拡大したと主張)や資産格差(こちらは低下したとの結論)の研究を行ったコプチャックが今度はサエズ・ザックマンに対して批判論文を書いた(それぞれの方法論が抱える問題点の整理という体裁を取っているから批判という部分は主観だが)。

・Kopczukは所得格差は拡大しているが資産格差は拡大していないと主張していて、実際Kopczuk and Saez (2004b)では相続税のデータを用いて資産上位1%の資産シェアに変化がない(というより資産格差が拡大したことを示した研究はここで批判されているものを除いて存在しない、というかあれば取り上げている)ことを示している。

WHAT DO WE KNOW ABOUT EVOLUTION OF TOP WEALTH SHARES IN THE

Wojciech Kopczuk

Pikettyは「Capital in the Twenty-First Century」の中で将来富の分布が極端に偏ると論じている。彼によると、金利生活者達は歴史的に数が多く政治的、社会的な影響力を持っていたという。資産のほとんどは相続されるので現在の資産の分布は金利生活者がどの程度重要度を持つかによって少なくとも弱くまたは恐らくは強く予想できる。「the rentier, enemy of democracy」のような描写を真に受けるかどうかに関係なく、富裕層が労働から所得を得るのか利子から所得を得るのかその程度は社会がどの程度能力主義なのかを評価する際に一つの判断材料となり得る。

この章ではアメリカの資産分布を調べる際の3つの異なる方法に関して議論する。一つは、FRBが行っているSurvey of Consumer Financeのデータを用いるsurvey-based method。一つは、相続税の納税申告書のデータを用いるestate multiplier method。一つは、個人所得税の納税申告書の資本所得のデータを用いて資産の額を推計するcapitalization method。Thomas Pikettyが本を書いた時には、estate multiplier methodとSCFに基づく推計しか利用可能でなかった。capitalization methodは本が出版されてからSaez and Zucman (2014)によって推計された。さらに、ここでは第4の方法である富裕層のリストの有用性に関して簡潔にコメントする。

以下ではこれらの方法論のそれぞれの強みと弱点に関して議論する。それぞれの推計結果の差に関して特に詳細に議論することになるだろう。survey-based methodとestate multiplier methodは資産上位1%の資産シェアがほとんど上昇していないことを示している一方で、capitalization methodでは上昇している。その理由を以下で幾つか述べる予定だ。例えば、survey-based methodは超富裕層の資産を把握しているのか、超富裕層の死亡率は普通の富裕層と本当に大きく異なるのか?(死亡率は相続税から資産を推計するのに必要となる)、利潤率の仮定の問題、税制の変化の問題、所得と資産の関係を変えてしまうビジネス慣行の問題などを取り上げる。

Basic Patterns in the Concentration of Wealth

富裕層の資産を調べるのに主に4つの方法がある。第一は、富裕層を重点的に過重にサンプルする方法だ。Survey of Consumer Finances(以下、SCF)はその唯一の物だ。第二は、アメリカには毎年課されるような資産税はないが(フランスやノルウェーなど2,3の国で存在する)相続税はある。その相続税を用いる方法だ。第三は、資産自体は税として申告されないものの資産が生み出す資本所得(の一部)は課税所得として観測可能だ。それにより年間の資本所得に基いて資産の分布を推計する機会が生まれる。最後は、富裕層のリストだ。フォーブス誌はそのようなリストを1982以降出版している。

これらのデータがカバーする範囲はそれぞれ異なっている。基本的に、survey-based methodとcapitalization methodは資産分布全体を扱うことが可能だ。estate multiplier methodは相続税の対象となる人々から推計される範囲に限定される。2001以降、特に2010以降は課税の範囲が大きく狭まったとは言え、20世紀のほとんどの期間でこの方法は資産上位1%の資産シェアを推計することが可能だ。富裕層のリストは富裕層の中でも非常に少ない超富裕層に限られカバーする範囲も体系的ではない。

データがカバーする期間の方はというとestate multiplier methodとcapitalization methodは20世紀の初めまでさかのぼって推計することが可能だ。アメリカの所得税は1913に導入され相続税は1916に導入された。SCFは1989以降、3年おきに利用可能だ。その前身となる調査が1962(Survey of Financial Characteristics of Consumers)と1983(これもSurvey of Consumer Financesと呼ばれる。だが後の調査とは方法論が異なる)に行われている。カバーする範囲とサンプリングの方法が異なるので1962と1983の推計を見る際には特に資産上位1%に関して注意が必要だ。ここで紹介しているcapitalization methodはSaez and Zucman (2014)によるもので1913から2012の期間をカバーしている。

以下で議論するように4つの方法それぞれに強みと弱点がある。それに触れる前にグラフから読み取れることを確認しておこう。図1は資産上位1%と資産上位0.1%の資産シェアの推移を図解することが可能な方法を用いて示している。図2は資産上位10%の資産シェアの推移をsurvey-based methodとcapitalization methodを用いて示している。それとは別に資産上位90%から資産上位99%(資産上位10%から資産上位1%を除外したもの)の資産シェアの推移も示してある。幾つかの特徴が注目に値する。

それぞれの方法はカバーする期間と範囲も異なる。さらに結果も(すべての期間で)一致しているわけではない。それぞれの方法の強みと弱点を理解するためにはそれぞれの方法が置いている仮定やデータの元を理解することが重要だ。以下の章では4つの方法をそれぞれ詳細に議論しさらにその後の章で4つの方法の間で発生している乖離に関して説明を行う。

Four Methods of Measuring the Wealth Distribution

Survey of Consumer Finance

SCFは家計の金融資産を補足する目的で作成された。Bricker et al. (2014)とKennickell (2009b, 2009c)はその設計を詳細に説明している。この調査での資産の定義には資産と聞いて人々が普通思い浮かべるような種類の資産が含まれている。Kennickell (2009b)はこの調査から除外されている最も重要なもの(資産)には確定給付型の年金からの予定支払額(それに合わせて、自然に社会保障の資産も除外されている)、年金や信託からの所得、人的資本などが含まれると結論している。これら除外されたものは取引することが難しいか不可能な(所得を生み出す)資産で、そして(資産の保有者の死亡時に支払いが停止するので)相続税からも逃れている。

資産分布の上位側を正確に補足するために普通は全人口からランダムにサンプリングを行う所を、SCFでは所得税の納税申告書から作成される階層化された「サンプル名簿」を用いて補完を行っている。その結果、SCFでは資産分布の上位が大幅に過重サンプリングされている。だが、サンプルからはフォーブス400に掲載されている人は例えサンプルに選ばれていたとしても明示的に除外されている。Kennickell (2009a)はフォーブス400からサンプルされた人(ただし、後で除外された)の数は期待値を下回っていると記している。これはフォーブス誌に掲載されている人の資産が信託に預けられているためか、複数人の家族がいるためか、フォーブス誌のエラーのためか、Statistics of Incomeに存在するエラーが原因だと思われる。

SCFに寄せられている懸念は富裕層の回答率が25%だということだ。Kennickell (2009a)は回答率の問題と富裕層に接触することの難しさに関して議論しインタビューに掛かる時間が回答を得る際の最大の問題だと結論している。この富裕層のサンプルは外部の所得税の情報に基いて選ばれていることから(観察可能な特性に従って体系的に変化する)潜在的な非回答バイアスを調整することが基本的に可能だ。例えば、回答率の低さが原因で若年層または富裕層のサンプルが少なければ同様の特性を持っていてインタビューに回答した人がより重点的に重み付けされるだろう。だが、Kennickell (2009a)は非回答バイアスがあるという証拠がほとんどなかったことを発見している(*これは恐らく加重サンプリング前と後との結果を比べてほとんど変化がなかったことから簡単に判明すると思われる)。回答の拒否(そしてその理由)は所得税の情報から得られる資産の指数と関連していないように思われると彼はコメントしている(*回答の拒否が何らかの要因、例えば所得などと関連していれば富裕層が回答を拒否しやすい→富裕層がサンプルから外れやすい→推計にバイアスが掛かるということが考えられるが、回答の拒否がランダムであれば例え回答率が低くても推計にバイアスは掛からない)。もちろん、サンプルが何らかの非観測の特性と関連しているという可能性を排除できるわけではない。だが、サンプルは所得税のデータを用いて把握することが出来る特性に対してバイアスが掛かっていないという検査を通っているように思われる。

注3 この点を確認することがSCFの職員の研究課題となっている。そしてこの結論が最近のほとんどの研究でも確認されていることを彼らに聞いて確認した(私的な会話で)。

Estate Tax Data

1916以降(相続税の要件が一年間だけ削除された2010を例外として)、ある一定額以上の遺産の相続は相続税の納税申告書に記載しなければならないことが定められている。その閾値となる額は時とともに大きく変化しているが20世紀のほとんどの期間でその額は相続税の対象となる遺産の被相続人の1%ぐらいに対応している。これにより相続税の納税申告書から富裕層の被相続人の死亡時の資産のスナップショットを推計することが可能になる。

この方法で最初に問題になってくるのは被相続人を全体にどのように一般化するかだ。Kopczuk and Saez (2004b)ではその方法論に関して集中的に議論している。基本的な考えは被相続人を生存人口からのサンプルと見做すことだ。個人固有の死亡率miがサンプリング率となる。仮にmiが分かっていれば、生存人口の資産の分布は被相続人のデータを(「相続税乗数」と呼ばれる)サンプリング率の逆数1/miで再加重することによって推計することが出来る。Lampman (1962)がアメリカの推計を最初に行った。とは言ってもイギリスのデータを用いた初期の推計は既にあったが。

Kopczuk and Saez (2004a)は利用可能な年度の相続税の納税申告書のデータを用いてそのような推計を行っている(1916から1945、1946から1981までの間の数年、1982から2000)。そして、1946から1981のデータが利用可能でなかった期間のうちの他の数年間(全部ではない)を詳細な目録が出版されている年度に対してはそれに対して補完を行っている。

相続税乗数の技法を適用する際に重要になってくるのが死亡率の選択だ。人口全体の死亡率は年齢と性別に関して相対的に簡単に知ることが出来るが、富裕層の死亡率は他と比較して低いと言われているもののその正確な死亡率を知ることは遥かに難しい。Kopczuk and Saez (2004a)は(年齢と性別毎の)大学卒業者と全人口との間のある一時点での死亡率の差の推計(Brown et al. 2002)を用いて他のすべての年度の人口死亡率を調整している。この方法で最も懸念される所とは大学卒業者と富裕層との死亡率の差が大学卒業者と全人口との死亡率の差と同じではないという所、ではない。一次近似としてそのような差は推計された富裕層の資産の水準には影響を与えるだろうが時間経過によるトレンドには必ずしも影響を与えるとは限らない。より大きな懸念は大学卒業者の死亡率と富裕層の死亡率の差が時間によって変化しているかもしれないということだ。capitalization methodとestate multiplier methodの結果を比較する時にこの問題を再び取り扱う。

survey-based methodやcapitalization methodとは異なり、estate multiplier methodは資産を世帯ではなく個人のものとして扱う。世帯構成や世帯内での資産の分割のされ方に応じてこの方法では世帯に基づく推計よりも資産上位の資産シェアが理論上は高くもなり得るし低くもなり得る。

その他の潜在的な問題には被相続人の遺産は様々な理由から生きている富裕層の資産とは異なるかもしれないということが挙げられる。一つの例として遺産は終末期の医療に対する支出によって消滅するかもしれない。相続税のデータは富裕層が相続税対策を通して行う課税逃れ(節税)を反映するだろう。課税逃れによるバイアスの程度は評価することが難しい。だが影響は表れている。Kopczuk (2013)では利用可能な証拠に関して議論している。多くの相続税対策と課税逃れが確実にあるだろう。同時に、この現象は新しいものでもなければ相続税逃れが近年になって増加しているとするはっきりとした証拠もない。Cooper (1979)は1970年代に相続税のことを「ボランティア税」と呼んでいた。彼は多くの大胆な相続税対策の技法がその頃に可能だったことを示した。彼が議論した抜け穴の多くは最早使用することが出来ない。だが新しい方法が利用可能になっている。Schmalbeck (2001)が強調している大胆な相続税対策の主な障壁となっているのは資産に対するコントロールを譲渡することへの躊躇いだという。効果的な相続税対策には何らかの非可逆的な資産の移転が付き物になる。実際、利用可能な証拠は税を完全に最小化することを目的とする納税者であれば行うであろう仮想の相続税対策と比較して現実にはわずかしか相続税対策が行われていないことを示している(Kopczuk, 2013)。

相続税のデータは人口全体をカバーしていない。従って、資産総額を直接的に推計することは出来ない。資産総額は資産上位0.1%、1%、10%の資産シェアを推計するのに必要だ。Kopczuk and Saez (2004a)ではこの問題をFlow of Funds(資金循環統計のようなもの)のデータを用いて修正しようとしている。Saez and Zucman (2014)でも資産総額を推計するために同様の方法を採用している。

Capitalization Method

capitalization methodの背景にある考えは単純だ。仮に資本所得k=rW(Wは基となる資産の価値、rは既知の利潤率)が観察できるとすれば、資本所得と適切な利潤率の選択によって資産を推計することが出来るというものだ。資本所得のカテゴリーの多く(利子や配当など)は所得税の課税対象なので所得税のデータがこの方法の実施に際して用いられる可能性があるだろう。所得税のデータは「課税単位」がベースだ。この方法を用いて得られる推計は(個人ではなく)世帯の資産分布といったものにより近いだろう。Saez and Zucman (2014)が説明しているようにこの方法には長い歴史がある。だが最近ではほとんど用いられることがなくなった。Saez and Zucman (2014)はこれを実施しそして彼らが「distributional Flow of Funds」と呼ぶものを作成するためにこの方法を一般化した。

予想がつくかもしれないがこの方法を適用するには多くの問題が発生してくる。第一に、すべてのカテゴリーの資産が納税申告書に記載される資本所得を生み出すわけではない。例えば、確定拠出型の年金はファンドに蓄えられている間は課税所得を生み出さない。持家住宅も課税所得を生み出さない。とはいっても、固定資産税の対象にはなるだろうが。ある種類の投資からの利潤は(売却されれば)基本的にキャピタル・ゲインとして課税されるがその納税者の死亡時まで保持されることが多い。そうすることにより資本(資産)の増加から利益を得ることが可能になり(「逓増」)、その基となったキャピタル・ゲインは個人の水準では課税されることがない。

Saez and Zucman (2014)は納税申告書に記載されている資本所得は資本への利潤全体の3分の1を占めているに過ぎないと報告している。残りは他の情報から補完しなければならない。補完に際してはキャピタル・ゲインが明示的に考慮されなければならないか、未実現のキャピタル・ゲインに対応するように資本化因子が価格効果で調整されなければならない。芸術品や非公開会社/企業の資産などは簡単に修復することのできない問題のほんの一例だ。参考までにこれらの種類の資産は(1ドル=100円として)資産20億円以上の納税者(大まかに資産上位0.1%に相当する)の資産の4%、10%、3.7%を占めている。さらに住宅、生命保険、年金ファンドなどのように所得税の納税申告書に記載されない種類の資産も補完しなければならない。彼らはこれらの種類の資産は富裕層にとってはほとんど重要ではないと議論している。

第二に、資本からの期待収益も実現した利益も資産毎に異なるが所得税の納税申告書からは資本所得がどの資産から生じたのか非常に粗い分類でしか得られない。具体的には配当、利子、キャピタル・ゲイン、賃料、使用料などだ。Piketty (2014)は大きなポートフォリオの利潤率は小さなポートフォリオの利潤率を上回ると議論している。Saez and Zucman (2014)では(その空想上の)利潤率の違いを所得分布間のアセットクラス内の利潤率の相関を許容しないことで(所得税の納税申告書に記載されている所得源に対応する)主要なアセットクラスに対するポートフォリオの構成比率の違いに実質的に組み込んでしまっている。

第三に、capitalization methodでは納税申告書に記載されている資本所得の利潤率は正常利潤率であると仮定されている。この仮定が疑わしいと考える理由が幾つもある。例えば、ある一部の市場は有利な立場にいる個人に対して有利に働くように構成されているかもしれない。極端な例ではインサイダー取引が挙げられる。より極端ではない例としては高い初期投資額を要件とするヘッジファンドなどによって作られるような高利回り金融商品へのアクセスの違いが挙げられるだろう。好ましいものでその上重要な例はスキルを持った起業家や投資家に対する極めて大きな利潤率だろう。これらの例に対してcapitalization methodでは資産の水準を過大推計する。実際の実現した利潤率で割るのではなく小さな正常利潤率で割るためだ(*例えば200%で割る所を2%で割るため)。

第四に、納税申告書上では資本への利潤として扱われているある種類の所得であっても実際の資産には対応していないかもしれない。例えば、「carried interest(成功報酬のようなもの)」に関する取り決めにより投資ファンドのマネージャーには報酬の一部を税率の低いキャピタル・ゲインとして扱うことが許されている。これは高い限界税率に直面する納税者が強いインセンティブに従って行動している多くの例のうちの一例だ。他の例には条件付きストック・オプションからの支払いや非公開会社の報酬形態の選択に関する選択などが含まれる。報酬が資本所得として偽装されているそのような状況が何故資本所得が正常利潤率が示唆するよりも多いのか(そして結果として資産を過大推計するのか)のその他の理由となっている。

第五に、富裕層とは実際、回顧的に見て非常に高い利潤率を受け取った人々かもしれない。これにはマイクロソフト、アップル、グーグルなどの成功したテクノロジー会社が例として含まれる。capitalization methodでは(資産が通常の配当を支払っていれば)株式価値が増加した後に資産を把握する。とは言え、急成長している会社は配当を支払わないことが多いのではあるが(グーグルはまだ配当を払っていない。アップルは2012になってからで、マイクロソフトは2003の配当税率の引き下げに反応して支払いを始めた)。だがcapitalization methodでは個人がキャピタル・ゲインを実現するまではキャピタル・ゲインを把握することが出来ない。仮に把握しようとするとしても急成長の間に実現したキャピタル・ゲインに対応するのは非常に大きな利潤率だろう。だがcapitalization methodではそれを正常利潤率の結果として解釈し従って資産を過大に推計するだろう。この問題は資産分布の上位で特に深刻なように思われる。そしてIPOの増加とともに近年ではこのような事例が増加しているように思われる。従って、そのような問題は幾分かは平均化されるという主張を弱めている。事実、キャピタル・ゲインの問題はcapitalization method全般についてまわる問題だ。所得税の納税申告書には正しく資本化を行うのに必要な資産の保有期間に関する情報が記載されていないからだ。

第六に、capitalization methodは課税逃れ(節税)によるバイアスを強く受ける。事実、相続税のデータを歪める課税逃れ/課税対策の多くは所得税のデータにも同様に痕跡が残る。資産の譲渡などが小さな例として挙げられるだろう。

これらの問題にも関わらずcapitalization methodは図1で示したように1986辺りまではestate multiplier methodを用いて得られたものと大まかに一致している。ここで浮かび上がってくる疑問はそれ以降のトレンドの乖離の原因は何かということだ。それを次の章で説明する。

Lists of the Wealthiest

富裕層のリストはジャーナリストによって報告されているという不利を抱えている。エラーやバイアスが含まれていると考える理由が幾つかあるだろう。だが富裕層のリストの最大の利点は個人を識別出来ることで従って資産が賃金、その他の労働所得、資本所得、相続のどれから生じたものかも識別することが出来る。さらに富裕層の年齢、所属している産業、その他の要素なども知ることが可能だ。

最も良く知られた富裕層のリストはフォーブス400だろう。この集団は1983から2013の資産上位の資産シェアの上昇とされているものの2%ポイントを占めている。だが、このデータの質を懸念する理由がある。例えば、Piketty (2014, pages 441-443)は相続財産が過小推計されているかもしれないとしてデータの質に懐疑的だ。それではということでIRSの研究者が相続税の納税申告書とフォーブス誌のデータを直接比較してみた所(Johnson et al., 2013)、実際の資産はフォーブス誌に掲載されている資産の半分しかなかったことが判明した。この乖離の一部分は課税逃れや資産の割り当て方の違い(相続税は個人で、フォーブス誌は「家族(親族)」の資産であることが多い)。だが乖離はそれでも非常に大きい。フォーブス誌が資産を過大に推計している理由としては債務が把握できないことや資産価値の評価方法に違いがある可能性などが考えられるかもしれない。

Understanding Discrepancies between Different Series

どの方法が大恐慌時の資産分布の変動を把握しているのかという疑問がある。大恐慌の前の時期と後の時期とで2つの方法が似たような動きを示していること、相続税は資産を直接的に調べている一方でcapitalization methodは資本所得と資産との関係に関して正当化するのが困難な仮定に依存していることなどを考えると、後者の方法が大恐慌直後の資産分布の変動を捉えるのに問題を抱えていると考えるのが妥当なように思われる。特に、何故estate multiplier methodの方が1930から1932の非固定収入資産の減少の度合いを誇張したのかを理解するのは困難だ。

1960頃から1980年代の初期に掛けてSCFの前身を用いたsurvey-based methodが利用可能になった。3つの方法はこの期間の資産分布が(資産上位1%の資産シェアの水準には違いがあるものの)ほぼ一定であったということで一致している(capitalization methodとestate multiplier methodで資産上位0.1%の資産シェアもこの期間には驚くほど一致している)。

だが、1986頃からトレンドに乖離が生じ始める。SCFと相続税による推計は過去30年間資産上位1%の資産シェアがわずかまたはまったく上昇していないことを示している一方で、capitalization methodでは大きく上昇している(図2)。加えて、SCFでは資産上位10%から1%まで(資産上位10%から資産上位1%を除いたもの)の資産シェアが(少し)上昇している一方で、capitalization methodでは低下していることを示唆している。

この乖離はどのように説明することが出来るのか?その理由には、富裕層の死亡率が低い可能性(estate multiplier methodにバイアスが掛かる恐れ)、調査の代表性に関する懸念(survey-based methodにバイアスが掛かる恐れ)、capitalization methodの利潤率のバイアスにあるトレンド、例えば税法の変化(capitalization methodにバイアス)や課税逃れ(capitalization methodとestate multiplier method両方にバイアス)などのような、資産と納税申告書に記載されている個々の資本所得との間にある関係性の変化などが挙げられる。

Composition of Top Wealth and Tax Incentives

税のデータを用いる2つの方法が抱える問題は税のインセンティブの変化から生じる。第一に、どちらの方法も課税逃れ(節税)と課税回避(脱税)によって歪められる。このことは資産格差を小さく見せることになるもののトレンドに対して大きな影響を与えるかどうかははっきりとしない。課税逃れは新しい現象でも何でもないし課税逃れが増加したのか減少したのかはっきりしたことが分からないからだ。国際的なタックス・シェルタリングが恐らく近年では大きな話題になっているかもしれないが、法人税のタックス・シェルタリングの方が過去には遥かに大問題だった。課税逃れが時間とともに増加しているという考えは税率の推移から見ても受け入れることは難しい。所得税の最高税率は1930年代の中頃から1981までは60%を超えていた。そして最も高い時には94%だった。それが1981から1986の間に28%へと大幅に引き下げられる。そしてそれ以降も40%を下回ったままだ。さらに、課税逃れは2つの方法に同時に影響を与える可能性が高い。特に、相続税を逃れるには資産とそれに関連する所得の移転が普通は伴う。従って、相続税乗数とcapitalization method共に影響を受けるだろう。

乖離を理解する上で重要な税に関する出来事があった。1986のTax Reform Actは特に所得を法人から個人の納税申告書へとシフトさせるインセンティブを生み出し非常に大きな行動の変化を引き起こした(Gordon and Slemrod 2000)。Piketty and Saez (2003)で所得上位の所得シェアの単一にして最大の上昇は1986から1988に発生している。そしてまさしくこのインセンティブを反映している。この時がcapitalization methodが上昇ドリフトを始めたまさにその時だ。estate multiplier methodにはその時期にそのような反応は見られない。このことは(所得税の情報に基づく)capitalization methodは(他の直接的な方法には影響しない)税によって引き起こされた申告行動の変化またはキャピタル・ゲインの実現に反応している可能性がある。より一般的に、インセンティブの変化と1986以前に法人税のタックス・シェルタリングの原因となっていた法制の廃止(「General Utilities doctrine」の廃止のような)によって資産が(法人税ではなく)所得税のデータの方に現れる度合いが上昇した。そのようなトレンドは、少なくとも基本的には税の変化によるバイアスの影響を受けないSCFの方が1960年代と1980年代前半でcapitalization methodよりも大きな資産格差を示していることとその差が時間とともに消滅したのは何故なのかの潜在的な説明になる。

大恐慌の直後と同じように、2つの方法で生じた乖離は資産上位の資産の構成の乖離にも求められるかもしれない。図3が示すように、2つの方法の1986の急激な乖離は最初には固定収入部分の変化によってもたらされている。1986のTax Reform Actに関連した2つのインセンティブの変化がこのことの潜在的な理由として挙げられるだろう。第一に、この税制改革は利子支払いの控除可能性を大幅に削減した。そして所得税の納税申告書に記載される純資本所得を増加させたかもしれない。それによりcapitalization methodの資産上位の資産シェアが上昇させられることになった。第二に、法人税から所得税へのシフトは固定収入として分類されるカテゴリーを含めたすべての種類の事業型の所得を増加させるだろう。

年度を進めて、estate multiplier methodは1990年代後半の株式市場の上昇を完全に把握できていないように見える。これはSCFもそうだ(SCFは3年に1度の調査なのでそのことが理由かもしれない)。一方で、capitalization methodではバブルがはっきり見て取れる。これは非常に不可解だ。estate multiplier methodは相対的に若く従って死亡率の低いと思われる成功したテクノロジー会社の株主を幾分か把握できていないということはあり得る。とは言っても、若くして死亡した個人が重点的に重み付けされるだけなので基本的には問題にならないはずだ。また、他の人のポートフォリオが部分的にテクノロジー株に投資されるので急増が見えるはずだと思われるかもしれない。ところがそのどれも解答であるようには思われない。一つの潜在的な説明としては所謂「alternate valuation」の選択が挙げられる。これは資産を死亡時よりも後で評価することを可能にするものだ(とは言っても、普通は1年以内に行われる)。これによりバブルのピークが平滑化される。だが、その存在を完全に消し去るとは考え難い。従って、この部分だけを見ればcapitalization methodを支持しているように見える。だが、それは同時にcapitalization methodの仮定の一つにも疑問を投げ掛けることになる。相続税の納税者が株式価格の急増を見逃すのであればcapitalization methodが想定しているのとは異なり多様化(分散化)が不十分でなければならない。言い換えると、この部分は所得税の納税申告書に記載された多額の資本所得は正常利潤率ではなく非常に大きな利潤率を反映しているという考えを支持している。

2000年代の推計の最も衝撃的な特徴はcapitalization methodでの固定収入資産の急増だ。実際、この急増が(capitalization methodでの)2000から2012までの資産上位0.1%の資産シェアの上昇のすべてと2003以降の上昇の大部分を占める。資本所得の変化は(Saez and Zucman, 2014の図3)これと同じぐらい急激というわけではない。固定収入のシェアは利回りが低下した場合には予想されることだが相対的に見て実際に低下している。その代わりに、図3のほぼ3倍になった固定収入(資産)部分(2000に総資産の3.3%から2012に総資産の9.5%)は資本化因子の24から96.6への上昇によってもたらされている。これはまさにこの方法がしようとしていたことだ。利回りが低下した時にはcapitalization methodは残りの所得を極めて重点的に重み付けしなければならない。この増加は(仮に本当のことであれば)富裕層のポートフォリオが2000年代に極めて大きなリバランスを経験しなければならないということを意味する。他の可能性としては単に資本化因子は非常に低い利潤率の期間ではシステマティックなバイアスを生むので推計が出来ないということだ。

Mortality Rates for the Wealthy

最初の方で触れたように、相続税から全体像を把握するには死亡率を用いる必要がある。この方法では死亡した人を集団の代表的なサンプルとして扱う。だが、富裕層の死亡率は人口全体と比べて低いかもしれない。Saez and Zucman (2014)は社会/経済的な死亡率の差が近年拡大しているかもしれないことを示唆するものを引用している。さらに、富裕層の死亡率の変化を把握するために彼らは機密のIRSのデータを用いて大学卒業者の死亡率は資産上位10%の死亡率に対してはよい近似となっているがそれ以外に対してはまだ過大に評価していると主張している。例えば、彼らは65歳から79歳までの資産上位1%の男性の死亡率は資産上位10%の死亡率の4分の3だと主張している。それは非常に大きな死亡率の差だ。さらに、彼らはこの差が1970年代以降拡大していると主張している。そして彼らの主張するこのバイアスによってestate multiplier methodとcapitalization methodとの間にあるトレンドの乖離を説明できると主張している。

この説明は概念的にはあり得る。だが、彼らの主張する死亡率の差はあまりに大きくそしてまだこの分野では調べられていないので明らかにさらなる研究を必要とする。例えば、彼らの主張に対する他の説明としては彼らが資本所得の多い個人(彼らはこれを資産が多いと解釈している)を選んでいることにある。仮に資本所得の多さがパッシブなリターンではなくアクティブなリターンを表しているのだとすれば、例えばそれは積極的に企業を経営またはマネージメントしていることに対する報酬を意味するのでそれ故資本所得の多い個人が健康によって選ばれることになる(アクティブであることを可能にするのが健康であることだからだ)。反対側では、健康でない個人は逆に課税対策に従事しキャピタル・ゲインを実現しないインセンティブを持つ。特に、ステップアップ方式から利益を得るために死亡時までキャピタル・ゲインを実現しない強力な税のインセンティブがある。以下で議論するように、相続からではなく自分で富裕層になった人の割合が上昇している。従って、この種のセレクション・バイアスが時間とともに強まっていると考えるのが妥当だ。

彼らの主張するバイアスで説明できる乖離の部分というのもまた限られている。パラメータaがパレート分布していると仮定して、1+xの因子で死亡率の差が比例的に増加したとするとestate multiplier methodでは資産上位の資産シェアが(1+x)1/aで上昇することになる。x=0.3(Saez-Zucman, 2014が主張する極めて大きな値だ)としてa=1.5(Kopczuk and Saez, 2004a)とすると資産シェアの20%の調整となるだろう(2000時点で)。それは資産上位1%で4%ポイント、資産上位0.1%で2%ポイントの調整となる。capitalization methodとestate multiplier methodの間に発生している乖離を説明するには完全に不足している。

Inclusion of Top Wealth-Holders?

最初の方で触れたように、SCFは明示的にフォーブス400に掲載されている個人を除外している。Saez and Zucman (2014)はSCFとcapitalization methodに乖離が発生するのは何故なのかに対する理由としてSCFがこれらの個人を除外しているからだとしている。だがアメリカには1億以上の世帯があること、資産上位1%の世帯も100万以上存在することを思い出す必要がある。仮にフォーブス400が超富裕層を正確に捕捉していたと仮定しても(最初の方で説明したようにこの仮定は疑わしい)、資産上位400の変化はcapitalization methodが示す1983から2012の期間の資産上位1%の資産シェアの15%ポイントの上昇の2%ポイントを説明するに過ぎない。

資産上位400を除外した資産上位1%に対して、SCFがそれらの人々を見逃し重み付けによってもそれを修正できていないということはあり得る。とは言っても、Kennickell (2009a)はその主張を裏付ける証拠は何一つ発見できなかったと報告している。SCFのサンプリング方法は所得税の情報に基いている。従って、実質的にcapitalization methodと同じような方法で富裕層を識別している。どちらの方法でも資産は前もって観測されているわけではない。富裕層は所得からの資産の予想に基いてサンプルされている。もしこのサンプリング方法が失敗だというのであれば、capitalization methodも同様の問題に直面する。同様に、SCFが年金や人的資本へのリターンなどを除外しているのと同じようにcapitalization methodもこれらの資産を除外している。これらの資産からの所得が所得税として課税される範囲ではそれらは労働所得として課税されるだろう。

従って、この種のバイアスでSCFとcapitalization methodとの間にある急激に拡大している乖離を説明できるとは考え難い。さらに、capitalization methodが正確でSCFがトレンドを見逃しているのだと仮定したとしても何故SCFの方が1980年代の資産上位1%の資産シェアはcapitalization methodよりも高くて逆に2000年代は低いのかをまだ説明する必要がある。

capitalization methodの問題点は他にもある。それは図2に見られるように資産上位10%から1%までの資産シェアの推計だ。SCFの非回答バイアスが資産分布を押し下げたという可能性も完全には排除できないもののそれが理由とは思われない。SCFが資産上位10%から1%までをcapitalization methodと比べて正確に把握している(資産上位1%を把握するよりも易しい)と想定するとcapitalization methodはこの集団の資産を把握できていないばかりか悪くなっていっていることになる。そのことの潜在的な理由としては確定拠出型の年金の増加が挙げられる。これは所得税のデータには記載されておらずcapitalization methodによって補完されている。だがもちろん、この集団に対して補完がそれ程重要なのであればその他の集団に対しても補完が重要なはずだ。さらに資産上位以外(資産下位90%または資産下位99%のような)の資産の推計にも疑いの目を向けなければならない。資産下位によって保有されている資産のほとんど(年金、住宅など)は課税所得とはならないので補完を必要とする。その推計は全体の資産から資産上位の資産の推計を差し引いたものなので実質的に残差に過ぎず従って独立した情報がわずかしか含まれない。

全体として、資産格差に関する既存の証拠は最終的なものではない。良いのはSCFを用いたsurvey-based methodやestate multiplier methodだろう。何故ならば時間の経過に対して整合的な結果を生み出すのに必要となる仮定と補完がcapitalization methodでは強すぎるからだ。

The Interplay of Income and Wealth Inequality

(省略)

経済学者は所得上位1%のシェアが上昇することと格差が拡大することとは同じことだと勘違いをしていた?Part5

Why Piketty's Wealth Data Are Worthless

Alan Reynolds

Thomas Pikettyの「Capital in the Twenty-First Century」ほど世間の注目を集めた経済に関する本は最近ではないだろう。彼は左翼の英雄として讃えられているようだ。だが彼の数字が意味を成さないことを示す証拠が高まっているのでハネムーンは悲惨な結末となるかもしれない。

彼の主な主張は資本主義により「恐ろしい程までに」富が一部の人間に集中する結果になるというものだ。その理由として資本の利潤率が経済成長率を上回っていることを挙げている。この漠然とした主張を支持する実証的な証拠は一つでもあるのか?フランス、イギリス、スウェーデン、特にアメリカの資産格差が拡大しているという彼の主張を示すことを目的とした彼の本のデータには異議が寄せられている。そしてここからが話が面白くなる所だ。

5月の後半にFinancial Timesの経済部の編集長Chris GilesはPikettyのデータに数多くの誤りがあることを発見した。Pikettyのオンライン上での「FTへの反応」はヨーロッパに関するもので、Gilesが見つけたエラーは小さなもののように思われる。だがアメリカに関してはどうか?

Pikettyは驚くような主張をしている。彼の本のデータは彼の被保護者Gabriel Zucmanと彼の馴染みの共著者Emmanuel Saezが編集した2014の3月のパワーポイントのプレゼンテーションの方が好ましいとして今では捨て去られるべきだと主張している。彼が言う所では、Zucman-Saezの推計は彼の本の推計より「より体系的」で「より信頼できる」としてそれ故、「アメリカの資産格差のデータとして優先的に用いられるべきだ(中略)自分の本のデータではなく」としている。

Zucman-Saezは1986の税制改革以降、「資産上位0.1%の資産シェアに大きな上昇があった」とし、だが「資産上位0.1%以下ではまったく上昇がなかった」と結論している。言い換えると資産上位1%の資産シェアの上昇はすべて資産上位1%の上位10分の1(資産20億円以上)によるものとしていることになる。これは彼の本にあるグラフ(アメリカの資産上位1%の資産シェアが1960の31.4%から1970の28.2%へ低下しそこから1990以降33%ぐらいに上昇しているとしているグラフ)とは完全に食い違う(*思わず笑ってしまった)。

いずれにしてもZucman-Saezのデータはミスリーディング過ぎて無価値だ。彼らはアメリカの資産上位の資産シェアを所得税の納税申告書に記載された資本所得(利子、配当、賃料、キャピタル・ゲイン)の比率に基いて推計しようと試みている。

これは意味がない。何故なら1981、1986、1997、2003の税法の変更により(1)どの種類の資本所得が申告されなければならないかに関するルール、(2)法人税ではなく個人所得税として事業所得が申告される税のインセンティブ、(3)高額納税者がキャピタル・ゲインと配当に掛かる低い税率に反応する税のインセンティブが大幅に変化したからだ。

・税の申告に関して

1981から1997に税法は高額納税者の資本所得をより個人所得税として申告するように要請するようになった。一方で中間所得層と(中間所得層の)家の持ち主の資本所得の大部分は除外されるようになった。これは見掛け上の資産格差の拡大となって表れる。

例えば(課税が免除される)地方債からの利子所得は1987以前には申告されていない。従ってその後に申告されるようになった所得は上位所得と資産の幻の増加を生み出す。対照的に1997以降は持家の売却によるキャピタル・ゲインのほとんどは中間所得層の納税申告書から姿を消している。(1ドル=100円として)5000万円の課税限度額があるためだ。そして1980年代の中頃以降、中間所得層の資本所得とキャピタル・ゲインのほとんどはIRAs、401(k)s、その他の(退職、大学)貯蓄プランに移動したために納税申告書から姿を消した。

民間の退職(貯蓄)プランの残高は1984の87兆5000億円から2012の1240兆円へと増加している。その隠れた貯蓄の多くはベビーブーマー世代が退職して引き出すようになれば次第に納税申告書に現れ始めるだろう。だがその時には資本所得ではなく普通所得として申告されるだろう。

まとめると税法の変化は所得上位が申告する資本所得を増加させ事業所得を法人税から個人所得税へとシフトさせその一方で中間所得層と(中間所得層の)家の持ち主の資本所得のほとんどは隔離されるようになった。申告された資本所得を用いて資産シェアの変化を推計しようとすることは絶望的だ。

・法人税から個人所得税へのシフトに関して

所得税の最高税率が1980の70%から1988の28%に引き下げられた時にこれにより巨大なシフトが引き起こされた。Cコーポレーションからパートナーシップ、LLC、Sコーポレーションなどへのシフトだ。1980から2007の間に、「パススルー事業体によって生み出された利益の割合は14%から38%へと2倍以上になった」とCBOは報告している。資本所得が一つの形態から他の形態へと移ったことは資産上位1%の資産が増加したことを意味しない。移っただけだ。

・税率とキャピタル・ゲインに関して

1997にキャピタル・ゲイン税率が28%から20%に引き下げられた後にそして2003にさらに15%に引き下げられた時に上位1%の間でキャピタル・ゲインの申告の大幅な増加があった。資産の売却の増加が資本所得の増加となって現れるとしても実現したキャピタル・ゲインは未実現のキャピタル・ゲインよりも価値があるなどということはない。従ってキャピタル・ゲインの実現は資産に関して何も教えてくれない。同様に配当に掛かる税率が15%に引き下げられた2003以降の地方債、コイン、現金などからの配当株へのポートフォリオのシフトは単に非課税の資産から課税資産へと交換されただけなのに資本所得が増加したかのように見えるだろう。

彼は本の中で資産上位の資産シェアを異なる種類のデータ(相続税の納税申告、連邦準備のSurvey of Consumer Finances)を混ぜ合わせ改竄することにより10年毎に推計したものを構築した。その推計自体からして疑いがある(*FTのGilesが指摘したのとはまた異なるPikettyが行ったデータ操作のこと)。だが彼のGilesへの反応から今では学べるように我々はそれを無視することが出来る(皮肉の意味で)。

だが彼の好む代替指標、Zucman-Saezのスライドショーにこそ修復不可能な欠陥がある。アメリカの資産上位1%の資産シェアが上昇するという彼の警告は彼の本の中にも他の場所にも支持するものを見つけることは出来ない。

経済学者は所得上位1%のシェアが上昇することと格差が拡大することとは同じことだと勘違いをしていた?Part4

Piketty's Numbers Don't Add Up

Martin Feldstein

Thomas Pikettyは、(税制に急激な変革を起こさない限り)資本主義は恒久的な所得格差と資産格差の拡大に向かっていくと主張し広く注目を集めた。彼の本は所得の再分配を支持する人達から称賛されたものの、彼の主張は資産がどのように形成されるかに関する誤った理論、アメリカの所得のデータに関する間違った解釈、家計資産の性質に関する間違った理解に基いている。

彼の分析は、資本の利潤率が経済の成長率を上回るというそれ自体は正しい事実から始まる。そこから彼は、この過程が恐慌や戦争、懲罰的な課税などによって阻害されない限りはこの差によって永続的に所得格差と資産格差が拡大していくという誤った結論に飛びついた。彼は、80%の所得税の最高税率と2%の世界的な資産課税を提唱する。

恒久的な資産格差の拡大という彼の結論は、人々が永遠に生きるというのであれば正しい可能性もあっただろう。だがそうではない。人々は働ける間に貯蓄し蓄積した資産のほとんどを退職後に支出する。人々は資産の幾らかを次の世代に継承する。だがそのような遺産の影響は相続税や遺産を相続する子供や孫の数などの組み合わせにより希釈される。

その結果として総資産の成長率は総所得の成長率と大して変わらないものになっている。連邦準備の資金循環統計によると、1960以降アメリカの実質家計金融資産は年率3.2%で増加している。商務省が計算したアメリカの実質個人所得の成長率は年率3.3%だった。

永続的に拡大する所得格差という彼の結論が抱える2番目の問題点は、彼が税制に起こった変化の重大性を認識することなく所得税の納税申告のデータを用いていることにある。IRSのデータは納税上位10%によって申告された所得は第二次世界大戦の終わりから1980まで国民所得に占める割合として相対的に一定だったがその比率がそれ以降急激に上昇していると、彼は記している。だが、納税申告書に申告されている所得は人々の実質の総所得と同じではない。1980以降の税制の変化が拡大している格差という誤った印象を生み出している。

1981に利子、配当、その他投資所得の最高税率が70%から50%へと引き下げられた。それにより資本所得の持ち主が保持することの出来る利益がほぼ2倍になった。従って、税率の引き下げが(課税が控除されている)地方債などの低収益率の資産から(課税はされても)高収益率の資産へと資産をシフトする強力なインセンティブを与えた。それ故、税のデータは実際の格差には何の変化もなかったとしても所得格差が拡大したという(誤った)信号を発してしまう。

1986のTax Reform Actにより、すべての所得の最高税率が50%から28%へと引き下げられた。それによりポートフォリオに占める課税資産の割合を上昇させるインセンティブがさらに強化された。そして労働を奨励すること、付加給付や繰延報酬などの形ではなく課税給与の形で所得がより支払われること、控除や免税の使用を低下させることなどによりその他の形態の課税所得も増加させた。

1986の税制改革はGeneral Utilities doctrineも廃止した。この法制は高額所得者に彼らの事業や専門的な活動をCコーポレーション(個人所得よりも低い税率で課税される)として行わせるインセンティブを与えていた。専門的な活動や中小企業による法人所得は彼が用いた所得税のデータの中には現れていない。

General Utilities doctrineの廃止と個人所得の最高税率の法人所得税率以下への引き下げは高額所得者に事業所得を法人所得から個人所得へとシフトさせた。このシフトのある部分は自分達の会社から利子、配当、給料を自分達へと払うことにより行われた。会社全体をその利益が個人所得として計上されるSコーポレーションへとシフトさせる動きもあった。

これら納税者の行動の変化は高額所得者の物とされる所得の額を大幅に増加させた。これにより所得の法律上の形態が変化しただけにも関わらず高額所得者の所得が急上昇したかのような誤った印象を生み出した。このシフトは何年かに掛けて徐々に起こった。納税者が徐々に行動と帳簿の付け方を変更して新しい法律に適応していったためだ。Sコーポレーションの事業所得だけでも1986には(1ドル=100円として)50兆円だったものが1992までには180兆円へと急増加している。

彼が高額所得者の所得とアメリカ国民全体の所得とを比べる際に行っている方法にも問題がある。国民所得からは社会保障、医療給付、フードスタンプなどの低所得者、中間所得者の個人所得に大きな部分を占めさらにその割合が上昇している政府の移転支払いが除外されている。人口の所得上位10%と残り全人口の個人総所得とを比較すれば、所得上位の相対的な所得シェアの上昇は遥かに小さくなるだろう。

最後に、彼が相続税のデータを用いて資産格差の拡大と彼が思ったものも問題だ。部分的には、これは相続税と贈与に関する税制の変更が原因だ。だがより根源的には、相続可能な資産が多くの人々が退職のために備えている資産のわずかな部分を占めるに過ぎないことによる。その資産には社会保障、退職後の医療給付、雇用主から提供される年金からの所得などの現在価値が含まれる。この資産が考慮に入れられれば、資産の集中は彼の数字が示唆するものよりも遥かに小さくなるだろう。

問題があるとすれば、誰かが多くの所得を稼いでいることではなく所得の少ない人がいることにある。所得が少ない人を少なくするためには、高い経済成長と教育や職業訓練に対する異なるアプローチが必要となる。彼が推奨しているような所得や資産に対する懲罰的な課税ではない。

経済学者は所得上位1%のシェアが上昇することと格差が拡大することとは同じことだと勘違いをしていた?Part3

Income Data is a Poor Measure of Inequality

Alan Cole

Key Findings

・IRSの所得データは税を集めるために議会の指示の下によって収集されている。それは所得の分布を測るなどの他の目的には適していないことを意味する。

・平均的な納税者の所得は年齢によって劇的に変化する。18歳から25歳までの平均納税申告額は(1ドル=100円として)150万円だが55歳から64歳までの平均納税申告額は800万円を超える。

・特に大学の学生が、低所得層の大多数を占める。

・所得は地域によって顕著に異なる。田舎の州が貧しいかのようによく語られているが間違いだ。

・資本所得の大部分(特に課税が免除された中間所得層の退職口座など)は所得のデータには含まれていない。それによりデータがひどく歪められ実際よりも人々が貧しいかのようにデータ上では見えてしまう。

・Thomas Pikettyの所得格差のデータは1900兆円の年金資産を無視している。これも中間所得層の資産に加わる。

Introduction

内国歳入庁(IRS)は個々の納税者の所得のデータを収集している。納税額は所得によって変化するからだ。IRSはこのデータの一部を研究のために公開している。だが、このデータは本来使用すべきではない目的に頻繁に用いられている。納税者の間で所得がどのように分布しているのかを知りたいと思うことは妥当なことだ。だが研究者は所得のデータ、特に納税の目的のために収集された所得のデータの限界に関して無頓着過ぎる。

所得分布の研究に用いられるデータには主に2つある。IRS Statistics of IncomeまたはU.S. Census American Community Surveyだ。例えば、統計局は以下の表1のような世帯所得のデータを公開している。

IRSは世帯ではなく納税単位で似たようなデータを公開している。これらはどちらも有用でそれぞれの強みを持つ。IRSのデータはサンプルが多く当たり前のことだが課税所得に限定してという意味では非常に頑健だ。統計局のデータは相対的にサンプルが少なく所得の源泉に関してIRSのデータほど詳細ではないが世帯調査が持つ他の特性に関してより詳細だ。

どちらのデータにもそれぞれの使用方法があるもののどちらのデータも生活水準の格差を調べるのに適していない。これはIRSや統計局の職員の責任というわけではなくデータ自身の性質による。1年間の所得というのは生活水準を示す指標としては単純に言ってほとんど適していない。

これは部分的には文脈の欠如(1年間の所得で生活水準が決まる人はほとんどいない)と部分的には所得の測り方自体の問題が挙げられる。所得が唯一のものという訳では全然ない。所得分位とジニ係数の見掛けの正確性が文脈とデータにある問題から目を遠ざけさせている。結果として研究者は人々の生活をよく理解しているという間違った印象を持ってしまう。

所得のデータが抱える問題の一つはそれが人々の生涯におけるわずか1年の所得を明らかにしているに過ぎないということだ。他の問題は地域間の価格水準(特に賃料など)が異なることにより所得のデータは人々の生活水準を測る指標として適していないということにある。所得のデータが抱える(ここでの最後の)問題はそれが納税の目的のために収集されたもので研究の目的のために収集されたものではないということにある。(課税の対象ではない)多くの種類の所得はそもそもまったく数えられておらずそうでない場合でも経済の実態を反映しない方法で数えられている。

Income Varies Dramatically Over Life Cycles

所得のデータはほとんど決まって年間の単位で公開されている。これはIRSにとっては大きな意味を持つ。IRSは1年間の単位で税を収集することが義務付けられている。そして彼らは人々が1年前に稼いだ所得に基いて税を収集している。

これによりIRSの所得のデータの有用性は損なわれる。人々は貯蓄、貯蓄の取り崩し、借入などにより年度を超えて支出を変えることが出来る。人々は長期に渡って計画を立てる。1年の所得のデータからは人々の生涯に関することはほとんど分からない。

(一般的に)所得は年齢に関して逆U字型の分布を示す(earnings-age profileとして知られている)。

年齢によって分類すれば(上記の図1)このデータは妥当に見える。所得は多くのアメリカ人がまだ学校に通っている26歳以下では低い。その後、彼らが貯蓄を蓄積し経験を積むので所得は年齢とともに上昇する。最後に、彼らが引退を始めるので所得は下がり始める。その年齢に対して平均的な所得を稼いでいるアメリカ人は生涯を通して5つのすべての所得分位を経験することが知られている。

わずか1年の所得のデータではこのことをまったく把握することが出来ない。実質的に年配と若い人を比べているのと変わらなくなってしまう。所得が160万円の21歳と所得が800万円の56歳との間には大きな所得の格差がある。これら2人の所得を合計して分割すれば所得の6分の5は56歳が握っていることになる。だがここから持つものと持たざるものなどといった話を引き出すのは間違いだ。完全に平均的な個人によって結果が変わってしまう社会格差の指標というのは非現実的だ。平均的な個人が格差の指標を動かしてしまうということは定義によりあってはならない。

同一の納税者を何年にも渡って追い続ける水平調査(時系列調査)は単年度のスナップショットとはまったく異なる姿を見せる。ある年度に所得の低かった個人の大多数は年齢とともに所得が上昇する。2010にTax FoundationのRobert Carrollは1999から2007のIRSのデータを調べた。1999に一番低い所得分位にいた納税者のうちで57.5%は2007までにはすでに高い所得分位に位置していた(7年で)。言い換えると、幾人かの納税者は所得が低いままであったものの大多数はそうではない。

人々を年齢によって比較した場合や納税者を長期に渡って調べた場合に得られる姿は個人的な経験とも一致するものだ。アメリカ人は年齢とともにキャリアを構築しスキルを獲得し最良の方法を理解する。このことにより1年単位で所得を測った場合見掛け上高い所得格差が生まれることになるが長期の流動性も高くなることになる。

例えば、外科医達の納税データを見たとしよう。そこには非常に大きな格差があることに気が付くだろう。20代では外科医はメディカル・スクールにいて所得も非常に少ない。彼らが研修医になると普通の所得を得るようになる。最も稼ぐ年齢になると彼らは4000万円以上を稼ぐことが可能になる。外科医達の所得格差は非常に大きい。

Incomes are Lowest in College Towns

若い人一般、特に学生の存在により所得のデータは特定の目的に対してほとんど使い物にならなくなる。例えば、アメリカで最も貧しい場所が知りたいと思ったとしよう。世帯所得を調べるのが最良の方法だと考えるかもしれない。だがそれによって得られるのは「貧困」という言葉からイメージされるものとはまったく異なる奇妙な結果だろう。何故ならば多くの人が考えるのとは逆にアメリカで最も所得が低い地域とはカレッジ・タウンだからだ。

この表もその影響を過小評価している。この表の基になっているAmerican Community Surveyからは寮にいる学生が除外されている。言い換えると、学生があまりにも強くデータを歪めてしまっているので寮外の学生だけが世帯所得の支配的な決定要因となっている。統計局自身もこの問題を調べ親類と一緒に暮らしていない寮外の学生の51.8%が貧困層と数えられていたことを発見した。アパートで暮らしている学生もお金を欲しているかもしれないが彼らを福祉の受給対象と見做すことが適切だというのは極めて疑わしい。

この問題は無視できるものでは決して無い。アメリカの学生の数は巨大でしかも急速に増加している。アメリカでは2000万人以上の学生が大学に通っている。

学生の数が増加しているので(上記の図2)所得のデータに与える影響も極めて大きくなっている。現在の納税者の数は約1億4000万人だ。そしてその多くを学生が占めている。彼らはIRSのデータでは低所得と見做されるだろう。

学生の増加は所得のデータを大きく歪めるものの若いアメリカ人にとっては良いことだ。教育からのリターンは大きい。統計局は修士号を持つ世帯主がいる世帯の中央所得は805万円であることを示した。博士号を持つ世帯主がいる世帯の中央所得は1169万円で専門職の学位を持つ世帯主がいる世帯の中央所得は1295万円とさらに高い。

修士号がいる世帯は所得の第四分位に属するだろう。博士号がいるまたは専門職の学位がいる世帯は所得の第五分位に属するだろう。だが彼らは最も低い所得分位で時を過ごしている。

経済学者、研究者、ジャーナリストらは低所得を機会の欠如の印としばしば見做すことがある。逆説的だが、所得が最も低い所で機会は最も大きい。

America’s Substantial Disparities in Cost of Living

経済学者は名目のデータと実質のデータに関してよく語る。彼らは名目のデータをインフレで調整する。名目賃金が上昇していたとしても価格も同じように上昇していれば人々はまったく豊かになっていないことになる。実質賃金は一定のままだ。

同じような調整が地域間でも為される。物価水準は地域によって異なる。この違いを調整したものは価格水準等価と呼ばれる。4月に、U.S. Bureau of Economic Analysis(以下、BEA)はregional price parities(RPP)を初めて発表した。これによりアメリカの地域間の価格水準の違いを研究することが可能になった。

アメリカでRPPが最も高い場所を聞いても驚く人はあまりいないだろう。それらは西海岸のベイエリア周辺と東海岸のニューヨーク市に分布している。例えば、San Francisco-Oakland-Fremont Metropolitan Statistical AreaのRPPは123.5だ。BEAが調べた財のバスケットに対して、サンフランシスコ地域はアメリカの他の地域よりも23.5%価格が高いことを意味する。

これにより他の方法では解くことが難しかった幾つかのパズルが解決する。オークランドはアメリカの他のどの地域よりも経済的な困難を抱えた場所だと知られていた。だがオークランドの世帯中央所得は516万円で全米平均の530万円とそれほど異なる訳ではない。だがオークランドの所得をRPPでデフレートすれば418万円となり全米平均を大きく下回ることになる。名目所得に単純な調整を加えた後にはオークランドに関して知られていたことが意味を持つようになった。

価格等価による調整は州の水準での幾つかのパズルを解く手助けとなる。州間の人口移動を調べた一連の研究でTax Foundationの経済学者Lyman Stoneは人々が名目所得の高い地域に移動しているのではなく価格調整した所得が高い地域に移動していることを発見した。言い換えると、高い賃料は本当に不快で人々は何処に住むかを選ぶ時にそのことを考慮に入れる。

このことは州に関して他にもパズルとされていた問題を解く手助けになる。それは田舎の低所得の州が頻繁に再分配政策に反対票を投じるというものだ。一見した所、自分達の利益に反しているように見える。2004に政治分析家のThomas Frankはベストセラーとなった「What’s the Matter with Kansas?」という本を書いた。彼はこの本の中で(名目所得が全米平均を一貫して下回っている)自分の住んでいる州に関してこの現象を説明しようと試みた。その本では文化的な要因に触れているのみだったが。

RPPによって調整された所得は(相互に排他的というわけではないものの)それとは異なる説明を与えてくれる。カンザス州は例えばニューヨークなどと比べて名目所得が低いもののその生活費もまた低い。BEAのワーキング・ペーパーによるとカンザス州はRPPで調整した所得では上位に来ている(図3)。

これはカンザス州が必然的にニューヨーク州よりも住むのに良い場所だということを言っているのではない。それぞれの州は経済的な短所と長所を持っている。またより良い生活水準のためにニューヨーク州からカンザス州へ移動すべきだと言っているのでもない。ある人はハドソン川のマンハッタンが良いと言うだろうし、またある人はカンザス川のマンハッタンが良いと言うだろう。それは政府や経済学者(または社会学者や政治学者など)が口を出していい問題ではない。自分達の事情をよく知っている個々人によって為されるべき判断だ。

それでは、カンザス州にとって大事なこととは何か?何故貧しい州ではないかのように投票するのか?恐らく幾つかの理由があるのだろう。そもそも特に貧しくなかったというのがそのうちの一つだ。Leawood市やLenexa市をざっと眺めてみればこのことが証明されるだろう。名目所得のデータを眺めているのではそれが分からない。

Inconsistent or Absent Measurement of Non-Wage Income

所得のデータの最大の問題はそもそもそれが所得の指標としてすら正しく機能していないことにある。この理由は単純だ。IRSは所得の正確な申告を求める唯一の政府機関だ。だが課税されない所得もあるしそもそもIRSに申告されない所得もある。

問題は実現された時にしか把握されることがないキャピタル・ゲインから始まる。このことは実際には資本所得が何年にも渡って生じたものにも関わらずデータ上では資本所得が急上昇したかのように現れる。仮に25歳で(から)株式に投資するとして65歳で現金化するとすれば40年間で蓄積されたキャピタル・ゲインはすべて65歳で数えられるだろう。

この問題はSコーポレーションの株式に関しても同様に起こる。仮にあなたが中小企業の事業主だったとすればあなたの会社の株式価値の増加はあなたが株を売却するまでは(資本)所得として記録されない。

このキャピタル・ゲインの定義はIRSの目的には良く適っている。IRSは人々のすべての資産の価値を毎年評価することは現実的に言ってやりたくないだろう。IRSからすれば利益が実現した時にのみ課税するほうが遥かに楽だ。

だがこのキャピタル・ゲインの定義は人々に非常に混乱した(そして実際にはそうではないのに不平等な)印象を与える。この分布の偏りは上で説明したようなライフサイクル効果と同様に水平調査で強く表れる。Robert Carrollの所得流動性の研究は9年間追跡したサンプルを調べ富裕層(ここでは、課税所得が1億円を少なくとも1年以上上回った個人を富裕層として定義)の50%はわずか1年しか富裕層ではないことを明らかにした。大多数の富裕層にとって、これはキャピタル・ゲインの定義の問題が作り出した人工的なものだ。富裕層の地位の変動性はキャピタル・ゲインが除外されれば大きく低下する。彼は、「富裕層は納税者の中で極めて一時的な状態を意味する集団で、キャピタル・ゲインが少なくともその理由の一つと思われる」と結論している。

わずか1年だけの所得のデータを見ているのではそういった重要な情報は失われる。ある人は1億円を1年で稼いだかのように見えるだろう。実際には何十年も掛けてその利益を積み重ねてきたかもしれないのにだ。同時に、ある人は大きな未実現のキャピタル・ゲインを持っていたとしても慎ましやかな生活をしているように見えるだろう。

言い換えると、教育が所得分布の下位に巨大な歪みを生み出すのと同様にキャピタル・ゲインの実現益は所得分布の上位に巨大な歪みを生み出す。

中間所得層にはそうした歪みがないという訳ではない。そしてその歪みは小さなものでは決してない。

アメリカの中間所得層はIRSには申告されることのない巨額のキャピタル・ゲインを保有している。持ち家の資本所得は大部分が税を控除されている。持ち家の帰属家賃の面でも課税最低額の面でもだ。持ち家の資本ストックは2020兆円を占める。これはアメリカ人に住み続けられる住宅と潜在的なキャピタル・ゲインをもたらしている。

同様に課税が控除されているのが中間所得層の退職口座だ。アメリカの世帯は1980兆円の年金資産を持っている。401(k)口座や伝統的なIRA口座、雇用主提供プラン、公的年金や企業年金、どれをとってもIRSに誰かの所得だと一度も数えられたことがない。例えば2013では年金ファンドは1890兆円の資産を保有している。この資産はすべて誰かが稼いだものだ。そのお金の一円たりとも個々人の納税申告書には記載されていない。

2006にCato Instituteの研究員Alan ReynoldsはThomas PikettyとEmmanuel Saezが編集した所得格差のデータをこのような理由から(*も)批判した。「最近では、中間所得層の投資所得の大部分が401(k)、IRA、529大学貯蓄プランに発生している。それ故納税申告書のデータには記載されていない」。Piketty and Saezはまるで問題の大きさに気が付いていないかのようにのんきに答えた。「401(k)の小さな点に関しても概念的に誤解されている。年金所得は退職後に引き出されるときに納税申告書に記載される。従って年金ファンドのリターンは我々の所得データの中に暗示的に含まれている」。

Piketty and Saezの返答は一部のアメリカ人にしか当てはまっていない。実際に退職年齢に達した高齢者だ。大多数のアメリカ人にも彼らが退職のために投資した巨額のお金にも当てはまっていない。約2000兆円もの資産を「小さな点」と無視するPikettyの態度は馬鹿げたものと言わざるを得ない。

資本所得にまつわるこれらの問題を調整するとまったく異なる姿が浮かび上がる。昨年、Philip Armour, Richard Burkhauser, and Jeff LarrimoreはAmerican Economic Reviewに実現した資本所得ではなく発生した資本所得を所得分位毎に帰属させた論文を発表した。発生した資本所得という正しい定義を用いて彼らはそのような定義を用いれば所得格差が劇的に低下することを明らかにした。さらにこの定義では所得分位間の所得の成長率は1989以降等しい。

所得格差の変化は所得を何と考えるかに大きく依存している。IRSのデータに基づく指標(課税の控除されている退職口座などを除外している)は401(k)などのように実際には中間所得層を豊かにしている課税控除なのに逆説的に中間所得層を実際より遥かに貧しく見せてしまうという歪んだ構図を必然的に生み出してしまう。

Conclusion

IRSの所得データは税を集める目的で収集されている。それは個々人の厚生全体を測ることを目的としていない。他に優れたデータが存在しないのである研究者はIRSのデータをそのような方向で用いる誘惑に駆られているようだ。

それは間違いだ。所得のデータには巨大な交絡要因が存在する。小さな技術的問題ではなくとても単純で人々の生活水準の測定に深く関連する大きな問題だ。人々は年齢とともにスキルを積み重ねる。人々は大学に行く。人々は何処の賃料が高く何処の賃料が安いかを考える。人々は退職に備えて退職口座に貯蓄する。

所得のデータは人々の生活に於けるありとあらゆる決定によって歪められていないのであれば信頼できる社会的格差の指標となり得るだろう。文脈を離れた所得のデータはあまりにも馬鹿げた結論に我々を導いてしまうためそれを用いて人々を所得に従って分類しようとする試みはすべて失敗に終わってしまうだろう。特定の一部の市場取引は貧しいのか豊かなのかを判定するのに十分ではない。

アメリカは累進的な税制を持っている。その根拠とされているのが所得が低い人は所得が高い人よりもお金を必要としているという考えだ。全体的には、それは正しいかもしれない。だがそれは想像されているよりも遥かに正しさの度合いが少ない。そしてそれはIRSのデータが厚生の間違った代替指標でしかないアメリカ人にとっては特に正しくない。

税の死荷重が存在するため、再分配による損失は重大な意味を持つ。限界税率は労働、貯蓄、投資を避けさせる。仮にお金が貧しい人に与えられるのだとすればそれはそれで一つのお金の使い道だろう。だが所得データの限界により結果として社会的に意味のない再分配が行われるようになる。論理的な人であればカリフォルニア州のオークランドが例えばウィスコンシン州のグリーンベイよりも遥かに所得が高いとは言わないだろう。それにも関わらずオークランドは遥かに重い税の負担を担っている。論理的な人であれば建設労働者がビジネス・スクールの学生よりも明らかに恵まれているとは言わないだろう。それにも関わらず累進的な所得税と払い戻しのある税額控除から利益を得るのは前者を犠牲とした後者の方だ。不合理なデータを用いれば不合理な結果が得られるだけだろう。

連邦政府の一機関として、IRSは税を集めるというその意図した目的に沿ってのみ力を発揮する。納税申告書を用いるのでは容易に判断することのできない社会的指標を作成するのにはまったく向いていない。社会的な格差と戦う努力は正しく定義された目的と正しい知識を持った機関によって行われるのが最も適しているだろう。