2016年7月12日火曜日

アメリカが貿易赤字というのは嘘だった?

・アメリカの製造業が弱いというのは嘘だった
・双子の赤字も嘘だった
・アメリカは外国から膨大な借金をしているも嘘だった
・ドルは暴落するも嘘だった

金融業界とメディアの馬鹿たちが言ってきたことは嘘だらけの間違いだらけ

Lies, Damned Lies, and Statistics Revisited

Irwin M. Stelzer

December 23, 1996 | The Weekly Standard

多くの人が昔から疑い続けていたことを、今では誰もが知っている。消費者物価指数は誤っている。それも数十年も前から誤り続けている。ボスキン委員会と呼ばれる最近公表された報告書はどうしてCPIがインフレを過大に評価するのかその理由を幾つか説明している。実際、この委員会により出された理由があまりにも説得的なのでまともな経済学者の中にはそれに反論しようとする人さえ現れない。

もちろん、そのことはインフレをどのように扱ったら良いのかに関して政治的合意があることを意味するのではない。その報告書から素直に結論を導けば、アメリカの高齢者は社会保障を多く受け取りすぎということになる。例えば、高齢者が年金から受け取る所得の額は毎年CPIの上昇分、増額されることが法律によって定められている。これは年金の受取額がインフレによって(実質で見て)減額しないための措置だ。そしてCPIがインフレを過大評価しているので、高齢者は本来の額よりも多くのお金を受け取ってきたことになる。だがこの事実を指摘することは政治家には大変勇気のいることだったので、これまでのところは見逃されてきたのだった。

この場合では、勇気によって得られる報酬は膨大なものだ。ある推計によると、2005年までに発生すると云われている財政赤字の3分の1はCPIの上方バイアスを終わらせるだけで簡単に消えてなくなることが示されている。修正されたCPIはそうでないものと比べて遥かに低いインフレの上昇を示すので、社会保障の支払いの増加率も遥かに穏やかなものとなる。

もし新しいCPIが計算に用いられなければ、「上方バイアスは年金、医療、防衛費より少ないだけの4番目に大きな連邦政府の支出プログラムとなるだろう!」と委員会は語っている。

この修正の影響は初めのうちは小さい。もし委員会の推奨が今日実施されたとしたら、来年の年金の受取額の増分は現在予定されている月額にして21ドルの増分ではなく13ドルの増分となるだろう。従って、年金の受取額は月額10万4300円から月額10万3180円に減額されるだろう(この記事は少し昔のものなので当時の購買力平価で計算した)。

そして連邦政府への納税額も遥かに正確に計算されるようになるだろう。CPIは人々が支払う税の額も削減させてきたことになるからだ。「ブラケット・クリープ」を覚えているだろうか?広く定義すると、ブラケット・クリープは名目の給料がCPIで示されるインフレ率と同じペースで上昇しているだけなのに、その名目給料の上昇によって納税者が税率の高い税額区分へと強制的に移動させられてしまう不公正な現象のことだ。購買力は変化していないというのに納税者は高い税率を支払うことを余儀なくされる。この不公正な慣例を止めさせるために、議会は物価の上昇を埋め合わせただけの給料の増加はカウントに入れないことを決定した。だがその物価の上昇率というのにCPIが用いられているので、インフレが過大に評価されることによりアメリカの納税者は意図せぬ減税を受けることになった。

ボスキン委員会は不正確なCPIをこのまま使用し続ければ、今後10年間で140兆円の債務が生まれることになると語っている。合計すれば1年で1万1700円でしかない社会保障支払いの増加率を削減することは政治的に可能か?確かに、一般的に高齢者は変化を恐れる。だがもし政治家がCPIを正さなければ、本当は現在の高齢者に不正に支給されたために発生しただけの財政赤字削減のために給付の削減に直面する怒り狂う若年世代にいずれは遭遇することになるだろう。

ここで説明した財政に与える影響、それに関連する政治というのも重要ではあるが、それはボスキン委員会の報告の真の重要性のほんの一部でしかない。十数年に渡って、アメリカ経済の批判者はアメリカンドリームの将来は絶望的だと何故かとても嬉しそうに合唱し続けてきた。給料はインフレに追いついていないので、労働者は生活水準を維持することが出来ないと彼らは嘆く素振りを見せた。労働者は働く時間を増やす以外には、もしくは妻が働きに出る以外は生活水準を維持できないだろうと彼らは主張した。そして労働者がどれほど試みようとも、中間層の家庭は自分の子供たちに自分たちよりも明るい未来を提示することは出来ないだろうとメディアを通して盛んに宣伝した。

この誰もがうんざりするほどしつこく繰り返された悲壮的な主張はJames Carvilleとその著作「the economy, stupid」は言うに及ばずRobert Reichとその著作「the anxious middle class」を欲しくもない我々に与えた。それはまた労働者の賃金を移民と輸入からの競争から隔離すると宣言して大きく人気を集めたPat Buchananの国粋主義と保護主義を生み出した。それはまたアメリカの競争力の衰退と云われているものの原因に関する研究を生み出した。それはまた多極化主義者と呼ばれている人たちを大きく喜ばせた。多極化主義者とは、アメリカは単独で行動するのに十分な程には最早豊かではないので、国連の膨大な数の官僚の上に位置するフランスかぶれのエジプトの政治家たちが決めたルールの下でアメリカの兵士たちは外国の指揮官の命令に従えと主張する人たちを指す。

すべて誤りだ。ニューヨーク・タイムズのリクエストに答えて、エコノミストのLeonard Nakamuraはより正確なインフレ率の指標を経済のデータ(名目値)に適用した。そして1975年から1996年までの過去20年間に9%低下したという結果ではなく、時間あたりの実質賃金が実際には35%!増加していたという結果に様変わりした。彼はCPIが1970年代にインフレ率を毎年1.25%ポイント、そして現在では2.75%ポイント過大に評価していると語った。彼の見方では、時間あたりの実質賃金が増加していたばかりかGDPも政府の統計が示していた数字よりも2倍以上速く成長していた。

ボスキン委員会は彼よりも保守的だ。委員会はCPIが1978年以降インフレ率を1.3%ポイント過大に評価していると語った。これまでは、政策当局者は平均的な家計の実質所得が1978年から1995年の間に僅か2%しか増加していないという仮定の下に動いてきた。もしボスキン委員会が正しいのであれば、方向性としては確実に正しいのではあるが、家計の所得は実際には19%増加していたことになる。これはその夢が埋葬されたと云われていたはずの国としては悪くない。

このことは普通に考えてみれば驚くことでも何でもない。政府の数字と実際のアメリカ人の生活ぶりとの乖離は誰の目にも明らかだ。アメリカ人は記録的な数の住宅と車を購入している。統計によれば費用を支払うことが出来ないはずの大学教育を記録的な数で受けている。そしてその家は記録的な数の家具もしくは家電製品で満たされている。これは実質所得が低下し経済的不安に苛まれている人々の行動では決してない。

ボスキン委員会はアメリカの政策に長年影響を与えてきた神話を崩壊させた。アメリカ政府によって提供されている経済統計は正確だという神話だ。そしてアメリカ政府が思い描いている歪んだ経済のイメージは経済政策を誤った方向や見当違いの方向へと導いてきた。貿易赤字の例を考えてみよう。輸出よりも輸入の方が多いというだけのことが、多くの政権の頭を悩ませてきた。この問題のために、ジョージ・ブッシュ大統領(父)はアジアで自動車のセールスマンの役割を果たす羽目になった。彼の試みは日本の狭すぎる家や狭すぎる道路に合わせた車作りをしても少しも利益にならないと判断した自動車会社や日本の料理に合わせることが出来なかった(吐いた)彼のせいで頓挫した。ブッシュ大統領が選挙で敗れた後、クリントン政権で貿易交渉の強硬派で貿易赤字に取り憑かれていたMickey Kantorはウォルマートの売り場から数枚のTシャツを排除するために、中国との貿易戦争も辞さない覚悟だった。

だがその当時は、他の国に対してアメリカの貿易収支がどうなっているのかほとんど分かっていなかった。輸入はかなりの程度正確に測ることが出来る。さらに多くが関税の対象なので正確に測ろうとするインセンティブもある。アメリカが圧倒的に製造業に依存していた頃は、輸出された鉄の重さや箱の数を調べれば簡単に測ることが出来た。今では、経済産出の70%はサービスが占めている。アメリカの投資銀行家がイギリスの企業もしくは会社と合併した時には、国境を越えていく物は何もないように目には映る。だが実際には我々は価値のある物を輸出している。Customs Serviceの国際貿易マネージャーEd Groseは「我々はサービスの輸出を40%過小に評価している」と考えている。それは金額にすると11兆9000億円ぐらいになる。

それから、連邦政府は輸出された財の数量を測る能力を単純に欠いているという問題がある。国勢局の外国貿易部門の責任者であるC. Harvey Monk, JrはCustoms Service(税関)は輸出業者が記入して提出している金額の10%は見逃されていると推計している。貿易の数字から8兆4000億円が見落とされている計算になる。

去年のアメリカの貿易赤字は政府の統計によれば14兆7000億円だった。だがEd GroseとHarvey Monkが正しいのであれば、20兆3000億円がアメリカの輸出に含まれていないことになる。もしこれが含まれれば、貿易赤字は消えてなくなる。それどころか5兆6000億円の貿易黒字だったことになる。

経済政策、社会政策の下になるデータのミスリーディングな性質はこれだけに留まるのではない。貧困撲滅のためと称して我々が費やしている数十兆という金額のことを考えてみよう。私の同僚であるNicholas Eberstadt(以前にもこのブログに登場)は「The Tyranny of Numbers」という彼の素晴らしい本の中で、政府の貧困統計は人々が消費したものにではなく人々が所得として申告したものに基づいているという。従って、私たちは消費パターンが貧困からはかけ離れていることを示している多くの人を「貧困」と定義している。その結果として政府の壊れた統計によると、「貧しい」人は奇妙なことに所得のほんの一部しか食料に支出していないことになり、より摩訶不思議なことに、彼らの年間消費は年間所得を数倍も上回っているということになる。そのような話はとてもではないが納得できるものではない。だがそれが政府の統計が我々に言っていることだ。

政府の統計が間違っているのであれば、それを直す時が来たのではないのか?Pat Moynihan議員とBob Kerry議員は政府の統計をどうやって改善するかのプロジェクトに10億円を拠出したいと申し出ている。とても良さそうな話に聞こえる。だがその提案は問題の中心を解決するには至っていないように思われる。恐らく、政府は統計を正しいものにすることが出来ないという問題だ。

まず第一の問題として、正確なデータを集める技能は最早学校では教えられていないか経済学の教授からは価値あるものとしては見られていない。ボスキン委員会のメンバーだったハーバードのZvi Grilichesによると、「料理で例えると、経済学の教授たちの目を引くのは調理技術であって、食材の質であったり食材を調達してくる努力ではない」という。

それでも彼は政府の統計は改善することが出来ると楽観的なようだ。だがこの問題に関して悲観的になる理由がある。

経済はデータを集めるのが比較的簡単だった時代では最早ない。現在のように無数にある小さな企業から情報を集めるよりも、ほんの数社が経済の大部分を占めていた1950年代や1960年代の方が情報を集めるのは簡単だった。起業したばかりの小さな企業は政府機関からデータを提出するように求められている部署などを設置していない。それに大きな企業までもがそのような部署を削除している。当然の結果として、政府でデータを集めている人々は昔ほどには正確なデータを集めることが出来なくなっている。

それに製造業よりもサービスの方がデータを集めることがより難しい。私が昔に経済予測をしていた頃には、電話2回分ぐらいで必要な情報を得ることが出来た。例えばUSスチールからその月の生産量を、Atchison, Topeka & Santa Fe鉄道から車両の積載数を電話で聞き出すだけでよかった。経済が好況に向かっているか不況に向かっているかを確実に知りたければ、貿易センターにダンボールが幾ら製造されているかを尋ねるだけでよかった。現在そのような方法で経済の予測を行おうとすれば、その時点で経済の70%に何が起こっているのかを見落とすことになるだろう。だが例えば先月に製造されたソフトウェアの価値を調べようとすればもしくは法的サービスの数量を調べようとすれば、正解に少しでも近い値すら得ることは出来ないだろう。政府はデータを集める方法を変えることは出来るかもしれないが、大部分がサービスで構成される経済に特に小さな企業が段々と支配的になってきている経済に対応することは出来ないだろう。

ここからは3つの重要な結論が得られる。第一に、我々はアラン・グリーンスパンがずっと健康でいることを祈るべきだ。彼はデータが不完全であることをよく理解し、その不完全さを主要な人や企業から集めてきたデータで埋め合わせている。それにより不完全なデータに頼るよりも金融政策に大きな改善がもたらされている。

第二に、社会保障を民営化するようにもっと呼びかけるべきだ。これは政府がCPIをどのように計算するかに利益を左右される人の人数を減少させるだろう。そして将来のインフレに関する投資家の期待がすでに織り込まれた価格で彼らに証券への投資を促すだろう。

最後に、大きな政府の信奉者はその過剰なまでの思いあがりを捨てて少し謙虚にならなければならない。数百万人の「貧しい」人々が助けを必要としているとデータ上ではなっていたとしても、その75%以上が車を所有していて40%以上が家を所有していることを不思議に思わなければならない。

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