2016年12月25日日曜日

数千年もイスラエルに住んでいるはずのパレスチナ人にどうしてまともな展示物が1つもないのか?

A FAKE MUSEUM FOR A FAKE PALESTINE

Daniel Greenfield

マーク・トウェインはイスラム教徒に占領されたイスラエルを150年前に訪れ、「誰も住んでいない砂漠」「誰からも見放された不毛な土地」「廃虚と化した」都市の残骸があるだけと記した。

パレスチナは「荒れ果てた土地だ」と彼は結論した。「ここから10マイル進んだとしても恐らく10人に出会うこともないだろう」。

同じことが、ファンファーレとともに開演し1つの問題を露呈したパレスチナ博物館にも言える。入場料は無料であるものの、内側には訪問者が見るべきものは一切ないのだ。

パレスチナ博物館は1998年から計画が進められていた。だが展示物は何もない。この博物館の建設には24億円掛かった。展示されているのは瓦礫と見分けがつかない砂のような建物が幾つかと枯れ草と灌木とで構成された「庭」だけだ。パレスチナ博物館は開演した。だが内側には何も展示されていない。

アイルランド人と中国人の建築家により設計された空っぽの建物とアルメニア系アメリカ人のディレクターの思いつきによる存在しない展示物ほど、パレスチナを例えるのに相応しいメタファーを考えることは難しいだろう。

ミュージアムの最上部には誇らしげな(PLOが「借りる」まではイラク-ヨルダン連邦国の旗だった)パレスチナの旗が掲げられ、訪問者はギリシャの共産主義者Mikis Theodorakisによって作曲されたパレスチナ国歌によって歓迎されるだろう。ギリシャ映画「ゾルバ」のサウンドトラックのように聞こえたと思ったら、それはどちらも作曲家が同じだからかもしれない。

パレスチナのすべてが忠実に再現されているので、それもまたメイド・イン・チャイナを象徴するものなのかもしれない。それが、ユダヤ人の家族に大きな石を投げつけている、色あせたクーフィーヤを頭に巻いた投擲者をノルウェー人、カナダ人、チリ人のフォトジャーナリストが彼らを英雄のように撮影している場所なのだろう。

パレスチナは中には何もない空っぽの建物だ。政治的ポチョムキンの村だと言ってもいい。そこには旗があり国歌があり博物館があり国を形作るかのようなものが存在するだろう。だが内部をよく見てみれば、そこには何もないということに気が付くだろう。

ベイルートで生まれてイギリスに住んでいるパレスチナ博物館の館長Omar al-Qattanは、「パレスチナ人」はほんの少しでも勇気づけられる必要があるので空っぽの博物館でも開演することは意味があると語った。

パレスチナ博物館はナクバの時期に開演する必要があった。ナクバとはアラブ諸国による失敗したイスラエルへの侵略の毎年の記念日のことだ。イスラエルに対するエジプト軍、イラク軍、シリア軍、ヨルダン軍の連合軍による侵略は5月15日に開始された。エジプトの将軍Muhammad Haidarは、アラブ軍はテルアビブを2週間で占領するだろうと宣言した。

エジプト軍は住人が数百人で兵士が数十人しかいないKfar Daromという村を襲った。エジプト軍は戦車、武装車両、歩兵大隊、迫撃砲と爆撃機で武装していた。アラブ軍は大苦戦を迫られた。テルアビブを2週間で攻め落とすどころか、彼らはその小さな村を攻め落とすのに2ヶ月も掛かった。

それがナクバだ。イスラエルに移り住んでいるアラブ人が、数で圧倒的に劣るユダヤ人の前にアラブ軍が惨めな敗北を喫したこの日をどうして嘆いているのかその理由が理解できただろう。

博物館と同じく、パレスチナのすべては終わりのない一つの詐欺だ。パレスチナ博物館の開演にはパレスチナ自治政府のアッバス議長が参加した。アッバス議長は2005年に4年の任期で就任したはずだった。彼の任期が切れて10年以上が経つ。パレスチナ自治政府とはPLOが偽装しただけの組織だ。管理者もおらず支配もしていない領土に対して支配権を持つと主張している。

だがパレスチナ博物館はその中身とは異なり失敗に甘んじているわけではない。PLOが困難に陥った時にいつもしていることと同じことをしている。

ベイルートへの侵略だ。

展示する物が何もないというのに、彼らはベイルートで別館を開演しようとしている。この「パレスチナ人による」侵略が前回と同じ結果だとすれば、1週間のうちにキリスト教徒の殺害を始めるだろう。

ベイルート以外にも、パレスチナ博物館はサンディエゴ、ロンドン、ドバイ、ガザで別館の開演を計画している。イスラム教的には、内側が空っぽでも外部への侵略で埋め合わせることが出来る。

一方で空っぽのパレスチナ博物館はMahmoud Hawariという新しい支配人を見つけた。そこには「大英博物館の主任管理者」と記されている。実際には彼は管理者のようなものではなく客員だ。パレスチナ博物館の出資団体は紛らわしい履歴書で自分たちを欺いたとして新しい管理者を非難している。だがウェブサイトの表示を変更する様子は未だに見られない。

だがパレスチナはこれまで常に嘘で成り立ってきた。パレスチナ博物館がどうしてその伝統を破るべきだろうか?

新しい管理者は、もしあるならば、博物館に何を展示するのか決めなくてはならない。だが博物館はイスラムのテロリズムを称賛し誰が先にイスラエルに住んでいたかという内容は外すことが出来ないということに彼はすぐに気が付かされるだろう。これら2つのトピックはパレスチナ人のアイデンティティの始まりでありそして終わりだ。このどちらにもユダヤ人への憎悪が込められている。

ユダヤ人を殺害せよ、ムスリムとパレスチナ人を擁護するふりをしている人たちが本当に欲していることはそれだからだ。パレスチナはその財産、水、電力をイスラエルから供給されている政治的寄生体だ。その歴史、文化、そしてその全存在理由までをイスラエルから与えられている。

パレスチナ人はダビデ王はムスリムだったと主張している。イエスはパレスチナ人でダビデの星は、イスラムより先に存在したはずなのに、イスラム教のシンボルだと教えている。唯一のパレスチナの文化は横領だ。

パレスチナは、寄生虫が宿主なしには生きていけないそれ以上にイスラエルなしには生きていけない。パレスチナ国家の建設という戯言を主張しているにも関わらず、PLO、ハマス、もしくはそれ以外の全員が考えられるパレスチナ国家の唯一の目的はイスラエルを攻撃することだけだ。

パレスチナ人のアイデンティティはユダヤ人を憎悪すること以外には意味も意義も持たない。

パレスチナ博物館はその魂すべてを死のカルトに捧げた人間と同じぐらいに空虚に包まれている。その内側にはユダヤ人への憎悪以外は何一つ入ることが出来ない。

博物館の空虚さは、完全に予想できるように、ユダヤ人のせいだと非難される。博物館は薄汚れたユダヤ人の手が建物に少しでも加わることを避けなければならなかった。よって教区の民生委員たちは、パレスチナが生み出す唯一の物は死だけだったので、イスラエルの外部から輸入しなくてはならなくなった。

テロの危険を恐れたイスラエルはドイツ製の照明器具とオーストラリア製の非常口の標識が持ち運ばれるのを渋った。だがそれらの器具が到着しても、博物館の内部はやはり空っぽのままだった。そしてそれもユダヤ人のせいにされた。

Omar Al Qattanは、イスラエルが展示に使う品物の輸入を難しくさせたと非難している。だがパレスチナ自治政府の首都からほんの数マイル離れただけの場所にあるはずの博物館が、自分たちの歴史があると主張している土地で「パレスチナ的な」物を見つけることが出来ないというのは奇妙なことだと思うだろう。

パレスチナの文化などない。パレスチナの歴史などない。そこにあるのはアイルランドの建設会社によって建てられた空っぽの博物館が存在するだけだ。「パレスチナ人の庭」でさえもヨルダン人の庭師の作り物でしかない。

パレスチナはポチョムキンの村だ。歴史あるユダヤ人の町や村を不当に占拠したムスリムの移住者で構成されている。だがその地はマーク・トウェインが訪れた時と変わらず今も荒廃している。パレスチナの文化は空っぽの建物だ。肉体はいくつも存在している。だがそこには魂がない。パレスチナには過去がなくそして未来もない。

以下、アメリカ人のコメント

cheechakos • 6 months ago

Mr.Greenfieldによる芸術作品だ。これを石に刻んでパレスチナ博物館に展示すべきだ。

Ari Lieberman • 6 months ago

パレスチナ人はMr. Greenfieldがこの記事で語っていることを自分たち自身で幾度も認めている。1977年にオランダの新聞社Trouwのインタビューに答えて、PLOのexecutive committeeメンバーのZahir Muhseinは次のように語っている。

「パレスチナ人は存在しない。パレスチナ国家の建設はアラブ人を一つにまとめるためイスラエルへの闘争を続けるための手段でしかない。現実に、現在ではヨルダン人、パレスチナ人、シリア人、レバノン人の間に違いはない。アラブ諸国の利害がシオニズムに反対する「パレスチナの人たち」という別個の存在を必要としているため、私たちは政治的、戦略的手段のためだけにパレスチナ人の存在のことを語っている」

「戦略的理由により、国際的に認められた国境線を持つ主権国家であるヨルダンは、ハイファやジャファに対して主権を主張することが出来ない。一方パレスチナ人としてであれば、ハイファ、ジャファだけでなくベルシェバ、エルサレムに主権を要求することが出来る。だがパレスチナ全土の主権を要求するその時には、パレスチナとヨルダンが一つになるのを少しも待ったりはしないだろう」。

cxt  IzlamIsTyranny • 6 months ago

イスラム以外への終わりのない戦い。そして終わりのないスンニ派とシーア派との戦い。そして「十分に」イスラムではないと見做された人間たちと他のムスリムから「間違った種類の」イスラムと見做された人間たちとの終わりのない戦い。

wileyvet  Guest • 6 months ago

ムスリムがインドに1000年間住むことが出来たのはヒンズー教徒の寛容さのおかげではないかと個人的に思っている。イスラムがインドを征服した歴史は、恐らく最も血に塗られた歴史のうちの一つだろう。コメント欄で必死に否定しているリベラル派がいるが、イスラムによる征服は紛れもなく植民地主義であり帝国主義だった。君は、現在の57ヶ国がそれにムスリム人口を多く抱える国々がどのような経路を辿って現在の姿になったのか何も知らないように見える。

君たちのような人間は西側の植民地主義にはヒステリーを起こすが(丁度ガンジーのように)、イスラムの植民地主義にはまったく関心を示さない。どのようにしては分からないがイスラム教の国々が突然降って湧いたかのように出現したぐらいにしか考えていないんだろう。同様に、君はイスラムと非イスラム教徒との歴史的関係に関しても何も知らないように見える。

イスラムは戦争の教義が成文化されている唯一の宗教だ。ジハードは、イスラムを防衛するためそしてイスラムを拡散させるためその両方の目的として全共同体に課せられる義務として存在している。イスラムでは、非イスラムがイスラムによって支配されるまではその間に敵意が存在するとはっきりと明文化している。預言者の命が尽きてからは永遠の戦いが存在すると教えている。

カリフ期にはそして異なる地域で、カリフの下へ毎年決められた数の奴隷をお互いの地域へ献上することは一般的だった。殺害、ズィンミーに課せられた厄介な条件、改宗によって地域の文化や人々は消滅させられていった。そして後にはムスリムだけが残った。現在ではモロッコ、イエメン、イラク、エジプトのユダヤ人は最早存在しない。地域全体の目的が「パレスチナの」失敗とイスラエルのユダヤ人を追い出すことに失敗したその報復へと塗り替えられていった。イスラムの帝国主義は異教徒/無神論者の文化を破壊し差別的なシステムの下に組み込むことだった。イスラムを拒否した人には終わりのない屈辱が与えられムスリムの気まぐれで生かされているだけだった。それがムスリムが言うところの「寛大さ」だ。

アラブ諸国もしくはムスリム国家は、広く受け入れられた西側の基本的人権に近い概念でさえも生み出していない。信仰の自由や言論の自由、思想の自由、報道の自由、法の下での平等、女性の対等な権利、虐待などからの女性の保護などはイスラム世界には根本的に欠けている。この地域の唯一の例外である小さな小さなイスラエルを除いては。アラブとムスリムの領土は300万平方マイルである一方でイスラエルの領土は8000平方マイルでしかない。アラブがはっきりと口にしている目標はパレスチナをアラブ人だけの国にすることだ。イスラムの預言者がメディナとアラビアのユダヤ人を民族的に浄化したように。ムハンマドの遺言を受けた彼の後継者アブー・バクルは他の宗教を追放しリッダの戦いで従わない部族たちを虐殺していった。

アラブとイスラエルとの対立は常にイスラムの宗教戦争だった。だが中東の専門家を自称する人たちはこれがイスラムの問題だということを必死に否定もしくは隠そうとした。過去数百年のイスラムの歴史はジハードという責務があること、イスラムの拡大はすべてのムスリムに課せられた義務であることを示している。イスラムとムスリムにとって、彼らが奇妙にもムスリムの土地と呼ぶイスラエルにユダヤ人が存在することはイスラムにとって屈辱を意味する。Jabotinskyのようなシオニストの歴史修正主義者もいるが、イスラムと「その他」の人々との関係をはっきり語っているイスラム学者、イスラム法学者、哲学者らからの引用を数千とまではいかないかもしれないが文字通り数百と探すことが出来るだろう。

自虐的な西側とは異なり、ムスリムは自らの歴史を非常に誇っている。謝罪も反省も自己批判もそこには見られない。ムスリム世界で異を唱えることはとてつもない勇気と死を恐れない覚悟が必要とされる。ムスリムにとって、征服、破壊とイスラム以外の人間と文化の根絶はイスラムの優位性の証明でありアラーのアラブとムスリムに対する約束の実現でもある。

1948年以降のイエメンからのユダヤ人の迫害と追放の歴史は悲しい歴史の一面でもある。だがアラブの歴史では当たり前のことだ。いつも攻撃的であるのと同じく、ムスリムは他人が被害者である時は自分たちの残虐な振る舞いをいつも正当化するが、自分たちに対して不正義が行われたと妄想をする時は盛大に誇張/捏造をする。ユダヤ人の陰謀の被害者面をしながら暴力的に攻撃してくる人たちから実を守ることは難しい。特に身内やメディアにもユダヤ陰謀論者が溢れている場合には。

Son of Liberty • 6 months ago

素晴らしい。

パレスチナの定義は意味のなさ、どこでもない、存在しない、ゼロなどにするべきだ。

SCREW SOCIALISM  Son of Liberty • 6 months ago

自爆テロリストが住んでいるアトランティス大陸も追加。

Wise Man  naro wampanoag • 6 months ago

アラブとイスラエルが対立している本当の理由は、アラブに征服されたズィンミーが自分たちの権利と主権を再び主張することを恐れているためかもしれない。もしユダヤ人がそれに成功したら(征服された国々のうちでも最も迫害を受け最も悲惨な目にあった)、アッシリア人、キリスト教徒(コプト人、アラム人、マロン派)などがそれに続くかもしれない。クルド人、ヤズディ派、ベルベル人(イスラムに同化しすぎているとの指摘も)や他の民族はどうするだろうか?イスラエルはアラブの植民地主義を崩壊させて私たちの仲間たち(アラブたちをも含む)の主権と権利を回復させなければならない。

wileyvet • 6 months ago

ここにパレスチナ博物館に展示されるべきナクバの記録がある。

・私たちの隊列の5番目は家を捨ててきた人たちで構成されている。困っている人たちを見捨てて逃げてきた困難の最初の兆候だ--Ash-Sha’ab, Jaffa, January,30, 1948

・(逃亡する村人は)村を見捨てることによって、災厄を私たち全員に押し付けている--As-Sarih, Jaffa, March 30,1948

・アラブ人に国内に残って今まで通りの生活を続けるようにとのユダヤ人による説得がありとあらゆる形で行われた。店を開き商売を続け彼らの生活と利益が守られるということを保証した--Haifa District HQ of the British Police, April 26, 1948, (quoted in Battleground by Samuel Katz)

・「一部は(アラブ人は戦争で勝利した場合相手を皆殺しにしていた)恐怖により、一部はアラブの指導者たちからの命令により逃げ出す人たちが大量に現れ、アラブ人がかなりの割合を占めるハイファはゴーストシティとなった。アラブの労働者がいなくなることによりハイファが麻痺状態となることをアラブの指導者たちは狙いとしていた--Time Magazine, May 3, 1948, page 25

・「支配者階級の誤った指示に従ったためパレスチナのアラブの通りは不気味なほど静かだった。エルサレムからも逃亡者が発生した。だがジャッファやハイファほどではなかった--London Times, May 5, 1948

・アラブの住人たちはパニックを起こし逃亡した。戦争の足音が近づく前に村が放棄されることは頻繁にあった--General John Glubb “Pasha,” The London Daily Mail, August 12, 1948

どうしてパキスタンの建国はOKでイスラエルの建国には猛烈に反対するのか?

WHY IS PAKISTAN MORE LEGITIMATE THAN ISRAEL?

Dennis Prager

ラジオのリスナーからイスラエルの正統性にチャレンジしようとする質問を受け取った時にはそれらの人たちに対して他の国の正統性には疑問を投げかけたことが一度でもあるのかと問い掛けることにしている。特に、パキスタンの正統性に疑問を投げ掛けたことはあるのかと。

もちろん、いつも決まって答えはしたことがないだった。事実、どうして私がパキスタンを引き合いに出したのか誰も分かっていないようだった。

それには2つの理由がある。

第一に、200以上も国が存在するというのにイスラエルの正統性だけがチャレンジされる。よって他の国を問い掛けることは質問者にとって奇妙なことのように思われるのだろう。第二に、インド人とパキスタン人以外はパキスタンの建国についてほとんど何も知らない。

国連がイスラエルの分割提案決議を採択したほんの数ヶ月前にインドはイスラム教徒とヒンズー教徒に分割された。ヒンズー教の国は言うまでもなくインドで、イスラム教徒の国はパキスタンとして知られるようになった。領土は31万平方マイルでテキサス州よりも4万平方マイル大きい。

どちらのケースでも、独立宣言をした後には戦争が発生した。イスラエルが独立を宣言すると6つのアラブ諸国が攻め込んできた。インドの分割の時には、イスラム教徒とヒンズー教徒の間で激烈な争いが起こった。

当時の国連の報告書によると、アラブの攻撃によって72万6000人のアラブ人の難民が発生したと云われている。他の多くの資料でも、それより20万人少ない数字が示されているだけだ。それとほとんど同じだけのユダヤ人の難民が(大体70万人ぐらい)数世代に渡って住んでいた地域からアラブ諸国によって追放されたことによって生み出された。加えてアラブがイスラエルに侵攻した後、1万人のアラブ人が虐殺された。

今度はパキスタンのケースを見てみよう。国連の報告によると、パキスタンの建国によって1400万人の難民が発生した(ヒンズー教徒がパキスタンから逃げ出しイスラム教徒がインドから逃げ出した)。それを大体半分半分だと仮定すると、パキスタンの建国によって700万人のヒンズー教徒の難民が生み出されたことになる。アラブの攻撃によって生み出された難民の10倍ぐらいだ。中東の場合は攻撃を仕掛けてきたのはアラブ諸国の方だということも覚えておく必要がある。

アラブ諸国がイスラエルの建国を否定しなければ、アラブ諸国がイスラエルに侵攻しなければ、アラブの難民はほとんど存在しなかっただろう。

そしてアラブ諸国の攻撃によって死亡したアラブ人の人数は最大で1万人だが、パキスタンの建国によって死亡した人の人数は100万人ぐらいだと云われている。

その上、インド政府の報告によると少なくとも8万6000人の女性がレイプされた。多くの歴史家は実際にはそれよりも遥かに多いと指摘している。イスラエルが建国された時にはレイプされた女性の人数はほとんどゼロだった。私が探した限りでは、最大でも12人だった。

これだけの被害を生み出したというのに、どうして誰もパキスタンの正統性には疑問を投げ掛けないのだろうか?

この疑問はさらなる事実を考えればますます理解できなくなる。パキスタンの建国の前にはパキスタン人は存在していなかった。パキスタンは完全に新しい国家だった。さらに、パキスタンが建国されたのはひとえにイスラム教徒がインドに侵略してきたためだ。インドを侵略したのはイスラム教徒で、インド支配時に6000万人のヒンズー教徒を殺害したのもイスラム教徒だ。今ではパキスタンとして知られている地域は西暦711年にイスラム教徒が侵略するまではヒンズー教徒の支配する地域だった。

その反対に、現在のイスラエルはパレスチナとして知られる地域に建国された3度めのユダヤ人国家だ。最初は紀元前586年に破壊された。2度めは西暦70年に破壊された。そしてそれ以降はパレスチナには非ユダヤ人の国家が建国されたことはなかった。

では、これらの事実を前にして、どうしてイスラエルの正統性だけがチャレンジされるのか?パキスタンの正統性は、それ以前には存在もしていなかったしその建国によって膨大な数の難民が発生したパキスタンの正統性には誰も疑問を投げ掛けないのか?

その答えはあまりにも自明なので、左翼の知識人に洗脳された人たちにだけ語る必要がある。イスラエルが唯一のユダヤ国家だからだ。世界にはイスラム教徒が多数派を占める国が49ヶ国ありアラブ諸国が22ヶ国あるというのに、たった1つのユダヤ国家の権利だけが世界中から疑問をつけられ完全に否定される(イスラエルの領土は小さなニュージャージー州ほどでしかないというのに)。

もしあなたがPresbyterian Churchのメンバーであるならば、これらの事実をイスラエルへのボイコットを呼び掛けているPresbyterian Church USAの指導者に送りつけて欲しい。もしあなたが中東のことを学んでいる学生であれば、というよりも他のすべての人文学系の学生であれば、あなたの指導教官にどうしてパキスタンは正統でイスラエルは正統ではないというのか理由を尋ねてみて欲しい。

彼らは答えることが出来ないだろう。彼らのイスラエルに対する反対は倫理に基づいてのものではないからだ。

国際法的にパレスチナはイスラエルの領土?

Crimea, International Law, and the West Bank

EUGENE KONTOROVICH

ケリー長官は外交上の2つの大きな問題であるロシアのクリミア侵攻とヨルダン川西岸へのイスラエルの実効支配を解決するため奔走して回った。だが彼は自身が世界の歴史の皮肉に直面しているということにまったく気が付いていないように見える。これはどちらもまったく同一の国際法上の原則を適用すべき事例だ。事実、アメリカがこれらの原則を一貫して適用することが出来ずにいることが中東問題を長年に渡って解決できない原因であり、ロシアの侵攻への口火を切らせた原因でもある。

どうしてクリミアが過去にウクライナ領でありそして現在もそうであるのか、その根拠となる法的原則がイスラエルのヨルダン川西岸におけるプレゼンスをも保証する。

より分かりやすい事例から始めよう。ロシアの強硬な主張にも関わらず、国際社会はクリミアがウクライナ領であると認めている。国連総会は3月27日に100対11でクリミアをウクライナ領だと認めた。ロシアはウクライナの国境線を自由に書き換えることは出来ない。

だが外交政策の多くのリアリスト(地政学の学派の一部)が指摘しているように、そもそもどうしてクリミアがウクライナに属さなければならないのかはそれほど自明のことではない。人口の大多数は民族的に言語的に宗教的にロシア人に属する。住人の大部分は恐らくキエフではなくモスクワの支配を好むだろう(急遽行われた最近の国民投票が示すような90%以上というような数字ではないだろうが)。領土はロシアに接し歴史的にはロシアの一部だった。

ではどうしてクリミアはウクライナ領なのか?その答えはNikita Khrushchevの気まぐれだ。1954年に中央委員会の初代長官はクリミアをソビエトから切り離し(当時はソビエト連邦の一員である)ウクライナへと併合させた。彼はそのことをクリミアの住民に相談せずに事を進めた。どうせ誰もがクレムリンによって支配されるのだから大した問題ではなかった。その時以降から、ソビエト内部の公式の国境線にはクリミアがウクライナに含まれることになった。

よってウクライナがクリミアを自国の領土だと主張する根拠のすべては亡くなった長官の気まぐれということになる。だが国際法ではそれこそが重要だ。新しい国が古い国から生まれた時や植民地支配から独立した時には、最後の公式の国際線上の国境が新しい国境と認められる。このドクトリンはuti possidetis iuris(ウティ・ポシデティスの原則、国は法の下に領土を保有する)原則として知られる。この原則は世界中の新しい国の国境に適用され国際司法裁判所による国際法の基本原則として認識されてきた。一つの国から複数の国が誕生した時でさえ、丁度USSRからロシアとウクライナが誕生したように、内部行政機関による以前の決定が新しい国際線上の国境線となる。

驚くことに、この原則は古い国境線が植民地によるものであっても、もしくは非民主的に課せられたものであっても完全に適用される。そうでなければ新しく誕生した国の国境線はすべてが領土紛争の対象となるだろう。そして国境線を巡る近隣諸国との終わりのない争いが繰り広げられるに違いない。それが国際法が、植民によるものでさえも、最後の公式の国境線を恒久的なものとして定めた理由だ。それ以降の武力侵略はそれを覆すことは出来ない。ロシアのクリミア攻撃への反応が示すように。

では、この原則をイスラエルに適用してみよう。

第一次世界大戦時のオスマントルコの崩壊により、中東に多くの国が誕生することになった。オスマントルコの核はトルコという新しい国となり、そのトルコがオスマントルコの領土の所有権すべてを放棄した(イスラエルだけではなく、イラク、シリア、レバノン、ヨルダンへと)。イギリスとフランスは征服したオスマントルコの領土の一部を自らの領土とするのではなく生まれたばかりの国際連盟を通してそれらの領地を「委任統治領」とした。ヨーロッパの国々はそれらの委任統治領を新しい国々として独立させようと働き掛けた。国際連盟は、「以前はオスマントルコに属していた」領土の委任統治を根拠付ける国連規約に従ってそれを実行した。

1922年に、国連はユダヤ人の国家的郷土を定めた新しい「国」を承認した。これが委任統治領パレスチナだった。委任統治の規約によって、ヨルダン川東にトランスヨルダン(現在ではヨルダンと呼ばれている)を建国するためにパレスチナはヨルダン川で分割された(パレスチナ委任統治領は本当はもっと広大だったが、イスラエルはヨルダン川を境界にそれを放棄することを了承した)。それ以降は、委任統治領パレスチナの国際上の境界線はヨルダン川から西側を指すようになった。国際連盟の委任統治領パレスチナはイスラエルの国境に法的根拠を与えているのみならずヨルダンの国境にも、というよりもヨルダンの全存在にも法的根拠を与えている。

イスラエルは委任統治領パレスチナに建国された。従ってウティ・ポシデティスの原則により、イスラエルは委任統治領の国境線を受け継いでいる。唯一の論点は、その国境線を法的に修正するような出来事が1920年代以降に起こったかどうかだ。

この原則を適用しないことを正当化する理由として3つの出来事が頻繁に引き合いに出される。第一は、国連決議181として知られる1947年の国連の分割提案だ。第二は、1949年のグリーンラインへとつながった1948年から1949年のアラブ諸国によるユダヤ国家の建設を阻止しようという試みだ。第三は、6日間戦争でイスラエルが再び占領した領土に対する国連の対応だ。

The Partition Proposal

国連決議181は、多くの人が誤解しているのとは異なりユダヤ国家を「生み出して」などいない。ユダヤ国家の建国は25年前に国際連盟によってすでに、そして後のイスラエルの独立宣言と独立戦争によって行われている。国際連合はイスラエルが生き残るための手助けを一切行っていない。

国連決議181はパレスチナ委任統治領を7つに分割することを提案している。イスラエルはこれを受け入れアラブはこれを拒絶した。国連総会決議は委任統治領の国境線を何一つ変えていない。国連総会は世界の政策決定者ではないからだ。国連総会は何らかの制約を課すような法的能力を持っていない。ましてや国境線を書き換えるような権限など保有していない。

実際、決議自体が総会はその勧告を強制的に実行に移す権限を持たないことを認めている。もし国連総会がウクライナを分割するようにと決議したとしても、それは同様に効力を持たないだろう。1947年の決議は和解のための提案であって、もし両者によって受け入れられれば制約とはなるだろうが、それ自体は何の強制力も持たない。

イスラエルは「パレスチナにイスラエルと呼ばれるユダヤ国家を建国することを宣言する」との文書によって1948年の5月14日に独立を宣言した。ウティ・ポシデティスの原則によって、その新しい国家の国境線は委任統治領パレスチナのものとなる。イスラエルは即座にすべての近隣諸国によって攻め込まれ、領土の大部分がそれらの国々によって占領された。だが現在のようにロシアがウクライナに武力行使をして占領したのとまったく同じように、エジプトとヨルダンによる19年間の支配もその国境線にまったく変化を加えない。もしヨルダンのイスラエル領土の占領が国境線を書き換えるというのであれば、ロシアの20年以上に及ぶトランスドストニアの支配はモルドバの国境線を書き換えるはずだしトルコの40年に及ぶキプロスの占領は同国の国境線を書き換えるはずだ。

The Green Line

イスラエルは1949年に近隣諸国と休戦協定を結んだ。これらは無論平和協定ではない。それらは一時的な戦闘の停止に対する合意だ。1949年の所謂「グリーンライン」はイスラエル兵とアラブ兵が超えてはならないという境界を単に定めただけだ。国家の国境線を定めるものでも何でもないので、委任統治領の国境線は完全に保存されている。イスラエルが結んだ休戦協定にはすべてにこれが反映されている。イスラエルとヨルダンとの休戦協定を例に見てみよう。「この協定の規定はパレスチナ問題の最終的平和的な解決を目指す本協定の両当事者の如何なる権利、主張、立場を侵害してはならない。この協定の規定は軍事に関してのみ限定的に適用されるものとする」。その他の規定も両当事者は委任統治領の国境線をパレスチナの唯一の国際上の国境線だと認めるとはっきりと言及している。唯一の論争は最終的に誰がそれをコントロールするかということだ。

よってグリーンラインを策定したまさにその文書が、これはイスラエル兵とアラブ兵を隔てるための一時的な休戦ラインであって国境線を定めるものではないとはっきりと語っている。6日間戦争の間にフセイン国王が休戦ライン周辺で攻撃を仕掛けてきた後、そしてイスラエルがヨルダンの占領軍を追い出した時にそのような境界線の必要性は完全に終わりを告げた。

オバマやケリー長官、それにあまりにも多くの人たちがこのグリーンラインを指して「1967年の国境線」という言葉を用いるが(実際に国境線だと勘違いして、撤退しろと要求している)、それは国境線ではないし1967年に作られてもいない。事実、イギリスを例外としてその19年間の占領時に委任統治領に対するヨルダンの領有権を認めた国はない。ヨルダンとエジプトが1979年と1994年にイスラエルと和平協定を結んだ時に、両国は委任統治領の国境線をイスラエルの現在の国際上の国境線とはっきりと明言している。この時の事例は、それが生きていることをはっきりと示している。

Resolution 242

国連の安全保障理事会は6日間戦争に対して安保理決議242を下した。これがその後の安保理の行動の指針となっている。実際の文書を見て見る前に、1947年の国連総会の場合と同様に、安保理もすでに存在している国境線を書き換える力はないということを知っておく必要がある。安保理は特定の「拘束」を課す権限を保有しているが、国際的平和が破られた場合に経済的、軍事的手段で対応することに限られている。国連加盟国の国境線を書き換えるようなことは出来ない。

それよりも重要度は落ちるが国連安保理の慣行では国連憲章の第7条を根拠として決議に拘束力をもたせる場合には文書化されたソースにはっきりと言及することが求められている。この時の決議にそのような参照がないことは、安保理が決議は推奨以上のものではないということを理解していたことを示している。

決議242は「最近の衝突で占領した土地からのイスラエル軍の撤退」を求めていることはよく知られている。起草者は、占領したすべての領土からイスラエルは撤退するようにとの要求を退けるために言葉を注意深く選び、そして撤退の規模は将来の外交に委ねるとしている。決議242の条文は「すべての」領土から撤退することを求めたであろう他のバージョンに対する牽制としてイギリス人によって起草された。

最近の衝突でという部分は占領した土地という部分に先行していない(掛かっていない)とクレームをつける人たちが大量に現れた(恐らくは英文を見ないと意味がわからないと思うが)。だがアラブ-イスラエル間の他の多くの議論と同じように、そのような議論はイスラエルだけを異世界の法で解釈してしまうという問題が発生する。実際、安保理がすべての領土からの完全撤退を求める場合に領土という単語の使い方が標準的であったのかどうかを見ることは極めて簡単だ。私は軍事撤退を要求する16の他の決議を調べた。そのうちの4つは1967年より前のものだ。完全撤退の要求は「withdraw from the whole territory(すべての領土からの撤退)」とか「the territory(その領土)」といった具合にはっきりと明文化されている。その際には、武力衝突が起こる前の領土を記した特定の文書が必ずと言っていいほど参照されている。決議242の条文は安保理の歴史としては異端だ。だが条文の起草の歴史や条文の意図とは整合的だ。従って決議242が完全撤退を求めているというのは決議の読み違えであるだけではなく他の重要な16の決議をも意味の通らないものにしてしまう。

「戦争によって得た領土は承認し難い」という決議の序文を根拠にイスラエルにグリーンラインまでの撤退を決議は強制しているという人までいるが、それもまた実に奇妙な主張だ。その次の段落にも「イスラエルのものと認識されている国境線」への撤退と記されている。1949年の休戦協定ラインはどのような法的意味で見ても「イスラエルのものと認められている国境線」ではない。

まとめると、国連憲章に従って行動する国際連盟(連合)は委任統治領パレスチナの領土を1922年に確定した。他の委任統治領の領土が現在の中東諸国の国境線となったのとまったく同じように。1947年の分割決議提案を見ても分かるように、国連総会はその領土を変更させるような権限を持たない。1948年から1949年のアラブによる武力侵攻も、それ以降の国際社会の解釈もイスラエルの領土に対して一切の法的影響力を持たない。

国際社会の感情はイスラエルに対して極めて攻撃的だというのは事実だ。だが国際法は人気投票ではない。もしそうであれば、イスラエルはとっくの昔に地球上から消滅していただろう。

これらのいずれもパレスチナ国家の建設を妨げるものではない。そのような議論は完全に外交的、人口的配慮に従って進められている。仮に、委任統治領はイスラエルに広大な領土を与えすぎているという考えを受け入れたとしても、1948年から1949年のアラブの武力侵略により実効支配が成立したとか国境線となったというのは以ての外だ。いずれにしてもパレスチナ国家の建設というのはイスラエルとパレスチナ双方の同意によってのみ行うことが出来るしそうするべきだ。

もし(ヨルダン川から地中海までのどこかに)パレスチナのアラブ人の国があるはずなので(曖昧な概念ではあるが)国際法上の民族自決の原則が該当するはずだと考える人がいたとしても、uti possidetisの原則はそれでもなお重要性を持つ。

新しい国家が誕生した時には、その国境線は内部の行政組織が最後に決定したものに従うと定めていたことを思い出す必要がある。委任統治家でパレスチナは6つの行政区に分割されていた。これをどう組み合わせても1949年の休戦協定ラインに似通ったものにさえならない(例えばガザ地区はNegevという行政区に組み込まれていた。一方で、現在ではヨルダン川西岸と呼ばれている地域は3つの異なる行政区に属していた)。1993年のオスロ合意では3つの管理区画が想定されていた(エリアA、エリアB、エリアCと呼ばれる)。そのうち2つはパレスチナ人の権限が及ぶ区画で1つはユダヤ人の権限が及ぶ区画だった。そのラインの方が、不連続でそもそも違法なエジプトとヨルダンによる占領によるラインよりも国際法上の意味を持つことは言うまでもない。

国際社会は、恐らくはアラブ人を恐れて、イスラエルのこととなるとこの原則を都合よく忘れてしまったのだと思われる。プーチンがウクライナに対して取った行動はそのような原則の不一致の危険性をよく表している。国際社会が一度この原則の例外を認めだすと終わりのない戦争への扉を自ら開いてしまうことになる。国際的に確立された委任領の領界が新しい国を守らないというのであれば、全体主義の独裁者が国境線を書き換えようとするのをどうやって阻止したらいいのだろうか?

ロシアがクリミアを素早く占領してしまったこと、この記事を書いている間にも東ウクライナにじわじわと侵攻していることはイスラエルがパレスチナと結ぶであろう条約に関して大きな政治的教訓を残している。ロシアのウクライナ解体作業を見ていると、和平条約が結ばれた時にパレスチナ国家がイスラエルをどのように解体しに掛かるか目に浮かぶようだ。

ヨルダン川西岸とガザにパレスチナ国家を建設した場合にイスラエルが受け取るメリットの一つは、イスラエルの国境線が国際的に認められるだろうという曖昧なものだった。彼らは、その場合の国境線は狭くなるだろうが国際的には正当だと認められるはずだと宣伝してきた。他の国は大使館を西エルサレムに移すだろう。イスラエルは「世界地図に現れる」ようになるだろうとTzipi Livniはかつて語った。この取引によって受け取るはずの利益は、まさか21世紀にもなって国境線が容易に書き換えられることはないだろうという甘い思い込みが保証してくれるはずだった。

クリミアは、ケリー長官が語った所の「19世紀の振る舞い」が現在でもまったく有効であることを証明した。そして国際社会はそれらを止めるためには何もしないだろう。ロシアがウクライナを占領したそのやり方を参考にしてみよう。

第一に、ロシアは20年ぐらい待って時間を稼いだ。もちろん、新しく要求をしだす前にパレスチナとの取引がたったそれだけの時間しか続かないのであれば、それだけを見てもその取引はイスラエルにとって壊滅的なバーゲンだったということが証明されるだろう。第二に、ロシアは民族が重なって暮らしている地域に狙いを定めた。それらの地域に対して、ヒトラーの戦略のように暴動と抗議を誘発させてそれからウクライナの対応に抗議した。

これがはっきり言えばイスラエルが最も恐れてきたことだ。和平条約のユーフォリアが過ぎ去った後で、いまでは国家の力を存分に振るえるようになったパレスチナはGalilee TriangleやNegevに住むアラブ人たちに反旗を翻すように唆すだろう。言うまでもなくパレスチナ人は一度にそれらの領土を奪おうとはしないだろう。ロシアが現在東ウクライナで行っているようにイスラエルを不安定化させ始めるだろう。

イスラエルがその不安定化を食い止めようとすると、ユダヤ人には非ユダヤ人を治める権利などないとか様々な難癖が始まるだろう。それからロシアの主張(ソビエト連邦の復活)と比較すれば多くの人が不思議とマシだと錯覚してしまう様々な正当化が始まるだろう(アラブ連邦の復活など)。それらの主張/スローガン(アラブは一つ、カリフ制の復活、再び大アラブを復活させようなど)はイスラエルに住むアラブ人を駆り立てるには十分だろう。そのような状況で、国際法上完全に正統だったイスラエルの国境線に対して半世紀以上の間嘘をつき続けてきた国際社会がイスラエルを守ろうとするだろうか?

国際法を理解している人間であればクリミアがウクライナの一部であることに誰も疑問を挟まない。クリミアの住人の考えがどうであろうともだ。そのような疑問を投げかけて議論を蒸し返し火遊びをしようと企むことは世界中の国境線を再び書き換える事態につながるだろう。これまで見てきたように、ウクライナの主張を正当化するのと同じ原則がイスラエルの主張も正当化する。

イスラエルは国際社会がユダヤ国家の正当な権利を守ろうとしないことをそれほど重視するべきではない。ウクライナ危機がこの原則の限界を示したためだ。ウクライナには、イスラエルが得られないような国際社会からの支持があったかもしれない。だがウクライナ危機はいざ行動ということになると、法の正統性や過去の約束ではなく自分たちの都合で動くことを国際社会は示した。1948年の時と同じように、イスラエルは自らを頼りとするしかないだろう。

歴代最悪の大統領ジミー・カーターは孫がユダヤ人のコミュニティで選挙に出馬することになったのでイスラエル支持に転向した?

JIMMY CARTER AND THE POLITICS OF APOLOGY – BY JACOB LAKSIN

Jacob Laksin

ジミー・カーターはイスラエルとパレスチナの紛争では常にイスラエルを非難してきた。この前大統領はハマスを擁護しパレスチナのジハーディストたちをイスラエルによる抑圧と戦っている被害者だとずっっと主張してきた。今度はイスラエルがカーターの浅ましい打算から利益を得る順番が回ってきたようだ。

世界中でイスラエルを悪魔のように糾弾してきた後で、カーターはとうとう自らのやり方が誤りであることに気が付いたようだ。先週、彼はイスラエルのイメージを悪化させ続けたことに対して自分が果たした役割を謝罪し伝統的なユダヤの礼拝堂で許しを求めたことをユダヤ人のコミュニティに向けて声明で発表した。

「入植地政策に反対していたとはいえ、イスラエルという国家に汚名を着せたいと思ったこともその意図もまったくなかった」とカーターは語った。そしてさらに、「困難な状況に置かれているにも関わらず、イスラエルが成し遂げたことを私たちは認めなければならない」とも語り、「イスラエルを糾弾したいがための非難を許してはならない」とも付け加えた。

まったく関係のない話ではあるが、カータの孫、34歳のアトランタの弁護士ジェイソン・カーターが、投票においてはそれなりに影響力を持つユダヤ人人口を抱えるジョージア州の郊外のコミュニティで選挙戦を戦っている。

長年反イスラエルプロパガンダをばらまいてきた彼の転向が見え透いたご都合主義にしか見えないと思うのであれば、そのとおりだろう。結局は、この男は2007年に「Palestine: Peace Not Apartheid」という本を出版して、民主的なイスラエルを南アフリカの人種差別政権と同じだと糾弾した男だ。この本の筆者は今では誇張しすぎたと反省し、その本の扇動的なタイトルを後悔していると懺悔している。カーターは今でもイスラエルの入植には反対しているが、パレスチナ人が実際には人種差別には苦しんでいないということは認めたようだ。

イスラエルの支持者から見れば、そのような懺悔は当然のものだと思われるだろうがそれでもこれを歓迎すべきだ。だがカーターの懺悔が、イスラエルの評判を貶めるキャンペーンを行ったことに対するダメージを取り消そうとの本当の良心に基づくものであるかは分からない。言うまでもなく、彼の孫がユダヤ人の政治家David Adelmanが抜けた穴を埋める(彼はオバマによってシンガポール大使に指名された)ための選挙をユダヤ人を多く抱える選挙区で戦っている最中の懺悔とはタイミングが良すぎる。そのような状況で、世界でユダヤ国家を最も声高に非難してきた1人である彼を祖父に持つことはとてもではないがアピールできるポイントではないだろう。

ご都合主義がすべてではないとしても、彼の本心は未だに疑わしいままだ。彼の後悔をユダヤ人のコミュニティに伝えたほんの数日前に、カーターは誤りだったと言っているはずの反イスラエルの数多くの中傷エピソードをロンドンのガーディアンに寄稿している。

中東の和平協議の再開のためと称して、カーターはアラブ側の無茶な言い分(和平協議に参加するためだけの条件としてテロリストを全員釈放しろ)は擁護してパレスチナのテロリズムを正当化しイスラエルとその指導者を過去の和平協議の失敗の原因だとして非難している。パレスチナには一切の責任を負わせないでだ。

同じぐらい嘆かわしいのは対立の背景に関するカーターの一方的で選択的な説明だろう。昨年のガザ紛争でのパレスチナ人の苦しみを嘆く一方で、カーターはイスラエルの都市と村が8年に渡って継続的にロケットによる攻撃を受けていたことは一度も言及しない。カーターはイスラエルがセメントのような建築素材がガザに搬入されるのを阻止していると非難しているが、イスラエルが制限付きで搬入を許可していること、そしてそもそもどうしてイスラエルが搬入に制限を加えているのかということには言及しない。建築素材はテロリストによってロケットと砦を作るのに利用される。カーターはイスラエルがパレスチナの学校と病院をガザ紛争時に「高精度ミサイル」で破壊したと非難しているが、それらの施設はテロリストによって利用されているという重要な事実に言及することも避けている。

だがイスラエルに対するさらなる非難決議をという提案ほど、彼の本性を表しているものはないだろう。それこそが、カーターが拒絶すると言っていた、イスラエルに汚名を着せる最たる行為の一つだと言うのに。

不公平にイスラエルだけを非難するというのはカーターの最大の罪ではない。最近のレポートも示しているように、結局は国連もそれを行っている。より有害なのは、前大統領がハマスのテロリストと長年に渡って交流を続けているという事実だ。

カーターはそのことを隠そうともしていない。パレスチナへの旅行の最中に、これまで通りカーターはハマスの言い分を繰り返し広報し続けた。イスラエルさえ敵意を向けるのを止めればハマスは停戦を受け入れ武器を下ろすのにという言い分を。イスラエル兵士を攻撃し誘拐するためハマスが建設したトンネルネットワークは「防衛の目的」だと主張した時に、カーターの評価は単に騙されやすい人から有害で危険な人間へとまで墜落した。

アメリカとヨーロッパがハマスをテロリストだと認定していることは、彼のジハーディストたちに対する熱狂を冷まさせることはなかった。2006年の1月に、カーターはテロリズムへの資金とハマスへのマネーロンダリングを禁止する法律を人道援助の一環として国際社会に無視するように呼び掛けた。ハマスの指導者たち自身でさえもが、和平は彼らが最も欲していないものだということをカーターに説得させることはできなかった。国外追放されているハマスの指導者Khaled Meshalは自爆テロへの支持を一度も隠したことがないし、イスラエルを破壊することがパレスチナの人々の「運命」だと呼び掛け続けている。そのような事実が、2008年に彼に親しげに和平交渉を持ちかけようとするカーターの目を覚まさせることもなかった。

もしカーターが本当に謝罪したいと思っているのであれば、数千人のイスラエル人を殺害し、パレスチナ人を暴力へと走らせ、この地域で意図的に政治的対立を生み出し、現在まで和平合意の如何なる希望も粉砕し続けているテロリスト集団の主張を広報してきた自らの過去を断罪したい気持ちに駆られるだろう。カーターが未だに自分の最後の役割と主張している和平合意の実現のためには、矛盾し動機が見え透いた謝罪以上のものを必要としている。

アラブ人の反イスラエル感情はすべてデマによって生み出された?

'THEY STOLE OUR LAND' VS. THE GRAND MUFTI OF JERUSALEM

David Meir-Levi

アラブ人たちがイスラエルを敵視するその正当化の最大の拠り所としているのが、シオニストがイスラエルの土地に現れてアラブの土地を奪っていったという話だ。これは非常に分かりやすい主張で、容易にその様子を思い浮かべることができるし表面上は論理的にも見えるためこの話が伝播しやすいのは理解できる。シオニストはヨーロッパから当時はパレスチナだった土地に流れ着いた、そしてアラブ人はすでにそこに住んでいた。従って、ユダヤ人はアラブから土地を奪ったに決まっている!

その主張とは事実は真逆であることを示す証拠は膨大にあるのだが、それをアラブ人たちの主張のように簡潔でシンプルな方法で説明することは難しい。説明すべき変数があまりにも多くある。例えば、アラブ人の人口増加率、ユダヤ人の人口増加率、シオニストたちの農業技術、ユダヤ人たちの土地の購入、王侯貴族の土地vs民間所有の土地、地主が不在で所有権が分からなくなった土地などなど。このように説明の容易さに対象的な違いがあるため、イスラエルの主張を支持しアラブ人の主張を否定する証拠が膨大で精査されたものであるにも関わらず、イスラエルとシオニズムを擁護する人々を不利な立場へと追いやっていた。これらの証拠をまとめて分析したものとして、Kenneth Stein, The Land Question in Palestine, 1917-1939 (University of North Carolina Press, 1984)を参照して欲しい。

だが、ユダヤ人が土地を奪ったのではなく正規の売り手から正当に土地を買い取ったのだということを示す誰もが納得せざるを得ない証拠がある。この情報源は疑いようもなく親イスラエルでも親ユダヤでも親シオニストでもないので、彼の証言に疑いの余地を向けることはできないはずだ。その証言とはHajj Mohammed Effendi Amin el-Husseini (1895 to 1974)のことだ。

El-Husseiniはパレスチナのナショナリズムという概念を生み出した人間で、1920年代からそれ以降のシオニズムに対する暴力的な反対運動を展開してきた指導者だった。彼はGrand Mufti(最高の宗教指導者)としての強力な政治的、宗教的立場を利用してアラブのナショナリズム運動に火をつけ、イギリスに対する暴力を展開し、ユダヤ人に対する憎悪とユダヤ人の殲滅を説いて回っていた。彼は第二次世界大戦前からそしてその間もヒトラーの同盟相手だった。ボスニアでムスリムの大群を勧誘し東部戦線でヒトラーのドイツ国防軍のために従事させた。そしてドイツを真似てパレスチナにユダヤ人強制収容所を建設する計画を実行していた。1948年のアラブ・イスラエル戦争では彼はArab Higher Committeeの代表として参加し1947年11月29日に決議された国連の分割案を拒絶した。

イギリス委任統治領としてのパレスチナのアラブ側の代表として、フセイニーはウィリアム・ピールが率いる王立調査団からのインタビューを受けている。

ピール委員会はアラブ人とユダヤ人との衝突の原因を調査し報告する目的で1936年の11月にイギリス委任統治領パレスチナに送られた王立の調査団だった。主だったシオニストやアラブの指導者たちに数ヶ月に及ぶ調査とインタビューを行った後にそれをまとめた報告書を同委員会は1937年の7月に公表した。この報告書はアラブ国家とユダヤ国家との分割を勧告している。シオニスト側はこれを受け入れたもののアラブ側の猛反発によりこのピール案は実施されることはなかった。

ピール委員会はシオニストと彼らが土地に与えた影響、そしてアラブ社会と経済に与えた影響に関して非常に興味深いことを報告している。そのうちでも、アラブ側のイスラエル非難を打ち砕くのに最も重要なのは以下の部分だろう。

「アラブ人の人口は1920年以降、著しい増加を見せている。そしてそれはパレスチナの経済(イスラエル)が発展していることと無関係ではないだろう。多くのアラブ人の地主は土地の売却とそれから得た資金を投資することによって利益を得ている。アラブの農民も1920年よりも豊かになっている。このアラブの発展はユダヤ人の資本がパレスチナ(イスラエル)に流入したことやユダヤ人の増加と関連する他の要因とも無関係というわけではないだろう。特に、アラブ人はユダヤ人からの収入がなければ提供されることがなかったこれだけの規模の社会サービスを享受している。現在ではオレンジも栽培することができるようになっているそれらの土地の大部分(これもユダヤ人が開墾した)は、ユダヤ人が購入した時には耕すことも考えられないような砂丘か誰も住めない死の沼地だった(マラリアが蔓延していたため)。それらの土地が売却された時点で、土地の保有者が開墾するための資源もしくは技術を持っていたという証拠はほとんどない」。土地が不足しているというアラブ人の訴えは「ユダヤ人が土地を購入したためというよりもアラブ人の人口が増えたせいだ」。

フセイニーへの1937年1月12日のインタビューは出版されてはいないものの委員会の参考資料として保存されている。それは、The Land Question in Palestine 1917-1939 (Univ. of North Carolina Press, 2009)の筆者Kenneth SteinやA History of Israel from the Rise of Zionism to our Time (Alfred A. Knopf, 1976)の筆者Howard M. Sacharを含む幾人かの歴史家によってまとめられていて、その詳細な分析はAaron KleimanのThe Palestine  Royal Commission, 1937 (Garland Publications, 1987, pp. 298ff.)として出版されている。

ピール委員会のメンバーであるLaurie Hammondは、シオニストがアラブの土地を奪って農民を浮浪者にしているとフセイニーが委員会に訴えてきたので彼に聞き込みを行った。彼は通訳を介して話している。

ハモンド:「土地に関する数字をもう一度聞かせてください。どれぐらいの土地がその占領の前にユダヤ人によって所有されていたのですか?それを知りたいのです」

フセイニー:「占領時にはユダヤ人は10万デュナムを所有していました」

ハモンド:「具体的にはいつの年ですか?」

フセイニー:「イギリスの統治が始まった年です」

ハモンド:「では、現在ではユダヤ人はどれぐらいを所有しているのですか?」

フセイニー:「150万デュラムぐらいです。120万デュラムがユダヤ人の所有としてすでに報告/登録されています。ですが30万デュラムが現在ユダヤ人の所有として合意(売却)されようとしています。これらは土地の帳簿にまだ登録されていません。そしてもちろん、それには10万デュラムぐらいの割り当てられた土地が含まれていません」

ハモンド:「10万デュラムの土地とは?それは120万デュラムの土地に含まれていなかったのですか?分からないのはここです。1920年の委任統治時には、ユダヤ人は10万デュラムの土地しか持っていないとあなたは言いましたよね?私はどれぐらいの土地をユダヤ人がこの時に所有していたのか、土地の登記簿からの数字が知りたいと尋ねたのです。その数字が10万デュラムではなく65万デュラムだと聞かされればその人は驚くのではないのですか?」

フセイニー:「それは、多くの土地は登録されていない契約によって購入されたからかもしれません」

ハモンド:「10万デュラムと65万デュラムには大きな違いがあります」

フセイニー:「ある事例では一度に40万デュラムぐらいが売却されました」

ハモンド:「それは誰ですか?アラブ人ですか?」

フセイニー:「サルスーク(アラブの超大富豪/財閥)です。(現在のベイルート)ベイルースのアラブ人です」

ハモンド:「彼のことを聞いてアラブ人が土地と村から追い出されたという主張の意味が分かりました(飢饉の時に値上げをするなどしたので好かれてはいなかった)。私が知りたいのはパレスチナの政府(イギリスが管轄)はその土地を押収し自らの所有にしてそれからユダヤ人の手に渡されたのですか?」

フセイニー:「ほとんどの土地は押収されました」

ハモンド:「私は、強制的に押収されたのかと聞いているんです。公的な目的で強制的に押収される土地のように」

フセイニー:「いいえ、違います」

ハモンド:「強制的に押収されたのではないのですね?」

フセイニー:「そうです」

ハモンド:「ではその70万デュラムぐらいの土地は実際には売却されたと?」

フセイニー:「はい、そうです。ですがそのような売却を迫られるような状況に私たちは置かれていたのです」

ハモンド:「私にはあなたの言わんとしていることがさっぱり分かりません。それらの土地は売られたのですね?誰が売ったのですか?」

フセイニー:「地主です」

ハモンド:「アラブ人?」

フセイニー:「ほとんどはアラブ人です」

ハモンド:「彼らに売却を迫るような圧力は掛かっていなかったのですね?もし掛かっていたとすれば、それは誰によってですか?」

フセイニー:「他の国と同じように、事情に迫られて土地を売る人々がいます。経済的圧力という利益につられて」

ハモンド:「それが圧力のすべてですか?」

フセイニー:「これらの土地の大部分はその土地を居住者もしくはその代表に売却した不在地主の所有でした。土地を居住者に売却したこれら地主の大部分は不在でした。彼らはパレスチナ人ではなくレバノン人です」

ハモンド:「それらの不在地主以外で土地を売却したアラブ人は誰か分かりますか?」

フセイニー:「私であればそのようなリストを作成することができます」

ハモンド:「では今はこのことを尋ねておきましょう。トルコ人が支配していた時と比べてアラブの農民の生活水準は改善したと思いますか?悪化したと思いますか?」

フセイニー:「全般的にいって、彼らの状況は悪化したと思います」

ハモンド:「税は重くなったのですか?軽くなったのですか?」

フセイニー:「税は、当時の方がずっと過酷でした。ですが現在は他の負担があります」

ハモンド:「私は、今この時のことを尋ねています。向かい合って語り合っている者同士として。アラブの農民の税の負担がトルコ支配時と比べて軽くなったというのは事実ですか?それとも重くなったのですか?」

フセイニー:「現在の方が税の負担は軽いです。ですが現在ではアラブ人には、例えばカスタム税など他の税があります」

ピール:「では、例えば教育など他の面で見た農民の状況はどうですか?学校は増えたのですか?減ったのですか?」

フセイニー:「学校は増えたかもしれません。ですが同時にアラブ人の人口も増えています」

シオニズムに対する猛烈な反対者で、ヒトラーにも匹敵するユダヤ人嫌いのフセイニーはアラブ人の土地は奪われていないことを、アラブ人は追い出されていないことを、破壊された村はないことを認めていた。ユダヤ人はアラブの地主であることがほとんどだった土地の売却希望者から土地を購入していた。その上、シオニストとイギリスのおかげでアラブの農民の生活水準は、税が軽くなり学校が増えアラブ人の人口が増えるなど大幅に改善していた。

次に、シオニストが現れてアラブの土地を奪いアラブ人たちを追い出したと言い出す人たちが現れたら、大ムフティの証言を目の前に突きつけてやるだけでいい。

イスラエルとヒズボラとの間に最終戦争が勃発する?

HEZBOLLAH’S MASSIVE MISSILE BUILD-UP COULD CAUSE THOUSANDS OF ISRAELI DEATHS

Morton A. Klein

恐らくそれほど遠くない日に、イスラエルとレバノンでのイランの操り人形であるテロ組織ヒズボラとの間で新たな戦争が勃発するだろう。将来の衝突も過去のものと同じだと高を括っている人たちがほとんどだろうと思われる。イスラエルが集中的ではあるが限定された攻撃を行い、イスラエルに対する非難の声が数日か数週かは巻き起こり、新しい不安定な停戦協定がまた結ばれるだけだと。だが今度のレバノン紛争は前例のない規模になるかもしれない。

その理由は、ハマスが時間を掛けて13万発ものロケット砲、ミサイル、迫撃砲を蓄え(ほとんどはイランから送られた)イスラエルの国土全てに狙いを定めているからだ。

Weekly StandardのWilly Sternが語っているように、「これはNATO加盟国のすべての国を合計したよりも巨大な兵器の数だ」。そしてその兵器は、イスラエルを取り除かれるべき「病原体」と見做し「ユダヤ人が全員イスラエルに集まっていれば、世界中を追い回す手間が省ける」と世界中のユダヤ人を皆殺しにすることを宣言しているヒズボラの指導者、Sheikh Hassan Nasrallahの手に握られている。

さらに悪い事に、それらは主にイスラエルの国境周辺に展開されている旧式の兵器ではない。

ヒズボラの兵器には700型長距離ミサイルFateh-10やScud-Dミサイルなどを始め洗練された兵器が揃えられておりイスラエル全土を攻撃し数百人、数千人を殺害することが可能だ。それに加えて新型のロシアの対戦車ミサイル、対軍艦用のミサイルなども装備しているため、ヒズボラに対するイスラエルの将来の軍事作戦は簡単とは程遠いものになるだろう。

ヒズボラが保有するミサイルの数があまりにも膨大すぎるためイスラエルの対ミサイル防衛網が圧倒され、ミサイルの10%ぐらいが(アメリカの支援により建てられた)アイアン・ドーム・システムを貫通すると見られている。従って、イスラエルの死傷者は膨大な人数になるだろう。イスラエル国防軍のYair Golanは、前回の紛争時には無傷だった中央イスラエルも甚大な被害を被るだろうと予想している。

テロリストがどのような武器を用いてでもイスラエル国民を殺害すると宣言しているので、狙われているその国が動くのは時間の問題だ。イスラエルはそれよりも遥か前に先制攻撃に打って出るか破壊的な攻撃を受けてから対応を迫られるかの選択に迫られるだろう。

イスラエルは国際的な非難を一方的に浴びる軍事衝突を極力回避してきた。1973年のYom Kippur Warを思い出してみるといい。イスラエルは先に攻撃したとの非難を受けるよりも甘んじて敵の攻撃を受けることを選んだため、イスラエル人の死傷者は数千人に及んだ。

イスラエルは通常であれば被害が深刻になるまではひたすら耐える。それから反撃をする。

反撃をする時でも、過剰な攻撃だという誤った非難とは異なり、他のどの軍よりも民間人の被害を抑えようとしている。イギリスのMartin Dempsey大佐は2014年のガザ紛争の時にもイスラエル軍は民間人の被害を最小限に抑えようと「非常に長い時間を掛けて」攻撃を行ったと語っている。

だが非難者たちは、過去の衝突ではイスラエル人よりもレバノン人の方が多く亡くなったと主張するだろう。それはガザでもハマスが行っているがヒズボラの戦争犯罪のせいだ。テロリストは自分たちの軍やミサイルを民間人を盾にして守っている。

そのせいでターゲットを限定した攻撃でもテロリストとともに民間人が巻き添えになる。これは倫理的にも法的にもヒズボラに責任がある。だがユダヤ人を憎んでいるか、アラブ人を恐れているか、もしくはその両方かである歪んだ国際社会はイスラエルのせいだと非難し、それによりヒズボラの戦争犯罪をますます助長させている。

イスラエルは現在過去最大のそのようなジレンマを抱えている。あれだけの兵器を抱えるヒズボラの攻撃を耐え忍ぶことは国民の大量虐殺を容認するようなものだからだ。

イスラエルには行動する以外の選択肢は残されていない。そしてロケット砲の発射台を市街地に設置しているヒズボラはより多くの民間人が殺害されるようにと画策するだろう。唯一の疑問は国際社会がそれにどう反応するかだ。

これまでの歴史から判断すれば、国際社会の反応はこれまでと同じだろう。国際社会は表面上は両者を非難するだろう。だがヒズボラやハマスの行動を戦争犯罪だと指摘する人はほとんどいない。そして最大の非難をイスラエルに向けるだろう。

だが国際社会はこれまでとは異なる対応をすることもできる。それによりヒズボラの打算を変えさせることも可能だ。これまでのところは、そのような兆しは現れてはいない。アメリカは、戦争が生じる前にこのことを伝え、ヒズボラに期限内の武装解除を要求することでこれを変えることができる。そのような対応が取られないのであればイスラエルの予防措置的な軍事攻撃は正当化され支持されざるをえないだろう。オバマが動かないのであれば議会が動くべきだ。

バラク・オバマ「和平交渉に参加したいならばテロリストを全員釈放しろ」

ENDING THE PALESTINIAN EXCEPTION

Caroline Glick

ルドルフ・ジュリアーニ前NY市長はIsraeli American Councilの会合で演説を行った。4日間の綿密な準備を行っていた彼は、アメリカは「パレスチナ国家樹立による解決策という考え自体を捨て去る」時だと主張している。

誰が大統領になったとしても、彼の発言が政府の新しい方針になってくれればと願わずにはいられない。

パレスチナ自治政府のアッバス議長はイスラエルとの和平になど少しも関心を持っていないことを国連の前で明らかにした。彼が関心を持っているのはイスラエルを破壊することだ。だがその中でもある一つの要求が特に目を引いた。

目を引いたのはそれが目新しかったからではない。それが新しいものではなかったからだ。

アッバスはそのことをずっと前から言っている。そして彼の助言者もずっと前から言っている。彼らはそのことをパレスチナ人の前で言い、国際社会の前でも言っている。そしていつも熱烈な支持、もしくは少なくとも同情を買っていた。

アッバスはイスラエルにテロリストを逮捕するなと要求した。そしてすべてのテロリストを刑務所から釈放するようにと要求した。要するに、アッバスは有罪判決を受けた数千人のテロリストを自由に歩かせ、テロの計画から実行まですべて好きにさせるようにと要求した。

パレスチナ人の圧倒的大多数はこの要求を支持した。アメリカ政府もこれを支持した。

ケリー長官が主導して失敗に終わった2013年から2014年の和平交渉の間に、交渉に参加する事前の条件としてイスラエルは104人のテロリストを釈放せよとのアッバスの要求をオバマとケリーは称賛した。

イスラエルはアメリカの圧力に押されて78人のテロリストを刑務所から3回に分けて釈放した。4回目の釈放の前に、アッバスとその助言者たちは彼らが釈放されるのを見届けたらイスラエルとの対話を一方的に打ち切ると宣言した(ちなみに、この時釈放されたテロリストはさっそくテロを実行した)。

要するに、彼らが言うところの交渉はテロリストを釈放させるための手段でしかなかったことを自分たち自身で認めた。

オバマとケリーはアッバスたちを非難するのではなく約束をきちんと果たさなかったとしてイスラエルを非難した。対話を打ち切るとのアッバスたちの宣言に対してイスラエルが最後の26人のテロリストの釈放を拒否すると、オバマとケリーは交渉の条件を破ったとしてイスラエルを糾弾した。

オバマとケリー、そしてその助言者たちは和平交渉の失敗をイスラエルになすりつけた。

テロリストを開放せよとのアッバスの要求は彼がどんな人間なのかをよく物語っている。そしてアッバスの要求をパレスチナ人の圧倒的大多数が支持したという事実も見逃すことができない。

そしてアッバスの要求を支持したオバマとケリーの戦略的正統性、そしてその倫理観にも非常に強い疑念を抱かせる。

彼らが行っているパレスチナ国民運動とは深く根ざした開放への思いなどというものでは一度もなかった。「パレスチナ国家」を建設するというものでも決してなかった。

1920年にAmin el-Husseiniによって生み出されて以降、パレスチナ人のアイデンティティとはシオニズムを破壊することでしかなかった。そして1948年にイスラエルが独立したのでパレスチナ人は自らをユダヤ国家を破壊するための存在と定義した。

フセイニの後継者アラファトはテロリズムはパレスチナ運動の最終目的、すなわちイスラエルの地球上からの抹殺を達成するための手段であり目的であるとする彼の考えを共有していた。

フセイニとアラファトの後継者であり、パートナーでもありライバルでもあるハマスと同様に、アッバスも国家の建設などに少しも興味を持たなかった。

「パレスチナ経済」と曖昧にされているもののことを考えてみよう。

経済学者のUri Redlerはパレスチナ経済と呼ばれているものは実際には経済と呼べるものではないことをヘブライ語の記事で示している。

彼は世銀のデータを用いてパレスチナの経済が幻想であることを示した。22年間の存在期間に、パレスチナ自治政府はジュデア、サマリア、ガザの民間部門をほぼ完全に破壊した。その税収の75%はイスラエルからのものだ。予算の40%は外国からの寄付により成り立っている。税収のわずか18%だけがパレスチナ人に対する税によって集められたものだ。そしてその税収の大部分もパレスチナ自治政府の職員への源泉徴収から生じている。

2014年のOperation Protective Edgeが開始されて以降、外国からの支援金のわずか15%しかガザの再建計画に使用されていない。残りの支援金はハマスが自由に使えるお金として用いられた。その資金の70%はアメリカとヨーロッパからのものだ。アメリカとヨーロッパは直接的にハマスのテロリストに資金援助を行ったことになる。

資金が悪用されたことは驚きではない。

ハマスによって悪用されると知っていながら、アメリカとヨーロッパが資金を援助し続けることも驚くには当たらない。

ファタハと同様ハマスもパレスチナの経済を発展させることには少しも関心がない。経済発展では彼らにお金が回ってこない。テロリズムが彼らを潤す。経済的自由を得たパレスチナ人は生活のためにファタハやハマスを必要としなくなるだろう。だから彼らはありとあらゆる手段を用いて発展への道を塞いでいる。

道路を建設するのではなくパレスチナ自治政府とハマスはユダヤ人を殺すためにお金を支払う。ユダヤ人がもっと殺されれば、彼らが受け取るお金はさらに多くなる。

アメリカとヨーロッパがお金を支払うから彼らはこの政策を維持することができている。彼らがもっとテロを実行すれば、パレスチナのことがさらに報じられる。彼らのことが報じられれば、国連や西側の政府によって支払われるお金はさらに増額される、「パレスチナ国家の樹立」を推し進めるために。

そしてこれが周り回って「パレスチナ国家樹立の気運の高まり」というスローガンになってアメリカとヨーロッパで議題として提議される。彼らは一体何を考えているのか?今月の初めにNorthwestern Universityの法学部教授のEugene KontorovichとKohelet Forumは共同で、1949年のジュネーブ・プロトコルを国際社会がどのように解釈しているのかに関する論文を出版した。関連する条項には「占領者は、占領地から自国の市民を強制退去させたり送り込んだりしてはならない」と記されている。

Kontorovichが語っているように、これがイスラエルが1949年の休戦ラインを超えてエルサレム、ジュデア、サマリアに居住地を建設するのは違法だという国際社会の主張の柱となっている。

言い換えると、西側がイスラエルを非難する最大の口実となっている。

先週もオバマがこれを口実に国連でイスラエルを非難する演説を行ったところだ。

Kontorovichは武力衝突によってイスラエル以外の国が占領した土地に建てられた入植地に対して、国際社会がどのような反応を示しているのかを調べた。

西サハラでのモロッコの活動、北キプロスでのトルコの活動、東ティモールでのインドネシアの活動、その他数多くの事例が1967年の所謂6日間戦争でイスラエルがヨルダンから奪い返した地域での活動と法的には区別できないと彼は記している。

だがこれらのどれ一つの事例に対してもアメリカやヨーロッパ、国連などがジュネーブ会議を開催したり、もしくはそれらの活動が国際法の違反だと主張したことはない。言い換えると、イスラエルを非難する法的根拠は薄っぺらく完全に差別に当たる。

パレスチナ国家の樹立に対するアメリカの支援は、国際社会のそれと同様に、イスラエルに対する単なる差別の手段と成り果てている。それはイスラエル人にもパレスチナ人にも平和や正義をもたらしはない。それはイスラエル人を殺害するテロリストたちをさらに活気づけパレスチナ人も国際社会もともに傷つくだけだ。

今回もジュリアーニは完全に正しい。

世界中で反ユダヤ主義が広まっている?

EX-ISRAELI SOLDIER DENOUNCED ON US CAMPUS FOR NOT RAPING PALESTINIAN WOMEN

Daniel Greenfield

Hen Mazzigはイスラエルで最も左寄りの政党のメンバーだった。だがその事実もアメリカの大学のキャンパスで直面したイスラエルフォビアの狂気から彼を守ることはなかった。

「今年の1月から5月ぐらいの間に、私はイスラエルで育った時の経験や家族のことなどを話すために大学のキャンパス、ハイスクール、教会などを公演して回った。そしパレスチナ人を支援する活動を行っているイスラエル軍の部隊に所属していた頃の経験を語った」

そして、特にBDS(イスラエルボイコット運動)が絡んだ場合には、予想通りのことが起こった。BDSのレトリックはあまりにもひどかったのでナチスのレトリックが論理的に見えたほどだ。

BDSが主催するポートランドでのイベントで、シアトル大学の教授はイスラエルのユダヤ人は国家を建設する権利を持たずパレスチナの土地から追い出されるべきだと群衆に語りかけた。「では、彼らはどこに行けばいいのですかと」と私が尋ねると、彼女は「そんなことはどうでもいいことです。彼らに行く先がなかったとしても私にはどうでもいいことです。彼らはそこにいてはいけないのです」と冷静に答えた。

民族浄化を呼び掛けているのではないかと彼女に尋ねると、彼女も彼女の支持者たちもそれを否定した。

シアトルでのイベントの最中に、私はイスラエルとパレスチナの和平に対する私の情熱について語った。語り終えると、60代ぐらいの女性が立ち上がって私に向かって叫んだ。「あなたはナチス以下です!あなたはナチス親衛隊のようです!」という内容だった。

事ある毎に私は繰り返し、殺人鬼と糾弾された。これまで誰一人傷つけたことがないと言うのに。

他の場面では、反イスラエルの活動家は私をレイプ魔と呼んだ。その主張は馬鹿馬鹿しいと言えるほどに発展していった。先程の教授は、イスラエル国防軍によって何人のパレスチナ人の女性がレイプされたかどうか知っているかと私に尋ねた。知っている限りでは1人もいないと私は答えた。

彼女は、あなたは正しい!と勝ち誇ったように答えた。「あなたたちイスラエル軍の兵士はパレスチナ人をレイプしません。イスラエル人の人種差別はそれほどまでにひどいのでパレスチナ人に触ることさえ嫌がるからです」と彼女は語った。

あなたはレイプ魔ですか?違うのですか?どうしてパレスチナ人の女性を嫌うのですか?どうしてレイプしないのですか?あなたはレイシストです!

Hen Mazzigはアメリカのユダヤ人がもっと声を挙げないことを非難している。だがこの狂気の一端は実際には彼が育ったというイスラエルの左翼が汚染源となっている。

Gurevitchによると、このテーマはイスラエルの左翼たちの間では真剣に議論されている内容だという。イスラエル国防軍によるレイプがほとんど存在しないことは特筆すべき現象なのか?もしそうであるならば、世界の似たような状況ではレイプが日常茶飯事だというのに、イスラエル国防軍のレイプがそれほど少ないのはどうしてか?

この論文のアブストラクトでは、色々と調べたというのにイスラエル国防軍によるパレスチナ人女性のレイプの事例を見つけることが出来なかったと主張している。従って、その論文では「軍によるレイプが存在しないことは政治的目的を実現させるための代替的な手段である」と結論が書き換えられることになった。「イスラエルとパレスチナとの紛争では、軍によるレイプの場合がそうであるように、その不在は民族的境界線を補強し民族間の違いをはっきりさせるための単なる手段として解釈することが出来る」と続けた。

この論文の筆者であるNitzanはイスラエル兵によるパレスチナ人女性のレイプの事例を一つも見つけることが出来なかった。パレスチナのメディアやそれを擁護する人たちは今でもイスラエル兵をレイプ犯だとして繰り返し糾弾しているというのに。この不都合な事実を目の前にして、レイプが存在しないのはイスラエルの兵士がアラブ人の女性を人間以下として扱うようにと訓練されているからだと彼女は歪んだ主張をすることしかできなかった。

Tal Nitzanはそれ以降、メディアと彼女の「イスラエル兵士はレイプをしないからレイシスト」論文に対して巻き起こったインターネット上の批判をレイプ被害者に例えている。

「テロを誘発させる方法としてのメディアによるレイプ」

「カナダという離れた場所から見ていると、私の論文に対するイスラエル大衆の反応はそれと同じように見える。もちろん被害を受けた女性やその関係者たちの肉体的、精神的苦痛とは比較にならないだろう。だがその背景にあるメカニズムとロジックは極めて似通っている」

「国家の代表を自称する群衆たち、私の性格や個性を問題ありとして貶めるために集められた愛国的な市民たち。これでも彼らは不満なようだ。私の体が(インターネット上の)中央広場まで引きずられるまで彼らは満足しなかった。私は調べられ、貶され、笑われ、馬鹿にされ、私を罰するためとテロを扇動させるために大衆の前で繰り返しレイプされた(ようなものだ)」

「インターネットによって、大衆での出来事が場所や時間などのこれまでの制約を飛び越えて展開されるようになった。数百人の人々、恐らくそれ以上が私と私の論文を貶めるために(インターネット上に)集まっていた。遠く離れたカナダから眺めている身として、それがフェミニストや左翼の支持者たちそして社会全体に対してテロに走らせるメッセージを送っているという様子が直接目で見ているように感じられる」

そして彼女は、ユダヤ人が血液を飲んでいると真剣に主張している左翼のAriel Toaffの擁護に回った。

彼女の狂気の反イスラエル思想は左翼を通してHen Mazzigがその身で感じることになった。この事例は、世界中の左翼がその国際間のネットワークを通してイスラエルを悪魔のように見せるために協力しあっていることを示した一例にすぎない。

だがイスラエルの左翼にとって良いニュースがあるようだ。ヨルダン川西岸のアラブ人たちはイスラエル人たちよりも遥かに人種差別の度合いが小さいようだ。そして人種間の違いにも関わらず、遥かに多くのレイプを行っている。

過去にはヨルダン川西岸で頻繁に抗議活動を行っていたが現在では参加しなくなった1人の活動家がハーレツに語っている。「2年前に私たちは占領に対して抗議する活動に参加したことがある女性たちの会を開いた。その会はエルサレムのアパートで行われた。そして恐るべきことが明らかになった。この会に出席したほとんどすべての女性が何らかの性暴力、性被害に苦しんでいたと告白した」。

この会やハーレツが調べた他の証言とも合わせて、ヨルダン川西岸に抗議のために集まったイスラエル人や外国人に対して性暴力、性被害が広範に行われていたことを語っている。過去2年間に、少なくとも6件の犯罪がヨルダン川西岸や東エルサレムで報告されている。2件はSheikh Jarrahで、4件はMount Hebron周辺の地域で、そしてベツレヘム周辺のUmm Salmonaではレイプされそうになった女性がいるということがハーレツによって明らかにされている。

最近では、このような事件を監視して対処するための特別のフォーラムが開催されるようになった。

イスラエルの左翼はこれらの行為を寛容を示すものだとして歓迎するべきだろう。そしてイスラエルに対する抗議として、イスラエルの女性を性的に辱めるべきだと呼び掛けるエジプトの女性弁護士へのインタビューがここに記されている。

インタビュアー「エジプトの女性弁護士Nagla Al-Imamはアラブ人の男性はどこであってもどのような手段を用いてでもイスラエル人の少女を性的に辱めるべきだと呼び掛けています。イスラエルに対する新しい抵抗の一環として」

Nagla Al-Imam「まず初めに明らかにしなければならないのは、彼らが私たちの権利を侵害しているということです。彼らが私たちの土地を「レイプ」したのです。土地のレイプほど酷いことはないでしょう。私の考えでは、これは新しい形の抵抗活動です」

インタビュアー「弁護士として、これはアラブ人の男性に法を破っても刑罰はないと誤解させるとは思わないのですか?」

Nagla Al-Imam「ほとんどのアラブ諸国では、3つか4つの例外を除いて、どちらにしても彼らがイスラエル人の女性を入国させるとは思わないのですが、多くのアラブ諸国では女性に対する性犯罪を罰する法が最初から存在しません。それ故、(アラブの女性が)アラブの男性に対して公平に扱われるべきだとすれば、イスラエルの女性が(アラブの男性に対して)同様に公平に扱われるとしても少しも間違ったところはありません」

Judith Butlerは、LGBTコミュニティはこの新しい反人種差別活動に参加するべきだとする呼び掛けを熱狂的に行っている最中だろう。

リベラル派の政治家はどうして平然と嘘をつくのか?

WHEN ADVISERS HATE ISRAEL

Joseph Klein

ヒラリー・クリントンはイスラエルのかねてからの友人だと言い続けてきた。「私は生まれてからずっとイスラエルの側に立ち続けてきた」と去年の11月に記事に記している。「大統領として私は戦い続けるだろう」と約束し「私が大統領に就任したその初めての月にイスラエルの首相をホワイトハウスに招くだろう」とも綴っていた。

壊滅的なイランとの合意を彼女がずっと支持し続けていることは「イスラエルのために戦う」と「誓約を交わした」という彼女の発言に疑問を投げ掛ける。イスラエルの破壊と「イスラム革命」を世界中に拡散させることを第一に掲げている過激な体制と穴だらけの合意を結ぶことは、中東に平和と安全をもたらしはしない。

さらに恐ろしい気持ちにさせられるのは公開された彼女の私的なeメールから、これまで私たちが学んできた内容の方かもしれない。これは彼女が国務省の長官だったというのに不注意にも用いていたメール・システムのことだ。一般に公開された彼女に最も近い側近からのメールの内容はイスラエルを心の底から憎悪する、彼女が受けていた助言の恐ろしさを私たちに伝えている。

「これらのメールは、彼女の側近の大部分はイスラエルとネタニヤフ首相を非難し、全力を持ってイスラエルをジュデアとサマリアの地から撤退させる戦略を練っていたことを示しているように思われる」とエルサレム・ポストはこれらのメールを読んだ後で結論している。

ヒラリーは単なる受け身の傍観者というわけではなかった。幾つかのケースでは彼女は自分が受け取ったアイデアをさらに発展させることに興味を示してもいた。

例えば、2009年から2011年に彼女の主な政策立案者だったAnne Marie Slaughterは彼女に向かってこのような内容のメールを送っている。

「これはクレイジーな考えと思われるかもしれません。「パレスチナのための誓約」と称するキャンペーンを始めたとしましょう。世界中の億万長者が展開するそのようなキャンペーンはパレスチナ国家樹立に強い信頼感を与えることになるでしょう。このキャンペーンの最中に入植地に家を建設しているイスラエル人たちを辱める効果もあるに違いありません」。

どうして「イスラエルのために戦う」と「個人的な誓いを立てている」はずのヒラリーはそのような馬鹿げた考えをその場で直ちに否定しなかったのか?もしくは単に無視してしまわなかったのか?実際には彼女はその提案を歓迎し「その考えにはすごく興味があります。ありがとう」とメールで送り返している。

レーガン政権時代にアメリカのイスラエル大使を務め、クリントン政権の二期目には外交問題の国務次官を務めたThomas Pickeringもイスラエルとパレスチナの状況に関する助言をメールで彼女に送っている。彼は後にベンジャジ公聴会の議長を務め、ヒラリーは「迅速にそして的確に」対応したと語っている。

2011年12月18日のメールで、ピカリングはクリントンの側近のCheryl Millsに、イスラエルの「占領」に対する「平和的な」パレスチナ人のデモを陰から奨励させるという彼の奇妙な考えをヒラリーに進言するよう尋ねた。デモは女性が先導しなければならない、とも付け加えた。

Tahrir Squareでの抗議をモデルとして、「パレスチナの土地の占領に関わるものすべてに対する平和的なデモ」を行うべきだと提案した。

ヒラリーは彼の提案が気に入ったようで、彼女の側近Monica Hanleyに対して「これも印刷しておいて」と注文している。

ヒラリーの正式なアドバイザーSidney Blumenthalは反イスラエル感情を剥き出しにしたメールを大量に彼女に送っている。例えば、イスラエルの首相ネタニヤフを「アメリカのユダヤ人団体(やネオコン、宗教右派、とにかく彼が嫌いなものであればすべて)にオバマ政権を攻撃させている」として彼を糾弾するメールを送っている。クリントンは、彼女が演説を行うAIPACの会場で彼に助言を求めた。

2010年5月31日のメールで彼は、イスラエルの自衛のための防衛網にダメージを与える目的で展開されていたガザ地区の船団の一隻をイスラエル軍が拿捕したことに関してクリントンにメールを送っている。イスラエルの行動はアメリカの外交政策と安全に悪い影響を与え「和平交渉を頓挫させる」と警告している。ヒラリーは彼のメッセージをJake Sullivanに伝え「FYI and itys(インターネットのスラングで、だから言ったでしょうという内容)」と伝えている。

これらは彼女が国務省の長官だった間に彼女が信頼するアドバイザーから受けていた反イスラエル助言のほんの一部のサンプルでしかない。未だに明らかにされていないことは、ヒラリーの内輪の助言者たちの鍵を握っている人間で、国務省時代も現在の大統領選のキャンペーンにもアドバイスを送っている、ムスリム同胞団とのつながりが指摘されているHuma Abedinが送った内容だろう。彼女がヒラリーの私的なメールシステムを直接管理していた。

ヒラリーとHuma Abedinとのすべてのメールのやり取りが公開されるまでは、ムスリム同胞団とムスリム同胞団が背後から支援していた前エジプト大統領Mohamed Morsiをヒラリーがどうしてあそこまで擁護していたのか、その原因を知ることはできないだろう。Huma Abedinの母親、国務省に加わるまでは彼女と一緒にInstitute for Muslim Minority Affairsで副編集長として長い間働いていた、は前エジプト大統領モルシの妻とともにMuslim Sisterhoodの広報部門に仕えていたということを私たちはすでに知っている。

2014年の「Hard Choices」という彼女の本で、ヒラリーはモルシを称賛している。「モルシは、現在まで続いているイスラエルとハマスとの停戦合意を交渉する際に私を助けてくれた」と、カイロに滞在中にお互いを見つめ合っている写真のキャプションに彼女は記している。ヒラリーは2012年11月のモルシがハマスの代理として仲介に参加した停戦合意のことを指している。彼女の交渉相手がやったことと言えば、丁度彼女の本が出版されて一ヶ月後ぐらいに発生した戦争の原因となった、より洗練された兵器とテロトンネルを建設する時間と資金をハマスに与えただけに過ぎない。

ヒラリーは停戦合意に参加する前にモルシのことを調べるという当然のことをしなかったか、もしくは彼女はモルシがどのような人間かを知っていながら気にもとめなかったかのどちらかだろう。モルシがイスラエルを憎悪していることは関係者であれば全員が知っていることだった。

例えば、彼がエジプトの大統領に就任する前の2010年に、パレスチナ自治政府は「パレスチナ人の声を抑圧するためだけの目的でシオニストとアメリカが」生み出したものだと語っている。彼は停戦交渉を「時間と機会の無駄だ」と切って捨てその代わりに「軍事的抵抗運動」を呼び掛けていた。彼はイスラエル人を「猿と豚の子孫」だと呼び、ハマスと同じくイスラエルの生存権を否定した。「シオニストはパレスチナの土地に存在してはならない」とモルシは語っている。「イスラエルが1947年~1948年以前に奪っていったものは強盗だ。現在のイスラエルの行動も強盗の繰り返しだ。Green Lineを認めてはならない。パレスチナの土地はシオニストではなくパレスチナ人のものだ」と主張している。

ヒラリーはキャンペーンでしていた約束によってではなく彼女の取った行動もしくは彼女が信頼しているという助言者たちの行動によって大統領として相応しいか判断されなければならない。この観点からはヒラリーを信頼するということはとてもではないができないだろう。
KERRY VISITS THE PLACE ISRAEL PROVED ITS TOLERANCE 23 YEARS AGO

Spyridon Mitsotakis

(イスラエルを)「アパルトヘイト国家」と呼んでいたことがリークされた文書によって明らかにされたケリー長官が、エチオピアのアジスアベバをよりによって5月に訪問することになるとはなんという皮肉だろう。イスラエルがケリー長官の言うような形容とは程遠いということを英雄的に示したのはまさに1991年の5月のことだ。

当時のニューヨーク・ポストの論説委員だったEric Breindelが以下のように詳細に語っている。

「イスラエル政府はエチオピア全土に散らばっていたエチオピアのユダヤ人を過去10ヶ月かそれより前の間に秘密裏にアジスアベバに集めていた。そしてエチオピアのほとんど全員といっていいユダヤ人を安全のためにイスラエルへと運んだ。この行動は完全に秘密裏に行われた。Falashas(よそ者)と呼ばれていた1万4000人以上ものエチオピアのユダヤ人が、彼らが今まで一度も見たことがない土地に3日を掛けて、イスラエルに運ばれることになった」。

どうしてイスラエルはそのようなことをしたのか?

「エチオピア政府(ずっと親ソビエトだった上に、彼らに対して冷たかった)は崩壊しようとしていた。輸送が始まった頃には反乱軍がアジスアベバの8マイル先まで迫っていた」。

エチオピアのユダヤ人は、言うまでもなく黒人だ。他のエチオピア人と同じように。そして大部分のユダヤ人は、言うまでもないと思うが、コーカサスだ。だがFalashasは(彼らが自分たちをユダヤ人だと認識していたため)、外部の専門家の分析、それに国務省の分析を含め、政治が不安定化した時には「非常に危険な状態にある」と考えられていた。

この結論は、歴史的に見て、ユダヤ人にとって新しいものではない。彼らは常に「脆弱な状態」に晒され続けていた。そして彼らには逃げる先などどこにもなかった。

今では何が違っているのか?

ユダヤ国家の存在だ。

Breindelは国連の「シオニズムはレイシズム」決議1975を撤回させるために戦った1人だ。このコラムによって、彼はこの劇的な救出劇を詳細に伝え、イスラエル憎悪者たちの顔面に叩きつけた。

最終的に、エチオピアのユダヤ人(その語源はソロモン王の時代にまで遡る)は彼らが今まで一度も会ったことがない勇敢なユダヤ人によって助けられた。彼らのうちの幾らかは自らの命を危機に晒してまでFalashasをイスラエルに運んだのだった。

当時の新聞を読み、写真を眺め、記録映画を見てみるといい。事実ははっきりしている。国連がどのような馬鹿げたことを言っているにせよ、シオニズムは「レイシズムの一形態」ではない。

その数ヶ月後に、ソビエト自身が崩壊した。Breindelやその仲間たちによる訴えに反論することができなかった国連は、それに当時アメリカの国務次官補だったジョン・ボルトンの力強い訴えもあって、酷評された決議を撤回させた。

だが、ケリー長官のおかげで、この戦いが今再び開始されようとしている。ニューヨーク・ポストのコラムニストBenny Avniが5月1日に記しているように、

「国連の安全保障理事会の中東に関する議論の間で、アラブの外交官たちはイスラエルを「アパルトヘイト国家」と呼称させる機会を誰一人として逃そうとはしなかった。最後の締めの一言によって、ケリー長官は20年以上前のDaniel Patrick Moynihanの外交上の英雄的勝利を灰燼に帰した。シオニズムはレイシズムと語ったことによって、この争いが再び国連で繰り返されることになってしまった」。

オバマ政権は奴隷制の復活を容認していた?

CLINTON IGNORES ISLAMIST COUP IN EGYPT, BLASTS ISRAEL FOR BUILDING HOUSES

Daniel Greenfield

エジプトのイスラム過激派に対して抗議の声を挙げた女性を辱めるために大量のレイプ犯をお金を払って雇うのと、イスラエルに家を建設することのどちらが悪いことなのだろうか?

このゲームのルールをすでに知っているのであれば、これが倫理や法的基準で判断されるものではないということもすでに知っているだろう。

ムスリム同胞団がタハリール広場に集まっている抗議者たちを始末しようとしているのに、オバマはまたもゴルフに出掛け国務省は沈黙を貫くだろう。だがテロリストたちが自分たちの土地だと自称しているだけの場所にイスラエルが家を立てた時には、国務省は一斉に批判モードに突入する。

オバマ政権は、エジプトの憲法草案を批判することを拒絶している。その文書が、女性の権利や宗教的マイノリティ、抑圧された声を保護しているのかエジプト国内でも疑問の声が多く寄せられているというのに。

その草案には奴隷制の廃止を終わらせると記されている。その憲法は…奴隷の権利さえをも守らないと解釈されるだろう。だが誰がエジプトの奴隷制の復活を気にするだろうか?ピラミッドのことは忘れよう。ユダヤ人はエジプトから逃げ出して、エルサレムの近くに家を立てているところだ。

(イスラエルに対する)なんという滑稽な非難だろう!

ヒラリー・クリントンは、新しいイスラエルの建設計画はパレスチナ危機に対する解決への努力の妨げになると語った。

クリントンはイスラエルの高官に、この建設は「和平交渉を逆戻りさせる」と語ったと伝えられている。

「パレスチナ国家の樹立という解決策をようやく実現することができるこの交渉を前にすすめるために全員が協力する必要がある」と彼女は語った。

交渉を逆戻りさせないものは何かご存知だろうか?パレスチナ自治政府がイスラエルに対するハマスのテロを強力に後押ししていることだ。和平交渉を逆戻りさせる唯一のものは住居の建設だ。イスラエル人が住む家だ。ハマスのテロリストやムスリム同胞団のレイプ集団たち、奴隷制の復活とは和平を結ぶことができる。だがイスラエル人が住む家とは和平を結ぶことができない。どこか他の所に(倫理の)線を引くべきだ。

ヨーロッパは恥を知らないのか?

EUROPE’S GLARING HYPOCRISY ON TERROR AND ISRAEL

P. David Hornik

ヨーロッパは現在テロの大洪水に襲われている。イスラエルはヨーロッパの政府や人々に同情を示し最もテロの被害にあった国々、フランス、ドイツ、ベルギーに援助を申し入れている。

だが、イスラエルがテロに襲われた時には様子が異なるようだ。第二インティファーダと呼ばれる虐殺が5年にわたった時も(2000年~2005年)、ヨーロッパはイスラエルに極めて批判的でイスラエルが起こしたテロを防ごうとする手段すべてを戦争犯罪だとして糾弾した。

この対比はイスラエルが受けた被害の規模を考えるとさらに衝撃的だろう。2015年1月7日のCharlie Hebdoでのテロ以降、フランスでは239人が殺害された(フランスの人口は6700万人)。ベルギーでは32人が殺害された(人口は1100万人)。2015年の9月15日以降、ドイツでは15人が殺害された(人口は8200万人)。

だがイスラエルでは1000人が殺害されている(現在の人口は850万人で当時はもっと少なかった。その上、この数字にはイスラエルに住むアラブ人も含まれている)。2015年以降フランスが受けてきたテロの被害率よりもさらに高い。

イスラエルがテロの被害にあっている間に、そしてそれ以降も、ヨーロッパはイスラエルに対して冷淡だった。

そして皮肉なことに、イスラエルが取った対策は、そしてこれらはヨーロッパが最も強烈に非難していたものなのだが、現在ではヨーロッパの国々によって当たり前のように用いられている。もちろん、イスラエルからも誰からも非難されることなく。

例えば、テロリストをターゲットとした殺害が世界中を激怒させた時がかつてはあった、イスラエルが行った時にはだが。2004年の4月17日に、イスラエルの空爆がハマスのテロマスターAbdel Aziz al-Rantisiを殺害した。

世界中からの非難が洪水のようにイスラエルに押し寄せた。当時のEUの外交政策担当Javier Solanaから、イタリアの外相Franco Frattini、イギリスの外相Jack Strawに至るまでがイスラエルを非難した。当時のイギリスはこのように語っている。「イギリス政府はこの手の所謂「ターゲットを限定した殺害」は違法であり正義に反しており反生産的だと繰り返し警告している」。アメリカの拒否権だけが国連からイスラエルを救った。

もちろん現在では、ヨーロッパの国々によるテロリストに対するドローン攻撃は日課のように行われており人々は(イスラエルに激怒していたこともすっかり忘れて)天気予報の方を遥かに気にするようになっている。2015年の11月26日に、デイリー・メールは「イギリスのドローン攻撃が昨年だけで305人の標的を殺害した」と記事にしている。

セカンド・インティファーダの時でさえも、イスラエルは自爆テロリストや普通のテロリストの侵入を防ぐためフェンスを建設するという防衛的な手段を採用した。このフェンスも猛烈な非難に晒された。

2004年の7月9日に、ハーグの国際裁判所はこのフェンスを違法だと呼び解体するようにとの意見書を提出した。

国際裁判所の15の関係国のうちで、アメリカだけがそれに反対した。ヨーロッパの5つのすべての国々、イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、スロバキアはそれに賛成した。

その12年後の2016年1月7日に、イギリスのThe Economistは「ヨーロッパはその国境線上に、冷戦時代よりも多くの物理的障壁を築くことになるだろう」と記事にしている。現在だけでもすでにハンガリー、スウェーデン、ギリシャ、そしてブルガリアがムスリムの移民を締め出すためのフェンスを建設している。もちろん、国際裁判所からもイスラエルからも非難は行われていない。

イスラエルの検問所でさえも人権団体は猛烈に攻撃した。本当に通行したいだけのパレスチナ人にとっては不便だったというのはそれはそうだ。だがそれが必要とされたのはテロリストを締め出して危険な攻撃を防ぐためだった。

だと言うのに、「ヨーロッパ連合、フランス、そして中東の平和大使トニー・ブレアはヨルダン川西岸とガザでの検問所を経済回復を妨げているとして非難した」と2008年7月9日にHaaretzは伝えている。

百歩譲ってイスラエルの対策が本当に経済にダメージを与えていたとしても、どうして彼らがそこに検問所を設置したのかには極めて深刻な理由があったということはすべての関係者にとって明らかであるべきことだったはずだ。だがそのような事情が考慮された痕跡は一切なかった。

その7年後には、長年の間イスラエルを最も痛烈に批判してきたフランスが、テロに対して厳重な検問所を設置することで対応した。テレグラフは「ヨーロッパのフリー・トラベル・ゾーンの将来は危機に晒されている」と記事にした。

今ではテロの攻撃の対象がイスラエルからヨーロッパに移っているとはいえ、イスラエルの状況が不安定なのは変わっていない。シナイ半島にいるISIS、ハマス、Islamic Jihad、ガザのその他のテロリスト集団、レバノンのヒズボラ、スンニ派のテロ集団とヒズボラとの連合、シリアにいるイランのテロリストたち、イスラエルとテロリストたちとの武力衝突がいつ再開されても不思議ではない。

その時になったら、イスラエルは猛烈な非難ではなくヨーロッパからの支持と援助を受けることができると思うだろうか?

凄まじい愚か者だけがそのように考えるだろう。

以下、アメリカ人のコメント

ShalomFreedman • 3 months ago

これは非常に重要な指摘で、すべてのヨーロッパの政策当局者に読ませるべきだ。イスラエルの自衛手段を長年非難してきた彼らの行いの卑劣さは公平な人間には自明のことであるべきだった。

c0mm0ncenz  ShalomFreedman • 3 months ago

愚か者だけが、これらの行動を見ても世界中がユダヤとイスラエルを嫌っていると結論することを拒否するだろう。彼らがユダヤとイスラエルに向けてきた憎悪はイスラム主義者を通してヨーロッパに戻っていっている。彼らは自らを非難することしかできない。取り残されたユダヤ人を救出することだけは例外として、イスラエルはヨーロッパの惨状からは距離を取っているべきだ。

NYgal • 3 months ago

テロの被害が伝えられる時、イスラエルに対するテロだけは必ずのように除外される。ヨーロッパ人はイスラエルに対するテロをヨーロッパに対するテロと同じに扱うことを拒絶する。彼らは嘘の情報を拡散し続け、私たちはずっとそれを受け入れてきた。

Fromafar  NYgal • 3 months ago

ヨーロッパ人はイスラエルに対する対する攻撃をテロだなどとは考えていない。

彼らはイスラエルのジハーディストたちを「自由の闘士」だと考えている。

そういうわけで、彼らの倫理が破綻した心には私たちには見えている物が見えていない。

ヨーロッパからの支援など期待するべきではない。ヒラリー・クリントンが女帝として君臨すればアメリカからの支援も期待するべきではない。

ロシア人は第二次世界大戦後に1200万人の人々を追い出した。それに対して国際社会は一言も文句を言わなかった。

ahad_ha_amoratsim  StanleyTee • 3 months ago

ヨーロッパ人はユダヤ人を数に入れていないんじゃない。彼らはユダヤ人は全員殺されるべきだと考えている。彼らは1000年以上もそのように考えそれは少しも変わっていない。唯一変わったのは、それに対する言い訳だけだ。

Hard Little Machine • 3 months ago

これが、ヨーロッパがテロの猛威に晒されてもまったく同情する気になれない理由でもある。

s. bar  Hard Little Machine • 3 months ago

すべての面から見て、ヨーロッパにはテロがお似合いだろう。

ahad_ha_amoratsim • 3 months ago

少しは希望もあるみたいだ。フランス人はイスラエルから学ぶべきだということに気づくべきだとフランスの閣僚が語ったらしい。http://www.israelnationalnews.COM/News/News.aspx/215626

Joe The Gentile • 3 months ago

イスラムに対して現実的になることで自分はイスラエルに対して非常に同情的になった。従って、この記事の最後のイスラエルにとって残酷な結論が正しいのかどうか自分には分からない。

スノーデンを未だに英雄視している人たちは馬鹿なのか?

Snowden Is a Traitor and a Fraud, Period

Fred Fleitz

党派による対立が強まっている現在にしては珍しく議会が合意することがあった。委員会は非常に重要な事案に関して超党派でそれも全員一致で報告書を提出した。これは150万の機密文書を盗み出してそのうちの数千をメディアへとリークしたNSAの前職員エドワード・スノーデンが勇気ある告発者だったか裏切り者だったかに関する報告書だ。

下院のPermanent Select Committee on Intelligence(私はここで5年働いていた)による報告書は専門家の多くが初めから語っていたことを確認している。彼は告発者ではなく、アメリカの国防に甚大なダメージを与えた不満を抱えた前諜報機関の職員だった。ここにこの報告書の要約がある。

下院の諜報委員会による報告書はこれ以上ないというタイミングで出された。オリバー・ストーン監督のスノーデンの聖人伝が公開される前日で、リベラル派のグループとメディアがスノーデンが国民の自由を守ったので彼に恩赦を与えるようにオバマに請願する新しいキャンペーンを行っている時だったからだ。委員会の報告書は衝撃的だ。

SNOWDEN CAUSED TREMENDOUS DAMAGE TO NATIONAL SECURITY.

メディアが盛んに宣伝していたこととは真逆に、彼が盗んだ文書のほとんど大部分は個人のプライバシーに影響を与えるようなプログラムとは一切関係がない。彼が盗んだ文書はアメリカの敵対国にとっては非常に利益となる軍事、防衛、諜報活動に関する情報がほぼすべてだ。多くの専門家はすでにそのように結論していたが、この報告書はスノーデンのリークによって受けたダメージを修復するためアメリカ政府がこれまでに少なくとも数百億円を費やし最終的には数千億円を費やすことになるだろうという情報を付け加えている。スノーデンのリークによって最も知られるようになったのはNSAのメタデータ・プログラムだろう。通話記録は集めるが電話の内容には触れないプログラムだ。このプログラムは長年議会の諜報委員会によって監督され、テロリストによる数多くの攻撃を防いだというのに、スノーデンのリークのせいでヒステリーを起こす人たちが現れ、メディアや議会の幾人かのメンバーらが無知な攻撃をしたために、議会とオバマはテロの容疑者を識別して追跡するのを非常に難しくした大きな制約をこのプログラムに課した。

彼を擁護する人たちは、メタデータ・プログラムは憲法に違反し国民のプライバシーを侵害していると主張する。よって彼がそれをメディアにリークしたことは正当化され、それ故恩赦を与えるべきだと主張する。このプログラムを懸念していたと主張している割には正当な法的手続きを彼が踏もうともしなかったということは取り敢えず問題としないとしても、このプログラムは合法であると圧倒的多数の裁判による判決で認められ、議会と司法省がこのプログラムを監視し、ほんのわずかの違反しか存在しないというのが事実だということは一切伝えられない。この話に関してもっと知りたいのであれば、2015年5月の私の記事「NSA Data Collection: Necessary or Unconstitutional」を見て欲しい。

機密が解除された報告書の概要には、彼のリークが敵国やテロリストたちにどのように利益を与えたのかその詳細までは記されていないが(詳細は下院のメンバーであれば見ることができる機密バージョンの方に記されている)、アメリカの諜報機関の職員たちは彼のリークによってISISやアルカイダが西側の監視網から逃れることができるようになったと公に語っている。前CIA長官のJames Woolseyは、彼がNSAの監視技法を漏らしたことで2015年11月のパリでの大規模テロを実行したテロリストたちの通話記録を傍受することができなくなってしまったことを考慮して極刑に処すべきだと主張している。

機密解除されたバージョンの報告書では、スノーデンのリークによってアメリカへのテロリストたちの攻撃が阻止しにくくなったかどうかも言及されていない。シカゴ・トリビューンとウォール・ストリート・ジャーナルは2015年12月2日のSan BernardinoでのテロリストによるテロはNSAのメタデータの使用の制限がなければ防ぐことができたことを記事にしている。

SNOWDEN WAS NOT A WHISTLEBLOWER.

機密の情報をリークしたというだけでは告発者とは呼べないと委員会は当然のごとく結論している。諜報機関の活動への懸念を表明するのであれば他に法的手段がいくらでも残されていたが、スノーデンはそれらを考慮した痕跡すらまったくなかったと委員会は結論している。もしスノーデンが告発による報復を恐れたというのであれば、彼はそれらの資料を持って下院の諜報委員会を訪れればよかっただけだ。ここでは彼のような諜報機関の契約職員たちからの情報公開/告発をいつでも受け付けているし、実際定期的に受け取ってもいる。

スノーデンは仕事仲間のセキュリティ認証を用いて彼らのパソコンから情報を盗み、そして数千人の諜報機関の従業員と契約労働者の個人情報を削除している。彼と彼の擁護者たちから、どうして正当な告発者がそのような行動をする必要があるのかという理由を未だに聞いたことが無い。

彼が言うところの政府による監視プログラムの存在を知らせたいというのであれば、少しの資料を公開すればそれで済んだはずだ。国防に大損害を与えるあれだけの膨大な機密文書をどうして公開したのか彼は一度もまともな理由を答えていない。これは、彼のリークはアメリカの国防にダメージを与えることと自分の売り込みがすべてで告発とは少しも関係がないことを示していると私は考えている。ワシントン・ポストのWalter Pincusは「本当の告発者であれば公開する文書は最小限にし、それらが国防にダメージを与えないかどうかを確認し、自分の行動の結果を受け入れるため国内に留まるだろう」と似たような考えを示している。

彼が称賛していた告発者の伝統に習って国内に留まるのではなく、彼は香港へと逃亡し、次にロシアへと向かったと報告書には記されている。彼はアメリカの機密をロシア政府に漏らしていないと主張しているにも関わらず、ロシア政府の高官はそうではないと2016年の6月に語っているとも報告書は指摘している。報告書はスノーデンが外国の諜報機関に雇われていたかどうかに関しては沈黙している。彼は外国のエージェントだったと私は信じている。前CIA高官のRobert Baerもそう考えている。彼は、スノーデンが2007年にジュネーブで勤務していた頃にロシアの諜報機関によって勧誘されたとCIAは考えているとロンドン・デイリー・メールに語った。Baerは、スノーデンが最初に香港に向かったのはロシアの諜報機関の関与を「ごまかすため」だと考えている。

SNOWDEN WAS A POOR PERFORMER AND DISGRUNTLED EMPLOYEE.

スノーデンは仕事での態度が悪いとマネージャーに繰り返し注意されていたこと、正規のプロトコルを完了できなかったことに対して繰り返し叱責されていたことを通して不満を募らせていたと報告書は語っている。Eric Schmittによる2013年のニューヨーク・タイムズの記事でも似たようなことが報告されている。彼はアクセス権を持たない機密ファイルに侵入しようとして捕まった後、ジュネーブの勤務地から自宅に送り返されたと記されている。CIAのジュネーブでの彼の監督官は、彼の行動と勤務態度に大きな変化があったと彼を非難する言葉を幾度も個人ファイルに書き記している(この時から問題行動が目立っていた)。ニューヨーク・タイムズの記事によると、彼を非難するこのレポートは組織間の間隙に落ち込み、彼が契約労働者として雇われた時にNSAへと送られることはなかったという。

SNOWDEN WAS AND REMAINS A SERIAL EXAGGERATOR AND FABRICATOR.

報告書はスノーデンが繰り返し「故意に嘘」をつき続けていることを指摘している。彼が軍を追い出された時のこと、高校を卒業したと嘘をついたこと、エントリーレベルのコンピューター技師だったのにCIAのシニア・アドバイザーだと嘘をついたこと、監督官に対して健康に関して嘘をついたことなど。Director of National IntelligenceのJames Clapperによる2013年3月の議会証言がメディアに対して巨大なリークを始めた理由だとスノーデンは主張しているが、彼はこの情報をその8ヶ月も前から盗み始めていると報告書は記している。報告書は触れていないが、スノーデンのリークに協力したジャーナリストGlenn Greenwaldは、2014年に出版された本「No Place to Hide」でスノーデンは2012年12月1日に彼に最初の接触を試みたと記している。

THE NSA AND OTHER U.S. INTELLIGENCE AGENCIES HAVE NOT DONE ENOUGH TO PREVENT ANOTHER MASSIVE UNAUTHORIZED DISCLOSURE.

報告書は、NSAは未だにスノーデンから受けたダメージを回復し切れていないというDODによる報告を紹介している。これはこの報告書で最も気掛かりな部分だ。諜報機関の大規模な改革と再編成が必要だろう(以下、省略)。

下院の諜報委員会の民主党代表を務めるAdam Schiff (Calif.)議員はスノーデンによってもたらされた巨大なダメージについて語りこのダメージから回復するにはいまだに多くの仕事が残されていると付け加えた。

「スノーデンは自分の行動は単にプライバシーを守るためだけに行ったことで自分は真実を求める勇気ある告発者だとずっと主張してきた。そして自分の行動は国家の安全に打撃を与えていないとも主張していた。委員会の調査は、2年に渡る厳格な調査、彼の主張が自らの保身のためであり誤りであることを示した。そして国防に与えた打撃は計り知れない。報告書はアメリカの安全を守るため、スノーデン後の改革が未だに必要であることも示している」。

他のことではオバマの政策に大反対しているが、彼がスノーデンを告発者と呼ぶことを拒否し彼を裁判に掛けると言い続けていることは支持している。下院の諜報委員会の報告書は彼の立場を裏付けスノーデンに対する恩赦の可能性を木端微塵に打ち砕いたと信じている(委員会はオバマにスノーデンを恩赦にしないようにとの全会一致の超党派の手紙を送ってもいる)。諜報委員会はオリバー・ストーン監督や左翼などが彼を英雄だとか真の愛国者だとか嘘出鱈目を本当のことにしようと活動を活発にしている時に、国民に真実を伝える素晴らしい報告書を提出してくれた。

オバマ政権はメディアに対して公然と情報操作を行っていた?

Former New York Times Reporter Declares Thou Shalt Not Criticize Obama’s Iran Deal

Fred Fleitz

前ニューヨーク・タイムズのレポーターElaine Sciolinoはウォール・ストリート・ジャーナルのJay Solomonの新刊「The Iran Wars」を、彼が2015年7月のイランとの核合意(以下、JCPOAと略する)を批判したとの理由で痛烈に批判している。その時の彼女の態度はすべての良きレポーターはこの合意を称賛しなければならないとでも言わんばかりだった。彼はこの合意に関してSolomonが「悲観的な見方」をしているとし「オバマ政権の下で取り交わされたこの合意を白紙に戻したいと考えている人々にとってはこの本はとても役に立つだろう」と主張している。

彼の批判はとても奇妙だ。何故ならばこの本はイランとの核合意以外のもっと大きな論点を扱っていて、そしてブッシュ大統領のイランとイラクに対するアプローチを強く(ほとんどは不公平に)批判する内容が含まれているからだ。イランとの合意に関しては、確かに強く批判してはいる一方で、ところによっては攻撃を手控え、最も批判をされなければならない部分は無視している。

なぜかは分からないがSciolinoは、ブッシュ政権はイランを弱体化させるためにイラクを攻撃しアメリカとイランとの協力関係を築く機会を逃したとの馬鹿馬鹿しいSolomonの主張を無視している。

その他の論点もすべて無視して、彼女は全記事をSolomonと彼の本に対する攻撃に充てている。彼女が最も強く非難しているのは、彼が十分な人々、特にイラン人にインタビューを行っていないということだ。

彼女は、彼がどうやら一度しかイランを訪れていないということをあざ笑い、この本には「イラン人たちの声」が欠如していると主張する。これは、イランを訪れることがどれほど危険かを考えれば馬鹿げた議論だ。2015年にはワシントン・ポストのレポーターJason Rezaianが無実の罪で捕まっている。

彼女は、イランとの話し合いは長く複雑な国際間の交渉であるために、「他の利害関係国も彼の話を利用しようとするかもしれない」と主張している。このような考えから、ケリーの交渉チームがフランスを「話し合いの間、協力的ではなかった」と非難していたと彼がばらしているのを、2003年のフランス、ドイツ、イギリスによるEU-3イニシアティブで果たしたフランスの役割が今回の合意の基礎となったという彼女の主張と相容れないために彼を非難しているようにも思える。

彼女がフランスとEU-3に関してそのように考えている事自体が笑えることでもある。イランの現在の大統領で2003年当時のこの話し合いの交渉を務めていたHassan Rouhaniがイランはこの失敗した話し合いを核兵器プログラムを進展させるための時間稼ぎとして、そしてこのプログラムに関する情報をIAEAから隠すための手段として利用したと認めていることを考えればなおさらだ。

彼女が彼の本にインタビューが足りないとしてけちをつけているのは、彼も説明しているようにJCPOAがほとんどアメリカ側とイラン側の交渉団だけによって話し合われたアメリカとイランとの合意であるというのに、多国間の合意であるとのフィクションを国民に信じさせたいがためだろうとほとんど確信に近い程に疑っている。

彼女はJCPOAに関して事実を語る人々からではなく、それを擁護する人間の本からの引用を好んでいるようにも思える。彼女は、もし彼がアメリカや他の国の外交官ともっと接触を持てば、この合意とも呼べないものを結ぶためにどのようにオバマが繰り返しイランの要求を飲んでいたかといったような内容の本ではなく、この合意に関するホワイトハウスの出鱈目な説明に従った本を書いただろうにと無邪気にも信じているのかもしれない。

「オバマボム:国際防衛に対する危険な背信行為」という本を執筆した筆者として、私も彼の本には異なる問題があると考えている。

第一に、彼はオバマ政権がこの交渉や合意に関して議会と国民を繰り返し欺き嘘をついていたと非難されているのに対する、政権側の反論を真に受けすぎていると考えている。

彼女は、彼がニューヨーク・タイムズのレポーターDavid Samuelsの国家安全保障局のアドバイザーBen Rhodesに関する2016年5月5日の紹介記事に言及しなかったことを喜ぶべきだ。サミュエルズはローズがイランとの合意に関する嘘の情報を無知なレポーターたちに流してメディアを操作するための「反響室(情報操作室)」を監督していたと記事に書いている。このことには触れずに、ソロモンはこの反響室のことをホワイトハウスの「反戦部屋」と無邪気にも呼んでいた。ここでオバマ政権はJCPOAを擁護するためのキャンペーンを展開していたと彼は語っている。

ソロモンはJCPOAに強力に反対する議員の発言を誰一人として引用していない。彼は、実際には超党派による反対、それも上院のForeign Relations Committeeと下院のForeign Affairs Committeeの民主党代表を含む反対だと言うのに、議会の反対を共和党によるものであるかのように説明している。「もしイランが核兵器を製造すれば、そこに書かれているのは私の名前ではないだろう(オバマと書かれているだろう)」と語っているようにこの合意を最も強烈に非難しているのは民主党の上院議員Robert Menendezだ。不幸なことに、この発言は彼の本のどこにも見られない。

だが、ホワイトハウスがJCPOAに対する反対者全員を戦争屋だと印象操作しようとし、イスラエルの指導者がホワイトハウスのJCPOA擁護キャンペーンに危惧を表明したのに対して「ロビイストと彼らのネタニヤフ首相とのつながりのせいだとしたのは政権のあからさまな反ユダヤ主義に基づいてのことだった」とソロモンが説明していることは評価している。

Sciolinoは「秘密の裏取引」という単語がソロモンの本のどこにも表れていないことを喜ぶべきだった。彼は、Tom Cotton (R., Ark.)議員やMike Pompeo (R., Kan.)議員が偶然にIAEAの高官から聞いた内容のことに少しも言及していない。この秘密の裏取引はイランに過去の核兵器開発に関する証拠を自身で査察することを許してしまった。彼は、議会によるレビューのために秘密の裏取引に関する文書の引き渡しが法で定められているにも関わらずオバマ政権が拒否したことがJCPOAへの反対を激烈なものにしたということにも言及していない。

ソロモンは、Associated PressのレポーターGeorge Jahnがイランの「自己査察」に関するリークされたIAEAの文書に関する記事を書いていること、オバマ政権の支持者たちがJahnをイスラエルのエージェントでこの文書は偽造だと非難することでこの話を中傷しようとしたことなどに軽くしか言及していない。

彼は、この話し合いに批判的な記事を書いたジャーナリストをオバマ政権がどのように罰していたかには言及している。彼は「沈黙のルール」を破ったためにケリー長官の飛行機から追い出されたと語っている。このルールは、この話し合いに関するアメリカとフランスの立場の違いについて不都合な質問をケリーの搭乗する飛行機内ですることをジャーナリストたちに禁じている。ソロモンはニューヨーク・タイムズのレポーターDavid Sangarがホワイトハウスと国務省から共同してツイッター上で攻撃を受けたと記している。サンガーが、イランはJCPOAで求められている核兵器の在庫の処分を行う能力を持っていないかもしれないという記事を書いた後のことだ。

ソロモンは、自分の本が書かれたのは少し前のことだったため2016年7月以降のデータはカットしていると私にメールしてきた。それが議会から隠されていたその他の秘密の裏取引(幾つかは、ソロモン自身がウォール・ストリート・ジャーナルで初めにレポートしたものだった)が彼の本で言及されていない理由だと語った。それには、恐らくはアメリカ人の人質を開放するための身代金として1700億円が2016年の1月にイランに送金されていたこと、合意で求められた要件をイランが満たさなかったことに対する控除が与えられたこと、それにより1兆5000億円をイランが受け取ったということ、そして弾道ミサイル計画をファイナンスしている2つのイランの銀行に対する国連の制裁を解除することなどが含まれる。

ソロモンは、私ほどにはJCPOAの巨大な欠陥やそれが国際防衛に与える損害に関して言及しているわけではないが、彼は多くの重要な問題を指摘している。彼は、この合意が守られているかどうかを確認することは難しいと指摘している。イランに過去の核兵器開発に関する研究について答えるようにとのIAEAやヨーロッパからの長年の要求を取り下げさせることにオバマ政権は合意しているためだ。彼は、イランが不正を行った時に再び制裁を課すことができる所謂スナップ・バック条項が一度でも用いられることはないだろうと指摘している。彼は、核合意からイランの弾道ミサイル計画を別扱いにする判断を下したことは恐ろしく危険な譲歩だと正しく指摘する。彼は、オバマ政権によって為されたその他の巨大な譲歩も恐ろしいほどに危険で、この合意にアラブ諸国がどれほど「ショックを受けた」かも指摘している。

JCPOAのその後の経過を考えれば、ソロモンは半分程度しか正しくなかったと云わざるをえない。Sciolinoは、イランが合意に従っているようにみえると、そしてイランが核兵器を製造するのには1年は掛かるとオバマ政権が主張していることは正しいように思われるとソロモンが彼女に同意していることには嬉しく思っているだろう。

だがそれを否定する強力な証拠がある。すべてが2016年の7月には明らかになっていたというわけではないが。私はこれらの証拠について2016年の7月14日のNROの記事で多くを説明している。それにはIAEAの査察の対象から軍事施設を外すようにとイランが画策していること、イランにウランの濃縮を続けることと高度な遠心分離機の開発を続けることが許可されたかなどが含まれる。さらにドイツの諜報機関が、イランが不正を働いていると報告していることも紹介している。それ故、JCPOAはイランの核兵器製造プログラムに対する国際社会の強い懸念を払拭するというその目標を果たすことにすでに失敗したと強く考えている。この合意はイランにあまりにも多くの不正を働く機会を与えているし、合意が守られているか確認する手段がほとんどない上、イランが不正を働いているとの多方面からの信頼できる報告がすでに寄せられているためだ。

それに加えて私は、イランの行動がJCPOAが合意されて以降ますます横暴にそして地域の不安定化に向けてますます大胆に振る舞いだしたというソロモンの指摘に同意する。それらの行動とはアメリカ人の逮捕、弾道ミサイル実験の段階の引き上げ、シリアのアサド政権とイエメンの反乱軍へのこれまで以上の支援などを指す。これらの行動は彼の本が出版されて以降、ますます過激になった。例えば、ペルシャ湾ではアメリカの船に対するイラン側からの敵対行動が増加し、イエメンの反乱軍はアメリカとUAEの船に向かって対艦用のミサイルを発射している。「遥かに大きく広範囲に及ぶ戦争がこの地域全体を包み込むという真のリスクも存在する。そしてアメリカもそれに否応なしに巻き込まれることになるだろう」とソロモンが指摘していることは正しい。

イランとの合意のその後の展開に対するこれらの批判に対して、Sciolinoは「否定的な面ばかりを強調している」として彼を糾弾している。この合意がアメリカとイランとの関係を改善して核兵器で武装したイランによってこの地域と世界全体がより安全になるなどという馬鹿げたことを言って現実を無視しているのは彼女の方だ。

彼女は、彼がJCPOAは機能していてオバマ政権のイラン政策を欠陥だらけではあるが全体的には肯定的に評価していると結論していることには一切言及しないのは興味深くさえある。彼女にとっては、これは誰一人として疑問を挟んではいけない素晴らしい合意なのだろう。これは彼女が望んでいることは、彼に主流派メディアの操りレポーターのように都合の良いことだけを喋ってもらいたいということ、彼にこれまで通りの路線で記事を書いてほしくないということ、この合意がどのようにして締結され本当に合意されたことはどのような内容でこの合意の実際の見通しはどうなっているのかなどに関してアメリカ国民を真実で惑わさないでほしいということだと雄弁に物語っている。

彼の本は完璧ではないが、それでもメディアによって流されるJCPOAのほとんど嘘といってもいいような一方的な内容の説明よりかは遥かにマシだ。この合意の問題が、イランの不正の拡大や(特にペルシャ湾における)大胆不敵な行動の増加によってさらに拡大していくと予想されるので、彼女のような外交政策に信仰を求める人たちによる記事、オバマやその支持者たちが国民に知られたくないような不都合な事実を伝えようとするソロモンの本のようなものに対する攻撃をこれからますます目にすることになるだろうと容易に予想できる。

ネオ・リベラル改革によってアメリカでは貧困が激減していた?

Did Welfare Reform Really Throw 3.5 Million Children Into Third World Poverty? The Facts May Surprise You

Robert Rector

今日は福祉改革の20年目に当たる。クリントン大統領は「自己責任と労働機会拡大法」にサインした(福祉改革として知られる)。

この非常に人気の高い改革は福祉への依存を50%も減少させ、シングルマザーの雇用を大きく増加させ、黒人の子供と片親世帯の貧困率を歴史的水準まで低下させた。


だが左翼はずっとこの改革が嫌いだった。今ではこの改革により350万人の子供が第三世界で見られるような「凄まじい貧困状態」に投げ出され、1日2ドル以下の極貧状態で暮らしていると語っている。

CBS Newsは、福祉改革により、「アメリカは第三世界に加わろうとしている」と語っている。ニューヨーク・タイムズは「福祉改革によりバングラデシュに見られるような貧困が生み出された」と大々的に報じている。

ブルームバーグ・ニュースは数百万人のアメリカ人が今では「アフガニスタン、モザンビーク、ハイチのような低所得(1日2ドル以下)の国々以下の所得で生活している」と大々的に報じている。

これらの滑稽な主張の元ネタはKathryn Edin and Luke Shaeferの最近出版された本「$2.00 a Day: Living on Almost Nothing in America」だ。

彼らは、福祉改革によって355万人の子供が「世界銀行の国際貧困の指標の一つである」1日2ドル以下の生活に放り出されたと主張している。彼らによると、それらの家族は「極めて物資が不足した状態」で、日常のように売春をしており、自分たちの血液を売り、生き残るためにガラクタを集めているという。彼らは、「凄まじい貧困」は物々交換が出来ないため発展途上国よりアメリカの方が実際には「遥かに悪い」と主張する。

彼らの奇妙な主張は政府のSurvey of Income and Program Participationを参考にしている。だがその調査のデータを調べてみると彼らが「凄まじい貧困」で暮らしていると主張している家族はそれほど貧しいようには見えないように思われる。ましてや「凄まじい貧困」とはとても思われない。

彼らが利用したこの調査によると、「凄まじい貧困」で暮らしていると云われている世帯の67%はコンピューターを保有している。86.5%はエアコンを保有している。89%は携帯電話を保有している。88%はDVDプレイヤー、デジタルビデオレコーダー、VCR、その他似たような機器を保有している。

飢えはどうか?「凄まじい貧困」で暮らしているのであれば飢えが蔓延しているに違いない。だがこの調査によると、「凄まじい貧困」で暮らしていると云われているこの世帯のわずか1%しか「時々」「十分な食べ物がない」ことがあると答えていない。


1日2ドル以下の生活だと云われているにも関わらず、これらの世帯が過去1年間に家賃の滞納で退去させられた割合はわずか1%でしかない。石油、ガス、電力が落とされた割合は4%ほどではあるが。

彼らの驚くべき主張は統計の扱い方の誤りやデータ自体が酷いせいでもある。2014年には、連邦政府と地方政府は子供のいる低所得世帯に(1ドル=100円として)22兆円を支出している。この金額は子供のいるすべての世帯を貧困線以上へと押し上げるのに必要な金額の2.5倍だ。

だが「凄まじい貧困」を計算する時には、彼らはこれらの福祉支出を世帯所得からすべて除外する。

彼らは、もしフードスタンプとEITCが含まれれば「凄まじい貧困」で暮らしているという子供の人数は120万人へと減少すると認める。だがその数字もミスリーディングだ。彼らが用いているその調査は、毎月受給者へと配られる福祉給付を2000万人分も過小に計上しているためだ。

ようするに彼らは2000万人以上の福祉受給者を計算に入れていない調査を用いて、120万人の子供が福祉を受け取っていないと結論しているようなものだ。彼らは欠陥のある調査の巨大なデータの穴を見ているに過ぎない。

貧困調査の専門家は、SIPPのような政府の所得調査は常に低所得世帯の所得、特に福祉給付や帳簿外の所得などを過小評価しているということを理解している。Consumer Expenditure Surveyがずっと昔から、低所得者が所得の2.4倍を支出していると報告しているのは驚きでも何でもない。彼らのいう「凄まじい貧困」で暮らしているという世帯では、CESの支出対所得比は25対1にも相当する。

(省略)

彼らは福祉改革によって貧困が増加したと主張している。だが支出データは(改革の後で)一般に使われている貧困率(3人世帯の家計で1日あたり一人あたりで約2000円)、極端な貧困率(1日あたり一人あたりで約1000円)ともに、改革が主なターゲットとしたグループ(すなわち片親世帯)で急落していることを示している。

実際、貧困率は社会の他のどのグループよりも片親世帯で大きく低下している。言い換えると、改革によって直接影響を受けたグループが最も大きな貧困率の低下を経験している。

貧困を誇張することがリベラル派の政治での常套手段だった。納税者がどれだけの金額を福祉に支出しようとも、空はいつでも落ちている。「凄まじい貧困」が蔓延しているというような馬鹿げた主張は社会的分断と政治的麻痺を生み出している。さらに言えば低所得コミュニティの問題から注意を逸らさせてさえいる。

以下、アメリカ人のコメント

Maurisa Salter · Retired. at Doctors Hospital of Jefferson

私はアメリカでダントツに貧しいと云われているミシシッピ州に住んでいる。この州で「第三世界の貧困」に似たものなど少しも見たことがない。他の州にあってこの州にはないものは確かにある。だがそれらはなくてもいいものだ。黒人であれ白人であれアジア人であれエアコン、携帯電話、コンピューター、衛星放送も受信できる大きなテレビ、車などを持っていない人にほとんど会ったことがない。私の家族の所得はコネチカット州には及ばない。だがミシシッピ州は素晴らしい所だ。私たちは自分たちのライフスタイルにも満足している。さらに言えば、知っている人はほとんどいないと思われるがこの周辺の州で「物々交換」をまったく行っていない場所は一つもない。今でも伝統として息づいていて栄えている!

Sharon Taylor · Littleton, Colorado

真実と事実はリベラルにとって呪いの言葉のようなものだ。真実と事実を聞かされれば、彼らの頭は爆発してしまうだろう。

Mac Hayes · The University of Kansas

子供の貧困を大人の貧困と分けて語るのはおかしい。大衆の感情に訴えかけようとするリベラル派の卑劣な手口だ。親が貧困でない限り子供も貧困ではない。

Tom Subler · Miami-Jacobs Career College

他の国の低所得者は1日2ドルで生活するのに働かなくてはならない。アメリカでは豊富な食料、衣服、携帯電話、ナイキのテニスシューズ、法外な髪型、エアコン付きの家、ERの治療代などなどのために働く必要はない。デモクラットに投票するだけでいい。

Karen Miner · Secretary at Retired

私は福祉関係で15年ほど働いていた。だから、この改革は素晴らしかったとつくづく思う。この改革はこれらの世帯を福祉から独立させただけではなく生活水準を大きく改善させた。福祉の受け取りが終了してからもきちんとした仕事に就くために親が英語のトレーニング(移民の場合)や職業訓練を受けやすいようにと子供の育児にも支払われるようになったことを多くの人は知らないのではないかと思う。この改革は彼らを通りに放り捨ててなどいない。福祉があまりにも贅沢になりすぎたので、親が浪費をしていないという前提であれば、福祉を受け取っている人々の方が低い賃金で働いている人々よりも良い暮らしをしているのではないかと考えてしまう。

彼らはオバマケアが始まる前であっても家賃、電気、ガス、水道、食料、医療費を補助してもらっていた。それから子供一人あたりにつき月7万2000円を受け取っていた。その上、親がより良い就職などのため大学に通うことになった場合、彼らの家族のうちの誰かが一緒に暮らしてその人も育児費を受け取ることが出来る。もし子供が4人いる片親であれば、月に(育児費だけで)約29万円を受け取る(1ドル=120円で計算)。例えば、その親の姉か妹が子どもたちの面倒を見るとすると一人につき6万円で合計すると月に24万円になる。それにより彼らの純所得(生活費は政府から補助が出るので)は月に約53万円となる。

従って、リベラルはまたもや階級闘争を推し進めたいがために嘘をついている。

Chloe N'me · PHS

この記事は不正の可能性(ようするに現実!)を考慮していない。(福祉)給付が受けられるように所得を隠すようにと私は幾度も勧められた。私は断った。だが多くの人はそうではないことを知っている。私は低所得者が住む住宅区に住んでいる。だから他の人の話を聞く機会がある。

ある5人家族は月8万4000円の家賃を無料にしてもらっている。フードスタンプも現金の補助も受け取っている。彼女の夫には相当の所得がある。だが家から出て週末にたまにしか帰ってこない。彼女が、夫は家にはいないと主張できるようにするために。彼女はクラブでウェイトレスとして働いている。そしてチップとして一日に1万円以上を受け取ることもある。もちろん現金で…

アメリカで嫌われているクルーグマンがリベラルからも嫌われ始めた?

Krugman Recants On Healthcare; The Left Is Apoplectic

John C. Goodman

ニューヨーク・タイムズのコラムニストになって以来、Paul Krugmanは単一医療保険もしくは「すべてをメディケアに」を熱心に宣言していた。「政府が直接保険を提供するカナダ型の単一医療保険は現状よりも安く効果的なのはほぼ間違いないだろう」と彼は書いた。

彼の内部ではその理由ははっきりしているようだ。民間と政府の医療保険の違いに関して、「これまで見たところ、すべての証拠はヨーロッパや台湾で見られるような政府の保険を支持している」と彼は書いている。

彼はそこでは止まらない。彼の理想的な医療システムでは、プロバイダーさえも政府の職員だという。そこは「神が医療をソーシャライズした誠実な世界で、そこでは政府の職員が保険と同様に治療を提供する」と云われている。

どうして政府が治療を提供した方が民間よりも良いのかという例として、彼は「自身の病院とクリニックを経営し、遥かに安い費用でしかもアメリカで最善の治療を提供する退役軍人支援局」を挙げる。

「医療では、自由市場は単に機能しない」と彼は書いた。

彼に反対している人々がいるのはどうしてなのか?彼らは「強欲な医療産業複合体の一員」もしくは「保守派のプロパガンダ」でその上「卑劣で愚か」だと彼は書いている。

これらには非常に大きな問題がある。

どうやら彼が書いたすべての言葉を信じた人たちが大勢いて(卑劣で愚かだという部分を含む)、今年の大統領選挙で彼らは…(想像がつくだろうか?)…バーニー・サンダースを応援している!

まともな論理力のある人であれば全員が知っているように、もしサンダースが相手であれば共和党はホワイトハウスを奪還するだけではなく彼らはこれまでオバマが発効したすべての大統領命令をそして恐らくはオバマケア自体を白紙に戻すだろう。

ではどうすればよいのか?ヒラリー(オバマの政策を支持している)を救出してオバマケアを持ち上げるために、彼は進路を逆にした。先週の金曜日のコラムで彼は過去10年間保っていた医療に関するすべての立場を完全に投げ捨てた。彼は考えを変えたということを読者に一度も告げることなくそうしている。これはパウロの改宗にも匹敵する!

彼は次のように書いている。

「そうだ、オバマケアは民間の医療保険を残した(中略)だが幾つかの保険業者が改革から利益を得たからといって(それに保険会社の利益はどっちにしても最初から大して多くない)それは改革(オバマケア)に反対する理由にはならない。大事なのは保険に加入していない人を援助することであって、保険会社を罰したり悪魔のように見せることではない」。

オバマケアは全員に保険を提供するようなものではない。だがそれは民間保険のせいではないと彼は語っている。

「オランダやスイスなどオバマケア型の他の国は民間の保険に依存しているがほぼ全員が保険に加入している」。

ここで彼に異議を唱えている人たちの扱いはどうなっているのか?彼はそれに関しても突然心を入れ替えたようだ。

「悪魔のように見せるといえば…この議論の不快で醜い部分は、一部のサンダース支持者のそしてキャンペーン自体にも見られる、サンダース議員の提案に異議を唱える人間は腐敗した既得権益の手先に違いないと糾弾されることだ…」

「リベラル派がしてはならないのは(オバマケアの)進歩をけなすこと自分たちの側にいる人たちの動機を非難することだろう」

「今では私はいつもであればRush Limbaughのリスナーから受けるような扱いを受けている。今度は左翼の側からだが。詐欺師だ、うそつきだ、ヒラリーの取り巻きだ、などなど…」。

ここで驚くことがあるとすれば、それは彼が驚かされたということだろう。恐らく、彼は聖書をよく理解していなかったのだろう。

アメリカの福祉の規模はヨーロッパの2倍以上だった?

US Spends Far More on Social Welfare Than Most European Nations

Robert Rector

アメリカの国勢局は今年度の貧困調査を公表した。通説的な見方ではヨーロッパと比較してアメリカは福祉の規模が小さく貧困がはびこっているというものだった。だがリベラル派の経済学者Irwin Garfinkel, Lee Rainwater, and Timothy Smeedingが「Wealth and Welfare States: Is America a Laggard or Leader?」という本でそのような単純な考えを破壊した。

Garfinkelたちは各国の社会福祉支出と貧困を調べた。彼らは社会的福祉を5つの項目で分類した。医療支出、教育支出、退職者への現金給付、(失業保険、EITCなどのような)その他の現金給付、(フードスタンプや住宅補助などの)非現金給付だ。

アメリカの社会福祉支出は政府だけではなく民間からも多く拠出されているのでヨーロッパの国々とは異なっていると彼らは結論した。対象的に、ヨーロッパでは社会福祉支出のほとんどを政府が支配している。例えばアメリカでは、政府の医療支出は高齢者と低所得者全体をターゲットとしている。中間層や労働者は民間の保険を利用している。それ故、アメリカの医療システムは他の国々よりも遥かに再分配的だ。

中間層の高齢のアメリカ人は同じく中間層の高齢のヨーロッパ人よりも民間の年金に多く加入している。アメリカでは中間層は親が子供の教育費を払う。ヨーロッパでは中間層でも政府が払う。全体的に、ヨーロッパでは中間層より所得が上であっても政府の給付に大きく依存している。アメリカでは、中間層や中間層より所得が上であれば自分たちで払う。

だが民間部門を考慮から除外したとしても、アメリカの福祉の規模は非常に大きい。実際、アメリカの一人あたり政府社会福祉支出の規模は先進国で3番目に大きい。これは、アメリカの政府支出が低所得者と高齢者をより積極的にターゲットにしていることを考えるとさらに衝撃的だ。

民間部門まで考慮すると、アメリカの社会福祉支出は他の国を圧倒する。事実、アメリカの一人あたり社会福祉支出はヨーロッパの平均の2倍近くにも相当する。彼らが結論しているように、

「アメリカの福祉の規模が小さいと思っている人間にはこのデータは衝撃的だろう。そしてウェイクアップコールとなるだろう。医療福祉と教育福祉が考慮に加えられると、アメリカの一人あたり社会福祉支出は他のほぼすべての国よりも大きい!」

ただ1つの国(ノルウェー)だけが一人あたりで見てアメリカよりも多く支出している。

この支出のどれぐらいが低所得者に届けられているのか?左翼はアメリカの貧困率が他のヨーロッパの国々よりも高いと頻繁に主張している。それらの主張は「相対的貧困率」という指標によるものだ。そこでは「貧困」とは所得の中央値の50%を下回ることによって定義されている。アメリカの所得の中央値がヨーロッパの国々よりも遥かに高いので、その指標は他の国々に比べてアメリカで「貧困」から抜け出すハードルを高く設定している。

この「不平等な」指標に基づいてアメリカとヨーロッパの貧困削減度を測ろうとすることは、ヨーロッパが100メートル走をしている時にアメリカの走者は200メートルを走っているようなものだ。ヨーロッパ人はゴールに先に辿り着き自分たちのほうが速かったと宣言する。そのような指標を用いて比較することは明らかにミスリーディングだ。

(以下、省略)

くだらないイランとの核合意のせいでシリアで50万人以上が殺害された?

The Anti-Interventionists Got What They Wanted in Syria and Iraq: Are They Happy Now?

Kyle Orton

シリアの内戦が40ヶ月目に突入しイスラム国の代表がカリフの座につくと宣言した。最も憂鬱にさせられるのは、これらは防ぐことが出来たということだ。

40年間の独裁とハマでの大量虐殺を経験して、シリア国民は2011年の3月にとうとう立ち上がった。その年の終わり頃には、自衛に失敗すれば彼らは虐殺されるということは明らかだった。これは「独裁に対する世俗主義者たちの反乱」だった。だが革命が穏健派(世俗主義者)にとって優しかったことはほとんどなく、アサド政権、そしてそれを操るイラン、支援するモスクワは一致団結して全力でこれを潰しにかかった。繰り返された挑発行為、軍事行動は狙いを持ってのことだった。世俗主義の抗議者たちは殺害される一方で、暴力的なサラフィ主義のジハーディストたちはシリアの刑務所から釈放された。信心深いスンニ派は拷問されアサドに忠誠を誓わされる一方で、モスクが破壊されその中でお酒を飲む兵士の映像が繰り返し流された。爆撃は体制に抗議するマイノリティに集中して行われた。衝突が深まるに連れて、反乱軍は空爆によって打撃を受け、タクフィールと認定された人々(この場合は穏健派の世俗主義者たち)は排除され、石油からの巨額の資金が過激派に力を持たせ、戦闘員を雇い養うことを可能にした。戦闘員を集めるための様々な広報キャンペーンも行われた。2012年の終わり頃には、サラフィ主義者たちは世俗主義者たちを武装組織に取り込み、2013年には彼らはマジョリティになった。アサドは自分を選ぶか、アルカイダにとっても過激すぎる人たちを選ぶかの選択を迫った。

イラクでは、2008年頃には様々な問題がありながらもすでに勝利が達成されていたと言ってもいい状況だった。フセインの独裁の生命線だったスンニ派の部族たちは権力の座から転落したことに怒っていた。彼らはアルカイダを使って権力の座に復帰できると当時は考えていた。この戦略の愚かさに気がつくと、彼らはジハーディストへと転じた。シーア派が率いる政府がシーア派の民兵を引き上げた時には、国家的な和解が進んでいるように思われた。この時期は「新しい政治的環境を確立し安定した国家が誕生するとの希望が生まれ始めた」時期だった。この希望をふいにした責任の大部分はマリキ首相にある。彼は2008年頃に訓練されたそれも宗派に属さない軍を現在ではスンニ派の地域を奪われた宗派に属する軍に置き換えた。だがオバマも非難からは逃れられない。イラクからアメリカ軍を引き上げると宣言(公約)していたため、イラクには5000の兵しか残されず自衛するだけで手一杯だった。オバマが突然言い出した法的な問題があるという主張も結局は大したことではなかった。オバマは軍を撤退させないでほしいというイラクの人々の願いを無視して軍を撤退させた。オバマのスポークスマンはイラクから軍を撤退させることを「妨げにはならない(中略)ホワイトハウスはアメリカ軍の駐留が必要だとは一度も考えていないからだ」と語っていた。オバマは2012年にイラクを訪れ、「私はイラクでの戦いを終わらせると約束した。そしてその通りそれを実行した」と堂々と言い放った。

オバマは表向きにはアサドに退陣を求めている。だが2011年の12月頃にはすでに、オバマはマリキに向かって「私たちはシリアに軍事介入を行うつもりはない」と語っていた。それ以降の発言はすべて、所謂「レッドライン」や穏健派を支援するなどと言っていたのはブラフであり時間を空転させるための言い訳で皆がそれを知っていた。オバマがこのことをバグダッドのイランのエージェントに直接は言っていなかったとしても、イランに筒抜けなのは当然のことだった。イランとの核兵器製造を巡っての見せ掛けの合意を性急に結ぼうとしていたが、これは実際にはイランとの和解を目指したもので、中東でこれまでの伝統的な同盟国だったスンニ派のアラブ諸国と狂気の宗教国家との間に新たなバランスを生み出す意図だった。「オバマが最も望んでいなかったのは(中略)シリアでの軍事介入だった」と政権の「リアリスト」の1人は擁護する。ではその「レッドライン」が盛大に破られた時にはどうしたかというと、オバマとリアリストたちは一斉にありとあらゆる責任逃れの弁明を始めたのだった。オバマはイランの機嫌を損ねることをしたくなかった。それがイランにシリアでのフリーハンドを約束する結果となった(このことはシリア人も当然のように語っていた)。オバマはこの事実を覆い隠す都合の良いものを必要としていた。そしてロシアだけがそれに喜んで従った。「シリアに干渉するな!」と叫ぶ群衆が2013年の8月と9月にヨーロッパの通りを埋め尽くした。すぐに騙される彼らのほとんどはアサド支持をはっきりと口にしていた。そして彼らは彼らが欲していたものを得た。西側は介入しなかった、だが戦争は終わらなかった。その逆に、彼らはアサドに「殺しのライセンス」を与え穏健派をほぼ壊滅させてしまった。

この大災害を産んだ政策がイラクにもスピルオーバーしているのは2011年頃には誰の目にも明らかだった。ジハーディストのネットワークがシリアから流れ込んできた。穴だらけの国境を超えることはいとも容易いことだった。イラク内部の宗派対立を抑えるアメリカ軍というクッションがなければ、マリキ首相にはシーア派以外を魔女狩りのように政府から追い出すしか手段が残されていなかった。そしてイラクの空は防衛したくても出来なかったためイランがイラク上空を素通りして危険なシリアの体制に物資を補給するのを黙ってみているしかなかった。これまでシーア派に暴虐の限りを尽くして、報復されるのではとの被害妄想に囚われ心の底から恐れていたスンニ派にはザルカウィたちはその状況を変える手段に思われた。「イスラム国がどのようなことをしているにせよ」、マリキ政府を不安定化させていることには間違いがない。これはまさに2008年までアメリカ軍のプレゼンスが完全に押さえ込んでいた状態だった。虐殺によって支配してきた少数派のスンニ派が勝利した多数派のシーア派を恐れ生存の危機に怯える(アメリカ軍がいる→マリキが私たちを虐殺できるはずがないとスンニ派は安心→アメリカ軍がいなくなる→虐殺されるとパニックになる)。この勝利は最低に安っぽい選挙公約のために台無しにされてしまった。

だがもっと重要な、知っておかなければならないことがある。これはまさに孤立主義者、非介入主義者、リアリストたちが望んだことだということだ。イラクから撤退する、シリアには介入しない、イランとは仲良くする。オバマたちはこの筋書きに従って行動したに過ぎない。そしてその結果がこれだ。さらに過激な非介入主義者たちはこの最小限のアメリカのシリアの反乱軍に対する支援さえもシリア危機の原因だとして非難している。せいぜい頑張るといい。だがイランやロシアがシリアに対して与えている経済的、軍事的援助の規模を考えると彼らの言っていることは狂気としか思えない。私たちが取らなかった行動の結果を知ることは決して出来ない。だがイデオローグたちは、宗派間の対立がまだ健在だった時にもしくは穏健派が大多数を占めていた時に、イラクに残していたわずかのアメリカ軍の存在やシリアの穏健派への支援は今よりも悪い結果を生み出したとまるで見てきたかのように語る。イランが核兵器の製造を断念する可能性はどんどん低下していっているように思われる。制裁が解除されイランがイラクとシリアの防衛部門に影響力を及ぼせるようになった今ではほとんど皆無だ。だがこのような状況もまた変えることが出来た。アメリカ軍がイラクにそのまま駐留していれば、それによりイラクの法秩序が保たれイラン政府の体制が不安定化している兆候を違った解釈で受け取っていれば(石油価格が暴落し民衆の暴動が起きアメリカ側に交渉を持ちかけてくるほどイラン政府は困っていた)、そしてイランの中東でのたった一人の同盟相手シリアのダマスカスにいるアサドが倒れていれば、イランは大幅に弱体化していただろう。

「反戦」運動によって残されたものはシリアでの20万人以上の死亡者、900万人以上の難民、イスラム国による毎月2500人以上の殺害、同性愛者を吊るし姦通者は石で殺害する、そしてイランの核兵器だ。このような悲劇を目撃すれば「反戦」運動にも少しは反省の機運が生まれると思う人もいるかもしれない。だがそうではない。ルワンダでの虐殺、ボスニアやコソボでの虐殺、サダム・フセインを放置したことによって生まれた数々の悲劇、ダルフールでの虐殺などなどとまったく同じように「反戦」運動にはほんの少しの同情さえをも呼び起こさなかったように思われる。彼らの言うことが実行された時に残された唯一のものはといえば虐殺でしかないというのに。だが最も困惑させられるのは彼らのような人たちが「リベラル」、「プログレッシブ」、さらには「人道主義者」とまで呼ばれているこの奇妙さの方だ。

50万人以上が殺害されたシリアと大きな混乱も生まれなかったリビアの違いを生み出したのはアメリカ軍の介入だった?

Why NATO Was Right To Intervene In Libya

Kyle Orton

リビアの独裁者カダフィ大佐が失脚してから、もしNATOが静観してカダフィが反乱の舞台となった都市ベンジャジを奪還するのに成功していたらリビアは安定化して難民はなだれ込んでこなかったと主張する記事が定期的に書かれている。

今年始めにヨーロッパで難民危機が続発していてリビアがヨーロッパへの主要な中継地点となっていることからこのような記事は再び書かれるだろう。だがそれは間違いだ。リビアの不安定化は西側の行動とは無関係で、介入の最大の問題はもっと早くに、大規模に、継続的に行わなかったことにある。

Barbara Taschは今週Business Insiderというウェブサイトで、カダフィは「難民の流入を抑えるのに協力してくれただろう」という記事を書いた。Peter Hitchensは他のウェブサイトでNATOのリビアでの介入は「難民問題を生み出す手助けとなった」と書いている。

国民からの反乱に直面して、カダフィは戦闘機を2週間で送り込みベンジャジの「家という家」を破壊することを約束した。これにより人道的介入の必要性が生まれた。カダフィは、自分が失脚すればリビアに混乱が発生しジハード主義が蔓延し難民がヨーロッパになだれ込むだろうと脅しをかけた。

「ビン・ラディンの仲間たちがリビアに流入するだろう(もし私が失脚すれば)」とカダフィはレポーターたちに語った。

おめでとう、大佐。あなたのレトリックは功を奏したみたいだ。

だが検閲を行い、野党を禁止し、支配の道具として(男の)大臣たちをレイプし、反対者を暗殺したのと同じぐらいたちが悪いこのレトリックは、証拠からは否定されている。

テロの支援者としてのカダフィに並ぶものは少ない。Sabri al-Bannaを通して、カダフィは数多くの西側のターゲットを攻撃しイスラエルと和解しようという素振を見せたパレスチナの指導者を誰であろうと暗殺した。フランスの旅客機はチャドでカダフィのエージェントによって爆破された。スコットランド上空を飛行中だったアメリカの旅客機もカダフィの仕業だったと公表されている。

さらに、リビアでの反乱が起こった時にカダフィの子供 Saif al-Islamは政府はジハーディストたちの側につくと公言している。「リビアはサウジアラビアやイランのような(テロ支援国家)になるだろう。それがどうした?」と彼は語っている。

素晴らしいカウンターテロリズムがあったものだ。

もしカダフィがベンジャジを攻撃していれば、その結果はリビアの安定化とはほとんど真逆のような状況になっていただろう。ベンジャジの人口は60万人だ。いくら皆殺しにすると宣言しているカダフィでも全員は殺害できないだろう。カダフィは大砲と爆撃によって彼らを脅迫し難民にさせるだろう。丁度アサドがシリアで行ったように。でも彼らは一体どこに逃げるというのだろうか?(ヒントが必要だろうか?)

反乱が起こったのであれば、暴力と不安定化は避けられない状況だった。この時点では少なくとも正しいことをすることが求められた。それをしなかった末路がまさにシリアで現在展開されている。

リビアでのNATOの介入(8ヶ月に及んだ)は誤って72人の市民を殺害した。アサドは意図的に100人以上の市民を毎日殺害している。リビアの戦争では5000人が殺害された。2014年から2015年の最悪の時点でもリビアでの死亡者は4000人だった。

国連はシリアでの死亡者を10万人以上数えるのを止めてしまった。少なく見ても23万人から30万人が現在では殺害されている(さらに時間が経過した現在では50万人が殺害されたと云われている)。40万人以上がリビアからは逃げ出した(人口の7%ぐらい)。シリアからは120万人以上が逃げ出している(人口の半分以上)。

中途半端で遅すぎた西側のリビアでの介入(リビアを軍国主義へと走らせカタールとトルコ対エジプトとアラブ連合との代理戦争という状況においた、さらにイスラム国が侵入するのを許すことになった)でさえも、介入しなかった場合に比べてリビアでの状況は遥かにマシになった。死傷者や不安定化の度合いは、もし介入にカダフィが失脚した後の安定化の任務も含まれていればさらに減らすことが出来ただろう。

国際社会はリビアでは越えてはならない線を引いた。これはある一定の基準を超えれば国際社会が介入することを意味する。シリアでは西側は集団レイプ、民族浄化、体制による虐殺を許した。

イスラム過激派の脅威であれ、カダフィ失脚後の混乱であれ、それらはすべてがカダフィの独裁が生み出したものだ。

イスラム過激派を(これは最大限に優遇する)除いて反対勢力はすべて根絶すること、国家を自分たち一族の私有物とすること、民族間の対立を扇動して支配すること、これがアラブの独裁のアルゴリズムだ。あとに残されるものは混乱でしかない。現在のリビアの混乱はカダフィを取り除いた結果ではない。彼をあまりにも長い間放置してきた結果だ。

イスラム国はサダム・フセインによって生み出されていた?

How Saddam Hussein Gave Us ISIS

イスラム国の出現に対して誰を非難すべきなのか?多くの人は2003年のイラク攻撃の後にイスラム国は誕生した、発生したと誤解しているように思われる。実際には、このジハーディスト集団はその遥か前からサダム・フセインの手によって誕生していた。

フセインが主導的な役割を果たした1968年のクーデターによって権力の座に就いたナショナリスト政党のバース党は世俗的な側面を持っていた(世俗的とは否定的な意味ではなく、中東においては世俗的とは宗教的ではない、イスラム的ではないという意味でむしろ肯定的な意味で用いられる)。これはイラク国民にイスラム色が強まった1970年代にあっても保たれていた。だがフセインがイランを侵略した1980年のそのすぐ後からは事態が変わり始めた。

幾つかの戦術的な手段として、1980年代にはフセインはこの地域でのライバルだったシリアを不安定化させるためにイスラム主義者、特にムスリム同胞団と手を組んだ。とはいえその範囲は限定的なもので、その存在ももしかしたら否定されるかもしれない。だが1986年にはバース党のイデオロギーを決定する上で最大の意思決定機関であるPan-Arab Commandはイラクはイスラム主義者との同盟を目指すとの外交方針を公式に策定した。これが世俗主義からの初めての明確な逸脱だった。

世俗主義からの逸脱の一環として国内の「イスラム化」が推し進められた。体制派のメディアは「世俗主義国家」という呼称を捨て去り、イランに対する戦争を「ジハード」と表現するようになった。この変化はバース党の創設者でキリスト教徒でもあったMichel Aflaqが1989年に亡くなり、彼はイスラム教に改宗したとフセインが主張しだした後から加速していった。彼が生きていればイスラム化に対する障壁となってくれたことだろう。だが死した改宗者として彼は新しい方針のために利用された。

イスラム化のキャンペーンは1991年にイラクがクウェートで完敗した後にさらに過激になった。そしてその後のシーア派の反乱を鎮圧した1993年にフセインはバース党からすべての世俗主義的要素を捨て去ることにした。ある意味では、フセインは国民を扇動したのではなく国民に従ったということもできる。だが初めは国民からの支持を集めるための皮相的な試みとして始まったものが、フセイン政権がスンニ派部族の支持基盤に立ち戻っているうちに、手段ではなく目的となり始め、イラクをイスラム国家にそしてイラク社会に永続的な変化を与えた。

イラク政府はシャリア法のようなものを法律として定めるようになった。窃盗犯は腕を切断された、同性愛者は高い屋上から投げ落とされた、そして売春者は公衆広場で首をはねられた。数え切れないほどのモスクが建設された、コーランを研究することが国家的な優先事項となった、そして地方の宗教指導者たちには地域の指導者としての役割が与えられた。

Faith Campaignは宗派統一的だったと主張されている。だが明確にスンニ派に偏っていたためイラク国家とシーア派との間に溝を生み出し宗派間の対立を最終的で決定的なものとしてしまった。スンニ派の地域では当然のごとくこのキャンペーンは効果的でフセインの指導の下、私がバース・サラフィズム(バース党的なサラフィ主義)と呼んでいる宗教運動を生み出した。このキャンペーンはフセイン政権と長年フセイン政権と敵対していた「純粋な」サラフィ主義者などのような独立した宗教運動との間の対立をも緩和することになった。そして諜報機関の責任者からこの同盟を続ければサラフィ主義者がバース党を飲み込んでしまうだろうと警告されていたにも関わらず、フセインはサラフィ主義者たちを政権の幹部として迎え入れた。

このキャンペーンと並行して、フセインは経済制裁を逃れるための密売ネットワークを構築した。これはフセインを後方から支援するためのシステムとしても機能した。資金の大部分はモスクを通して、1991年のシーア派の反乱などの繰り返しに対する保険としてサダムに忠実なFedayeen Saddamやスンニ派の部族などの民兵を養うために送金された。地方の住民に深く定着している(特にイラク西側の部族などに)これらのネットワークは今ではイスラム国によって運営されていて「カリフ」を根絶やしにするのを難しくさせている。

このキャンペーンのあまり知られていない側面は、モスクに軍事諜報機関の職員が送り込まれていたことだ。この政策には大きな落とし穴があった。バース主義者が1990年代の後半をモスクで過ごしているうちに、彼らの多くはサラフィ主義へと感化されてしまった。フセインが政権の座から陥落する頃にはイラクの軍事部門、諜報部門はサラフィ派の影響を強く受けるようになっていた。

2003年の後のイラク軍の解体によって兵士の一部がスンニ派のゲリラに合流したというのは事実だ。イラクのアルカイダがCamp Buccaのような警備の弱かった刑務所を使って前フセイン政権の幹部などを勧誘していたことも事実だ。だがそれらはフセイン体制の下で体制全体が過激化、イスラム化されていたことと比較すれば些細な要因でしかない。

どこかのアナリストが言っているような、イスラム国内部でのフセイン体制派による「バース党のクーデター」などというものは一度もなかった。彼らはとっくの昔にバース主義を捨て去っていたからだ。彼らはイラクのアルカイダにすぐさま合流した。すでにイデオロギーが同じであったためだ。そして2008年から2010年にイラクのアルカイダがほとんど壊滅状態に陥ると、彼らだけが取り残されることになった。彼らのほうが諜報活動や軍事活動に優れていたためだ。

イスラム国を率いていたのはこれらのサラフィ主義に感化された軍事諜報機関の軍人たちだった。そして彼らを率いていたのは2003年にこのグループに合流しイスラム国をシリアにまで拡大することを主張し2014年に殺害されるまではカリフの座を自称していたSamir al-Khlifawiだ。そこで、彼らはサダム・フセインスタイルの独裁体制を築き上げ2014年のジハーディストたちによるイラク侵略のための活動拠点とした。

「攻撃の頃には、イラクはまったく違う国になっていた」と「Saddam Husayn and Islam, 1968-2003」の筆者であるAmatzia Baramは語っている。「イラクは大多数が世俗的な国民で構成され現代的な世俗主義のエリートたちによって形成される比較的宗教色の弱い社会では最早なくなっていた。過激な宗教国家への道を突き進んでいた」。

フセインは宗教色の強い軍隊や宗派間の対立を抑えようとなどしていなかった。むしろそれらを生み出した張本人で、武装したサラフィ主義運動を完全に奨励していた。フセインが自身への支持を確保するためもしくは新たな反乱を封じ込めるためイラク全土に張り巡らせた部族、犯罪者のネットワーク、民兵組織、各種の貯蔵庫などは武装組織たちの絶対的な活動物資となった。

イスラム国はサダム・フセイン体制を取り除いたから生まれたのではない。彼らはフセイン体制の悪夢の続きだ。

どうしてイランは狂気の宗教国家と呼ばれているのか?

MORE MASS EXECUTIONS IN THE NAME OF ISLAM

イラン政府は国民をコントロールするためにますます弾圧を強化しようとしている。イラン政府は処刑を秘密裏に行ってきた。だが昨年核兵器に関する合意がなされて以来、イラン政府は少しの恐れも懸念もなく公開処刑を行ったことを公表するようになった。

処刑に関して、イランは(人口が数十倍を超える)中国についで世界第一位だ。

イランの宗教指導者たちは8月に宗教的マイノリティを少なくとも25人殺害した。

それらの人々を処刑する前に、イラン政府は彼らを拷問していた。その拷問の苛烈さにより彼らのうちの幾人かは視力と聴力を失い、他の人は心臓発作を起こしたり腎不全を患い、他の人も処刑場に連れて行かれる前には恐ろしく衰弱していた。

処刑が実行される前に、囚人の1人が国連のイラン担当の人権監視委員Ahmad Shaheedに手紙を届けるように請願した。「私は人間として扱ってもらえるように願った。きちんとした裁判で弁護士を雇い私に対する訴えを読み私に対する拷問が証拠として扱われないようにと願った。裁判官が私に対して不当に怒ったりせずこの国から出ていくかさもなければ処刑されるかだと宣言されないようにと願った。その裁判が5分以上続き私にも発言が許されることを願った」。

イスラムの宗教指導者たちは彼らを「アラーに対する敵意」という容疑で逮捕しシャリア法の下で彼らに死刑を宣言した。公正な裁判もなければ弁護士も立ち会っておらず監視もなければ一切の治療も行われなかった。

イランは2016年の1月以来、一週間に少なくとも7人のペースで処刑を行っている。

イラン政府は子供の処刑も行っている。例えば、2週間前に、Hassan Afsharという19歳の少年がイラン政府が彼を「同性愛」の罪で告発したためにArak Prisonで首を吊らされた。

彼は逮捕とほぼ同時に死刑を宣告された。逮捕された時は彼はまだ17歳の高校生だった。

Amnesty InternationalのMagdalena Mughrabiが指摘しているように、「イランは国際法に反して青少年を殺害した。彼には弁護士を付ける権利も与えられず

2008年のイギリスのウィキリークスのドキュメントによると、イランは2008年にイスラム共和国を宣言して以来、毎年200人以上の同性愛者を殺害している。

イラン政府はこれらの処刑を被害者が家族に最後の別れを行うことを許す間もなく突然に行うことが多い。Magdalena Mughrabiはこのように付け加える。「残酷な皮肉として、イラン政府はHassan Afsharが死刑だということを彼自身に7ヶ月も知らせなかった。彼が少年更生施設にいる間に。処刑の準備をしていながら、彼に苦痛を与えないようにとの理由で。この処刑で、またもやイラン政府はその人権の蹂躙ぶりを明らかにした」。

この最近の処刑で、イラン政府はアメリカの諜報機関に協力していたとされている核兵器科学者も処刑している。この人間はヒラリー・クリントンのeメールの中で言及されていた。彼女のメールの不適切な取り扱いが彼の処刑を招いたのではないのかという疑惑を抱かせる。

最後に、重要な問題が残っている。イスラムが絡んだ時だけは決まって人権団体、LGBTグループ、リベラル派とオバマ政権がこれほどの人権侵害に完全に沈黙を貫き通すのは一体どうしてなのか?

世界中で戦争を引き起こしていたのはやっぱりロシアだった?

The Soviets' Six-Day War

Daniel Pipes

中東で最大の謎とされているものの一つは、どうして6日間戦争は起こったのかということだ。イスラエルも周辺アラブ諸国も戦争を望んでいなかったし予想してもいなかった。歴史家の中でコンセンサスとなっている考えは、望んでもいなかった戦争が幾度にも重なる偶然から生じたというものだった。

偶然だという見方に異議を唱えて戦争の原因に説得力のある説明を与えたIsabella Ginor and Gideon Remezの新しく出版された本を見てみよう。「Foxbats over Dimona: The Soviets' Nuclear Gamble in the Six-Day War(エール大学出版)」という本のタイトルが示すように、彼らはこの戦争がDimonaでのイスラエルの核兵器施設を破壊するためのソビエトの計画に端を発していると議論している。

この本はまるでミステリーの回答のようで、膨大なソースを提示して読者を一段一段と導いていく。まとめると、その内容は以下のようなものだ。

イスラエルの共産党の指導者Moshe Snehは1965年の12月にソビエトの大使に対して、「イスラエルは自前の核兵器を製造するつもりがある」と首相のアドバイザーが彼に伝えたと語った。ブレジンスキー書記長とその周囲はこのほんのわずかの情報を極めて真剣に受け取り、空からの攻撃によってこの製造を阻止することを決断した。

だが直接攻撃するのではなく、モスクワは最終的にはソビエトによるディモナへの攻撃で終了する戦争へとイスラエルを陥れる複雑な計略を実行に移した。この枠組の軍事面での一環として、クレムリンは地中海、そして紅海とイスラエルを核兵器で武装した大艦隊で包囲した。物資を地上に搬送し、その近くに軍隊を送り込んだ。この本で最も興味深いのはソビエト軍がイスラエル国内を攻撃するその詳細な計画、石油精製所と原油の貯蔵場所を空爆する具体的な計画、そしてイスラエルに住むアラブ人への接触だろう。それと同じぐらい目を引くのがソビエトの写真偵察機MiG-25sが1967年の5月にディモナの原子炉上空を直接飛行していることだろう。

政治面の枠組みとしては、イスラエルがシリアを侵略するつもりであるとの情報を捏造しそれによりエジプト、シリア、ヨルダン軍を戦争モードへと駆り立てた。ソビエトの指導者の指導に従って、エジプトのGamal Abdel Nasserは軍隊をイスラエルへと送り、国連の緩衝部隊を退かせ、イスラエルにとっての生命線である海運路を封鎖した。これら3つの敵対的行為によりイスラエルは戦闘モードへと突入した。この状況が長引くことはイスラエルにとっては耐えられなかったので、イスラエルは先制攻撃を行った。それによりソビエトの罠に落ちたかのように思われた。

イスラエル国防軍はソビエトが予想していなかったような行動に出た。引き分けを狙いに行くのではなく(それがソビエトの予想だった)、短期間で勝利を収めた。純粋に通常兵器だけを用いてイスラエルは周辺アラブ3ヶ国を6日で撃破し、それによりソビエトの侵略計画を未然に防いでしまった。

この事態の急変によりソビエトの計画は中止を余儀なくされ、モスクワは戦争を画策した自らの役割を隠すことを決定した。その隠蔽工作は非常にうまくいったため、6日間戦争におけるモスクワの責任は歴史の闇に消えることとなった。

この本が決定的な証拠とはならなかったとしても、多くの含みがあり説得力がある解釈を示してくれている。現在のアラブとイスラエルとの対立(1967年のイスラエルの勝利に端を発した領土紛争)は大部分がクレムリンが下した決定の結果だということが出来る(それにより反ユダヤ主義が本格的に激化した)。この行動全体が無価値なものだった。イスラエルが核兵器を保有したとしてもソビエトにはほとんど影響を与えなかったので。そしてこの本の筆者たちが記しているように、「冷戦時代が安定した時代だったと思い違いをしている人たちがあまりにも多いがそれはほとんどが錯覚だ」(現在の問題のほぼすべてはソビエトと共産主義者が大きく関わっている)。

どうして黒人は民主党に投票するのか?

Why Do Black People Always Vote Democratic?

祖母が私に一つだけ叩き込んだことがあるとすれば、民主党以外に投票することは愚かだということだろう。投票できる年齢に達して以来、祖母は私に民主党に投票しろといい続けてきた。相手が誰であっても、どんなことを言っていようともだ。これは投票に値すると思われる黒人の議員が現れる遥か前のことだ。祖母はもちろん私の考えを尊重していた。だがそれには他の政党に投票すれば自分を貶めることになるとの警告付きでのことだった。まるで他の政党に投票することが民族的裏切り行為であるかのように。

「選挙の争点がわからなかったとしても、とにかく民主党に投票しておきなさい」と祖母は私に言った。

一方で、もしあなたが黒人の共和党員であればそのことを他の人には決して公言したりはしないだろう。私のガールフレンドがStacey Dashが共和党員であると知ってしまった時に、彼女は取り乱してもう二度と彼は見ないと宣言したのだった。私の仲間内であってさえも、誰かが共和党員だと告白してしまえば不思議なものを見るかのような目で見られることになるだろう。黒人であることと共和党員であることは両立してはならないことであるかのように思われている。だがこの黒人の共和党に対する不信はどこからやってきたのか?本当に黒人は民主党の奴隷となってしまったのか?

Bishop E.W. Jacksonは黒人の保守派の政治家だ。そして共和党からヴァージニア州のLieutenant Governorとして任命された。インターネット全体を震撼とさせたこの口コミで広まったビデオで、彼は「民主党への奴隷的な隷属」を終わらせようと力強く情熱的に訴えかけた。

「民主党への奴隷的な隷属を終わらせるべきだ。民主党は私たちを侮辱し、利用し、操ってきた。彼らは黒人のコミュニティを馬鹿馬鹿しい嘘でいっぱいにしてきた。私たちが民主党を支持しなければ再び奴隷に戻される、投票権を奪われる、キング牧師の祝日は白紙に戻されるなどなどと。彼らは私たちを愚かだと思っている。そのような嘘が、侮辱されているのに私たちを縛り続けてきた」。

彼がセンセーショナリズムに走ってしまったことは残念だ。より馬鹿馬鹿しいことに、ビデオの後半で彼はPlanned Parenthoodは黒人のコミュニティにとってKKKよりも脅威だと語っている。残念なのは、このビデオが恐怖を扇動することによって黒人に共和党への投票を呼びかけているように見えてしまうということだ。プロパガンダは民衆に恐怖を生み出す。プロパガンダの一環として、彼のビデオは巧妙に作られているように見えてしまう。

最近のニューヨーク・タイムズの記事によると、彼は黒人コミュニティの民主党への忠誠ぶり(投票率90%)を奴隷制に例えたという。民主党は黒人からの票を維持するために福祉を利用していると。

その論理は不快だ。どうして黒人のコミュニテイがそれほど民主党を支持しているのかは興味深いものの、他者への恐怖を扇動することを目的とした政治からは離れなければならない。恐怖の扇動の仕方を最も知っている人間ではなく、自分が支持したいと思った人間に投票しよう。政治のレトリックが「私たち」と「彼ら」にずっとフォーカスし続けてしまえば何も決定することが出来なくなってしまう。選挙に勝つ唯一の方法が、人々に人種的偏見を抱かせることだとすれば(黒人は無料で物を欲しがっているだけだ、民主党は黒人のコミュニティを奴隷にしているなど)、それは民主主義にとって有益だろうか?

以下、アメリカ人のコメント

madison moore

the Muslums are cumming • 2 months ago

事実:共和党は主に奴隷制に反対するために創設された。そして共和党が奴隷制を廃止した。民主党は共和党を攻撃し奴隷制を維持して拡大させようとしていた。奴隷制を廃止した、憲法修正第13条は1865年に共和党の賛成100%、民主党の賛成わずか23%の下で可決された。

LiberalFree2016 • 3 months ago

黒人が民主党に投票するのは、そうするようにと家族や教会から暗黙に圧力を掛けられているからだ。私は黒人の保守派でどうして彼らがこのように考えるのかまったく理解することが出来ない。多くの黒人は個人としてではなく集団として考えている。リベラル派の黒人は自分たちが聞きたいと思っていることを言ってもらいたいとも考えているようだ。彼らは聞く必要があることを聞くのには耐えることが出来ず、そして「自分たちを導いてくれる指導者」を必要とする。この必要性が黒人をたやすく説得してしまうので、リベラル派に投票する黒人は自分たちの「指導者」が言うことであればほとんどどんなことでも信じてしまうだろう。この手の黒人は自分たちのことを被害者だと見做している。プロ被害者だ。私は集団として考える方法を知らないため、そしてリベラル派に投票する黒人は個人として考えることが出来ないため、私は彼らと会話をすることがほとんど出来ないでいる。そして彼らの信じていることはすべて間違いだとも私は考えている。私の考えでは、彼らは周りを見ることが出来ない。彼らに関心があるのは人種のことだけで、他の人々が彼らの足を引っ張っていると信じている。彼らの足を引っ張っている唯一のものは、自分たちのそのメンタリティだというのに。

Tam A.M. • 4 months ago

実際、Planned ParenthoodはKKKよりも黒人のコミュニティにとって脅威だ。この機関は現代の優生学以外の何物でもなく、多くの黒人がこの機関の被害にあっている。私は黒人の保守派だ。教育、自助努力、起業家精神などBooker T. Washingtonの保守派の大原則を重視している。黒人のアメリカ人にとって有益だと証明されている自己責任の原則、伝統的な家族の価値を重視している。これらの原則を信じることの一体何が間違いだというのだろうか?そして私が熱狂的な共和党員である理由でもある。これらの原則を重視することによって私も家族も成功してきた。私はアメリカの黒人がアメリカの民主党/リベラル/社会主義者に忠誠を誓うのを止めて欲しいと切に願う。そして民主党が黒人にしてきたことは本当は一体何だったのか?と考えさせるような情報に触れて欲しいと願う。多分驚くと思う。私もかつては盲目的なデモクラットだった。

FultonSheen • 7 months ago

アメリカ人ではないが黒人として、民主党への忠誠ぶりは非常に奇妙なものに私には映る。キング牧師、フレドリック・ダグラス、アブラハム・リンカーンなどなど…彼らは全員共和党員だ!私はコンドリーザ・ライスの伝記を読もうとしたが(だがあまりにも退屈だったので途中でやめてしまった)、その本で目を引いたのは彼女の父親が人種を理由に民主党への入党を断られたのに対して共和党は暖かく迎え入れてくれた時の様子を彼女が詳細に記している部分だ。私には民主党が黒人のために何か一つでも良いことをしてくれたようには思われない。君たちの膨大なポテンシャルは彼らの統治の下で実現したことがあっただろうか?記事で触れられていた男がPlanned Parenthoodを非難しているのを見て君たちは困惑しているように思われる。この組織は優生主義者のMargaret Sangerによって設立された。彼女は自身のメッセージを黒人のコミュニティに広めるために黒人の牧師に協力を求めた。彼らに、利用されていると気づかせないために。どうしてこの機関はマイノリティの居住区に集まっているのか?「医療機関」と呼称することによって彼らの計略はほとんど気づかれることはなかった。世界的に見ても、黒人は保守的な価値観をもっと示しているはずだ。この民主党への忠誠ぶりは一体どうしてか?君たちは当然のことだと思い込まされているし利用されてもいる。

Kev • 2 years ago

1857年、デモクラットが支配していた最高裁はDred Scott判決を下した。黒人は個人や市民ではなく財産であるため権利を所有しないという内容だった。

憲法修正第13条は共和党の賛成100%によって(民主党の賛成は23%だった)奴隷制を廃止した。

上院もしくは下院どちらの民主党議員の誰一人たりとも、奴隷に全市民権を与えることを宣言した憲法修正第14条に投票しなかった。

黒人に投票権を与えた憲法修正第15条に民主党の誰一人も賛成しなかった。

1866年に、民主党は選挙を有利に運ぶためにKKKを組織した。

ジョージ・ウォーレスはデモクラットだった。

ブル・コナーはデモクラットだった。

19世紀に、デモクラットは黒人が公立学校に通うのを禁止した。

20世紀と21世紀に、デモクラットは黒人から良い学校に移る権利を奪った。実際、デモクラットはその法案に99%が反対を投じた。

(黒人と白人との分断を推し進めた)Jim Crow laws、(一定の人々に投票税を課した)poll taxes、(主に白人にそれらの制限を免除した)grandfather clauses、(同じく)Literacy tests、(同じく)white only primaries、そして黒人に対する肉体的暴力、これらはすべてデモクラットによるものだ。

1882年から1964年の間に、4743件のリンチがあった。被害者は黒人が3446人で、白人が1297人だった。共和党はそれを阻止する法律を幾度も通過させようとしたが、デモクラットはそれを阻止した。

1964年のCivil Rights Actと1965年のVoting Rights Actは民主党のジョンソン大統領の下で成立したが、それを成立させることを可能にしたのは議会の共和党だった。両法案の精神は共和党のアイゼンハワー大統領のものだったという事実を見落としてはならない。

108回目の議会で共和党が1965年のVoting Rights Actの恒久化を提案した時に、それは議会のBlack Caucus(民主党員のみによって構成される)によって反対された。

市民戦争の後で、Frederick Douglassは共和党のUlysses Grant, Rutherford B. Hayes, and James A. Garfieldから大統領として指名を受けた。民主党の大統領Grover Clevelandは彼をオフィスから追放した。

1808年に議会が奴隷制を廃止したことを知っている人は現在ではほとんどいない。すべての州で奴隷制が廃止されたというわけではないししても、事態は確実に良い方向に進んでいた。

1820年には、建国の父たちのほとんどが亡くなり、民主党が議会で多数派になった。

1789年に、議会は連邦政府の領域で奴隷制を禁じたNorthwest Ordinanceを通過させた。1820年に、デモクラットはMissouri Compromiseを通過させその法案を無効化した。連邦政府のほぼ半分の領域で奴隷制を許可した。

1850年に、デモクラットは「Fugitive Slave Law」を通過させた。その法律はアメリカの北西部に住む人々に奴隷を脱した人を再び奴隷に戻す、もしくは巨額の懲罰金を支払わせることを命じたものだった。

開放された奴隷を再び奴隷に戻すというものだったので、この法律は北部の黒人にとって有害だった。そしてこの法律の結果によって、北部に住んでいた黒人のうち2万人がカナダへと逃亡した。

この時期に所謂「地下鉄道」が最盛期を迎え、ただ単に民主党の「Fugitive Slave Law」を逃れるためだけに数千人の黒人がカナダへと逃亡した。

1854年に、デモクラットは奴隷制をさらに強化する法律「Kansas-Nebraska Act」を通過させた。民主党はMissouri Compromiseを通して奴隷制が許可された領域をすでに拡大させていたが、カンザスやネブラスカでは奴隷制が禁止されたままだった。だがこの法律を通して、デモクラットはそれらの制限を撤廃させることに成功し禁止されていた地域にも奴隷制を導入させた。

奴隷制を再び復活させたこれらの法案の可決後の1854年の5月に、奴隷制に反対していた幾人かの民主党員とWhigs、Free Soilers、Emancipationistsなどの他の政党からの奴隷制に反対していたメンバーが一緒になって奴隷制を廃止し黒人に対等の権利を保証するため戦う新しい政党を結成した。その政党は一体どのように呼ばれていたか?その政党は共和党と呼ばれていた(現在の共和党と同じ政党)。共和国の統治原則として定められていた自由と平等の原則に、議会が奴隷制を推し進めるデモクラットに牛耳られる前のその基本原則に立ち返ることを目的としていたからだ。

共和党の設立者の1人はCharles Sumnerだった。1856年に、彼は上院で奴隷制に反対する2日間に渡る演説を行った。その演説の後に、サウスカロライナ州議員の民主党代表Preston Brooksは下院から上院へと赴き文字通り彼を床へと叩きつけ意識を失わせ死亡寸前まで殴りつけた。その日の新聞などの報道によると、デモクラットの多くは彼が殴られたことを当然だと考えそれを笑いのネタにしたとまで云われている。Sumnerに非道な暴行を加えた後、Preston Brooksはどうなったか?彼は英雄として祭り上げられ議員として再当選した。

1856年に、共和党は初めての大統領選にJohn C. Fremontを立てた。この選挙で、共和党は初めての党の基本方針を公表した。それはわずか9行の短い文書ではあったが、黒人に平等と対等の権利をとはっきりと宣言していた。

1856年に、デモクラットは奴隷制を強力に擁護すると宣言し、そして「廃止論者のすべての行い(中略)は最も危険な結果が引き起こされるようにと計算されたもので、そのような行いは不可避的に人々の幸福を減少させる」と警告している。

デモクラットは1世紀から半分の期間において、人間の命は売り買い可能であるとの立場を保っていたということを記しておく必要がある。その解釈においては黒人は財産として取り扱われる。そして財産は所有者が好きに扱ってよいとされた。現在でもデモクラットはまだ生まれていない命に対して同じ立場を保っている。まだ生まれていない命は所有者が好きに扱ってよいという立場だ。

これはただ事実を並べただけだ。

Veteran_Patriot  Jeffre Powell • 8 months ago

(民主党と共和党が途中で役割が変わったという主張が笑いを誘った後で)党の役割が入れ替わったという説明が本当であれば、ケネディ大統領、ジョンソン大統領、トルーマン大統領、フランクリン・ルーズベルト大統領は現在では共和党だろう!1957年のCivil Rights Actの投票では、民主党が賛成29に対して反対18棄権2だったが共和党は賛成43に対して反対ゼロ棄権3だった。

それから1964年にもCivil Rights Actの投票が行われた。下院では賛成が民主党152、共和党136に対して反対が民主党92、共和党35で棄権は15だった。上院では賛成が民主党46、共和党27に対して反対が民主党21、共和党6だった。君の説明に従ったとしても現在は共和党だという民主党がその時点においてさえも152対92で賛成に回っている。一つの事例を用いて自分の主張を正当化しようとすることは簡単だ。だがそれは一つのデータから得られた仮説にすぎない。例えば上で挙げられていたRobert Byrd議員の例を用いて逆の主張をすることが容易く出来る。彼は明確にレイシストだった。彼はウェストバージニア州の議員でDixieCratの一員だった。下院ではThrumond議員の横に立ち1957年のCRAに反対した。それから彼は他のデモクラットと一緒になって1964年のCRAの成立を14時間に渡って妨害した。彼はKKKのメンバーでもあった。彼は単なるメンバーだったというだけではなくKKKを150人も勧誘した「Exalted Cyclops」でもあった。彼が2006年にデモクラットとして引退して2010年にデモクラットとして亡くなったということはすでに言及しただろうか?上でも述べたようにオバマは彼を称賛した。共和党の William McCullochのことにはもう言及しただろうか?彼は一貫して保守派を貫き通した。

彼の選挙区(現在の下院議長John Boehnerと同じ選挙区だった)には黒人はあまりいなかった。だから彼がCRAを支持しても政治的にはあまり利益は得られなかった。それでも彼はこの法案を成立させるのに主導的な役割を果たした。彼はケネディ大統領が自身の法案を議会に提出する数ヶ月前に市民権法を選挙区に導入していた。これは政治的には稚拙な方法で政治的自殺とまで考えられた。彼の祖先もまたCivil War以前から奴隷制に反対していた。そして彼はこの法案が成立するかケネディ大統領と取引をしていた。彼は1965年のVoting Rights Actと1968年のFair Housing Actにも主導的役割を果たした。そしてジョンソン大統領によってケネディ委員会の一員となった。彼は1973年に共和党員として議員を引退した。従って、過去のデモクラットが現在の共和党だという君の理論には賛成することが出来ない。黒人にとって不利益な判断を正当化しデモクラットに留まるように説得するために頻繁に用いられる都合の良すぎる作り話でしかない。

thomasawful • 3 years ago

どうして黒人は民主党に投票するのか?それは恐らくデモクラットが黒人を定期的に攻撃したりしていないからだろう。ACORNやNew Black Panther Party、ミッシェル・オバマなどが言っていることを見よ。恐らく黒人は懸命に働いてないと云われることや共和党が積極的に福祉を解体しようとしていることが気に食わないのだと思われる。この違いが、基本的に白人以外のすべてのグループや多くの白人に共和党への支持を非常にためらわせている理由だと思われる。ようするに、彼らのほとんどがクズ野郎だからだ。

Prince  thomasawful • 3 years ago

こんな愚か者は今まで見たことがない!この愚か者は黒人が福祉から利益を受け取っていると本当に信じているのか?私の母は完全に健康で普通に働くことが出来た。だというのに彼女は24年間も!福祉に頼りっきりだった。お前みたいな愚か者が黒人のコミュニティを破壊してきたせいだ。福祉が私たちを堕落させ仕事のできない人間にさせた。そのようなメンタリティは断固拒絶する。私は懸命に働き福祉に頼り切ったりしない自立した民族であることを好む。それにnew black panther partyは非常に人種差別的な組織だ。共同設立者であるbobby sealでさえそう言っている。

マルクス主義者たちが絶賛していた社会民主主義の雄デンマークがアメリカに完敗した?

Bernie Sanders, Denmark and me

Lars Christensen

バーニー・サンダースはよくデンマークを称賛している。そして今度はCNNがデンマークを視察に訪れた。

CNNのChris Moodyはサンダースの夢としてのデンマークに関する私の見方を尋ねるためにインタビューを行った。その時の動画はここにある(省略)。

もちろん、短いインタビューでは答えられない内容が多くあるので幾つかの補足をフェイスブック上で行っている。

バーニー・サンダースはニューハンプシャーで勝利した。バーニーはデンマークを愛しているようだ。デンマーク人である私もだ。

だがバーニーに投票したアメリカ市民であれば知っておかなければならないことがある。デンマークはエコノミック・ミラクルではないということだ。むしろ、デンマークの経済は1970年代以降アメリカ経済を大幅に下回っている。

以下のグラフは(アメリカの一人あたりGDP比で見た)デンマークの一人あたりGDPを示している。


1950年代と1960年代にはデンマークはアメリカに対してキャッチアップしていた。

この期間のデンマーク経済はバーニーが好むというよりもむしろロン・ポールが好むと形容した方がよいものだった。医療は大部分が民営化されていた。政府が定める最低賃金もなければ福祉制度も限定的で寛大というわけではなかった。

実際、1960年代中頃まではデンマークの政府部門はGDP比で見てアメリカよりも小さかった。

デンマークで政府部門が大きく拡大し始めたのは1960年代の後半、1970年代の初め頃からだった。

この時期はデンマークがアメリカに遅れを見せ始めた時期と一致する。

従って結論は、デンマークに関して語ることは多くありそしてアメリカはデンマークの自由貿易へのコミットメント、規制のない製品市場、労働市場、アメリカよりも低い法人税率から学ぶことが出来る。だがそれらは間違ってもバーニーが欲していないものだ。彼は税率の引き上げや政府部門の拡大を欲している。それらこそがデンマークをアメリカから「デ・コンバージェンス」させたものだというのに。

イスラム教徒に対するヘイトクライムが急増しているというのはリベラルの捏造?Part1

THOSE ANTI-MUSLIM HATE CRIMES 'SOARING TO THEIR HIGHEST LEVELS' SINCE 2001

Hugh Fitzgerald

9月18日付のニューヨーク・タイムズはCenter for the Study of Hate and Extremismでの「研究者」による「研究」に関するEric Lichtblauの記事を掲載した。その記事は、『アメリカのムスリムに対する憎悪犯罪は単に「増加している」だけではなく「2001年の9月11日のテロ攻撃以来の水準まで急上昇している」と大々的に伝えている。FBIの憎悪犯罪に関する統計はまだ公開されていないが、警察のレポートを下敷きにデータを編集したというこのセンターはムスリムに対する「憎悪犯罪」が1年で78%増加したと示唆している。この調査をまとめた「学者たち」は憎悪犯罪はヨーロッパ全土で繰り広げられるテロやたまにアメリカで起こるイスラム教徒によるテロとは結びつけることは出来ないと主張している。もしくは、中東(シリア、イラク、リビア)でイスラム国のメンバーによって実行されるテロとも、毎日のようにヨーロッパから流れてくるムスリム移民によるあまりにも多くの集団レイプ、集団暴行、窃盗から強盗などの攻撃的/犯罪的振る舞いとも少しも関わりがないと主張している。これはすべてドナルド・トランプの発言が原因だと彼らは主張している。ムスリムが行っていることでもなければ、コーランやハディースに書かれていることでもなく(誰でも読めるというのに)、トランプのような人間が言ったことがムスリムに対する「憎悪犯罪」の増加を説明するとされている。

ニューヨーク・タイムズは、初めはムスリムに対する「憎悪犯罪」と云われていたものが後に誤りであったと判明する大量のスキャンダルのことには一切言及しない。そしてそれらをすべて「憎悪犯罪」だと受け入れたとしても、それは2015年でも260件にしか過ぎない。人口が3億2500万人を超える国でだ。これで本当に「急増」したと言えるのか?そして言うまでもなく、「憎悪犯罪」と彼らが主張しているものを疑う十分なだけの証拠がある。

2015年にテキサスのイスラムセンターでつけられたという火は、Quba Fergusonというホームレスの男性が暖を取ろうとしてモスクの近くに火をつけただけだったことが判明した。ニュージャージー州ではそこでは恐ろしいまでのイスラムフォビアが蔓延していると主張する、他人の心を読み取ったらしいムスリムの男Kashif Parvaizが、反イスラムの殺人鬼が「テロリスト」と叫びながら彼の子供の前で彼の妻を撃ったと主張していた。だが実際は、その男の愛人が犯人で妻と別れて彼女と結婚するとその男に犯行をそそのかされただけだったことが判明する。「反イスラム」的なものは少しも絡んでいなかった。

イスラムセンターでコーランが焼かれ、センター長は「言論の自由」の禁止(すなわち、反イスラム的と思われる言論)を要求した。それにメディアは諸手を上げて賛同した。この「憎悪犯罪」と思われているものに激怒しているフリをしながら。実際にコーランを燃やしたのはAli Hassan Al-Assadiというイスラム教徒で、彼はそのモスクの人たちに怒っていたため報復としてコーランを燃やしたと犯行を自供している。

もっと聞きたいだろうか?テキサス大学で、ムスリムの女性が「銃を持った男にキャンパスで付け回され脅迫を受けた」と主張していた。彼女はすべてがでっち上げだったと最終的に認めた。

モスクで蛮行が行われたという他の話、今度はFresnoでだが、今回も(イスラム教の団体)CAIRはこれは「憎悪犯罪だ」と大胆な宣言をした。だがその事件も私的な不満を持ったイスラム教徒Asiuf Mohammad Khanがムスリムの女性とその家族に対して行った犯行であったことが判明している。

グーグルで調べてみよう。そうすれば、最初は反イスラムの「ヘイト・クライム」とレポートされていたものが実際にはムスリムの犯行であったり先程のようにイスラムとは何の関係もなかったということが判明した数多くの事例を見ることが出来るはずだ。

だが重要なのは、最初に報じられた「ヘイト・クライム」という捏造話が消え去ることを拒否している(一切訂正されない)ということで、捜査官がとっくの昔に間違いだったと結論しているにも関わらず多くの人たちにとっては現実に起こったこととして受け入れられているということだ。

そのうちでも最も際立ったケースとして、Chapel Hillで3人のムスリムの男性が同じアパートメントに住む男性に殺害されるという事件があった。この事件は即座に「ヘイト・クライム」として全米に大々的に報道された。だがその男性は駐車場のスペースを巡って幾度も争っているという過去があった。そして反イスラムの傾向を示していたことは一度もなかった。彼のインターネットでの過去の活動が示しているように、彼の行動はむしろ反キリスト的だった。駐車場のスペースを巡って、彼はムスリムともそうでない人々とも言い争っていた。

だが殺害されたのがムスリムだったので、ムスリムは一斉に動き出し犯人の動機は深く根ざしたムスリムに対する憎悪以外にありえないと宣言した。CAIRのセンター長は即座にコメントした。「この犯罪の暴力性を鑑みると、この犯人の宗教に対する過去の憎悪に満ちた発言(だがそれらはすべてキリスト教に向けられたものだ!)、被害者が宗教関係者であったこと、そしてアメリカ社会での反ムスリム的な空気の高まりと合わせて、我々は州と連邦政府にこの事件での偏った動機に関する憶測をすぐにでも正すことを要請する」。よく知られたムスリムの活動家Linda Sarsourは、「この犯人は(反ムスリムのヘイト・クライムに対する恐れ)は本当のことだとのメッセージをムスリムのコミュニティに向かって送った」と主張した。この手のコメントが数多くのムスリム活動家から寄せられたが、この事件の犯人Craig Hicksが犯したという反イスラム的な発言、行為を一個たりとしても指摘したものはないのだった。ムスリムが殺害されたとすれば、それが駐車場のスペースを巡っての言い争いのせいだと誰が思うだろうか、もしくは気に掛けるだろうか?

Craig Hicksを知っている人に接触すると、彼はとても怒っていたと口を揃える。だが彼を怒らせていたものはイスラムではなくアパートメントのことだった。アパートの何に怒っていたかというと隣の部屋がうるさすぎるといったどこにでもあるような問題だっった。生き残ったムスリムの1人の証言によると、彼らが彼から初めて聞いた苦情は、彼らが「Risk」(ゲーム)をプレイしていた時の騒音がうるさすぎるというものだった。「お前たちはうるさすぎる。妻が起きてしまった」という苦情だった。だがそれよりもさらに彼を激怒させていたものは駐車場のスペースを巡っての言い争いだった。他の住人が、決められている以上の友達(と車を)連れてくることが時々あった。もしくは住人自身が決められた場所以外に駐車していることがあった。これらすべてのことが神経質な彼を怒らせた。だが彼はムスリムだけではなくムスリム以外の人たちとも同じように言い争っていた。

彼の妻は証言している。「この事件は被害者が信仰していた宗教とは少しも関係がないと断言できます。この事件は夫が他の住人と長い間言い争っていた駐車場のスペースを巡ってのものでした」。7年間の結婚生活の間で、彼がムスリムに対する憎悪を口にしたことは一度もなかったという。だが駐車場に関する不満は言い続けていた。そしてU.S. AttorneyのRipley Randも同様に確信している。「この事件はムスリムをターゲットにしたものではありません。この事件がムスリムに対する組織的もしくは計画的な犯行であることを示すものはありません」。

それにも関わらず、ニューヨーク・タイムズのEric Lichtblauはこのように結論している。

「この統計は疑いようもなく間違いなくムスリムに対するヘイト・クライムを過小評価している、とこの調査をまとめた彼らは語った。被害者はコミュニティに軋轢を招いたと非難される恐れから積極的に表に出てこないためだ。それに宗教的、民族的、人種的背景が動機であるとの証拠を示すことは捜査官にとっては難しい時もある」。

「例えば3人のムスリムが殺害された昨年のChapel Hillでの事件では、ムスリムからの要請があったにも関わらず捜査当局はこの事件の犯人をヘイト・クライムと認定しなかった。警察は、宗教的偏見ではなく、駐車場を巡っての言い争いが事件に繋がったかもしれないと語っている」。

あまりにも多くの「ヘイト・クライム」が誤りだったと判明しているというのに(ほんの一例として、男がつけまわしてきて脅してきた、モスクに火をつけられた、男がコーランを燃やした、妻に向かって「テロリスト!」と叫んだ男が彼女を撃った、女性がヒジャブをからかわれたなどなど)、どうして彼は「この統計は問題を過小評価している」と頭から信じ込んでしまえるのか?それもCAIRが適当な報告を奨励し少しでもイスラムが絡んだ事件が起こると毎回大騒ぎすると誰もが知っているというのに?被害者が「報告することを渋っている」ケースなど本当に存在するのか?その情報はどこから寄せられてきたのか?すべての証拠は彼らの言うことの真逆を示している。CAIRは「コミュニティに軋轢を招く」ことなど恐れていない。ヘイト・クライムを積極的に誇張しようとしている。

Lichtblauは、「捜査当局がヘイト・クライム」を犯人と結び付けなかったことは間違いだとでも言いたそうな含みを持たせている。ここでの彼の「例えば」の使用方法を見てみよう。これはこの事件は「捜査官にとって宗教的、民族的、人種的憎悪が動機であることを特定することは難しい場合がある」ために警察がヘイト・クライムと認定できなかった(例えばの)事例だと彼が考えていることを意味している。

だがこの事件は動機がほぼ完全にはっきりとしているケースだ。それにも関わらず彼は「宗教的偏見ではなく、駐車場を巡る言い争いが犯行に繋がったかもしれない」と警察が語ったと記している。「かもしれない」???かもしれないではなく、駐車場を巡っての言い争いが犯行の動機だ。それが警察の捜査の結論だ。どうして、この期に及んでまで、「かもしれない」などと書いて彼は未だに疑いをかけようとするのか?繰り返しになるが、犯人が反ムスリム的な言動を行ったとの証拠はまったくない。彼は、オンライン上で、キリスト教に対する敵意を剥き出しにしていた。イスラムに対しては彼は少しも敵意を見せていなかった。それどころか、彼は「ムスリムの知り合いが多くいるので、多くのキリスト教徒よりも彼らの方を好む」とまで書いている。駐車場を巡る怒りはムスリムにもムスリム以外にも等しく向けられていた。そのことも近所の住人が証言している。

Eric Lichtblauは反イスラム主義によるヘイトクライムと報道することにまったく躊躇をしない。「ヘイトクライム」とレッテルを張りたいがためにヘイトクライムではないものがそのように報道されていると他の人が警告を発している時に、むしろ彼は過少申告だと結論している。それにCAIRがムスリムに「ヘイトクライム」と主張するようにと扇動していることも無視している。ヘイトクラムを捏造することはイスラムのためになると彼らが考えたとしても不思議はないだろう。ムスリムが故意に「ヘイトクラム」を偽る理由があること、そのような事例をたくさん読者に紹介することを少なくとも彼はすべきだった。

彼があの記事を書いてから10日が経過した。非ムスリムからムスリムに対する攻撃はどれぐらい行われたのか?ゼロだ。ではムスリムから非ムスリムに対する攻撃は?ニューヨークとニュージャージーで爆弾を爆破させようとしたAhmad Khan Rahaniがいた。彼はパキスタンまで出掛けていってタリバンを心酔するグループからセミナーを受けていた。彼は日記でISISのことに幾度も幾度も言及していた。彼の動機は未だに不明とされている。そしてミネソタ州で10人を刺したソマリア人がいた(ソマリアはアルカイダに植民地にされている)。彼の動機は未だに不明とされているが、そこでは人種間の軋轢が相当に高まっていたと云われている。そして「襲撃の直後にソマリアの旗?を振りクラクションを鳴らしながらソマリア系住民が圧倒的大多数を占める地域にピックアップトラックが走り去っていった」と複数のソマリア人が証言している。そしてワシントン州で5人を殺害したトルコ系のムスリムArcan Cetinがいた。ソーシャルメディアに「Say SubhanAllah(アラーに栄光あれ!)」と投稿しておりal-Baghdadi and Khameneiを称賛していたが、警察は未だに「彼の動機はまったく分かっていない」と語っている。そしてニューヨーク州立大学の教授に殺害予告を出したAmjad Husseinというムスリムがいたが彼の動機も不明とされている。

過少申告が言及されていたので思い出したが、昨年だけでFBIは7712人の「既知のテロリストとその容疑者」と接触していたことが数日前にリークによってのみ明らかになった(ほとんどがメキシコとの国境沿いの州だった)。このようなことはこれまで一切アメリカ人には知らされていなかった。ムスリムによる西側に対する攻撃はいったいどれぐらい阻止されてきたのだろうか?それも私たちには決して知らされないというのに。Eric Lichtblau、頼むから教えてくれ。