2016年12月25日日曜日

世界中で戦争を引き起こしていたのはやっぱりロシアだった?

The Soviets' Six-Day War

Daniel Pipes

中東で最大の謎とされているものの一つは、どうして6日間戦争は起こったのかということだ。イスラエルも周辺アラブ諸国も戦争を望んでいなかったし予想してもいなかった。歴史家の中でコンセンサスとなっている考えは、望んでもいなかった戦争が幾度にも重なる偶然から生じたというものだった。

偶然だという見方に異議を唱えて戦争の原因に説得力のある説明を与えたIsabella Ginor and Gideon Remezの新しく出版された本を見てみよう。「Foxbats over Dimona: The Soviets' Nuclear Gamble in the Six-Day War(エール大学出版)」という本のタイトルが示すように、彼らはこの戦争がDimonaでのイスラエルの核兵器施設を破壊するためのソビエトの計画に端を発していると議論している。

この本はまるでミステリーの回答のようで、膨大なソースを提示して読者を一段一段と導いていく。まとめると、その内容は以下のようなものだ。

イスラエルの共産党の指導者Moshe Snehは1965年の12月にソビエトの大使に対して、「イスラエルは自前の核兵器を製造するつもりがある」と首相のアドバイザーが彼に伝えたと語った。ブレジンスキー書記長とその周囲はこのほんのわずかの情報を極めて真剣に受け取り、空からの攻撃によってこの製造を阻止することを決断した。

だが直接攻撃するのではなく、モスクワは最終的にはソビエトによるディモナへの攻撃で終了する戦争へとイスラエルを陥れる複雑な計略を実行に移した。この枠組の軍事面での一環として、クレムリンは地中海、そして紅海とイスラエルを核兵器で武装した大艦隊で包囲した。物資を地上に搬送し、その近くに軍隊を送り込んだ。この本で最も興味深いのはソビエト軍がイスラエル国内を攻撃するその詳細な計画、石油精製所と原油の貯蔵場所を空爆する具体的な計画、そしてイスラエルに住むアラブ人への接触だろう。それと同じぐらい目を引くのがソビエトの写真偵察機MiG-25sが1967年の5月にディモナの原子炉上空を直接飛行していることだろう。

政治面の枠組みとしては、イスラエルがシリアを侵略するつもりであるとの情報を捏造しそれによりエジプト、シリア、ヨルダン軍を戦争モードへと駆り立てた。ソビエトの指導者の指導に従って、エジプトのGamal Abdel Nasserは軍隊をイスラエルへと送り、国連の緩衝部隊を退かせ、イスラエルにとっての生命線である海運路を封鎖した。これら3つの敵対的行為によりイスラエルは戦闘モードへと突入した。この状況が長引くことはイスラエルにとっては耐えられなかったので、イスラエルは先制攻撃を行った。それによりソビエトの罠に落ちたかのように思われた。

イスラエル国防軍はソビエトが予想していなかったような行動に出た。引き分けを狙いに行くのではなく(それがソビエトの予想だった)、短期間で勝利を収めた。純粋に通常兵器だけを用いてイスラエルは周辺アラブ3ヶ国を6日で撃破し、それによりソビエトの侵略計画を未然に防いでしまった。

この事態の急変によりソビエトの計画は中止を余儀なくされ、モスクワは戦争を画策した自らの役割を隠すことを決定した。その隠蔽工作は非常にうまくいったため、6日間戦争におけるモスクワの責任は歴史の闇に消えることとなった。

この本が決定的な証拠とはならなかったとしても、多くの含みがあり説得力がある解釈を示してくれている。現在のアラブとイスラエルとの対立(1967年のイスラエルの勝利に端を発した領土紛争)は大部分がクレムリンが下した決定の結果だということが出来る(それにより反ユダヤ主義が本格的に激化した)。この行動全体が無価値なものだった。イスラエルが核兵器を保有したとしてもソビエトにはほとんど影響を与えなかったので。そしてこの本の筆者たちが記しているように、「冷戦時代が安定した時代だったと思い違いをしている人たちがあまりにも多いがそれはほとんどが錯覚だ」(現在の問題のほぼすべてはソビエトと共産主義者が大きく関わっている)。

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