2016年12月25日日曜日

KERRY VISITS THE PLACE ISRAEL PROVED ITS TOLERANCE 23 YEARS AGO

Spyridon Mitsotakis

(イスラエルを)「アパルトヘイト国家」と呼んでいたことがリークされた文書によって明らかにされたケリー長官が、エチオピアのアジスアベバをよりによって5月に訪問することになるとはなんという皮肉だろう。イスラエルがケリー長官の言うような形容とは程遠いということを英雄的に示したのはまさに1991年の5月のことだ。

当時のニューヨーク・ポストの論説委員だったEric Breindelが以下のように詳細に語っている。

「イスラエル政府はエチオピア全土に散らばっていたエチオピアのユダヤ人を過去10ヶ月かそれより前の間に秘密裏にアジスアベバに集めていた。そしてエチオピアのほとんど全員といっていいユダヤ人を安全のためにイスラエルへと運んだ。この行動は完全に秘密裏に行われた。Falashas(よそ者)と呼ばれていた1万4000人以上ものエチオピアのユダヤ人が、彼らが今まで一度も見たことがない土地に3日を掛けて、イスラエルに運ばれることになった」。

どうしてイスラエルはそのようなことをしたのか?

「エチオピア政府(ずっと親ソビエトだった上に、彼らに対して冷たかった)は崩壊しようとしていた。輸送が始まった頃には反乱軍がアジスアベバの8マイル先まで迫っていた」。

エチオピアのユダヤ人は、言うまでもなく黒人だ。他のエチオピア人と同じように。そして大部分のユダヤ人は、言うまでもないと思うが、コーカサスだ。だがFalashasは(彼らが自分たちをユダヤ人だと認識していたため)、外部の専門家の分析、それに国務省の分析を含め、政治が不安定化した時には「非常に危険な状態にある」と考えられていた。

この結論は、歴史的に見て、ユダヤ人にとって新しいものではない。彼らは常に「脆弱な状態」に晒され続けていた。そして彼らには逃げる先などどこにもなかった。

今では何が違っているのか?

ユダヤ国家の存在だ。

Breindelは国連の「シオニズムはレイシズム」決議1975を撤回させるために戦った1人だ。このコラムによって、彼はこの劇的な救出劇を詳細に伝え、イスラエル憎悪者たちの顔面に叩きつけた。

最終的に、エチオピアのユダヤ人(その語源はソロモン王の時代にまで遡る)は彼らが今まで一度も会ったことがない勇敢なユダヤ人によって助けられた。彼らのうちの幾らかは自らの命を危機に晒してまでFalashasをイスラエルに運んだのだった。

当時の新聞を読み、写真を眺め、記録映画を見てみるといい。事実ははっきりしている。国連がどのような馬鹿げたことを言っているにせよ、シオニズムは「レイシズムの一形態」ではない。

その数ヶ月後に、ソビエト自身が崩壊した。Breindelやその仲間たちによる訴えに反論することができなかった国連は、それに当時アメリカの国務次官補だったジョン・ボルトンの力強い訴えもあって、酷評された決議を撤回させた。

だが、ケリー長官のおかげで、この戦いが今再び開始されようとしている。ニューヨーク・ポストのコラムニストBenny Avniが5月1日に記しているように、

「国連の安全保障理事会の中東に関する議論の間で、アラブの外交官たちはイスラエルを「アパルトヘイト国家」と呼称させる機会を誰一人として逃そうとはしなかった。最後の締めの一言によって、ケリー長官は20年以上前のDaniel Patrick Moynihanの外交上の英雄的勝利を灰燼に帰した。シオニズムはレイシズムと語ったことによって、この争いが再び国連で繰り返されることになってしまった」。

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