A FAKE MUSEUM FOR A FAKE PALESTINE
Daniel Greenfield
マーク・トウェインはイスラム教徒に占領されたイスラエルを150年前に訪れ、「誰も住んでいない砂漠」「誰からも見放された不毛な土地」「廃虚と化した」都市の残骸があるだけと記した。
パレスチナは「荒れ果てた土地だ」と彼は結論した。「ここから10マイル進んだとしても恐らく10人に出会うこともないだろう」。
同じことが、ファンファーレとともに開演し1つの問題を露呈したパレスチナ博物館にも言える。入場料は無料であるものの、内側には訪問者が見るべきものは一切ないのだ。
パレスチナ博物館は1998年から計画が進められていた。だが展示物は何もない。この博物館の建設には24億円掛かった。展示されているのは瓦礫と見分けがつかない砂のような建物が幾つかと枯れ草と灌木とで構成された「庭」だけだ。パレスチナ博物館は開演した。だが内側には何も展示されていない。
アイルランド人と中国人の建築家により設計された空っぽの建物とアルメニア系アメリカ人のディレクターの思いつきによる存在しない展示物ほど、パレスチナを例えるのに相応しいメタファーを考えることは難しいだろう。
ミュージアムの最上部には誇らしげな(PLOが「借りる」まではイラク-ヨルダン連邦国の旗だった)パレスチナの旗が掲げられ、訪問者はギリシャの共産主義者Mikis Theodorakisによって作曲されたパレスチナ国歌によって歓迎されるだろう。ギリシャ映画「ゾルバ」のサウンドトラックのように聞こえたと思ったら、それはどちらも作曲家が同じだからかもしれない。
パレスチナのすべてが忠実に再現されているので、それもまたメイド・イン・チャイナを象徴するものなのかもしれない。それが、ユダヤ人の家族に大きな石を投げつけている、色あせたクーフィーヤを頭に巻いた投擲者をノルウェー人、カナダ人、チリ人のフォトジャーナリストが彼らを英雄のように撮影している場所なのだろう。
パレスチナは中には何もない空っぽの建物だ。政治的ポチョムキンの村だと言ってもいい。そこには旗があり国歌があり博物館があり国を形作るかのようなものが存在するだろう。だが内部をよく見てみれば、そこには何もないということに気が付くだろう。
ベイルートで生まれてイギリスに住んでいるパレスチナ博物館の館長Omar al-Qattanは、「パレスチナ人」はほんの少しでも勇気づけられる必要があるので空っぽの博物館でも開演することは意味があると語った。
パレスチナ博物館はナクバの時期に開演する必要があった。ナクバとはアラブ諸国による失敗したイスラエルへの侵略の毎年の記念日のことだ。イスラエルに対するエジプト軍、イラク軍、シリア軍、ヨルダン軍の連合軍による侵略は5月15日に開始された。エジプトの将軍Muhammad Haidarは、アラブ軍はテルアビブを2週間で占領するだろうと宣言した。
エジプト軍は住人が数百人で兵士が数十人しかいないKfar Daromという村を襲った。エジプト軍は戦車、武装車両、歩兵大隊、迫撃砲と爆撃機で武装していた。アラブ軍は大苦戦を迫られた。テルアビブを2週間で攻め落とすどころか、彼らはその小さな村を攻め落とすのに2ヶ月も掛かった。
それがナクバだ。イスラエルに移り住んでいるアラブ人が、数で圧倒的に劣るユダヤ人の前にアラブ軍が惨めな敗北を喫したこの日をどうして嘆いているのかその理由が理解できただろう。
博物館と同じく、パレスチナのすべては終わりのない一つの詐欺だ。パレスチナ博物館の開演にはパレスチナ自治政府のアッバス議長が参加した。アッバス議長は2005年に4年の任期で就任したはずだった。彼の任期が切れて10年以上が経つ。パレスチナ自治政府とはPLOが偽装しただけの組織だ。管理者もおらず支配もしていない領土に対して支配権を持つと主張している。
だがパレスチナ博物館はその中身とは異なり失敗に甘んじているわけではない。PLOが困難に陥った時にいつもしていることと同じことをしている。
ベイルートへの侵略だ。
展示する物が何もないというのに、彼らはベイルートで別館を開演しようとしている。この「パレスチナ人による」侵略が前回と同じ結果だとすれば、1週間のうちにキリスト教徒の殺害を始めるだろう。
ベイルート以外にも、パレスチナ博物館はサンディエゴ、ロンドン、ドバイ、ガザで別館の開演を計画している。イスラム教的には、内側が空っぽでも外部への侵略で埋め合わせることが出来る。
一方で空っぽのパレスチナ博物館はMahmoud Hawariという新しい支配人を見つけた。そこには「大英博物館の主任管理者」と記されている。実際には彼は管理者のようなものではなく客員だ。パレスチナ博物館の出資団体は紛らわしい履歴書で自分たちを欺いたとして新しい管理者を非難している。だがウェブサイトの表示を変更する様子は未だに見られない。
だがパレスチナはこれまで常に嘘で成り立ってきた。パレスチナ博物館がどうしてその伝統を破るべきだろうか?
新しい管理者は、もしあるならば、博物館に何を展示するのか決めなくてはならない。だが博物館はイスラムのテロリズムを称賛し誰が先にイスラエルに住んでいたかという内容は外すことが出来ないということに彼はすぐに気が付かされるだろう。これら2つのトピックはパレスチナ人のアイデンティティの始まりでありそして終わりだ。このどちらにもユダヤ人への憎悪が込められている。
ユダヤ人を殺害せよ、ムスリムとパレスチナ人を擁護するふりをしている人たちが本当に欲していることはそれだからだ。パレスチナはその財産、水、電力をイスラエルから供給されている政治的寄生体だ。その歴史、文化、そしてその全存在理由までをイスラエルから与えられている。
パレスチナ人はダビデ王はムスリムだったと主張している。イエスはパレスチナ人でダビデの星は、イスラムより先に存在したはずなのに、イスラム教のシンボルだと教えている。唯一のパレスチナの文化は横領だ。
パレスチナは、寄生虫が宿主なしには生きていけないそれ以上にイスラエルなしには生きていけない。パレスチナ国家の建設という戯言を主張しているにも関わらず、PLO、ハマス、もしくはそれ以外の全員が考えられるパレスチナ国家の唯一の目的はイスラエルを攻撃することだけだ。
パレスチナ人のアイデンティティはユダヤ人を憎悪すること以外には意味も意義も持たない。
パレスチナ博物館はその魂すべてを死のカルトに捧げた人間と同じぐらいに空虚に包まれている。その内側にはユダヤ人への憎悪以外は何一つ入ることが出来ない。
博物館の空虚さは、完全に予想できるように、ユダヤ人のせいだと非難される。博物館は薄汚れたユダヤ人の手が建物に少しでも加わることを避けなければならなかった。よって教区の民生委員たちは、パレスチナが生み出す唯一の物は死だけだったので、イスラエルの外部から輸入しなくてはならなくなった。
テロの危険を恐れたイスラエルはドイツ製の照明器具とオーストラリア製の非常口の標識が持ち運ばれるのを渋った。だがそれらの器具が到着しても、博物館の内部はやはり空っぽのままだった。そしてそれもユダヤ人のせいにされた。
Omar Al Qattanは、イスラエルが展示に使う品物の輸入を難しくさせたと非難している。だがパレスチナ自治政府の首都からほんの数マイル離れただけの場所にあるはずの博物館が、自分たちの歴史があると主張している土地で「パレスチナ的な」物を見つけることが出来ないというのは奇妙なことだと思うだろう。
パレスチナの文化などない。パレスチナの歴史などない。そこにあるのはアイルランドの建設会社によって建てられた空っぽの博物館が存在するだけだ。「パレスチナ人の庭」でさえもヨルダン人の庭師の作り物でしかない。
パレスチナはポチョムキンの村だ。歴史あるユダヤ人の町や村を不当に占拠したムスリムの移住者で構成されている。だがその地はマーク・トウェインが訪れた時と変わらず今も荒廃している。パレスチナの文化は空っぽの建物だ。肉体はいくつも存在している。だがそこには魂がない。パレスチナには過去がなくそして未来もない。
以下、アメリカ人のコメント
cheechakos • 6 months ago
Mr.Greenfieldによる芸術作品だ。これを石に刻んでパレスチナ博物館に展示すべきだ。
Ari Lieberman • 6 months ago
パレスチナ人はMr. Greenfieldがこの記事で語っていることを自分たち自身で幾度も認めている。1977年にオランダの新聞社Trouwのインタビューに答えて、PLOのexecutive committeeメンバーのZahir Muhseinは次のように語っている。
「パレスチナ人は存在しない。パレスチナ国家の建設はアラブ人を一つにまとめるためイスラエルへの闘争を続けるための手段でしかない。現実に、現在ではヨルダン人、パレスチナ人、シリア人、レバノン人の間に違いはない。アラブ諸国の利害がシオニズムに反対する「パレスチナの人たち」という別個の存在を必要としているため、私たちは政治的、戦略的手段のためだけにパレスチナ人の存在のことを語っている」
「戦略的理由により、国際的に認められた国境線を持つ主権国家であるヨルダンは、ハイファやジャファに対して主権を主張することが出来ない。一方パレスチナ人としてであれば、ハイファ、ジャファだけでなくベルシェバ、エルサレムに主権を要求することが出来る。だがパレスチナ全土の主権を要求するその時には、パレスチナとヨルダンが一つになるのを少しも待ったりはしないだろう」。
cxt IzlamIsTyranny • 6 months ago
イスラム以外への終わりのない戦い。そして終わりのないスンニ派とシーア派との戦い。そして「十分に」イスラムではないと見做された人間たちと他のムスリムから「間違った種類の」イスラムと見做された人間たちとの終わりのない戦い。
wileyvet Guest • 6 months ago
ムスリムがインドに1000年間住むことが出来たのはヒンズー教徒の寛容さのおかげではないかと個人的に思っている。イスラムがインドを征服した歴史は、恐らく最も血に塗られた歴史のうちの一つだろう。コメント欄で必死に否定しているリベラル派がいるが、イスラムによる征服は紛れもなく植民地主義であり帝国主義だった。君は、現在の57ヶ国がそれにムスリム人口を多く抱える国々がどのような経路を辿って現在の姿になったのか何も知らないように見える。
君たちのような人間は西側の植民地主義にはヒステリーを起こすが(丁度ガンジーのように)、イスラムの植民地主義にはまったく関心を示さない。どのようにしては分からないがイスラム教の国々が突然降って湧いたかのように出現したぐらいにしか考えていないんだろう。同様に、君はイスラムと非イスラム教徒との歴史的関係に関しても何も知らないように見える。
イスラムは戦争の教義が成文化されている唯一の宗教だ。ジハードは、イスラムを防衛するためそしてイスラムを拡散させるためその両方の目的として全共同体に課せられる義務として存在している。イスラムでは、非イスラムがイスラムによって支配されるまではその間に敵意が存在するとはっきりと明文化している。預言者の命が尽きてからは永遠の戦いが存在すると教えている。
カリフ期にはそして異なる地域で、カリフの下へ毎年決められた数の奴隷をお互いの地域へ献上することは一般的だった。殺害、ズィンミーに課せられた厄介な条件、改宗によって地域の文化や人々は消滅させられていった。そして後にはムスリムだけが残った。現在ではモロッコ、イエメン、イラク、エジプトのユダヤ人は最早存在しない。地域全体の目的が「パレスチナの」失敗とイスラエルのユダヤ人を追い出すことに失敗したその報復へと塗り替えられていった。イスラムの帝国主義は異教徒/無神論者の文化を破壊し差別的なシステムの下に組み込むことだった。イスラムを拒否した人には終わりのない屈辱が与えられムスリムの気まぐれで生かされているだけだった。それがムスリムが言うところの「寛大さ」だ。
アラブ諸国もしくはムスリム国家は、広く受け入れられた西側の基本的人権に近い概念でさえも生み出していない。信仰の自由や言論の自由、思想の自由、報道の自由、法の下での平等、女性の対等な権利、虐待などからの女性の保護などはイスラム世界には根本的に欠けている。この地域の唯一の例外である小さな小さなイスラエルを除いては。アラブとムスリムの領土は300万平方マイルである一方でイスラエルの領土は8000平方マイルでしかない。アラブがはっきりと口にしている目標はパレスチナをアラブ人だけの国にすることだ。イスラムの預言者がメディナとアラビアのユダヤ人を民族的に浄化したように。ムハンマドの遺言を受けた彼の後継者アブー・バクルは他の宗教を追放しリッダの戦いで従わない部族たちを虐殺していった。
アラブとイスラエルとの対立は常にイスラムの宗教戦争だった。だが中東の専門家を自称する人たちはこれがイスラムの問題だということを必死に否定もしくは隠そうとした。過去数百年のイスラムの歴史はジハードという責務があること、イスラムの拡大はすべてのムスリムに課せられた義務であることを示している。イスラムとムスリムにとって、彼らが奇妙にもムスリムの土地と呼ぶイスラエルにユダヤ人が存在することはイスラムにとって屈辱を意味する。Jabotinskyのようなシオニストの歴史修正主義者もいるが、イスラムと「その他」の人々との関係をはっきり語っているイスラム学者、イスラム法学者、哲学者らからの引用を数千とまではいかないかもしれないが文字通り数百と探すことが出来るだろう。
自虐的な西側とは異なり、ムスリムは自らの歴史を非常に誇っている。謝罪も反省も自己批判もそこには見られない。ムスリム世界で異を唱えることはとてつもない勇気と死を恐れない覚悟が必要とされる。ムスリムにとって、征服、破壊とイスラム以外の人間と文化の根絶はイスラムの優位性の証明でありアラーのアラブとムスリムに対する約束の実現でもある。
1948年以降のイエメンからのユダヤ人の迫害と追放の歴史は悲しい歴史の一面でもある。だがアラブの歴史では当たり前のことだ。いつも攻撃的であるのと同じく、ムスリムは他人が被害者である時は自分たちの残虐な振る舞いをいつも正当化するが、自分たちに対して不正義が行われたと妄想をする時は盛大に誇張/捏造をする。ユダヤ人の陰謀の被害者面をしながら暴力的に攻撃してくる人たちから実を守ることは難しい。特に身内やメディアにもユダヤ陰謀論者が溢れている場合には。
Son of Liberty • 6 months ago
素晴らしい。
パレスチナの定義は意味のなさ、どこでもない、存在しない、ゼロなどにするべきだ。
SCREW SOCIALISM Son of Liberty • 6 months ago
自爆テロリストが住んでいるアトランティス大陸も追加。
Wise Man naro wampanoag • 6 months ago
アラブとイスラエルが対立している本当の理由は、アラブに征服されたズィンミーが自分たちの権利と主権を再び主張することを恐れているためかもしれない。もしユダヤ人がそれに成功したら(征服された国々のうちでも最も迫害を受け最も悲惨な目にあった)、アッシリア人、キリスト教徒(コプト人、アラム人、マロン派)などがそれに続くかもしれない。クルド人、ヤズディ派、ベルベル人(イスラムに同化しすぎているとの指摘も)や他の民族はどうするだろうか?イスラエルはアラブの植民地主義を崩壊させて私たちの仲間たち(アラブたちをも含む)の主権と権利を回復させなければならない。
wileyvet • 6 months ago
ここにパレスチナ博物館に展示されるべきナクバの記録がある。
・私たちの隊列の5番目は家を捨ててきた人たちで構成されている。困っている人たちを見捨てて逃げてきた困難の最初の兆候だ--Ash-Sha’ab, Jaffa, January,30, 1948
・(逃亡する村人は)村を見捨てることによって、災厄を私たち全員に押し付けている--As-Sarih, Jaffa, March 30,1948
・アラブ人に国内に残って今まで通りの生活を続けるようにとのユダヤ人による説得がありとあらゆる形で行われた。店を開き商売を続け彼らの生活と利益が守られるということを保証した--Haifa District HQ of the British Police, April 26, 1948, (quoted in Battleground by Samuel Katz)
・「一部は(アラブ人は戦争で勝利した場合相手を皆殺しにしていた)恐怖により、一部はアラブの指導者たちからの命令により逃げ出す人たちが大量に現れ、アラブ人がかなりの割合を占めるハイファはゴーストシティとなった。アラブの労働者がいなくなることによりハイファが麻痺状態となることをアラブの指導者たちは狙いとしていた--Time Magazine, May 3, 1948, page 25
・「支配者階級の誤った指示に従ったためパレスチナのアラブの通りは不気味なほど静かだった。エルサレムからも逃亡者が発生した。だがジャッファやハイファほどではなかった--London Times, May 5, 1948
・アラブの住人たちはパニックを起こし逃亡した。戦争の足音が近づく前に村が放棄されることは頻繁にあった--General John Glubb “Pasha,” The London Daily Mail, August 12, 1948
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