2016年5月5日木曜日

タリバンは民衆から支持されているとは一体何だったのか?

Michael Walzer, "Can There Be a Decent Left?" (Dissent)

Jeff Weintraub

左翼のアフガニスタンでの戦闘に対する反対は昨年の11月と12月に消失した。戦闘の成功が原因だけではなくあまりにも多くのアフガン人がその勝利を歓迎したためだ。世界に向かって笑顔を向ける女性の姿、ひげをそる男性の姿、学校に登校出来るようになった少女、サッカーをする少年らの写真。これらすべてはアメリカの帝国主義という左翼の論理の崩壊を如実に示した。まだ憂慮すべき事柄はたくさんある。難民、飢餓、法の支配の欠如など。だが以下のことは誰の目にも、戦争に反対していた者の目にさえも明らかとなった。人道的な危機の解決を妨げていた最大の障害はタリバンだったということだ。そしてその障害を取り除いたのがアメリカの戦いだった。アフガンでの戦いは(ほとんど)解放戦争のような様相を呈してきた。人道的な介入だった。

だが戦争の表向きの目的はこれらのことではなかった。アフガンでの戦闘はアフガニスタンでテロリストを訓練すること、9月11日の攻撃のようなテロを計画すること、組織することを不可能なものにするためだった。そしてその目的を左翼が受け入れることは一度もなかった。アフガンでの戦争への反対理由として挙げられていたものを思い出してみよう。この事案は国連の手に委ねるべきだ、アルカイダとタリバンの有罪を証明して裁判を開くべきだ、戦争をするにしても民間人を危険にさらすことなく戦わなくてはならない。最後の点は戦闘を不可能にする意図で挙げられている。この戦闘(または如何なる戦闘であっても)を民間人を危険にさらすことなくどのように戦えばよいのか、どのぐらいの危険までは許容されるのか、民間人のリスクを減らすためにアメリカ軍の兵士がどのぐらいの危険を受け入れるべきなのかを真剣に議論しようとした試みをわずかでも見つけることは出来なかった。これらのことはアフガンでは非常に重要な問題だ。コソボや湾岸戦争でもそうであったように。だが去年のデモ活動家がしたことといえば「爆撃を止めろ」程度のことでしかなかった。これは何らの議論に値するスローガンではない。左翼のほとんどはこれらに関して一貫した考えを持とうとすらしなかったというのが事実だ。左翼は戦争反対と念仏を唱えていただけだった。戦争に至った経緯も知らなければ、将来のテロを防ぐということに関するわずかの考慮も見せることはなかった。

左翼の活動家はアフガニスタンでどれぐらいの人数が亡くなったのかを指摘することに務めた、可能な限り最も多い人数を人々に刷り込ませることを目的として。そしてその人数が世界貿易センタービルでの人数よりも大きければ戦争は不当だとの意味不明な論理の下で。現在のところ、彼らが挙げたすべての数字はプロパガンダだった。まともな説明は一つもない。人数がこのような方向でしか意味を持たないという彼らの主張(3120人目の死亡が戦争が不当かどうかを決める)は間違いだ。その論理は最も基本的でよく理解されている倫理面での違いを無視している。意図的な殺人と意図しない殺傷との違いだ。そしてこの無視はアクシデントによるものではない。単に忘れているのでもなければ、知らないのでもない。その無視は意図的なものだ。

昨年の出来事への左翼の対応の劇的な失敗は深刻な問題を浮かび上がらせる。超大国の中にまともな左翼はそもそも存在することが出来るのか?正確に言えば、世界で唯一の超大国の中に存在することは出来るのか?恐らくそのような超大国の中で暮らしその特権を謳歌することによって生み出される罪によって(知性があり、責任感を持ち、多角的な視点から倫理を考えることが出来る)まともな左翼が存在することは不可能になるのだろう。恐らく世界的規模に達するアメリカの力への無意味な抵抗を長年繰り返してきたことへの不可避的な結果が煮えたぎるような憤り、内に向かう怒り、自己憎悪なのだろう。確実に、これらすべての感情が左翼の9月11日への反応に見られる。テロの恐怖に言及しないこと、テロが引き起こした苦痛を認めないこと、多くの左翼が最初の反応として見せた他人の不幸を喜ぶ気持ち、かろうじて隠された喜びなど。多くの左翼はその後の数週間に倫理的なバランスを幾らか取り戻した(少し正気に戻った、元からあればだが)。だがそれよりも多い数の左翼は本当に起こったことは何かということに関して考えるところにさえ至っていない。

超大国の内部で罪と憤りの政治から逃れる術はあるのか?この問題を過去の大国の歴史を振り返ることによって探ってみようと思う。体系的にではなくあくまでラフな描写として。イギリス中で大きな反対を巻き起こしたボーア戦争(この戦争の残酷さにも関わらず、そのように記されることはなかった)が出発点として適切だろう。この時の反応はアメリカの左翼に見られるような自己憎悪によく似たものだった。または「little Englanders(イギリスのナショナリスト、または外国人嫌いで過度に国粋主義的なイギリスの人々が「無知」や「田舎者」だとして糾弾される際に用いられる批判的な形容詞)」がイギリスの政治と文化を敵視していたというのでもない。彼らは自国から疎遠になることなしにイギリスの植民地主義的政策に反対の立場を何とかして表明しようとした。実際、彼らはイギリスを自由主義と議会制民主主義の母国として見做す傾向が強かった。結局は、議会制民主主義の価値観(自治の精神、言論の自由、反論の権利など)は帝国主義を支持するものではなかった。ジョージ・オーウェルの愛国主義の擁護は彼の時代の前後の多くのイギリスのリベラルと左翼の感情の実際の記述であったように思われる(E. P. Thompsonのような最も有名なマルキストの歴史家でさえも共感的に、実際空想的とさえ言えるまでにイギリスの人々のことを表現していた)。マーガレット・サッチャーの頃になると、特にフォークランド戦争の頃になると、反対の声はより苦々しいものだった。だがその頃には、イギリスはとても帝国といえるものではなくなっていた。

フランスの話も似たようなものだったと思われる。帝国主義の時代において、フランスの左翼は右翼と同じぐらいにフランス人であることを誇っていた。恐らくは右翼よりももっとだろう。フランスは啓蒙と普遍的価値、人権の誕生の地ではなかったのか?アルジェリア戦争はよく見慣れた自己憎悪の感情を引き起こした。このことはNational Liberation Front (FLN)のテロに対するサルトルの擁護に見られる。「ヨーロッパ人を撃ち殺すことはこの目的に関して二重の利益にかなう。抑圧を阻止することと同時に、抑圧者を殺害すること、それにより死んだ人間と自由になった人間が残るだろう」。これはヨーロッパ人を殺害することは実際に良いことだ(それは主にフランス人に向けられている)ということを示唆している。だがサルトルは自分でヨーロッパ人を殺害することもなければアルジェリア人がもう一人解放されるために自分が犠牲になって殺害されることもなかった。彼のものは、個人的なものではなく、一般化された自己憎悪だろう。

長年の健全な野党政治と一過性の反感しか経験していないアメリカの話がどうしてこれら2つと似たものとなりうるのか?アメリカは旧世界への道しるべ、丘の上に輝く町、民主主義の壮大な実験ではなかったのか?私は1930年代、1940年代の人民戦線のアメリカ化の時代に育った。当時を振り返って思うと、共産党が左翼の大衆文化を作ろうとする試みは模造的で、小手先のものに過ぎなかったようにも思われるがそれでも政治的には極めて賢いものだったと思う。Paul Robesonの「Ballad for Americans」は(音楽の質はともかくとして)急進的なアメリカ化とはどのようなものであるのかという感覚を少なくとも覗かせてくれてはいる。9月11日以降の日々は人民戦線にとっては悪くないものだっただろう。

アメリカの主導の下でのグローバル化は左翼の心の中に反米感情を生み出した。だが未だに開拓されていない土地を文明化しようとの考え(帝国主義時代のイギリスとフランスの左翼の中に継続して存在していた考えだった)はアメリカでは一度も根付いたことはなかった。外国援助、平和部隊の派遣、国家の建設の支援が「帝国主義」の様相を呈したことは一度もなかった。第二次世界大戦以降のアメリカ政府が取った政策に批判の余地がなかったと言っているのではない。だがそれでも左翼の批判は(特にベトナム戦争以降に最も顕著に見られる)愚かで、感情的で、醜いほどに不正確であると思われる。これはPhilip Rothが「I Married a Communist」という本の中で描写した「つらく何も考えたくない日々」によって生み出されたものだ。左翼はその方向性を失っている。どうしてか?

私は4つの理由が考えられると思う。これですべてを網羅しているというつもりはないが。ここに挙げたものはラフなスケッチ上のものではないが議論の出発的としては望ましい。

(1)イデオロギー:1960年代と1970年代のマルクス理論の帝国主義と第三世界のドクトリンの影響。私たちはイデオロギー以後の世界に生きていると思っているかもしれない(そして恐らく多くの人はそうなのだろうが)が古いイデオロギーの痕跡は左翼が表れるところには普遍的に見られる。恐らく最も顕著なその影響は左翼が宗教の影響を認識または認めることが出来ないところによく表れている。テロの「根本原因」はグローバルな不平等または貧困であると左翼が書くときはいつでも、宗教的な動機を否定することが本当の狙いでもある。この見方では、宗教は抑圧された男性や女性の怒りが表現される場に過ぎない。

少数の勇気ある左翼はタリバンとアルカイダのことを「宗教的ファシズム」の一例と呼ぶ。少なくとも形容としては正しい。そして「ファシズム」というのも、これが資本主義後期の退化の産物に見えなかったとしても、近い表現だろう。少なくともこの表現は左翼にイスラムのテロに反対する理由を与えるだろう。それ自体は重要なことだ。だがこれはテロの現実を見えにくくさせる結果にもつながるだろう。異教徒、異端者、無神論者に対する聖戦という概念は劣った人種や外国に対する戦いという概念とは同じではない。実際、イスラム過激派は(ファシズムとは異なり)人種差別主義や国粋主義ではない(とは言え、黒人を差別してはいるが)。我々が理解する必要のある、他の何かの原理が働いている。

だがイデオロギーに取りつかれた左翼たちは彼らはすでに理解しなければならないことをよく理解していると考えてしまっている。帝国主義的な力に反抗するグループとはどんなものであれ抑圧の表れに違いない、そして彼らの政治的議題は左翼の政治的議題にも違いない。彼らの代表者が話していることを聞く必要さえない。彼らの欲しているものとは世界規模の再分配、世界中のアメリカ軍の撤退、抑圧的な政府への援助プログラムの廃止(左翼の頭の世界ではこれはイスラエルだけを指す)、イラク包囲網の撤廃、パレスチナ国家の建設以外にあり得ない。確かにここで挙げたものとアルカイダの指導者の目的とは一部重なる部分があるかもしれないということまでは否定しない(アルカイダは平等を求める動きでもないし、アルカイダがパレスチナ国家の建設を支持しているという考えは狂気以外の何物でもないとは思われるが)。その重複は単なる偶然と政治的都合以上のものではない。異教徒、異端者、無神論者に対する聖戦とは左翼の政治ではない。だが異教徒、異端者、無神論者に対する聖戦という概念を想像することが出来る左翼は果たして一体どれぐらいいるだろうか?

(2)無力感と疎外感:左翼はアメリカでは(に対しては)何の力も持たない。そして我々の多くはそれがこれからも続くと考えている。アメリカの左翼の多くは内部の異星人のようなものだ。同じ市民であることを拒み、わずかの愛国的な感情も盲目的な愛国主義への降伏として見做される。それが9月11日のテロ攻撃に対してまたはその後の連帯感の表現に加わることに対して彼らがあれほどまでに複雑な感情的反応を示した理由だ。同じぐらいに重要なのは、それがテロ攻撃以降の彼らの議論があれほどまでに奇妙な理由だ。彼らの提案(国連に任せる、ビン・ラディンに対する証拠を集めるなどなど)はその有効性も事態の緊急性もまったく考慮せずに展開されているように思われる。彼らはまるで自分たちは同胞の命に対して責任があるということも想像できないのかようにふるまう。それは他人の仕事だ。左翼の仕事は…何?(それが何をしているのであれ)権威に反抗すること。これが良い方向に転んだのが市民の自由の擁護だ。だがこの擁護にですらある種の無責任さと有効性の欠如を示している。何故ならば、あまりにも多くの左翼がその国が直面している真の危機を認めることを拒否する一方で市民の自由の擁護に駆け込んだからだ。まるで安全と自由とのバランスを取る必要がまったくないかのように。恐らくは正しいバランスとは右翼的な専制主義と左翼的な絶対主義との衝突から自発的に生まれてくるのだろう。だが正しいバランスが存在するということ自体を左翼に認識させることは重要なことだろう。それは左翼に責任のある政治と権力を発揮する真の欲望とを与えるだろう、恐らくいつの日にかは。

だが左翼に真に特徴的なのはそのような欲望を捨て去ったことにより生じる苦汁だ。その疎外感は危険な水準にまで達している。そうでなければ、結局は自分たち自身がそこに住みその子供たち、またはその孫たちが住むであろう場所に、将来のテロ攻撃に対して国を守ろうという真剣な議論に参加したがらない人たちのことをどのように理解できるだろうか?そこには病理があり、それはすでに我々に大きな損害を与えている。

(3)アメリカを非難しないと精神の安定が保てないという病気:左翼の多くはアメリカを非難することは自身を非難しているようなものだと信じているように思われる。自分たちは帝国主義の責任を取っているのだと信じている。実際のところはと言うと、彼らがアメリカを非難している時、彼らは非難されるべきと信じられている(他の)アメリカ人から自分たちを隔離している。アメリカの行動と自分たちには何の関係もない。もちろんある意味においてはこれは正しい。ファシズムの打倒と共産主義の打倒は左翼がしたことでは決してない。左翼の何人かはそれが自分たちのおかげだと思っている。だがこれは相当な矛盾をはらんでいる(自分たちがファシストで共産主義者だというのに)。そしてこれは多くの左翼の自己イメージとは完全に食い違う。臆病で腐敗した不道徳的な大衆から隔離された勇敢で、判断力のある、正義のマイノリティ集団だという自己イメージだ。そのような自己イメージは倫理的に優れている左翼という妄想と政策的失敗をほとんど不可避的なものにしてしまう。

(4)他人を批判する権利がないという錯覚:世界で最も豊かで、最も強大で、最も恵まれた国であるアメリカに住んでいる人々が自分たちよりも貧しく、弱い人たちに対して批判的なことを言えようか?これはニュー・レフトが初めて「抑圧」という概念を発見した時の1960年代の主な議題だった。そして我々は抑圧者の側にいるとされ独裁政権、全体主義を批判することに繰り返し繰り返し失敗してきた。左翼の政治にはこれより深い考えは存在しない。弱者への連帯感は左翼の中で最も強いコミットメントであるように思われる。だがこの連帯感には彼らが間違った行動をしている、我々が共有している価値観を犯していると思った時には彼らに伝える用意が含まれている、または含まれていなければならない。抑圧者であっても義務がありその中に含まれるのは間違いなく罪のない人を殺害することではない。テロを起こすことでもない。それでもまだ反対する左翼は、我々より貧しく弱い人たちに対してであっても、政治も倫理も何か得体のしれない他のものの為に捨て去ってしまっている。彼らは品性の卑劣さという意味においてのみラディカルに過ぎない。それがサルトルのラディカリズムだった。そしてそれ以降それが何千人という人に模倣されていった。まともな左翼であれば非難するはずであろう行為(虐殺やテロなどを)を正当化したり擁護したりすることによって。

彼らは何をすべきか?私から簡単な提案がある。品性という規範を彼らが順守したとしてそれからどのような変化が起こるのかを見ることだ。では現在の品性の欠如の理由を上で挙げたリストから振り返ってみよう。

イデオロギー:間違いなく我々はあまりにも多くの左翼が取りつかれているマルクス主義よりもましなものを必要としている。マルクス主義が果たした役割といえば世界の政治を安っぽいメロドラマに堕落させただけに過ぎない。本当の悪人は全員善人かのように扱われて善人が悪人かのように扱われるという喜劇だ。唯物論的分析は素晴らしいものだろう、物質的利害が人間動機のすべてではないということを認めるまでに洗練されるのであれば。ヨーロッパの左翼のコソボ戦争に対する奇妙な理由探し(バルカン半島の石油?パイプラインを引くため?NATOの勢力を黒海まで拡大したいから?)はその当時の見世物としては面白かった。だがそれを繰り返すことは許されない。取り敢えず今出来ることといえば異なる考えに耳を傾けること、現実世界へ鋭い眼を向けること、唯物論的議論に倫理を加える道徳を加える用意をすること。この最後の点は重要だ。イスラム原理主義との対峙は我々が大事にすべきものは我々の価値観だということに気が付かせてくれた。非宗教的な啓蒙主義、人権、民主的な政府。左翼の政治はこの3つを擁護するところから出発しなければならない。

疎外と無力感:政治的責任とは自制、中庸、清潔さみたいなものというのが左翼に共通した考えだった。中産階級の価値観は急進的な政治や痛烈な社会批判とは相容れない。急進的であるためには過激でなくてはならない。(彼らにとっては)それは狂気の考えではない。さらに社会的に疎外された知識人は急進的なプロジェクトとそれを支える戦いへの渇望を他の誰よりも持っているかもしれない。だが彼らが物事を正しく行う保証はまったくない。そして彼らの怒りが増せば増すほど、彼らは何かと戦っているという自己イメージにますます酔いしれるようになり、間違ったことを行う可能性は急激に高くなっていくだろう。9月11日以降に必要だったのは、そして今でも必要なものは、私たちの仲間との関わり合いを持つことだった。私たちは望むだけ批判的であることが出来る。だがそれはあくまで運命を共有する仲間としてだ。私たちは彼らが私たちの安全に責任があるのと同じく彼らの安全に責任がある。そして私たちの政治にはその相互責任が反映されなければならない。彼らが攻撃されたときは私たちも攻撃されている。そして私たちはどのようにアメリカを守るのかという議論に積極的にしかも建設的に参加しなければならない。繰り返すが、私たちはいつも非力でありたいと思っているのではないかのように行動しなくてはならない。

アメリカを非難しないと気が済まないという病気:世界で起こった悪いことのほとんどは他の国の左翼に端を発している。アメリカは(それをすべて防げるほど)全能ではない。その指導者はその共謀者ではない。左翼は資源の分配に関しては理解を示すが、称賛と非難とのバランスに関してはまったくの手掛かりなしだ。分かりやすい例を挙げてみよう。20世紀に、アメリカは適切な戦争と非適切な戦争とを戦った。適切な介入と非適切な介入とを行った。この区別を行う我々の能力をテストしてみることは有益だろう。例えば、アメリカの介入は1954のグアテマラでは非適切だったが1999のコソボでは適切だった。どうして左翼はアメリカの力が世界に良い結果、悪い結果をもたらしたということを認めることが出来ないのか?それはともかくとしても、左翼はより公平な権力の分配を求めるべきか?原則としては、そうだろう。だがサダム・フセインのイラクのような例を見ると、政治的権力の世界的再分配を支持するべきだとはとても考えられない。

他のものは一切非難してはならないという病気:この世界(これには第三世界も含まれる)は何が起こっているのかに関して左翼が思考を停止させてしまうような憎しみ、残酷さ、腐敗で溢れかえっている。我々には特権が与えられているから内に閉じこもって自分たちへの非難に終始すべきだというのは間違いだ。それは政治的自己中心主義の形を取って表れる。我々には彼らが非難に値する時には他者を非難する権利が与えられている。実際、それを行った時にだけ(例えば、第三世界の全体主義を批判した時など)我々は真の同志を見つけることが出来る。民主主義に価値を見出すのであれば、それを守る用意をしなければならない。

私はかつてアメリカの左翼とは良い関係を保っていると述べたことがある。アメリカの左翼には名誉ある歴史がある。そして私たちは正しいことを幾つか行ってきたと思う。国内と世界の格差への反対など。だが9月11日以降の出来事が示唆することは私たちはそれほど大きくは前進していなかった、そしていつも正しい方向に向かっている訳ではなかったということだろう。左翼は再出発する必要がある。

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