Jeff Weintraub
ダルフールで2003年-2004年以降起こっていることは(そして今でもチャドの西部で起こっている)これまでのところで地球上で最大のイスラム教徒の大虐殺だ。アラブ世界、より大きなイスラム世界の政府と大衆の反応は無関心から虐殺側の体制への積極的な支援で圧倒的に占められている(ほんの僅かの例外もある。この状況に対して僅かのアラブ人が抗議している。リンク先は省略)。Adam LeBorが指摘しているようにこれは重大だ。とても重大だ。
「問題:イスラム教徒が信者の命を救う価値がないと述べる時とはどんな時か?答え:彼らが黒人のアフリカ人だった時」
「イスラム教では肌の色や民族に関わらずすべての教徒は対等に扱われると教えられている。Organisation of the Islamic Conference (OIC)の57の加盟国はそうではないと考えているようだ」
「2003年の対立の勃発以降、40万人以上が殺害、(虐殺による)病気または栄養失調が原因で亡くなり、2000万人以上が家を追われた。スンニ派のイスラム教徒が大虐殺の被害者だった。男は虐殺され、女性はレイプされ、村は焼かれ、子供たちは燃えさかる家の中に放り込まれた。虐殺者たちは彼らを奴隷として扱った。アラビア語でスレイブは「dirty black」を意味する。預言者の説教はダルフールには届かなかったようだ」
「OICはその報告書は「報告書ではない」と主張した。何故か?調査団がダルフールを訪れていないからだそうだ。何故彼らはダルフールを訪れなかったのか?スーダン政府が彼らにビザを発行しなかったからだ。OICとスーダン政府が同意したそれへの改善策とは新しい調査団を派遣すること、そのメンバーはスーダン政府によって承認される必要があること、状況が「改善している」と疑うことなく同意すること」
「よってダルフールの虐殺は続いた。スーダンの同盟国による振付に助けられて。アラブとイスラム世界のスーダン政府への支持は大虐殺を止めようとする国連の努力が弱められた最大の原因だ。安全保障委員会はダルフールでの虐殺を2004年の4月まで議論さえ出来なかった。危機が発生してから1年が経っている。「スーダン政府はアラブ諸国からの支援を最大に受けて安全保障委員会の議題から外れ続けることに非常に成功した」とダルフールの問題で活動している国連の職員は語った」
「どの決議が通過するか否決されるかは重要だ。ボスニア戦争の時に、イスラム諸国はセルビアに対して介入するように西側に圧力を掛け続けた。特にパキスタンとトルコはボスニアを強力に擁護していた。アメリカの国連大使だったMadeleine Albrightは西側がボスニアのイスラム教徒を見殺しにしていることによってアメリカへの不満が高まっていたと当時を振り返って語った。ボスニアに対するイスラム教徒たちの怒りがクリントン大統領とNATOが介入に踏み切った決定打だった」
「この危機の間中、国連の安全保障会議に参加していたイスラム諸国はダルフールに対する同様の決議には一貫して反対し続けた。スーダンに対して制裁を発動させるのではなく、人権監視委員会のメンバーは繰り返しイスラエルを非難した。スーダン政府は当然だがこれを虐殺の許可だと受け取った」
(以下省略)
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