JEFF WEINTRAUB
タカ派の政治的指導者と先週抗議の行進を行った人々との間では激しく言葉の応酬が交わされている。それぞれの意見の両極にいる人たちの考えの差は疑いもなく大きいだろう。このような対立はバグダッドの独裁者につかの間の安心を与えているだろう。だが彼がどれだけ安心していられるかを疑うに足る理由が存在する。より詳細に見ていけば、人々の意見の差はそれほど大きくないように思われる。
まずは政府の方から見ていこう。国連の安全保障理事会の5つの常任理事国はすべて国連決議1441に署名した。この決議はサダム・フセインに査察の受け入れと大量破壊兵器の破棄を求めるものだ(それを拒否すれば武力行使が行われることになる)。その結果として、イギリス、アメリカとフランス、ロシア、中国との違いはそれに従うまでにイラクにどれぐらいの時間を与えるべきかだけになった。そのタイミングにおいても、現在の違いは2週間かそこらのように思われる。アメリカは2月28日と主張している。その日は次の安保理のHans Blixによる報告書が「鍵となる日」として提出される日だ。フランスは3月14日を望んでいるようだ。
抗議者たちはブッシュ大統領やブレア首相と本当に意見がかけ離れているのか?表面的にはそのように見える。だが実質的には違う。抗議者たちは犠牲者が出ることには反対している。だが多くはイラクの独裁者に対しても反対している。多くのヨーロッパの国で、世論調査の結果はもし国連によって承認されているのであれば大多数は戦いを受け入れるということをはっきりと示している。抗議者たちの多くはサダム・フセインに大量破壊兵器を破棄することを要求している。それどころか、彼らはイギリスやアメリカの政府よりも声高に「レジーム・チェンジ」を要求している。このことはこの抗議者たちを1960年代や1970年代に北ベトナムとその指導者ホー・チ・ミンに対して連帯感を示したベトナム戦争に対する抗議活動とは非常に異なるものにしている。
サダム・フセインが脅威であるということに(周辺のアラブ諸国やイラン人と同様に)賛成するのであれば、まず考えられる選択肢は経済制裁だっただろう。1991年に、アメリカが主導した多国籍軍がサダムをクウェートから追い出した時に、イラクへの完全な進軍よりも停戦合意の方が望ましいとされた。停戦合意は1年以内に大量破壊兵器プログラムを破棄すること、それは経済制裁によって担保されることが求められた。封じ込め体制は後にクルド人を守るための2つの「飛行禁止区域」の設置によって強化された。査察団は1998年まではサダムが停戦合意を順守しているか監視を試みていた。その後、査察団はイラクから追い出されることになった。
12年間の間に封じ込めが達成したものは何か?査察団は大量破壊兵器プログラムを発見した。一方で、この見せ掛けの平和は極めて破滅的だった。「飛行禁止区域」を守るために、そしてサダムの再軍備を阻止するためにかなりの数の爆弾が投下された。(サダムによる自己)経済制裁はもっと破壊的だった。ユニセフによると、経済制裁による5歳以下の児童の毎月の超過の死亡は5000人に相当した。その数字はイラク政府の情報に頼っているので誇張されている可能性が高い。だが真実はその半分の数字だったとしても12年間の制裁で36万人の児童が死亡したことになる。そしてこれにはサダムの政治的収容者、拷問の被害者、彼が政権に就いて以降殺害されてきた数十万のイラク人が含まれていない。
エコノミスト誌が指摘しているように、制裁は独裁者にはダメージを与えなかった。フセインは虐殺とブラックマーケットからの収入、石油の権利などから権力を掌握し続けた。1990年代の査察は彼の大量破壊兵器使用への野心を確認するのに十分だった。圧倒的な可能性で(今週のタイム誌のフランスの大統領ジャック・シラクに対するインタビューで確認されている)サダムは未だに大量破壊兵器を保有している。従って、何かを変えなければならない。経済制裁と空爆は効果がほとんど望めない。だがフセインを封じ込め無力化する必要がある。
最後が国連を通してアメリカが模索している選択肢だ。エコノミスト誌はそれが利用可能なものの中で最も悪くない選択肢だと今でも考えている。過去12年間の失敗だった政策を継続するよりは遥かにましな選択肢だ。もしフセインが武装解除に応じなければ、武力行使でもって彼を政権の座から退かせるのは正しい選択肢となるだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿