2016年5月5日木曜日

An Iraqi in Israel (Najem Wali)

Jeff Weintraub

Drink-Soaked Trotskyite Popinjays for Warというグループブログの記事を今日は紹介する。

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2007年に初めてイスラエルに旅行した時に、何故アラブ諸国は自国民がイスラエルに旅行しに行くことをあれほどまでに嫌がるのだろうかということが私にはようやく理解できた。彼らは旅行者が比較をするかもしれないということを恐れているのだ。例えば、イスラエルの市民権と自国の市民権との比較などを。旅行者は、突然に不正義や裏切りに気が付いてしまうかもしれない。アラブ諸国が「占領されたパレスチナ」の名の下に延々と言い逃れしてきた不正義や裏切りに。

Najem Waliはアラブ人の平和と開放を願っている。エジプト人作家Naguib Mahfouzが1978にイスラエル人のSasson Somekhへと宛てた手紙の中で書かれていた夢の実現の一環として。

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亡命イラク人であるNajem Waliによるこの記事はパレスチナに住んでいる人々に対する同情心や連帯心に対して反対の意を表明している訳ではないということをはっきりさせておく必要がある。だが彼は聴いている人たちに対して、まるで当然のことかのように広く信じられている馬鹿げた考え、イスラエルと「シオニズム」がパレスチナの問題だけではなくアラブ世界全体の問題に対して責任があるという荒唐無稽な考えに正面から向き合うことを求めている(もし私が嘘をついていると思う人がいるのであれば、手始めにこのリンク先を読むことを勧める)。以下の文章は、彼の主張の一部だ。

「だが子供の私にでさえもアラブ人のレトリックにはあまりにも整合性がないことは理解できた。政府が私たちに信じさせたがっているように、この「全能の」国は一体どうやって「アラブ世界全体を貧困の淵にまで貶める」ことにこれほどまでにうまく成功しているのか?そして同時に、アラブ人たちはその「全能の国」であるはずの「シオニストの小国家」が「地図から消滅する」ことは必然であるとどうして自信満々に言っているのか?私にはこの疑問に対する説得的な回答を見つけることができなかった」

「経済成長がもう何十年も欠如していることや、教育の崩壊、イスラム原理主義的イデオロギーの蔓延はすべて民主主義の欠如と王族の腐敗に結びついている。イスラエルとは何の関係もない。アラブ世界には経済を再生させるための資源は大量にあるはずであり人的資源も存在する。だが我々が目にしているものは一体なんだ?個人の自由を阻む政治的障害が中間所得層に害を与えている。汚職と縁故主義が教育を受けた人を国外へと逃亡させている。イスラエルはこれと何の関係があるというのか?」

「何故我々の指導者たちはこの事実を恐れるのか?彼らは、自国民がアラブ社会の惨状とアラブ-イスラエル間の対立とにほとんど何の関係もないことに気づいてしまうことを恐れている。イスラエルとの和平はアラブの指導者たちが生み出してきたこの狂気じみた幻想に終止符を打ってしまうだろう。これが、イスラエルが非難されている問題の根本原因だ」。

この責任のすべてをアラブ世界の指導者たちやプロパガンダ体制だけに負わせるのは単純化しすぎているかもしれない。この問題はもっと深く、広範で、根の深いものだ。だが彼の指摘している基本的な主張点は正しく重要だ。彼の記事は下に掲載しておく。

A journey into the heart of the enemy

イスラエルで生まれた子供やアラブ世界に生まれた子供は、アラブとイスラエルの対立の歴史を教え込まれる。イスラエルの建国以降、イスラエルはアラブ国家のNo.1の敵国となった。

だが子供の私にでさえもアラブ人のレトリックにあまりにも整合性がないことは理解できた。政府が私たちに信じさせたがっているように、この「全能の」国は一体どうやって「アラブ世界全体を貧困の淵にまで貶める」ことにこれほどまでにうまく成功しているのか?そして同時に、アラブ人たちはその「全能の国」であるはずの「シオニストの小国家」が「地図から消滅する」ことは必然であるとどうして自信満々に言っているのか?私にはこの疑問に対する説得的な回答を見つけることができなかった。それだけではなく「Jew question」と「Palestine question」との間の関係も、ホロコーストの被害者とイスラエルの建国の被害者と云われるものの間の関係もまったく見つけることができなかった。

何故我々の指導者たちはこの事実を恐れるのか?彼らは、自国民がアラブ社会の惨状とアラブ-イスラエル間の対立とにほとんど何の関係もないことに気づいてしまうことを恐れている。イスラエルとの和平はアラブの指導者たちが生み出してきたこの狂気じみた幻想に終止符を打ってしまうだろう。これが、イスラエルが非難されている問題の根本原因だ。

経済成長がもう何十年も欠如していることや、教育の崩壊、イスラム原理主義的イデオロギーの蔓延はすべて民主主義の欠如と王族の腐敗に結びついている。イスラエルとは何の関係もない。アラブ世界には経済を再生させるための資源は大量にあるはずであり人的資源も存在する。だが我々が目にしているものは一体なんだ?個人の自由を阻む政治的障害が中間所得層に害を与えている。汚職と縁故主義が教育を受けた人を国外へと逃亡させている。イスラエルはこれと何の関係があるというのか?

その間にイスラエルは、アラブ諸国と同じ争乱に巻き込まれたはずのイスラエルは、近代社会を作り上げていったのだった。確かに、イスラエルには軍国主義がある。入植地政策は修正されなければならない。だがこの問題はイスラエルの知識人たちの手に委ねようと思う。彼らは和平のために戦わなければならない。幾人かのアラブの知識人たちが始めているように。

2007年に初めてイスラエルに旅行した時に、何故アラブ諸国は自国民がイスラエルに旅行しに行くことをあれほどまでに嫌がるのだろうかということが私にはようやく理解できた。彼らは旅行者が比較をするかもしれないということを恐れているのだ。例えば、イスラエルの市民権と自国の市民権との比較などを。旅行者は「Arabs of '48」に出会うかもしれない。ガザやヨルダン川西岸のパレスチナ人とは異なりアラブ諸国が仕掛けてきた戦争に際して逃亡せずにイスラエルに残った人々などのことだ。旅行者はそれらのパレスチナ人に他のイスラエル市民と基本的に同じ権利が与えられていることに気が付いてしまうだろう。投獄の恐れなく自分たちの考えを述べることが許されていることに気が付いてしまうだろう。旅行者はパレスチナ人に投票の権利が与えられていて自分たちの政党すら持っているということに気が付いてしまうだろう。旅行者がこれらの人々と自分たちとの状況を比較した時に、またはアラブ諸国に住むパレスチナ人との状況を比較した時に、旅行者は、突然に不正義や裏切りに気が付いてしまうかもしれない。アラブ諸国が「占領されたパレスチナ」の名の下に延々と言い逃れしてきた不正義や裏切りに。

イスラエルは戦争のプレッシャーの下でも民主主義を捨て去ったりはしていない。だがアラブ諸国の市民はというとアラブの指導者たちにとっては何の価値もない。

私は両方の側の人々が脅しや脅迫を拒絶することを望む。イスラエルの建国から60年経った今、私はMahfouzのビジョンを信じたいと思う。

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