Scot Sumner
Salonは2月のギリシャ政府との合意をギリシャの勝利だと報じている。
「ギリシャの左翼政権が債権者との新たな合意に達した1週間後、Paul Krugmanはこの合意に対する左翼側の批判は誤りに基づいたものだと主張している。実はギリシャ側が勝利した内容だと議論している」。
「アルゼンチンに滞在していたMatt Yglesiasは1ペソを1ドルと等価に保つ政策からの離脱以降の同国の回復から得られる教訓と題した記事を書いた」
「ここでは他のものを付け加えたいと思う。アルゼンチンに関する報道は基本的な事実を正しく理解するのに、通説と呼ばれているものがどれ程有害な効果を与えているのかを示す好例となっている。我々は頻繁にアイルランドが不況から回復したという話を聞かされる。実際には回復など存在しないというのに。彼らの論理はこうだ。アイルランドは回復しているはずだ。何故ならばアイルランドは正しいことを行っている。よってそれを報道するだけでよい」
「その逆に、アルゼンチンに関する記事はほとんど悲観一色だ。彼らの論理はこうだ。アルゼンチンは無責任だ。アルゼンチンは幾つかの産業を再び国有化している。ポピュリズムを極端なまでに扇動している。よってアルゼンチンの経済は非常に悪いに違いない」。
「明らかなことに、ブラジル経済は非常に好調だと私は考える。そして経済政策に関するリーダーシップも適切だ。だがどうしてブラジルは印象的な「BRIC」だと評価されてアルゼンチンはいつも軽んじられるのか?実際には我々はその理由を知っている。だがそのようなことは経済のレポートの中には記述されないだろう」。
どうしてアルゼンチンが軽んじられているかだって?それは恐らく我々の中にはケインズ派のようには需要に取りつかれていない人間がいるからだろう。我々はアルゼンチンに大きな問題が迫っているのを知っている。ところで、この惨状を生み出した(頭の弱い人間だけがヘッジファンドに債務の返還を求められたせいだと思っている)アルゼンチンの大統領は2010年に死去して、彼の妻にこの惨状が引き継がれた。ブラジルも彼が褒め称えて以降、非常に危険な状態に陥っている。そして以下のリンク先の経済予測は2015年のブラジル経済の見通しを「恐怖だ」と呼んでいる。需要を刺激することによってこの状況が改善されるわけでもない。ブラジルとアルゼンチンはすでに高率のインフレに襲われている。
「多くのラテンアメリカ諸国は今年も成長率の二分化に直面するだろう。端的に表現すると、2つの海洋で区分できるということが出来る。大西洋側でありラテンアメリカで最大の大きさを誇るアルゼンチン、ブラジル、ベネズエラは0.2%、0.9%、5.5%経済が縮小するだろう。それがLatinFocus Consensus Forecastsのパネリストたちの予想だ(アルゼンチンはインフレ率を大きくごまかしているので実際のアルゼンチンの不況はもっと凄まじい可能性がある)。その一方でチリ、コロンビア、メキシコ、ペルーは2.9%、3.4%、2.9%、3.5%経済が拡大するだろうと予想されている」。
だがイデオロギーにとらわれていない人には強力に見える上記のような証拠も何の意味も持たない。共和党のサプライサイド側のアプローチを採用したラテンアメリカの太平洋側の国々の方が良い結果を残すことなど天地がひっくり返ってもあり得ないと散々非難されてきたのではなかったのか?もちろんKrugmanはチリの自由経済の成功と云われているものは単に「シカゴボーイズによるファンタジー」だと主張した。
1980: 5.38 (48)
1990: 6.78 (27)
2000: 7.41 (33)
2010: 7.94 (7)
「ファンタジー」があるとすれば、チリが1970年代の後半以降自由主義政策から転向したという考えだろう。
恐らくブラジルは貧困が著しい北東部の沿岸地域にPaul Romerが提案しているようなチャーターシティを建設してみても良かっただろう。フリードマンが軍事独裁的なピノチェト体制にアドバイスしていたのと同じ頃にフリードマンからアドバイスを受けた他の国がフリー・トレード・ゾーンを採用したことを知っているだろう。この体制はピノチェトよりも遥かに暴力的であったにも関わらず、このアドバイスに対して奇妙なことにフリードマンは左翼からまったく批判を受けなかった。恐らくこの体制が数千万人を虐殺している時に、あまりにも多くの左翼の著名な知識人がこの体制を何十年にも渡って称賛し続けていたという事実を隠しておきたいからだろう。どこの国か分かるだろうか?ヒント、アルファベット順でチリのすぐ後にある(中国の改革開放政策はフリードマンのアドバイスに影響を受けたことが知られている)。その国の最大のフリー・トレード・ゾーンの大通りは1981年ではこのような状態だったのが現在ではこのようになっている。
以下、寄せられたコメント。
Patrick R. Sullivan
「実は彼らにとって都合の悪いことがある。ピノチェトの経済政策は伝えられているよりも遥かに曖昧だ。だが現在ではシカゴボーイズが登場して、自由化を行い、チリに好況がもたらされたと語られるようになっている」。
このような馬鹿げた主張はとっくに反証されている。James Rolph Edwardsの「Painful Birth: How Chile Became a Free and Prosperous Society」という本にはチリの内情が事細かに記されている。
これは私のレビューだが、
『チリの小説家Alberto Fuguetがインタビューで答えているように、チリの「隠しておきたい秘密」とは、ピノチェトがチリを「カストロ流のマルキスト国家に変えようと試みていた以前の統治者たちからの贈り物のようなものだったということだ。違いは、以前の統治者たちがチリを変えたというのではなく、彼が変えたというところだ」。Fuguetによると、彼はチリを「近代的で、開放的で、自由な社会に変えた」。それが彼の意図であろうとなかろうと、彼が制度化した経済政策(見えざる手)によってそうするように導かれたのだろう。
『「James Rolph Edwards」のこの短い本はそれらの経済政策が実際にはどのようなものであったかを説明している。モンタナ州立大学の経済学者である彼は非常に簡潔に、だが専門用語はほとんど用いることなくこの本を書き終えている。読者は、アレンデが敷いた価格コントロールの廃止がチリの店頭に再び物を並ばせるようになったことを知るだろう。国有化された産業の民営化が経済に正しいインセンティブ構造を回復させたことを知るだろう。政府支出の削減が中央銀行からマネタイゼーションの必要性を奪ったことを知るだろう。他にも政府による様々な経済の阻害要因があったことが記されている。これはとても誠実さに溢れた本だ」。
Patrick R. Sullivan
「チリは1970年代に大規模な経済危機に襲われた。それは部分的にはアレンデ政権が原因だった」。
ヒラリー・クリントンが選挙戦を戦っている現在、一時的にホンジュラスの指導者となったRoberto Michelettiが振り返った2009年の危機の回顧録が思い起こされる。ヒラリーは彼に特使を送っていた(Dan Restrepo)。
http://panampost.com/elena-toledo/2015/05/04/ex-president-micheletti-honduras-hellbent-on-repeating-2009-crisis/
———-quote——–
ヒラリーはZelayaに権力を渡すように私に言ってきた。だが幸運なことにAlejandro Peña Esclusaと呼ばれるベネズエラ人が私にこのように語ってきた。「大統領、あなたはZelayaに権力を渡してはなりません。何故ならばそのアメリカ人は以前にも我々を欺いたことがあるのです。彼女は我々にチャベスに権力を再び戻すべきだと言いました。そしてどのようになるのかを見ようではないかと」。そのアメリカ人が私にそのように言ってくる時にはいつでもこのことが思い出される。
彼女のアドバイスを聞き入れれば数百万人のホンジュラス人が苦境に立たされることになるだろうと私は信じている。そのアメリカ人は(国内の)左翼にこびへつらうためにチャベスのご機嫌伺いをしている。だが我々は、この21世紀の社会主義の茶番劇を主導したベネズエラが現在どれ程悲惨なことになってしまっているのかをとっくの昔に見てしまっている。本来であればアメリカ大陸で最も豊かになっていてもおかしくない程の石油埋蔵量を誇る(サウジの埋蔵量を上回ると云われている)ベネズエラの国民が貧困層、富裕層共に食べる物にも苦慮しているのだから。
メキシコとホンジュラスを除いて、ベネズエラ、エクアドル、ボリビア、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ニカラグア、エルサルバドル、これらはすべて左翼政権であることを覚えておく必要がある(左翼がこれらの国々を称賛して皆がこれに倣うべきだと扇動していたがこれらの国々が悲惨なことになるとさっさと逃げ出して知らない振りを始めたのは言うまでもない)。チャベスの計画は50万人の中央アメリカ票を用いてメキシコの左翼指導者Manuel López Obradorを当選させることにあった。だが彼の計画がホンジュラスで失敗した今ではそれを実行することは出来ないだろう。
———endquote——-
Patrick R. Sullivan
「不人気な改革が危機の時に実行されれば改革の印象が悪くなるだろう。ピノチェトのチリはその好例だ」。
間違いだ。ピノチェトはアレンデに対する軍事クーデター時には大変に人気だった。チリの最高裁はアレンデの行動は憲法違反だという判決を下した。チリの国民投票では81対47でアレンデの退陣が支持されていた。
0 件のコメント:
コメントを投稿