Jeff Weintraub
Norman Gerasは重要であまり知られていないフランス人の手による本「Le Livre Noir de Saddam Hussein (The Black Book of Saddam Hussein)」に関するGerard Alexanderの知見溢れるコメントを引用している。2003年のイラク攻撃が良い考えだったと思うかそうでないと思うかに関わりなく、イラクのバース党が行ってきたことは、それを避けようとすることは単に不誠実の誹りを免れない倫理的、政治的問題を浮かび上がらせる。だが戦争の反対者のほとんどは、この歴史を全力で無視する、言い訳をする、避ける、歪めるといった行為に終始している。
この本の編集者、フランスのベテランのジャーナリストChris Kutscheraは「イラク攻撃はサダム・フセインの独裁を終わらせるのに理想的な方法ではなかったかもしれない」とする一方で、代わりとなる方法は存在しなかったと結論している。体制の転覆は恐ろしく抑圧された社会の内側からは最早不可能となっていたからだ。従って:イラクへの進軍がない、サダム・フセインが恒久化するとなる。そして実はその結果こそが、中東、ヨーロッパ、アメリカのジャーナリスト、アカデミック、活動家たちが最も耐えることが出来ないものだった。
この約36の章からなる長大なボリュームの本にはイラクのバース党の誕生の歴史、サダム・フセインの秘密警察の活動、カルト的な彼の性格、イランとクウェートに対する残忍な戦争、彼に兵器と外交的支援を与えた国際的勢力のことが記されている。その記録はサダムの四半世紀に渡る権力の軌跡がほぼ全方面に向けられた中断されることのまったくない惨劇の歴史であったことを示している。
だがこの本は議論に新たな貢献も加えている。ある章ではサダムを国際的に支援した勢力(特にロシアとフランス)のことが記されている。これはサダムの支援者はドナルド・ラムズフェルドだと考えているリベラル派のコメンテーターを黙らせるのに十分だろう。他にもアラブ諸国や知識人たちがサダムを支援した様子が記述されている。他の部分ではサダムの政策が現在のイラクの政治を難しくしている民族的対立をどのように煽り立ててきたのかも記述されている。
サダム・フセインの黒本がフランスの大手新聞から無視され続けてきたのは偶然ではない。
これこそがこの黒本が持つ真の価値だ。これらはほとんどのニュースメディアや大学の授業が教えたくないことの詳細を提供してくれる。その手の人たちが忘れたがっている情報を記憶してくれる。そしてその手の人たちが流したがっている物語とはまったく異なる話を伝えてくれている。
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Those who might be forgotten
先週、私はサダムの黒本に関するRebecca Weisserの記事から一部を引用した。他にもGerard Alexanderの記事がある。本の紹介を少しした後に、彼はどうしてそのような「よく知られた」話を集めた本が必要とされなければならないのかを考察している。
「このパターンはとても単純なものだ。植民地主義やベトナム戦争は会話の中で繰り返されそれらが記憶の中で家具のような存在になるまでは語られ続ける。他の出来事となると扱いはまったく異なる。それらの出来事は記憶の空洞の中に沈み込められる。ある一定以上の年齢の人であればイディ・アミン大統領の方が遥かに極悪であったことを覚えているかもしれない。だがアフリカの独裁者の悪の象徴として一躍有名になったのはアメリカの同盟相手と間違われたジョセフ・モブツの方だった。
それ以上に、非西洋によって行われた犯罪が西洋のせいとして非難された。少し挙げるだけでも、以下のような事例が挙げられる:アメリカがサダムに大量破壊兵器を提供した、パレスチナ人はイスラエルの暴力性を真似ているだけだ、Khmer Rougeはアメリカの空爆に怒って行動している、ルワンダのフツ族に部族主義と殺人を教えたのはベルギーの植民地主義だ、CIAがオサマ・ビン・ラディンを作ったなどなど(ちなみに、これらはすべて嘘だ)。
ここに見られる特徴とは西洋以外に対する期待の低さというよりもそもそも期待というものが始めから存在していないことだ。これは西洋だけが道徳性を持つということを示唆している。人に悪を行う能力があることを否定することは人に善を行う能力があることも否定するのに等しい。
その結果、教育を受けた多くの人がすでに知っている話(植民地主義など)には反応するがよく知られていない問題には無視を決め込むという悪循環が生まれる。この中でも最も悪名高いものが、世界の知識人やジャーナリストは社会主義による虐殺の存在こそ表立って否定はしていないがその詳細に関してほとんど何も知ろうとはせず自分たちからは決して口に出さないことだろう。
(以下省略)
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