2016年5月5日木曜日

世界三大聖人のように讃えられているサダム・フセインは狂気の殺人鬼だった?

Mass murder, political atrocity, & the failures of western moral imagination - "The Black Book of Saddam Hussein" (Gerard Alexander)

Jeff Weintraub

Norman Gerasは重要であまり知られていないフランス人の手による本「Le Livre Noir de Saddam Hussein (The Black Book of Saddam Hussein)」に関するGerard Alexanderの知見溢れるコメントを引用している。2003年のイラク攻撃が良い考えだったと思うかそうでないと思うかに関わりなく、イラクのバース党が行ってきたことは、それを避けようとすることは単に不誠実の誹りを免れない倫理的、政治的問題を浮かび上がらせる。だが戦争の反対者のほとんどは、この歴史を全力で無視する、言い訳をする、避ける、歪めるといった行為に終始している。

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この本の編集者、フランスのベテランのジャーナリストChris Kutscheraは「イラク攻撃はサダム・フセインの独裁を終わらせるのに理想的な方法ではなかったかもしれない」とする一方で、代わりとなる方法は存在しなかったと結論している。体制の転覆は恐ろしく抑圧された社会の内側からは最早不可能となっていたからだ。従って:イラクへの進軍がない、サダム・フセインが恒久化するとなる。そして実はその結果こそが、中東、ヨーロッパ、アメリカのジャーナリスト、アカデミック、活動家たちが最も耐えることが出来ないものだった。

この約36の章からなる長大なボリュームの本にはイラクのバース党の誕生の歴史、サダム・フセインの秘密警察の活動、カルト的な彼の性格、イランとクウェートに対する残忍な戦争、彼に兵器と外交的支援を与えた国際的勢力のことが記されている。その記録はサダムの四半世紀に渡る権力の軌跡がほぼ全方面に向けられた中断されることのまったくない惨劇の歴史であったことを示している。

イラクの大統領になるとすぐに、彼はバース党内外の彼に対する反対者を残らず虐殺した。その後も批判者や敵対勢力に対して拷問、暗殺、(レイプ部屋、囚人拷問所、処刑などを含む)恐怖政治が続けられた。スンニ派も例外ではなかったが、主な被害者はイラン人、クウェート人、イラクのクルド人、シーア派だった。

1980年に、サダムは不必要で流血にまみれたイランとイラクのシーア派に向けた戦争を開始する。その戦争の雲行きが悪くなると、サダムはその忠誠心がどこに向かっているのか疑問だったクルド人に矛先を向けた。1988年の「アンファール」の虐殺では、10万人以上のクルド人が殺害され(毒ガスによる殺害も含まれる)それよりも遥かに多い数の人々がイラクの荒れ果てた土地に強制的に移住させられた。

もちろん、これほどのサイズの本であろうとも記述されていないことが存在する。例えば、最初の湾岸戦争から2003年の出来事は散発的にしか記述されていない。サダム体制が暴虐を繰り返しイラク人を困窮の淵に陥れていた時期のことだ。

だがこの本は議論に新たな貢献も加えている。ある章ではサダムを国際的に支援した勢力(特にロシアとフランス)のことが記されている。これはサダムの支援者はドナルド・ラムズフェルドだと考えているリベラル派のコメンテーターを黙らせるのに十分だろう。他にもアラブ諸国や知識人たちがサダムを支援した様子が記述されている。他の部分ではサダムの政策が現在のイラクの政治を難しくしている民族的対立をどのように煽り立ててきたのかも記述されている。

それにもまして、この本は奇妙な事実を浮かび上がらせる。ジャーナリストや他の筆者たちはサダムと彼の体制をすでに何度も取材していたはずだ。この本がマルシュ派のアラブ人への虐殺と1991年のシーア派の反乱への徹底弾圧に関して最も良い議論を提供しているということは事実だ。だが大まかな話としては、これらのことはすでによく知られていたはずだ。そしてこれらの多くはイラクの法廷で掘り返されている。これは過去に報道された内容と同じでもある。サダムの黒本を生み出す必要はまったくなかったように思われる。それにも関わらず、この本の筆者たちの口調は緊迫感と怒りに満ちている。

どうしてか?この本の編集者は一つの答えを提示している。事実、ほとんどの人はサダムの犯罪の規模をまったく知らないしその詳細に関してもまったく把握していないのだ。恐らくより重要なことに、この本の編集者と筆者たちは事件が人々の倫理的な想像力の世界から一度押し出されてしまえば、どのような犯罪であってももはや倫理的な問題とは見做されなくなる世界に自分たちが住んでいるということを知っているからだろう。彼らは一度ホロコーストのことが言及されてしまえば大量虐殺に関する倫理的死角がいとも容易く生まれてしまう世界に住んでいるということを知っている。

イラクも例外ではない。知識人の想像の中には「Iraq Body Count」のようなサイトはすぐに頭の中に入ってくるようだ(僅か1か月足らずで終了したイラク攻撃によって百万人が死亡したというネトウヨも真っ青の嘘サイト)。だがそのサイトを開いた市民活動家はサダム・フセインによって殺害されたまたは集団墓地から発掘された遺体は一人たりとも数えることはない。さらにそれらの墓地を調べているサイト「afhr.org」や「massgraves.info」の存在すら把握していない。

同様に、ハーバードのケネディ・スクールやカリフォルニア大学サンタ・クルツ校、フロリダ州立大学などがアメリカ軍の兵士が虐待を働いたとされる場所としてアブ・グレイブを議論するコースをすでに提供しているが、実はそのアブ・グレイブこそがサダムの秘密警察が数千人、数万人を拷問して殺害した場所だということは教えない。

サダム・フセインの黒本がフランスの大手新聞から無視され続けてきたのは偶然ではない。

これこそがこの黒本が持つ真の価値だ。これらはほとんどのニュースメディアや大学の授業が教えたくないことの詳細を提供してくれる。その手の人たちが忘れたがっている情報を記憶してくれる。そしてその手の人たちが流したがっている物語とはまったく異なる話を伝えてくれている。

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Those who might be forgotten

先週、私はサダムの黒本に関するRebecca Weisserの記事から一部を引用した。他にもGerard Alexanderの記事がある。本の紹介を少しした後に、彼はどうしてそのような「よく知られた」話を集めた本が必要とされなければならないのかを考察している。

「このパターンはとても単純なものだ。植民地主義やベトナム戦争は会話の中で繰り返されそれらが記憶の中で家具のような存在になるまでは語られ続ける。他の出来事となると扱いはまったく異なる。それらの出来事は記憶の空洞の中に沈み込められる。ある一定以上の年齢の人であればイディ・アミン大統領の方が遥かに極悪であったことを覚えているかもしれない。だがアフリカの独裁者の悪の象徴として一躍有名になったのはアメリカの同盟相手と間違われたジョセフ・モブツの方だった。

それ以上に、非西洋によって行われた犯罪が西洋のせいとして非難された。少し挙げるだけでも、以下のような事例が挙げられる:アメリカがサダムに大量破壊兵器を提供した、パレスチナ人はイスラエルの暴力性を真似ているだけだ、Khmer Rougeはアメリカの空爆に怒って行動している、ルワンダのフツ族に部族主義と殺人を教えたのはベルギーの植民地主義だ、CIAがオサマ・ビン・ラディンを作ったなどなど(ちなみに、これらはすべて嘘だ)。

ここに見られる特徴とは西洋以外に対する期待の低さというよりもそもそも期待というものが始めから存在していないことだ。これは西洋だけが道徳性を持つということを示唆している。人に悪を行う能力があることを否定することは人に善を行う能力があることも否定するのに等しい。

その結果、教育を受けた多くの人がすでに知っている話(植民地主義など)には反応するがよく知られていない問題には無視を決め込むという悪循環が生まれる。この中でも最も悪名高いものが、世界の知識人やジャーナリストは社会主義による虐殺の存在こそ表立って否定はしていないがその詳細に関してほとんど何も知ろうとはせず自分たちからは決して口に出さないことだろう。

スターリンの恐怖政治やウクライナの大飢饉は言うに及ばないが、最近のものでも事情は変わらないだろう。ソビエトのアフガン侵攻によって100万人が殺害されていることを、あなたが最後に見た、読んだ、誰かが議論しているのを聞いたのはいつだっただろうか?その時代を生きていた人であっても覚えている人は少ないかもしれない。そして若い人は恐らく一度も聞いたことがないだろう。そのような忘却がAlexander Solzhenitsynが出版して以降、もう何年も経っているにも関わらず共産主義の黒本が未だに必要とされている理由だ。

(以下省略)

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