Jeff Weintraub
これは極めて重要な記事で、全体を非常に注意深く読むことを強く推奨する。
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The Great Terror
クルディスタンへの旅行の間に、私はサダムの虐殺の被害者数百人以上と話をした。サダムは権力を握って以降クルド人を殺害し続けてきた。夫がサダムの護衛部隊によって殺害された何人もの老婆は彼に対する動物的な憎悪を剥き出しにしていた。だがNasreenのように多くの人々は恐ろしいまでに残酷な話を冷静に正確に語ろうと努めていた。信頼性はクルド人にとって重要だ。これほどの事態になった今でも、彼らは未だに国際社会は自分たちの話を信じないだろうと感じているからだ。
200以上の町や村への攻撃でさえも全体の一部でしかなかった。クルド人たちは20万人以上が殺害されたと訴えている。クルド人への攻撃はサダムによってal-Anfalと呼ばれた。イスラムの軍に征服した敵から戦利品を奪うことを認めるコーランの一節から取られている。
アンファルの軍事作戦はそれ自体が最終目的ではなく(ホロコーストのように)最終的な目的のための手段だった。ハーバードでCarr Center for Human Rightsを運営しているSamantha Powerはこれを「instrumental genocide」と呼んでいる。彼女は「地獄からの問題」という研究を出版したばかりだった。これはジェノサイドに対するアメリカが取るべき反応を研究したものだ。「特定の人種を根絶やしにしようとする体制が存在する」と語った。「サダムは最後のクルド人までを根絶やしにすることなく目的を達成した」。彼がやらなければならなかったこととは、彼女や他の人が言うところでは、クルドの精神を破壊し独立への望みは愚かしいものだと刷り込ませることだった。アンファルで殺害されたクルド人の多くは毒ガスによって殺されたのではなかった。ジェノサイドは大部分が伝統的な方法で行われた。アンファルの被害者の遺体のほとんど(大部分が男性と少年だった)は未だに見つかっていない。
イランとの戦争が終了した9月に、サダムはクルド人に対して恩赦を発令した。サダムによってテヘランの側についたという容疑を掛けられた人々だった。Nugra Salmanの女性、子供、老人が釈放された。だが彼らのほとんどは家に帰ることができなかった。イラク軍が4000もの村をブルドーザーで破壊したためだ。Babanはそのうちの一人だった。彼女はChamchamalに移り住むことになった。
解放された後に、彼女は夫と3人の子供の行方を探そうと試みた。だがアンファルで行方を絶った男性は誰一人として見つかることはなかった。彼らは殺害されクウェート国境付近の砂漠地帯の集団墓地に埋められたといわれている。だが分かっていることは少ししかない。膨大な数のアンファルの未亡人は未だに息子と夫がサダムの牢獄に捕らえられていると信じている。
クルド人は世界の関心のなさにもう慣れてしまったようだ。「世界が関心を持たないことに少しも驚かなくなりました」とBarham Salihは語った。彼はPatriotic Unionによって管理されるクルディスタン地域の首相を務めていて、彼がそのように話すのは私もまた驚いた様子を見せるのを止めた方が良いと仄めかすためだった。「悲劇の大きさを思えば、国際社会が支援してくれないことに驚くべきなのかもしれません」と彼は続けた。「助けがないことは政治的に品のない行為です。ですがクルド人として私はこの地で民とともに暮らしていかなければなりません」。彼の家は首相が住んでいるようなところには思われない。だが西側の家具や調度品がいくつかあった。彼の家には衛星テレビと衛星電話があった。家の内部は恐ろしく寒かったが。石油が豊富に存在するにも関わらず、フセインによって頻繁に電力を落とされているクルド人たちは自家用発電機と灯油で生き延びている。ある晩の晩餐での出来事だ。彼はクルド人は同情の目で見られるべきではないと語った。「クルド人を助ける理由を探し求めるために、アメリカの外交政策におけるウィルソン主義の系譜に入り込まなければならないとは思わない」と彼は語った。「クルド人を助けることは大量破壊兵器によって生じた問題を探索する機会であるということを意味する」。
制裁は何千人もの子供を殺害していると西側で広く報道されている批判のことを彼に尋ねた。「制裁はイラクの子供たちを殺害していません」と彼は語った。「バース党が殺害しています」。この返答には困惑した。これが事実であればどうして毒ガスの被害者は未だに治療を受けられずに苦しんでいるのか?クルディスタン中の訪問したすべての病院で、聞こえてきた不満は同じだった。CTがない、MRIがない、小児に対する手術が出来ない、診断装置がない、手術用の手袋さえない。国連によってクルド人に分配されているはずの資金がどうして治療に用いられていないのかを彼に尋ねてみた。oil-for-food programには非常に大きな一つの欠陥があると彼は答えた。このプログラムが導入された時、クルド人には石油収入の13%が分配される約束になっていた。だがバグダッドと国連の間で交わされた取り決めにより、クルド人を虐殺した張本人であるイラク政府が食料、医薬品、医療設備などの流れを支配することになった。食料は届けられる、としぶしぶ彼は認める。基本的な医薬品も同様だ。だがそれはサダムのペースでだ。
BarzaniとSalihはサダムと蜜月の関係にある会社の利益になる契約だけを利しているとして、特にWHOを非難している。「国連と交渉する時はいつも」と彼は語り「Jesse Helmsは正しいと思い知らされます。国連が私たちを助けることができないのであれば誰が助けてくれるのでしょうか?」。多くのクルド人はイラクの友好国家、特にアラブ諸国がクルドの問題が解決されるのを妨げ続けていると信じている。クルド人は国連で不利な立場に置かれている。パレスチナとは異なり、公式の傍聴人の立場も与えられていない。Salihは痛烈な皮肉を口にした。「私たちを世界の他の運動と比べてみてください。私たちはとても成熟しています。私たちはテロを行っていません。過激なナショナリズムを容認したりしません。私たちの負担にしかならないことが分かり切っているからです。クルディスタンの自治政府が行ってきたこととパレスチナの政府とを比べてみてください。私たちはこの10年の間に非宗教的で、民主的な市民社会を建築してきました。アラファトが建築してきたものは何ですか?」(これはすさまじい皮肉。イスラエル-パレスチナ問題と呼ばれるものが単にパレスチナ問題でしかないということがよく分かる)。先週、ニューヨークで私はoil-for-food programを管理する国連のBenon Sevanと会う機会があった。彼は、クルド人の要望に耳を貸さないつもりだと私の話を遮るかのように切り出した。「クルド人がテーマソングを持っていたとすれば、ギブ・ミー、ギブ・ミー、ギブ・ミーだろう」と彼は答えた。「私は彼らの不満にうんざりしている。私がこのように言っていたと彼らに伝えてください」。oil-for-food programの下では北部の3つの統治団体(国連はクルディスタンという用語を避ける)には財とサービスを購入するのに十分な資金が分配されていると彼は語った。「彼らが今までこれだけの多額のお金を手にしたことがあるのか私は知りませんが」と彼は答えた。
私は、クルド人が医療設備の購入を拒絶され続けていることに不満を漏らしていたことを彼に告げてみた。彼の答えは「要望を出すことは誰も邪魔していませんよ。彼らはWHO(WHOはイラクが関与している問題のことをSevanに報告していた)に文句を言いに行くべきなのです」だった。クルド人は何度もWHOに文句を言いに行っていると彼に尋ねると、彼は「WHOの判断に関するコメントは差し引かせていただきます」と答えた。インタビューの終わり頃に、私はクルディスタンへの食料や医薬品の流れの管理をイラク政府に任せていることの倫理性に関して彼に尋ねてみた。「無実の人など誰もいません」と彼は答えた。「どうか私に倫理の話をしないでください」と締めくくった。
1988年のクルド人の虐殺をレポートするために1月にクルディスタンに出かけた時には、国連の制裁に関する議論の方にまで話が発展するとは思っていなかった。そしてサダムが現在行っているクルド人に対する犯罪、特に「民族修正」という問題のことを調べることになるとは間違いなく思っていなかった(というより知らなかった)。サダムの護衛部隊が民族浄化を実行するために用いている法のことだ。Kirkukのクルド人に対する大規模な組織的犯罪、そしてサダムの支配下にあるイラクのクルディスタン地方での組織的犯罪は西側のメディアではほとんど報道されていない。ニュースでほとんど解説もされていなければ、安保理による非難決議も出されていない。サダムの護衛部隊はクルド人に彼らの出生記録が間違いである(彼らが実際はアラブ人だったという)という書類にサインさせることにより民族の出自を「修正」するように脅迫している。書類にサインしなかった場合には財産が没収される。アラブ人に住む場所を提供させるために、多くの人が(大部分がクルド人の支配する地域に)強制退去させられた。Kurdistan Democratic PartyとPatriotic Union of Kurdistanによると、10万人以上のクルド人が過去2年間にKirkukという都市から強制退去させられたという。
民族修正はバグダッドの体制が「アラブ化」のキャンペーンの一環として用いているテクニックの一つだ。その目的はクルド人の都市の住民を(特に、石油が豊富なKirkukを)アラブ人と(繰り返し報告されているレポートによると、パレスチナ人とまでも)入れ替えることにある。National Defense Universityの教授で上院の外交委員会の前アドバイザーであったPeter Galbraithによると、アラブ化は新しい現象ではないという。彼は湾岸戦争の前からサダムの反クルド人活動を監視していた。「それが行われるようになってから20年以上になります」と彼は語った。「その速度は早まっているかもしれません。ですが間違いなく新しいものではありません。私が見るところでは、これは何年も前から計画されていたより大きな過程の一部で、クルド人が住んでいる地域を減少させること、地方のクルディスタンを破壊することを目的に行われています」。
疑いようもなく、ハラブジャの悲劇の再来の脅威はイラクの市民を心から怯えさせている。University of Haifaのイラク専門家Amatzia Baramは1999年にイラクの軍隊が白い防護服を身にまとってシーア派の聖地Karbalaを突然取り囲んだ時のことを話してくれた。サダムに対して頻繁に反乱が行われた場所だ(シーア派はイラクの全人口の60%ぐらいを占める。そしてバース党は他の反乱の恐れに気を取られていた)。白い防護服に身を包んだ兵士たちは何も行っていない。彼らは単に立っていただけだ。「ですがメッセージは明白です」と彼は語った。「ハラブジャのクルド人に対して我々が行ったことは、あなたたちに対してもできる。これは非常に効果的な心理的な兵器でした。私が見た情報によると、人々は本当にパニックに襲われたようでした。彼らは家に駆け込み窓を閉め切りました。それは極めて有効に機能したのです」。サダムの大量破壊兵器は国内の使用に限定されているのでは明らかにない。何年か前に、当時UNSCOMの議長だったRichard Butlerはサダムの側近中の側近でイラクの首相代理Tariq Azizと会談する機会があった。ButlerはAzizにイラクが大量破壊兵器を製造する理由を尋ねてみた。彼はAzizの回答が印象に残っていると語った。「彼は、我々はペルシア人(イラン人)とユダヤ人を処理するために大量破壊兵器を製造している」と。
ユダヤ人がサダムの現在のメイン・ターゲットだとしてもクルド人にとっては少しも安心材料ではない。私が話したクルド人たちは、サダムが残りのスカッド・ミサイルをイスラエルに向けているということに同意している人であっても、彼が「特別な兵器(イラク体制内でよく用いられる隠語)」をハラブジャに戻ってきた時のために残していると信じている。クルド人とイラク軍のイスラエル攻撃部隊が対峙するKalak Bridgeを訪問した時に、地方の政府役員Muhammad Najarにどうして攻撃部隊はその目標である西を向いていないのかと尋ねたことがある。「エルサレムへの道は」と彼は答え、「クルディスタンを通過する」。
武装解除の専門家の間では、サダムが核兵器を手にする正確な時期に関してある程度の意見の違いがある。だがイラクが、もし放置されれば、すぐにでも核兵器を手にするだろうということそして核兵器で武装したイラクは中東のパワー・バランスを永久に変えてしまうだろうということには意見の不一致は見られない。
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