2015年8月12日水曜日

経済学者は所得上位1%のシェアが上昇することと格差が拡大することとは同じことだと勘違いをしていた?Part7

Yes, r > g. So what?

N. Gregory Mankiw

彼の本では資本の利潤率rは経済の成長率gを上回りそれがこれからも将来にわたって続いていくと記されている。彼はこのことを大胆に「資本主義の本質的な矛盾」と呼ぶ。仮にr>gであれば資本家の富は労働者の所得よりも速く増加し「終わりのない格差拡大のスパイラル」になるだろうと彼は主張する。(私のように)自由な資本主義を人類の最も偉大な達成物の一つで社会を組織する最高の方法だと考える者にとってその結論は重大な挑戦を提示している。

新古典派の成長理論を学んだ経済学者にとって彼の主張は奇妙に思われる。条件r>gはよく知られたものだ。教科書のソローモデルでは資本を黄金律以上に押し上げる程経済が貯蓄をしない限りは定常状態の条件として自然に得られる(Phelps 1961)。このモデルではr>gは問題ではなくr<gの方が問題だ。仮に利潤率が成長率よりも低いのであれば資本は(最適な水準を超えて)超過に蓄積されるだろう。この動学的非効率の状況ではすべての世代の厚生が経済の貯蓄率を引き下げることにより改善するだろう。この観点からは我々がr>gの世界に生きていることをむしろ喜ぶべきだ。動学的パレート改善の余地が残されていないことを意味するからだ。

その上、r>gにより「終わりのない格差拡大のスパイラル」に向かっていくという主張を疑う良い根拠がある。r>gの経済に住んでいて子々孫々まで富裕層であることを確保したいと願っている裕福な人を想像してみよう。彼は自分の資産を子供に相続させることが出来る。だが彼の子孫が富裕層のままでいることを確保するためには彼は3つの障害に直面する。

第一に、彼の遺産の相続人は彼らが相続した遺産の何割かを消費するだろう。ここでの目的に関連する消費には食料、住居、浪費だけではなく(アメリカの)富裕層に顕著な寄付も含まれる。理論と実証研究に基づく妥当な資産の限界消費性向は3%だ。従って仮に資産の利潤率をrとするならば資産はr-3の率で変化する。

第二に、資産は子から子へと受け継がれ増える一方の子孫たちの間で分割される。(これは相続人が完全に選択的に結婚すれば問題ではないかもしれない。すなわち彼ら全員が同額の資産を持つ誰かと結婚するような場合だ。だが感情の問題がそれほどきれいに割り切れるとは到底思えない)。この効果を簡単に試算してみよう。すべての人が子供を2人持つと仮定する。従って相続人の数は世代毎に2倍になる。各世代が35年離れていると仮定すると相続人の数は年率2%で増加する。従って家族の資産はr-3の率で変化し相続人一人あたりの資産はr-5の率で変化する。

第三に、多くの国の政府は遺産と資本所得に税を課している。アメリカでは相続税の税率は40%だ。私が住んでいるマサチューセッツ州ではそれに加えて16%の相続税を課している。その結果として家族の資産の半分以上が各世代毎に政府によって持ち去られる。再び各世代が35年離れていると仮定すると相続税により資産は年率2%で減少する。加えて富裕層が生きている間に課せられる資本所得税により資本の蓄積はさらに減少させられる。この効果を大まかに年率1%とする。先程の効果と合わせると年率3%の減少だ。だがここでの富裕層が課税対策に特に長けていると仮定しよう。そして税の影響をわずか2%と敢えて仮定する。従って課税の影響を考慮に入れると相続人一人あたりの資産はr-7の率で変化する。

我々は今ではこれら3つの効果を考慮に入れて彼のロジックを検証することが出来る。彼はr>gであれば富裕層の資産は労働所得よりも速く増加すると考えた。だがこの条件は消費、生殖、課税を考慮に入れれば十分ではないことを今では我々は理解している。その代わりに「終わりのない格差拡大のスパイラル」が到来するためには利潤率rが経済の成長率gを少なくとも年率で7%ポイント上回る必要がある。

このシナリオは我々が経験しているものとは程遠い。彼は実質の利潤率を4%または5%と推計している。標準的なファイナンスの理論からは妥当な値に思われる。一方でアメリカの成長率は3%ぐらいだった。よってrがgを上回っているという点では彼は正しいがわずか2%ポイント上回っているに過ぎない(rが4%であれば1%ポイント)。彼が想像したディストピアの創生のために必要な7%ポイント以上にはまったく及ばない。

さらに、(経済学者は将来を予想することが不得意ということで悪名高いとはいえ)これから先rがgを7%ポイント以上上回るようになるとは考え難い。利潤率が5%ポイントのままで一定とするならば条件が満たされるためには経済の成長率は-2%にならなければならない。慢性的な停滞では十分ではない。慢性的な衰退を必要とする。逆に将来の成長率が2%だとすれば利潤率は5%から9%以上へ上昇しなければならない。そのような数字は年金や基金の管理人が想定している利潤率からはかけ離れている。

従って消費、生殖、課税がこれまでもそして恐らくこれからも富裕層の資産を希釈するのに十分な力を持ち続けるだろう。その結果として少数の富裕層によって支配される将来が訪れるとは私には到底思えない。

だが私が間違っていると敢えて仮定しよう。資本がスパイラル的に蓄積していくと仮定する。それにも関わらず私は彼の提案に懐疑的であり続けるだろう。簡単な新古典派成長モデルが彼の提案の問題点を教えてくれる。

労働者と資本家という2種類の人で経済が成り立っていると仮定する。労働者は非弾力的に労働を提供し所得をすぐに消費すると仮定する。数の少ない資本家が資本を所有し彼らが永続的に続く王朝を表すと仮定すると彼らは標準的なモデルに従って消費を最適化すると仮定できる(ラムゼイモデルのように)。労働者と資本家は労働節約的な技術進歩を仮定した生産関数の下で協同して生産する。そしてそれぞれの限界生産物の価値を所得として受け取る。加えて彼の助言に従って政府は資本に毎年τの税を課すと仮定する。

単純化するために経済の定常状態に焦点を絞ろう。よく用いられる表記法を用いて経済を以下の式で記述するとする。

(1) cw = w + τk

(2) ck = (r − τ – g)nk

(3) r = f ’(k)

(4) w = f(k) – rk

(5) g = σ(r – τ – ρ)

cwは労働者の消費、ckは資本家の消費、wは賃金、rは(税引前の)利潤率、kは労働者一人あたりの資本ストック、nは資本家一人あたりの労働者の数(だからnkは資本家一人あたりの資本ストックだ)、f(k)は(減耗を考慮した)生産関数、gは労働節約的な技術進歩率よって定常状態の成長率、σは資本家の通時的代替の弾力性、ρは資本家の時間選好率だ。式(1)は労働者が自身の賃金に加えて政府からの移転を消費することを示している。式(2)は資本家が資本に対する税引き後のリターンを消費し定常状態の資本/(実効)労働者比率を維持するのに必要な量を貯蓄することを示している。式(3)は利潤率が限界生産物と等しいことを等しいことを示している。式(4)は労働者は産出から資本の取り分が差し引かれた残りを受け取ることを示している。式(5)は資本家のオイラー方程式から得られる。これは資本家の消費の成長率(定常状態ではg)を税引き後の利潤率と関連付ける。

この経済での定常状態での利潤率はr=g/σ+τ+ρなので条件r>gは自然に発生してくる。カリブレーションによってg=2、τ=2、ρ=1、σ=1と置くとr=5となる。この経済ではr>gであるにも関わらず「終わりのない格差拡大のスパイラル」は存在していない。代わりに定常状態の格差の水準がある。(消費を最適化している資本家は自分達の資産が労働所得よりも速く増加するのを妨げるのに十分な量を消費する)。仮に資本家一人あたり労働者の数nが大きいと仮定すれば資本家は高い生活水準を享受することが出来るだろう。この場合では労働者の消費と資本家の消費の比率cw/ckは格差の代理指標となり得る。より平等であればcw/ckが高くなる。

今度は政策的な問題を考えてみよう。政府は資本課税τをどの水準に置くべきか?驚くべきではないが答えは目的関数の形状による。

政策当局者が式(1)から式(5)までを制約条件として労働者の消費cwを最大化したいのであればτ=0を選ぶだろう。この結果は最適課税理論の分野ではよく知られたものだ(Chamley 1985, Judd 1985, and Atkeson, Chari, and Kehoe 1999, recently reconsidered by Straub and Werning 2014)。この経済では資本課税が資本の蓄積、労働生産性、賃金を減少させるので資本を持たずさらに資本課税によってファイナンスされる補助金を受け取る側であるはずの労働者の立場から見ても望ましくない。

対照的にこの経済の政府が金権主義だと仮定しよう。資本家の厚生だけを考えているとする。この場合では5つの制約条件の下でckが最大化されるようにτを選ぶだろう。最高の政策は労働者からの税によってファイナンスされる資本への補助金だろう。すなわちτを可能な限りマイナスにすることだ。仮に労働者にある最低生存水準があるとすれば労働税と資本への補助金により労働者の消費は最低生存水準以下に押し下げられるだろう。

今度は政府が労働者と資本家の間の格差を気に掛けていると仮定しよう。特に政策当局者がcw/ckの比率を上昇させたいと考えていると仮定する。この場合ではτが正の値であることが最適になる。仮にcw/ckを最大化することだけが唯一の目標であれば資本課税は可能な限り大きくなるはずだ。資本に課税すること労働者に移転を行うことは労働者と資本家両方の定常状態の消費を減少させる。だが資本家の方をより高い率で速く貧しくさせる。標準的な生産関数の下では資本課税の増加はcw/ckを上昇させる。

従ってこの簡単な新古典派成長モデルでは消費の水準を気に掛けるのであれば資本への正の課税は推奨されない。だが格差のみを気に掛けるのであれば魅力的かもしれない。ウィンストン・チャーチルの言葉を不正確に借りれば、自由市場の本来的な悪徳は幸福の不平等な配分にあり資本課税の本来的な悪徳は悲劇の平等な配分だ、と言えるだろう。

これまでは彼が推奨している唯一つの政策に関して議論してきた。だが他の政策を考えることも出来る。この経済で平等を追求するより良い政策は(そして私は現実世界でも同様だと信じているが)累進的な消費税だ。そのような課税により利潤を歪めることなく従って資本の蓄積を阻害することなく労働者と資本家の消費を平等化することが可能になる。累進的な消費税の下では資本家はこの税制でない場合の時と同じぐらい豊かだが資産からの果実を完全に享受することはないだろう。

このモデルを背景に置いてより大きな問題を考えよう。どうして我々は資産の格差を懸念しなければならないのか?どうして他の誰かが資産を持っていて利子収入を得ていることを気にしなければならないのか?彼はまるで我々全員が彼の好みを共有しているかのように資産の格差に関して書いている。だが政策を議論する前に本当に格差がそれ程大した問題か?ということを考えるのが賢明だ。

答えを探す一つの場所としてはオキュパイウォールストリート運動がある(省略)。

他の理由としては資産格差が不公平だと見做しているから反対するという可能性が挙げられるだろう(この話題も繰り返しなので省略)。

最後の理由としては資産格差が民主主義への脅威となるという可能性が挙げられるだろう。彼はこの懸念に関して本全体を通して触れている。私はそれほど懸念していない。資産家の中には両方の政党への支持者がいる。ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、ジョン・アダムス、ジェームズ・マディソンなどのアメリカの建国の父たちは非常に裕福な人達だった。(今日のドルで見た)純資産の推計によると(1ドル=100円として)20億円から500億円の資産があったと云われている。彼らは全員恐らく資産上位0.1%に属していただろう。これは資産の蓄積と民主主義的な価値が完全に両立することを如実に物語っている。それでもなお資産格差が政治的理想の基盤を損ねるというのであれば選挙システムの改革の方が成長を阻害する資本への課税よりも好ましいだろう。

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