2015年8月12日水曜日

どうして経済学者には人間のクズしかいないのか?Part1

They Were Talking About The Laffer Curve in 1963

Brian Domitrovic

先週、Santa Barbara, CalifのPresident Ronald Reagan Ranch Centerで素晴らしい出来事があった。サプライサイド経済学の開祖、Arthur B. Lafferの論文集の第一巻がレーガン大統領が1981に減税法案に署名した本物のテーブルの上に展示されたのだ。

その法案はスタグフレーションの終わりと幸運にもこの国が経験することのできた新しい起業家と繁栄の時代を切り開いたという意味で近代のアメリカの歴史で最も重要なものの一つだ。その論文集はThe Pillars of Reaganomicsと題されている。その内容はというとラッファーの10の代表的な論文と編集者として私が選んだ1978からの彼の職員時代のものが含まれている(この部分の訳はかなり怪しい)。

我々はサプライサイド経済学がナプキン以外に掲載されていると今でははっきりと宣言することが出来る(*腐りきったリベラル派がラッファカーブはナプキンに書かれた以外はまともに査読誌に掲載されたことがないと主張しているのを皮肉っている)。ラッファーが1974にワシントンのレストランでフォード大統領の職員相手に減税の考えをナプキンに書き記したという最も有名なサプライサイド経済学のエピソードだ。実際、論文の量は膨大だ。ここにあるのはその手初めだ。

「ラッファーカーブ」は20世紀の経済学のグラフの中で最も重要なものだ。そのグラフは税率がある一定の水準を上回れば税収は減少するということを示している。

レーガン大統領の敵対者はラッファーカーブを「いんちき薬」だといって非難した。1980年代に財政が大幅に赤字になった時にはアメリカはラッファーカーブの分岐点にいなかったのだと議論された。何というミスリーディングなプロパガンダだろう。

サプライサイド経済学の批判者が面白いのは彼らがただの一度も引用を示さないことだ。脚注すら一度もない。5年前に私がサプライサイド経済学の歴史を書こうとした時にこのことで大いに困惑させられたものだ。アメリカには一次情報を引用するよう人々に指導しなければいけない20000人以上の歴史家がいるというのに、加えて(サプライサイド経済学を解釈するにしても批判するにしても)あまりにも多くの経済学者が一次情報からの引用をまったくしないというのは(彼らの普段からの言動を見ている)常識のある人なら誰でも知っているということを指摘せずにはいられないだろう。

このことが2007にUniversity of BuffaloのJack Kemp記念館を訪ねた時に私を捉えたことだ。そこは20世紀の最も影響力のある議員の為の場所だ。私は彼の記録が入った入れ物を開封するためにカッターナイフで取り出さなければならなかった。それらはケンプ議員が1989に議会を去った時にワシントンから輸送されてきたので郵便テープで覆われていたからだ。

それらの記録に残されていたものにはKemp-Roth法案の税収の見通しが含まれていた。その数字は保守的どころか税収減と記されていた。これらは公開情報でもある。これは後の批判者達がサプライサイダーは減税後に税収が増加するといんちきの安請け合いをしていたと主張していることに何の根拠もないことを意味する。

ラッファーに至っては彼が税収の予測をしたというのはわずか一つしかない。それはCato Journalの1981の記事だった。ここにラッファーが書いた記事がある。

「提案されている各10%毎の税率の引き下げが全体の税収という意味で2年以内に自己回収されると結論するのは妥当なように思われる。(中略)それらの多くは州政府と地方政府で発生するということは記しておかなければならない。それら政府の財政状況が大幅に改善されるだろうということも同様だ」。

事実の確認として、「提案されている10%の税率の引き下げ」というのは議会を通ることはなかった。1981の終わりに5%の税率の引き下げがあった。それから1982の6月に10%の税率の引き下げが予定されていたが1982の7月まで廃案の憂き目にあっていた。それから1983に10%の引き下げがあった。

減税は1984と1985に自己回収されたのかと尋ねる人もいるだろう。だがそれにはサプライサイド経済学の批判者が一度も引用したことがないだろう文章がある。「それらの多くは州政府と地方政府で発生する(中略)」という部分だ。

ここで語られていることは連邦政府の減税は経済成長を大幅に高める、そしてそれは(それぞれ独自の税体系を持つ)50の州で起こるということだ。それらの州は税収をかき集めるだろう。

ラッファーが減税は税収を維持するまたは増加させると言っている時には彼ははっきりとすべての政府で見た場合でと言っている。

では結果はどうだったのか?1982から1989の7年間に連邦、州、地方を併せた税収は実質で34.5%増加した。年率で4.3%の増加だ。これは経済成長率の歴史的な平均をはるかに上回っていて経済が同じぐらい成長しない限り政府が経済を乗取ってしまうことを意味する。幸運なことにこの期間の経済成長率は他の期間より高い4.3%だった。

ラッファーの考えは曖昧だと思っただろうか?州と地方政府に頼るというのはいんちきだと。連邦政府のバランスシートに空いた穴を隠すためのトリックだと。

この方法が皆に使用されていたということを知るまでは(そう考えるかもしれない)。民主党員はいつも減税を語っていたものだった。1963にケネディ大統領が彼の減税法案(Kemp-Roth法案が参考にした)を売り込んでいた頃にはその支持者たちは州と地方に素晴らしいことが起こると指摘していた。

イリノイ州の民主党議員だったPaul Douglasは連邦政府が税率を30%引き下げれば例えばメリーランドのような州は他に48億円(現在で400億円)かき集めるだろうと計算している。1963と1964にさらに大きな減税の話が持ち上がったので州の財政担当官はワシントンに減税のロビー活動を行っていた程だった。より多くの税収を意味したからだ。

保管されているすべての文書においてBoard of Revenue Estimatesと記されている所はすべて保守的なものだ。1980年代を例にあげてラッファカーブを非難するのは十分すぎるほど奇妙だ。政府の税収は実際に増加している。事実、減税の後に税収は大幅に増加しているからだ。

今ではレーガン大統領以前の減税の記録が隠されていることが奇妙な話として浮かび上がってくる。(ラッファーの)州政府と地方政府に関する議論がまったく引用されていない理由の一つは民主党員が自分達自身の減税のためにはその議論をしていたことを思い出されては困るからだろう。

The Pillars of Reaganomicsはサプライサイド経済学の歴史を振り返ることの出来る貴重な情報源だ。これはまだ第一巻にしか過ぎない。だがとうとうここに出版された。財政政策と金融政策に対する生産的な改革の見通しは正確な歴史の理解によって高められるだろう。

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