2015年8月12日水曜日

格差研究の専門家の集まりにリベラル派のブロガー(自称専門家)が乗り込んで討論を挑んだその結果 Part5

Mean vs. Median Income

Alan Reynolds

私は1986から1988以降「アメリカ全体で」可処分所得または消費の格差にほとんど変化がないことを示す証拠を提示してこの討論を開始させた。その中でもユニークな証拠の一つ(連邦準備の非常に綿密な調査であるSurvey of Consumer Financesから各所得階層と各所得分位毎の中央所得の増加率を比較したもの)には何のコメントも寄せられなかった。その代わりにジニ係数を重視していると思われる2人のコメンテーターは所得上位と所得下位の平均所得または平均賃金を僅か2年のものだけ比較している。

Burtlessはデータの質に幾らかの問題があると指摘したが(既に私が反論した)消費格差が長期間ほとんど変化していないという私の指摘に誰も異議を唱えていない。

2005のConsumer Expenditure Survey(CES)では(所得の)第5分位は総消費の8.2%を占めていて第1分位は39%を占めている。だが第5分位には1「消費単位」あたり1.7人と0.5人の労働者しかいない。それに対して第1分位は1消費単位あたり3.2人と2.1人の労働者がいる。一人あたり消費または一労働者あたり消費は消費シェアが示唆するよりも遥かに平等で消費シェアも所得シェアよりも遥かに平等だ(特に税と移転支払いを除外した時には)。

可処分所得の格差はどうか?Burtlessの最初のエッセイでは、「包括的な所得の定義で見れば1989以降統計局のヘッドラインの数字が示唆するよりも格差の拡大は小さくいや恐らくは遥かに小さくなるだろう」と書かれている。同様にBurkhauserは、「1989以降所得格差はほんの僅かしか拡大していない」と結論している。事実1993の一度限りの急上昇を除いて1983以降所得分布の99%に関して彼は「所得格差が驚くほど僅かしか拡大していない」ことを発見している。Bernankeは可処分所得に触れているが1979から始めておりしかも間違ったデータを用いている。ThomaにいたってはBurkhauserや私が提示した所得分布統計のどれ一つとっても意味すら分かっていない。では一体何処に意見の相違があるのか?

総所得または労働所得(「賃金」)に関する論争の残りは人口全体ではなく人口の一部(1%から10%)に狭められるように思われる。だが所得上位1%から10%の所得の増加が中間層の可処分所得に大きな影響を与えるというのであればそれはジニ係数の上昇として表れるだろう。私が図で示したようにそのようなことは起こっていない。

CBOが所得上位1%の可処分所得を推計するのに(Piketty and Saezは可処分所得を推計していない)所得税のデータを間違って使用していることにHendersonと私が異議を唱えている主な理由が未だに大きく誤解されている。私は別の所でこの誤解と資産格差に関するThomaの懸念を取り扱おうと思う。

この評論ではまず90/10比(所得上位10%の平均所得または平均賃金と所得下位10%の平均所得または平均賃金との比率)を取り扱うことから始める。この種の計算では人口の80%が除外されているし大抵は移転支払いや税も除外されているので私が言及したこと(「アメリカの人口全体」の可処分所得の格差)とは関連を持たない。それにも関わらず90/10比が課税前所得または賃金の格差が拡大したことの証拠として提示された。だがデータは詳細に見る必要がある。

Krueger and Perriは90/10比が「トップコーディングの変更によって影響されないという望ましい性質を持つ」と書いている。CESを用いて彼らは「90/10比が1989の約5から2003の約6へと上昇している」と結論している。だがCurrent Population Survey(CPS)の内部データを調査した後にBurkhauser, Feng and Jenkinsは一般公開向けのCPSに基づく90/10比はトップコーディングによって深刻な影響を受けることを発見している。それはCESのデータに関しても真だろう。例えば2004の一般公開向けのCESでは(1ドル=100円として)1500万円以上の賃金所得がトップコーディングされている。そしてそれより高い賃金はその閾値以上の賃金をすべて平均してそれによって置き換えられる。

所得を推計するのに消費調査を用いることには他の問題もある。サンプルサイズが小さい(7500)ことにより回答者が所得を申告することを拒否するまたは無視するという問題がより深刻になる。回答者が例え一つでも所得源に値を記入していればデータに所得が含まれる。だが多くの人は他にも申告されることのない1つ以上の所得源を持っている(貯蓄または移転支払いなど)。

Burtlessは95/50比(フルタイム労働者、パートタイム労働者を問わず賃金上位5%と中央賃金との2年の変化)を賃金だけに用いている。彼は、「1988(Reynoldsの好む基準年)には時間あたり賃金の中央値は1320円(2005のドルで見て)だった。2005までにはそれが1429円へと8.3%増加した。同じ期間に賃金上位5%の賃金は20.3%増加している」と書いている。

私は「好みの基準年」などと言った覚えはない。それとは逆に私はそのような2年の比較に強く抗議してきた。何故ならどの年にどのような変化が起こったかがまったく分からないからだ。もう何度繰り返したかも分からないがまだ理解していないようなので敢えてもう一度言う。1993にCPSが定義に高額所得をより多く含めるようになりその結果として所得上位5%の所得シェアは急激に上昇した。同じ問題がBurtlessがEconomic Policy Institute (EPI)から引用している「時間あたり賃金の棄却値」に影響している。何故ならそれらの推計値は「CPSの賃金データを基にした筆者による分析」に基づいているからだ。これはThomaが引用したJanet Yellenが頼りにしているのと同じデータでもある。

EPIの95/50比は1985から1993まで2.6から変化していない。それが2.8へと2年間で突然に急上昇している。EPIが他の所では説明しているように、「1993の調査方法の変更により見掛けの格差が急上昇した」。95/50比はそれ以降は2.8から2.9の間を行ったり来たりしている。Burtlessのように1988と2005だけを比較するのではその比率が1994の前と1995の後で変化していないということがまったく分からない(というより故意に思えてくる)。

Krueger and Perriの所得に対する90/10比とは異なりEPIの賃金に対する90/10比は1986以降継続した上昇など見せていない。EPIの90/10比は1986以降4.3と4.4の間を狭い範囲で変動している。1992から1994のCPSの変更とそれ以降に4.5に2回タッチすることはあったが。1994以降の上昇はEPIが記しているように、「1994の調査方法の変更により低所得労働者の見掛けの所得が低下することになった」ことが原因だ。どちらにしてもこの比率は1987には4.4で2004でも4.4だ。だから私だってやろうと思えばこれを用いて2年ゲームを出来るしそして1987以降格差が拡大していないことを完全に証明したと言うことだって出来る。

BurtlessのEPIの表へのリンクをクリックして1987から2005の期間に賃金の90/10比に顕著で継続したトレンドが見られないことを自分で確認するといい。Krueger and PerriのCESのデータが所得(賃金だけでなく)の90/10比の上昇を示しているというならばそのような結果の違いは低所得層の消費は賃金というより未計上の移転支払いによって主にファイナンスされているからだと思われる。

EPIの推計には賃金上位5%から10%の平均賃金は記されていない。それを定義する「棄却値」または最小閾値が記されているだけだ。例えば2005では4170円以上が賃金上位5%となる。その数字はBurtlessが記しているように1988からは20.3%増加している。だがその棄却値または閾値は上側から引き上げられたものではない(EPIは1万円以上の賃金を除外している)。下側から押し上げられたものだ。

Third Way(リベラル派のシンクタンク)は、「1979から2005の期間に所得が1000万円以上の世帯の割合は12.7%ポイント増加し一方で所得が300万円から750万円の世帯の割合は13.3%ポイント減少した」と記している。その「豊かな」世帯の割合の大幅な上昇は所得上位5%の平均に含まれ続けるためにはかつてよりもより高い所得が必要とされるということをよく物語っている。多くの人がEPIの閾値より上に下側から雪崩れ込んできたので閾値は上昇する。閾値は高い所得を稼ぐ労働者の割合の上昇により押し上げられる。そして高くなった閾値の所得の平均にはかつては含まれていた3600円から4000円は最早含まれないので高くなった閾値以上の所得の平均は上昇せざるを得なくなる。私は本の中でこれを「閾値の錯覚」と呼び以下のように説明している。

「所得上位5%、10%または20%の平均所得の上昇は所得の増加がその所得上位集団だけに限られているのだと頻繁に勘違いされている。実際は、上昇している閾値を下回る人々の所得の増加こそが以前は所得上位集団だったはずの所得を所得上位集団の定義から外れさせている。所得上位集団の平均所得は僅かの高額所得者(外れ値)によって引き上げられることもある。だが平均所得は下側から閾値を超えてくる人の数の増加によっても押し上げられる(かつては「中間層」と見做されていた所得を離れて「富裕層の仲間入り」をすることにより)」。

我々が議論する際に用いる所得分布データのほとんどで(ジニ係数であれ所得分位または所得階層毎の所得シェアであれ)所得上位集団の所得は平均で記述される。ある特定の閾値より上の所得をすべて足し合わせてそれを世帯数、納税者数または消費単位で割る。総所得に対してもそうであるようにこの場合においても平均はミスリードをする。

New York magazineの2004のManhattanの所得の調査では102億円を稼いだ有名なヘッジファンドマネージャーが特定されている。その同じ年に統計局は世帯の所得上位5%を所得が1571万円以上の人すべてと定義している。1571万円以上の所得と102億円を混ぜ合わせてその合計を世帯数(1億1314万6000)で割ると2643万円というごちゃ混ぜの「平均」が生み出される。だがそのような「平均」からは570万の世帯の標準的な所得のことは何も分からない。

所得の天井(閾値)による制約を受ける他の所得階層の平均とは異なり所得上位1%から10%の平均所得は僅かの外れ値によって大きく歪められる。下の表は下から4つの所得分位で平均所得と中央所得がほとんど同一であることを示している。だが所得上位10%では平均所得は中央所得よりも64%から66%高い。最後の列(私が1月11日に行ったプレゼンテーションの図7の基になったもの)は1989から2004の期間に所得上位10%の実質中央所得が20.7%増加したことを示している(税引き前で)。だが現物移転を除外してあるというのに下から2つの所得分位の実質中央所得もまた20%から21%増加している。

それより下の所得分位とは異なり所得上位10%では1989から2004の期間の実質所得の増加は平均所得の方が(18.5%)中央所得の方よりも(20.7%)小さい。もし仮に所得上位1%の所得の増加がPiketty and SaezまたはCBOの言うように凄まじいまでに大きいというのであれば所得上位10%の平均所得は平均所得(*明らかに中央所得の誤植だと思われる)よりも比較にならないほど速く増加するはずだろう(その逆ではなく)。

2004の全世帯の中央所得はSCFによると432万円で平均所得は707万円だ。平均所得が「平均的な」世帯の所得を表していると私が言ったらそれは極めてミスリーディングだと皆が責め立てるだろう。私は(所得上位10%の)平均所得が所得上位10%の「平均的な世帯」を表しているというのも同様にミスリーディングだと議論している。何か変なことを言っているだろうか?

所得上位5%の所得シェアやジニ係数を平均所得を用いて推計するという経済学会の慣習に従っているだけだというのに平均所得の使用は所得上位の一般的な所得水準を誇張してしまうだろう。

だがその平均所得を用いてでさえも可処分所得の格差が顕著に一貫して拡大したという証拠が示されたことはない。1993のセンサスの改訂と1986の税制改革による急上昇の影響は現れたままだ。だがそれだけだ。単に私が正しいだけということを熟考した者はいないのだろうか?

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