2016年12月25日日曜日

くだらないイランとの核合意のせいでシリアで50万人以上が殺害された?

The Anti-Interventionists Got What They Wanted in Syria and Iraq: Are They Happy Now?

Kyle Orton

シリアの内戦が40ヶ月目に突入しイスラム国の代表がカリフの座につくと宣言した。最も憂鬱にさせられるのは、これらは防ぐことが出来たということだ。

40年間の独裁とハマでの大量虐殺を経験して、シリア国民は2011年の3月にとうとう立ち上がった。その年の終わり頃には、自衛に失敗すれば彼らは虐殺されるということは明らかだった。これは「独裁に対する世俗主義者たちの反乱」だった。だが革命が穏健派(世俗主義者)にとって優しかったことはほとんどなく、アサド政権、そしてそれを操るイラン、支援するモスクワは一致団結して全力でこれを潰しにかかった。繰り返された挑発行為、軍事行動は狙いを持ってのことだった。世俗主義の抗議者たちは殺害される一方で、暴力的なサラフィ主義のジハーディストたちはシリアの刑務所から釈放された。信心深いスンニ派は拷問されアサドに忠誠を誓わされる一方で、モスクが破壊されその中でお酒を飲む兵士の映像が繰り返し流された。爆撃は体制に抗議するマイノリティに集中して行われた。衝突が深まるに連れて、反乱軍は空爆によって打撃を受け、タクフィールと認定された人々(この場合は穏健派の世俗主義者たち)は排除され、石油からの巨額の資金が過激派に力を持たせ、戦闘員を雇い養うことを可能にした。戦闘員を集めるための様々な広報キャンペーンも行われた。2012年の終わり頃には、サラフィ主義者たちは世俗主義者たちを武装組織に取り込み、2013年には彼らはマジョリティになった。アサドは自分を選ぶか、アルカイダにとっても過激すぎる人たちを選ぶかの選択を迫った。

イラクでは、2008年頃には様々な問題がありながらもすでに勝利が達成されていたと言ってもいい状況だった。フセインの独裁の生命線だったスンニ派の部族たちは権力の座から転落したことに怒っていた。彼らはアルカイダを使って権力の座に復帰できると当時は考えていた。この戦略の愚かさに気がつくと、彼らはジハーディストへと転じた。シーア派が率いる政府がシーア派の民兵を引き上げた時には、国家的な和解が進んでいるように思われた。この時期は「新しい政治的環境を確立し安定した国家が誕生するとの希望が生まれ始めた」時期だった。この希望をふいにした責任の大部分はマリキ首相にある。彼は2008年頃に訓練されたそれも宗派に属さない軍を現在ではスンニ派の地域を奪われた宗派に属する軍に置き換えた。だがオバマも非難からは逃れられない。イラクからアメリカ軍を引き上げると宣言(公約)していたため、イラクには5000の兵しか残されず自衛するだけで手一杯だった。オバマが突然言い出した法的な問題があるという主張も結局は大したことではなかった。オバマは軍を撤退させないでほしいというイラクの人々の願いを無視して軍を撤退させた。オバマのスポークスマンはイラクから軍を撤退させることを「妨げにはならない(中略)ホワイトハウスはアメリカ軍の駐留が必要だとは一度も考えていないからだ」と語っていた。オバマは2012年にイラクを訪れ、「私はイラクでの戦いを終わらせると約束した。そしてその通りそれを実行した」と堂々と言い放った。

オバマは表向きにはアサドに退陣を求めている。だが2011年の12月頃にはすでに、オバマはマリキに向かって「私たちはシリアに軍事介入を行うつもりはない」と語っていた。それ以降の発言はすべて、所謂「レッドライン」や穏健派を支援するなどと言っていたのはブラフであり時間を空転させるための言い訳で皆がそれを知っていた。オバマがこのことをバグダッドのイランのエージェントに直接は言っていなかったとしても、イランに筒抜けなのは当然のことだった。イランとの核兵器製造を巡っての見せ掛けの合意を性急に結ぼうとしていたが、これは実際にはイランとの和解を目指したもので、中東でこれまでの伝統的な同盟国だったスンニ派のアラブ諸国と狂気の宗教国家との間に新たなバランスを生み出す意図だった。「オバマが最も望んでいなかったのは(中略)シリアでの軍事介入だった」と政権の「リアリスト」の1人は擁護する。ではその「レッドライン」が盛大に破られた時にはどうしたかというと、オバマとリアリストたちは一斉にありとあらゆる責任逃れの弁明を始めたのだった。オバマはイランの機嫌を損ねることをしたくなかった。それがイランにシリアでのフリーハンドを約束する結果となった(このことはシリア人も当然のように語っていた)。オバマはこの事実を覆い隠す都合の良いものを必要としていた。そしてロシアだけがそれに喜んで従った。「シリアに干渉するな!」と叫ぶ群衆が2013年の8月と9月にヨーロッパの通りを埋め尽くした。すぐに騙される彼らのほとんどはアサド支持をはっきりと口にしていた。そして彼らは彼らが欲していたものを得た。西側は介入しなかった、だが戦争は終わらなかった。その逆に、彼らはアサドに「殺しのライセンス」を与え穏健派をほぼ壊滅させてしまった。

この大災害を産んだ政策がイラクにもスピルオーバーしているのは2011年頃には誰の目にも明らかだった。ジハーディストのネットワークがシリアから流れ込んできた。穴だらけの国境を超えることはいとも容易いことだった。イラク内部の宗派対立を抑えるアメリカ軍というクッションがなければ、マリキ首相にはシーア派以外を魔女狩りのように政府から追い出すしか手段が残されていなかった。そしてイラクの空は防衛したくても出来なかったためイランがイラク上空を素通りして危険なシリアの体制に物資を補給するのを黙ってみているしかなかった。これまでシーア派に暴虐の限りを尽くして、報復されるのではとの被害妄想に囚われ心の底から恐れていたスンニ派にはザルカウィたちはその状況を変える手段に思われた。「イスラム国がどのようなことをしているにせよ」、マリキ政府を不安定化させていることには間違いがない。これはまさに2008年までアメリカ軍のプレゼンスが完全に押さえ込んでいた状態だった。虐殺によって支配してきた少数派のスンニ派が勝利した多数派のシーア派を恐れ生存の危機に怯える(アメリカ軍がいる→マリキが私たちを虐殺できるはずがないとスンニ派は安心→アメリカ軍がいなくなる→虐殺されるとパニックになる)。この勝利は最低に安っぽい選挙公約のために台無しにされてしまった。

だがもっと重要な、知っておかなければならないことがある。これはまさに孤立主義者、非介入主義者、リアリストたちが望んだことだということだ。イラクから撤退する、シリアには介入しない、イランとは仲良くする。オバマたちはこの筋書きに従って行動したに過ぎない。そしてその結果がこれだ。さらに過激な非介入主義者たちはこの最小限のアメリカのシリアの反乱軍に対する支援さえもシリア危機の原因だとして非難している。せいぜい頑張るといい。だがイランやロシアがシリアに対して与えている経済的、軍事的援助の規模を考えると彼らの言っていることは狂気としか思えない。私たちが取らなかった行動の結果を知ることは決して出来ない。だがイデオローグたちは、宗派間の対立がまだ健在だった時にもしくは穏健派が大多数を占めていた時に、イラクに残していたわずかのアメリカ軍の存在やシリアの穏健派への支援は今よりも悪い結果を生み出したとまるで見てきたかのように語る。イランが核兵器の製造を断念する可能性はどんどん低下していっているように思われる。制裁が解除されイランがイラクとシリアの防衛部門に影響力を及ぼせるようになった今ではほとんど皆無だ。だがこのような状況もまた変えることが出来た。アメリカ軍がイラクにそのまま駐留していれば、それによりイラクの法秩序が保たれイラン政府の体制が不安定化している兆候を違った解釈で受け取っていれば(石油価格が暴落し民衆の暴動が起きアメリカ側に交渉を持ちかけてくるほどイラン政府は困っていた)、そしてイランの中東でのたった一人の同盟相手シリアのダマスカスにいるアサドが倒れていれば、イランは大幅に弱体化していただろう。

「反戦」運動によって残されたものはシリアでの20万人以上の死亡者、900万人以上の難民、イスラム国による毎月2500人以上の殺害、同性愛者を吊るし姦通者は石で殺害する、そしてイランの核兵器だ。このような悲劇を目撃すれば「反戦」運動にも少しは反省の機運が生まれると思う人もいるかもしれない。だがそうではない。ルワンダでの虐殺、ボスニアやコソボでの虐殺、サダム・フセインを放置したことによって生まれた数々の悲劇、ダルフールでの虐殺などなどとまったく同じように「反戦」運動にはほんの少しの同情さえをも呼び起こさなかったように思われる。彼らの言うことが実行された時に残された唯一のものはといえば虐殺でしかないというのに。だが最も困惑させられるのは彼らのような人たちが「リベラル」、「プログレッシブ」、さらには「人道主義者」とまで呼ばれているこの奇妙さの方だ。

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