2016年12月25日日曜日

アラブ人の反イスラエル感情はすべてデマによって生み出された?

'THEY STOLE OUR LAND' VS. THE GRAND MUFTI OF JERUSALEM

David Meir-Levi

アラブ人たちがイスラエルを敵視するその正当化の最大の拠り所としているのが、シオニストがイスラエルの土地に現れてアラブの土地を奪っていったという話だ。これは非常に分かりやすい主張で、容易にその様子を思い浮かべることができるし表面上は論理的にも見えるためこの話が伝播しやすいのは理解できる。シオニストはヨーロッパから当時はパレスチナだった土地に流れ着いた、そしてアラブ人はすでにそこに住んでいた。従って、ユダヤ人はアラブから土地を奪ったに決まっている!

その主張とは事実は真逆であることを示す証拠は膨大にあるのだが、それをアラブ人たちの主張のように簡潔でシンプルな方法で説明することは難しい。説明すべき変数があまりにも多くある。例えば、アラブ人の人口増加率、ユダヤ人の人口増加率、シオニストたちの農業技術、ユダヤ人たちの土地の購入、王侯貴族の土地vs民間所有の土地、地主が不在で所有権が分からなくなった土地などなど。このように説明の容易さに対象的な違いがあるため、イスラエルの主張を支持しアラブ人の主張を否定する証拠が膨大で精査されたものであるにも関わらず、イスラエルとシオニズムを擁護する人々を不利な立場へと追いやっていた。これらの証拠をまとめて分析したものとして、Kenneth Stein, The Land Question in Palestine, 1917-1939 (University of North Carolina Press, 1984)を参照して欲しい。

だが、ユダヤ人が土地を奪ったのではなく正規の売り手から正当に土地を買い取ったのだということを示す誰もが納得せざるを得ない証拠がある。この情報源は疑いようもなく親イスラエルでも親ユダヤでも親シオニストでもないので、彼の証言に疑いの余地を向けることはできないはずだ。その証言とはHajj Mohammed Effendi Amin el-Husseini (1895 to 1974)のことだ。

El-Husseiniはパレスチナのナショナリズムという概念を生み出した人間で、1920年代からそれ以降のシオニズムに対する暴力的な反対運動を展開してきた指導者だった。彼はGrand Mufti(最高の宗教指導者)としての強力な政治的、宗教的立場を利用してアラブのナショナリズム運動に火をつけ、イギリスに対する暴力を展開し、ユダヤ人に対する憎悪とユダヤ人の殲滅を説いて回っていた。彼は第二次世界大戦前からそしてその間もヒトラーの同盟相手だった。ボスニアでムスリムの大群を勧誘し東部戦線でヒトラーのドイツ国防軍のために従事させた。そしてドイツを真似てパレスチナにユダヤ人強制収容所を建設する計画を実行していた。1948年のアラブ・イスラエル戦争では彼はArab Higher Committeeの代表として参加し1947年11月29日に決議された国連の分割案を拒絶した。

イギリス委任統治領としてのパレスチナのアラブ側の代表として、フセイニーはウィリアム・ピールが率いる王立調査団からのインタビューを受けている。

ピール委員会はアラブ人とユダヤ人との衝突の原因を調査し報告する目的で1936年の11月にイギリス委任統治領パレスチナに送られた王立の調査団だった。主だったシオニストやアラブの指導者たちに数ヶ月に及ぶ調査とインタビューを行った後にそれをまとめた報告書を同委員会は1937年の7月に公表した。この報告書はアラブ国家とユダヤ国家との分割を勧告している。シオニスト側はこれを受け入れたもののアラブ側の猛反発によりこのピール案は実施されることはなかった。

ピール委員会はシオニストと彼らが土地に与えた影響、そしてアラブ社会と経済に与えた影響に関して非常に興味深いことを報告している。そのうちでも、アラブ側のイスラエル非難を打ち砕くのに最も重要なのは以下の部分だろう。

「アラブ人の人口は1920年以降、著しい増加を見せている。そしてそれはパレスチナの経済(イスラエル)が発展していることと無関係ではないだろう。多くのアラブ人の地主は土地の売却とそれから得た資金を投資することによって利益を得ている。アラブの農民も1920年よりも豊かになっている。このアラブの発展はユダヤ人の資本がパレスチナ(イスラエル)に流入したことやユダヤ人の増加と関連する他の要因とも無関係というわけではないだろう。特に、アラブ人はユダヤ人からの収入がなければ提供されることがなかったこれだけの規模の社会サービスを享受している。現在ではオレンジも栽培することができるようになっているそれらの土地の大部分(これもユダヤ人が開墾した)は、ユダヤ人が購入した時には耕すことも考えられないような砂丘か誰も住めない死の沼地だった(マラリアが蔓延していたため)。それらの土地が売却された時点で、土地の保有者が開墾するための資源もしくは技術を持っていたという証拠はほとんどない」。土地が不足しているというアラブ人の訴えは「ユダヤ人が土地を購入したためというよりもアラブ人の人口が増えたせいだ」。

フセイニーへの1937年1月12日のインタビューは出版されてはいないものの委員会の参考資料として保存されている。それは、The Land Question in Palestine 1917-1939 (Univ. of North Carolina Press, 2009)の筆者Kenneth SteinやA History of Israel from the Rise of Zionism to our Time (Alfred A. Knopf, 1976)の筆者Howard M. Sacharを含む幾人かの歴史家によってまとめられていて、その詳細な分析はAaron KleimanのThe Palestine  Royal Commission, 1937 (Garland Publications, 1987, pp. 298ff.)として出版されている。

ピール委員会のメンバーであるLaurie Hammondは、シオニストがアラブの土地を奪って農民を浮浪者にしているとフセイニーが委員会に訴えてきたので彼に聞き込みを行った。彼は通訳を介して話している。

ハモンド:「土地に関する数字をもう一度聞かせてください。どれぐらいの土地がその占領の前にユダヤ人によって所有されていたのですか?それを知りたいのです」

フセイニー:「占領時にはユダヤ人は10万デュナムを所有していました」

ハモンド:「具体的にはいつの年ですか?」

フセイニー:「イギリスの統治が始まった年です」

ハモンド:「では、現在ではユダヤ人はどれぐらいを所有しているのですか?」

フセイニー:「150万デュラムぐらいです。120万デュラムがユダヤ人の所有としてすでに報告/登録されています。ですが30万デュラムが現在ユダヤ人の所有として合意(売却)されようとしています。これらは土地の帳簿にまだ登録されていません。そしてもちろん、それには10万デュラムぐらいの割り当てられた土地が含まれていません」

ハモンド:「10万デュラムの土地とは?それは120万デュラムの土地に含まれていなかったのですか?分からないのはここです。1920年の委任統治時には、ユダヤ人は10万デュラムの土地しか持っていないとあなたは言いましたよね?私はどれぐらいの土地をユダヤ人がこの時に所有していたのか、土地の登記簿からの数字が知りたいと尋ねたのです。その数字が10万デュラムではなく65万デュラムだと聞かされればその人は驚くのではないのですか?」

フセイニー:「それは、多くの土地は登録されていない契約によって購入されたからかもしれません」

ハモンド:「10万デュラムと65万デュラムには大きな違いがあります」

フセイニー:「ある事例では一度に40万デュラムぐらいが売却されました」

ハモンド:「それは誰ですか?アラブ人ですか?」

フセイニー:「サルスーク(アラブの超大富豪/財閥)です。(現在のベイルート)ベイルースのアラブ人です」

ハモンド:「彼のことを聞いてアラブ人が土地と村から追い出されたという主張の意味が分かりました(飢饉の時に値上げをするなどしたので好かれてはいなかった)。私が知りたいのはパレスチナの政府(イギリスが管轄)はその土地を押収し自らの所有にしてそれからユダヤ人の手に渡されたのですか?」

フセイニー:「ほとんどの土地は押収されました」

ハモンド:「私は、強制的に押収されたのかと聞いているんです。公的な目的で強制的に押収される土地のように」

フセイニー:「いいえ、違います」

ハモンド:「強制的に押収されたのではないのですね?」

フセイニー:「そうです」

ハモンド:「ではその70万デュラムぐらいの土地は実際には売却されたと?」

フセイニー:「はい、そうです。ですがそのような売却を迫られるような状況に私たちは置かれていたのです」

ハモンド:「私にはあなたの言わんとしていることがさっぱり分かりません。それらの土地は売られたのですね?誰が売ったのですか?」

フセイニー:「地主です」

ハモンド:「アラブ人?」

フセイニー:「ほとんどはアラブ人です」

ハモンド:「彼らに売却を迫るような圧力は掛かっていなかったのですね?もし掛かっていたとすれば、それは誰によってですか?」

フセイニー:「他の国と同じように、事情に迫られて土地を売る人々がいます。経済的圧力という利益につられて」

ハモンド:「それが圧力のすべてですか?」

フセイニー:「これらの土地の大部分はその土地を居住者もしくはその代表に売却した不在地主の所有でした。土地を居住者に売却したこれら地主の大部分は不在でした。彼らはパレスチナ人ではなくレバノン人です」

ハモンド:「それらの不在地主以外で土地を売却したアラブ人は誰か分かりますか?」

フセイニー:「私であればそのようなリストを作成することができます」

ハモンド:「では今はこのことを尋ねておきましょう。トルコ人が支配していた時と比べてアラブの農民の生活水準は改善したと思いますか?悪化したと思いますか?」

フセイニー:「全般的にいって、彼らの状況は悪化したと思います」

ハモンド:「税は重くなったのですか?軽くなったのですか?」

フセイニー:「税は、当時の方がずっと過酷でした。ですが現在は他の負担があります」

ハモンド:「私は、今この時のことを尋ねています。向かい合って語り合っている者同士として。アラブの農民の税の負担がトルコ支配時と比べて軽くなったというのは事実ですか?それとも重くなったのですか?」

フセイニー:「現在の方が税の負担は軽いです。ですが現在ではアラブ人には、例えばカスタム税など他の税があります」

ピール:「では、例えば教育など他の面で見た農民の状況はどうですか?学校は増えたのですか?減ったのですか?」

フセイニー:「学校は増えたかもしれません。ですが同時にアラブ人の人口も増えています」

シオニズムに対する猛烈な反対者で、ヒトラーにも匹敵するユダヤ人嫌いのフセイニーはアラブ人の土地は奪われていないことを、アラブ人は追い出されていないことを、破壊された村はないことを認めていた。ユダヤ人はアラブの地主であることがほとんどだった土地の売却希望者から土地を購入していた。その上、シオニストとイギリスのおかげでアラブの農民の生活水準は、税が軽くなり学校が増えアラブ人の人口が増えるなど大幅に改善していた。

次に、シオニストが現れてアラブの土地を奪いアラブ人たちを追い出したと言い出す人たちが現れたら、大ムフティの証言を目の前に突きつけてやるだけでいい。

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