2016年3月19日土曜日

What Is a Progressive?

John Goodman

リベラル派が自分たちのことを「リベラル」と呼んでいたのをあなたが最後に聞いたのはいつだっただろうか?恐らくかなり前のことだと思う。最近では、左翼は自分たちのことを「プログレッシブ(進歩的なの意)」と呼んでいる。

コロンビア大学の経済学者ジェフリー・サックスはプログレッシブ派の時代は2度あったと寄稿している。1度目は20世紀初頭で2度めはフランクリン・ルーズベルト大統領の頃だ。彼は現在のリベラルを3度目のプログレッシブと呼んでいる。

だが「プログレッシブ派」とは一体どのようなものであったのか?多くの人は、「プログレッシブ主義の時代」という用語を聞くとルーズベルト大統領と彼の行った改革、食の安全の確保、児童労働の廃止、1日に8時間以上の労働の禁止などを思い浮かべると思う。だが真のプログレッシブ主義とはそのような牧歌的なイメージとはかけ離れて遥かに恐ろしいものだった。

ここにJonah Goldbergがウィルソン大統領統治下の第一次世界大戦時の様子を描写したものがある。

「現代的な全体主義が西側世界で初めて誕生したのはイタリアでもなければドイツでもなくアメリカだった。世界で初めて現代的なプロパガンダ省が誕生し、個人的な意見を表明したというだけの理由で数千人が政治犯として投獄され、国家の元首がアメリカ人の純血を穢すとの理由で外国人や移民を糾弾し、新聞や雑誌が政府を批判したとの理由で閉鎖された体制のことを何と呼ぶだろうか?」。

状況はさらに深刻になる。

「数十万という政府の工作員が体制と戦争の支持を煽るため人々の中に送り込まれた。大学の教授たちは同僚たちに忠誠の誓約を書かせた。25万人近い雇われた暴力員に「兵役忌避者」や戦争反対者を脅迫または傷めつける法的許しが与えられた。そして芸術家たちは政府を翼賛するための作品を政府に奉納した」。

ウィルソン大統領の時代に、プログレッシブ派は戦時の緊急避難的な措置として国家の力を使用したり個人の権利を侵害したのではない。その逆で、Herbert Croly(New Republicという極左の雑誌の初代編集者)、John Dewey(リベラル教育の父)、Walter Lippmann(恐らく20世紀で最も影響力のあった政治作家)、Richard Ely(アメリカン・エコノミック・アソシエーションの創設者)、そして他の数多くの人が戦争を古典的自由主義や、レッセフェール主義を取り除く絶好の機会と捉えていた(ケインズと似ている気がするのは単なる偶然だろうか?)。

ウィルソン大統領はトマス・ジェファーソン大統領の考えや古典的自由主義の考えを本や他の著作の中で完全に否定している。Ronald Pestrittoが記しているように、彼の考える自由とは「国家の権力からの自由ではなく国家の法に従うことにより得られる」ものだとしていた。

プログレッシブ派の国内での主な目標はウィルソン大統領が戦時中に行ったことを平時に制度化することだった。彼らは10年ちょっとでそれを行った。フランクリン・ルーズベルトはウィルソン大統領の下で海軍の長官補佐をしていた。そして1932年に、彼はプログレッシブ派の時代の考えを共有する数多くの知識人や官僚を引き連れて政権に就いた。実際、大恐慌時に設立されたアルファベットで略記される機関のほとんどは第一次世界大戦時に設立された様々な評議会や委員会を引き継いだものとなっている。

当時も、左翼がロシアのレーニン共産主義体制を翼賛するのは当たり前のように行われていた。そしてレーニンを翼賛するほとんどすべての左翼はイタリアのムッソリーニファシスト政権の熱烈な支持者でもあった。例えば、ルーズベルト政権でNational Recovery Administration (NRA)の管理を任されていたGeneral Hugh “Iron Pants” Johnsonはムッソリーニの写真を壁に飾っていた。翼賛はしばしば相互的でもあった。ナチスのドイツやイタリアのファシストを褒め称えていた何人かの書き手はルーズベルト大統領のニューディール政策のことも絶賛していた(戦後の福祉国家の拡大はケインズの影響というのは真っ赤なウソだということがよく分かる)。Goldbergが説明しているように、

「それほどまでに多くのプログレッシブ派がムッソリーニやレーニンに熱狂した理由はシンプルだ。彼らは自分たちとよく似た思想を持つ人をヨーロッパの鏡の中に見た。哲学的にも、組織的にも、政治的にもアメリカのプログレッシブ派はヨーロッパの全体主義と非常によく似た国内産のファシストたちだった。彼らは軍国主義的で、熱狂的なナショナリストで、帝国主義的で、人種差別主義者であり、優生主義の実践に深く関わり、ビスマルク型の福祉国家に夢中になっていた」。

プログレッシブ派は社会的生活ほぼすべての面において政府が関与することが望ましいと考えている。Herbert Crolyは誰と誰が結婚するかまたは出来るかまで規制するように提言した。この点において、彼はほとんどすべての進歩主義派が普遍的に抱いていた優生学への傾倒を明らかにしている。最近では、人種の純血への傾倒はヒトラーのドイツで始まり終わったと考える風潮がある。実際には、20世紀初頭のほぼすべての左翼の知識人は政府による遺伝子の管理を信望していた。それにはH.G. Wells, George Bernard Shaw, Sidney and Beatrice Webb, Harold Laski, John Maynard Keynesなどが含まれる。優生学を支持する記事が定期的に左寄りのNew Statesman, Manchester Guardian, New Republicなどに掲載されていた。

20世紀の最も悪名高い権力の乱用の例としてJoe McCarthy議員による赤狩りが挙げられる。

だがそれらの活動すべても同様にプログレッシブ派の時代に端を発している。マッカーシー議員は民主党員としてウィスコンシン州から政治活動を開始した(そして後に共和党員へと転向した)。ウィスコンシン州は最も進歩主義的な州だった。Goldbergが記しているように、「赤狩り、魔女狩り、検閲、それに類するものなどがウィスコンシン州の進歩主義派の間では日常の光景だった」。ドイツのシンパを調査するHUACは進歩主義派の民主党員Samuel Dicksteinによって設立された。1940年代には、ラジオ・ジャーナリストのWalter Winchellは孤立主義者の名前をラジオで読み上げ、彼らを「いなくてもいいアメリカ人」と呼んだ。

まとめ:次回に、誰かが自分のことを「進歩主義派」と呼ぶのを聞くことがあれば、彼にその歴史的意味を知っているか尋ねてみるといい。

以下、寄せられたコメント。

Dave B says:

実際、進歩主義とは古典的自由主義に対する反動だった。進歩主義はほとんどの形態の個人主義に敵対的でその一方では社会主義、共産主義、全体主義(ファシズム)、国家社会主義を熱烈に歓迎していた。

Rexford Tugwellはよく知られた進歩主義者の経済学者だった。彼は戦争を「工業技術者の理想郷」と見做していてニューデールの設計者集団である「ブレイン・トラスト」の一員でもあった。彼は戦争を愛していた。何故ならば、「生産の管理、価格の管理、消費の管理の大いなる実験」を行う機会を与えてくれるからだ。第一次世界大戦の後、彼は「我々は世界最大の工業国への途上にある」と語った。彼は第二次世界大戦を歓迎していた。政府が社会を管理することを可能とするからだ。彼は後に、「民主主義には問題がある。ファシズムはこれまで私が見てきた中で最も純粋で、素晴らしく、最も効率的な社会形態だ。私はこれを熱烈に支持する」と語った。

より詳しい説明はここにある。

http://www.alternet.org/books/151563/the_surprising_history_of_what_europe's_dictators_thought_of_the_new_deal?page=entire

以下は興味を持った人向けだ。

http://traditionalliberalism.blogspot.com/2011/10/progressive-era-eugenics.html

Eugenics: Progressivism’s Ultimate Social Engineering
http://www.thefreemanonline.org/featured/eugenics-progressivism%E2%80%99s-ultimate-social-engineering/

Eugenics and Economics in the Progressive Era.
Journal of Economic Perspectives—Volume 19, Number 4 —Fall 2005—Pages 207–22
http://www.princeton.edu/~tleonard/papers/retrospectives.pdf

Excluding Unfit Workers: Social Control versus Social Justice in the Age of Economic Reform”, part of the “Show Me The Money: Making Markets in Forbidden Exchange” symposium in Law and Contemporary Problems 72: 177-207.
http://www.princeton.edu/~tleonard/papers/unfit.pdf

Mistaking Eugenics for Social Darwinism: Why Eugenics is Missing from the History of American Economics.” History of Political Economy, Vol. 37 supplement: 200-233.
http://www.princeton.edu/~tleonard/papers/mistaking.pdf

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