Megan McArdle
先週、私はJim Manzi氏にオレゴンの実験のことをどう思うか尋ねてみた。彼は、他の会社が実験を行うのを手助けするという事業を行う非常に成功した会社を設立した非常に賢い人物だ。彼は、無作為化試験を用いてビジネス、政策、生活全般を改善することに関して書いたUncontrolledという素晴らしい本の筆者でもある。彼は非常に長く有益な考えを送ってくれた。それを以下に記そうと思う。もしオレゴンの結果に関心があるのであれば全文を読むべきだ。
政策議論に無作為化試験を用いることを強く提唱している身としては、最近のオレゴン州の実験にまつわる議論に深い関心を持っている。私が以前に医療費の自己負担額の話題に関して書いたのはRANDの医療保険実験のレビューだけだったと思う。それは、保険の寛大さの違いが肉体上の健康状態に影響を与えるかどうかをテストした他の唯一の無作為化試験だったと思う。RANDの実験は(1)寛大さの低下は「ほとんどすべての医療サービスの使用量を低下」させた、だが(2)そのサービスの使用量の低下は「肉体の健康状態に悪い影響を少しも与えていなかった」としている。その結果は非常に重要なものだと私に印象づけた。
この論争は有益なものだったと思う。だがあまり大きくは触れられていない大事な点が幾つかある。
9万人が抽選に参加した(単位は世帯単位ではあったが)。3万5000人が抽選に選ばれその人たちに応募用紙が送られた。だが実際に応募用紙を送り返したのは抽選に選ばれたうちのわずか60%の人だけだった。これは、保険に加入していない人が保険の価値をどのように見ているかを顕示選好という形で非常によく物語っていると少しでも常識があれば分かるはずだろう。
もちろん、この議論は応募用紙を送り返さなかった40%だけに当てはまると主張する人もいるだろう。だがそれにも大きな問題がある。
第一に、それは分析に深刻な問題を生み出す。それは抽選に選ばれた60%(順守者)と抽選に選ばれた40%(非順守者)との間に大きくてシステマチックな合理性プラス従順性(ここでは、これをまとめて慎重さと呼ぶことにする)の違いがあることを示唆することになるだろう。これは、抽選に選ばれて応募用紙をきちんと送り返した人と抽選に選ばれなかった人とを単純には比較できないことを意味する。抽選に選ばれなかった人の中で、もし選ばれていたら誰がきちんと応募用紙を送り返した人だったのだろうかを私たちは知らない。本来であれば、抽選に選ばれた人とそういう人とを比較しなければならない。もちろん、オレゴンの研究者たちは対照群の中から人種、性別、以前の健康状態などに基づいて計量モデルを用いて「そういう風に見える人」を選んできてそれと比較している。だが誰かが私に人種、性別、以前の健康状態などに基づいて誰が慎重で誰がそうでないのかを自信を持って(それも高い精度で)言えない限りは、順守者と非順守者との間に慎重さに大きな違いがあるとの仮説の下では、抽選に選ばれたすべての人と抽選に選ばれなかった人とを単に比較したものだけを正式な結果として公表している今回の結果は「治療に対する態度」の影響によって歪められたという方向により近づけざるをえないだろう。この研究の補論のデータによると、治療に対する態度の影響は順守者に対する効果の4分の1ほどの大きさとされている。これは推計された影響の75%を消し去るだろう。
2.もし統計的に有意でないというこの結果を信頼できるものとして受け入れるのであれば、病気になっている人の心臓は保険に入ることにより悪くなる。
治験群は対照群と比較して血圧が高い、コレステロール値が高い、糖化ヘモグロビン値が高いと診断される割合が低かった。だがそれらのどれ一つが統計的に有意ではなかった。言い換えると、95%の確率でその違いが単なるノイズの結果であるということを棄却できないということを意味している。
死亡率の例を考えてみる。死亡率が少し変化しただけでも保険に加入していない人の人数と掛け合わせればある程度の人数になる。それを倫理的には重要だとここでは呼ぶことにしよう。それぐらいに小さな変化を検出できるかどうかには非常に懐疑的だ。それ故、「この影響は今回の実験では検出されなかった、だがそれでも無視できないほどには大きい」という議論は完全には反証できない。
ここではフラミンガム・リスク・スコアを例に取り上げる。
フラミンガム・リスク・スコアは年齢、コレステロール値、血圧、血糖値、喫煙などに基づいて心臓病のリスクを予想するものだ。オレゴンの研究では、慢性的に疾患を抱えている人々(糖尿病、高血圧、コレステロール血症、心筋梗塞、うっ血性心不全などを研究の前に抱えていた人として定義)のフラミンガム・リスク・スコアへの影響を調べている。この調べによると、それらの人々に対して保険はリスクを引き上げている。言い換えると、保険は病気がちな人の心臓の状態を悪くしている。そしてこの影響は高血圧(p値が0.65)、高血糖値(p値が0.61)、高コレステロール値(p値が0.37)よりも遥かに有意水準に近い(p値は0.24)。
もし統計的に有意ではなくてもそれぞれの部分は正の効果を示しているという議論を受け入れるのであれば、保険の心臓病への効果は負であるという結果を拒否できる理由はない。
保険に加入していない人たちの喫煙率は42.8%だ。保険に加入したグループでは、これが48.4%に上昇する。この違いも統計的に有意ではないが他の指標よりも遥かに有意水準に近い(p値は0.18)。これは難しいことでも何でもない。保険に加入した人たちは(四捨五入して)48%が喫煙するのに対してそうでない人たちは(四捨五入して)43%が喫煙する。これは、はっきりと保険に加入したグループの健康に対して悪い。
保険が人々に危険な行動を促すようになるというのはまったくもってありうることだ。保険に加入した人のうちの何割かが喫煙の害を無視してそれ故タバコを吸うようになるというのは直感的にも理解しやすい。もしあなたが社会的介入の非実験的分析により重きを置くようなタイプの人間であれば(私はそのようなタイプの人間ではない)、この結果は保険が実際に危険な行動を誘発するようになることを示した過去の幾つかの非実験的研究の結果をむしろ補強する。
従って、この一連の影響(有意ではないけれども)は皮肉かつ有害だ。誰かが保険を提供されたとする。これは医療サービスの消費量を増加させる。それが今度は非常に小さな肉体の健康状態の改善に繋がるとする。だが保険はそれらの人々に喫煙をも促す。最終的な結果はその実験の始めに病気がちであった人の心臓の状態を悪くするということになる。
公平を期すと、サンプル全体のリスクスコアはほんのわずかにそれも有意とはかけ離れているが(p値が0.76)低下している。これは心臓病のリスクが0.2%低下したことを意味する。従って、この統計的に有意ではないが的な論理を極限にまで押し上げると、保険が心臓病に与えた全体のリスクは、病気だった人(文字通り悪くなった)から健康な人(遥かに数が多い、ほんの少しだけ健康になった)へと健康を再分配することによってサンプル全体がほんの少しだけ健康になったと議論することが出来るだろう。
4.結局、何なのか?
(それほど重要ではなかったので省略)
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