2016年3月19日土曜日

What is a Progressive?

John Goodman

アメリカの有名な大学で医療政策を教えている1人の教授が私の本、Pricelessを生徒たちに配ることにした。彼は何人かの有名な「中道左派」のヘルスエコノミストにも連絡を取り、彼らが私の本に対して反対の側から何か付け加えてバランスを取ることが出来るかも尋ねた。以下が彼の得た回答だ。

「Peter OrszagやUwe Reinhardtのような人々はグッドマンの本のすべてに賛成はしなくても、この本はきちんとした経済学に基いており間違いなく読まれるべき本だと私に語った。中道左派の本にグッドマンの書いたような本はあるのだろうか?経済学的に根拠があり、かつGoodman, Mark Pauly, Steve Perenteたちのような学者が読む価値があると認めるようなものだ」。

答えは、ノーだ。そのような本は存在しない。

このことに自分でも驚いている。医療政策に関して発言したがっている人たちの99.9%はリベラル派だ。他の呼び名が好みならば、「プログレッシブ派」だ。それなのに、医療政策に対してリベラル派のアプローチを記した本がないのは何故なのか?

この現象はヘルスケアに限定されないように私には思われる。ミルトン・フリードマンの「資本主義と自由」は経済学的分析を自由経済の正統性を示すために用いた古典例だ。その本の中で、フリードマンは学校バウチャー制度、フラット税、職業ライセンス制度の廃止、年金の民営化、金融政策のルールなどなどを議論している。左翼の側に、これに匹敵する本が存在するだろうか?答えは、ノーだと断言できるだろう。

このことを異なる視点から捉えてみよう。リベラリズムが支配的な政治的イデオロギーだとしてこれが19世紀の古典的リベラリズムに置き換わったものだとするならば、置き換えられたイデオロギーより何処か良くなったと言える所はあるのか?答えが「ノー」であるならば、その理由は何か?

私が見る所では、リベラリズムはそもそもイデオロギーでも何でもない。それは社会学(適切な訳語が分かりません…)だ。同じことが保守主義にも言えるかもしれない。

イデオロギーとは整合性のある考えの集合体だ。社会主義はイデオロギーだ。リバタリアニズムもそうだ。社会主義者は鉄鋼産業や自動車産業を政府は国有化すべきだと信じているとあなたに伝えたと仮定しよう。あなたはそこから彼らは航空産業も国有化したがっていると容易に推測できるだろう。今度は、リバタリアンが玩具やサンドイッチの自由化を信じているとあなたに伝えたと仮定しよう。そこから彼らがルービックキューブも自由化したがっていると推測することは容易だろう。

社会学主義者(適切な訳語が分かりません…)はそれとは異なる。しばしば相矛盾する考えがそこには含まれる。それらの考えは論理によってもたらされたものではなく歴史や思いがけない出来事などによってもたらされたのだろう。考えに整合性がないだけではなく、完全に矛盾しているケースが多々あるのも珍しくない。

学校前教育の例を取り上げてみよう。オバマ大統領が熱烈に支持している政策だ。デヴィット・ブルックスが説明しているように、この話は所得の低い子供を学習に不向きな家庭環境から隔離することが目的だ。4歳の子供への学校前教育に対する立場から察して、あなたは彼が6歳児から7歳児に対しても学習に不向きな学校から隔離する政策を支持するだろうと容易に推測できるべきではないのか?答えは、出来ないだ。

ブルックスは学校前教育の話をこのように説明している。

(省略)

分かった、ではそれは少しばかり年長の子供が能力の低い教師がいる学校で遭遇する環境とそんなに大きく異なるものなのだろうか?そうではない。だが学校前教育を熱烈に支持する人々の多くが、バウチャーやチャータースクール、または教員組合の権利を少しでも侵害するものであれば何であれ、猛烈な反対者だ。そしてそれにはオバマ大統領も含まれる。

最低賃金の話に移る(グレッグ・マンキューの実証研究の要約を参照)。最低賃金は貧困の削減とは何の関係もない。それはほぼすべての世帯の家長の賃金が最低賃金を大きく上回っているためだ。それ以前に、最低賃金の引き上げは平均より上の所得の家庭の10代の子供をより裕福にするだけで、しかもそれは低所得でマイノリティの10代の子供の雇用機会を犠牲にすることによって成り立つというのは強固な証拠によってよく立証されている(黒人の10代の子供の失業率は白人の10代の子供の失業率の2倍ある)。もし低所得の子供の雇用機会を最大化したいと思っているのであれば(オバマ大統領はそうしたいと口では言っているが)間違っても最低賃金の引き上げなど提案しないだろう。だが、その障壁を作り上げてしかもそれを恒久化しようというのがオバマ政権の労働政策のアジェンダだ。

それと関連した話に労働組合に対する公共政策の問題がある。労働組合とはどんなものであるのかということに今更説明などいらないだろう。それは雇用主への労働の供給を独占化する。ほとんどの場合において、労働組合は中間層以上の労働者の権利を確保してその他の層との競争から隔離されることにより市場賃金より多い賃金を受け取ることを可能にする。だが労働組合を強化することがオバマ大統領のもう一つの政策の柱だ。

アメリカの財政赤字はほとんどすべてが高齢者に対する給付によって発生している。政府は富裕層にも年金を送るし彼らの医療費も支払う。それらの支払いはオバマ大統領が学校前教育を提供したいと言っていた子供の親にも15.3%の給付税(社会保険料)として課せられる。

最も多額の年金を受け取る場所と最も多額のメディケアの給付を受け取る場所とはしばしば重なる。所得税とは異なりすべての労働者が給与税を支払う。どれだけ所得が低かろうともだ。だがオバマ大統領が改革に反対するのはこれらのプログラムに対してだ。

医療政策に関して、私は中道左派が一体何を考えているのだろうかと精一杯理解しようとしてきた。2008の選挙で、ジョン・マケイン議員はこれまでで最も累進的な医療政策を提示していた。どういうことかというと、マケイン案は平均以下の所得の世帯にとってとてもよい取引でオバマケアよりも遥かに再分配の規模が大きかった(その差はというと僅差でも何でもない)。だがSherry Gliedやその仲間たちの書きものを読むのではそのようなことをどうやって知ることが出来るだろうか?(理由はまったく分からないが、マケイン案によって現在より逆進的になると嘘をつき続けている間に、彼ら自身がそれをどうやら信じこんでしまったようなのに!)。

このブログの読者の中には、民主党(フランクリン・ルーズベルト大統領の時代にまで遡って)とは利益団体の連盟で構成されている、そして選挙に勝つにはそれぞれの利益団体を満足させることが求められると指摘する人もいるだろう。だがここでは彼らの考えに関して話している。選挙のことではない(地味に重要な指摘)。

政治家は彼らが行うこと、行おうとしていることを正当化する知的な根拠を探している。だが彼らの政策には論理的根拠がないのでどのイデオロギーもその役には立たない。彼らが必要としているのは社会学(擁護しようのないものを擁護するその方法論)だ。恥というものを知らない知識人たちがそれを偽装してくれるだろう。

オバマ政権にとってはここでいう社会学がリベラリズムだ。彼らはかつては自分たちのことを「リベラル派」と呼んでいた。現在では、「プログレッシブ」と名乗っている。

以下、寄せられたコメント。

John Seater says:

私の考えではその理由は簡単だ。リベラル派の経済政策は経済学によって否定されている。大きな市場の失敗が存在しない場合には、市場は資源や財を配分するのに良い仕事をする。政府の介入は不必要なだけでなく、ほとんど有害でもある。リベラリズムとは政府の支配とほぼ同義だ。すべての物を管理しようとすら欲する。だから、そのような介入は悪い、良くないと言うような経済学はリベラル派の政策を正当化するような分析の枠組みとは成り得ない。

もちろん、例外は環境政策だ。空気の汚染や公害などのような外部性は実際に存在し、それらは市場の失敗なので政府による介入を必要とする。だがそれは現実の政府が正しい方法で介入していると言っているのではない。少なくとも原則的には、外部性を修正する政府の介入には経済学的意味がある。

医療政策や他の多くのリベラル派の経済政策には環境政策で見られたような経済学的下支えは得ることが出来ない。それが、医療の国有化のようなものを正当化する市場の失敗とは何なのかを私がUwe Reinhartに尋ね続けている理由で、彼がそれを指摘できない理由でもある。要するに、実証的に示されたそのような市場の失敗は存在しない。同様に、最低賃金を正当化するような労働市場の市場の失敗も存在しない。大学教育への税額控除を正当化するような市場の失敗も存在しないなどなど。

だから、資本主義と自由のような本が左翼の側に存在しないのは、そもそもそのような本を書きようがないからという理由に尽きる。

Greg Scandlen says:

社会学と呼ぶのは持ち上げ過ぎだと思う。あれはそのようなものでは全然ない。「ology」というのは何かを学習することを意味する。彼らにはそのようなものはない。あれは生の政治だ。彼らの政策のほとんどは宣言された目標を達成することはない、または達成できないという山のような証拠があったにも関わらず採用された。だがそれらは選ばれた少数を利するだけだった。

0 件のコメント:

コメントを投稿